そのキワで、やる? やらない?

ワールドカップ、終わってしまいましたね。
私は、あまり熱心に見ていたとはいえませんが、
それでも決勝のスペインVSアルゼンチン戦は見ていました。
勝ったスペインもすごいですが、
アルゼンチンのゴールキーパーの防戦力には感嘆しました。
サッカーでのストライカーとゴールキーパーの戦いは、
まさに本稿のテーマである「際(キワ)」でのせめぎ合いです。
ストライカーはキーパーの動きを読みながらゴールポスト際を狙うでしょうし、
キーパーはギリギリの瀬戸際まで判断するのを堪え、
その判断が0.1秒遅れても、早すぎてもいけない。
実は私、この「際」という言葉にとても惹かれます。
そもそも「際」という言葉は何を指すのでしょうか?
「~の際(さい)」と読んで、機会を表すこともありますが、
ここでは物と物が接する境界線や、端っこを指しています。
たとえば「瀬戸際」というのは、物事の成否、勝敗、生死などが決まる、
後戻りができない重大な分かれ目や、ぎりぎりの状況を意味します。
いったいなぜ自分が「際」という言葉が好きなのか、
この機会に考えてみたのですが、
多分「境界線」というものに興味があるからなのだと思います。
けれど、なぜ「境界線」に興味があるのか?
おそらくその境目には「選択」があるからではないか?
...と、そんなことを考えました。
選択があるということは、冒険があり、決断がある。
たとえば、ファッション。
こうだとカッコいいけど、一歩間違えるとダサいかも...というときに、
どんな選択をするか。
たとえば、カラオケ。
歌ったことがない、でも歌ってみたい...というときの選択は?
話は飛ぶようですが、「選択」の話を続けます。
私の好きな映画の1つに『ショーシャンクの空に』があります。
冤罪で投獄された主人公アンディが友情を育みながら、正義を貫く映画なのですが、
主人公が人生はシンプルな選択に行き着くと語る場面があります。
私は、彼がいうシンプルな選択とは、「やるか」「やらないか」だろうと解釈しています。
カレー、ラーメン、ハンバーグの中からランチを選ぶとき、選択肢は3つのように思えますが、
それぞれで「食べるか」「食べないか」の二者択一をしているだけのことです。
ランチに何を食べるかで、人生が変わったりしませんが、
選択すべき「際」に立っているのに選択しないと、人生は変わっていきます。
そういえば、先ほどの映画『ショーシャンクの空に』に出演した
モーガン・フリーマンは、今でこそ名優として知られていますが、
俳優を志したのも30歳と遅く、50歳まで売れない俳優だったそうです。
彼は30歳で人生の「際」に立ち選択をし、俳優への道を拓きました。
「際」にいるとき、そんなに簡単にうまく行くわけがない、という気持ちと、
でも、やりたいのだから、やる、という気持ちが交錯します。
ですが、「際」はあくまで「際」。結果に何の保証もありません。
「~の分際で」という言葉がありますが、
身の程をわきまえたうえで、「やる」を選択するのが「際」の美学だとも思います。
結果に捉われず、どちらに転ぶか分からない境目に立つということ。
そのハラハラを味わうのも、人生の楽しみ方なのだろうなと思う今日この頃です。
本格的な夏が始まりました。
熱中症対策を講じながら、猛暑を乗り切りっていきましょう。

