スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

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子どもの頃、実家ではいたるところに
布のカバーがかけられていました。
電話カバー。
ティッシュカバー。
トースターカバー。
炊飯器カバー。
ドアノブカバー。


汚れ防止のためだろうなと子どもながらに
想像していましたが、
私は、カバーがかけられていることよりも、
家中の柄の多さが気になっていました。
我が家は、リビングの壁は基本白でしたが、
1面だけがなぜかエジプトっぽい柄、
カーテンはうっすら花柄、
ソファは細かいドット、
カバー類はだいたい小花柄、
もしくはチェックでした。
昭和の家庭では、よくある
ごちゃごちゃ感だったと思います。


あれは高校生のときだったか、
母に、なぜいろんな柄を
チョイスしているのか
聞いてみたことがあります。
(どんな質問の仕方をしたのかは
忘れたのですが)。
すると母は、
「すてきだと思うものがいろいろあるから」と
言ったように記憶しています。
「いろいろあって楽しいじゃない?」的な。


なぜ、こんな話をしているのかというと、
先日、伝わる文章にするためには
捨てることが必要、という記事を読んで、
考えてみると、文章もファッションもインテリアも、
一緒だなあと思ったのです。
あれもこれも盛り込みたいと思うと、
全体としてゴチャっとしてしまい、
何を伝えたいの? 何がしたいの? 
ということになってしまう。


実家のインテリアは、母が楽しんでいるし、
だれかに何かを伝えたいと
思っているわけではないので、よいのですが、
対象者に何かを伝えたいというときは、
やはりモリモリだと問題があるかもしれません。


なぜ要素モリモリになってしまうかというと、
盛り込む作業は楽しいからだな、と思いました。
あれも入れて、これも入れてと
追加していくのは、旅行バッグに
持っていきたいものを入れる感覚に
近いのではないでしょうか
これを着ることもあるかもしれないし、
この靴を履くこともあるかもしれないし、と。
ですが、入らないとわかったとき、
そこから抜くという作業は楽しくない。


文章や企画、デザインでも、
こういうことが起こりますね。
AもBもCも、できればDも入れたい。
でも今回はメッセージを絞るために
Aにフォーカスしたほうがいいとなった。
いやでも、やはりBもCも
少しでいいので入れたい。
Dもほんのちょっとでいいので・・・
などと言いたくなってしまいますよね。
捨てるには勇気がいるのです。


断捨離の提唱者、やましたひでこ氏によると、
捨てられない理由は、「現実逃避」、
「過去への執着」と「未来への不安」
なのだそうです。


文章で言うと、現実逃避は、
「ああ、盛り込みすぎちゃったなあ。
削らなくちゃいけないみたいだけど、
判断するのも難しいから、
まあ、いいか、このままで」
というところでしょうか。


過去への執着は、
「こんなに頑張って書いたのになあ」
「こんなにたくさん取材したのに」
みたいなこと。


未来への不安は、
「今回のターゲットではないけど、
もしかしたらこういう立場の人が読んだときに
必要な情報かも」
「後で足りないって言われるよりは、
入れておいたほうがいいかな。
読む人がいるかもしれないし」
というようなことでしょう。


問題は、いずれも
「今の現実にしっかりフォーカスしていないこと」。
過去や未来ではなく、今どうしたいか、
今何が必要かを考えることが必要なんですね。


ああ、そうか。
結局これ、何かを決断するときの
クセの話ですね。
そう思うと、いろいろ思い当たることが・・・


今にフォーカス。今、何をしたいか。
大事かもしれません。

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早いものでもうすぐ4月。
新しいことを始めるには、いいタイミングですね。


「実は、年初に始めたことがあるのですが、
続いていないんです」
とか
「最初の数日はがんばったのですが、
面倒になってきて」
など、年明けに何か始めてみたものの続かなかった、
という人にとっても、4月はリトライするいい機会。


と、常にいいタイミングを探してしまうこと、
続けられない人あるあるなのかも、と
最近気づきました。
続けられないということは、
ほかに原因があるはずなのに・・・。


そうです。私も数年前の年初、
「今年は、毎朝、近所をランニングする!」と決めて
しばらく走っていたのですが、
1ヶ月ほどで続かなくなってしまいました。


敵は花粉でした(と当時は思っていました)。
1月はわりと順調に走っていたのですが、
2月が近づいたあたりから、
くしゃみと目のかゆみで、走っているよりも、
立ち止まっているほうが長くなってしまい、


「なぜ私は外に出て、わざわざ花粉を
吸い込んでおるんだ?」


という気持ちになって、
花粉シーズンが終わるまでお休みすることに。
しかし、いざ花粉シーズンが終わったと思ったら、
今度はじわじわ暑くなり、


「なぜ私は朝からわざわざこんなに
汗だくになっておるんだ?」


という気持ちになって・・・


ということを、「走る走ると言って、なぜ走らない?」と
聞いてきた次男に、先日説明していたら、
完全に呆れられました。


さて、数年前に『小さな習慣』という本が
全米でベストセラーになりました。
自己啓発ストラテジーの調査と執筆を行う
スティーブン・ガイズ氏によって書かれた本です。
ガイズ氏が本の中で言っていることはいたってシンプル。


習慣化するためには、
目標をばかばかしいくらい小さくする


ということです。


ガイズ氏は、30分の運動を日課にしたくても
まったくできなかったという経験の持ち主。
ところが、当時読んでいた本からヒントを得て、
ばかばかしいと思いながらも、
「毎日腕立て伏せを1回する」ということに
チャレンジした結果、それが最終的に30分の運動に
つながったのだそうです。
ちなみに、この「腕立て伏せ1回チャレンジ」は、
筆者のブログの中で一番反響があった
投稿だったといいます。


そもそも、多くの人は、
自身の管理能力を過信しているのだそうで、
たとえば「毎日腕立て伏せ30回、腹筋30回する」
は無理な目標だと思わず、
十分可能だと思ってしまうのだそうです。
でも、始めてみると、なかなかハードだと気づき、
ストレスになり、続けられなくなる。
確かになあ、と思いました。
欲張っちゃうんですよね、なぜか。


調査によると、人間の行動の45%は習慣として
自動的に行われているといいます。
というのも、脳は省エネを好むから。
えいやと気合を入れないといけないような行動には
たくさんのエネルギーを必要とし、
脳にとってストレスが大きい。
でも、小さな行動は、脳にとって
「新しくて大変な行動がやってきた!」というほど、
ストレスをかけないので、
自動化しやすいということなんです。


そうか、確かに私の走る目標はハードル高めでした。
まず「朝」がハードルが高い、
「外」も高い。
そもそも「走る」も高かったのかも?
ひいい、ちょっと考え直してみます。


まだまだ花粉が舞う季節ですが、
今週もすてきな1週間をお過ごしください。

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「札幌の女子高生2人組によるテクノバンド
LAUSBUB(ラウスバブ)が発表した曲が世界から注目を集めている」
という記事を目にしました。


よく読んでみると、
彼女たちが昨年の年末に
「SoundCloud」というドイツの音楽プラットフォームに公開した楽曲が、
今年に入ってSNSを通じて世界中に拡がったということ。
公開後、瞬く間にチャートを駆け上がり
あの世界的人気の韓国男性音楽グループBTSを抑えて
週間チャート1位になったのだそうです。


すごい。単純にすごいです、1位。
でも私がさらに、へえーと思ったのは、
彼女たちがドイツの音楽プラットフォームを選んで曲を公開したことです。


調べてみると、SoundCloudは、ベルリン発祥の音声ファイル共有サービスで、
今年1月の発表では世界190カ国で3,000万人のクリエイターが参加し、
2億5,000万以上の楽曲が聞かれている世界最大規模の音楽プラットフォームなんですね。
彼女たちがここを選んだのは、まさに、
「世界の人に聞いてもらいたいと思ったから」。
インタビューで理由をそう語っていてすごい時代だなあと思いました。


昔は、たとえば音楽であれば、世の中に出ていくためには、
ライブハウスで演奏できるくらいになって、
ファンを増やして、話題を作って、
それなりの人に見つけてもらって・・・と、
ハードルがたくさんあったと思います。
でも、今はダイレクトに世界の人に自分の曲を聞いてもらえる!
今できた曲を数分後に世界に流せる。
何を今さら。いつの時代の人?って言われそうですが、
「札幌の女子高生テクノバンド、
ドイツの音楽プラットフォームで週間チャート1位に」
なんて聞くと、やはりそこの違いを
感じずにはいられません。


このニュースを聞いて、もう一つ思ったことがあります。
それは、デジタルネイティブ世代は、
「よし、できた。出してみよう」に慣れてきているんだろうなあ、ということ。

本来、日本人は他の国の人たちよりも
完璧主義なんじゃないかと思います。
それが日本製品の質の高さにつながっている。
細かなところまでこだわり抜いて、最高レベルまでクオリティを高めるのが得意です。


でも、今の時代、グローバルで勝負しようと思ったら、
そのスピードじゃだめなんでしょうね。
じっくりじっくりこだわっている間に、ニーズがなくなってしまうくらいの速度で

世の中が変わっています。


インドがIT大国になったのは、
6割主義だからだと、どこかで読みました。
6割できたらリリース。
あとはクレームや意見を受け付けながら、修正を加えていく。

このスピード感だから、
世界中からお金が集まるのだそうです。


デジタルネイティブの若い世代も、このスピードに慣れています。
なので「よし、できた。出そう」ができる。
女子高生テクノバンド
LAUSBUB(ラウスバブ)も、
そんなスピード感で、年末というタイミングを見計らって
リリースしたんじゃないかなと想像します。


彼女たちの曲を実際聞きました。
こういうものを高校生が
打ち込みで作るんだなあと感心するレベル。
いや、高校生だからできるんですね、きっと。
作りたいから作るという
ピュアなモチベーションなんだろうなあ。
中学生のときにYMOに影響を受けた私としては、ちょっと衝撃でした。


そう考えると、
日本人の完璧主義には、
いろんな「~すべき」が入ってるのかも。
音楽にしても、
「打ち込みするなら、まず楽器に慣れるべき」
とか
「それを聞くなら、先にこっちを聞くべき」
とか。
しっかり土台を築いていくためには、
それでいいのかもしれませんが、
グローバルでの競争を考えると、やはり
そういうことから自由になることが必要なのかもしれません。


あっという間に3月。
今週もすてきな1週間をお過ごしください。

次男が所属するサッカー部に
一人だけ女子部員がいるそうで、
その子が昨日のバレンタインデーに
サッカー部全員にチョコを配っていた、と聞きました。


サッカー部は2学年合わせて40人以上。
「えー! かわいそう!  そんなことしなくていいのに」と言うと、
「でも、めっちゃ小さいチョコだよ」と次男。
いやいや、サイズは問題ではありません。
義理チョコなのか友チョコなのか、
もしかして本命がいたのか、
全員に配りたかったのか、
配りたくなかったのか、
その子の真意はわかりませんが、
もし、本人はそんなことしたくないのに、
そういう文化だから配っているとしたら、
本当に気の毒だと思います。


義理チョコ文化が始まったのは、80年代だそうです。
当時は、働く女性が職場の男性上司や
男性の同僚に渡すもの、とされていました。
ところが90年代以降、
義理チョコに疑問を抱く女性が増えてきたのだそう。
理由は、男性と対等な立場で働く女性が増加したことや、
金銭的負担が大きくなってきたことなど。
友チョコは、そんな空気を察して
メーカーが新たなマーケットを模索した結果、
生まれた文化なのだそうです。


あれ?  そもそも日本のバレンタインデーは、
女性が好きな男性にチョコを渡すことで、
告白する日ではなかったんでしたっけ?
その文化は続いているのでしょうか。


調べてみると、
「バレンタインで告白は昔の文化」という見出しを
毎日新聞で発見。なにー? 昔?


全国の高校生と大学生を対象にしたアンケート調査
(2021年1月実施、高校・大学生265人が回答)の結果、
高校生のとき(現役高校生を含む)に
「バレンタインデーに告白した経験がある」
と答えた人はわずか1割未満。
「大学生になってからバレンタインデーに
告白したことがあるか」という質問には、
女性回答者の全員が「いいえ」と答えたそう。
そうか・・・。
バレンタインデー、好きな人にチョコをあげることで、
告白するという文化では、最早ないのですね。
これもまた「昭和かよ」と言われるやつですね。


毎年、我が家の息子たちに
「ねえねえ、チョコもらった?」と
ニヤニヤしながら聞いていた私の姿、
彼らにはどう写っていたのでしょうか。


さて、バレンタインデーが
告白の日ではないとしたら、どんな日なのか。
調査でわかったのは、
高校生にとっては大勢の仲間と交流を深める日、
大学生にとっては交際相手にプレゼントを贈る日だということ。
大人になるにつれ、「好きな相手に」という概念になるんですね。
興味深いです。


あれ?  ここでまた疑問。
高校生が大勢の仲間と交流を深める日と
捉えているのはわかったのですが、
だとしたら男子が友チョコ配ってもいいですよね?
我が家の息子たちをみる限り、
やっぱり友チョコを配っているのは、女子だけのような気がします。
仲間で楽しもうよ、と言いながら、
でも当然チョコ配るのは女子の役目ね、みたいな感覚が残っているのかな。
それ、変ですよね。


時の流れとともに、変化するものはいろいろあるけれど、
その中で、なぜか変化せずに残ってしまっている
「考えてみたら変だよね」と感じること、
まだまだ、あるのかもしれません。
今年のバレンタインデーはそんなことに気づいた日でした。
皆さんはどう過ごしましたか?

書くということは、考えること、思うことの
ほんの先っぽにある小さな部分で、
大部分は考えること、感じることに支えられている。


24日まで行われていた
『向田邦子没後40周年特別イベント』にて
上映されていた映像の中で、
向田さんが黒柳徹子さんに
そんなことを語っていたそうです。


語っていたそうです、
という言い方をしているのは、
私、このイベントに行きそびれたからです。
いや、行かなかったからです。
ものすごく後悔しております。
向田邦子作品の大ファンなのに。
職場の目と鼻の先で開催されていたのに。


開催を知ったのは最終日だったものの
終了まであと数時間あったから、行こうと思えば行けたのに。
「急ぎでやることあるしなあ」などと言いながら
行かなかったのです。
終了時間が過ぎてから、ものすごく後悔しました。
こういう後悔、体によくないとわかりました。
次は、行きたいところには、多少無理しても行こうと思います。


すみません。話が逸れました。


書くことはほんの先っぽ。
大部分は考えることや感じることに支えられている、
という向田さんの話についてです。


これを読んで思い出しました。
向田さんのエッセイ『字のないはがき』が
絵本になったとき、文章を担当した
作家の角田光代さんが、インタビューでこんなことを語っていたのです。


「向田さんの文章は視覚的に記憶できる」


まるで自分で見たことのように映像で記憶しているから、
向田さん自身、書くときに映像がしっかりあったのでは、
というようなことを言っていました。


なるほどなあと思ったのです。
考えること、感じることが土台にどっしりとあるから、
その先にある言葉や描写が映像的なんだろうなあと。
逆に言うと、考えること、感じることがしっかりないと、
それを読む人が映像を思い浮かべることは
難しいんだろうなあ、と思いました。


料理研究家の土井義晴さんが
政治学者の中島岳志さんとの対談集『料理と利他』の中で、
「ええ加減」というのは、自分で考えることだ、
と言っています。


幼い頃、やんちゃだった土井さんに
おばあちゃんが「ええ加減にしないさい」と
よく言ったそうなのですが、
それは、「やったらあかん」ということではなくて、
いい加減を学びなさいよ、ということだったと、
土井さんは話しています。
それは料理も一緒だと言うのです。
レシピなんて気にしなくていい。
いい加減を自分で知る。
考えて、感じながら、加減を知ることが大事だ、と。


書くことも、料理することも、
考えること、感じることの先にある。
そう捉えると、すごく興味深いなあと思いました。


あっという間に1月が終わっていきます。
今週もすてきな1週間を。

「感無量です。うれしすぎます。
おそらく今、世界で一番幸せな
サッカー選手なんじゃないかなと思います」


1月1日、元旦の国立競技場。
天皇杯終了後のインタビューで、中村憲剛選手はそう語りました。


この日、天皇杯優勝に輝いたのは川崎フロンターレ。
悲願の優勝でした。
そして中村選手は、この試合をもって
18年間在籍したフロンターレに別れを告げ、現役を引退しました。


実は中村選手、この試合には出場しませんでした。
試合後半、ベンチ横で数人の選手と共に
ウォーミングアップを始めましたが、
最後まで交代の声がかかることはありませんでした。


試合終了が近づいてきて、
中村選手が起用されないことがわかったとき、
私は、中村選手に同情してしまいました。
現役生活最後の日が、天皇杯決勝という大舞台。
最後、数分でもいいからこのピッチに立ちたいだろうに、と。


でも、そんなことを思ったのは、
お正月気分でなんとなく試合を見ていた
私くらいだったのかもしれません。


試合後、中村選手はこう言いました。


「勝ちが全てです。
勝利が全てということは、4年前の決勝敗退で、痛いほど味わいました。
こうしてチームが優勝する様子をベンチから見ていて
本当に頼もしかったです。
18年間の最後に、中村史上最高の1年間をみんなのおかげで送れました。
本当にありがとうございます」


そうか、彼らはプロなのだなと改めて思いました。
監督はもちろん、チームの選手たちも、
スタッフも、チームのサポーターも、
彼らが目指したのは「勝利」、天皇杯「優勝」。
この日が中村選手現役最後の日だということは
もちろん全員がわかっていました。
その中で、中村選手を起用しないという監督の決断と「思い」。
これを全員が理解したのではないでしょうか。
その思いを胸に、一人ひとりがプロとして戦い、
チームを「勝利」に導いたのだなと思い、感動しました。


「思い」と言えば、
今年も数々のドラマを生んだ箱根駅伝でも、
印象に残ったエピソードがありました。


青山学院大学のキャプテン、神林選手。
箱根駅伝で競技人生を終えると決めていました。
しかし、大会直前に骨折が発覚しました。


昨年1年、コロナ禍で思うように練習ができず、
チーム全体が肉体的にも精神的にまいっていたときに、
チームを引っ張ったのは神林選手だったと、
原監督は語っていました。
このチームは神林のチーム。
だから、競技人生最後の日、なんとか箱根を走らせたい、と。


大会当日、神林選手は、9区の飯田選手に
水を渡す「給水係」として、30メートルほど、箱根を走りました。
往路で12位まで順位を下げていた青学は、
復路で優勝。総合4位まで順位を上げてゴールしました。
原監督や神林キャプテンの思いを胸に、
復路の選手が奇跡の走りを展開した結果でした。


ああ、いいですね、スポーツ。
1月は、箱根や高校サッカーなどの
スポーツ観戦をしながら、表舞台のドラマにはもちろん、
舞台裏の出来事にも思いを馳せて、
毎年、テレビの前で感動しています。


でも、よく考えると、スポーツだけではなく、
様々なことに、そこに至るまでの
ドラマや思いがあるはずですよね。
いつも当然のように利用しているサービスや商品、口にしている食品、
それらが私たちの手元に届くまでにも多くの人が
いろいろな思いを込めているのだと思いました。


2021年、今年は、より想像力を働かせながら、
感謝を忘れずに過ごそう。
そんなふうに思いました。

今年の前半、世界中の多くの都市で
社会活動を制限する措置がとられていた頃、
テレビやネットで
中国やインドの空が見違えるように
澄んでいく様子や、ヴェネチアの運河に
透明度が戻る様子を目にしました。


こんなに短期間でここまで変わるのかと驚き、
環境汚染を広げているのはやはり人間なんだ、
ということを改めて認識しました。


つい最近、「学生が就職企業に何を求めたか」
についての記事を読みました。
大手就職情報会社が
日本の2021年卒業予定の学生を対象に行った調査です。


調査によると、学生が就職企業に求めたことの
1位は「社会貢献度が高い」(30%)でした。
2位の「将来性がある」(29%)、
3位の「職場の雰囲気が良い」(27%)、
4位の「給与・待遇が良い」(26%)
などを上回る結果です。


ちなみに、企業の社会貢献度を
何で判断しているか、の問いに、
53%が「企業理念」と回答。
次いで「ビジネスモデル」(44%)、
そして、「福利厚生など従業員に対する姿勢」(40%)だそう。


社会貢献度が1位なんだ! 
そして、理念やビジネスモデルで
しっかり社会貢献度を見ていたとは!
バブル直後に就職した私の世代とは、価値観が違うなあ、と思いました。


そういえば、我が家の高校生男子が
学校で、国連の「SDGs」についての授業が
あったと先日言っていました。
Z世代と呼ばれる彼らも、ミレニアル世代も、
小さな頃から「リサイクル」や「地球温暖化」といった
キーワードを耳にして育っていますし、
環境保護や社会貢献は、私たちが想像するよりも、
もっと身近なトピックスなんだろうと思いました。


また、彼らがデジタルネイティブであることも、
このあたりの価値観を高めている原因のようです。
ネットで情報を簡単にサーチできること、
見つけた情報をSNSでいち早くシェアできることが
大きいですね。


さらに最近は、スマホを使って気軽に社会貢献できる
デジタルチャリティーの注目度も高いよう。
たとえば、指定されたハッシュタグと食べ物の写真を
SNSにアップすると、途上国の子どもたちに
給食が送られるなどの仕組みです。
企業がどんなタイミングで、どのような取り組みをするか、
若い世代はじっくり見ていて、しっかりシェアしている。
企業は気が抜けませんね・・・。


さて、私も、若い世代を眺めている場合ではありません。
短期間で中国やインドの空に青さが戻り、
ヴェネチアの水が澄んだことを知った今、
「変われば、変えられる」と改めて思っています。
年末、そんなことを考えながら、
来年の行動を立てたいなと思いました。

次男が同じ映画を繰り返し観ています。
私が知っているだけでも10回以上。
何がそんなに好きなのか気になり、
「なぜ、この映画が好きなの? 」と聞いてみました。


すると、しばらくして、「音楽」という答えが返ってきました。


私は、「へえ」と思ったものの、
じゃあ、映像作品じゃなくてもよくない?
という疑問が湧いて、もう少し知りたい、と思い、
「あとは? あとは?」と続けたところ、


「・・・・うるさい」


はい。まあ、そうなりますな。
思春期真っ盛りですし。私もそうでしたから。


若い頃は、「なぜ好きなのか」なんて
あまり考えないですよね。
自分自身のことを思い返すと、
私には、むしろ「なぜ好きなのか」を突き詰めて考えたり、
説明することはかっこよくない、
と感じていた時期がありました。
音楽などに関してはとくに。
「考えるな、感じろ!」
と思っていたのかもしれません。


今思うと、何かを誰かと「共有したい」
「同じ思いの人と話したい」という
気持ちも強くなかったように思います。
「私はこれが好き」
「あ、あなたはそれが好きなのね」
「オッケー」
というように。
あ、一言でいうと、自分勝手だった、ということですね(笑)。


さらに考えてみると、日常生活で「なぜ?」を
あまり聞かれることがなかったから、
ということもあるかもしれません。


子どもは、だいたい幼稚園くらいまでは、
なぜなぜマシーンなので、
「なぜ?」「どうして?」を連発するのですが、
そのうち、学校の先生や周りの大人の反応から、
「なぜ?」をあまり聞いてはいけない、と学び、
聞かなくなっていってしまうように思います。


現在の日本の教育は、
暗記7・思考3だそうですから、
「なぜ?ばかり考えていないで、これを覚えよう」
ということになってしまっても、
仕方ないのかもしれません。


「思考力とはどんな力か?」という問いに、
『批判的思考 ワードマップ』の著者で、
認知心理学が専門の京都大学の楠見教授は、


論理的に考え、自らを振り返る「批判的思考力」や、
「創造的思考力」などがある、と説明しており、
創造的問題解決のためには、
これらが一体となって働くことが必要だと語っています。


批判的思考力とは、誰かを批判する力ではなく、
自分自身が正しく考えられているかを振り返って考える力。
証拠に基づいて論理的に考えることと、
目的に対して正しく考えることができたかを
振り返ることだそうです。
それには、問いを立てる力が必要。
その基礎になるのが「なぜ?」なのではないかと思いました。


最近、教育現場における「批判的思考」についての
OECDの調査を目にしました。
調査によると、日本の中学校の教員が、
教育現場で、生徒に批判的思考が必要な課題を出したり、
批判的思考を促している割合は、わずか24.4%。
日本の授業を思い浮かべると、
このくらいの数字だろうな、とも思えますが、
なんとこの数字、46カ国中、最下位です。
ちなみに一つ上のノルウェーが65.6%。


日本の子どもたち、日本の未来、なんとも心配になりますが、
まず大人として、職場で、家庭で、
できることをやらなくてはならないですね。


私は、引き続き、思春期中学生相手に、
「なぜ?」をしつこくない程度に(?)
聞き続けたいと思いました。

石田衣良氏の人気小説
『池袋ウェストゲートパーク』(IWGP)が
アニメ化され、10月から放送が開始されています。


IWGPは、池袋を舞台に、
主人公マコトが、友人タカシ率いるストリートギャング
「Gボーイズ」とともに、社会が抱える様々なトラブルを
解決していくミステリー。


マコトは、Gボーイズには属さず、
普段は実家の果物屋を手伝っていますが、
あるトラブルを解決したことをきっかけに、
名トラブルシューターと認識されるようになり、
厄介なトラブルが起こる度に、依頼され、出動していきます。
ちなみに謝礼は受け取りません。


誰に対してもフラットで、相手が副都知事であろうが、
小学生であろうが、まっすぐにぶつかっていくマコト。
飄々としていますが、相手の気持ちを繊細に捉え、配慮する一面も持っており、
著者の石田衣良氏は、そんなマコトを「自分の理想像」と語っています。


さて、私たちは、人間関係や組織において
フラットという言葉を使います。
フラットな人間関係、フラットな組織とは
一方的ではないということかなと思います。
みんなが自分の意見を言えて、みんなが他人の意見を聞く。
しっかり話し合える。そんな関係です。


フラットな関係をつくるために、まず必要なことは何でしょうか。
相手が変わっても、偉ぶることなく、
卑下しない、接し方のスタイルを確立することでしょうか。
IWGPのマコトを見ていると、そうではない気がしてきます。


フラットな関係づくりのためにまず大切なことは、
自分の接し方のスタイルの確立ではなく、
相手の気持ちを考え、受け入れることではないかと思うのです。
相手を受け入れた上で、違うと思ったことは違うと言う。
マコトがフラットに接することができるのは、
度胸がいいからという理由だけではなく、
相手の気持ちをしっかり考えているからだろうと勝手に分析しました。


そして、フラットな関係づくりには、安心感も必要ですよね。
なかなか組織でフラットな関係が実現しないのは、
「こんなことを言ったら、評価が下がるかな」
「こんなことを言ったら、上司の耳に入るかもしれない」
「変なことを言う人だと思われたくない」
など、様々な不安があるからだと思います。
そんな不安を取り除くには、お互いがオープンでいることが必要。
フラットでオープンな組織、というように、
フラットとオープンがセットで使われることが多いのは、
そういう理由なんだろうなと思いました。


いやあ、そうは言っても、簡単じゃないですよね。
簡単だったら、とっくに世の中フラットになっている。
でも、どうせ実現しないんだから、と諦めると、
どんどん元気がない社会になりそうです。
まずは一人ひとりが、普段の生活で、
少し意識してみることが必要なのかもしれません。

日本で暮らす外国人から、
日本の文化や風習について様々な意見をもらい、
日本のいいところを再認識しよう、
という趣旨のテレビ番組『Cool Japan』。
番組MCで演出家の鴻上尚史氏が
ある時、雑誌でこんなことを書いていました。


「よく外国人に言われるのが、日本人の笑顔について。
日本人は真剣な話をしているときにも笑う。
自分の意見を言った後も笑うし、失敗しても笑う。
怒っているときも笑う。
ノーと言った後も笑う。
不思議だ、と彼らは言います」


なぜ、日本人は真剣なときや怒っているときでも笑うのか。
実際に番組で日本人の笑顔について
取り上げたときに、外国人から出た意見は、
次のようなものだったそうです。


「自分の意見を言うことが
相手にとって失礼だと思うからじゃない?」
「相手を失望させたくないから笑うのでは?」
「自信がないんじゃない?」
「いつだって場を和ませたいと
思っているから笑うのでは?」
「日本人は、いつでも笑顔でいなくては
いけないと思っているからじゃない?」
「いつも笑顔で、は違う。
廊下を歩いているとき、知らない人と
目が合っても日本人は微笑まない」


うむ・・・。どの意見も
当たっている気がしますね。


その場を和やかにしたい。
反対意見を言って、場を乱したくない
(でも、反対意見は言うから、せめて笑うことで和ませたい)。
意見は言うけど、自信がないから笑顔でごまかす。
断言する感じになると、
気が強い人だと思われるから、笑顔で和らげる。


「社会」の存在が大きい日本人の間では
普通に行われていることですが、
グローバルな視点で見ると、やはり奇妙ですよね。


脳科学者の中野信子氏は、
日本人の笑顔についてこう説明しています。


「笑顔には大きく分けて2種類あります。
おかしくてつい、思わず笑ってしまう、
いわばボトムアップ型の笑い。
そして、社会的な場面に合わせて笑顔を作る、
脳内プロセスとして意思が笑えと命じて
笑いを演じる、トップダウン型の笑いです。
日本人には後者の笑いが多いということが
調査からも知られています」


「日本人にとって笑顔は単なる感情表現ではなく、
社会性を形成する重要な要素であり、
相手に対する礼儀や思いやりでもあり、
自分の心を守るための戦術で、
日本社会で生きていくためには
外せないスキルの一つなのでしょう」


確かにそうかもしれません。
考えてみると、笑顔の役割が多すぎる。
でも、脳が命令するスキルとしての
笑顔ばかりだと疲れちゃいそうですよね。


無理に笑顔を続けているうちに、
職場や友人とのやり取りの場面ばかりでなく、
家族の前でさえも作り笑顔が消えなくなってしまう
「スマイル仮面症候群」
というものがあるのだそうです。
精神科医である夏目誠氏が名付けた症状で、
笑顔の仮面を外すことができなくなり、
心身に負担がかかっている状態を指します。
夏目氏によると、そういう状態にある人は、
自分が笑顔でいること、笑っていることに
気づいていないことが多いのだそうです。


いつも笑顔の人は穏やかに見えるし、場を和ませるのも事実。
でも、だからと言って、どんなときも
無理に笑顔でいる必要はないですよね。


「私、今、怒っているのに、笑っていたかも」
自分の笑顔に意識を向けて、
笑顔のクセに、少しずつ気づいていくことが
大切なのかもしれません。

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