ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の創業者・オノのブログです

創業者ブログ

オノの脳みそ整理mono-log モノログ

無題 - 2026年10月08日 11.15.00 (1).png

先日、久しぶりに表参道の青山ブックセンターに行きました。
書店に行くと、どのようなカテゴリーやテーマが生まれ、
定着してきたのか、視覚的にわかります。
ひと昔前なら「AI」「タイパ」「心理的安全性」などのテーマ本はありませんでした。



今日取り上げる「自己肯定感」という概念についても、
昭和の頃にはなかったと思いますが、
今では自己啓発書の一角を相当数の本が陣取っています。
「自己肯定感」という言葉に対し、どんな印象を持っていますか?
「自己肯定感」が高い人といえば、なんとなくポジティブで自信がある人、
そんなイメージがあるのではないでしょうか。
これだけ本が揃っているということは、
「自己肯定感」が低いことで悩んでいる人が多いということなのかもしれません。



ですが、私自身は、「ポジティブでいるべき」というような
最近の自己肯定感ブームには多少の違和感を持っている人間のひとりです。
本当の自己肯定感というのは、きっとそういうことではないはずだと思っているからです。
そこで、ネットで自己肯定感について調べてみました。



最初に特に意図せず上がってきた情報は、
公益財団法人日本財団によって、今年2月に行われた調査の結果でした。
日本の若者(18歳)は、自己肯定感に関する肯定率が
他の5カ国(米、英、中、韓、印)と比べて低い傾向にあったそうです。


具体的に抜粋すると、、、、
• 自分は他人から必要とされている
日本は57.2%。下位2位と比較しても10ポイント以上の開きが。
• 困難があっても前向きに回復できる
日本は56.8%。他の5カ国は7割以上である。
• 自分には人に誇れる個性がある
日本は58.6%で、他国(8割超)に大きく引き離されて最下位。



しかし、天邪鬼な私は、この数値を見て、
こんなことを多感な18歳に聞いて、
ポジティブな答えばかり並ぶ方がむしろ不健全だ、と思いました。
思春期は自己嫌悪に陥ったりすることが、いくらでもあるはずですし、
恋愛がうまく行かず、落ち込むことだってある。
少なくても日本人的な繊細さを持ち合わせていれば、そっちの方が普通じゃないの?と。

でも、同様の調査はいろんなところで行われていて、
ユニセフの調査(2025)によれば、日本の若者の精神的幸福度は32位。
内閣府の調査(2018)によれば、自分に満足している若者は45.1%。
なのだから、自己肯定感が低いと言われれば、確かにねぇ...とも思います。



しかし、だからといって「自己肯定感」を高めることに躍起となるのも、
どうなのでしょう?
自分の良いところも、悪いところもそのまま受け入れていけば、
高めようと思わなくても高まる気がします。
無理して高めるべきものなんだろうか?と考えてしまいます。
なぜかというと、「高めなければ」と思っている時点で、
自分にダメ出しして、苦しい思いをしているではないですか。



改めて、そもそも「自己肯定感」とは何なのでしょうか?
「何があっても『大丈夫。』と思えるようになる自己肯定感の教科書」
(刊:SBクリエイティブ)の著者であり、心理カウンセラーである中島輝さんは、
自己肯定感を構成する要素について、次の6つを挙げています。


「自尊感情」――しなやかな自分軸を作る
「自己受容感」――何度でも立ち上がる強さを身につける
「自己効力感」――何度でも挑戦する自分になる
「自己信頼感」――セレンディピティを引き寄せる
「自己決定感」――自立して自分の人生を切り拓く
「自己有用感」――社会の中で自分らしさを発揮する


まあ、どれも聞いたことがある言葉ですから、疑問はありません。
私は彼の本を読んでいませんので、これは私見ですが、6つの要素の中で、
長所も短所も評価せずに「そのままの自分」を受け入れるという意味での
「自己受容感」が一番大切なのではないかと思っています。
何も自分で自分をいじめる必要もないですしね!



ついに10月に突入してしまいました。

風邪に気をつけて、元気に暮らしましょう!(私がひいたので)

無題 - 2026年9月11日 10.03.08 (1).png

先々週の月曜日から木曜日まで、軽井沢で夏休みを過ごしました。

第1目的は、ゴルフスクールのラウンドなのですが、
そのほかは現地で暮らす旧友に会ったり、
一人時間を過ごしたり、兼ねてからやりたかった染色を体験したりしました。

その中でも、私に「発見」をもたらしてくれたのは、染色でした。
今回チャレンジしたのは、Tシャツへの「藍染め」です。
何が新鮮だったかというと、染色というのは、
「意図」×「偶然」
この掛け合わせだと知ったからです。

一応、なぜそう思ったのか、状況を説明させてください。
染色にもいろいろな技法があるのですが、
私が試したのは、雑巾を絞るようにして絞った状態をつくり、
そのまま染色液に漬けるというもの。
そうすることによって、縦縞ができることは分かっているのですが、
どのように縞が入るかは、布地を広げてみないと分かりません。
1回目。
色が着いたところもあれば、着かずに白いままのところもあります。
2回目。白いところに色を入れたいけれど、絞り方によって、どうなるか。
言われるままに3回ほど作業を繰り返しました。そんなこんなで、
なるほど!「意図」×「偶然」というのは、こんなに楽しいのか!
と思い知りました。


なぜ、これがこんなにも新鮮だったかといえば、
ビジネスでは「再現できること」に価値があるとされやすいからです。
でも、目の前のTシャツへの染色。
2度と同じようなものはつくれません。
しかも、ある程度、意図が満たされています。
そう思うと、染め上がったTシャツが尊いものに思えてきました。


今回の染色の例は、意図から偶然が引き起こされた例でしたが、
実はこれ、研究でも立証されています。
スタンフォード大学のジョン・クランボルツ教授が提唱した
「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」では、
意図的な行動が偶然を引き寄せるとされています。
また、個人のキャリアの8割は、予期しない偶然の出来事によって形成されるそうです。

確かに、40年以上も前に、私が意図を持ってクリエイティブ系の学校に通った結果、
偶然にも職を得ることができました。
意図が生み出した偶然だったと言えます。


反対に、偶然から意図が生み出されることもありますよね。
散歩をしていて、ふと閃いたり。
何らかの視覚情報が連想を引き起こしてアイデアが生まれてくるような気がします。
でも、効率性ばかりに目を向けると、偶然という宝物は手に入らないのかも。
無駄や寄り道、急がば回れ的な行動にセレンディピティの女神が微笑むのでしょう。

意図から偶然を、
偶然から意図を、という2つの方向を意識すると、
思わぬ成果が生まれるのかもしれませんね。


ついに9月に突入してしまいました。
今年もわずかだと思うと焦りますが、
11年ぶりとなる5連休のシルバーウィークも控えています。
無駄や寄り道を楽しみながら、残暑を乗り越えたいものですね。

ブログ_20260721.png

ワールドカップ、終わってしまいましたね。

私は、あまり熱心に見ていたとはいえませんが、

それでも決勝のスペインVSアルゼンチン戦は見ていました。
勝ったスペインもすごいですが、
アルゼンチンのゴールキーパーの防戦力には感嘆しました。

サッカーでのストライカーとゴールキーパーの戦いは、
まさに本稿のテーマである「際(キワ)」でのせめぎ合いです。
ストライカーはキーパーの動きを読みながらゴールポスト際を狙うでしょうし、
キーパーはギリギリの瀬戸際まで判断するのを堪え、
その判断が0.1秒遅れても、早すぎてもいけない。


実は私、この「際」という言葉にとても惹かれます。


そもそも「際」という言葉は何を指すのでしょうか?
「~の際(さい)」と読んで、機会を表すこともありますが、
ここでは物と物が接する境界線や、端っこを指しています。
たとえば「瀬戸際」というのは、物事の成否、勝敗、生死などが決まる、
後戻りができない重大な分かれ目や、ぎりぎりの状況を意味します。


いったいなぜ自分が「際」という言葉が好きなのか、
この機会に考えてみたのですが、
多分「境界線」というものに興味があるからなのだと思います。
けれど、なぜ「境界線」に興味があるのか?
おそらくその境目には「選択」があるからではないか?
...と、そんなことを考えました。
選択があるということは、冒険があり、決断がある。


たとえば、ファッション。
こうだとカッコいいけど、一歩間違えるとダサいかも...というときに、
どんな選択をするか。

たとえば、カラオケ。
歌ったことがない、でも歌ってみたい...というときの選択は?


話は飛ぶようですが、「選択」の話を続けます。
私の好きな映画の1つに『ショーシャンクの空に』があります。
冤罪で投獄された主人公アンディが友情を育みながら、正義を貫く映画なのですが、
主人公が人生はシンプルな選択に行き着くと語る場面があります。
私は、彼がいうシンプルな選択とは、「やるか」「やらないか」だろうと解釈しています。
カレー、ラーメン、ハンバーグの中からランチを選ぶとき、選択肢は3つのように思えますが、
それぞれで「食べるか」「食べないか」の二者択一をしているだけのことです。


ランチに何を食べるかで、人生が変わったりしませんが、
選択すべき「際」に立っているのに選択しないと、人生は変わっていきます。

そういえば、先ほどの映画『ショーシャンクの空に』に出演した
モーガン・フリーマンは、今でこそ名優として知られていますが、
俳優を志したのも30歳と遅く、50歳まで売れない俳優だったそうです。
彼は30歳で人生の「際」に立ち選択をし、俳優への道を拓きました。


「際」にいるとき、そんなに簡単にうまく行くわけがない、という気持ちと、
でも、やりたいのだから、やる、という気持ちが交錯します。
ですが、「際」はあくまで「際」。結果に何の保証もありません。
「~の分際で」という言葉がありますが、
身の程をわきまえたうえで、「やる」を選択するのが「際」の美学だとも思います。
結果に捉われず、どちらに転ぶか分からない境目に立つということ。
そのハラハラを味わうのも、人生の楽しみ方なのだろうなと思う今日この頃です。

本格的な夏が始まりました。
熱中症対策を講じながら、猛暑を乗り切りっていきましょう。

画像_の_サイズ_を_変更 プロジェクト - 2026年6月25日 19.12.31 (2).png

先週、マイケル・ジャクソンの伝記的映画「マイケル」を観てきました。
未だに頭の中でいろいろな曲が回っていて、ムーンウォークをしたい心境に駆られるほど笑、
強いインパクトを感じました。

その後もいろいろなYoutubu動画を探して見ているうちに、
ユーコ・スミダ・ジャクソンさんのインタビュー動画に出会いました。
彼女は、マイケルの「デンジャラス・ツアー」に唯一の女性ダンサーとして抜擢された
世界的ダンスアーティストです。

その中で、マイケルとの初の対面日についてこんな回想がありました。
マイケルがリハーサル会場に入ってきた瞬間から場の空気ががらりと変わった。
遠くに姿が見えた時点で、これは本当に人間の持つエネルギーなのか、
彼は本当に人間なのだろうか、
そう思うほど、想像を超えた強烈なエネルギーを感じたそうです。
しかも、それは強いと同時に優しくて温かいエネルギーだった、と。


「あの人にはオーラがある」という言い方があります。
オーラとは、元来は人体から発散される霊的なエネルギーを指すようですが、
一般的には、その人が発散している独特な雰囲気や存在感の意で使われることが多いですよね。

つまり、見方によっては、本来誰にでもオーラはある。
「あの人にはオーラがある」という表現は、狭義では正しいのでしょうけれど、
オーラというものを、視線、姿勢、表情、声のトーンなど、
無意識の表現が組み合わさって生まれるその人のインパクトと捉えると、
大きい小さい、強い弱いは別として、
私たち一人ひとりにオーラはあるということになります。


ちなみに「オーラには色がある」というのは、科学的には証明されていないようですが、
人が放つ「雰囲気」や「感情」を周囲の人が鋭敏に察知して、
それを脳が「色」として解釈しているのではないか、というのが通説のようです。

10年ほど前、パワースポットとして知られる米国・セドナを訪れた際に、
私のオーラカラーを調べてもらうと、「インディゴ」でした。(ホントかいな?)
観光客相手のサービスですから、占いのようなものかもしれませんが、
結構大袈裟なレポートをもらったことを憶えています。


さて、私どもグラスルーツが媒体の企画制作を提供する際に扱っているのは、
言語系のコミュニケーションが中心です。
でも、セミナーや会議ファシリテーションを提供する際には、
非言語系のコミュニケーションに意識を向けながら進める必要があります。
具体的に重要となるのは、理解が一致しているか、恐れの空気やネガティブな感情がないか、
というようなことへの配慮です。

人の「オーラカラー」と同様に、場の空気にも私は色があると思っています。
全体的にどんよりとグレーがかっていると思うこともあれば、
笑い声が聞こえるような場は黄色や黄緑を感じます。
また、右半分と左半分でカラーが異なっていたり、
場が混沌としているときは、いろいろな色を感じます。
場の雰囲気を察知することは、会議を進行する際にとても重要ですよね。


ところで、多くの人は(特に日本人は)空気を読みながら、
自分の振る舞いを決めている面が少なくありませんが、
自分も場の空気に影響を与えている1要素であることは、
案外忘れがちなのではないでしょうか。

たとえば、ミーティングでの振る舞いで、しばしばありそうなことを挙げてみると、
・腕組みしている
・椅子の背にもたれかかって、ふんぞり返っている
・上目で見る
・無表情でいる
・一部の人のことしか見ない
・つまらなそうにしている
一人のネガティブなオーラが場のネガティブな空気に拍車をかけ、
意外に大きなインパクトになります。
かくいう私も、腕も足も組みがちですし、表情も豊かとはいえないので、
気をつけないとな、と思っています。

自分の出しているオーラが、最低限、場に悪い影響を与えないようにしたいものですし、
叶うものならプラスの影響になると良いですよね。
活気が出る、笑いが起きる、発言しやすくなる、なんでも良いから。

20260610_ono.png

暇つぶしという言い訳をしつつ、しばしば見てしまうのがSNSです。

はい、私の話です。
SNSには、架空のショートストーリーなども含まれているので、
実話と真に受けないように気をつけています。
ですが、それでも教訓めいた内容に触れると、
ふむふむと納得してしまうこともしばしば。

昨日、Xでこんな話を読みました。
それは、新幹線の車掌さんの神対応を紹介したエピソードでした。
前の駅で降りそこね、乗り越してしまった外国人観光客が、
車掌さんを捕まえて、慌てふためいて事情を説明します。
若手の車掌さんが路線図を見せながら、
どうすれば良いかを一生懸命英語で説明しようとした矢先、
ベテランの車掌さんがとったのは、別の行動でした。
彼は、「I understand.」とゆっくり話しかけたそうです。
話のポイントは、それ以上でもそれ以下でもなく、
その言葉を聞いた外国人は落ち着きを取り戻した、
一度受け止めることがいかに大事か、とそんな話でした。
まさに真理を突いていますよね。

解決策を話す前に、
まず相手の状況、相手の立場、相手の気持ちを
「分かった」と伝えること。
人は、これを聞くと安心するのでしょう。
それだけで救い主が現れたと感じるものなのかもしれません。

だけど、これ、できているかしら?
あまり自信を持って「私はやっている」とは言えません。
「分かったけど、でも...」
こんなことを言ったりしていないかしら? ←自問のつぶやきです。


もう一度、だけど...。
誰もが「分かった」と言いさえすれば、
相手は寄り添ってもらえていると感じるわけではないように思います。
これは、傾聴スキルに関するよくある誤解としても言われていますが、
傾聴では相手の言葉をそのままオウム返しすることが大切、と覚えた人が、
それを実行したからといって、
相手が傾聴してもらっているとは感じないように、
Doingを磨いても、Beingが伴わないと、
寄り添いは成立しないのだと思います。

以前、読んだある記事によれば、
覚えたスキル通りに実行し、
自分は傾聴できていると思っている上司の方が、
傾聴がうまくいかないと悩んでいる上司よりも、
傾聴できていないことが多いそうですから、
「型」でこなすことほど怖いものはありません。

前述の車掌さんのエピソードも、
発した言葉として「I understand.」は有効でしたが、
その本質は車掌さんの思いやりだったに違いありません。

さて、「I understand.」は素敵な思いやりにつながりますが、
「I know.」はどうでしょう?

語尾に「!」がついて、
「I know !」になると、さらにわかりやすいかもしれません。
「(言われなくても)分かっている!」という感じになります。


たとえば、「~した方がいいんじゃない?」と助言したとして、
本当は「そうだね」「そうですね」と返してくれればいいだけなのに、
「分かってる、分かってる」とか、
「分かってますよ」と返す人がいます。
うるさいなと思うのでしょうか。
寄り添って助言したつもりが、
おせっかいだと思われたのでしょうか。
でも、振り返って、自分がやっていないかというと、
無意識にやっているのかもしれません。


ここで気づくのは、「I understand.」と
相手に対して理解を示すシーンでも、
「I know.」と自分の理解を示すシーンでも、
言う側と言われる側の双方が相手の立場に立たないと、
良い関係が成立しないということです。


今回取り上げた2つの「分かっている」。
同じ「分かっている」の表現でも、
随分とニュアンスが変わるものです。
少し意識するだけで、相手との距離感が変わるなら、
使い方に気をつけたいものですね。


不安定な天候が続いています。
体調を整えて、お過ごしください。

22119797.jpg

スーパーマーケットで買い物をしていて、
ほしいものが見つからないときに、どうしますか?
先日、これが社内で話題になりました。
具体的には、お店の人に聞くか、聞かないか、です。
私は聞く派なので、つい最近も「きくらげ」の場所を聞きました笑
なので、聞かないという選択肢があるなどとは
思いもしませんでした。
なぜ聞かないのか、その理由は、
仕事の邪魔をしたくないから、とか、
自分で見つけられるはずと思うから、など、
人それぞれのようです。

仕事でも助けや協力を求めるのが上手な人と、
なるべく一人で自律的にやり遂げようとする人がいますが、
そういった傾向は意外にも店での買い物に出るのかもしれません。
どちらが良いというわけではありませんが、
いっしょに働くときにはお互いの傾向を知っておくと
コミュニケーションがとりやすいかもしれませんね。


さて、「聞く話」つながりで、
最近私が体験して感じたことをシェアします。
ご存知の方も多いと思いますが、
4月から私の身分は社長から取締役になりました。
オーナー社長と雇われ取締役では立場が違いますので、
今週、新社長の岡崎に私への「期待」を聞いてみました。

まあ、その中身をここに書いたりしませんが、
上司に自分への期待を聞くことは、
私にとって、とても良い体験でした。

「間違った方向にがんばらないため」
というのもあるかもしれませんが、
一番新鮮だったのは「モチベーションが上がる」
という感覚を得たことです。


誰かに期待されていると思うことは、
人にとって素直にうれしいことなのだ、
と改めて感じました。

最近は、期待を伝えることで
プレッシャーを与えないようになどと、
気を使う風潮がありますが、
多くの人は期待されていないより、
自分は期待されていると感じる方が、
やる気が起きるのではないでしょうか。


一方で人がみんな「自分への期待は?」を
聞きたいと思っているかといえば、
そうとも言えない気がします。

例えば、期待を聞きたいのに、
上司の口からスラスラ出てこなかったら、
がっかりしますよね。
だとしたら、聞くことが怖くなるのは当然です。
あるいは、期待を言われるということは、
現状がダメなのだと構えてしまう人もいそうです。
心理的安全性がないと、
そういう話は聞きにくいものなのかもしれませんね。


また、こんな可能性もありそうです。
下手に期待を知ってしまったら、
応えるのが大変になるから知りたくない...
そう無意識に思っている場合もあるかも。
そんな視点で我が身を振り返ると、
反省すべきことがたくさんある気がしてきました。


「期待」については、部下への期待を伝えるだけでなく、
上司である自分への期待を聞くのも、
コミュニケーションの土台づくりとしては有効でしょうね。
適切なサポートができますから。

というわけで、自分から聞けば教えてもらえるけれど、
聞かないと教えてもらえない(もらいにくい)のが「期待」です。
予め頼んでおけば、相手もきっと準備してくれるでしょう。
モチベーションが上がるという意味でオススメなので、
上司や同僚に聞いてみてください。

社内コミュニケーション.jpg

4月といえば異動・着任の季節です。
新しく社内広報/インターナルコミュニケーションの仕事に就かれた方も多いことでしょう。
そこで、今日は当社の研修で伝えていることの一部をお裾分けします。
それは、言葉との付き合い方についてです。


第1の視点は、ご自分の仕事をどう定義づけるかが大事、という話です。
社内広報の前に、例えば広報。
これ、何をする仕事なのでしょうか?
割と多くの人が、「情報発信」「お知らせ」等の文脈で捉えているような気がします。
この場合、社内広報といえば、社内向け情報発信、社内向けお知らせという捉え方になります。
この捉え方が生まれるのは、「広報」という漢字2文字に原因があるのだと思います。
広く報じると書くのですから、
情報発信やお知らせと捉えたとしても、何らおかしくありませんよね。
でも、果たして、それで十分でしょうか?

また、社内広報が何をする仕事なのか?と問われて、
タスクベースで答える方も少なくない気がします。
例えば、「社内報をつくる仕事」などの形がこれに当たります。

ここでお伝えしたいのは、ご自分の仕事をどのように定義づけようと、
本来自由であり、逆に言えば、唯一無二の正解があるわけではない、ということです。
しかし、それでも敢えてこの話をするのは、
仕事は定義の持ち方次第で、見えてくるものが変わり、
モチベーションも変わるからです。


ちなみに当社の研修では、
「社内広報は、マインドの課題解決をする仕事である」
と、伝えています。
組織に属する人々のマインドをより良いものへ変える仕事であり、
行動変容を促す仕事だ、という捉え方。
また、コンテンツを読んだ人のマインドが上がるということは、
人の幸福に関わる仕事でもある、と捉えています。

なので、この機会にご自分の仕事を定義づけるなら、
目的から発想して、言葉決めをするのがおすすめです。

そして、その一環で、いろいろな業務についても言語化してみてはいかがでしょう?
見えてくるものが変わりますよ。
・良い企画とは?
・良いリーダーとは?
・良い会議とは?

まして、上司と部下の間で、言葉の定義が異なっていると、
評価されないなどという不幸な事態も生まれます。
たかが言葉。されど言葉、です。


第2の言葉への視点は、「もっともらしさ」を疑って、
言葉の精度を高めるということが大事、という話になります。

私たちは「社会人はこうあるべき」という思い込みを持っていて、
もっともらしい言葉を使うのは当然だと考えてしまいがちです。
例えば、このような言葉があります。
・コミュニケーションの活性化
・ベクトルの一致
・「○○○」の社内浸透
・「○○○意識」の醸成
と、まあ、普通に、なんの抵抗感もなく使いますよね。

でも、「コミュニケーションが活性化した状態とは、どんな状態か?」までは考えずに、
この言葉を使っていることが圧倒的に多いと思いませんか?
日本語ですから、「コミュニケーション」も「活性化」も
辞書的な意味は分かっているからです。

しかし、そこをしっかり深掘りして捉えないことには、
「ありたい姿」が見えてこず、
それだと課題解決につながる仕事はできません。


私たちは、言葉を使って、お互いに意思疎通をしています。
自分の使う言葉に責任を持つというのは、こんなことも含んでいるように思います。
新任にもベテランにも、
広報に就いている方にも、そうでない方にも、
コミュニケーションをより良くする工夫として参考になれば幸いです。


ゴールデンウィーク前で少々忙しくなりそうですね。
お互い体調を整えて、乗り切りましょう!
読んでいただき、ありがとうございました!

風景.jpg

今日のメルマガは、私にとっては社長の立場でお送りする最後の号になります。
と言っても、取締役としてもう1年間は常勤で在籍していますので、
メルマガ自体が最終回という訳ではありません。
とはいえ、ケジメはケジメです。
今日まで当社をお引き立ていただき、代表者として心から御礼申し上げます。
本当にありがとうございました!

さて、昨晩、私は、「今、自分はアーク(Arc)を閉じようとしているのだな」と実感しました。
アークって?と思われると思いますので、
まずは、少しだけ私が学んだアークの話を紹介させてください。
アーク(Arc)というのは、「孤」のことですが、物語の区切りというような意味でもあります。


12年ほど前にリーダーシップを学ぶため、あるワークグループに参加していました。
1年がかりの体験学習で、延べ22日間にわたり御殿場の合宿所で過ごしました。
そのときに学んだことの一つに、
「リーダーはアーク(Arc)を閉じなくてはならない」というものがありました。


物事や対話、あるいは体験などについて、未完了のまま放置したりせず、
意識的に完了させることが大切だという考え方だったと記憶しています。

誤解がないように補足すると、「アークを閉じる」というのは、
ただ単にタスクを終えるということではありません。
コミュニケーションや関係性、あるいはプロセスそのものについて、
リーダーがちゃんとピリオドを打つことの大切さを説くものです。


私たちは日々、身近な他愛もない会話や、少し大きめのプロジェクトを開始します。
でも、ともすると、それらを明確に終えないまま次の対象へ向かってしまう経験、
誰にでもあるのではないでしょうか。
この中途半端な「未完了」の状態は人や組織、人間関係のエネルギーを奪い、停滞をもたらすので、
だからこそリーダーはそうならないように、閉じるべきときがきたら、アークを閉じよ、
それがこの「アークを閉じる」のコアなコンセプトだと思います。
かくいう私も、三、四十代の頃、自分の興味から始めたプロジェクトなのに、
そのうちに熱が冷め、社員から「アレはどうなったのか?」と問われ、
しばしばお詫びしたものです。

また、プロジェクトのような大きなことではなくても、
たとえば会議。
さっきの話題はどこで立ち消えたのかな?というようなことは、
多くの人が体験しているはずです。

開いたアークを、意図的に完了させることで、消化不良や不完全燃焼が解消でき、
周りのみんなが次のステップに向かって、気持ちを切り替えることができます。
そして、この「アークを閉じる」は単なるしゃんしゃん的な儀式ではなく、
ちゃんと完了させるための対話をするなど、締めらしい締めがあるからこそ、
関わった人たちのアークも閉じていくのだと思います。
そんな学びを思い出しながら、「今、私はアークを閉じようとしているのだな」と実感した次第です。
だとしたら、社員に対しても、けじめのメッセージを送るべきですよね。
やっておこーっと。


さて、自分が始めたアークを自分で閉じようとする中で、いろいろな自問が湧いてきました。

私は、社長であろうとなかろうと、自分の素直な好奇心に従って、生きてきただろうか? とか、
反対に、自己中心的な基準ではなく、責任者として責任逃れをせずに行動してきただろうか、とか、
自分が信じることに対し、偽りなく行動してきただろうか、とか、
ずっとチャレンジできていただろうか、とか、
自己欺瞞や二枚舌に陥ることはなかっただろうか、とか、
臭いものに蓋をして、やり過ごしてきたことはなかっただろうか、とかとか。。。


そう問いかけてみると、ほぼほぼイエスと胸を張れます(笑)
逆に言うと、胸を張れそうなことに限って自問しているのかもしれませんが(大笑)
私は自分に100点はあげない主義(それだと自分の伸び代がなくなる気がするから)ですが、
でも、まあ70点ぐらいは与えても良いかな。


人生のアークも、日々のアークも、閉じたり、開いたりするものです。
社長のアークを閉じたからといって、好奇心まで閉じる必要はありませんし。
そんな心持ちで、来年の3月末まで自分にできることを精一杯考えながら過ごして参ります。
明日から、経営のバトンを岡崎に引き継ぎます。
新体制のグラスルーツも引き続きよろしくお願いいたします。

意見.jpg

昨日、社内で、コンテンツの企画をテーマとした
広報部門向け研修会のデモ兼テストを行ったのですが、
読み手の心理を探求するセクションで、こんなワークをしてもらいました。

Q あなたが仕事をしていて気持ちが上がるのは、どんなときか?
  反対に下がるのは、どんなときか?
人の欲求とモチベーションについて紐解くための一コマです。

テストに付き合ってくれた若手社員のKさんは、
自分が一生懸命考えたことに対してダメ出しされた理由に納得がいかないときに
気持ちが下がると話してくれました。

実は、この問いかけはさまざまなセミナーの場でしているのですが、
Kさんのように答える方は少なくありません。
私はその回答に興味があったので、本来なら突っ込んで聞きたかったのですが、
場の目的からズレてしまうので、そのままスルーしました。
彼に尋ねたかったのは、納得できないときに、どうするか、です。


実は、昨年からの採用面接で、自分が周りの人と違う意見であるときや、
これはおかしいと思ったときなどに、
発言するかを尋ねるのですが、
場が気まずくなりそうだったり、話が面倒なことになりそうなら言わない
と答える人が圧倒的に多い印象です。
人間関係やコミュニケーションでの振る舞いの基準が「波風」であるようです。
優秀そうに見えた20代の男性に、
「では、仮に侮辱されたとしたら、どうします? 飲み込みますか?」
と聞いたら、やはり飲み込むという回答でした。


当社では、意見を述べることを波風が立つことだとは考えていないので、
むしろ意見を言う人を採りたいし、
今までは発言してこなかったけれど、しても良いならしたい人を採りたいです。


意見を述べることや議論することを、なぜ多くの人が「波風」だと思うのでしょうか。
面倒な人、空気を読まない人と思われたくない。
そんな心理が人を貝にしてしまうのかもしれませんね。
でも、せっかくの意見を場に出さないなんて、もったいないなぁ。


納得ができない場合も、多くの人はそれを飲み込むのでしょう。
この場合、単に波風だけが飲み込む理由ではなく、
それを言えない/言わないのは、相手にアタマに来ているからでもあるのでしょう。
感情的になりそうなときに、人はそれを出さないようにコントロールしますよね。
それ自体は、むしろ大人な対応と言っても良いと思いますが、
本当は納得できない対象は相手ではなく、却下された理由のはず。
その理由をきちんと聞く。どういう説明がほしいのかを言う。
普通のコミュニケーションとして、相手を責めずに話すことは可能なはずだと信じたいです。


だから、どうした?という話であるのを承知で、私の考えを書きますと...
思っていることがあるのに、飲み込む方が、腹に一物あるようで、
健康的ではない気がしますし、その状態に陥ったら生理的に気持ちが悪いです。
あ、これは生理的なものだから「考え」ではありませんね笑
そして、その気持ちの悪さは価値観からくるものだと思うので、
何が正しいというのもない。
ただ、私がそういう人間だというだけのことです。
私にとっては、価値観であり、美意識であり、オーバーに言えば生き方なのですが。
あれ、そう考えると、これはやっぱり「考え」だと言ってもいいのかしら?
いえ、もちろん私だって、意見を言うタイミングを察ることもありますし、
思っていることは常に言うというわけではありません。
でも、前提として、波風だとは思っていないわけです。


日本人が大切にしてきた「和」というのが、調和の和なのだとしたら、
波風を立てないことは、必ずしも調和をもたらしているとは言えません。
というのは、調和というのは、意見の違いがあっても、
お互いを尊重しながら、より良い方向を一緒に探すことだと思うからです。
違和感があるときに、違和感があると述べる。
納得ができないときに、納得できないと述べる。
その先に調和があるような気がします。

なーんて書きながら、なんだかもっともらしそうに書いているだけじゃん、
という気持ちになってきました。
期末のせいか慌ただしい今日この頃であることを言い訳に、
乱筆乱文で失礼いたします。

ロボット.jpg

最近、我ながら科学や技術に興味があるな、と思います。

また、スピリチュアルや超常現象など反科学的な事柄にも惹かれたりします。
SF映画が好きなのも、そういうことと関係しているのかもしれません。
なぜ科学や技術の話が好きなのかというと、
1つには誰もが思うように夢があるからですが、
もう1つは歴史の一コマを垣間見ているような感覚を持つからだと思います。
なので、輪廻というものがあるのなら、
次に生まれてくるときは、エンジニアになりたいかも笑

高市政権に変わり、技術分野への積極投資が進むことで、経済も活発化しそうです。
探査船「ちきゅう」が海底からレアアース泥の回収に成功した、とか
トヨタがモナコで水素エンジン車のデモドライブをした、とか
三菱重工が二酸化炭素と水と電気から液体燃料の合成に成功した...などという話題は、
聞けば聞くほどわくわくします。


ひと昔前は夢物語だった人型ロボットも日に日に進化をしていますね。
先日から中華圏では春節を迎えていますが、もうご覧になりましたか?
中国の人気テレビ番組で人型ロボットの演舞が披露されていたのですが、
剣や棒、ヌンチャクを自在に操り、バク転ができるほどの運動能力です。
テスラの人型ロボット「Optimus」も来年には販売が開始されると言われているので、
ますますこの分野での米中の競争が激化しそうです。
いったい未来はどうなっていくのでしょうか?


中国のロボット軍団の演舞を見ながら、思い出したのは
映画「スターウォーズ」のロボット軍団「バトルドロイド」です。
と、同時にロボットではないのですが、
なぜか人工的に作られた兵士たち「クローン・トルーパー」のことも
思い出してしまいました。


「スターウォーズ」にはいくつかのテーマがありますが、
そのひとつは闇と光です。
光から闇に堕ちた代表がダースベーダーでした。
「バトルドロイド」も「クローン・トルーパー」も
科学技術の進展により生まれてきた兵士たちです。


ウクライナ戦争では新たな兵器にドローンが加わり、
戦争のイメージも様相が変わってきました。
(それでも多くの兵士が亡くなっていることもまた事実ですが)

人と人が殺し合うよりも、
ロボット同士を戦わせる方がマシという考え方もあるのかもしれませんが、
邪悪な心で使えば、他国の主権や人権を侵害することに繋がっていきます。


AIも同様ですね。
自己チューな企業や国がAIを活用すれば、人間社会に対する最大の脅威になり得ます。
そういうこともあってか、現在、安全性や規制について、
世の中では二つの考え方がぶつかり合っているようです。

一つは、AIは全人類ためのものとして非営利であるべきだし、
開発もオープンであるべきだ、
しかも脅威になりうるのだから、政府の規制が必要だという考え方。
もう一つは、莫大な開発コストがかかるのだから、
営利を追求するのも、ソースを公開しないのも当然だという考え方です。

前者の代表はイーロン・マスク。
後者の代表はOpenAI社のCEOサム・アルトマンです。
イーロン・マスクはもともとOpenAI社の創業に携わっていましたが、
上記のようなポリシーの違いから同社の経営を離れ、
独自にGrokを開発したと言われています。
ここでは、どちらを支持すると語るつもりはありませんが、
私たちが今、便利に使っているAIが双刃の剣であることは忘れない方が良さそうです。


私たちの心には、光もあれば闇もあります。
夢を与えてくれるはずの科学に、支配欲などの人間の心の闇が結びつくと、
未来は悲惨なものになってしまいます。
特に科学や技術、政治に携わる人には闇落ちしてほしくありませんが、
一方で、社会は集団の意識がつくっているとも言われています。
私たちは日常の中でダースベーダーにならないように心がけたいものですね。


インフルエンザが流行っています。
花粉の気配もありますね。
体調に気をつけてお過ごしください。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

社長メッセージを見る >>

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

▲このページのトップへ