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『リコメンド』カテゴリの記事

 

このブログは、2007年7月に始めたので、もう12年以上続けています。
メルマガを継続的に開始したのは、2013年7月。こちらも6年が経ちました。
メルマガの平均開封率は25%強と驚異的。もしよろしければ、登録してみてください!


この二つは、ある程度、覚悟をもって始めたので、
だから続いているのだと思います。
覚悟といっても、そのニュアンスはとても微妙です。
・原則「毎週」更新する。
・でもどうしても無理な時はパスもあり。
何が微妙かというと、どういう時にパスしていいか、
その線引きについては文言化していないからです。
結局は自分次第ということになります。


で、いったい私は何を基準に判断してきたのかを振り返ってみたのですが、
それはおそらく「継続性の担保」を基準にしてきたような気がします。
たとえば、毎週1回が原則なのに、2週に1回「今回は無理!」と判断してしまったら、
実質的には「毎週1回が達成できていない状況」になります。
でも、ほぼほぼ毎週1回書いていて、ああ、でも今週はどうしても無理...という場合、
毎週1回という継続性は担保されていると見なせます。


「継続性の担保」に明快なルールはありません。
結局、自分に対して何をOKするか、何をNGとするかに尽きます。
あ、でも今、これを書きながら、もう一つ重んじてきたことがあると気づきました。
「継続性の担保」の別の側面。
読者から見てではなく、自分が継続性を保とうという意識を持ち続けられるようにすること。
つまり、できているという感覚を保つための頻度はどの程度か、です。
それはやっぱり、「たまに休む」はOK、「時々休む」はナシ、と
本能的に思っている。
なぜなら、時々休むが定着すると、まず継続できないからです。
一方で、休むのは「罪悪」であると感じたら、これも苦しくて続かない。
その意識のバランスが継続に繋がってきたと思います。


さて、継続は力なりというように、継続はある面でとても重要です。
でも、それが好奇心のブレーキになってはいけませんよね。
先ほど、私は、ブログとメルマガについて、
「この二つは、ある程度、覚悟をもって始めた」と書きましたが、
何かを始める時に、いつもいつも同じようなスタンスかと言われると、
そんなことはありません。


たとえば、この半年の間に、人から見たら、
アレコレちょっと手を出しすぎでは?と思われるくらい、
いろんなことに手を出しています。
仕事のことは脇に置いておくとして、具体的には...


・ゴルフ
・俳句
・ドラム
・アウトドア
・寺社巡り


でも、これ、どれも興味があるから首を突っ込みたくなっただけです。
好奇心の赴くままにいたら、そうなった、という。
で、始めたらからといって、何かを極めなくたっていいし、
途中で飽きたらやめればいいと思っています。
始めるにあたって、継続できるかどうかなどまったく考えていません。


ここ、重要だと思うのです。
なんとなくですが、私たちの心の中に、何かを始めたら、やり抜かねばならん!とか、
軽い気持ちで始めてはいけないという思い込み、ありませんか? 
私自身、10年前はそう思っていたかもしれません。
でも、年齢が上がって、人生は一度切りなんだから、そんな必要はないなと思いました。
継続はもちろんいいことだし、重要なことですが、
「継続できるかな?」という気持ちが起きて、
それを理由にセーブしてしまうのはもったいないですよね。


セーブしないとこんなことが起きます。
実は、私、つい数カ月前まで、「山登り」に憧れていました。
そして、実際に山に詳しい友人に連れられて、初心者コースに登ってみたのですが、
やってみて、自分はこれをやりたいわけではなかった...。
そうわかったのです。すごく重要な気づきでした。


一方、俳句はまだ初めてから2カ月ですが、
これは一生やっていきたいなと思い始めています。
なぜなら単純に楽しいし、いつでもどこでもできるからです。


さて、、、
では、あなたは「気軽に」始めること、
「覚悟して」始めること、区別していますか?
仕事でない限り、覚悟して始める必要なんてないと思います。
人生は短いのだし、興味が湧いたら、気軽に始める心意気! 
いいのではないでしょうか!?


8月になりました!
暑くてイヤだなという気持ちもありますが、
同じ夏でも2019年の夏は1回だけ。楽しみましょう!

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おすすめの本の話題です。


あなたは、物事に直面して、答えを出そうとする時、どんな気持ちが湧きますか?
あるいは、どんな気持ちが起きて、どんな葛藤をしますか?
私は、早く答えを出したいという気持ちと葛藤しながら、
焦らずにまずはきっちりインプットしようと自分に言い聞かせているような気がします。
「答えを出す」は言ってみればアウトプットなのですが、
いきなりアウトプットに向かってはいけないという感覚的な信念がありました。
でも、その時に湧いてくる気持ちは「早く答えを出したい」という気持ちです。
しかし、それではいかんと思ってきました。
でも、この感覚について人に説明するのは、結構難しかったです。
おそらくそれをやっても、大したレベルの答えが出ないと思っていたからだと思います。


そこを、うまく言語化してくれている本と出会いました。
「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」(著:帚木蓬生、刊:朝日選書)です。
著者は小説家であり、精神科医です。
実は、まだ読み終わっていません。
でも、出だしの15%を読んで、これは自分が考えていたことを整理してくれる本だと、すぐにわかりました。


「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指します。
私が、この考えに惹かれるのは、一般常識とはちょっと違ったことを言っているからです。
一般的に「能力」といえば、困った物事に対面した際に対処する能力...というイメージがあります。
そのこと自体には異論はないのですが、そう言ってしまうと、早い方が優れている、
そんなイメージになります。
でも、対処に至った考えの深さはどう考えるべきなのでしょう?
早く対処できた方が能力が高いのか、いや違うだろう?とそんな気持ちがありました。


精神科医が書いているだけあって、脳の話や医療の話なども出てきますが、
反対に小説家でもあるので、キーツやシェークスピア、紫式部の話なども書かれています。
今から読み進めるのがとても楽しみです。
ご興味があったら、ぜひ読んでみてください。
どこかで、もう少し深く、これについて一緒に考えて行きましょう。


少し暑くなってきましたね。
梅雨はいったいいつ明けるのでしょうか?


素敵な1週間をお過ごしください。

グラスルーツは今年満35歳になりますが、
大分前から私が社員に向かって言い続けてきたことがあります。
それは、「自分で伸びていける力」を持っている人が強い、ということ。
言い換えば、一つの体験をした時に、
その経験を他に応用できるように吸収していける人が強いということです。


だから、私自身も、物事をマニュアル的に覚えるのは好きではありませんし、
マニュアル的に教えることも好きではありません。
ですが、マニュアルを作る発想で仕事をすることは、重要だと思っています。
微妙な表現ですが、これらは明確に違います。
マニュアル的に仕事を覚えるというのは、ただ「形」を覚えるだけになりがちですが、
その仕事の「本質」がわからないと良いマニュアルは作れません。
マニュアルを作る発想で仕事をすること、すなわち
本質的な視点で仕事を体得していくこと、
それが応用力を身につけるには不可欠なのではないでしょうか。


さて、これを読んでくださっているあなたご自身は、
応用力というものを意識したことがありますか?


私は、応用力があるのとないのとでは、人生がまったく変わると思います。
応用力がないと、どの体験も人生初体験になり、
毎度、「わからない」という不安な気持ちを味わうことになります。
でも、応用力があると、前にやったあの体験を応用すればできそうだ、
と思えるので、不安感が大幅に下がります。
ポジティブに言えば、自信を持って臨むことができます。
効率も生産性もまったく違います。
ということは、経済活動における自分自身の価値も変わってきます。


さて、その応用力というものを考えて行くときに必要だと思えてくるのが、
やっぱり、考えを深めるという日々のプロセスです。
考えることなくして、本質はわからない、
事柄の本質がわからないと応用はできないので、考えを深めるプロセスが重要です。
これは、1日1回あるというようなことではなく、1日何度も生じます。
つまり習慣化できるかどうかが鍵となっています。


ところが、世の中、考えを深めることが習慣でない人は多いと感じます。
当社でも、最初は慣れていない状態で入ってくる人が少なくありません。
入った会社にもよるかもしれませんが、社会人になると、考えることが求められ、
その結果、考えることに慣れて行く人もいれば、
なかなか徹底できず、習慣にならない人もいます。


でも、先ほどの話に立ち戻ると、
会社から求められるから考えることが必要なのではなく、
自分が過去の経験に基づいて応用力を効かせられるようになることが
不安をなくし、自分の成長に繋がるから、考える習慣が大切。
これが私の意見です。


私は、考えることに慣れていない人たちには、共通点があると思います。
特に重要なのは次の2つです。

(1)自分がわかっているのかどうか、見極めようとしていない。
(2)「自分で考えるよりも、教わる方が早い」と思っている。


この2点について、もう少し詳しく見て行きましょう。
ですが、これは、私の想像であって、断定する根拠は何もありません。
強いて言うなら、35年間の人間観察の結果でしょうか?笑


(1)自分がわかっているのかどうか、見極めようとしていない。
   (ので、疑問が湧いてこない)
  その理由はおそらく:
  ①「自分は今、本当に理解できているか」と自問する習慣がなく、
   「感覚的にわかったつもり」で済ましているから。
   自問する習慣がない理由はおそらく:
   ・「そんなことをしていたら、間に合わない」と焦っているから。
   ・「そこまで深く考えなくても、できるだろう」と思っているから。
    そして、実際、価値の高さにこだわらなければ、そこまで深く考えなくても、
    何かしらできてしまうので、その大切さに気づけない。


  ②仮に「自分は今、本当に理解できているか」と自問したとして、
   何をもってわかったと言えるのか判断基準を考えることをしないので、判断できない。
   判断できないことは、見極めようがないと思っている。
   判断基準を考えられない理由はおそらく:
   ・目的思考で考える習慣がないから(目的から考えたら、わかるはずだが、そこに立ち戻る習慣がない)


(2)「自分で考えるよりも、教わる方が早い」と思っている。
   一見早い面はありますが、疑問も持たずに教わろうとしたなら、
   結果的には遅くなります。なぜなら伸びないからです。
   こう考えてしまう理由はおそらく:
   ①わからない状態で考えた結果、間違えるなら、それはムダだと思っている。
   ②自分の今の力量で結論を出すのには時間が足りないので、精度の低い結論になる。
    それは、非効率なので、教わった方が効率的だと思っている。
   ③実は焦りから、思考停止状態に陥っている。


...と、いろいろ書きましたが、
端的に言えば、「急がば回れ」と思えていないことが一因ではないでしょうか。
誰もが、できれば合理的で効率的に仕事をしたいと思っています。
それは間違いない。
しかし、考える習慣のない人は、省力化にこそ考えることが必要...
とわかっていないために、
考えることを省力化しようとして、結果的に非効率を招いているように見えます。
急がば回れなんですけどねぇ〜 ホントですよ、考えるスパイラルに入れれば、
あとは体験のすべてが貯金になるのですから。


また「考えるプロセス」を持つことが自分の仕事の価値につながる。
そこに、こだわるかどうかは、価値観の問題ですよね。
これは、むしろ生き方とか、美意識にも通じますので、
このブログで、私がどうこういうのは筋違いかな。
もちろん、グラスルーツの社員にはそうしたこだわりを持ってほしいですけどね。


長くなりました。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
7月も後半。夏風邪に気をつけて、良い1週間を!

今日は、一つのビデオ(上)を紹介します。
O&Oアカデミー創設者プリタジさんのTEDでのスピーチです。
彼女の考えによれば、ストレスや苦しみの意識の中で、幸福を考えても限界があり、
美しい意識状態にあってこそ、幸福に到達できる...そんなプレゼンテーションです。
イェスミとノーミ、二人の登場人物による物語を通じて、
そのメッセージを伝えています。
イェスミとノーミは、誰の中にもいるであろう心の動きを意味しています。


18分ほどの動画ですが、
聞けば聞くほど、あぁ、そうだなと思います。
ストレスの多い現代社会だからこそ、こうした考え方が必要だと感じました。
私たちはノーミになりやすい。
ノーミになっていることさえ気づかず、
自分を正当化する毎日を送っているのかもしれない。
そんな気づきを与えてくれます。
イェスミは、周りの目など気にせずに、自分の信じる通りの生き方をしています。
人にとってストレスになりうるネガティブな感情を超越して生きています。
本当にそれを実現することはたやすいとは思えませんが、
人のあり方としての理想のように思えました。


さて、話は関連するような、しないような。
個人的な話で恐縮ですが、昨日は母の一周忌でした。
命日は5月6日ですが、連休前にということもあって、昨日執り行いました。
母は、すい臓がんで余命宣告をされていましたが、
去年の今頃はすでに宣告よりもずいぶん長生きしていました。
4月初めはギリギリ寝たきりではなく、一緒にお花見をしました。
母はビール党で、大好きなスーパードライをまだ飲めていました。
そして、4月後半から食事もできなくなり、起きられなくなりましたが、
なぜか、母にも私にも悲壮感がなく、
亡くなったその瞬間にさえ一滴の悲しみもありませんでした。
むしろ、誇らしい気持ちで送り出した感じでした。
母の振る舞いや佇まいが私をそういう気持ちにさせたのだと思います。


今思えば、母がプリタジさんの物語のイェスミのように見えたのかもしれません。
何しろ85歳ですし、まだら認知ですから、
どこまで何がわかっていたのか、正確なところはわかりません。


でも、プリタジさんが言う「自分、自分、自分、、、」ということはなく、
自分の人生や過去に執着する様子もなく、
でも、今を大切にして「おいしいね」「きれいね」と言ったり、
施設のスタッフに「ありがとう」「悪いわね」と言ったり。


彼女にも人生に執着する時期はあったと思います。
いえ、ありました。
それなのに、どうしてあんなにあっさり手放せたのか。
もしかしたら、「2度目のがん」だったからかもしれません。
40代の終わりに乳がんになったとき、母はもっと人生に執着していたような。
そりゃそうですよね、しない方が不思議だから。
でも、85歳になって、何か達観したのでしょうか。
答えは謎です。
もしかしたら、ただ単に母を美化しているだけかもしれません。
でも、私にとってはある種の教材を母から与えられた心境です。


私は今を生きるために、いったい何を手放すべきなのか、
そんな問いが浮かんできました。即答できるものは何もありません。
あなたご自身はどうですか?


今週も素敵な1週間をお過ごしください。

暑い日が続く中、お盆ウィーク突入ですね。
当社はお盆休みというのはなく、各自が銘々に好きな時期に休むのですが、
今週はやっぱりお休みする人が多いです。
私も、ポツポツお休みしようと思います。


さて、今日のテーマは「思い込みの棚卸し」です。


これを私自身がやってみようと思ったきっかけは、
最近、2017年の年初に書いたウィッシュリストを読み直したことが
多少影響しているかもしれません。
そう、私は2017年の1月に100件の望みを書き出してみました。
100件書き出すのは、実はとっても大変で、
言い換えれば、それほど欲がないということでもあるのですが、
絞り出し〜の、絞り出し〜の...
そうやって出て来た100件の望み、
1年半ちょっと経ってみて、どうなったか?


笑われるかもしれませんが、
上位50のうち、できたと思えるのは、わずか1件!
51位から100位までの間でも、わずか1件!
それもそのはず。
できそうにないような非現実的なことを挙げていましたので。
私にとっては、できそうなことを書き出したって意味ないと思えたのです。


実際には、ウィッシュリストもいろいろな活用の仕方がありますから、
できそうなことを書いて現実化させていくという使い方もありますよね。
でも、私のウィッシュリストは夢みたいな妄想を書くというルールで書いたので、
今、読み返してみて、全部で2つしか実現していないとしても、
負け惜しみなどではなく、むしろうれしいくらいです。
何しろ書いたその時点では、簡単にできそうにないことだったので、
それが2つも実現できたなら本当に御の字!


と同時に、当時、リストに書かなかったことなのに、
途中でやりたいと思う新しいことが出てきて、実行しているのも、
ウィッシュリストを書いて、
自分の欲求の本質を理解していたからだと思います。
「書き出す」というこのシンプルな方法、
いろいろなことに使えるのではないでしょうか。


そこで、やってみました!
この「書き出す」という方法で、
「自分の思い込みの棚卸し」をやってみたのです。


私はこのブログやメルマガを通じて、
何度となく「思い込み」について書いてきました。
私が「思い込み」に関心を持ち続けているのにはたくさんの理由があります。
・「思い込み」によって、自分が何かに縛られ、自由でなくなるのがイヤだから。
・「思い込み」によって、自分が成長できなくなるのがイヤだから。
・「思い込み」によって、部下の可能性を決めつけてしまいたくないから。
・極端な個人の「思い込み」が極端な社会的判断を生んでほしくないから。
・「思い込み」はイノベーションを生み出さないから。and so on.


ですが、「思い込み」は人間である以上、なくなりませんよね。
「思い込み」を別の言葉でいうなら、それは「価値観」ですから。
自分が大切にしていることを、多くの人は「思い込み」だとは思っていませんが、
これこれを大切にしたいという「価値観」は、
結局のところ「〜は〜であるべきだ」という「思い込み」でもあります。


だからこそ、「思い込み」(価値観)があって悪いわけではありません。
自分が大切にしたいことが、実は自分が決めつけているだけかもしれない...と
余裕を持って物事を見ることができたら、
その価値観に奥行きが出ていいなと思います。


さて、私がやってみた「思い込み」の棚卸しのやり方は極めて簡単。
「○○について」とテーマを決めます。
テーマは複数設けてOKです。
私は、「グラスルーツについて」「上司部下の役割について」「自分について」と
決めて、やってみました。
あとは、それぞれのテーマに対し、「私は〜と思い込んでいる」と書くだけです。
すると、出てくる!出てくる! 恥ずかしながら例として紹介しますね。


私は、社長は企業の看板でなくてはならないと思い込んでいる。
 →看板社員が大勢いる方が本当はいいですよね。
私は、上司は部下の成長を支援しなければならないと思い込んでいる。
 →成長支援が間違っているとは思いませんが、こう思い込みすぎると
 押し付けが生まれたりしやすいですよね。


ウィッシュリストの場合もそうですが、
結局「書く」行為によって、自分の心の中にある強い考えがはっきりしてきます。
もちろんその考えを全面否定する必要はなく、
「別の考え方ももしかしたらあるかもしれない」という気持ちを持つだけで、
十分効力があります。


ちなみに、私は95%の人が知らないであろう
CTIリーダーシッププログラムの修了生ですが、
このプログラムでも「相手へのアサンプション(思い込み)を手放す」ための
ワークがありました。
そこでは、広い意味での「思い込み」を取り上げたのではなく、
リーダーが人と良い関係を築くためには、
相手への「思い込み」を払拭する必要があるという文脈で、
「思い込み」が取り上げられていました。
自分は、これまであなたに対してこういう「思い込み」があった、
と打ち明けることで、自分の「思い込み」を手放し、
相手との関係をリセットする...。
そんなワークだったと思います。


人間関係でも、それ以外の物の見方でも、
「思い込み」とどう付き合うか、とても重要ですね。


では、弛みたい今週は大いに弛んで、
すてきな1週間を過ごしましょう!

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最近、アマゾンのビデオで観た映画で、とても感銘を受けた映画が2作あります。
一つは「ラ・ラ・ランド」。もう一つは「きっと、うまくいく」です。
今日は、どっちについて書こうかなと悩みましたが、
「ラ・ラ・ランド」の方がよりメジャー感が強いので、
「きっと、うまくいく」について書きますね。
でも、「ラ・ラ・ランド」、これもホントに本当に、素晴らしく良かったです!

さて、「きっと、うまくいく」はインド映画です。
2009年の公開当時、インドでは歴代興行収入第1位を記録したとか。
でも、私はこの映画の存在を今回初めて知りましたが、
もしかしたら知らなかったのは私だけかもしれません。


私が映画選びで参考にしているのは、「レビューの数」と「星」の多さです。
「きっと、うまくいく」は、なんと星が5つ! レビューが440もありました。
星が5つなんて、見たことがありませんが、
これほどレビューが多い映画も見たことがありません。
けれど、映画を見てみたら、その理由がわかりました。
本当に見て良かった映画です!


物語は10年前、インドのエリート大学の3人の大学生の学生生活に遡ります。
主人公が影響される友人ランチョーがめちゃめちゃ魅力的です。
この映画の魅力の99%は彼の存在にあると言っても過言ではありません。
(以下、多少ネタバレを含みます)


大学は、競争至上主義を教え込もうとします。
1位になれ、2位では意味がない、と。
学生たちにそんなプレッシャーを与えて、大学の評判を維持しようとします。
それだけでなく、登場する学生たちは皆んな親の期待に応えようとして、
自分を枠にはめ、苦しんでいます。


そんな中、ランチョーは訴え続けます。
競争による成功を求めるな、優秀であれば結果はついてくる、と。
で、学ぶことの本質を投げかけていきます。
仲間に、学生たちに、教授に、学長に。
そして、学長には睨まれますが、屈しないし、
学長の娘と恋をする。
そして最後はハッピーエンドですが、、、、


では、一体私はいったいこの映画のどこに心が動いたのか?
端的に言うなら、私は何を受け取ったのか?
自問してみました。


私は、この映画からたくさんのメッセージを受け取ったので、
1つに絞って書くのは、実はしんどいのですが、
それでも敢えて1つに絞って書きますね。
私が受け取ったのは「自分の心に従って今を生きろ」というメッセージです。
わかりやすく言えば、まずは「自分中心に生きろ」ということです。
そして、人の期待に応えようとして生きていた登場人物たちが、
自分の心に従って生きようと変わっていく姿に感動したのだと思います。
そして、それによって、彼らが自信に満ち溢れ、
本当に幸せになっていく姿に感動したのです。


私たちには、「成功」という名の幸福がある...という刷り込みがあります。
ここでいう「成功」の意味は、他人よりも経済的に恵まれているとか、
他人よりも名誉を得ている程度の意味なわけですが、
実は、自分の胸に手を当てて考えたときに、
それらの指標は大して意味がないと気づきます。


自分中心であることは、自己チューなどとも言われ、
悪いイメージが強いですよね。
でも、私たちは人のための人生を生きているのではなく、
自分のために、自分の人生を生きているのですから、
まずは自分中心、自己満足至上主義でいいのかもしれません。


だから、頭で幸福を追求するのではなく、
自分の胸に手を当てて、自分の心の声を聞き、
その心の声に従っているかどうかを大切にする、
これが大切なんですね。


でも、実際はどうでしょう?
どちらかというと、大人になると、大人的に理に適った行動を取ろうとしませんか?
頭で幸福を考えるようになってしまう。
でも、本当の幸福は心が感じるままに生きることにあるんですよね。
この映画は、そういうことを思い出させてくれました。


ちなみに、インド映画であるこの作品は、
インド映画の特徴でもあるミュージカル的な要素を持っています。
ミュージカルが嫌いな人は最初の3分の1ぐらいまで
少し違和感があるかもしれませんが、
とにかく5つ星の映画です。
多少違和感があっても、ぜひ最後まで観てくださいね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
今週も素敵な1週間でありますように!

今日のブログは、自分のため記録的に書いておこうと思います。
人と会って会話した記録、自分が読んだ本と相手から勧められた本の記録など。


先週は、人と会い、会食する機会が多い1週間でした。
その中で、私が2014年にCTI主催のコーチング基礎コースで出会ったある人と、
しばらくぶりに飲みました。
彼は、某有名ネット系企業に勤めているのですが、
そこで主業務の他に、社内コーチをやっています。
社内コーチは数百名もいるのだとか。スゴいですね〜


彼と私が何を話したかをつまびらかに書くつもりはありませんが、
二人の共通の関心はあるんですよ。
でも、うーん、改めて言語化しようとしたら、
意外に難しいな。。。なんだろう?
・自分のまやかしに気づける自分であろうとすること、
・怒り、恐れ、喜び、悲しみなどの情動が沸き起こった時に、
 情動と自然な形で付き合える自分であろうとすること、
そんなことでしょうか。
さらに言うなら、そうやって、自分を高めていきたい...ってことかもしれません。


そんな彼が、神の啓示を受けたかのように
(少なくても私にはそう見えました)
自分が何を目指したいのか、
プロのコーチはどうあるべきか、
熱く語っていたんですね。


その後、数年前に私が勧めた本の話になりました。
その本は、「自分の小さな「箱」から脱出する方法 」です。
http://amzn.asia/5Jg9bmy
それほど詳しい記憶はありませんが、
自己欺瞞について考えるのに役立つ本...として勧めたと思います。
そして、その当時、つまり2年前ぐらいでしょうか、
そもそも自己欺瞞とは何で、自己欺瞞はどうして起きるのか、
そんなことを当時語り合ったんですよね。
で、彼が「今日はこれを語りたい」と言い、
当時話していた「自己欺瞞」復活大討論とでも言うのでしょうか。
そんな話になりました。


とにかく、彼の悟った「なぜ人は自己欺瞞に陥るのか」はいい感じでした。
それが、シンプルで私にも刺さったので紹介しますね。


まず、その前にそもそも自己欺瞞といのは、何でしょうか?
平たく言うと、自分で自分を騙している状態のことです。
でも、それを自覚することは簡単ではありません。
本来、自分の胸の内は、当の本人にしかわからないはずですが、
当の本人さえ無意識すぎてわからないこともあるし、
心の動きは意識はされたのだけれど、
実際にはその気持ちの裏側に、
無意識で自分を騙すような心理が働いていることもあって、
それに気づけない場合もあります。


抽象的すぎるので、例を紹介してみましょう。
例えば、あなたは今エレベーターに乗り込んだばかり。
しかも、とても急いでいる。
だから、乗ってすぐにドアの「閉じる」ボタンを押した。
そんな状況で、エレベーターの扉がまさに閉まろうとしたその瞬間に、
乗り込もうとする人影を目にする。
気がつかなかったフリもできそうなタイミングに甘えて、
あなたは「オープン」を押さない。
そして、本当は乗りたかったはずの乗客が乗れなかったことに
知らんぷりを決め込む。
そして、ちょっとした心のザラつきを感じるのだけれど、
自分を正当化して、その出来事にフタをする。


この手の小さい出来事は、日常ではいくらでもありますよね。
で、この例はエレベーターの例ですから、
何となく大したことではないという気がするでしょう。
でも、仕事の場や家族との場で、些細なことでイラっとしたり、
爆弾のような大きなことではなくても、
ちょっとした行き違いで心が穏やかでなくなることは
きっとあるのではないでしょうか。
そして、小さなことであればあるほど、「ま、いいか」と思いつつ、
言えないでストレスを溜める。
あるあるですよね。


先の私の友達は、そこに興味を持ち続け、
あの後、自分はこう整理したと話してくれました。
と言っても、実際に話したニュアンスとは微妙に違うかもしれません。
お許しを!
でも、人が陥りやすい「心の流れ」について、的確に捉えた意見だと思います。


それは、つまり次のような心の流れです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1)人は答えを出したがる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何かモヤモヤしたり、対処すべきことがあると、
人はそれを放置してしていられず、答えを見つけようとする。
どちらかと言うと防衛本能から、自分を守るように答えを出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(2)自分が出した答えを人は正しいと思いたがる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人は、答えを出した時から、
自分が出した答えが正解だと思い込んでいる。
たとえ、それが防衛本能からのものであったとしても。
なぜなら、答えを求めて出した答えなので、
そもそも正解ではないかもしれないとは思わない。


さて、実際の会話とは少しニュアンスが違っているかもしれませんが、
でも、ざっくり言うと意味としてはそんなことでした。


あなたは、これを聞いて、どう感じましたか?
私は、これを書きながらも、あることでどうリセットするかを考え中です。
自分が本当に正しいのかと問いまして。


最後に、私が友人に紹介した本と、
今回、彼から紹介された本と、
さらに最近私が読んで良かった本であり、なおかつ、
自分と向き合うことの大切さを説いているという意味で、
今回の話にもすごく関係するような気がする本を紹介しますね。


(1)私が友人に紹介した本
「自分の小さな『箱』から脱出する方法 」
http://amzn.asia/5Jg9bmy


(2)友人から紹介された本
「ネガティブケーパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」
http://amzn.asia/jiDimKs


(3)マンガですが、最近私が読んで感銘を受けた本
「君たちはどう生きるか」
http://amzn.asia/eHqfpY2


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

先週、家のテレビが突然壊れてしまい、
週末、新しいテレビを買いに行きました。
15年以上使っていた気がするので、ありがとう!という気持ちです。
突然の出費は痛いけど、夏なので、壊れたのがテレビでよかった。
これがエアコンや冷蔵庫だったら...


さて、今日は「会議」の話。


会議に対する不満、世の中、多いのではないでしょうか。例えば、、、
・招集されたから出席したけれど、出席する意味を感じない。
・会議のゴールが見えないことに、ストレスを感じる。
・自分に何が期待されているかわからず、発言がしにくい。etc...

他にも時間通り終わらないなど、たくさんの不満がありますよね。
今回、なぜ私がこの話題を取り上げたいと思ったかというと、
最近、私は、暗黙知はどうすると形式知になっていくのか、について
興味を持っていて、
この機会にそういう視点で会議というものを振り返ってみたいと思ったからです。


例えば、私たちは、会議のファシリテーションを業務委託されます。
委託された会議の前には、時間をかけてしっかり準備をします。
会議の目的はもとより、参加者の心情心理や理解のレベルを踏まえ、
どういう流れで何を問いかけるかを考えます。


そういう仕事をしている私たちですが、
では自社内のミーティングが「常に」うまく機能しているかといえば、
ありゃ〜 残念ながら答えは「NO」です。
そして、会議が停滞したり、堂々巡りをしている時に
参加メンバーが感じていることは、人それぞれ違っているような気がします。

自社の会議と委託されたファシリテーション業務との最大の違いは、
準備の量です。社内会議の場合、極々最小限しか準備はされません。
準備はした方が良いに決まっていますが、
身内の会議でそれをルールにしてしまうと非効率な面もあります。
(という思い込みを疑ってかかる必要もあるかもしれませんけどね)
ですので、ここでは多くの準備はしない前提で、
会議をより良い場にするためにはどうしたらいいのか、
そんな視点で皆さんと一緒に考えていきたいと思います。


と、言ったものの、、、会議といってもいろんなタイプがありますね。
まずは合意形成しながら、方針や行動を決めていくような
会議を前提として考えてみましょうか。
それでもいろいろなシーンがありますね。
いろいろな会議のシーンを思い起こし、
何となく停滞している時の共通点、
変えるべき事柄について、探してみたのですが、
結局それは何でしょう?


私は、主に3つ原因があり、まずはそれを変えたら、いいのかなぁと思います。
1つ目は、「目的」の曖昧さを早めに深掘りして、「課題」として明確にすること。
2つ目は、「方法のタイプ/場のコンセプト」を招集前に明確にして共有すること。
3つ目は、「各参加者の役割」を招集前に明確にして共有すること。
式で表すと、「課題」×「場のコンセプト」×「役割」です。
順番に見ていきましょう。


まず1つ目。どんな会議でも、一応目的はありますよね。
でも、その「一応ある目的」ぐらいだと、何から話したらいいのか、
とてもとっつきにくいはずです。

例えば、次の2つは、先週実際に私が参加したミーティングの目的です。
・今後の当社のマーケティングの方法論を確立する。
・顧客ヒアリングに基づき、どんな方向でプレゼンテーションするか決める。
ですが、この目的表現のままだと、何を議論していいかわかりません。
目的に応える形で「課題抽出」できてこそ、具体的なディスカッションに入れます。
そう、この「課題抽出」は実はそれだけで1回以上のミーティングが必要なくらい、
重要なディスカッションテーマです。
つまり会議プロセスを形式知化しようとするなら、
「目的」から「課題抽出」という工程をしっかり立てることが必要ですね。
具体論はその後である、そんな形式知への共有が必要なのかと思います。


続いて2つ目。会議の場には「方法のタイプ」(場のコンセプト)があり、
まずはそれを明確にし、招集段階で告知できたらいいですね。
例えば、、、
・ブレーンストーミングなどの「アイデア発散タイプ」
・ボトムアップ提案などの「プレゼンタイプ」
・定例的、あるいはプロジェクトの要所での「報告タイプ」
・振り返って行うミーティングや反省会などの「分析タイプ」
・その場で集まってワークする「実務実行タイプ」
・インタビューや資料に基づくレクチャーなどの「取材タイプ」
・方向性に対する結論を出す「合意形成ディスカッションタイプ」
・意思決定を行う「意思決定ディスカッションタイプ」
・トップダウンの意思伝達を行う「意思伝達タイプ」etc.
場のコンセプトがわかると、参加者は自分の行動がイメージできます。
場のコンセプトを伝えるというのは、形式知にできる要素だと思います。


最後に3つ目。「各参加者の役割」について。
実は、今回振り返ってみて、私が一番頻繁に混乱しやすいのが
これだとわかりました(笑
この場が何の場で、部下は自分に何を期待しているのかがわからないままに、
上司だからという思い込みから、見えない役割を果たそうとしてしまう。
その結果、アドバイスなのか、指示なのか、わかりにくいことを発信してしまう。
そういうことが起きがちです。(反省)
私に限らず、上司というポジションの方には、
この感覚、多少わかっていただけるのではないでしょうか。


でも、この「各参加者の役割」。立場に関係なく重要ですよね。
自分の役割がわからないと、人はどう振る舞っていいのかわからない、
これはすべての人にとって共通する感覚だと思います。
アイデアや助言が欲しいのか、協力を引き出したいのか、
ただ単に「いいね」と言って欲しいのか、
誰しもその役割を知った上で、会議に参加したいはずです。


さて、、、、
今回は3つの仮説に則って、
会議に関する暗黙知をどうしたら形式知化できるか、見てきました。
これを考え抜くことに、一つの価値がありそうですね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
まだ夏は続きます。思い出深い夏になりますように!

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こんにちは! 
先週、偶然にも似たような別々のプロジェクトが今月3つ始まると書きました。
いずれも私たちがファシリテーション&コンサルテーションするような案件です。
そこで、今日は、私たちがミーティングをファシリテーションするときに、
何に配慮しているかを紹介させていただきます。
配慮している点はいろいろありますが、、、、(笑


一番は参加者の方たちの気持ちが、会議に対して他人事にならず、
主体的に参加しようと思ってもらうようにすることです。
そのためにも、「話す人」と「聞く人」に分かれないような工夫をたくさんします。


今日は、その中でもシンプルですぐに使える方法をお伝えしますね。
それは、各自の意見を書き出してもらう時間と、
書いたものをシェアしてもらう時間を分けるという方法です。
なぜ、このようにするかというと、複数のメリットがあるからです。


具体的には、こんなふうにその場にいるメンバーに伝えます。
「今から⚪︎⚪︎についての意見を出し合います。
⚪︎分間、考えながら付箋に書き出してください」
シェアの時間帯では、各自が書いた内容をシェアしてもらいます。
そして、そのコアなるポイントをホワイトボードに書き出して、
グルーピングしていきます。


この方法、いろんな意味で楽です。理由は、、、


第一に、こうすることで、全員が「考える」ことをせざるを得なくなります。
自ずと、「聞いているだけの人」でいるわけにいかないということですね。
第二に、声の大きい人に場を占領されることを防げます。声の大小に関わらず、
全員が自分の考えを発言できるようになります。
第三に、人の意見の影響を受けにくいというメリットもあります。
書かない場合は、前の人の発言(特に上司の発言)の影響を受けますが、
書いてそれをシェアするという方法によって、影響を受けにくくなります。
第四に、考えながら話すと時間が伸びがちですが、
この方法だとシンプルに共有でき、タイムテーブルをしっかり組むことができます。


この方法は、特にアイデアや意見を発散する場面で有効ですね。
大抵、1セット10分、目的に応じて、1セットしか行わない場合もあれば、
何セットか行う場合もあります。
アイデアが求められているときは、10分3セットやると、
かなり出尽くすと言われています。


アイデア会議やブレストのまとめ役でいらっしゃる方は、
ぜひ参考にしてみてください。


では、今週も素敵な1週間でありますように!

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前回はビデオを撮らなかったので、ビデオブログ的には2週間のご無沙汰です! 
今日は、アートについて話したいな。おつきあいください。


今回は、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」
(著:ジュリア・キャメロン、原題:The Artist's way」)
という本を紹介しながら、自分の心を解放してクリエイティビティを発揮するということについて、一緒に考えたいと思います。


この本は、誰もがみんなアーティストなんだよ、ということを教えてくれる本です。と、同時に、人が創造的になるための方法(12週間のプログラム)が紹介されています。共感します! この本は、一時期当社がお世話になっていた飯島波奈さんという方から最近教えていただきました。飯島さんはそのワークショップなども開いています。ご興味があればぜひ。


この本を紹介したいと思った理由は、たまたま私自身が、今、絵を描いているから。
そして、人の心を自由にする方法を私も人に広めたいと思うからです。


私自身は、何の専門教育も受けていないのに、
あるときは、絵を描こうと思い、
あるときは、音楽を作り、
あるときは、小説を書きます。
ただただそれをやることが楽しいからです。


今は、絵を描くために、
Youtubeを見て、絵の具の使い方を学んでいます。
絵の具の溶き方も、下地の作り方も、何も知らず、
誰のためでもなく、自分が満足するために絵を描くことをやっています。
しかも、いきなり展覧会を開くことを目標に掲げて(笑


でも、、、、
昔はそうではありませんでした。


幼稚園のとき、私は絵を描く行為で、
子供らしくない態度をしていたらしく、母を悩ませていました。
つづく小学校1年生。
初めての通信簿で、図画工作の評価は「3」。
私の自尊心が求めるのは「5」。
認められない初体験。子どもながらに辛かったです。


でね、その「私は苦手」という意識が、その後の私を縛ります。
自分で自分に「苦手」を刷り込んだんですね。かなしい。


ところが、高校生ぐらいになって、
そんな私が、途中で自分を解放し出して、
クリエイティブなことって誰でもやってもいいのかも、と思い始める。
その高校の文化祭や体育祭が、とってもクリエイティブで、
私にしてみると「え? そんなこと、やっちゃってもいいんだ!?」と
思うほど、お祭りでクリエイティブパワーが全開になる、
そんな高校だったからです。
正確に言うと、私は運動部だったから、
そこで何かを発揮することはなかったけど、
自分にOK出しをしていいと思えたのは、その頃だと思います。

というわけで、今では、私も自分をアーティストだと思えるし、
すべての人がアーティストだと思えます。


具体的には、私は10年に1度ぐらいの感覚で、
アート三昧して、自分を表現したくなり、
実際にそれをやってきました。
私は会社経営もアートだと思っていますが、
絵画、小説、音楽、詩などによって自分を表現することは、
自分らしくあるために必要なことなんですね。


私は、美術を学んだこともないし、音符も読めないんですが、
本質からすると、そんなことはどうでもいいことです。
というか、そんなことを知らなくても、自分を表現することはできるんですよね。
でも、そこって、人にとっては「???」なのじゃないかな。
本当はみんながやりたいことなのに。

じゃあ、そのためにどんなことが必要なのでしょうか。
私は最低次の2つが必要だと思っています。


第一は、自分への思い込みを手放すこと。
人は、たくさんの思い込みを自分に対してしています。
多くの場合はそれが制限になっています。
自分が自分にしている制限を解くこと。
表現したい欲求にしたがうことを自分に許すこと、
それが最初の一歩だと思います。


第二は、他人に褒められたいという気持ちを捨てること。
誰しも、他の人から認められたい気持ちを持っています。
が、自分が表現したいなら、まずはそれを忘れること。
むしろ、自己満足を大切にすることです。


すべての人はアーティストである、
...という私の意見、あなたはどう思いますか。


そういう社会になったら、毎日がイノベーションです。
そんなニュースで溢れている社会になると思います。
そのために私にできることはなんだろう? 
きっと何かあるはず! そんなふうに思います。


今日も聞いてくださって、ありがとうございました。
素敵な1週間をお過ごしください!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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