ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

会議画像.png

例えば、「~について取り上げよう」から始まるコンテンツの企画会議。
あるいは、会議のアジェンダに書かれた「~について」の項目。
日常業務のいろいろなところで、
「~について」という言葉を使って会話がされています。
会議もコンテンツの一種であると考えた場合、
コンテンツの質はコンテンツを作る人のイニシアチブにかかってきます。

多くの物事で「~について」という発想が起点になっている気がしますが、
本当にそれでいいのかな?とも思います。
というのは、1つの仮説として、この「ついて型」アプローチが、
アウトプットの質や生産性、効率性に関わっているのではないかと思うからです。

そこで、今日は、私が「ついて型」と呼んでいるアプローチについて紹介しつつ、
その「ついて型」にはどんな問題があるのか、
問題があるなら、どうしたらいいのか、考えてみたいと思います。

実際、「~について取り上げよう」という発想でコンテンツを企画しても、
コンテンツは作れますし、会議のアジェンダに「~について」と書かれていても、
それなりに会議は成立してしまうものです。
それらのコンテンツでは何かしら言葉的なものが成果物になるので
「はい、これが本日のアウトプットです」とまとめることはできます。
でも、そうやってなんとなく生まれてきたものを人が読みたいと思うでしょうか?
会議の成果に対し、参加者の納得感はあるでしょうか?


もう一度、たとえば「企画会議」。
当社が提供している企画力養成講座では、
ついて型でもコンテンツは作れるが、ついて型の企画だとこういう流れになる、
とお伝えしています。
ーーーーーーーーー
~について取り上げよう

だとしたら、誰に出てもらおうかな?

どんなことを聞こうかな?

聞いた話をうまく原稿にまとめなきゃ...
ーーーーーーーーー

確かに、この流れでもコンテンツらしきものは完成しますよね。
ですが、このアプローチはただ「聞いた話をまとめる」というものにすぎません。
「~について取り上げよう」から始まる企画プロセスでは、
大抵の場合、何をメッセージとするのか、とか、
読み終わった時に、どう感じてもらったら成功なのかなどを設計せずに進みます。


なので「~について取り上げよう」から始まるアプローチがダメとは思いませんが、
「伝えたいこと→伝わること」に執着するなら、
気をつけないといけないなと思います。


会議のあり方もそうです。
日常的に行われる会議こそ、質や生産性、効率性という意味で重要なはずです。
でも、もしその会議のリーダーがアジェンダを考えるときに、
「1.○○について 2.○○について」というような感じで出していたとします。

そうしたら、その場では何をどういう観点から話すことが求められているのか、
誰にもわかりませんよね。
もちろん、アジェンダと会議設計は別物ですから、
場のリーダーの頭の中に会議設計があるなら、
アジェンダ自体は「1.○○について 2.○○について」で済む場合もあります。


でも、私が一番おすすめしたいことは何かというと、
疑問文でアジェンダを組み立てることです。
(これは企画を立てる時もほぼ同じです)


ところが、多くの会議では問いを立てずに行われているのではないでしょうか
つまり、何を議論する必要があるのか、
場の作り手が「問い」を明確に示さないケースがあるように思います。


ですが、慣れていないと、この疑問文を出すのは簡単ではありません。
え? ほんと?と思うかもしれませんが、
考える必要のあることを漏れなく「問い」の形で出せる人は
実はそれほど多くないと思います。
私自身も「問いを立てる」を意識していますが、「漏れなく」出せているかは
はなはだ心許ないです。
なので、「疑問文として書いてみる」は自分トレーニング的におすすめです。


さて、今年もあっというまに6月。
終われば2024年も半分過ぎてしまいます。トホホ...
と、一瞬背中が丸まってしまいましたが、背筋を伸ばして頑張りましょう。
その前に、今週を乗り切らないとですね!

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昨日、届いたコンサル向けメルマガで「謙虚という罠」という
タイトルを目にしました。
謙虚さというのは、心の中の問題ではなく、
態度の問題だというのがその内容でしたが、
内容よりもタイトルにインスパイアされて、今日のこのメルマガを書いています。

私も含め、多くの人は「謙虚」は美徳だと思っています。
今の自分に奢ることなく、控えめでいる、素直に学ぼうとする、
偉そうに振る舞わない...。
美徳であり、善であることに間違いありません。

でも、「謙虚という罠」という文字を読んで、
どんな罠があるのか考えてみました。

謙虚は善だという価値観を持っていると、
聞かれてもいないのに、自分の考えを述べるのはでしゃばりに思える、
誉められても、「いえいえ、滅相もない」と応えたくなる、
自分が悪いわけではなくても、謝ってしまう...。
こんなことが起きたなら、それは確かに「謙虚という罠だな」と思いました。

そして、そう考えてみると、一般に美徳であったり、善とされる概念は、
捉われすぎて歪んでくると、善ではなくなりますね。たとえば...

「協調性」が度を越すと → 主体性がなくなる
「真面目」が度を越すと → 融通がきかなくなる
「責任感」が度を越すと → ルール偏重になる 等

ちなみに、今年9月に映画化される辻村深月による恋愛小説『傲慢と善良』。
私自身は読んでいませんが、代官山蔦屋書店コンシェルジュである
間室道子さんはブログで「傲慢と善良は表裏一体」だとして、
主人公の真美について次のように書いています。

ーーー
なぜなら、どちらも根底にあるのは「未熟」と「無知」だからだ。
たとえば厳格な母親にひたすら「いい子」に育てられた真実は
新卒採用の面接で「この会社は第一志望ではありません」と答えた。
嘘がつけない彼女は善良。
しかしこんなことを言われた相手はどう思うかまったく想像しないのは傲慢。
就職試験でこうなのだから、真実のさまざまはうまくいかない。
ーーー



善 VS 悪
もちろん善であるべきなのはその通りなのですが、
人は自分が絶対視していることに対し、疑問を抱かなくなるところが罠です。


「協調性」が「善」という考え方も、日本人のかなり多くが持っていますよね。
その結果、会議では(たとえ疑問があっても)大勢のムードに同調しようとします。
これが、災害時などに作用して、判断を間違えると、
大変なことになったりする場合もありますから、気をつけたいものです。


人が善だと思っていることは、その人にとっては「その人らしさ」でもあります。
自分らしいことを選んでいる方が、誰にとっても心地よい。
けれど、自分が絶対視していることに縛られすぎないようにするためには、
もしかしたら「自分らしくない」と思い込んでいることの方へ、
気持ちをストレッチしてみるのもいいかもしれません。

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私事で恐縮ですが、ここ最近、ゴルフレッスンや筋力トレーニングを受けながらも、

なかなかコツが習得できません。いえ、別に運動が苦手ではないつもりです。
進捗感や成長実感は仕事でも大切ですよね。
今回、真剣に考えてみたら、原因らしきものが浮かんできました。

そこで、今日のテーマはコツを身につけるコツはあるのか?です。


●コツというのは「やり方」か?
今さらですが、コツ(骨)の辞書的意味は「 物事をうまく処理する要領」のこと。
骨は、体の中心で体を支えていることから、物事の本質を見抜き、
技能として体得することを「コツをつかむ」と言うようになったようです。

さて、コツと聞いて、ぱっと浮かんでくるのは「やり方」ではないでしょうか?
似た言葉に「ノウハウ」がありますが、その違いは何でしょう?

私独自の整理だと、コツは体得を前提にした暗黙知ですが、
ノウハウは、やり方に関する暗黙知を体系的に整理した形式知。
なので、ノウハウを知っているからといって、うまくできるとは限りません。

共通認識に立つために、ここでの暗黙知とは?を書いておきます。
暗黙知:言葉で説明するのが難しい経験的な知識(考え方や理論など)のことで、
経験知と身体知の両方を含む概念。

ということは、コツを掴むには、
①知識(考え方や理論など)を知っていること
②経験・体験が不可欠で、体で覚え、感じること
③上の2項目の間を行き来しながら、考え方通りの技能を身につけること
...が、重要だということになります。

考えてみれば、当然ですよね。
でも「先生についてやり方を教えてもらえばコツは身に付くもの」
といった感覚で取り組んできた今の私は、考え方を言葉にできません。


●実践の「量」か「質」か?
経験知・身体知を高めるために、運動ではトレーニングを反復したり、
仕事では業務経験を重ねることが重要になるわけですが、
では、その経験の「量」と「質」なら、どちらがより重要なのでしょうか?

両論あるようですが、ここではまず
「質が変化するまで量をこなすことが重要」という考え方を紹介します。
こんな書籍があります。
『アーティストのためのハンドブック~制作につきまとう不安との付き合い方』
(デイヴィッド・ベイルズ、テッド・オーランド著)

その中で陶芸の授業における実験的なエピソードが語られています
教室の左半分の学生は作品の「量」によって、教室の右半分の学生には作品の「質」によって、それぞれ成績がつけられることが言い渡されました。
量のグループは、制作した作品の総重量で評価され、
質のグループは、自分で最高だと思う作品を一つ提出し、それを評価されます。
最後に全体を「質」で比較すると、「質」が高いと評価された作品は、
どれも「量」によって評価されるグループによるものでした。

なぜ、こうした結果になったのでしょう?
量のグループは、試行錯誤を重ねながら作品を作ったことで、
粘土の扱いもうまくなっていきましたが、
質のグループの方は、完璧な作品を作ろうとするあまり、手を動かすよりも、
考えることに時間をかけすぎてしまったからのようです。
経験知と身体知は、実践しないことには身につかないわけですね。


●実践における「質」で大切なことは?
コツを掴むには実践の「量」が大切だとはいえ、実践の「質」ももちろん大切です。
ジョンズ・ホプキンズ大学の研究に関する記事(Jeff Haden/「Inc.」)によると、
同じことを反復練習するよりも、練習内容に小さな変更を加えながら、
トレーニングを繰り返す方が習得が早いと分かったそうです。

例えば、新しいプレゼンテーションをマスターしたいなら、
最初の数回は全体を同じ方法で練習し、次は速度を上げたり下げたり、
あるセクションに集中したり、プロジェクターを変えたり...という具合です。
そして、結果を評価し、機能しないものを破棄し、
機能するものに改良を加えるということを繰り返します。
注意点は、条件を変えすぎてはいけないということ。

この方法で習得が早くなる原因の詳細は書かれていませんでしたが
既存記憶が蘇りやすい上、新しい小さな体験から記憶に修正をかけやすいため、
2つの記憶が再統合され、定着しやすいということのようです。
つまり、反復練習では練習方法の「質」(工夫)が重要だということですね。


●オノがトレーニングでコツが掴めなかったワケ
私がコツを習得できなかった原因は、こんなことだと思います。
・(コツ=やり方という思い込みから)そもそも考え方を学ぼうとしていなかった
・(結果から検証していただけで)考え方からやり方を検証していなかった
・圧倒的に量が足りない
・教われば何とかなるという他力本願(笑 ←多分1番の原因はこれ!


新しいことが始まる機会の多い4月です。
コツを身につける際の参考になれば幸いです。
よい週末をお過ごしください!

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今日は「お久しぶり!」という関係についての話です。
というのも、ここ最近、そのような出来事が多かったからです。

ですが、人との関係や間合いの作り方について、
私の考え方は少数派すぎてあまり参考にならないかも...と思いつつ書きます。
たとえば、ある人と初めて会ってからもう何年も経っていて、
しかもご無沙汰している場合、多くの人はそれだけでコンタクトしませんよね。
私はあまり気にせずにコンタクトする方なのですが、
ある時ようやく、それは多くの人はしない行為なのだと気づきました。

そう気づいたのは、ある人からこんなことを言われたからです。
具体的には30年ぐらい前、相手は某大新聞の文化部にいた記者のFさん。
意気投合したので1度飲みに行き。。。で、その後しばらくはそれっきり。
何年かしたある時、ふとFさんはどうしているかなと思ってご連絡し、また飲みに行きました。
楽しく飲んだその日、Fさんがこう言いました。
「あなたは変わってるね。普通はこれだけ時間があいたら連絡してこないよ」と。
そう言われて初めて、自分が「時間経過」に対して無頓着であると気づきました。


この経験から私は「人を久しぶりに誘うと相手は困惑する」という当たり前のことを
遅ればせながら学んだ次第です。
ここでいう「困惑」とは「意外なことに出会った驚き」のこと。
本来の「困って、どうしてよいかわからないこと」ではありません。
「困惑」の「困」の反応は、ある程度関係が築けているせいか、ほぼ起きません。
ましてSNSの時代ではなおさらだと思います。


さて、最近の私の「お久しぶり!」の例を挙げると...

3月1日付の本メルマガ「出張シェフの一言に脱帽!」という記事で、
「私以外の3人は全員お互いが『はじめまして』の関係だった」と書きましたが、
あの時のメンバーの1人Yさんも実は10年以上前に当社にいた元社員の方で、ご無沙汰歴も8~9年? 

一方、今月は別の元社員の方からも「お久しぶりです」とコンタクトがありました。
自分から連絡した場合も、された場合も、「お久しぶり」はうれしいものです。
会いたいから会う、どうしているだろうと思うからコンタクトする。
考えてみれば、自然なことですよね。


昔よりも「お久しぶり!」がしやすくなったのは、SNSのお陰もあります。
だけど、、、
いくらSNSがあったとしても、やっぱり抵抗感を抱く人は多い気がします。
久々だとコンタクトしにくい理由。心の中には何があるのでしょうか?

「相手は自分を覚えているか?」
「誰?と反応されるのではないか?」
そう思うと怖いですよね。
「会いに行くもっともらしい理由が見つからない」
と思ったら、自己制限がかかりますよね。

話がズレますが、このメルマガに感想をお寄せいただく時もそうかもしれません。
「書いたらどう思われるかな?」と心配になる方は少なからずいると思いますが、
時々いただく感想やご意見、ほんの数行のメッセージ...
これらはうれしい以外の何物でもありません!
(いえ、まるで催促しているようですが笑)、本当にうれしくて「やる気スイッチ」が入ります!


話を戻します。
「お久しぶり! お元気ですか?」と意思表示するだけなのに、
なぜか必要だったりする小さな勇気。
そんな時、役立つのは「覚えていないかもしれませんが...」というダメ元精神です。
実際にそのように言葉にして接すれば、相手が自分を思い出せない時も、
お互いに気まずさがなくなります。

「覚えていないかもしれませんが...」と言って
「ごめんなさい、思い出せないのですが...」と言われたら
「ですよね~」と言えば済みますもの笑

人と人の関係にはいろいろな局面があります。
最近は「人間関係の断捨離」という言葉もあるそうですし、
今の人間関係を手放さないと、新しい出会いは生まれないという主張も耳にします。
そういう考え方もあってもいいし、
今はそう考える時期と判断するのもあっていいと思います。

だけど、しばらくコンタクトしていなかった相手に、
ちょっとだけ勇気を出してコンタクトしてみると、
新しい関係が始まるかもしれませんよ。
最近私が思い出した人は、うふふ... ヒミツ。

春ですし、思い出したあの人にちょっと勇気を出してコンタクトしてみる。
いかがでしょうか? 笑

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うちの会社では、毎週木曜日に持ち回りで勉強会を行っています。
発表者が好きなテーマで30分程度説明し、意見交換するというような流れです。
毎回、終了まで40~50分程度でしょうか。
たとえば、私が扱ってきたテーマの例を挙げてみますね。

・論点コンシャスになろう
・「Fast Worker」になるための秘訣
・今日は心理学、です!
・自分主導の説明と意思表示
・カテゴライズのすすめ
・自分ブランディング

そのほかこれまで、NISA、防災、リーダーシップ、図解、知的財産、デザイン、
オープン社内報など、飽きることのないテーマで開催されてきました。


さて、昨日は、たまたま私の番で、今回は題して「意味付けの話」をしました。
ここでの「意味付け」とはアドラーがいうような心理学的な概念を含むもので、
いろいろな事柄に対して、意義や価値、理由や教訓などの形で、
人が自分なりにしている「解釈」のことです。

たとえば、人が最も頻繁に行なっている意味付けは、
他人を評価判断することではないでしょうか。

あの人は、~だ。
あの人には、~なところがある。
あの人は、いつも~する。

自分の解釈で人を決めつけると、その人物像が頭の中で膨れ上がっていきます。
人と人は、お互いに相手の人柄や性格、能力や行動様式などについて解釈し、
その解釈があたかも本当の姿であるかのように決めつけをし合っています。
しかも、その評価判断はポジティブなことばかりではなく、
むしろネガティブなことの方が記憶に刷り込まれやすいと言えるかもしれません。


ネガティブな評価判断をしてしまう顕著な例は、苦手な人についてのものです。
誰にでも苦手な人の一人や二人はいるもの。
私はどちらかといえば、人の好き嫌いは激しくない方だと思いますが、それでもやはり苦手な人はいます。
たとえば、自分の話ばかり機関銃のような速さでする人、
しかも、声が大きく、感情の起伏が激しい相手は、ちょっと苦手です。
そのような人と話していると、30分を超えたあたりから、
気が遠のくような感じになって、まったく集中できなくなります。

実際に、一回り近く年上の方で、そのような人がいました。
前記の「自分の話ばかり機関銃のような速さでする」は意味付けというより
事実と言っても良いと思いますが、
私はその人を「幼稚な人」「子どもっぽく、わがままな人」と捉えていたので、
こちらは明らかに私の解釈です。


前置きが長くなりましたが、実はここからが今日の本題です。
この人との間で、あるとき不思議なことが起きました。
人が人に抱く気持ちに「好意、好感」というポジティブな感情、
「反感、悪意、敵意」などのネガティブな感情、
さらに「普通、どちらとも言えない」という感情があるとすると、
この人の私に対する気持ちに「好意」を感じる出来事があったのです。


そうしたら、何とあれだけ苦手意識があったその人に対し、
この人の良いところを見つけようという気持ちが湧いてきました。
おそらく、「子どもっぽく、わがままな人」という意味付けをしていた頃は、
心の中で被害に遭いたくないという深層心理が働いていたのですが
「好意」を感じ取ったことで、(敵対する相手ではないのだから)
寛大に捉えても大丈夫だと無意識ながらに思ったのだと思います。

ロバート・チャルディーニの著書「影響力の武器」の中で、
「好意の返報性」について書かれていますが、まさにそれだったのでしょう。


職場での悩みとして、各種調査でしばしば「人間関係」が上がっています。
「あの人は~だ」は必ずしも事実ではなく、解釈であるかもしれないと思えば、
見え方が変わるような気もします。
さらに必ず関係が変わるとは言えないまでも、「好意」を表現することで
関係が変わる場合もあることは、試してみる価値があるかもしれません。


桜の便りが楽しみになってきました。
どうぞ良い週末をお過ごしください。

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先日の3連休の最後の日、我が家で友人を呼んで食事会をしたのですが、
その際に出張シェフを利用しました。
実は、この会、私以外の3人は全員お互いが「はじめまして」の関係。
私が出張シェフを利用するのも初めてで、いろいろな意味でドキドキワクワクの機会となりました。


Sharedineというサービスを利用したのですが、このしくみでは、
調理器具や調味料は依頼主が用意し、材料はどちらが用意してもOK。
今回、私は買い物も含めてお願いしました。
結論からいうと、味、量、価格とも大満足です。

さて、そのようなしくみなので、あると思っていたものが行ってみたらない、ということも考えられます。
今回のシェフRyuさんにそんな時はどうするのかを尋ねたところ
「自分は、自分の方を状況に合わせます」と迷いのない回答が。

以前は、たとえば包丁を10本ぐらい持ち歩いたこともあったそうですが、
所詮、レストランの厨房に家庭の厨房はかなわないので、
その環境でのベストを尽くせば良いと考えるようになったそうです
包丁の切れ味が悪いなと思ったら、たとえ砥石がなくても、
その場でできる工夫をしてしのぐのだとか。

この割り切りは簡単そうで簡単ではありませんよね。
「なんだ、○○○も揃っていないのか」
「思った料理ができないのは相手のせいだ」と
心の中で相手を責めることもできます。
こう思ってしまうのは、条件が整わないとベストの結果は得られないと思っているからなわけで、
人生言い訳が多くなりそうですね。

それに対して、Ryuさんのこの潔い考え方は素敵です。
だけど、、、一歩間違えると自分に甘くなってしまいそうでもある。
たとえば、私の場合、筋トレでバーベルを持ってスクワットをしているとき、
限界の一歩手前で手を抜き、
「ベストを尽くした風」にやってしまうことがありますから。


心理学用語に「アカウンタビリティ」という言葉があります。
ビジネスでは説明責任の意ですが、心理学では「責任の概念」と捉えるそうです。
自分に起きたことは自分自身の責任の結果である、という考え方で、
ちょっと聞くと厳しそうに感じますが、実は自由に解放される道なのだとか。

なぜでしょう?
ほかの人のせいや何かのせいにしていると、心の中に罪悪感が生まれるからだろうというのが、私の解釈です。
先ほどの私の筋トレの例でも、手を抜いたことは自分が一番よく分かります。
だから、そんなときは潔くベストを尽くせなかったと思えばいいのだと思います。

昨年のウィンターシーズン、スキーを卒業するために滑り納めをしました。
しかも、ゲレンデに立つのは何十年かぶりのこと。
最後の最後の私のチャレンジは、しっかり前傾し、大きな弧を描いて滑ること。
スピードが出てしまうと怖いのですが、ベストを尽くしたと胸を張れます。
そのときに得たのは、爽快感、満足感、達成感、充足感。。。。


Ryuさんの言葉をきっかけに考えてみたら、今できる最善を目指すことは、
結果の良し悪し以上に重要な気がしてきました。
私たちは、思いもかけない不運や想定外の出来事に見舞われると、
ついそのことを悔やんで、前を向けなくなります。
自分はベストを尽くしたか?
それを基準にすると、清々しい日常に繋がっていくのかもしれません。

今日から弥生です。桜も早そうですね! そして花粉も...
元気に参りましょう!

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企業から求められる人材像ですが、ここ20~30年、
「自ら考え、自ら行動する」と言われ続けているように思います。
「自考自行」「自考自走」「自考自創」などの四文字熟語も生まれてきました。
この点については、グローバルな大企業から中小まで例外はないと思います。

実は、当社でも、昨日も若手向けに「考える」をテーマにした勉強会を行い、
「論点」と「サブ論点」というものをどう立てたらいいのか、
どこまで考えたら「タスク」に移っていいのかなど、
レクチャーとディスカッションを交えながら教えています。

私は、「会社は学校ではない」と思っていますが、
このような勉強会を行うのは、
その正論を最初から振り翳そうとは思わないからです。

なぜなら今の学校教育は「答えを教える教育」に偏っているように見え、
「考える教育」が行われているように見えません。
しかし、学校教育がそうだからと言って、人は考える生き物なので、
まるっきり考えないという人はむしろ稀ではないでしょうか。
むしろ、みんな、何かしら考えているし、考えようとしています。
でも、だからといって、ただ「考えろ」と言われても、
何を考えることが求められているのか、わからないと思います。


なぜ、「考えろ」では不十分と思うかというと...

実は、私自身が「考える」ことを教えようとしても
どうやって教えたらいいのか、考え考えやっているからです。
つまり、自分自身がちゃんと言語化できていないのです。
人に、すっきりシンプルに普遍的なことを教えられないということは、
私自身が「考える」の本質や基本をわかっていないということになります。
自分がその程度でしかないのに、社員にただ「考えろ」とだけいうのは、
いかがなものか、という気がします。
だから、社員と一緒に「考えるとは?」を考えています。
それは、結構、楽しいです。
なーんちゃって、結構「いい社長風」なアピールをさせていただきました(笑


ところで、いったいなぜ「考える」ことが、そんなにも重要なのでしょうか?
「AIが~」という答えは聞き飽きているので、別の答えを探してみましょう。

私は、「考える」には大別すると、
2系統+ミックスの3つがあると思っています。
①好奇心を満たすために考える
②より良い結果を得る行動を決めるために考える
③上の2点のミックス

②は、ビジネスのみならず、私生活でもありえますが、
ビジネスで「考えろ」と言われる理由は、主に②にあると思います。
自分一人のための決断なら、考えず、直感で決めてもいいわけです。
でも、組織であるからこそ、決めるには理由も必要ですし、
他の選択肢と比べて、どう違うのかの比較検討も必要になります。


で、②について、じっくり考えてみましょう。
「②より良い結果を得る行動を決めるために考える」
つまり、考える先には、行動があることがわかります。ところが、
そうすると人は往々にして考える前に、行動(タスク)に思いを移しがちです。

たとえば...
過去の当社のセミナーで、参加者にこんな問いかけをしたことがあります。

Q1 あなたは飲食店を開業するために、自分の住む街で物件を探している。
としたら、どのような場所に開こうと考えるか?
こう尋ねると、大半の参加者は「駅前」とか「人通りの多い場所」と答えます。
無意識でも、有利な場所はどこか?を考えているわけです。

次に、こう尋ねました。
Q2 あなたは駅前で屋台を始めることにしました。
あなたの屋台の隣には同種の別の屋台があって、そちらはとても繁盛している。
でも、あなたの屋台は閑古鳥が鳴いている。改善するための1stアクションは?
こう尋ねると、答えは2通りに分かれます。

1つは策を答えるもの。たとえば、
・メニューを変えてみる
・幟(のぼり)を立ててみる
・価格を見直す 等
もう1つは原因を探るための行動を答えるもの。たとえば、
・隣の屋台の客をつかまえて、どこが良いのか聞いてみる
・隣の屋台で食べさせてもらう 等

感覚値ですが、だいたい半数強の人は策(行動)について思考するようです。
さて、では半数の人が策に向かうのはなぜでしょう?
私は、第1は、早く答えを見つけたいからなのだろうと思います。
要するに、この場合なら原因を考えるなんてじれったいのです。
第2は、この状況で何を考えるべきかを吟味できていないからだと思います
だとして、想像してみてください。
原因も分からずに、メニューを変えても多分成果は出ませんよね。


考えることが重要だと思う理由の1つは、考えた方が結局は無駄がない、
つまり、「急がば回れ」だからです。
焦って策を考えても、最終的には意味がなければ無駄ですよね。


さて、毎週見ているNHKドラマ「正直不動産2」に登場する
Z世代役の十影(とかげ)くんに興味を持っている今日この頃。
十影くんには、一見無駄でも、結局は考えた方がタイパいいよ、
と伝えたくなります。
ヤマピーこと山下智久さんが務める主人公・永瀬財地の、
ウソでも何でもアリだった人生が、正直アリキに変わって、
今では本音をぶちまける様がおもしろくて、私はついつい観ています。

さ、今日は金曜日。
アレもコレもあると思いますが、乗り切りましょう!
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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当社では、去年頃から、「リーダーシップ」「イニシアチブ」「主体性」等の言葉が
キーワードになっていて、
年初も、私は「一人一人が自分をリードする自分のリーダーであろう」
という話をしました。

リーダーシップというと集団をまとめて先導するとか、
統率するというイメージが強いですが、
その基本は、明確に「意思表示」することだと思います。
・自分はどうしたいのか
・自分は相手にどうしてほしいのか
・自分はどっちに向かって、どう進めようとしているのか

人を率いてまとめていくとなるとハードルは高いですが、
まず自分の意思を示すということであれば、自己完結できますよね。
でも、この意思表示ができなければ、
集団をまとめて先導することなど絶対ムリです。
だから、リーダーシップの最初の一歩は「意思表示」だと思うのです。


でも、どちらかというと率直に意思表示する日本人は多くないように見えます。
(もちろん、十把一絡げで断定することはしませんが)。
仮に日本人のコミュニケーションの特徴として、
意思表示を明確にしない傾向があるなら、その理由は何かと考えてみたのですが、
おそらく「相手の気持ちを察する」気遣いを「是」とする価値観があるからではないでしょうか。

でも、「察する」は、ある状況では美徳ですが、
仕事で推進担当者が周りに対して「察してほしい」というオーラを出すのは、
私はナシだと思います。


「意思表示」という行動を支えるのは、「主体性」です。
主体性とは、自分で考えて、自分の責任で決め、発言・行動すること。
その対極にあるのは、指示待ち、受け身、思考停止など。
さらに、空気を読む、依存する、同調する、流される...なども入りそうですね。


さて、「主体性が大事」などということは、
最早ビジネスパーソンなら耳タコではないでしょうか?
でも、なぜ主体性が大事なのか?と部下や後輩から聞かれたら、
何と答えますか?


私はこう答えます。
「私がラクできるから」です(笑)
指示しないとできない人より、指示しなくても進めてくれる人の方が、
上司の私としては断然ラクです。
でも、上司をラクにさせるために、主体的であれ...と聞いたら、
「なんで、そんなことのために...?」と思いますよね。


だけど、「周りの人、みんなをラクにさせる」と聞いたら、どうですか?
そんな人は、すごーく価値の高い人だと思いますよね?
図式的にはこうなります。

ーーー

主体的に動く人は、周りの人、みんなをラクにさせる
 ↓
周りが喜ぶだけでなく、知的労働比率が上がって、結果生産性も上がる?
 ↓
そこで生じた心理的余裕が、広い視野での思考を生む
 ↓
それが全社に広がると、会社の生産性も創造性も上がる
 ↓
生産性も創造性も上がれば、革新的なことも起きやすい
 ↓
実際に、イノベーションが起きる

ーーー

ちなみに「はたらくの語源は"傍を楽にする"」説、
うーん、あれはもっともらしいけど、疑わしいですね。
今回の話はそれとは関係ありません。

さて、今回は主体性と人に喜ばれる存在であることの関係について書きましたが、
第三者の存在がなかったとしても、自分の意思で行動する方が、
やらされて行動するより、楽しいに決まっています。
と、考えると、なぜ主体性が大事なのか?という問いへのもう1つの重要な答えは、
「自分の幸福のため」になるのかもしれません。


自分はどうしたいのか。
自分は相手にどうしてほしいのか。
まずは、そんな意思表示から取り組みたいものです。
(社長といえども、これは案外難しいです)

今月もわずか1週間ほど。
急に寒さが増しましたが、皆様、体調を崩されませんように!

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あけましておめでとうございます。
グラスルーツ小野でございます。
昨年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

お正月はいかがお過ごしでしたか?
私は年末急に「旅したい病」にかかり、無計画に近江・彦根に行ってきました。
もともと堀や川、運河のある風景が好きで、
駅に貼ってあったポスターを見た途端、旅したい病が発症しました(笑)
せっかくなので、信長の志、井伊家の知恵、
近江商人たちの三方よしの精神に思いを馳せ、あやかりたい...とも。

で、それとこれは関係あるような、ないような話なのですが、
2024年の今年、私どもグラスルーツは40周年を迎えます。
「買い手よし、売り手よし、世間よし」はつくづく大事だと思います。

近江商人について俄か勉強をしてみると、
商人としての理念を表した言葉がたくさん見つかります。

「先義後利栄」(義を先にし、利を後にすれば栄える)とか、
「出精専一」(奢ることなく精を出して働くことが第一)とか、
「陰徳善事」(自己顕示のためでなく、見えないところで人に尽くす)など、
商人としてだけでなく、人の鏡となるような考え方ですよね。


というわけで、40周年の今年は、これまで大切にしてきたことは守りつつ、
けれども守ってばかりでは社会のお役に立てないので、
これまでの延長線上ではない発想で世界を広げていきたいと思います。


と考えた時に、ふーっと浮かんできた言葉が「壊す」です。


で、またまた、それとこれは関係あるような、ないような話(その2)、です。
すみません、話がぶつぶつ途切れて。。。。

新年のお参りで、地元の七福神を巡ったという方もいらっしゃると思います。
私も、友だちに誘われて一昨年ぐらいから仏像巡りをやっています。
七福神の一人「大黒天」は、そのルーツがインドの神話にあり、
破壊と創造を司る「シヴァ神」が破壊神となったときの異名だそうです。
ですが、日本での図像としては、
打ち出の小槌と大袋を抱えて笑っているイメージでしょうか?
破壊のイメージはまったくありません。

ですが「シヴァ神は『破壊』と『創造』を司る」と聞くと、
それだけで私はシヴァ神に魅了されてしまいます。
破壊と聞いてドキドキする、創造と聞いてワクワクする、
そんな感じです。


でも、、、
実際には「創造」は怖くありませんが、「破壊」するのは怖いです。
破壊といっても、きっと「Destroy」というイメージではなく、
手放す、つまり「Let it go」「Set it free」のイメージなのかなと思いますが。


それで、ちょっと考えました。
シヴァ神に惹かれる理由や手放すことへの恐れについて。

魅了されるのは、経済学用語の「創造的破壊」という言葉のイメージもあれば、
イノベーションは壊すことから始まり、創造で完結する、と
思っているからだと思います。
また、手放すのが怖い理由は、その先にある変化が見えないからです。
変化の先で、何が自分に降りかかるのかわからない不安。。。。

だけど、、、
何かを創造したいとか、生み出したいと思うなら、
手放す苦しみ(産みの苦しみ)はきっと避けられません。
でも、そうわかっていたとしても、それでも不安はありますよね。


そこで、『破壊』と『創造』を分解してみました。
①現状を俯瞰して見る →
 ②従来とは違う視点で情報同士を関連付けて考える →
  ③可能性の仮説を持つ →
   ④勇気を持って選択し、小さくやってみる(小さくリスクを取る) →
    ⑤大きくやってみる(大きくリスクを取る)

こうやって分解してみて気づいたことがあります。
それは、『破壊』と『創造』は別々に起きるのではなく、同時に起きるということ。
破壊は破壊、創造は創造ではないということです。
そうわかると、破壊と創造は同義のように思えてきます。
そして、④の選択もいわゆる「選択と集中」の「選択」ではないと気づきます。

2024年、40周年だからこそ、これまで築いたものを壊してみたい気もします。
どんなことが生まれてくるのか、ぜひ見守ってください。
今年もどうぞよろしくお願いします。

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2023年もあと10日ほどで終わろうとしています。
今年はどんな1年でしたか?
私にとってこの1年のキーワードは「課題」でした。
会社の課題、自分の課題、案件の課題、社員の課題...。
いろいろな意味で課題に溢れた1年でした。
ですが、私、課題は嫌いではありません。
課題は伸び代であり、成長にとっては宝だと思うからです。


でも、一般的には自分の課題は見たくもないし、人から言われたくもない、
できるものならフタをしておきたいと思っている人は多い...
と、先日ある人との会話の中でそんな話が出ました。
そうかもしれません。
さらに言えば、ネガティブ思考やネガティブ感情は良くない、
ポジティブな思考や感情は良い、そう思っている人が多い(?)
でも、本当にそうでしょうか?


結論から言うと、私は、その考え方には懐疑的です。
ネガティブな思考や感情の方が、ポジティブなそれよりも、
圧倒的に熱量が高いですから、
そのエネルギーをうまく使えば何かが生まれると思います。
実際、自分の経験からいっても、
人生観を変えたり、苦難を乗り越えたり、
新しい世界に足を踏み入れた時には、
その直前に大抵は負のエネルギーがあった気がします。


さて、ここまで考えていたら、
かつて流行った心理テストのようなものを思い出しました。
コップに水が半分入っているのを見て、どう感じるかを尋ねるもので、
「コップにはまだ半分も水が入っている」と思うか、
「コップにはもう半分しか水が入っていない」と思うかの2択。
前者を選ぶとポジティブ思考で、後者を選ぶとネガティブ思考...
というようなものでした。
今思えば、そんなに短絡的に決めつけていいはずがありません。


コップの水を巡っては、ドラッカーの言説にこんなものもあります。

「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。
世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、
イノベーションの機会が生まれる」
(P・F・ドラッカー『イノベーションと起業家精神』)

つまり、ドラッカーが言いたいのは、
むしろ先ほどの心理テストの裏返しで、こういうことだと思います。
人がコレコレがないことに不満を感じ、
さらに、おかしいじゃないかと憤りや悔しさを感じる、
それがエネルギーとなってイノベーションを生む。
満たされているからと楽観視していたのではイノベーションは生まれない...。
言われてみれば、まさにその通り!


で、これ、社会もそうですが、個人の内面の変革でも言えるような気がします。
先週末の16日、「ハンク・アーロン賞」を受賞した大谷翔平選手が、
8年前にこんなことを言っています。

自分の中で課題を消化するのが野球のおもしろさなのかなと思います。
今の相手と今後10年、20年、ずっと対戦していくのなら、
このバッターを倒すために必死になるとか、このピッチャーを打ち崩そうとか
思うのかもしれませんが、メンツも時代も変わりますし、
若い世代が入ってくれば対戦相手もどんどん変わる。
だから、思い通りに投げられなかったボールで抑えたことをオッケーにしちゃったら、
成長するチャンスを失うことになるし、もったいないじゃないですか。」
(Number881号:2015/07/02)

つまり、課題があるから努力がある。そこでの努力が重要であって、
結果オーライで課題をクリアしてもダメだと彼は言っているわけですね。


自分にはここが足りないと気づく。
できないことは、できない。
苦手なことは、苦手だ、と素直に自覚する。
足りない面を埋めようと努力するかどうかは二の次。
苦手なことを全部克服しようとするのは逆にナンセンスですからね
まず自分の現実をちゃんと直視する。
すると、努力すべきかどうかがわかる。
どんなに努力しても到底できそうにないなら、方向性を変えれば良い。
やってみてから考えようと思うなら、そうすれば良い。
課題を直視して、努力した結果、成果が出たら自信になるし、
仮に成果が出なくても、次に活かせる学びが残る。
苦手だと直視できたら、「誰かに助けてもらうしかない」と気づくこともできる。
課題という言葉には、そのような広がりがあるように思います。


私は、大切なことはポジティブであることでも、
ネガティブであることでもなく、
ネガティブなことをポジティブに転換することなのではないかなと思います。
あなたはどう思いますか?


寒暖の激しさに体調を崩しそうな今日この頃、
2023年を元気でフィニッシュしたいものですね!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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