ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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昨日、届いたコンサル向けメルマガで「謙虚という罠」という
タイトルを目にしました。
謙虚さというのは、心の中の問題ではなく、
態度の問題だというのがその内容でしたが、
内容よりもタイトルにインスパイアされて、今日のこのメルマガを書いています。

私も含め、多くの人は「謙虚」は美徳だと思っています。
今の自分に奢ることなく、控えめでいる、素直に学ぼうとする、
偉そうに振る舞わない...。
美徳であり、善であることに間違いありません。

でも、「謙虚という罠」という文字を読んで、
どんな罠があるのか考えてみました。

謙虚は善だという価値観を持っていると、
聞かれてもいないのに、自分の考えを述べるのはでしゃばりに思える、
誉められても、「いえいえ、滅相もない」と応えたくなる、
自分が悪いわけではなくても、謝ってしまう...。
こんなことが起きたなら、それは確かに「謙虚という罠だな」と思いました。

そして、そう考えてみると、一般に美徳であったり、善とされる概念は、
捉われすぎて歪んでくると、善ではなくなりますね。たとえば...

「協調性」が度を越すと → 主体性がなくなる
「真面目」が度を越すと → 融通がきかなくなる
「責任感」が度を越すと → ルール偏重になる 等

ちなみに、今年9月に映画化される辻村深月による恋愛小説『傲慢と善良』。
私自身は読んでいませんが、代官山蔦屋書店コンシェルジュである
間室道子さんはブログで「傲慢と善良は表裏一体」だとして、
主人公の真美について次のように書いています。

ーーー
なぜなら、どちらも根底にあるのは「未熟」と「無知」だからだ。
たとえば厳格な母親にひたすら「いい子」に育てられた真実は
新卒採用の面接で「この会社は第一志望ではありません」と答えた。
嘘がつけない彼女は善良。
しかしこんなことを言われた相手はどう思うかまったく想像しないのは傲慢。
就職試験でこうなのだから、真実のさまざまはうまくいかない。
ーーー



善 VS 悪
もちろん善であるべきなのはその通りなのですが、
人は自分が絶対視していることに対し、疑問を抱かなくなるところが罠です。


「協調性」が「善」という考え方も、日本人のかなり多くが持っていますよね。
その結果、会議では(たとえ疑問があっても)大勢のムードに同調しようとします。
これが、災害時などに作用して、判断を間違えると、
大変なことになったりする場合もありますから、気をつけたいものです。


人が善だと思っていることは、その人にとっては「その人らしさ」でもあります。
自分らしいことを選んでいる方が、誰にとっても心地よい。
けれど、自分が絶対視していることに縛られすぎないようにするためには、
もしかしたら「自分らしくない」と思い込んでいることの方へ、
気持ちをストレッチしてみるのもいいかもしれません。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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