ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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いろいろな場面で若い人と話をしているときに、
「自分はまだ引き出しが少ない」と悩みの一端を聞くことがあります。
そこで今日は、「引き出しが少ない」というのは、どういうことなのか、
無垢な気持ちになって、一緒に考えて行きましょう。

まず、人が「自分は引き出しが少ない」と語る時、
いったい、その人は何をもってそう語っているのでしょうか。
すべてとは言いませんが、一つには「自分は経験が少ない」という意味で、
「引き出し」という言葉を使っている人が多い印象を受けます。

しかし、率直に言って、「引き出し」と「経験」は別物だと思います。
では、「引き出し」とは何なのか。
定義するのは難しいですが、敢えて言語化するなら、
こういうことではないでしょうか?

人生における「引き出し」とは、
これまでの体験から学習したパターンの集積地。
「引き出しが多い人」とは、
現在得た体験を過去の体験と結びつけ、
「こういう時にはこうすればいい」とパターン認識できる人。
正しいかどうかは別にして、私にはそう思えます。

実は、これ、実体験から来るものです。
人に何かを教えようとすると、学習能力が高い人と、
そうでもない人がいることがわかります。
学習能力が高い人の共通点は、自分が過去に体験したA1という出来事と、
今、目の前にあるA2という出来事の共通点を見つけ出し、
「こういう時には、こうする」
「こういうことは、こういう時に有効」
という法則を見つけて行動するのが上手な人なんですよね。
反対に、自称「引き出しが少ない人」は、それが苦手な人、
もしくはそうやって引き出しに整理していくのだと知らない人だと思います。

これをパターン認識と言いますよね。
AI(人工知能)なども、人間のパターン認識の研究のその先にあるようです。
すでにハリウッドでは、映画の脚本のパターン研究によって、
シナリオをAIに描かせようという実験も進んでいるようです。

たとえば、「イベントを告知する文章を書く」という業務を例に考えてみましょう。
前回、上司のチェックを受けたら、「開催日時は必須」であるのに、
「肝心の日時が抜けている」と指摘されたとします。
そうしたら、「イベント告知→開催日時は必須」というパターン認識をし、
次にイベント告知文を作る機会があったなら、忘れずにそれを書こうとします。
ところが、学習しようという意識が低いと、前回の教訓を生かすことができません。

この例などは、多くの人がパターンを認識しやすく、学習しやすい例ですが、
現実的には物事はもっと複雑です。
中期経営計画の説明をするときも、新商品の発売を説明するときも、
イベントの説明をするときも、情報を受け取る側が知りたいことには共通点がある...
というパターン認識に基づいて、情報発信することは簡単だとは言えません。

実際、そう聞いて、共通点を言えますか?

答え合わせをしておきましょう。ジャジャジャーン♪
それは、2W1H。
What:それは何か?
Why: なぜ行うのか、なぜそれが重要なのか?
How: どのように行うのか、その結果どうなることを目指すのか?
...の3点です。

「5W1Hではないの?」と思われたなら、
上の2W1Hはほぼ同じことです。

When(いつ)Where(どこで)Who(だれが)What(なにを)Why(なぜ)
Whom(誰に)までが、Whatに入るからです。

では、第2問(笑)!
あらゆる企画の目的を定めるときに、明らかにすべき点がある...と聞いて、
その共通点を言えますか?

それは、Before(現状)とAfter(改善後/実施後)の状況を言語化することです。
ところが、多くの場合、そのように目的を定めていません。
つまり、どうなったら成功したと言えるのかを明らかにしていないことが多いです。
でも、目的を明らかにするときは、
BeforeとAfterを明確にするとパターン認識すれば、出てきますよね。

こういったパターン認識、言い換えれば法則の発見を
省力化するためにあるのが、フレームワークなわけです。
でも、そもそも学習する際にパターン認識が重要だと理解できていないと
フレームワークがなぜ存在するのかも理解できません。
というわけで、本日の私の仮説は、引き出し≠経験ではなく、
引き出し=パターン認識ではないか...ということなんですが、
あなたはどう思いますか?

7月ももう半分。気温の変化に気をつけてお過ごしください。

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自分の仕事をどう定義づけるか。。。
私は、この質問をしばしば自分に対して投げかけます。
同じことをやっていても、どう意味付けるかで、
見えてくる風景が変わりますよね。
よく例に出てくる3人のレンガ職人の話もしかり。
(初めて耳にするという方は「3人のレンガ職人」で検索してみてください)

最近、定義づけをするときに、こう考えると視野が広がるな、
と思ったことがあるので、シェアさせていただきます。
それは、英語の使役動詞「make」を使って考えてみるという方法です。

使役動詞。。。なんだっけ?という感じがするかもしれませんが、
思い出してください、中学生の頃に習ったはずです。
私は、先生が洋楽「You Are My Sunshine」の歌詞を例文に
使役動詞「make」の働きを教えてくれたこと、今でもよく覚えています。

You make me happy when skies are gray.
あなたは、空が灰色の(私が落ち込んでいる)時も、私を幸せにしてくれる。

make A B = AをBにさせる

ですよね。

こんな例もあります。トランプ元大統領。
"We will make America great again."
アメリカをもう一度偉大にさせる。
このフレーズがトランプさんのキーフレーズです。

キーフレーズといえば、オバマさんは"Yes We Can" でしたね。
そんなオバマさんが2008年の大統領選で勝利した時、
メジャーアーティストが参加して作られたサウンド・トラック
「YES WE CAN:VOICES of a GRASSROOTS MOVEMENT」では、
ロス・ロンリー・ボーイズが、「Make It Better」という曲を歌っています。
♪You gonna make it better
もっと良くしよう。もっと良くできる...みたいなニュアンスでしょうか。


で、ここからが本題なのですが、
私は、すべての仕事は「Make It Better」のためにあるのではないか、
と思ったりします。
仕事って何かをより良くすること...なんじゃないの?と。

で、このときに、この「It」に何を入れるか。
そんな問いが、仕事観を膨らませるのに役立ちます。
あなたなら、何を入れますか?

私は、社内広報やインナーブランディングの仕事の一つの定義として、
「人の感情、気持ち、意識、認識、理解を、より良くさせること」
要は人の心の状態をより良くするというような捉え方ができるなと思っています。
「Make Your Feeling Better」みたいなことです。

「わからない」という不愉快で不安で不満足な状況を無くしたり、
「なるほど!自分もそうありたい」と共感してモチベーションが上がったり、
誰かのがんばりに勇気をもらったり、誇りを感じたり。
そういうことって、感情や思考に作用しているわけで、
ということは、社内広報やインナーブランディングの仕事は、
誰かの気持ち、誰かの心の状態を良くすることだとも捉えることができます。


で、ここまで考えてみて、今度はこうも思いました。
もしかしたら、社内広報やインナーブランディングの仕事だけではなく、
あらゆる仕事は「Make It Better」であると同時に、
「Make Somebody's Feeling Better」。
つまり、誰かの気持ちを「Better」にしているのかも、と。

あなたの仕事、「Make It Better」の「It」に入るのは何ですか?
誰の気持ちを「Better」にしていますか?
そういう目で仕事を振り返ると、
ちょっとモチベーションが上がったりします、私は(笑)
試しにやってみてください!

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今日の話題は、めずらしく「お金」の話です。
タブー視する人が多いけれど、お金は生きていく上でとても重要で、
自分なりの考えを持つべき一領域ではないかと思います。

ところが、自分の給与と会社の売上の関係を考えたこともない、
という給与所得者は、案外多いのではないでしょうか。
どれだけの売上があるおかげで、自分のお給料が賄われているのか、
自分のお給料は売上のどこを支えるために支払われているのかを知ることは
モチベーションにも影響しますよね。


さて、話が横道に逸れるようですが、先月、ユニクロのコットンシャツが、
米国税関から輸入差し止めを受けていたという話題がありました。
ウイグル族への「人権侵害」に関与している団体が製造に関わった疑いがある、
というのが、米国側の理由でしたが、その事実はないとする同社の主張とは平行線。
ユニクロの主張が通らなかったのは、食品の原材料などと違って、
アパレル業界ではトレーサビリティが確立されていないことも一因にあるようです。

ユニクロは、低価格・高品質という価値を提供してきた企業です。
思うことはいろいろありますが、人権問題の話をすることが目的ではありません。

あの話題から、あれこれと考えを巡らせた結果、改めて思ったことは、、、
第1に、すべての価格には理由がある、ということ、
第2に、価格以外の価値を見極める目がないと、
価格でしか、価値を判断できない人生になる、という2点です。

私もユニクロを着ることはありますし、
低価格・高品質は紛れもない価値だと思います。
でも、人生において、必ずしも「安い」だけが価値ではありません。
これは、ビジネスでも同じではないでしょうか。
私たちは、取引先から物品や役務をなるべく安く提供してもらいたいと、
潜在的に思っています。
けれども、その時に、安いには安いなりに理由があることを忘れてしまいがちです。


もう少し掘り下げて考えてみました。
実際のところ、商品やサービスには、様々な値段がついていて、
その価格がそうなった理由もいろいろです。
でも、間違いなく言えることは、それを提供している企業の
事業構造や経営思想と関係しているということ。

たとえば、同じスペックの健康器具を製造しているメーカーが2社あったとします。
材料の調達コストや生産設備の維持費、製造に関わる人件費が同じで、
販売するための経費も得たい利益も同じで、販売規模も同じ。
つまり、いろいろな条件がほぼ同じであるなら、
値段も必然的に同じになるはずです。

しかし、A社は社員への教育費を惜しまず、
待遇も業界の中では上の方にしようという経営をしていて、
デザインや研究開発費にもお金をかけていたとする。
一方、B社は、コストは下げれば下げるほど価格も下がり、
それがお客様の価値になると信じて、
人にもデザインにもお金はかけない、という経営をしていたとしたとします。
当然、2社の販売価格は変わってきますよね。

どちらが、良い悪いではなく、経営思想が事業構造を変え、
それが価格に結びついているわけです。

ところが、ここにやっかいな問題があります。
取引先の経営思想や事業構造がわかった上で
ビジネスをするということは、あまり多くありません。
もっというと、そこに目を向けて、
価格と関係していると考えることなど、ほとんどないのではないでしょうか。


さらに困ったことに、私たちの業界は製造業などと違って、
より一層わかりにくさがあるように思います。

たとえば、当社が提供している制作サービスもコンサルティングサービスも、
いただいている費用の本質は「サービス料金」です。
つまり、大半は役務の提供のための費用、
言い換えればノウハウ、サービスプロセス、時間への対価です。
印刷物などを収める案件では、
納品物(製造物)の「製造料金」だという見方をされるケースもありますが、
印刷物というのは、ファッションでいえば、既製服ではなく、
オートクチュールのようなもので、大量生産品とはまったく考え方が違います。

相見積もりを取ったら、100万円と200万円、料金が倍違う2社があったとします。
「これこれで困っている、どうしたらいいだろう」と尋ねた時に、
100万円の会社は、当たり障りのない回答をし「決まったら連絡ください」と言う。
200万円の会社は、困っている理由を聞き出して、「方法は2通りあるので、
サンプルを作ってみるから、検討してください」と言う。
わかりやすく言うと、そんな違いが価格になっているわけです。


あ、もうおわかりだと思いますが、当社は価格志向ではなく、付加価値志向です。
少なくても価格で競争しようとは思っていません。
制作案件なら1時間7500円、コンサル案件なら1万円から2万円で、
プロセスと工数を想定して見積もるのが通例です。
そこにも理由がありますが、長くなるのでやめておきます。

今どきはコンプライアンスという名のもとに、
相見積もりを取らないわけにはいかないと思いますが、
サービスの見積もりなら相場を調べるために見積もりだけ先に取り
予算を決めてから、サービススペックの提案をもらうのが賢いやり方だと思います。


おや? いかん、いかん。なんだかビジネス慣習への不満を言い始めた(笑

結論! 何が正しいというのはありません。
要は、ニーズとのマッチングだからです。
相談しても素っ気ない対応だったとしても、価格が安い方がいい場合だってあるし、
安いと思って選んだものの、不満足になる場合もある。
私は、ご相談があっても、役務での付加価値が求められていないと感じた場合、
パートナーを紹介した方が良いと判断することもあります。
当社が不要に入ることで、求めていないサービスがついてきて、
価格が高くなってしまうからです。

すべての価格には理由があります。
すべての人が、売る側にも、買う側にもいます。
自分のニーズを明確にして、公私ともに賢い買い物をしたいものですね。

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本当かどうかはわかりませんが、
若い人ほど失敗を恐れる...という話をよく聞きます。
調査結果などにも表れているようですが、
でも、まあ、若い人に限らず、人間なら皆そうでしょうね。
しかも、これだけ不確実な時代では、「予想外のこと」が頻繁に起きます。
高給取りのエリートだと思われていた職種が、突然、リストラ対象となったり、
人気企業に入社したにも関わらず、状況が変わってしまったり。
周りで起きているそんな状況を見ていれば、
そりゃ、なるべくそんな目に会いたくないと思うのは当然ですよね。


人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという願望からすると、
「予想外のこと」というのは、絶対起きてほしくないことなわけです。
だから、どれだけ「予想外のこと」を避けられるかという発想で、
そもそも人は生きている。
そう考えると、「失敗したくない」という発想も、
人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという欲求上にあることなので、
そりゃ、そうだよね...ということになります。

そういう志向が誰にもあるのは事実だとして、
でも、人によって、強さ弱さは違いますよね。
たとえば、毎日に変化を求める人は、予想外のことが起きても、
それは楽しみの一つと受け取る傾向があるのではないでしょうか。
私自身の話をするなら、まさにその傾向があります。
旅先で思わぬハプニングが起きるのは、むしろ楽しいし、
仕事も単調であるより、変化がある方が好きです。
問題が発生したと聞くと、腕まくりして張り切る人もいるそうですよ。


でも、私を含むそんな変化志向の人たちだって、
突き詰めれば失敗や挫折は避けたいという気持ちはあります。
私は経営者なので、経営状況が悪化すると、自分の失敗だと受け止めます。
たとえ、それがリーマンなどの社会状況によるものだったとしても。
「失敗」すると、無能感が半端なく押し寄せてきます。
私にとって、「失敗」とは「無能ゆえに責任を果たせないこと」でした。
(あくまで自分に対して向かう言葉でしたが。。。。)
だけど、今は、そんな考えで「失敗」を捉えると、いかんと思います。
なぜなら、それではチャレンジする気持ちが萎えるし、
失敗した部下をそういう目で見るのも違うと思うからです。

さて、今日、私がシェアしたい気づきの題材は、
スヌーピーやチャーリー・ブラウンが登場するマンガ
「PEANUTS(ピーナッツ)」です。
中学生の頃、初めて出会い、登場人物たちの台詞に、
「子どもなのに鋭くておもしろい...」と思った記憶があります。
でも、それ以降、スヌーピーはただのキャラクターでしかありませんでした。
ところが、先週末、NHK「アナザーストーリー」を観て、
その奥の深さにびっくり!
作者のチャーリー・M・シュルツ氏が描きたかったものに触れたからです。

主人公のチャーリー・ブラウンは何をやっても上手く行きません。
上手く行かないのは彼だけでなく、登場人物全体に言えることです。
たとえば、「PEANUTS」は片思いだらけの話なんですね。


原作者のシュルツさん、なぜ「上手く行かないこと」をテーマに
マンガを描こうと思ったのでしょうか。
ご本人が、小学校を2年も飛び級した結果、同級生からいじめられ、
その体験からチャーリー・ブラウンは生まれたという説もあれば、
「PEANUTS」の連載が決まった直後にプロポーズして失恋した経験が
影響しているという説もあります。


そんなシュルツさん、根っからの負けず嫌いだったそうです。
ゴルフやテニス、アイスホッケーなど、様々なスポーツを愛したそうですが、
負けるとたいそう機嫌が悪かったそう。
負けること、すなわち上手く行かないことが嫌いな人が、
なぜ「上手く行かないこと」をテーマにマンガを描き続けたのでしょう?


生前のアシスタントによれば、シュルツさんは、
「みんなが子どもの頃に体験した失敗やはかなさを伝えたかった」
と語っていたのだとか。
子どもの頃の切なかったり、悔しかったりする感情は残酷だけど、
誰もが味わう感情で、そんな気持ちを伝えたいと思っていたようです。
そういえばチャーリー・ブラウンは、上手く行かなくても、めげませんね。


なんだか、もう一度「PEANUTS」という作品を読みたくなりました。
なぜかというと、「PEANUTS」の登場人物たちは、上手く行かないことと
素直に向き合うから、泣いたり、たじろいだり、打ちひしがれたりしています。
失敗を恐れないことの本質は、もしかしたら、
そういう感情と向き合うことを厭わないということなのかもしれません。
辛い感情も心地よい感情も、両方あるから人生が豊かになるのかも。
もう一度、そんな視点で読んでみたいと思いました。


チャーリー・ブラウン・マインドで週末まで乗り切りましょう笑
読んでいただき、ありがとうございました。

(写真:Roger Higgins, World Telegram staff photographer, Public domain, ウィキメディア・コモンズ)

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誰だって「悩みなんてない方がいい」、「安泰に暮らせる方がいい」、
そう思うのが普通なのではないでしょうか。私もそうです。


あ、今日のメルマガは新しいサービスとセミナーのご案内でもあるのですが、
ずっと考えてきたこととつながっているので、
回りくどいかもしれませんが、ちょっとお付き合いください。


「悩み」。
それは、精神的な苦痛や不安、負担を感じることを指すわけですから、
ない方がいいと思うのは、当然です。
悩みを解決する場合、大抵は現実を直視したり、
現状を踏まえて何かを変えなくてはならなかったりします。
なので、人間がいやだと感じるのは、悩み自体もあるでしょうけれど、
むしろ、それを直視して、何かを変えることの方なのかもしれません。


でも、人生、何事も意味づけによって、見え方が変わります。
悩みに良い面がないかというと、実はそうでもありません。
少なくても自分の人生を振り返ってみると、そう思います。


特にバブル崩壊やリーマンショックなど、激震と言えるような変化が起きると、
経営者としては安穏としてはいられませんでしたが、
今では「過去のあの出来事があって良かった、
当時は本当にキツかったけど...」と思えるようになっています。


どんなことが良かったかというと、
悩みの大きさとInput量は正比例の関係にあり、
悩む都度、答えを探してメチャメチャInputしたこと。
その結果、知識が増えて、それをサービスづくりにも生かすことができました。


こんなこともありました。
40代の初めの頃、社員から「うちの会社のミッションがわからない。
存在理由は何ですか?」と聞かれました。
自分は真面目に答えているつもりでも、どうやら答えになっていないらしい。
その時もたくさん本を読んだ記憶があります。


もし悩みがなかったら、多分、勉強しなかっただろうと思います。
まあ、いずれも苦し紛れですけど(笑、ストレッチだと思えば希望も湧いてきます。
だから、悩みには良い面があると思うわけです。


そんなふうに自社の悩みと向き合うことを繰り返すうちに、
うちの会社は、モヤモヤ嫌いの人が多く集まっていることにも気づきました。
モヤモヤをスルーせずに、大切に扱い、モヤモヤを解決することで、
晴れ晴れした状態にすることに意義を見出す人が多い。
人が分かり合うには、共有すべき考え方を整理し、クリアにする必要がありますが、
自分たちがモヤモヤと向き合ううちに、社会のモヤモヤ解決のお手伝をしたい、
コンセプトオーガナイザーという存在でありたい、と考えるようになりました。
今回のサービスが生まれたのも、そんな思いからです。


さて、、、、
新しいサービス名は、「トレジャーハント・プロジェクト」。宝探しです!


どんなものかというと、バリュー経営を支援するためのサービスです。
一般に、バリューという言葉は、「価値観」という意味で使われる場合と、
「提供価値」という意味で使われる場合がありますが、
ここでは「価値観」の意味で使っています。


価値観が曖昧ということは、行動基準が曖昧な状態のため、
行動がバラけて、組織はまとまりにくくなります。
つまり、自社の価値観を言語化して、社内で共有することによって、
組織の気持ちをひとつにするためのサービスです。


では、なぜ「価値観」が「宝物」(トレジャー)なのでしょうか?


どんな企業にも、大切にしたい価値観、《絶対譲れない価値観》があります。
たとえば、リスクとチャレンジへの価値観。
「石橋を叩いて渡れ」という企業は、リスク感覚が甘いと非難されることでしょう。
反対に、「やらないのは失敗と同じ」という企業では行動しないことがNGのはず。
しかも、リスクとチャレンジに対し特別なこだわりがなく、
ほかのことを重んじる企業もあります。


どれが正しいわけでもありません。ただ、価値観は企業文化の根幹にあり、
行動の源泉になっていることだけは間違いありません。
それは、個人も同じです。人は自分の価値観に従って行動します。
だから、組織と個人の価値観がどうしようもなく異なっていると、
幸せな結果にはなりません。


組織の価値観が明確になり、共感できていると、パワフルな状態になりますが、
往々にして価値観は暗黙知です。
言語化している企業もありますが、解釈自体は暗黙知の場合が少なくありません。


つまり、その企業の《絶対譲れない価値観》は、宝物として社内に眠っている、
それを明らかにして言語化しよう! そんな意図からこのサービス名になりました。


組織がまとまらなくて悩んでいる企業経営者の方へ、
このメッセージが届きますように。
こちらのURLで「バリューセミナー」のご案内をしています。
http://www.grassroots.co.jp/LP/internal-power/


少人数で開催しますので、ご興味がありましたら、お早めに。
では、今週も素敵な1週間をお過ごしください。

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偶然に「【無理しない生き方】を強要するな」というタイトルの
Youtubeを見ました。
高学歴お笑いコンビとして知られる「ロザン」のお二人の動画です。
https://youtu.be/TMS19z1rJxo
とてもおもしろく、ちょっと触発されたので、
今日は「無理」とのつき合い方について考えたいと思います。


無理をしない生き方、流行っているんですかね?
流行っているかどうかはともかく、
無理をしながら生きている人が一定割合いるのか、
アマゾンで検索したら
「そんなに無理しなくてもいいんじゃないの?」というメッセージの本が
複数ヒットしました。


無理しないことと、自然体でいることは、
本質的には別のことだと思います。
無理しない生き方という文脈で「無理」という言葉が使われる時、
自分の気持ちに逆らうことを無理することと捉えているようですね。


ちなみに、「無理」という言葉には、最近は別の意味もあって、
「ありえない、ムリ!」「マジでムリ!」など、
「No、受け入れられない」の意味でもしばしば「ムリ」という言葉が使われます。
この場合、本来の「無理」という意味とは、ちょっと違うニュアンスです。
「受け入れるのは難しいです、ごめんなさい」
そんな意味でしょうか。
この「ムリ」は、拒絶の意思を伝えたい時に便利な言葉となっているようですね。

で、元々の「無理」は、「道理・理屈・理由」などが「無い」から来ています。
辞書的な表現を咀嚼して言うと、元々は3つの意味があるようです。
(1)道理に合わないこと(無理なことを言われた)
(2)実現するのがむずかしいこと(合格は無理かもしれない)
(3)限界を超えてしようとすること(無理するな)


私自身は(2)(3)の意味での「無理」と言う言葉に対し、
ちょっとした思いがあります。


(2)無理しないと、成長しない
(3)無理すると、 長続きしない


こう聞くと、「え? 無理した方がいいの? しない方がいいの?」と
思いますよね?
まさに、「無理」を巡っては、トレードオフの関係にもなりかねないので、
つき合い方が難しいなあと感じます。
だからこそ、今回、このテーマをとりあげようと思った次第です。


私の個人的意見としては、
長続きが大切なことで、無理はしない方がいいと思います。
でも、ステージを上げるには自分のエッジを超える必要がありますよね。
成長と「無理」にはどんな関係があるのでしょうか。


ロザンさんの動画では、こんな話が展開されていました。
資本主義は社会の成長を前提としている。
社会が2%成長しているなら、個人の2%成長は現状維持にしかならない。
個人が「2%以上」成長して初めて、社会の成長に貢献できることになる。
無理しない生き方はいいけれど、みんながそれをやり出したらどうなるのか。
だから、自分は無理したくない、自分は成長しなくていいと言うなら、
他の人にお礼を言わなくてはあかん。


私は、社会のために自分が成長すべきというより、
成長する方が楽しいから成長した方がいいと思います。
私自身もそうだし、うちの社員に対しても思うことです。


さて、人の成長を考えるとき、負荷や障害は必要とはよく言われることです。
それは本当なのでしょうか? 
昭和的すぎるでしょうか?
どう思いますか?


私は自分の体験からも、成長に負荷は必要だと感じていますが、
根拠を聞かれると、筋トレと同じだと思っている...ぐらいしか、理由が言えません。


筋力トレーニングで言われる原理の一つに「過負荷の原理」というものがあります。
日常生活以上の負荷を身体に与えなければ、筋力は上がりませんが、
一定レベルの負荷のトレーニングを継続するうちに、
身体がその負荷に慣れてしまうと、今度は効果が出なくなります。
効果を高めるには、負荷を増やしていく必要があるわけですよね。


けれど、筋トレでどの程度の負荷をかけるべきかは、目的にもよるようです。
目的が、筋力向上なのか、筋肥大なのか、筋持久力向上なのかによって
与えるべき負荷の大きさや回数の設定は変えるのが一般的です。


しかし、筋トレとキャリア形成や人間的成長が決定的に違うのは、
何キログラムの負荷というような形で設定できないことと、
その負荷に耐えられるかどうかが即座にわからないこと、です。
その負荷をどう感じるかは、本人の意識によっても変わります。
目的が明確なら、その負荷を受け止められるかもしれませんが、
目的意識がなければ、なぜ自分はこんな無理をしなくてはならないのか、
疑問に思ってしまうかもしれませんし、
その結果、心が病んでしまうかもしれません。
また、最初からこれは自分には無理だと決めてかかってしまっては、
自分を伸ばすことはできないでしょう。
「無理」をネガティブなものと決めつけず、
客観視しながらつき合って行きたいものです。


あなた自身は「無理」とどうつき合っていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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「諦める」という言葉、深いですよね。
「諦める」にも「諦めない」にも美学が感じられます。
人によっては、「諦める」という言葉には否定的な印象を抱くかもしれませんが、
受け入れて、執着せずに手放すと考えたら、「諦める」には潔い美しさがあります。


だけど、今日、考えたいテーマは「諦めない」の方です。
きっかけは池江璃花子さんの今回の日本選手権での活躍でした。
白血病という病と闘い、打ちひしがれる自分の心と闘い、
そして、どちらにも勝って、池江さんは東京オリンピックの代表の座を勝ち取りました。


病気になる前の池江さんは「才能」の人に見えましたが、
今は「努力」の人に見えます。
土曜日に放映されたNHKスペシャルによると、
実際、池江さんは、かつては結果がすべてだと思っていたそうです。
でも、復帰後は人生観が変わり、努力するプロセスが大切だと思うようになったそう。
池江さんは、「諦めない力」を身につけて帰ってきました。


そして、最初の勝利でこう言いました。
「努力は必ず報われるんだと思った」
これを聞いて、「必ず」なんて「そんなわけないだろ」と思うのはやめましょう。
彼女のすごさは、自分は「必ず」この困難を乗り越えられると信じたことにあるからです。


実際のところ、努力が「必ず」報われるということはありません。
自分の力ではどうにもならない社会情勢や、家庭環境や、
能力的適性や、運...のようなことがあって、
努力してもどうにもならないことが人生では多々あります。
でも、「どうにもならなかった」という言葉を使っていいのは、
努力した人だけですよね。


さて、本題。「諦めない力」について。。。。


「諦めない力」については、米国ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターの
アンジェラ・ ダックワース教授の研究が有名です。
彼女の書籍「GRIT~やり抜く力」(ダイヤモンド社)はすでに30万部を突破しています。
ダックワース教授は、粘り強く努力して物事を最後までやり抜く力の本質を
次の4要素だとし、その頭文字を取って「GRIT(グリット)」と名付けました。


Guts(ガッツ):【勇気】困難なことに立ち向かう力
Resilience(レジリエンス):【回復力】失敗しても立ち直る力
Initiative(イニシアチブ ):【主体性】自ら目標を見つける力
Tenacity(テナシティ):【粘り強さ】粘り強くやり遂げる力


やり抜く力「GRIT」は、生まれ持った才能や知能とは、まったく関係ないそうです。
たとえば、米国陸軍士官学校やグリーンベレーでは、
当初は有望とされていた多くの人が途中で脱落していきます。
最終的に過酷な選抜試験をやり遂げて優秀な成績を残すのは、
上の4要素を持つ人たちであることを、ダックワース教授は明らかにしています。
才能や知能があっても、努力が足りなければ、十分な結果は得られない、
しかも、GRITはトレーニングで開発可能。
それがダックワース教授の結論であり、この理論の魅力です。


やり抜く力は、次の1から4の要素を1から4の順番で伸ばすことで、
身についていくそうです。


1. 興味:興味があることに打ち込む(情熱を持って没頭するには興味が必須)
2. 練習:弱点を認識し克服するために、目標を設定して練習に励む
3. 目的:自分の仕事は社会にとって重要だと確信する
4. 希望:困難が生じても悲観に打ちひしがれず、希望を持ち続ける


なるほど。どれも重要であること、同意です。
インナーブランディング的な視点で見たなら、
3番が最も重要ですが、いきなりそこには行かれないということを
ダックワース教授の理論は物語っています。


さて、、、、
それはそれとして、「諦めない力」を巡って、私はこうも考えます。
まず、自分の人生の大部分は自分でコントロールできると考えるのか、
ほとんどのことはコントロールできないと考えるのか、です。
どう思います?


人生には、自分にとって、ウェルカムなことと、
その反対にイヤだと思うことが常に起きますが、
誰しもイヤなことがコントロールできないとなったら最悪です。
でも、もし自分でコントロール可能なことは多々あると思えていて、
だからこそ、そこに意識を向けようと思うことができたなら、
幸せな人生を送れますよね。
私はコントロール可能なことはたくさんあると思っていますが、
人生はコントロールできないと思っている人、実は少なくないような気がします。


そして、もう一つ、「諦めない力」に関連して、こうも思います。
幸せの基準をどこに置くか、です。


目標を達成することが幸福なのか、
目標を達成しようと前向きに生きることが幸福なのか。
あなたは、どう思いますか?
私は後者です。
なぜかと言えば、前者は「結果」の中に幸福を求めているので、
結果が出るまで幸福にはなりません。
後者は「希望」の中に生きていて、
その「希望」に触れているだけで、幸福感を味わえます。
池江選手の「泳げただけで、ここにいられるだけで幸せ」という発言にはそれが表れていました。
でも、現実社会では、結果で幸福を判別しようとしている人が多いような気がします。


こういうことは価値観だから、正しい/間違っているはありません。
ただ、その価値観を意思を持って選択しているかどうかが重要ですよね。
池江選手の生きる姿は、こんなふうに私たちにいい刺激を与えてくれました。
ぜひ、ぜひ、ぜひ、池江選手を応援しようじゃありませんか!!

今週も素敵な1週間でありますように!

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桜がきれいですね~ 今週は4月に突入。
新入社員を迎える組織も多いのではないでしょうか。
直近のデータではありませんが、
経団連調査(2018年11月発表)によると、
企業が新卒社員の選考で重視する要素のランキングは
「コミュニケーション能力」が8割で第1位。
2位が「主体性」、3位が「チャレンジ精神」、4位が「協調性」と続きます。
この傾向自体には特に違和感を覚えませんが、
大切なことは、それぞれの言葉をどう定義づけているかですよね。
各社間でも、企業と求職者の間でも幅がありそうな感じがするのが、
「コミュニケーション能力」と「協調性」という言葉です。
そこで、今日はそのうちの「協調性」というものについて考えてみたいと思います。


私が、生まれて初めて「協調性」なる言葉と出会ったのは、
小学校1年生の時でした。
通信簿の通信欄に「協調性があって大変良い」というようなコメントが書かれてあり、
文字は読めないし、これはどういう意味なのか、母に尋ねました。
その時、母がどう答えたのか、うる覚えではありますが、
「お友だちと仲良くやって行けている、ということよ」というように
説明されて納得したような記憶があります。


この機会に改めて「協調性」を辞書で調べてみました。
デジタル大辞泉(小学館)によると、
「協調」とは、「(スル)互いに協力し合うこと。
特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。」だそう。
そのような性質を持っている人が、協調性のある人と理解して良さそうです。


ふむふむ。母の説明とはちょっと違いますね。
私自身、調べてみて、そういうニュアンスなんだと知ったのですが、
もしかしたら、割と多くの人が「協調性」の意味を、
私の母の説明のように「人と和する」「人に同調する」「人と足並みを揃える」
と捉えているかもしれません。


では、企業が求める「協調性」のある人材というのは、どんな人材なのでしょう?
特に、これといった確証は見つかりませんでしたが、
デジタル大辞泉の意味に近いのではないでしょうか?
利害や立場が違っても、議論して、収束点を見つけ出し、
最終的には協力し合っていける人材。
つまり、馴れ合いの和ではなく、
切磋琢磨による和をもたらす人材と言えるかもしれません。


仮定に仮定を重ねるのもなんですが(笑
だとしたら、採用面接時や入社後などに、
人と調和して和を乱さないことをアピールをしても、
ダメだということですよね。


さて、「協調性」が重んじられながら、その意味に誤解もあるとしたら、
心配なのは、社会の中で次のような連鎖が起きてしまっているのではないか、
ということです。


「協調性があるのはいいこと」
 ↓
「和を大切にして、波風立てないことがいいこと」
 ↓
「空気を読んで、意見を言う/言わないを判断することがいいこと」
 ↓
「軽々に意見を言うと空気を読まない人と評価されるかもしれないので、
 意見を言って損しないようにすることがいいこと」


これはあくまで仮説ですが、あなたはどう思いますか?


実際、発言することに抵抗がある人はどのくらいいるのでしょうか?
2019年、ニュースサイト「しらべぇ」が
相手を選ばず意見をはっきり言える人の割合を調査しています。
それによると、全体の31.2%が
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」と回答したそうです。
逆に言うと、7割近い人は、はっきり言わないということですね。
意見は意思表示のひとつだと考えると、
グローバル化が進んでいく中で、意見を言わない人が多い状況は少々心配です。


世代別男女別で見た場合、まず男性は?
「はっきりと言う」割合が高いのは10代で、42.0%。
反対に低いのは、20代で、26.9%です。
10代と20代の間の、このギャップの意味を知りたいものです。
女性で「はっきりと言う」割合が高いのは60代で、40.3%。
低いのは30代で、19.9%です。
30代の女性たちはアッチにもコッチにも気を使っているのでしょうか?


職場で「意見」「発言」を世代や立場に関係なく、
言って良い/悪いは、まさに暗黙知。
企業の価値観と、それによって生まれているカルチャーによりますね。
協調性について、あるいは、
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」ことについて、
あなたはどう思いますか?

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井上ひさしさんの有名な言葉に、こんな言葉があります。

ーーーーー
「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
ーーーーー


90歳で亡くなった作家の半藤一利さんの遺稿に引用されていたことから、
私はこの言葉の存在を知りました。
難しいことをやさしく書く。
やさしいことを深く書く。
調べてみても、井上さんの言葉には動詞がないようですが、
半藤さんは「書く」と解釈したようです。


どの1行も重みがあって、考えさせられますが、
特に書き出しの1行目に惹きつけられます。


やさしく書くとはどういうことなのでしょう?


「易しい」「優しい」の辞書的な意味から考えると...
「易しい」=理解や習得がしやすい。単純でわかりやすい。平易である。
「優しい」=他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
文章の話だと思うと、「易しい」の意味の方だと思ってしまいますが、
読み手に対して思いやりのある文章という意味も含んでいるのかもしれません。


ここからは、私の主観になりますが、
第一に、やさしく書くということは、単に難しい言葉を使わないとか、
噛み砕いて書くということ以外に、
「核心を言い切って書く」ということがあるように思います。
私自身もよく陥るのですが、わかりやすく書こうとして、
たくさんのことを書いてしまい、
「これじゃ、何が言いたいんだかわからないな...」と思うこともしばしば。
ダラダラと書いているということは、
結局考えがまとまっていないことの表れなんですよねー


第二に大切なことは、やっぱり「優しい」の字の方ですね。
書くということは、自分の頭の中のことを赤の他人に知ってもらうということです。
そんなものは、相手にとっては「異物」でしかないわけだから、
「異物」に接している相手の気持ちや出てくる疑問をどれだけ想像できたかで、
文章の優しさのレベルが変わるんだろうと思います。


さて、「難しいことはやさしく」「井上ひさし」で検索していたら、
立教大学 経営学部の教授・中原淳先生のブログにたどり着きました。
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/12409
「NHK 100分 de 名著〜ブルデュー『ディスタンクシオン』 」を紹介する内容で、
以下、その本からの引用のようです。

ーーーーー
フランスの学術界で認められるためには、わざと「わからないように書くこと」が重要だ。

(フランスの哲学者の)ミシェル・フーコーは、
自分の文章の「10%」は「わからないように書いている」と述懐している。

一方、(フランスの社会学者の)ピエール・ブルデューは、
「10%」では不足であり、「20%」はわからないように書く
ーーーーー

ほー。わざと人にわからないように難解に書くことに価値があるとは、
理解に苦しみますね(笑)


でも、ふとこんなことを思い出しました。
たまに専門用語を躊躇なく使いながら話す人を見かけますが、
それと同じなのかもしれません。
でも、それこそ「優しさ」を感じませんね。
私自身も無意識にカタカナを使っていることがあるので、
偉そうなことは言えませんが、
ん? 知識をひけらかしたいのかな?と思ってしまうと、
ちょっと辟易するし、そういう人に限って、
この人、自分の話していることを自分で理解しているのかな?
と思うこともあります。
知識ベースでマウンティングしているだけというか、
ただのポジショントークだったりして。。。


本当に素敵な人は、重要なことをシンプルに、
わかりやすく話したり、書いたりしてくれる人ですよね。


そして、本当に重要なことは意外にシンプルなのだと思います。
でも、そのシンプルな本質をつかむのには深く考えて悩まなくてはたどり着けない。
だからこそ、シンプルな言葉には価値があるのかもしれませんね。
あら、またダラダラと書いちゃった...失礼!


花粉が気になる季節ですが、、、素敵な1週間でありますように!

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の
森喜朗前会長の女性蔑視発言に端を発した
後任会長問題は、橋本聖子前五輪相が就任し決着しました。
橋本さんの人柄や実績についてはよく知りませんが、
当初は過去のスキャンダルなどを理由に固辞していたそうです。
にもかかわらず、火中の栗を拾うようなこの状況で、
よく逃げずに引き受けられたと思います。がんばってほしいですね。


さて、今日の本題は「偏見」についてです。


森さんの発言は「失言」と報じられていました。
あの失言の本質は、言葉の表現の問題ではなく、
心の「本音」が出てしまったということだと思います。
だから、本来はあの発言がなければ良しということではなく、
そういう価値観の人物が組織委員会の長にいること自体が、
世界から問題視されたわけですよね。


今回の森さんの、女性は話が長いという発言内容には、
根っこに「偏見」がありました。
女性に対するネガティブで偏った先入観です。
でも、考えてみると、女性への偏見は未だに社会全体にありますよね。


別に森さんの肩を持つつもりはありませんし、
女性は被害者、男性が加害者と言うつもりもありません。
でも、現に日本のジェンダー・ギャップ指数は153カ国中、121位です。
これは、世界経済フォーラムが毎年発表している
経済・教育・保健・政治分野の男女平等度を表す指数のこと。
あまりの低さにびっくりしてしまいますよね。


話を元に戻すと、ある対象に対して、
ネガティブで偏った思い込みを持つというのは、
人間の特性だとも言えます。
思い込みが怖いのは、思い込んでいるがゆえに、
信じて疑わず、気づけなくなることです。


今回、新会長に就任した橋本聖子さんは、
「参院議員に初当選したとき、
『経済がわからないオリンピック選手がなぜ政治家になるのか』と揶揄された」
とご自身のサイトで書いています。
当選は1995年のことですから、最早26年前ですね。


では、今回の会長就任に対する社会の目はどうなのでしょう?
正直に告白しますよ。
私自身、橋本さんのことをあまり良く知らないのに、
橋本さんで務まるんだろうかと一瞬ですが思ってしまいました。
理由は、やっぱり元オリンピック選手の橋本聖子さんの印象の方が強烈で、
政治手腕やリーダーシップに長けているという印象が薄かったからです。
しかし、だからと言って、26年も政治家として活動して来た橋本さんに対し、
「橋本さんで務まるんだろうか?」と考えるのは失礼だし、やっぱり偏見です。


なぜ、こういうネガティブな先入観が出てくるのでしょうか。
理由を思いつくままに出してみました。
・知らないものに対して、人はそれだけで不安を感じてしまうから。
・アスリートと政治家、それぞれに求められる資質に共通点が見つからず、
 そう簡単に天は二物を与えないと思うから。
・客観的な判断材料がない時は、イメージの影響を受けやすいから。
・これまでに知っている限られた情報だけで、イメージを作り上げているから。
まあ、そんなところでしょうか。


こうして見ると、ほぼ全てにおいて誤解を招き寄せていますよね。
小さなことのようですが、
結局はその思い込みが差別意識とどこかでつながって行くのだと思います。
けれど、実際にはアメリカでは、俳優が大統領にも州知事にもなっています。
日本でも俳優だった森田健作さんは千葉県知事ですし、
東国原英夫さんも政治家でした。
アスリートだったから務まらないと思ってしまうのは、
まさに思い込み以外の何物でもありません。
芸能人によるSNSでの政治的社会的発言をバッシングする風潮にも、
同じような偏見を感じます。


私たちはどうしたら、思い込みを減らせるのでしょうか?
名案は浮かびませんが、
「思い込んでいない?」と自問する習慣をつけるしかありませんね。


コロナによって厳しい状況が続いているオリンピック/パラリンピック。
差別や偏見を乗り越えて来た歴史でもあるし、
ここまで大勢の人たちが努力してきたわけだから、
まさかの奇跡や素晴らしいアイデアによって、開催できるといいなぁと思います。
加えて、私は自分が女性なので、これを機にジェンダーギャップの大幅改善が進み、
国際社会での日本のイメージが変わるといいとも思います。
もしかしたら「オリンピックは無理」というのも、思い込みなのかな?


来週はもう3月です。春の足音が聞こえてきますね。
素敵な1週間をお過ごしください。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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