ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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本当かどうかはわかりませんが、
若い人ほど失敗を恐れる...という話をよく聞きます。
調査結果などにも表れているようですが、
でも、まあ、若い人に限らず、人間なら皆そうでしょうね。
しかも、これだけ不確実な時代では、「予想外のこと」が頻繁に起きます。
高給取りのエリートだと思われていた職種が、突然、リストラ対象となったり、
人気企業に入社したにも関わらず、状況が変わってしまったり。
周りで起きているそんな状況を見ていれば、
そりゃ、なるべくそんな目に会いたくないと思うのは当然ですよね。


人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという願望からすると、
「予想外のこと」というのは、絶対起きてほしくないことなわけです。
だから、どれだけ「予想外のこと」を避けられるかという発想で、
そもそも人は生きている。
そう考えると、「失敗したくない」という発想も、
人間の防衛本能や平穏に暮らしたいという欲求上にあることなので、
そりゃ、そうだよね...ということになります。

そういう志向が誰にもあるのは事実だとして、
でも、人によって、強さ弱さは違いますよね。
たとえば、毎日に変化を求める人は、予想外のことが起きても、
それは楽しみの一つと受け取る傾向があるのではないでしょうか。
私自身の話をするなら、まさにその傾向があります。
旅先で思わぬハプニングが起きるのは、むしろ楽しいし、
仕事も単調であるより、変化がある方が好きです。
問題が発生したと聞くと、腕まくりして張り切る人もいるそうですよ。


でも、私を含むそんな変化志向の人たちだって、
突き詰めれば失敗や挫折は避けたいという気持ちはあります。
私は経営者なので、経営状況が悪化すると、自分の失敗だと受け止めます。
たとえ、それがリーマンなどの社会状況によるものだったとしても。
「失敗」すると、無能感が半端なく押し寄せてきます。
私にとって、「失敗」とは「無能ゆえに責任を果たせないこと」でした。
(あくまで自分に対して向かう言葉でしたが。。。。)
だけど、今は、そんな考えで「失敗」を捉えると、いかんと思います。
なぜなら、それではチャレンジする気持ちが萎えるし、
失敗した部下をそういう目で見るのも違うと思うからです。

さて、今日、私がシェアしたい気づきの題材は、
スヌーピーやチャーリー・ブラウンが登場するマンガ
「PEANUTS(ピーナッツ)」です。
中学生の頃、初めて出会い、登場人物たちの台詞に、
「子どもなのに鋭くておもしろい...」と思った記憶があります。
でも、それ以降、スヌーピーはただのキャラクターでしかありませんでした。
ところが、先週末、NHK「アナザーストーリー」を観て、
その奥の深さにびっくり!
作者のチャーリー・M・シュルツ氏が描きたかったものに触れたからです。

主人公のチャーリー・ブラウンは何をやっても上手く行きません。
上手く行かないのは彼だけでなく、登場人物全体に言えることです。
たとえば、「PEANUTS」は片思いだらけの話なんですね。


原作者のシュルツさん、なぜ「上手く行かないこと」をテーマに
マンガを描こうと思ったのでしょうか。
ご本人が、小学校を2年も飛び級した結果、同級生からいじめられ、
その体験からチャーリー・ブラウンは生まれたという説もあれば、
「PEANUTS」の連載が決まった直後にプロポーズして失恋した経験が
影響しているという説もあります。


そんなシュルツさん、根っからの負けず嫌いだったそうです。
ゴルフやテニス、アイスホッケーなど、様々なスポーツを愛したそうですが、
負けるとたいそう機嫌が悪かったそう。
負けること、すなわち上手く行かないことが嫌いな人が、
なぜ「上手く行かないこと」をテーマにマンガを描き続けたのでしょう?


生前のアシスタントによれば、シュルツさんは、
「みんなが子どもの頃に体験した失敗やはかなさを伝えたかった」
と語っていたのだとか。
子どもの頃の切なかったり、悔しかったりする感情は残酷だけど、
誰もが味わう感情で、そんな気持ちを伝えたいと思っていたようです。
そういえばチャーリー・ブラウンは、上手く行かなくても、めげませんね。


なんだか、もう一度「PEANUTS」という作品を読みたくなりました。
なぜかというと、「PEANUTS」の登場人物たちは、上手く行かないことと
素直に向き合うから、泣いたり、たじろいだり、打ちひしがれたりしています。
失敗を恐れないことの本質は、もしかしたら、
そういう感情と向き合うことを厭わないということなのかもしれません。
辛い感情も心地よい感情も、両方あるから人生が豊かになるのかも。
もう一度、そんな視点で読んでみたいと思いました。


チャーリー・ブラウン・マインドで週末まで乗り切りましょう笑
読んでいただき、ありがとうございました。

(写真:Roger Higgins, World Telegram staff photographer, Public domain, ウィキメディア・コモンズ)

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誰だって「悩みなんてない方がいい」、「安泰に暮らせる方がいい」、
そう思うのが普通なのではないでしょうか。私もそうです。


あ、今日のメルマガは新しいサービスとセミナーのご案内でもあるのですが、
ずっと考えてきたこととつながっているので、
回りくどいかもしれませんが、ちょっとお付き合いください。


「悩み」。
それは、精神的な苦痛や不安、負担を感じることを指すわけですから、
ない方がいいと思うのは、当然です。
悩みを解決する場合、大抵は現実を直視したり、
現状を踏まえて何かを変えなくてはならなかったりします。
なので、人間がいやだと感じるのは、悩み自体もあるでしょうけれど、
むしろ、それを直視して、何かを変えることの方なのかもしれません。


でも、人生、何事も意味づけによって、見え方が変わります。
悩みに良い面がないかというと、実はそうでもありません。
少なくても自分の人生を振り返ってみると、そう思います。


特にバブル崩壊やリーマンショックなど、激震と言えるような変化が起きると、
経営者としては安穏としてはいられませんでしたが、
今では「過去のあの出来事があって良かった、
当時は本当にキツかったけど...」と思えるようになっています。


どんなことが良かったかというと、
悩みの大きさとInput量は正比例の関係にあり、
悩む都度、答えを探してメチャメチャInputしたこと。
その結果、知識が増えて、それをサービスづくりにも生かすことができました。


こんなこともありました。
40代の初めの頃、社員から「うちの会社のミッションがわからない。
存在理由は何ですか?」と聞かれました。
自分は真面目に答えているつもりでも、どうやら答えになっていないらしい。
その時もたくさん本を読んだ記憶があります。


もし悩みがなかったら、多分、勉強しなかっただろうと思います。
まあ、いずれも苦し紛れですけど(笑、ストレッチだと思えば希望も湧いてきます。
だから、悩みには良い面があると思うわけです。


そんなふうに自社の悩みと向き合うことを繰り返すうちに、
うちの会社は、モヤモヤ嫌いの人が多く集まっていることにも気づきました。
モヤモヤをスルーせずに、大切に扱い、モヤモヤを解決することで、
晴れ晴れした状態にすることに意義を見出す人が多い。
人が分かり合うには、共有すべき考え方を整理し、クリアにする必要がありますが、
自分たちがモヤモヤと向き合ううちに、社会のモヤモヤ解決のお手伝をしたい、
コンセプトオーガナイザーという存在でありたい、と考えるようになりました。
今回のサービスが生まれたのも、そんな思いからです。


さて、、、、
新しいサービス名は、「トレジャーハント・プロジェクト」。宝探しです!


どんなものかというと、バリュー経営を支援するためのサービスです。
一般に、バリューという言葉は、「価値観」という意味で使われる場合と、
「提供価値」という意味で使われる場合がありますが、
ここでは「価値観」の意味で使っています。


価値観が曖昧ということは、行動基準が曖昧な状態のため、
行動がバラけて、組織はまとまりにくくなります。
つまり、自社の価値観を言語化して、社内で共有することによって、
組織の気持ちをひとつにするためのサービスです。


では、なぜ「価値観」が「宝物」(トレジャー)なのでしょうか?


どんな企業にも、大切にしたい価値観、《絶対譲れない価値観》があります。
たとえば、リスクとチャレンジへの価値観。
「石橋を叩いて渡れ」という企業は、リスク感覚が甘いと非難されることでしょう。
反対に、「やらないのは失敗と同じ」という企業では行動しないことがNGのはず。
しかも、リスクとチャレンジに対し特別なこだわりがなく、
ほかのことを重んじる企業もあります。


どれが正しいわけでもありません。ただ、価値観は企業文化の根幹にあり、
行動の源泉になっていることだけは間違いありません。
それは、個人も同じです。人は自分の価値観に従って行動します。
だから、組織と個人の価値観がどうしようもなく異なっていると、
幸せな結果にはなりません。


組織の価値観が明確になり、共感できていると、パワフルな状態になりますが、
往々にして価値観は暗黙知です。
言語化している企業もありますが、解釈自体は暗黙知の場合が少なくありません。


つまり、その企業の《絶対譲れない価値観》は、宝物として社内に眠っている、
それを明らかにして言語化しよう! そんな意図からこのサービス名になりました。


組織がまとまらなくて悩んでいる企業経営者の方へ、
このメッセージが届きますように。
こちらのURLで「バリューセミナー」のご案内をしています。
http://www.grassroots.co.jp/LP/internal-power/


少人数で開催しますので、ご興味がありましたら、お早めに。
では、今週も素敵な1週間をお過ごしください。

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偶然に「【無理しない生き方】を強要するな」というタイトルの
Youtubeを見ました。
高学歴お笑いコンビとして知られる「ロザン」のお二人の動画です。
https://youtu.be/TMS19z1rJxo
とてもおもしろく、ちょっと触発されたので、
今日は「無理」とのつき合い方について考えたいと思います。


無理をしない生き方、流行っているんですかね?
流行っているかどうかはともかく、
無理をしながら生きている人が一定割合いるのか、
アマゾンで検索したら
「そんなに無理しなくてもいいんじゃないの?」というメッセージの本が
複数ヒットしました。


無理しないことと、自然体でいることは、
本質的には別のことだと思います。
無理しない生き方という文脈で「無理」という言葉が使われる時、
自分の気持ちに逆らうことを無理することと捉えているようですね。


ちなみに、「無理」という言葉には、最近は別の意味もあって、
「ありえない、ムリ!」「マジでムリ!」など、
「No、受け入れられない」の意味でもしばしば「ムリ」という言葉が使われます。
この場合、本来の「無理」という意味とは、ちょっと違うニュアンスです。
「受け入れるのは難しいです、ごめんなさい」
そんな意味でしょうか。
この「ムリ」は、拒絶の意思を伝えたい時に便利な言葉となっているようですね。

で、元々の「無理」は、「道理・理屈・理由」などが「無い」から来ています。
辞書的な表現を咀嚼して言うと、元々は3つの意味があるようです。
(1)道理に合わないこと(無理なことを言われた)
(2)実現するのがむずかしいこと(合格は無理かもしれない)
(3)限界を超えてしようとすること(無理するな)


私自身は(2)(3)の意味での「無理」と言う言葉に対し、
ちょっとした思いがあります。


(2)無理しないと、成長しない
(3)無理すると、 長続きしない


こう聞くと、「え? 無理した方がいいの? しない方がいいの?」と
思いますよね?
まさに、「無理」を巡っては、トレードオフの関係にもなりかねないので、
つき合い方が難しいなあと感じます。
だからこそ、今回、このテーマをとりあげようと思った次第です。


私の個人的意見としては、
長続きが大切なことで、無理はしない方がいいと思います。
でも、ステージを上げるには自分のエッジを超える必要がありますよね。
成長と「無理」にはどんな関係があるのでしょうか。


ロザンさんの動画では、こんな話が展開されていました。
資本主義は社会の成長を前提としている。
社会が2%成長しているなら、個人の2%成長は現状維持にしかならない。
個人が「2%以上」成長して初めて、社会の成長に貢献できることになる。
無理しない生き方はいいけれど、みんながそれをやり出したらどうなるのか。
だから、自分は無理したくない、自分は成長しなくていいと言うなら、
他の人にお礼を言わなくてはあかん。


私は、社会のために自分が成長すべきというより、
成長する方が楽しいから成長した方がいいと思います。
私自身もそうだし、うちの社員に対しても思うことです。


さて、人の成長を考えるとき、負荷や障害は必要とはよく言われることです。
それは本当なのでしょうか? 
昭和的すぎるでしょうか?
どう思いますか?


私は自分の体験からも、成長に負荷は必要だと感じていますが、
根拠を聞かれると、筋トレと同じだと思っている...ぐらいしか、理由が言えません。


筋力トレーニングで言われる原理の一つに「過負荷の原理」というものがあります。
日常生活以上の負荷を身体に与えなければ、筋力は上がりませんが、
一定レベルの負荷のトレーニングを継続するうちに、
身体がその負荷に慣れてしまうと、今度は効果が出なくなります。
効果を高めるには、負荷を増やしていく必要があるわけですよね。


けれど、筋トレでどの程度の負荷をかけるべきかは、目的にもよるようです。
目的が、筋力向上なのか、筋肥大なのか、筋持久力向上なのかによって
与えるべき負荷の大きさや回数の設定は変えるのが一般的です。


しかし、筋トレとキャリア形成や人間的成長が決定的に違うのは、
何キログラムの負荷というような形で設定できないことと、
その負荷に耐えられるかどうかが即座にわからないこと、です。
その負荷をどう感じるかは、本人の意識によっても変わります。
目的が明確なら、その負荷を受け止められるかもしれませんが、
目的意識がなければ、なぜ自分はこんな無理をしなくてはならないのか、
疑問に思ってしまうかもしれませんし、
その結果、心が病んでしまうかもしれません。
また、最初からこれは自分には無理だと決めてかかってしまっては、
自分を伸ばすことはできないでしょう。
「無理」をネガティブなものと決めつけず、
客観視しながらつき合って行きたいものです。


あなた自身は「無理」とどうつき合っていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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「諦める」という言葉、深いですよね。
「諦める」にも「諦めない」にも美学が感じられます。
人によっては、「諦める」という言葉には否定的な印象を抱くかもしれませんが、
受け入れて、執着せずに手放すと考えたら、「諦める」には潔い美しさがあります。


だけど、今日、考えたいテーマは「諦めない」の方です。
きっかけは池江璃花子さんの今回の日本選手権での活躍でした。
白血病という病と闘い、打ちひしがれる自分の心と闘い、
そして、どちらにも勝って、池江さんは東京オリンピックの代表の座を勝ち取りました。


病気になる前の池江さんは「才能」の人に見えましたが、
今は「努力」の人に見えます。
土曜日に放映されたNHKスペシャルによると、
実際、池江さんは、かつては結果がすべてだと思っていたそうです。
でも、復帰後は人生観が変わり、努力するプロセスが大切だと思うようになったそう。
池江さんは、「諦めない力」を身につけて帰ってきました。


そして、最初の勝利でこう言いました。
「努力は必ず報われるんだと思った」
これを聞いて、「必ず」なんて「そんなわけないだろ」と思うのはやめましょう。
彼女のすごさは、自分は「必ず」この困難を乗り越えられると信じたことにあるからです。


実際のところ、努力が「必ず」報われるということはありません。
自分の力ではどうにもならない社会情勢や、家庭環境や、
能力的適性や、運...のようなことがあって、
努力してもどうにもならないことが人生では多々あります。
でも、「どうにもならなかった」という言葉を使っていいのは、
努力した人だけですよね。


さて、本題。「諦めない力」について。。。。


「諦めない力」については、米国ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターの
アンジェラ・ ダックワース教授の研究が有名です。
彼女の書籍「GRIT~やり抜く力」(ダイヤモンド社)はすでに30万部を突破しています。
ダックワース教授は、粘り強く努力して物事を最後までやり抜く力の本質を
次の4要素だとし、その頭文字を取って「GRIT(グリット)」と名付けました。


Guts(ガッツ):【勇気】困難なことに立ち向かう力
Resilience(レジリエンス):【回復力】失敗しても立ち直る力
Initiative(イニシアチブ ):【主体性】自ら目標を見つける力
Tenacity(テナシティ):【粘り強さ】粘り強くやり遂げる力


やり抜く力「GRIT」は、生まれ持った才能や知能とは、まったく関係ないそうです。
たとえば、米国陸軍士官学校やグリーンベレーでは、
当初は有望とされていた多くの人が途中で脱落していきます。
最終的に過酷な選抜試験をやり遂げて優秀な成績を残すのは、
上の4要素を持つ人たちであることを、ダックワース教授は明らかにしています。
才能や知能があっても、努力が足りなければ、十分な結果は得られない、
しかも、GRITはトレーニングで開発可能。
それがダックワース教授の結論であり、この理論の魅力です。


やり抜く力は、次の1から4の要素を1から4の順番で伸ばすことで、
身についていくそうです。


1. 興味:興味があることに打ち込む(情熱を持って没頭するには興味が必須)
2. 練習:弱点を認識し克服するために、目標を設定して練習に励む
3. 目的:自分の仕事は社会にとって重要だと確信する
4. 希望:困難が生じても悲観に打ちひしがれず、希望を持ち続ける


なるほど。どれも重要であること、同意です。
インナーブランディング的な視点で見たなら、
3番が最も重要ですが、いきなりそこには行かれないということを
ダックワース教授の理論は物語っています。


さて、、、、
それはそれとして、「諦めない力」を巡って、私はこうも考えます。
まず、自分の人生の大部分は自分でコントロールできると考えるのか、
ほとんどのことはコントロールできないと考えるのか、です。
どう思います?


人生には、自分にとって、ウェルカムなことと、
その反対にイヤだと思うことが常に起きますが、
誰しもイヤなことがコントロールできないとなったら最悪です。
でも、もし自分でコントロール可能なことは多々あると思えていて、
だからこそ、そこに意識を向けようと思うことができたなら、
幸せな人生を送れますよね。
私はコントロール可能なことはたくさんあると思っていますが、
人生はコントロールできないと思っている人、実は少なくないような気がします。


そして、もう一つ、「諦めない力」に関連して、こうも思います。
幸せの基準をどこに置くか、です。


目標を達成することが幸福なのか、
目標を達成しようと前向きに生きることが幸福なのか。
あなたは、どう思いますか?
私は後者です。
なぜかと言えば、前者は「結果」の中に幸福を求めているので、
結果が出るまで幸福にはなりません。
後者は「希望」の中に生きていて、
その「希望」に触れているだけで、幸福感を味わえます。
池江選手の「泳げただけで、ここにいられるだけで幸せ」という発言にはそれが表れていました。
でも、現実社会では、結果で幸福を判別しようとしている人が多いような気がします。


こういうことは価値観だから、正しい/間違っているはありません。
ただ、その価値観を意思を持って選択しているかどうかが重要ですよね。
池江選手の生きる姿は、こんなふうに私たちにいい刺激を与えてくれました。
ぜひ、ぜひ、ぜひ、池江選手を応援しようじゃありませんか!!

今週も素敵な1週間でありますように!

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桜がきれいですね~ 今週は4月に突入。
新入社員を迎える組織も多いのではないでしょうか。
直近のデータではありませんが、
経団連調査(2018年11月発表)によると、
企業が新卒社員の選考で重視する要素のランキングは
「コミュニケーション能力」が8割で第1位。
2位が「主体性」、3位が「チャレンジ精神」、4位が「協調性」と続きます。
この傾向自体には特に違和感を覚えませんが、
大切なことは、それぞれの言葉をどう定義づけているかですよね。
各社間でも、企業と求職者の間でも幅がありそうな感じがするのが、
「コミュニケーション能力」と「協調性」という言葉です。
そこで、今日はそのうちの「協調性」というものについて考えてみたいと思います。


私が、生まれて初めて「協調性」なる言葉と出会ったのは、
小学校1年生の時でした。
通信簿の通信欄に「協調性があって大変良い」というようなコメントが書かれてあり、
文字は読めないし、これはどういう意味なのか、母に尋ねました。
その時、母がどう答えたのか、うる覚えではありますが、
「お友だちと仲良くやって行けている、ということよ」というように
説明されて納得したような記憶があります。


この機会に改めて「協調性」を辞書で調べてみました。
デジタル大辞泉(小学館)によると、
「協調」とは、「(スル)互いに協力し合うこと。
特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。」だそう。
そのような性質を持っている人が、協調性のある人と理解して良さそうです。


ふむふむ。母の説明とはちょっと違いますね。
私自身、調べてみて、そういうニュアンスなんだと知ったのですが、
もしかしたら、割と多くの人が「協調性」の意味を、
私の母の説明のように「人と和する」「人に同調する」「人と足並みを揃える」
と捉えているかもしれません。


では、企業が求める「協調性」のある人材というのは、どんな人材なのでしょう?
特に、これといった確証は見つかりませんでしたが、
デジタル大辞泉の意味に近いのではないでしょうか?
利害や立場が違っても、議論して、収束点を見つけ出し、
最終的には協力し合っていける人材。
つまり、馴れ合いの和ではなく、
切磋琢磨による和をもたらす人材と言えるかもしれません。


仮定に仮定を重ねるのもなんですが(笑
だとしたら、採用面接時や入社後などに、
人と調和して和を乱さないことをアピールをしても、
ダメだということですよね。


さて、「協調性」が重んじられながら、その意味に誤解もあるとしたら、
心配なのは、社会の中で次のような連鎖が起きてしまっているのではないか、
ということです。


「協調性があるのはいいこと」
 ↓
「和を大切にして、波風立てないことがいいこと」
 ↓
「空気を読んで、意見を言う/言わないを判断することがいいこと」
 ↓
「軽々に意見を言うと空気を読まない人と評価されるかもしれないので、
 意見を言って損しないようにすることがいいこと」


これはあくまで仮説ですが、あなたはどう思いますか?


実際、発言することに抵抗がある人はどのくらいいるのでしょうか?
2019年、ニュースサイト「しらべぇ」が
相手を選ばず意見をはっきり言える人の割合を調査しています。
それによると、全体の31.2%が
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」と回答したそうです。
逆に言うと、7割近い人は、はっきり言わないということですね。
意見は意思表示のひとつだと考えると、
グローバル化が進んでいく中で、意見を言わない人が多い状況は少々心配です。


世代別男女別で見た場合、まず男性は?
「はっきりと言う」割合が高いのは10代で、42.0%。
反対に低いのは、20代で、26.9%です。
10代と20代の間の、このギャップの意味を知りたいものです。
女性で「はっきりと言う」割合が高いのは60代で、40.3%。
低いのは30代で、19.9%です。
30代の女性たちはアッチにもコッチにも気を使っているのでしょうか?


職場で「意見」「発言」を世代や立場に関係なく、
言って良い/悪いは、まさに暗黙知。
企業の価値観と、それによって生まれているカルチャーによりますね。
協調性について、あるいは、
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」ことについて、
あなたはどう思いますか?

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井上ひさしさんの有名な言葉に、こんな言葉があります。

ーーーーー
「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
ーーーーー


90歳で亡くなった作家の半藤一利さんの遺稿に引用されていたことから、
私はこの言葉の存在を知りました。
難しいことをやさしく書く。
やさしいことを深く書く。
調べてみても、井上さんの言葉には動詞がないようですが、
半藤さんは「書く」と解釈したようです。


どの1行も重みがあって、考えさせられますが、
特に書き出しの1行目に惹きつけられます。


やさしく書くとはどういうことなのでしょう?


「易しい」「優しい」の辞書的な意味から考えると...
「易しい」=理解や習得がしやすい。単純でわかりやすい。平易である。
「優しい」=他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
文章の話だと思うと、「易しい」の意味の方だと思ってしまいますが、
読み手に対して思いやりのある文章という意味も含んでいるのかもしれません。


ここからは、私の主観になりますが、
第一に、やさしく書くということは、単に難しい言葉を使わないとか、
噛み砕いて書くということ以外に、
「核心を言い切って書く」ということがあるように思います。
私自身もよく陥るのですが、わかりやすく書こうとして、
たくさんのことを書いてしまい、
「これじゃ、何が言いたいんだかわからないな...」と思うこともしばしば。
ダラダラと書いているということは、
結局考えがまとまっていないことの表れなんですよねー


第二に大切なことは、やっぱり「優しい」の字の方ですね。
書くということは、自分の頭の中のことを赤の他人に知ってもらうということです。
そんなものは、相手にとっては「異物」でしかないわけだから、
「異物」に接している相手の気持ちや出てくる疑問をどれだけ想像できたかで、
文章の優しさのレベルが変わるんだろうと思います。


さて、「難しいことはやさしく」「井上ひさし」で検索していたら、
立教大学 経営学部の教授・中原淳先生のブログにたどり着きました。
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/12409
「NHK 100分 de 名著〜ブルデュー『ディスタンクシオン』 」を紹介する内容で、
以下、その本からの引用のようです。

ーーーーー
フランスの学術界で認められるためには、わざと「わからないように書くこと」が重要だ。

(フランスの哲学者の)ミシェル・フーコーは、
自分の文章の「10%」は「わからないように書いている」と述懐している。

一方、(フランスの社会学者の)ピエール・ブルデューは、
「10%」では不足であり、「20%」はわからないように書く
ーーーーー

ほー。わざと人にわからないように難解に書くことに価値があるとは、
理解に苦しみますね(笑)


でも、ふとこんなことを思い出しました。
たまに専門用語を躊躇なく使いながら話す人を見かけますが、
それと同じなのかもしれません。
でも、それこそ「優しさ」を感じませんね。
私自身も無意識にカタカナを使っていることがあるので、
偉そうなことは言えませんが、
ん? 知識をひけらかしたいのかな?と思ってしまうと、
ちょっと辟易するし、そういう人に限って、
この人、自分の話していることを自分で理解しているのかな?
と思うこともあります。
知識ベースでマウンティングしているだけというか、
ただのポジショントークだったりして。。。


本当に素敵な人は、重要なことをシンプルに、
わかりやすく話したり、書いたりしてくれる人ですよね。


そして、本当に重要なことは意外にシンプルなのだと思います。
でも、そのシンプルな本質をつかむのには深く考えて悩まなくてはたどり着けない。
だからこそ、シンプルな言葉には価値があるのかもしれませんね。
あら、またダラダラと書いちゃった...失礼!


花粉が気になる季節ですが、、、素敵な1週間でありますように!

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の
森喜朗前会長の女性蔑視発言に端を発した
後任会長問題は、橋本聖子前五輪相が就任し決着しました。
橋本さんの人柄や実績についてはよく知りませんが、
当初は過去のスキャンダルなどを理由に固辞していたそうです。
にもかかわらず、火中の栗を拾うようなこの状況で、
よく逃げずに引き受けられたと思います。がんばってほしいですね。


さて、今日の本題は「偏見」についてです。


森さんの発言は「失言」と報じられていました。
あの失言の本質は、言葉の表現の問題ではなく、
心の「本音」が出てしまったということだと思います。
だから、本来はあの発言がなければ良しということではなく、
そういう価値観の人物が組織委員会の長にいること自体が、
世界から問題視されたわけですよね。


今回の森さんの、女性は話が長いという発言内容には、
根っこに「偏見」がありました。
女性に対するネガティブで偏った先入観です。
でも、考えてみると、女性への偏見は未だに社会全体にありますよね。


別に森さんの肩を持つつもりはありませんし、
女性は被害者、男性が加害者と言うつもりもありません。
でも、現に日本のジェンダー・ギャップ指数は153カ国中、121位です。
これは、世界経済フォーラムが毎年発表している
経済・教育・保健・政治分野の男女平等度を表す指数のこと。
あまりの低さにびっくりしてしまいますよね。


話を元に戻すと、ある対象に対して、
ネガティブで偏った思い込みを持つというのは、
人間の特性だとも言えます。
思い込みが怖いのは、思い込んでいるがゆえに、
信じて疑わず、気づけなくなることです。


今回、新会長に就任した橋本聖子さんは、
「参院議員に初当選したとき、
『経済がわからないオリンピック選手がなぜ政治家になるのか』と揶揄された」
とご自身のサイトで書いています。
当選は1995年のことですから、最早26年前ですね。


では、今回の会長就任に対する社会の目はどうなのでしょう?
正直に告白しますよ。
私自身、橋本さんのことをあまり良く知らないのに、
橋本さんで務まるんだろうかと一瞬ですが思ってしまいました。
理由は、やっぱり元オリンピック選手の橋本聖子さんの印象の方が強烈で、
政治手腕やリーダーシップに長けているという印象が薄かったからです。
しかし、だからと言って、26年も政治家として活動して来た橋本さんに対し、
「橋本さんで務まるんだろうか?」と考えるのは失礼だし、やっぱり偏見です。


なぜ、こういうネガティブな先入観が出てくるのでしょうか。
理由を思いつくままに出してみました。
・知らないものに対して、人はそれだけで不安を感じてしまうから。
・アスリートと政治家、それぞれに求められる資質に共通点が見つからず、
 そう簡単に天は二物を与えないと思うから。
・客観的な判断材料がない時は、イメージの影響を受けやすいから。
・これまでに知っている限られた情報だけで、イメージを作り上げているから。
まあ、そんなところでしょうか。


こうして見ると、ほぼ全てにおいて誤解を招き寄せていますよね。
小さなことのようですが、
結局はその思い込みが差別意識とどこかでつながって行くのだと思います。
けれど、実際にはアメリカでは、俳優が大統領にも州知事にもなっています。
日本でも俳優だった森田健作さんは千葉県知事ですし、
東国原英夫さんも政治家でした。
アスリートだったから務まらないと思ってしまうのは、
まさに思い込み以外の何物でもありません。
芸能人によるSNSでの政治的社会的発言をバッシングする風潮にも、
同じような偏見を感じます。


私たちはどうしたら、思い込みを減らせるのでしょうか?
名案は浮かびませんが、
「思い込んでいない?」と自問する習慣をつけるしかありませんね。


コロナによって厳しい状況が続いているオリンピック/パラリンピック。
差別や偏見を乗り越えて来た歴史でもあるし、
ここまで大勢の人たちが努力してきたわけだから、
まさかの奇跡や素晴らしいアイデアによって、開催できるといいなぁと思います。
加えて、私は自分が女性なので、これを機にジェンダーギャップの大幅改善が進み、
国際社会での日本のイメージが変わるといいとも思います。
もしかしたら「オリンピックは無理」というのも、思い込みなのかな?


来週はもう3月です。春の足音が聞こえてきますね。
素敵な1週間をお過ごしください。

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先週、社内でWEB社内報にあってほしい機能について議論をしていました。
その中で、巷によくある「Thanksボタン」「Thanksポイント」は必要か、
という話になったのですが、
あなたなら、その機能、ほしいと思いますか?
これらは、Thanksカードのデジタル版です。
私たちの結論としては「ほしくない」ということに。


その理由は、、、気難しいことを言うようですが、
こういった施策にちょっとしたあざとさを感じるからです。
どういうことかというと、この機能を導入する目的は、
 感謝されたらモチベーション上がるよね、
 お互いの感謝を見える化して、モチベーションを上げていこうよ!
...ということですよね。
その発想の奥には、なんというか、マウンティング感覚があるというか、
誰もが持っている承認欲求で人をコントロールしようとしているというか、、、
あざといという表現は適切でないかもしれませんが、自然体とは言えません。
しかも、感謝という、本来ならとても素敵な行為をチープなものにしてしまう。
そんなもんはほしくないよね、ということになりました。


というわけで、今日のテーマは感謝とご褒美、褒めるについてです。


ThanksボタンもThanksポイントも、根底にあるのは、
感謝を大切にしようという思想。そこには、まったく異論はありません。
でも、仕組み化した時点で暗黙の義務が発生するところに違和感を感じます。
義務的なリアクションは、望ましいコミュニケーションとはいえません。
まあ、仕組み化すると、ラクそうに思える気持ちはわかりますが。。。。
しかも、暗黙的義務的Thanksであっても、
それをもらうことは、承認欲求が高い人にはウケるかもしれないし。
でも、内発的な動機を原動力に行動する人にとっては、むしろやる気が削がれます。


「嫌われる勇気」で一躍有名になったアドラー心理学では、
褒めることを否定し、その代わりに感謝を示すことを勧めていますが、
褒めることを否定している理由は、
承認欲求を満たして行動させようとすることを否定しているからです。
人が、褒められるという「言葉のご褒美」ほしさに行動することは、
幸福の追求に反するという考えです。
感謝を見える化した時点で、それはもう「ご褒美」と同じに思えます。


コロナで印刷していた社内報をWEB化するという流れは、現在加速しています。
安易にThanksという「ご褒美」を導入してほしくないものです。


さて、Thanksのシステム的な見える化という話以前に、
子どもや部下を「褒めて育てよう!」という育成観も、どうなんだろうと思います。
私自身はアドラーが言うほど褒めることをストイックに否定はしませんが、
褒め方の指南書を頼りに、
上司が一生懸命がんばって部下を褒めるというのは、いかがなものかと思います。
例えば、否定的な指摘をする前には、3つほど褒めろなんていうのもその1つです。


いったいいつ頃から、「褒めて育てよう!」が主流になってきたのでしょうか。
東洋経済オンラインのインタビュー記事の中に答えが見つかりました。
「ほめると子どもはダメになる」の著者・榎本博明さんによれば、
「褒めて育てよう!」という教育観は1990年代頃からのもので、
学校教育がテスト結果より授業中の態度や関心で成績を評価する方向に
変わった頃と時期を同じくしているようです。
もともと褒めて育てる理由は、「自己肯定感が高まるから」だったようなのですが、
榎本さんは「頑張ってもいないのにただ褒められていい気持ちになっていたのでは、
本当の自己肯定感は育たない」
「日本は欧米流の『褒めて育てる』を歪んだ形で導入した」
と語っています。


ちなみに「アメリカは褒める社会」とはよく耳にすることですが、
日経ビジネスの中でかつてアブダビ政府の投資庁で働いていた林則行さんが
こんな面白いことを書いていました。
面談で英米人の上司は「がんばってるね。
私だけでなく周りのみんなが評価しているよ」など良いことしか言わず、
営業成績が低迷している人に対してさえ、
「今年の営業成績だけど、もう少し行けたはずだよね」と軽くお尻を叩き、
「これがあなたの本来の力でないことは知っている。
景気が悪かったのが最大の要因だよ」とフォローしたりするそうですが、
こう言われたアメリカ人の部下は「相当厳しいことを言われた」と思うのだそう。


もし日本であったなら、自分はまずまずの評価を受けたと勘違いしそうですよね。
ベースにある文化や意識が違うものをそのまま日本に持って来ると、
おかしなことになる例と言えるかもしれません。


マニュアル的に褒めるというアプローチには疑問を感じるものの、
「褒める」の影響は知っておきたいもの。
まず、スタンフォード大学キャロル・S・ドゥエック教授の実験結果を紹介します。
実験は400人の小学5年生を対象に行われました。
子どもたちをふたつのグループに分け、
簡単な問題を解かせます。
終わった時、片方のグループの子には「よくできたね」というひと言で褒めてやり、
もう一方のグループの子は褒めない。
その後、子どもたちに次に挑戦する問題を選ばせました。
簡単なものか、難しいものかの二択です。
すると、褒められたグループの子どもたちは、大半が簡単な方を選び、
褒められなかったグループの子どもたちは、9割以上が難しいほうを選んだそうです。
つまり、もう一度褒められるためには「解答できる」必要があり、
そのために、困難に挑戦する意欲が削がれたのだと見られています。
なんだか恐ろしい。
このほかにも、いろいろなところでいろんな人が実験を行っていて、
「頭がいいね」と地頭的な能力を褒められるとその後伸びなくなり、
「頑張ったね」と努力を褒められると伸びるなどがわかっています。


いずれにしても、褒めることの功罪を知るのは良いとして、
あまり詳しくハウツーを知りたくはありませんね。
なぜなら、人を成長させるためと考えれば、それも必要だとは思いますけど、
本来は計算づくで褒めるのではなく、心底褒めるのがいいですから!
感謝も同じで、やらなきゃ感覚の仕組みの中では言われたくないなー
と思っていても、案外うれしかったりするのでしょうか?
人間って、めんどくさい。でも、それが真実だという気がします。


長くなっちゃいました。今週も素敵な1週間を!

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あっというまに2月になってしまいましたね。
時の速さにため息が出ます。
さて、今日のテーマを単刀直入に言うと、
私たちは今、「集中力散漫社会」のネガティブスパイラルの中にいるのでは?
という話です。


実はこれ、先週の私の体験に基づいて考え、
調べた結果、わかったことです。


自分で言うのもなんですが、私の取り柄の一つに、
集中力が高く、しかも持続できる...というものがあります。
なのに、先週の私は、集中したいことにまったく集中できませんでした。
当然、パフォーマンスは下がります。


集中力という観点で自分を振り返ってみると、
もしかしたら、これは先週始まったわけではなく、
ここ最近の傾向であり、むしろ徐々に下がっているのではないかと思えてきました。
さらに考えていくと、このような私の感覚は、
ひょっとしたら私にだけ起きているのではなく、
日本中で起きているのではないか、、、と思ったんですね。


どういうことでしょうか?
生産性と人の集中力というのは正比例の関係にありますよね。
逆に言えば、気が散る時間が多いと生産性は下がる。
だから、気が散る要素を放置しておくと、当然、生産性は下がるわけです。


私の日常で言えば、Slackやメールを読んだり、
それに伴って指示や助言をすることが「気が散る要素」に当たりますが、
このような状況にあるのは、私だけではないと思います。
「通知」という親切な機能が、皮肉にも集中力を邪魔します。
PCだけではなく、スマホにはSNSなどからも通知が届きます。
(設定を変えろという話もありますが。。。)
通知が入るたびに、マルチタスクモードがオンになり、
内容を把握しようとし、必要に応じて応えようとする。
そうすると、本当は集中したかったことから、どんどん意識が離れていきます。


ニューヨーク大学のアダム・オルター教授の研究では、
興味深いことがわかっています。
人がメールをチェックするのに、使っている時間はたった6秒だそうですが、
メールチェックを終えて、元の集中状態に戻すのに、25分かかるというのです。


また、「マルチタスクは脳を疲れさせる」と語るのは、
精神科医であり禅僧でもある川野泰周さん。
Study Hackerのインタビューで次のようなことを述べています。
複数のことを同時に処理するマルチタスクのために、
脳の中のデフォルト・モード・ネットワークという部分が働くそうなのですが、
この部分、エネルギーの消費効率が悪く、
多くのエネルギーが使われる結果、脳を疲れさせてしまうというのです。
脳が消費するエネルギーの6割もがこの部分で使われているという報告も。


デフォルト・モード・ネットワーク? 初耳です。
どうやら、特定の対象に意識を向けず、いろんなことに意識を向けたり、
とりとめもない意識状態の時に活性化する脳の回路のことのようです。
クリエイティブな着想などを得る際にも活躍する部分なのだとか。


一方で、ある事柄について積極的に思考を駆使したり、
意識的に注意を払ったりする状態を司るのは、
セントラル・エグゼクティブ・ネットワークという部分。
集中しているときは、脳のこの部分が使われているようです。


メールも、Slackも、Teamsも、
コミュニケーションという面では大切ですが、
マルチタスクと上手に付き合わないことには、
脳は疲労し、集中力は下がるということです。
その結果、当然生産性も下がってしまいますよね。
ついでに言うと、脳が疲れていると、考えることをやめてしまったり、
感情や悩みにさえ鈍感になっていく気がします。
エネルギーが足りずに悲鳴を上げている脳にとっては、
なるべく省エネでいたいはずだからです。
この状態が社会に蔓延しているとしたら、いいことナシ!
まさにネガティブスパイラルです。


では、私たちはどうしたらいいのでしょうか?
目下の私はこのように考えることにしました。


8対2の「パレートの法則」というのがありますよね。
・売上の8割は全顧客の2割が生み出している
・売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している
・売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している 等々
全体の数値の大部分は、全体を構成する要素の2割程度が生み出している
とする説です。


これは、仕事で費やした時間と成果の関係にも当てはまると言われていて、
成果の8割は、費やした時間全体の2割の時間で生み出されているというのです。
言われてみれば、そうかもしれません。
毎日毎日、8時間、集中を続けるなんてできませんからね。
8時間の2割ということは、1.6時間です。
まあ、少し欲張って1日のうちに2時間だけ集中しようと決めたら、
何となくできそうな気がしますよね。


あなたの脳は元気ですか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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先週、コンサル大学の北岡秀紀さんのメルマガを読んでいたら、


萩本欽一さん、ビートたけしさん、タモリさん、明石家さんまさんなどの
語録を紹介し、お笑い界の大御所たちは「努力」について、
「芸能界は運と才能の世界」
「努力したからといって報われるものではない」
とほぼ一様に語っていて、努力を否定しているように見える、
でも、そういう人たちに限って実は一番努力をしている、云々...
とありました。


芸もスポーツも才能は必要ですが、
一流の人ほど努力しているとはよく言われることです。


でも、社会って、私たちも含め、
無名な人たちの努力の上に成り立っているんですよね。
当たり前に手に入るものには、ついつい感謝を忘れますが、
その陰でどれだけ多くの人たちの努力があることか。。。


とはいえ、毎日毎日、コツコツと努力するというのは
並大抵のことではありません。
人間だから、やる気の出る日もあれば、出ない日もある。
そんなとき、コピーライター藤本宗将さんが
ホンダのためにつくったあの有名なコピー「負けるもんか」の全文を読むと、
努力って美しいなぁと思い、元気が出ます。
もし、読んだことがなければ、ぜひ検索して読んでみてください。


さて、努力には2つあります。
自分一人で完結する努力と、相手がいる関係の中でする努力。
どちらの努力も簡単ではありませんが、
ここでは、相手ありきの中での(特にリーダーの)
「伝える」努力について考えてみたいと思います。


我が身を振り返ってみたり、過去の事例を思い出してみて、
「伝える」ことのいったい何が難しいのかを考えてみました。


伝えていないから伝わらないというケースは別として、
伝わっていないからといって、
リーダーが何も発していないことは、むしろ少ないのではないでしょうか。
それなのに、しばしば伝わらないということが起きます。
なぜでしょう?


たとえば、40代の私の経験。
自分は社員にビジョンを話しているつもり。
なのに、うちの会社のビジョンがわからないと言われる。
するとリーダーの私は、なんでわからないのか、
わからんヤツが悪い...と思う。
今にして思えば、なんと他責なことでしょう。ああ、恥ずかしい。


でも、伝えることは目的ではなく、伝わってなんぼ。
そうすると、なぜ伝わらないのか、考えるようになります。


すると、わかってきました。
そんな時は、往々にして、伝えたいことを伝えたいように発しています。
相手が知りたいことは何なのかなどと考えていません。
そもそも立場が違えば、見ている風景も違うはずなのに、
相手に見えているもの、見えていないものを想像さえしていません。
だからこそ、噛み合わないときに、自責で受け止めず
他責で見てしまうのでしょう。
そんな気づきを得ました。
上司というのは、部下から育てられるものですね〜


こんな私の体験は、反面教師にしていただきたいですが、
さて、、、、
伝える努力はどうあるべきなのでしょう?
きっとこれだけが唯一正しい答え!というものは存在せず、
人それぞれでいいように思います。
自分の価値観や美意識に従うのみです。


私の場合は、努力らしい努力はできていませんが、
強いて言うと、相手から見て、
指摘、意見、進言を言いやすいと思えるような関係づくりに努めています。
本当は伝わるようにするための努力をすべきなのでしょうけれど、
でも、言いやすい関係であれば、社員は、私が伝えたことが伝わっていないときや、
表現が適切でなかったときに、フィードバックしてくれるからです。
そうしたら、あ、はずしたか...と思って、フォローに走れます。
まあ、でも、これ、努力と呼べるほどの代物ではありませんねぇ。


本気で努力する姿って本当にカッコいい。
藤本宗将さんのコピーのように、カッコよく仕事をしたいものですね。
あなたは「伝える」という面で、どんな努力をしていますか?


年が明けたと思ったら、もう1年の24分の1が過ぎてしまいました。
今日という日が充実した1日でありますように。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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