ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

ブログ

スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

『個性・ダイバーシティ』カテゴリの記事

 

次男が所属するサッカー部に
一人だけ女子部員がいるそうで、
その子が昨日のバレンタインデーに
サッカー部全員にチョコを配っていた、と聞きました。


サッカー部は2学年合わせて40人以上。
「えー! かわいそう!  そんなことしなくていいのに」と言うと、
「でも、めっちゃ小さいチョコだよ」と次男。
いやいや、サイズは問題ではありません。
義理チョコなのか友チョコなのか、
もしかして本命がいたのか、
全員に配りたかったのか、
配りたくなかったのか、
その子の真意はわかりませんが、
もし、本人はそんなことしたくないのに、
そういう文化だから配っているとしたら、
本当に気の毒だと思います。


義理チョコ文化が始まったのは、80年代だそうです。
当時は、働く女性が職場の男性上司や
男性の同僚に渡すもの、とされていました。
ところが90年代以降、
義理チョコに疑問を抱く女性が増えてきたのだそう。
理由は、男性と対等な立場で働く女性が増加したことや、
金銭的負担が大きくなってきたことなど。
友チョコは、そんな空気を察して
メーカーが新たなマーケットを模索した結果、
生まれた文化なのだそうです。


あれ?  そもそも日本のバレンタインデーは、
女性が好きな男性にチョコを渡すことで、
告白する日ではなかったんでしたっけ?
その文化は続いているのでしょうか。


調べてみると、
「バレンタインで告白は昔の文化」という見出しを
毎日新聞で発見。なにー? 昔?


全国の高校生と大学生を対象にしたアンケート調査
(2021年1月実施、高校・大学生265人が回答)の結果、
高校生のとき(現役高校生を含む)に
「バレンタインデーに告白した経験がある」
と答えた人はわずか1割未満。
「大学生になってからバレンタインデーに
告白したことがあるか」という質問には、
女性回答者の全員が「いいえ」と答えたそう。
そうか・・・。
バレンタインデー、好きな人にチョコをあげることで、
告白するという文化では、最早ないのですね。
これもまた「昭和かよ」と言われるやつですね。


毎年、我が家の息子たちに
「ねえねえ、チョコもらった?」と
ニヤニヤしながら聞いていた私の姿、
彼らにはどう写っていたのでしょうか。


さて、バレンタインデーが
告白の日ではないとしたら、どんな日なのか。
調査でわかったのは、
高校生にとっては大勢の仲間と交流を深める日、
大学生にとっては交際相手にプレゼントを贈る日だということ。
大人になるにつれ、「好きな相手に」という概念になるんですね。
興味深いです。


あれ?  ここでまた疑問。
高校生が大勢の仲間と交流を深める日と
捉えているのはわかったのですが、
だとしたら男子が友チョコ配ってもいいですよね?
我が家の息子たちをみる限り、
やっぱり友チョコを配っているのは、女子だけのような気がします。
仲間で楽しもうよ、と言いながら、
でも当然チョコ配るのは女子の役目ね、みたいな感覚が残っているのかな。
それ、変ですよね。


時の流れとともに、変化するものはいろいろあるけれど、
その中で、なぜか変化せずに残ってしまっている
「考えてみたら変だよね」と感じること、
まだまだ、あるのかもしれません。
今年のバレンタインデーはそんなことに気づいた日でした。
皆さんはどう過ごしましたか?

笑い方も、話し方も、ジェスチャーも、
どれをとっても「悪い人」のそれ。
悪い人がとことん悪くて、正義がとことん強い。
そんな時代劇のような痛快さが人気のドラマ
『半沢直樹』の続編が7月よりスタートしています。


テレビ離れが進む中、平均視聴率は22%を超えるそう。
人気の秘密は、やはり、自己保身に走る人々や
同調圧力に飲まれる人々対
批判を恐れずに正しい道を選択する
半沢の戦いでしょう。


ドラマなので大げさな仕立てになっていますが
こういうこと、実際あるだろうなあと思います。


他者や集団からの圧力を受けて、
思考や行動を合わせようとすることを
社会心理学では「同調」(同調性バイアス)というそうです。


この現象は、日常のいたるところで起こっています。
たとえば複数で訪れた居酒屋での注文。
自分以外の全員が生ビールを注文すると、
最後に聞かれた自分も「じゃ、私も」と答えてしまう。
本当はレモンサワーを飲みたかったのに、
なんとなく面倒に感じて、みんなに合わせたのです。


会社の会議でも同じようなことが起こります。
「私はこう思います」と誰かが言い、
「私もそう思います」と次の人が言い、
「私も」
「私も」
と来られると、「私はそう思いません」と言いづらい。
つい「あ、じゃ、私も」と言ってしまう。


同調を示す、社会心理学者S・アッシュの有名な実験があります。


大学生8人を一組にして、ある長さの棒を見せます。
次に、明らかに長さの違う3本の棒を見せて、
先ほどと同じ長さの棒がどれかを言い当ててもらいます。
間違えようのないほど、長さは違います。


この実験、実は8人のうち7人は実験への協力者。
本当の回答者(実験参加者)は7番目に答えるように
順番が決められています。
前の6人の答えが、回答者の答えに
どれくらい影響があるかを調べる実験なのです。


結果はこうでした。
回答者が1人で考えたり、前の6人が正しい回答をしたときは、
間違えることはほとんどありませんでしたが、
前の6人全員がわざと間違った答えを選ぶと、
それに同調して誤答率が35%にも上がりました。
さらに調べてみると、協力者が1人のときは、
顕著な同調は起きませんでしたが、
2人から起き始め、3人になると誤答率が30%になりました。


また、回答者を2人にしたり、
嘘をつく協力者の中に1人だけ正しい答えを
言う人を入れると、誤答率が大きく下がりました。
1人でも味方がいると同調圧力が
大きく減るということがわかったのです。


なぜ多数派に同調してしまうのか。
日本ファシリテーション協会フェローの
堀公俊氏は、こう説明しています。


一つは、自分の判断に対する「情報的」な影響です。
私たちは、自分の意見や判断が正しくないときに、
他者や集団の判断を頼りにしようとするのだといいます。
たとえば、地震や台風などの天災が起こったとき、
何をしてよいかわからず、
近所の人の行動をまねたり、友人がやっていることを参考にします。
これは、人は不安になると
他者を手本にしようとするからだそうです。


もう一つが、「規範的」な影響。
「みんなと違うことをすると、変なやつだと思われる」
「嫌われて仲間はずれにされるのではないか」いう恐れです。
同じく災害の話でいえば、隣近所が同じ行動を取っているのに、
自分だけまったく違うことをすると、
どんな陰口をたたかれるかわからない。
これからの近所づき合いに悪影響があるかもしれない
と思ってしまうのです。
集団の一員として「受け入れられたい」「大切にされたい」
という人間の根源的な欲求があるからだといいます。


本当はそう思っていなかったのに、
本当は違うことがしたかったのに、
みんなに合わせてしまった。
そんなときは、心の中に棘のようなものが残って、
ザワザワしたりします。


でも、これも、同調することに慣れると、
感じなくなってしまうのかもしれません。


ザワザワを感じたら、その感情を無視しない。
あ、同調したのかも、と思って、振り返ってみる。
そして本当はどうしたかったのかをもう一度よく考えてみる。
そんなことが必要だな、と思いました。

「人よりほんの少し努力することが
辛くなくて、ほんの少し簡単にできること。
それが君の得意なことだよ。
見つかったら、それにしがみつけ。
そうすれば必ず道は開くよ」


NHKの朝ドラ『エール』で
主人公・古山裕一が通う小学校の教師が
裕一にそう言っていました。


運動がまったくだめで、緊張すると吃音が出てしまうため、
先生に怒られ、仲間からもいじめられている裕一。
得意なことをたずねられても
「ない」と答える彼に、先生がそう声をかけたのです。


先生の一言で、裕一は未来に光を見出していきます。
そして、後に、
高校野球のテーマ「栄冠は君に輝く」や、
「オリンピック・マーチ」など、
心に響く数々の名曲を生み出すのです。


ああ、いい話。
そして、主人公の裕一はラッキーですね。
作曲家になったのは、
もちろん本人の努力があったからですが、
子どもの頃に自分の得意なことが見つけられ、
背中を押してもらえたのですから。


さて、私も得意なことを考えてみました。
うーむ。もしだれかから「得意なことは?」と聞かれたら、
「ないかなあ」と答えるかもしれないと思いました。
好きなことはどっさりあるけど、
得意なことかって言われると、
どれもそこまでではないと思ってしまう。
それは、得意なことというものを、
人よりも数倍上手なこと、と捉えているからかもしれません。


でも、『エール』の先生が言うように、
「人よりほんの少し努力することが
辛くなくて、ほんの少し簡単にできること」
と捉えると、
私の場合、書くことはそれに当てはまるかもしれないと思います
(正確に言うと、簡単にはできていないんですが)。


得意なことが「ある」と捉えるのと、
「ない」と捉えるのとでは、
毎日のエネルギーが違ってきます。
多少へこたれることがあっても、
「得意なことがある」と思えば、
乗り越えていけるのかもしれません。


ここで思い出したのは、片付けコンサルタントのこんまりさん。
今や世界のこんまりです。


こんまりさんは子どもの頃から
片付けが大好きで、自分のものはもちろん、
家族のものも、どう片付けるとよりきれいで、
取り出しやすいのかを日々考え、
仕切りなどを使って、収納をテストしていたりしたのだそうです。
それが最高に楽しかったとインタビューで語っていました。


これは完全に「得意なこと」です。
片付けが得意なところで・・・と、
普通なら思ってしまいそうなところ、
こんまりさんは本当にその道に進んでいきました。
『エール』の先生風に言うと、
「得意なことにしがみついて、道を開いた」ことになります。


「人よりほんの少し努力することが
辛くなくて、ほんの少し簡単にできること」
皆さんの得意なことは何ですか?

先日、ネットでこんな動画をみました。


自分の何十倍もある大きさの牛に囲まれた鳥。
牛たちは追い払おうと、じりじりと鳥に接近。
そこで、一頭がぐんと前へ。
でも、鳥は逃げるどころか、クチバシで勢いよく牛の頭を突き、
牛は怯んで後退。
その後も鳥は近づいてくる牛を次々とクチバシで追い払い、
とうとう牛の群れは退散していく。


私の頭に浮かんだのは、
"Size doesn't matter."
というヨーダの言葉です。


さらに、先日読んだ、人生相談のことも思い出しました。


アエラ・ドットの人生相談コーナー。
相談者は25歳の女性で、悩みの内容はこうでした。


「私は、人に言い返すということを敢えてしていない。
何を言っても相手は変わらないだろうと思うから。
それに、結果の出ない議論は怒りで自分を消耗するだけ。
でも、言い返さないから、
なんでも言われてしまい、サンドバッグ状態。
さすがに何も感じない訳ではないので、
不快感を外に出さないよう必死。
現状を何とかしたいという気持ちもあるが、
どうすればいいのかわからない」


つまり、先ほどの鳥と正反対。
戦わない選択をしているというわけです。


この相談者にアドバイスを送るのは、劇作家の鴻上尚史氏。
鴻上氏は、こう言っています。


「伝えても、相手は変わらない、と言うが、
それは言ってみないとわからない」


「たとえ相手が変わらなかったとしても、
それはもしかしたら、相手が頑固だとか、
こちらを無視しているわけではなく、
相手に別の信念があったり、
違うビジネスのビジョンを持っていたり、
大切なことの順番が違うから、かもしれない」


「結果、相手が変わらないとしても、
こちらが思っていることは伝えた方がいい。
なぜなら、自分には意見がある、ということをアピールできるから」


「意見がない、意思がない、何も考えていない人だと思われないために、
自分の考えは外に出す。
そうすれば、相手も、ああこの人は考えているんだ、とわかる。
それはとても大切だ」


そうだなあ、と思いました。


とはいえ、
議論は気が重いから好きではない、という人、少なくないと思います。
その場の空気を平和に保ちたい。
だから、言いたいことを飲み込んでしまうこともあるかもしれません。


でも、やはり、それをずっと続けていると、
鴻上氏が言うように、周りの人から
「どうせあの人は何も言わない。意見がないから」
と、思われるようになってしまいます。


それに、言いたいことを引っ込めた時に感じる
「悔しい」という感情を無視し続けていると、
自分の感情に鈍感になってしまう。
自分が怒っているのか、悲しいのか、よくわからなくなったら辛いです。


怒りや悔しさを感じないなんて、仏みたいで最高!
という考えもあるかもしれません。
実際、相談者の女性は、そうなりたいと書いていました。
でも、社会で人と生きていくには、
それではやはり困るのではないかと思います。


相手を変えるためではなく、「考えている」ことを示すため、
自分の考えはきちんと表に出す。大切だなと思いました。

先週、グラスルーツは35歳になりました。


私は35歳の頃、人生初の体験をしておりました。
それは、出産と子育て。
自分では、ゆったり子育てする気満々だったのですが、
全然そんなペースにはならず、毎日大変だったことを覚えています。

あのときプクプクで柔らかくて、いい匂いだった息子も
今ではニキビ面の高校生。
時がたつのは早いものです。


ところで、先日、社内で「ストレングスファインダー」
というものをやりました。
米国のコンサルティング会社、ギャラップ社が開発したもので、
ウェブ上で177の質問に答えると、34ある資質の中から、
上位5つが見つかるというもの。
その5つが強みというわけです。
私の場合、一番高かったのは「個別化」という資質でした。


解説によると、


「個別化」の資質が強い人は、
一人ひとりのユニークな個性に
興味をそそられ、それを理解する。


のだそうです。


今思うと、私は子どもの頃から
わりと個性的と言われる友だちと多くつき合ってきましたし、
新卒で入った会社は「THE 個性」みたなところでした。


そんなことも影響しているのか、今も普段から、
学校や会社で、押さえつけられることなく、
みんなが持っている能力を自由に発揮できる
社会であれば、良い世の中になるのになあ、
と思っていたりするので、
「個別化」が上位にランクされたのは自分でも納得です。


とはいえ、個性を認め、それを伸ばすことは、
実は簡単ではありませんよね。
「同じであること」「出る杭にならないように」を
いろいろな場所で求められる日本では、なかなか努力が必要だと思います。


「個別化」が上位に来た私でも、
今思うと、もっと自由に子育てすればよかった、と
後悔することも多いです。
周りの声や常識というものに対して、過敏だった時期もありました。
もっとリラックスすればよかったなあ、と思います。


ベネッセコーポレーションが
日本、韓国、中国、台湾の母親を対象に
行った「子どもに期待する将来像」調査で、
「人に迷惑をかけない人になってもらいたい」
と答えた割合は、
日本71%、韓国24.7%、中国4.9%、
台湾25%だったそうです。
日本の71%というのは突出した数字です。


「人に迷惑をかける」ということは、
社会のルールを破るようなことなのでしょうが、
日本は何かと社会の目が厳しく、
集団の中では、いつもいい子にしていることが求められるので、
親も敏感になってしまうのかもしれません。
でも、そこを意識しすぎると、
「ダメ」を言う機会が増えて、
子どもはダメを言われないように
行動するようになるのではと思います。


国立青少年教育振興機構が、
日本、韓国、中国、米国の高校生を対象に
行なった意識調査(2018)で、
「私は価値のある人間である」
という質問に「はい」と答えた日本人は
44.9%(韓国83.7%、中国80.2%、米国83.7%)でした。
回答時、「価値がある」とは言い切れない、と
思って、謙遜気味に答えた高校生も
多くいたでしょうし、
もしかしたら、思春期で、時期的にとくに自信がないと感じる、
ということもあるかもしれません。
でも、それを考慮したとしても
半数以上が「自分は価値がある」と思っていないという結果には、
なんだか、こう、大人として、
ごめんなさいという気持ちになってしまいますね、、、


少子化ですし、
これから社会に出る子どもたちには自信を持ってもらいたい。
そのために私たち大人ができることを
もっと考えたいなと思います。

「日本人は、共感スイッチを切る能力が必要かもしれない」


『蛇にピアス』の著者、
作家の金原ひとみさんがインタビューでそう言っています。


金原さんは、小説は、
「読者に、ちゃんと伝わるだろう
と思って書いているが、それは同時に、
人と人はどんなに近くにいても、どんなに話し合っても、
どうしてもわかりあえない、ということが
伝わるだろう、ということでもある」
と語っています。


さらに、最近のSNSについて、こうコメントしています。


「わかる、わかるという共感の嵐が起こっている。でもそれは、
階層が随分と引き下げられた、わかる、だと感じる」


これは、私も時々感じます。


他人の発言に対して、
「わかる」と共感しなくちゃいけない。
簡単に「わからない」とは言えない空気が
世の中全体にあるように感じます。


表面上の「わかる、わかる」は
言う方も言われる方も、安心はするけれど、
本当の意味で「わかり合えていない」
ということなんだろうなあ、と。
そして、本当にわかり合える、を目指しすぎると、
そこに達することができないと感じたとき、
憎しみや怒り、悲しみが
湧いてきたりするのだろうと思ったりもします。


こんな調査を見つけました。
「誰にも共感されない怒りを覚えたことがありますか?」
2017年に日本全国の20~60代の男女
1500名を対象に行われており、
これによると、36.9%が「はい」、
つまり、「共感されない怒りを
覚えたことがある」と回答しています。

怒りの内容を見ると、
「真剣な話をしているのに、軽めのリアクションで返された」
「納得いかないことについて話していたら、
周りが、そんなもんだよ、となだめてきた」
「自分が良いと思っていたアーティストを
周りのだれもが良くないと言った」
など。


これを見ていて、私たちは自分と違う意見を言う人とどう接するか、
どういう言葉をかければいいか、
単純にわからない、慣れていない、
ということなのかもなあと感じました。


本当は、共感できない、わからないなら、
軽めのリアクションで返したり、なだめたりせず、
そうなんだね、と言えばいいんですよね
(と、過去を振り返りながら、反省して書いております)。


そこで、必ずしても「わかる」を目指す必要はなくて、
わからなくても、相手を認めればいいのだと思います
(と、過去を振り返りながら、反省して書いております)。


金原さんは、フランス生活を終えて
帰国したばかりですが、
フランスで暮らしたことで、
生きづらさが緩和されたと言っています。
それは、呆れるくらい色々な人がいて、
色々な考え方があって、色々なことを言う。
その自然の摂理を受け入れたからだそうです。


日本人である私たちは、
「わかる、わかる」と
「わかって、わかって」スイッチを
切ることは、諦める、とか、突き放す、
というネガティブな行為に感じますが、
そうではなくて、
価値観の違いを認める、という
ポジティブな行為なのだなあ、と、こうして書きながら感じています。

以前から思っていることの1つに
「できる人、できない人って何だ?」
があります。


主に職場で
「あの人、できる人だよね」
「あの人、本当にできないよね」
といった会話が交わされていますよね。
「できる人=OK」、「できない人=OKじゃない」のような評価をされていることもあります。


だれでも、「OKじゃない」よりは「OK」のほうがいいに決まっているので、
多くの人が「できる人になりたい」と思っています。


試しにamazonの本カテゴリーで「できる」を検索してみたら、
どっさり出てきました。


『できる大人のものの言い方』
『できる大人の見た目』
『できる人の資料の作り方』
『できる秘書とダメ秘書の習慣』
『できる人の法則』。。。
『できる人は、ヨガしてる』
なんていうタイトルもありました。


では、「できる人」って、どういう人なの?
と思って調べてみたら、30~49歳の個人事業主・会社役員・会社員の男女300名を対象にした
仕事に関するアンケート調査が見つかりました。


これによると、
仕事のできる人の特徴TOP5は以下でした。


1位 言い訳しない 61%
2位 周りの人に常に気を配る 57.7%
3位 だれにでも同様に接する 43%
4位 モノゴトの優先順位が明確 42.7%
5位 堂々としている 41.3%


なるほど。
「常に周りの人に気を配り、上司や部下など役職に左右されずにだれにでも同じように接し、
言い訳をせず、優先順位を明確にして仕事をこなす堂々とした人」
すばらしいです。
憧れます。


でも、この条件をクリアしていないと「できない人」なのかな、
だれもがこんなすばらしい人にならなくちゃいけないのかな、とも同時に思います。


上記のような「できる人」になるのは大変です。
常に周りの人に気を配る、堂々としている、なんてすぐに身に付くものではありません。
「できる人」になることばかり考えていると、ずっと自己評価が低いままになりそうです。


アインシュタインは言いました。
「この世の誰もが天才である。しかし、木登りの能力だけで魚の価値を決めてしまったら、
魚は自分が劣っていると思い込み、一生を過ごすだろう」


ある枠組みにはまらないからと言って、
自分はダメだと思いながら過ごすほどもったいないことはないと思います。


私はいわゆる一般的な主婦としてはダメダメだという自信があります。
家事をしている間も、何かいいことを思いつくとすぐにパソコンに向かって調べたりしてしまい、
ルーティンがテキパキこなせないからです。


ですが、一般主婦部門ではダメでも、
ユニークな主婦部門ではイケるのではないかと勝手に思っています。


「○○○な、できる人」と、アレンジしてみてはどうでしょう。
もうすでに「できる人」かもしれません。

先日、テレビで成人式でのインタビューを観ていて思いました。
「個性を大切にしたい」人、多いんだなあと。


個性的な人を狙ってインタビューしているのかなと思っていたのですが、
そうでもない感じでした。
耳に入ってきたフレーズは「人とかぶりたくない」、「自分らしさ」。
へえ、と思いました。


へえ、と思った理由は、
「自分らしさ」を大切にしている人たちなら、
会社にもっと弾けた人たちがいてもいいんじゃないかと思うのですが、
自分が20代だった頃に比べると、周囲に合わせすぎて自分を出さないように
している人が多いように感じるからです。


よく調べてみると、「自分らしさ」を大切にしているのは、
ここ数年の20~30代の傾向のよう。


確かにSNSなどを通して、「自分」をアピールする機会が多いですし、アピールしたい意欲も高いですよね。
マクロミルが新成人を対象に毎年行っている意識調査でも、今年の新成人のLINEの使用率は93%、Twitterは78%という数字でした。


でも、どうして仕事にそういう特徴が表れにくいのかな、と思って、
同調査を見ていて、以下の回答に目が留まりました。


「何事も堅実な方法が一番」77%
「貯蓄は重要だ」93%
「人と競争することは苦手だ」65%
「出世よりプライベートを優先したい」76%
「自分の未来は明るい」57%
「自分たちの世代が日本の将来を変えていきたい」61.4%
「理想の大人はいない」54%
「将来どのような仕事につきたいか、わからない」25.3%
「将来は公務員になりたい」19.3%


うーん、ここから考えられることは、
会社は自己実現の場所ではない、と思っているのではないかということですね。
会社はお金を稼ぐ場所であって、
何かにチャレンジする場所とは考えられていないようです。
約6割が「自分たちの世代が日本の将来を変えたい」と思っているのに。
もったいないなあ、、、実にもったいない。


でも、よく考えてみると、
会社がそのような位置づけでとらえられているのは、
会社にいる私たちの責任が大きいですね、、、。


日本を変える意欲のある新成人がその力を楽しく発揮できる、
そんな場所にしなくてはなりませんね。

少し前のことになりますが、
中学生のSNSに関するアンケートを見ていて、
「イカン」と頭を抱えました。


「学校の自分は本当の自分ではない」
「学校で面と向かっていろんなことは言えないけど、SNSなら言える」


フェイスtoフェイスのリアルな対話がどんどんできなくなっていく。
これは困ったことです。


SNSのせいだ、と言いたいところですが、そうでもないなと思いました。
SNSがなかった私たちの世代もやはり、意見を交わすこと、
意見が飛び交う場にいること自体が嫌だと感じる人が多いな、
と思った出来事があったのです。


数年前の小学校の懇談会のこと。
その頃、クラスの男子数名がちょっとした「悪ふざけ」をして、
そのことが話題にのぼりました。
私はその内容から「悪ふざけ」と解釈していましたが、
先生が「いじめ」と言ってしまったことで、
事が大きくなっている感じはありました。


実は、うちの子は、立場的にはその悪ふざけの被害者だったのですが、
報告を受けたときに本人も笑っていたし、
関わった子どもたちも全員知っている子だったので、
私は「あ、こりゃ、おふざけが過ぎたな」と思っていました。
ただ、少々危ないことだったので、
そのことについてはしっかり家で叱りました。


さて、懇談会。
先生は新任の先生で、
「いじめ」が起こった、とパニックになっているようだったので、
私はそのことについて思っていることを言いました。
うちはやられたほうだけれどもいじめではないこと、
おふざけが過ぎちゃったこと、
でも危ないから叱ったこと、
学校でも危ないこといついては注意していただきたいこと。


実はその頃、クラスに落ち着きがなくて、
あちらこちらでいたずらが起こっているということも聞いていました。
低学年なので、
クラスがもっと楽しくなるようなしかけをするのもよいのでは?
という提案もしました。
上の子のクラスは、
給食のときに誕生日の子のところに牛乳で乾杯しに行っていて、
盛り上がってますよ、と。


出来事に関わったお母さんたちも同じような意見で、
クラスを良くするためのほかの意見も出ました。
先生も緊張がとれて笑顔になって、
「いい懇談会でしたね」ということで終わりました。


ところが後日、
ほかのクラスの保護者からこんなことを言われました。
「1組の懇談会、荒れたんだって?」
「めちゃくちゃクレームしていた保護者がいたんだって?」
聞けば聞くほど私のことなので、
「あ、それ私だ。でも意見はしたけど、全然クレームしてないし、
いい懇談会だったと思ったけど(笑)」
そのお母さんは言いました。
「しかし、よく発言するよねー。私、懇談会で発言したことないよ」


確かに、あの懇談会はちょっと長かった。
さっさと終わらせて帰りたかった保護者にとっては、
迷惑であっただろうなとは思うのですが、、、。
でも、子どものクラスを良くしようという話し合いだったのになあ、
と思いました。


それにしても、最近、
意見=クレーム
議論=けんか
にすぐに置き換えられちゃうな、と様々な場所で思います。


なるべく波風立てずに、平和に済ませたい、、、
ということだとは思うのですが、
それじゃ何も言えなくなるし、言いたい気持ちも失せるし、
そのうち言いたいことすらなくなって、
感情もよくわからなくなるような気もしてきます。
感情がなくていいなら、ロボットでよくなっちゃう!
と思ったら、Pepperがもう感情を持っているらしいですね。


人間、がんばらなくちゃ!

先日、子どもと一緒にディズニーの映画『ズートピア』を観てきました。


テンポもいいし、ストーリーもよくできていて、
面白かったというのが全体の感想ですが、
同時に、「うーむ、これはダイバーシティの映画だな」と
考えさせられたというのも事実です。


以下、ネタバレしない程度に書きます。


主人公のうさぎの女の子(?)は、将来警察官になることを夢見ています。
しかし、うさぎが警察官になったという前例はなく、
「やめたほうがいい。うさぎは田舎でニンジンを育て、売るのが一番」
「うさぎなんかが警察官になれっこない」
などと周囲に言われながら育ちます。
しかし、彼女はあきらめません。
だれもが夢を叶えられる街、ズートピアがあるからです。


彼女は人一倍正義感が強く、世界は公平であるべきだと考え、
誰もが自由に何にでも挑戦できる社会を望んでいます。
夢に向かって切磋琢磨して成長し、大きくなってもその考えは変わりません。


しかし、そんな彼女であっても、歴史や小さな頃に起こったできごと、
育った環境などの影響から、ちょっとした、勝手な思い込みがあるのです。
そして、その思い込みから生まれた発言が予想外のトラブルを引き起こしたり、
一番傷つけたくない相手を傷つけてしまったりしてしまうのです。


勝手な思い込み。多かれ少なかれ、誰もがしているものだと思います。
「あの人は、いつもああいう発言をしているから、きっと冷たい人に違いない」
「あの人は、いつも話したがらないから、人付き合いが嫌いに違いない」
表に出ている要素だけで判断すると、そう考えてしまいがちだと思います。


私は、この映画を観て、
「でも、ちょっと待って。本当にそうなのかな」と考え直してみることが、
とても重要だと改めて思いました。


すべての思い込みを排除することはとても難しいことだと思うのですが、
発言したり行動する前に、考え直してみるということはできそうな気がします。
日頃何気なくしてしまっているちょっとしたことですが、
多くの人がそこを少し意識するだけで、
誰もがイキイキと輝ける社会に近づくのではないかと思いました。


なんてことを考えながら、真剣な顔でポップコーンを頬張る私を
息子は不思議そうに見ておりました。

『ズートピア』、大人の方にも観ていただきたい映画です。

 

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ