ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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ある人に勧められて今読んでいるのは、人生100年時代をテーマにした本です。
2016年に発刊された「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」。
リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの共著です。
本によれば、2007年生まれの日本人(今15歳)の場合、
50%の人が少なくとも107歳まで生きるそうですし、
1987年生まれ(今35歳)なら98~100歳まで、
1967年生まれ(今55歳)なら92~96歳まで半数の人が生きるそうです。

従来の教育を受けるステージ、仕事をするステージ、引退後のステージという
3ステージではなくマルチステージになり、
なおかつ長く生きる分、長く働かないと、経済的に生きられない。
そんな時代にどう生きるか、考える材料を与えてくれるような内容です。
といっても、まだ読み終わったわけではないので、
この本の内容を紹介したいわけではありません。


健康で人間関係にも恵まれている前提で長生きしたとして、
どうやって稼いでいくかは誰にとっても重要な課題になっています
今行われている「延長雇用」のようなことでは対処不能な時代に突入する、
そんな社会の中で自分はどうあろうかとそんなことを考えました。

ツラツラと考えたのはこんなことです。
以下、私の脳内...(笑
何歳になっても、何かしらの価値を提供できないとお金は稼げないだろうな...
人から信頼されていないと相談されたり、頼まれたりすることはないだろうな...
結局「評判」が大事なのだろうけれど、
ブランディングといっしょで、「評判」は自分では決められない...
周囲の人たちが、自分の知らないところで評価した結果が「評判」なわけだし...
それに、「評判」は大事だけれど、
「評判」を良くするために生きたって幸せとはいえない...
結局自分の心に正直に生きることや、
後ろめたいことをしないことが先で、
報酬は後から付いてくるものなんだろうな...ぶつぶつ...


で、思い出したのがこの詩です。
この詩を人生100年時代に立ち向かわなくてはならない
すべての人に贈ります。

ーーーーここからーーーー

The lnvitation
『ただ、それだけ / It's that simple』
(オーリア・マウンテン・ドリーマー著)より

あなたの仕事が何かには興味が無い。
私が知りたいのはあなたが何を願っているか
その願いをかなえる勇気があるかどうかだ。
あなたの年齢には興味が無い。
私が知りたいのはあなたが愛のために、夢のために、
生きるという冒険のためにばかになれるかどうかだ。

あなたがどんな星のもとに生まれようと興味がない。
私が知りたいのは
あなたが自分の悲しみにの核にふれたかどうか
人生に裏切られたことがあるか
さらなる苦痛をおそれて、
殻に閉じこもったことがあるかどうかだ。
あなたが人や自分の苦しみから逃げ隠れせず
ごまかしたりつくろったりせず
じっと耐えていられるかどうかを、私は知りたい。

あなたが人や自分の喜びを心から味わい
陶酔に我を忘れて踊りだせるかどうかを、私は知りたい。
人目を気にしたり、我に返ろうとしたり、
自分に枠をはめたりせずに。

あなたが聞かせてくれる話が真実かどうかには興味がない。
私が知りたいのはあなたが人を裏切っても
自分に正直でいられるかどうか、人から裏切り者と責められても、
自分の魂を裏切らずにいられるか
不誠実になれるがゆえに、人から信頼されるかどうかだ。

あなたが日々の中で、
美しく見えないものにも美を見いだせるかどうか
美の存在から自分の人生を
掘り起こせるかどうかを、私は知りたい。

あなたが人や自分の失敗を受け入れることができるかどうか
失敗してもなお湖畔に立って銀の月に向かって
「イエス!」と言えるかどうかを、私は知りたい。

あなたが住んでいる場所や、
どのくらいお金を持っているかには興味がない。
私が知りたいのは、あなたが悲嘆と絶望の夜を過ごした朝に起き上がれるかどうか
心身ともにどん底にあっても、
自分の子供にごはんを食べさせてやれるかどうかだ。 

あなたが誰を知っているか、
どうやって生きてきたかには興味がない。
私が知りたいのは
あなたが危機の最中で、
私と一緒にひるまずにいられるかどうかだ。

あなたがどこで誰と、何を学んできたかには興味がない。
私が知りたいのは、すべてが消え去ったあと
何があなたを内側から支えているかだ。

あなたがひとりきりでいられるかどうか
むなしいときも自分といて心から楽しめるかどうかを、
私は知りたい。

ーーーーここまでーーーー

5月も残りわずかになってきました。
まずは今週を元気で乗り切りましょう!

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1カ月ほど前に「仏教」と「日本酒」をテーマに京都に行きました。
観光に行けば、単なる寺巡りをするものの、
仏教や仏像への知識は乏しく、ただ「へ~」「ほ~」と見てくるのが常でした。
でも、今回の旅では、ずっと疑問に思っていたことを書き出して、
入念に予習をして行きました。
たとえば、釈迦が仏像になるのはわかるけど、
なぜあんなにもたくさんの種類があるのか? 
○○如来と○○菩薩はどう違うのか?
不動明王とか、帝釈天も仏なのか?など。
予習ノートは一緒に行った仲間にも大好評でした。
人というのは興味があることには「Why」が出てくるし、
そうするとInputにも身が入る。
「Why」は最高の思考エンジンだと痛感しました。


しかし、疑問を発することはポジティブなイメージばかりではありません。
多くの人は質問することを恐れているのではないか、と
4月7日のメルマガで書きましたが、
「こんなことを聞いたらアホと思われる」
「みんなの時間を奪っていると思われる」というブレーキが働いて、
疑問を発することを難しくしているように思います。

上司と部下の関係も然り。
「なぜ、これをするのか」と問う部下よりも、
「承知しました」と答える部下の方がラクだと思っている上司も
少なくない気がします。


私自身、若いときにこんな体験をしました。
当時パブリシティ業務を担う部署に異動になったばかり。
外出時の電車の中で、私は上司にたくさん質問しました。
会社に戻った時に言われたのは、「小野さんといると疲れる」でした。
20代前半。正直、傷つきました!
まあ、「なぜ、なぜ、なぜ」としつこ過ぎだったのかもしれませんし、
頭でっかちにならずにやってみなさいと言いたかったのかもしれません。


今、歳も取り、自分が上司という立場になって思うのは、
やっぱり「なぜ」と考える人の方が圧倒的に成長が早いということです。
成長が早いだけでなく、彼らはより本質的な仕事に向かって行きます。
どういうことでしょう?

「なぜ」と考えることは、原因や理由、目的を把握しようとすること。
一方、「なぜ」と考えないということは、
言われたことや今ある情報をそのまま受け入れて対処することです
すると、今回はこうやるという記憶だけが残る。
こういう目的の場合はこうするというのが頭に残らない。
その結果、応用が効かなくなります。
自立して仕事ができるようになるというのは、
応用で対応できることが増えるということでもあるので、
「なぜ」と考えることで応用力がつき、成長が早くなるのだと思います。


ところで、ネットの書き込みを見ていると、
疑問が湧いてこない、質問は?と聞かれると困る...
と悩んでいる人も多いようです。
若いときは、自分で何がわからないかわからないということも起きるので、
そんな悩みも不思議ではありません。

また、質問をしたときに、親や先生、上司などから
否定的な反応をされた経験があると、
疑問を表明するのは良くないこと、
嫌な思いをしないためには表明しない方が良い、
と刷り込まれてしまうのかもしれません。
疑問を聞くとき(質問を受けるとき)は、
自分の態度が相手に悪い影響を与えないように気をつけたいものです。


そして、興味がないと疑問も湧かないのは本当でしょうけれど、
仕事では興味の有無に関わらず、考えて行動することが求められます。
私自身は、「なぜ~?」「~とは?」「どうしたら~?」の
3つの疑問文だけで思考の7割ぐらいをカバーしているような気がします(笑)
本質的云々なんて難しい話ではなく、
子どものように素直に疑問を口にすることが大切のではないでしょうか。

ゴールデンウィークがすぐそこまでやってきました。
素敵な連休をお過ごしください。

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今週、あるお客さまのミーティングでかっこいいデザイナーさんと出会いました。
何がかっこいいかというと、ミーティング終盤での「質問」が、です。
どんなミーティングもアジェンダに添って説明や議論が行われたあと、
収束段階では疑問点をクリアにしたり、宿題を明確にしたり...となりますよね。
その段階は次のアクションに向けて
理解レベルを一致させる段階でもあるわけですが、
仮にその場がヒアリング/オリエンテーションである場合、
大抵は説明を聞いた側が理解したことについて意思表示します。

その時にどういう意思表示をするか、人それぞれなので、とても興味深いです。
ある人は、「わかりました。問題ありません」と言います。
別のある人は「わかりました。こういうことですね」と確認します。
さらに、別のある人は「この点はどうなんですか?」と尋ねます。
今回の例では、クリエイティブのジャンプの幅について、
「この点はどうですか?」という問いかけが出され、
その質問の仕方がとても素敵でした。


さて、ここでこんな問いが湧いてきます。
わかりました VS 質問。
一体どっちがかっこいいと思いますか?
なぜこれを疑問として投げかけるかというと、、、
人は質問することにどれだけ恐れを抱いているのか、いないのか、
私は知りませんが、多くの人は質問することよりも、
わかりましたと言うことの方が良い選択だと思っている気がするからです。


でも、もし私が説明する側にいて、相手からの反応を待つ立場なら...
「わかりました、問題ありません」とか
「わかりました、OKです」という反応は、
パッと見は安心のような感じですが、
コミュニケーションのキメが荒いように感じてしまうかもしれません。
「本当にわかってくれたの? 大丈夫?」と。
なぜかといえば、そんなに簡単に他人の気持ちや考えなんて
わかるわけがないという前提に立っているからです。
(いや、もちろん、本当にわかってくれての「わかりました」もありますが)

だからこそ私は、質問が鋭い人を見ると、目が星になりがち(笑)
かっこいいな~と。


では、反対に質問が出ない場では、何が起きているのでしょうか?
質問が出ない主な理由はいくつか考えられますが、二大仮説がこちら。
1つは「こんなことを言ったらおかしいと思われるのでは?」
という恐れがあって、そのために質問しないというケース。
もう1つは、そもそも疑問が浮かんでこないケースです。

前者は、心理的安全性を担保できるかが重要で、
これだけでもメルマガ1本書けますが、
今回は後者の方に注目してみました。
なぜ、疑問を抱かずにスルーしてしまうことが平常になっているのでしょうか?


これは、なぜ疑問が湧くのか?を考えてみると、理解できます。
人は、自分の想像や直感に反することが起きた時/起きそうである時、
疑問が湧いてきます。「え? なんで?」と。
また、人は、先の先のその先を想像するといろいろ疑問が湧いてきます。
「もし、こうして、ああして、こうなったら、どうすればいいだろう?」と。

だから、想像力が乏しいと疑問は出てこないということではないでしょうか
ある話を聞いた時、「That's all、ピリオド」で、
それ以上のことを想像しなければ、疑問の湧きようがありません。
なので、「わかりました」で終わってしまうことは、
もしかしたら、聞いたことを理解したことに間違いはないけれど、
それ以上を想像しての理解には至っていないと考えることもできます。

ってことは、キーワードは「想像力」ですね。
おや? どこからか「ボーっと生きてんじゃねーよ」という
チコちゃんのお叱りが聞こえてきた(笑)
「いまさら当たり前のことを言ってんじゃねーよ」とも。
はい、ごめんなさーい!


さて、、、
ウクライナ情勢、毎日気にして見ています。
在日ウクライナ人が家族を呼び寄せたくても、
言葉の支援を含む就業の支援や、医療が受けられる等の支援策が見えず、
断念したケースをニュースで見ました。
自分に何ができるのかを考えても、寄付ぐらいしか思いつかず、
無力感を感じますが、一刻も早い終結を心から祈ります。
国内経済の行方も心配ですが、まずは一人一人が
今日をしっかりと生きることが案外大事なのだと思います。
まずは、今週を精一杯乗り切りましょう!

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最近のウクライナや新型コロナウィルスに関する問題を巡って、
テレビのニュースやSNSのタイムラインを見ていると、
「事実とはなんだろう?」という気持ちになります。
国を挙げてのフェイクニュース、
個人の私見を事実のように発しているツイート、
偏った情報だけを流すテレビ番組など、
気をつけないと、なんでもかんでも事実だと信じ込んでしまいます。

前にも少し触れた漫画(最近フジテレビでドラマ放映中)
『ミステリと言う勿れ』(田村由美作)の中で、
主人公の久能整くんは、「真実は一つじゃない、2つや3つでもない、
真実は人の数だけあるんですよ。でも事実は一つです」
という名台詞を残しています。
一方、名探偵コナンくんは「真実はいつも一つ!」と言っているようですね(笑

改めて「事実」と「真実」について辞書を引いてみました。
デジタル大辞泉(小学館)によると、
「事実」:実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
「真実」:うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。

パッと見ただけだと、なんだか違いがよく分かりません。
でも、「事実」には観念的なことは含まれず、現実的な事象を指していること、
「真実」には観念的なことも現実的なことも含まれていること、そう理解すると、
久能整くんの言葉とコナンくんの言葉は矛盾していないと説明できます。
久能整くんの言う真実とは、事実に対する嘘偽りのない解釈のことなのですね。

「コップに水が200ml入っている」は事実ですが、
「コップに水が半分しかない」「コップに水がまだ半分ある」は解釈です。

同じ事実に基づいて2人の人が別々の解釈をした場合、
その人にとっての真実、すなわち解釈に正解・不正解はありません。
水が「半分しかない」も「まだ半分ある」もその人にとっての真実なわけですね。

でも、片方の人の持つ事実情報がもう片方の人より不足していたり、
間違っていたりすると、解釈自体がおかしいということにもなりえます。
また、事実情報が同じである限り、正解・不正解はないとはいえ、
ある解釈は共感され、別の解釈は共感されないということもあれば、
ある解釈は洞察が深いと評価され、別の解釈は浅いと評されることもあります。


マーケティングの権威者であるフィリップ・コトラーの本にこんな例えがあります。
ある企業で、人々が裸足で暮らしている南の島で靴を売れないかということになり、
ABCの3人の担当が現地に赴き、可能性を評価しました。
Aは「ここの人は靴をはいていない。ここには市場はない」とし、
Bは「ここの人々は靴をはいていない。ものすごい市場がある」とし、
CはBより詳細に数字的事実を理由に「この市場に参入すべきだ」と言いました。
Aの解釈もBの解釈も、必ずしも間違っているとは言えません。
でも、Cの解釈が洞察が深いと評されるであろうことは言うまでもありません。

だから、洞察を深めるには、一般的には情報が多い方が良いということになります。
その方が、高い解像度で事実を理解できるので、解釈にも深みが出るのでしょうね。


一方で、情報過多には弊害もあります。
情報が多いからといって、皆んなが皆んな、
高解像度で物事を理解し、深い解釈ができるとは限りません。

たとえば、物事の選択。
情報が多すぎると、人は適切な選択ができなくなるという実験結果があります。
細かいことが気になって、どれが重要なのか、混乱するためだそうだ。
まあ、そうでしょうね。
また、自分は情報不足なのではないかという脅迫観念に縛られて、
情報を追いかけるうちに「情報過多シンドローム」に陥る人もいるそうです。
知っている情報が思い出せない、話が理解できないといった症状が特徴らしいので、
なんとも皮肉な話です。

事実情報とどうつきあうか、つくづく難しさを感じます。
でも、いずれにしても、
情報に振り回されたくないですし、
人生は知識の暗記を求められる受験勉強ではないのですから、
インプットした事実情報に対し、
自分なりの解釈を持たないと意味がないとも思います。
そのためにも、受け取った情報が事実なのか解釈なのか、
見極めることが大切ですし、
部下やお客様とのコミュニケーションでもその意識を持つことが必要ですね。
人は、自分の解釈を事実であるかのように思い込んでしまいやすいので、
事実なのか解釈なのかという自問も欠かせません。

いやー 情報社会に生きるって大変ですね~
今週も1週間、おつかれさまでした!!
来週も元気に行きましょう!

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世の中を見て教わったことがたくさんあります。
その一つが「紹介」の不思議。

人に、誰かを紹介し、繋ぐことありますか?
反対に、人から誰かを紹介されることは?
公私問わず、もちろん、ありますよね。
いったいどうして「紹介」が起きるのでしょう?

私は、今でこそ紹介する・されるのどちらもありますが、
20代の頃は、紹介されることの方が圧倒的に多かったです。
ありがたいことに、人だけではなく、仕事も紹介していただきました!

仕事で出会った方が、私のことを思い出して、
ほかの人に紹介してくれる。
何かしら気に入られたからなのだろうとは思いますが、
何をモチベーションに紹介してくれるのか、やっぱり不思議でした。

しかも、若い時は勝手がわからず、
特別なお返しをしなくていいのか、気になったものです。
ですが、今思えば、それは失礼なものの見方でした。
なぜなら、皆さん、純粋な気持ちで紹介してくださったのだと思うからです。


時は進み、今から17年ほど前。。。
当時、私は40代になっていましたが、
当社の20周年のパーティーに集まってくれた方たちの
相関図は実に興味深いものでした。
知り合いを6人辿れば誰とでもつながれると言いますが、
100人ほどの出席者が何らかの形でつながっていました。
しかも、その繋がりは直列的なものばかりではなく、
HUBのような形で繋がっている人もいました。

まさに縁送りとはこのことだと思ったものです。
そんなこともあって、いつのまにか自分も
人と人を繋げる動きをするようになりました。
縁送りは恩送りでもあるのかもしれません。


「人を紹介する・される」という言葉に抵抗感を抱く人はいないと思いますが、
「人脈づくり」と聞くと、なぜか少し心がザラっとします。
なぜでしょう? 多分、その言葉には、
損得勘定のようなものが見え隠れするからかもしれませんね。
いろいろな人生観があっていいと思いますが、
個人的には人脈というのは打算的に「作る」というよりも、
「信頼の結果」なのではないかと思います。


さて、「紹介」という行為。その本質は何なのでしょうか?
少なくても、Give & Takeで行うものではない気がします。
レバレッジシリーズを書いている本田直之さんは、
著書「レバレッジ人脈術」の中で人脈の本質はギブではなく、
コントリビューション(貢献)だと書いているようですが、
貢献欲求もあるでしょうけれど、
繋がりのシェアという感覚の方が近いような気がします。


そう思う理由は、自分自身が誰かを誰かに紹介しようと思うとき、
次のような条件が重なることが多いからです。

第1に、あの人にこの人を引き合わせたら、何かしら化学反応が起きて、
それは双方にとって良いことなのではないかと思えること。
第2に、その人の夢や志を知っていて、応援したいと思えること。
第3に、人として、信頼できると思っていること。


反対に、頼まれても絶対紹介しないと思う人もいます。
第1は、損得勘定でしか人と付き合わな人。
第2は、自分の話しかしない人。
第3は、いい加減な人。(ほかにもありそう笑)
こう考えてみると、紹介する・されるというのは、とても貴重なことですね。

縁をもらい、縁を繋ぎ、また縁をもらい、また縁を繋ぐ。
縁をいただくには、自分のことしか考えないようではダメですね。
縁をいただきたいから、こうすると考えるのもきっとダメですね。
英語でも「Pay it forward」という表現があるくらいだから、
縁は、グローバルでも大切な考え方なのかもしれません。


花粉が悩ましい季節の変わり目。
体調を整えて乗り切りましょう! 素敵な1日を!

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ビジネスシーンでは「怒り」はネガティブなものだし、
怒りを出すのは絶対的にいけないこと...
多くの人はそんな考えを持っているのではないでしょうか。
たとえば、怒りの悪いイメージの最たるものがパワハラです。
でも、怒りを、無自覚な負の感情の発散と捉えず、
ただの負の感情と見ると、怒りのイメージが変わってきます。

というわけで、今日の話題は、「怒りのない社会は幸福なんだろうか?」
という疑問を感じたことがきっかけです。
日本は今、怒らずに従順であることを是とする「ヒツジ社会」に陥っていて、
このままでは民主主義国家の対面を保てなくなるのではないか、
まあ、ちょっとオーバーに書くと、そんな危機感も持ったりします。
でも、「今の日本はヤバイなー」と感じているのは、きっと私だけではないのでは?


ついでに言いますと、今週、阿部と
日本の教育の現状について嘆き合ったことも今日のテーマに関係しています。
その現状というのは、、、

生徒は、先生のお気に召す行動を取らないと、内申書が悪くなります。
それが、今の現実です。だとしたら、親は子どもに
「内申書に響くから、真面目に授業を受けろ」と言いますよね。
そこまでならまだしも、
「内申書に響くから、先生の言ったことに納得できなくても、
ちゃんと目を合わせて頷かないとダメよ」とか、
さらにエスカレートして「先生のことは、おだてておきなさい」などと
親が子どもに言ったとしたら、どんな人間に育つでしょうか?

この親の一言は、人から支配されること、人に媚びることを
是としてしまうわけです。
本当なら言ってはいけない言葉ですが、
でも、進学システムが現在のようであったなら、
親だけを責めるのも筋違いでしょう。

つまり、この進学システムを維持したら、
忖度する人間、意見を持たず迎合する人間、
従順でいるよう刷り込まれたヒツジ型人間を量産することになります。
それが、何を意味するのか、言わずもがなですよね。


さて、、、
怒りや反発を否定した社会は、この先どうなっていくのでしょうか?

教育は、社会に返ってきます。
今、あなたの社内で、「これは、おかしいのでは?」と思ったことを、
意見として言える人はどのくらいいるでしょうか?
意見でなくても、疑問を口にするだけでも良いとして、
言って良い雰囲気はありますか?


人が何かについて「おかしい」と思う時、怒りの感情を伴う場合があります。
で、そんな怒りの根っこには、「正義感」がある。
その正義が独りよがりの場合はあると思いますが、
本来「怒り」イコール「悪いこと」ではないはずです。

それなのに、私たちは怒りを悪いことと思うがあまり、
あるいは、怒りは和を乱す元凶だと思うがあまり、
ついつい怒りの感情にフタをし、おかしいと思っても、
「おかしい」と言わなくなっている...
そんな状況を目にすることはないでしょうか。


話は少し飛ぶようですが、
この2年間、コロナ禍で、いろいろな「政策」を経験しました。
最初は、「みんなで頑張って耐え凌ごう」と、
とても日本的な暗黙の合意があったように思いました。
でも、今となっては、そんなに美しいものではなく、
ただ、お互いに同調圧力を感じ、
人から後ろ指を指されないように周囲に合わせておこう...
というだけになっているのかもしれません。

その結果、何の因果関係も説明されないまま、
飲食店はまたしても営業を制限されてしまい、
それでも、誰も「怒り」の声をあげません。
いえ、グローバルダイニングの社長が声を出し、裁判に出ましたね。
立派だと思います。
でも、結局、怒りのムーブメントは起きませんでした。

2歳児マスクの着用についても、同様です。
結果的に「2歳児」といった年齢には言及しない表現になりましたが、
子どもの発育状況に応じて「可能な範囲でマスク着用を推奨する」
という表現は盛り込まれました。
方針は「推奨」なわけで、それに対し、猛反発は起きていません。
大人の都合で、子どもたちばかりが犠牲になっているように思うのは、
私だけでしょうか?
この従順な反応は、まるで社会主義の国のようだと思ってしまいます。

私たちは、ヒツジ?
と、言ったら、ヒツジに失礼かもしれません(笑)


閑話休題。
今、NHKプラスで「今ここにある危機とぼくの好感度について」という
ドラマの再放送が見られます。
当たり障りのない、まったく内容のない発言をすることだけを心がけている
大学の広報マンの物語で、おかしいことをおかしいと言わない社会の悪い面を
ユーモアたっぷりに風刺していて、最高におもしろいです!

今週の関東地方は雪という予報もあります。事故などに遭われませんように。
では、ご意見ご感想、お待ちしています!

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今回のテーマは「行動」です。
1冊の本を紹介させていただこうと思いますが、
まずは、このテーマを取り上げようと思ったきっかけをお話しします。

今月2日のTwitterで、脳科学者の茂木健一郎さんが「三日坊主」について
連続ツイートしていました。(ご紹介したい本とは関係ありません)
そうこうするうち、高校時代の親友から電話があり、
今年は「実現力」にこだわりたいと言います。
そんなことをきっかけに、自分も「実現」や「行動」について
少し真剣に考えたくなったのだと思います。
まあ、何かを始めようと考える人が1年で最も多い月は1月でしょうから
不思議なことはありませんが。


というわけで、まずは我が身を振り返ってみました。
去年から「習慣化」に取り組み始めて継続できた小さなことは、
粉末のプロテインを毎朝ヨーグルトドリンクでシェイクして飲むということ。
また今年は毎朝10分程度の筋トレやストレッチを始めました。
始めてからまだ10日ほどですが、なんとか三日坊主にならなくて済みそうです。

一方、ビジネスでの「実現させる」には課題が多いですね。
多分誰しもそうだと思いますが、一般に第二象限の領域、すなわち
「重要だけれど、緊急ではない領域」に取り組むのは、特に大変です。
重要なのだから、ひとっ飛びに実現させたいのに、
なかなか思い通りのスピードで進みません。
これは、個人の行動だけでなく、組織の行動でも同じではないでしょうか。


さて、そんな私が出会ったのが、今回ご紹介するこちらの本。
行動デザインの思考法と手法について、役立つ知識を伝えています。

「習慣超大全~スタンフォード行動デザイン研究所の自分を変える方法」
(原題:Tiny Habits: The Small Changes That Change Everything)
BJ・フォッグ 著/須川 綾子 訳(ダイヤモンド社)


なぜ、この本が新鮮だと思ったかというと、
困ったことに、大半の人が、モチベーションこそ行動変化の真の原動力だと誤解している
という一文に出会ったからです。

どういうことかというと、、、
モチベーションは行動に関係するものの、
モチベーションほど当てにならないものはなく、
行動をデザインするなら、モチベーションよりも重要なことがある、
ということのようです。
そう言われると、それが何なのか知りたくなりますよね。

この本では、行動をデザインするなら、
タイニーハビット(小さな行動)に分解して組み立てるのがコツがだとし、
「B=MAP」という式で表されるフォッグ行動モデルを紹介しています。

B:Behavior:行動
M:Motivation:モチベーション(どれだけそれをしたいか)
A:Ability:能力(やり易さ、ハードルの高さ低さ、スキルなど)
P:Prompt:きっかけ(誘発要因、その行動を思い出させるもの)

つまり、行動BはMAPの3つが揃った時に初めて実行されるとし、
MAPを強めることで、好ましい行動を習慣化することができ、
MAPを弱めることで、好ましくない行動を止めることができると説明しています。
しかも、この3要素に取り組む場合、「モチベーション」から考えたくなりますが、
考える順番は、P→A→Mが正解。


この本に基づき、自分が行動しにくい第二象限の課題、
重要だけれど、緊急ではない課題を分析してみると、
「P」と「A」には工夫の余地があることに気づきました。
Aは直訳すると「能力」ですが、
著者は、能力の中でも重要なのが行動を小さくシンプルにすることだといい
それはスキルであるとしています。
多くの人は、小さくしたつもりでも、まだ大きすぎたり、
複雑すぎたりすることが多く、
そのせいでモチベーションの波が引いていってしまう、と。

そして、三日坊主になったとき、
私たちは自分にはやり遂げる力がないと自己否定しがちですが、
それは最もやってはいけないことなのだそう。
やるべきは3つの要素MAPに着目して、行動のデザインを変えること。
単純な私は、なんだかできそうな気持ちになってきました(笑)

あなたにとっても、2022年が実りの多い1年でありますように!

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先日、とあるオンラインミーティングの後、うちのディレクターから
「オノさん、何気に戦闘モードじゃなかったですか?」と言われました。
「えっ? そう? 全然そんなつもりは...」
私には何の自覚もなく、感情的になったつもりもない。
答えを出していかないと前に進まないから、聞き出そうとしていただけ、、、
のつもりでした。
なのに、自分以外の人からそう見えたわけです。
白黒はっきりさせる聞き方がそういう印象を与えたのかもしれません。
ありゃ~ だとしたら、いかんな~ 反省、反省。。。


さて、今日のテーマは「メタ認知」です。
この言葉、聞いたことがある方も多いかもしれませんが、
もし、初めて聞いたなら、自分の成長にとって重要な概念なので、
私の話を鵜呑みにせず、ぜひググッてみてください。
専門用語的には、「自分が物事を認知している状態を、客観的に認知している状態」
のことだそうですが、平たく言えば、自分を客観視することです。
メタ認知力が高い人は、自己成長しやすいとも言われています。

たとえば、先ほどの例で、
私が「よし、攻撃してやろう」と思って、自覚的にそういう態度を取っていたなら、
その姿勢自体はいかがなものかと思いますが、
自分の意識を理解していて、メタ認知が利いているわけです。

また、自覚的には「攻撃しよう」と思っていないのに、攻撃的だったなら、
それはメタ認知が利いていない。
なので、先ほどの私の例は、メタ認知が利いていない例だと言えます。


ここでは、私自身のメタ認知が働かなかった例を紹介しましたが、
ことさらに、私は自分のメタ認知が劣っているとは思っていませんよ(笑
でも、一方で、自分のことは自分が一番知らない、とは思っています。
私だけではなく、誰しもです。
これは、個人だけでなく、法人もです。自社のことは一番わからない。
だからこそ、そのことに謙虚でいないといけない、と。


さて、、、
メタ認知の本質、この機会に私なりに考えてみました。
その答えは、端的にいうと「自分への客観視」なのですが、
じゃあ、客観視って何かというと、結局「観察」なのではないかなと思います。
この文脈でいうと、自分の発言、態度、表情、心の動き、脳の動きへの観察です。

これ、実は言うのは簡単で、実行するのは、とても難しい。
何を、どう観察したらいいのか、説明できるかと言われると自信がありません。
で、最近思うのは、「興味を持って意識的に見ること、感じること」なのかも、と。


そのヒントは、運動にありました。

筋トレのコーチから、運動メニューをこなしながら、聞かれます。
たとえば「今、お尻の筋肉を使えている感覚ありますか?」とか、
「自分の体に意識を向けてください」とか。
ゴルフのコーチからも、「こんなふうに体を使うイメージです。
これを脳に染み込ませられるといいんですが、感覚的にわかりますか?」とか。

人は、イメージできないことはやってもできないので、まずイメージし、
それを実行するときの自分の意識と動作がどうなっているかを観察する。
これが大切だから、コーチたちは、意識と動作が合うように指導します。

でも、良いコーチがついていないと、闇雲にがんばってしまう人もいるのでしょう。
野球で言えば、がむしゃらに1000回素振りするとか、
陸上で、本当は持久力が必要なのに、筋力トレーニングをがんばるとか。
もっといえば、何も考えず、意識もしないという人もいるかもしれません。


さて、私が筋トレのコーチやゴルフのコーチから意識について聞かれて、
どう感じるかというと、最初はこれがなかなかイメージもできないし、
あるべき通りに体を使えているのかというと、よくわからないのです。
「お尻? 使えているのかな? 何も感じない...」
「体の使い方? 全然イメージできない...」
最初は、これが本音。

でも、体に興味を持ち、意識を向けていくと、段々にわかっていきます。
どうわかるかというと、「こうすると、こうなるんだなー」と。
こういうイメージでこういう体の使い方をすると、めっちゃキツいとか、
なるほど、ボールがまっすぐ飛んだとか。
つまり、頭の意識と体の感覚を観察しているんですよね。


なので、メタ認知を上げるために役立ちそうなこと、
私が今日シェアしたいこととは...
自分を知るヒントは、自分の心の観察も重要なのだけれど、心はわかりにくいから、
まずは自分のカラダの反応を観察するのが「おすすめ」ということ。
会議で、汗をかいた、ムカついて動悸が激しくなった、声が震えた。。。
なんでもいいので、カラダの反応に意識を向けると、
自分の本心が何を感じていたのか、自分を客観視する手助けになります。
ま、これはあくまで私の気づきだから、万人受けはしないかもしれません。
悪しからず。


さ、2021年が終わろうとしています。
メルマガCAYもこれが今年最後です。
あなたの2022年が良い年でありますように!
今年もお付き合いいただき、ありがとうございました!

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来年の話をすると鬼が笑う、ということわざがあります。
将来のことはわからないのだから、
予測できない未来のことを言うと、鬼がバカにして笑う...という意味ですが、
実現できようが、できまいが、未来のことを考えるのは楽しいものです。
今年も1カ月を切り、誰もが来年のことを考えだす時期でもあるので、
進んで鬼を笑わせましょう!

仕事のことも、プライベートのこともあると思いますが、
インターナルコミュニケーションに携わっている方は、
この時期、来年もしくは来年度の計画を作っているかもしれません。
特に、最近は、WEBという媒体をもっと活用していこうという
大きな流れがあるので、戸惑いも多いかもしれません。
お困りのことがあれば、お気軽に質問をお寄せくださいね。

さて、社内広報の計画を立てる際にしばしば起きることで、
注意した方がいいことについて、
3つのポイントを紹介させてください。

  1. 達成課題だけでなく、解決課題も考える
  2. 達成課題は抽象的な表現より具体的表現に
  3. 解決課題は3つの領域からチェックする

具体的に見ていきましょう。

Point 1 達成課題だけでなく、解決課題も考える

第1は、《課題というものの捉え方》についてです。
課題を言語化する際に、達成したいことを書くケースが多いようですが、
解決したいことも言語化した方がいいと思います。
達成したいことというのは、「こうありたい」という理想の状況の表現です。
解決したいことというのは、「それなのに、現状はこうである」という
現実の状況の表現です。

「こうありたい」に「原因」はありませんが、
「それなのに、現状はこうである」を明らかにすると、
今度はその「原因」は何なのかと考えを進めることができます。
原因を捉えることができれば、解決策(コンテンツ)が考えやすくなります。


Point 2 達成課題は抽象的な表現より具体的表現に

第2は、《達成したい課題の言語表現》についてです。
往々にして、「グループ間シナジーを生み出す」とか、
「会社の目指す方向性に共感を生み出す」など、抽象的な表現をしがちです。
それ自体が悪いわけではありませんが、
「シナジー」や「共感」が生まれた状態とはどんな状態なのかを明らかにしないと、
達成できたのかどうか評価できません。
つまり、社員の日常の行動がイメージできるような表現にすることが、
言語化する際のポイントです。


Point 3 解決課題は3つの領域からチェックする

第3は、《解決したい課題の発見のヒント》についてです。
組織の課題にはパターンがあり、課題発見の方法もいくつかあります。
ここでは、「方向性」「関係性」「アイデンティティ」という観点で
課題を発見するヒントを紹介します。

まず「方向性」に関する課題から見てみましょう。
現在の社内は、自社が目指す方向性について、
理解されていない/共感されていない/自分ごとになっていない...
というような状況になっていないでしょうか。

次に「関係性」に関する課題とは、部門間の横の関係、経営層と社員の関係、
部門内の上下関係や仲間との関係、グループ間の関係などに
何かしらの問題がある...という場合です。
縦割りで風通しが悪い、協力しあう雰囲気にない、
信頼関係がないといった状況にある場合は、関係性に問題があるからです。

最後の「アイデンティティ」に関する課題とはどんなものでしょうか。
これは、自分の業務の役割や仕事の価値に対する肯定感が低かったり、
組織の存在価値や強みに希望がない・否定的である...といった状況にある場合です。

どの領域の課題も相互に関わっていて、
組織全体のモチベーションやエンゲージメントとも密接につながっています。
こうした視点で自社を眺めることで、
解決すべき課題を発見しやすくなるのではないでしょうか。


以上3つのポイント、参考になれば幸いです。
私自身は、鬼を笑わせようとけしかけるようなことを書きながら、
計画性があるほうとは言えません(泣)
鬼を笑わせられるように、がんばります!

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先日のNHKクローズアップ現代で、いじめ問題を取り上げていました。
少女は自殺してしまったのに、学校も市の教育委員会も、
いじめがあったことをなかなか認めません。
あまりの腐り方に、怒りが湧いてたまりませんでしたが、
でも、これは日本社会の写し鏡なのかもしれません。


話は飛びますが、田村由美さんの人気コミック「ミステリと言う勿れ」、
私は大好きなのですが、超インテリの主人公「久能整(くのうととのう)」君が、
毎回「僕は常々思ってるんですが...」という言い回しで、
とつとつと持論を語るシーンがあります。

で、ある回でいじめについてこんなことを言うんですね。

~ 僕は常々思ってるんですが...

どうして
いじめられてる方が
逃げなきゃならないんでしょう?

欧米の一部では
いじめてる方を
病んでると判断するそうです

いじめなきゃいられないほど
病んでいる

だから
隔離してカウンセリングを
受けさせて
癒すべきと考える

日本では逆です

いじめられてる子を
なんとかケアしよう
カウンセリングを受けさせよう ~

ね、いいこと言うんですよ、彼!

日本の教育関係者が、いじめている側に目を向けないのは、
NHKクローズアップ現代で取り上げられた学校側の言い分もそうでしたが、
「いじめている子どもにも未来がある」という理屈です。
彼らの未来を台無しにできない、と。
でも、それは言葉の綾であって、誰が聞いてもただの保身。


で、私は常々思ってるんですが...笑

結局、是と非を曖昧にしてきたツケが
日本社会のいろんなところに出ているんじゃないかな、と。

いろいろな場で、大人が、是は是、非は非という態度を取らず、
事を荒立てないことを第一に考えて行動するから、
いじめもなくならない。
コロナも説明されず総括もされない。

大人の代表には、政治家や教育関係者、マスコミがいますが、
彼らが悪いと叫ぶのは簡単で、私たち国民の写し鏡なのだと思います。


日本人が物事を曖昧にする傾向は、いつ頃から始まったのか考えてみたのですが、
正解がわかりません。
ただ、ふと白洲次郎が書いた「プリンシプルのない日本」という
本のタイトルが思い出されました。
ということは、少なくてもGHQと交渉していた時代に、
すでに自分の主義を表明しようとしない国民性であったのかもしれません。

当時のエピソードとして、
サンフランシスコ講和会議に出向いた吉田茂のスピーチ原稿に、
白洲次郎が激怒し、書き直させた話は有名です。Wikiペディアには、

~ 受諾演説の原稿を外務省の役人がGHQの了解を得た上で
GHQに対する美辞麗句を並べかつ英語で書いたことに白洲が激怒
「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、
相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝、急遽日本語に書き直した。~

とあります。
「プリンシプルのない日本」の中で、白洲次郎は、
「他力本願」「八方美人」「イエスマン」などの言葉で日本を憂いています。
あのカッコいいおじさんに言われると、耳が痛いですね。

でも、最近の日本はプリンシプルを重んじる方向に向かっているのかも?
なぜかといえば、先日の衆議院選挙で、「是々非々」を打ち出した
日本維新の会と国民民主党が躍進しましたからね。

いや、まずは他力本願にならず、私たち自身が
仕事でもプライベートでも、是と非を明確にしたいものです。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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