ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

ブログ

スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

『アート・デザイン』カテゴリの記事

 

22404205.jpg

最近、YouTubeで透明水彩の描き方の
動画を視聴しています。
柴崎さんという70代の日本人男性が
講師を務めているチャンネルで、
とても見応えがあります。

何といってもプログラムが良くできています。

たとえば、
超初心者用にわかりやすく解説するコーナー、
視聴者から募った作品に先生がコメントし、
お直しするとしたらココを示すコーナー、
新しい画材を試してみるコーナーなど、
いくつかのコーナーが用意されていて、
視聴者を飽きさせません。

中でも私のお気に入りは、
視聴者から募った作品を
先生がお直しするコーナーです。

ちなみに私は、絵は描いておりません。
なので、自分の作品づくりに生かすとか、
そういう目的はないのですが、
それでもこのコーナーを見てしまうのは、
絵を描くためだけでなく、
ものづくりに共通する学びがあるからです。

先生のもとに届く作品のレベルは
さまざまですが、
比較的上級者レベルのものが多く、
もう直すところないんじゃない?
と思うほどの出来栄えのものもあります。

でも、よく見ると、全面にわたって
同じ調子で描き込まれている作品が
多いことに気づきます。
とても上手なのですが、写真でいうと、
全面にピントが合っている状態です。

先生は、
「これはタイトルがこうだから、
たぶんこの方はこの建物を描きたかったのでしょうね」
というふうに、まず伝えたいものを決め、
構図や明暗、強弱を工夫して、
強めるべきところを強く、
逆に弱くするところを弱めていきます。

建物と同じくらいの面積で描き込まれた空や
地面を大胆にカットした構図にしたり、
明るいところと暗いところ、
細かく描き込むところと省略するところの
差をつけたりといった具合です。

そうして出来上がった絵は、絵全体ではなく、
強くしたところにまず目が行くので、
作品の印象ががらりと変わります。
絵のタイトルの印象も強くなるので、
感情にうったえるものも大きくなります。
なるほどなあと毎回感心してしまいます。

これ、原稿作成も同じなのだと思います。

たとえば、「何を伝えたいか」が
あやふやな状態だと、
いくら小慣れた表現を多用して仕上げても、
「つまり何?」と読んだ人が疑問に思う
原稿になってしまう。

あるいは、インタビューをしたとして、
聞いたことをどんどん入れ込んで仕上げるのも、
一見盛りだくさんではありますが、
メッセージの強い原稿にはなりません。

「何を伝えたいか」をしっかり決めて、
強めるところを強め、
弱めるところは弱める。

絵でも写真でも音楽でも、そして原稿でも、
だれかに伝えることを目的としたものづくりに
重要なことは共通しているんだなと
改めて感じました。

さて、4月も半分終わりました。
気温差が激しい季節ですが、
体調に気をつけてまいりましょう!

22088715.jpg

「人間の行う仕事の約半分が機械に奪われる」

英オックスフォード大学のオズボーン准教授が
そんな内容の論文を発表して
世の中を騒がせたのが8年前。
AI時代を生き抜くために必要な力として
「創造力」が挙げられるようになりました。

アドビが2020年に日本の高校生1200人を対象に
行った調査によると、「自分には創造力がある」と
答えた生徒は55%。「創造力がない」(45%)を
少し上回っています。

創造力をどう捉えているかという問いでは、
「自分らしい個性を自由に表現する力」(63%)
「芸術性の高いものを生み出す力」(46%)
「何もないところから新しいものを生み出す力」(46%)
「育った環境や努力によって培われるもの」(45%)
という回答でした。

SNSで写真や動画を日常的にアップしている
彼らなので、自分には創造力があると
感じている人はもっと多いのかと思ったのですが、
それほどでもなく、
「自分には創造力がない」が45%かあ。
うーむ、「ある」と答えた人が半数を超えたとはいえ、
半数近くの高校生が「創造力がない」と
感じているとは、なんとも残念だなあと思います。
だって、まだ高校生ですよ。

さらに残念だと思ったのは、「ない」と答えた人が
創造力に対する自信を失ったきっかけが
小学校高学年の図画工作の時間や
中学校の美術の時間にあると答えていること。
とくに中学校の美術の時間に自信を失ったと
回答した人が多く、そう感じた理由として
「成績が悪かった」
「周りの人より下手だった」
「アイデアが浮かばなかった」
との声があがっています。

生徒の創造力を伸ばすべき美術の授業が
逆に創造力を失わせてしまっているのは、
悲しいなあと思います。


これは私の想像ですが、
小学校のとくに低学年くらいまでは、
どんな絵を描いても、先生が褒めてくれると思うのです。
「わあ、大胆でいいね」とか「個性的でいいね」とか。

でも、中学校になると内申点というものがあるので、
学校側がおおらかに成績をつけなくなります。
生徒も、おかしな絵を描いて成績を落としたくないから
自由に描かない。
お手本のように、すごくきれいに描ける人、
テストの点数が高い人が良い成績をとるので、
それができない人は自信を失うことに
なるのではないでしょうか。

さらに厄介なのは、
ここでいったん苦手意識が芽生えると、
それ以降もずっと苦手と思い込んでしまうこと。
芸術系のものはとくに苦手意識が
刷り込まれやすいように思います。

創造力は、単に絵をうまく描く力ではなく、
ビジネスのあらゆるところで
必要になってくる力。
創造力がないと思い込んでしまうのは
とてももったいないと思います。

なんて書きながら思ったことは、
小・中学校で感じた苦手は
実は苦手じゃないのかも?ということ。
成績や評価を気にして苦手と思い込んだり、
嫌いになったもの、案外あるのかもしれません。

伸び伸びと自由にやってみたら、
苦手と思っていたことでも案外楽しめたり、
むしろ好きと思える可能性もありますね。

2022年、スタートしたばかりです。
皆さんは今年、どんなことにトライしますか?

922128_s.jpg

コンクールというものを覗くのが好きです。
今年は、夏からショパンコンクールに
どっぷりはまりました。

私は子どもの頃に少しピアノをかじったくらいですし、
しかもやめた理由が「練習が嫌いだったから」なので、
専門的なことはよくわからないのですが、
ショパンの音楽はずっと好きで、
5年に一度開催のこのコンクールは
毎回とても楽しみでした。

しかも今回は全演奏がYouTubeで配信され、
連日、大興奮の日々を送りました。
先週発表された結果はニュースでも
大きく報道されましたね。
ファイナルには反田恭平さんと小林愛実さんが
進んでいましたが、お二人とも入賞。
しかも反田さんは2位でした。
いやあ、すばらしい!

さて、私のような素人でも、
ずっとピアノ演奏を聴いていると
同じ種類のピアノでも弾く人によって、
全然違う音が出ることに気づきます。

同じスタインウェイというピアノでも
Aさんが弾く音とBさんが弾く音が違うのです。
手の大きさや指の太さや長さ、体格など、
身体的な特徴によるものだとは思うのですが、
どこまで細かくタッチにこだわるかということでも
音に違いが出るのかもと想像しました。

たとえば、反田さん。
弱い音が本当に弱く、強い音はドラマチックに強く、
一音一音キレキレなのに柔らかいという
とてもすてきな演奏でした。
指先まで意識して細かくコントロールして
いるのだろうなと思いました。

指先まで意識することで思い出したのが、
現在、新国立バレエ団の芸術監督をしている
吉田都さんの英国ロイヤルバレエ時代の
ドキュメンタリー番組。

同じバレエ団の仲間が、
「都はトウシューズで着地するときにほとんど音がしない。
アメージングだ」というようなことを言っていて、
その理由が、都さんは足の指一本一本を
動かせるからだというんですね。
番組内で実際に指を動かして見せていましたが、
足の先まで細かくコントロールすることが
踊りの質の向上につながっていると言っていました。

ピアノでもバレエでも、
それ以外のいろいろな世界でも、結果を出す人は
やはり細部まで神経を行き届かせて
仕事をしているのだと思います。
そしてその細かなこだわりが差を生むんだろうなあ。

社会では、アジャイルというワードを
耳にすることが多くなりました。
速さ、俊敏さがますます求められる時代です。
でも、ワードばかりが一人歩きして、
どうやってこれを実現するかはぼんやりしている印象。
単純に仕事を速くすることを考えると、
今まで細かく気を配っていたことをやらないなど、
雑にやる、という方向に走ってしまう可能性もあります。

でも、そもそもなぜアジャイルなのかというと、
競争に勝っていくためなのだと思います。
すると、勝つための差を生まなくてはならない。
そして差はやはり細部に出てくるのだろうと思うのです。
雑にやるのではなく、細部までしっかり仕事をし、
全体のプロセスの組み方や
周囲との連携の仕方を工夫して
アジャイルを実現することが必要なのだろうと思いました。

さて、秋も深まってまいりました。
私はショパンコンクールに影響されたので、
ただ所有していただけの楽譜を引っ張り出してきて
まだしばらく芸術の秋を続けたいと思います。

体調に気をつけて、秋を楽しんでまいりましょう。

AdobeStock_11775782.jpeg

子どもの頃、実家ではいたるところに
布のカバーがかけられていました。
電話カバー。
ティッシュカバー。
トースターカバー。
炊飯器カバー。
ドアノブカバー。


汚れ防止のためだろうなと子どもながらに
想像していましたが、
私は、カバーがかけられていることよりも、
家中の柄の多さが気になっていました。
我が家は、リビングの壁は基本白でしたが、
1面だけがなぜかエジプトっぽい柄、
カーテンはうっすら花柄、
ソファは細かいドット、
カバー類はだいたい小花柄、
もしくはチェックでした。
昭和の家庭では、よくある
ごちゃごちゃ感だったと思います。


あれは高校生のときだったか、
母に、なぜいろんな柄を
チョイスしているのか
聞いてみたことがあります。
(どんな質問の仕方をしたのかは
忘れたのですが)。
すると母は、
「すてきだと思うものがいろいろあるから」と
言ったように記憶しています。
「いろいろあって楽しいじゃない?」的な。


なぜ、こんな話をしているのかというと、
先日、伝わる文章にするためには
捨てることが必要、という記事を読んで、
考えてみると、文章もファッションもインテリアも、
一緒だなあと思ったのです。
あれもこれも盛り込みたいと思うと、
全体としてゴチャっとしてしまい、
何を伝えたいの? 何がしたいの? 
ということになってしまう。


実家のインテリアは、母が楽しんでいるし、
だれかに何かを伝えたいと
思っているわけではないので、よいのですが、
対象者に何かを伝えたいというときは、
やはりモリモリだと問題があるかもしれません。


なぜ要素モリモリになってしまうかというと、
盛り込む作業は楽しいからだな、と思いました。
あれも入れて、これも入れてと
追加していくのは、旅行バッグに
持っていきたいものを入れる感覚に
近いのではないでしょうか
これを着ることもあるかもしれないし、
この靴を履くこともあるかもしれないし、と。
ですが、入らないとわかったとき、
そこから抜くという作業は楽しくない。


文章や企画、デザインでも、
こういうことが起こりますね。
AもBもCも、できればDも入れたい。
でも今回はメッセージを絞るために
Aにフォーカスしたほうがいいとなった。
いやでも、やはりBもCも
少しでいいので入れたい。
Dもほんのちょっとでいいので・・・
などと言いたくなってしまいますよね。
捨てるには勇気がいるのです。


断捨離の提唱者、やましたひでこ氏によると、
捨てられない理由は、「現実逃避」、
「過去への執着」と「未来への不安」
なのだそうです。


文章で言うと、現実逃避は、
「ああ、盛り込みすぎちゃったなあ。
削らなくちゃいけないみたいだけど、
判断するのも難しいから、
まあ、いいか、このままで」
というところでしょうか。


過去への執着は、
「こんなに頑張って書いたのになあ」
「こんなにたくさん取材したのに」
みたいなこと。


未来への不安は、
「今回のターゲットではないけど、
もしかしたらこういう立場の人が読んだときに
必要な情報かも」
「後で足りないって言われるよりは、
入れておいたほうがいいかな。
読む人がいるかもしれないし」
というようなことでしょう。


問題は、いずれも
「今の現実にしっかりフォーカスしていないこと」。
過去や未来ではなく、今どうしたいか、
今何が必要かを考えることが必要なんですね。


ああ、そうか。
結局これ、何かを決断するときの
クセの話ですね。
そう思うと、いろいろ思い当たることが・・・


今にフォーカス。今、何をしたいか。
大事かもしれません。

今年のアカデミー賞は、
韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が
作品賞を含む4部門を受賞し、話題になりました。
授賞式では、ステージに立ったポン・ジュノ監督が
昔、本で読んだ巨匠の言葉にとても影響された、として、
客席のマーティン・スコセッシにメッセージを送ったのが印象的でしたね。


また、2度目のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を
受賞したカズ・ヒロ氏にも注目が集まりました。


カズ・ヒロ氏は、
『スキャンダル』で、主演のシャーリーズ・セロンの顔を
FOXニュースの女性キャスターそっくりにメイク。
前回の受賞では、ゲイリー・オールドマンを
ウィンストン・チャーチルに大変身させていましたが、
なんとなく、大変身させるよりも、
今回のように、顔つきの微妙な変化を表現するほうが難しそうな気がします。
とんでもないアイデアと技術、集中力が
必要とされたのだろうと想像します。


さて、そのカズ・ヒロ氏が
クリエイティブと向き合うためには
「気づくことが大切」だと、インタビューで語っています。


「何かを感じるときに、自分ではどう感じているのか。
反応するときは、自分の中にあるものと
返ってきたものがかみ合う時。
そのかみ合い方で単に習慣として反応しているのか、
あるいは別のことに気付いたのか。
それをしっかり見極めることが大事です」


何かに出会ったとき、
自分がどう感じているのか、を意識しなくてはいけない、
ということですよね。


どうでしょうか。
毎回自分の気持ちを敏感に受け止めている
という人、多くないような気がします。
何かに出会って、いちいちイライラしたり、
この感情は何なんだ、と考えることが面倒くさいから、
敢えて考えず、すーっと流しておこう、
という人も少なくないのではないかなと思います。


でも、感情や気づきこそが
クリエイティブの源なんですね、きっと。
アウトプットがメイクであれ、絵であれ、文章であれ、
自分がどう感じたのか、どう思ったのかを考えずにいると、
何も生み出せないということなんだろうな、と改めて思いました。


カズ・ヒロ氏は、こんなことも言っています。


「今まで得た知識の範囲内でしか考えらないと広がらないですよね。
結局、社会で植え付けられた知識を
基準として生活しているので、
それを取り外さないと先に進めません」


これは、固定観念を取り外す、とうことですね。
思い込みを捨てる、とか、常識の枠にとらわれない、とか。
よく聞く言葉ですし、
そうしなくちゃいけないのはわかるんだけど、
実際何をすればいいの? と思ってしまいますね。


人材育成コンサルタントの竹内義晴氏は、
固定観念を取り払うには、
「何がそう思わせているのかを考える」ことが大切だ、
と言っています。


たとえば、「自分を変えるのは難しい」という思いがあり、
行動にブレーキがかかっているとします。
そんなときは「難しい」と思わせているものは何か、を考え、分析してみる。
そして、必要がないものを一つひとつ手放してみる。
すると、今まで「難しい」と思っていたのは、
思い込みであったことに気づくことができるのだそうです。


こうしてみると、
やはり、きちんと「感じる」ことで「気づく」こと、
そして「考える」ことは、
何かを生み出すためには欠かせないということがわかります。
自分自身と向き合うこと、もっと大切にしたいですね。

「『おもしろ水』が両手に汲まれて、
それをいかにこぼさないように
ゴールまで運ぶか、という感覚なんです」


制作の過程でどこに一番力を入れるか、
という質問に対し、こう答えたのは、
「20世紀少年」や「YAWARA!」の著者、漫画家の浦沢直樹氏です。


浦沢氏は、例えば制作過程が10段階だとしたら、
10が一番最初に見えると言います。
ゴールがクリアに見えて、
おもしろ水がいっぱいに汲まれる。
そのおもしろ水をまったくこぼさずに
ゴールまでたどり着いたら、
世紀の大傑作になるはずだと語っています。


しかし実際は、
たとえば読者にとってわかりやすくする
という作業を加えたりしているうちに、
ポタポタ水がこぼれていってしまう。


でも、浦沢氏にとって、
途中で水がこぼれてしまうのは予めわかっていること。
むしろ、水をこぼさないと、あまりにも
伝わらないものになってしまうと話します。


こんな言い方もしていました。


「だから、フランク・ザッパから、
ビートルズくらいにするには
どうしたらいいかを考えるかんじです」


フランク・ザッパとは1940年生まれの
アメリカの前衛ロックミュージシャン。
圧倒的な存在感で、亡くなるまで
自分のやりたいことを貫いた人です。


浦沢氏は、若いころは自分もフランク・ザッパ寄りで
暴走していたけれど、
より多くの人に届けることが本当は重要なんじゃないかと気づき、
ビートルズくらい受け入れられるようには
どうすればいいかを考えるようになったと
話しています。


おもしろくて、わかりやすい表現だなあと思いました。
漫画だって、音楽だって、小説だって、
届ける人がいるわけですもんね。
あまりにも独りよがりだと、
コアなファンにはがつんと届くかもしれない
けれど、多くの人には届かない。


浦沢氏は、「本当にいいものを作れば、
多くの人が振り向いてくれると思っています。
良かったけど売れなかったね、というのは、
どこかに良くない部分があったからだと
思うんです」と語っていて、
なるほどなあと思いました。


漫画の制作と、企業の広報物の制作を
同じようには語れませんが、
いくらユニークで、かっこいいものを
作ったとしても、
届けるべき人に伝わらなかったら意味がない
というところは一緒ではないかと思います。
伝えるためには、おもしろ水が
こぼれるのはしょうがない。
そう考えると、最初に汲むおもしろ水は、
できるだけたっぷりのほうがいいですね。


では、どうしたらおもしろ水をたっぷり汲めるか。
浦沢直樹氏もそうですが、
世の中の天才と言われる人たちは、
「あ!」と思った瞬間、
両手にたっぷり水が汲まれているのだと
思います。でも一般人はそうはいきません。


じゃあどうするのかというと、
これはもう、普段からいろいろな物に
触れるしかないのでは、と私は思います。
大事なことは、触れたらスルーしないこと。
映画でも本でも、チラシでも、
電車の中刷りでも、テレビでも、音楽でも、
目や耳に入ったらスルーせずに考える。
すると、「あ、これって、
こことつながっているんだなあ」とか
「この音、こういう意味なのかな」とか、
いろいろなことに気づいて疑問がわきます。
それを繰り返すことで、
おもしろ水のモトがたまっていくのかなと感じます。


さて、夏っぽくない日が続きますが、
我が家の子どもたちは今週から夏休みに入りました。
彼らと一緒に夏のおもしろ水、
汲まなきゃなあと思っています。

テレビを観ていた次男が、
「フライドチキン食べたい!今!」
と叫びました。


パリパリの衣が特徴の
ケンタッキーフライドチキンのCMで
CM内で流れる「パリパリ」音がとてもおいしそうなのだとか。
後日、同CMを観ましたが、
なるほど、食べたくなる音でした。


ケンタッキー社の調べによると、
このパリパリ音には、脳の前頭葉に働きかけ、
ポジティブな気分をもたらすことにより、
食欲を増進させる働きがあるのだそう。
パリパリ音はお腹がすく音なのですね。


こうした食べ物を咀嚼する「音」に
最近注目が集まっているようです。


人気の背景には、「AMSR Autonomous Sensory
Meridian Response」と呼ばれる反応があります。
AMSRは直訳すると「自律感覚絶頂反応」で、
人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、
心地よい、またはぞわっとする
感覚や反応のことです。


今、多くのユーチューバーが、
専用のマイクを使って咀嚼音をクリアに拾った、
食べる動画を制作しており、
世界中で再生回数が伸びています。
この現象に注目した食品業界では、
より「音」にこだわった
商品開発が増えているそうです。


それにしても、なぜ、
咀嚼音が心地よさにつながるのか。
考えていたら、こんな調査を見つけました。


日本音響研究所が行った周波数分析によると、
スナックを食べる
「パリッ、ザクッ、ザクッ」という音は、
その波形が、なんと沖縄県・西表島の浜辺に寄せる
波の音と似ているのだそうです。


へえー!
自然の波の音に似ているから心地いいのか、
という単純なものではないとは思いますが、
「音」と気分の関係、とても興味深いと思いました。


咀嚼音に限らず、音にこだわった商品は、
以前よりも増えてきているように感じます。


私は昔から、電化製品にデフォルトで
設定されている終了音のメロディがあまり好きではなくて
ほかのメロディに変えたくても、
好きなメロディがない場合が多く、
仕方なく、シンプルな電子音にしているのですが、
大きな「ピーッ」という電子音も
そんなに気に入っているわけではないので、
もっとステキな音だったらなあ、
なんて思っています。
終了音だけでなく、スイッチ音なんかもそうです。


なので、スイッチ音に楽器音を取り入れた
バルミューダ社の電子レンジが発売になったときは、
「おおおー!」と思いました。


マーケティング業界では、
「感覚マーケティング」とか「五感マーケティング」
というジャンルがすでにありますが、
これからは聴覚のみならず、
消費者の五感に訴える商品が増えていくのだと思います。


館内の香りにこだわったホテルや旅館が
すでに評判を呼んでいますし、
自動車業界では、シートの座り心地はもちろん、
車内のスイッチのクリック感や押し込む深さなどにこだわって
開発された車も見られます。


そう考えると、もしかしたら、商品開発だけでなく、
たとえばプレゼンや社内のミーティングでも
五感にこだわることは大切なのかもしれません。
そんな目で見渡してみると、
いろいろなアイデアが浮かんできそうな気もしますね。

観ました。私も。
『ボヘミアン・ラプソディー』を。
唯一無二の世界。圧倒的なパワー。やられました。


大丈夫です。映画の内容をお話ししたいのではないのです。
この映画を観て、私は「クリエイティブにはいろいろな意見が必要だ」と
改めて思った、ということをお伝えしたいと思ったのです。


といいつつ、映画のシーンをちょっとだけ。
訳あってバンドから離れていたフレディ・マーキュリーが、
再びクイーンに戻ってくるところです。
戻ってきたかった理由をフレディは「みんなは俺に意見してくれる。
反対意見も言ってくれる。俺には君たちが必要だ」と言います。
(すみません、映画の中のセリフを思い出しています。正確ではありません)


フレディが一時的にバンドを離れていたとき、
彼はすでにスーパースターでした。
スターに接した人たちは彼を褒め称えたに違いありません。
意見する人なんていなかったのだと思います。
だれもが自分に賛成し、同意する環境にいるとどうなるか。
人の感覚は鈍くなり、
ものづくりをすることができなくなるのではないかと思います。


プロのマリンバ奏者であり、
『デュボワメソッド』というキャリアデザインメソッドを開発した
フランソワ・デュボワ氏は、こう言っています。


「僕は真の友だちとは、
自分を躊躇なく批判してくれる人だと思っている。
自分がやろうとしている方向を理解し、
リスペクトもしてくれているけれど、
自分が変な方向や悪い方向に行きそうになったら、
叱ってくれる人だと思う」


デュボワ氏は、「真正面から言われると、
それが自分自身を再考し、把握する手がかりになる。
だから本当にありがたい」と言います。
なぜなら、自分の「直観力」が鈍っていることは
自分一人では気づきにくいから、と。


さらにデュボワ氏は、
その場の空気を読むあまり、
思っていることと反対のことに賛同することも
自分の直観力を鈍らせることにつながると指摘しています。


デュボワ氏は音楽家でもありますから、
こうした率直な意見のやりとりがなければ、
クリエイティブ力が衰えていくことをよく知っているのかもしれません。


以前読んだ『ピクサー流 想像する力』にも
そんなことが書いてありました。


著者のエド・キャットムル氏は、
ピクサーから出す作品のクオリティーを高めるためには、
隠し事をせずにオープンに、
十分なコミュニケーションをとるしか方法がないと述べています。
そのためにピクサーには、
妥協を一切排除するための仕組み「ブレイントラスト」があって、
集まったスタッフは制作中の作品について
忌憚なく意見を交わすのだそうです。
とはいえ、簡単なことではないようです。
最初はこんなことを言ってもいいのだろうかと
口をつぐむ人も多いそうですが、
やがて率直な会話、活発な議論、笑い、愛情、
この4つで前に進むのだそうです。


皆さんは最近、叱られたり、意見されたりしましたか?
叱られたばかりという方、ラッキーですね!


12月ももう半ば。
私はまた『ボヘミアン・ラプソディー』行きますよ!(またか!)

子どもたちの夏休みが終わりました。
暑すぎて、あまり夏休みっぽいことをしなかったなあと思いながら、
テレビのチャンネルを回していたら、やっていました、
スティーブン・キングの『IT イット』。
夏と言えば怖い話。
怖いと言えば、スティーブン・キングです!


『IT イット』はもちろん、
『キャリー』といい、『シャイニング』といい、
本当に怖い。じわじわ怖い。
どうやってストーリーを考えているんだろう、
と思ってしまいます。


スティーブン・キングが発想について答えているインタビューがあります。
それによると彼は
「作品のアイデアを得るためのよい方法などない」としたうえで、
「アイデアは、何でもない場所にある。
空からあなたを目指してやってくることもある。
一見、全然関係がないような2つのアイデアが一緒になって、
新しいものを作ることもある。
やるべきことは、
そのアイデアを見つけることではなく、
それらが姿を現したときに気づくことだ」
と述べています。


アイデアというわかりやすい形になっているものを探すのではなく、
アイデアになり得るものに気づけ、ということでしょうか。
なるほど、と思いました。


『クリエイティブの処方箋』という本には、
画家や建築家、映画監督や作家などの発想法や
クリエイティブでいるためのコツやこだわりが書かれています。


たとえば、巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督は、
クリエイティブであるためには
「思い切って切り捨てる」
ことが必要だと言っています。


同監督が手がけた大作『地獄の黙示録』は、
撮影に16ヶ月を費やし、
膨大なフィルムを使用したといいますが、
なんと編集段階で95%を切り捨てたそうです。


「もったいない!」と思いますが、
クリエイティブのためにはそれも必要なのでしょうね。
これは、文章を書くときや、企画を立てるときも同じだと思いました。
どうしてもまとまらないときは、
スパッと切り捨てる勇気もなくてはいけませんね。


作り出した世界にどっぷりと浸かり、
何度も確認し、手直しすることによって、
最高のクリエイティブを目指す人もいました。
『華麗なるギャッツビー』の作者、F・スコット・フィッツジェラルドです。
執筆中のフィッツジェラルドは物語を呼吸し、
物語を生きたそうです。
来る日も来る日も読み返しては、
納得のいくまで書き直し続けたと本にはありました。


仕事の中では、この姿勢も必要ですよね。
いったん書いた原稿や、いったんまとめた資料はすぐに提出するのではなく、
時間を置いて目を通してみる。
すると、書いているときには気づかなかったところが見えてきたりしますよね。


『クリエイティブの処方箋』には、
さまざまな発想法やクリエイティブの保ち方が書かれていましたが、
大切なことは、
「自分はクリエイティブだ」と信じることなのかなと思いました。
信じていないと、高いレベルには近づけない。
必ず「できる」と思うことが必要ですね。

「うまくできた!」と思っても、
一歩引いて全体を見ると「あれ?」と感じることがあります。


毎年この季節、私はこれを感じます。
花の寄せ植えをするからです。


春、園芸店に行くと、色とりどりのきれいな花苗が並んでいます。
あれもこれも手に取りたくなりますが、
あらかじめ「こんな感じ」というイメージを持っているので、
誘惑に負けずに花を選びます。


「こんな感じ」とは、色と形の組み合わせ方。
色は、白メイン、ほかに入れるのは同系色2色まで。
形は、こんもりメイン、脇役でシュッと直線。
なんとなくおわかりになるでしょうか。


過去に、「わ、きれい」と直感的に色と形を選んでしまった結果、
ちぐはぐな寄せ植えになったことが何度もあるので、
今年は決め事をつくってみたのです。


すると、鉢単体ではなかなかの出来映えになりました。
が、しかし、いざ設置してみると、なんだかイメージと違う。
周囲とのバランスが悪いのです。


花色はおさえたので、色のバランスはあまり気にならないのですが、
鉢の大きさとか、植物自体の大きさとか。スペースの空き具合とか。
なんだかスカスカな感じ。
でも、この状態から何かを足して解決しようとすると、
とてもおかしなことになることは経験からわかっています。
うーん、コーナー全体としての見方が足りなかったなと反省しました。


これ、すごく何かに似ているなと感じました。
制作物のデザインです。


例えば、社内報。
ピンポイントで見ていると、もっと色を足してにぎやかにしたくなる。
あれこれやってみて、ページとして見たら、まだ寂しい印象。
なので、イラストを足してみたり、スペースを文字で埋めてみたりする。
うまくいったと思ったが、いざ本にしてみると、ちぐはぐ感が、、、。
しかも、いろいろ足しすぎた結果、
肝心の情報が取り出しにくくなってしまった。
よく起こることです。


こうならないために必要なことは、一歩引いて全体を見ること。
そして、「そもそも、何だっけ?」を考えることです。
何だっけ?とは、ページやコーナーの役割。
ここを考えずに、「なんだか寂しい印象」を解決しようといろいろ足していくと、
たいていうまくいきません。


あ、これ、コミュニケーションでも言えるかもですね。
あまり考えずに言葉をどんどん足していくと、伝わりにくくなる。
一歩引いて見ると、相手や周囲の人の気持ちに気付くことができたりします。


引いて見る。大事ですね。

 

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ