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「ポジティブ VS ネガティブ」論
車のラジオを聴いていたら、ゲストにアンミカさんが出てきて、
彼女監修の「ポジティブ手帳2025」
ああ、もう手帳が話題の季節なんだな...
その手帳には、週次でポジティブワードが紹介されていたり、
心と体を元気にするハウツーが書いてあったりするらしいです。
手帳の内容自体は真っ当で良いものに思えました。
でも、一抹の違和感があって、何だろう?と考えてみたので、
シェアさせてください。
まず、ネーミング。「ポジティブ手帳」...。
Positiveは、積極的、前向き、
ポジティブな姿勢、ポジティブな考え方、
どう転んだって、良いことに違いありません。
しかし、私には、若干「煽り」
多分「ポジティブ」
社会では鬱などに悩まされている人が増え、
経済環境も良いとはいえないので生きにくい時代です。
夏目漱石ではありませんが、
だからこそ、この「ポジティブ」
そう、先導であって、扇動ではないのかもしれませんね。
でも、本当に心が豊かで健康的な状態というのは、
ポジティブであろうと努力することではないと思います。
たとえば、ネガティブ・ケイパビリティという言葉があります。
どうにも答えの出ない、どっちつかずの状況にあっても、
その不安定な状態、懐疑的な気持ちや違和感を抱えた状態に
留まって耐える力を意味します。
決してポジティブであろうと努力するのとは違います。
それは、
なので、ネガティブ感情から抜け出したいがために、
ポジティブであろうとすることは、
自分にとっては偽りの状態なので、健康的ではないと思うのです。
ネガティブな自分に気づいたら、それも素直に受け入れて留まる。
一番良くないのは、
というわでけ、ポジティブであろうなどと意識せずに、
普通に暮らしていて満ち足りているのが一番なのではないか、
その状態に呼び名はないのだろうか?...と思って調べてみたら、
「中庸」(ちゅうよう)と呼ぶらしいです。
この概念はギリシャ哲学や
中国の自然哲学「陰陽道」(おんみょうどう)から生まれ、
日本文化は後者から影響を受けています。
NHK大河ドラマ「光る君へ」に、ユースケ・
陰陽師・安倍晴明公が登場していました。
彼が礎にしていた思想が陰陽道です。
いったい「陰陽道」とは何でしょうか?
天地の間には、互いに対立し依存し合いながら、
万物を形成している陰・陽の2種類の気があるとされています。
積極的なものを陽、消極的なものを陰と呼びますが、
陰と陽には、善悪も優劣もありません。
「中庸」というのは、陰にも陽にも偏りすぎず、
何事においても過不足がなく、
勝手な解釈ですが、そうであるなら、
ちょっとしたポジティブは中庸にとって普通のこと。
そんな中庸の状態が私は健康的だと思います。
努力しなくても、
あ、でもポジティブ手帳を買うことで、
良い1年を送れそうな気がするならそれもアリですよね。
自分をコントロールできるのは自分だけですから。
いよいよ11月に入ってしまいました。
中庸な1カ月にしたいものですね(笑
「自分を生かせる」って?
当社は、現在、採用活動を行っています。
私は、採用/求職活動の本質は「その人を/自分を生かせるか」
企業と求職者の双方が見極めることだと思っています。
では、仕事で「自分を生かせる」
まず、「自分を生かせるか?」
「自分に合っているか?」というものがあります。
合っていれば、生かせる確率は高いですよね?
では、いったい何が「合っている」必要があるのでしょうか?
やりたいことか? 適性か? 価値観か?
他にもいろいろあると思いますし、どれも重要なのですが、
上の3つで言えば、価値観、適性、
なぜ、「価値観」が第一なのかといえば、
価値観というのは「自分らしくいられるか」の尺度だからです。
つまり、人の幸福と密接に繋がっています。
価値観には正しいも正しくないもありません。
自分はずーっとこれこれを大切だと思ってきた、
それと違うことをするのは抵抗がある、という類のことです。
たとえば、
「入社したての君が意見を言うのは十年早い」
という価値観の会社に入ってしまったら、これは不幸ですよね。
反対もまた然りで、
明快な意見などないし、
「年齢社歴に関係なく、当社社員なら意見を持っていてください」
という価値観の会社にいたら、これも苦痛に違いありません。
価値観が合わない会社に勤めるということは、
自分らしくないことを求められるということです。
でも、いざ自分の価値観を言語化しようと思っても、
実際にやってみると結構難しいです。
自分の価値観を知る上で、手っ取り早い方法は、
不快なこと、嫌いなこと、カッコ悪いと思うことを洗い出すこと。
自分と、人や仕事とのマッチングを考えるときに有効ですよ。
「合っている」において、その次に重要なのが「適性」です。
価値観が合っていたとしても、適性がないと、
とてつもない努力をしないといけなくなる。
苦手なことをがんばるよりも、
得意なことなら努力とも思わずにやり抜くことができます。
「自分に合っている」ためには「やりたいことかどうか」も、
もちろん重要ですが、これは案外「思い込み」
どういうことかといえば、やったことがないことを「やりたい」
やってみたら、
反対に、やりたいと思っていなかったことでも、
やりたいことに変化する場合もあります。
だから、やりたいことかどうかというのは、
さて、自分に「合っている」の話をしてきましたが、本題は「
端的に言うのは難しいですねぇ。
ここでは、「合っている」が満たせた上で、
自分の実力より少し上で、工夫の余地のある環境で働くこと、
と定義してみました。
どんなに周囲から喜ばれたとしても、
自分を生かしているとは感じにくい気がするからです。
「少し難しい」けれど、でも「できる」という仕事において、
自分なりの工夫の余地がある。
そんな環境で働くと、人は意味を感じるのではないでしょうか。
あなたは、どう思いますか?
自分を生かせているか?
より良い人生を送るために、時々考えたい問いです。
今年もあと3カ月。2024年の第3コーナーですね。
最後まで元気に走り切りましょう!
ディレクションの本質 ~人はみんなディレクター
最初に当社の募集告知をさせてください。
当社では、現在、
詳細はこちらでご覧になれますので、
ご興味がありそうな方にぜひご案内ください。
https://www.grassroots.co.jp/
さて、「ディレクター」という肩書きで仕事をしている人は
いろいろな世界に存在します。
所属する業界や企業によって、
「ディレクション(direction)」
何をする仕事なのかは自ずと見えてきます。
「direction」の意味を辞書で調べると、、、
方向、目的意識、目標、指示すること、監督すること、
と出てきます。
ここから考えると、何らかの目的のために方向性や目標を示し、
物事がうまく進むように人を動かし、ゴールに導く仕事。
そんなイメージを持つことができます。
しかし、こうも思いませんか?
だとしたら、すべての仕事にはディレクションが必要で、
すべての人はディレクターなのではないか、と。
一般に「ディレクター」というのは、ひとつの職制であり、
一種の肩書きだと思われていますし、それはそれでその通りです。
でも、
すべての人はディレクターであるという考え方があっても
おかしくはありませんよね。
たとえルーティン業務であったとしてもです。
なのですが、そのために何が大切なんだろうか、
ディレクションの本質とは何なのだろうかと自問すると、
結構奥が深くて、端的に言うのは簡単ではありません。
ディレクターを募集しているこの機会に、
重要なことはたくさんありますが、本質としてこれは外せない!
次の4つです。
・本質を捉える
・必要なことを生み出す
・是非を判断する
・聞く耳を持つ、率直に言う
もう少し具体的に言うと、どういうことでしょうか。
【本質を捉える】
目的を果たすのがディレクションであるとすると、
目的を意識することはとても重要です。
人は物事に慣れれば慣れるほど目的を忘れてしまう生き物です。
なので【本質を捉える】の1つの意味は、目的に立ち返って
何が大切なのかを考えることではないでしょうか。
と、同時に、目の前で起きている問題(事象)
深いレベルで考えることも2つめの意味として含まれるように思い
【必要なことを生み出す】
これについては、2つに分解することができます。
「必要なことが何かを考える」「
必要なことというのは、予算かもしれない、
アイデアかもしれないし、社内の合意かもしれない。
何が必要かを自分で見極めて、自ら動き生み出すことが
ディレクションには不可欠だと思います。
【是非を判断する】
正しい方向(ディレクション)
是非、すなわち良いか悪いか、OKかNGかを判断することも、
ディレクションの重要な本質ではないでしょうか。
言い換えると「目利き」である必要があります。
そして判断基準は常に目的を果たすために是か非かです。
【聞く耳を持つ、率直に言う】
これも、ディレクションでは外せません。
仲間を束ねるには、一方的に指示するだけでなく、
フラットに意見を聞くことが必要ですし、
ゴールに向かうには意思表示が欠かせません。
そして、案外難しいのがこの「言う」です。
「これこれだから、これは絶対必要です」
「困っているので、助けてください」
「これは目的に合っていないから、採用できません」
相手からどう思われるか考えるとなかなか言えない...。
となってしまうと、ディレクションは機能不全になります。
こう考えてみると、信念と柔軟性を持って仕事をする、
未来の仲間も、そういう人だといいな~
あなたご自身は、どんなディレクションが素敵だと思いますか?
最後にもう一度、ディレクター募集中です!
https://www.grassroots.co.jp/
すべての価格には理由がある
今日の話題は、めずらしく「お金」の話です。
タブー視する人が多いけれど、
自分なりの考えを持つべき一領域ではないかと思います。
ところが、自分の給与と会社の売上の関係を考えたこともない、
という給与所得者は、案外多いのではないでしょうか。
どれだけの売上があるおかげで、
自分のお給料は売上のどこを支えるために支払われているのかを知
モチベーションにも影響しますよね。
さて、話が横道に逸れるようですが、先月、
米国税関から輸入差し止めを受けていたという話題がありました。
ウイグル族への「人権侵害」
というのが、米国側の理由でしたが、
ユニクロの主張が通らなかったのは、食品の原材料などと違って、
アパレル業界ではトレーサビリティが確立されていないことも一因
ユニクロは、低価格・高品質という価値を提供してきた企業です。
思うことはいろいろありますが、
あの話題から、あれこれと考えを巡らせた結果、
第1に、すべての価格には理由がある、ということ、
第2に、価格以外の価値を見極める目がないと、
価格でしか、価値を判断できない人生になる、という2点です。
私もユニクロを着ることはありますし、
低価格・高品質は紛れもない価値だと思います。
でも、人生において、必ずしも「安い」
これは、ビジネスでも同じではないでしょうか。
私たちは、
潜在的に思っています。
けれども、その時に、
もう少し掘り下げて考えてみました。
実際のところ、商品やサービスには、様々な値段がついていて、
その価格がそうなった理由もいろいろです。
でも、間違いなく言えることは、それを提供している企業の
事業構造や経営思想と関係しているということ。
たとえば、
材料の調達コストや生産設備の維持費、
販売するための経費も得たい利益も同じで、販売規模も同じ。
つまり、いろいろな条件がほぼ同じであるなら、
値段も必然的に同じになるはずです。
しかし、A社は社員への教育費を惜しまず、
待遇も業界の中では上の方にしようという経営をしていて、
デザインや研究開発費にもお金をかけていたとする。
一方、B社は、コストは下げれば下げるほど価格も下がり、
それがお客様の価値になると信じて、
人にもデザインにもお金はかけない、
当然、2社の販売価格は変わってきますよね。
どちらが、良い悪いではなく、経営思想が事業構造を変え、
それが価格に結びついているわけです。
ところが、ここにやっかいな問題があります。
取引先の経営思想や事業構造がわかった上で
ビジネスをするということは、あまり多くありません。
もっというと、そこに目を向けて、
価格と関係していると考えることなど、
さらに困ったことに、私たちの業界は製造業などと違って、
より一層わかりにくさがあるように思います。
たとえば、
いただいている費用の本質は「サービス料金」です。
つまり、大半は役務の提供のための費用、
言い換えればノウハウ、サービスプロセス、時間への対価です。
印刷物などを収める案件では、
納品物(製造物)の「製造料金」
印刷物というのは、ファッションでいえば、既製服ではなく、
オートクチュールのようなもので、
相見積もりを取ったら、100万円と200万円、
「これこれで困っている、どうしたらいいだろう」と尋ねた時に、
100万円の会社は、当たり障りのない回答をし「
200万円の会社は、困っている理由を聞き出して、「
サンプルを作ってみるから、検討してください」と言う。
わかりやすく言うと、そんな違いが価格になっているわけです。
あ、もうおわかりだと思いますが、当社は価格志向ではなく、
少なくても価格で競争しようとは思っていません。
制作案件なら1時間7500円、
プロセスと工数を想定して見積もるのが通例です。
そこにも理由がありますが、長くなるのでやめておきます。
今どきはコンプライアンスという名のもとに、
相見積もりを取らないわけにはいかないと思いますが、
サービスの見積もりなら相場を調べるために見積もりだけ先に取り
予算を決めてから、
おや? いかん、いかん。なんだかビジネス慣習への不満を言い始めた(笑
結論! 何が正しいというのはありません。
要は、ニーズとのマッチングだからです。
相談しても素っ気ない対応だったとしても、
安いと思って選んだものの、不満足になる場合もある。
私は、ご相談があっても、
パートナーを紹介した方が良いと判断することもあります。
当社が不要に入ることで、求めていないサービスがついてきて、
価格が高くなってしまうからです。
すべての価格には理由があります。
すべての人が、売る側にも、買う側にもいます。
自分のニーズを明確にして、
ビジネスも婚活も「マッチング」
2013年もあとわずかになってきましたね。
当社の2013年を振り返ってみると、キーワードは「マッチング」だったような気がします。元々「マッチング」が重要という価値観はあったので、これは何も2013年に限ったことではありませんが、特に今年は私たちはどんな企業のどんなご担当者と出会いたいのか、それを徹底的に考えてきた1年だったと思います。
なぜ、それほどまでにマッチングにこだわるのでしょうか? それは、マッチングしていないとお互いがハッピーでないからです。たとえば、当社の場合、「何でもいいから早くやってほしい」「何でもいいから安くやってほしい」という価値観のお客様とは相性が良くありません。もし、そういう仕事を受注してしまうと、私たちは「何でもいいと言われても、何を解決したいのかがわからないと、できないのに…」と思い、相手は「細かいことを言っていないで、早くやってよ…」と思います。当然、相手の満足度は下がり、私たちもストレスが高まります。双方にとって、いいことナシです。
婚活も、職業選択も、会社選択も同じです。
リクルート「ゼクシィ」から生まれた価値観マッチングサービス「ツィンキュ」によれば、価値観が一致している夫婦ほど、幸せな暮らしを送っているそうです。
http://twincue.com/service/
確かに「旅行に行く時は細かな計画を立てる人」と「事前に細かな計画を立てず、現地の様子を見てから行動を決めたい人」とがパートナーになると、旅行のたびにストレスになりそうです。そして、この「計画を立てる」というのは旅行に限らず、さまざまな事柄に影響することなので、そこが違っていれば軋轢が生まれるのは必然です。
職業選択も同様。マッチングしていない仕事をすると、行き着く先は「ふつう」と、私の営業の師匠である渡瀬謙さんが、メルマガで書いていました。人は生かされてなんぼ。同感です。引用して紹介します。
欠点を無くすことに時間を使うべきかどうか?
私の考えは「NO」だ。
欠点というのは他人と比べて劣っている(と思っている)部分である。
それが消えるとどうなるか?
他人と同じになるだけである。
つまり「ふつう」だ。
補足すると、渡瀬さんの趣旨は、苦手なことをやるべきではないということではありません。苦手な方法に真っ正面から取り組むよりも、自分の特質を生かした方法を選ぼうということだと思います。自分の特質が生きないような方法でがんばるな!と。私はそれに加えて、自分が生きないフィールドを選ぶな、ということを追加します。人に命が与えられたのには、きっとワケがあるのです。「生きて、これをやれ!」という宇宙から与えられたミッションのようなものが。だから、そのミッションをつかまないといけない。
会社選びも同様ですね。有名で成長している企業に入社しても、個人プレーが嫌いな人が個人プレーが基本の会社に入社してしまうと幸せではないし、体育会系文化が嫌いな人が体育会系文化の会社に入社してしまうと、これまた居心地が悪くて当然です。
マッチングの精度を上げるには、自社や自分の価値観を知ることが大切です。ですから、私たちがこの1年間マッチングについて考えてきた、どんな企業のどんなご担当者と出会いたいのかを考えてきたというのは、自分たちの特性がわかっているからできたことでもあります。マッチングは理屈ではなく、心に無理があるかどうかという極めてシンプルなこと。当社では、そのマッチング精度をさらに上げるために、サイトリニューアルに向けて動いています。年内公開が目標でしたが、さすがに難しくなってきました。でも、出会いたい人と出会うために、自分たちのことをしっかり発信していきたいと考えています。
年内は残すところあと2週間。今週も良い1週間でありますように!
「編集」とはなに?
こんにちは。
先週ふと「ビジネスブログランキング100選」を見に行ったら、なんとこのサイトが10位圏内に入っていました。日頃ご覧いただき、下のリンクをクリックしてくださっている皆様、ありがとうございます。これからも一喜一憂せずに、書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
さて、今日は「編集とは?」について書きます。書こうと思ったきっかけは、次のようなご相談が多いからです。
「企画は当社でして、記事は支給します。御社の力で、今以上に読まれるようにできますか?」
「記事は支給します」という部分が、場合によっては「記事『素材』は支給します」というように変わることはありますが、趣旨としては同じです。私たちはこのように言われると、相手がいう「御社の力で」はすなわち「御社の『編集』の力で」という意味であろうと解釈するのですが、さて、この場合の「編集の力」とは何でしょうか。相手にとっての意味から考えてみました。大きく分けると、次の2つではないかと思っています。
(1)元の素材を膨らませる力
(2)わかりやすく伝える力
専門的に言っても、編集の力の一部として、上記の2点があるのは事実です。しかし、ここで私たちプロの意識と噛み合わない問題が1点あります。それは、本来、編集と企画は一体のものであるのに、そうは思っていただけていないという点です。
記事素材を支給されたなら、わかりやすく伝える工夫はできます。でも、それは、例えていうなら、家のレイアウトが決まっている中で部屋のカーテンの柄についてどうこう言うのと同じなのです。
でも、本来は、「住みやすい家とは?」について一緒に考えるからこそレイアウトがどうあるべきか、インテリアがどうあるべきかを言えるのです。
つまり、編集とは、家で言えば「設計」です。言い換えれば「企画」と表裏一体のものなのです。その点について、まだまだご理解いただけていません。が、それはただ単に「そんなことも頼んでいいのだ」というご理解が得られていないからだと思います。
てなわけで、ご理解いただく努力、しないといけません。
「企画は当社でして、記事は支給します。御社の力で、今以上に読まれるようにできますか?」というご相談、歓迎します。まずはスタート地点に立ち、そのうえで「え? そんなことも頼んでいいの?」と思っていただく、それが正しい順序だと思うからです。
「編集ってなんだろう?」
奥深い哲学的な問いだと思います。
今日も読んでくださって、ありがとうございます! どうぞ良い1週間を!
情という観点からプレゼンテーションを再考する
コンペのあり方を考える(2)?発注先を人材採用試験のようにと考えると良いかもしれない
前回、企画コンペが増えているが、開催側にコンペ上手な企業が少なく、コンペ参加企業のモチベーションを下げている場合があることに目が向けられていないという趣旨のことを書きました。
この原因は、「コンペは参加企業にとって先行投資である」という認識が主催する企業の担当者サイドの間で弱いためではないかという気がします。200万円の仕事をするとして、20万円の利益のためにいくら投資すべきか、という問題が参加企業側にはあるのですが、それが意外に理解されていないのかもしれません。もし20万円投資して最大利益が20万円であるなら、本来その投資はバカげています。もちろん、どの企業も、その先の関係性で生まれる利益を加味して判断を行っているはずですが、まず単純な構図として、「20万円投資して最大利益が20万円」のコンペが行われていることに、日本全体の経済感覚がどこか狂っていると感じてしまいます。
しかし、現在の不況を考えると、みんなが「仕方ない」と受け止めています。ワタシ自身、エラそうなことを書いていますが、この点は悩みの種であって、「おかしい」「狂っている」では済まない、悩ましいテーマだと思っています。
(誤解を生んだかもしれないので、補足しますと、発注金額の桁が重要なのではありません。たとえ発注金額が30万円でも、利益が正当公正に出る仕事はありますから)
ワタシがこれから書くことはモラトリアムすぎるのかもしれませんが、敢てひとつの提案をします。
工業製品など製造分野の発注先選定と異なり、コミュニケーション分野の発注先選定では、もう少しパートナー選定という視点を加味した方がいいのではないでしょうか。案件ベースで、一案件ごとにより安くより良いものをという考え方をすることが間違っているとは思いませんが、コミュニケーション分野の施策、そしてその過程で必要となるツールの開発というのは、PDCAで育てていく性格のものだと考えます。
たとえていうなら、コミュニケーション分野の発注先を選定することは、社員を採用するのと極めて近いのです。
社員の採用というのは、企業にとっては発注先選定以上に重い選択なわけですが、その際に重視される共通事項は、恐らく潜在能力も含めた能力であったり、それを裏付けるための経験であったり、企業文化と個人の価値観のマッチングであったり、です。それらを、履歴書と採用試験と面接で読み解き、発注先選定などよりよほど重い決断であるのに、決断を下しているわけです。
価値観のマッチングは特に重要です。ワタシたちも仕事をしているときに、自分たちの強みも活かせて、お客様との相性が良いと感じることもあれば、期待されていることと、自分たちの本来の良さがかみ合っておらず、マッチングが悪いと感じることもあります。後者の場合は、双方にとってハッピーではありません。
能力をさぐるために企画コンペを開催することは採用試験でいう作文試験のようなものですから良いとして、でも作文試験の前に価値観が一致しているかを判断することがコミュニケーション分野の発注先選定では重要ではないかと感じます。それがズレているのならどんなに能力がどんなにあっても満足できる結果には至らないからです。
わかりやすく例えると、ブレイン志向(あるいは付加価値志向)の会社に低価格志向は合わないですし、低価格を売りにしている会社にブレインを求めたら合いません。両方が不幸になります。そういった交通整理がないまま行うコンペは、非効率ですし、誰も幸せになりません。
コンペの前に、マッチングフィルターに掛ける。これを提案したいのですが、みなさん、どう思われますか?
ニッポンの企画コンペ
このブログを書き始めて、2年が経ちました。継続はチカラなりと言いますが、実際、よく続けたよ、ワタシ! 誰も誉めてくれないので、自分で誉めてみました(笑)。そして、もっと自分のモチベーションを上げるために、こんなサイトに登録してみました。応援してくださる方は、記事下のリンクをクリックしてください。いいことすれば、いいことが起きますから!(ツボ売り商法じゃございませぬ!)
http://biz100.jp
さて。。。
今日書くことは、コンペのあり方についてです。多くの会社は、コンペ上手でない、ワタシはそのように感じます。いろんな会社に参加要請しながら、結果的には自社にとってトクにならないコンペをしているのでは?と感じることが少なくありません。
ワタシたちグラスルーツは、仕事の性質上なのか、コンペへの参加を要請されることは少なくありません。特に、ここ最近はコストダウンを図ることが企業の大命題となっているためか、あるいはコンプライアンスの問題からか、「コンペなのですが、出てもらえますか?」と言われるケースは増えているような印象があります。
一度も取引のない相手先から、コンペに招かれること自体は大変名誉なことだと思います。期待をしつつも、「どこの馬の骨かわからない」という気持ちが、クライアントサイドにはあって当然だと思うからです。
謙虚な気持ちで臨もうと思う一方で、疑問を感じることもあります。いったい何を競争させたいのかが不明瞭な場合が少なくないからです。
見積もりコンペなら、それはそれでわかります。その場合、要求事項が明白であってはじめて成り立ちますが、必ずしもそうでない場合も少なくありません。
また、企画コンペなら、予算の提示があってこそ成り立つのだと思いますが、これが意外に提示されないケースが多いのです。要するに、企画コンペと見積もりコンペが混在した形で、コンペを開く企業が少なくありません。もちろん、それにはそれなりの趣旨説明があって、「企画と費用のバランスで決めたい」、大抵このように説明されます。
しかし、たとえばコンペの主催者側が最大でも500万円の予算でやりたいと思っているときに、いくら良い企画でも1000万円の費用がかかる企画は通るはずもないのです。最大500万円、最大1000万円等、最大予算を示してこそ、企画コンペは成立するのではないでしょうか。
予算を提示しないことのデメリットは、現実感のない提案がまぎれてしまう可能性がある、という点です。もちろん、プレゼン費を出さない前提でコンペを開くのであれば、確かに発注サイドにリスクはないから良いのかもしれません。しかし、より多くの企業から現実感ある提案をもらってこそ、企画コンペを開いた意味があるというもの。予算オーバーの現実感のない提案をもらっては内容の濃いコンペにはならないと思います。それでも、予算を提示することに抵抗があるのであれば、プレゼンが終わった段階で、企画だけで良かった会社に順位を付けた上で、上から順に予算はこの範囲だが(この段階なら相対的な予算感がわかると思うので)、それで可能なのはどの範囲かとフィードバックをし、接点が見出せないなら、次の会社を当たる。これなら、まだ企画コンペとして筋が通っています。
予算を提示しないデメリットのその2は、コンペ参加企業のモチベーションの問題です。予算がわからないということは、要は腹の探り合いになります。本当は500万円の予算があるのに、「あれは、多分300万円しかない」と思われたら、おそらく最大でも10%、すなわち30万円の先行投資しか引き出せません。別の言い方をすれば、おざなりの企画を出す会社が増えてしまいます。コンペ主催者は、みんなが本気で企画を出してくれていると思っており、ところが実態は各社とも「おざなり参加」ということになりかねないのです。
何を要件とし、何をコンペしたいのか。オリエンテーションやコンペのやり方を間違えると、想像以上にその企業は評判を落としてしまいます(業界内で)。
ワタシたちグラスルーツは、コンペに出る側にもなりますが、最大の成果を引き出すコンペを開催するための支援業務も行っています。
たとえば、現在の課題を分析し、発注に際しての要件整理を行い、適切なオリエンテーションやコンペティションへつなげるアドバイザリー業務がそれに当たります。場合によっては、発注以降、すなわちクライアント側に立ったクオリティコントロール業務も請け負います。
いくら景気が悪くても、「発注してやるんだぞ!」という気配ムンムンなコンペには出たくありませんが、ちょっとしたオリエンミスのために本位ではなくそんな印象をあたえてしまう企業があるとするなら、そうならないためのコンペサポートをしたいと思います。しかし、それ以上に提案していきたいのは、コンペではなくマッチングという概念による発注先の選定方法です。これについては、また機会を改めて書こうと思います。
仮説検証や効果検証をしたいという企画者の本能
今日は、午前中から夜まで、来客の多い一日でした。最初は、マーケティング調査会社の方との面談、続いて3人の方との採用面接でした。採用面接の感想などはまた別の機会に書くことにし、今回はマーケティング調査会社の方との面談を通じて感じたことなどを書きたいと思います。
これはワタシが日頃から心がけていることなのですが、協業できそうな会社の方とは、極力お会いするようにしています。いつなんどき、どんなご相談がクライアントからくるかわからないので、どんなご相談が来ても困らないよう備えるためには、ネットワークを広げておくことが必要だと感じているからです。
グラスルーツはマーケティング志向の企画制作会社ではありますが、マーケティングリサーチの会社ではありません。けれども、リサーチというのは、極々身近なテーマです。たとえば…。
企画者としては、企画したものが本当に有効であったのかどうか、事後検証したいという、いわば「本能」のようなものを持っています。もちろん、心臓には悪いんですよ! でも、検証して思った通りの成果が上がっていないなら、たとえプライドがズタズタになろうとも潔く受け止め、ではどうしたらいいのか再度練り直す、そんな本質志向と柔軟性が絶対に必要だと思います。
あるいは、企画に対して事前の検証の必要性を感じ、「ある仮説によれば、こういう企画が考えられますが、まずはその仮説が正しいかどうかを検証しませんか?」と提案したいケースも多々あります。
事前検証にしても、事後検証にしても、独りよがりの企画であったなら、それは決して良い企画ではない、という信条にもとづくものです。
あらゆる企画には仮説があり、仮説が少しでもハズれたなら、企画の根幹は揺るぎます。しかし、仮説の一部はハズれていたとしても、ちょっとした修正で回復できる企画があるのも事実です。本当は、それらの検証と改善提案も含めて、最初に予算を取っていただけるのがベストなのですが、そうした予算はなかなか取っていただけないのが現実でもあります。
それでも、やっぱりどんなご要望にも応えられるように備える。それが誠意であり、付加価値の追求ということなのだろうと思います。一見すると当社と似たようなサービスを提供している企業は多々あります。そんな中で、それでも「グラスルーツに頼みたい」と思っていただけるようなサービスとは何か? それを一言で言えば、付加価値ということになるのですが、それが何であるのかは奥深いテーマです。まだまだ悩みます。
今回のマーケティング調査会社の方との面談は、もともとは飛び込みで営業のお電話をいただいたのがきっかけでしたが、やっぱりお会いして良かったと思いました。グラスルーツでは、今現在もマーケティング調査会社とのおつきあいはありますが、ひとくちにマーケティング調査会社と言っても、得意不得意の分野は各社各様です。今日お会いした会社が提供する地図情報との掛け合わせによるデータ分析というのは、エリアマーケティングを必要とする当社のお客様にとっては、とても意義のあるサービスではないかと思います。
グラスルーツは小さな会社ですので、全部を自社で賄うことには無理があります。しかし、どんなご相談が来ても困らないように、ネットワークを張り巡らし、付加価値の高いサービスを目指したい。そんな信念を再確認した出会いでした。