ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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『ちょっと気になる』カテゴリの記事

 

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よく目にする言葉で、前から違和感を感じている言い回しがいくつかあります。

一つは「ほめられレシピ」「ほめられコーデ」などの「ほめられほにゃらら」。

二つ目は「愛されメイク」などの「愛されほにゃらら」

まだありそうですが、すぐ浮かぶのはこの二つです。

何が違和感かというと、単純に、「~したい」じゃなく「~されたい」なの?
相手の行動ありきでいいの?と思うのです。
~されるかどうかは自分でコントロールできないことだからです。



自分ではものすごくおいしい料理ができたと思っても、相手からほめられないことだってありますし、

バッチリメイクできたと思っても愛されないときだってあります 笑。

相手の行動がゴールだと、相手の反応が期待と違ったときにガッカリしたり、イライラしたりすると思うのです。


「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

このことわざを知ったのは、アドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』を読んだ10年ほど前。

当時、私は、反抗期に突入した長男の言動や行動に日々頭を抱えていたのですが

この言葉そしてアドラー心理学を知って、とてもすっきりしました。



相手を無理やり変えることはできない。私ができることはここまで。ここからは「他者の課題だ」とわかったからです。

その『嫌われる勇気』、今本棚から引っ張り出してきました。

「あなたの期待や信頼に対して、他者がどう動くかは他者の課題なのです」とあります。

そう。そうなんです。
「ほめられる」か「愛されるか」。そこは他者の課題なのです。



せっかくおいしい料理をつくったのに、ほめられなくてガッカリするなんて残念なので、

自分自身が「うわ、これ、最高においしい!」と、おいしく食べられればいいのではないでしょうか。

相手が「すごいねえ」「最高」と言ってくれなくても。

「いや、そんなに深く考えることじゃないんじゃないですか?」

「 みんなそこまで考えずに普通に使ってますよ」ということかもしれません。

確かに、こうした相手の行動ありきの言葉、結構使われていますよね。

「モテメイク」とか「モテコーデ」なんかもそれですね。

なんでしょう。流行り?

深く考えないで使っているとしても、こういう言い回しの言葉が普通にメディアにバーンと出てくるのは、むむ?と思います。

引っかかるポイントは、他人軸以外にもあります。

それは、何となく上下関係というか、強弱関係を感じることです。

とくに、「ほめる」「ほめられる」には感じますね・・・。

育成でもよく使う言葉なので、見慣れた言葉ではありますが。

いや、叱って伸ばした方がいいと言ってるわけではないんです。

なんというか、ナチュラルじゃない感じがするんですよね。考えすぎでしょうかね 笑。

職場で「今週のほめられ仕事はコレ」とか「~~部長の必殺ほめトーク」とか、そういうの、いやですよね。
あ、ここまでおもしろかったらいいかもしれませんが 笑。

というわけで、他人の行動を自分のアクションのゴールにすると辛いのでは?という話でした。

基本的に、自分ハッピーがいいですよね、何事も。

春ですね。花粉シーズンがまだまだ続きますが、負けずにまいりましょう(涙)。

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昔、友人の一人に「本がきらい」という人がいました。
聞くと、本屋に行くと毎回トイレに行きたくなってしまい、

本屋に入ったのにトイレにいる時間のほうが長くなるからいやなのだとか。

「本アレルギーかも」と言っていました。

ところがある日、彼女が「この本、良かった」と言って本を持ってきました。

知り合いに貸してもらったとのことで、すごくおもしろかった、と。

当時、彼女はルームメイトで、私たちはお互いの仕事以外の時間は結構一緒に過ごしていましたが

彼女が「きらい」と言っている本を手にしているところは見たことがなかったので驚きました。

「あれ?本苦手じゃなかったの?」と私が言うと、「あ、ほんとだ。これは大丈夫だった」と彼女。
「じゃ、本がきらいじゃなくて、本屋がきらいなだけだったのかな」 と笑って、おすすめポイントを熱心に話してくれました。

女性のエッセイだったと記憶していますが、楽しく話したことをなんとなく覚えています。

最近、このエピソードを思い出したのは、ビジネス誌の記事で、マーケターの森岡毅氏が、

自分の好き・強みを知るには動詞に注目しようと語っているのを目にしたからです。

森岡氏は、単に「好き」で終わらせていると、自分が具体的に何が好きなのかがわからず、

何が強みなのかを正確に把握できないと話していました。

だから、例えば「好きなことはサッカー」と言う人は、サッカーの何が好きなのか、動詞に注目することで考えよう、と。

サッカーを「観る」のが好きなのか、「プレーする」のが好きなのか、

それとも「戦術を考える」のが好きなのか。 それを知ると、自分自身の理解も深まっていくというようなことでした。


これ、「きらい」の場合も一緒だなと思い、友人のエピソードを思い出したのです。

友人は本はきらいと思い込んでいて、本を避けていましたが、ふとしたきっかけで、

きらいなのは本じゃなくて本屋だったことに気づいた。

本当は、「本屋がきらい」「トイレに行きたくなる」「本がきらい」という時点で、

「それ、本がきらいということではないのでは? そもそも本屋に行くとトイレに行きたくなるってどういうことなんだろうねえ」と二人で考えれば早く気づいたのかもしれませんが、

若い私たちは(笑)、「なんだ、それ!」と笑ってスルーしてしまっていたのでした。

そんなことよりも楽しいことがたくさんあったのでしょうねえ。

ちなみにですね、実は10年以上前にもこのエピソードを思い出すきっかけがあって

ネットで調べたら、「本屋でトイレに行きたくなる」という人は少なくないということがわかりました。

諸説あるようですが、どうやらインクの匂いでトイレに行きたくなってしまう人が多いよう。

そう考えると、本屋が苦手なのではなく、インクが苦手なのでは。

いや苦手というより、インクの匂いを嗅ぐとトイレに行きたくなるから、

トイレがたくさんある本屋なら、本屋も本もインクもきらいではないのでは、

などと思い、ああ当時の彼女に教えたい、、と思いました。

そうそう、「好き」「きらい」は、表面だけさらっと触れているだけでは、わからないという話でした。
もっと奥に真相があるのです。

友人の件は「本がきらい」でしたが、「本が好き」の場合も同じですね。

だれかが「本が好きです」と言っているのを聞いたら、

通常、「ああ、あの人は読書が好きなんだな」と思いますが、そうじゃない「本好き」もいますよね。

例えば、「本というアイテムが好き」な人。紙の質感や表紙のデザインなんかを見ているのがすごく好き。

だから本屋は好きだけど、本を読むかというとそうでもない人。

「本屋という空間が好き」という人もいるかもしれません。本自体というより、本がある場の雰囲気が好きな人。

「本が好き」の奥にいろいろあるのに、

そこを見ようとしないと「本が好き」というぼんやりした理解で終わってしまうことになります。

「好き」「きらい」以外でも、例えば「楽しい」や「悲しい」「うれしい」「すごい」なども同様。

前述した森岡氏が言うように、動詞に注目したり、

「WHY」を深掘って、奥にあるものを見つけられると、

「あ、そこがポイントだったの?」など、意外な発見があるかもしれません。

あっという間に3月。気温差が激しい季節ですね。体調に気をつけてお過ごしください。

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インスタで料理動画をよく見ます。

自分から進んで見つけにいっているというよりは、どんどん出てきちゃうので見ているというほうが近いです。

「あ、いいな」と思って保存したりすると、そればかり出てくる。

チーターの赤ちゃん動画にいいねしたら、数日間チーターの赤ちゃんテロくらいの勢いになってしまう、あれです。

そうそう、料理動画の話でした。

見ていて思うのは、皆さんクオリティが高い。
もちろんプロの方もいらっしゃるでしょうが、そうでない方々も料理自体も動画もクオリティがどんどん上がっていく。
これは、ちょっと作ってみましたくらいのレベルのものを気軽に投稿できない雰囲気ですね。

実際、ちょっと作ってみましたの投稿に、盛り付けがよくないだの、

切り方がいまいちのようなコメントがあるのを見ると、閲覧する側の期待も高くなっている様子。

クリエイティブのクオリティってこうして上がっていくんだなあ、すごいなあと思いながらも、

世の中の料理のクオリティが高すぎて、料理から遠のいてしまう人ももしかしたらいるのではという気もしてきました。

そんなある日、noteでこんな発言を見つけました。

「家のチャーハンで、パラパラかどうかなんて悩む必要は全くないわよ。

パラパラは、チャーハンがベロにのっかった一瞬のことでしょう。

多少作り方が違ってたって口の中で合体して、ごっくんしたらみんな一緒よ」

どなたが発したのかとてもわかりやすい。
はい、平野レミさんです。
平野レミさんが、昔、初めて出演したテレビの料理番組でトマトを素手で握りつぶしたら

「下品だ」という抗議の電話が殺到したという話はよく知られています。

レミさんによると、トマトを素手でつぶすのは包丁で切るよりも

断面がギザギザになって味が染み込みやすくなり、なにより簡単だからだそう。

仕事で疲れきっている人が料理の完成度を上げるために

手間をかけすぎて不機嫌になるのはハッピーじゃないとレミさん。

「私が大事にしているのはキッチンから幸せを届けることだから」と語っていました。

確かに。結局、何を大事にするかだなあと思いました。

自分が大切にしたいことを忘れて、

ただ、すべてのプロセスで完成度を上げるような取り組み方になってしまうと、

時間は限られているのだから、疲弊してしまいます。

そういえば「ええ加減でええんです」と土井善晴さんも言っていますね。

一汁三菜にしばられすぎて、つらい思いをしている人もいる。

お味噌汁にどんどん具を入れて、一汁一菜で十分と土井さんは言っています。

細かなことは気にしなくていいと。

「焼き魚をして魚の皮がむけたことを失敗と言う。どこが失敗やねん、と思います。

おにぎりをちゃんと三角に握るとか、ギョウザをきれいに包むとか、別にいらんでしょ。

焼きムラがあってもええんです。その方がおいしい。日本人は、体裁とか均一性を要求しすぎです」

と、インタビュー記事で話していました。

土井善晴さんが大切にしているのは、一生懸命料理するという、そのプロセス。儀式みたいなものかもしれません。

ええ加減というと、適当や手抜きのようなニュアンスですが、そうではなくて、

作り手側の加減でいい。しょうゆ大さじ1なのか1.5なのかは作り手が決めればよい。心がこもっていればいいと。

そうだよなあと思います。

忙しく毎日を過ごしていると、

外から聞こえてくる「こうすべき」「こうあらねばならない」「普通はこうする」に引っ張られてしまうのかもしれません。

それぞれの事情、やり方があっていいはずなのに、

自分にとって大切なものをつい忘れてしまい、外の声に流されてしまう。

料理に限らず、「私は何を大切にしたいのか、そのために何をして、何をしないのか」、

そういうことを考えないといけないなと思いました。

そうこうしている間に、2月が終わっていきます。
私が大切にしたいことは何なのか(笑)。
春がそこまできていますね。体調に気をつけてまいりましょう。

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「買い物リストに・・・えーと・・・」
「何を追加しますか?」
「コーヒーです。コーヒー追加して」
「コーヒーを買い物リストに追加しました」
「ありがとさん」
「ごめんなさい。わかりませんでした」

私と我が家のアレクサの会話です。

我が家のアレクサは、5~6年ほど前に購入したもの。
主に買い物リストへの追加くらいの使用なので、
ほとんど話しかけることはありません。

世代が前のものだからなのか、
私があまり話かけないことで学習が進んでいないのか
わからないのですが、
会話が少し複雑になると成立しないことがあります。
何かを聞き間違えて、突然音楽を流し始めたり、
全然関係ないことを説明し始めたりもします。

でも私は別に気にならない、というか、
アレクサが質問を勘違いした回答をしたり、
おや?と思う音楽を流したりしても
イライラしたりはしません。
気になるのはむしろ、アレクサがよく
「ごめんなさい」ということです。

私が常にアレクサを叱っているわけじゃないんですよ。
たとえば、アレクサが突然音楽を流し始めたとき、
「アレクサ、もう大丈夫、やめて」と言うと、
あっさり無言でやめてくれることもあるのですが、
「ごめんなさい、よくわかりませんでした」
と返ってくることがあって、
その「ごめんなさい」が気になるのです。

わからなかったんだから
「ごめんなさい」をつけるのは当たり前でしょう、
という意見もあると思うのですが、
わからないくらいで謝らなくていい、って
思ってしまうんですよね。
「ごめんなさい」言い過ぎじゃない?と。

あ、ただ、もしこれが自動運転のAIだったら、
そりゃ、いかんですね。
「ごめんなさい、わかりませんでした」とか言われても、
「おい!」ってなりますね。命がかかっていますから。

そうか。相手をどんな存在としてみているかで
期待する対応が変わるってことですね、これは。

私にとってのアレクサは、私の代わりに
買い物メモを書いてくれる気が利く女性
(女性の声なので)。
キッチンの近くに置いてあるので、
片手にフライパン、片手に菜箸という状況でも、
「買い物リストに、みりん追加しておいて」と言えば
追加してくれる。なんとすばらしい。
うちの息子なんて「あとで、自分でやれば?」
とか言ってきますよ。
ありがたく思っているので、
「ごめんなさい」に違和感を覚えるんですね。

これが、もし、
「私は、あなたを優秀なアシスタントとして
迎え入れました。よろしく頼みます」
と思っていたら、
期待するレベルが高いわけですから、
「わからないじゃないだろう!」
となるかもしれませんよね。
ユーザー的にはこっちのほうが
多いのかもしれません。


いきなり開発目線に立ちますが、
いろんなユーザーがいて、
怒る人も少なくないでしょうから、
うまくいかない状況のときの
アレクサが発するセンテンスに
「ごめんなさい」をつけるのは当然ですね。
そしてこれ、世の中のカスタマーサービスの
マニュアルと一緒ですよね。

私、お客様対応で、
「申し訳ありません」を言われるのも気になります。
いや、全然怒ってないんですけど、と。

たとえば、先日、スーパーの棚から
商品がざざーっと落ちていて、
こりゃ知らせてあげねばならん、と思い知らせたら
「申し訳ありません」と言われ、むむ?と思いました。
私は「財布、落ちましたよ」と同じ感覚だったので。
でも、きっと、
「商品をきれいに陳列していないとは何事だ!」って
怒る人がいるから、「申し訳ありません」って
言うことになっているんでしょうね。
大変だなあ、ほんとに。


いやあ、アレクサなどのAIも含め、
ユーザーへの対応は、
なかなか奥が深いテーマです。
我が家の息子たちを見ていても思いますが、
彼らが望んでいる人間関係は、
私の時代とは違い、ずっとフラット。
ユーザーが相手とどういう関係を築きたいかで、
今後、AIが発する会話や世の中のお客様対応が
変化するのかもしれません。
そう考えると興味深いですね。

個人的には、
AIの人格を選べたらいいなと思います。
仲間モード
反抗期モード とか。どうでしょう。

さて、ゴールデンウィークも終わり、
気づくと5月も2週目が終わる・・・
週末に向けて、元気にまいりましょう!

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少し前、都内の大手スーパーが新業態として
青果店をオープンしたというニュースに
目が留まりました。

青果店? 咄嗟に頭の中で想像したのは、
リッチなフルーツパーラー的なお店。
旬の果物を贅沢に使ったパフェが
3千円近くするような店です。

どれどれ、と、詳細ページにアクセスしたところ、
そこに掲載されていた写真は、いわゆる八百屋さん。
サザエさんに出てきそうな、
昭和テイストの小さな店でした。
なぜ、今?

記事を読んでみると、そのスーパー、
もとは青果店だったそうです。
規模が大きくなり、スーパーという業態になっても、
「野菜と果物なら私たちにお任せください」
という思いは変わらず、
「原点に戻って、一人ひとりのお客様の顔を見て、
商品の良さを伝えたい」
という思いから、新業態の出店を決めたと
書かれていました。

お客様から意見をすぐに聞けるというのが
小さな店のメリットだと、
記事中でプロジェクトのオーナーは語ります。

「昨日の◯○、少しかたかったわよ」
などの声をすぐに吸い上げられ、
売り場ですぐにフォローできる。
仕入れ情報はもちろん、
料理の仕方のアドバイスもできる。
そうしたやりとりを通して、
顧客との信頼関係を築くとのこと。

確かに、この店は店員がとても詳しい、
丁寧に説明してくれる、しかもおいしい、
となればファンになりますよね。
八百屋業態のほうのファンが増えれば、
スーパーのほうも好感度が上がる。
なるほど、原点に帰った
ブランディングなのだなと思いました。

ここで思い出したのが、
以前どこかで目にした、
青森の「ポップごと売っている本屋さん」のこと。
青森県八戸市にある小さな書店なのですが、
ここでは数年前から、
店を訪れた人に本の内容、
魅力をわかりやすく伝えられるよう、
手描きポップを制作。
ある時、「おすすめを教えてください」と
お客さんに聞かれた店員さんが、
おすすめポイントをあらかじめ書こう!
と思ったのがきっかけだったそうです。

ポップは徐々に評判になり、
Twitterで噂が広がって、
やがて「ポップごと売ってほしい」
という声が相次ぐように。
今では普段あまり出ないような本も、
ポップをつけると売れていくそうです。

ポップを担当している店員さんが、
きちんと本の内容を読み込み、
「こういう人に読んでもらいたい」
というところまで考えて、その魅力を
的確にポップで表現できているからこその
現象ですよね。

昔ながらの手法なのかもしれませんが、
考えてみると、とても高度な宣伝方法。
だれにでもできることじゃないなあ。

そういえば、
今のような音楽配信サービスがなかった頃、
タワーレコードなどの
CDショップで買物をするとき、
かなりあてにしていたのが
店員さんが書く手書きポップ。
ポップを読んで、フムフム言いながら
CDを手にとっていたのでした。

人気CDの視聴コーナーは
いくつかあったものの、
すぐに聴けない時代だったし、
ネットがない時代だったので
ポップの情報が頼り。
(ものすごく大昔に感じますけど、
そんなに前でもないんですよねえ)

すごく音楽に詳しいスタッフさんが
ジャンルごとにいて、
しっかり刺さるコメントを工夫して
書いているんだろうなあと思っていました。
久しくショップに足を運んでいませんが、
今でもあるのでしょうか。
今思うと、あのポップ、
店のファン作りの柱でもあったのでしょうね。

さて、こうして書いてきて感じたことは2つ。

1つ目は、当たり前ですが、やはり、
自分たちが扱っている商品のことは
知らなくちゃいけないな、ということ。

ネットで購入者自身が調べるのが
前提のような世の中ですが、
商品にしろ、サービスにしろ、
それを扱っている側が顧客よりも知らない、
ということはよろしくないなと思いました。
知らないと責任を持っておすすめできない
→あまり売る気にならない、
ということにもなりますよね。
逆に、扱う人たちがもっと興味や関心を持てば、
それだけ意見交換が活発になり、
質の向上につながるのではと思ったりもします。

2つ目は、ブランディングって、
やはり顧客視点に立たなければ
成り立たないなあということです。
自分たちの商品がこんなにいいです!
ということをかっこよく伝えても、
刺さらなくては意味がない。

冒頭であげた八百屋さんであれば、
目の前のお客さんを見て、
例えば高齢の方には柔らかくて
調理しやすいものをすすめたり、
忙しい人には日持ちするものを
すすめたりできる。
そのくらいの気持ちで、
そのくらいの解像度で、
私たちも商品やサービスを使う人のことを
想像することが大事なんだろうなと感じます。
ネットでググることが当たり前の社会で
暮らしているからこそ、
人の温度を感じられるコミュニケーションが
注目されるのだと思いました。

さーて、W杯も終わり、
アルゼンチンも優勝し、
寝不足がやっと解消されてきたと思ったら、もう年末・・・。
今年もあっという間に終わっていきます。
ひいい~。

今年もメルマガをお読みいただき、ありがとうございました。
後半、配信が滞りがちになり大変失礼しました。
来年はがんばります!

皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

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9月の下旬。
日曜日の午後だったと思うのですが、
夏っぽいものを食べる最後のチャンス!と思って、
ご近所にあるチェーン店のカフェに行きました。
食べたかったのは、
夏っぽいパフェ系のものだったのですが、
私の体内時計というか体内カレンダーが
1ヶ月ほどずれていたようで、
すっかり秋メニューになっていました。
季節が巡るスピードが年々早くなるのを何とかしたい・・・

ということは置いておいて、
テーブルにつくと、柱の張り紙に目がとまりました。
そして次の瞬間、「残念・・・」と
つぶやいてしまいました。
紙に書かれていたのは、

日頃から、勉強している学生さんについて、
大変多くの苦情をいただいている。
たくさんのお客様にご迷惑をおかけしている。
そこで、当店では学生の勉強利用を一切禁止とする。
勉強している学生を見たらお知らせください。

みたいなことでした。

いや、わかります。
ノートや参考書を広げて、
一杯の飲み物で長時間利用されると、
店としても売り上げが立たないし、
テーブルを占領されると他のお客様が座れない。
苦情も出る。
「あんたたち、家で勉強しなさい!」って
思いますよね。
ときにはカップルで仲良く話しながら、
長時間勉強している子たちもいるので、
「おいおい、何だよ」と言いたくなるのもわかるのです。

でも、学生の勉強は一切禁止!というのは、
なんとも悲しいなあと思うのです。
だって、勉強してるんですよ。
トランプしているわけではなく。

たとえば、
日曜日は勉強利用はダメ、とか、
何時から何時まではダメ、とか、
そういうことでもよかったのでは? と思います。
「そんな、簡単に言いますけどね・・」と
お店の方に言われちゃいそうですが、
学生の勉強利用は一切禁止です!って発表されると、
そういう企業姿勢なんだなあと
受け取ってしまうわけです。

調べてみたら、このチェーンに限らず、
学生の勉強利用を禁止するカフェ、
少なくないみたいですね。
学生の勉強利用について怒っている人のほうが多そうだな。
まあ、そうか・・・
私も、夏っぽいパフェを食べる最後のチャンスに
まったく座れなかったら、
もしかしたら怒ったのかもしれないです。

しかし、若者に勉強してもらわなくていいのでしょうか。

日本は世界に類を見ない超高齢社会です。
おまけに少子化もぐんぐん進んでおり、
2045年には65歳以上の人口が全体の約37%、
15歳未満の人口は約11%という比率に。
1人の高齢者を1.4人の生産年齢人口(15~64歳)で
支えるという社会になるのです。

つまり、目の前の学生さんが、
面倒を見てくれる人なのです。
すみませんね、頑張って勉強してください、
という気分になってしまいます。
あめちゃんあげたい感じ。

数日前、英国の教育誌が
世界大学ランキングを発表しました。
研究内容や論文の引用回数、
国際性などの指標をもとにランキングしているようです。
気になる結果は、

1位がオックスフォード大(英)
2位 ハーバード大(米)
3位 ケンブリッジ大(英)、スタンフォード大(米)
5位 マサチューセッツ工科大(米)

アジアの大学で最も順位が高かったのは、
16位の精華大(中国)、
次いで17位が北京大(中国)
19位にシンガポール国立大がランクしています。

日本の大学は39位に東京大学、
68位に京都大学が入りましたが、
いずれも前回よりも順位を落としています。
一方、中国は100位以内に入った7校中5校が
順位を上げているとのこと。
研究の質は着実にアメリカに追いつきつつあるとされています。

先日、読んだ本にはこんなことが書いてありました。
グローバル企業の日本支社での採用には、
たくさんのアジア人がエントリーしてくる。
彼らは、母国語はもちろん、日本語も英語も流暢で
成績も優秀なので、おのずと日本人の採用数が減少してしまうと。

高齢化社会だし、国際競争は激しくなるしで、
学生さん、大変です。
もっと勉強しなくちゃいけないのです。
カフェから締め出さなくてもいいんじゃないかなあ。

じっと張り紙を見つめながら、
そんなことを考えた日曜日の午後。
夏のパフェは食べられませんでしたが、
秋のパフェは食べました。

コートが必要な季節になってきました。
体調に気をつけてまいりましょう。

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位置情報アプリ「Zenly」サービス終了。

そんなニュースを目にしました。

Zenlyとは10代を中心に利用されているアプリで、
フレンドになることで、お互いの位置情報を
共有できるツール。

我が家のZ世代の男子たちも入れていて、
日常生活で欠かせないツールになっているようです。

「友だちに、いつでも位置情報を
知られているなんてイヤじゃない?
プライベートがなくなるんじゃないの?」

そう彼らに聞くと、

「知られたくないときはゴーストモードにできる」
との答え。

「ゴーストモードにしていることはわかるわけでしょ?
それがわかると何か言われないの?」

さらにそう聞いてみると、

「言われるよ。お前昨日何やってたんだよ、とか。
でも、別によくね?」

だそうです。
そんなにいろいろ知られるのはイヤだと私は思いますが、
彼らはむしろ知られたいわけですね。
「ほお」「へえ」の連続です。

彼らが実際にどう使っているかというと、 こんな感じのようです。

「腹減ったなあ、だれかご飯行かないかな。
近くにだれがいるか見てみよう」by長男

「公園にだれがいるか見てみよう。
あ、AとBがいる。行ってみよう」by次男

そう、友だちと遊ぶためのツールなんですね。

ちなみに、大人世代がこのアプリを使用する目的は、
「パートナーを見張る」
「子どもを見張る」などが多いみたいです。
見張りツールです・・・


そんなにいつでも友だちとつながっていたいかねえ。
彼らの「共有感覚」は、私から見るととても不思議です。

たとえば、家で一人で勉強しているのに
LINEをつないでいる。
とくに何か話すわけでもないのです。
でも、ずっと数人の友達と音声をつないでいます。
で、たまーに会話している。

友だちの家に数人で行って、
同じ空間で一緒に勉強している感覚なんでしょうか。
「集中できるの?」と疑問に思いましたが、
音声をつなぎ、一人じゃないと思うことで、
勉強のモチベーションを上げているのかもしれません。

以前、読んだ、Z世代の特徴に関する記事には、

彼らは、生まれたときからデジタルがある
デジタルネイティブなので、
リアルとデジタルをくっきりと分けていないし、
そこに序列もない、というようなことが書かれていました。

確かに、私たち世代は、
リアルありきのデジタル、つまり、
本当はリアルがいいけど、デジタルもいいよね、
のように認識しがちかもしれない。
その感覚が彼らは全然違うんだろうなと思いました。

記事にはこんなことも書かれていました。

Zenlyは、Z世代の「察する」文化、
効率重視のライフスタイルにマッチしている。

「今どこにいる?」
「今何している?」

など、いろいろ質問する必要がなく、
効率的なコミュニケーションができることが
評価されている、と。

それ、なるべく会話したくないってこと? と思ってしまいますが、そうではなくて、
やりとりする必要のない会話はしない、
それは効率という視点でもそうだし、
相手のことを考え、無駄なことを聞かない
ということでもある、ということなんでしょうね。

さて、Zenlyの終了は数ヶ月後らしいです。
類似のアプリはあるでしょうから、
どどーっとユーザーが移動するのでしょうか。
それとも、なければないで
他のコミュニケーション方法を考えるのかな。

いずれにしても、彼らの「共有感覚」は
私から見るととても不思議で新鮮。
これから市場でどんな商品・サービスが
評価されるのか、自分の子どもながら
興味津々で眺めている毎日です。


気がつくと、もう秋。
体調に気をつけてまいりましょう。

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先日、東名高速を車で走っていたら、
神奈川県大和市に差し掛かったあたりで、
大きな横断幕が目に入りました。

「70歳を高齢者と言わない街、大和市」

その頃、ちょうど大きな案件を抱えていて
「私は20代か!」とツッコミを入れたくなるような
働き方をしていた私は、これを見た瞬間、

「うー、 まだまだ働くのかー」と
泣きそうになりました。

あとから冷静になって、
大和市のサイトをのぞいてみると、

「人生100年時代」を迎える超高齢社会では、
一般に65歳以上を高齢者とする
固定観念を変えていくことが必要。
一人ひとりが大和のかけがえのない存在。
支えを必要とする方には手を差し伸べながら、
この世代の方々が、個々の意欲や能力に応じて、
いつまでも生き生きと活躍していただきたいと考え、
「70歳代を高齢者と言わない」ことを宣言。

というようなことが書いてありました。

うむ、なるほど。
「人生100年時代」「生涯現役」という言葉を
よく耳にするようにはなりましたが、
確かに昔の70歳と今の70歳は全然違います。
今の70歳はおじいちゃん、おばあちゃんではないですね。

サザエさんでは、波平さんは54歳という設定です。
びっくりしますよね。65歳くらいかと思っていました。
マンガとはいえ、昔の54歳はあのくらいの
おじいちゃん度だったのかもしれません。

さて、一方でこんな調査もあります。
アクサ生命が20~60代の男女1,000名を対象に
行った、人生100年時代に関する意識調査です。

人生100年時代をどう捉えているか?という
問いでは、ポジティブとネガティブが同じくらい。
若干ポジティブが多いくらいでした。

老後生活をどう捉えているか?という
問いでは、楽観的が4割弱、
悲観的が6割を超えています。

ネガティブ、悲観的な理由の多くは
金銭的なこと、身体的なことでした。

人生100年時代がポジティブに捉えられ、
実際に高齢者がいきいきと活躍し続けるためには
社会のしくみや医療のしくみ含め、
様々なことが一緒に変わっていかなくては
ならないのだなと思いました。

そして、働く側で考えてみると、
このコロナ禍は
働く人にとっての仕事観、人生観に
大きな影響を及ぼしたと思っています。

アデコの調査では、
20代、30代の約4割が、
コロナ禍で仕事観が変わったと回答しており、
若い世代のほうが影響を
受けていることがわかっています。

今後は、キャリア教育も急速に
変わるのかもしれません。
自分はどういう仕事をして、
どう生きていくのか。
そういうことを早い段階で
考えていくようになるのかもしれないですね。

あ、「70歳を高齢者と呼ばない街」から
いろんなことを考えてしまいました。

とりあえず私は、早急に
ワークライフバランスを整えたいと思います 笑

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用事があって家を2日ほど空けたら、
ちょうどプラごみを捨てる曜日とかぶってしまい、
捨てられませんでした。

1週間分のプラごみ、すごい量です。
我が家は今、子どもたちが夏休み中。
消費する食材も多いし、スナックやアイスなども
いつもよりも多く買っています。
とにかく食べ物の包装容器の量が多いのです。

この原稿を書くために、ごみ袋の中を
ゴソゴソ調べてみましたが、
うーん、こんなに大量のプラ包装・プラ容器がないと
暮らしていけない生活だったのか、と驚いてしまいました。
普段そんなに気にしていない自分が恐ろしい。

たとえば、
10個入りのクッキーだと、
外側の大袋が1枚、個包装されているからプラス10袋。
個包装されているので清潔だし、
袋を開けても一度に食べなくてもいいし、
品質も保たれるのでしょうね。
6個入りのロールパンも、
外側の大袋が1枚、なぜか中にプラスチックの
トレーが入っていたりして、それでプラス1枚。
このトレーは、形崩れを防ぐためなのか、
それとも輸送するときに、積みやすくしているのか、
いずれにしても丁寧に個包装されているものが
多いことに改めて気づきますね。

国連環境計画(UNEP)の報告書によると、
日本人1人当たりのプラスチックごみ廃棄量は年間32kg。
米国に次いで世界第2位です。
Reduce=ゴミを減らす、をやろうと思うと、
この暮らし方を変えなくてはならないわけで、
「こりゃ、大変だ」と今さらながら思いました。

そんな中、京都に本格的な量り売りの
スーパーができたという記事を目にしました。

この店は、容器包装ごみと食品ロスを無くすことを
目指していて、利用客は必要な食材を
必要な分だけ量り、持参した容器か、
店が貸してくれる返却式の容器に入れて購入。
ナッツやドライフルーツだけではなく、
生鮮品も扱っているらしく、
米、味噌、油、豆腐、卵など、
すべて必要な分だけ買えるといいます。
サザエさんがお鍋を持って
お豆腐を買いに行っていましたが、あれですよね

さらに、レストランを併設していて、
生鮮品は悪くなる前にレストランで調理するシステム。

この仕組みがうまくいったら、フランチャイズにして、
全国に量り売りを広め、日本の容器包装ゴミと
食品ロスをゼロに近づけていきたいと言います。
すばらしいなあ、と思いました。

記事の中にこんなことが書いてありました。

量り売りはどうしても面倒くさいという印象があって
敬遠されがち。
でも、その「面倒くさい」を「楽しい」に変えれば、
利用してもらいやすい。
量り売りという体験自体が楽しいと思ってもらえるよう、
たとえば買ったピーナッツをその場でセルフで
ピーナッツバターにできる機械も用意している。

そうですよね。
棚にある商品をサッと手に取って
レジでピッとやる暮らしに慣れていると、
家から容器を持ち出して自分で量って入れるなんて、
面倒くさいに違いない。
でも、今までの買い物の仕方と比較せずに、
楽しい体験をして、しかも地球に優しいことをしている
と思えば、わくわくしてくるから不思議です。

そしてこの店、写真で見ただけですが、
とってもおしゃれ。
量り売りは楽しいし、おしゃれだし、
地球にいいことしてるってかっこいいよね!
という捉え方が若い世代にどんどん広がれば、
浸透していくんだろうなと思いました。

そんなことを考えていたら、
リモートワークやオンライン会議なんかも
同じなのかもしれない、と思いました。
今までのように、オフィスで対面で仕事をする、
ということを前提にして、それと比較すると、
やはり不便さばかりが目につきますが、
新しいことと捉えれば、プラスに見えてくる。
暮らし方や何かのスタイルが大きく変わるときは、
捉え方が変わることとセットなのかもな、
と思いました。

それで思い出しました!
先日、見切り品コーナーと書かれたワゴンが
スーパーのフロアの端っこに置かれているのを発見。
置いてある場所自体、もう見切りました、のようで
雰囲気も良くない。明らかに人気がありません。
そりゃ、そうですよね。
見切り品なんて書かれたワゴンの前に
多くの人は、あまり立ちたくないのではないでしょうか。

そこで、「見切り品コーナー」と呼ぶのをやめて、
「SDGsコーナー」と呼ぶのはどうだろうと思ったんです。
「フードロスを防ぎませんか?」みたいにして、
デザインが良い、おしゃれなコーナーにする。
これを買うことが「かっこいい」「地球にいい」ことと
捉えられるようにすると売れると思います。
どなたかぜひ採用をー。

8月も終わりに近づいてきました。
まだまだ暑いですが、元気にまいりましょう。

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暑いですね...。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか...。

というふうに、「三点リーダー」、
ついつい多用してしまっていませんか?

三点リーダーとは文末につける「...」のこと。
少し前に、「三点リーダー症候群」という言葉が
話題になったりもしました。

友人間、家族間なら
気にならないかもしれませんが、
ビジネスの場で使われていると、
相手の心境を探らなくてはならず、
困ることもありますね。

三点リーダーに込められた意味、
思いつくままに挙げてみました。

1 言い切る自信がないです
例: ~だと思いました...。

2 微妙に抗議しています
例: 以前のご指示で進めておりますが...。

3 普通に 。で終わると、
言い方が強すぎる気がするので
あなたを怒らせてしまうのではと心配です
例:よろしくお願いいたします...。

4 これでいいのでしょうか。ご指示ください
例: 資料をまとめておきました...。

5 などなど、ほかにもいろいろあるんです
例: ~にご連絡したり、スケジュールを調整したり...

6 ごめんなさい
例: 返信を忘れておりました...。

7 単なるつぶやきです。あまり気にしないでください
例: お腹がすきました...。
疲れました...。

ほかにもあるかもしれませんが、
大体こんなところでしょうか。

そして書きながら、気づきました。

これは危険ですね。

というのは、書いている人が
三点リーダーに込めたメッセージが
そのままの意味で受け取られるとは
限らないからです。

たとえば、上記の 1 の場合、
書く側が、なんとなく自信がなく、

~だと思いました...。

と書いたとしても、
受け取る側は、

「この人、なんか言いたいことあるのかな。
怒ってるのかな。それなら、こうしてほしいと
言えばいいのに」

と思うかもしれません。

3 で挙げた例も、そう。
言い方が強すぎて、
相手を怒らせたくないという理由で、
三点リーダーをつけたのに、

「何かほかにも言いたいことが
ありそうなのに、
この人ははっきり言わない」

と、結果として
怒らせてしまうことにもなりかねません。

そう考えてみると、三点リーダー、
使う人の「甘え」の現れかもしれません。
はっきりは言わないけど、
それに近いことは言いたい、ってことですもんね。

そんなことを思いながら、過去に
自分が書いたメルマガを読み返すと、
まあ、使ってる、使ってる、三点リーダー!
甘えがいっぱい。言いたいことは、
しっかり言い切らなくちゃなと反省しました。

本来は、「...」は
驚きや悲しみで言葉にならない状態や、
何かに言葉を遮られた状態、
沈黙、
言葉を飲み込んだ状態などを表すものですよね。

本棚にあった本をパラパラめくってみました。
(小説の会話に使用されている場合は、
三点じゃないんですね)

「出来るものなら三毛の代わりに......」
(夏目漱石『吾輩は猫である』)
この状況は、
「三毛の代わりに、この野良猫が亡くなればよかったのに」
を飲み込んでいます。

「......かわいそう......だね。お父さん。」
(平野啓一郎『ある男』)
この状況は、動揺しながらも言葉を絞り出している状態。

小説の三点リーダー探し、延々に続きそうなので、
このへんでやめておきます。

今日の学びです。
ビジネスの場ではもちろん、プライベートでも
こちらの意図を伝えなくてはならない場では、
三点リーダーではなく、
しっかり言葉で伝えましょう。

暑い日が続きます。
健康第一でまいりましょう。

 

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