ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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昨日は勤労感謝の日で、私はカレンダー通りお休みでしたが、
なんと朝10時から表参道の「ブルーボトルコーヒー」でお茶をしていました。
以前当社にいた人と、前日の夜に急に盛り上がってのことです。
いろいろ刺激をもらった影響から、今日は、
仕事での「アウトプット」をテーマに考えたいと思います。

仕事では、インプットのプロセスはあるものの、
つまるところアウトプットがゴールです。
それをどう捉えるかによって、自分の成長も変わるし、
一歩間違えると、プレッシャーを感じてメンタルに影響が出ることもあります。


私が、自分のアウトプットに対して行動基準や判断基準を確立したのは、
多分30代だと思います。
昭和バブル体験を通じてです。
当時は良くも悪くも仕事がどんどん来て、
一時期は週に1本というペースで企画提案をしていました。
ここからは若干自分語りになりますが、少しだけお付き合いください。

その頃、当社の事業領域はふんわりしていて、来るものは拒まず。
百貨店の事業開発部のコンセプトワークのようなこともやっていたし、
広告代理店や広報代理店に代わって
黒子でプレゼン資料を作るような案件もありました。
本来なら創造的なことに時間をかけるべき企画業務なのに、
量産するような状況に矛盾を感じながらも、
でも、引き受けた以上、アウトプットしなくてはならない。
その葛藤から、自分の考えが整理されていったと言っても良いと思います。


当時、私は「決断」が苦手で、決断力のなさを自分の課題に感じていました。

決断できないのには、いろいろ理由がありましたが、
第一の理由は「もっと良いアイデアがあるかもしれない」
「本当にこの方向性で進めてしまって良いのだろうか」
「これが果たしてベストと言えるだろうか」
という気持ちが生じるからです。
あるいは、A案とB案、どちらで進めるべきだろうか、
という場合もありました。
つまり、アウトプットへの確信のなさに尽きます。
しかし、持ち時間は限られていて、決断しないことには前に進めません。

でも、方針を決めてしまえば、書類を作る時間は予想がつきます。
言い換えると、締め切りから書類を作る時間を差し引いた時間が、
企画のコアな考え方を組み立てるために使って良い時間でした。


つまり、アウトプットに際して、方針決定に費やす「時間」を決めると、
自ずと決断の締切が決まり、そうすると段々に決断することに慣れていきます。
「1+1=2」というような絶対的な正解はないので、
「これが果たしてベストと言えるだろうか」という内なる声が聞こえてきても、
「いや、この時間の中ではベストだ」と割り切れるようになりました。
ですから、アウトプットのための検討時間を決めるというのは、
決断するためのとても重要なノウハウだと学んだ気がします。


アウトプットに関して費やす「時間」を決める以外に、
もう一つ学んだことは「出来栄え」のイメージとして、
「何点」を目指すかを決めるということでした。

どういうことかというと、仕事だから合格点以上であるべきなのは当然です。
で、たとえば合格点を70点とするなら、
今回のアウトプットは70点を目指すのか、80点を目指すのか、
90点を目指すのか、100点を目指すのか、意図的に決めるようにしました。
この良い点は、合格点の出来栄えを最初にイメージするようになったことです。
たとえば合格点の70点を目指してイメージ通りできたなら、
それは合格点階級の中での100点だと言えるからです。

そして、100点を目指す場合は、当然のことながら、
人を驚かせ、唸らせるようなことを目指すわけですから、
自分が思いつく限りのことを全部やり尽くそうという考えで臨むわけですね。
予算も時間もあまりないときは「合格点」を目指し、
ワクワクする案件は「100点」を目指そう。
そんなふうにメリハリをつけることを覚えていきました。


つまり時間に対して「与えられた時間の中ではベストだ」と思えれば良しとし、
目指す得点に対して、「出来栄えを描き、イメージ通りになった」と思えれば、
自分のアウトプットはそれで良しとしようと決めたわけです。
そうしたことで、迷いなく優先順位を決められるようになり、
自分のエネルギーの分配をうまく機能させられるようになったと思います。


ある調査によると、不安やストレスを感じている労働者は50%以上だとか。
がんばっているのに、空回りしていると感じたり、疲弊していると感じるとき、
自分に原因があるのではなく、仕事の状況に原因があると思いがちですが、
実は自分でコントロールできることもとても多いと思います。
アウトプットで、闇雲に良い点を取ろうとすることが悪いとは思いませんが、
それをやり続けることで疲弊しても意味がありません。
人は、すべてに全力投球なんて、できないからです。
30代の半ばに半年ぐらいメンタルがやられて、
病院に行ったことのある私が言うのだから間違いありません(笑

来週は師走に突入です。
どうぞ良い週末をお過ごしください。

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今年も2カ月を割り、年末が近づいてきますと、

  残る2カ月で、今年本当はやりたかったことがやり切れるだろうか?
  このままできずに終わったらイヤだな...

と、そんな焦りの気分に見舞われます。
「できなかった」はセルフイメージや自己肯定感を下げかねず、
ますますゲンナリ。。。
と、なりそうになるのですが、思考は自分でコントロール可能ですからね、
私は「待て待て。モチベーションは自分でなんとかせい」と言い聞かせています。


というわけで、今日のテーマは「モチベーション」。
ちょっと広すぎるテーマですが、
改めて何なのだろう?と考えてみたので、共有させてください。
言うまでもなく、この言葉は日常的によく使われます。
最近当社では、コンテンツ開発セミナーや連載記事のテーマとして
「モチベーションで」とのご要望をいただく場合も少なくありません。

誰しも、自分が実現したいのに、うまく進まないとき、つまり、
目標を掲げたのに挫折したり、続けるつもりが継続できなかったりしたときに、
自分の中にある「モチベーション」のありようについて考えますよね。

自分のモチベーションについてだけでなく、
例えば、仕事で誰かにネガティブなことを伝えなくてはならないときに、
相手のモチベーションを下げないようにと苦慮することもあります


私たちが「モチベーション」という言葉を使うとき、
大抵は「意欲」の言い換えで使っているような気がしますが、
本来「motivation」の意味は(行動を引き出すための)「動機付け」です。
その本質は何なのでしょうか?

以前の心理学では、人は、報酬や評価、懲罰などの外発的要因によって
動機付けられる、と考えられていたそうです。
それに対し、米国の精神科医ウィリアム・グラッサー博士は、

・人は自分の行動と選択をコントロールできる存在であり、
 選択によって自分の基本的な欲求を満たし、幸福を感じる。
・人の行動や選択は、自分の欲求によって内発的に動機付けられる。

...と考え、これを「選択理論」(Choice Theory)と名付けました。


細かい話は脇に置いておくとして、モチベーション(行動・選択の動機付け)の
根っこにあるものは、自分の欲求、すなわち「願い」だということになります。

と、いうことはどういうことか?
この理論を採用するならば、
行動できるか、達成できるかは、結局「願望の強さ」、すなわち
どれだけ強く願っているかにかかっていることになります。

私が最初にこれを知ったときに思ったのは、
「え? 重要なのは意志の強さではないの?」ということ。
私の中では、「意志」とは、覚悟や決意に近いイメージで、
「願望」とは別のものでした。

そうと分かれば、なんだかモチベーション維持もできそうな気になりませんか?

なのですが、、、、
実は、人の願望というのは、多くの場合、とてもふんわりしたもので、
なんとなくの願いなんですよね。

私たちは、本当に自分が求めているものは何か?などと、
普段なかなか真剣に考えません。
そして、この「本当に自分が求めているものは何か?」の意味は、
成し遂げたいことなどではなく(いえ、それはそれでも良いのでしょうが)、
どんなとき、どんなことに幸福を感じるか、
どんなときに心が躍り、反対にどんなときには怒りや嫌悪を感じるのか、
というようなことから始まるのだと思います。

でも、自分自身のことなのに、なかなかキャッチできないばかりか、
「あらねばならぬ」で考えてしまったりします。


しかし、本当の私たちは、選択や行動を願った通りに決められる。
ありたい自分になれるし、やりたいことをやっている自分になれるはず...なのです。
(あー また始まった! 今回も自分に言い聞かせている笑)
強く願えば叶うなら、たまには胸に手を当てて、自分の願いを考えるとしよう!

心に秘めた強い願望、持っていますか?
モチベーション系のコンテンツは、こんな観点からも考えられそうですね。

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昨日、家でスマホをいじっていたら、
たまたまiPhoneのミュージックが開き、
さらに偶然にも、和田アキ子の歌声がしてきました。
少なくても私のライブラリーにはないはずのその声。
もしかして、無意識にアップルミュージックを申し込んでしまった?
まだ謎は未解明なのですが、、、
そこからいろんなことを考えてしまったので、シェアさせてください。

和田アキ子。
歌手というよりも、どちらかといえばタレント・司会者のイメージを
持つ人の方が多いのではないでしょうか。

現在、73歳の和田アキ子さん。
私が最初に知ったのは子どもの時でした。
すっごい歌手だと子ども心に衝撃を受けたことを今でも覚えています。
今回、iPhoneから聞こえてきた曲は、初めて聴く曲でしたが、
この人スゴイ!と最初に思った時の記憶が蘇るほどのインパクトがありました。


最近の、というか、もう大分以前から、私の中での和田アキ子さんは、
「アッコにおまかせ!」という長寿番組の司会というイメージが強かったので、
もはや歌手というよりもタレントでした。
そして、それをずっと訝しく思っていました。
本当に生かすべき才能は、歌手の方だと思っていたからです。

この人は、本当は歌手とタレントのどちらで成功したかったのだろう?
歌手に主軸を置こうと思ったことはないのだろうか?
事務所の方針だったのだろうか? 彼女の本音はどうだったのだろう?
...と。和田アキ子の名前を聞くとそんなことが頭をよぎったという感じです。
そのぐらい、つまり海外でも活躍できたのではないとさえ思うぐらい、
私にはこの人に歌手として才能があるように思えました。
ソウルfullなのです。


なのですが、、、、
和田アキ子さんの芸能活動について、
そんなによく知りもしないで書くのもなんですが、
すごくチャレンジしているという印象もなく、
才能があるのに、もったいないなーとずっと思ってきました。

人生に「たられば」はないけれど、
もし、彼女がタレント業を手放していたら、どうなっていたのかなと思います。
(でも、フォローするようですが、オフィシャルサイトを見ると、
歌手としてもいろいろやっていらしたんですね)


さて。
海外に羽ばたいてほしいと思う人、
今どきの言い方でいえば、オシ? いますか?

私は、綾瀬はるかさんにアクション俳優として
ハリウッドデビューしてほしいな...なんて思ったりします。
彼女の役にスイッチが入った瞬間の変わりぶりと、運動神経はスゴいです。
アクションなのに、エレガントだし。
「あなたにはそれができる」と、そばにいる方には背中を押してあげてほしい。


話を戻して、、、
和田アキ子さんの人生のことはわかりません。
ここからは「もし、~を手放していたら?」という話。

自分に当てはめて考えてみても、少し胸の奥の方がザラっとします。
捨てる勇気、手放す勇気を持つことで変わることがあるんだろうな、と。
何かを始めることよりも、何かをやめることの方が、
よっぽど勇気がいるし、決断力もいるような気がします。
でも、人生は一度だけです。
二兎を追うと一兎も得られない。
なんだか自分に言っていますね、これ(笑)
断捨離は得意なはずなんだけどな~


もう10月も残すところわずか。
時の早さに惑わされず、一歩一歩ゆっくりでも前へ。
良い週末をお過ごしください!

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ジャニーズ事務所の問題、私、ミーハーなのでしょうか、
興味を持って眺めています。
部分的にしか見てはいませんが、10月2日の会見は、
社名を変更することや補償業務に専念するとしたことから、
評判の悪かった9月7日の会見に比べ、少しは挽回したようですね。
それでも、ネットの声にはまだまだ厳しいものを感じます。

私は、会見の内容もさることながら、会見で使われた2つの言葉に対し、
ちょっとした違和感を感じたので、今日はそこを足がかりに考えたいと思います。


違和感を感じた2つの言葉とは、
1つは「ビジョン」
もう1つは「寄り添う」です。

新社長である東山氏は、今後の事務所の方針を説明した後、
「これが私たちのビジョンです」と語りました。
ここでの「ビジョン」は展望、見通し、未来像という意味だと思うので、
辞書的におかしいわけではありませんが、
果たしてその語感はこの場にふさわしかったかというと疑問です。
「ビジョン」は明るい理想に向かっていくような語感の単語だからです。
同じ意味で、新社名「スマイルアップ」も、
勘違いしてない?とひんしゅくを買いそうな語感です。
改めて、言葉はその場に似つかわしいかが重要なんだと痛感しました。


そして、もう1つは今日の本題「寄り添う」というワードです。
「被害者に寄り添う形をきちっとつくっていきたいと思います」という発言の中で、
東山氏はこのワードを使いました。

言葉尻を捉えるようで申し訳ないのですが、
この「寄り添う」という言葉が使われた時点で、ごめんなさい、
私は「あ、これは作文を読んでいるのであって、ここに"思い"などはないな」
と思ってしまいました。

なぜかというと、この「寄り添う」という言葉は
最近では一種のテンプレートワードになっているからです。

被害者に寄り添う
被災者に寄り添う
患者に寄り添う
障がい者の方たちに寄り添う
お客様に寄り添う

特に最近は地震や台風被害も多いので、
そのたびに政治家や行政の方たちがこぞって「寄り添う」を使っている印象です。

ここに常套句の怖さがあります。
「こう言っておけば大丈夫だろう...」
という姿勢が見透かされてしまう。
そう思うのは私だけでしょうか。


そもそも「寄り添う」という言葉にはどんな意味があるのでしょうか?
辞書的な意味を調べてみました。

ー出典:デジタル大辞泉(小学館)ー
もたれかかるように、そばへ寄る。
ーー ーーー ーーー ーーー ーー

でも、被害者に寄り添うという時、その意味は、物理的に体を寄せるのではなく、
「心を寄せる」「気持ちで応える」
「親身になって相手の気持ちを理解しようとする」。さらには
「自分にできることをしたい」
そんな意味まで含んでいるように思います。

そうであれば、本来「寄り添う」は
人として素敵な姿勢を示す言葉であるはず!なのですよ。

なのですが、今、さまざまな報道を通じて「寄り添いたい」という言葉を聞く時、
あなたはどう感じますか? 紋切型の姿勢に感じませんか? 
私には、その言葉を使っている人は
具体的に何をすることなのかをあまり深く考えずに使っているように見えます。
ただ体裁の良い言葉として使っている。
そう感じてしまう私は、職業病なのでしょうか?


さて、実際には「寄り添う」という言葉を使った人たちを
十把一絡げに語ってはいけないと思います。
本当に思いを持って、その言葉を発した人たちもいることでしょう。

でも、テンプレートワード、すなわち常套句になっていないか、
そこへのアンテナを張っていない人は、
紋切型で心からの言葉ではないと思われてしまう可能性がある。
「全社一丸となって」などもその類でしょうか。
広報に携わる私たちは、その恐ろしい現実に自覚的であるべきだと思います。
あなたは、どう思いますか?

暑い季節が去り、少し凌ぎやすくなりました。
2023年も3カ月。元気に過ごしましょう。

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私程度の英語力で、英語の話をするのは僭越なのですが、
言葉に関わる者として、なんだかなーと思うことを今日は書こうと思います。

きかっけは8月15日の終戦記念日でした。
「"No More Hiroshima!(ノーモア・ヒロシマ)"というスローガンは、
"広島なんかいらない"という意味になるのに、
わざわざアルファベットで書いて、それを世界にアピールするのは謎...」
というようなツイッター(あ、今はXですね)を見かけました。
「これ、重要!」と思ったので、改めて調べてみました。

「No More Hiroshimas!」と複数形にしたら、
広島の惨劇は繰り返すなと伝わるようですね。
たとえば「No more Hitlers」だと
「ヒットラーのような独裁者は2度と出すな」という意味になる。
たかが「s」1つですが、つまらないことで揚げ足を取られないためにも、
国際社会へのメッセージとして、この「s」は入っていたら良かったと思います。


中高生が習うレベルの英語でも、
おかしいと気づくことはたくさんあります。
「Go to トラベル」もそのひとつ。
(残念ながら、私は「Go to トラベル」の恩恵をまったく被りませんでしたが笑)
「Go to eat」(toは不定詞)は良いとして、
「Go to events」(toは前置詞)も良いとして、
「Go to travel」の「to」は「?」と思いますよね。
「Go traveling」「Go on a trip」などの方がしっくりきます。
でも、きっと「to」で統一したかったんだろうな~ お察しします。

実際、この「Go to travel」の表現に対しては国民からの指摘も多かったらしく、
政府は「Goもtoもtravelも、大半の日本人が知っている英単語。
(文法より)伝わりやすさを重視した結果です」と説明したようですね。
個人的意見としては、言い訳説明ならNGだけど、
ちゃんと検討してそう選択したなら良いと思います。


さて、おかしいことを承知で意図して使った例の中で、
おもしろいと思ったのは、アップルの「Think different」です。

「違った考え方をしよう」という意味だとはわかりますが、
「different」は形容詞だし、文法的には間違っているんじゃないか...
と多くの人は違和感を感じたと思います。
正しくは「Think differently」なのではないか、と。

以下はネットからの拾い物なので、原典までは確認していませんが、
アルク社の「ENGLISH JOURNAL」によると、

2011年にウォルター・アイザックソンが書いたSteve Jobsというタイトルの伝記に、

They debated the grammatical issue : If " different " was supposed to modify the verb
"think," it should be an adverb , as in "think differently." But Jobs insisted
that he wanted " different " ... 'Think differently' wouldn't hit the meaning for me."
彼らは文法的な問題について議論した。"think"という動詞と共に使うなら
"different"は変えるべきじゃないか、"think differently"として使うべきではないか、
と。しかしジョブズは different がいいんだと 主張 した・・・
「"Think differently"じゃ僕にとっては意味がないんだ。」


とあるそうです。意図的に文法破りをやったわけですね。
文法的におかしい「Think different」だからこそ、
人々に対して「あれ、何か変な表現だ、おかしいんじゃないか?」
思わせることができる。
だとしたら、なるほどジョブズらしいと思います。


一方、無自覚に公表したと思われる英語フレーズ例を調べてみました。
ある美容脱毛サロンの広告で、こんなコピーが使われたようです。
「Enjoy the girl!」
普通に考えて、「その女の子を楽しめ!」という意味ですから、
うーん、企業としてはリリースしてはいけないコピーだったと思います。
英語を安直に使う恐ろしさを再認識する必要がありますね。


日本では、英語の意味を無視して「飾り」として使う慣習もあるようです。
主には「デザインの世界」でです。
アルファベットをあしらいとして使いたがるデザイナーさんはかなり多く、
指示になくても言葉を入れてくるデザイナーさんもいます。
多分、アルファベットが入るとデザイン的にカッコがつく/まとまる
という認識なのでしょう。
でも、デザイナーにとっては飾りなのかもしれませんが、
やっぱり言葉には意味があるのですから、
飾りの意識で使ってはいけないと思います。


さて、私の友人であり、当社パートナーでもあるJ-BRANDINGの竹内春海さんが、
海外へのローンチ問題への解決策として新しいサービスを始めました。
英語での商品名やサービス名の開発と、
そのロゴタイプや商標登録までをワンセットで提供します。
チームの強みは「グローバル事情への精通」です。
https://ilinkpat.jp/lp/syouhyou-eigonaming/
ご興味がありましたら、上記URLから直接お問い合わせいただいて結構ですし、
このメールに返信いただいても構いません。私がおつなぎします。
日本企業の世界市場でのローンチ、うまくいってほしいと思います。


さ、明後日からもう9月。2023年もあと4カ月です。
やりたいことは思う存分やりましょう! 人生一度きりですからね←と自分に笑

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台風5号、6号の影響を受けている皆様には
心からお見舞いを申し上げます。
私は、台風5号が去り、6号が来る直前に、
休暇で訪れていた石垣島から帰ってきました。
4日間の滞在のうち前半2日は雨、後半2日は晴れで、
最初はアンラッキーだと思っていましたが、今にして思えば幸運でした。
7号も日本に接近しています。
被害が出ないことを祈るばかりです。

さて、石垣島を訪れた理由は、一緒に行った友人のお嬢さんが現地で暮らし、
この春、独立してショットバーを開いたことにありました。
年齢29歳で一国一城の主です。
会計のことや法律的なことを独学で勉強しながら開業したのは、
とても立派だと思います。
こういう若者がいるなら、日本もまだ大丈夫...という気持ちになりました。

この件を通じて、1つだけ考えさせられたことがあります。
彼女は30歳になるまでに、自分の店を持ちたいと思ったそうなのですが、
その理由は雇用される立場だと、
自分の考えた通りにできないからだと話してくれました。

彼女の場合は、行動的ですから、
実際に動いてみて感じたことなのだろうと思いますが、
今回はこの話を糸口に、一般的に言われる「組織にいると
自分の考えた通りにできない」について考えてみました。
私が思ったのは、確かにそのようなケースは多いのだろうな...ということ。
と同時に、人がそう思ってしまうのは先入観の場合もあるのではないか、
ということでした。


実際組織にいるとよくあることなのだろうと思います。
わかりやすいところで言えば、上下関係の影響。
年齢や社歴、経験などによって、若い人の意見が尊重されにくい風潮は、
日本社会ではいまだに根強いのかもしれません。
また「和をもって貴しとなす」が歪んで伝わったのか、
意見を言うことは和を乱すことだと思っている人もいるような気がしますから、
そういう人が上司にいれば、自分の考えを通しにくいと感じる部下がいても、
不思議ではありません。

一方で、先入観で動きにくくなっている人は案外多い気もします。
仮に新しいことに関わるのが嫌いな上司がいたとして、
自分が考えたことが本当に必要なことなら簡単に諦めるのは早計です。
もちろん自分が考えたことが100%実現できるとは限りませんが、
それは上下関係でなくても同じではないでしょうか。
何かを実現させる場合、他の人の賛同なくして実現できないわけですから、
上司という一人の人間の賛同を得ることは特別なことではないと思います。

思ったこと、考えたことができないと感じる人が多い状況は、
言い換えると、人のエネルギーが活かせていない状況でもあります。
そう思うともったいないですよね。


話は飛ぶようですが、
読みたいと思っている本の1つに伊賀泰代さん著「採用基準」があります。
伊賀さんは、マッキンゼーで採用マネジャーをされていた方。
採用で、最も重視すべきことはリーダーシップを発揮できるかどうかであり
あらゆる人にリーダーシップが必要だという自論をお持ちのようです。
かつてリーダーというと、統率する人、牽引する人というイメージがありましたが、
最近のリーダー論は全般的にそうではなくなっているようですね。
伊賀さんの対談をハーバードビジネスレビューで読みました。
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/1410


これを読んでも、リーダーシップとはこれこれです!と言い切るのは難しいですが、
私なりの意訳をするなら、
その本質は「意思表明」と「責任感」ではないか、と思います。
意思がなければ主導的役割は果たせないですし、
リスクを取る責任感がないと意思も示せないと思うからです。
だからこそ伊賀さんは、一部の限られた人だけでなく、
あらゆる人にリーダーシップは必要だと説いているのだと思います


さて、自分の考えで進めたい時の意思表明、意思表示について、
魔法の言葉を紹介します。それは...

「私にやらせてください」です。

~の役割を私にやらせてくださいとか、
~した方が良いと思うので、それを私にやらせてくださいとか。
何をするかを決めても、誰がするかが決まらないと物事は前に進みません。
このセリフをうちのスタッフから言われたら、私なら原則やらせます。
でも、承認を得るって面倒くさいものかしら?

来週はお盆休みの方も多いことでしょう。
暑い日が続いていますが、熱中症に気をつけて
健やかにお過ごしください。

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4月のブログでも「教える」を取り上げました。
(記事はこちら)
最近の私のチャレンジテーマは、十人十色の教え方ができるようになることなので、
「教えること」や「人の成長」について考える機会が多いです。
今回も「教える」側の視点から、あれこれと考えてみたいと思います。
というのは、スキルや知識を教えることだけが教えることではないと
考えているからです。

さて、まずは最近の注目ワード「リスキリング」の話題から。
2020年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で
「2030年までに地球人口のうち10億人をリスキリングする」と発表され、
経団連の「新成長戦略」の中でもリスキリングの必要性に触れられています。

「リスキリング」は「Re-skilling」。
一般的には、AIやDXが普及した社会に対応できる人材を生み出すために、
企業や自治体が従業員に新しい知識やスキル(どちらかといえばデジタル系)を
身につけさせ、労働移動につなげるための取り組み...ということだと思います。

先日、国会議員の片山さつきさんが、「Webサイトからの申請方法などについて
尋ねても答えられない自治体職員がいる」と話していましたが、
急速に社会のデジタル化を進める必要がある一方、
働く層が高齢化する日本では、リスキリングが話題になるのは必然かもしれません。
(本来、リスキリングの対象は年齢に無関係だそうですが)

もちろん、それが重要であることに異論はありませんが、
社会の潮流からデジタルスキルについて従業員教育を行うだけでは
大した成果は上げられないのではないかという気がして、
リスキリングという言葉にはひっかかりを感じます。
スキルだけでいいのか?と。


たとえば当社では、採用活動を行う場合、
年齢や経験に応じて知識やスキルはあるに越したことはないと考えますが、
意識や思考の方をより重く考えています。
なぜなら、意識が高いと自己開発力が高くなり、知識やスキルは自然と付いてくると思っているからです。
(あ、採用活動、やっています! 自薦他薦とも歓迎します!)
でも、ここでの「意識が高い」というのは、いわゆる「意識高い系」とは違います。


以下、ちょっとした知識のお裾分け...。
人の成長には、知識やスキルが広がっていく「水平的成長」と
意識のレベルが高まっていく「垂直的成長」があります。
成人発達理論を牽引するハーバード大学のローバート・キーガン教授の理論です。

大人が成長するには、意識の成長が不可欠で、それは言い換えると、
解像度の高いレンズで物事を見られるようになることだと言います
モノゴトの認識の仕方や捉え方、解釈の仕方を柔軟に変化させ、
多様な視点を受け入れられるようになっていくことだと言います。
そのためには自分の信念を含めて固定観念に捉われていないかを問い直す
謙虚な自己客観視が必要だとされていますが、それを一人でやるのは簡単ではありません。
だから上司にはコーチング的な方法で部下を支援することが求められるわけです。


同じような話は、濱田秀彦さんの著書
「仕事を教えることになったら読む本」でも紹介されていました。
この本によれば、「教える」というのは、
「設定したゴールに相手を運ぶために、知識、技術を付与し、意識を高めること」と定義されています。

言われてみれば、いえ、言われなくてもかな? その通りですよね。
私なりに噛み砕いてみました。
(A)知識を教える:それまで知らなかったことを理解している状態にすること。必要な教え方はティーチング。
(B)技術を教える:うまく運ぶためのノウハウや振る舞い方を教え、相手が実践できるようにすること。必要な教え方はトレーニング。
(C)意識を教える:何に対し意識を向けるか、どのような心構えでいるとうまくいくか、意識を働かせられるようにすること。必要な教え方はコーチング。
...てな感じでしょうか。

このように知識やスキルを伸ばすだけでは真の成長はできないと考えている専門家たちがいて、私はそれに共感しています。


ところが、この「意識の成長」を支援するのが上司にとってはとても難しい。
しかも、意識の有りようは知識や技術の習得にも関わってきます。
例えば「苦手だ」という意識があったら、知識や技術はなかなか入ってきません。
「身につけねば」とか「失敗したくない」という意識がある場合も同様です。
私も、支援する側にいながら、自分が学んでいるような感じです。

また成人発達理論の「意識の成長レベル」の1つに、
他者の立場に立てるかどうかという尺度があるのですが、
部下に対し、他者の立場に立てるように指導しているつもりが、時として
「指導しているお前こそ、教わる相手の立場に立つ意識が持てているのか?」
という内なる声が聞こえてきたりして。。。涙

実際、教える側の器以上のことを人に教えることはできませんからね、
私が十人十色の教え方ができるようになることを目指すなら、
自分の器を広げることが先決なのだろうなと思う今日この頃です。

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ゴルフや筋トレ、ドラムなどをやっているとき、
ふとこんな感覚に陥ることがあります。
自分のボディを操っているのは操縦席にいる自分なのに、
自分をうまく操縦できていない、と。

「操縦」とは「自分の思いのままに操ること」です。
元々は乗り物を意のままに動かすことを指したのでしょうけれど、
そこから転じて、人を操るという意味でも使われます。

他人を操りたくはありませんが、
自分も誰かから操られたり、何かに支配されたくありません。
自分のことは自分で操縦したい、そう思いませんか?

でも、日常生活では自分で自分を操縦しているなどと
感じることは滅多にありません。
ボディの操縦はもちろん、マインドの操縦に関しても、
操縦しているという意識など持たないのことの方が多いと思います
まるで自動運転の車に乗っているような感覚で、
私たちは日常生活を過ごしているのかもしれません。

というわけで今回は、操縦の中でもマインドの自己操縦について
考えたいと思います。


では、伺います。次の文章の○○に入る言葉、
ご自身の場合、3分でいくつぐらい出てきますか?
「あ、また○○を食べちゃった/飲んじゃった」
「やろうと思っている○○が、またできなかった」
「ついつい○○しちゃうクセ、直らないな」

私の場合、多分3分で10件ぐらい楽勝で出てくる気がします(泣)
そして、「なんて意思が弱いんだろう...」と自責の念にかられる。
アルアルですよね。
でも、これらは「自己操縦」の例と言えなくもありませんが、
どちらかと言えば「自己制御」、すなわち自己操縦機能の中でも
アクセルとブレーキが使えるかという話に近い気がします。
操縦席にいると、もっと困ること、怖いことがあって、
実はそれが日々起きていると思うのです。


たとえば、あなたがもし、飛行機や新幹線、いえ自分の車でもいいのですが、
その操縦席にいて、もっとも起きてほしくないことは何ですか?

いろいろあるかもしれませんが、
そのうちの1つに「操縦席をテロリストに乗っ取られること」が
入るのではないでしょうか。
自分の意に反して、テロリストに操られてしまうことは、
最も恐ろしいことの1つだと思います。

多分もう私がお伝えしたいことが何なのか、
ぴんと来られたはずです。
自分の心が「誰か」や「何か」に「支配」された状態、
つまり自分の操縦席を奪われた状態に陥ると、
私たちは自由を失います。
支配とは、誰かや何かが人を意のままに操り、服従させることです。


ところが、ややっこしいのはここから先です。
相手に干渉して束縛するタイプの支配はわかりやすいですが、
一見支配されていながら、実は裏支配しているということも
深層心理的には起きるようなのです。

たとえば、支配される側に立つことで
自分を正当化して責任を相手に押し付けて支配するとか、
支配される体を取ることで相手に支配させる満足感を与えて支配をするとか、
支配させてやっている自分には価値があると認めさせて支配するなどが、それ。

こう聞いても、「そんな人いるの?」と思われるかもしれませんが、
威張っている人の目の前では媚び諂いつつ、
裏で悪口を吹聴している人はある意味「裏支配」しているのかもしれません。

あるいは、この会社では、これこれをやりたくてもできない...と嘆いて、
行動はしないというパターンや、
うちは創業期からずっとこれでやってきたのだから変えるわけにいかない...
という考え方も、何かに支配されているようでもあり、
裏支配しているようでもあります。


さて、ここでもう1つの疑問が湧いてきます。
他人を支配しようとしている人や、支配されてもスルーしてしまう人は、
自分を支配できていると言えるのでしょうか。

故ネルソン・マンデラ元大統領を主人公にした映画「インビクタス」の中で
ウィリアム·アーネスト·ヘンリーの詩の一節が出てきます。
「私が我が運命の支配者  私が我が魂の指揮官」

本当にそうありたいもの。
というわけで、6月も終盤です。
時速200キロ、いえ、安全運転でばっちり自己操縦したいものですね!

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ChatGPTなどのAIに注目が集まっているためか、
私たちの「言語化能力」がこの先どうなっていくのか、
という問いが頭の片隅に常駐しています。

もしかしたら、このような関心は時代特有のものかもしれません。
たとえば、1冊10分で読める書籍要約サービス「flier(フライヤー)」の
アクセスランキング(2023年1月1日~31日)にもその傾向が表れています。

年代別ランキングで、30代の上位にあったのは
1位「言語化の魔力 言葉にすれば「悩み」は消える」(樺沢紫苑/幻冬舎)
2位「リーダーは話し方が9割」(永松茂久/すばる舎)
7位「東大教授の考え続ける力がつく思考習慣」(西成活裕/あさ出版)

各書籍の切り口は微妙に異なるのだと思いますが、
「言語化」「伝え方・話し方」「思考整理」をテーマにした本に
関心が寄せられているのは、他の年代でも概ね同じです。

では、そもそも「言語化」とは何をすることなのでしょうか。
いろいろな表現の仕方があると思いますが、
ここでは、次のように定義してみました。

自分が頭の中で考えていることを言葉に変換し、
さらに相手がより理解しやすい言葉で伝えること。


ここで重要だと思うことが2つあります。
1つは、頭の中だけで考えることと、言葉にすることは違うということです。
一人で考え、頭の中では整理したつもりでも、
いざ人に伝えようとすると言葉に詰まるという体験、誰にでもありますよね。
人の脳がどのように働くのかは知りませんが、
頭の中を過ぎていく言葉であるうちは言語化とは言えないわけです

もう1つは、自分のための言葉ではなく、
相手のための言葉にしてこそ意味があるということです。
伝えたかどうかではなく、伝わったかどうかが重要なのですね。

だから、コミュニケーションを大切にしたいと思うなら、
自分の考えを言葉として発することから逃げてはいけないのだと思います。



一方で、人々の関心が言語化にありながら、
「ふんわり」「ふわっと」という言葉もしばしば耳にします。
いろいろな意味で使われているようですが、
その1つに「あいまいな」という意味もあるようです。

「ふんわりした話」といえば、
核心をつかないぼんやりした話というような意味でしょうか。
また、具体性に乏しく抽象度が高い話の場合も、
ふんわりしていると言ったりしますね。

「あいまい」という言葉だと少しネガティブな印象ですが、
「ふんわり」になると必ずしもそうでもありません。
今はまだ漠然としているけれど、これからクリアになっていくかも...という
期待さえ抱かせる気がするのは、持ち上げすぎでしょうか。
あるいは、「内容がぼんやりしていてダメ」と言いたいところでも、
「なんか、ふんわりしていますね」と言うことでソフトになるような。
あいまいさを否定しないところは、日本的な知恵なのかもしれません。


私は言葉を使って仕事をしているので、言語化の大切さは常に感じています。
でも、言語化にはデメリットもあります。
逆に言えば、ふんわりにメリットがあるということです。

どういうことかというと、
言語化というのは複雑な考えやそのニュアンスを潔く絞り込む作業なので、
捨て去る概念の中に実は大切なエッセンスが含まれている場合があるわけです。
1番大切なことは言葉になるけれど、
5番目ぐらいに大切なことは言葉にはされず、
結果的に思考の中から排除してしまうことにつながったりします。
論理的な言葉が勝り、感情的な言葉が置いてきぼりになりやすいのも、
そのようなことと無関係ではないと思います。


仕事というのは大抵はふんわりしたところから始まります。
ふんわりしたままでは始動できないので、誰かが言語化する。
すると、具体的なタスクになっていきます。
誰かと協働するにはコミュニケーションは避けられないですし、
AI時代だからこそ言語化能力は必要不可欠になっているとも思います。
言語化能力を養いながら、一分の隙間にふんわり力も持っていたいものですね。


今日が良い1日でありますように!

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5月も後半。4月に新卒で入社したばかりの方も、もう社会人2カ月です。
でも、このメルマガの読者には、新卒入社したばかりの社会人は少ないのではないかと思います。むしろ部下や後輩を育てる立場にある方が多いのではないでしょうか。

新卒社会人に学んでもらうための知識・情報・コンテンツは各社いろいろとあると思いますし、学ぶ時期に関する見解も各社各様だと思いますが、
社会人何年生で何を学ぶのかはともかく、「物事を構造的に理解する」ということに対し、多くの企業では遅かれ早かれ学ぶことを促しますよね。
会社によっては、採用段階で構造的思考力をチェックするということをやっている場合もあります。

当社でも、構造化思考は重要視していて、
勉強会でもしばしば取り上げているテーマです。

たとえば次のような問題。腕試しに考えてみてください。簡単すぎでしょうか?

問:最初に示された二語の関係を考えて、同じ関係のものをア)からコ)の中から選んでください(複数選択)。

① 薬品:調合
ア)道路:整備 イ)道路:交通 ウ)衣服:洗濯 エ)事業:承継 オ)事業:低迷 カ)売上:原価 キ)売上:計上 ク)石油:備蓄 ケ)火力:原発 コ)国会:空転

②防寒:手袋
ア)ダイエット:運動 イ)ワイン:フランス ウ)連絡:メール エ)会議:決定 オ)関係強化:外交 カ)財産形成:投資 キ)人材育成:研修 ク)議論:結論 ケ)婚約:結婚 コ)予約:スマートEX




いかがでしたか? 簡単でしたか?
①は目的語:述語という関係なので、正解は(ア、ウ、エ、キ、ク)。
②は目的:手段という関係なので、正解は(ア、ウ、オ、カ、キ、コ)です。


さて、、、、
わかったような、わからないような構造的思考。
そもそも「構造的思考」って何なのさ?という話になりますよね。
今回のメルマガでは、新人にわかりやすく説明するとするならどう説明するのか...をやってみたいと思います。できるかな?

まず「構造的に考える」という言葉の定義から考えてみましょう。
ここでは:
 物事を全体的に眺めた上で、「全体」と「構成要素」について定義し、  「構成要素間の関係」を整理する思考プロセス。
そんな表現がしっくりきますので、まずはそう定義することにします。


でも、こんなことを言われても特殊で抽象的すぎて、
みんなで共有するにはイマイチだとも思います。
ですが、「構造的思考」はそれほど「特殊」なものではなく、
時には誰もが無意識にやっていることなのでは?と思います。

たとえば、「関係」という言葉に注目してみましょう。
すると、身の回りにいろいろな「人間関係」があることを思い出しませんか?
・上司と部下の関係
・先輩と後輩の関係
・親子の関係
・夫婦の関係
・友だち同士の関係

その関係に関し、良い/悪い以外にも、
気兼ねの有/無、静/動、上下/対等など、
さまざまに表現することができます。

そんな人間関係の中で、私たちは無意識に構造的思考を働かせています。
・AさんとBさんは仲が悪いから席は離れている方が良い
新メンバーのCさんには慣れてもらうために真ん中の席の方が良い
関係がこうだから、こうした方がいいというものの見方は、
構造的思考に近いのではないかと思うのです。
関係が把握できると工夫ができるわけです。


さて、人間関係は世の中の関係の極一部。
世の中にはもっといろいろな関係が存在します。
たとえば、論理的な視点で見たら;
・並列の関係(同じ重要度、同じ階層の情報同士の関係)
・順列の関係(順番に関する関係)
・分岐の関係(選択肢を表す関係)
・因果の関係(原因と結果の関係)
・階層の関係(親要素、子要素の関係)
などがあります。

少しアタマが痛くなってきますね。

次はもっとアタマが痛くなりそうですが、
昔学んだ、ベン図でお馴染みの「集合」の視点でも見ることができます;
・グループ(集合)とグループ員(要素)の関係
・グループAにはグループBに含まれる要素があるという関係(部分集合)
・グループAとグループBの両方に属すグループCという関係(共通集合)
グループAとグループBのいずれかに属すグループCという関係(和集合)
ほかにも空集合や補集合の関係などがあります。


ですが、世の中にはもっとたくさんの「関係」があります。
たとえばウクライナとロシアのように敵対的関係もあれば、
日本とアメリカのように同盟関係もあります。


さて、、、
物事の関係をすんなりと理解できると、どんな点が良いのでしょうか?
一般的には、「問題解決」や「情報伝達」に不可欠だと言われていますが、
なぜでしょう?
先ほど「人間関係」に対し、人は無意識に構造的に把握している、
関係がわかると工夫ができる...という意味のことを書きましたが、
構造的理解が重要な理由もそこにあるのだと思います。

あー 1回では書ききれない。だいぶ行数を使ってしまいました。
参考になるんだか、ならないんだかって自分ツッコミしたくなってきました。
ChatGPTに聞いた方が早そうですね(涙

あと2週間で5月も終了。
ひぇ~ と思いますが、焦っても始まらないので、
色鮮やかな緑を楽しみながら、淡々とがんばりましょう!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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