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『社内広報&インターナルコミュニケーション』カテゴリの記事

 

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来年の話をすると鬼が笑う、ということわざがあります。
将来のことはわからないのだから、
予測できない未来のことを言うと、鬼がバカにして笑う...という意味ですが、
実現できようが、できまいが、未来のことを考えるのは楽しいものです。
今年も1カ月を切り、誰もが来年のことを考えだす時期でもあるので、
進んで鬼を笑わせましょう!

仕事のことも、プライベートのこともあると思いますが、
インターナルコミュニケーションに携わっている方は、
この時期、来年もしくは来年度の計画を作っているかもしれません。
特に、最近は、WEBという媒体をもっと活用していこうという
大きな流れがあるので、戸惑いも多いかもしれません。
お困りのことがあれば、お気軽に質問をお寄せくださいね。

さて、社内広報の計画を立てる際にしばしば起きることで、
注意した方がいいことについて、
3つのポイントを紹介させてください。

  1. 達成課題だけでなく、解決課題も考える
  2. 達成課題は抽象的な表現より具体的表現に
  3. 解決課題は3つの領域からチェックする

具体的に見ていきましょう。

Point 1 達成課題だけでなく、解決課題も考える

第1は、《課題というものの捉え方》についてです。
課題を言語化する際に、達成したいことを書くケースが多いようですが、
解決したいことも言語化した方がいいと思います。
達成したいことというのは、「こうありたい」という理想の状況の表現です。
解決したいことというのは、「それなのに、現状はこうである」という
現実の状況の表現です。

「こうありたい」に「原因」はありませんが、
「それなのに、現状はこうである」を明らかにすると、
今度はその「原因」は何なのかと考えを進めることができます。
原因を捉えることができれば、解決策(コンテンツ)が考えやすくなります。


Point 2 達成課題は抽象的な表現より具体的表現に

第2は、《達成したい課題の言語表現》についてです。
往々にして、「グループ間シナジーを生み出す」とか、
「会社の目指す方向性に共感を生み出す」など、抽象的な表現をしがちです。
それ自体が悪いわけではありませんが、
「シナジー」や「共感」が生まれた状態とはどんな状態なのかを明らかにしないと、
達成できたのかどうか評価できません。
つまり、社員の日常の行動がイメージできるような表現にすることが、
言語化する際のポイントです。


Point 3 解決課題は3つの領域からチェックする

第3は、《解決したい課題の発見のヒント》についてです。
組織の課題にはパターンがあり、課題発見の方法もいくつかあります。
ここでは、「方向性」「関係性」「アイデンティティ」という観点で
課題を発見するヒントを紹介します。

まず「方向性」に関する課題から見てみましょう。
現在の社内は、自社が目指す方向性について、
理解されていない/共感されていない/自分ごとになっていない...
というような状況になっていないでしょうか。

次に「関係性」に関する課題とは、部門間の横の関係、経営層と社員の関係、
部門内の上下関係や仲間との関係、グループ間の関係などに
何かしらの問題がある...という場合です。
縦割りで風通しが悪い、協力しあう雰囲気にない、
信頼関係がないといった状況にある場合は、関係性に問題があるからです。

最後の「アイデンティティ」に関する課題とはどんなものでしょうか。
これは、自分の業務の役割や仕事の価値に対する肯定感が低かったり、
組織の存在価値や強みに希望がない・否定的である...といった状況にある場合です。

どの領域の課題も相互に関わっていて、
組織全体のモチベーションやエンゲージメントとも密接につながっています。
こうした視点で自社を眺めることで、
解決すべき課題を発見しやすくなるのではないでしょうか。


以上3つのポイント、参考になれば幸いです。
私自身は、鬼を笑わせようとけしかけるようなことを書きながら、
計画性があるほうとは言えません(泣)
鬼を笑わせられるように、がんばります!

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こんにちは、グラスルーツ小野です。
人間は思い込みの生き物だと言われていますが、
思い込みで失敗したこと、ありませんか?
私は、最近、思い込まないように、気をつけないといけないな...
と思っていることがあります。

それは、A社のご担当者の使っている単語と、
B社のご担当者の使っている単語は同じであっても、
その意味するところは異なっている場合が多々あるということ。

たとえば、「WEB社内報」という単語もその一つです。
イントラに紙の社内報のPDFをアップし、
それをWEB社内報と呼んでいる企業もあれば、
イントラ内の1コーナーをそう呼んでいる企業もある。
専用のプラットフォーム(CMS)やクラウドのアプリを使って
社内報サイトを作っている企業もあります。

ひとくちに「WEB社内報」と言っても、各社各様であるわけですから、
こちらの勝手なイメージで解釈してはいけないな、と思う次第です。

何をもって「WEB社内報」と呼ぶかは、
コンテンツの配信方法だけではなく、内容面からも言えることです。


社内のニュースやトピックスを紹介する。
社内の人物や部署を紹介する。
社長のメッセージを紹介する、など、
かなり限定的な内容で社内報を展開している企業もあれば、
社内の「課題」に基づき企画を立てている企業もあります。
断定はできませんが、今日のテーマである「読まれない」という問題は、
前者のケースで生じやすいのではないか、と考えています。


実際、WEB社内報が「読まれない」という悩みはとてもよく耳にします。
紙の社内報と違って、読まれているかどうかが、
数値でわかってしまいますからね。

読まれるコンテンツを作るのは簡単ではありません。
でも、よく考えてみれば、それも無理からぬことです。
たとえば、当社でも経験が浅い若手スタッフの原稿は、
社内チェック段階で簡単には OKになりません。
「情報が整理されていない」「メッセージがわからない」
「おもしろくない」「周りくどい」など、
社内のディレクターからフィードバックを得て、
ブラッシュアップの後、ようやくOKになります。
でも、これは若手だからではありません。
私自身、極力自分の原稿を部下に見てもらい、フィードバックを受けたい方です。
なぜなら書き手は往々にして独りよがりになるとわかっているからです。
(でも、ごめんなさい、メルマガは時間がないので端折っていますが)

読むという行為は、読者の時間をいただく行為なわけですから、
時間をいただくというのは、つくづく大変なことだと感じます。
このメルマガもそうです。
この行までお読みいただくのに時間を使っていただいたわけですが
ここまで読んでいただけたからと言って、
次の1行も読んでいただけるとは限りませんよね。
読者はいつでも読まない選択ができる。
読み物とは、基本、そういうものだと思います。


読まれるにも理由があり、読まれないにも理由があります。
そんなわけで、私たちが社員教育でも使い、
有料セミナーでもお伝えしている重要なエッセンスを、
ぎゅっと凝縮し、無料オンラインセミナーでお伝えします。

テーマ:「読まれるWEB社内報の作り方」(無料)
日時: 11月17日(水)10時~12時

https://www.grassroots.co.jp/LP/web/211117/

なんと、来週です!(ご案内が遅れてすみません!)
ご好評につき、今回もWEB社内報の安心ブランド「solanowa」を
提供されているスカイアーク様とのコラボでお届けします。


本当は「読まれる」ことを目指すのではなく、
組織上の課題や、社員意識面での課題の解決を目指すべきですが、
読まれないことには始まりません。
ご参加を心からお待ちしております。

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自分の仕事をどう定義づけるか。。。
私は、この質問をしばしば自分に対して投げかけます。
同じことをやっていても、どう意味付けるかで、
見えてくる風景が変わりますよね。
よく例に出てくる3人のレンガ職人の話もしかり。
(初めて耳にするという方は「3人のレンガ職人」で検索してみてください)

最近、定義づけをするときに、こう考えると視野が広がるな、
と思ったことがあるので、シェアさせていただきます。
それは、英語の使役動詞「make」を使って考えてみるという方法です。

使役動詞。。。なんだっけ?という感じがするかもしれませんが、
思い出してください、中学生の頃に習ったはずです。
私は、先生が洋楽「You Are My Sunshine」の歌詞を例文に
使役動詞「make」の働きを教えてくれたこと、今でもよく覚えています。

You make me happy when skies are gray.
あなたは、空が灰色の(私が落ち込んでいる)時も、私を幸せにしてくれる。

make A B = AをBにさせる

ですよね。

こんな例もあります。トランプ元大統領。
"We will make America great again."
アメリカをもう一度偉大にさせる。
このフレーズがトランプさんのキーフレーズです。

キーフレーズといえば、オバマさんは"Yes We Can" でしたね。
そんなオバマさんが2008年の大統領選で勝利した時、
メジャーアーティストが参加して作られたサウンド・トラック
「YES WE CAN:VOICES of a GRASSROOTS MOVEMENT」では、
ロス・ロンリー・ボーイズが、「Make It Better」という曲を歌っています。
♪You gonna make it better
もっと良くしよう。もっと良くできる...みたいなニュアンスでしょうか。


で、ここからが本題なのですが、
私は、すべての仕事は「Make It Better」のためにあるのではないか、
と思ったりします。
仕事って何かをより良くすること...なんじゃないの?と。

で、このときに、この「It」に何を入れるか。
そんな問いが、仕事観を膨らませるのに役立ちます。
あなたなら、何を入れますか?

私は、社内広報やインナーブランディングの仕事の一つの定義として、
「人の感情、気持ち、意識、認識、理解を、より良くさせること」
要は人の心の状態をより良くするというような捉え方ができるなと思っています。
「Make Your Feeling Better」みたいなことです。

「わからない」という不愉快で不安で不満足な状況を無くしたり、
「なるほど!自分もそうありたい」と共感してモチベーションが上がったり、
誰かのがんばりに勇気をもらったり、誇りを感じたり。
そういうことって、感情や思考に作用しているわけで、
ということは、社内広報やインナーブランディングの仕事は、
誰かの気持ち、誰かの心の状態を良くすることだとも捉えることができます。


で、ここまで考えてみて、今度はこうも思いました。
もしかしたら、社内広報やインナーブランディングの仕事だけではなく、
あらゆる仕事は「Make It Better」であると同時に、
「Make Somebody's Feeling Better」。
つまり、誰かの気持ちを「Better」にしているのかも、と。

あなたの仕事、「Make It Better」の「It」に入るのは何ですか?
誰の気持ちを「Better」にしていますか?
そういう目で仕事を振り返ると、
ちょっとモチベーションが上がったりします、私は(笑)
試しにやってみてください!

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先週、社内でWEB社内報にあってほしい機能について議論をしていました。
その中で、巷によくある「Thanksボタン」「Thanksポイント」は必要か、
という話になったのですが、
あなたなら、その機能、ほしいと思いますか?
これらは、Thanksカードのデジタル版です。
私たちの結論としては「ほしくない」ということに。


その理由は、、、気難しいことを言うようですが、
こういった施策にちょっとしたあざとさを感じるからです。
どういうことかというと、この機能を導入する目的は、
 感謝されたらモチベーション上がるよね、
 お互いの感謝を見える化して、モチベーションを上げていこうよ!
...ということですよね。
その発想の奥には、なんというか、マウンティング感覚があるというか、
誰もが持っている承認欲求で人をコントロールしようとしているというか、、、
あざといという表現は適切でないかもしれませんが、自然体とは言えません。
しかも、感謝という、本来ならとても素敵な行為をチープなものにしてしまう。
そんなもんはほしくないよね、ということになりました。


というわけで、今日のテーマは感謝とご褒美、褒めるについてです。


ThanksボタンもThanksポイントも、根底にあるのは、
感謝を大切にしようという思想。そこには、まったく異論はありません。
でも、仕組み化した時点で暗黙の義務が発生するところに違和感を感じます。
義務的なリアクションは、望ましいコミュニケーションとはいえません。
まあ、仕組み化すると、ラクそうに思える気持ちはわかりますが。。。。
しかも、暗黙的義務的Thanksであっても、
それをもらうことは、承認欲求が高い人にはウケるかもしれないし。
でも、内発的な動機を原動力に行動する人にとっては、むしろやる気が削がれます。


「嫌われる勇気」で一躍有名になったアドラー心理学では、
褒めることを否定し、その代わりに感謝を示すことを勧めていますが、
褒めることを否定している理由は、
承認欲求を満たして行動させようとすることを否定しているからです。
人が、褒められるという「言葉のご褒美」ほしさに行動することは、
幸福の追求に反するという考えです。
感謝を見える化した時点で、それはもう「ご褒美」と同じに思えます。


コロナで印刷していた社内報をWEB化するという流れは、現在加速しています。
安易にThanksという「ご褒美」を導入してほしくないものです。


さて、Thanksのシステム的な見える化という話以前に、
子どもや部下を「褒めて育てよう!」という育成観も、どうなんだろうと思います。
私自身はアドラーが言うほど褒めることをストイックに否定はしませんが、
褒め方の指南書を頼りに、
上司が一生懸命がんばって部下を褒めるというのは、いかがなものかと思います。
例えば、否定的な指摘をする前には、3つほど褒めろなんていうのもその1つです。


いったいいつ頃から、「褒めて育てよう!」が主流になってきたのでしょうか。
東洋経済オンラインのインタビュー記事の中に答えが見つかりました。
「ほめると子どもはダメになる」の著者・榎本博明さんによれば、
「褒めて育てよう!」という教育観は1990年代頃からのもので、
学校教育がテスト結果より授業中の態度や関心で成績を評価する方向に
変わった頃と時期を同じくしているようです。
もともと褒めて育てる理由は、「自己肯定感が高まるから」だったようなのですが、
榎本さんは「頑張ってもいないのにただ褒められていい気持ちになっていたのでは、
本当の自己肯定感は育たない」
「日本は欧米流の『褒めて育てる』を歪んだ形で導入した」
と語っています。


ちなみに「アメリカは褒める社会」とはよく耳にすることですが、
日経ビジネスの中でかつてアブダビ政府の投資庁で働いていた林則行さんが
こんな面白いことを書いていました。
面談で英米人の上司は「がんばってるね。
私だけでなく周りのみんなが評価しているよ」など良いことしか言わず、
営業成績が低迷している人に対してさえ、
「今年の営業成績だけど、もう少し行けたはずだよね」と軽くお尻を叩き、
「これがあなたの本来の力でないことは知っている。
景気が悪かったのが最大の要因だよ」とフォローしたりするそうですが、
こう言われたアメリカ人の部下は「相当厳しいことを言われた」と思うのだそう。


もし日本であったなら、自分はまずまずの評価を受けたと勘違いしそうですよね。
ベースにある文化や意識が違うものをそのまま日本に持って来ると、
おかしなことになる例と言えるかもしれません。


マニュアル的に褒めるというアプローチには疑問を感じるものの、
「褒める」の影響は知っておきたいもの。
まず、スタンフォード大学キャロル・S・ドゥエック教授の実験結果を紹介します。
実験は400人の小学5年生を対象に行われました。
子どもたちをふたつのグループに分け、
簡単な問題を解かせます。
終わった時、片方のグループの子には「よくできたね」というひと言で褒めてやり、
もう一方のグループの子は褒めない。
その後、子どもたちに次に挑戦する問題を選ばせました。
簡単なものか、難しいものかの二択です。
すると、褒められたグループの子どもたちは、大半が簡単な方を選び、
褒められなかったグループの子どもたちは、9割以上が難しいほうを選んだそうです。
つまり、もう一度褒められるためには「解答できる」必要があり、
そのために、困難に挑戦する意欲が削がれたのだと見られています。
なんだか恐ろしい。
このほかにも、いろいろなところでいろんな人が実験を行っていて、
「頭がいいね」と地頭的な能力を褒められるとその後伸びなくなり、
「頑張ったね」と努力を褒められると伸びるなどがわかっています。


いずれにしても、褒めることの功罪を知るのは良いとして、
あまり詳しくハウツーを知りたくはありませんね。
なぜなら、人を成長させるためと考えれば、それも必要だとは思いますけど、
本来は計算づくで褒めるのではなく、心底褒めるのがいいですから!
感謝も同じで、やらなきゃ感覚の仕組みの中では言われたくないなー
と思っていても、案外うれしかったりするのでしょうか?
人間って、めんどくさい。でも、それが真実だという気がします。


長くなっちゃいました。今週も素敵な1週間を!

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先週、コンサル大学の北岡秀紀さんのメルマガを読んでいたら、


萩本欽一さん、ビートたけしさん、タモリさん、明石家さんまさんなどの
語録を紹介し、お笑い界の大御所たちは「努力」について、
「芸能界は運と才能の世界」
「努力したからといって報われるものではない」
とほぼ一様に語っていて、努力を否定しているように見える、
でも、そういう人たちに限って実は一番努力をしている、云々...
とありました。


芸もスポーツも才能は必要ですが、
一流の人ほど努力しているとはよく言われることです。


でも、社会って、私たちも含め、
無名な人たちの努力の上に成り立っているんですよね。
当たり前に手に入るものには、ついつい感謝を忘れますが、
その陰でどれだけ多くの人たちの努力があることか。。。


とはいえ、毎日毎日、コツコツと努力するというのは
並大抵のことではありません。
人間だから、やる気の出る日もあれば、出ない日もある。
そんなとき、コピーライター藤本宗将さんが
ホンダのためにつくったあの有名なコピー「負けるもんか」の全文を読むと、
努力って美しいなぁと思い、元気が出ます。
もし、読んだことがなければ、ぜひ検索して読んでみてください。


さて、努力には2つあります。
自分一人で完結する努力と、相手がいる関係の中でする努力。
どちらの努力も簡単ではありませんが、
ここでは、相手ありきの中での(特にリーダーの)
「伝える」努力について考えてみたいと思います。


我が身を振り返ってみたり、過去の事例を思い出してみて、
「伝える」ことのいったい何が難しいのかを考えてみました。


伝えていないから伝わらないというケースは別として、
伝わっていないからといって、
リーダーが何も発していないことは、むしろ少ないのではないでしょうか。
それなのに、しばしば伝わらないということが起きます。
なぜでしょう?


たとえば、40代の私の経験。
自分は社員にビジョンを話しているつもり。
なのに、うちの会社のビジョンがわからないと言われる。
するとリーダーの私は、なんでわからないのか、
わからんヤツが悪い...と思う。
今にして思えば、なんと他責なことでしょう。ああ、恥ずかしい。


でも、伝えることは目的ではなく、伝わってなんぼ。
そうすると、なぜ伝わらないのか、考えるようになります。


すると、わかってきました。
そんな時は、往々にして、伝えたいことを伝えたいように発しています。
相手が知りたいことは何なのかなどと考えていません。
そもそも立場が違えば、見ている風景も違うはずなのに、
相手に見えているもの、見えていないものを想像さえしていません。
だからこそ、噛み合わないときに、自責で受け止めず
他責で見てしまうのでしょう。
そんな気づきを得ました。
上司というのは、部下から育てられるものですね〜


こんな私の体験は、反面教師にしていただきたいですが、
さて、、、、
伝える努力はどうあるべきなのでしょう?
きっとこれだけが唯一正しい答え!というものは存在せず、
人それぞれでいいように思います。
自分の価値観や美意識に従うのみです。


私の場合は、努力らしい努力はできていませんが、
強いて言うと、相手から見て、
指摘、意見、進言を言いやすいと思えるような関係づくりに努めています。
本当は伝わるようにするための努力をすべきなのでしょうけれど、
でも、言いやすい関係であれば、社員は、私が伝えたことが伝わっていないときや、
表現が適切でなかったときに、フィードバックしてくれるからです。
そうしたら、あ、はずしたか...と思って、フォローに走れます。
まあ、でも、これ、努力と呼べるほどの代物ではありませんねぇ。


本気で努力する姿って本当にカッコいい。
藤本宗将さんのコピーのように、カッコよく仕事をしたいものですね。
あなたは「伝える」という面で、どんな努力をしていますか?


年が明けたと思ったら、もう1年の24分の1が過ぎてしまいました。
今日という日が充実した1日でありますように。

先週6日、ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」を兄と共に率い、
ギタープレーで人々を魅了した、
エドワード・ヴァン・ヘイレン氏が亡くなりました。
彼のことを知らなくても、マイケル・ジャクソンの「Beat It」の
ギターソロを思い出せる人は多いのではないでしょうか。


私自身も、バンド「ヴァン・ヘイレン」については、
ヒット曲「Jump」とか、「You Really Got Me」ぐらいしか知りませんが、
彼らに限らず、ロックをこよなく愛します。
ロックのどこが好きなのかを考えてみたのですが、、、、
多分私は、ロックスピリットのコアにあるものを「意思の強さ」と捉えていて、
音楽的なこともさることながら、そういった精神性が好きなんですね。
だから、「なあなあ」なロックバンドとか、
ぶつかることを恐れてしまうロックバンドってありえない(笑)


さて、今、「意思の強さ」と書きました。
どんな強さかはともかく、あなたは自分に「強さ」を求めますか?
求めるとしたら、どんな「強さ」ですか?
自分が憧れる「強さ」を何かに例えると、どんなものになりますか?


私は、多くの人は、その人なりの価値観から、
何かしらの強さを自分に求めていると思いますし、
実際に何かしらの強さが人にはあるのだと思います。
でも、「強さ」にもいろいろなタイプがあります。
たとえば、、、


何があっても動じないハガネのような強さ
柳のようにしなやかで折れないという強さ
苦しくても9回裏で逆転するような粘れる強さ
謙虚に物を見られる強さ
毎日の小さな努力を積み重ねられる強さ
切れ味の良いナイフのような強さ
懐深い愛情で物事を受け入れる強さ
ネガティブなことをユーモアに変えてしまう強さ などなど....


自分が欲する強さがどんな強さなのか...のその答えの先には、
往々にして自分の強みがあったりするのかもしれません。


実は、私も去年、当社のDNAを探り出そうとして、
同じようなことを考えました。
企業DNAというのは、なぜ今日まで存続できたのか、
存続を可能にしてきた強み的な要素のことです。
企業の判断基準の元にある美意識や価値観だとも言えます。


その時に当社のDNAの一つとして整理されたのが、
「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。


もちろんいきなりこうした言葉が出て来たわけではありません。
当社が大切にしたい雑多な事柄が先にありました。たとえば...
 自然体、しなやかな、謙虚、自己変革、前例にとらわれない、品、
 やってみる、面白がる、気づける、発見する、最上志向、遊び、
 損得以外の価値、プロとしての自負、利益主義、雑談、ムダが大事...など。
他にも様々な概念が出された中で、
これらの概念はある種の強さを志向していると考え、
それをまとめたのが「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。


反対に強さに関してありたくないワードを出してみると...。
 根性、攻撃的、暴力的、高圧的、乱暴、横柄、批判、不安
 びくびく、おずおず、ネガティブ、依存体質、他人軸、他責
 プライドが高いだけ、プライドがない、評論家...など。


価値観や美意識に、正しいとか、間違っているということはありませんよね。
ただただ自分の価値観や美意識に背くと感じながら、
無理にほかの価値観に合わせようとすると、誰しも心が穏やかではなくなります。


だからこそ、採用活動/求職活動では、事業内容や職種だけでなく、
価値観が合っているかどうかを見極めることが大切ですよね。
なぜなら、心が穏やかではないということは、アンハッピーということだからです。
ってことは、自社の価値観を知るのも大切ですが、
自分の価値観を知るのが先決ということになるのでしょうか。
組織人である以上、1日8時間は働くわけですから、
価値観という切り口で自分の幸福を求めたり、
人と対話したり、社内メディアで話題にしたり、、、
時には必要かもしれませんね。


10月も中旬になってしまいました。
今週も素敵な1週間でありますように。

先週金曜日、宣伝会議様からご依頼いただいた
「企業のための定期勉強会 広報コース」全10回のうちの第3回「インナー広報」で
講師登壇させていただきました。
https://www.sendenkaigi.com/class/detail/publicrelations_workshop.php


外部からのご依頼で多いのは「◯◯セミナー」や「◯◯講座」です。
でも、今回は「勉強会」です。
講師として、どう臨むかを考えるにあたり、
まず「セミナー」「講座」と「勉強会」はどう異なるのか、異なるべきなのか、
そこから考えました。


「セミナー」「講座」「勉強会」の本来の意味は別として、
それらの言葉が、今現在、世の中でどう受け止められているかというと、
「セミナー」「講座」はどちらかというと講師が教えるスタイルで、
「勉強会」になると、講師はいるとしても、一方的に教えるというよりも、
参加者同士の意見交換が入るイメージ。そんなところではないでしょうか。
(私はセミナーや講座であっても、ワークショップを取り入れていますが)
宣伝会議様も、そのようなイメージでおられ、机は班で組みたいとお考えでした。


一般的イメージとしては、そんな感じだと思いますが、
そもそもに立ち返って、人が「勉強」するというのは何を意味するのでしょう?


私は、勉強の「勉」の文字は「努める」。
つまり、勉強というのは、強く努めること、と受け止めました。
では、何に向かって、努力するのか?
私の答えは、「自分が求めるありたい自分に向かって」です。
だから、根源的に自分の欲求があってこそ、勉強はいい形で成立します。


でも、「ありたい自分」を描けていないまま、
「あらねばならない自分」のために勉強しようとしたら、
それは、もうやらされ感に支配されているのであって、いい勉強にはなりませんね。


今回の勉強会の冒頭でこんな話をしました。


こういった学びの場では、
・たくさん勉強する人
・少し勉強する人
・資料は持ち帰るけれど、ほとんど勉強しない人
がいる。どう違うのか。


「ありたい自分」が描けていると、やらされ感がない。
自然に好奇心が湧いてきて、この場に居て知識を吸収することができる。
でも、「あらねばならない」というマインドセットの場合、
いい結果になりにくい。
だから、自分の欲求に自覚的であることは良い勉強する上で不可欠。
けれど、、、、
好奇心を持って聞くことは重要だけれど、それだけでは不十分で、
何が必要かというと、「考えること」。
情報をインプットしても、考えないことには、人は翌日には忘れてしまう。
情報や知識を聞いたままにしていると、それは、ただ「点」としてあるにすぎない。
その情報を自分の体験と結びつけて、気づきが生まれると、
入ってきた情報が「点」ではなく「面」になる。
そうやって「考える」ことが「たくさん勉強する」ために不可欠です、と。


そして、このセッションにどう臨むかも自由。
たくさん勉強したいと思うのもヨシ、
少し学べればいいと思うのもヨシ、
すべては自分の選択。
でも、「少し学ぶ」を選びたいなら、それでもいいので、
けれど、そこに自覚的であってほしい。


...冒頭で話したのは、そんな話です。


こんな話をしながら、私が思ったことは、
結局人生は「選択」であり、選択していることにどれだけ自覚的であるかが、
人生の質を左右するな、ということでした。


「選択」の本質は「自己責任」です。
自分の行動の結果を人のせいにするのはNGだと思います。
人生、うまく行くこともあれば、行かないこともありますが、
自分が選択したと思えたら、文句も出ません。
文句が出るのは、誰かのせいにしたいからですよね。


すべては選択、人生は選択。
そんな考えに改めて思い至った感じです。
「選択」ということについて、あなたは何を考えていますか?


どうぞ素敵な1週間を!

今日は私が経験した不愉快な体験から、相手に対する想像力がいかに重要かという話をさせてください。


ですが、本題の前に、私の友人のワークショップの宣伝です。
土曜日ですが、私も一参加者として参加するので、ご興味があればぜひ!
12月1日(土)13:15〜17:00
コーチングのプロがお伝えする「人間関係がよくなるコーアクティブ会話術」
https://www.facebook.com/events/348402899300107/
主催者の村山英之さん、とてもライブ感のある人で、
彼のワークショップならおもしろくないはずがないと思って、私は参加します。


さて、、、本題。
残念なことに、またブランドに疑問を感じる体験をしました。
具体的に言うと、1ヶ月ほど前にあるメーカーのドラム式洗濯乾燥機が壊れたので、
同じメーカーのものを選んで買い換えました。
それなのに、わずか1ヶ月にしてまたしても、故障!
症状としては、前回と同じようにまたまた水が噴き出して来たんです。
30万円以上したのに。。。
まだ、ほんの1ヶ月、5〜6回しか使っていないのに。。。。
有名メーカーの製品でした。
前回壊れた時もそうでしたが、床はあっというまに水浸し。
下階に影響がでないか、心配しました。


洗濯機の故障にもいろいろなタイプがあると思います。
たとえば、動かない、とか
乾燥のレベルが低くて生渇きである、とか。
けれど、それらは機能が低いという話であって、
損害はそれほど大きくないですよね。
というか、不便ではあるけど、損害はその程度です。
でも、水が噴き出して来て、床がびしょぬれになるというのは、
相当ひどい損害です。
まったくもってあってはいけない故障の類だと思います。
列車でいったら、脱線。
飛行機でいったら、墜落級の故障だと思います。


洗濯機って、セットしたら出かけちゃったりしませんか?
私も、まさにあと数分で出かけるつもりでした。
出かけていたら、どうなっていたんでしょう?


で、まあ、とにかくそういうことが起きて、
誰でも同じことをすると思います。
顧客窓口に電話して、メーカーに修理を申し込む。


で、今日のテーマはこの時の対応についてです。
私はとても疑問を感じました。
なぜ1ヶ月で壊れたことへの謝罪は
「ご不便をおかけして申し訳ありません」の一言で終わり、
無料保証は1年なので購入日がわかるレシートを用意しろの説明は長いのか、
1ヶ月で壊れたと言っているのに、まるで感情を逆なでするように、
「今回はご購入から1年以内ですので」と繰り返し言うのか。
しかも、顧客が知りたいのは、洗えなかった濡れた洗濯物を前に、
解決までに時間がかかるケースと
かからないケースの想定なのに、
「技術者が見てみないとわからない」の一点張り。
目の前の洗濯物をどうしたらいいのよ。。。と思いました。
実はこれ、3月に書いた買ったばかりの財布の破損とほぼ同じような体験でした。
あの財布、修理して戻って来たのですが、やっぱりまたダメになりました。
YKKではないからかな(笑)ブランド品を疑います。
https://www.grassroots.co.jp/blog/monolog/2018/03/180312.html


単純に文句を言うなら「もっと顧客の気持ちになってよ」って話なのですが、
この大手電機メーカーに限らず、
私たちは誰しも「相手の気持ちを想像する」ということに慣れていないのかもしれません。


私たちの心の中心にあるのは自分の気持ちです。
その気持ちを相手にわかってほしくて、
ああでもない、こうでもないと考えることはあります。
でも、その相手の気持ちをどれだけ考えているかと言うと、
実はあまり考えていなかったりするのではないでしょうか。


うちの会社の企画力セミナーで、
あるテーマに対して社員の皆さんの気持ちを書き出すというワークがあります。
その時にたくさん書き出せる人もいますが、行き詰まる人も目にします。
「自分が社員の気持ちを想像できていないと実感しました」という感想を述べ、
相手の気持ちに立つことの重要性を認識してくださる方が多々あります。
まずは書き出してみる。
頭の中でぼんやり考えるのではなく、
書き出すということを通じて、自分の想像を形にすることはとても重要です。


今回私が連絡したコールセンターのスタッフの皆さんは、
マニュアルに沿って対応していたのではないでしょうか。
想像ですが、おそらく
「顧客の気持ちに立て」とは言われず、
「マニュアル通りに対応せよ」と言われている。
だとしたら、本質的な問題はコールセンタースタッフにあるのではなく、
企業の姿勢にあることになります。まあ、想像でものを言ってはいけないのですが。


私は、「相手の気持ちに立つとこと」を徹底した会社は、
それだけで個性が際立ち、
生き残れるのではないかと、そんなふうに思います。
さて、我が社を振り返りました。
当社はどのくらいそれができているか。
答えは65点。こういうと社員に叱られる。でもね、まだまだ精進せにゃあかんのよ〜 

がんばろう、グラスルーツ!

日大アメフト部で起きた事件が新聞、テレビを賑わせていますね。
私の周りでもいろいろな反応が起きています。
つい最近は、私の知り合いのF氏がfacebookで
「ITmediaビジネス」に掲載された関係者の発言について、問題提起していました。
その関係者の発言とは、、、
「一流企業の人事担当者たちも内田さんのところでアメフトをやっていたのならば、
主従関係の大切さも身をもって叩き込まれているから安心
という意識を持っている。(略)」というものです。
F氏の指摘は、このご時世に会社と社員が主従関係であると思っているような、
そんな価値観の人事担当者がいる会社で働きたい人はいるだろうか、
そんな企業が一流といえるだろうか、というもの。
私も、同感です。


さて、日大アメフト部の事件について、
多くの人が感じた反発をざっくり言うと、こんなことではないでしょうか?
・監督として、いったいどんな指導をしているんだ?
・勝つためなら何をしてもいいのか?
・日大および内田監督は真実を語り、誠意ある対応をすべきだ!


どれも、もっともですよね。
しかも、遅ればせての会見をした内田監督、
こんな重大な時に、関西学院大学の読み方を間違えるという
失態をしてしまいました。
会見の内容といい、真摯な謝罪と思った人は皆無ではないでしょうか。


また、そういった批判とは別に、アイデンティティ別の批判も起きています。
例えば、、、
・「日大OB」として、情けない
・「アメフトファン」として、悲しい
・「体育会出身者」として、信じられない
・「チームプレーヤー」として、許せない 等


私も、学生時代に運動部(ハンドボール部)に所属していた経験から
「随分と体育会へのイメージを悪くしてくれたものですね...」と
内田さんに言いたいです。


体育会へのイメージというのは、それでなくても歪んでいるのに、
今回の事件はその歪んだイメージを増幅させてしまい、
さらに、それに対して嫌悪感を抱く人を増やしたのではないか、
ということに私は憤りを感じます。
ですので、今日私がこのメルマガを書く動機は、
「体育会」というキーワードを糸口に、
まだまだある「組織」にはびこっているネガティブな常識について、
覆したいですね...という問題意識を共有したいからです。


が、それについて語る前に、
まず「体育会」の定義をはっきりさせておく必要がありますね。
ここでは、「オフィシャルな学生リーグで、勝つことを目的に、
スポーツ部に参加している学生と、
トレーニングという体験を通じて価値観を共有している人たち」としてみました。
つまり、「体育会」の定義を「組織」と考えず、
そこに属する「人」たちとしました。


さて、「体育会」という言葉や、体育会的な人々に対して、
世間にはこんなイメージがあるのではないでしょうか。


・上下関係の折り目が正しく、下は上に従うべきという観念が共有されている。
・フットワークが軽く、思考するよりも行動するタイプである。
・明るくて、声を掛け合い、元気のいいのが基本である。
私はこのような体育会像を「汗臭く、イエスマン型の体育会」と呼んでいます。


この体育会像、私から見るとかなり偏った見方だと感じています。
そのような世界も現にあるようですが、
では、どのくらいそのような組織があるのかといえば、
実際には、1割とか2割りとか、どんなに多くても3割程度なのではないでしょうか。
では、それ以外の体育会はどんな感じなのでしょうか?
実際には多種多様だと思います。
ヒエラルキーの強さだけで見ても、色々あるのが実態ではないでしょうか。


かつて私が属していたハンドボール部は、
とても自由で伸び伸びとした体育会でした。
具体的には、、、
・学年や年齢が違っても、関係はフラットである。
・体も動かすが、頭で勝ちに行く。
・声を出すのは元気の表現ではなく、情報共有のためである。
・個々のプレーについて是と非の評価を、はっきりさせる。
そんな感じです。


私は、これを「知的でクリエイティブな体育会」と呼んでいます。


2月19日のメルマガでも紹介した女子団体パシュートなどもその好例です。
全くもって「汗臭く、イエスマン型の体育会」ではなく、
知的で、クリエイティブな環境の中で試合をしているように見えました。


でも、やっぱり多くの人は、「体育会」と聞くと、
「知的でクリエイティブな体育会」を思い描かず、
「汗臭く、イエスマン型の体育会」を連想するようですね。
もちろん、組織のタイプは二者択一ではなく多種多様ですが。


しかし、ですよ、
監督の言うことに右へ倣えをしているだけで、
オリンピックで勝てると思いますか?
私は、絶対に勝てないと思います。
自分の信念の上に各自の行動がないと、やっぱり勝てませんよね。
これは、体育会だけでなく、企業組織も同じだと思います。
信念を、個々に持つと同時に、組織で持つ。
強い組織であるための絶対条件だと思います。


しかし、実は今、日本列島全体を覆っているのは、
「汗臭く、イエスマン型の体育会」的な組織風土なのかもしれません。
レスリング女子で五輪4連覇した伊調馨選手のパワハラ問題や、
企業の世界で言えば、電通の過労死問題や
神戸製鋼所や三菱自動車などのデータ改ざん問題も、
根っこは「汗臭く、イエスマン型の体育会」的な風土にあると思います。
「上意に対し従順に行動すること」を是とするのが特徴です。


しかも、その価値観、他人事ではなく、私たちの周りに溢れています。
つまり、日大アメフト部問題は、対岸の火事ではない。
そんな思考パターンでみんなが働くと、この先、日本はどうなるでしょうか?
きっと不幸に向かってまっしぐら〜


なんとかして、そんな事態にならないように、食い止めましょう!
そのためにも、お互いにまず、小さなことから変えていきたいですね。


今週も素敵な1週間でありますように!

最近私が気になっている言葉(概念)に「ルーツ(ROOTS)」というのがあります。
なぜ注目するかというと、個人にとっても、
企業にとっても、最近その大切さを実感する機会が多いからです。


「ROOTS」というのは直訳的には「起源」とか「祖先」という意味です。
そう言えば、昔、『ルーツ』というアメリカのドラマがありました。
黒人奴隷になってしまったクンタ・キンテを始祖とする、
親子三代の大河ドラマでした。名作です。
2016年にはリメイクもされているようですね。


私が最近急に「ルーツ」という言葉を意識するようになったのは、
両親の自分史がきっかけでした。
経緯の詳細は敢えてここに書きませんが、
父は父で1冊、母は母で1冊の自分史を作ることになり、
両親の生い立ち、歴史、価値観などを改めて知ることになったんですね。
すると、私自身のアイデンティティが補強されたというか、
彼らの価値観とつながっていることを自覚しました。


例えば研究職だった父は、
人がやっていないことを自分で考えてやること、
それで人の役に立つことをするのが好きだったといい、
母は母で、青春とは心の持ちようなのだから、
生涯青春していたいと言いました。
そうすると私の中に流れているものの源流を感じるわけです。
さらに、もっと私をワクワクさせるのは、ひいお爺さんの話です。
この人は風来坊で、親からも勘当されたそうですが、
国内のみならずシベリアを旅するなど、ヒッピーな人でした。
この話を聞くと、なぜか私はワクワクするんですねー!


つまり、、、、
自分の親や、祖先の話を通じて、自分のルーツを探ることで、
自分のアイデンティティがくっきりはっきりしてきて、
自分の中に受け継がれているものを、改めて実感しました。


私の友人に、コーチングのプロであり、
家系図を書いて、自分や家族と向き合うワークショップをやっている
高橋紀子さんという人がいます。
なんと、戸籍を取り寄せて、家系図を作成するサポートもやっていて、
江戸時代末期のご先祖様と出会うケースもあるのだとか。
彼女によれば、家系分析をしていると、
自分ひとりで創造したと思っているものでも、実は先祖もやっていたり、
反対にネガティブなことも先祖の誰かが同じことで悩んでいたり...
いろいろなことが受け継がれていると感じるそうです。
だからこそ先祖を知ることは自分を知ることになり、
自己理解が深まる...というのが彼女の持論です。
アイデンティティをしっかりとさせる方法として、
こういうやり方はシンプルでいいですね。
https://www.facebook.com/kakeizu.coaching.noriko.takahashi/


さて、組織にとってもルーツを知ることは重要ですよね。


先日、NHK大河ドラマ「西郷どん」を観ていたら、
島津斉彬が西郷吉之助に「今からお前はわしになれ」と言うシーンがありました。
志が受け継がれた瞬間だったと思います。
斉彬の志が、吉之助のルーツになっていますし、
それが歴史を変えようとした薩摩藩士たちのルーツになっています。


今、私の周りでも周年事業で社史を作っているお客様がありますし、
周年事業とは無関係に歴史を紐解くことで
経営の価値観を言語化しようとされているお客様もあります。
志や理念、行動基準というものを共有するには、
会社の歴史、すなわち組織内部にある「物語」がとても重要だということですよね。
周年事業に社史を作るのも一案ですが、
歴史を元に映画や小説を作るのもチャレンジングですね。
いつかやってみたい♪


さ、ゴールデンウィークが終わった1週目です。
今週も素敵な1週間でありますように。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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