ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

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今年の初め、SNSである貼り紙が
話題になりました。

「STOP! 教え魔」と書かれたポスター。
そこには、
「全国のボウリング場の悩みランキング
ナンバー1は、お客様がお客様に
ボウリングのコーチングをする
教え魔がいることです」と書かれています。

このポスター、
教えられて困っているという
利用客からの苦情を受け、
あるボウリング場が場内に貼り出したもの。
SNSにアップしたのは、
このボウリング場をよく訪ねていた利用客で、
日頃から困っている人を見かけていたので、
よく貼り出してくれた!という
思いだったそうです。

これをきっかけに、SNSでは、
「うちにも教え魔がいます!」という声が
相次ぎました。

「うちのボウリング場にもいます」
という声のほか、
「うちのゴルフ場にもいます」
「うちのゲームセンターにもいます」
「うちのジムにもいます」
「うちの将棋教室にもいます」

こうなると、日本全国教え魔だらけ。
なぜ、人はこんなに教えたくなって
しまうのでしょうか。

心理学的に言うと、その理由は、

1 教えるものを愛しているから
2 教えることで気持ちが良くなるから

だそうです。

例えば、
ゴルフが大好きで、ゴルフ歴も長い。
テクニックも身についている。
気をつけなくてはならないことが何かわかっている。
始めたばかりの人に何とかこれを教えてあげたい。
喜ばれるはずだし、自分と同じように、
ゴルフが大好きになってくれるはずだ。
で、初心者を見つけると、ついつい教えてしまい、
それを続けているうちに、指導者気分になって、
気持ち良くなってきた。

そんなところでしょうか。

本人としては親切心なのかもしれません。
そこが厄介ですね。

新潟青陵大学の碓井教授によると、
「ゴルフ場やボウリング場に多いということから、
教え魔には中高年の男性が多いという印象がありますが、
年齢・性別関係なく、
だれでも教え魔になる可能性があります」
とのこと。

心理学の研究でこんな実験があるそうです。

ある集団を、ランダムに先生役と生徒役の
2つのグループに分けます。
先生役には問題と解答と解説を事前に渡し、
生徒役に教えてもらいます。

こうして先生役と生徒役の心理を調べたところ、
先生役になった人のほうが、
「頭が良く、賢く、人格的にも優れている」
と感じやすい傾向が見られたそうです。

教えていると優越感を感じてしまうのか・・・。
考えてみると、
確かに教え魔は男性だけじゃないですね。
職場にもいたし、
PTAのお母さんたちにもいたなあ。

さてさて、
教えることができる人が大勢いるということは、
本来はいいことだと思うのですが、
教え「魔」にならないためには
どうすればいいのでしょう。

コーチングでは、
相手に「学びたい」という意志があることが
大前提だそうです。
「教えてほしい」と相手が思っていないのに、
あれこれアドバイスするのはNG。
それは、相手の学びにならないからです。

教え「魔」と言われてしまうのは、
「勝手に」「教えてやろう」を始めてしまうから。
この方法では、相手のためではなく、
自己満足のためになってしまうんですね。

あああ、思い返すと、私、
子どもが小学校のときは教え魔だったかも。
ものすごい勢いで鉄棒を教えた記憶が
蘇ってきました(汗)。

皆さんは教え魔になっていないでしょうか。
過去になったことはないでしょうか。

暑くなりました。
連休前、体調に気をつけてまいりましょう。

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気がつくともう7月。
耳を澄ますと、蝉の声も。
今年も夏がやってきました。

とはいえ、この夏も、
まだまだコロナの影響で
「夏を満喫!」というわけにはいかなそう。
ゆっくり旅行でもしたいところなんですけどね。
なんて思っていたら、こんな調査を見つけました。

旅行予約サイトのエクスペディアが、
世界12地域15,000人を対象に実施した
「旅に関する調査」です。

「休暇を取ることで解放されたらうれしいことは何か」
という問いに対し、日本人の回答で多かったのは以下でした。

1位 「家で料理をすること」(46%)
2位 「食事の片付けをすること」(45%)
3位 「洗濯をすること」(33%)

ちなみに、同じ質問でのフランス人の1位の回答は
「同じ道を歩くこと」(70%)
(日本人は9%)

イタリア人の1位は
「毎日同じ人に会うこと」(38%)
(日本人は9%)

調査対象の15,000人の男女比が定かではないのですが、
日本人の回答者に女性が多いのかもしれませんし、
リモートワークの影響で、男性の家事参加も
増えているのかもしれません。
いずれにしても、日本人は単純に家事に疲れているようです。

で、私が注目したのは、この調査を取り上げた記事に
書き込みされたコメントです。

「多分料理そのものより、献立を考えることに始まり、
在庫チェック、食材買い足しなどの一連の作業が
煩わしいからだと思う」

これに対し、同意のコメントが多数あって、
その中には、

「私も、食材が全て揃っていて、
頭の中で献立を組み立て終えたときは、
もうできたと言っても過言ではないくらいの
気持ちになります。
調理の部分って最終段階なんですよね」

というものもありました。
いや、私も本当にそう思います。
そして、これは原稿を書くことに
本当に似ているのです(ここが本題!)

まずは、どんなメッセージを伝えるのか、
そのためにどんな素材が必要なのかを考え、
素材を調達する。
ここができればもうできたようなもので、
パソコンに向かって原稿を書くのは最終段階です。

しかし、伝えたいメッセージがない場合が
あるわけです。
忙しくてインプットが少ないときなど、
日々の気づきがあまりないときです。
その状態のまま、なんとなく、
このネタをきっかけに書けるかな?と思って
書き始めても、メッセージがないので、
ただ文字が埋まっているだけの状態。
「で、何が言いたいの?」と
なってしまいます。

これは、献立が決まらずに、
なんとなく食材をそろえて、
なんとなく料理を始めた場合と似ています。
ゴールが見えていないから、
途中で味つけを迷ったりして、
塩コショーしたかと思ったら、
醤油を入れてみたり、
途中でいろいろ追加してみたり。
すると、「まあ、食べられるけど、これ、何?」
と聞かれるようなものができあがるわけです。

考えてみると、料理はもちろん
その他の家事においても、
前段階が大変なんじゃないかと思えてきます。
いくら掃除機や洗濯機の性能が良くなっても、
準備段階の負担が減らない限り、
劇的に家事時間が縮小されたり
しないのかもしれません。
将来的にそこはAIが担ったりするんですかね。

家事から解放されるための休暇ではなく、
旅先で非日常を楽しむための休暇がとれる社会に
早くなるといいのですが。

そんなわけで今回は、
家事も原稿も準備段階が大事だし大変、
というお話をしながら、
遠回しに、この原稿が遅れた言い訳をしてみました・・・

暑くなってきました。
体調に気をつけてまいりましょう。

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思春期の息子と話をするのは大変です。
会話の8割が省略されているからです。

学校の友だちと話をする分には
2割で通じるのでしょうが、
大人の私たちには通じません。
そもそも、本人に親にわかりやすく
何かを伝えようというつもりがありません。
というより、話したくないのです、極力。
(我が家の場合ですが・・・)

なので、息子と会話をするときは、
自ずと私からの質問が多くなります。

「だれが?」
「どこで?」
「何に?」
「そもそも、どうして?」

と、一から聞いていかないと全体像が掴めません。
いつもだいたい3問目くらいで、
返事が返ってこなくなります。
なので、私はいつまでたっても
よくわからないままです。
(我が家の場合です・・・)


さて、「ハーマンモデル」という、
人の「利き脳」を知るための手法があります。
最新の大脳生理学の研究成果をもとに
GEの能力開発センター所長であったネッド・ハーマンが、
ビジネス環境のために開発したタイプ分けのことで、
世界中の多くの企業が組織内のコミュニケーション形成や
能力開発に使用しています。

ハーマンモデルによると、人が考えるときに使う脳は、
大脳新皮質の左脳と右脳、辺縁系の左と右の
4箇所あるとされています。
そして、どこを優位に使用するのかにより、
浮かびやすい疑問符が異なり、
それがコミュニケーションの構築に
影響しているといいます。

浮かびやすい疑問符と優位脳の関係は
以下のようになっています。

「WHY」が浮かびやすい人は優位脳が
大脳新皮質の左脳で、論理型。
事実と分析が好き。なぜそうなるのかを
ポイントを絞って深く追求していく人です。

「HOW」が浮かびやすい人は優位脳が辺縁系の左で
管理型。計画と秩序を重視します。過去の事例や
ルールから、どうやるかを考え、安全策をとる人です。

「WHO」が浮かびやすい人は優位脳が辺縁系の右。
感情型の人です。話好きで社交的。
人物に興味があるため、人の言葉や姿勢に
共感していく人です。

「WHAT」が浮かびやすい人は優位脳が
大脳新皮質の右脳。独創型。好奇心旺盛で、
自由奔放。直感が鋭く、アイデア豊富です。

皆さんは、どこに当てはまりましたか?

ハーマンモデルでは、
同じ効き脳の人同士は価値観が似ているので、
コミュニケーションが取りやすいとしています。
逆に、なかなかコミュニケーションが取りづらいと
感じる相手の場合、相手がどんな疑問符を
使いがちなのかをヒントにすれば、
何を補うといいのかがわかりますね。
たとえば、「WHY」の人には曖昧な説明をせず、
最初にしっかりロジックを示すとか、
「HOW」の人には最初にスケジュールを
提示してから説明する、とか。

あれ? ちょっと待ってください。
うちの息子は完全な「WHAT」タイプ。
私も「WHAT」の傾向が強い気がするので、
もしかして私たちは価値観が合っているのか・・・

もうちょっと大人になったら
おもしろい会話になるんですかねえ。

あっという間に6月も下旬。
もうすぐ夏がやってきますね。
体調に気をつけて、まいりましょう。

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少し前に、テレビで
『羽生善治~天才棋士 50歳の苦闘~』
という番組を観ました。


番組中、羽生さんは何度も
「負けました」という言葉をつぶやき、
対戦相手に深々と礼をして
対局の会場を去っていきました。


私は、全く将棋に明るくないのですが、
羽生さんが天才だ、という認識は
ミーハー程度に持っています。


羽生さんの著書『決断力』も読みました。
勝機は誰にでも必ず訪れることや、
勝つためには周りからの信頼が
大事だということなどを知り、
当時、小学生で地元のサッカーチームに
所属していた次男に、
「いい? だれにでも勝つチャンスは
訪れるよ!」
と、わかったようなことを言って、
嫌がられたりしていました。


私にとって羽生さんは、
天才で、勝つ人、でした。


なので、先日の番組内の羽生さんの姿は
衝撃的でした。
会場を後にする後ろ姿を
ずっとカメラが追っているのも、
何だか嫌でした。


考えてみると、自ら「負け」を
宣言しなくてはならない勝負というのは
残酷です。屈辱的だと思います。
スポーツの勝負で考えたら、ありえない。
何度も少年サッカーを出して恐縮ですが、
そんなことしなくちゃいけないルールに
なったら、みんな泣き喚くと思います。


しかも、将棋には「感想戦」があるのですね。
負けた後、対戦相手と一局を振り返って、
自分がどうやって負けたのかを検証する。
これでもかと「負け」を突きつけられます。


さて、日本将棋連盟のサイトを見ていたら、
こんなことが書いてありました。


「負けを宣言することで、自分の弱さを認め、
その自分に打ち勝ち、努力して成長していく」


将棋を始めたばかりの子どもは、
悔しさのあまり、泣いてしまって
負けを宣言できないそうです。
そういうとき、周りの大人は
「負けることは恥じゃないよ。
負ければ負けるほど、強くなるよ」と
声をかけるのだそうです。


実際、負けを宣言することで、
負けた自分を受け入れ、
なぜ負けたのかを検証して弱点を見つけ、
努力しなければ、次に勝つことができない。
それを身をもって体験するのだと
書いてありました。


そうかあ。
これは、すべてのことに通じますね。
仕事でも勉強でも、うまくいかなかったとき、
自分の現在地を認めて、分析できないと、
どこに向かって努力すればいいのかわからない。
闇雲に頑張っても、成長につながらない。
思考が切り替わるきっかけが
「負けました」の宣言なのかもしれないですね。


そういう目で番組を振り返ると、
負けた羽生さんの後ろ姿を見るのも、
そんなにつらくないような気がしてきました。
むしろ、次!次!と思っていらっしゃるかも。
(いや、ご本人はめちゃくちゃ悔しくて、
そんなことはないでしょうが)


羽生さん、番組内で、こう言っていました。


「将棋は、手付かずのところがたくさんある。
未開拓の部分、未知の部分がある。
そこに何があるのか、知りたい」


そして、あの藤井聡太さんについてこんなことも。


「藤井さんの将棋から多くを学んでいきたい」


いやあ、かっこいい! そう思いました。
感動したので、また、次男に言っちゃいそう・・・


5月もあと少しで終わり。
頑張ってまいりましょう。

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子どもの頃、実家ではいたるところに
布のカバーがかけられていました。
電話カバー。
ティッシュカバー。
トースターカバー。
炊飯器カバー。
ドアノブカバー。


汚れ防止のためだろうなと子どもながらに
想像していましたが、
私は、カバーがかけられていることよりも、
家中の柄の多さが気になっていました。
我が家は、リビングの壁は基本白でしたが、
1面だけがなぜかエジプトっぽい柄、
カーテンはうっすら花柄、
ソファは細かいドット、
カバー類はだいたい小花柄、
もしくはチェックでした。
昭和の家庭では、よくある
ごちゃごちゃ感だったと思います。


あれは高校生のときだったか、
母に、なぜいろんな柄を
チョイスしているのか
聞いてみたことがあります。
(どんな質問の仕方をしたのかは
忘れたのですが)。
すると母は、
「すてきだと思うものがいろいろあるから」と
言ったように記憶しています。
「いろいろあって楽しいじゃない?」的な。


なぜ、こんな話をしているのかというと、
先日、伝わる文章にするためには
捨てることが必要、という記事を読んで、
考えてみると、文章もファッションもインテリアも、
一緒だなあと思ったのです。
あれもこれも盛り込みたいと思うと、
全体としてゴチャっとしてしまい、
何を伝えたいの? 何がしたいの? 
ということになってしまう。


実家のインテリアは、母が楽しんでいるし、
だれかに何かを伝えたいと
思っているわけではないので、よいのですが、
対象者に何かを伝えたいというときは、
やはりモリモリだと問題があるかもしれません。


なぜ要素モリモリになってしまうかというと、
盛り込む作業は楽しいからだな、と思いました。
あれも入れて、これも入れてと
追加していくのは、旅行バッグに
持っていきたいものを入れる感覚に
近いのではないでしょうか
これを着ることもあるかもしれないし、
この靴を履くこともあるかもしれないし、と。
ですが、入らないとわかったとき、
そこから抜くという作業は楽しくない。


文章や企画、デザインでも、
こういうことが起こりますね。
AもBもCも、できればDも入れたい。
でも今回はメッセージを絞るために
Aにフォーカスしたほうがいいとなった。
いやでも、やはりBもCも
少しでいいので入れたい。
Dもほんのちょっとでいいので・・・
などと言いたくなってしまいますよね。
捨てるには勇気がいるのです。


断捨離の提唱者、やましたひでこ氏によると、
捨てられない理由は、「現実逃避」、
「過去への執着」と「未来への不安」
なのだそうです。


文章で言うと、現実逃避は、
「ああ、盛り込みすぎちゃったなあ。
削らなくちゃいけないみたいだけど、
判断するのも難しいから、
まあ、いいか、このままで」
というところでしょうか。


過去への執着は、
「こんなに頑張って書いたのになあ」
「こんなにたくさん取材したのに」
みたいなこと。


未来への不安は、
「今回のターゲットではないけど、
もしかしたらこういう立場の人が読んだときに
必要な情報かも」
「後で足りないって言われるよりは、
入れておいたほうがいいかな。
読む人がいるかもしれないし」
というようなことでしょう。


問題は、いずれも
「今の現実にしっかりフォーカスしていないこと」。
過去や未来ではなく、今どうしたいか、
今何が必要かを考えることが必要なんですね。


ああ、そうか。
結局これ、何かを決断するときの
クセの話ですね。
そう思うと、いろいろ思い当たることが・・・


今にフォーカス。今、何をしたいか。
大事かもしれません。

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早いものでもうすぐ4月。
新しいことを始めるには、いいタイミングですね。


「実は、年初に始めたことがあるのですが、
続いていないんです」
とか
「最初の数日はがんばったのですが、
面倒になってきて」
など、年明けに何か始めてみたものの続かなかった、
という人にとっても、4月はリトライするいい機会。


と、常にいいタイミングを探してしまうこと、
続けられない人あるあるなのかも、と
最近気づきました。
続けられないということは、
ほかに原因があるはずなのに・・・。


そうです。私も数年前の年初、
「今年は、毎朝、近所をランニングする!」と決めて
しばらく走っていたのですが、
1ヶ月ほどで続かなくなってしまいました。


敵は花粉でした(と当時は思っていました)。
1月はわりと順調に走っていたのですが、
2月が近づいたあたりから、
くしゃみと目のかゆみで、走っているよりも、
立ち止まっているほうが長くなってしまい、


「なぜ私は外に出て、わざわざ花粉を
吸い込んでおるんだ?」


という気持ちになって、
花粉シーズンが終わるまでお休みすることに。
しかし、いざ花粉シーズンが終わったと思ったら、
今度はじわじわ暑くなり、


「なぜ私は朝からわざわざこんなに
汗だくになっておるんだ?」


という気持ちになって・・・


ということを、「走る走ると言って、なぜ走らない?」と
聞いてきた次男に、先日説明していたら、
完全に呆れられました。


さて、数年前に『小さな習慣』という本が
全米でベストセラーになりました。
自己啓発ストラテジーの調査と執筆を行う
スティーブン・ガイズ氏によって書かれた本です。
ガイズ氏が本の中で言っていることはいたってシンプル。


習慣化するためには、
目標をばかばかしいくらい小さくする


ということです。


ガイズ氏は、30分の運動を日課にしたくても
まったくできなかったという経験の持ち主。
ところが、当時読んでいた本からヒントを得て、
ばかばかしいと思いながらも、
「毎日腕立て伏せを1回する」ということに
チャレンジした結果、それが最終的に30分の運動に
つながったのだそうです。
ちなみに、この「腕立て伏せ1回チャレンジ」は、
筆者のブログの中で一番反響があった
投稿だったといいます。


そもそも、多くの人は、
自身の管理能力を過信しているのだそうで、
たとえば「毎日腕立て伏せ30回、腹筋30回する」
は無理な目標だと思わず、
十分可能だと思ってしまうのだそうです。
でも、始めてみると、なかなかハードだと気づき、
ストレスになり、続けられなくなる。
確かになあ、と思いました。
欲張っちゃうんですよね、なぜか。


調査によると、人間の行動の45%は習慣として
自動的に行われているといいます。
というのも、脳は省エネを好むから。
えいやと気合を入れないといけないような行動には
たくさんのエネルギーを必要とし、
脳にとってストレスが大きい。
でも、小さな行動は、脳にとって
「新しくて大変な行動がやってきた!」というほど、
ストレスをかけないので、
自動化しやすいということなんです。


そうか、確かに私の走る目標はハードル高めでした。
まず「朝」がハードルが高い、
「外」も高い。
そもそも「走る」も高かったのかも?
ひいい、ちょっと考え直してみます。


まだまだ花粉が舞う季節ですが、
今週もすてきな1週間をお過ごしください。

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「札幌の女子高生2人組によるテクノバンド
LAUSBUB(ラウスバブ)が発表した曲が世界から注目を集めている」
という記事を目にしました。


よく読んでみると、
彼女たちが昨年の年末に
「SoundCloud」というドイツの音楽プラットフォームに公開した楽曲が、
今年に入ってSNSを通じて世界中に拡がったということ。
公開後、瞬く間にチャートを駆け上がり
あの世界的人気の韓国男性音楽グループBTSを抑えて
週間チャート1位になったのだそうです。


すごい。単純にすごいです、1位。
でも私がさらに、へえーと思ったのは、
彼女たちがドイツの音楽プラットフォームを選んで曲を公開したことです。


調べてみると、SoundCloudは、ベルリン発祥の音声ファイル共有サービスで、
今年1月の発表では世界190カ国で3,000万人のクリエイターが参加し、
2億5,000万以上の楽曲が聞かれている世界最大規模の音楽プラットフォームなんですね。
彼女たちがここを選んだのは、まさに、
「世界の人に聞いてもらいたいと思ったから」。
インタビューで理由をそう語っていてすごい時代だなあと思いました。


昔は、たとえば音楽であれば、世の中に出ていくためには、
ライブハウスで演奏できるくらいになって、
ファンを増やして、話題を作って、
それなりの人に見つけてもらって・・・と、
ハードルがたくさんあったと思います。
でも、今はダイレクトに世界の人に自分の曲を聞いてもらえる!
今できた曲を数分後に世界に流せる。
何を今さら。いつの時代の人?って言われそうですが、
「札幌の女子高生テクノバンド、
ドイツの音楽プラットフォームで週間チャート1位に」
なんて聞くと、やはりそこの違いを
感じずにはいられません。


このニュースを聞いて、もう一つ思ったことがあります。
それは、デジタルネイティブ世代は、
「よし、できた。出してみよう」に慣れてきているんだろうなあ、ということ。

本来、日本人は他の国の人たちよりも
完璧主義なんじゃないかと思います。
それが日本製品の質の高さにつながっている。
細かなところまでこだわり抜いて、最高レベルまでクオリティを高めるのが得意です。


でも、今の時代、グローバルで勝負しようと思ったら、
そのスピードじゃだめなんでしょうね。
じっくりじっくりこだわっている間に、ニーズがなくなってしまうくらいの速度で

世の中が変わっています。


インドがIT大国になったのは、
6割主義だからだと、どこかで読みました。
6割できたらリリース。
あとはクレームや意見を受け付けながら、修正を加えていく。

このスピード感だから、
世界中からお金が集まるのだそうです。


デジタルネイティブの若い世代も、このスピードに慣れています。
なので「よし、できた。出そう」ができる。
女子高生テクノバンド
LAUSBUB(ラウスバブ)も、
そんなスピード感で、年末というタイミングを見計らって
リリースしたんじゃないかなと想像します。


彼女たちの曲を実際聞きました。
こういうものを高校生が
打ち込みで作るんだなあと感心するレベル。
いや、高校生だからできるんですね、きっと。
作りたいから作るという
ピュアなモチベーションなんだろうなあ。
中学生のときにYMOに影響を受けた私としては、ちょっと衝撃でした。


そう考えると、
日本人の完璧主義には、
いろんな「~すべき」が入ってるのかも。
音楽にしても、
「打ち込みするなら、まず楽器に慣れるべき」
とか
「それを聞くなら、先にこっちを聞くべき」
とか。
しっかり土台を築いていくためには、
それでいいのかもしれませんが、
グローバルでの競争を考えると、やはり
そういうことから自由になることが必要なのかもしれません。


あっという間に3月。
今週もすてきな1週間をお過ごしください。

次男が所属するサッカー部に
一人だけ女子部員がいるそうで、
その子が昨日のバレンタインデーに
サッカー部全員にチョコを配っていた、と聞きました。


サッカー部は2学年合わせて40人以上。
「えー! かわいそう!  そんなことしなくていいのに」と言うと、
「でも、めっちゃ小さいチョコだよ」と次男。
いやいや、サイズは問題ではありません。
義理チョコなのか友チョコなのか、
もしかして本命がいたのか、
全員に配りたかったのか、
配りたくなかったのか、
その子の真意はわかりませんが、
もし、本人はそんなことしたくないのに、
そういう文化だから配っているとしたら、
本当に気の毒だと思います。


義理チョコ文化が始まったのは、80年代だそうです。
当時は、働く女性が職場の男性上司や
男性の同僚に渡すもの、とされていました。
ところが90年代以降、
義理チョコに疑問を抱く女性が増えてきたのだそう。
理由は、男性と対等な立場で働く女性が増加したことや、
金銭的負担が大きくなってきたことなど。
友チョコは、そんな空気を察して
メーカーが新たなマーケットを模索した結果、
生まれた文化なのだそうです。


あれ?  そもそも日本のバレンタインデーは、
女性が好きな男性にチョコを渡すことで、
告白する日ではなかったんでしたっけ?
その文化は続いているのでしょうか。


調べてみると、
「バレンタインで告白は昔の文化」という見出しを
毎日新聞で発見。なにー? 昔?


全国の高校生と大学生を対象にしたアンケート調査
(2021年1月実施、高校・大学生265人が回答)の結果、
高校生のとき(現役高校生を含む)に
「バレンタインデーに告白した経験がある」
と答えた人はわずか1割未満。
「大学生になってからバレンタインデーに
告白したことがあるか」という質問には、
女性回答者の全員が「いいえ」と答えたそう。
そうか・・・。
バレンタインデー、好きな人にチョコをあげることで、
告白するという文化では、最早ないのですね。
これもまた「昭和かよ」と言われるやつですね。


毎年、我が家の息子たちに
「ねえねえ、チョコもらった?」と
ニヤニヤしながら聞いていた私の姿、
彼らにはどう写っていたのでしょうか。


さて、バレンタインデーが
告白の日ではないとしたら、どんな日なのか。
調査でわかったのは、
高校生にとっては大勢の仲間と交流を深める日、
大学生にとっては交際相手にプレゼントを贈る日だということ。
大人になるにつれ、「好きな相手に」という概念になるんですね。
興味深いです。


あれ?  ここでまた疑問。
高校生が大勢の仲間と交流を深める日と
捉えているのはわかったのですが、
だとしたら男子が友チョコ配ってもいいですよね?
我が家の息子たちをみる限り、
やっぱり友チョコを配っているのは、女子だけのような気がします。
仲間で楽しもうよ、と言いながら、
でも当然チョコ配るのは女子の役目ね、みたいな感覚が残っているのかな。
それ、変ですよね。


時の流れとともに、変化するものはいろいろあるけれど、
その中で、なぜか変化せずに残ってしまっている
「考えてみたら変だよね」と感じること、
まだまだ、あるのかもしれません。
今年のバレンタインデーはそんなことに気づいた日でした。
皆さんはどう過ごしましたか?

書くということは、考えること、思うことの
ほんの先っぽにある小さな部分で、
大部分は考えること、感じることに支えられている。


24日まで行われていた
『向田邦子没後40周年特別イベント』にて
上映されていた映像の中で、
向田さんが黒柳徹子さんに
そんなことを語っていたそうです。


語っていたそうです、
という言い方をしているのは、
私、このイベントに行きそびれたからです。
いや、行かなかったからです。
ものすごく後悔しております。
向田邦子作品の大ファンなのに。
職場の目と鼻の先で開催されていたのに。


開催を知ったのは最終日だったものの
終了まであと数時間あったから、行こうと思えば行けたのに。
「急ぎでやることあるしなあ」などと言いながら
行かなかったのです。
終了時間が過ぎてから、ものすごく後悔しました。
こういう後悔、体によくないとわかりました。
次は、行きたいところには、多少無理しても行こうと思います。


すみません。話が逸れました。


書くことはほんの先っぽ。
大部分は考えることや感じることに支えられている、
という向田さんの話についてです。


これを読んで思い出しました。
向田さんのエッセイ『字のないはがき』が
絵本になったとき、文章を担当した
作家の角田光代さんが、インタビューでこんなことを語っていたのです。


「向田さんの文章は視覚的に記憶できる」


まるで自分で見たことのように映像で記憶しているから、
向田さん自身、書くときに映像がしっかりあったのでは、
というようなことを言っていました。


なるほどなあと思ったのです。
考えること、感じることが土台にどっしりとあるから、
その先にある言葉や描写が映像的なんだろうなあと。
逆に言うと、考えること、感じることがしっかりないと、
それを読む人が映像を思い浮かべることは
難しいんだろうなあ、と思いました。


料理研究家の土井義晴さんが
政治学者の中島岳志さんとの対談集『料理と利他』の中で、
「ええ加減」というのは、自分で考えることだ、
と言っています。


幼い頃、やんちゃだった土井さんに
おばあちゃんが「ええ加減にしないさい」と
よく言ったそうなのですが、
それは、「やったらあかん」ということではなくて、
いい加減を学びなさいよ、ということだったと、
土井さんは話しています。
それは料理も一緒だと言うのです。
レシピなんて気にしなくていい。
いい加減を自分で知る。
考えて、感じながら、加減を知ることが大事だ、と。


書くことも、料理することも、
考えること、感じることの先にある。
そう捉えると、すごく興味深いなあと思いました。


あっという間に1月が終わっていきます。
今週もすてきな1週間を。

「感無量です。うれしすぎます。
おそらく今、世界で一番幸せな
サッカー選手なんじゃないかなと思います」


1月1日、元旦の国立競技場。
天皇杯終了後のインタビューで、中村憲剛選手はそう語りました。


この日、天皇杯優勝に輝いたのは川崎フロンターレ。
悲願の優勝でした。
そして中村選手は、この試合をもって
18年間在籍したフロンターレに別れを告げ、現役を引退しました。


実は中村選手、この試合には出場しませんでした。
試合後半、ベンチ横で数人の選手と共に
ウォーミングアップを始めましたが、
最後まで交代の声がかかることはありませんでした。


試合終了が近づいてきて、
中村選手が起用されないことがわかったとき、
私は、中村選手に同情してしまいました。
現役生活最後の日が、天皇杯決勝という大舞台。
最後、数分でもいいからこのピッチに立ちたいだろうに、と。


でも、そんなことを思ったのは、
お正月気分でなんとなく試合を見ていた
私くらいだったのかもしれません。


試合後、中村選手はこう言いました。


「勝ちが全てです。
勝利が全てということは、4年前の決勝敗退で、痛いほど味わいました。
こうしてチームが優勝する様子をベンチから見ていて
本当に頼もしかったです。
18年間の最後に、中村史上最高の1年間をみんなのおかげで送れました。
本当にありがとうございます」


そうか、彼らはプロなのだなと改めて思いました。
監督はもちろん、チームの選手たちも、
スタッフも、チームのサポーターも、
彼らが目指したのは「勝利」、天皇杯「優勝」。
この日が中村選手現役最後の日だということは
もちろん全員がわかっていました。
その中で、中村選手を起用しないという監督の決断と「思い」。
これを全員が理解したのではないでしょうか。
その思いを胸に、一人ひとりがプロとして戦い、
チームを「勝利」に導いたのだなと思い、感動しました。


「思い」と言えば、
今年も数々のドラマを生んだ箱根駅伝でも、
印象に残ったエピソードがありました。


青山学院大学のキャプテン、神林選手。
箱根駅伝で競技人生を終えると決めていました。
しかし、大会直前に骨折が発覚しました。


昨年1年、コロナ禍で思うように練習ができず、
チーム全体が肉体的にも精神的にまいっていたときに、
チームを引っ張ったのは神林選手だったと、
原監督は語っていました。
このチームは神林のチーム。
だから、競技人生最後の日、なんとか箱根を走らせたい、と。


大会当日、神林選手は、9区の飯田選手に
水を渡す「給水係」として、30メートルほど、箱根を走りました。
往路で12位まで順位を下げていた青学は、
復路で優勝。総合4位まで順位を上げてゴールしました。
原監督や神林キャプテンの思いを胸に、
復路の選手が奇跡の走りを展開した結果でした。


ああ、いいですね、スポーツ。
1月は、箱根や高校サッカーなどの
スポーツ観戦をしながら、表舞台のドラマにはもちろん、
舞台裏の出来事にも思いを馳せて、
毎年、テレビの前で感動しています。


でも、よく考えると、スポーツだけではなく、
様々なことに、そこに至るまでの
ドラマや思いがあるはずですよね。
いつも当然のように利用しているサービスや商品、口にしている食品、
それらが私たちの手元に届くまでにも多くの人が
いろいろな思いを込めているのだと思いました。


2021年、今年は、より想像力を働かせながら、
感謝を忘れずに過ごそう。
そんなふうに思いました。

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