ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

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「怒られたことがないし、
自分も怒ったことがない。
怒るってどういうふうにやるんですか?」

と、昔、職場のスタッフに聞かれて、
驚いたことがあります。

雑談で私が子どもの話をしたときだったように
記憶していますが、
真面目に質問をされたことを覚えています。

「怒ってはいけない」という言葉は、
子育てをしているとよく耳にする言葉です。

ママ友との会話でも昔はよく
「ムカっときたけど、こらえた」
「ムカっときそうになったけど
ほかのことを考えて抑えた」
というようなエピソードを聞きました。

この2つ、同じようでいて違います。
前者は、怒りの感情は認めたけど、
怒りを外に出さなかった。
後者は、怒りの感情自体をないものとした。
専門家ではないので、私の感覚ですが、
何となく後者は不健康な感じがします。

ここで、思い出すのが、10年ほど前に公された
『インサイド・ヘッド』という映画。
ピクサーが制作したアニメです。

あることがきっかけで、
主人公の頭の中から「カナシミ」の感情が
いなくなってしまい、
その状況を「ヨロコビ」が
コントロールしようとするが、
うまくできなくて・・・
というストーリー(だったように記憶)。

でも「カナシミ」も「ヨロコビ」も含めて、
すべての感情が集まって
その子をつくっているのだから、
感情を無視するのではなく、
素直に受け入れて、上手につきあっていこう
というメッセージだったと思います。

当時、小学生男子の子育て中だった私は、
日々、いろいろな感情と戦っていたんでしょうか(笑)、
「そうだ、そうだ」と頷きながら、
映画館を後にしたのを覚えています。


さて、近年、ハーバード大学の
意思決定センター(Harvard Dicision Science Lab)
というところが、感情を以下の12種類に分類して
研究を進めているそうです。

ネガティブ感情
・怒り
・イライラ
・悲しみ
・恥
・罪
・不安(恐怖)

ポジティブ感情
・幸せ
・誇り
・安心
・感謝
・希望
・驚き


こうして一覧で見てみると、
自分自身が感じがちな感情と
そうでないものがわかりますね。
最近の自分の行動を振り返って、
あれは自分としてはどんな感情だったのかを
あらためて考えるきっかけにもなりそうです。

で、さらに別の資料なのですが、
いくつかの感情について、
それらが起こるときに、何に注意が向いているかが
書かれているものを見つけました。
これ、すごく興味深いです。


不安
→わからないことに注意が向く

恐怖
→手に負えないことに注意が向く

悲しみ
→無いことに注意が向く

怒り
→大切なものがおびやかされることに注意が向く

喜び
→獲得したことに注意が向く

安らぎ
→満たされていることに注意が向く

参考:鈴木伸一(2016)不安の医学 
第23回 都民講演会より


例えば、怒りを感じたとき、
感情をコントロールするためには、
何に怒りを感じているのかを
冷静に考えるのだと思いますが、
大切なものをおびやかされることに
注意が向いていることがわかれば、
自分にとって今、どんな大切なことが
おびやかされようとしているのか
と考えることができる。
大切だと思っていることを
再認識することにもなります。

私は毎晩のように、
我が家の猫に夜中に起こされていますが、
一晩のうちに何度も起こされると
さすがにムカっときます。

でも、これ、何を大切に思っているか
という発想で考えると、「睡眠」だとわかる。
私はぐっすり眠りたいのだと。
猫はしょうがないのです。夜行性ですし。
2匹いるので盛り上がることもある、と思える。

猫対策という発想から、
睡眠をどうするかという発想になります。
とてもすっきりします
(いやいや、それじゃだめだろ
という気もしますが)。

感情と向き合うこと、
私もまだまだ勉強中ですが、
特定の感情を無視することなく、
これからも、うまくつきあっていきたいと思います!

さて、あっという間に4月。
新社会人かな?と思われるスーツ姿の若者も
目立ちますね。
皆さん、体調に気をつけてまいりましょう!

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よく目にする言葉で、前から違和感を感じている言い回しがいくつかあります。

一つは「ほめられレシピ」「ほめられコーデ」などの「ほめられほにゃらら」。

二つ目は「愛されメイク」などの「愛されほにゃらら」

まだありそうですが、すぐ浮かぶのはこの二つです。

何が違和感かというと、単純に、「~したい」じゃなく「~されたい」なの?
相手の行動ありきでいいの?と思うのです。
~されるかどうかは自分でコントロールできないことだからです。



自分ではものすごくおいしい料理ができたと思っても、相手からほめられないことだってありますし、

バッチリメイクできたと思っても愛されないときだってあります 笑。

相手の行動がゴールだと、相手の反応が期待と違ったときにガッカリしたり、イライラしたりすると思うのです。


「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

このことわざを知ったのは、アドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』を読んだ10年ほど前。

当時、私は、反抗期に突入した長男の言動や行動に日々頭を抱えていたのですが

この言葉そしてアドラー心理学を知って、とてもすっきりしました。



相手を無理やり変えることはできない。私ができることはここまで。ここからは「他者の課題だ」とわかったからです。

その『嫌われる勇気』、今本棚から引っ張り出してきました。

「あなたの期待や信頼に対して、他者がどう動くかは他者の課題なのです」とあります。

そう。そうなんです。
「ほめられる」か「愛されるか」。そこは他者の課題なのです。



せっかくおいしい料理をつくったのに、ほめられなくてガッカリするなんて残念なので、

自分自身が「うわ、これ、最高においしい!」と、おいしく食べられればいいのではないでしょうか。

相手が「すごいねえ」「最高」と言ってくれなくても。

「いや、そんなに深く考えることじゃないんじゃないですか?」

「 みんなそこまで考えずに普通に使ってますよ」ということかもしれません。

確かに、こうした相手の行動ありきの言葉、結構使われていますよね。

「モテメイク」とか「モテコーデ」なんかもそれですね。

なんでしょう。流行り?

深く考えないで使っているとしても、こういう言い回しの言葉が普通にメディアにバーンと出てくるのは、むむ?と思います。

引っかかるポイントは、他人軸以外にもあります。

それは、何となく上下関係というか、強弱関係を感じることです。

とくに、「ほめる」「ほめられる」には感じますね・・・。

育成でもよく使う言葉なので、見慣れた言葉ではありますが。

いや、叱って伸ばした方がいいと言ってるわけではないんです。

なんというか、ナチュラルじゃない感じがするんですよね。考えすぎでしょうかね 笑。

職場で「今週のほめられ仕事はコレ」とか「~~部長の必殺ほめトーク」とか、そういうの、いやですよね。
あ、ここまでおもしろかったらいいかもしれませんが 笑。

というわけで、他人の行動を自分のアクションのゴールにすると辛いのでは?という話でした。

基本的に、自分ハッピーがいいですよね、何事も。

春ですね。花粉シーズンがまだまだ続きますが、負けずにまいりましょう(涙)。

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昔、友人の一人に「本がきらい」という人がいました。
聞くと、本屋に行くと毎回トイレに行きたくなってしまい、

本屋に入ったのにトイレにいる時間のほうが長くなるからいやなのだとか。

「本アレルギーかも」と言っていました。

ところがある日、彼女が「この本、良かった」と言って本を持ってきました。

知り合いに貸してもらったとのことで、すごくおもしろかった、と。

当時、彼女はルームメイトで、私たちはお互いの仕事以外の時間は結構一緒に過ごしていましたが

彼女が「きらい」と言っている本を手にしているところは見たことがなかったので驚きました。

「あれ?本苦手じゃなかったの?」と私が言うと、「あ、ほんとだ。これは大丈夫だった」と彼女。
「じゃ、本がきらいじゃなくて、本屋がきらいなだけだったのかな」 と笑って、おすすめポイントを熱心に話してくれました。

女性のエッセイだったと記憶していますが、楽しく話したことをなんとなく覚えています。

最近、このエピソードを思い出したのは、ビジネス誌の記事で、マーケターの森岡毅氏が、

自分の好き・強みを知るには動詞に注目しようと語っているのを目にしたからです。

森岡氏は、単に「好き」で終わらせていると、自分が具体的に何が好きなのかがわからず、

何が強みなのかを正確に把握できないと話していました。

だから、例えば「好きなことはサッカー」と言う人は、サッカーの何が好きなのか、動詞に注目することで考えよう、と。

サッカーを「観る」のが好きなのか、「プレーする」のが好きなのか、

それとも「戦術を考える」のが好きなのか。 それを知ると、自分自身の理解も深まっていくというようなことでした。


これ、「きらい」の場合も一緒だなと思い、友人のエピソードを思い出したのです。

友人は本はきらいと思い込んでいて、本を避けていましたが、ふとしたきっかけで、

きらいなのは本じゃなくて本屋だったことに気づいた。

本当は、「本屋がきらい」「トイレに行きたくなる」「本がきらい」という時点で、

「それ、本がきらいということではないのでは? そもそも本屋に行くとトイレに行きたくなるってどういうことなんだろうねえ」と二人で考えれば早く気づいたのかもしれませんが、

若い私たちは(笑)、「なんだ、それ!」と笑ってスルーしてしまっていたのでした。

そんなことよりも楽しいことがたくさんあったのでしょうねえ。

ちなみにですね、実は10年以上前にもこのエピソードを思い出すきっかけがあって

ネットで調べたら、「本屋でトイレに行きたくなる」という人は少なくないということがわかりました。

諸説あるようですが、どうやらインクの匂いでトイレに行きたくなってしまう人が多いよう。

そう考えると、本屋が苦手なのではなく、インクが苦手なのでは。

いや苦手というより、インクの匂いを嗅ぐとトイレに行きたくなるから、

トイレがたくさんある本屋なら、本屋も本もインクもきらいではないのでは、

などと思い、ああ当時の彼女に教えたい、、と思いました。

そうそう、「好き」「きらい」は、表面だけさらっと触れているだけでは、わからないという話でした。
もっと奥に真相があるのです。

友人の件は「本がきらい」でしたが、「本が好き」の場合も同じですね。

だれかが「本が好きです」と言っているのを聞いたら、

通常、「ああ、あの人は読書が好きなんだな」と思いますが、そうじゃない「本好き」もいますよね。

例えば、「本というアイテムが好き」な人。紙の質感や表紙のデザインなんかを見ているのがすごく好き。

だから本屋は好きだけど、本を読むかというとそうでもない人。

「本屋という空間が好き」という人もいるかもしれません。本自体というより、本がある場の雰囲気が好きな人。

「本が好き」の奥にいろいろあるのに、

そこを見ようとしないと「本が好き」というぼんやりした理解で終わってしまうことになります。

「好き」「きらい」以外でも、例えば「楽しい」や「悲しい」「うれしい」「すごい」なども同様。

前述した森岡氏が言うように、動詞に注目したり、

「WHY」を深掘って、奥にあるものを見つけられると、

「あ、そこがポイントだったの?」など、意外な発見があるかもしれません。

あっという間に3月。気温差が激しい季節ですね。体調に気をつけてお過ごしください。

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インスタで料理動画をよく見ます。

自分から進んで見つけにいっているというよりは、どんどん出てきちゃうので見ているというほうが近いです。

「あ、いいな」と思って保存したりすると、そればかり出てくる。

チーターの赤ちゃん動画にいいねしたら、数日間チーターの赤ちゃんテロくらいの勢いになってしまう、あれです。

そうそう、料理動画の話でした。

見ていて思うのは、皆さんクオリティが高い。
もちろんプロの方もいらっしゃるでしょうが、そうでない方々も料理自体も動画もクオリティがどんどん上がっていく。
これは、ちょっと作ってみましたくらいのレベルのものを気軽に投稿できない雰囲気ですね。

実際、ちょっと作ってみましたの投稿に、盛り付けがよくないだの、

切り方がいまいちのようなコメントがあるのを見ると、閲覧する側の期待も高くなっている様子。

クリエイティブのクオリティってこうして上がっていくんだなあ、すごいなあと思いながらも、

世の中の料理のクオリティが高すぎて、料理から遠のいてしまう人ももしかしたらいるのではという気もしてきました。

そんなある日、noteでこんな発言を見つけました。

「家のチャーハンで、パラパラかどうかなんて悩む必要は全くないわよ。

パラパラは、チャーハンがベロにのっかった一瞬のことでしょう。

多少作り方が違ってたって口の中で合体して、ごっくんしたらみんな一緒よ」

どなたが発したのかとてもわかりやすい。
はい、平野レミさんです。
平野レミさんが、昔、初めて出演したテレビの料理番組でトマトを素手で握りつぶしたら

「下品だ」という抗議の電話が殺到したという話はよく知られています。

レミさんによると、トマトを素手でつぶすのは包丁で切るよりも

断面がギザギザになって味が染み込みやすくなり、なにより簡単だからだそう。

仕事で疲れきっている人が料理の完成度を上げるために

手間をかけすぎて不機嫌になるのはハッピーじゃないとレミさん。

「私が大事にしているのはキッチンから幸せを届けることだから」と語っていました。

確かに。結局、何を大事にするかだなあと思いました。

自分が大切にしたいことを忘れて、

ただ、すべてのプロセスで完成度を上げるような取り組み方になってしまうと、

時間は限られているのだから、疲弊してしまいます。

そういえば「ええ加減でええんです」と土井善晴さんも言っていますね。

一汁三菜にしばられすぎて、つらい思いをしている人もいる。

お味噌汁にどんどん具を入れて、一汁一菜で十分と土井さんは言っています。

細かなことは気にしなくていいと。

「焼き魚をして魚の皮がむけたことを失敗と言う。どこが失敗やねん、と思います。

おにぎりをちゃんと三角に握るとか、ギョウザをきれいに包むとか、別にいらんでしょ。

焼きムラがあってもええんです。その方がおいしい。日本人は、体裁とか均一性を要求しすぎです」

と、インタビュー記事で話していました。

土井善晴さんが大切にしているのは、一生懸命料理するという、そのプロセス。儀式みたいなものかもしれません。

ええ加減というと、適当や手抜きのようなニュアンスですが、そうではなくて、

作り手側の加減でいい。しょうゆ大さじ1なのか1.5なのかは作り手が決めればよい。心がこもっていればいいと。

そうだよなあと思います。

忙しく毎日を過ごしていると、

外から聞こえてくる「こうすべき」「こうあらねばならない」「普通はこうする」に引っ張られてしまうのかもしれません。

それぞれの事情、やり方があっていいはずなのに、

自分にとって大切なものをつい忘れてしまい、外の声に流されてしまう。

料理に限らず、「私は何を大切にしたいのか、そのために何をして、何をしないのか」、

そういうことを考えないといけないなと思いました。

そうこうしている間に、2月が終わっていきます。
私が大切にしたいことは何なのか(笑)。
春がそこまできていますね。体調に気をつけてまいりましょう。

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ドカンこと宮藤官九郎氏が脚本を担当しているドラマ『不適切にもほどがある!』を楽しんで視聴しています。


昭和の中学の体育教師がふとしたことで令和時代にタイムスリップしてしまったら価値観がまったく違って・・・というような話ですが、
社会課題をおもしろおかしく、クドカンならではのトーンで風刺していて、笑いながらも、いろいろと考えてしまう内容です。

我が家の次男が何かと「これだから昭和は」と言ってくることは、このメルマガでも何度か書いているのですが、彼らにとって昭和はどうやらかなり大昔の印象らしいのです。
家の電話しかない、パソコンがない、もちろんインターネットもない。どうやって暮らしていたの?と。

そんな感覚なので、トトロに出てくるようなハンドルをぐるぐる回して通話する電話を私が子ども時代に使っていたと思っていて、 あれはどうやって話すの?と聞いてきたので、さすがにあれほど昔じゃないから使ったことがないと伝えても、ピンときていない。

彼らにとって昭和は昭和。昭和は大昔。まったく違う世界。そこで生きてきた人たちは考え方が全然違う。わからん。大袈裟に言うと、そういう感覚なのかもしれません。

冒頭でふれたクドカンのドラマにこんなシーンがありました。

令和時代にタイムスリップした体育教師が居酒屋に入り、デジタル注文にてこずって炙りシメサバを大量注文。ロボットによって続々とテーブルに届けられ、途方に暮れる彼の横で、真剣な表情でハラスメントの話をしているビジネスマンたち。後輩にハラスメントを訴えられたという男性が、上司たちに何があったのか、何を言ったのかをヒアリングされています。

男性「頑張れと言いました」
上司「それがハラスメントなんです」
男性「頑張れ、も言っちゃいけないんですか?」
話に加わってきた体育教師「じゃ、なんて言えばいいの?」
上司「何も言わない。見守るんです」

正確なセリフではありませんが、そんな展開。
その後、それはおかしいだろうと会話が続くわけですが、私が確かにそうだなあと納得したのは、

「話し合いをしよう。たとえわかり合えなくても、話し合いをしたという履歴は残る」というセリフでした。

昭和と令和の価値観が違い過ぎる。昭和から見ると令和は「うそでしょ?」だし、令和から見ると昭和は「冗談でしょ?漫画?」くらい違う。

そんなに違うんだから、わかり合えるはずがないと思っていたら、お互いがどう感じているか、いつまでたってもまったくわからないということになります。わかり合うというところまで到達しなくても、お互いが自分の考えを言うのはやはり大事だなと思いました。

そんなふうに思って世の中を見渡すと、昭和と令和という構図に限らず、「どうせ、わからんでしょ」と放置していることはたくさんあるのかもしれません。一方的に思い込んでいることがないか、あらためて考えてみようと思いました。

2月もどんどん過ぎていきます。花粉の季節・・・。体調に気をつけてまいりましょう。

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少し前のことですが、
新潟のある公立小学校の全校集会で、
校長がその場でChatGPTに質問し、その回答を
スクリーン上の自身のアバターに読み上げさせる
という演出をした、
という記事を読みました。

校長がChatGPTにした質問は
「AIが活躍していく世の中で、人間は何をすればいいでしょうか」
ChatGPTが出した答えは
「人間は人と協働していくことが大切です」
でした。

この斬新な演出、スクリーンを見ていた生徒からは
「すごい!」「気持ち悪い」など、
さまざまな声が出たようですが、

こんなことができる世の中で君たちは生きていきます、
そのために大切なことは何かをちゃんと考えましょう

と伝えることが校長の意図だったと想像するので、
生徒が驚くくらいの演出が
ちょうどよかったと思いますし、
私は、うちの子どもたちが
もう一度小学生になるなら(笑)、
こんな校長の学校に通わせたいと羨ましく思いました。

さて、この校長は、
ChatGPTを教育に積極的に取り入れていきたいと
考えているようですが、
教育現場でのChatGPT利用には
否定的な意見が多いようです。

とくに保護者からは不安視する声が大きく、
小学校3年生から高3までの子どもを持つ
保護者を対象にしたある調査では、
約6割が「子どものChatGPTの利用に不安がある」 と回答。 特に
「思考力の低下」や「誤った情報を信じてしまうこと」 を懸念する声が大きいようです。

我が家の子どもたちはデジタルネイティブと言われる世代。 ネットとともに生きてきました。
何でもググり、ずっとYouTubeをみています
(同じ世代だからといって、世の中の子がそんな子ばかりではありませんが)。

「思考力の低下」や「誤った情報を信じてしまうこと」は 確かに保護者として心配なことですが、

私的には、もうとっくにそうなってるのでは という感覚。

真実もそうでないことも
おもしろいこともそうでないことも
雑多な情報が流れているネットと
ともに生きているということは、 それに対して何もしなければ、思考力が低下し、 誤った情報を信じてしまうということ。

今後も、どんどん便利なツールが出てくることを考えると、 これはもう、ツールを制限するという対処ではなくて、
人の思考力をがっつり鍛えていくしかないのではないかと思います

何度かメルマガでも書いているのですが、
私は「自分ツッコミ」が必要だと思っています。

自分で、ある情報や考えに行き着いたとして、
「はい、オッケー」ではなく、
「いやいや、そんなわけないでしょ!」
「いいんですか?それで?」
とツッコミを入れる。
一度疑問視するということです。
すると、「あ、そんなわけないか・・」と気づき、
また調べたり、考えたりすることにつながります。

ツッコミ担当の人がそばにいればいいですが、
今の時代、周囲の人はいろいろ言ってくれません。
だから自分で自分を疑う力をつけていくしかない。

先日、これはいわゆるクリティカル・シンキング
というやつだと気づきました。

クリティカル・シンキングの和訳は
「批判的思考」
どうやら、この和訳が、
なかなかクリティカル・シンキングが
浸透しない原因なのではと言われているようです。

その理由は、日本人にとって
「批判」や「否定」はネガティブなことだから。
相手を攻撃するようなニュアンスが
前面に出ているので、
積極的に取り入れる動きにならない。

『世界のエリートが学んできた 「自分で考える力」の授業』
の著者、狩野みきさんによると、
「critical」という原語には、
「事の是非を判断するために、注意深く考え、分析する」
という意味があるそう。
なので、批判的という和訳では、
その部分が十分に伝わりづらいと指摘しています。

スマートニュース メディア研究所長の山脇岳志さんは、
編者として携わった書籍で
クリティカル・シンキングを
「吟味思考」と訳していたりします。

言葉による影響は大きいですね。
その言葉に出会ったときも、本当は、
「いや、批判的思考ってなんやねん!」
くらいで受け取れれば、
もう少し意味を考えたりすることにつなげられるのか・・・

そんなことをつらつら考えると、
やっぱり、時間的・精神的な余裕が必要なのかなあ、
と思えてきます。
たまに一歩下がって、ひいて見ること、
目の前のことでいっぱいいっぱいにならないことが
大切なのかもしれません。

1月ももう半ば。
体調に気をつけてまいりましょう。

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メルマガを書いていることもあり、
日常的に情報を拾いにいく習慣があります。

先日、あるWebメディアの記事を読んでいたら、
お笑い芸人の千原ジュニア氏が、
「ブレイクする人の特徴」について、
「実ってもいないのに頭を垂れないやつ」
とコメントしていました。

今の若いお笑い芸人たちは、優秀だし、礼儀正しい。
そしてみんな仲がいい。
でも、自分は「実ってもないのに頭(こうべ)垂れるな」
とどこかで思ってしまう、と。
あの「実るほど~」の言葉には、
「頭垂れるなんて後でなんぼでもできるから、
実るまでは何を言われようがムチャクチャやったれ」
という教えがあるのではないか。
実る前から頭を垂れていたら、伸びるものも伸びない、と。

これは私も感じます。破茶滅茶な人が少ない。
いるところにはいると思いますが、日常生活の中にいない。
でも、そういう人が生まれにくい時代だというのもわかります。
飛び出ることが難しい。
飛び出るとすぐにSNSなどで非難される。
悪目立ちしたくない、そう思ってしまうのも無理はない。

私が新卒で入った会社は、時代もあって、
破茶滅茶な人がたくさんいました。
単にみんな破茶滅茶なのではなく、
一生懸命、楽しんで仕事をしていました。
毎日いろいろな事件が起こりましたが、
まったくストレスにはならず、むしろ、おもしろかった。

私も20代の頃は、全然社会がわかっていなかったので、
わりと破茶滅茶でした。

意見はストレートに直球で言う。オブラートには包まない。
ザッツマイウェイのような、若気の至り満載な思想があり、
ハンドルを切らず、ブレーキ踏まず、
時速70キロくらいで相手めがけて突っ込んでいくこと度々。
周囲にそういう感じの人が少なくなかったので、
クールウェイだと思ってたんですねえ。

そんな時、
「おいブレーキを踏め」と言ってくれたり、
「そのまま来るな、包め」などと
ユーモラスに注意してくれる人もいましたが、
真面目に怒る人もいました(笑)。そりゃそうだ。
「何様なんじゃ!」と、あの頃の私に
大声で突っ込みたいところです。

自分がそうだったからということでもないのですが、
私も、やはり、若いときは破茶滅茶な時期があるほうが
いいと思うんですよね、少しは。
なぜなら、そうすることで気づきがたくさんあるし、
時には盛大に怒られたりして、学びがあるからです。キリリ。

と書いておいて、ここで思い出したのが、イチロー氏の言葉。
ある野球チームに指導に行ったイチロー氏が、
君たちは大変だ。怒ってくれる人が周囲にいない時代だ。
周囲に言われないということは、
自分で気づいていかなくちゃいけない。
自分で気づいて、成長していかなくちゃいけない
大変な時代に生きている。
というようなことを言っているのをどこかで読みました。

確かに。大人は大人で大変。教育の考え方が変わっているし、
さまざまなハラスメントも存在し、
注意したくても、なんとなく口をつぐんでしまう
ということも多いでしょう。
ということは、70キロでぶつかっていっても、
相手は困った笑みを浮かべて黙るか、無視するか。
または、その人ではない上司から
後日柔らかく注意されるかもしれません。
注意されるならまだいいですが、
何も反応がないとこちらの学びになりませんね。

なのでこれからの時代は、盛大な自分ツッコミが必要。
自分で「そんなわけないだろ!」って
突っ込まなくちゃいけません。
イチロー氏の言う通り、大変な時代ですが、
だからと言って、周囲の反応を伺って
20代を過ごすのはもったいない。
70キロとは言わず、50キロくらいで、
ちょっとだけブレーキ踏んで突っ込んで、
「ちゃんとブレーキ踏めよ、ですよね?」
と相手に言うくらいでちょうどいいかもしれません。

今年も終わりますね。
風邪が流行っていますので、体調に気をつけて
どうぞ良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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しつこい人。

どういう人でしょうか。

ネットでは、しつこい人の行動として、
こんなものが出てきます。

何度も同じことを聞いてくる。
こちらの温度感を考えない頻度で連絡してくる。
LINEの文章が長い。
とにかく細かい。
おせっかい。
心配性。
自分勝手。
思い込みが強い。

うーん、通常、嫌われてしまう行動ですよね。
エスカレートしてしまうこともありますし。
心理カウンセラーによる
しつこい人の対処法、なんかもあったりして、
しつこくされる人、困っている人が少なくないんだな
と思います。

では、しつこい人はなぜしつこくしちゃうのかを考えてみました。
心配性で気になると確認せずにいられない、とか、
私がやってあげなければという思い込み、なんかもあるでしょうが、
熱量が大きい、ということもありますね。おそらく。
がっと熱が入って、集中してしまう。
で、その熱をわりとずっと保って行動できる、
という人たちなのかと想像します。

しつこいと嫌われるけど、そんなしつこさを
持っていないといけない人たちもいますね。
それが、新しいものをつくりだす人、
大きな物を動かす人、推進していく人たち。

こういう人たちはあっさりするわけにはいきません。
たとえば、イーロン・マスク。
周囲がひいてしまうほどのしつこさでしょうね。
スティーブ・ジョブズもそうだったのではと思います。

『結局、「しつこい人」がすべてを手に入れる』
の著者、伊庭正康氏は、
「しつこさ」はスキルの一つだ、と言っています。

「しつこさというと、具体的な方法論が見えづらく、
根性だの気合いだのといった話になりがちですが、
そうではなくて、しつこさに必要なのは、
ちょっとしたコツを加えること、
いろいろと妄想を膨らませることです。

そして、いいしつこさを発揮するには、
最上位の目標を考えること。
ゴールをぶらさず、いろいろ試してみること。
一つ失敗して終わりではなく、新しいやり方を試して、
諦めずに最上位の目標に向かうこと」

TKKの法則。
これ、伊庭氏による、しつこさを身につける法則です。

T たのしくする
K かんたんにする
K こうかを確認する

確かに。何かを動かしていく人たちの共通点は
簡単に諦めないこと。楽しんで、楽に、
そして、とにかくやり続けることかもしれません。

ビジネスに限らず、ダイエットでも何でも
何かに取り掛かってうまくいかないとき、
足りていないのは「しつこさ」だなあと思いますね。
しつこさにはエネルギーが必要なので、そのエネルギーは
楽しくないと生まれないってことか、と納得しました。

最後に、
しつこい人が、しつこく思われないために、
伊庭氏は「自分軸で勢いよく話す前に、相手の話を聞くこと」
と言っています(笑)。
当たり前ですが、熱が高いと忘れがちなのかもしれませんね。

さあ、12月。今年も残り少ないです。
しつこさをうまくコントロールして行きましょう!



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急に寒くなってきましたね。

寒くなると増すのが食欲。
秋は何もかもおいしい。
あれもこれも食べたい。
好きなだけ食べても太らなかった
あの頃に戻りたい。
そう願っても戻れるわけはないので、
あれこれ食べたいなら、その分、
運動するしかありません。

そんなわけで、自宅でも無理なく続けられそうな
筋トレメニューをネットで眺めていたのですが、
そうこうしているうちに、気づきました。

この「無理なく」というのが、いかんのだと。

無理のない、ちっともつらくないエクササイズを
無理のない回数こなしたところで、
筋トレにはならないと知ったのです。

フィジカルトレーナーの
中野ジェームズ修一氏はこう言っています。

「筋肉は、同じ負荷を与え続けると
そのレベルに慣れてしまい、
それ以上成長しなくなるという特性があります。
常に、ややきついと感じる運動レベルが
筋力アップにつながるのです」

極端に言うと、楽ちんエクササイズを
100回やるよりも、きついと感じるメニューを
10回やるほうが筋トレにつながる。
つまり、負荷が必要だということです。

負荷・・・。
ですよね。そりゃ、そうだ。
きつさなくして成長なし。
これは筋トレに限った話じゃないですね。

ゲームでも、仕事でも、何でもそうですが、
最初は難しい、つらいと感じるレベルに
挑戦しているうちに、スキルが上がって、
クリアできるようになる。
自分にとって無理のない、
楽ちんと感じることを長く続けても、
成長にはつながらないんですよね・・・。
No pain, no gainってよく言いますしね。

と、こういうことを言うと、
「昭和の教育か!」
というツッコミをうちの次男なんかはしてきます。
苦労っぽいニュアンスが出てくると、
とたんに「はいはい、昭和」で片付けたがる。
まあ、おそらく、成長に負荷が必要なことは
本人もわかっているのだと思いますが、
直視したくないので、そういうリアクションに
なっているのだろうと思って、見ています(笑)。

さて、日本能率協会マネジメントセンターが行った
「イマドキ若手社員の仕事に対する意識調査2020」
(2019~2020年の新入社員、
その育成にかかわった上司、計1502人が対象)
を見ると、
若手社員の特徴は以下のようにまとめられています。

「自分のことを認めてくれる環境で、
無理なく、無駄なく成長したい」

なるほど。成長意欲はあるし、認められたい。
しかし無理や無駄はNGなんですね。

無理を避けるのは、慣れないことをして
失敗したくないからですよね。
無駄も、一見、失敗と関係ないようですが、
効率的にやりたいというのは
正解とわかっていることをやりたいということで、
やはり失敗するのがいやなのかなと思います。

失敗を避けるのは、他人からの評価が
気になるからでしょうか。
同調査では「他人からの評価が気になる」人が
8割に達しています。
ここが高いのは、彼らがSNS世代だからですね、
おそらく。
「いいね」がつくか、つかないか。
無意識かもしれませんが、
どこかでそんなことを気にするのかもしれません。

でも、やはり、誰からも何にも言われない、なんて
非現実的。
みんながみんないいことしか言わないのは
むしろ嘘っぽいですね。

漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、
荒木飛呂彦氏は、著書『荒木飛呂彦の漫画術』で
こんなことを言っています。

ぼくがデビューした頃は厳しい編集者が大勢いて、
彼らは、漫画を持ち込む新人に対して
「プライドを傷つけないようにしよう」とか
「気持ちを思いやる」なんてことは全く考えず、
プロに徹する仕事人として、厳しいことを
ズケズケ言ってきました。でも、好きというだけで
漫画を描いていたぼくが王道に目覚めたのは
彼らのおかげです。

編集者の厳しいフィードバックがあるから、
クリアしようと挑戦して、レベルアップする。
あのジョジョだって
そうして生まれてきているんですね。

そういえば、漫画の話ばかりで恐縮ですが、
『進撃の巨人』の作者、諫山創氏も、
最初は編集者から「線が汚い」と言われ、
デビューが決まってからも練習し続けた
という記事を読みました。
諫山氏は、売れっ子になってからも、
ポジティブなコメントはうれしいが、
参考にならないと言って、
自ら進んで否定的なコメントを
探しにいっているとか。ストイックですね・・・。

いずれにしても、負荷がかかり、
乗り越えるというプロセスがないと、
こうした大作は生まれないのだなということを
改めて感じますよね。

成長には負荷が必要。
筋肉の成長にも負荷が必要。

最近はエスカレーターではなく階段を使っていますよ!
(小さな負荷から始めております)

11月もあっという間に過ぎていきます。
健康に気をつけてまいりましょう。

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言葉で確認し合っていたのに、
お互いが思い描いていることが違った
という経験はないでしょうか。
実は、制作の世界ではよく起こることです。

「クールなイメージにしたい」
というリクエストがあったとします。
でも、この「クール」、
人によって捉え方が違います。

ごちゃごちゃしていない、すっきりした
デザインを指している人もいれば、
寒色系のカラーリングのことだけを
指している人もいる。

同じものを見ても、
「それは私の中ではクールではなく
洗練されているというワードが近い」とか、
「クールというより、
すっきりしたという表現のほうが
合ってますよね」とか。

もっと怪しいのは「かわいい」。
さまざまなシーンで「かわいい」を使う日本人。
「かわいいデザイン」で思い浮かぶイメージは、
「クール」よりも一致していないのではないでしょうか。
ピンクや薄いブルーなどの
パステルカラーを思い浮かべる人もいれば、
かわいいキャラクターを想像する人もいる。
人によっては「え? それ、かわいい?」
というものを想像する人も。

それくらい、言葉からイメージするものは
案外異なっています。
なので、「かわいい」なら
何的なかわいいなのか、言葉を補いつつ、
イメージを細分化していくことが必要。
「たとえば、こういうこと」と
お互いのイメージを一致させておかないと、
「求めていたのはそれじゃない」
ということが起こってしまいます。

そしてこれは、制作現場に限らず、
さまざまなシーンで起こること。
採用活動などでもありがちですね。

先日、ある人事系のサイトで、
人材コンサルタントの曽和利光氏が
「コミュニケーション能力」
について解説している記事を目にしました。

採用の場でよく耳にする
「コミュニケーション能力」。
昨年、帝国データバンクが行った
「企業が求める人材像アンケート」でも
1位でした。
しかし、この「コミュニケーション能力」
というワードもまた、捉え方がいろいろ。
さまざまな立場の人と会話する力?
相手の気持ちを察する力?
傾聴力? 説明力?など、
いろいろ思い浮かびますよね。

記事中で、曽和氏は
企業の人事部や経営者が求める
「コミュニケーション能力」とは、
次の4つを指すことが多いと言っています。

一つは「読み取り力」。
曖昧な情報を受け取った際に、
それを概念化できる力。

二つ目は「表現力」。
ある概念を具体的に表現して
相手にイメージさせる力。
たとえば比喩などを交えて、
わかりやすく説明できる力など。

三つ目が「論理的思考力」。
自分が思っていることをわかりやすく、
筋道を立てて話せる力。また、
人の話を筋道立てて聞き、理解する力。

最後が「発想力」。
一見すると違うもの同士に共通点を見つけたり、
AとBを組み合わせればCが生み出せる
ことに気づく力。

どうでしょう。
思っていた中身と違う・・・となりませんか?
コミュニケーション能力とは
「コミュニケーション」というワードから、
さまざまな立場の人と会話することができ、
意思疎通できる能力
さらに言うと、そうすることで
物事を前に進められるようにする能力
とざっくり捉えがちですが、
それをするために必要なことは何かを考えると、
結局、上記の4つになるということが多い
ということなんだろうなと思いました。

コミュニケーション能力がある人を採用したい
などと言って、解釈がふわっとしたままだと、
明るく、活発で、スムーズに受け答えする人、
みたいな人を採用しそうですよね・・・。
それでいい場合ももちろんあるでしょうが、
よく話し合ってみたら、そうじゃなかった
ということも起こりそうです。
コミュニケーション能力に限らず、
そのワードが具体的に何を指すのか、
細分化して把握することが必要だなと
改めて思いました。

さあ、11月です。
今年もあと2カ月(えーっ!!!)。
いきなり寒くなりましたが、
体調に気をつけてまいりましょう。

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