ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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リモートワークも日常になり、コミュニケーションのあり方も、

徐々にスタイルが確立されてきたのではないでしょうか。
そんな中で、雑談のあり方は、どんなふうになっていますか?

雑談への捉え方は、コロナ前でも二手に分かれていたような気がします。
一つは、自分のペースを乱されて、集中できない「無駄な時間」という捉え方。
もう一つは、誰かと親しくなったり、刺激を受けたり、化学反応が起きる、
「プラスの時間」という捉え方。
さらに、3つ目を挙げるなら、両方感じるという人もいるでしょう。


私自身は、2つ目の「プラスの時間」という捉え方をしています。
その第1の意味は、部下と関係を育む時間と捉えているのだと思います。
まず、雑談である/ないに関わらず、
話しかけやすいとか、話しかけると聞いてくれるとか、
上に立つ自分はそうありたいので、雑談によって邪魔された
という見方をするような自分でありたくないですし、
言い換えれば、雑談する時間は関係を育む時間だと思っています。

加えて、雑談はクリエイティブの温床であり、
成長の温床だと思っている、というのもあります。
雑談は、余白という意味での「あそび」の部分。
1日が、きっちり息の詰まるような時間ばかりだったら、
新しい発想なんて生まれてこないと思っています。
人って、他の人の発した言葉や取った動作などから、
たくさん学習しています。
出勤している日ほど、たくさん雑談をした方がいい、
そんなふうに考えています。

でも、これは、忙しい時に雑談したら、キラーンと発想が湧いてきた...
という体験があればこそ。そういった体験がなかったら、
やっぱり「この忙しい時に雑談? 意味わかんなーい」と思っているでしょう。

雑談派の私が、雑談のメリットを列挙すると、
なーんか、押しつけがましいですよね。
でも、ひるまずにやってしまいますよ! お付き合いください(笑

あ、でも、その前に、そもそも「職場での雑談」ってなに?
という話があります。
世の中には「目的を設定しないおしゃべり」という捉え方もありますが、
ここでは「無目的に自分らしさを出し、普段着で本音を出し合うおしゃべり」と
捉えることにします。

そうだとして、そのメリットは何か?

自分らしく話し、相手のその人らしさに触れることができる結果、
・距離が縮まり、人間関係が良くなる(知識ひけらかし系でない限り)。
・相手が喜ぶことがわかり、機会があったら、相手のためにできることをしたくなる。
・気軽に思いつきを話せる関係となる結果、実行したいアイデアも話せる。
・自分が知らない相手の知識について「教えて」と言えて、学べる。
・本音を話すことで、自分の中の閉塞感を手放せ、ストレスが減る。
・近い環境にあることから、孤独にならず、仲間意識が持てる。

まあ、そんな感じでしょうか。


当社は、大企業の課とかグループぐらいの人数で、
毎日、定例ミーティングを行っています。
で、始まりは、その日の健康状態と仕事とはまったく関係のない雑談です。
毎回、進行役がお題を出します。
それは、言ってみればどうでもいいことだらけ。たとえば...
・高校時代に戻って、部活をやるなら、何をしたいか?
・子ども時代の自由研究で何をしたか?
・涼しくなってきたらか、始めたいことややりたいことは?
使っている時間は毎回15分ぐらいでしょうか。
日によっては、業務連絡がなく、雑談で盛り上がって終わりという日も(笑

しかし、毎日、一言でもそういう言葉を発すると、
お互いに、その人らしさがわかるようになりますし、
会社でプライベートの話もしていいのだという暗黙の合意が生まれてきます。
と、同時に、一見すると非生産的な時間であっても、
それを大切にする会社なんだという価値観も共有できます。

雑談の良い点ばかり、書いてしまいました。
いつかは雑談の注意点も書かないといけませんね。
なぜなら、私は時々ひんしゅくを買っているから(泣笑

さ、涼しくなってきました。
気温の変化に注意して、元気に参りましょう! ありがとうございました。

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今日のテーマは、「理解」や「思考」の仕方の多様性についてです。
一般的に「多様性」というと、属性的な事柄で述べられることが多いですが、
本当は、そこはメインじゃないですよね。
そんな話題をお届けします。

が、その前に、、、、
パラリンピックが始まりましたね。
以前にも増して、パラ選手に対する「かっこいい」「すごい」というムードが
高まっているのが、今回の大会ではないでしょうか。

選手たちのインタビューを見ていて思ったのは、
自分と違う立場にある人たちに関心を持つことの大切さです。

国際パラリンピック委員会(IPC)は、東京2020パラリンピックを機会に、
「WeThe15」というキャンペーンを始めました。
世界人口の約15%にあたる12億人が何らかの障害を持って暮らしており、
だからこそ、障害者が日常的に直面する障壁と差別に対し、
今後10年間で変化を起こそうと、そんなことが目指されています。

知りませんでした。
15%とは...。6人に一人です。
考えてみれば、法律的な区分はさておき、
色弱/色覚異常の人は男性の5%ですし、発達障害の人の割合も6.5%です。
高齢者の認知症を加えると、15%はむしろ控えめな数字かもしれません。

で、自分は85%の側にいるのかといえば、
見ようによっては、そんなことはありません。
他の人ができるのに、自分にはできないことがたくさんあります。
たとえば、私、日常生活に困るほどではないですけど、
固有名詞を覚えるのは、かなり苦手です(汗)

障害という観点ではなくても(たとえば価値観などでも)、
自分にはマイノリティーの一面がある、というのは、
誰もが当てはまることではないでしょうか。


そして、今日の本題。
1行目に書いた理解の仕方や思考の仕方は、人によってかなり違う...
という話、誰もがお互い認識しておいた方がいいかもしれません。

私自身は、体験的に学んだことです。
たとえば、ブレストして結論を出すような状況で、
私は、自分の思考方法がマイナーだとしばしば感じます。

私は、発散、発散、発散と発散型で考え、最後に一気に収束させたいタイプ。
多くの人は、そこそこ発散させたら、
結論に向けて積み上げる部分をじっくり考えたいと思っているようです。
私と彼ら。
何が違うかというと、まず単純に、自分にとって気持ちのいい、
発散と収束にかける時間配分の感覚が違い、組み立てる思考方法が違います。

私の場合、ブレストでの発散時間は長い方なので、
多くの人は「これ、終わるの?」と不安を感じるようです(笑)
まあ、そりゃ、そうですよね。
発散というのは、出口が見えないトンネルの中にいるようなものですから。

で、ある時ある人から、こんなことを言われました。
寺と教会というのは、建築思想が違っていて、
何からどう組み立てるかも違うらしいが、
私たちはそのくらい思考の組み立て方が違うね、と。

寺と教会の建築思想を例にしても、わかりにくいかもしれませんが、
日本庭園と西洋庭園の比較ならもう少し伝わるかもしれません。
日本庭園では、自然の石や樹木によって、あえて非対称の美を求めますが、
西洋庭園では意図的に幾何学的かつシンメトリーな美を求めます。
生理的に「気持ちのいい」まとめ方、進め方が違うわけです。

これは、日本と西洋の発想の違いの話ですが、
思考の組み立て方が違うというのは、そんなことなのかな。
ということは、自分にとって気持ちのいい、あるいは当たり前の、
思考方法を前提にコミュニケーションしては、いけないということですよね。
まあ、そこが難しいんですが。

考える道筋。
人それぞれ違うのは当たり前ですね。
あなたの周りでは、最近、どんなことがありましたか?

あ、9月です! 年内あと4カ月。
4月が期首の場合は、上期の最後の1カ月ですね。
今月も、元気に行きましょう!

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何だかんだといろんな声がある中で始まったオリンピック。
終わりましたね。
選手たちのがんばりに感動をもらったり、
なぜ、ここでそんなことが起きるのか?と思うようなドラマもありました。
私がショックを受けたのは、体操内村選手の落下と、
男子400mリレーのバトンミスです。

特にリレー。
1走の多田選手のバトンが、2走の 山縣選手に渡らなかったのを観て、
テレビの視聴者も茫然としたと思いますが、
何よりも終わった直後のメンバーの心中は察するに余りあります。

平たく言えば、二人の間で起きてしまった悲劇的なミスです。
下世話な話になりますが、内心お互いをどう思ったのか、
桐生選手は「誰も悪くない」と言いましたが、
お互いに「自分は悪くない、相手が悪い」と思ったりしないものなのか、
気になりました。

けれど、チームスポーツで、他責の人とチームを組むのはツラいですね~
できるものなら組みたくないかも。


自責他責という言葉がありますが、
責任が自分にあるのか、他にあるかという意味だから
「責」という文字が入っているのでしょう。

自分自身で、このミスの原因は自分にあると責任を感じるのはいいですが、
自責の念を抱いている時に、誰かから追い討ちを掛けられるように、
「あなたの責任だ」と言われるのはあまりいい気持ちがしません。


ミスが起きた時、原因を追求し、再発防止に努めるのは組織として当然です。
トヨタの「なぜなぜ5回」などは、原因追求の典型的なアプローチとして、
多くの人がご存知なのではないでしょうか。

しかし、なぜなぜ5回は一歩間違えると「原因探し」ではなく、
「犯人探し」のようになる、とはよく言われること。
うー 気をつけないと... (あ、三点リーダーだ!笑)

誰のミスかが明らかな時に、
人は「なぜ?」と聞かれたら、責められているような気分になって、
反発を感じると言われていますね。
じゃあ、どうするかと言うと、「なぜ?」に代わって登場するのが、
「どうすれば?」。
「どうすれば?」を考えようとすると、
自ずと「なぜ」も考えるからでしょう。

うー これも、知識としてわかっていても、
やってしまいそうです。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」


「なぜ?」を「どうすれば?」に変えると同時に、
主語を変えるといい、という話もあります。
「あなた」「私」「ミス(事柄)」を主語に、
「なぜ?」「どうすれば?」の疑問文、読み比べてみましょう。

まず、「なぜ」から。
・なぜ、あなたはこのミスをしてしまったんだろう?
 →確かに、原因探究というより、咎められている気持ちになります。

・なぜ、私は彼がミスしないようにできなかったのか?
 →「そこまで自責にならなくても、いいよ、ドンマイ」と言いたくなりますね

・なぜ、このミスは起きてしまったんだろう?
 →上の2つより、原因探求のニュアンスが強くなります。

今度は、「どうすれば」。
・どうすれば、あなたはこのミスをしなかったと思う?
 →「なぜ」よりはマシですが、「当事者はあなた」と突き放された感じも。

・どうすれば、私は彼のミスを防げたのか?
 →ポジティブな「自責感」が感じられます。

・どうすれば、このミスは防げるだろう?
 →コトを叱って、ヒトを叱らず。こう言われたら前向きに考えられますね。

たかが疑問詞、たかが主語ですが、
伝わるニュアンスはだいぶ違いますね。


さて、、、8月も中盤です。
夏バテの方も多いのではないでしょうか。
暑さも空調も辛いですが、気持ちだけは元気にいきましょう!

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すでに先週23日から始まっている東京オリンピック。
たくさんの感動に直面し、私はもう何度も泣いています。

そして、改めて感じたのは、
アスリートたちは、私たちが思っている以上に
さまざまな「苦しみ」と向き合って、ここに至っているということです。

コロナによる1年延期はもちろんですが、自分自身の好調不調により、
うまく行かない、結果が出せるだろうかなど、苦しさや不安と戦ってきた。
さらに、オリンピック開催への反対ムードは、葛藤に拍車をかけたことでしょう。

私たちは、オリンピックに出るぐらいの選手なら「常に前向き」だろう
というイメージを抱きがちですが、みんな人の子なんですよね。

さらに競技の当日のメンタルが、結果に対していかに大きな影響を与えるか、
改めて痛感します。

たとえば、金メダルを取った柔道男子73キロ級の大野将平選手。
「自分の中でも感じたことのない恐怖の中で戦っていた」と語りましたし、

テニスで残念ながら3回戦敗退した大阪なおみ選手は
「プレッシャーにはもう慣れてもいいはずだけど、休んだ後ではより強く感じた。
少なくとも1回戦負けでなくて良かった」と語りました。


スポーツをやった経験のある人なら、
メンタルがいかに結果に影響を与えるか、体験的に知っていると思います。
メンタルにもいろいろな側面がありますが、その1つが「集中」。

私の自分の体験をシェアすると、
ハンドボールでシュートを打ちながら、
一瞬でも「入るかな?」と思ったら、ほぼ間違いなく入りません。
ゴルフも同じです。

しかも、これはスポーツだけではありません。
先日、私が通っている音楽のレッスンスタジオで、発表会がありました。
私が習っているのはドラムなのですが、
叩きながら「あ、ここ間違えたらイヤだな」と思ったら、その瞬間必ず間違えます(イタ!)
幸い、発表会当日は、全集中で臨み、なんとかミスなく叩けましたが(笑)

つまり、「できるかな」「できないとイヤだな」などの気持ちがある時点で、
集中できていないということなんですよね。
没我の境地でいると、できる。不思議。

そして、「自分はできる」というイメージを持つことも、成功には必須のようです。
きっと、どんなこともイメージできないことはできないからでしょうね。


ところで、卓球の男女ダブルスで、水谷・伊藤ペアが悲願の金メダルを取りました。
何度も絶体絶命のピンチに陥りながらも、まさに粘り勝ちの真骨頂。
その姿に、人の持つ素晴らしい力を感じたのは、私だけではないと思います。


さて、スポーツ選手のこういった粘り勝ちを目の当たりにすると、
「レジリエンス」という言葉を思い出します。

その言葉、直訳は「回復力」「復元力」「弾力性」などですが、
要は、ストレスがかかっても元に戻ることのできる「しなやかな強さ」のことです。

せっかくなので、選手たちの強さにあやかって、
レジリエンス研究、しちゃいますか!?


レジリエンスを成り立たせる要素は、厳密に言えば、
研究者によって見解が違っています。
でも、大筋で集約すると、この5つかな...と思われる要素を紹介しますね。
それぞれの要素に関連するアスリートたちの発言(TOKYO2020以外も含めた)も
併せて取り上げておきます。まるで、読んだよ大特集ですな(笑)


その1:感情・情動コントロール力
自分の感情や行動をコントロールできること。

  • こんなところで泣いてしまっている時点でまだまだ(萱和磨・体操)
  • 卓球以外でも強くなった(伊藤美誠・卓球)
  • 悔しい思いをしたぶん、もっと強い気持ちで練習に取り組める(桃田賢斗・バドミントン)


その2:「自己効力感」
端的に言えば、自信。達成経験やポジティブな自己認識から
「自分なら出来る、きっとうまくいく」と自分の可能性を信じる力

  • 持っている力を100%出し切ることができれば、夢だった決勝進出も現実的になってくる(山懸亮太・陸上)
  • やっていて感じるのは、まだまだ自分は成長できるなということ(羽生結弦・フィギュアスケート)


その3:「自尊感情」
他人と比較することなく、自分自身を価値ある者だ、
自分自身を好きだと感じられること。

  • どんなに打ちのめされても、心底、体操が好き(内村航平・体操)
  • 何回もミスして、何回も成長して。それが自分らしい(小出未来・水球)


その4:「良い人間関係」
人と信頼関係を築ける力

  • 康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない(松田丈志・水泳)
  • 内村さんから電話をもらった。ケガをして3日後くらいにいきなり電話が来て『大丈夫?気持ちを切らさなかったら絶対に戻って来られる』という言葉をもらって頑張ろうと思った(北園丈琉・体操)


その5:「楽観性」
未来に対して絶望せず、どうにかなると思える力。

  • 神様が何か気づかせてくれるタイミングかな、と考えるタイプ。けがとかについては基本ネガティブじゃない(上野由岐子・ソフトボール)
  • 神様は乗り越えられない試練は与えない(池江璃花子・水泳)


最後の「楽観性」で、「神様」という存在を使って、
今直面している苦難を受け入れようとしている人は少なくないようで、これは面白いですね。

私は、仕事がうまく行く/行かない、仕事で成長する/しないも、
結局、「メンタルが9割」なんじゃないかなと思います。
あなたは、どう思いますか?

さ、この夏も、このオリンピックも、もう2度と来ない。
選手たちを応援しながら、残る7月を元気に過ごしましょう!

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いろいろな場面で若い人と話をしているときに、
「自分はまだ引き出しが少ない」と悩みの一端を聞くことがあります。
そこで今日は、「引き出しが少ない」というのは、どういうことなのか、
無垢な気持ちになって、一緒に考えて行きましょう。

まず、人が「自分は引き出しが少ない」と語る時、
いったい、その人は何をもってそう語っているのでしょうか。
すべてとは言いませんが、一つには「自分は経験が少ない」という意味で、
「引き出し」という言葉を使っている人が多い印象を受けます。

しかし、率直に言って、「引き出し」と「経験」は別物だと思います。
では、「引き出し」とは何なのか。
定義するのは難しいですが、敢えて言語化するなら、
こういうことではないでしょうか?

人生における「引き出し」とは、
これまでの体験から学習したパターンの集積地。
「引き出しが多い人」とは、
現在得た体験を過去の体験と結びつけ、
「こういう時にはこうすればいい」とパターン認識できる人。
正しいかどうかは別にして、私にはそう思えます。

実は、これ、実体験から来るものです。
人に何かを教えようとすると、学習能力が高い人と、
そうでもない人がいることがわかります。
学習能力が高い人の共通点は、自分が過去に体験したA1という出来事と、
今、目の前にあるA2という出来事の共通点を見つけ出し、
「こういう時には、こうする」
「こういうことは、こういう時に有効」
という法則を見つけて行動するのが上手な人なんですよね。
反対に、自称「引き出しが少ない人」は、それが苦手な人、
もしくはそうやって引き出しに整理していくのだと知らない人だと思います。

これをパターン認識と言いますよね。
AI(人工知能)なども、人間のパターン認識の研究のその先にあるようです。
すでにハリウッドでは、映画の脚本のパターン研究によって、
シナリオをAIに描かせようという実験も進んでいるようです。

たとえば、「イベントを告知する文章を書く」という業務を例に考えてみましょう。
前回、上司のチェックを受けたら、「開催日時は必須」であるのに、
「肝心の日時が抜けている」と指摘されたとします。
そうしたら、「イベント告知→開催日時は必須」というパターン認識をし、
次にイベント告知文を作る機会があったなら、忘れずにそれを書こうとします。
ところが、学習しようという意識が低いと、前回の教訓を生かすことができません。

この例などは、多くの人がパターンを認識しやすく、学習しやすい例ですが、
現実的には物事はもっと複雑です。
中期経営計画の説明をするときも、新商品の発売を説明するときも、
イベントの説明をするときも、情報を受け取る側が知りたいことには共通点がある...
というパターン認識に基づいて、情報発信することは簡単だとは言えません。

実際、そう聞いて、共通点を言えますか?

答え合わせをしておきましょう。ジャジャジャーン♪
それは、2W1H。
What:それは何か?
Why: なぜ行うのか、なぜそれが重要なのか?
How: どのように行うのか、その結果どうなることを目指すのか?
...の3点です。

「5W1Hではないの?」と思われたなら、
上の2W1Hはほぼ同じことです。

When(いつ)Where(どこで)Who(だれが)What(なにを)Why(なぜ)
Whom(誰に)までが、Whatに入るからです。

では、第2問(笑)!
あらゆる企画の目的を定めるときに、明らかにすべき点がある...と聞いて、
その共通点を言えますか?

それは、Before(現状)とAfter(改善後/実施後)の状況を言語化することです。
ところが、多くの場合、そのように目的を定めていません。
つまり、どうなったら成功したと言えるのかを明らかにしていないことが多いです。
でも、目的を明らかにするときは、
BeforeとAfterを明確にするとパターン認識すれば、出てきますよね。

こういったパターン認識、言い換えれば法則の発見を
省力化するためにあるのが、フレームワークなわけです。
でも、そもそも学習する際にパターン認識が重要だと理解できていないと
フレームワークがなぜ存在するのかも理解できません。
というわけで、本日の私の仮説は、引き出し≠経験ではなく、
引き出し=パターン認識ではないか...ということなんですが、
あなたはどう思いますか?

7月ももう半分。気温の変化に気をつけてお過ごしください。

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自分の仕事をどう定義づけるか。。。
私は、この質問をしばしば自分に対して投げかけます。
同じことをやっていても、どう意味付けるかで、
見えてくる風景が変わりますよね。
よく例に出てくる3人のレンガ職人の話もしかり。
(初めて耳にするという方は「3人のレンガ職人」で検索してみてください)

最近、定義づけをするときに、こう考えると視野が広がるな、
と思ったことがあるので、シェアさせていただきます。
それは、英語の使役動詞「make」を使って考えてみるという方法です。

使役動詞。。。なんだっけ?という感じがするかもしれませんが、
思い出してください、中学生の頃に習ったはずです。
私は、先生が洋楽「You Are My Sunshine」の歌詞を例文に
使役動詞「make」の働きを教えてくれたこと、今でもよく覚えています。

You make me happy when skies are gray.
あなたは、空が灰色の(私が落ち込んでいる)時も、私を幸せにしてくれる。

make A B = AをBにさせる

ですよね。

こんな例もあります。トランプ元大統領。
"We will make America great again."
アメリカをもう一度偉大にさせる。
このフレーズがトランプさんのキーフレーズです。

キーフレーズといえば、オバマさんは"Yes We Can" でしたね。
そんなオバマさんが2008年の大統領選で勝利した時、
メジャーアーティストが参加して作られたサウンド・トラック
「YES WE CAN:VOICES of a GRASSROOTS MOVEMENT」では、
ロス・ロンリー・ボーイズが、「Make It Better」という曲を歌っています。
♪You gonna make it better
もっと良くしよう。もっと良くできる...みたいなニュアンスでしょうか。


で、ここからが本題なのですが、
私は、すべての仕事は「Make It Better」のためにあるのではないか、
と思ったりします。
仕事って何かをより良くすること...なんじゃないの?と。

で、このときに、この「It」に何を入れるか。
そんな問いが、仕事観を膨らませるのに役立ちます。
あなたなら、何を入れますか?

私は、社内広報やインナーブランディングの仕事の一つの定義として、
「人の感情、気持ち、意識、認識、理解を、より良くさせること」
要は人の心の状態をより良くするというような捉え方ができるなと思っています。
「Make Your Feeling Better」みたいなことです。

「わからない」という不愉快で不安で不満足な状況を無くしたり、
「なるほど!自分もそうありたい」と共感してモチベーションが上がったり、
誰かのがんばりに勇気をもらったり、誇りを感じたり。
そういうことって、感情や思考に作用しているわけで、
ということは、社内広報やインナーブランディングの仕事は、
誰かの気持ち、誰かの心の状態を良くすることだとも捉えることができます。


で、ここまで考えてみて、今度はこうも思いました。
もしかしたら、社内広報やインナーブランディングの仕事だけではなく、
あらゆる仕事は「Make It Better」であると同時に、
「Make Somebody's Feeling Better」。
つまり、誰かの気持ちを「Better」にしているのかも、と。

あなたの仕事、「Make It Better」の「It」に入るのは何ですか?
誰の気持ちを「Better」にしていますか?
そういう目で仕事を振り返ると、
ちょっとモチベーションが上がったりします、私は(笑)
試しにやってみてください!

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今日の話題は、めずらしく「お金」の話です。
タブー視する人が多いけれど、お金は生きていく上でとても重要で、
自分なりの考えを持つべき一領域ではないかと思います。

ところが、自分の給与と会社の売上の関係を考えたこともない、
という給与所得者は、案外多いのではないでしょうか。
どれだけの売上があるおかげで、自分のお給料が賄われているのか、
自分のお給料は売上のどこを支えるために支払われているのかを知ることは
モチベーションにも影響しますよね。


さて、話が横道に逸れるようですが、先月、ユニクロのコットンシャツが、
米国税関から輸入差し止めを受けていたという話題がありました。
ウイグル族への「人権侵害」に関与している団体が製造に関わった疑いがある、
というのが、米国側の理由でしたが、その事実はないとする同社の主張とは平行線。
ユニクロの主張が通らなかったのは、食品の原材料などと違って、
アパレル業界ではトレーサビリティが確立されていないことも一因にあるようです。

ユニクロは、低価格・高品質という価値を提供してきた企業です。
思うことはいろいろありますが、人権問題の話をすることが目的ではありません。

あの話題から、あれこれと考えを巡らせた結果、改めて思ったことは、、、
第1に、すべての価格には理由がある、ということ、
第2に、価格以外の価値を見極める目がないと、
価格でしか、価値を判断できない人生になる、という2点です。

私もユニクロを着ることはありますし、
低価格・高品質は紛れもない価値だと思います。
でも、人生において、必ずしも「安い」だけが価値ではありません。
これは、ビジネスでも同じではないでしょうか。
私たちは、取引先から物品や役務をなるべく安く提供してもらいたいと、
潜在的に思っています。
けれども、その時に、安いには安いなりに理由があることを忘れてしまいがちです。


もう少し掘り下げて考えてみました。
実際のところ、商品やサービスには、様々な値段がついていて、
その価格がそうなった理由もいろいろです。
でも、間違いなく言えることは、それを提供している企業の
事業構造や経営思想と関係しているということ。

たとえば、同じスペックの健康器具を製造しているメーカーが2社あったとします。
材料の調達コストや生産設備の維持費、製造に関わる人件費が同じで、
販売するための経費も得たい利益も同じで、販売規模も同じ。
つまり、いろいろな条件がほぼ同じであるなら、
値段も必然的に同じになるはずです。

しかし、A社は社員への教育費を惜しまず、
待遇も業界の中では上の方にしようという経営をしていて、
デザインや研究開発費にもお金をかけていたとする。
一方、B社は、コストは下げれば下げるほど価格も下がり、
それがお客様の価値になると信じて、
人にもデザインにもお金はかけない、という経営をしていたとしたとします。
当然、2社の販売価格は変わってきますよね。

どちらが、良い悪いではなく、経営思想が事業構造を変え、
それが価格に結びついているわけです。

ところが、ここにやっかいな問題があります。
取引先の経営思想や事業構造がわかった上で
ビジネスをするということは、あまり多くありません。
もっというと、そこに目を向けて、
価格と関係していると考えることなど、ほとんどないのではないでしょうか。


さらに困ったことに、私たちの業界は製造業などと違って、
より一層わかりにくさがあるように思います。

たとえば、当社が提供している制作サービスもコンサルティングサービスも、
いただいている費用の本質は「サービス料金」です。
つまり、大半は役務の提供のための費用、
言い換えればノウハウ、サービスプロセス、時間への対価です。
印刷物などを収める案件では、
納品物(製造物)の「製造料金」だという見方をされるケースもありますが、
印刷物というのは、ファッションでいえば、既製服ではなく、
オートクチュールのようなもので、大量生産品とはまったく考え方が違います。

相見積もりを取ったら、100万円と200万円、料金が倍違う2社があったとします。
「これこれで困っている、どうしたらいいだろう」と尋ねた時に、
100万円の会社は、当たり障りのない回答をし「決まったら連絡ください」と言う。
200万円の会社は、困っている理由を聞き出して、「方法は2通りあるので、
サンプルを作ってみるから、検討してください」と言う。
わかりやすく言うと、そんな違いが価格になっているわけです。


あ、もうおわかりだと思いますが、当社は価格志向ではなく、付加価値志向です。
少なくても価格で競争しようとは思っていません。
制作案件なら1時間7500円、コンサル案件なら1万円から2万円で、
プロセスと工数を想定して見積もるのが通例です。
そこにも理由がありますが、長くなるのでやめておきます。

今どきはコンプライアンスという名のもとに、
相見積もりを取らないわけにはいかないと思いますが、
サービスの見積もりなら相場を調べるために見積もりだけ先に取り
予算を決めてから、サービススペックの提案をもらうのが賢いやり方だと思います。


おや? いかん、いかん。なんだかビジネス慣習への不満を言い始めた(笑

結論! 何が正しいというのはありません。
要は、ニーズとのマッチングだからです。
相談しても素っ気ない対応だったとしても、価格が安い方がいい場合だってあるし、
安いと思って選んだものの、不満足になる場合もある。
私は、ご相談があっても、役務での付加価値が求められていないと感じた場合、
パートナーを紹介した方が良いと判断することもあります。
当社が不要に入ることで、求めていないサービスがついてきて、
価格が高くなってしまうからです。

すべての価格には理由があります。
すべての人が、売る側にも、買う側にもいます。
自分のニーズを明確にして、公私ともに賢い買い物をしたいものですね。

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本当かどうかはわかりませんが、
若い人ほど失敗を恐れる...という話をよく聞きます。
調査結果などにも表れているようですが、
でも、まあ、若い人に限らず、人間なら皆そうでしょうね。
しかも、これだけ不確実な時代では、「予想外のこと」が頻繁に起きます。
高給取りのエリートだと思われていた職種が、突然、リストラ対象となったり、
人気企業に入社したにも関わらず、状況が変わってしまったり。
周りで起きているそんな状況を見ていれば、
そりゃ、なるべくそんな目に会いたくないと思うのは当然ですよね。


人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという願望からすると、
「予想外のこと」というのは、絶対起きてほしくないことなわけです。
だから、どれだけ「予想外のこと」を避けられるかという発想で、
そもそも人は生きている。
そう考えると、「失敗したくない」という発想も、
人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという欲求上にあることなので、
そりゃ、そうだよね...ということになります。

そういう志向が誰にもあるのは事実だとして、
でも、人によって、強さ弱さは違いますよね。
たとえば、毎日に変化を求める人は、予想外のことが起きても、
それは楽しみの一つと受け取る傾向があるのではないでしょうか。
私自身の話をするなら、まさにその傾向があります。
旅先で思わぬハプニングが起きるのは、むしろ楽しいし、
仕事も単調であるより、変化がある方が好きです。
問題が発生したと聞くと、腕まくりして張り切る人もいるそうですよ。


でも、私を含むそんな変化志向の人たちだって、
突き詰めれば失敗や挫折は避けたいという気持ちはあります。
私は経営者なので、経営状況が悪化すると、自分の失敗だと受け止めます。
たとえ、それがリーマンなどの社会状況によるものだったとしても。
「失敗」すると、無能感が半端なく押し寄せてきます。
私にとって、「失敗」とは「無能ゆえに責任を果たせないこと」でした。
(あくまで自分に対して向かう言葉でしたが。。。。)
だけど、今は、そんな考えで「失敗」を捉えると、いかんと思います。
なぜなら、それではチャレンジする気持ちが萎えるし、
失敗した部下をそういう目で見るのも違うと思うからです。

さて、今日、私がシェアしたい気づきの題材は、
スヌーピーやチャーリー・ブラウンが登場するマンガ
「PEANUTS(ピーナッツ)」です。
中学生の頃、初めて出会い、登場人物たちの台詞に、
「子どもなのに鋭くておもしろい...」と思った記憶があります。
でも、それ以降、スヌーピーはただのキャラクターでしかありませんでした。
ところが、先週末、NHK「アナザーストーリー」を観て、
その奥の深さにびっくり!
作者のチャーリー・M・シュルツ氏が描きたかったものに触れたからです。

主人公のチャーリー・ブラウンは何をやっても上手く行きません。
上手く行かないのは彼だけでなく、登場人物全体に言えることです。
たとえば、「PEANUTS」は片思いだらけの話なんですね。


原作者のシュルツさん、なぜ「上手く行かないこと」をテーマに
マンガを描こうと思ったのでしょうか。
ご本人が、小学校を2年も飛び級した結果、同級生からいじめられ、
その体験からチャーリー・ブラウンは生まれたという説もあれば、
「PEANUTS」の連載が決まった直後にプロポーズして失恋した経験が
影響しているという説もあります。


そんなシュルツさん、根っからの負けず嫌いだったそうです。
ゴルフやテニス、アイスホッケーなど、様々なスポーツを愛したそうですが、
負けるとたいそう機嫌が悪かったそう。
負けること、すなわち上手く行かないことが嫌いな人が、
なぜ「上手く行かないこと」をテーマにマンガを描き続けたのでしょう?


生前のアシスタントによれば、シュルツさんは、
「みんなが子どもの頃に体験した失敗やはかなさを伝えたかった」
と語っていたのだとか。
子どもの頃の切なかったり、悔しかったりする感情は残酷だけど、
誰もが味わう感情で、そんな気持ちを伝えたいと思っていたようです。
そういえばチャーリー・ブラウンは、上手く行かなくても、めげませんね。


なんだか、もう一度「PEANUTS」という作品を読みたくなりました。
なぜかというと、「PEANUTS」の登場人物たちは、上手く行かないことと
素直に向き合うから、泣いたり、たじろいだり、打ちひしがれたりしています。
失敗を恐れないことの本質は、もしかしたら、
そういう感情と向き合うことを厭わないということなのかもしれません。
辛い感情も心地よい感情も、両方あるから人生が豊かになるのかも。
もう一度、そんな視点で読んでみたいと思いました。


チャーリー・ブラウン・マインドで週末まで乗り切りましょう笑
読んでいただき、ありがとうございました。

(写真:Roger Higgins, World Telegram staff photographer, Public domain, ウィキメディア・コモンズ)

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誰だって「悩みなんてない方がいい」、「安泰に暮らせる方がいい」、
そう思うのが普通なのではないでしょうか。私もそうです。


あ、今日のメルマガは新しいサービスとセミナーのご案内でもあるのですが、
ずっと考えてきたこととつながっているので、
回りくどいかもしれませんが、ちょっとお付き合いください。


「悩み」。
それは、精神的な苦痛や不安、負担を感じることを指すわけですから、
ない方がいいと思うのは、当然です。
悩みを解決する場合、大抵は現実を直視したり、
現状を踏まえて何かを変えなくてはならなかったりします。
なので、人間がいやだと感じるのは、悩み自体もあるでしょうけれど、
むしろ、それを直視して、何かを変えることの方なのかもしれません。


でも、人生、何事も意味づけによって、見え方が変わります。
悩みに良い面がないかというと、実はそうでもありません。
少なくても自分の人生を振り返ってみると、そう思います。


特にバブル崩壊やリーマンショックなど、激震と言えるような変化が起きると、
経営者としては安穏としてはいられませんでしたが、
今では「過去のあの出来事があって良かった、
当時は本当にキツかったけど...」と思えるようになっています。


どんなことが良かったかというと、
悩みの大きさとInput量は正比例の関係にあり、
悩む都度、答えを探してメチャメチャInputしたこと。
その結果、知識が増えて、それをサービスづくりにも生かすことができました。


こんなこともありました。
40代の初めの頃、社員から「うちの会社のミッションがわからない。
存在理由は何ですか?」と聞かれました。
自分は真面目に答えているつもりでも、どうやら答えになっていないらしい。
その時もたくさん本を読んだ記憶があります。


もし悩みがなかったら、多分、勉強しなかっただろうと思います。
まあ、いずれも苦し紛れですけど(笑、ストレッチだと思えば希望も湧いてきます。
だから、悩みには良い面があると思うわけです。


そんなふうに自社の悩みと向き合うことを繰り返すうちに、
うちの会社は、モヤモヤ嫌いの人が多く集まっていることにも気づきました。
モヤモヤをスルーせずに、大切に扱い、モヤモヤを解決することで、
晴れ晴れした状態にすることに意義を見出す人が多い。
人が分かり合うには、共有すべき考え方を整理し、クリアにする必要がありますが、
自分たちがモヤモヤと向き合ううちに、社会のモヤモヤ解決のお手伝をしたい、
コンセプトオーガナイザーという存在でありたい、と考えるようになりました。
今回のサービスが生まれたのも、そんな思いからです。


さて、、、、
新しいサービス名は、「トレジャーハント・プロジェクト」。宝探しです!


どんなものかというと、バリュー経営を支援するためのサービスです。
一般に、バリューという言葉は、「価値観」という意味で使われる場合と、
「提供価値」という意味で使われる場合がありますが、
ここでは「価値観」の意味で使っています。


価値観が曖昧ということは、行動基準が曖昧な状態のため、
行動がバラけて、組織はまとまりにくくなります。
つまり、自社の価値観を言語化して、社内で共有することによって、
組織の気持ちをひとつにするためのサービスです。


では、なぜ「価値観」が「宝物」(トレジャー)なのでしょうか?


どんな企業にも、大切にしたい価値観、《絶対譲れない価値観》があります。
たとえば、リスクとチャレンジへの価値観。
「石橋を叩いて渡れ」という企業は、リスク感覚が甘いと非難されることでしょう。
反対に、「やらないのは失敗と同じ」という企業では行動しないことがNGのはず。
しかも、リスクとチャレンジに対し特別なこだわりがなく、
ほかのことを重んじる企業もあります。


どれが正しいわけでもありません。ただ、価値観は企業文化の根幹にあり、
行動の源泉になっていることだけは間違いありません。
それは、個人も同じです。人は自分の価値観に従って行動します。
だから、組織と個人の価値観がどうしようもなく異なっていると、
幸せな結果にはなりません。


組織の価値観が明確になり、共感できていると、パワフルな状態になりますが、
往々にして価値観は暗黙知です。
言語化している企業もありますが、解釈自体は暗黙知の場合が少なくありません。


つまり、その企業の《絶対譲れない価値観》は、宝物として社内に眠っている、
それを明らかにして言語化しよう! そんな意図からこのサービス名になりました。


組織がまとまらなくて悩んでいる企業経営者の方へ、
このメッセージが届きますように。
こちらのURLで「バリューセミナー」のご案内をしています。
http://www.grassroots.co.jp/LP/internal-power/


少人数で開催しますので、ご興味がありましたら、お早めに。
では、今週も素敵な1週間をお過ごしください。

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偶然に「【無理しない生き方】を強要するな」というタイトルの
Youtubeを見ました。
高学歴お笑いコンビとして知られる「ロザン」のお二人の動画です。
https://youtu.be/TMS19z1rJxo
とてもおもしろく、ちょっと触発されたので、
今日は「無理」とのつき合い方について考えたいと思います。


無理をしない生き方、流行っているんですかね?
流行っているかどうかはともかく、
無理をしながら生きている人が一定割合いるのか、
アマゾンで検索したら
「そんなに無理しなくてもいいんじゃないの?」というメッセージの本が
複数ヒットしました。


無理しないことと、自然体でいることは、
本質的には別のことだと思います。
無理しない生き方という文脈で「無理」という言葉が使われる時、
自分の気持ちに逆らうことを無理することと捉えているようですね。


ちなみに、「無理」という言葉には、最近は別の意味もあって、
「ありえない、ムリ!」「マジでムリ!」など、
「No、受け入れられない」の意味でもしばしば「ムリ」という言葉が使われます。
この場合、本来の「無理」という意味とは、ちょっと違うニュアンスです。
「受け入れるのは難しいです、ごめんなさい」
そんな意味でしょうか。
この「ムリ」は、拒絶の意思を伝えたい時に便利な言葉となっているようですね。

で、元々の「無理」は、「道理・理屈・理由」などが「無い」から来ています。
辞書的な表現を咀嚼して言うと、元々は3つの意味があるようです。
(1)道理に合わないこと(無理なことを言われた)
(2)実現するのがむずかしいこと(合格は無理かもしれない)
(3)限界を超えてしようとすること(無理するな)


私自身は(2)(3)の意味での「無理」と言う言葉に対し、
ちょっとした思いがあります。


(2)無理しないと、成長しない
(3)無理すると、 長続きしない


こう聞くと、「え? 無理した方がいいの? しない方がいいの?」と
思いますよね?
まさに、「無理」を巡っては、トレードオフの関係にもなりかねないので、
つき合い方が難しいなあと感じます。
だからこそ、今回、このテーマをとりあげようと思った次第です。


私の個人的意見としては、
長続きが大切なことで、無理はしない方がいいと思います。
でも、ステージを上げるには自分のエッジを超える必要がありますよね。
成長と「無理」にはどんな関係があるのでしょうか。


ロザンさんの動画では、こんな話が展開されていました。
資本主義は社会の成長を前提としている。
社会が2%成長しているなら、個人の2%成長は現状維持にしかならない。
個人が「2%以上」成長して初めて、社会の成長に貢献できることになる。
無理しない生き方はいいけれど、みんながそれをやり出したらどうなるのか。
だから、自分は無理したくない、自分は成長しなくていいと言うなら、
他の人にお礼を言わなくてはあかん。


私は、社会のために自分が成長すべきというより、
成長する方が楽しいから成長した方がいいと思います。
私自身もそうだし、うちの社員に対しても思うことです。


さて、人の成長を考えるとき、負荷や障害は必要とはよく言われることです。
それは本当なのでしょうか? 
昭和的すぎるでしょうか?
どう思いますか?


私は自分の体験からも、成長に負荷は必要だと感じていますが、
根拠を聞かれると、筋トレと同じだと思っている...ぐらいしか、理由が言えません。


筋力トレーニングで言われる原理の一つに「過負荷の原理」というものがあります。
日常生活以上の負荷を身体に与えなければ、筋力は上がりませんが、
一定レベルの負荷のトレーニングを継続するうちに、
身体がその負荷に慣れてしまうと、今度は効果が出なくなります。
効果を高めるには、負荷を増やしていく必要があるわけですよね。


けれど、筋トレでどの程度の負荷をかけるべきかは、目的にもよるようです。
目的が、筋力向上なのか、筋肥大なのか、筋持久力向上なのかによって
与えるべき負荷の大きさや回数の設定は変えるのが一般的です。


しかし、筋トレとキャリア形成や人間的成長が決定的に違うのは、
何キログラムの負荷というような形で設定できないことと、
その負荷に耐えられるかどうかが即座にわからないこと、です。
その負荷をどう感じるかは、本人の意識によっても変わります。
目的が明確なら、その負荷を受け止められるかもしれませんが、
目的意識がなければ、なぜ自分はこんな無理をしなくてはならないのか、
疑問に思ってしまうかもしれませんし、
その結果、心が病んでしまうかもしれません。
また、最初からこれは自分には無理だと決めてかかってしまっては、
自分を伸ばすことはできないでしょう。
「無理」をネガティブなものと決めつけず、
客観視しながらつき合って行きたいものです。


あなた自身は「無理」とどうつき合っていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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