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『リコメンド』カテゴリの記事

 

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誰だって「悩みなんてない方がいい」、「安泰に暮らせる方がいい」、
そう思うのが普通なのではないでしょうか。私もそうです。


あ、今日のメルマガは新しいサービスとセミナーのご案内でもあるのですが、
ずっと考えてきたこととつながっているので、
回りくどいかもしれませんが、ちょっとお付き合いください。


「悩み」。
それは、精神的な苦痛や不安、負担を感じることを指すわけですから、
ない方がいいと思うのは、当然です。
悩みを解決する場合、大抵は現実を直視したり、
現状を踏まえて何かを変えなくてはならなかったりします。
なので、人間がいやだと感じるのは、悩み自体もあるでしょうけれど、
むしろ、それを直視して、何かを変えることの方なのかもしれません。


でも、人生、何事も意味づけによって、見え方が変わります。
悩みに良い面がないかというと、実はそうでもありません。
少なくても自分の人生を振り返ってみると、そう思います。


特にバブル崩壊やリーマンショックなど、激震と言えるような変化が起きると、
経営者としては安穏としてはいられませんでしたが、
今では「過去のあの出来事があって良かった、
当時は本当にキツかったけど...」と思えるようになっています。


どんなことが良かったかというと、
悩みの大きさとInput量は正比例の関係にあり、
悩む都度、答えを探してメチャメチャInputしたこと。
その結果、知識が増えて、それをサービスづくりにも生かすことができました。


こんなこともありました。
40代の初めの頃、社員から「うちの会社のミッションがわからない。
存在理由は何ですか?」と聞かれました。
自分は真面目に答えているつもりでも、どうやら答えになっていないらしい。
その時もたくさん本を読んだ記憶があります。


もし悩みがなかったら、多分、勉強しなかっただろうと思います。
まあ、いずれも苦し紛れですけど(笑、ストレッチだと思えば希望も湧いてきます。
だから、悩みには良い面があると思うわけです。


そんなふうに自社の悩みと向き合うことを繰り返すうちに、
うちの会社は、モヤモヤ嫌いの人が多く集まっていることにも気づきました。
モヤモヤをスルーせずに、大切に扱い、モヤモヤを解決することで、
晴れ晴れした状態にすることに意義を見出す人が多い。
人が分かり合うには、共有すべき考え方を整理し、クリアにする必要がありますが、
自分たちがモヤモヤと向き合ううちに、社会のモヤモヤ解決のお手伝をしたい、
コンセプトオーガナイザーという存在でありたい、と考えるようになりました。
今回のサービスが生まれたのも、そんな思いからです。


さて、、、、
新しいサービス名は、「トレジャーハント・プロジェクト」。宝探しです!


どんなものかというと、バリュー経営を支援するためのサービスです。
一般に、バリューという言葉は、「価値観」という意味で使われる場合と、
「提供価値」という意味で使われる場合がありますが、
ここでは「価値観」の意味で使っています。


価値観が曖昧ということは、行動基準が曖昧な状態のため、
行動がバラけて、組織はまとまりにくくなります。
つまり、自社の価値観を言語化して、社内で共有することによって、
組織の気持ちをひとつにするためのサービスです。


では、なぜ「価値観」が「宝物」(トレジャー)なのでしょうか?


どんな企業にも、大切にしたい価値観、《絶対譲れない価値観》があります。
たとえば、リスクとチャレンジへの価値観。
「石橋を叩いて渡れ」という企業は、リスク感覚が甘いと非難されることでしょう。
反対に、「やらないのは失敗と同じ」という企業では行動しないことがNGのはず。
しかも、リスクとチャレンジに対し特別なこだわりがなく、
ほかのことを重んじる企業もあります。


どれが正しいわけでもありません。ただ、価値観は企業文化の根幹にあり、
行動の源泉になっていることだけは間違いありません。
それは、個人も同じです。人は自分の価値観に従って行動します。
だから、組織と個人の価値観がどうしようもなく異なっていると、
幸せな結果にはなりません。


組織の価値観が明確になり、共感できていると、パワフルな状態になりますが、
往々にして価値観は暗黙知です。
言語化している企業もありますが、解釈自体は暗黙知の場合が少なくありません。


つまり、その企業の《絶対譲れない価値観》は、宝物として社内に眠っている、
それを明らかにして言語化しよう! そんな意図からこのサービス名になりました。


組織がまとまらなくて悩んでいる企業経営者の方へ、
このメッセージが届きますように。
こちらのURLで「バリューセミナー」のご案内をしています。
http://www.grassroots.co.jp/LP/internal-power/


少人数で開催しますので、ご興味がありましたら、お早めに。
では、今週も素敵な1週間をお過ごしください。

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実は最近、本当は別の調べものをしていたのに、あちこちのサイトを巡るうち、
「メモの取り方」に関し、二人の人物が同じような意見を発しているのを目にしました。
それは、「メモを取る目的」についてです。
私自身あまり深く考えたことはなかったので、
シェアさせてください。


私が注目した二人というのは、
メンタリストDaiGoさんと、SHOWROOMの社長である前田裕二さんです。
前田さんは、2018年に「メモの魔力」(幻冬舎)という本を、
DaiGoさんは、2019年に「人生を変える記録の力」(実務教育出版)という
本を執筆しています。


私は、これらの書籍を読んでいませんが、
本の内容に関するインタビュー記事やYoutubeを見てみると、
前田さんは、「知的生産を目的にしたメモ」
DaiGoさんは、「創造につながるノート」
というような表現で、メモを取ることの目的を語っています。


メモの語源は「memorandum」(備忘録)であるように、
情報を記録するという目的でメモを取る人が多いのではないでしょうか。
ですから、多くの人がメモと聞いて思い浮かべるのは、
話を聞いたり、何かをインプットするシーン...なのかもしれません。
でも、二人のメモの捉え方はそうではありません。
何かを生み出すためには考えることが必要で、
そのためにメモをする...と捉えています。


私自身は、記録するという意味でのメモの活用はもちろんしていますが、
記録という視点でのメモ取りは、決して上手ではありません。
一方で、何かを生み出し、何かについて考えを深めるために、
自分たちの思考を言語化したり、
概念を図解化したりすることは日常的に行っています。
私の感覚では、メモしているというよりも、
書きながら整理しているという感覚なのですが、
これ、偶然にも前田さんのやっていることと、とても似ていました。


前田さんがメモを取る上で重視している思考フローは、
3つの段階に分かれています。
1. ファクトを正しく知る
2. 抽象化する
3. アクションに転用する


それによってファクト(事実)がアイデアに変わるといいます。
「アクションに転用する」という表現は前田さん特有のものですが、
私流の表現で言えば、ほかのことにも「応用できるようにする」ということです。


ですが、今日、取り上げたい1番のポイントはそこではなく、
「抽象化」というアプローチについてです。
抽象化とは、ある一つの体験を通して、そこから何が言えるのか、
自分なりの教訓を導き出すことと言い換えてもいいかもしれません。


ところが、この「抽象化」というアプローチ、
ひと手間あるので、結構面倒でもあります。
似たような結果と原因の例を洗い出してみて、
それらの共通点を探り出し、パターンを見つけ出す。
こんなことを根気よく考え続けるわけです。


この作業を興味があるからという理由で続けられるというのは、
言ってみれば、かなりのオタクです。
何オタクかといえば、「思考整理オタク」。
かくいう私も、その一翼を担っているのかも(笑)


しかも、自分一人の頭の中が整理できたからといって、
そこに価値はなく、関係者の頭の中を、
合意形成しながら一緒に整理できて初めて価値になります。
なので、私の中で最も有効なメモ帳は「ホワイトボード」です。


さて、前田さんやDaiGoさんの、創造的であるためのメモという話、
どう思いましたか?
何かを創造しようとしたら、その前段階として、
インプット内容を書いて整理するということは不可欠だといえそうですが、
無駄な作業に思えて必要ないと考えてしまう人や、
抽象的な概念で話されることが苦手という人もいます。
そのような相手にメモする大切さをどう伝えるかは、工夫が必要ですね。


考えを整理し、創造するためにメモを作る。
このプロセスをあなたはどう考えましたか?


9月に入ったと思ったら、もう後半。
やりたいことをやり切ったと思える秋にしたいですねー
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

200210_fukan.jpg今日のテーマは鳥の目「俯瞰力」です。


年が明け、あっという間に1カ月半が過ぎようとしています。
実は、正月休みは「AI」をテーマにインプットしていました。
その結果、感じたのは、当社の仕事にもAIが関わってくるであろう、
ということでした。
たとえば、私たちの仕事では「文章を書く」ことが多々あります。
文章生成ツールはもう存在していますし、
ある法則で文章をまとめるなどはAIの得意とするところです。


AIの影響を良くも悪くも受けるのは、10年後ぐらいかなと思っていましたが、
5年後ぐらいに迫っている、そういう感覚を抱きました。
人がAIと違う存在感を発揮するには、
どんな力があるといいのか、考える良い機会になりました。
あなたは、ご自分の仕事とAIの関係、どう見ていますか?


ここから先は素人の私の考えです。真に受けないでくださいね。

ネットで検索するとわかりますが、現時点でAIがあまり得意でないことのひとつに、
「意味の解釈」というのがあります。
「言葉の解釈」「事実の解釈」「態度の解釈」などなど。。。


AIと違って、人は、同じ出来事に対して様々な解釈をします。
たとえば、お客様とのミーティングに当社から2名で参加していたとして、
終わった時の解釈が異なっているということが時々起こります。
だからこそ、2名で参加することに意味があるわけです。


銘々のメンバーがそこで話された内容について、
辞書的意味はわかっていますが、
そこでの言葉に託された言外の意味について、
各自各様の解釈をしていることは少なくありません。


たとえば「チームワーク」という言葉があります。
「チームワークを大切に」と言われたら、
何を意味していると思いますか?
チームの「和」? 「結束力」?
「協力」?「責任遂行」でしょうか?


私たちはこんなふうに曖昧な解釈に基づいて、
コミュニケーションを取っています。
曖昧な解釈でも問題が起きない場合もあれば、
とても重要な点で解釈を間違えていたために、
大きな問題になる場合もあります。


では、そもそも解釈とは何をすることでしょう?
私なりの言葉で表現してみました。


まず、誰かの言葉や態度を解釈するのであれば、
発した人の意図や背景、真意を汲み取ること。
事実や出来事を解釈するのであれば、
その周辺の情報や状況、関係者の思いなど様々なことを踏まえて、
その事実に対し意味づけをすること。
...なのかな?


さて、、、
誰かの言葉や態度を解釈する場合、
そこには正解/不正解があります。
正解を知っているのは、言葉を発したその相手ですよね。


一方、事実や出来事を解釈する場合は、
正解/不正解はなく、
利の多い解釈か、利の少ない解釈かがあります。
たとえば、有意義な気づきや学びのある解釈、
その出来事を巡る関係者の気持ちに近づけた解釈、
自分や関係者の気持ちがポジティブになれる解釈などは、
利のある解釈だと言えるかもしれません。


このように、正解はあったり、なかったりしますが、
どう解釈するかによって、その解釈の効力には違いがあるのではないでしょうか。
幅広い解釈の中から、効力の高い解釈を選択するために不可欠なのが、
1行目に書いた「俯瞰力」ではないかと思います。


「俯瞰して見る力」


要するに、物を見る視点をたくさん持っていて、
いろいろなアングルから全体を見渡して考える力です。
「〜という視点からこれを見ると、〜と解釈できる」を
なるべくたくさん考えられる人が、俯瞰力がある人なのだと思います。


だとしたら、ある事に対して、自分が1つの見方をしたときに、
他の見方はないかなと疑ってみることが大切なのかもしれませんね。
あなたは、ご自分の仕事とAIの関係、どう見ていますか?


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

このブログは、2007年7月に始めたので、もう12年以上続けています。
メルマガを継続的に開始したのは、2013年7月。こちらも6年が経ちました。
メルマガの平均開封率は25%強と驚異的。もしよろしければ、登録してみてください!


この二つは、ある程度、覚悟をもって始めたので、
だから続いているのだと思います。
覚悟といっても、そのニュアンスはとても微妙です。
・原則「毎週」更新する。
・でもどうしても無理な時はパスもあり。
何が微妙かというと、どういう時にパスしていいか、
その線引きについては文言化していないからです。
結局は自分次第ということになります。


で、いったい私は何を基準に判断してきたのかを振り返ってみたのですが、
それはおそらく「継続性の担保」を基準にしてきたような気がします。
たとえば、毎週1回が原則なのに、2週に1回「今回は無理!」と判断してしまったら、
実質的には「毎週1回が達成できていない状況」になります。
でも、ほぼほぼ毎週1回書いていて、ああ、でも今週はどうしても無理...という場合、
毎週1回という継続性は担保されていると見なせます。


「継続性の担保」に明快なルールはありません。
結局、自分に対して何をOKするか、何をNGとするかに尽きます。
あ、でも今、これを書きながら、もう一つ重んじてきたことがあると気づきました。
「継続性の担保」の別の側面。
読者から見てではなく、自分が継続性を保とうという意識を持ち続けられるようにすること。
つまり、できているという感覚を保つための頻度はどの程度か、です。
それはやっぱり、「たまに休む」はOK、「時々休む」はナシ、と
本能的に思っている。
なぜなら、時々休むが定着すると、まず継続できないからです。
一方で、休むのは「罪悪」であると感じたら、これも苦しくて続かない。
その意識のバランスが継続に繋がってきたと思います。


さて、継続は力なりというように、継続はある面でとても重要です。
でも、それが好奇心のブレーキになってはいけませんよね。
先ほど、私は、ブログとメルマガについて、
「この二つは、ある程度、覚悟をもって始めた」と書きましたが、
何かを始める時に、いつもいつも同じようなスタンスかと言われると、
そんなことはありません。


たとえば、この半年の間に、人から見たら、
アレコレちょっと手を出しすぎでは?と思われるくらい、
いろんなことに手を出しています。
仕事のことは脇に置いておくとして、具体的には...


・ゴルフ
・俳句
・ドラム
・アウトドア
・寺社巡り


でも、これ、どれも興味があるから首を突っ込みたくなっただけです。
好奇心の赴くままにいたら、そうなった、という。
で、始めたらからといって、何かを極めなくたっていいし、
途中で飽きたらやめればいいと思っています。
始めるにあたって、継続できるかどうかなどまったく考えていません。


ここ、重要だと思うのです。
なんとなくですが、私たちの心の中に、何かを始めたら、やり抜かねばならん!とか、
軽い気持ちで始めてはいけないという思い込み、ありませんか? 
私自身、10年前はそう思っていたかもしれません。
でも、年齢が上がって、人生は一度切りなんだから、そんな必要はないなと思いました。
継続はもちろんいいことだし、重要なことですが、
「継続できるかな?」という気持ちが起きて、
それを理由にセーブしてしまうのはもったいないですよね。


セーブしないとこんなことが起きます。
実は、私、つい数カ月前まで、「山登り」に憧れていました。
そして、実際に山に詳しい友人に連れられて、初心者コースに登ってみたのですが、
やってみて、自分はこれをやりたいわけではなかった...。
そうわかったのです。すごく重要な気づきでした。


一方、俳句はまだ初めてから2カ月ですが、
これは一生やっていきたいなと思い始めています。
なぜなら単純に楽しいし、いつでもどこでもできるからです。


さて、、、
では、あなたは「気軽に」始めること、
「覚悟して」始めること、区別していますか?
仕事でない限り、覚悟して始める必要なんてないと思います。
人生は短いのだし、興味が湧いたら、気軽に始める心意気! 
いいのではないでしょうか!?


8月になりました!
暑くてイヤだなという気持ちもありますが、
同じ夏でも2019年の夏は1回だけ。楽しみましょう!

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おすすめの本の話題です。


あなたは、物事に直面して、答えを出そうとする時、どんな気持ちが湧きますか?
あるいは、どんな気持ちが起きて、どんな葛藤をしますか?
私は、早く答えを出したいという気持ちと葛藤しながら、
焦らずにまずはきっちりインプットしようと自分に言い聞かせているような気がします。
「答えを出す」は言ってみればアウトプットなのですが、
いきなりアウトプットに向かってはいけないという感覚的な信念がありました。
でも、その時に湧いてくる気持ちは「早く答えを出したい」という気持ちです。
しかし、それではいかんと思ってきました。
でも、この感覚について人に説明するのは、結構難しかったです。
おそらくそれをやっても、大したレベルの答えが出ないと思っていたからだと思います。


そこを、うまく言語化してくれている本と出会いました。
「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」(著:帚木蓬生、刊:朝日選書)です。
著者は小説家であり、精神科医です。
実は、まだ読み終わっていません。
でも、出だしの15%を読んで、これは自分が考えていたことを整理してくれる本だと、すぐにわかりました。


「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指します。
私が、この考えに惹かれるのは、一般常識とはちょっと違ったことを言っているからです。
一般的に「能力」といえば、困った物事に対面した際に対処する能力...というイメージがあります。
そのこと自体には異論はないのですが、そう言ってしまうと、早い方が優れている、
そんなイメージになります。
でも、対処に至った考えの深さはどう考えるべきなのでしょう?
早く対処できた方が能力が高いのか、いや違うだろう?とそんな気持ちがありました。


精神科医が書いているだけあって、脳の話や医療の話なども出てきますが、
反対に小説家でもあるので、キーツやシェークスピア、紫式部の話なども書かれています。
今から読み進めるのがとても楽しみです。
ご興味があったら、ぜひ読んでみてください。
どこかで、もう少し深く、これについて一緒に考えて行きましょう。


少し暑くなってきましたね。
梅雨はいったいいつ明けるのでしょうか?


素敵な1週間をお過ごしください。

グラスルーツは今年満35歳になりますが、
大分前から私が社員に向かって言い続けてきたことがあります。
それは、「自分で伸びていける力」を持っている人が強い、ということ。
言い換えば、一つの体験をした時に、
その経験を他に応用できるように吸収していける人が強いということです。


だから、私自身も、物事をマニュアル的に覚えるのは好きではありませんし、
マニュアル的に教えることも好きではありません。
ですが、マニュアルを作る発想で仕事をすることは、重要だと思っています。
微妙な表現ですが、これらは明確に違います。
マニュアル的に仕事を覚えるというのは、ただ「形」を覚えるだけになりがちですが、
その仕事の「本質」がわからないと良いマニュアルは作れません。
マニュアルを作る発想で仕事をすること、すなわち
本質的な視点で仕事を体得していくこと、
それが応用力を身につけるには不可欠なのではないでしょうか。


さて、これを読んでくださっているあなたご自身は、
応用力というものを意識したことがありますか?


私は、応用力があるのとないのとでは、人生がまったく変わると思います。
応用力がないと、どの体験も人生初体験になり、
毎度、「わからない」という不安な気持ちを味わうことになります。
でも、応用力があると、前にやったあの体験を応用すればできそうだ、
と思えるので、不安感が大幅に下がります。
ポジティブに言えば、自信を持って臨むことができます。
効率も生産性もまったく違います。
ということは、経済活動における自分自身の価値も変わってきます。


さて、その応用力というものを考えて行くときに必要だと思えてくるのが、
やっぱり、考えを深めるという日々のプロセスです。
考えることなくして、本質はわからない、
事柄の本質がわからないと応用はできないので、考えを深めるプロセスが重要です。
これは、1日1回あるというようなことではなく、1日何度も生じます。
つまり習慣化できるかどうかが鍵となっています。


ところが、世の中、考えを深めることが習慣でない人は多いと感じます。
当社でも、最初は慣れていない状態で入ってくる人が少なくありません。
入った会社にもよるかもしれませんが、社会人になると、考えることが求められ、
その結果、考えることに慣れて行く人もいれば、
なかなか徹底できず、習慣にならない人もいます。


でも、先ほどの話に立ち戻ると、
会社から求められるから考えることが必要なのではなく、
自分が過去の経験に基づいて応用力を効かせられるようになることが
不安をなくし、自分の成長に繋がるから、考える習慣が大切。
これが私の意見です。


私は、考えることに慣れていない人たちには、共通点があると思います。
特に重要なのは次の2つです。

(1)自分がわかっているのかどうか、見極めようとしていない。
(2)「自分で考えるよりも、教わる方が早い」と思っている。


この2点について、もう少し詳しく見て行きましょう。
ですが、これは、私の想像であって、断定する根拠は何もありません。
強いて言うなら、35年間の人間観察の結果でしょうか?笑


(1)自分がわかっているのかどうか、見極めようとしていない。
   (ので、疑問が湧いてこない)
  その理由はおそらく:
  ①「自分は今、本当に理解できているか」と自問する習慣がなく、
   「感覚的にわかったつもり」で済ましているから。
   自問する習慣がない理由はおそらく:
   ・「そんなことをしていたら、間に合わない」と焦っているから。
   ・「そこまで深く考えなくても、できるだろう」と思っているから。
    そして、実際、価値の高さにこだわらなければ、そこまで深く考えなくても、
    何かしらできてしまうので、その大切さに気づけない。


  ②仮に「自分は今、本当に理解できているか」と自問したとして、
   何をもってわかったと言えるのか判断基準を考えることをしないので、判断できない。
   判断できないことは、見極めようがないと思っている。
   判断基準を考えられない理由はおそらく:
   ・目的思考で考える習慣がないから(目的から考えたら、わかるはずだが、そこに立ち戻る習慣がない)


(2)「自分で考えるよりも、教わる方が早い」と思っている。
   一見早い面はありますが、疑問も持たずに教わろうとしたなら、
   結果的には遅くなります。なぜなら伸びないからです。
   こう考えてしまう理由はおそらく:
   ①わからない状態で考えた結果、間違えるなら、それはムダだと思っている。
   ②自分の今の力量で結論を出すのには時間が足りないので、精度の低い結論になる。
    それは、非効率なので、教わった方が効率的だと思っている。
   ③実は焦りから、思考停止状態に陥っている。


...と、いろいろ書きましたが、
端的に言えば、「急がば回れ」と思えていないことが一因ではないでしょうか。
誰もが、できれば合理的で効率的に仕事をしたいと思っています。
それは間違いない。
しかし、考える習慣のない人は、省力化にこそ考えることが必要...
とわかっていないために、
考えることを省力化しようとして、結果的に非効率を招いているように見えます。
急がば回れなんですけどねぇ〜 ホントですよ、考えるスパイラルに入れれば、
あとは体験のすべてが貯金になるのですから。


また「考えるプロセス」を持つことが自分の仕事の価値につながる。
そこに、こだわるかどうかは、価値観の問題ですよね。
これは、むしろ生き方とか、美意識にも通じますので、
このブログで、私がどうこういうのは筋違いかな。
もちろん、グラスルーツの社員にはそうしたこだわりを持ってほしいですけどね。


長くなりました。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
7月も後半。夏風邪に気をつけて、良い1週間を!

今日は、一つのビデオ(上)を紹介します。
O&Oアカデミー創設者プリタジさんのTEDでのスピーチです。
彼女の考えによれば、ストレスや苦しみの意識の中で、幸福を考えても限界があり、
美しい意識状態にあってこそ、幸福に到達できる...そんなプレゼンテーションです。
イェスミとノーミ、二人の登場人物による物語を通じて、
そのメッセージを伝えています。
イェスミとノーミは、誰の中にもいるであろう心の動きを意味しています。


18分ほどの動画ですが、
聞けば聞くほど、あぁ、そうだなと思います。
ストレスの多い現代社会だからこそ、こうした考え方が必要だと感じました。
私たちはノーミになりやすい。
ノーミになっていることさえ気づかず、
自分を正当化する毎日を送っているのかもしれない。
そんな気づきを与えてくれます。
イェスミは、周りの目など気にせずに、自分の信じる通りの生き方をしています。
人にとってストレスになりうるネガティブな感情を超越して生きています。
本当にそれを実現することはたやすいとは思えませんが、
人のあり方としての理想のように思えました。


さて、話は関連するような、しないような。
個人的な話で恐縮ですが、昨日は母の一周忌でした。
命日は5月6日ですが、連休前にということもあって、昨日執り行いました。
母は、すい臓がんで余命宣告をされていましたが、
去年の今頃はすでに宣告よりもずいぶん長生きしていました。
4月初めはギリギリ寝たきりではなく、一緒にお花見をしました。
母はビール党で、大好きなスーパードライをまだ飲めていました。
そして、4月後半から食事もできなくなり、起きられなくなりましたが、
なぜか、母にも私にも悲壮感がなく、
亡くなったその瞬間にさえ一滴の悲しみもありませんでした。
むしろ、誇らしい気持ちで送り出した感じでした。
母の振る舞いや佇まいが私をそういう気持ちにさせたのだと思います。


今思えば、母がプリタジさんの物語のイェスミのように見えたのかもしれません。
何しろ85歳ですし、まだら認知ですから、
どこまで何がわかっていたのか、正確なところはわかりません。


でも、プリタジさんが言う「自分、自分、自分、、、」ということはなく、
自分の人生や過去に執着する様子もなく、
でも、今を大切にして「おいしいね」「きれいね」と言ったり、
施設のスタッフに「ありがとう」「悪いわね」と言ったり。


彼女にも人生に執着する時期はあったと思います。
いえ、ありました。
それなのに、どうしてあんなにあっさり手放せたのか。
もしかしたら、「2度目のがん」だったからかもしれません。
40代の終わりに乳がんになったとき、母はもっと人生に執着していたような。
そりゃそうですよね、しない方が不思議だから。
でも、85歳になって、何か達観したのでしょうか。
答えは謎です。
もしかしたら、ただ単に母を美化しているだけかもしれません。
でも、私にとってはある種の教材を母から与えられた心境です。


私は今を生きるために、いったい何を手放すべきなのか、
そんな問いが浮かんできました。即答できるものは何もありません。
あなたご自身はどうですか?


今週も素敵な1週間をお過ごしください。

暑い日が続く中、お盆ウィーク突入ですね。
当社はお盆休みというのはなく、各自が銘々に好きな時期に休むのですが、
今週はやっぱりお休みする人が多いです。
私も、ポツポツお休みしようと思います。


さて、今日のテーマは「思い込みの棚卸し」です。


これを私自身がやってみようと思ったきっかけは、
最近、2017年の年初に書いたウィッシュリストを読み直したことが
多少影響しているかもしれません。
そう、私は2017年の1月に100件の望みを書き出してみました。
100件書き出すのは、実はとっても大変で、
言い換えれば、それほど欲がないということでもあるのですが、
絞り出し〜の、絞り出し〜の...
そうやって出て来た100件の望み、
1年半ちょっと経ってみて、どうなったか?


笑われるかもしれませんが、
上位50のうち、できたと思えるのは、わずか1件!
51位から100位までの間でも、わずか1件!
それもそのはず。
できそうにないような非現実的なことを挙げていましたので。
私にとっては、できそうなことを書き出したって意味ないと思えたのです。


実際には、ウィッシュリストもいろいろな活用の仕方がありますから、
できそうなことを書いて現実化させていくという使い方もありますよね。
でも、私のウィッシュリストは夢みたいな妄想を書くというルールで書いたので、
今、読み返してみて、全部で2つしか実現していないとしても、
負け惜しみなどではなく、むしろうれしいくらいです。
何しろ書いたその時点では、簡単にできそうにないことだったので、
それが2つも実現できたなら本当に御の字!


と同時に、当時、リストに書かなかったことなのに、
途中でやりたいと思う新しいことが出てきて、実行しているのも、
ウィッシュリストを書いて、
自分の欲求の本質を理解していたからだと思います。
「書き出す」というこのシンプルな方法、
いろいろなことに使えるのではないでしょうか。


そこで、やってみました!
この「書き出す」という方法で、
「自分の思い込みの棚卸し」をやってみたのです。


私はこのブログやメルマガを通じて、
何度となく「思い込み」について書いてきました。
私が「思い込み」に関心を持ち続けているのにはたくさんの理由があります。
・「思い込み」によって、自分が何かに縛られ、自由でなくなるのがイヤだから。
・「思い込み」によって、自分が成長できなくなるのがイヤだから。
・「思い込み」によって、部下の可能性を決めつけてしまいたくないから。
・極端な個人の「思い込み」が極端な社会的判断を生んでほしくないから。
・「思い込み」はイノベーションを生み出さないから。and so on.


ですが、「思い込み」は人間である以上、なくなりませんよね。
「思い込み」を別の言葉でいうなら、それは「価値観」ですから。
自分が大切にしていることを、多くの人は「思い込み」だとは思っていませんが、
これこれを大切にしたいという「価値観」は、
結局のところ「〜は〜であるべきだ」という「思い込み」でもあります。


だからこそ、「思い込み」(価値観)があって悪いわけではありません。
自分が大切にしたいことが、実は自分が決めつけているだけかもしれない...と
余裕を持って物事を見ることができたら、
その価値観に奥行きが出ていいなと思います。


さて、私がやってみた「思い込み」の棚卸しのやり方は極めて簡単。
「○○について」とテーマを決めます。
テーマは複数設けてOKです。
私は、「グラスルーツについて」「上司部下の役割について」「自分について」と
決めて、やってみました。
あとは、それぞれのテーマに対し、「私は〜と思い込んでいる」と書くだけです。
すると、出てくる!出てくる! 恥ずかしながら例として紹介しますね。


私は、社長は企業の看板でなくてはならないと思い込んでいる。
 →看板社員が大勢いる方が本当はいいですよね。
私は、上司は部下の成長を支援しなければならないと思い込んでいる。
 →成長支援が間違っているとは思いませんが、こう思い込みすぎると
 押し付けが生まれたりしやすいですよね。


ウィッシュリストの場合もそうですが、
結局「書く」行為によって、自分の心の中にある強い考えがはっきりしてきます。
もちろんその考えを全面否定する必要はなく、
「別の考え方ももしかしたらあるかもしれない」という気持ちを持つだけで、
十分効力があります。


ちなみに、私は95%の人が知らないであろう
CTIリーダーシッププログラムの修了生ですが、
このプログラムでも「相手へのアサンプション(思い込み)を手放す」ための
ワークがありました。
そこでは、広い意味での「思い込み」を取り上げたのではなく、
リーダーが人と良い関係を築くためには、
相手への「思い込み」を払拭する必要があるという文脈で、
「思い込み」が取り上げられていました。
自分は、これまであなたに対してこういう「思い込み」があった、
と打ち明けることで、自分の「思い込み」を手放し、
相手との関係をリセットする...。
そんなワークだったと思います。


人間関係でも、それ以外の物の見方でも、
「思い込み」とどう付き合うか、とても重要ですね。


では、弛みたい今週は大いに弛んで、
すてきな1週間を過ごしましょう!

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最近、アマゾンのビデオで観た映画で、とても感銘を受けた映画が2作あります。
一つは「ラ・ラ・ランド」。もう一つは「きっと、うまくいく」です。
今日は、どっちについて書こうかなと悩みましたが、
「ラ・ラ・ランド」の方がよりメジャー感が強いので、
「きっと、うまくいく」について書きますね。
でも、「ラ・ラ・ランド」、これもホントに本当に、素晴らしく良かったです!

さて、「きっと、うまくいく」はインド映画です。
2009年の公開当時、インドでは歴代興行収入第1位を記録したとか。
でも、私はこの映画の存在を今回初めて知りましたが、
もしかしたら知らなかったのは私だけかもしれません。


私が映画選びで参考にしているのは、「レビューの数」と「星」の多さです。
「きっと、うまくいく」は、なんと星が5つ! レビューが440もありました。
星が5つなんて、見たことがありませんが、
これほどレビューが多い映画も見たことがありません。
けれど、映画を見てみたら、その理由がわかりました。
本当に見て良かった映画です!


物語は10年前、インドのエリート大学の3人の大学生の学生生活に遡ります。
主人公が影響される友人ランチョーがめちゃめちゃ魅力的です。
この映画の魅力の99%は彼の存在にあると言っても過言ではありません。
(以下、多少ネタバレを含みます)


大学は、競争至上主義を教え込もうとします。
1位になれ、2位では意味がない、と。
学生たちにそんなプレッシャーを与えて、大学の評判を維持しようとします。
それだけでなく、登場する学生たちは皆んな親の期待に応えようとして、
自分を枠にはめ、苦しんでいます。


そんな中、ランチョーは訴え続けます。
競争による成功を求めるな、優秀であれば結果はついてくる、と。
で、学ぶことの本質を投げかけていきます。
仲間に、学生たちに、教授に、学長に。
そして、学長には睨まれますが、屈しないし、
学長の娘と恋をする。
そして最後はハッピーエンドですが、、、、


では、一体私はいったいこの映画のどこに心が動いたのか?
端的に言うなら、私は何を受け取ったのか?
自問してみました。


私は、この映画からたくさんのメッセージを受け取ったので、
1つに絞って書くのは、実はしんどいのですが、
それでも敢えて1つに絞って書きますね。
私が受け取ったのは「自分の心に従って今を生きろ」というメッセージです。
わかりやすく言えば、まずは「自分中心に生きろ」ということです。
そして、人の期待に応えようとして生きていた登場人物たちが、
自分の心に従って生きようと変わっていく姿に感動したのだと思います。
そして、それによって、彼らが自信に満ち溢れ、
本当に幸せになっていく姿に感動したのです。


私たちには、「成功」という名の幸福がある...という刷り込みがあります。
ここでいう「成功」の意味は、他人よりも経済的に恵まれているとか、
他人よりも名誉を得ている程度の意味なわけですが、
実は、自分の胸に手を当てて考えたときに、
それらの指標は大して意味がないと気づきます。


自分中心であることは、自己チューなどとも言われ、
悪いイメージが強いですよね。
でも、私たちは人のための人生を生きているのではなく、
自分のために、自分の人生を生きているのですから、
まずは自分中心、自己満足至上主義でいいのかもしれません。


だから、頭で幸福を追求するのではなく、
自分の胸に手を当てて、自分の心の声を聞き、
その心の声に従っているかどうかを大切にする、
これが大切なんですね。


でも、実際はどうでしょう?
どちらかというと、大人になると、大人的に理に適った行動を取ろうとしませんか?
頭で幸福を考えるようになってしまう。
でも、本当の幸福は心が感じるままに生きることにあるんですよね。
この映画は、そういうことを思い出させてくれました。


ちなみに、インド映画であるこの作品は、
インド映画の特徴でもあるミュージカル的な要素を持っています。
ミュージカルが嫌いな人は最初の3分の1ぐらいまで
少し違和感があるかもしれませんが、
とにかく5つ星の映画です。
多少違和感があっても、ぜひ最後まで観てくださいね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
今週も素敵な1週間でありますように!

今日のブログは、自分のため記録的に書いておこうと思います。
人と会って会話した記録、自分が読んだ本と相手から勧められた本の記録など。


先週は、人と会い、会食する機会が多い1週間でした。
その中で、私が2014年にCTI主催のコーチング基礎コースで出会ったある人と、
しばらくぶりに飲みました。
彼は、某有名ネット系企業に勤めているのですが、
そこで主業務の他に、社内コーチをやっています。
社内コーチは数百名もいるのだとか。スゴいですね〜


彼と私が何を話したかをつまびらかに書くつもりはありませんが、
二人の共通の関心はあるんですよ。
でも、うーん、改めて言語化しようとしたら、
意外に難しいな。。。なんだろう?
・自分のまやかしに気づける自分であろうとすること、
・怒り、恐れ、喜び、悲しみなどの情動が沸き起こった時に、
 情動と自然な形で付き合える自分であろうとすること、
そんなことでしょうか。
さらに言うなら、そうやって、自分を高めていきたい...ってことかもしれません。


そんな彼が、神の啓示を受けたかのように
(少なくても私にはそう見えました)
自分が何を目指したいのか、
プロのコーチはどうあるべきか、
熱く語っていたんですね。


その後、数年前に私が勧めた本の話になりました。
その本は、「自分の小さな「箱」から脱出する方法 」です。
http://amzn.asia/5Jg9bmy
それほど詳しい記憶はありませんが、
自己欺瞞について考えるのに役立つ本...として勧めたと思います。
そして、その当時、つまり2年前ぐらいでしょうか、
そもそも自己欺瞞とは何で、自己欺瞞はどうして起きるのか、
そんなことを当時語り合ったんですよね。
で、彼が「今日はこれを語りたい」と言い、
当時話していた「自己欺瞞」復活大討論とでも言うのでしょうか。
そんな話になりました。


とにかく、彼の悟った「なぜ人は自己欺瞞に陥るのか」はいい感じでした。
それが、シンプルで私にも刺さったので紹介しますね。


まず、その前にそもそも自己欺瞞といのは、何でしょうか?
平たく言うと、自分で自分を騙している状態のことです。
でも、それを自覚することは簡単ではありません。
本来、自分の胸の内は、当の本人にしかわからないはずですが、
当の本人さえ無意識すぎてわからないこともあるし、
心の動きは意識はされたのだけれど、
実際にはその気持ちの裏側に、
無意識で自分を騙すような心理が働いていることもあって、
それに気づけない場合もあります。


抽象的すぎるので、例を紹介してみましょう。
例えば、あなたは今エレベーターに乗り込んだばかり。
しかも、とても急いでいる。
だから、乗ってすぐにドアの「閉じる」ボタンを押した。
そんな状況で、エレベーターの扉がまさに閉まろうとしたその瞬間に、
乗り込もうとする人影を目にする。
気がつかなかったフリもできそうなタイミングに甘えて、
あなたは「オープン」を押さない。
そして、本当は乗りたかったはずの乗客が乗れなかったことに
知らんぷりを決め込む。
そして、ちょっとした心のザラつきを感じるのだけれど、
自分を正当化して、その出来事にフタをする。


この手の小さい出来事は、日常ではいくらでもありますよね。
で、この例はエレベーターの例ですから、
何となく大したことではないという気がするでしょう。
でも、仕事の場や家族との場で、些細なことでイラっとしたり、
爆弾のような大きなことではなくても、
ちょっとした行き違いで心が穏やかでなくなることは
きっとあるのではないでしょうか。
そして、小さなことであればあるほど、「ま、いいか」と思いつつ、
言えないでストレスを溜める。
あるあるですよね。


先の私の友達は、そこに興味を持ち続け、
あの後、自分はこう整理したと話してくれました。
と言っても、実際に話したニュアンスとは微妙に違うかもしれません。
お許しを!
でも、人が陥りやすい「心の流れ」について、的確に捉えた意見だと思います。


それは、つまり次のような心の流れです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1)人は答えを出したがる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何かモヤモヤしたり、対処すべきことがあると、
人はそれを放置してしていられず、答えを見つけようとする。
どちらかと言うと防衛本能から、自分を守るように答えを出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(2)自分が出した答えを人は正しいと思いたがる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人は、答えを出した時から、
自分が出した答えが正解だと思い込んでいる。
たとえ、それが防衛本能からのものであったとしても。
なぜなら、答えを求めて出した答えなので、
そもそも正解ではないかもしれないとは思わない。


さて、実際の会話とは少しニュアンスが違っているかもしれませんが、
でも、ざっくり言うと意味としてはそんなことでした。


あなたは、これを聞いて、どう感じましたか?
私は、これを書きながらも、あることでどうリセットするかを考え中です。
自分が本当に正しいのかと問いまして。


最後に、私が友人に紹介した本と、
今回、彼から紹介された本と、
さらに最近私が読んで良かった本であり、なおかつ、
自分と向き合うことの大切さを説いているという意味で、
今回の話にもすごく関係するような気がする本を紹介しますね。


(1)私が友人に紹介した本
「自分の小さな『箱』から脱出する方法 」
http://amzn.asia/5Jg9bmy


(2)友人から紹介された本
「ネガティブケーパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」
http://amzn.asia/jiDimKs


(3)マンガですが、最近私が読んで感銘を受けた本
「君たちはどう生きるか」
http://amzn.asia/eHqfpY2


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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