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『コミュニケーション』カテゴリの記事

 

石田衣良氏の人気小説
『池袋ウェストゲートパーク』(IWGP)が
アニメ化され、10月から放送が開始されています。


IWGPは、池袋を舞台に、
主人公マコトが、友人タカシ率いるストリートギャング
「Gボーイズ」とともに、社会が抱える様々なトラブルを
解決していくミステリー。


マコトは、Gボーイズには属さず、
普段は実家の果物屋を手伝っていますが、
あるトラブルを解決したことをきっかけに、
名トラブルシューターと認識されるようになり、
厄介なトラブルが起こる度に、依頼され、出動していきます。
ちなみに謝礼は受け取りません。


誰に対してもフラットで、相手が副都知事であろうが、
小学生であろうが、まっすぐにぶつかっていくマコト。
飄々としていますが、相手の気持ちを繊細に捉え、配慮する一面も持っており、
著者の石田衣良氏は、そんなマコトを「自分の理想像」と語っています。


さて、私たちは、人間関係や組織において
フラットという言葉を使います。
フラットな人間関係、フラットな組織とは
一方的ではないということかなと思います。
みんなが自分の意見を言えて、みんなが他人の意見を聞く。
しっかり話し合える。そんな関係です。


フラットな関係をつくるために、まず必要なことは何でしょうか。
相手が変わっても、偉ぶることなく、
卑下しない、接し方のスタイルを確立することでしょうか。
IWGPのマコトを見ていると、そうではない気がしてきます。


フラットな関係づくりのためにまず大切なことは、
自分の接し方のスタイルの確立ではなく、
相手の気持ちを考え、受け入れることではないかと思うのです。
相手を受け入れた上で、違うと思ったことは違うと言う。
マコトがフラットに接することができるのは、
度胸がいいからという理由だけではなく、
相手の気持ちをしっかり考えているからだろうと勝手に分析しました。


そして、フラットな関係づくりには、安心感も必要ですよね。
なかなか組織でフラットな関係が実現しないのは、
「こんなことを言ったら、評価が下がるかな」
「こんなことを言ったら、上司の耳に入るかもしれない」
「変なことを言う人だと思われたくない」
など、様々な不安があるからだと思います。
そんな不安を取り除くには、お互いがオープンでいることが必要。
フラットでオープンな組織、というように、
フラットとオープンがセットで使われることが多いのは、
そういう理由なんだろうなと思いました。


いやあ、そうは言っても、簡単じゃないですよね。
簡単だったら、とっくに世の中フラットになっている。
でも、どうせ実現しないんだから、と諦めると、
どんどん元気がない社会になりそうです。
まずは一人ひとりが、普段の生活で、
少し意識してみることが必要なのかもしれません。

日本で暮らす外国人から、
日本の文化や風習について様々な意見をもらい、
日本のいいところを再認識しよう、
という趣旨のテレビ番組『Cool Japan』。
番組MCで演出家の鴻上尚史氏が
ある時、雑誌でこんなことを書いていました。


「よく外国人に言われるのが、日本人の笑顔について。
日本人は真剣な話をしているときにも笑う。
自分の意見を言った後も笑うし、失敗しても笑う。
怒っているときも笑う。
ノーと言った後も笑う。
不思議だ、と彼らは言います」


なぜ、日本人は真剣なときや怒っているときでも笑うのか。
実際に番組で日本人の笑顔について
取り上げたときに、外国人から出た意見は、
次のようなものだったそうです。


「自分の意見を言うことが
相手にとって失礼だと思うからじゃない?」
「相手を失望させたくないから笑うのでは?」
「自信がないんじゃない?」
「いつだって場を和ませたいと
思っているから笑うのでは?」
「日本人は、いつでも笑顔でいなくては
いけないと思っているからじゃない?」
「いつも笑顔で、は違う。
廊下を歩いているとき、知らない人と
目が合っても日本人は微笑まない」


うむ・・・。どの意見も
当たっている気がしますね。


その場を和やかにしたい。
反対意見を言って、場を乱したくない
(でも、反対意見は言うから、せめて笑うことで和ませたい)。
意見は言うけど、自信がないから笑顔でごまかす。
断言する感じになると、
気が強い人だと思われるから、笑顔で和らげる。


「社会」の存在が大きい日本人の間では
普通に行われていることですが、
グローバルな視点で見ると、やはり奇妙ですよね。


脳科学者の中野信子氏は、
日本人の笑顔についてこう説明しています。


「笑顔には大きく分けて2種類あります。
おかしくてつい、思わず笑ってしまう、
いわばボトムアップ型の笑い。
そして、社会的な場面に合わせて笑顔を作る、
脳内プロセスとして意思が笑えと命じて
笑いを演じる、トップダウン型の笑いです。
日本人には後者の笑いが多いということが
調査からも知られています」


「日本人にとって笑顔は単なる感情表現ではなく、
社会性を形成する重要な要素であり、
相手に対する礼儀や思いやりでもあり、
自分の心を守るための戦術で、
日本社会で生きていくためには
外せないスキルの一つなのでしょう」


確かにそうかもしれません。
考えてみると、笑顔の役割が多すぎる。
でも、脳が命令するスキルとしての
笑顔ばかりだと疲れちゃいそうですよね。


無理に笑顔を続けているうちに、
職場や友人とのやり取りの場面ばかりでなく、
家族の前でさえも作り笑顔が消えなくなってしまう
「スマイル仮面症候群」
というものがあるのだそうです。
精神科医である夏目誠氏が名付けた症状で、
笑顔の仮面を外すことができなくなり、
心身に負担がかかっている状態を指します。
夏目氏によると、そういう状態にある人は、
自分が笑顔でいること、笑っていることに
気づいていないことが多いのだそうです。


いつも笑顔の人は穏やかに見えるし、場を和ませるのも事実。
でも、だからと言って、どんなときも
無理に笑顔でいる必要はないですよね。


「私、今、怒っているのに、笑っていたかも」
自分の笑顔に意識を向けて、
笑顔のクセに、少しずつ気づいていくことが
大切なのかもしれません。

お正月の箱根駅伝。


子どもの頃は、正直、何がおもしろいんだろうと思っていました。
毎年、何時間もテレビに向かい、ただ走る人たちを観ている両親は、
単に暇なのかと思っていました。


でも、今はわかります。
駅伝、ドラマですね。


ちょっと目を離すと、
だれかがスパートをかけて、後続の走者を大きく引き離したり、
いつの間にか順位が入れ替わったり。
そのあっという間のアクションが、次の走者に大きな影響を与えます。


そして何と言っても、襷を渡す、
という行為そのものがドラマです。


力を出し切って、倒れこみながら次の走者に襷を渡す選手もいれば、
時間切れで次の走者が出発してしまい、
襷を渡すことができない選手もいます。
今回も、あと数メートルという距離で、
次の選手に襷を渡せず、泣き崩れる選手がいました。
その悔しさを思うと、こちらも涙が出てきます。


さて、今年は原監督率いる青山学院大学が
王者を奪還しましたね。
いやー、すごいです。


原監督は、2004年に青学陸上部の
陸上競技部長距離ブロック監督に就任し、
5年後、33年ぶりに同校を箱根駅伝出場に導きました。
そしてそこから、大学三大駅伝3冠、
箱根駅伝4連覇を達成しましたが、
昨年は、優勝を逃してしまいました。


「青学、弱くなったな」
「テレビに出過ぎなんじゃないの?」
という声を聞きながらも、
監督は今までのスタイルを
変えなかったと雑誌のインタビューで語っています。

今までのスタイルとは、
監督が独裁的にやらないこと。
選手としっかりコミュニケーションをとって、
常に個々の選手の自己ベストの半歩先を一緒に目指すこと。
長期的には長距離陸上界を盛り上げること。
(だからテレビに出ているのだそうです。)


監督に言われたことだけやる人間は、
社会で通用しない、と監督は言います。
青学では、キーワードを与えて、あとは選手に考えさせるそうです。
そうすることで、
一人ひとりが考える力、突破力、計画力、分析力を
つけていくそうです。


私が、おもしろい取り組みだな、と思ったのは、
長年行っているという、
コミュニケーション力をつけるための1分間ショートスピーチ。
毎朝、一人の選手が全部員の前で、
1分間のショートスピーチをするそうです。
起承転結をつけて、最後は陸上競技に落とす、という決まり。
アイドルから入っても、ラグビーから入っても、
何でもいいそうです。


なかなか難しいことをするなあと思いました。
でも、これが得意になると、
ポイントを絞って話すことができるようになりますね。
文章を書くことを考えても、
いいトレーニングだなと思いました。


あ、でも、こうしたトレーニングは
社会人としてやっていくための力に
結びつくのかもしれませんが、
駅伝という競技にどう影響するのでしょうか。
一人で走るし、複数で走りながら
コミュニケーションをとるわけでもないし、、、。


なんて思ったのですが、こういうことなんですね。


選手一人ひとりが、まず自分自身を理解する必要がある。
なぜなら、理解しないと、
自分の強みも弱みもわからず、人間力も技術も伸ばしていけない。
自分自身のことは、
一人で考えていてもわからない。
自分のことを語ったり、
人の意見を聞くことでわかるようになっていく。
だから、コミュニケーションは必須なんです。


さらに、原監督によると、
駅伝は「心の襷リレー」なのだそうです。
心の絆がないチームは、往路で遅れをとったら、
復路で回復できないと監督は言います。


確かにそうだなと思いました。
黙々と自分のことだけ考えて走っていたら
あの本番の力は出ないと思います。
普段からコミュニケーションをとって、
全走者を信頼し、心もつなぐと思っているから、
限界を超える力で走ることができるんですね。


ああ、いいなあ、心の襷をつなぐなんて、、、
いいなあ、青春、、、


さ、私はそろそろ、
コミュニケーションでボールを運ぶスポーツ、
高校サッカー決勝を観ます!

先日、ネットでこんな動画をみました。


自分の何十倍もある大きさの牛に囲まれた鳥。
牛たちは追い払おうと、じりじりと鳥に接近。
そこで、一頭がぐんと前へ。
でも、鳥は逃げるどころか、クチバシで勢いよく牛の頭を突き、
牛は怯んで後退。
その後も鳥は近づいてくる牛を次々とクチバシで追い払い、
とうとう牛の群れは退散していく。


私の頭に浮かんだのは、
"Size doesn't matter."
というヨーダの言葉です。


さらに、先日読んだ、人生相談のことも思い出しました。


アエラ・ドットの人生相談コーナー。
相談者は25歳の女性で、悩みの内容はこうでした。


「私は、人に言い返すということを敢えてしていない。
何を言っても相手は変わらないだろうと思うから。
それに、結果の出ない議論は怒りで自分を消耗するだけ。
でも、言い返さないから、
なんでも言われてしまい、サンドバッグ状態。
さすがに何も感じない訳ではないので、
不快感を外に出さないよう必死。
現状を何とかしたいという気持ちもあるが、
どうすればいいのかわからない」


つまり、先ほどの鳥と正反対。
戦わない選択をしているというわけです。


この相談者にアドバイスを送るのは、劇作家の鴻上尚史氏。
鴻上氏は、こう言っています。


「伝えても、相手は変わらない、と言うが、
それは言ってみないとわからない」


「たとえ相手が変わらなかったとしても、
それはもしかしたら、相手が頑固だとか、
こちらを無視しているわけではなく、
相手に別の信念があったり、
違うビジネスのビジョンを持っていたり、
大切なことの順番が違うから、かもしれない」


「結果、相手が変わらないとしても、
こちらが思っていることは伝えた方がいい。
なぜなら、自分には意見がある、ということをアピールできるから」


「意見がない、意思がない、何も考えていない人だと思われないために、
自分の考えは外に出す。
そうすれば、相手も、ああこの人は考えているんだ、とわかる。
それはとても大切だ」


そうだなあ、と思いました。


とはいえ、
議論は気が重いから好きではない、という人、少なくないと思います。
その場の空気を平和に保ちたい。
だから、言いたいことを飲み込んでしまうこともあるかもしれません。


でも、やはり、それをずっと続けていると、
鴻上氏が言うように、周りの人から
「どうせあの人は何も言わない。意見がないから」
と、思われるようになってしまいます。


それに、言いたいことを引っ込めた時に感じる
「悔しい」という感情を無視し続けていると、
自分の感情に鈍感になってしまう。
自分が怒っているのか、悲しいのか、よくわからなくなったら辛いです。


怒りや悔しさを感じないなんて、仏みたいで最高!
という考えもあるかもしれません。
実際、相談者の女性は、そうなりたいと書いていました。
でも、社会で人と生きていくには、
それではやはり困るのではないかと思います。


相手を変えるためではなく、「考えている」ことを示すため、
自分の考えはきちんと表に出す。大切だなと思いました。

ラグビーW杯準決勝、残念でした、、、
試合前、そして直後に選手たちが見せた涙、
そしてその後の笑顔、
いろいろな思いを感じて、じーんときました。


今回のW杯を通じて、ラグビーに全然詳しくない私も、
少しはプレーを理解できるようになりました。
でも、やはり目が行くのはプレー内容よりも、
あの激しいぶつかり合い。
防具一切なしで、あの勢いでぶつかるなんて、何度見ても信じられない。
「わ、痛い!今のは痛い!」
「今、骨折れたんじゃない?」
試合を見ながら、何度も口にしてしまいました。


それにしても、選手たちは、怖くないのでしょうか。
あんな大男たちが、前から突進してくる。
大男たちに全力で突っ込んでいく。
本能的に恐怖を感じてしまいそうです。


元ラグビー日本代表の平尾剛氏は、
初めてサモア代表チームと試合をしたとき、
相手選手の気迫に圧倒され、試合前から恐怖を感じたと、
著書『近くて遠いこの身体』で書いています。


このとき、平尾氏は試合開始15分で
肩を脱臼してベンチへ下がったそうですが、
それはたぶん本能的に恐怖を感じて、
ひるんでしまったからだと語っています。
そしてこの恐怖はその後も、完全に消えることはなかったといいます。


平尾氏の「恐怖」との向き合い方についての考えが変わったのは、
ニュージーランドの「オールブラックス」出身選手に
こう聞いたときだったそうです。


「プレーで恐怖は感じない。
その選手一人だけを見たら、怖いと思うかもしれないが、
タックルの技術とシステムとしてのディフェンスが確立されていたら、
チームで止められるからだ」。


個人対個人で見ると、恐怖は消えない。
でも、戦術をしっかり実行できるチームで挑んでいると思えば怖くない。
平尾氏はこのとき、彼らが自分の想像を遥かに超えたレベルで
ラグビーをしていたことを知り、驚いたのだそうです。


なるほど。
代表選手レベルでも当然恐怖を感じるけれど、
それを技術とシステムを確立した
集団の力でおさえ込んでいるんですね。
そのためには、とてつもない練習量をこなすことが必要。
今回の日本代表の選手たちが
「4年間、いろんなものを犠牲にして頑張ってきた」
という内容のコメントをしていましたが、
想像を絶する努力で、チームの力を築いたんですね。
「ONE TEAM」って、
そういうことでもあったんだ、と思いました。


そうか。考えてみたら、
『ワンピース』も『アベンジャーズ』も、
そういうことですね。
仲間たちを信じて、力を合わせるから恐怖に打ち勝っていけるんですよね。


さて、これをビジネスの現場に
置き換えてみたらどうだろうと考えてみました。
「恐怖」を感じるのはどんなときだろう。


思い当たったのが、「発言」する場です。
たとえば会議の場ですでに出ている意見とは
異なる意見を持っているとき。
こんなこと言ったら変だと思われないだろうか、
こんなこと言って会議の流れを止めてしまったら、
後で上司に何か言われるのではないか、と感じてしまう。
そこで抱いているのは
小さな「恐怖」なんじゃないかな、
と思いました。


このとき、自分一人だと思っていると、
なかなか発言できないのかもしれません。
でも、プロジェクトチームだったり、
課だったり、組織で発言していると思うことができれば、
恐怖は和らぐのではないでしょうか。


そう考えると、必要になってくるのは、
やはりコミュニケーション。
普段からしっかりコミュニケーションをとり、
関係を築くことが大切だと感じました。


あ、ラグビーのぶつかり合いからの連想が
こんなところまできちゃいました。

今週もすてきな1週間を。

スポーツ雑誌に、元サッカー日本代表の
中田英寿氏の記事が載っていました。


号全体は日本サッカーの「天才」特集。
スペインの名門クラブへの移籍が決まった
久保選手や、小野選手など、
テクニックに優れた選手が取り上げられています。


一方で、中田氏は、
「天才と呼ばれることはほとんどないが、
類まれなる精神力が特別だった選手」
として紹介されていました。


中田氏の現役時代のプレーを思い起こすとき、
真っ先に浮かんでくる言葉は「正直さ」と「強さ」です。


サッカーでは、わざと大げさに転び、
あたかも相手チームの選手に
転ばされたように見せるプレーを時折見かけますが、
中田氏はそんなことはしませんでした。


相手チームの選手に、
ユニフォームを引っ張られようが、
腕を掴まれようが、転ばない。
どんどん走る。どんどんボールを運ぶ。
とても清々しいプレーでした。


記事では、そんな中田氏の人柄を物語る
エピソードを中学時代のサッカー部コーチが語っています。


ある日、練習試合で負けた中田氏たちに、
コーチはグラウンドを走るよう命じます。
当時、部活での罰走はめずらしくありませんでした。


しかし中田氏は、走り始めた選手たちから離れ、
車で待っていたコーチのところへ来て
こう言ったそうです。
「コーチは怒っているけど、これって俺らだけの責任? 
コーチだって責任ありますよね」


「ふつうだったら、そんな生意気なことを言われたら、
もっと怒ってしまうかもしれない。
でも、ちょっと待てよ、俺が変なのか?
と思ってしまった」とコーチは語っています。
そして、選手と一緒に走ったのだそうです。


これ、びっくりです。
私は中学時代、バスケ部でしたが、
顧問からの「練習中に水を飲むな」という
今では考えられないような指示に
何の疑問も持たずに従っていました。


精神力を鍛えるためだったのか、
単なるしごきだったのか、
よくわかりませんが、チーム全員、
部活とはそんなものだと思っていたと思います。
だから、コーチが言っていることに
疑問を持ち、さらにそれを告げる
中田氏の行動は驚きだし、
コーチが中田氏の言うことを聞き入れ、
一緒に走ったなんて、信じられない。


どうなると、こんなことが起きるのだろう。
ちょっと考えてみました。
そして、これだなと思ったのは、「リスペクト」です。


勝手な想像ですが、
コーチは中田氏をリスペクトしていたのだと思います。
たぶん、中田氏は普段も
コーチに考えを告げていたのでしょう。
生意気だと思われていたと思います、確実に。
でも、コーチから見ると、
いつも同じ姿勢で接してくる中田氏は、
一本筋が通っているように見えたのではないかなと思います。
無意識に「こいつの話は聞こう」と
感じたのではないかと思いました。


それと、たぶん、
コーチは中田氏の発言が
「チームを良くするため」「チームが勝つため」
だとわかっていたのではないかと思います。
ただ文句を言っているだけではない、と。
だからこそ、聞いてあげなくてはと
感じていたのではないでしょうか。


実際、記事中でコーチは言っています。
「タメ口きくし、生意気ですよ。
でも、あいつと話していると、
こいつは俺がなんとかしてやらなくちゃ、と思うんです」


「相手を怒らせるのではないか」
「相手を嫌な気分にさせてしまうのではないか」。


伝えたいことがあるのに、なかなか発言できないとき、
思いがちなことです。


でも実は、多くの場合、
相手はそんなふうには感じないのではないか
と思います。


コロンビア大学の研究者が行った、こんな調査があります。
彼らは、普段あまり意見を言えない人に、
交渉をさせる実験を行いました。
そして終了後、交渉相手に対し、
自分がどの程度積極的に発言できたかを聞きました。


すると、「適度に意見を言った」と
答えた人の多くが、同時に
「自分は主張しすぎてしまった」
「相手はきっと気を悪くしてしまった」と
感じていることがわかりました。
しかし、相手の6割は
「あまり意見を言われていない」と
答えているのです。
つまり、伝えたいことを口にしても、
相手は何とも思っていないことが
多いということです。


なるほどなあ、と思います。
よく考えてみると、
「相手の気分を害したくない」なら、
むしろ、きちんと思っていることを
言葉で伝えたほうがいいのかもしれません。
なぜなら、何も言わずだまっていたり、
相手に同意するばかりだと、
相手は、この人は真剣に考えてくれていないと
感じてしまうかもしれないからです。
失礼だと思われることもあります。


だから、何か伝えたいことがあるときは、
きちんと言葉にしたほうがいいと思います。
そして、返ってきた相手の言葉を聞き、さらに返す。
そうしてお互いの気持ちを伝え合うことで、
中田氏とコーチの関係のように、
信頼関係が深まっていくのだと思います。


注意したいのは、伝えるときに、
相手をばかにしたり、
相手を攻撃しないこと。
ただの文句で終わらないようにすること。


何か改善してほしいことがあるなら、
「こう思っている。だからこうしてほしい」
など、その先にどうしてほしいのかを伝えることが大事だと思います。
感情をぶつけて文句を言うのと、
意見を言うのは別のことですから。
なんて言いましたが、これ、なかなか難しいですよね。

さて、6月も半ばを過ぎました。
ジメジメする日も多くなりますが、
今週もどうぞすてきな1週間を。

「コミュニケーション力」


これは、新入社員がこれから「身につけたい」と思っている力のうち、
2015年以降ダントツ1位にランクしているもの
(リクルートマネジメントソリューションズ調査)。
また、経団連による企業アンケートでも、新卒採用で「選考に重視した点」の
トップが15年連続でこの「コミュニケーション力」です。


さらに、アデコが行った調査をみると、
米国、英国、ドイツ、イタリア、オーストラリアなど
13カ国の若者(18~30歳)に聞いた「将来の職業のために必要なスキル」は、
多くが「実務経験」と「外国語」を上位にあげているのに対し、
日本だけが「コミュニケーション力」を1位としています。


このように、日本人にとっては、とっても大事な「コミュニケーション力」ですが、
そもそも「コミュニケーション力」が何を指しているのかを考えると、
なんだか解釈がいろいろあるような気がします。


大阪大学教授の川嶋太津夫さんによると、
日本で若者の間で日常用語化している「コミュ力」とは、空気をうまく読んだり、
雰囲気を巧みになごませたり、うまくその場を仕切って回したりすることができる
対人スキルを指しているようだ、とのこと。


ちなみに、この4月から高校生になるうちの長男を見ていても、
彼や彼の友人たちが考える「コミュ力」がある状態は、
「空気が読める」だから「場の空気を乱す発言はしない」、
「相手の言うことをすぐに理解する」だから「何度も聞き返さない」ことのよう。
「滑舌がよく、話がうまい」ことも、含まれているみたいで、
つまり、その場の雰囲気に馴染んだり、盛り上げたりする力のことを
指すみたいです。やはり、対人スキルのことですよね。


では、企業側が考える「コミュニケーション力」は何を指しているのか。


川嶋先生は、「相手の話をきちんと聞き、
それに対する自分の考えを示しながら論理的に話し合う力」と説明しています。
そしてさらに、聞く・話す能力に加え、「文章を書く力」も
コミュニケーション力の中核と位置付けられていると話しています。
若者が考える「コミュ力」とはかなり大きなズレがありますね。


考えてみると、このズレは企業と若者間だけじゃなさそうです。
たぶん、同じ企業の社員同士でも食い違うのではないでしょうか。
たとえば、次の採用では経験よりもコミュニケーション力を重視するよう言われたとします。
実際、面接に立ち会う社員の中には「会話がスムーズな人」を求める人もいれば、
「飲み込みが早い人」を求める人もいる。
「明るく、社交的な人」を求める人もいれば、
「会話はスムーズではないが、じっくり考えて発言できる人」をいいと思う人もいる。
これ、まったくうまくいかないそうです。


そう考えていくと、「コミュニケーション力」なんていう言葉でくくっているのが
ダメなのかもと思えてきますね。
話す力、書く力など、ブレイクダウンして話し合わないと、かみ合いません。
なので、今後はたとえば会議で「コミュニケーション力重視」のような話題が出たら、
「それは何を指していますか?」と聞いてみるといいかもしれません。
あ、当然全員わかっているはずの空気をそんな質問で乱すと
「コミュニケーション力が低い」って思われてしまうのかな。。。
ややこしい!

先日、次男と夕食をとっているとき、ふと思いついて
本を朗読で聴けるサービス「オーディブル」で
『吾輩は猫である』を聴いてみました。
この作品にした理由は、単に我が家に猫がいるので、
興味を持ちやすいかなと思ったからです。


さて、テレビを観ながらだと食事の手が止まりがちな次男ですが、
オーディブルでは......さらに手が止まりました。
そして私も手が止まりました。聴き入ってしまうからです。
興味を持って聴くと、「ながら」はできないのだなあと改めて思いました。


さらに気づいたことがあります。
興味を持って聴くと、頭の中にその情景がクリアに浮かびます。
本を読んでいるときも浮かびますが、
聴いているとより映像が鮮明になるような気がしました。


食事を終えた私は、
聴いて頭に浮かんだ情景の絵を描こうと次男に提案しました。
絵と言っても、そのへんの裏紙にササッと描く程度のものを想像しています。
説明すると次男、「いいよ! 楽しそう! でも次回ね!」。


......そんなわけで、まだトライできていないのですが、
どんなシーンをどんな絵にするのか?  楽しみが増えました。


精神科医の名越康文氏いわく、「聴く」というのは
とても意識的で、創造的なものなのだそうです。
自分の住む世界から、いわば異世界に入ること。
たとえば、行ったこともないハワイを思い浮かべないといけない、
やったことのない趣味の世界を思い浮かべなくてはならない。
想像力が必要になります。


さらに名越氏は、心の余裕、つまり愛が求められると言っています。
相手の話に、自分の心の扉を開いて、
「何を言うのだろう?」という関心を持って耳を傾ける。
また、これには優しさと同時に勇気がいる、
境界線を越えるジャンプがいると説明しています。


確かに、じっくり聴くと異世界に入ることができます。
『吾輩は猫である』を聴いているときは、
池のほとりにちょこんと佇む猫の姿がはっきりと浮かびました。
そこからゆっくりと動き出す様子も、普段猫を見ているせいか、
クリアに思い浮かべることができました。


人の話を聴くときもそうですね。その場に自分も立っていると想像し、
音や匂いまでも感じた話は深くインプットされます。
そうやって聴いた話はその後もずっと覚えています。


聴くというのはそれだけエネルギーがいる行為。
実は、伝えるよりも大変なことかもしれないと思えてきました。


ある調査によると、人の話を聴くときに気をつけることで
一番多かったのは「相槌を打つ」、次が「相手の目を見る」でした。
こうした、相手から見て話をしっかり聞いているように振る舞うことは
確かに大事なことですが、本当の意味で聴けていなければ意味がないですよね。


みなさんは最近どんな話を「聴き」ましたか?

5年ほど前、次男の小学校のクラス懇談会に参加したときのことです。


次男のクラスは、
学年の中でも特に落ち着きがないクラスだと言われていました。
途中で担任が体調を崩して休みがちになり、
そのまま長期で休みに入ってしまったことが大きかったのだと思いますが、
子どもたちがソワソワしていて、
保護者も何かにつけて過剰に反応するような状況でした。


さて、懇談会。
ベテラン先生の後を継ぐことになった新任の男性の先生から、
最近のクラスの様子について説明が一通りありました。
クラスに落ち着きがなく、
いじめっぽいことも起きているというようなことでした。
最後に保護者の方から何かありますか?と聞かれました。


小学校に入ったばかりの子どもたちが、
ピリピリした雰囲気の中で過ごすのはかわいそうだし、
それではなかなか仲良くならないと感じていた私は、
「1年生らしい、もっと楽しくてクラスが仲良しになるような
イベントも盛り込んではどうでしょうか」と提案しました。
長男のときは、
誕生日を迎える子にクラス全員がメッセージを書いて贈ったり、
給食のときに牛乳で乾杯する、
というようなことをしていて、とても楽しそうだったからです。


周りの保護者からも、
それはいいですねと言っていただき、
そこからは新たな提案も出てきました。
なかなか充実した懇談会になり、
終了後、保護者数人と「いい懇談会だったね」なんて話もしました。


ところが後日、ほかのクラスのお母さんからこんなことを言われました。


「1組の懇談会すごく荒れたんだって?
なんか、クレームする人がいて長引いたって聞いたけど」


おっと、びっくり!
私は、
「あ、それ私だ。クレームしてないし、懇談会は荒れてなかったよ」
と笑いながら言うと、彼女は
「あ、そうなんだ」と困った様子で言っていました。


ああ、これなんだなあと思いました。


会は何事もなく終わるのがいい、
と思われている場が多いので、
発言や提案はクレームと捉えられてしまいがちなのです。


まあ、学校の懇談会というものは、
「何かありますか?」
「ないようですので、これで終わります」
というのが、いつもの形なので、
「はい、あります!」とだれかが言うことで、
帰ろうと思っていた保護者が帰れなくなるということが起こります。
迷惑に思う人が出てくるのもわかります。


そしてこれ、ビジネスの会議でもそうですね。
「何かありますか?」
「ないようですのでこれで進めます」
で終わるはずのところ、
だれかが発言することで長引きますし、
その場が「このタイミングで、それ言うか?」となることもありますね。


こうしたことが起こるのは、
参加する人々の「場の捉え方」が違うからだと思うのです。
「意見を言う場」と思っている人と、
「意見は言わずに、何事もなく終わらせる場」と思っている人が
同じ会議に参加しても、うまく進むはずがないと思います。


世の中、「発言しよう」「言いたいことは言おう」という流れがありますが、
言える場が整っていなければ、
やはり言えるようにはならないと思うのです。


同じように、
「コミュニケーションの基本は聞くことから」とも言われますが、
そもそも聞く場だと思っていなければ、
聞こうともしないのだと思います。


なので私は、まず、
しっかり「場を設定し、場を進行する」ことが
大事なのではないかなあと感じます。
つまり、ファシリテーションです。


といっても特別なスキルのことを言っているのではありません。
会の始めに、
「この場の目的は~です。
~な意見をどんどん出しましょう」
と進行する人が言うだけでも、
「え?意見するなよ」と思う人が少なくなると思いますし、
「このタイミングでその意見?」となる会議の場合は、
「何かありますか?」ではなく、
「~について、何かありますか?」と、
絞るだけでも違うのだと思います。
ファシリテーションと言うと大げさですが、
本当にちょっとした場のしきり方の工夫で変わってくるのだと思います。


と、ここまで書いて、
自分自身のことを考えてみると、
目的がわからない会議や何についての意見が求められている会議かわからない場、
あるなあと思いました。


もっと言おうよ、もっと聞こうよ、の前に「場」について、
意識を向けることを忘れないようにしたいと思います。

大人ってどうして、
「納得」したり「理解」したりしたいんでしょう。


先日、ふとそう思いました。


例えば、子どもが好きなマンガがあるとします。


「へえ、それ、おもしろい?」
「うん」
「どういう話?」
「えっとね、、、怖い学校に行く話」
「だれが? どういうこと?」
「、、、、(めんどくさい)」


なんてこと、ないでしょうか。
私は知りたがりなので、どんどん聞いてしまうのですが、
これ、子どもはうんざりしますよね。


思い起こせば子どもの頃、興味を持つ理由は、
「おもしろい」「かわいい」「かっこいい」で十分で、
子ども同士のコミュニケーションは、
それだけで満足できていたように思います。


でも、大人になるにつれて、
どうしてこの人はこれをおもしろいと思っているのか、
なぜこれをかわいいと思うのか、
背景にある理由が知りたくなってきます。


一つ目は仕事をするようになると、
背景を知ることが必要になっていくからだと思います。
商品を開発するには、
今こういうものが流行っている、こういう理由のようだ、
というような分析が必要になりますし、
私のような編集や制作の企画をするときも、
そこをしっかり把握することでブレないようにするわけです。


二つ目は、人に興味を持つようになるから。
学校や社会でいろいろな人と出会う中で、
この人のことをもっと知りたい、
という気持ちになるのではないでしょうか。


そして三つ目。
これは二つ目とつながるかもしれないのですが、
大人になると「納得」したい、「理解」したい、
という欲が強くなるからではないかなと思います。
「なるほどね」と思いたくなってしまう。
私はそうです。「そうなんだ! なるほどね!」は気持ちがいいですから。


でも、これ、気をつけないとコントロール欲につながる場合もあるようです。


根本裕幸さんというカウンセラーの方がこんな例を挙げています。
好きな人から別れを告げられたが、理由がよくわからない、というケースです。
「納得できない」「理解できない」から、
「納得したい」「理解したい」ために、
会って話を聞きたい。
でも、この場合の本当の目的は、
「納得」するためでも「理解」するためでもなく、
よりを戻すため。
これは「納得できないという執着」なのだそうです。
だから、相手からどんな説明を受けても、納得も理解もできないのです。


我が家でも、似たようなことがありました。
思春期ど真ん中の長男との関係です。


反抗期に入りたての頃は、よく聞いていました。
「どうしてそんなことしたの?」「どうしてそんな言い方するの?」。


しかーし、相手はティーンエイジャーです。
まさに「理由なき反抗」なわけです。
質問をしながら、私もそのことをうすうすはわかっていました。
でも、なぜか聞き続けてしまう。
それは、今思い返すと、
「そういうことはしてはいけない」「そんな言い方をしてはいけない」と教え、
行動や言動を修正させたかったのです、たぶん。
無意識に、
小学生のときみたいないい子(ではなかったですが、、、笑)に戻ってほしいなあ、
と思っていたのかもしれません。
だから、質問して彼なりの理由が出てきたところで、
「ふーん、それならしょうがないか」なんて、ならなかったでしょう。


カウンセラーの大門昌代さんは、
自分は「納得」したいと思っているだけなのに、
相手にとっては「説得」になっていることがあると言っています。
自分の中のモヤモヤを消そうと思ってどんどん質問してしまっているときは、
一瞬、相手の立場に立ってみる。
相手にとって、
「説得されている」「コントロールされている」状況になっていないか、考える。
そう感じたら、やめる。
これが大切なのだそうです。


わー、いろいろ思い当たる、、、
これから気をつけます!

 

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