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「わかる、わかる」をやめてみる

「日本人は、共感スイッチを切る能力が必要かもしれない」


『蛇にピアス』の著者、
作家の金原ひとみさんがインタビューでそう言っています。


金原さんは、小説は、
「読者に、ちゃんと伝わるだろう
と思って書いているが、それは同時に、
人と人はどんなに近くにいても、どんなに話し合っても、
どうしてもわかりあえない、ということが
伝わるだろう、ということでもある」
と語っています。


さらに、最近のSNSについて、こうコメントしています。


「わかる、わかるという共感の嵐が起こっている。でもそれは、
階層が随分と引き下げられた、わかる、だと感じる」


これは、私も時々感じます。


他人の発言に対して、
「わかる」と共感しなくちゃいけない。
簡単に「わからない」とは言えない空気が
世の中全体にあるように感じます。


表面上の「わかる、わかる」は
言う方も言われる方も、安心はするけれど、
本当の意味で「わかり合えていない」
ということなんだろうなあ、と。
そして、本当にわかり合える、を目指しすぎると、
そこに達することができないと感じたとき、
憎しみや怒り、悲しみが
湧いてきたりするのだろうと思ったりもします。


こんな調査を見つけました。
「誰にも共感されない怒りを覚えたことがありますか?」
2017年に日本全国の20~60代の男女
1500名を対象に行われており、
これによると、36.9%が「はい」、
つまり、「共感されない怒りを
覚えたことがある」と回答しています。

怒りの内容を見ると、
「真剣な話をしているのに、軽めのリアクションで返された」
「納得いかないことについて話していたら、
周りが、そんなもんだよ、となだめてきた」
「自分が良いと思っていたアーティストを
周りのだれもが良くないと言った」
など。


これを見ていて、私たちは自分と違う意見を言う人とどう接するか、
どういう言葉をかければいいか、
単純にわからない、慣れていない、
ということなのかもなあと感じました。


本当は、共感できない、わからないなら、
軽めのリアクションで返したり、なだめたりせず、
そうなんだね、と言えばいいんですよね
(と、過去を振り返りながら、反省して書いております)。


そこで、必ずしても「わかる」を目指す必要はなくて、
わからなくても、相手を認めればいいのだと思います
(と、過去を振り返りながら、反省して書いております)。


金原さんは、フランス生活を終えて
帰国したばかりですが、
フランスで暮らしたことで、
生きづらさが緩和されたと言っています。
それは、呆れるくらい色々な人がいて、
色々な考え方があって、色々なことを言う。
その自然の摂理を受け入れたからだそうです。


日本人である私たちは、
「わかる、わかる」と
「わかって、わかって」スイッチを
切ることは、諦める、とか、突き放す、
というネガティブな行為に感じますが、
そうではなくて、
価値観の違いを認める、という
ポジティブな行為なのだなあ、と、こうして書きながら感じています。

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