ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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『ちょっと気になる』カテゴリの記事

 

汚部屋.jpg

大喜利ではありません(笑)。

カレンダーが11月に近づくと
だんだん「年末」という言葉が
ちらつくようになってきます。

年末に向けて片付けなければならないのは、
仕事だけではありません。

大掃除をするのは大変だから一年を通して
小掃除をちょこちょこやろうと思っていて
結局やらなかった家の中を、
年末に向けてなんとかせねばなりません。

数日前、ネットを眺めていたら
「1日5個捨てる大作戦」
という記事を見つけました。

この記事を書いたのは藤原華さんという方で、
過去にもクローゼットの服の断捨離リストが
ユニークだったことで注目された方のよう。

この「1日5個捨てる大作戦」にも、
エリアごとの捨てる対象物リストがあって、
それがおもしろい。
「あるある」と頷けるものなので、
またもや話題になっています。

例えば、

台所・お風呂
・なぜか二つある缶切り
(錆びているほうを捨てる)
・冷蔵庫の奥深くで眠っている人参のミイラ
・コンビニの割り箸とフォーク(一生使わん)
・おまけでもらった石鹸

洗面所・お手洗い・居間
・「あとで掃除に使う」と残しておいた歯ブラシ
・ディズニーのおみやげでもらったお菓子の缶
・何かのネジ

など。

ある・・・ありますねえ・・・

リストを読むだけでおもしろい。
リストは新しいエンタメコンテンツかも。

あ、今日お伝えしたいことは、
実際に行動に移すためには、
自分がワンステップを踏み出しやすい、
遊び心と工夫が大事だということです。

掃除や片付けが好きな人・得意な人は、
そもそも年末に向けて
大量にものを捨てる必要がないわけで、
1日5個捨てる大作戦を
決行しなくてはいけない人は、
片付けが得意じゃない人。

そういう人は、
片付けや掃除というワードにまったく
心が踊らないのです。

でも、

「こういうの、家にありますよね?
それ、捨ててみてはどうですか?」

というオモシロリストがあったりすると、
楽しい気分になり、やる気になる(笑)。

そして、この「1日5個捨てる大作戦」リスト、
じっくり見てみると
読んだ人がアクションしやすいよう、
よく考えられているし、
読者目線で興味がわくようにできている。

客観的な視点を感じるなあと少し調べたら、
リストの作者である藤原華さん、
『片づけをプロジェクト管理してみたら
汚部屋が生まれ変わった』
という本を出していて、
片づけをプロジェクトとして捉えて、
KPIを設定し、WBSを作り、
PDCAを回しています(笑)。
なるほど。客観視、できるわけです。

ちなみに、実は私も以前同じようなことを
考えたことがありました。

家事は仕事なんだから、
PDCAを回すという発想が必要だ。
クオリティを保ちながら、
効率も上げるにはどうしたらいいか、
可視化してはどうか、
というようなことです。

私の場合、これを思いついた時は
とたんにおもしろくなってしまい、
エプロンをつけたままデスクにはりついて
エクセルをいじって、
家事どころじゃなくなったのですが、
この華さん、
しっかり片付けに落としているところが
すばらしい。
形にするまで、続けるって
本当に大事です・・・

何の話ですか?という感じになってきました。

お伝えしたかったことを、まとめてみます。

目の前のタスクが興味があることであれば、
どう取り組むかをいちいち考えなくても
高い熱量で取り組めると思います。

しかし、苦手なことである場合は、
そこに向かっていくための何かが必要。
この華さんのように、
おもしろリストをつくって作戦名をつけて
取り組むのもよし、
プロジェクト化して仕事のように
取り組むのもよし、
もしかしたらゲーム感覚でできるよう、
「昨日の私を超えろ!
トイレ掃除3分チャレンジ」など、
ゲームを考えてしまうのもいいかもしれません。

何が響くかは人によって違います。
仕事でも、プライベートでも、
自分はどういうことだとモチベが上がるのか、
どんなことだと取りかかりやすいのか、
そんなことを考えて、
取りかかり方を工夫してみると
いいかもしれません。
それで、もしうまくいったら、
ほかのことにも応用できます。

そう考えると、
年末の片付けも楽しくなりますね。

「いやいや、
そんなこと考えている間に
早く掃除しちゃえばいいでしょ!」

という声も聞こえてきます・・・

季節の変わり目、体に気をつけてまいりましょう!

やってみよう.jpg

「遠くを見ています」


テレビのインタビュー番組に出演していた
草彅剛さんが、なぜそんなに目がいいのか、
何か特別にしていることがあるのか、と聞かれ、
そう答えていました。

インタビュアーが、
いやいや、そんな簡単なことであるわけがない、
もっと他に何かやっているでしょう、
というような反応をしたら、
草彅さんは、こんなことを言いました。

「だいたい、そういう反応されるんですよ。
そんなわけないって。でも、皆さん、
子どもの時から、遠くを見るのは目にいい、って
言われてきているのに、実際やっていないでしょう?
やってます? 僕はちゃんとやっているんですよ」


「ああ、そうだ。本当にそうだ」と私は思いました。

いいと言われていることを素直にやっているのか?
やったと言えるほど、続けたのか?と。

「よく噛んで食べなさい。30回噛みなさい」

なんて、言われたりします。

よく噛むと体にいいと
私も親や祖父母に言われました。

でも、私はやってこなかった。

どう体にいいのかわからんと思っていたのか、
面倒臭いと思っていたのか、
子どもの私がどう感じていたのかは覚えていませんが、
とにかくやってきませんでした。


昔から言われていたことに限らず、

「エスカレーターではなく階段を使うといい」
とか
「水をたくさん飲むといい」
など

健康にいいというジャンルに絞っても、
「こうするといい」という情報は山ほどあります。

これまた、私の場合、
素直に採用していることはほとんどありません。

無意識に、
「そのやり方は私に合っていない」とか
「いや、もっと効果がある方法があるはずだ」と、
やらない理由を考えているのかもしれない。

書きながら、そう自分自身の癖を分析したのですが、
いやこれは、まず自分でよく理解してから取り入れたい、
ということだと気づきました。

よく理解していないものに手をつけたくないというやつ。

でも、これ、理解するまでに時間がかかるわけなので、
なかなか手をつけないということになります。
「ちょっと待って、まだ理解していないから」
なんて言っていると、時間がどんどん過ぎる。

そして、なんだかんだ、
オリジナリティを加えようとする 笑。
そのままやりたくない。
厄介です。

仕事や勉強でもそうかもしれません。

「こうするといいよ」という情報やアドバイスを
もらっても、そのまま実行しない。

これもまた、
「待って、これから理解するところだから」
とか
「私なりのやり方があるはず」
みたいな理由ですね・・・
そうなると、いつまでたってもやらない。


まずは、言われたまま、素直にやってみる。
いろいろ工夫を加える前に、やってみる。

これ、とても大切だと気づきました。

なんでもかんでも片っ端からやったほうがいい
ということではもちろんありません。
でも、難しいことをいろいろ考えず、
まずは言われたまま、いくつか試してみる、
とにかく早く取り掛かることが大事だなと。

やりながら理解することもできるし、
やらないと理解できないこともある。
やらないと、自分に合っているかどうかもわからない。

守・破・離ですね、これは。
守を全然やっていないのに、破に行っちゃいかんよ、
まず、教えのままやってみて、
そこから自分のオリジナリティを加えなさい、
ってことですね。

まずはレシピ通りやってみよう、
つべこべ言わずにまずやってみなさい、私! 笑

というわけで、
書きながら、自分自身にツッコミを入れる、
リフレクション感満載のメルマガになりました。

さて、あっという間に8月も終わり。
暑すぎて、早く秋が来ればいいと思っていたのに、
ツクツクボウシの鳴き声が聞こえると
夏の終わりを感じて寂しくなってしまいます。

とはいえ、9月もまだまだ暑いでしょう。
台風も心配です。
体調に気をつけてまいりましょう。

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連日、熱い戦いが繰り広げられている
パリオリンピックですが
皆さん、開会式はご覧になりましたか?

私はオンデマンドでじっくり見たのですが、
すごくよくできたショーだなと思いました。
そして、何と言っても、
最後のセリーヌ・ディオンの
愛の讃歌がすばらしかった。
病気でしばらく活動できなかったセリーヌ。
もう歌えないのではと言われていましたが、
ステージでのあの堂々としたプレゼンス。
泣きました。

さて、セリーヌ、歌はもちろん
エクセレントだったのですが、
ドレスもとても美しいと思いました。

パッと見はシンプルな白いドレス。
でも、よく見ると、
細かなフリンジやビーズが
散りばめられていて、
私はファッションの専門家でも
なんでもないですが、
これは計算されたシンプルだなと
思いました。

後日調べたら、彼女のために
ディオールがデザインしたのですね。
アトリエで1,000時間かけて
生み出されたドレスだそうです。
当日のあの場と歌、
彼女の雰囲気にぴったりでした。

考えてみたら、
あのエッフェル塔のステージも、
セリーヌの復帰ステージだと捉えると、
もっとゴージャスにしたいと
思っちゃいますよね、普通なら。
もっと、もっと飾ろう、と。

でも、ステージ自体も大変シンプルで、
エッフェル塔全体をステージとして捉えたときに
生きるようにデザインしたのだなと思えました。

シンプルは強い。
でも、シンプルは難しい。

そう、あらためて思いました。

よく引き算のデザインと言いますが、
引き算は難しいですよね。
一回、盛ったものを
引くということが難しいんですよね。

普段のファッションもそうですね。
一度、いろいろ足してしまったら、
そこから引くのはとても難しい。
なぜなら、引いた瞬間
「さみしいなあ」と思ってしまうからです。

インテリアもそうです。
いったんいろいろ並べてみた。
壁にも絵も掛けてみた。
間接照明も加えてみた。でも、何か違う。
そしてどんどん足してゴチャゴチャになる。
そうなると、引くのは大変です。
引けば、引くほど、さみしくなる(笑)。

文章もそう。
いろいろ情報を付け加えたほうが
相手にとっても親切だろう、
伝わるだろうと思って追加する。
そうしたら、モリモリになって
かえってわかりにくくなってしまった。
でも、もう何を引けばいいのかわからない。
ありがちです。

引き算が難しいのは、
考えが必要だからですよね。
コアになる考え、コンセプトや
メッセージとも言えるでしょうか。

考えがあれば、
「こういう考えだから、これを強調する、
あとはいらない」
となるのですが、
考えがないと、何を基準に引き算するか
判断できなくなってしまうのだと思います。
そもそも、引くという行動は
勇気を必要とすること。
判断軸がないと、さらに難しい。

そして、考えは、
盛る前になくちゃいけないものですね。
考えがあったら、それを強調すればいいわけで、
いらない要素を盛らない判断ができます。

なんて、書きながら、
私も今、「そういうことか」と気付きました(笑)。

何事も、考えが大事。
その考え方が目立つようにし、
そうでないところは削ぎ落とす。

難しいですけど、そういうことですね。

まだまだ暑いですが、
皆さんご自愛ください。

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よく目にする言葉で、前から違和感を感じている言い回しがいくつかあります。

一つは「ほめられレシピ」「ほめられコーデ」などの「ほめられほにゃらら」。

二つ目は「愛されメイク」などの「愛されほにゃらら」

まだありそうですが、すぐ浮かぶのはこの二つです。

何が違和感かというと、単純に、「~したい」じゃなく「~されたい」なの?
相手の行動ありきでいいの?と思うのです。
~されるかどうかは自分でコントロールできないことだからです。



自分ではものすごくおいしい料理ができたと思っても、相手からほめられないことだってありますし、

バッチリメイクできたと思っても愛されないときだってあります 笑。

相手の行動がゴールだと、相手の反応が期待と違ったときにガッカリしたり、イライラしたりすると思うのです。


「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

このことわざを知ったのは、アドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』を読んだ10年ほど前。

当時、私は、反抗期に突入した長男の言動や行動に日々頭を抱えていたのですが

この言葉そしてアドラー心理学を知って、とてもすっきりしました。



相手を無理やり変えることはできない。私ができることはここまで。ここからは「他者の課題だ」とわかったからです。

その『嫌われる勇気』、今本棚から引っ張り出してきました。

「あなたの期待や信頼に対して、他者がどう動くかは他者の課題なのです」とあります。

そう。そうなんです。
「ほめられる」か「愛されるか」。そこは他者の課題なのです。



せっかくおいしい料理をつくったのに、ほめられなくてガッカリするなんて残念なので、

自分自身が「うわ、これ、最高においしい!」と、おいしく食べられればいいのではないでしょうか。

相手が「すごいねえ」「最高」と言ってくれなくても。

「いや、そんなに深く考えることじゃないんじゃないですか?」

「 みんなそこまで考えずに普通に使ってますよ」ということかもしれません。

確かに、こうした相手の行動ありきの言葉、結構使われていますよね。

「モテメイク」とか「モテコーデ」なんかもそれですね。

なんでしょう。流行り?

深く考えないで使っているとしても、こういう言い回しの言葉が普通にメディアにバーンと出てくるのは、むむ?と思います。

引っかかるポイントは、他人軸以外にもあります。

それは、何となく上下関係というか、強弱関係を感じることです。

とくに、「ほめる」「ほめられる」には感じますね・・・。

育成でもよく使う言葉なので、見慣れた言葉ではありますが。

いや、叱って伸ばした方がいいと言ってるわけではないんです。

なんというか、ナチュラルじゃない感じがするんですよね。考えすぎでしょうかね 笑。

職場で「今週のほめられ仕事はコレ」とか「~~部長の必殺ほめトーク」とか、そういうの、いやですよね。
あ、ここまでおもしろかったらいいかもしれませんが 笑。

というわけで、他人の行動を自分のアクションのゴールにすると辛いのでは?という話でした。

基本的に、自分ハッピーがいいですよね、何事も。

春ですね。花粉シーズンがまだまだ続きますが、負けずにまいりましょう(涙)。

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昔、友人の一人に「本がきらい」という人がいました。
聞くと、本屋に行くと毎回トイレに行きたくなってしまい、

本屋に入ったのにトイレにいる時間のほうが長くなるからいやなのだとか。

「本アレルギーかも」と言っていました。

ところがある日、彼女が「この本、良かった」と言って本を持ってきました。

知り合いに貸してもらったとのことで、すごくおもしろかった、と。

当時、彼女はルームメイトで、私たちはお互いの仕事以外の時間は結構一緒に過ごしていましたが

彼女が「きらい」と言っている本を手にしているところは見たことがなかったので驚きました。

「あれ?本苦手じゃなかったの?」と私が言うと、「あ、ほんとだ。これは大丈夫だった」と彼女。
「じゃ、本がきらいじゃなくて、本屋がきらいなだけだったのかな」 と笑って、おすすめポイントを熱心に話してくれました。

女性のエッセイだったと記憶していますが、楽しく話したことをなんとなく覚えています。

最近、このエピソードを思い出したのは、ビジネス誌の記事で、マーケターの森岡毅氏が、

自分の好き・強みを知るには動詞に注目しようと語っているのを目にしたからです。

森岡氏は、単に「好き」で終わらせていると、自分が具体的に何が好きなのかがわからず、

何が強みなのかを正確に把握できないと話していました。

だから、例えば「好きなことはサッカー」と言う人は、サッカーの何が好きなのか、動詞に注目することで考えよう、と。

サッカーを「観る」のが好きなのか、「プレーする」のが好きなのか、

それとも「戦術を考える」のが好きなのか。 それを知ると、自分自身の理解も深まっていくというようなことでした。


これ、「きらい」の場合も一緒だなと思い、友人のエピソードを思い出したのです。

友人は本はきらいと思い込んでいて、本を避けていましたが、ふとしたきっかけで、

きらいなのは本じゃなくて本屋だったことに気づいた。

本当は、「本屋がきらい」「トイレに行きたくなる」「本がきらい」という時点で、

「それ、本がきらいということではないのでは? そもそも本屋に行くとトイレに行きたくなるってどういうことなんだろうねえ」と二人で考えれば早く気づいたのかもしれませんが、

若い私たちは(笑)、「なんだ、それ!」と笑ってスルーしてしまっていたのでした。

そんなことよりも楽しいことがたくさんあったのでしょうねえ。

ちなみにですね、実は10年以上前にもこのエピソードを思い出すきっかけがあって

ネットで調べたら、「本屋でトイレに行きたくなる」という人は少なくないということがわかりました。

諸説あるようですが、どうやらインクの匂いでトイレに行きたくなってしまう人が多いよう。

そう考えると、本屋が苦手なのではなく、インクが苦手なのでは。

いや苦手というより、インクの匂いを嗅ぐとトイレに行きたくなるから、

トイレがたくさんある本屋なら、本屋も本もインクもきらいではないのでは、

などと思い、ああ当時の彼女に教えたい、、と思いました。

そうそう、「好き」「きらい」は、表面だけさらっと触れているだけでは、わからないという話でした。
もっと奥に真相があるのです。

友人の件は「本がきらい」でしたが、「本が好き」の場合も同じですね。

だれかが「本が好きです」と言っているのを聞いたら、

通常、「ああ、あの人は読書が好きなんだな」と思いますが、そうじゃない「本好き」もいますよね。

例えば、「本というアイテムが好き」な人。紙の質感や表紙のデザインなんかを見ているのがすごく好き。

だから本屋は好きだけど、本を読むかというとそうでもない人。

「本屋という空間が好き」という人もいるかもしれません。本自体というより、本がある場の雰囲気が好きな人。

「本が好き」の奥にいろいろあるのに、

そこを見ようとしないと「本が好き」というぼんやりした理解で終わってしまうことになります。

「好き」「きらい」以外でも、例えば「楽しい」や「悲しい」「うれしい」「すごい」なども同様。

前述した森岡氏が言うように、動詞に注目したり、

「WHY」を深掘って、奥にあるものを見つけられると、

「あ、そこがポイントだったの?」など、意外な発見があるかもしれません。

あっという間に3月。気温差が激しい季節ですね。体調に気をつけてお過ごしください。

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インスタで料理動画をよく見ます。

自分から進んで見つけにいっているというよりは、どんどん出てきちゃうので見ているというほうが近いです。

「あ、いいな」と思って保存したりすると、そればかり出てくる。

チーターの赤ちゃん動画にいいねしたら、数日間チーターの赤ちゃんテロくらいの勢いになってしまう、あれです。

そうそう、料理動画の話でした。

見ていて思うのは、皆さんクオリティが高い。
もちろんプロの方もいらっしゃるでしょうが、そうでない方々も料理自体も動画もクオリティがどんどん上がっていく。
これは、ちょっと作ってみましたくらいのレベルのものを気軽に投稿できない雰囲気ですね。

実際、ちょっと作ってみましたの投稿に、盛り付けがよくないだの、

切り方がいまいちのようなコメントがあるのを見ると、閲覧する側の期待も高くなっている様子。

クリエイティブのクオリティってこうして上がっていくんだなあ、すごいなあと思いながらも、

世の中の料理のクオリティが高すぎて、料理から遠のいてしまう人ももしかしたらいるのではという気もしてきました。

そんなある日、noteでこんな発言を見つけました。

「家のチャーハンで、パラパラかどうかなんて悩む必要は全くないわよ。

パラパラは、チャーハンがベロにのっかった一瞬のことでしょう。

多少作り方が違ってたって口の中で合体して、ごっくんしたらみんな一緒よ」

どなたが発したのかとてもわかりやすい。
はい、平野レミさんです。
平野レミさんが、昔、初めて出演したテレビの料理番組でトマトを素手で握りつぶしたら

「下品だ」という抗議の電話が殺到したという話はよく知られています。

レミさんによると、トマトを素手でつぶすのは包丁で切るよりも

断面がギザギザになって味が染み込みやすくなり、なにより簡単だからだそう。

仕事で疲れきっている人が料理の完成度を上げるために

手間をかけすぎて不機嫌になるのはハッピーじゃないとレミさん。

「私が大事にしているのはキッチンから幸せを届けることだから」と語っていました。

確かに。結局、何を大事にするかだなあと思いました。

自分が大切にしたいことを忘れて、

ただ、すべてのプロセスで完成度を上げるような取り組み方になってしまうと、

時間は限られているのだから、疲弊してしまいます。

そういえば「ええ加減でええんです」と土井善晴さんも言っていますね。

一汁三菜にしばられすぎて、つらい思いをしている人もいる。

お味噌汁にどんどん具を入れて、一汁一菜で十分と土井さんは言っています。

細かなことは気にしなくていいと。

「焼き魚をして魚の皮がむけたことを失敗と言う。どこが失敗やねん、と思います。

おにぎりをちゃんと三角に握るとか、ギョウザをきれいに包むとか、別にいらんでしょ。

焼きムラがあってもええんです。その方がおいしい。日本人は、体裁とか均一性を要求しすぎです」

と、インタビュー記事で話していました。

土井善晴さんが大切にしているのは、一生懸命料理するという、そのプロセス。儀式みたいなものかもしれません。

ええ加減というと、適当や手抜きのようなニュアンスですが、そうではなくて、

作り手側の加減でいい。しょうゆ大さじ1なのか1.5なのかは作り手が決めればよい。心がこもっていればいいと。

そうだよなあと思います。

忙しく毎日を過ごしていると、

外から聞こえてくる「こうすべき」「こうあらねばならない」「普通はこうする」に引っ張られてしまうのかもしれません。

それぞれの事情、やり方があっていいはずなのに、

自分にとって大切なものをつい忘れてしまい、外の声に流されてしまう。

料理に限らず、「私は何を大切にしたいのか、そのために何をして、何をしないのか」、

そういうことを考えないといけないなと思いました。

そうこうしている間に、2月が終わっていきます。
私が大切にしたいことは何なのか(笑)。
春がそこまできていますね。体調に気をつけてまいりましょう。

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「買い物リストに・・・えーと・・・」
「何を追加しますか?」
「コーヒーです。コーヒー追加して」
「コーヒーを買い物リストに追加しました」
「ありがとさん」
「ごめんなさい。わかりませんでした」

私と我が家のアレクサの会話です。

我が家のアレクサは、5~6年ほど前に購入したもの。
主に買い物リストへの追加くらいの使用なので、
ほとんど話しかけることはありません。

世代が前のものだからなのか、
私があまり話かけないことで学習が進んでいないのか
わからないのですが、
会話が少し複雑になると成立しないことがあります。
何かを聞き間違えて、突然音楽を流し始めたり、
全然関係ないことを説明し始めたりもします。

でも私は別に気にならない、というか、
アレクサが質問を勘違いした回答をしたり、
おや?と思う音楽を流したりしても
イライラしたりはしません。
気になるのはむしろ、アレクサがよく
「ごめんなさい」ということです。

私が常にアレクサを叱っているわけじゃないんですよ。
たとえば、アレクサが突然音楽を流し始めたとき、
「アレクサ、もう大丈夫、やめて」と言うと、
あっさり無言でやめてくれることもあるのですが、
「ごめんなさい、よくわかりませんでした」
と返ってくることがあって、
その「ごめんなさい」が気になるのです。

わからなかったんだから
「ごめんなさい」をつけるのは当たり前でしょう、
という意見もあると思うのですが、
わからないくらいで謝らなくていい、って
思ってしまうんですよね。
「ごめんなさい」言い過ぎじゃない?と。

あ、ただ、もしこれが自動運転のAIだったら、
そりゃ、いかんですね。
「ごめんなさい、わかりませんでした」とか言われても、
「おい!」ってなりますね。命がかかっていますから。

そうか。相手をどんな存在としてみているかで
期待する対応が変わるってことですね、これは。

私にとってのアレクサは、私の代わりに
買い物メモを書いてくれる気が利く女性
(女性の声なので)。
キッチンの近くに置いてあるので、
片手にフライパン、片手に菜箸という状況でも、
「買い物リストに、みりん追加しておいて」と言えば
追加してくれる。なんとすばらしい。
うちの息子なんて「あとで、自分でやれば?」
とか言ってきますよ。
ありがたく思っているので、
「ごめんなさい」に違和感を覚えるんですね。

これが、もし、
「私は、あなたを優秀なアシスタントとして
迎え入れました。よろしく頼みます」
と思っていたら、
期待するレベルが高いわけですから、
「わからないじゃないだろう!」
となるかもしれませんよね。
ユーザー的にはこっちのほうが
多いのかもしれません。


いきなり開発目線に立ちますが、
いろんなユーザーがいて、
怒る人も少なくないでしょうから、
うまくいかない状況のときの
アレクサが発するセンテンスに
「ごめんなさい」をつけるのは当然ですね。
そしてこれ、世の中のカスタマーサービスの
マニュアルと一緒ですよね。

私、お客様対応で、
「申し訳ありません」を言われるのも気になります。
いや、全然怒ってないんですけど、と。

たとえば、先日、スーパーの棚から
商品がざざーっと落ちていて、
こりゃ知らせてあげねばならん、と思い知らせたら
「申し訳ありません」と言われ、むむ?と思いました。
私は「財布、落ちましたよ」と同じ感覚だったので。
でも、きっと、
「商品をきれいに陳列していないとは何事だ!」って
怒る人がいるから、「申し訳ありません」って
言うことになっているんでしょうね。
大変だなあ、ほんとに。


いやあ、アレクサなどのAIも含め、
ユーザーへの対応は、
なかなか奥が深いテーマです。
我が家の息子たちを見ていても思いますが、
彼らが望んでいる人間関係は、
私の時代とは違い、ずっとフラット。
ユーザーが相手とどういう関係を築きたいかで、
今後、AIが発する会話や世の中のお客様対応が
変化するのかもしれません。
そう考えると興味深いですね。

個人的には、
AIの人格を選べたらいいなと思います。
仲間モード
反抗期モード とか。どうでしょう。

さて、ゴールデンウィークも終わり、
気づくと5月も2週目が終わる・・・
週末に向けて、元気にまいりましょう!

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少し前、都内の大手スーパーが新業態として
青果店をオープンしたというニュースに
目が留まりました。

青果店? 咄嗟に頭の中で想像したのは、
リッチなフルーツパーラー的なお店。
旬の果物を贅沢に使ったパフェが
3千円近くするような店です。

どれどれ、と、詳細ページにアクセスしたところ、
そこに掲載されていた写真は、いわゆる八百屋さん。
サザエさんに出てきそうな、
昭和テイストの小さな店でした。
なぜ、今?

記事を読んでみると、そのスーパー、
もとは青果店だったそうです。
規模が大きくなり、スーパーという業態になっても、
「野菜と果物なら私たちにお任せください」
という思いは変わらず、
「原点に戻って、一人ひとりのお客様の顔を見て、
商品の良さを伝えたい」
という思いから、新業態の出店を決めたと
書かれていました。

お客様から意見をすぐに聞けるというのが
小さな店のメリットだと、
記事中でプロジェクトのオーナーは語ります。

「昨日の◯○、少しかたかったわよ」
などの声をすぐに吸い上げられ、
売り場ですぐにフォローできる。
仕入れ情報はもちろん、
料理の仕方のアドバイスもできる。
そうしたやりとりを通して、
顧客との信頼関係を築くとのこと。

確かに、この店は店員がとても詳しい、
丁寧に説明してくれる、しかもおいしい、
となればファンになりますよね。
八百屋業態のほうのファンが増えれば、
スーパーのほうも好感度が上がる。
なるほど、原点に帰った
ブランディングなのだなと思いました。

ここで思い出したのが、
以前どこかで目にした、
青森の「ポップごと売っている本屋さん」のこと。
青森県八戸市にある小さな書店なのですが、
ここでは数年前から、
店を訪れた人に本の内容、
魅力をわかりやすく伝えられるよう、
手描きポップを制作。
ある時、「おすすめを教えてください」と
お客さんに聞かれた店員さんが、
おすすめポイントをあらかじめ書こう!
と思ったのがきっかけだったそうです。

ポップは徐々に評判になり、
Twitterで噂が広がって、
やがて「ポップごと売ってほしい」
という声が相次ぐように。
今では普段あまり出ないような本も、
ポップをつけると売れていくそうです。

ポップを担当している店員さんが、
きちんと本の内容を読み込み、
「こういう人に読んでもらいたい」
というところまで考えて、その魅力を
的確にポップで表現できているからこその
現象ですよね。

昔ながらの手法なのかもしれませんが、
考えてみると、とても高度な宣伝方法。
だれにでもできることじゃないなあ。

そういえば、
今のような音楽配信サービスがなかった頃、
タワーレコードなどの
CDショップで買物をするとき、
かなりあてにしていたのが
店員さんが書く手書きポップ。
ポップを読んで、フムフム言いながら
CDを手にとっていたのでした。

人気CDの視聴コーナーは
いくつかあったものの、
すぐに聴けない時代だったし、
ネットがない時代だったので
ポップの情報が頼り。
(ものすごく大昔に感じますけど、
そんなに前でもないんですよねえ)

すごく音楽に詳しいスタッフさんが
ジャンルごとにいて、
しっかり刺さるコメントを工夫して
書いているんだろうなあと思っていました。
久しくショップに足を運んでいませんが、
今でもあるのでしょうか。
今思うと、あのポップ、
店のファン作りの柱でもあったのでしょうね。

さて、こうして書いてきて感じたことは2つ。

1つ目は、当たり前ですが、やはり、
自分たちが扱っている商品のことは
知らなくちゃいけないな、ということ。

ネットで購入者自身が調べるのが
前提のような世の中ですが、
商品にしろ、サービスにしろ、
それを扱っている側が顧客よりも知らない、
ということはよろしくないなと思いました。
知らないと責任を持っておすすめできない
→あまり売る気にならない、
ということにもなりますよね。
逆に、扱う人たちがもっと興味や関心を持てば、
それだけ意見交換が活発になり、
質の向上につながるのではと思ったりもします。

2つ目は、ブランディングって、
やはり顧客視点に立たなければ
成り立たないなあということです。
自分たちの商品がこんなにいいです!
ということをかっこよく伝えても、
刺さらなくては意味がない。

冒頭であげた八百屋さんであれば、
目の前のお客さんを見て、
例えば高齢の方には柔らかくて
調理しやすいものをすすめたり、
忙しい人には日持ちするものを
すすめたりできる。
そのくらいの気持ちで、
そのくらいの解像度で、
私たちも商品やサービスを使う人のことを
想像することが大事なんだろうなと感じます。
ネットでググることが当たり前の社会で
暮らしているからこそ、
人の温度を感じられるコミュニケーションが
注目されるのだと思いました。

さーて、W杯も終わり、
アルゼンチンも優勝し、
寝不足がやっと解消されてきたと思ったら、もう年末・・・。
今年もあっという間に終わっていきます。
ひいい~。

今年もメルマガをお読みいただき、ありがとうございました。
後半、配信が滞りがちになり大変失礼しました。
来年はがんばります!

皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

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9月の下旬。
日曜日の午後だったと思うのですが、
夏っぽいものを食べる最後のチャンス!と思って、
ご近所にあるチェーン店のカフェに行きました。
食べたかったのは、
夏っぽいパフェ系のものだったのですが、
私の体内時計というか体内カレンダーが
1ヶ月ほどずれていたようで、
すっかり秋メニューになっていました。
季節が巡るスピードが年々早くなるのを何とかしたい・・・

ということは置いておいて、
テーブルにつくと、柱の張り紙に目がとまりました。
そして次の瞬間、「残念・・・」と
つぶやいてしまいました。
紙に書かれていたのは、

日頃から、勉強している学生さんについて、
大変多くの苦情をいただいている。
たくさんのお客様にご迷惑をおかけしている。
そこで、当店では学生の勉強利用を一切禁止とする。
勉強している学生を見たらお知らせください。

みたいなことでした。

いや、わかります。
ノートや参考書を広げて、
一杯の飲み物で長時間利用されると、
店としても売り上げが立たないし、
テーブルを占領されると他のお客様が座れない。
苦情も出る。
「あんたたち、家で勉強しなさい!」って
思いますよね。
ときにはカップルで仲良く話しながら、
長時間勉強している子たちもいるので、
「おいおい、何だよ」と言いたくなるのもわかるのです。

でも、学生の勉強は一切禁止!というのは、
なんとも悲しいなあと思うのです。
だって、勉強してるんですよ。
トランプしているわけではなく。

たとえば、
日曜日は勉強利用はダメ、とか、
何時から何時まではダメ、とか、
そういうことでもよかったのでは? と思います。
「そんな、簡単に言いますけどね・・」と
お店の方に言われちゃいそうですが、
学生の勉強利用は一切禁止です!って発表されると、
そういう企業姿勢なんだなあと
受け取ってしまうわけです。

調べてみたら、このチェーンに限らず、
学生の勉強利用を禁止するカフェ、
少なくないみたいですね。
学生の勉強利用について怒っている人のほうが多そうだな。
まあ、そうか・・・
私も、夏っぽいパフェを食べる最後のチャンスに
まったく座れなかったら、
もしかしたら怒ったのかもしれないです。

しかし、若者に勉強してもらわなくていいのでしょうか。

日本は世界に類を見ない超高齢社会です。
おまけに少子化もぐんぐん進んでおり、
2045年には65歳以上の人口が全体の約37%、
15歳未満の人口は約11%という比率に。
1人の高齢者を1.4人の生産年齢人口(15~64歳)で
支えるという社会になるのです。

つまり、目の前の学生さんが、
面倒を見てくれる人なのです。
すみませんね、頑張って勉強してください、
という気分になってしまいます。
あめちゃんあげたい感じ。

数日前、英国の教育誌が
世界大学ランキングを発表しました。
研究内容や論文の引用回数、
国際性などの指標をもとにランキングしているようです。
気になる結果は、

1位がオックスフォード大(英)
2位 ハーバード大(米)
3位 ケンブリッジ大(英)、スタンフォード大(米)
5位 マサチューセッツ工科大(米)

アジアの大学で最も順位が高かったのは、
16位の精華大(中国)、
次いで17位が北京大(中国)
19位にシンガポール国立大がランクしています。

日本の大学は39位に東京大学、
68位に京都大学が入りましたが、
いずれも前回よりも順位を落としています。
一方、中国は100位以内に入った7校中5校が
順位を上げているとのこと。
研究の質は着実にアメリカに追いつきつつあるとされています。

先日、読んだ本にはこんなことが書いてありました。
グローバル企業の日本支社での採用には、
たくさんのアジア人がエントリーしてくる。
彼らは、母国語はもちろん、日本語も英語も流暢で
成績も優秀なので、おのずと日本人の採用数が減少してしまうと。

高齢化社会だし、国際競争は激しくなるしで、
学生さん、大変です。
もっと勉強しなくちゃいけないのです。
カフェから締め出さなくてもいいんじゃないかなあ。

じっと張り紙を見つめながら、
そんなことを考えた日曜日の午後。
夏のパフェは食べられませんでしたが、
秋のパフェは食べました。

コートが必要な季節になってきました。
体調に気をつけてまいりましょう。

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位置情報アプリ「Zenly」サービス終了。

そんなニュースを目にしました。

Zenlyとは10代を中心に利用されているアプリで、
フレンドになることで、お互いの位置情報を
共有できるツール。

我が家のZ世代の男子たちも入れていて、
日常生活で欠かせないツールになっているようです。

「友だちに、いつでも位置情報を
知られているなんてイヤじゃない?
プライベートがなくなるんじゃないの?」

そう彼らに聞くと、

「知られたくないときはゴーストモードにできる」
との答え。

「ゴーストモードにしていることはわかるわけでしょ?
それがわかると何か言われないの?」

さらにそう聞いてみると、

「言われるよ。お前昨日何やってたんだよ、とか。
でも、別によくね?」

だそうです。
そんなにいろいろ知られるのはイヤだと私は思いますが、
彼らはむしろ知られたいわけですね。
「ほお」「へえ」の連続です。

彼らが実際にどう使っているかというと、 こんな感じのようです。

「腹減ったなあ、だれかご飯行かないかな。
近くにだれがいるか見てみよう」by長男

「公園にだれがいるか見てみよう。
あ、AとBがいる。行ってみよう」by次男

そう、友だちと遊ぶためのツールなんですね。

ちなみに、大人世代がこのアプリを使用する目的は、
「パートナーを見張る」
「子どもを見張る」などが多いみたいです。
見張りツールです・・・


そんなにいつでも友だちとつながっていたいかねえ。
彼らの「共有感覚」は、私から見るととても不思議です。

たとえば、家で一人で勉強しているのに
LINEをつないでいる。
とくに何か話すわけでもないのです。
でも、ずっと数人の友達と音声をつないでいます。
で、たまーに会話している。

友だちの家に数人で行って、
同じ空間で一緒に勉強している感覚なんでしょうか。
「集中できるの?」と疑問に思いましたが、
音声をつなぎ、一人じゃないと思うことで、
勉強のモチベーションを上げているのかもしれません。

以前、読んだ、Z世代の特徴に関する記事には、

彼らは、生まれたときからデジタルがある
デジタルネイティブなので、
リアルとデジタルをくっきりと分けていないし、
そこに序列もない、というようなことが書かれていました。

確かに、私たち世代は、
リアルありきのデジタル、つまり、
本当はリアルがいいけど、デジタルもいいよね、
のように認識しがちかもしれない。
その感覚が彼らは全然違うんだろうなと思いました。

記事にはこんなことも書かれていました。

Zenlyは、Z世代の「察する」文化、
効率重視のライフスタイルにマッチしている。

「今どこにいる?」
「今何している?」

など、いろいろ質問する必要がなく、
効率的なコミュニケーションができることが
評価されている、と。

それ、なるべく会話したくないってこと? と思ってしまいますが、そうではなくて、
やりとりする必要のない会話はしない、
それは効率という視点でもそうだし、
相手のことを考え、無駄なことを聞かない
ということでもある、ということなんでしょうね。

さて、Zenlyの終了は数ヶ月後らしいです。
類似のアプリはあるでしょうから、
どどーっとユーザーが移動するのでしょうか。
それとも、なければないで
他のコミュニケーション方法を考えるのかな。

いずれにしても、彼らの「共有感覚」は
私から見るととても不思議で新鮮。
これから市場でどんな商品・サービスが
評価されるのか、自分の子どもながら
興味津々で眺めている毎日です。


気がつくと、もう秋。
体調に気をつけてまいりましょう。

 

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