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『言葉の力』カテゴリの記事

 

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昔、友人の一人に「本がきらい」という人がいました。
聞くと、本屋に行くと毎回トイレに行きたくなってしまい、

本屋に入ったのにトイレにいる時間のほうが長くなるからいやなのだとか。

「本アレルギーかも」と言っていました。

ところがある日、彼女が「この本、良かった」と言って本を持ってきました。

知り合いに貸してもらったとのことで、すごくおもしろかった、と。

当時、彼女はルームメイトで、私たちはお互いの仕事以外の時間は結構一緒に過ごしていましたが

彼女が「きらい」と言っている本を手にしているところは見たことがなかったので驚きました。

「あれ?本苦手じゃなかったの?」と私が言うと、「あ、ほんとだ。これは大丈夫だった」と彼女。
「じゃ、本がきらいじゃなくて、本屋がきらいなだけだったのかな」 と笑って、おすすめポイントを熱心に話してくれました。

女性のエッセイだったと記憶していますが、楽しく話したことをなんとなく覚えています。

最近、このエピソードを思い出したのは、ビジネス誌の記事で、マーケターの森岡毅氏が、

自分の好き・強みを知るには動詞に注目しようと語っているのを目にしたからです。

森岡氏は、単に「好き」で終わらせていると、自分が具体的に何が好きなのかがわからず、

何が強みなのかを正確に把握できないと話していました。

だから、例えば「好きなことはサッカー」と言う人は、サッカーの何が好きなのか、動詞に注目することで考えよう、と。

サッカーを「観る」のが好きなのか、「プレーする」のが好きなのか、

それとも「戦術を考える」のが好きなのか。 それを知ると、自分自身の理解も深まっていくというようなことでした。


これ、「きらい」の場合も一緒だなと思い、友人のエピソードを思い出したのです。

友人は本はきらいと思い込んでいて、本を避けていましたが、ふとしたきっかけで、

きらいなのは本じゃなくて本屋だったことに気づいた。

本当は、「本屋がきらい」「トイレに行きたくなる」「本がきらい」という時点で、

「それ、本がきらいということではないのでは? そもそも本屋に行くとトイレに行きたくなるってどういうことなんだろうねえ」と二人で考えれば早く気づいたのかもしれませんが、

若い私たちは(笑)、「なんだ、それ!」と笑ってスルーしてしまっていたのでした。

そんなことよりも楽しいことがたくさんあったのでしょうねえ。

ちなみにですね、実は10年以上前にもこのエピソードを思い出すきっかけがあって

ネットで調べたら、「本屋でトイレに行きたくなる」という人は少なくないということがわかりました。

諸説あるようですが、どうやらインクの匂いでトイレに行きたくなってしまう人が多いよう。

そう考えると、本屋が苦手なのではなく、インクが苦手なのでは。

いや苦手というより、インクの匂いを嗅ぐとトイレに行きたくなるから、

トイレがたくさんある本屋なら、本屋も本もインクもきらいではないのでは、

などと思い、ああ当時の彼女に教えたい、、と思いました。

そうそう、「好き」「きらい」は、表面だけさらっと触れているだけでは、わからないという話でした。
もっと奥に真相があるのです。

友人の件は「本がきらい」でしたが、「本が好き」の場合も同じですね。

だれかが「本が好きです」と言っているのを聞いたら、

通常、「ああ、あの人は読書が好きなんだな」と思いますが、そうじゃない「本好き」もいますよね。

例えば、「本というアイテムが好き」な人。紙の質感や表紙のデザインなんかを見ているのがすごく好き。

だから本屋は好きだけど、本を読むかというとそうでもない人。

「本屋という空間が好き」という人もいるかもしれません。本自体というより、本がある場の雰囲気が好きな人。

「本が好き」の奥にいろいろあるのに、

そこを見ようとしないと「本が好き」というぼんやりした理解で終わってしまうことになります。

「好き」「きらい」以外でも、例えば「楽しい」や「悲しい」「うれしい」「すごい」なども同様。

前述した森岡氏が言うように、動詞に注目したり、

「WHY」を深掘って、奥にあるものを見つけられると、

「あ、そこがポイントだったの?」など、意外な発見があるかもしれません。

あっという間に3月。気温差が激しい季節ですね。体調に気をつけてお過ごしください。

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言葉で確認し合っていたのに、
お互いが思い描いていることが違った
という経験はないでしょうか。
実は、制作の世界ではよく起こることです。

「クールなイメージにしたい」
というリクエストがあったとします。
でも、この「クール」、
人によって捉え方が違います。

ごちゃごちゃしていない、すっきりした
デザインを指している人もいれば、
寒色系のカラーリングのことだけを
指している人もいる。

同じものを見ても、
「それは私の中ではクールではなく
洗練されているというワードが近い」とか、
「クールというより、
すっきりしたという表現のほうが
合ってますよね」とか。

もっと怪しいのは「かわいい」。
さまざまなシーンで「かわいい」を使う日本人。
「かわいいデザイン」で思い浮かぶイメージは、
「クール」よりも一致していないのではないでしょうか。
ピンクや薄いブルーなどの
パステルカラーを思い浮かべる人もいれば、
かわいいキャラクターを想像する人もいる。
人によっては「え? それ、かわいい?」
というものを想像する人も。

それくらい、言葉からイメージするものは
案外異なっています。
なので、「かわいい」なら
何的なかわいいなのか、言葉を補いつつ、
イメージを細分化していくことが必要。
「たとえば、こういうこと」と
お互いのイメージを一致させておかないと、
「求めていたのはそれじゃない」
ということが起こってしまいます。

そしてこれは、制作現場に限らず、
さまざまなシーンで起こること。
採用活動などでもありがちですね。

先日、ある人事系のサイトで、
人材コンサルタントの曽和利光氏が
「コミュニケーション能力」
について解説している記事を目にしました。

採用の場でよく耳にする
「コミュニケーション能力」。
昨年、帝国データバンクが行った
「企業が求める人材像アンケート」でも
1位でした。
しかし、この「コミュニケーション能力」
というワードもまた、捉え方がいろいろ。
さまざまな立場の人と会話する力?
相手の気持ちを察する力?
傾聴力? 説明力?など、
いろいろ思い浮かびますよね。

記事中で、曽和氏は
企業の人事部や経営者が求める
「コミュニケーション能力」とは、
次の4つを指すことが多いと言っています。

一つは「読み取り力」。
曖昧な情報を受け取った際に、
それを概念化できる力。

二つ目は「表現力」。
ある概念を具体的に表現して
相手にイメージさせる力。
たとえば比喩などを交えて、
わかりやすく説明できる力など。

三つ目が「論理的思考力」。
自分が思っていることをわかりやすく、
筋道を立てて話せる力。また、
人の話を筋道立てて聞き、理解する力。

最後が「発想力」。
一見すると違うもの同士に共通点を見つけたり、
AとBを組み合わせればCが生み出せる
ことに気づく力。

どうでしょう。
思っていた中身と違う・・・となりませんか?
コミュニケーション能力とは
「コミュニケーション」というワードから、
さまざまな立場の人と会話することができ、
意思疎通できる能力
さらに言うと、そうすることで
物事を前に進められるようにする能力
とざっくり捉えがちですが、
それをするために必要なことは何かを考えると、
結局、上記の4つになるということが多い
ということなんだろうなと思いました。

コミュニケーション能力がある人を採用したい
などと言って、解釈がふわっとしたままだと、
明るく、活発で、スムーズに受け答えする人、
みたいな人を採用しそうですよね・・・。
それでいい場合ももちろんあるでしょうが、
よく話し合ってみたら、そうじゃなかった
ということも起こりそうです。
コミュニケーション能力に限らず、
そのワードが具体的に何を指すのか、
細分化して把握することが必要だなと
改めて思いました。

さあ、11月です。
今年もあと2カ月(えーっ!!!)。
いきなり寒くなりましたが、
体調に気をつけてまいりましょう。

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先週末、地域の夏祭りの手伝いをしました。

自治会のイベント担当が力を合わせ、
生ビールと焼きそばを提供した2日間。
私は、ひたすら焼きそばをパック詰めしました。
だんだんとリズム良く、うまく詰められるように
なるのが楽しくて、一緒にパック詰めしていた
同じマンションの人たちと掛け声をかけながら、
暑い中でもノリノリで作業できました。

地域の行事に参加する一番の楽しみは、
やはり住人との雑談です。

私が住むマンションは、周囲に自然が多いこと、
小中学校が近いことから子育て世代が多く、
我が家の子どもたちが小学生だった頃は、
マンション中、子どもだらけと言っていいほどでした。
今は子どもが独立した世帯が多くなりましたが、
それでも新たに入居してきた子育て世代もいて、
学校の登下校時には子どもたちの
元気な声が響いています。
なので、自治会の行事に参加すると、
20代と思われる人から70代、80代くらいまで、
全世代が集合します。

お祭りの準備をしながら雑談をすると、
いろいろな情報が飛び交います。

このあたりで初夏にカブトムシが見つけられる場所、
学校のPTA事情、街の拓ストーリー、
迷い猫情報、タヌキ出現情報、さらに、
働く人たちのリモートワーク事情など。

保護者としては、子育てや学校の情報を入手する
チャンスですし、働く立場で考えると、
ある意味、異業種交流会のような場でもありますから、
役立つ情報が入手できます。

Shirabeeが2020年に、
全国の10代から60代の男女1789人に行った
インターネット調査によると、
「雑談が苦手」とした人は44.4%でした。

年代別にみると、苦手度が一番高かったのは、
20代男性。「友だちとはいくらでも雑談できるが、
初対面や目上の人には何を話していいか
わからない」という声が紹介されていました。

友だちと延々と話せるのは、
話題に共通項があることと、
すでにノリが共有できているからだと思うのですが、
雑談のパターンがその一つだけだから
困るのでしょうね、おそらく。
共通項がない場合の雑談の機会が
単純に少ないのかなと想像します。

その点、地域行事へ参加すると
世代をこえて会話ができますし、なんといっても、
独特なジョークも含めた、いろいろなパターンの
会話にふれることができます。

昔は、お正月に親戚が大勢集まる場所に行って、
酔っ払ったおじさんのあまりおもしろくない(笑)
ジョークを聞いたり、おばさんたちのおしゃべり
を聞いたりする機会があったので、
自然と、いろいろな人との会話のパターンが
身についたのだと思うのですが、
今はそんなチャンス、滅多にありません。

地域行事、とくに夏祭りのような行事は
オープンな雰囲気の中、
明るく、適度に酔った人たちと会話できる場。
ああ、こうやって話しかけるんだなとか、
こんな冗談が飛び交うんだな、
ということを知ったり、
その冗談を他の人がどうあしらうのかを
見たりできる大変いい機会です。

そういえば、我が地域の夏祭りは
現金ではなく金券での販売だったのですが、
焼きそばの販売を手伝っていた
20代と思われる住人女性が、
買いに来たおそらく70代の男性の
「金券はないかもしれないけど、
銀券は持っているかもなあ」のジョークに対応できず、
「銀券ですか・・・。あの・・・金券を
買ってきていただけますか?」と言い、
「金券が金色だともっとわかりやすいけどねえ」
にさらに混乱し、
とうとう男性が「ぼく、冗談を言っています」と
打ち明けるシーンを目撃しました。

その後、「冗談だったんですね」と笑い合って
ハッピーに終わったようでしたが、
来年以降も引き続き行事に参加すれば、そのうち
「銀券ならあります」
「じゃ、銀券でいっちゃいましょうか!」
くらいのやりとりになるのかもしれません。
場数って大事ですね。

こうして考えてみると、
リモートワークが多くなって、雑談が減った今、
何気ない、なんでもない会話をする機会が
すごく少なくなっているように思います。
地域行事は、運営側の負担がありますので
催は簡単ではないですが、
住民同士が協力し合って、さまざまな世代が参加し、
会話する機会を増やせればいいなと思いました。

まだまだ暑いですが、
日が暮れるのが早くなりました。
秋がそこまで来ていますね。
体調に気をつけてまいりましょう。

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先日、テレビをつけたら、ニュース番組で
安住紳一郎アナと脚本家の三谷幸喜さんが
会話していました。

いつも思いますが、安住アナの
対応力・反応力はすばらしい。
「うまいなあ」と呟いてしまいます。

この日は、「夏休みに入ると
アウトドアで過ごすことが多くなるから
危険生物に注意しよう」
というテーマで展されていて、
安住アナはフリップを見せながら
「クラゲに刺されるとPGAという物質が
体内に入る。納豆にはPGAが多く含まれるから、
クラゲに刺された人は納豆アレルギーに
なりやすい。そして納豆アレルギーを持つ
サーファーが多いというデータがある」
ということを説明していました。

すると、すかさず
「ぼくはどちらかというと
サーファーアレルギーです」と三谷氏。
安住アナは落ち着いてフリップを置き、
三谷氏に体を向けてこう言いました。
「ほお、おもしろそうな話ですね」。

いや、この切り返し。やっぱり、うまい。

三谷氏のポジションは、以前はたけし氏でした。
たけし氏との生放送でのやりとりは
アナウンサーにとって相当ハードルが高そう。
しかし何かのインタビューで安住アナは、
「台本があって予定通りに進む番組が多い中、
たけしさんとのやりとりは予定通りに行かない。
それが刺激になっている。
視聴者も楽しんでいるのではないか」
と語っていました。

むしろ何が起きるのか楽しみ、という姿勢。
変化球をどこから投げ込まれるのか
ワクワクというところでしょうか。

安住アナの会話のコツ、
どこかに書かれてないのかな。
気になってネットを検索していたら、本を発見。
齋藤孝氏と安住アナの共著『話すチカラ』。
早速、読んでみました。

この本、安住アナが相当勉強していることが
わかる内容でした。当然ですが、プロだなあと。
アナウンサーという仕事に誇りを持って、
話し方、情報のインプット・アウトプットの仕方、
声の調整など、基本をしっかり行い、
日々自分に厳しいダメ出しをしながら
対応力を磨いていることがわかりました。

アスリートでも音楽家でも、
トップにいる人たちは基礎をおろそかにしない。
当たり前のように基本を繰り返し、
その上で、プラスのトレーニングをする。
そういうことだよなあ。

さて、コツの話でした。
変化球に対するズバリのコツは
書かれていませんでしたが、紹介されていた
大事な基本の話し方からいくつかお伝えします。

一つは、「15秒以内で話す」。
人の集中力は15秒も持たないらしく、
15秒以上同じ話をしないのが鉄則なのだとか。

もし30秒あったら、15秒が2セットあると
考えて話題を展するのだそうです。
45秒であれば「序破急」の3分割。
60秒だと「起承転結」の4分割で組み立てる。

これはびっくり。初めて聞きました。
15秒なんてあっという間なのに思いましたが、
よく考えてみると、15秒ってそんなに短くない。
だから15秒以上同じ話をするということは、
「えー、そうですね、あれは昨日でしたか、
あれ、一昨日だったかな、車で出かけたんですけど・・・」
みたいな、まどろっこしいことになります。
なるほど、15秒を意識すると、
何か説明するときもいいテンポになりそうです。

もう一つ。「語尾に曖昧な言葉を使わない」
「~と思います」と話を曖昧にする語尾に
要注意とのこと。

たとえば、リポーターが食べるロケで
「では~を食べてみたいと思います」
と言うシーン、よく見ます。
でも「思います」はその人の心の動きであって、
あなたの心の動きはいいから、
さっさとリポートして思うと安住アナ。
さらに、責任の所在も曖昧になると。

電車のホームでは「ドアが閉まります」という
アナウンスが流れるのが通常ですが、
独自の哲学がある京急電鉄は
「ドアを閉めます」と言うのだそうで、
そこには、「私の責任でドアを閉めます。
はさまれないように注意してください」という
責任のニュアンスがあると言っています。

ああ、これ。ありますね、あります。
言い切ることに慣れていないのと、
なんとなく柔らかくしたいという意識が
働いてしまう。
相手に何か指摘する際に、配慮から
敢えて使うこともありますね。
ただ、「~と思います」表現は多用していると、
慣れてしまう。そのうち、意識もしなくなる。
普段から、場の状況をしっかり把握し、
自分が使う言葉にもっと意識を向けなくては
と感じました。

最後にもう一つ、
「抽象・具体、ワイド・ナローを意識」。

話をするときには、ときに具体的に、ナローに
寄って表現すると、伝わりやすいとのこと。
たとえば、「飛行機で羽田から鹿児島に飛んだ」
よりも、
「羽田空港の13番搭乗口から飛行機で~」
と言えば、具体的なイメージを伝えやすいと。

なるほど。だれかと話していて、
ぐんと引き込まれるときは、
頭の中でシーンをイメージができるからですね。
これは書くときも同じです。
ただ、ずっと詳しい描写を続けるのもしつこい。
使い分けが重要ということでしょう。

長くなってきました。
同書、ほかにもためになるコツが
安住アナ、斎藤先生それぞれの視点で
書かれています。興味のある方はぜひどうぞ。

さあ、来週は8月。暑すぎますね。
体調整えてまいりましょう。

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「ボランチは言語化がマスト」

先日、元Jリーガーの鈴木啓太氏のYouTubeに
ゲストとして出演していた元川崎フロンターレの中村憲剛氏が、
「ボランチに必要なことは?」と聞かれて、そう答えていました。

ボランチというのは、サッカーにおける中盤のポジションのことで、
司令塔とも言われる役割を担う場所。中村憲剛氏は、
川崎フロンターレ入団2年目から、
引退する2020年までボランチを務め、
何度もチームのJ1優勝に貢献してきました。

ボランチ、司令塔と一口に言っても、
選手のタイプやチームの戦術によって、
仕事の内容はいろいろあるようで、攻撃寄りのボランチもあれば、
守備的なボランチもいるようですが、
攻撃重視の憲剛氏が考える理想のボランチは、
「試合の流れを読むことができ、攻撃をコントロールして、
試合を決定づけることができ、
さらに相手の狙いを透かすことができるボランチ」
だと語っていました。

私なりに解釈すると、相手の狙いが読めて、
そこから試合の流れが読めて、
それによって自分のチームの攻撃をコントロールして、
試合を決定づける攻撃につなげられる、ということなんですかね。

いや、そんなことできたらすごくないですか?
と思うほど、求めている能力高いですよね。
憲剛氏がこれを理想としてプレーしていたからこそ、
フロンターレの強さがあったのだなと納得しました
(2017年、2018年、2020年、2021年はリーグ優勝しています)。


さて、そんな憲剛氏が
ボランチに不可欠な能力として挙げたのが、
冒頭でご紹介した「言語化」でした。

一瞬、「え? そうなの?」と思える意外な回答ですが、
よく考えてみると、ピッチに立っている11人の
メンバー全員が同じことを考えていないと、
まとまったプレーができないわけで、
司令を与えているのがボランチであること、
言葉でしか考えを伝えることができないことを考えると
(プレーの阿吽の呼吸というのもあるのかもしれませんが)、
確かに、とも思えます。

チームスポーツにおける言葉の重要性については、
箱根駅伝の常勝校、青山学院大学 陸上競技部長距離ブロックの
原監督もインタビューで語っていました。

原監督は、駅伝はチームスポーツだと話しています。
チームで戦う限り、全員が同じ思いを共有しなくてはならず、
メンバー一人ひとりが自分の言葉で自分の思いを語ることができ、
相手の言葉に耳を傾けることができること、
そして納得いくまで話し合うことができることが非常に重要で、
そのために必要な能力が言語力だと話しています。

青学ではスカウトの時に自分自身のことを
しっかり語れる選手であるかどうかを見ていると
以前どこかで読みましたが、なるほどなあと思いました。

eスポーツの世界でも、東大卒のプロゲーマーとして注目されている、
ときどさんという人が、「本当に苦しいときに強いのは、
『センスがいい人』よりも『言語化できる人』」と語っています。

本当にゲームが強い人というのは感覚に頼っているように見えて、
そうではない、と。
トップゲーマーに必要なのは「言語化」であって、
その理由は、言語化することで自分のプレーを客観的に振り返り、
次に生かしているから。
敵の、生まれつきのセンスと思えるようなプレーも言語化することで、
論理的に整理し、分析することができると言っています。

共通認識を作ったり、自分自身や相手の理解を深めたりできる「言語」。
言語化は、スポーツの世界でもビジネスの世界でも、
日常生活でも必要なことだなと改めて感じました。
そのためには、なんとなく言葉を選んで使用するのではなく、
言葉への感度を高め、しっかり選んで使うことが
大切だと言えそうですね。


今週も今日で終わり。暑さに負けずにまいりましょう。

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30年ほど前のこと。
勤めていた会社を辞めてNYに移り住んだ私は、週に何度か旅行会社でエアラインの予約をするアルバイトをしていました。

当時、その会社は受付スタッフも募集していて
毎日のように数人が面接に来ていました。

アメリカだからなのか、その会社の特徴だったのか、その場で即採用され、翌日にはだれかが 受付に座っていました。

だれかが、と言ったのは、
受付ブースに座る人がころころ変わっていたからです。

「あれ? 昨日は女の子じゃなかった?
今日は男性が座ってるね」

「あれ? 先週いた子は?」

という感じで、どんどん人が入れ替わる。

ある日、その理由を採用担当のマネージャーに聞いてみると、応募してきた本人は面接で「できる」「経験がある」と言うが、やらせてみるとできないことが多いから、だそう。

例えば「パソコンの知識はエクセレントだ」と言ってくるが、実際にはまったくタイプできない人もいるらしく、そうなると、「はい、あなた、もう帰って」となる、と。

でもそんなことは日常茶飯事なようで、彼女は「困るわよねー」と笑顔で去っていきました。

びっくりしました。
だって、すぐにバレることじゃないですか。
実際できないんだから。
しかも、バレたときに「ウソつきましたね」となって、かなり恥ずかしいですよね。

しかし、それをアメリカ人の友達に言ったところ、それはウソではなく、セルフ・プロデュースだと言われました。
「私だって、エクセレント・オーガナイズ・スキルと書く」と。

彼女は、片付けがまったくできなかったので、
「ウソでしょ!」って思いましたが、
なるほど、そういうものなのかと思いました。

自分のスキルを正直に伝えるどころか、
「それほどでもないです」と
低めに言ってしまうことの多い日本人と、
少しでもできれば(ほとんどできなくても)
エクセレントだと表現し、自分を最大限に売り込むアメリカ人。文化の違い、考え方の違いを目の当たりにしました。

考えてみると、私たち日本人は、セルフ・プロデュースにあまり縁がないですよね。

でも、これは「ハッタリ」ってことだろうなと思いました。

私の古くからの友人に、学生の頃、ほとんど泳げなかったのに水泳コーチのバイトに申し込み、泳力テストで溺れかけたものの、採用されたという女性がいます。

彼女は、
「水泳コーチのバイトをする、背中が美しい女子大生」
になると決めていたらしいのです。

泳げないのになぜ採用されたかというと、
コーチたちが、溺れかけても泳ぎ続ける彼女の必死さに胸を打たれ、
「私たちがあなたに泳ぎを教えます」となったのだとか(彼女談)

そんなバカな、と聞いた時は思いましたが、
実際に泳ぎを覚え、美しい背中になった彼女を見て、こういう人もいるのかと感心しました。

彼女はその後も、ほとんどできないのに
何かに応募しては、面接で
「実はこれは今はあまりできないのですが、
こういうことならできます!」
などと自分を売り込み、いろいろなことを実現させてきました。

彼女のアクションはいつも
「なりたい自分をイメージ」、
次に「ハッタリ」、そして「実現」でした。
今思うと、実現に向かうために、
ハッタリで自分にプレッシャーをかけていたのだろうなと思います

そういえば、以前、テレビで林修先生がカリスさんというAI研究者をインタビューする番組を観たのですが、カリスさんもこう言っていました。

ぼくは人生を生き抜く上でハッタリが一番大事だと思っています。
ハッタリをかまし続けると実績も後からついてきます」

カリスさんは韓国出身で、16歳で東大に合格したことで話題になった人。 現在は医療AIを扱う企業のCEO補佐として医療AIの研究開発をしています。

「思い込みが大事なんです。自分は特別と思っていない人は、特別にはなれないので」
とカリスさん。
なるほどなあ、と思うと同時に、今の日本、こういう人が必要なんだろうなと思いました。

「いやいや、そんな私なんてそれほどでもないです」

みたいな人ばかりだと勢いがなくなるばかり。
「ハッタリ」をかける人も必要だし、それを受ける側も「ハッタリ」ウェルカム! くらいの心構えが必要なのかもしれません。

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「やばい」という言葉で表現するのは
どんな感情?

2018年に小学館集英社プロダクションが
小学生を持つ保護者を対象に行った
「言葉の使い方についての意識調査」に
そんな問いがありました。

調査の結果によると、
「やばい」で表現される感情や状況は、

1位 あやしい
2位 びっくりしている状態
3位 おもしろい
4位 楽しい
   おいしい
6位 感動している状態

でした。

まあ、そんなところですよね。
うちの息子たちも

「あの曲はマジでやばい」(かっこいい)
「あいつはやばい」(あやしい)
「今日はやばかった」(びっくりした)
「あのラーメンはやばい」(とんでなく量が多い・・・とか)

みたいな感じで使っているように思います。

「やばい」は用途が広いですね・・・
言い方次第でいくつもの感情を表せてしまいます。

一方、同じ調査に
「語彙力に自信があるか?」という問いもありました。

これについては、

「ある」が8.5%
「ややある」が18.3%
「どちらとも言えない」31.2%
「あまりない」30.4%
「まったくない」11.6%

という結果。

「ある」「ややある」の合計は26.8%。
「どちらともいえない」「あまりない」
「まったくない」の合計が73.2%です。

そうですよね、という感想を持ちました。
私も「語彙力に自信があるか?」聞かれたら
「あまりない」と答えるだろうなと思います。
「ある」とは言えないし、
「ややある」って言うほどでもないか、と思うからです。
実際、1日どのくらいの言葉を使って過ごしているか、きちんとカウントしたら、多くないだろうなあ、と思います。

さて、『感情の正体』という本で、
著者である法政大学の渡辺弥生教授は、
人は感情を言葉にすることで、
自分の気持ちをうまく理解できるようになり、
周囲の人もまたその人に共感しやすくなると言っています。

たとえば、
「なんだか気分がすっきりしない。こう、なんというか・・・」
と言われても、言われた方も、言っている本人もどんな感情なのか理解するのが難しいですが、
「八方ふさがり」
という言葉にしたとたん、
感情や状態を理解できるようになる、と。

日本語には、
難しい表現を使わなくても、
感覚や感情を表すことができるオノマトペが多くあって

「どきどき」
「おどおど」
「ひやひや」
「いらいら」
「うきうき」
「くよくよ」

などで、抱えている感情を相手に伝えることもできますよね。

さらに、日本語には、四肢や内臓など
身体的変化に基づいた感情表現も豊富にあるので、

「腸が煮えくり返る」

というだけで、どれだけ怒っているかを示すこともできます。

ちなみに私の手元に
「感情ことば選び辞典」というハンディサイズの辞典がありますが、
ここには、感情に関するキーワードが
200ほどピックアップされていて、
それぞれのキーワードに関連する熟語が書かれています。

たとえば、
「愛する」というキーワードでは
「愛玩」から始まって「純愛」「鍾愛(しょうあい)」「盲愛(もうあい)」など
33の熟語が書かれています。

使ったことない言葉、まだまだどっさりありますね。

ある調査では、
男性が1日に発する言葉数は7,000語
女性が20,000語なのだそうです。
仮に1万語話すとして80歳まで生きると、
約3億語という計算になります。

その中に「やばい」は何回入っているのかな・・・

自分が発したり、書いたりする言葉をもっと意識しないと、自分の感情はもちろん、相手の感情も細かく汲むことができなくなりそう。
それこそ「やばい」と思った次第です。

GWも終わりました。
体調に気をつけてまいりましょう。

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最近、YouTubeで透明水彩の描き方の
動画を視聴しています。
柴崎さんという70代の日本人男性が
講師を務めているチャンネルで、
とても見応えがあります。

何といってもプログラムが良くできています。

たとえば、
超初心者用にわかりやすく解説するコーナー、
視聴者から募った作品に先生がコメントし、
お直しするとしたらココを示すコーナー、
新しい画材を試してみるコーナーなど、
いくつかのコーナーが用意されていて、
視聴者を飽きさせません。

中でも私のお気に入りは、
視聴者から募った作品を
先生がお直しするコーナーです。

ちなみに私は、絵は描いておりません。
なので、自分の作品づくりに生かすとか、
そういう目的はないのですが、
それでもこのコーナーを見てしまうのは、
絵を描くためだけでなく、
ものづくりに共通する学びがあるからです。

先生のもとに届く作品のレベルは
さまざまですが、
比較的上級者レベルのものが多く、
もう直すところないんじゃない?
と思うほどの出来栄えのものもあります。

でも、よく見ると、全面にわたって
同じ調子で描き込まれている作品が
多いことに気づきます。
とても上手なのですが、写真でいうと、
全面にピントが合っている状態です。

先生は、
「これはタイトルがこうだから、
たぶんこの方はこの建物を描きたかったのでしょうね」
というふうに、まず伝えたいものを決め、
構図や明暗、強弱を工夫して、
強めるべきところを強く、
逆に弱くするところを弱めていきます。

建物と同じくらいの面積で描き込まれた空や
地面を大胆にカットした構図にしたり、
明るいところと暗いところ、
細かく描き込むところと省略するところの
差をつけたりといった具合です。

そうして出来上がった絵は、絵全体ではなく、
強くしたところにまず目が行くので、
作品の印象ががらりと変わります。
絵のタイトルの印象も強くなるので、
感情にうったえるものも大きくなります。
なるほどなあと毎回感心してしまいます。

これ、原稿作成も同じなのだと思います。

たとえば、「何を伝えたいか」が
あやふやな状態だと、
いくら小慣れた表現を多用して仕上げても、
「つまり何?」と読んだ人が疑問に思う
原稿になってしまう。

あるいは、インタビューをしたとして、
聞いたことをどんどん入れ込んで仕上げるのも、
一見盛りだくさんではありますが、
メッセージの強い原稿にはなりません。

「何を伝えたいか」をしっかり決めて、
強めるところを強め、
弱めるところは弱める。

絵でも写真でも音楽でも、そして原稿でも、
だれかに伝えることを目的としたものづくりに
重要なことは共通しているんだなと
改めて感じました。

さて、4月も半分終わりました。
気温差が激しい季節ですが、
体調に気をつけてまいりましょう!

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子どもの頃、私にピアノを
教えてくださっていた先生が
ある日、母にこんなことを言ったそうです。

「ちゃんと弾けてるんだけど、
いつもすごく難しい顔をしているの。
弾けてるよと言っても、
しかめっつらで楽譜を見ているの」

小学校の中学年くらいのことだと思いますが、
何やらさっぱり覚えていません。
さぞかし難しい曲を弾いていたんだろうなと
思われるかもしれませんが、
ごくごく普通の練習曲しか弾いていません。
イメージ通りに弾けないとか、
そんなレベルでもありませんでした。
もしかしたら、「この曲、好きじゃない」とか
そういうことだったのかもしれませんが、
たぶん、何かがすっきりしていなかったんでしょう(笑)。

今、私は自分が「モヤモヤ嫌い」だと自覚しており、
「モヤモヤ」を感じると、全力で解消に向かうわけですが、 その頃から、すっきりしない状態に敏感だったのかもしれません。
でも、何にすっきりしないのか、
を見つけるところまで当時は行けなかったようです。

そう考えると「すっきりする」「わかる」ということは
大変なことだなあと思います。

まず、すっきりしていないことを自覚する。
次に、なぜ、すっきりしていないのか
原因を探り、問題を見つける。
調べたり、人に聞いたりして、問題解決する。
自分の中で感覚的にわかるようになるまで試行錯誤。
ようやく「わかる」
みたいなことなのかなと思います。

もっと知りたくなったので、
『「わかる」とはどういうことか
−認識の脳科学』という本を読んでみました。

著者の山鳥重氏は、神経内科の医師で
高次機能障害学を主として研究しています。

山鳥氏によると、「わかる」には種類があって、
以下のどれか、もしくは組み合わせで
「わかる」にたどり着いているといいます。

<全体像がわかる>
ものごとを遠い距離から眺め、
ほかの問題とのかかわりがどうなっているかを知ることで、 それまで見えていなかったことが見え、「わかる」

<整理するとわかる>
ある基準に沿ってものごとを分類することで、
今まで整理がつかなかったものが、ある見方で整理され
「わかる」

<筋が通るとわかる>
それだけではわからない現象が因果関係によって
説明されたときや、仮説によってものごとの説明がついたとき 「わかる」

<空間関係がわかる>
さまざまなものの位置関係が「わかる」、
頭の中で三次元のもののイメージが「わかる」、
一枚の紙に描かれた立方体が立方体だと「わかる」
(視空間的能力)

<仕組みがわかる>
見かけの理解だけでなく、見かけをつくり出している
からくりを理解することで、ものごとの本質が「わかる」

<規則に合えば、わかる>
すでにある決まりごと(ルールや公式)の
手順に当てはめて、ものごとを整理していくことで、
複雑なことが「わかる」

どうでしょうか。
例を説明されないと、なるほどー、とはなりませんが、
わかるということが簡単ではないということは
わかります(本当?)。

山鳥氏は、
「わかるの第一歩は言語」と言っています。

ある音韻パターンと一定の記憶心像が結びついていれば、 その音韻パターンを受け取ったとき、
心にその記憶心像が喚起されるのだそうです。

たとえば、だれかと話していて、
言葉が耳から入ってくると、
その言葉と自分の記憶心像(内容イメージ)が結びつく、
そうして「わかる」に至る、ということです。

なので、毎回、言葉に触れたときに、
「記憶心像(イメージ)」を形作っておかないと
いけないと山鳥氏は言います。
「記憶心像(イメージ)」を形作るには、
意味がわからないといけない。
意味がわからないままにしておくと、
言葉は単なる記号音のまま。
記号音のままスルーすることが続くと、
頭がそれに慣れてきて、聞き慣れない言葉を聞いても
「それ、何?」と問いかけなくなるそうなのです。

つまり、一つひとつの言葉を丁寧に扱い、
意味を正確に理解し、自分の中にイメージを
形成することを怠ると、
「もやもやする」「すっきりしない」「よくわからない」 ということにも気づかなくなるということ。
「わからない」ことがわからないわけですから、
「わかる」に向かっていけないということになります。

これは耳からだけでなく、目から言葉が入ったときも
同じだと解釈しました。
意味を正確に理解して、心像を形成しておかないと、
文字はただの形のままスルーされるということですよね。

いやあ、大変です、これは。

カタカナ言葉を中心に、日々新しい言葉に触れている私たち。 言葉の扱いを疎かにしてはいけない。改めてそう感じます。

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先日、ミッツ・マングローブさんのコラムを読んで、
あることにすごく納得しました。

それは、安易に「共感」するのは怖いことだ
ということです。

ミッツさんは、
「共感って人を麻痺させることがあると思う。
たとえば、海や山に行って癒されるとみんなが言うが、
私にとって自然は怖い。本当に癒されているのか。
ただ言っているだけじゃないのかな。
とりあえず言っているのだとしたら、
それは怖いことだと思う」と言っていました。

実はこれ、私もたまに思っていることです。
共感ってなんだ? それ、同意じゃない? とか、
それはむしろ、同調かもと感じることがあるのです。

周囲がそう言っているので、
私も共感する(ことにしておく)、ということを
みんながやっていたら、それはよろしくないなあ、と。

「共感」を辞書で調べると、
「他人と同じような感情(考え)になること」
とあります。感情の動きが前提のワードだけに、
使うシーンによっては「共感する」が
胡散臭くうつるのだと思います。

ちなみに、「同意」を調べると、
「相手と同じ意見(だということを言動や態度に現すこと)」。

そして「同調」は、「(自分の意見を出さず)他の意見・
態度に賛成すること」とあります。


見渡してみると、今の世の中
「共感」というワードがいっぱい。
映画や本、ドラマの宣伝文句でも「共感の嵐」なんて、
よく使われています。
いや、いいんです、本当に共感しているなら。
でも、同意くらいなのに、もしかしたら
同調かもしれないのに、
共感の嵐には巻き込まれたくないなあと思うのです。

あ、これを書きながら気づきました。
なぜ、「共感」に人が強く反応するのか。
これ、私たちの「つながりたい欲」かもしれないですね。
コロナで人とのつながりが希薄になったことが
背景にあるかもしれません。
だれかとつながって、安心したいという思いがあり、
「共感」することで、より強くつながっていると
思える。そういうことのような気がしてきました。


そんなことをあれこれ考えていて感じたことは、
やはり、自分が発する言葉について、よく考え、
責任を持たなくてはいけないなということです。
会話の中で「わかる、わかる」と安易に言ったり
していないか、考えないといけないと思いました。

さらに、「共感」を強要しないという意識を持つこと。

意識的に強要している人は少ないかもしれませんが、
「~にほんと共感するよね」というと、
相手は「うん」しか言えなくなる。
そういう、相手に同調を求めるような言い方を
しないよう気をつけなくてはと思います。

同じ物を見ても、視点が違えば、感じることは違う。
たとえ共感していなくても、
安心してつながることのできる世の中がいいなあと感じます。

気付いたら、まもなく11月も終わります。
今年もあと1カ月ちょい。
体に気をつけてまいりましょう!

 

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