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『ちょっと気になる』カテゴリの記事

 

次男が所属するサッカー部に
一人だけ女子部員がいるそうで、
その子が昨日のバレンタインデーに
サッカー部全員にチョコを配っていた、と聞きました。


サッカー部は2学年合わせて40人以上。
「えー! かわいそう!  そんなことしなくていいのに」と言うと、
「でも、めっちゃ小さいチョコだよ」と次男。
いやいや、サイズは問題ではありません。
義理チョコなのか友チョコなのか、
もしかして本命がいたのか、
全員に配りたかったのか、
配りたくなかったのか、
その子の真意はわかりませんが、
もし、本人はそんなことしたくないのに、
そういう文化だから配っているとしたら、
本当に気の毒だと思います。


義理チョコ文化が始まったのは、80年代だそうです。
当時は、働く女性が職場の男性上司や
男性の同僚に渡すもの、とされていました。
ところが90年代以降、
義理チョコに疑問を抱く女性が増えてきたのだそう。
理由は、男性と対等な立場で働く女性が増加したことや、
金銭的負担が大きくなってきたことなど。
友チョコは、そんな空気を察して
メーカーが新たなマーケットを模索した結果、
生まれた文化なのだそうです。


あれ?  そもそも日本のバレンタインデーは、
女性が好きな男性にチョコを渡すことで、
告白する日ではなかったんでしたっけ?
その文化は続いているのでしょうか。


調べてみると、
「バレンタインで告白は昔の文化」という見出しを
毎日新聞で発見。なにー? 昔?


全国の高校生と大学生を対象にしたアンケート調査
(2021年1月実施、高校・大学生265人が回答)の結果、
高校生のとき(現役高校生を含む)に
「バレンタインデーに告白した経験がある」
と答えた人はわずか1割未満。
「大学生になってからバレンタインデーに
告白したことがあるか」という質問には、
女性回答者の全員が「いいえ」と答えたそう。
そうか・・・。
バレンタインデー、好きな人にチョコをあげることで、
告白するという文化では、最早ないのですね。
これもまた「昭和かよ」と言われるやつですね。


毎年、我が家の息子たちに
「ねえねえ、チョコもらった?」と
ニヤニヤしながら聞いていた私の姿、
彼らにはどう写っていたのでしょうか。


さて、バレンタインデーが
告白の日ではないとしたら、どんな日なのか。
調査でわかったのは、
高校生にとっては大勢の仲間と交流を深める日、
大学生にとっては交際相手にプレゼントを贈る日だということ。
大人になるにつれ、「好きな相手に」という概念になるんですね。
興味深いです。


あれ?  ここでまた疑問。
高校生が大勢の仲間と交流を深める日と
捉えているのはわかったのですが、
だとしたら男子が友チョコ配ってもいいですよね?
我が家の息子たちをみる限り、
やっぱり友チョコを配っているのは、女子だけのような気がします。
仲間で楽しもうよ、と言いながら、
でも当然チョコ配るのは女子の役目ね、みたいな感覚が残っているのかな。
それ、変ですよね。


時の流れとともに、変化するものはいろいろあるけれど、
その中で、なぜか変化せずに残ってしまっている
「考えてみたら変だよね」と感じること、
まだまだ、あるのかもしれません。
今年のバレンタインデーはそんなことに気づいた日でした。
皆さんはどう過ごしましたか?

「感無量です。うれしすぎます。
おそらく今、世界で一番幸せな
サッカー選手なんじゃないかなと思います」


1月1日、元旦の国立競技場。
天皇杯終了後のインタビューで、中村憲剛選手はそう語りました。


この日、天皇杯優勝に輝いたのは川崎フロンターレ。
悲願の優勝でした。
そして中村選手は、この試合をもって
18年間在籍したフロンターレに別れを告げ、現役を引退しました。


実は中村選手、この試合には出場しませんでした。
試合後半、ベンチ横で数人の選手と共に
ウォーミングアップを始めましたが、
最後まで交代の声がかかることはありませんでした。


試合終了が近づいてきて、
中村選手が起用されないことがわかったとき、
私は、中村選手に同情してしまいました。
現役生活最後の日が、天皇杯決勝という大舞台。
最後、数分でもいいからこのピッチに立ちたいだろうに、と。


でも、そんなことを思ったのは、
お正月気分でなんとなく試合を見ていた
私くらいだったのかもしれません。


試合後、中村選手はこう言いました。


「勝ちが全てです。
勝利が全てということは、4年前の決勝敗退で、痛いほど味わいました。
こうしてチームが優勝する様子をベンチから見ていて
本当に頼もしかったです。
18年間の最後に、中村史上最高の1年間をみんなのおかげで送れました。
本当にありがとうございます」


そうか、彼らはプロなのだなと改めて思いました。
監督はもちろん、チームの選手たちも、
スタッフも、チームのサポーターも、
彼らが目指したのは「勝利」、天皇杯「優勝」。
この日が中村選手現役最後の日だということは
もちろん全員がわかっていました。
その中で、中村選手を起用しないという監督の決断と「思い」。
これを全員が理解したのではないでしょうか。
その思いを胸に、一人ひとりがプロとして戦い、
チームを「勝利」に導いたのだなと思い、感動しました。


「思い」と言えば、
今年も数々のドラマを生んだ箱根駅伝でも、
印象に残ったエピソードがありました。


青山学院大学のキャプテン、神林選手。
箱根駅伝で競技人生を終えると決めていました。
しかし、大会直前に骨折が発覚しました。


昨年1年、コロナ禍で思うように練習ができず、
チーム全体が肉体的にも精神的にまいっていたときに、
チームを引っ張ったのは神林選手だったと、
原監督は語っていました。
このチームは神林のチーム。
だから、競技人生最後の日、なんとか箱根を走らせたい、と。


大会当日、神林選手は、9区の飯田選手に
水を渡す「給水係」として、30メートルほど、箱根を走りました。
往路で12位まで順位を下げていた青学は、
復路で優勝。総合4位まで順位を上げてゴールしました。
原監督や神林キャプテンの思いを胸に、
復路の選手が奇跡の走りを展開した結果でした。


ああ、いいですね、スポーツ。
1月は、箱根や高校サッカーなどの
スポーツ観戦をしながら、表舞台のドラマにはもちろん、
舞台裏の出来事にも思いを馳せて、
毎年、テレビの前で感動しています。


でも、よく考えると、スポーツだけではなく、
様々なことに、そこに至るまでの
ドラマや思いがあるはずですよね。
いつも当然のように利用しているサービスや商品、口にしている食品、
それらが私たちの手元に届くまでにも多くの人が
いろいろな思いを込めているのだと思いました。


2021年、今年は、より想像力を働かせながら、
感謝を忘れずに過ごそう。
そんなふうに思いました。

日本で暮らす外国人から、
日本の文化や風習について様々な意見をもらい、
日本のいいところを再認識しよう、
という趣旨のテレビ番組『Cool Japan』。
番組MCで演出家の鴻上尚史氏が
ある時、雑誌でこんなことを書いていました。


「よく外国人に言われるのが、日本人の笑顔について。
日本人は真剣な話をしているときにも笑う。
自分の意見を言った後も笑うし、失敗しても笑う。
怒っているときも笑う。
ノーと言った後も笑う。
不思議だ、と彼らは言います」


なぜ、日本人は真剣なときや怒っているときでも笑うのか。
実際に番組で日本人の笑顔について
取り上げたときに、外国人から出た意見は、
次のようなものだったそうです。


「自分の意見を言うことが
相手にとって失礼だと思うからじゃない?」
「相手を失望させたくないから笑うのでは?」
「自信がないんじゃない?」
「いつだって場を和ませたいと
思っているから笑うのでは?」
「日本人は、いつでも笑顔でいなくては
いけないと思っているからじゃない?」
「いつも笑顔で、は違う。
廊下を歩いているとき、知らない人と
目が合っても日本人は微笑まない」


うむ・・・。どの意見も
当たっている気がしますね。


その場を和やかにしたい。
反対意見を言って、場を乱したくない
(でも、反対意見は言うから、せめて笑うことで和ませたい)。
意見は言うけど、自信がないから笑顔でごまかす。
断言する感じになると、
気が強い人だと思われるから、笑顔で和らげる。


「社会」の存在が大きい日本人の間では
普通に行われていることですが、
グローバルな視点で見ると、やはり奇妙ですよね。


脳科学者の中野信子氏は、
日本人の笑顔についてこう説明しています。


「笑顔には大きく分けて2種類あります。
おかしくてつい、思わず笑ってしまう、
いわばボトムアップ型の笑い。
そして、社会的な場面に合わせて笑顔を作る、
脳内プロセスとして意思が笑えと命じて
笑いを演じる、トップダウン型の笑いです。
日本人には後者の笑いが多いということが
調査からも知られています」


「日本人にとって笑顔は単なる感情表現ではなく、
社会性を形成する重要な要素であり、
相手に対する礼儀や思いやりでもあり、
自分の心を守るための戦術で、
日本社会で生きていくためには
外せないスキルの一つなのでしょう」


確かにそうかもしれません。
考えてみると、笑顔の役割が多すぎる。
でも、脳が命令するスキルとしての
笑顔ばかりだと疲れちゃいそうですよね。


無理に笑顔を続けているうちに、
職場や友人とのやり取りの場面ばかりでなく、
家族の前でさえも作り笑顔が消えなくなってしまう
「スマイル仮面症候群」
というものがあるのだそうです。
精神科医である夏目誠氏が名付けた症状で、
笑顔の仮面を外すことができなくなり、
心身に負担がかかっている状態を指します。
夏目氏によると、そういう状態にある人は、
自分が笑顔でいること、笑っていることに
気づいていないことが多いのだそうです。


いつも笑顔の人は穏やかに見えるし、場を和ませるのも事実。
でも、だからと言って、どんなときも
無理に笑顔でいる必要はないですよね。


「私、今、怒っているのに、笑っていたかも」
自分の笑顔に意識を向けて、
笑顔のクセに、少しずつ気づいていくことが
大切なのかもしれません。

我が家にウクレレベースという楽器がやってきました。
ウクレレくらいの大きさのベースです。
弦はゴムですが、鳴らすとしっかりベース音がします。


弦楽器は、高校生のときにギターにトライし、
指が痛くてまったく弦が抑えられずに諦めてから、
再チャレンジしていませんでした。


ベースを弾けたらいいのになあと思ったこともありましたが、
ギターであんなに指が痛いのに、
もっと弦が太いベースなんて弾けるわけがないと思っていました。


しかし、ウクレレベース、
軽いし、小さいし、弦はゴムだし、もしかしたら弾けるかも。
ちょっと触ってみたら、
なんとなくいけそうな感じです。


早速、ベースを弾けたら、これ弾きたい!
と思っていた曲の譜面を入手。
椎名林檎が作詞・作曲し、
TOKIOに提供した『雨傘』です。


弾いたこともないのに、いきなりそれ?
と言われそうな難易度ですが、
これが弾きたいのですから仕方ない。
たったワンフレーズでも、
できるとテンションがあがります。


さて、この曲、出だしの歌詞はこんな感じです。


「待って。鼻をきかせなよ。
今宵は雨だろう。傘ぐらいたずさえてゆけ」


ちゃんと自分の力を使って感じよう。
自分の力を信じよう。
そんなことを歌っています。


そうですよね。
今は何でもスマホ頼り。
私、Googleなしでは目的地にたどり着けません。
雨が降るかどうかはもちろん
雨雲レーダーでチェック。
自分で空の色や雲の形を見たり、
匂いで判断なんてしません。
でも、雨が降りそうなときの空気、意識してみるとわかります。
とくに雷が鳴る前は、風もなく、音も静かになって、
独特の空気感ですよね。


我が家の猫たちを見ていると、本能ってすごいなあと思います。
マンションの隣の棟のアンテナ先に
カラスを見つけると、身を低くして近づき、
(といっても窓ガラス越しですが)
「カカカ」と威嚇の声を出します。
1日1回、全力で獲物狩りごっこもします。
ものすごいスピードで家の中を移動します。
ああ、あなたたち猫なのね、と感心してしまいます。


そう考えると、人間は生き物感が薄いな、
と思います。
嗅覚も鋭くないし、目も良くない、
最大の特徴である思考力も
スマホ頼りの生活で衰えていっているような気がします。


イギリスのガーディアン紙の記者が
集中力を上げるために、1週間Google断ちをしてみた、
という記事を読みました。
彼は何でもスマホで検索し、
買い物もすべてネットで済ませるという生活でした。


1週間のチャレンジの結果、
彼はやりたいことがほとんどできなかったと言っています。
理由は、なんといっても時間がかかるから。
コーヒーメーカーの部品を取り寄せるのは電話。
まずオペレーターにつながらない。
やっとつながったと思ったら、型番がわからない。
郵送でカタログを手配。そんな調子です。


そんなわけでイライラしただけで、
集中力が上がることもなかったようですが、
発見したことはいくつかあったようです。


たとえば、買い物は路面店のほうが安いこともあるし、
選択肢も多いと気づいた、とか、
電話のオペレーターがとても親切にしてくれたので、
人の優しさに触れられた、とか、
自分はスマホの検索ボックスにただ疑問を
打ち込んでいたのだと思ったが、
疑問を自分の中でアレンジして
打ち込んでいたことがわかった、など。
共通するのは、気づきが得られた、ということでしょうか。


気づき。大事です。
そこから思考が深まります。
テクノロジーは便利ですが、ちょっとスマホの画面から目を離して、
空を見上げてみたり、外の匂いを嗅いでみたり、
周りを観察してみたり、
そういうことを大事にしていけないなあと思いました。

コロナ禍で中止になっていた各種スポーツの試合が、
安全に配慮した形で、開催されつつあります。
Jリーグは7月からJ1リーグを開催予定、
プロ野球は来週からセ・パ両リーグで
公式戦の開幕を予定しており、
いずれも、当面はスタジアムに観客を入れない状態で
開催するとしています。


さて、観客がいない試合は「無観客試合」と呼ばれます。
日本トップリーグ連携機構代表理事の川淵三郎氏は、
この「無観客試合」というネーミングを変えるべく、
Twitterで「みんなでネーミングを考えよう」と呼びかけました。


なぜ川淵氏がこのように訴えているかというと、
「無観客試合」は、プロスポーツの選手にとっては
懲罰を意味するからです。


たとえば、欧州サッカーでは、
ファン同士が激しくぶつかり合ってトラブルを起こすことが少なくなく、
しばしば罰として無観客試合が行われてきました。
また、Jリーグでも、
ファンが差別的な横断幕を掲げたことから、
無観客試合という処分が下された例があります。


川淵氏はこう言っています。


「あらゆるスポーツ再開の前に思い至ったのは、
この名前を少しでも前向きなものに変えられないか、ということです」


なるほど、そうだなあと思いました。
ネーミングは大事だからです。
ネーミングによって、捉え方が変わり、心持ちが変わり、
それによって行動が変わると思うのです。


罰が思い出されるようなネーミングだと、
当然、選手はネガティブな気持ちになります。
モチベーションが上がりません。
それはプレーにも必ず影響してきます。
コロナの影響で、しばらくは観客を入れずに行うのですから、
この期間、この試合形式の呼び方が変わり、
前向きに捉えることができたら、ポジティブにプレーできるはずです。


こんなことを思い出しました。


かなり前、たぶん20年ほど前、
テレビでプロデューサーのおちまさと氏が言っていたことです。
おち氏は、
「ドメスティックバイオレンスのことを
DVなんてネーミングにしてはいけない。
こんなネーミングだと、気軽に使う人も増える。
そうすると、会話の中でふざけて使ったりする。
絶対にダメなことだと捉えられなくなる」
というようなことを言っていました。
とても納得したので、覚えています。


みうらじゅん氏も、どこかで似たようなことを言っていました。
「暴走族なんて、
かっこいいネーミングにしちゃいけない。
だって、オレ暴走族っていう響きが、
かっこ悪くないから。だから、なくならない。
本当になくしたいなら、口にするのも恥ずかしいような
ネーミングにしちゃえばいい」と。


これ、本当にそうだなと思います。


先ほども言いましたが、ネーミングによって、
捉え方が変わるし、心持ちが変わると思うのです。
なので、ネーミングは、本当によく考えて
しなくてはいけないと思います。


今日、久々に次男が属していたチームに顔を出しましたが、
少年スポーツでよく使われている
「反省会」というミーティングも、
別の言い方がいいですね。と、今、ふと思いました。
反省会するぞ、と言われると、
ミスを咎められるかな、叱られるのかな、と
思ってしまう選手もいると思います。
でも、「今後の試合のために対策しよう」という
ニュアンスなら、前向きに取り組めそうです。
「みらい会議」とか? 

みなさんは、変えたいネーミング、ありますか?

とうとう観てしまいました。

ゴールデンウィーク中に。1日中。全話。

そうです。『鬼滅の刃』です。


『鬼滅の刃』を知ったのは昨年です。
次男がクリスマス前にマンガ『鬼滅の刃』全巻を
リクエストしてきたのです。
初めてタイトルを聞いたので、
「何のヤリバ? 何?」などと聞き返して、
「知らないの?」と呆れられましたが、
調べてみると、その時点ですでに相当な人気で、
マンガは売り切れていて、簡単に手に入らないと知りました。


リクエストされた時、どんな内容なのか聞いたところ、
次男の説明は、
「妹を鬼にされちゃった人が鬼と戦う話」でした。
私は、「あー、またそういう系か」と、
勝手な想像をして、どちらかというと、いい印象を持ちませんでした。


結局、マンガも入手できなかったので、
私の『鬼滅の刃』情報が
アップデートされることはありませんでした。
(後から聞いたら、子どもたちは、
それぞれアニメを全部観たようでしたが)


で、このゴールデンウィーク。
家族がAmazonプライムで再度観ていた
『鬼滅の刃』の第一話をたまたまキッチンから
チラチラ観ていたのですが、
いつの間にかテレビの前に移動し、そのまま深夜まで全話観てしまいました。
遅ればせながら、『鬼滅の刃』、おもしろかったです。


私が感じた、この作品の魅力は、
なんといっても、主人公・炭治郎の思いやりの深さです。
これが、このコロナ禍、
とくに響いたのかもしれません。


炭治郎は妹を鬼にした
鬼たちと戦うために修行を重ね、どんどん強くなっていくのですが、
敵である鬼に対しても思いやりの心を持っています。
壮絶な戦いの末、鬼を倒した後でも、
その鬼がまだきれいな心を持った
人間だった頃に想いを馳せ、認め、悲しみを感じるのです。


今、世界中でたくさんの人が「我慢」をしています。
我慢が多くなると、
どうしてもネガティブになり、批判的になりがちです。


あ、批判すべきではないと
言いたいのではありません。
私は、意見したり、同意しないことに
同意しないとはっきり言うことは、いいことだと思っています。
批判も悪いことだとは思いません。


でも、相手のことを全く考えずにがんがん攻撃してしまうと、
解決できるものも、できなくなってしまうと思います。


たとえば、意見を言うとき、
こういう状況で、~さんもこう思っているのかもしれない、など、
相手の立場にちょっとだけ立って、考えてみるだけで、
伝え方も変わるかもしれない。
「相手のことを思う」ことが
物事を前に進めるためには必要なのだと思いました。


そんなことに気づかせてくれた『鬼滅の刃』。
10月には映画も公開予定だそうです。
観に行きたいなあ。


まだまだ落ち着きませんが、
みなさま引き続きご自愛ください。

テレビを観ていた次男が、
「フライドチキン食べたい!今!」
と叫びました。


パリパリの衣が特徴の
ケンタッキーフライドチキンのCMで
CM内で流れる「パリパリ」音がとてもおいしそうなのだとか。
後日、同CMを観ましたが、
なるほど、食べたくなる音でした。


ケンタッキー社の調べによると、
このパリパリ音には、脳の前頭葉に働きかけ、
ポジティブな気分をもたらすことにより、
食欲を増進させる働きがあるのだそう。
パリパリ音はお腹がすく音なのですね。


こうした食べ物を咀嚼する「音」に
最近注目が集まっているようです。


人気の背景には、「AMSR Autonomous Sensory
Meridian Response」と呼ばれる反応があります。
AMSRは直訳すると「自律感覚絶頂反応」で、
人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、
心地よい、またはぞわっとする
感覚や反応のことです。


今、多くのユーチューバーが、
専用のマイクを使って咀嚼音をクリアに拾った、
食べる動画を制作しており、
世界中で再生回数が伸びています。
この現象に注目した食品業界では、
より「音」にこだわった
商品開発が増えているそうです。


それにしても、なぜ、
咀嚼音が心地よさにつながるのか。
考えていたら、こんな調査を見つけました。


日本音響研究所が行った周波数分析によると、
スナックを食べる
「パリッ、ザクッ、ザクッ」という音は、
その波形が、なんと沖縄県・西表島の浜辺に寄せる
波の音と似ているのだそうです。


へえー!
自然の波の音に似ているから心地いいのか、
という単純なものではないとは思いますが、
「音」と気分の関係、とても興味深いと思いました。


咀嚼音に限らず、音にこだわった商品は、
以前よりも増えてきているように感じます。


私は昔から、電化製品にデフォルトで
設定されている終了音のメロディがあまり好きではなくて
ほかのメロディに変えたくても、
好きなメロディがない場合が多く、
仕方なく、シンプルな電子音にしているのですが、
大きな「ピーッ」という電子音も
そんなに気に入っているわけではないので、
もっとステキな音だったらなあ、
なんて思っています。
終了音だけでなく、スイッチ音なんかもそうです。


なので、スイッチ音に楽器音を取り入れた
バルミューダ社の電子レンジが発売になったときは、
「おおおー!」と思いました。


マーケティング業界では、
「感覚マーケティング」とか「五感マーケティング」
というジャンルがすでにありますが、
これからは聴覚のみならず、
消費者の五感に訴える商品が増えていくのだと思います。


館内の香りにこだわったホテルや旅館が
すでに評判を呼んでいますし、
自動車業界では、シートの座り心地はもちろん、
車内のスイッチのクリック感や押し込む深さなどにこだわって
開発された車も見られます。


そう考えると、もしかしたら、商品開発だけでなく、
たとえばプレゼンや社内のミーティングでも
五感にこだわることは大切なのかもしれません。
そんな目で見渡してみると、
いろいろなアイデアが浮かんできそうな気もしますね。

先日、NHKの『ヘウレーカ!』という番組で、
極地建築研究家の村上祐資さんが
閉鎖的な空間での人間関係について語っていました。
村上さんは、閉所で生活する人々を観察することで、
極地の建築がどうあるべきなのかを研究しています。


閉鎖空間での人間関係と建築。
聞いただけで息苦しくなりそうですが、なんとも興味深いテーマです。


番組の中で村上さんは、極地建築に興味を持つきっかけになった
いくつかの実験を紹介していました。


一つは、アリゾナの砂漠に建設されたバイオスフィア2という
完全な閉鎖空間で、男女8人が2年間生活をするという実験。
目的は、人類が宇宙空間へ移住するとき、
閉鎖された生態系の中で生存することが
できるかどうかを検証することでした。


もう一つはロシアで行われた実験。
宇宙ステーションを模した閉鎖空間で宇宙飛行士や心理学者、医師など、
選び抜かれたクルーが110日間寝食をともにするという内容です。
この実験では、わずか1ヶ月でトラブル勃発。
耐えられなくなった日本人クルーが
60日でシムブレイク(シミュレーション放棄)をしたそうです。


さらに村上さんは自分が隊長として参加した、
模擬火星基地での実験を紹介。
集められたのは、宇宙飛行士や医師などの専門家ではなく、
アーティストやエンジニア、学生など、ごく普通の人たちです。


この実験では、飲料水が汚染されるという
まったく予期せぬ、深刻なトラブルが起こったそうです。
村上さんは実験の中止を提案しますが、クルーはこれを拒否。
話し合って解決策を見つけたのだそうです。


クルーの中でも、一番冷静に、前向きに
状況を観察できたのがアーティストの男性。
彼は、この実験の後も同様の実験に参加し、
予期せぬ出来事はむしろ歓迎だと発言しています。
驚くことが好きだし、ワクワクするからだそうです。


ここで私個人的なことをお話しすると、
閉所はまったく得意ではありません。
基本的に、昼間は光と風を必要とします。
(夜、地下のバーでも平気なのはなぜだかわかりません)
自由がないと元気がなくなるタイプなので、
閉所では自由が奪われていると感じるからかもしれません。


ちなみに、村上さんによると、閉所では、
「閉じ込められている」と感じる人と
「保護されている」と感じる人に分かれるのだそうです。
なるほど「保護されている」という感覚!
興味深いと思いました。
押入れの中が好きとか、狭い空間にいると落ち着くという人は
保護されている感覚なのかもしれませんね。


うーん、とても興味深い番組でした。


私たちが極地や宇宙空間に行く可能性は高くないかもしれませんが、
日常でも、閉所的な空間に居合わせることはあると思います。
たとえば、ある状況の職場。
締め切り前の殺伐とした空間や、
プロジェクトがうまく進んでいないときの
空気が重く感じられる職場は
閉所に近い空間になるのかもしれません。


そんな状況で、能力を発揮できる人とはどんな人なのか、
この番組を観ながら想像しました。
私が勝手に思う人物は以下のような人です。


まず、自ら望んでその職場やプロジェクトに携わっている人。
次に、フラットな人間関係を築ける人。


ロシアの実験では、望んで集まった、しかも能力がある優秀な人たちが、
最後まで実験を続けられませんでした。
それは「選び抜かれた」「優秀」ということが
邪魔してしまったからではないでしょうか。
私はほかのクルーよりも優秀である、というプライドが
問題になったのではと想像します。


そして3つ目は驚くことや変化が好きな人。
アーティストの男性がそうでした。
トラブルをむしろ楽しめる人。最強です。


普段、自分がどんな空間でどんな距離感で人と接しているのか、
意識して考えることがないので、
いろいろ考えるきっかけになりました。
皆さんはどうですか?
どんな距離感が心地いいですか?
もし閉所に置かれたら、
自分はどんな行動をとると思いますか?
春はもうすぐ。
今週もすてきな1週間を。

年末、我が家にダイソンがやってきました。
猫2匹分の毛、子どもたちが外から持ち込む砂が
ラグからきれいに取れず、いろいろ調べた末、
根こそぎゴミを取ってくれそうなアニマルプラスという種類の
ダイソンコードレス掃除機を購入したのです。


商品が配達された日、玄関先で受け取った箱を見て、
私は「へえー」と思いました。
箱の正面と背面は製品の写真と商品名のみ、側面も製品写真。
でも、もう片方の側面には、ジェームズ・ダイソン氏の写真と言葉、
そしてダイソン社の姿勢を表すこんなコピーが書かれていました。


「『失敗を重ねても挑戦し続けること』。
これがダイソンの発明と問題解決の源です。
ジェームズ・ダイソンは、5年の歳月と5127台の試作品を経て
サイクロン技術を開発しました」


私が感じた「へえー」の中身はこれです。
こんなことが商品の箱に書かれているっていいなあと思ったのです。
思わず、そばにいた次男を呼んで
「こんなに試したんだって。すごいね。
私なら100台試さないうちにもうダメかなと思っちゃいそうだけど、
5127台ってすごいよね。諦めないって大事だね」と言うと、
「すげえな」と呟いていました。


こういう製品パッケージを受け取ってみて、思いました。
これは単に掃除機を買って、受け取ったという気持ちじゃないな、と。
なんというか、ダイソン社の理念や姿勢を受け入れた気分になるのです。
ファンになったということだと思います。


消費者がただ製品を買ったという気分にならないメーカー、
ほかにもあると思います。
たとえばApple社。
買ったというよりも、オーナーになったという感想でしょうか。
ちょっといい気分になる。
好きな車を購入したときと似ているのかもしれません。
あとは、日本の最近のメーカーで言えばバルミューダ社とか。


それ、デザインがかっこいいだけじゃん、ってことになりそうですが、
まあそこも含めてこれらのメーカーに共通していることを見つけました。


それは、
自信があること。
わかりやすいこと。
媚びないこと。
潔いこと。


そうです。
自信があるから、機能もデザインもわかりやすいし、媚びなくていい。
だから潔い。


買ってください、買ってあげますという構造になりにくい。
こういう関係、いいですよね。
仕事関係も、人間関係も、こういうリスペクトがある関係は
やはりステキだなと改めて思いました。


さて、肝心のダイソンの性能。これがすごいのです。
踏み固められてカッチカチになった我が家のラグの毛を
耕運機のようなパワーで根っこから起こし、
底にたまった猫毛と砂を見事にかき取りました。
ダストボックスを眺めながらこんなにニヤニヤしたことはありません。
挑戦し続けてくれてありがとう、ジェームズさん。

先日、高校時代の友人とランチの約束をしました。


約束の日、最寄り駅まで自転車で向かった私は、
家にスマホを置き忘れたことに気づきました。
取りに帰れば30分の遅刻です。前日やりとりしたLINEでは、
「町田駅、小田急の東口あたりに12時前くらいね。着いたら電話して」と、
ゆるく場所と時間が決まっていました。


私と彼女は30年以上の付き合いで、スマホがない時代でも
日本各地はもちろん、海外でも会う約束をして食事をしたりしてきました。
なので、彼女とは会えるという妙な自信があって取りに戻ることをやめ、
スマホなしで出かけました。


さて、約束の場所。かなり待ちましたが彼女は現れません。
東口が数カ所あるのかも、そもそも東口じゃなくて西口だったのかも、など、
ありそうなことをいくつか想像して移動してみましたが、彼女の姿はなし。
なんとなく、こりゃ会えないかも、という気がしてきました。


困った。どうしようか考えながらウロウロしていると公衆電話を発見しました。
ラッキー! ...なのか?
自宅、実家、職場以外で私が記憶している番号は夫の携帯だけ。
私の友人とは家族ぐるみの付き合いなので知っているはず!
早速、夫に電話をすると、たぶん番号がわかるとのことだったのですが、
コインで公衆電話を使っているので長く待てず、
取り急ぎどこで待っているかを伝えてもらうようにして電話を切りました。


ここからの大・伝言ゲームとてんやわんや劇場の詳細は省略します...。
が、簡単にお伝えすると、夫は彼女の旦那さんの番号しかわからず旦那さんに連絡、
その際「小田急東口」を新宿と思い込んで新宿と伝える、旦那さんは彼女に連絡、
なぜか新宿小田急東口で私の夫が待っている、となる...。


まったく会えなそうですよね。私も会えないかと思いました。
でも、会えました...。1時間後に。


結局スマホを取りに戻ればよかった、という話です。すみません。
が、私がこの一件で気づいたことは
「普段、スマホに頼りすぎ!」ということです。


後で連絡を取り合うことを前提にしているので、約束もしっかり確認しない、
先のことを想像することもしなくなっている、判断力も鈍っている、
伝言力も鈍っている。あ、スマホのせいばかりではありませんね...。
でも、やっぱりスマホなしでは行動できなくなっているのは確かです。


脳の学校の代表で、医学博士の加藤 俊徳氏は、スマホに頼りすぎると、
脳の「聴覚系をつかさどる部位」が使用されず、衰えていくと指摘しています。


脳というのは、聴覚系や視覚系、思考系など、部位によって働きが違いますが、
スマホばかり見て脳の成長が視覚系に偏ってしまうと、聴覚がなおざりになる。
聴覚系は理解系や記憶系と密接な関係にある非常に重要な脳の部位なので、
聴覚系の働きが阻害されると、
物事をきちんと理解し記憶に基づいて行動できなくなるということなのです。


そうなると、実際にどのようなことが起きるか。
加藤氏は、デジタルネイティブの若い世代ほど、
たとえばオフィスで電話を受けたとき、相手が怒っているのか、困っているのか、
声から状態を想像することができず、
間違った対処をしてしまいがちだといいます。


なるほど...。我が家には思春期青年がいますが、思い当たりますね...。
そして私も、しっかり耳から情報をキャッチしているかというと、
そうではないかもしれません。
大まかに聞いて、後からネットで調べるなんてことをやっているように思います。


いけませんね。
なんだか人間という生き物としての能力が失われていっているような気がしてきました。
「デジタルデトックス」も浸透しつつあります。
スマホなしで能力が低下していないか、
時折確認してみるといいのかもしれません。

 

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