ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

『大切にしたい姿勢』カテゴリの記事

 

AdobeStock_526539404.jpeg

企業から求められる人材像ですが、ここ20~30年、
「自ら考え、自ら行動する」と言われ続けているように思います。
「自考自行」「自考自走」「自考自創」などの四文字熟語も生まれてきました。
この点については、グローバルな大企業から中小まで例外はないと思います。

実は、当社でも、昨日も若手向けに「考える」をテーマにした勉強会を行い、
「論点」と「サブ論点」というものをどう立てたらいいのか、
どこまで考えたら「タスク」に移っていいのかなど、
レクチャーとディスカッションを交えながら教えています。

私は、「会社は学校ではない」と思っていますが、
このような勉強会を行うのは、
その正論を最初から振り翳そうとは思わないからです。

なぜなら今の学校教育は「答えを教える教育」に偏っているように見え、
「考える教育」が行われているように見えません。
しかし、学校教育がそうだからと言って、人は考える生き物なので、
まるっきり考えないという人はむしろ稀ではないでしょうか。
むしろ、みんな、何かしら考えているし、考えようとしています。
でも、だからといって、ただ「考えろ」と言われても、
何を考えることが求められているのか、わからないと思います。


なぜ、「考えろ」では不十分と思うかというと...

実は、私自身が「考える」ことを教えようとしても
どうやって教えたらいいのか、考え考えやっているからです。
つまり、自分自身がちゃんと言語化できていないのです。
人に、すっきりシンプルに普遍的なことを教えられないということは、
私自身が「考える」の本質や基本をわかっていないということになります。
自分がその程度でしかないのに、社員にただ「考えろ」とだけいうのは、
いかがなものか、という気がします。
だから、社員と一緒に「考えるとは?」を考えています。
それは、結構、楽しいです。
なーんちゃって、結構「いい社長風」なアピールをさせていただきました(笑


ところで、いったいなぜ「考える」ことが、そんなにも重要なのでしょうか?
「AIが~」という答えは聞き飽きているので、別の答えを探してみましょう。

私は、「考える」には大別すると、
2系統+ミックスの3つがあると思っています。
①好奇心を満たすために考える
②より良い結果を得る行動を決めるために考える
③上の2点のミックス

②は、ビジネスのみならず、私生活でもありえますが、
ビジネスで「考えろ」と言われる理由は、主に②にあると思います。
自分一人のための決断なら、考えず、直感で決めてもいいわけです。
でも、組織であるからこそ、決めるには理由も必要ですし、
他の選択肢と比べて、どう違うのかの比較検討も必要になります。


で、②について、じっくり考えてみましょう。
「②より良い結果を得る行動を決めるために考える」
つまり、考える先には、行動があることがわかります。ところが、
そうすると人は往々にして考える前に、行動(タスク)に思いを移しがちです。

たとえば...
過去の当社のセミナーで、参加者にこんな問いかけをしたことがあります。

Q1 あなたは飲食店を開業するために、自分の住む街で物件を探している。
としたら、どのような場所に開こうと考えるか?
こう尋ねると、大半の参加者は「駅前」とか「人通りの多い場所」と答えます。
無意識でも、有利な場所はどこか?を考えているわけです。

次に、こう尋ねました。
Q2 あなたは駅前で屋台を始めることにしました。
あなたの屋台の隣には同種の別の屋台があって、そちらはとても繁盛している。
でも、あなたの屋台は閑古鳥が鳴いている。改善するための1stアクションは?
こう尋ねると、答えは2通りに分かれます。

1つは策を答えるもの。たとえば、
・メニューを変えてみる
・幟(のぼり)を立ててみる
・価格を見直す 等
もう1つは原因を探るための行動を答えるもの。たとえば、
・隣の屋台の客をつかまえて、どこが良いのか聞いてみる
・隣の屋台で食べさせてもらう 等

感覚値ですが、だいたい半数強の人は策(行動)について思考するようです。
さて、では半数の人が策に向かうのはなぜでしょう?
私は、第1は、早く答えを見つけたいからなのだろうと思います。
要するに、この場合なら原因を考えるなんてじれったいのです。
第2は、この状況で何を考えるべきかを吟味できていないからだと思います
だとして、想像してみてください。
原因も分からずに、メニューを変えても多分成果は出ませんよね。


考えることが重要だと思う理由の1つは、考えた方が結局は無駄がない、
つまり、「急がば回れ」だからです。
焦って策を考えても、最終的には意味がなければ無駄ですよね。


さて、毎週見ているNHKドラマ「正直不動産2」に登場する
Z世代役の十影(とかげ)くんに興味を持っている今日この頃。
十影くんには、一見無駄でも、結局は考えた方がタイパいいよ、
と伝えたくなります。
ヤマピーこと山下智久さんが務める主人公・永瀬財地の、
ウソでも何でもアリだった人生が、正直アリキに変わって、
今では本音をぶちまける様がおもしろくて、私はついつい観ています。

さ、今日は金曜日。
アレもコレもあると思いますが、乗り切りましょう!
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。

22922698.jpg

当社では、去年頃から、「リーダーシップ」「イニシアチブ」「主体性」等の言葉が
キーワードになっていて、
年初も、私は「一人一人が自分をリードする自分のリーダーであろう」
という話をしました。

リーダーシップというと集団をまとめて先導するとか、
統率するというイメージが強いですが、
その基本は、明確に「意思表示」することだと思います。
・自分はどうしたいのか
・自分は相手にどうしてほしいのか
・自分はどっちに向かって、どう進めようとしているのか

人を率いてまとめていくとなるとハードルは高いですが、
まず自分の意思を示すということであれば、自己完結できますよね。
でも、この意思表示ができなければ、
集団をまとめて先導することなど絶対ムリです。
だから、リーダーシップの最初の一歩は「意思表示」だと思うのです。


でも、どちらかというと率直に意思表示する日本人は多くないように見えます。
(もちろん、十把一絡げで断定することはしませんが)。
仮に日本人のコミュニケーションの特徴として、
意思表示を明確にしない傾向があるなら、その理由は何かと考えてみたのですが、
おそらく「相手の気持ちを察する」気遣いを「是」とする価値観があるからではないでしょうか。

でも、「察する」は、ある状況では美徳ですが、
仕事で推進担当者が周りに対して「察してほしい」というオーラを出すのは、
私はナシだと思います。


「意思表示」という行動を支えるのは、「主体性」です。
主体性とは、自分で考えて、自分の責任で決め、発言・行動すること。
その対極にあるのは、指示待ち、受け身、思考停止など。
さらに、空気を読む、依存する、同調する、流される...なども入りそうですね。


さて、「主体性が大事」などということは、
最早ビジネスパーソンなら耳タコではないでしょうか?
でも、なぜ主体性が大事なのか?と部下や後輩から聞かれたら、
何と答えますか?


私はこう答えます。
「私がラクできるから」です(笑)
指示しないとできない人より、指示しなくても進めてくれる人の方が、
上司の私としては断然ラクです。
でも、上司をラクにさせるために、主体的であれ...と聞いたら、
「なんで、そんなことのために...?」と思いますよね。


だけど、「周りの人、みんなをラクにさせる」と聞いたら、どうですか?
そんな人は、すごーく価値の高い人だと思いますよね?
図式的にはこうなります。

ーーー

主体的に動く人は、周りの人、みんなをラクにさせる
 ↓
周りが喜ぶだけでなく、知的労働比率が上がって、結果生産性も上がる?
 ↓
そこで生じた心理的余裕が、広い視野での思考を生む
 ↓
それが全社に広がると、会社の生産性も創造性も上がる
 ↓
生産性も創造性も上がれば、革新的なことも起きやすい
 ↓
実際に、イノベーションが起きる

ーーー

ちなみに「はたらくの語源は"傍を楽にする"」説、
うーん、あれはもっともらしいけど、疑わしいですね。
今回の話はそれとは関係ありません。

さて、今回は主体性と人に喜ばれる存在であることの関係について書きましたが、
第三者の存在がなかったとしても、自分の意思で行動する方が、
やらされて行動するより、楽しいに決まっています。
と、考えると、なぜ主体性が大事なのか?という問いへのもう1つの重要な答えは、
「自分の幸福のため」になるのかもしれません。


自分はどうしたいのか。
自分は相手にどうしてほしいのか。
まずは、そんな意思表示から取り組みたいものです。
(社長といえども、これは案外難しいです)

今月もわずか1週間ほど。
急に寒さが増しましたが、皆様、体調を崩されませんように!

240109_AdobeStock_626585753.jpeg

あけましておめでとうございます。
グラスルーツ小野でございます。
昨年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

お正月はいかがお過ごしでしたか?
私は年末急に「旅したい病」にかかり、無計画に近江・彦根に行ってきました。
もともと堀や川、運河のある風景が好きで、
駅に貼ってあったポスターを見た途端、旅したい病が発症しました(笑)
せっかくなので、信長の志、井伊家の知恵、
近江商人たちの三方よしの精神に思いを馳せ、あやかりたい...とも。

で、それとこれは関係あるような、ないような話なのですが、
2024年の今年、私どもグラスルーツは40周年を迎えます。
「買い手よし、売り手よし、世間よし」はつくづく大事だと思います。

近江商人について俄か勉強をしてみると、
商人としての理念を表した言葉がたくさん見つかります。

「先義後利栄」(義を先にし、利を後にすれば栄える)とか、
「出精専一」(奢ることなく精を出して働くことが第一)とか、
「陰徳善事」(自己顕示のためでなく、見えないところで人に尽くす)など、
商人としてだけでなく、人の鏡となるような考え方ですよね。


というわけで、40周年の今年は、これまで大切にしてきたことは守りつつ、
けれども守ってばかりでは社会のお役に立てないので、
これまでの延長線上ではない発想で世界を広げていきたいと思います。


と考えた時に、ふーっと浮かんできた言葉が「壊す」です。


で、またまた、それとこれは関係あるような、ないような話(その2)、です。
すみません、話がぶつぶつ途切れて。。。。

新年のお参りで、地元の七福神を巡ったという方もいらっしゃると思います。
私も、友だちに誘われて一昨年ぐらいから仏像巡りをやっています。
七福神の一人「大黒天」は、そのルーツがインドの神話にあり、
破壊と創造を司る「シヴァ神」が破壊神となったときの異名だそうです。
ですが、日本での図像としては、
打ち出の小槌と大袋を抱えて笑っているイメージでしょうか?
破壊のイメージはまったくありません。

ですが「シヴァ神は『破壊』と『創造』を司る」と聞くと、
それだけで私はシヴァ神に魅了されてしまいます。
破壊と聞いてドキドキする、創造と聞いてワクワクする、
そんな感じです。


でも、、、
実際には「創造」は怖くありませんが、「破壊」するのは怖いです。
破壊といっても、きっと「Destroy」というイメージではなく、
手放す、つまり「Let it go」「Set it free」のイメージなのかなと思いますが。


それで、ちょっと考えました。
シヴァ神に惹かれる理由や手放すことへの恐れについて。

魅了されるのは、経済学用語の「創造的破壊」という言葉のイメージもあれば、
イノベーションは壊すことから始まり、創造で完結する、と
思っているからだと思います。
また、手放すのが怖い理由は、その先にある変化が見えないからです。
変化の先で、何が自分に降りかかるのかわからない不安。。。。

だけど、、、
何かを創造したいとか、生み出したいと思うなら、
手放す苦しみ(産みの苦しみ)はきっと避けられません。
でも、そうわかっていたとしても、それでも不安はありますよね。


そこで、『破壊』と『創造』を分解してみました。
①現状を俯瞰して見る →
 ②従来とは違う視点で情報同士を関連付けて考える →
  ③可能性の仮説を持つ →
   ④勇気を持って選択し、小さくやってみる(小さくリスクを取る) →
    ⑤大きくやってみる(大きくリスクを取る)

こうやって分解してみて気づいたことがあります。
それは、『破壊』と『創造』は別々に起きるのではなく、同時に起きるということ。
破壊は破壊、創造は創造ではないということです。
そうわかると、破壊と創造は同義のように思えてきます。
そして、④の選択もいわゆる「選択と集中」の「選択」ではないと気づきます。

2024年、40周年だからこそ、これまで築いたものを壊してみたい気もします。
どんなことが生まれてくるのか、ぜひ見守ってください。
今年もどうぞよろしくお願いします。

AdobeStock_683839326.jpeg

2023年もあと10日ほどで終わろうとしています。
今年はどんな1年でしたか?
私にとってこの1年のキーワードは「課題」でした。
会社の課題、自分の課題、案件の課題、社員の課題...。
いろいろな意味で課題に溢れた1年でした。
ですが、私、課題は嫌いではありません。
課題は伸び代であり、成長にとっては宝だと思うからです。


でも、一般的には自分の課題は見たくもないし、人から言われたくもない、
できるものならフタをしておきたいと思っている人は多い...
と、先日ある人との会話の中でそんな話が出ました。
そうかもしれません。
さらに言えば、ネガティブ思考やネガティブ感情は良くない、
ポジティブな思考や感情は良い、そう思っている人が多い(?)
でも、本当にそうでしょうか?


結論から言うと、私は、その考え方には懐疑的です。
ネガティブな思考や感情の方が、ポジティブなそれよりも、
圧倒的に熱量が高いですから、
そのエネルギーをうまく使えば何かが生まれると思います。
実際、自分の経験からいっても、
人生観を変えたり、苦難を乗り越えたり、
新しい世界に足を踏み入れた時には、
その直前に大抵は負のエネルギーがあった気がします。


さて、ここまで考えていたら、
かつて流行った心理テストのようなものを思い出しました。
コップに水が半分入っているのを見て、どう感じるかを尋ねるもので、
「コップにはまだ半分も水が入っている」と思うか、
「コップにはもう半分しか水が入っていない」と思うかの2択。
前者を選ぶとポジティブ思考で、後者を選ぶとネガティブ思考...
というようなものでした。
今思えば、そんなに短絡的に決めつけていいはずがありません。


コップの水を巡っては、ドラッカーの言説にこんなものもあります。

「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。
世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、
イノベーションの機会が生まれる」
(P・F・ドラッカー『イノベーションと起業家精神』)

つまり、ドラッカーが言いたいのは、
むしろ先ほどの心理テストの裏返しで、こういうことだと思います。
人がコレコレがないことに不満を感じ、
さらに、おかしいじゃないかと憤りや悔しさを感じる、
それがエネルギーとなってイノベーションを生む。
満たされているからと楽観視していたのではイノベーションは生まれない...。
言われてみれば、まさにその通り!


で、これ、社会もそうですが、個人の内面の変革でも言えるような気がします。
先週末の16日、「ハンク・アーロン賞」を受賞した大谷翔平選手が、
8年前にこんなことを言っています。

自分の中で課題を消化するのが野球のおもしろさなのかなと思います。
今の相手と今後10年、20年、ずっと対戦していくのなら、
このバッターを倒すために必死になるとか、このピッチャーを打ち崩そうとか
思うのかもしれませんが、メンツも時代も変わりますし、
若い世代が入ってくれば対戦相手もどんどん変わる。
だから、思い通りに投げられなかったボールで抑えたことをオッケーにしちゃったら、
成長するチャンスを失うことになるし、もったいないじゃないですか。」
(Number881号:2015/07/02)

つまり、課題があるから努力がある。そこでの努力が重要であって、
結果オーライで課題をクリアしてもダメだと彼は言っているわけですね。


自分にはここが足りないと気づく。
できないことは、できない。
苦手なことは、苦手だ、と素直に自覚する。
足りない面を埋めようと努力するかどうかは二の次。
苦手なことを全部克服しようとするのは逆にナンセンスですからね
まず自分の現実をちゃんと直視する。
すると、努力すべきかどうかがわかる。
どんなに努力しても到底できそうにないなら、方向性を変えれば良い。
やってみてから考えようと思うなら、そうすれば良い。
課題を直視して、努力した結果、成果が出たら自信になるし、
仮に成果が出なくても、次に活かせる学びが残る。
苦手だと直視できたら、「誰かに助けてもらうしかない」と気づくこともできる。
課題という言葉には、そのような広がりがあるように思います。


私は、大切なことはポジティブであることでも、
ネガティブであることでもなく、
ネガティブなことをポジティブに転換することなのではないかなと思います。
あなたはどう思いますか?


寒暖の激しさに体調を崩しそうな今日この頃、
2023年を元気でフィニッシュしたいものですね!

AdobeStock_493235904.jpeg

昨日は勤労感謝の日で、私はカレンダー通りお休みでしたが、
なんと朝10時から表参道の「ブルーボトルコーヒー」でお茶をしていました。
以前当社にいた人と、前日の夜に急に盛り上がってのことです。
いろいろ刺激をもらった影響から、今日は、
仕事での「アウトプット」をテーマに考えたいと思います。

仕事では、インプットのプロセスはあるものの、
つまるところアウトプットがゴールです。
それをどう捉えるかによって、自分の成長も変わるし、
一歩間違えると、プレッシャーを感じてメンタルに影響が出ることもあります。


私が、自分のアウトプットに対して行動基準や判断基準を確立したのは、
多分30代だと思います。
昭和バブル体験を通じてです。
当時は良くも悪くも仕事がどんどん来て、
一時期は週に1本というペースで企画提案をしていました。
ここからは若干自分語りになりますが、少しだけお付き合いください。

その頃、当社の事業領域はふんわりしていて、来るものは拒まず。
百貨店の事業開発部のコンセプトワークのようなこともやっていたし、
広告代理店や広報代理店に代わって
黒子でプレゼン資料を作るような案件もありました。
本来なら創造的なことに時間をかけるべき企画業務なのに、
量産するような状況に矛盾を感じながらも、
でも、引き受けた以上、アウトプットしなくてはならない。
その葛藤から、自分の考えが整理されていったと言っても良いと思います。


当時、私は「決断」が苦手で、決断力のなさを自分の課題に感じていました。

決断できないのには、いろいろ理由がありましたが、
第一の理由は「もっと良いアイデアがあるかもしれない」
「本当にこの方向性で進めてしまって良いのだろうか」
「これが果たしてベストと言えるだろうか」
という気持ちが生じるからです。
あるいは、A案とB案、どちらで進めるべきだろうか、
という場合もありました。
つまり、アウトプットへの確信のなさに尽きます。
しかし、持ち時間は限られていて、決断しないことには前に進めません。

でも、方針を決めてしまえば、書類を作る時間は予想がつきます。
言い換えると、締め切りから書類を作る時間を差し引いた時間が、
企画のコアな考え方を組み立てるために使って良い時間でした。


つまり、アウトプットに際して、方針決定に費やす「時間」を決めると、
自ずと決断の締切が決まり、そうすると段々に決断することに慣れていきます。
「1+1=2」というような絶対的な正解はないので、
「これが果たしてベストと言えるだろうか」という内なる声が聞こえてきても、
「いや、この時間の中ではベストだ」と割り切れるようになりました。
ですから、アウトプットのための検討時間を決めるというのは、
決断するためのとても重要なノウハウだと学んだ気がします。


アウトプットに関して費やす「時間」を決める以外に、
もう一つ学んだことは「出来栄え」のイメージとして、
「何点」を目指すかを決めるということでした。

どういうことかというと、仕事だから合格点以上であるべきなのは当然です。
で、たとえば合格点を70点とするなら、
今回のアウトプットは70点を目指すのか、80点を目指すのか、
90点を目指すのか、100点を目指すのか、意図的に決めるようにしました。
この良い点は、合格点の出来栄えを最初にイメージするようになったことです。
たとえば合格点の70点を目指してイメージ通りできたなら、
それは合格点階級の中での100点だと言えるからです。

そして、100点を目指す場合は、当然のことながら、
人を驚かせ、唸らせるようなことを目指すわけですから、
自分が思いつく限りのことを全部やり尽くそうという考えで臨むわけですね。
予算も時間もあまりないときは「合格点」を目指し、
ワクワクする案件は「100点」を目指そう。
そんなふうにメリハリをつけることを覚えていきました。


つまり時間に対して「与えられた時間の中ではベストだ」と思えれば良しとし、
目指す得点に対して、「出来栄えを描き、イメージ通りになった」と思えれば、
自分のアウトプットはそれで良しとしようと決めたわけです。
そうしたことで、迷いなく優先順位を決められるようになり、
自分のエネルギーの分配をうまく機能させられるようになったと思います。


ある調査によると、不安やストレスを感じている労働者は50%以上だとか。
がんばっているのに、空回りしていると感じたり、疲弊していると感じるとき、
自分に原因があるのではなく、仕事の状況に原因があると思いがちですが、
実は自分でコントロールできることもとても多いと思います。
アウトプットで、闇雲に良い点を取ろうとすることが悪いとは思いませんが、
それをやり続けることで疲弊しても意味がありません。
人は、すべてに全力投球なんて、できないからです。
30代の半ばに半年ぐらいメンタルがやられて、
病院に行ったことのある私が言うのだから間違いありません(笑

来週は師走に突入です。
どうぞ良い週末をお過ごしください。

AdobeStock_85250587.jpeg

今年も2カ月を割り、年末が近づいてきますと、

  残る2カ月で、今年本当はやりたかったことがやり切れるだろうか?
  このままできずに終わったらイヤだな...

と、そんな焦りの気分に見舞われます。
「できなかった」はセルフイメージや自己肯定感を下げかねず、
ますますゲンナリ。。。
と、なりそうになるのですが、思考は自分でコントロール可能ですからね、
私は「待て待て。モチベーションは自分でなんとかせい」と言い聞かせています。


というわけで、今日のテーマは「モチベーション」。
ちょっと広すぎるテーマですが、
改めて何なのだろう?と考えてみたので、共有させてください。
言うまでもなく、この言葉は日常的によく使われます。
最近当社では、コンテンツ開発セミナーや連載記事のテーマとして
「モチベーションで」とのご要望をいただく場合も少なくありません。

誰しも、自分が実現したいのに、うまく進まないとき、つまり、
目標を掲げたのに挫折したり、続けるつもりが継続できなかったりしたときに、
自分の中にある「モチベーション」のありようについて考えますよね。

自分のモチベーションについてだけでなく、
例えば、仕事で誰かにネガティブなことを伝えなくてはならないときに、
相手のモチベーションを下げないようにと苦慮することもあります


私たちが「モチベーション」という言葉を使うとき、
大抵は「意欲」の言い換えで使っているような気がしますが、
本来「motivation」の意味は(行動を引き出すための)「動機付け」です。
その本質は何なのでしょうか?

以前の心理学では、人は、報酬や評価、懲罰などの外発的要因によって
動機付けられる、と考えられていたそうです。
それに対し、米国の精神科医ウィリアム・グラッサー博士は、

・人は自分の行動と選択をコントロールできる存在であり、
 選択によって自分の基本的な欲求を満たし、幸福を感じる。
・人の行動や選択は、自分の欲求によって内発的に動機付けられる。

...と考え、これを「選択理論」(Choice Theory)と名付けました。


細かい話は脇に置いておくとして、モチベーション(行動・選択の動機付け)の
根っこにあるものは、自分の欲求、すなわち「願い」だということになります。

と、いうことはどういうことか?
この理論を採用するならば、
行動できるか、達成できるかは、結局「願望の強さ」、すなわち
どれだけ強く願っているかにかかっていることになります。

私が最初にこれを知ったときに思ったのは、
「え? 重要なのは意志の強さではないの?」ということ。
私の中では、「意志」とは、覚悟や決意に近いイメージで、
「願望」とは別のものでした。

そうと分かれば、なんだかモチベーション維持もできそうな気になりませんか?

なのですが、、、、
実は、人の願望というのは、多くの場合、とてもふんわりしたもので、
なんとなくの願いなんですよね。

私たちは、本当に自分が求めているものは何か?などと、
普段なかなか真剣に考えません。
そして、この「本当に自分が求めているものは何か?」の意味は、
成し遂げたいことなどではなく(いえ、それはそれでも良いのでしょうが)、
どんなとき、どんなことに幸福を感じるか、
どんなときに心が躍り、反対にどんなときには怒りや嫌悪を感じるのか、
というようなことから始まるのだと思います。

でも、自分自身のことなのに、なかなかキャッチできないばかりか、
「あらねばならぬ」で考えてしまったりします。


しかし、本当の私たちは、選択や行動を願った通りに決められる。
ありたい自分になれるし、やりたいことをやっている自分になれるはず...なのです。
(あー また始まった! 今回も自分に言い聞かせている笑)
強く願えば叶うなら、たまには胸に手を当てて、自分の願いを考えるとしよう!

心に秘めた強い願望、持っていますか?
モチベーション系のコンテンツは、こんな観点からも考えられそうですね。

AdobeStock_516864266.jpeg

昨日、家でスマホをいじっていたら、
たまたまiPhoneのミュージックが開き、
さらに偶然にも、和田アキ子の歌声がしてきました。
少なくても私のライブラリーにはないはずのその声。
もしかして、無意識にアップルミュージックを申し込んでしまった?
まだ謎は未解明なのですが、、、
そこからいろんなことを考えてしまったので、シェアさせてください。

和田アキ子。
歌手というよりも、どちらかといえばタレント・司会者のイメージを
持つ人の方が多いのではないでしょうか。

現在、73歳の和田アキ子さん。
私が最初に知ったのは子どもの時でした。
すっごい歌手だと子ども心に衝撃を受けたことを今でも覚えています。
今回、iPhoneから聞こえてきた曲は、初めて聴く曲でしたが、
この人スゴイ!と最初に思った時の記憶が蘇るほどのインパクトがありました。


最近の、というか、もう大分以前から、私の中での和田アキ子さんは、
「アッコにおまかせ!」という長寿番組の司会というイメージが強かったので、
もはや歌手というよりもタレントでした。
そして、それをずっと訝しく思っていました。
本当に生かすべき才能は、歌手の方だと思っていたからです。

この人は、本当は歌手とタレントのどちらで成功したかったのだろう?
歌手に主軸を置こうと思ったことはないのだろうか?
事務所の方針だったのだろうか? 彼女の本音はどうだったのだろう?
...と。和田アキ子の名前を聞くとそんなことが頭をよぎったという感じです。
そのぐらい、つまり海外でも活躍できたのではないとさえ思うぐらい、
私にはこの人に歌手として才能があるように思えました。
ソウルfullなのです。


なのですが、、、、
和田アキ子さんの芸能活動について、
そんなによく知りもしないで書くのもなんですが、
すごくチャレンジしているという印象もなく、
才能があるのに、もったいないなーとずっと思ってきました。

人生に「たられば」はないけれど、
もし、彼女がタレント業を手放していたら、どうなっていたのかなと思います。
(でも、フォローするようですが、オフィシャルサイトを見ると、
歌手としてもいろいろやっていらしたんですね)


さて。
海外に羽ばたいてほしいと思う人、
今どきの言い方でいえば、オシ? いますか?

私は、綾瀬はるかさんにアクション俳優として
ハリウッドデビューしてほしいな...なんて思ったりします。
彼女の役にスイッチが入った瞬間の変わりぶりと、運動神経はスゴいです。
アクションなのに、エレガントだし。
「あなたにはそれができる」と、そばにいる方には背中を押してあげてほしい。


話を戻して、、、
和田アキ子さんの人生のことはわかりません。
ここからは「もし、~を手放していたら?」という話。

自分に当てはめて考えてみても、少し胸の奥の方がザラっとします。
捨てる勇気、手放す勇気を持つことで変わることがあるんだろうな、と。
何かを始めることよりも、何かをやめることの方が、
よっぽど勇気がいるし、決断力もいるような気がします。
でも、人生は一度だけです。
二兎を追うと一兎も得られない。
なんだか自分に言っていますね、これ(笑)
断捨離は得意なはずなんだけどな~


もう10月も残すところわずか。
時の早さに惑わされず、一歩一歩ゆっくりでも前へ。
良い週末をお過ごしください!

AdobeStock_480383025.jpeg

4月のブログでも「教える」を取り上げました。
(記事はこちら)
最近の私のチャレンジテーマは、十人十色の教え方ができるようになることなので、
「教えること」や「人の成長」について考える機会が多いです。
今回も「教える」側の視点から、あれこれと考えてみたいと思います。
というのは、スキルや知識を教えることだけが教えることではないと
考えているからです。

さて、まずは最近の注目ワード「リスキリング」の話題から。
2020年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で
「2030年までに地球人口のうち10億人をリスキリングする」と発表され、
経団連の「新成長戦略」の中でもリスキリングの必要性に触れられています。

「リスキリング」は「Re-skilling」。
一般的には、AIやDXが普及した社会に対応できる人材を生み出すために、
企業や自治体が従業員に新しい知識やスキル(どちらかといえばデジタル系)を
身につけさせ、労働移動につなげるための取り組み...ということだと思います。

先日、国会議員の片山さつきさんが、「Webサイトからの申請方法などについて
尋ねても答えられない自治体職員がいる」と話していましたが、
急速に社会のデジタル化を進める必要がある一方、
働く層が高齢化する日本では、リスキリングが話題になるのは必然かもしれません。
(本来、リスキリングの対象は年齢に無関係だそうですが)

もちろん、それが重要であることに異論はありませんが、
社会の潮流からデジタルスキルについて従業員教育を行うだけでは
大した成果は上げられないのではないかという気がして、
リスキリングという言葉にはひっかかりを感じます。
スキルだけでいいのか?と。


たとえば当社では、採用活動を行う場合、
年齢や経験に応じて知識やスキルはあるに越したことはないと考えますが、
意識や思考の方をより重く考えています。
なぜなら、意識が高いと自己開発力が高くなり、知識やスキルは自然と付いてくると思っているからです。
(あ、採用活動、やっています! 自薦他薦とも歓迎します!)
でも、ここでの「意識が高い」というのは、いわゆる「意識高い系」とは違います。


以下、ちょっとした知識のお裾分け...。
人の成長には、知識やスキルが広がっていく「水平的成長」と
意識のレベルが高まっていく「垂直的成長」があります。
成人発達理論を牽引するハーバード大学のローバート・キーガン教授の理論です。

大人が成長するには、意識の成長が不可欠で、それは言い換えると、
解像度の高いレンズで物事を見られるようになることだと言います
モノゴトの認識の仕方や捉え方、解釈の仕方を柔軟に変化させ、
多様な視点を受け入れられるようになっていくことだと言います。
そのためには自分の信念を含めて固定観念に捉われていないかを問い直す
謙虚な自己客観視が必要だとされていますが、それを一人でやるのは簡単ではありません。
だから上司にはコーチング的な方法で部下を支援することが求められるわけです。


同じような話は、濱田秀彦さんの著書
「仕事を教えることになったら読む本」でも紹介されていました。
この本によれば、「教える」というのは、
「設定したゴールに相手を運ぶために、知識、技術を付与し、意識を高めること」と定義されています。

言われてみれば、いえ、言われなくてもかな? その通りですよね。
私なりに噛み砕いてみました。
(A)知識を教える:それまで知らなかったことを理解している状態にすること。必要な教え方はティーチング。
(B)技術を教える:うまく運ぶためのノウハウや振る舞い方を教え、相手が実践できるようにすること。必要な教え方はトレーニング。
(C)意識を教える:何に対し意識を向けるか、どのような心構えでいるとうまくいくか、意識を働かせられるようにすること。必要な教え方はコーチング。
...てな感じでしょうか。

このように知識やスキルを伸ばすだけでは真の成長はできないと考えている専門家たちがいて、私はそれに共感しています。


ところが、この「意識の成長」を支援するのが上司にとってはとても難しい。
しかも、意識の有りようは知識や技術の習得にも関わってきます。
例えば「苦手だ」という意識があったら、知識や技術はなかなか入ってきません。
「身につけねば」とか「失敗したくない」という意識がある場合も同様です。
私も、支援する側にいながら、自分が学んでいるような感じです。

また成人発達理論の「意識の成長レベル」の1つに、
他者の立場に立てるかどうかという尺度があるのですが、
部下に対し、他者の立場に立てるように指導しているつもりが、時として
「指導しているお前こそ、教わる相手の立場に立つ意識が持てているのか?」
という内なる声が聞こえてきたりして。。。涙

実際、教える側の器以上のことを人に教えることはできませんからね、
私が十人十色の教え方ができるようになることを目指すなら、
自分の器を広げることが先決なのだろうなと思う今日この頃です。

このメルマガの読者で部下を持っているみなさん、
いっしょにがんばりましょう!

AdobeStock_572246721.jpeg

ChatGPTなどのAIに注目が集まっているためか、
私たちの「言語化能力」がこの先どうなっていくのか、
という問いが頭の片隅に常駐しています。

もしかしたら、このような関心は時代特有のものかもしれません。
たとえば、1冊10分で読める書籍要約サービス「flier(フライヤー)」の
アクセスランキング(2023年1月1日~31日)にもその傾向が表れています。

年代別ランキングで、30代の上位にあったのは
1位「言語化の魔力 言葉にすれば「悩み」は消える」(樺沢紫苑/幻冬舎)
2位「リーダーは話し方が9割」(永松茂久/すばる舎)
7位「東大教授の考え続ける力がつく思考習慣」(西成活裕/あさ出版)

各書籍の切り口は微妙に異なるのだと思いますが、
「言語化」「伝え方・話し方」「思考整理」をテーマにした本に
関心が寄せられているのは、他の年代でも概ね同じです。

では、そもそも「言語化」とは何をすることなのでしょうか。
いろいろな表現の仕方があると思いますが、
ここでは、次のように定義してみました。

自分が頭の中で考えていることを言葉に変換し、
さらに相手がより理解しやすい言葉で伝えること。


ここで重要だと思うことが2つあります。
1つは、頭の中だけで考えることと、言葉にすることは違うということです。
一人で考え、頭の中では整理したつもりでも、
いざ人に伝えようとすると言葉に詰まるという体験、誰にでもありますよね。
人の脳がどのように働くのかは知りませんが、
頭の中を過ぎていく言葉であるうちは言語化とは言えないわけです

もう1つは、自分のための言葉ではなく、
相手のための言葉にしてこそ意味があるということです。
伝えたかどうかではなく、伝わったかどうかが重要なのですね。

だから、コミュニケーションを大切にしたいと思うなら、
自分の考えを言葉として発することから逃げてはいけないのだと思います。



一方で、人々の関心が言語化にありながら、
「ふんわり」「ふわっと」という言葉もしばしば耳にします。
いろいろな意味で使われているようですが、
その1つに「あいまいな」という意味もあるようです。

「ふんわりした話」といえば、
核心をつかないぼんやりした話というような意味でしょうか。
また、具体性に乏しく抽象度が高い話の場合も、
ふんわりしていると言ったりしますね。

「あいまい」という言葉だと少しネガティブな印象ですが、
「ふんわり」になると必ずしもそうでもありません。
今はまだ漠然としているけれど、これからクリアになっていくかも...という
期待さえ抱かせる気がするのは、持ち上げすぎでしょうか。
あるいは、「内容がぼんやりしていてダメ」と言いたいところでも、
「なんか、ふんわりしていますね」と言うことでソフトになるような。
あいまいさを否定しないところは、日本的な知恵なのかもしれません。


私は言葉を使って仕事をしているので、言語化の大切さは常に感じています。
でも、言語化にはデメリットもあります。
逆に言えば、ふんわりにメリットがあるということです。

どういうことかというと、
言語化というのは複雑な考えやそのニュアンスを潔く絞り込む作業なので、
捨て去る概念の中に実は大切なエッセンスが含まれている場合があるわけです。
1番大切なことは言葉になるけれど、
5番目ぐらいに大切なことは言葉にはされず、
結果的に思考の中から排除してしまうことにつながったりします。
論理的な言葉が勝り、感情的な言葉が置いてきぼりになりやすいのも、
そのようなことと無関係ではないと思います。


仕事というのは大抵はふんわりしたところから始まります。
ふんわりしたままでは始動できないので、誰かが言語化する。
すると、具体的なタスクになっていきます。
誰かと協働するにはコミュニケーションは避けられないですし、
AI時代だからこそ言語化能力は必要不可欠になっているとも思います。
言語化能力を養いながら、一分の隙間にふんわり力も持っていたいものですね。


今日が良い1日でありますように!

AdobeStock_445676521.jpeg

4月は新入社員が入ってくる時期だからか、
上司部下間の面談が多いシーズンなのではないでしょうか。
最近は1on1と呼ばれる日常的な面談を導入する企業も増えており、
面談はコミュニケーションの一環として日々行われるようになりました。
その面談でよく出る話題が「課題は何か?」です。

この課題という言葉、言うまでもなく上司・部下間の面談用語ではありません。
企業の経営課題、今年度の取り組み課題、社内風土的な解決課題等、
いろいろなシーン、いろいろな文脈で使われる言葉です。

さて、ここで質問です。
「課題」と聞いて、この言葉の語感やイメージは
あなたにとって良いもの、言い換えるとポジティブなものですか?
それともどちらかといえばネガティブなものを含んでいますか?

なぜ、この質問を立てたかというと、
少なくても仕事における「課題」という言葉に対しては、
イメージがポジティブ派とネガティブ派に分かれているのではないか、
と思ったからです。


では、「課題」という言葉への受け止めは
ポジティブ派とネガティブ派でどのように違うのでしょうか?
独断と偏見に基づいて言うことをお許しいただくのであれば、、、

ポジティブ派:
課題とは理想に向かうための道筋であり、伸び代だと思っている。
なので、課題が見つかると自分が何をすればいいかがわかり、うれしくなる。

ネガティブ派:
課題とは現在不足しているものを見える化したものであり、
「足りないポイント」を並べたものだと思っている。
なので、課題と向き合うことは苦痛以外の何者でもない。


日本語の同一単語「課題」に対して、
人によって、もしこれだけ言葉の受け止め方が違っていたなら、
当然、面談はうまくいきません。

上司と部下がともにポジティブ派なら、
課題という言葉で会話をして共通のスタート地点に立てますが、
仮に部下はネガティブ派で上司がポジティブ派という組み合わせだったなら、
共通言語がないだけに、部下はただ「できないよね」と言われているだけ、と、
そんな気持ちになることでしょう。


実は、お客様との会議でも同じようなことがしばしば起こります。
私たちは課題解決型でコンテンツの企画に携わるのが基本スタンスなので、
「貴社の課題はここではないか」とか、
「その課題の原因はここではないか」など、お客様と率直に議論します。
しかし、それに対して消極的あるいは否定的な反応しか
返ってこない場合があります。なぜでしょうか?

大抵の場合、理由には次の2つのどちらかが当てはまります。
1つ目は、当社にはそんなに大きな問題はないと認識しているから。
2つ目は、課題への自覚や認識はあるが、課題というと
自社を否定しているような気持ちになり、使いたくないから。
2つ目は、個人ベースの「課題」と同様に、
「課題」という語句への認識がネガティブだからこそ生じる反応です。

しかし、「課題とは?」の定義合わせをして、
ポジティブ派の解釈のように理想へ向かう道筋だと捉えたなら、
前向きな対話ができるのではないでしょうか?


もう1点、こんな視点も大切かもしれません。
たとえば、「課題」という語句は理想に向かうための道筋を示したもの、
と理解していたとしても、その内容に納得できていなかったら?
誰かから指摘はされたが、自分としてはそれが課題だと思えなかったとしたら?
あるいは、課題だとわかっていても真剣に取り組む気持ちが湧かないとしたら

つまり、そもそも「課題」とは理想に向かうための道筋であるとして、
それがわかっていても、そう簡単に理想に向かってまっしぐら...とはならない。
多分その本質は、その「課題」の根っこにある問題を
今すぐにでも解決したいと思っているかどうかなのだと思います。
ということは、解決せずに放っておいたらどうなるか、
課題を解決できた後にどれほど良いことが待っているのか、
これがイメージできないと、
掲げた「課題」はただのお題目で終わってしまう、ということになります。

結局自分の理想をくっきりはっきり描くこと、
そこに向かうためにどうするかと考えること、
それが課題意識の本質なのでしょうか。

3月最終週です。桜も見納めですね。
どうぞ素敵な1週間を!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

社長メッセージを見る >>

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ