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『大切にしたい姿勢』カテゴリの記事

 

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先日のNHKクローズアップ現代で、いじめ問題を取り上げていました。
少女は自殺してしまったのに、学校も市の教育委員会も、
いじめがあったことをなかなか認めません。
あまりの腐り方に、怒りが湧いてたまりませんでしたが、
でも、これは日本社会の写し鏡なのかもしれません。


話は飛びますが、田村由美さんの人気コミック「ミステリと言う勿れ」、
私は大好きなのですが、超インテリの主人公「久能整(くのうととのう)」君が、
毎回「僕は常々思ってるんですが...」という言い回しで、
とつとつと持論を語るシーンがあります。

で、ある回でいじめについてこんなことを言うんですね。

~ 僕は常々思ってるんですが...

どうして
いじめられてる方が
逃げなきゃならないんでしょう?

欧米の一部では
いじめてる方を
病んでると判断するそうです

いじめなきゃいられないほど
病んでいる

だから
隔離してカウンセリングを
受けさせて
癒すべきと考える

日本では逆です

いじめられてる子を
なんとかケアしよう
カウンセリングを受けさせよう ~

ね、いいこと言うんですよ、彼!

日本の教育関係者が、いじめている側に目を向けないのは、
NHKクローズアップ現代で取り上げられた学校側の言い分もそうでしたが、
「いじめている子どもにも未来がある」という理屈です。
彼らの未来を台無しにできない、と。
でも、それは言葉の綾であって、誰が聞いてもただの保身。


で、私は常々思ってるんですが...笑

結局、是と非を曖昧にしてきたツケが
日本社会のいろんなところに出ているんじゃないかな、と。

いろいろな場で、大人が、是は是、非は非という態度を取らず、
事を荒立てないことを第一に考えて行動するから、
いじめもなくならない。
コロナも説明されず総括もされない。

大人の代表には、政治家や教育関係者、マスコミがいますが、
彼らが悪いと叫ぶのは簡単で、私たち国民の写し鏡なのだと思います。


日本人が物事を曖昧にする傾向は、いつ頃から始まったのか考えてみたのですが、
正解がわかりません。
ただ、ふと白洲次郎が書いた「プリンシプルのない日本」という
本のタイトルが思い出されました。
ということは、少なくてもGHQと交渉していた時代に、
すでに自分の主義を表明しようとしない国民性であったのかもしれません。

当時のエピソードとして、
サンフランシスコ講和会議に出向いた吉田茂のスピーチ原稿に、
白洲次郎が激怒し、書き直させた話は有名です。Wikiペディアには、

~ 受諾演説の原稿を外務省の役人がGHQの了解を得た上で
GHQに対する美辞麗句を並べかつ英語で書いたことに白洲が激怒
「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、
相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝、急遽日本語に書き直した。~

とあります。
「プリンシプルのない日本」の中で、白洲次郎は、
「他力本願」「八方美人」「イエスマン」などの言葉で日本を憂いています。
あのカッコいいおじさんに言われると、耳が痛いですね。

でも、最近の日本はプリンシプルを重んじる方向に向かっているのかも?
なぜかといえば、先日の衆議院選挙で、「是々非々」を打ち出した
日本維新の会と国民民主党が躍進しましたからね。

いや、まずは他力本願にならず、私たち自身が
仕事でもプライベートでも、是と非を明確にしたいものです。

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ご存知の方も多いかと思いますが、
先週、品川駅港南口へのコンコースに表示された
「今日の仕事は楽しみですか」という広告がネットで物議を醸し、
結論から言うと、広告主により取り下げられました。
「上から目線で言われたくない」
「仕事は楽しみじゃなきゃいけないのか」
「品川駅、社畜回廊」
「つらくても頑張っている人を傷つける言葉だ」

眞子様のご結婚への反対もそうですが、
ネット社会の現代は、誰もが意見を言える時代です。
それは良いことである反面、
バッシングされるかもしれないと思うと、
メルマガを書くのにもちょっとおじけづきます。
でも、勇気を出して、書くぞ~


何かを発信するということは、メッセージありきです。
「押し付けがましくならないように」という気持ちで書いてはいても、
万人ウケする内容などありませんからね。
だからこそ、自分とは違う考え方や感じ方の人がいることを想像すること。
その重要性を改めて認識しました。

「今日の仕事は楽しみですか?」というコピーを見ても、私は反発を感じません。
もちろん、365日ポジティブに楽しんでいると言ったらウソですけど(笑)
自分はマイノリティかも、と思った次第です。


バッシングや炎上で、自死する人まで出ている昨今、
何は良くて、何は悪いのか、とても気になります。

意見や批判、非難をすることは、表現の自由で認められています。
表現の自由には「感情」を表現することも含まれていますので、
「これ、キライ」と大きな声で言っても法律的には許される(多分)。

でも、誹謗中傷となると、そうは行きません。違法行為として罰せられます。
この機会に、誹謗中傷の意味をデジタル大辞泉で確認してみました。
「根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること」。
バッシングは、ウィキペディアによると、
「個人・団体の行為に対する過剰または根拠のない非難を指す外来語」です。
ということは、誹謗中傷の概念を含むのかもしれません。

法律的には表現の自由の範囲であったとしても、道義的問題もあります。
たとえば、子どもたちが大勢で、クラスの誰か一人を
論理的に批判し続けたらどうなるか?
表現の自由で片付けていいのかという話になります。


さて、先ほどの品川駅の広告への反応に話を戻すと、
何かモヤモヤとした複雑な気持ちになります。

多くの人は、怒りに近い正義感で発言しているのだと思いますが、
そこに高揚感が混ざっているように見える人たちもいます。
どことなく、大勢で、「この企業はけしからん」と意思表示し、
言葉の力でやり込めることは、気持ちのいいことなのかもしれません。
言葉の力で傷つけられたから、
言葉の力で反発するというのはわからないではありませんが、
それだけに止まらない心理的な何かが働いているのかな?と。


ところで、「キャンセルカルチャー」という言葉をご存知ですか?
私は、今回、初めて知りました。
特定の個人や企業の発言や表現などを理由に、社会的に糾弾し、
制裁的な意味合いで、排除・追放したり、ボイコットしようとする運動のことです。

品川駅の広告で起きた動きも、広告主は謝罪したわけですし、
一種のキャンセルカルチャーだと言えそうです。
調べてみると、ナイキのCMやマルちゃん製麺のプロモーション漫画でも、
抗議(攻撃?)が起きたようですね。

「これにより自分は傷付けられている!」
「これは見過ごしてはいけない!」
だから声を上げる。声を上げることは、悪いことだとは思いません。
むしろ積極的に言えば、良いことの場合も多いです。

だけど、どのくらいの人が不快に感じたのかは実のところわかりません。
声の大きさは、声の数と同じではない。
声の真意もわからない。
本当に抗議として出された声もあれば、
高揚感を満たしたくて出された声もあるかもしれない。

国際政治学者の三浦瑠麗さんは、
「プレジデント・オンライン」の中で、キャンセルカルチャーについて、
「人権運動だから、環境保護だから、100%正しい目的のためにやっているのだから、
という理屈を唱える人はいるだろう。実はこの考え方が一番危険だ」と指摘しています。
「自分の側が正義だと思えば、自分の醜さや悪意に気づかずに、
あるいはそれに向き合うことなく、相手に人差し指を突きつけることができるから」と。


ネットの声、あなたはどう眺めていますか?
10月ももう後半。元気に参りましょう!

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すでに先週23日から始まっている東京オリンピック。
たくさんの感動に直面し、私はもう何度も泣いています。

そして、改めて感じたのは、
アスリートたちは、私たちが思っている以上に
さまざまな「苦しみ」と向き合って、ここに至っているということです。

コロナによる1年延期はもちろんですが、自分自身の好調不調により、
うまく行かない、結果が出せるだろうかなど、苦しさや不安と戦ってきた。
さらに、オリンピック開催への反対ムードは、葛藤に拍車をかけたことでしょう。

私たちは、オリンピックに出るぐらいの選手なら「常に前向き」だろう
というイメージを抱きがちですが、みんな人の子なんですよね。

さらに競技の当日のメンタルが、結果に対していかに大きな影響を与えるか、
改めて痛感します。

たとえば、金メダルを取った柔道男子73キロ級の大野将平選手。
「自分の中でも感じたことのない恐怖の中で戦っていた」と語りましたし、

テニスで残念ながら3回戦敗退した大阪なおみ選手は
「プレッシャーにはもう慣れてもいいはずだけど、休んだ後ではより強く感じた。
少なくとも1回戦負けでなくて良かった」と語りました。


スポーツをやった経験のある人なら、
メンタルがいかに結果に影響を与えるか、体験的に知っていると思います。
メンタルにもいろいろな側面がありますが、その1つが「集中」。

私の自分の体験をシェアすると、
ハンドボールでシュートを打ちながら、
一瞬でも「入るかな?」と思ったら、ほぼ間違いなく入りません。
ゴルフも同じです。

しかも、これはスポーツだけではありません。
先日、私が通っている音楽のレッスンスタジオで、発表会がありました。
私が習っているのはドラムなのですが、
叩きながら「あ、ここ間違えたらイヤだな」と思ったら、その瞬間必ず間違えます(イタ!)
幸い、発表会当日は、全集中で臨み、なんとかミスなく叩けましたが(笑)

つまり、「できるかな」「できないとイヤだな」などの気持ちがある時点で、
集中できていないということなんですよね。
没我の境地でいると、できる。不思議。

そして、「自分はできる」というイメージを持つことも、成功には必須のようです。
きっと、どんなこともイメージできないことはできないからでしょうね。


ところで、卓球の男女ダブルスで、水谷・伊藤ペアが悲願の金メダルを取りました。
何度も絶体絶命のピンチに陥りながらも、まさに粘り勝ちの真骨頂。
その姿に、人の持つ素晴らしい力を感じたのは、私だけではないと思います。


さて、スポーツ選手のこういった粘り勝ちを目の当たりにすると、
「レジリエンス」という言葉を思い出します。

その言葉、直訳は「回復力」「復元力」「弾力性」などですが、
要は、ストレスがかかっても元に戻ることのできる「しなやかな強さ」のことです。

せっかくなので、選手たちの強さにあやかって、
レジリエンス研究、しちゃいますか!?


レジリエンスを成り立たせる要素は、厳密に言えば、
研究者によって見解が違っています。
でも、大筋で集約すると、この5つかな...と思われる要素を紹介しますね。
それぞれの要素に関連するアスリートたちの発言(TOKYO2020以外も含めた)も
併せて取り上げておきます。まるで、読んだよ大特集ですな(笑)


その1:感情・情動コントロール力
自分の感情や行動をコントロールできること。

  • こんなところで泣いてしまっている時点でまだまだ(萱和磨・体操)
  • 卓球以外でも強くなった(伊藤美誠・卓球)
  • 悔しい思いをしたぶん、もっと強い気持ちで練習に取り組める(桃田賢斗・バドミントン)


その2:「自己効力感」
端的に言えば、自信。達成経験やポジティブな自己認識から
「自分なら出来る、きっとうまくいく」と自分の可能性を信じる力

  • 持っている力を100%出し切ることができれば、夢だった決勝進出も現実的になってくる(山懸亮太・陸上)
  • やっていて感じるのは、まだまだ自分は成長できるなということ(羽生結弦・フィギュアスケート)


その3:「自尊感情」
他人と比較することなく、自分自身を価値ある者だ、
自分自身を好きだと感じられること。

  • どんなに打ちのめされても、心底、体操が好き(内村航平・体操)
  • 何回もミスして、何回も成長して。それが自分らしい(小出未来・水球)


その4:「良い人間関係」
人と信頼関係を築ける力

  • 康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない(松田丈志・水泳)
  • 内村さんから電話をもらった。ケガをして3日後くらいにいきなり電話が来て『大丈夫?気持ちを切らさなかったら絶対に戻って来られる』という言葉をもらって頑張ろうと思った(北園丈琉・体操)


その5:「楽観性」
未来に対して絶望せず、どうにかなると思える力。

  • 神様が何か気づかせてくれるタイミングかな、と考えるタイプ。けがとかについては基本ネガティブじゃない(上野由岐子・ソフトボール)
  • 神様は乗り越えられない試練は与えない(池江璃花子・水泳)


最後の「楽観性」で、「神様」という存在を使って、
今直面している苦難を受け入れようとしている人は少なくないようで、これは面白いですね。

私は、仕事がうまく行く/行かない、仕事で成長する/しないも、
結局、「メンタルが9割」なんじゃないかなと思います。
あなたは、どう思いますか?

さ、この夏も、このオリンピックも、もう2度と来ない。
選手たちを応援しながら、残る7月を元気に過ごしましょう!

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いろいろな場面で若い人と話をしているときに、
「自分はまだ引き出しが少ない」と悩みの一端を聞くことがあります。
そこで今日は、「引き出しが少ない」というのは、どういうことなのか、
無垢な気持ちになって、一緒に考えて行きましょう。

まず、人が「自分は引き出しが少ない」と語る時、
いったい、その人は何をもってそう語っているのでしょうか。
すべてとは言いませんが、一つには「自分は経験が少ない」という意味で、
「引き出し」という言葉を使っている人が多い印象を受けます。

しかし、率直に言って、「引き出し」と「経験」は別物だと思います。
では、「引き出し」とは何なのか。
定義するのは難しいですが、敢えて言語化するなら、
こういうことではないでしょうか?

人生における「引き出し」とは、
これまでの体験から学習したパターンの集積地。
「引き出しが多い人」とは、
現在得た体験を過去の体験と結びつけ、
「こういう時にはこうすればいい」とパターン認識できる人。
正しいかどうかは別にして、私にはそう思えます。

実は、これ、実体験から来るものです。
人に何かを教えようとすると、学習能力が高い人と、
そうでもない人がいることがわかります。
学習能力が高い人の共通点は、自分が過去に体験したA1という出来事と、
今、目の前にあるA2という出来事の共通点を見つけ出し、
「こういう時には、こうする」
「こういうことは、こういう時に有効」
という法則を見つけて行動するのが上手な人なんですよね。
反対に、自称「引き出しが少ない人」は、それが苦手な人、
もしくはそうやって引き出しに整理していくのだと知らない人だと思います。

これをパターン認識と言いますよね。
AI(人工知能)なども、人間のパターン認識の研究のその先にあるようです。
すでにハリウッドでは、映画の脚本のパターン研究によって、
シナリオをAIに描かせようという実験も進んでいるようです。

たとえば、「イベントを告知する文章を書く」という業務を例に考えてみましょう。
前回、上司のチェックを受けたら、「開催日時は必須」であるのに、
「肝心の日時が抜けている」と指摘されたとします。
そうしたら、「イベント告知→開催日時は必須」というパターン認識をし、
次にイベント告知文を作る機会があったなら、忘れずにそれを書こうとします。
ところが、学習しようという意識が低いと、前回の教訓を生かすことができません。

この例などは、多くの人がパターンを認識しやすく、学習しやすい例ですが、
現実的には物事はもっと複雑です。
中期経営計画の説明をするときも、新商品の発売を説明するときも、
イベントの説明をするときも、情報を受け取る側が知りたいことには共通点がある...
というパターン認識に基づいて、情報発信することは簡単だとは言えません。

実際、そう聞いて、共通点を言えますか?

答え合わせをしておきましょう。ジャジャジャーン♪
それは、2W1H。
What:それは何か?
Why: なぜ行うのか、なぜそれが重要なのか?
How: どのように行うのか、その結果どうなることを目指すのか?
...の3点です。

「5W1Hではないの?」と思われたなら、
上の2W1Hはほぼ同じことです。

When(いつ)Where(どこで)Who(だれが)What(なにを)Why(なぜ)
Whom(誰に)までが、Whatに入るからです。

では、第2問(笑)!
あらゆる企画の目的を定めるときに、明らかにすべき点がある...と聞いて、
その共通点を言えますか?

それは、Before(現状)とAfter(改善後/実施後)の状況を言語化することです。
ところが、多くの場合、そのように目的を定めていません。
つまり、どうなったら成功したと言えるのかを明らかにしていないことが多いです。
でも、目的を明らかにするときは、
BeforeとAfterを明確にするとパターン認識すれば、出てきますよね。

こういったパターン認識、言い換えれば法則の発見を
省力化するためにあるのが、フレームワークなわけです。
でも、そもそも学習する際にパターン認識が重要だと理解できていないと
フレームワークがなぜ存在するのかも理解できません。
というわけで、本日の私の仮説は、引き出し≠経験ではなく、
引き出し=パターン認識ではないか...ということなんですが、
あなたはどう思いますか?

7月ももう半分。気温の変化に気をつけてお過ごしください。

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自分の仕事をどう定義づけるか。。。
私は、この質問をしばしば自分に対して投げかけます。
同じことをやっていても、どう意味付けるかで、
見えてくる風景が変わりますよね。
よく例に出てくる3人のレンガ職人の話もしかり。
(初めて耳にするという方は「3人のレンガ職人」で検索してみてください)

最近、定義づけをするときに、こう考えると視野が広がるな、
と思ったことがあるので、シェアさせていただきます。
それは、英語の使役動詞「make」を使って考えてみるという方法です。

使役動詞。。。なんだっけ?という感じがするかもしれませんが、
思い出してください、中学生の頃に習ったはずです。
私は、先生が洋楽「You Are My Sunshine」の歌詞を例文に
使役動詞「make」の働きを教えてくれたこと、今でもよく覚えています。

You make me happy when skies are gray.
あなたは、空が灰色の(私が落ち込んでいる)時も、私を幸せにしてくれる。

make A B = AをBにさせる

ですよね。

こんな例もあります。トランプ元大統領。
"We will make America great again."
アメリカをもう一度偉大にさせる。
このフレーズがトランプさんのキーフレーズです。

キーフレーズといえば、オバマさんは"Yes We Can" でしたね。
そんなオバマさんが2008年の大統領選で勝利した時、
メジャーアーティストが参加して作られたサウンド・トラック
「YES WE CAN:VOICES of a GRASSROOTS MOVEMENT」では、
ロス・ロンリー・ボーイズが、「Make It Better」という曲を歌っています。
♪You gonna make it better
もっと良くしよう。もっと良くできる...みたいなニュアンスでしょうか。


で、ここからが本題なのですが、
私は、すべての仕事は「Make It Better」のためにあるのではないか、
と思ったりします。
仕事って何かをより良くすること...なんじゃないの?と。

で、このときに、この「It」に何を入れるか。
そんな問いが、仕事観を膨らませるのに役立ちます。
あなたなら、何を入れますか?

私は、社内広報やインナーブランディングの仕事の一つの定義として、
「人の感情、気持ち、意識、認識、理解を、より良くさせること」
要は人の心の状態をより良くするというような捉え方ができるなと思っています。
「Make Your Feeling Better」みたいなことです。

「わからない」という不愉快で不安で不満足な状況を無くしたり、
「なるほど!自分もそうありたい」と共感してモチベーションが上がったり、
誰かのがんばりに勇気をもらったり、誇りを感じたり。
そういうことって、感情や思考に作用しているわけで、
ということは、社内広報やインナーブランディングの仕事は、
誰かの気持ち、誰かの心の状態を良くすることだとも捉えることができます。


で、ここまで考えてみて、今度はこうも思いました。
もしかしたら、社内広報やインナーブランディングの仕事だけではなく、
あらゆる仕事は「Make It Better」であると同時に、
「Make Somebody's Feeling Better」。
つまり、誰かの気持ちを「Better」にしているのかも、と。

あなたの仕事、「Make It Better」の「It」に入るのは何ですか?
誰の気持ちを「Better」にしていますか?
そういう目で仕事を振り返ると、
ちょっとモチベーションが上がったりします、私は(笑)
試しにやってみてください!

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本当かどうかはわかりませんが、
若い人ほど失敗を恐れる...という話をよく聞きます。
調査結果などにも表れているようですが、
でも、まあ、若い人に限らず、人間なら皆そうでしょうね。
しかも、これだけ不確実な時代では、「予想外のこと」が頻繁に起きます。
高給取りのエリートだと思われていた職種が、突然、リストラ対象となったり、
人気企業に入社したにも関わらず、状況が変わってしまったり。
周りで起きているそんな状況を見ていれば、
そりゃ、なるべくそんな目に会いたくないと思うのは当然ですよね。


人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという願望からすると、
「予想外のこと」というのは、絶対起きてほしくないことなわけです。
だから、どれだけ「予想外のこと」を避けられるかという発想で、
そもそも人は生きている。
そう考えると、「失敗したくない」という発想も、
人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという欲求上にあることなので、
そりゃ、そうだよね...ということになります。

そういう志向が誰にもあるのは事実だとして、
でも、人によって、強さ弱さは違いますよね。
たとえば、毎日に変化を求める人は、予想外のことが起きても、
それは楽しみの一つと受け取る傾向があるのではないでしょうか。
私自身の話をするなら、まさにその傾向があります。
旅先で思わぬハプニングが起きるのは、むしろ楽しいし、
仕事も単調であるより、変化がある方が好きです。
問題が発生したと聞くと、腕まくりして張り切る人もいるそうですよ。


でも、私を含むそんな変化志向の人たちだって、
突き詰めれば失敗や挫折は避けたいという気持ちはあります。
私は経営者なので、経営状況が悪化すると、自分の失敗だと受け止めます。
たとえ、それがリーマンなどの社会状況によるものだったとしても。
「失敗」すると、無能感が半端なく押し寄せてきます。
私にとって、「失敗」とは「無能ゆえに責任を果たせないこと」でした。
(あくまで自分に対して向かう言葉でしたが。。。。)
だけど、今は、そんな考えで「失敗」を捉えると、いかんと思います。
なぜなら、それではチャレンジする気持ちが萎えるし、
失敗した部下をそういう目で見るのも違うと思うからです。

さて、今日、私がシェアしたい気づきの題材は、
スヌーピーやチャーリー・ブラウンが登場するマンガ
「PEANUTS(ピーナッツ)」です。
中学生の頃、初めて出会い、登場人物たちの台詞に、
「子どもなのに鋭くておもしろい...」と思った記憶があります。
でも、それ以降、スヌーピーはただのキャラクターでしかありませんでした。
ところが、先週末、NHK「アナザーストーリー」を観て、
その奥の深さにびっくり!
作者のチャーリー・M・シュルツ氏が描きたかったものに触れたからです。

主人公のチャーリー・ブラウンは何をやっても上手く行きません。
上手く行かないのは彼だけでなく、登場人物全体に言えることです。
たとえば、「PEANUTS」は片思いだらけの話なんですね。


原作者のシュルツさん、なぜ「上手く行かないこと」をテーマに
マンガを描こうと思ったのでしょうか。
ご本人が、小学校を2年も飛び級した結果、同級生からいじめられ、
その体験からチャーリー・ブラウンは生まれたという説もあれば、
「PEANUTS」の連載が決まった直後にプロポーズして失恋した経験が
影響しているという説もあります。


そんなシュルツさん、根っからの負けず嫌いだったそうです。
ゴルフやテニス、アイスホッケーなど、様々なスポーツを愛したそうですが、
負けるとたいそう機嫌が悪かったそう。
負けること、すなわち上手く行かないことが嫌いな人が、
なぜ「上手く行かないこと」をテーマにマンガを描き続けたのでしょう?


生前のアシスタントによれば、シュルツさんは、
「みんなが子どもの頃に体験した失敗やはかなさを伝えたかった」
と語っていたのだとか。
子どもの頃の切なかったり、悔しかったりする感情は残酷だけど、
誰もが味わう感情で、そんな気持ちを伝えたいと思っていたようです。
そういえばチャーリー・ブラウンは、上手く行かなくても、めげませんね。


なんだか、もう一度「PEANUTS」という作品を読みたくなりました。
なぜかというと、「PEANUTS」の登場人物たちは、上手く行かないことと
素直に向き合うから、泣いたり、たじろいだり、打ちひしがれたりしています。
失敗を恐れないことの本質は、もしかしたら、
そういう感情と向き合うことを厭わないということなのかもしれません。
辛い感情も心地よい感情も、両方あるから人生が豊かになるのかも。
もう一度、そんな視点で読んでみたいと思いました。


チャーリー・ブラウン・マインドで週末まで乗り切りましょう笑
読んでいただき、ありがとうございました。

(写真:Roger Higgins, World Telegram staff photographer, Public domain, ウィキメディア・コモンズ)

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偶然に「【無理しない生き方】を強要するな」というタイトルの
Youtubeを見ました。
高学歴お笑いコンビとして知られる「ロザン」のお二人の動画です。
https://youtu.be/TMS19z1rJxo
とてもおもしろく、ちょっと触発されたので、
今日は「無理」とのつき合い方について考えたいと思います。


無理をしない生き方、流行っているんですかね?
流行っているかどうかはともかく、
無理をしながら生きている人が一定割合いるのか、
アマゾンで検索したら
「そんなに無理しなくてもいいんじゃないの?」というメッセージの本が
複数ヒットしました。


無理しないことと、自然体でいることは、
本質的には別のことだと思います。
無理しない生き方という文脈で「無理」という言葉が使われる時、
自分の気持ちに逆らうことを無理することと捉えているようですね。


ちなみに、「無理」という言葉には、最近は別の意味もあって、
「ありえない、ムリ!」「マジでムリ!」など、
「No、受け入れられない」の意味でもしばしば「ムリ」という言葉が使われます。
この場合、本来の「無理」という意味とは、ちょっと違うニュアンスです。
「受け入れるのは難しいです、ごめんなさい」
そんな意味でしょうか。
この「ムリ」は、拒絶の意思を伝えたい時に便利な言葉となっているようですね。

で、元々の「無理」は、「道理・理屈・理由」などが「無い」から来ています。
辞書的な表現を咀嚼して言うと、元々は3つの意味があるようです。
(1)道理に合わないこと(無理なことを言われた)
(2)実現するのがむずかしいこと(合格は無理かもしれない)
(3)限界を超えてしようとすること(無理するな)


私自身は(2)(3)の意味での「無理」と言う言葉に対し、
ちょっとした思いがあります。


(2)無理しないと、成長しない
(3)無理すると、 長続きしない


こう聞くと、「え? 無理した方がいいの? しない方がいいの?」と
思いますよね?
まさに、「無理」を巡っては、トレードオフの関係にもなりかねないので、
つき合い方が難しいなあと感じます。
だからこそ、今回、このテーマをとりあげようと思った次第です。


私の個人的意見としては、
長続きが大切なことで、無理はしない方がいいと思います。
でも、ステージを上げるには自分のエッジを超える必要がありますよね。
成長と「無理」にはどんな関係があるのでしょうか。


ロザンさんの動画では、こんな話が展開されていました。
資本主義は社会の成長を前提としている。
社会が2%成長しているなら、個人の2%成長は現状維持にしかならない。
個人が「2%以上」成長して初めて、社会の成長に貢献できることになる。
無理しない生き方はいいけれど、みんながそれをやり出したらどうなるのか。
だから、自分は無理したくない、自分は成長しなくていいと言うなら、
他の人にお礼を言わなくてはあかん。


私は、社会のために自分が成長すべきというより、
成長する方が楽しいから成長した方がいいと思います。
私自身もそうだし、うちの社員に対しても思うことです。


さて、人の成長を考えるとき、負荷や障害は必要とはよく言われることです。
それは本当なのでしょうか? 
昭和的すぎるでしょうか?
どう思いますか?


私は自分の体験からも、成長に負荷は必要だと感じていますが、
根拠を聞かれると、筋トレと同じだと思っている...ぐらいしか、理由が言えません。


筋力トレーニングで言われる原理の一つに「過負荷の原理」というものがあります。
日常生活以上の負荷を身体に与えなければ、筋力は上がりませんが、
一定レベルの負荷のトレーニングを継続するうちに、
身体がその負荷に慣れてしまうと、今度は効果が出なくなります。
効果を高めるには、負荷を増やしていく必要があるわけですよね。


けれど、筋トレでどの程度の負荷をかけるべきかは、目的にもよるようです。
目的が、筋力向上なのか、筋肥大なのか、筋持久力向上なのかによって
与えるべき負荷の大きさや回数の設定は変えるのが一般的です。


しかし、筋トレとキャリア形成や人間的成長が決定的に違うのは、
何キログラムの負荷というような形で設定できないことと、
その負荷に耐えられるかどうかが即座にわからないこと、です。
その負荷をどう感じるかは、本人の意識によっても変わります。
目的が明確なら、その負荷を受け止められるかもしれませんが、
目的意識がなければ、なぜ自分はこんな無理をしなくてはならないのか、
疑問に思ってしまうかもしれませんし、
その結果、心が病んでしまうかもしれません。
また、最初からこれは自分には無理だと決めてかかってしまっては、
自分を伸ばすことはできないでしょう。
「無理」をネガティブなものと決めつけず、
客観視しながらつき合って行きたいものです。


あなた自身は「無理」とどうつき合っていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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「諦める」という言葉、深いですよね。
「諦める」にも「諦めない」にも美学が感じられます。
人によっては、「諦める」という言葉には否定的な印象を抱くかもしれませんが、
受け入れて、執着せずに手放すと考えたら、「諦める」には潔い美しさがあります。


だけど、今日、考えたいテーマは「諦めない」の方です。
きっかけは池江璃花子さんの今回の日本選手権での活躍でした。
白血病という病と闘い、打ちひしがれる自分の心と闘い、
そして、どちらにも勝って、池江さんは東京オリンピックの代表の座を勝ち取りました。


病気になる前の池江さんは「才能」の人に見えましたが、
今は「努力」の人に見えます。
土曜日に放映されたNHKスペシャルによると、
実際、池江さんは、かつては結果がすべてだと思っていたそうです。
でも、復帰後は人生観が変わり、努力するプロセスが大切だと思うようになったそう。
池江さんは、「諦めない力」を身につけて帰ってきました。


そして、最初の勝利でこう言いました。
「努力は必ず報われるんだと思った」
これを聞いて、「必ず」なんて「そんなわけないだろ」と思うのはやめましょう。
彼女のすごさは、自分は「必ず」この困難を乗り越えられると信じたことにあるからです。


実際のところ、努力が「必ず」報われるということはありません。
自分の力ではどうにもならない社会情勢や、家庭環境や、
能力的適性や、運...のようなことがあって、
努力してもどうにもならないことが人生では多々あります。
でも、「どうにもならなかった」という言葉を使っていいのは、
努力した人だけですよね。


さて、本題。「諦めない力」について。。。。


「諦めない力」については、米国ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターの
アンジェラ・ ダックワース教授の研究が有名です。
彼女の書籍「GRIT~やり抜く力」(ダイヤモンド社)はすでに30万部を突破しています。
ダックワース教授は、粘り強く努力して物事を最後までやり抜く力の本質を
次の4要素だとし、その頭文字を取って「GRIT(グリット)」と名付けました。


Guts(ガッツ):【勇気】困難なことに立ち向かう力
Resilience(レジリエンス):【回復力】失敗しても立ち直る力
Initiative(イニシアチブ ):【主体性】自ら目標を見つける力
Tenacity(テナシティ):【粘り強さ】粘り強くやり遂げる力


やり抜く力「GRIT」は、生まれ持った才能や知能とは、まったく関係ないそうです。
たとえば、米国陸軍士官学校やグリーンベレーでは、
当初は有望とされていた多くの人が途中で脱落していきます。
最終的に過酷な選抜試験をやり遂げて優秀な成績を残すのは、
上の4要素を持つ人たちであることを、ダックワース教授は明らかにしています。
才能や知能があっても、努力が足りなければ、十分な結果は得られない、
しかも、GRITはトレーニングで開発可能。
それがダックワース教授の結論であり、この理論の魅力です。


やり抜く力は、次の1から4の要素を1から4の順番で伸ばすことで、
身についていくそうです。


1. 興味:興味があることに打ち込む(情熱を持って没頭するには興味が必須)
2. 練習:弱点を認識し克服するために、目標を設定して練習に励む
3. 目的:自分の仕事は社会にとって重要だと確信する
4. 希望:困難が生じても悲観に打ちひしがれず、希望を持ち続ける


なるほど。どれも重要であること、同意です。
インナーブランディング的な視点で見たなら、
3番が最も重要ですが、いきなりそこには行かれないということを
ダックワース教授の理論は物語っています。


さて、、、、
それはそれとして、「諦めない力」を巡って、私はこうも考えます。
まず、自分の人生の大部分は自分でコントロールできると考えるのか、
ほとんどのことはコントロールできないと考えるのか、です。
どう思います?


人生には、自分にとって、ウェルカムなことと、
その反対にイヤだと思うことが常に起きますが、
誰しもイヤなことがコントロールできないとなったら最悪です。
でも、もし自分でコントロール可能なことは多々あると思えていて、
だからこそ、そこに意識を向けようと思うことができたなら、
幸せな人生を送れますよね。
私はコントロール可能なことはたくさんあると思っていますが、
人生はコントロールできないと思っている人、実は少なくないような気がします。


そして、もう一つ、「諦めない力」に関連して、こうも思います。
幸せの基準をどこに置くか、です。


目標を達成することが幸福なのか、
目標を達成しようと前向きに生きることが幸福なのか。
あなたは、どう思いますか?
私は後者です。
なぜかと言えば、前者は「結果」の中に幸福を求めているので、
結果が出るまで幸福にはなりません。
後者は「希望」の中に生きていて、
その「希望」に触れているだけで、幸福感を味わえます。
池江選手の「泳げただけで、ここにいられるだけで幸せ」という発言にはそれが表れていました。
でも、現実社会では、結果で幸福を判別しようとしている人が多いような気がします。


こういうことは価値観だから、正しい/間違っているはありません。
ただ、その価値観を意思を持って選択しているかどうかが重要ですよね。
池江選手の生きる姿は、こんなふうに私たちにいい刺激を与えてくれました。
ぜひ、ぜひ、ぜひ、池江選手を応援しようじゃありませんか!!

今週も素敵な1週間でありますように!

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井上ひさしさんの有名な言葉に、こんな言葉があります。

ーーーーー
「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
ーーーーー


90歳で亡くなった作家の半藤一利さんの遺稿に引用されていたことから、
私はこの言葉の存在を知りました。
難しいことをやさしく書く。
やさしいことを深く書く。
調べてみても、井上さんの言葉には動詞がないようですが、
半藤さんは「書く」と解釈したようです。


どの1行も重みがあって、考えさせられますが、
特に書き出しの1行目に惹きつけられます。


やさしく書くとはどういうことなのでしょう?


「易しい」「優しい」の辞書的な意味から考えると...
「易しい」=理解や習得がしやすい。単純でわかりやすい。平易である。
「優しい」=他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
文章の話だと思うと、「易しい」の意味の方だと思ってしまいますが、
読み手に対して思いやりのある文章という意味も含んでいるのかもしれません。


ここからは、私の主観になりますが、
第一に、やさしく書くということは、単に難しい言葉を使わないとか、
噛み砕いて書くということ以外に、
「核心を言い切って書く」ということがあるように思います。
私自身もよく陥るのですが、わかりやすく書こうとして、
たくさんのことを書いてしまい、
「これじゃ、何が言いたいんだかわからないな...」と思うこともしばしば。
ダラダラと書いているということは、
結局考えがまとまっていないことの表れなんですよねー


第二に大切なことは、やっぱり「優しい」の字の方ですね。
書くということは、自分の頭の中のことを赤の他人に知ってもらうということです。
そんなものは、相手にとっては「異物」でしかないわけだから、
「異物」に接している相手の気持ちや出てくる疑問をどれだけ想像できたかで、
文章の優しさのレベルが変わるんだろうと思います。


さて、「難しいことはやさしく」「井上ひさし」で検索していたら、
立教大学 経営学部の教授・中原淳先生のブログにたどり着きました。
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/12409
「NHK 100分 de 名著〜ブルデュー『ディスタンクシオン』 」を紹介する内容で、
以下、その本からの引用のようです。

ーーーーー
フランスの学術界で認められるためには、わざと「わからないように書くこと」が重要だ。

(フランスの哲学者の)ミシェル・フーコーは、
自分の文章の「10%」は「わからないように書いている」と述懐している。

一方、(フランスの社会学者の)ピエール・ブルデューは、
「10%」では不足であり、「20%」はわからないように書く
ーーーーー

ほー。わざと人にわからないように難解に書くことに価値があるとは、
理解に苦しみますね(笑)


でも、ふとこんなことを思い出しました。
たまに専門用語を躊躇なく使いながら話す人を見かけますが、
それと同じなのかもしれません。
でも、それこそ「優しさ」を感じませんね。
私自身も無意識にカタカナを使っていることがあるので、
偉そうなことは言えませんが、
ん? 知識をひけらかしたいのかな?と思ってしまうと、
ちょっと辟易するし、そういう人に限って、
この人、自分の話していることを自分で理解しているのかな?
と思うこともあります。
知識ベースでマウンティングしているだけというか、
ただのポジショントークだったりして。。。


本当に素敵な人は、重要なことをシンプルに、
わかりやすく話したり、書いたりしてくれる人ですよね。


そして、本当に重要なことは意外にシンプルなのだと思います。
でも、そのシンプルな本質をつかむのには深く考えて悩まなくてはたどり着けない。
だからこそ、シンプルな言葉には価値があるのかもしれませんね。
あら、またダラダラと書いちゃった...失礼!


花粉が気になる季節ですが、、、素敵な1週間でありますように!

あなたには、「この人の発言はウォッチしている」というような人物がいますか?
好きな著名人を含め、誰しも少なからずいるのではないかと思います。
私も、若い方からご高齢の方まで、政治面でいえば、右から左まで、
メルマガやツイッターを通じて、どんな人がどんな発言をしているのか、
頻繁にというわけではありませんが、気に留めています。
ホリエモンなどもその一人ですが、ホリエモンのツイッターでは、
アンチの人も大勢見ていて、批判的にコメントしているのがおもしろいところです。


でも、今日、話題にしたいのはホリエモンではありません。
ダイレクト出版の代表者・小川忠洋さんのYoutube動画からの話題です。
https://youtu.be/iNecuehew4c


なぜこの人に注目しているかというと、、、、


ズバリ! まず単純に好みのタイプだからです(笑
大阪大学の物理学部「宇宙地球学科」の卒業だなんて、
私から見ると、それだけでキラキラに見えます。
...といっても、小川さんは40代半ばなので、世代的にはずいぶんと離れていて、
好みのタイプだなんて言ったら、叱られそうですが。
人間的にも経営者としても、とても魅力のある人物だと私は思っています。


でも、今回書きたいことは、小川さんの人物紹介というよりも、
小川さんが動画で話していた内容についてです。
それは、タイトルにある85歳からボクシングを始めた人の話です。


かいつまんでその内容を紹介しますね。


運動不足を解消しようと、近所のボクシングジムに通っている小川さんは、
トレーナーの指導で懸垂(けんすい)をやらされたそうです。
懸垂って、高めの鉄棒でやるアレ。
鉄棒を両手で握って体を持ち上げる、あの運動です。
子どもの頃と違って、大人になっての懸垂はメチャメチャきついそうで、
簡単に上がらないし、こんなにキツイのかと思ったそうです。


ところが、そのトレーナーが言ったことには、
「88歳で懸垂20回できるお年寄りもいる。
スパーリングをやって1回パンチを当てるのが目標だと言っていた」
その方は負けず嫌いで、隣の若者が20回懸垂するのを見て、
負けられないと思って練習したそうです。
しかも、ボクシングを始めたのは、80代の半ば。


けれど、去年、亡くなったそうです。
死因はがん。
というより、医師は「気にしなくて大丈夫」と言っていたそうですが、
本人はがんと診断されたことで、気が滅入り、
誰にも会わなくなって亡くなったのだとか。


さて、、、
小川さんが話したかったことは、メンタルが大切だということではなく、
始めるのに遅いということはない、ということでした。
新しいことを始める時、現状維持をしたい気持ちが働くが、
85歳でボクシングを始めて、
20回も懸垂ができるようになるおじいさんがいると思ったら、
40代50代でチャレンジをしないわけにいかないという気持ちになる、、、
そんな話でした。


あなたは、「この歳になって...」という気持ちを振り切って、
何かを始めたことはありますか?
私は、去年から始めたことが2つあります。
このメルマガでも触れたかもしれません。


1つはドラム。
誕生日に社員から体験型カタログギフトをもらったので、
やってみたくても、きっかけがなかったことの1つとして選んだら、病みつきに。
ボケ防止のための、脳トレという説もありますが(笑
練習をすれば、できるようになるから、不思議。
今はジョンレノン版「スタンド・バイ・ミー」に取り組んでいます。


もう1つはゴルフ。
「この歳になって...」というよりも、
「この歳だからこそ」という気持ちで始めました。
正確に言えば、これまでに二度挫折しているので、三度目の正直です。
最初は180以上叩いていたと思いますが、
先月初めてスコアが120になりました。
まだ自慢できるような水準ではありませんが、進歩は進歩です!


始めるのに遅いということはない。
それは多分ビジネスも同じですよね。
こんなに激しい時代の転換点だからこそ、
新しいことを始めるいいチャンスだとも思います。
がんばれ、自分!
さて、あなたは何を始めましたか? 何を始めますか?


2020年も1カ月を切りました。
今週も良い1週間でありますように!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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