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『組織・経営・リーダー論』カテゴリの記事

 

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「働き方改革」。。。
みんなどう思っているのかな?
最近、お客様との間でよく上るキーワード、
それが「働き方改革」です。
経営的には、残業が減らない、生産性が上がらない、
有給取得が進まない等が問題視されていますが、
そうだとしたら、なんだか後ろ向きな印象しかありません。


では、働く人たちはどう思っているのでしょうか?
ここからは、あくまで想像です。


国が言っているから、うちの会社もやらないわけにいかない、
ということなんだろうな...とか。
残業代をカットしたいだけなんじゃないの...とか。
生産性を上げるというのは、企業の論理なんじゃないの...とか。
会社は時流として取り組んでいるだけで、本気ではないんじゃないの...とか。
なんで、今のままではダメなの? 自分はこのままで問題ないと思う...とか。
なんか、絵に描いたモチに見えるなぁ...とか。
働き方を縛らないで、好きなように働かせてくれよ...とか。
もう十分努力しているし、これ以上生産性上げるなんてムリ...とか。
仕事を減らしてもらわない限り、できるわけないじゃないか...とか。


「働き方改革」を巡っては、百人百色の思いがきっとあることでしょうね。


だけど、案外ちゃんと説明も受けていないし、
そこまで真剣に考えたことはない...という人が多いような気もします。


私自身はネットで情報を集めて、働き方改革を理解しようとしていますが、
その結果感じるのは、どうも説明の仕方に魅力がないな、ということです。


ーーーーー
日本は人口減少が進んでいて、深刻な労働人口不足という問題がある。
だから、多様な人々が、多様かつ生産的な働き方ができるようにすることで
労働力不足を補う必要があり、
そのためには、長時間労働の是正、非正規雇用の格差是正、多様な働き方の実現を
推進しなくてはならない。
目指すは、一億総活躍社会である。
ーーーーー


ちょっと乱暴ですが、ざっとこんな文脈の説明が多いようです。
国の説明がそうなっているから、自ずとそれが広まっているのでしょうね。


この説明、別に悪い内容とは言えません。
実際「65歳を超えても働きたい」人は6割以上に上るそうなので、
多様な人が働ける社会を目指すというのは良いことです。


でも、なぜでしょう?
労働人口不足への対処という説明だからなのか、
ハッピーな結果につながるという印象に乏しいのですよね。
そう、どんな説明でも、「対処」という説明をして、
人をワクワクさせることは不可能です。
未来志向でないからです。


私が希望する説明は、
これは、個人、企業、日本の成長戦略だ、というような説明です。
ーーーーー
個人が、作業的なことに忙殺され、疲れてエネルギーがない状況にあっては、
個人はハッピーではなく、人として成長もできない。
当然、個性も発揮されず、創造的なことにも取り組めない。
すると、企業も国も成長できない。
だから、個人が成長でき、創造性を発揮でき、
働きがいや幸福を感じられる社会に変えていくことが必要で、
それが働き方改革だ...。
ーーーーー
こんな感じの説明です。


実際、「創造的な社会への転換」が、働き方改革の重要なテーマなのだと
私は思うのですが、あなたはどう思いますか?


今週も素敵な1週間でありますように。

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最近ドラムを始めたことは、このブログでも紹介しましたが、
実はもう一つこの週末から始めたことがあります。
それは、2度の挫折を経て今回が3度目になるゴルフ。もちろんまずは練習から。
土曜日はゴルフレッスン、日曜日はドラムレッスンと、練習三昧の週末でした(笑


昔は、練習があまり好きではなかったような気がします。
でも、最近は楽しくて楽しくて。
これ、多分大人の特権ですね。
大人になると、自分のできない状態や、そこからできるようになるプロセスを
客観的に理解することができます。
子どもの頃や若い頃は、自分の状態を客観視しようと思っても、
「できた」「できなかった」の2種類しかないので、あまり楽しくない。
でも、大人になると、もう少し細かく自分を観察し、理解できるため、
その分、ちょっとだけ上手くできるようになっただけでも、
それに気づいて、「やった〜!」と浸れるわけです。
それはもう楽しい以外の何者でもありません。
自分を客観視できるようになるってことは、そんな楽しさに繋がるわけで、
いいなーと思います。
あ、大人になるとって書きましたが、
年齢が上がればできるようになるという単純な話ではなく、
ぶっちゃけ普段から自己観察してない人はムリかもです。
そのぐらい自己観察って重要だと思います。


さて、ゴルフレッスンとドラムレッスンを連続して受けてみて、
なぜか偶然にも同じような指導がありました。
それは、グリップの大切さについてでした。
ゴルフの先生が、「グリップとアドレスで7割が決まる」と言ったその翌日、
ドラムの先生が、「最初の数回はまずは楽しんでもらうことを優先したかったので、
言いませんでしたが、スティックの握り方と座り方が実はとても重要です」と。
で、クラブの握り方とスティックの握り方はとても似ていました。
自然に逆らわず、力を入れ過ぎず...とでもいうのでしょうか。


うーむ。
このメッセージを連続して聞いた私は、
何かここから物事の本質を学べと言われたような感覚に落ち入りました。
まず、単純に言えば「構え」が大事ってことですよね。
けれど、そりゃスポーツは何でもそうだろうさ。
これを仕事に置き換えて考えたくなっちゃうのが、私のクセです。


スポーツで「構え」が大事なのは、それをおろそかにすると、
最大のパフォーマンスが発揮できないからです。
では、仕事で「これをおろそかにするとパフォーマンスが発揮できない」となるものは何か?


ここまで考えて気づきました。
これは人それぞれであり、会社によっても違うなと。
そもそもパフォーマンスの定義が人によって、企業によって違うからです。
パフォーマンスを売り上げで考える企業、
見込み客を含めた顧客数で考える企業、
顧客満足度で考える企業、
各種KPIの達成率で考える企業など、まちまちです。


たとえば、当社。売り上げなどの数字よりも、信頼関係や満足度を重んじています。
信頼され、満足していただけたら、大抵数字はついてくると考えているからです。
その信頼関係のバロメータの一つは、相談の量と質です。
相談されることが少なく、ルーティーンで仕事をしてしまうと、
信頼や満足が生まれているとは考えにくいわけです。


では、信頼されたいとして、信頼される存在であるためには何を重んじるべきか。
ここからが、今回、話の入り口にあった「構え」と近い話になります。
この判断も各社各様でしょうね。
当社の「構え」は、次の2つです。
・お客様にとって、本当に必要なことは何かという観点から、
 お客様の思いとは違う意見でも言う。
・とはいえ、正論に終始するのではなく、お客様の状況に寄り添う姿勢を忘れない。
つまり意見を述べても、柔軟性を持って対応するということです。
もう一つ、ドラムとゴルフの握り方(自然に逆らわず、力を入れない)に通じる話でいえば、
自然体のコミュニケーションというのも信頼につながるかもしれません。
要は、カッコつけずに自分らしくいるということ。
それも、私は信頼と関係しているように思います。


ところが、もしかしたらある会社では、お客様の思いを叶えることこそ
信頼を得るには不可欠だと思っていたら、意見は言わないでしょうね。


あなたの仕事で「パフォーマンス」を上げるとは何を果たすことですか?
「グリップ」と同等に重要な基本の構えは何ですか?
人生の「グリップ」は何ですか?


台風の影響が気になります。
皆様のご無事を祈りつつ、今週が良い1週間でありますように!

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部下の才能を伸ばしたり、スキルが身につくように支援したり、
人として成長できるようにサポートしたり...。
リーダーの多くは、日々、そういった役割と向き合っているのではないでしょうか。
私も、部下の成長に日々関心を持ち、人を育てる自分のスキルと向き合っています。

私が目下、関心があるのは、人の成長は何によるのか、です。
最初にグーっと伸びて、そこからの成長はなだらかになる人もいれば、
しばらくは低空飛行だったのに、ある時急激に成長する人もいます。
さらに、何歳になっても、着実に日々成長を続ける人もいます。
とても不思議。
私自身、たとえ何歳になっても成長できる人でいられたらな...と思うので、
とても関心のあるテーマです。

先日も、ある人とのメールでの対話でこんな話が出ました。
その人は「『素直さ』と「『伸びたいという熱意』に加えて、
最近は『メタ認知』が重要だと思う」という意見でした。
ある意味、私も同意見です。

ですが、今日は、それとは違う切り口で、
つまり「インプットとアウトプット」というテーマで人の成長について考えます。
あまり論理的意見とは言えませんが、ただ自分の体験や部下の成長を見守る中で、
成長が進む場合の共通点はあるなー、と思ったことをまとめました。


まず、なんだかんだ言っても、アウトプットなくして、成長はありませんよね。
「え?」と思った方もいるかもしれませんが、
私は、人が自分の成長を感じる一つのパターンに、
過去のアウトプットと今のアウトプットを比較して進歩が感じられる時があると思います。


しかも、良いアウトプットは、インプットなくしてできません。
ところが、意外とそこに自覚的である人が少ない気がします。
というか、頭ではわかっていても、こんなふうに思ってしまうのかもしれません。
 インプットって面倒。時間もかかるし、なるべくなら端折りたい。
 インプットしないで、なんとか済ませたい...。
そんな悪魔の囁き、私も聞くことがあります(笑)
でも、、、そう考えてしまったら、まずもって成長機会を逃します。
成長=アウトプットのレベルを上げる=インプットのレベルを上げる、だからです。
友人を含め、成長している人を見ているとインプットを怠っていません。
インプット&共有を個人の成長の糧にも、
ビジネスの成長の糧にもしている。そんな人はみんな元気がいいです。


しかも、人は「インプットせねば」という気持ちでインプットしても、
結局は意識の中に定着しません。
だから興味を持ってインプットすることが重要ですよね。
で、興味が持てるかどうかは使命感とか、仕事の意義の理解とか、
そういうことと関係してきます。


また、本当は興味があるのに、知識欲に従って行動することをセーブしてしまう人もいます。
そんなことに時間を使っていたら、やるべきことができなくなりそうで大変だ...
そんな強迫観念があるからでしょう。
でも、「興味」というのは一種のエネルギーですから、
自分が思う以上に力が湧いて、案外なんとかなるものです。
「興味を満たしながら、やるべきこともする」は
その気になればできるものだと私は思いますが、どう思いますか?
そんなわけで、興味を持ってインプットする。
それが、自分を成長させる1つの大きなポイントだと思います。


さて、、、、
興味を持ってインプットすることが重要と分かっていても、
なかなかできない...。これ、よくあることです。
私がオススメしたいのは、アウトプットの場を先に決めてしまうことです。
プレゼンでも、twitterでもメルマガでも、何でもいいので、
発信する場を決め、やるぞと決意すること。
たとえば、私の場合、新しいセミナーを作りたい時に、
コンテンツ(スライド等)を作ってからリリースしようと思っていると、
まず進みません。
先に、日程と会場を押さえて、ここで出すと決めると、なぜか前に進みます。
必然的にインプットが必要になり、
その結果、そのインプットを得たアウトプットをすることになります。


インプットし続けて、アウトプットにつなげる。
それが、成長のキーなのかな。。。そんなことを感じる今日この頃です。
あなたは、成長にとって何が必要だと思いますか?
9月第1週です。今週も素敵な1週間をお過ごしください。

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あなたは本腰を入れてスポーツをしたこと、ありますか?
別に学生時代の部活動などに限らず、たとえばゴルフでもいいです。
うまくなるために真剣に取り組んだ体験、ありますか?


この週末に父と話していたら、
「お前さん、学生の時はどんなスポーツをやったんだっけ?」と聞かれました。
(家族を呼びかける時、なぜか父は「お前さん」です笑)
私が学生時代に「ハンドボール」をやっていたことは既に何度も話しているのですが、
もう一度、何人で行う、どんなスポーツなのか、厭わずに話したところ、
「結構、頭を使いそうなスポーツだな」と一言。
そこで、すかさず私が言い返した言葉は、


「頭を使わないスポーツなんてない」(キッパリ!)でした。


本当にそうです。
スポーツで勝つためには、頭を使わないなんてありえません。
でも、いまだに「スポーツ」=「がむしゃらに汗をかく体育会的な世界」。
そんなイメージが世の中には残っているような気がします。
実際に、いまだにそういう昔ながらの「がむしゃら型」の、
もっといえば「パワハラ型」のスポーツコミュニティが
まだまだたくさんあるのでしょうね。くわばらくわばら。。。


スポーツに本腰を入れたことのない人に知っていただきたいのは、
スポーツほど知性が問われるものはない、ということです。
私が本気でスポーツをしていたのは、もう何十年も前のことですが、
そんな昔でさえ、私の周囲には「知性」で勝つという意識が
当たり前のようにありました。
まあ、練習量の多い「がむしゃら型」には、「知性」というアプローチで
勝つしかないと考えられていたのかもしれません。


では「知性」で勝とうとするって、実際にどういうことでしょうか?
単純に「やってみる」「考える」を繰り返すということです。
何を考えるかというと、なぜうまくいかなかったか、どうすればうまくいくか。
当然話し合いも必要になります。


私が取り組んでいた「ハンドボール」はチームプレーなので、
考えるべきことは、自分のプレーとチームプレーの両方になります。
けれど、当時の自分が頭の中で考えていた内容を振り返って見ると、
その比率は自分8:チーム2だったような気がします。
それだけ、まず自分がうまくなりたいという思いが強かったのでしょうが、
もし、今、私がキャプテンであるなら、
チームと個人の両面から考えることをメンバーに促すと思います。


あら! 前置きのつもりが、とても長くなってしまいました!


今日の本題です。
そんなことから、ふと思ったこと。。。それは、新しい仕事に就いたなら、
スポーツトレーニングの感覚で、仕事をマスターしたらいいのではないか...
ということでした。


スポーツトレーニングでは、こんなPDCAが大切です。
・理想の形を描いた上で、そのために何が必要で、
・それに対し、自分が今、何ができて、何ができていないのかをはっきりさせて、
・できない原因も仮説を立てて、明らかにし、
・それを修正するための練習をする。
・練習とチェックを重ねて、少しづつ修正をかけていくわけです。


まさにPDCAです。
だから、本当はこのアプローチはあらゆる世界で人の成長を促すのに有効なはずで、
もちろん仕事でも生かせるはずですが、残念ながらそうなっていませんね。


育てる側にもいろいろ原因はあると思いますが、
どんなに育てる方法を改善したとしても、絶対にどうにもならないことがあります。
それは、選手自身の意識、つまり私たち個人個人の意識です。
自分ができないことを直視する気持ちがあるか?
(本当は、できないことというのは、伸びしろなんですけどねー)
本当に金メダルを取りたいと思っているか?
(仕事の場合、人との競争よりも、昨日の自分を超えることだと思いますが)
第三者からのフィードバックを真剣に聞く気があるか?
(聞く耳が作れていないと、フィードバックは意味をなしません)


先週、スポーツクライミングの世界選手権において日本代表を決定づけた
楢﨑智亜選手は、なにかのインタビューでこんなことを話していました。
「これまでは、日本で一番なんだから、世界で一番でなくても、
ま、いいかという気持ちがどこかにあった」


楢﨑智亜選手をメンタル面でサポートするスポーツメンタルコーチの東篤志さんは、
「やはり『〜しなきゃ』ではなく『〜したい』という状態になることが大切です。
『登らなきゃ』『勝たなきゃ』『代表権を取らなきゃ』という状態になると
メンタル的に追い込まれてしまいます。」と語ります。
https://climbing-au.jp/post000124.html)。


そんな東さんがコーチングで最初に行うのは「自分会議」という名の自分との対話。
具体的には「価値観」「感情」「潜在意識」を3つのステップで表に引き出すそうです。
東さんの言う3つのステップとは:
1)「今、何が起きている?」を俯瞰目線で感じよう
2)「本当はどうなりたい?」という理想の未来を感じよう
3)「今、どんな心で何をする?」。未来の自分から今の自分にアドバイス


この3つのステップは、多分やる気スイッチを探るプロセスなんだろうなと、
この記事を読みながら思いました。


あれ? 話が広がり過ぎてしまったかもしれません (^^;)
ここまで書きながら思うことは、
私たちの中に「仕事でもっと成長したい」という気持ちがある時、
スポーツトレーニングの発想でやってみるのは有効かもしれない、、ということ。
さらに、やる気スイッチがどこにあるのかを考えたいなら、
東さんの問いを自問してみるのもいいかもしれませんね。


さて、、、8月最後の週になってしましました。
夏を思う存分楽しんだら、2019年の総括に入る時期ですね。
焦らずに、一歩。そんな気持ちを大切にしたい季節です。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

オリンピックのチケット、あなたは申し込みましたか?
私は、当初、申し込むのを忘れていて、
最初の締め切りだった5月28日23時59分を過ぎてしまい、
締め切りが29日午前11時59分まで延長されたからこそ、
申し込みができ、なおかつ当選することができました!!


当選したのは、「女子サッカー」ばかり、なんと3日間!
・7/28 1次ラウンド
・7/31 準々決勝
・8/03 準決勝
周りからは「3つも当たったの?」と驚かれ、
妹からは「もう一生分の運を使い切っちゃったね」と言われました。


確かに当たらないだろうなと思って、開会式、パラリンピック、テニス、、、
ざと20万円分ぐらい申し込みました。
でも、同じように20万円ぐらい購入しても、全ハズレの人はいたようなので、
やっぱり「一生分の運」で当ててしまったのかもしれません。
結果としては、3種6枚のチケットで36,000円。
「女子サッカー祭り」になりました!


さて、、、
私は、当選したら誰と行くかを決めずに申し込んだわけですが、
今回のオリンピック、ダフ屋排除という目的からでしょうか、
購入手続きをする際に、行く相手の名前を入力させられます。(途中変更は可能)
ですので購入手続きで、私も誰と行くのかを検討し調整しました。


誰を誘うかを考えるにあたって、
私は「熱量の高い人」と行きたいと思い、それを基準にお誘いした感じです。
なぜかというと、熱の低い人と行くより、高い人と行く方が、
思う存分楽しめそうな気がするからです。
で、熱量の高い人を探し求めていくと、
結局は発信とリンクしているのだと感じました。
「発信=熱量」。今日はそれをお伝えしたくて書いています。


「当たったんだけど、行かない?」。
女子サッカー準決勝について、最初に誘った相手は、
当社で一緒にメルマガを書いている阿部貢己です。
彼女は、大のサッカー好き。
なので、熱量の高さから迷わずに誘いました。
しかし、もし彼女が職場でそんな個人的な話は言わない方がいい、
と思っていて、サッカーファンと表明していなければ、
誘いようがありません。
でも、自分の興味を他者に発していると、
やっぱり、その文脈での存在感は高まりますよね。


次に、お誘いしたのは、
facebookでの私の「当たった!」という書き込みを見て、
「羨ましすぎるー 私は全滅でした。」というコメントをくれた
小学校の同級生と、
「私、お供しまーす!」と書いてくれた20年来の友人。
私から見ると、それらの反応から、熱の高さを感じ取りました。
自らチケットを申し込んで、はずれて残念がっているほど行きたかった人、
ダメ元を承知で一緒に行きたいという意思表示をしてきた人、、、
二人とも普段、そんなに発信していない人です。
なのに、コメントがあっただけに、熱を感じました。


今回、チケット当選から人の「熱量」について考えさせられたのですが、
意外と熱を出さない人(出さないのか、ないのかはわかりませんが)が、
多いような気がします。
別に出したくないなら、出す必要もないのですが、、、


ですが、先日、あるセミナーでこういう話をしました。
それは社内広報を担う方たちが集まったセミナーだったのですが、
多くの人に共通する悩みが「なかなか取材を受けてもらえない」とか
「なかなか情報提供で協力してもらえない」というものでした。


そのとき私が尋ねたことは、
「もしかして、遠慮しいしい、お願いしていませんか?」でした。
お願いする際に、
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんが」とか言ってませんか、と。
というのは、協力を得られない人は、そんなアプローチをしている気がしたのです。
いえ、忙しい相手を立てること自体は正しいのですが、
「遠慮している人」というのは、相手から見ると熱量が低く見えます。
相手は、遠慮しているなと思った時点で、
あまり面白いことに巻き込まれているとは思わず、
むしろ規定演技を義務的にすることが求められていると感じます。
その時点で断りたくなる。。。相手の気持ちを想像するとわかりますよね。


でも!
仮にその話が「おもしろそうな話」に思えたとしたらどうでしょう?
あるいは、「とても有意義なこと」と思えたとしたらどうでしょう?
誇りを持って参加したくなりますよね。


頼みにくく、遠慮が働く気持ちはわかります。
でも、相手はむしろ「いかに重要なことか」を
聞かせてほしいと思っているかもしれませんよ。
だから、まずは自分がその意義を語れる熱量を持っているか、ですかね。
アツけりゃいいというわけではありませんが、
自分が持っている本当の「熱量」と依頼などの振る舞い方での「熱量」、
比較してみると客観視できるかもしれませんね。


素敵な1週間を!

なんと3ヶ月ぶりぐらいに休みらしい週末でした。
友だちが遊びにきたり、ドラマや映画を観てダラダラと家で過ごしました笑


観た映画は2018年公開の
『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』です。
簡単にあらすじを紹介しますと(つまり、ネタバレ気味で書きますよ)、
ヒットラー率いるドイツがヨーロッパ各国に侵攻していた時代、
政権交代したばかりのチャーチルに刻一刻とたくさんの重い決断が迫られます。


ヒットラーとの和平交渉に臨むべきだという意見と、
取引はしない、断固戦うべきだという意見が対立する中、
チャーチルは断じてイギリスは屈してはならないと主張しますが、
意見は平行線のまま対立状況が続きます。
不利な形勢の中で戦いを続けても無駄な命が失われるだけだという主張は
一見すると理にかなっている感じがしますが、
和平交渉は事実上の屈服である、
自分たちの尊厳を守らなければならないという意見もあるわけで。


私も映画を観ながら、いや、やっぱり生きてこそなんぼでしょ、という心の声と、
やっぱり屈してはダメでしょ、という心の声が戦いながら観てしまいました。
どっちもイヤだけど、人権って大事ですからね、
血を流しあうことはイヤだけど、なにしろ相手はヒットラー。
うーん、究極の問いですなー


さて、でも1番の感想はそこではありませんでした。


歴史に名を残したチャーチル、「言葉の力で世界を救った」「言葉の魔術師」
「信念&伝える力のある人物」と表されているんですね。
言葉の会社を経営している私としては、興味を持たずにはいられません。


チャーチルは、連立内閣には反対派が大勢いるにも関わらず、
「イギリスはナチスに屈しない」という演説によって
イギリス議会、イギリス国民の気持ちを一つにします。
ヒットラーに首を垂れ、懇願する...それはありえないだろ!ということを
わかりやすく、心を動かす言葉で主張し、
結果的に他国のようにヒトラーによる侵攻されることなく、イギリスを守りました。


失われたたくさんの命もありますし、
実際にどう判断することが正しかったのかは誰にもわかりませんが、
チャーチルは今でもイギリスで歴史的な英雄であるようです。
国内での形勢が悪かったにも関わらず、言葉の力で大逆転したすごい例ですね。


私が、言葉のスゴさを痛感した日本の政治家といえば、
やっぱり小泉さんでしょうか。郵政解散演説。
あれも形勢逆転劇。スゴかったですね。


ほかにも、人心をつかんだスピーチ例って多々あります。
キング牧師、オバマ大統領、
ゴールデングローブ賞でスピーチしたオプラ・ウィンフリー、
小室淑恵さんの長時間労働をやめるためのTEDでのスピーチなどなど。
例を挙げればきりがないほど、国内外に素晴らしいスピーチがありますね。


さて、、、、
私はもちろん言葉の力を信じている人間です。


でも、、、、
「何を」発言したかも重要ではありますが、
「誰が」発言したかも重要な時代だと、とそんな気がします。
あ、いや、チャーチルがある意味では嫌われ者だったことも承知しています。
でも、人物としてはきっと何かを持っていたのでしょうね。


どんなにいいことを言っても、信頼の基盤がないと共感されませんよね。
信頼の基盤というのは、その発言者のブレない生き方だったり、
その発言者のブレたならブレたなりのそこから逃げない姿勢だったり、
チャーチルは多分逃げない人だったんではないかな。
そんなふうに思います。


そもそも自分を出さない人は、信頼したくてもできませんから。
(信頼しないわけではなくても、信頼できようがない)
だから、「会社では自分を出さない方がいい」なんて思っていると、
とんでもないしっぺ返しが返ってきたりします。
私は、自分を出すのはリスクだという考え方、違うんじゃないかなーと思います。
だって、自分を出さないと、本当のところでは信頼されませんからね。


もうすぐ桜が咲きますね!
今週も素敵な1週間を〜

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1月21日の配信以降、久しぶりの投稿になります。
目下、採用活動などがあり、私自身が多忙を極めていて。。。。←言い訳ですね〜
もし、当社にご興味のありそうな方がいたら、情報を拡散してくださいね!


さて、はやぶさ2、やってくれましたね!
私は、この手のニュースは大好きで、ニュースを見ながら、泣いちゃったり。
特にJAXAメンバーの喜びの姿を見ると、、、感情移入してしまいます。
画像:http://www.jaxa.jp


JAXAのコメントの中で、私が印象深かったのは「チームワーク」という言葉です。
津田雄一プロジェクトマネージャは
「『はやぶさ2』のチーム力を強調したい。
我々は仲良しというより、お互いに磨きあったり、
たたき合ったりして成長していくという形を取ってきた。
だからこそ、今回の着陸を実現できたと思っている」と話しました。
(NHK NEWS WEB 2/22)


お、これは学習する組織を言っている。私はそう感じました。
仲良しチームでは一流のチームにはなれないですからね。

さて、仕事柄か、チームワークとは何だろうと考えてみました。
一般的には、チームとグループの違いというような観点から
チームを定義しグループと区別しますが、でも、名刺交換すると
「〜グループ」「〜グループリーダー」という立場にある方も多いので、
チームとグループという名称によって
大きく意味が変わるわけではないというように私は眺めています。


ある時、ある企業の幹部会議でファシリテーションをしたことがあります。
その時にメンバーの多くから出たのが「当社の強みはチームワークである」でした。
ところが「チームワーク」の定義を確認し合ったら、各自各様でした。
協調、結束、方向感の一致、各自が責任を果たすこと、etc...


一般にはどう受け止められているのかと思って、
ネットで調べてみたところ、まず概ね共通する定義は、
------------------------------
集団に属するメンバーが、お互いの弱点を補完して、強みを高め合うことで
組織としてのパワーを生み出し、組織の目標を達成すること...というもの。
------------------------------


ふむふむ。。。。でも、まだわかったような、わからないような感じ。
そこで、今度は私なりに考えてみました。
私が考えたポイントは、
チーム力というのは構成員の個々の力と
構成員の間に築かれる力から成っている、という点です。
両方を高めないとチーム力は高まりません。


まずは、私が考えたチームワークとは、
------------------------------
各自が100%の力を発揮し、チームとして個人の総和以上の力を発揮するために、
組織としての学習をシステマティックに行うこと
------------------------------
...としてみました。敢えて手段として考えてみたのです。
なぜなら、個人も組織も学習が大事だからです!


で、まず力のイメージ。最初に構成員の力と組織の力を分けてイメージすると...
たとえば、構成員の力だけで考えると、一人が20の力を持っていて、
5人構成員がいたとします。
構成員の力の総和は、20×5=100です。
関係の力(チームの力)はどうなるかというと、
チーム力が高い場合、構成員の20の力をベースに、
メンバー同士の間で関係を築き、
20の力のAさんと20の力のBさんの間で30の力が出るとします。
そうすると、関係の数は5×4÷2=10通り。
それぞれの関係で30の力が出るとなると、30×10=300になります。

190225_team.png

これは、構成員の間に築かれる関係の力を30とした場合の例ですが、
各人が20の力を出していることがその前提になります。
私が上の定義で、「各自が100%の力を発揮し、」としたのは、
お互いが自分の力の100%出し切っているからこそ、
信頼関係が生まれると思うからです。
仮に、あなたはもっとできるのに100%力を出していない...
と思う関係であったらどうなるでしょうか?
本来20出せる個人の力が15だったら?
メンバー間の信頼が損なわれ、関係の力は10になってしまうでしょう。
構成員の力の総和で   15×5=75
メンバー間の力の総和で 10×10=100
ちょっと乱暴なたとえかもしれませんが、そんなカラクリではないかと思います。


だから、チームワークを発揮するには、
まず各自が100%の力を出そうとすることが絶対条件ですね。

そのうえで、学習するための組織の理想はこんな感じです。
各自が
・自分を成長させたいという強い意志を持ち、
・ボス?(育成役)と成長課題を共有し、
・課題から逃げずに立ち向かえたなら100%自分を出し切ったとし、
・自分でPDCAを回しながら、
・フィードバックを受けて、さらに次の課題に向かっていく
組織として
・誰もがヘルプが必要な時にそれを言える組織であり、
・チームとして問題を直視し、課題化し、実行時の弊害をクリアすることを目指し、
・組織でPDCAを回し、オープンな対話を通じて、組織として学習する

難易度高いな。ウチもまだまだやな。。。でも理想、大事ですね!

今週も素敵な1週間をお過ごしください!

あなたはフィードバックされること、好きですか? 嫌いですか?

先日、ある会社の方とフィードバックを切り口に部下指導が話題になりました。
その方曰く、「フィードバックしやすい人と、しにくい人がいる。
しにくい人というのは、最初からバリヤーを張っていて、
フィードバックを歓迎していないことがすぐにわかる。
でも、本人はそういうオーラを自分が出していることに気づいていない」
そんな話でした。
要するに、プライドが高い人へのフィードバックは難しい、という話です。

私も、過去30年以上、部下を見ていて、
フィードバックを歓迎しない部下は一定割合いるので
(というか、多くの人はフィードバックに困惑気味...と思っているので)、
この話を聞いて、そうだろうなと思いました。

で、フィードバックの種類にもいろいろありますよね。
長期的な課題を伝えることもフィードバックですし、
今提出されたドキュメントに対しコメントすることもフィードバックです。
イメージをクリアにして話したいので、
ここでは提出されたドキュメントへのフィードバックを前提に書くことにします。

提出されたドキュメントへのフィードバックが歓迎されない場合、
相手の心の中でこんな反応が起きているような気がします。

「なんでこれでダメなの?」OK水準がわかっていないからくる反発
「それは小野さんの意見ですよね?」上司と違う意見は否定されるという思いからの反発
「そんなに出来が悪いでしょうか...?」自分の力量が否定されて不快
「え、もう時間がないんですけど...」時間が取られ、工程が乱されて不快


こうしたことが起きるのは、
多分、フィードバックは自分のためにあると思えていない上に、
自分一人では気づけないことがあると思えていないからです。
さらに、品質についても、自分ひとりのアウトプットに対して、
上の上のそのまた上があると思えていないからです。

だから、まず「小野さんは自分の成長のために言ってくれている」
思ってもらえる信頼関係を作ることが最初の仕事かもしれません。
そうしないと、フィードバックはまず機能しませんね。
それと高いレベルのアウトプットを要求するなら、
そういう合意を先に作る方が大切で、
私たちは三流ではなく、一流を目指すと合意できていれば、
「なんでこれでダメなの?」という疑問も消えていくような気がします。

そんな合意があってもなお、人は誰でもフィードバックされること、
否定されることがイヤなのだと思います。


で、ここで新たな問いが生まれてきました。
人は、どうしてフィードバックを否定と捉えてしまうのでしょうか?
そもそも、そこに問題があります。

というのは、先に「フィードバックを歓迎しない部下は一定割合いる」と
書きましたが、実はフィードバックを喜ぶ社員も一定割合います。
彼らに確認したわけではありませんが、
おそらくフィードバックを「否定」とは捉えていません。
あくまで「材料」と捉えています。
「否定」と捉える人は、フィードバックについて
「否」を「是」に変えるための「指摘」と捉えています。
でも、「材料」と捉えている人はそうは捉えず、
もっとより良いアウトプットをするための材料、
もっとより良い考え方を身につけるための材料、
もっと自分が成長するための材料、と捉えています。
そこから自分がどう咀嚼するかは自分次第と受け止めているように思います。


さて、かくいう私がフィードバックとどう付き合っているかというと、
私は社長なので、放っておくと、フィードバックされない運命にあります(笑
フィードバックされない社長がどうなるかというと、
みんなが知っているアンデルセンの童話「裸の王様」のようになります。
なので、私はそうならないために、
フィードバックを得られるように努めてきたと思います。
それでもきっと100のうち50ぐらいしか得られていないんだろうな~
そうやって得た貴重なフィードバックからまた思考を深め、行動して、、、と
そんなことをやってきたような気がします。
で、ここで気づいたのですが、裸の王様になる懸念、
社長でなくても誰しもありますね。


最後に、最初の質問と同じ質問です。
あなたはフィードバックされること、好きですか? 嫌いですか?

私は先週風邪で3日間お休みしました。
今週は元気に過ごしたいものです。
風邪、流行っているようなのでお気をつけください。
どうぞ素敵な1週間でありますように!

今週の水曜日まで表参道のギャラリー「Concept21」で、個展を開いています。
テーマは「自由であるということ」。言葉とデニムのコラージュ作品です。
そこで、今日は自由と個人、自由と組織について少し考えたいと思います。

あなたにとって自由とは何ですか?
自由と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?
好きなように、奔放に、振る舞うイメージですか?

デジタル大辞泉によると、こんなふうに出てきます。
1.自分の意のままに振る舞うことができること。または、そのさま。
2.勝手気儘なこと。わがまま。
3.哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、
 積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。

今回の個展での私の捉え方とは少し違いますが、
一般的にはそういうことなのでしょう。

英語の「freedom」「liberty」の訳はどちらも「自由」ですが、
実はどちらも、元々は高貴な階層が特権を有している状態をさしていたそうです。
福沢諭吉が「自由」という語を訳書に用いたあたりから、
言葉として定着したというのが通説です。


また「自由」は仏教用語でもあるようです。
「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」
という教えに基づくもので、
「自由」=「自らに由(よ)る」「自らを由(よし:根拠)とする」です。


私の考えた自由は、仏教からくる概念に近いかもしれません。
自分らしく、ありたいままにあること、
他人からどう思われるかを気にして自己制限をかけることがない心持ち
...と捉えました。
その反対は、心が抑圧されている状態です。
自由も不自由も自分の心が生み出すものであり、 自律していることなくして、自由は得られない。
そんな解釈に立っています。


実は、このように考えるようになったのには、きっかけがあります。
私は、30代中頃にうつ病的な気分に陥り、カウンセリングを受けたことがあります。
10回も受けないうちに、これを続けても治りそうにないと思い、
結果的には自分で自分を戻しました。
その時の原因にあったのが、こうあらねばならないという意識です。
特に社長らしくあらねばならない、という気持ちが強すぎたのでしょう。
それが周りの期待に応えることだと思い込んでいました。
結果、自分らしさを失い、息苦しくて不自由でした。
その経験を通じて、ふと気付きました。
自由も、不自由も、自分の心が生み出しているのだ、と。


さて、自由と不自由についてこう解釈すると、
実は自由を得るのは簡単ではなく、奥が深いことに気づきます。
人は、自分を拠り所にすることに慣れていません。
子どもは親や先生を拠り所にして育ちます。
就職すれば、上司や先輩を拠り所にして成長します。
私たちは、評価されるためにがんばる...という様式に慣れ切っているので、
自分よりも他人を拠り所にするパターンに陥りやすいのではないでしょうか。
要するに、その方がラク...ということかもしれません。

たとえば、「あなたを雇うから、何をするかは自由に考えて」と言われるよりも、
「あなたの仕事はこれこれで、こういうことを期待する」と
言われた方が、よっぽど気分的にラクではないでしょうか。

これを個人の視点から見るとどうでしょう?
他人の目を気にしない人はいませんが、
他人の目が自分の基準のすべてになってしまい、
自分らしさが失われていくと、心の病にかかります。

組織の視点から見た場合はどうでしょう?
他人の目や人の評価ばかりを気にする組織は、
決して自らに由る力が強いはずはありません。
自分らしくありたいようにあることが許され、
自律することが評価される組織の方が、
組織としては強いように思います。

あなたはどう思いますか?
私は、たった一度の人生だからこそ、
自由に在りたいという思いを強くする今日この頃です。
今週も素敵な1週間をお過ごしください。

当社がたとえば30年後、どうなっていてほしいのか、
最近、考える機会が増えました。
と同時に、こんな小さな会社がなぜ30数年以上も続いて来たのか、分析してみたり。

で、改めて今日まで存続できた理由を考えてみると、
その一つに「損得は二の次」という考え方があったからではないかと考えています。
いえ、ビジネスですから、損得はどこかで考えますが、
判断基準の上の方にそれがあったかというと、なかったと思うのですね。
判断基準の上にあるのは、あくまで経営としての、人としての、
「理想」とか「美意識」でした。

で、その理想の中心にあった一つの姿が、
オープンに自然体で意見を言い合い、
リスペクトし合う対等な関係の中で仕事をするというものでした。
社内はもちろんですが、お客様やパートナーともです。
そこに損得勘定はありません。それはポリシーでした。

社内で言うなら、ミーティングの場はもちろんですが、
新入社員でも社長の私に意見を言えるように。
もちろん、理想にしていることが必ずできていたかといえば別問題。
素直に聞けず、それが原因で軋轢が生まれたこともありました。
で、どうするかといえば、謝るわけです。
なぜなら自分の非を認めず謝らない社長はカッコ悪いから。
それが、私の「美意識」でした。

で、「意見を言いやすくする」「意見が言えない会社に未来はない」と
という考え方は、実はどの会社の存続にとっても大切だと思います。

ところが、、、、
最近の社会の風潮としては、意見を言わない人が増えていると聞きます。
これについては、阿部が9/9付のメルマガ
「その場、『言う場』?『言わない場』?」でもエピソードを挙げていますが、
いかにもありそうなことだと感じ、だからこそよけい憂うべき日本を感じます。

いったい日本はいつからそうなったのか、
「言わない」「発言しない」の根底に、いったいどんな気持ちや価値観があるのか、
想像してみました。
で、そうなってきたその原因について、3つの仮説を考えてみました。

【意見を言わない理由1】根底にある価値観に「損得」があるのではないか?
発言して、人から「会議を引っ掻き回した」と文句を言われる、
発言して、人からその発言は「的を射てない」「おかしい」とバカにされる、
発言して、人から「お前の発言で会議が長引いた」と文句を言われる、
発言して、想定外の面倒な役目が回って来てしまった。。。
多分、そんな原体験があると、そんな損をしてまで発言するのはバカらしい、
そう思うようになるのかもしれません。
いえ、そんな体験がある人自体は少ないのだけれど、
他人のそういうシーンを目の当たりに見ると、
ああいう立場にはなりたくないと思うのでしょうか。

【意見を言わない理由2】根底にある行動基準に「空気読む」があるのではないか?
今の日本の、空気を読めという空気、私はちょっと異常だと感じているのですが、
仮に周りの誰かから「空気読めよ」と言われたら、普通は萎縮しますよね。
自分が言われていなくても、言われている人を目の当たりにしたら、
同じ目に遭いたくないと思うことでしょう。
直接「空気を読め」と言われていなくても、
「意見を言うな」「否定をするな」というオーラを出す人がいたら、
オーラだけでも行動が変わってしまうかもしれません。
この場合、オーラを出す人と、オーラで忖度する人、
いったいどちらがどう変わると、組織は良くなるのでしょうか?

【意見を言わない理由3】考える習慣がなく、自分の意見が不明瞭なのではないか?
最近聞いた学校教育の話では、
「考える」プロセスなどまったく重んじられていないようです。
考える習慣がないことを学校教育のせいにしていいかどうかはわかりませんが、
実際社会人の中にも「考える」ことに慣れていない人、
考えることを途中でやめてしまう人はとても多いと思います。
学校でも社会でも考えることを要求されない、あるいは
考えることに意味が生まれない環境で暮らしてしまうと、当然そうなりますよね。

もしかしたら、私が思いもつかない第4、第5の理由もあるかもしれません。
でも、この3つに限って言うと、私は原因は一つではなく、
どれも相互に少なからず関係しているのではないか、と思います。
とはいえ、その中でも一番の根っこにあるのは、「損得」なのではないでしょうか。
損得から発言しなくなる。空気を読むのも、損得が判断基準になっているから。
損得から発言しないことを是としたら、考える必要もなくなるから、当然考えない。

でも、損をしないために発言しないという考え方には落とし穴があります
なぜなら、それをやり続けると自分の価値、存在意義を発揮できません。
というのも、多くの人は発言しないわけですから、
同じようにしていたら存在価値を発揮できないわけです。
価値が発揮できないと、精神的にはやりがいが得られない、
経済的には稼げないなどの影響を受けます。
それだけでも十分に損害を受けるわけですが、それだけではありません。
最近では、ロボットに仕事を奪われる可能性さえ出て来ました。
自分を守って損しないように行動してきたつもりが、
結局は経済的にもやりがい的にも損を生み出す。
だから、損しないために発言しないはナンセンスだと思います。

さて、、どんな会社にも文化があり、発言しにくいこともきっとあることでしょう。
でも、あなたの意見が風穴を開けるかもしれません。
意見を言える世界とは、正解が1つという世界とは違います。
意見を言える会社、意見を言う個人。それ自体に意味がある。
そういう存在が増えると、日本は変わっていけると思うのですが。。。
意見を言うことについて、あなたはどう感じ、どう行動していますか?

どうぞ素敵な1週間を!

PS)あ、そうそう、最後に個人的な活動の宣伝をさせてください。
「DENIM AGE(デニムエイジ)~自由であるということ」というテーマで
個展を開きます。ご興味があり、お時間が許せばお運びください。
期間:10/11木~10/17水(11時~19時。最終日は15時まで)
場所:ギャラリー「Concept 21」(表参道徒歩5分)
〒107-0061 東京都港区北青山3-15-16
Tel.&Fax.03-3406-0466(画廊)

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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