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『ダイバーシティ』カテゴリの記事

 

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伝説のロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを
主人公とする映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットを続けています。
11月9日に公開されましたが、
週を重ねるごとに右肩上がりで観客が増え続けるという異例の状況だそうです。


この人気はどこから来ているのでしょうか?
まるで本物のQueenを観ているかのような再現力の凄さもあるでしょうが、
今日は、改めてフレディの何が私たちを魅了するのか、考えてみました。
私は本気で謝罪したフレディの魅力を先週のブログに書きましたが、
それ以外にも私たちが魅了される理由は、大きく言って4つほどあると思います。
(これから映画を観る方は、この先を読むべきかどうかを判断してくださいね)


・信念を貫いていること
・エネルギーを出し切っていること
・一人の力を超えようとしていること
・劣等感も含めて自分を受け入れていること


信念を貫いていること
信念を貫く姿は、まず単純にカッコいいものですね。
「キラー・クィーン」が大ヒットした後、
プロデューサーは二匹目のドジョウを取りに行くことを方針にしようとしますが、
フレディも他のメンバーも「同じことはやらない」と断固として拒否し、
常識破りの6分間の曲「ボヘミアン・ラプソディ」をリリースすると主張します。
このシーンは、信じたことに向かって突き進んで行く彼の生き方を象徴しています。
でも、彼はただ強い人だったのではなく、弱い面も持っていました。
だからこそ、私たちは彼が信念を持って行動する一面に惹かれるのだと思います。


エネルギーを出し切っていること
フレディはエネルギー全開で生き、死んでいった人でした。
明日のために、今日出すエネルギーをセーブすることはありません。
そういう意味では、まるでスポーツ選手のようでさえありました。


また、この映画では、フレディのエネルギーもさることながら、
キャストたちのエネルギーの強さにも感動します。
楽器を弾いたことがない、歌を歌ったこともない俳優たちが、
全員で死に物狂いで楽器を習得し、演奏の手元シーンも自分たちで演じたそう。
キャストのエネルギーとフレディのエネルギーがダブって見えるから、
キャストの精神にロックを感じて、
観客はキャストに対しても尊敬の念を抱いたのですね。


一人の力を超えようとしていること
この映画、Queenのメンバーの多様な個性も魅力の一つでした。
フレディはバンド活動を休止し、ソロで活動を始めますが、うまく行きません。
恐らく彼は、自分一人の方が自分の才能はもっと出せると思ったのでしょうが、
スタジオミュージシャンたちが、言われた通りにしかやろうとしないのを見て、
Queenのメンバーの創造性がいかに作品作りに欠かせないか、痛感します。
プライドの高いフレディが真剣に謝り、バンドは復活。
1+1+1+1=4以上の成果を出すQueenの姿が感動を呼びます。
私も、こういう姿が自分の会社の理想だな...と感じました。
きっと組織で働いている人なら、そう感じた人も多かった気がします。


劣等感も含めて自分を受け入れていること
フレディはタンザニアで生まれたペルシャ系インド人で、
ゾロアスター教徒、同性愛者であるなど、いろいろな意味でマイノリティでした。
しかも、前の歯が出ているという容姿的な特徴などもあって、
それらに対するコンプレックスや孤独感が強かった人だと言われています。
一説によれば、楽曲「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞にある
「Mama, just killed a man」(ママ、たった今、僕は人を殺めてしまった)は
ゲイであることで悩んでいる自分自身を殺したという意味だという解釈もあります。
葛藤しながらも、自分の葛藤を受け入れて、自分のままでいようとする様子に、
私たちは、自分は自分のままであっていいというメッセージを受け取ります。
2013年公開のディズニー映画「アナと雪の女王」の辺りから、
自分らしく生きることに、人は魅了され続けているのではないでしょうか。


さて、「ロックに生きる」という言葉があります。
他人に迎合せずに、リスクに怯えずに、
自分らしく自分を信じる生き方を意味すると思います。
フレディ・マーキュリーという人はまさにロックに生きた人でした。
私も、良くも悪くも、ロック度は高いと自負しています(笑
あなたのロック度はどのくらいですか? どのくらいでありたいですか?
今週もボヘミアンな(心自由な)1週間になりますように。


ヘアサロンで待つ間に、ELLE JAPON 6月号でこんな記事を読みました。
それは、facebookのCOO、シェリル・サンドバーグさんのインタビュー記事です。
これを書く今、手元に現物がない上に、ちょっと記憶が曖昧なのですが......
 仕事であっても泣きたい時には泣いていいし、
 仕事中の自分とプライベートの自分は一つのものであっていい、
というような働く人へのメッセージだったと思います。とても印象的でした。


これを読んで、サンドバーグさんに関心を持った私は、ネットで検索してみました。
すると、さらに興味深い次の2つのコンテンツを見つけました。


海部 美知さんによる「シェリル・サンドバーグの覚悟とデータ業界での女性の躍進」
(日経ビジネス/2013年4月16日)


TEDでのプレゼンテーション「何故女性のリーダーは少ないのか」


それらを見て考えたこと、たくさんありすぎます(笑)
が、あえて一つに絞って、
「ハイディ&ハワード実験」とそれに対する彼女のメッセージを紹介します。


「ハイディ&ハワード実験」というのは、コロンビア大学経営大学院と
ニューヨーク大学の教授が2003年に共同で行った実験で、
ある起業家の成功に関する紹介文を学生たちに読ませ、
それが、ハイディ(女性の名前)という起業家の実例とした場合と、
ハワード(男性の名前)という起業家の実例とした場合とで、
人が感じる印象がどう変わるのかを調べるというものでした。


実際のモデルは、ハイディ・ロイゼンという女性起業家でした。


実験の結果、男女いずれの学生も「立派な業績である」と評価。
しかし、「この人を好きか」という質問に対しては、
なんと、ハワードという名前で紹介を受けた学生たちの方が、
圧倒的に好感度は高くなったそうです。
まったく同じ内容であるにもかかわらず、
ハイディに対しては「身勝手で抜け目がない」などの印象を持つ人が多いという
結果になりました。


サンドバーグさんは、
出世と好感度の関係が、男性の場合は正比例するけれど、
こと女性の場合は反比例し、そこに問題があるとTEDで語っています。
そう感じるのは、男性が女性リーダーを見た場合だけでなく、
女性が女性のリーダーを見てもそうであるようです。
女性が出世しても良くは思われないということです。


さて、、、、
この話を我が身に参照したところ、少し似たようなエピソードを思い出しました。
それは、女性経営者、言い換えれば「女社長」に対するイメージについてです。
私は、最近でこそ時々ブログに動画を挟んでいるので、
先入観を持たれることは少なくなったと思いますが、
以前はよくセミナーの参加者の方から、
「もっとバリバリの女社長...って感じの方なのかな(厳しい人だとイヤだな)と思って
参加したのですが、そうじゃなくて良かったです...」
というような感想を言われることがありました。
ウチの某社員も、面接に来る前は、そう思っていたそうです(笑)


バリバリの女社長というイメージって、どういうものなんでしょう?
なんとなくですが、想像してみると...


・ハキハキしていて、滑舌が良く、声も大きい?
・いろんなことを一刀両断にぶった切りそう?
・もしかしたら、原色のスーツを着ているイメージもある?
・部下に対して、小言や注文が多そう?
・二枚舌を使いそう?
・ロジカルと言うより感情的?


こんな感じですかねぇ〜(笑)
いえ、私が思っているわけではありませんよ。
世間で言うところの「女社長」のイメージを想像してみただけです。
このイメージっていったいどこから来るのでしょうか?
言ってみれば、いわゆる「やり手ババア」と言う語感のイメージですよね。
でも、「やり手ジジイ」って聞いたことないなー


想像でモノを言ってはいけないのですが、
おそらく自分の周りに女性の経営者が存在しなくても、
いえ存在しない人ほど、こういったイメージで見てしまうかもしれませんね。
ある意味これは、「ゆとり世代」と言う言葉に対して、
勝手にステレオタイプのイメージを抱いてしまい、
知らず知らずに先入観を抱くのととても似ています。
別に悪気はないのです。


ここでは先入観と書きましたが、
人が先入観を抱くのは、何かしら歴史的な記憶があるからだと思います。
例えば、女性リーダーにも系譜があり、歴史があります。
私自身はそれを語れるほどの知識がありませんが、
私が20代だった頃のモデルといえば、
今は亡き英国のサッチャー元首相や初の女性党首だった土井たか子さん、
経済界では、80年代に注目された人材派遣会社ザ・アールの奥谷禮子さん、
高島屋の石原一子さんなどが、先駆者のイメージですね。
その頃、当社のお客様でも化粧品メーカーやサービス業などの分野において、
女性で部長職に就いていた方はいらっしゃいました。


ただ、ぶっちゃけ、私が20代の頃に、
こうなりたいと憧れる雰囲気の女性リーダーはいませんでした。
がんばっている先輩たち、と言う感じでした。
言葉を選ばずに言うなら土井たか子さんの赤いスーツに代表されるような
がんばっているイメージに違和感がありました。
私が求めるのは、もっと柔らかいイメージだったからです。
ですが、その方たちのお陰で歴史は切り開かれていったわけです。
まさに過渡期ですよね。


だから、今の女性リーダーに対するイメージや先入観も、
そんな歴史の中で生まれてきたものだとも思います。


シェリル・サンドバーグさんも
出る杭になると叩かれるから、
自分は控えていようと思った時期もあったようです。
そして、叩かれるのを覚悟の上で、2013年に「Lean In」と言う本を出しました。
「Lean In」と言うのは、一歩踏み出そうと言う意味だそうです。
女性が社会の重要ポストに半数はいる、そんな社会を目指して。
なのに、この本を批判したのも、また女性だったらしい。。。涙
私はまだ読んでいませんが、読んでみたくなりました!
まずは、女性、男性という先入観、
自分にはどのくらいあるのかなという自問が必要ですね。


まもなく梅雨入りですね。
雨にも負けず、素敵な1週間でありますように!

週末、初対面の相手と
自分の命を何に使うか、何を生きる使命とするのか、
たとえ言葉にするのが難しくても、それを考えながら生きたいですね...
というような、初対面の割にはいきなりマジな話をしていました。


この問いかけへの答えについて、私は今もってシンプルに語ることができません。
たくさんの言葉が出てきてしまって、一言で言い切れないのです。
そのうちの一つが、人が抑圧されずに自分らしさを発せられる状況をつくる、
それに関わっていたい、というものがあります。


幸い、世の中は「ダイバーシティ」の掛け声の下、
個々の違いを認め合う社会に向かおうという理念が示され、
少しづつ動き出していると感じます。


と、同時に、それを阻むものが厳然として社会にはあります。
それは、何か?


「常識」です。


私たちは、社会から爪弾きにされると困るので、
されないようにするにはどうしたらいいか、
自分でも考え、また先輩や上司からも教えられます。
行動基準は「爪弾きにされないためにどうするか」でした。


「社会」と書きましたが、これは「社内」でも同様です。
その結果、暗黙の行動ルールがあなたの会社にもあるのではないでしょうか。

例えば、次のような考え方は社内の常識になっていませんか?


・営業職はハキハキ話すのが好ましい。
・大勢が賛成して決まりかけていることをひっくり返してはいけない。
・「わからない」時に堂々と「わからない」と言うヤツは困ったものだ。
・若輩者は意見を言わずに控えておれ。
・部下との関係を築くには誉めることから始めよ。


でも、こうした固定観念による常識に縛られていると、
人は自分らしくいられなくなり、本来の能力を発揮できません。
最初の3項目を例に、どんな常識が人を縛っているのか考えてみましょう。


営業職はハキハキ話すのが好ましい。


営業職がハキハキ話すのが好ましかった時代もあるでしょうね。
でも、今は「ハキハキ話す営業職」=「何かを売りつけたい営業職」
と見ている顧客の方が多いのではないでしょうか。
実は、営業される側は「ハキハキ話す営業職」なんて望んでいない場合も多い。
で、望みはシンプル。自分のことを親身に考えてくれる営業職を望んでいます。
なのに、会社はハキハキ話す営業職を育てようとする。
昭和的な金太郎飴営業職を育てようとするのは、ダイバーシティに反しませんか?


大勢が賛成して決まりかけていることをひっくり返してはいけない。


場のムードが賛成に偏っているときほど、反対意見は言いにくいものです。
でも、、、
CEOとしてゼネラル・エレクトリック(GE)を成功に導いたジャック・ウェルチは
当時、反対意見が出なければ、結論を出さなかったと言います。
反対意見を言う者は邪魔者と捉えるのとは大違いですよね。
反対意見を出せるムードのない状況はダイバーシティと言えるでしょうか?


「わからない」時に堂々と「わからない」と言うヤツは困ったものだ。


「わかりません」と発言することは、勇気がいること。
いまだ、そのような状況にあるのではないでしょうか。
でも、そこでわかったフリをしても、いいことはありません。
YESと言ったら、YES。NOと言ったら、NO。
わかったと言ったら、わかった。
グローバル化が進むと言うことは、
そう言うシンプルなコミュニケーションに向かうと言うことです。
それなのに、会社では「わかりません」と言いにくい状況がある。
この抑圧感、ダイバーシティとは対極にあるものですよね?


一人一人の心が感じている不自由を一度書き出してみて、
みんなでテーブルの上に出してみると、どうなるでしょうね?
みんなが「居心地が良い/悪い」を挙げて議論してみたら、
ダイバーシティは加速度的に進むと思います。


まずは自分の常識を疑うことから始めてみませんか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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ゴールデンウィーク、みなさんはどうお過ごしでしたか?
私は、29日から7日までの9日間に、家飲みが4回あり.......
かなりアルコール度の高い休暇になりました(笑
せっかく減量してきたのに、1.5kgぐらい太った気がします(息


ほかにも、気になっていたキッチンの油汚れを落としたり、
両親と外食したり、
PLANプログラムで支援しているケニアの女の子に手紙を書いたり、
映画を見たり、、、とゆっくりしました。


さて、、、2週間ぶりのブログです。
だからこそ何を書こうかなと思ったのですが、
やっぱり連休の間に感じた話題について書こうかな。
それは、ちょっとマジメに言うと「多様性」についてです。


ゴールデンウィーク中に「TOKYO RAINBOW PRIDE(東京レインボープライド)」が開催されました。
これは、主催者のホームページによると、
「性的指向や性自認(SOGI=Sexual Orientation, Gender Identity)の
いかんにかかわらず、差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく、
各個人が幸せを追求していくことができる社会の実現を目指すイベント」です。
因みにレインボーカラーは多様性を表すLGBTのシンボリックカラーです。
さらにおさらいしておくと、LGBTというのは、レズビアン(L)、ゲイ(G)、
バイセクシャル(B)、トランスジェンダー(T)などセクシュアリティのことです。
イベントの詳細について、私はそれほど詳しく知っているとは言えませんが、
昨日7日にはパレードが行われました。
私の知り合いの中にもパレードに参加している人たちがいます。
が、世間的にはどのくらいの人がそのイベントを知っているのでしょうか...?


でも、企業にいて、インターナルコミュニケーションや
HRやCSRに関わっている皆さんは、
その状況についてしっかりキャッチアップしておく必要がありますよね。
さらに、経営者はなおさらそこにアンテナを張っておかないと、
時代錯誤な経営になりかねません。


なぜなら、LGBTは特殊な人たちではない.....
これが世界的な認識になっているからです。
電通の調査結果(2015)によるとLGBTの人の割合は7.6%。
左利き、AB型の人と同じくらいの割合だそうです。
GWに我が家に来ていた友人の一人は高校教員ですが、
高校でもトランスジェンダーの生徒の対応で
(たとえばトイレをどうするかなどについて)議論が行われているそうです。
「今まで表に出ていなかったものが、表に出ているだけだ」と彼女は言います。
G7諸国のなかで同性婚、同性パートナーシップに関する法律を制定していないのは、
日本だけ。この遅れ、情報不足→認識不足→関心不足→政治の遅れなんでしょうね。


でも、キャッチアップして先行している企業もあります。
「TOKYO RAINBOW PRIDE(東京レインボープライド)」では、
そうそうたる大手企業が協賛し参加しています。
http://tokyorainbowpride.com
YAHOO!、NTT、アクセンチュア
ソニー、東急電鉄、ビームス
丸井、ジョンソン&ジョンソン、mixi
JT、GAP、LUSH.....他


また、配偶者がいる場合の制度を、
同性のパートナーがいる社員にも拡充した例も、
ゴールドマンサックス、日本IBM、日本マイクロソフト、
第一生命、ソニー、パナソニック、損保ジャパン日本興亜などで見られます。


こうした企業に対し、
特に若い消費者は「進んでいる」と見ますよね。
企業の方も、「遅れていると思われて、採用活動や販売に影響が出ては困る」
という計算もあるでしょうし、
経営の意思として、社員向けメッセージに使っている場合もあることでしょう。


さて、、、
私がここでお伝えしたいことは、LGBTを認めることも大切。
でも、それ以上に重要なのは、
「ダイバーシティ」は誰にとっても関係あるということです。


最近は「ダイバーシティ」という言葉が独り歩きしていますが、
本来は「Diversity & Inclusion」といって、「多様性の受容」を意味します。
「多様性の受容」という発想の中には、当然LGBTも含まれてきますが、
そもそも一人一人の人間は違う人間であり、
それを俯瞰してみたら「なんと、まぁ多様なことか、、、」と。
だからこそ、そこに目を向けてリスペクトし合い、
違いを超えて何かを生み出すことに価値があり、豊かさがある......
そんな考え方が「ダイバーシティ」の本質ではないでしょうか。
と同時に、企業が「ダイバーシティ」を語る場合は
それがグローバル戦略上不可欠だという視点があるのも当然です。
だから、逆にそれが、「会社が言っているだけ」と
思ってしまう状況を生み出している場合もあるかもしれません。


でも、実際には誰にとっても関係があります。
たとえば「多様性」の反対の概念にはどのようなものがあるでしょうか?
「同質性」「均質性」「画一性」という言葉もありますね。
他にも、「和」「集団行動」「あうんの呼吸」等も対極にある言葉かもしれません。
日本社会にある「人と同じように」「人との和を乱さないように」と
対極にある概念が「多様性の受容」です。


私は、「人と同じように」「人との和を乱さないように」という考え方が、
私たちを縛り、人の顔色を伺って、意見を言わない社会をつくっていると思うので、
むしろ人の和を乱すことを恐れずに、
自分の意見や気持ちを出せる人が大勢いる社会になってほしいです。
そして、そうでありながらも、お互いが相手を論破しようとするのではなく、
相互にalignmentを取ろうとするような社会になってほしいです。
それが実現できたとき、なんと自由で豊かな社会であることか!


抑圧から人を解放する、そんなダイバーシティが進んでほしいものです。


さて、今週は新緑を味わいながら、グリーンな気持ちでいきたいですね!
素敵な1週間をお過ごしください。

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4月15日(土)から23日(日)まで、
青山のギャラリーで私の作品を発表する展覧会を個人的に開きました。
個展という形でアウトプットしたら、本当にたくさんのインプットを得たのですが、 
今日はそんな中でもひとつだけ紹介します。
それは、「解決=価値」とは違う世界についてです。

この展覧会について簡単に紹介すると、
人生の出会いと別れをテーマに「流転」と題して行ったもの。
展示した作品は、アクリル絵具で描かれた記号的絵画作品と、
インタラクティブな言葉のパネル作品です。

ただ黙って眺める展覧会ではなく、
自分の人生を重ねたくなるような参加型の構成に特徴がありました。
観て、想像して、選んで、読んで、書いて、、、
テーマは少し重いですが、心と体を使って感じてもらうことを目指した、
そんな内容です。

来てくださった方たちは、自分の人生を通して作品を解釈したり、
感情移入をしたり、自分の心を観察する...ということをしてくれたわけですが、
その結果、感想のコメントに現れてきたのは、様々な「視点」でした。
人の感性はなんと豊かなんだろうと感じましたし、
その裏側には十人十色の人生があるということを痛感しました。
個人個人の現在の状況も様々だし、そこまでの道のりも実に多様です。
そして、人生が違えば、見方や感じ方も違って当然です。
まさにダイバーシティの本質がここにあると感じました。


もう少し具体的にお伝えしますね。

たとえば、21枚の絵で構成され、
ひとつのストーリーになっているペインティング作品があったのですが、
その話を自分の過去と現在に照らして観る人もいれば、
息子に起きた別れ話や、両親の関係に思いを馳せて観る人もいました。

また、「別れ」という概念の捉え方も人によって千差万別。
大半の人は、実在する誰かと自分が体験した別れと捉えましたが、
自分自身との決別と捉える人や
この先の未来に訪れる別れを思い描く人もいました。
さらに、スピリチュアルな存在を感じながらも
切り離されている状態を別れと捉える人も。

一方で、そこまで葛藤したり、負の感情を味わったことはない、とか、
自分は感情をないがしろにしていたのかもしれないとか、
忘れていた感情を思い出したとか、
自分の感情に「フタをしがち」だったなどの感想も多く聞かれました。

それらの感想を含め、
観る人が、それぞれの視点で観てくれたのがとてもうれしかったですし、
人の感性の豊かさに触れた思いがします。


視点の多様性に驚いたと同時に、
総じて言える共通点もありました。
それは、来た方の多くが何かしら感じ入ってくれた、ということです。
我田引水の面も多少あるかもしれません。
でも、涙を流す人が何人もいたり、次のような感想をいただいているので、
まんざら勘違いというわけでもないと思います。
(許可を得て掲載しますね)
ーーーーーー
私は、亡くなった父、生まれてこなかった子との別れを
しっかり味わう時間となりました。
こんなにたくさん泣いた個展は初めて。
グリーフセラピー的な個展でした。
ーーーーーー


この話、別に自慢したくて書いているのではありません。
私がこの事から気づいたのは、
この展覧会が参加者にもたらしたのは「解決」ではない、
けれども「解決」という価値以外の世界にも、
何かしら意味があるようだ...ということです。

とかくビジネスの世界で生きていると、
ソリューションを提供することこそ価値だと思い、
それ以外の価値に鈍感になりがちです。

でも、今回のような世界にも実は価値があるのかも...と
そんな気持ちになりました。
なぜなら、ビジネスといったって、所詮人間社会だからです。
それはいったいどんな価値なのでしょう?
癒し?
内省?
対話?
自浄?

どんな言葉がふさわしいのか、私自身よくわかりませんが、
心や感情の取り扱いに関することであることだけは確かです。

だから「ビジネスとはいえ、解決がすべてではない」。
解決最優先でいると、道を間違えるかもな...ということ。
それが今回得た大きな気づきです。

ご来場いただいた皆さま、
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

まもなくゴールデンウィークですね。
素敵な1週間でありますように!


個展の模様(「流転〜WOOとMOOの場合」ほか)
言葉の作品「COMMAND」のpdf(展示したパネルとはサイズや比率が異なります)

2週間ほど前、岩崎ちひろ美術館に行きました。
ちひろ作品自体も美術館ももちろん素晴らしかったのですが、
展示されているとは知らずに鑑賞してきた
あべ弘士さんの作品もとても素晴らしかったです。
あべ弘士さんは旭山動物園で飼育係として勤務した後、
動物を題材にたくさんの絵本向け絵画を描いています。


展覧会では、動物を描いた作品の脇に、日記のような随想が書かれていて、
それがまたおもしろい。
ある作品では、こんなことが書かれていました。
先輩から「サルの前では絶対に転ぶなよ」と忠告があって、
その理由を聞いたら、「1度転ぶとそれ以降必ずなめられるからだ」と言われた、
しかし、ある日、自分は足が滑って転んでしまった。
その日から確かにサルの態度が激変した、、、、そんな内容でした。


犬も、どんなに毎日エサをやって可愛がっても、
その家の主が誰なのかを瞬時に判別するといいますから、
サルが転んだ相手への態度を変えるというのは、容易に想像できますよね(笑


なのですが、、、
このような行動はメスザルも取るのでしょうか。
正解はわかりませんが、私には自分のDNAを残すために
勝負や生存にこだわるオスザル特有の行動のように思えてしまいました。


なぜ、こんな話をするかといえば、男性と女性では性的特徴というよりも、
社会的歴史的体験や育てられ方の違いから、
何かしらその特徴に違いがあるような気がするからです。
男性社会を《転ぶとなめられる》社会と決めつけるつもりはありません。
しかし、それがどうであれ、時代が女性活躍を歌い上げるのであれば、
男性、女性、それぞれの行動様式の特徴と、
相手がそれにどう感じるかをお互いに知っておくと、
女性が活躍している社会のイメージの共有が進むのではないでしょうか。



そこで、今日は、あべ弘士さんのサルのエピソードを参考に、
私が女性目線で感じる男女間のギャップについて書きたいと思います。


まず、あべさんの《転ぶとなめられる》社会について、
男性はどう感じているでしょうか?
女性の場合は、多くの場合、相手が転んだからといって、
なめたりする人は少ないような気がします。
転んだのが男性であっても、女性であっても、です。
むしろ、転ぶのを恐れて、何もしない人を
尊敬しない傾向があるのではないか、と。
少なくても私を含めて私の周りにいる女性には、
そういう傾向を感じます。


なぜでしょう? 
女性には子どもを一人前に育てたいという本能があるから、
相手を「なめる」という指向がないのかもしれませんね。
なめたら、人は育たないからです。



さて、《転ぶとなめられる》社会では、
意見は言いやすいでしょうか。


男性の発言は、女性から見ると、とても婉曲的で、核心がわかりにくい、
...なんてことが往々にしてあります。
ふと《転ぶとなめられる》という情報がDNAに組み込まれているからかしら?と
考えましたが、実際のところはどうなんでしょうか?


女性は「こういうことをすると攻撃される」という情報が、
DNAに十分には組み込まれていないからか、
良くも悪くも男性よりも発言が大胆かつ直接的な気がします。
相手の発言が婉曲的であると「で、つまり...?」と詰め寄ったり(笑


一方、男性は、相手の表現が婉曲的であろうとも、
そのまま相手の気持ちを汲み取ろうとするのではないでしょうか。
良く言えば、男性はやさしいコミュニケーションを取っているのに、
女性は、それをまどろっこしいと感じてしまったりする。


ある時、ある企業で、こんなシーンを見かけました。
本部長クラスの方(男性)が部下(男性)の男性に
こんな表現でフィードバックしました。


「いや、これはこうしろと言っているんじゃないですよ、
ひとつの感想として聞いてもらって、
吟味してより良い修正をかけてください」
それは、その翌日に行われるイベントの内容に関するフィードバックでした。
部下たちがその後、右往左往したのはいうまでもありません。


女性から見ると、「男性はなぜ〜?」。
男性から見ると、「女性はなぜ〜?」。
そんなことがお互いの間で年中起きているのだと思います。
言うまでもなく、どちらが正しいわけでもありません。
重要なことは、その違いを理解し合いながら、
「男性は/女性はなぜ〜?」ではなく、
双方がお互いの良い点を活かし合うことでしょうね。
さらにいえば、今日の記事では、男性/女性と括ってしまいましたが、
パーソナリティはそもそも個々に違います。
その違いを認め合って活かし合う社会になったら最高ですね。
人の目線はどうでもいいよ...と。

今回は、あべ弘士さんの「サルの前では絶対に転ぶなよ」から
いろいろと考えてみました。
あなたは、どう感じましたか?


10月に入りました。今年もあとわずか3カ月です。
今週もどうぞ良い1週間をお過ごしください!



上のビデオ、FBのタイムラインでが紹介されていたので、ついつい見てしまいました。「Always」というのは、P&Gの生理用品のブランド名です。その「Always」が、実験的なビデオを今年6月26日に公開しました。どんなビデオかといえば…

映像では、高校生とおぼしき世代の女子と10歳の女の子たちに対して、ディレクターが「走って」「ボールを投げて」「ファイトして」等々の要望を出し、彼女たちがそれを演じた模様を比較して紹介しています。ただし、共通するのは「Like a girl(女の子らしく)」という注文です。

映像の構成は、、、
【Part1】 高校生たちが「女の子らしく走る」「女の子らしくボールを投げる」映像から始まります。女子高校生のほかに10代後半の男子と10代前半の男子が「女の子らしく」走ってみせる映像も含まれています。アスリートのような走り方をする人は一人もいません。
【Part2】 続くパートは、10歳の女子たちの部。同様に走ったり、ボールを投げたりといった動作をする映像が流れます。高校生たちとはまったく違った動きを見せます。言ってみれば「全力で走る」「全力で投げる」というのが伝わってくる動作をするのです。
【Part3】 最後のパートは、10歳の女子たちの映像を見た高校生たちが、振り返ったり、10代の子たちへメッセージを残して終わります。

印象的だったシーンが2つあります。
1つは、【Part2】で「女の子らしく走ってと言われて、それはあなたにとってどういうことだった?(What does it mean to you when I say run like a girl?)」という質問に対して、10歳の子が「それは、できるだけ早く走れという意味だと思う(It means run as fast as you can.)」と答えたこと。女の子らしいということに弱さのイメージは微塵もなく、人として走れと同義として受け止めていました。
もう1つは、【Part3】で「もし今もう一度女の子らしく走ってと頼んだら、違うことをする?(If I asked you to run like a girl now, would you do it differently?)」と質問された高校生が、「次は自分らしく走るだろう(I would run like myself.)」と答えたことです。彼女にとって、「女の子らしく」に画一的な意味はなくなり、「自分らしく」に意味が転換されたのです。

「女の子らしく」ではなく「自分らしく」。

ワタシが、今回この話題を取り上げようと思ったのは、人が「自分らしくあること」を忘れて、「〜らしく」振る舞おうとすると、多分幸せになれないんだよな、と思ったからです。この例は、たまたま「女の子らしく」でしたが、人に襲いかかってくる固定観念はそれだけではありません。

「社長らしく」「部長らしく」「リーダーらしく」もそうですし、「良い夫らしく」「良い妻らしく」「父親らしく」「母親らしく」もそうです。あるいは、仕事の性質に縛られて「営業マンらしく」「マーケッターらしく」「研究者らしく」なども同様です。

私事で恐縮ですが、ワタシも30代の頃「社長らしくあらねばならない」という思いが強すぎて、とても息苦しくなってしまったことがあります。社長らしい決断、社長らしい人付き合い、社長らしいファッション。。。自分で自分に押し付けた画一的な社長像なのですが、本来の自分とこうあらねばならないと思い込んでいる自分の間にギャップがあって、とっても苦しかったことを覚えています。
で、どうしたかといえば、単純に居直りました。ワタシはワタシ。それでいったい何が悪い、と。

しかし、それでも生きていればチリが積もってきます。自分らしさ全開とは違う方向に力学が働いて、段々「自分らしい」状態と離れていってしまう。人間は、そんなことを繰り返す生き物なのでしょうね。あえて「繰り返す」と書きましたが、戻って来られずに自分らしさを忘れたままで一生を終える人もいるのだと思います。

ワタシ自身を自己評価するなら、今は「〜らしさ」という縛りが働いているとはあまり思いませんが、では「自分らしい自分」で100%いられているかと言うと、まだまだ奥の方に自分が気づいていない眠っている自分がいるような感覚があって、自分らしさ全開とは言えません。それを探求することは、早く知りたくてじりじりしつつ、わくわくもします。

ワタシも含め、周りが期待することに応えたいと思う人は多いと思います。でも、期待に応えることと、勝手な想像で「〜らしい」像を描き、その像に自分を合わせようとすることは別なのですよね。それを履き違えると、苦しくなるし、幸せにはなれません。自分らしく、周りの期待に応える。そのためにも、自分らしさをちゃんと知って、その立ち方をしっかりカラダで掴んでいる。そんなふうでありたいものですね。「〜らしく」より、まずは「自分らしく」毎日を送りたい。このビデオを見て、そんなことを考えました。

140714_ladygaga.jpg先日、あるお客様から「ダイバーシティ」の社内広報活動についてご相談をいただき、いろいろ考えるところがありました。

そこで、まず皆さんに質問です。
「ダイバーシティ」と聞いて、その意味をパッと言えますか。もしかしたら、当社のブログ読者は意識が高くて、「『多様性』ってことでしょ?」とか、「これからの経営では、『多様性』を重んじないとダメだという考え方でしょ?」と迷わず思ったかもしれません。
でも、一般的には、まだまだなようです。セルフ・エスティーム研究所が実施した調査(2012年)では、「ダイバーシティーという言葉を聞いたことがあり、意味も理解している」という回答は13.7%だったようです。さすがに、最早2年が経過しているので、もう少し認知度は高まっているかもしれませんが、未だにみんなが知っている状況だとは考えにくいです。

ダイバーシティ&インクルージョンって?

であるにも関わらず、「ダイバーシティ」という概念に加えて、アメリカではまたまた新たな概念が生まれているようです。それは、「ダイバーシティ&インクルージョン」。ダイバーシティでさえ、まだ浸透していないのに...と思いますよね。でも、アメリカではすでにそのように進化しているらしいです。

いったい、インクルージョンとは何なのでしょうか? 比較的わかりやすいと感じたのが、HUMAN VALUE社の解説です。以下、同社サイトからの引用です。

言葉自体の違いをみると、「ダイバーシティ」は人々の差異や違いを意識した言葉であり、「インクルージョン」は一体になるという意味合いの強い言葉である。そして、ダイバーシティは多様性のある状態を作ることに焦点を当てているのに対し、インクルージョンは人々が対等に関わり合いながら、組織に参加している状態を作ることに焦点を当てている。また、ダイバーシティが多様な人が働くことのできる環境を整える考え方に近いのに対し、インクルージョンは1人ひとりが自分らしく組織に参加できる機会を創出し、貢献していると感じることができる日々のマネジメントや文化を作ろうとする発想に基づいている。

「ダイバーシティ&インクルージョン」をワタシなりに意訳すると、「多様な人たちがただ集まっている状況を生み出すことをゴールにするのではなく、多様だからこそ生み出される可能性の広がりを信じて、これをさらに進めよう」ということだと思います。本来のダイバーシティにも、そのような概念は含まれていたとワタシは思っていましたが、言葉の直接的意味から、そこまで広い概念を伝えるのは難しいのかもしれません。ただ、まだ書籍も少なく、一般的な定義はないようです。

で、改めて「ダイバーシティ」。
安倍政権が女性の力を活用すべきと訴えるようになって、それはイコール・ダイバーシティではないにしても、まずはそこを足がかりに、社会の変化がスピードアップしそうなのは良いことだと思います。男性と女性というのは、ほぼみんなが当事者です。そんな基本的な「差」を受容してポジティブに活用できなければ、さらに様々な多様性を受容して、イノベーションにつなげるなんてできないと思います。

もっとシンプルに考えよう!

この「ダイバーシティ」という概念、カタカナで入ってきているだけに、どうも私たちは難しく考えてしまいますが、本当は(多分)コムヅカシク考えてはいけないのですよね。誰もがそれぞれに生きる意味を与えられて天からこの世に送り込まれてきたと考えれば、その力を生かさないのはもったいない。そのくらいシンプルに考えるべきだと思います。

そんなふうに考えていたら、レディー・ガガの曲「Born This Way」の歌詞が、まさにダイバーシティじゃないか!と思ったので紹介します。レディー・ガガは、見た目が斬新すぎて、そちらのイメージの方が強いですが、メッセージの内容やその発進力はリーダーのお手本ですね。東日本大震災の際の行動とメッセージも脱帽ものでした。

さて、同じ「Born This Way」の日本語訳でも、ネット上には様々な人が様々な訳をアップしています。ワタシがお勧めするのは、「おすすめ洋楽&歌詞和訳」さんです。一部抜粋して紹介しますが、全体の詩はリンク先サイト等でご覧ください。

Lady GaGa - Born This Way


My mama told me when I was young
小さい時にママが私に言ったわ
We are all born superstars
私たちみんなスーパースターとして産まれたのって
She rolled my hair and put my lipstick on
彼女は私の髪を巻いて、口紅をつけてくれたわ
In the glass of her boudoir
彼女の寝室の鏡の前で

"There's nothin' wrong with lovin' who you are"
"ありのままの自分を愛することに間違いなんてないわ"
She said, "'Cause He made you perfect, babe"
彼女は言った、"神があなたを完璧にしてくれたから、ベイビー"
"So hold your head up, girl and you you'll go far,
"だから頭をあげなさい、そうすれば遠くに行けるわ"
Listen to me when I say"
"私が話してる時はちゃんと聞きなさい"
(略)

Don't be drag, just be a queen
ダメな人間になるな、クイーンになるのよ
Whether you're broke or evergreen
あなたが一文無しでも、大富豪でも
You're black, white, beige, chola descent
黒人でも、白人でも、黄色人でも、ヒスパニックでも、イタリア系でも
You're lebanese, you're orient
レバノン人でも、東洋人でも
Whether life's disabilities
例え人生が障害に満ちたもので
Left you outcast, bullied or teased
のけ者にされ、いじめられ、からかわれも
Rejoice and love yourself today
今日の自分を楽しみ愛しなさい
'Cause baby, you were born this way
だってベイビー、あなたはそうなるように産まれたのだから

No matter gay, straight or bi
ゲイでも、ストレートでもバイセクシャルでも
lesbian, transgendered life
レズビアンでもトランスジェンダーの人生を送っていても
I'm on the right track, baby
私は正しい道を進んでいるのよ、ベイビー
I was born to survive
生き残るように産まれたの
No matter black, white or beige
例え黒人でも、白人でも黄色人でも
chola or orient made
ヒスパニック系でも東洋系として産まれても
I'm on the right track, baby
私は正しい道を進んでいるのよ、ベイビー
I was born to be brave
私は勇敢に産まれたの

I'm beautiful in my way,
私は私の形で美しい
'Cause God makes no mistakes
だって神が間違いを犯すはずはないから
I'm on the right track, baby
私は正しい道を進んでるいわ、ベイビー
I was born this way
私はこのように産まれたの
(略)

※YouTubeで見る(一応お伝えしますと、ビキニ姿です...)

考えてみれば、男性も女性も関係なく、
あなたもワタシも、誰も彼ももこの世に一人しかいない存在。
あなたにしか、ワタシにしかできないことが、きっとあるはず。
そういうことをお互いに信じ合い、認め合える世の中になるといいですよね。
ワタシもそれを100%体現できているかと言うと、できていないと思います。
だから、まずそういう社会をイメージしてみるというのは大切ではないでしょうか。

では、今週も良い1週間でありますように!

参院選挙が終わりました。ねじれが解消される結果になったようです。

それにしても、投票率はまたまた下がりましたね。国民が平等に選挙権を得るようになるまでに、とても大変な歴史があったのに…。こうやって当たり前になってしまうと、こんなにも低い。週末に、映画「レ・ミゼラブル」を観たので、よけいにそのように感じました。

さて、数週間前に、「おもしろかったので、どうぞ」というメモとともに、日経ビジネスのコンテンツのコピーがワタシの机の上に置いてありました。あるスタッフからです。記事は、安倍政権の女性政策に関する対談でした。ネット上にいつまでアーカイブされているかわかりませんが、リンクを張っておきます。
「3年育休は女性をダメにする」
「女性役員を増やさないと日本は滅びる?!」

安倍政権は、労働人口の減少という問題に対して、女性が働きやすい環境を作るということで対応しようとしています。記事を引用すると、安倍政権で掲げられているのは、次の4本です。(出自:本年4月19日の日本記者クラブで行われたスピーチ)

1)「3年育休」の実現。3年間抱っこし放題での職場復帰支援
2)5年で待機児童ゼロとする
3)子育て後の再就職・起業支援
4)全上場企業で役員に1人は女性を登用

日経ビジネスのその記事では、「3年育休」はナンセンスで古い施策だと指摘していました。長い育休よりも、復職してから柔軟で多様な働き方を実現する方が良い、と。
安倍さんは「子どもが3歳になるまでは育児に専念したい」という女性が3割いるから、3年間抱っこし放題にすると言っているけれど、実は「3歳になるまで」の理由は
抱っこしてやりたいという価値観ではなく、職場が長時間労働が前提になっているため、復帰できないということであったり、夫が長時間労働にあり、育児サポートを頼めない…からだ、という主張でした。

ワタシは、日経ビジネスのこの記事の主張について、共感できる面もあれば、クエスチョンな面もありました。

そして、そういうことも含めて、個人的に思うことを書きます。

育児について、女性はみんなこう思っていると十把ひとからげにして決めつけるのは、間違っているような気がします。「女性はピンク色が好き」「女性は緻密な仕事が得意」という決めつけと似ています。女性がピンク色が好きというのは、いったい誰が言ったのでしょうか?
現実世界では、同じ女性でもいろいろな価値観があります。3年育休を好ましいと思う人もいれば、一刻も早く復帰できるための制度を求める人もいる。その意味で「多様な働き方」という方向性に時代は向かって行くのでしょうね。

そういう理想に対して、当社のような小さい会社でもできることは何だろうと、考えさせられました。加えて、その記事を改めて読みながら、政治基盤を強めた安倍政権が、「女性はみんな抱っこし放題」を望んでいるわけではなく、いろいろな価値観があるのだと、有権者の声を正しく聞いてくれるといいなと思います。


また、ワークライフバランスという文脈も重要ですが、男性ばかりがすべてを決める構造のまま進んでいって、国際競争力を保てるのかという疑問もあります。率直に言って、人口の半分は女性なのですから、このままでは置いて行かれると思います。

安倍政権には、女性を生かす社会を目指して、がんばってほしいと思います。逆差別にならないように配慮しながら…。映画「レ・ミゼラブル」で感じた心象と、参院選の結果。そこから、いろいろなことを考えてしまいました。

こんにちは。

週末の日曜日、嫌がる父を引っ張りだして、「補聴器」を買いに行きました。
嫌がった理由の一つは、座骨神経痛だからです。家の中では歩けても、十分に外を歩き回ることができないのです。

往復はもちろん車での移動を前提にしましたが、駐車場からお店までの移動をどうすればいいか…。行き先は二子玉川だったのですが、ネットで調べたところ、玉川高島屋SCで車イスを貸してもらえることがわかりました。電話一本で、車イスとパーキングスペースを確保してくれ、しかもレンタルは無料。素晴らしいサービスです。
スロープはもちろん、車イスとベビーカー優先のエレベータがあるなど、やさしさのあるショッピングセンターだと感じました。強いて難を言えば、観音開きのドアは車イスにはやさしくないということでしょうか(お借りしておきながら、こんなことを言ってすみません)。でも、通りがかりの方たちが、気安く手を貸してくれたのは、うれしい体験でした。

その補聴器専門店は、玉川高島屋SCから徒歩30秒の距離にあるのですが、館内ではありません。建物から道路に出て、横断歩道を渡り、エレベーターで3階へ。わずかな距離なのですが、段差の多さにびっくりしました。
道路には、歩道と車道の段差を減らすような工夫が見られるのですが、実際それが機能しているかというと、まったく機能していません。父は、短い距離なら立って歩けるので、結局は車イスを下りて歩いてもらいましたが、下りることができない人にとってはどれだけ大変なことか…。もっとがんばれ、世田谷区!
段差もさることながら、歩道の幅も気になりました。狭い歩道を車イスで進むと、後ろの人が私たちを追い抜けず困るだろうなと感じたからです。
さて、肝心の補聴器。ネットで調べてみると、高性能な補聴器は圧倒的にヨーロッパのブランドが強いようです。シーメンス(ドイツ)、ワイデックス(デンマーク)、GNリサウンド(デンマーク)、オーティコン(デンマーク)、スターキー(アメリカ)、フォナック(スイス)。デンマークメーカーが3社と、さすが北欧は強いですね。日本メーカーでは、パナソニック、オムロン、リオンなどがあるようですが、自社の純正パーツ率が低いという印象です(実態はわかりませんが)。高齢社会の日本にとって、「デジタル補聴器」の分野は成長市場に見えるのに、高度な技術を日本メーカーが後発で追いかけても追いつかないということなのでしょうか。ちょっと残念です。

父は私に説き伏せられ、シーメンスの45万円の補聴器を買いました。価格はチャネル数に比例しているらしく、価格が高いものはノイズが少なく、低いものはノイズが多くなります。ワタシが高いなぁと思いながらも、45万円の補聴器を父に勧めたのは、父がまったく違和感がないと言ったからです。ノイズが多いと不快になって、結局、使わなくなり、それでは意味がない、と。使わなくなってしまったなら、どんなに値段が安くても、それは高い買い物。反対に四六時中使えるなら納得できると説き伏せました。

それにしても、この価格、高いとは聞いていたので、驚きはしませんでしたが、パソコンやオーディオの価格と比較しても高すぎる気がします。売り手市場だからでしょうか。かつて20万円以上したパソコンが(私が最初にMacを買った時は50万円ぐらいだった気がします)、今や数万円で買えるように、利用者が増えたら、もう少し安くなるのでしょうか。
私もいつか補聴器が必要な歳になるのですから、10分の1ぐらいの値段で、快適な補聴器が買えるような世の中になってほしいと思いました。

…と、まあ、そんな感じの週末でした。やってみないとわからないことは、結構あるものですね。ググってわかったような気になりがちな時代だからこそ、体験上知ったことに価値があるような気がしました。


最後に、玉川髙島屋SC様、どうもありがとうございました! さすがに何も買わないのは申し訳ないと思い、夕飯を買って帰りましたよ〜(笑)

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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