ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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『言葉・意味・表現』カテゴリの記事

 

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桜がきれいですね~ 今週は4月に突入。
新入社員を迎える組織も多いのではないでしょうか。
直近のデータではありませんが、
経団連調査(2018年11月発表)によると、
企業が新卒社員の選考で重視する要素のランキングは
「コミュニケーション能力」が8割で第1位。
2位が「主体性」、3位が「チャレンジ精神」、4位が「協調性」と続きます。
この傾向自体には特に違和感を覚えませんが、
大切なことは、それぞれの言葉をどう定義づけているかですよね。
各社間でも、企業と求職者の間でも幅がありそうな感じがするのが、
「コミュニケーション能力」と「協調性」という言葉です。
そこで、今日はそのうちの「協調性」というものについて考えてみたいと思います。


私が、生まれて初めて「協調性」なる言葉と出会ったのは、
小学校1年生の時でした。
通信簿の通信欄に「協調性があって大変良い」というようなコメントが書かれてあり、
文字は読めないし、これはどういう意味なのか、母に尋ねました。
その時、母がどう答えたのか、うる覚えではありますが、
「お友だちと仲良くやって行けている、ということよ」というように
説明されて納得したような記憶があります。


この機会に改めて「協調性」を辞書で調べてみました。
デジタル大辞泉(小学館)によると、
「協調」とは、「(スル)互いに協力し合うこと。
特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。」だそう。
そのような性質を持っている人が、協調性のある人と理解して良さそうです。


ふむふむ。母の説明とはちょっと違いますね。
私自身、調べてみて、そういうニュアンスなんだと知ったのですが、
もしかしたら、割と多くの人が「協調性」の意味を、
私の母の説明のように「人と和する」「人に同調する」「人と足並みを揃える」
と捉えているかもしれません。


では、企業が求める「協調性」のある人材というのは、どんな人材なのでしょう?
特に、これといった確証は見つかりませんでしたが、
デジタル大辞泉の意味に近いのではないでしょうか?
利害や立場が違っても、議論して、収束点を見つけ出し、
最終的には協力し合っていける人材。
つまり、馴れ合いの和ではなく、
切磋琢磨による和をもたらす人材と言えるかもしれません。


仮定に仮定を重ねるのもなんですが(笑
だとしたら、採用面接時や入社後などに、
人と調和して和を乱さないことをアピールをしても、
ダメだということですよね。


さて、「協調性」が重んじられながら、その意味に誤解もあるとしたら、
心配なのは、社会の中で次のような連鎖が起きてしまっているのではないか、
ということです。


「協調性があるのはいいこと」
 ↓
「和を大切にして、波風立てないことがいいこと」
 ↓
「空気を読んで、意見を言う/言わないを判断することがいいこと」
 ↓
「軽々に意見を言うと空気を読まない人と評価されるかもしれないので、
 意見を言って損しないようにすることがいいこと」


これはあくまで仮説ですが、あなたはどう思いますか?


実際、発言することに抵抗がある人はどのくらいいるのでしょうか?
2019年、ニュースサイト「しらべぇ」が
相手を選ばず意見をはっきり言える人の割合を調査しています。
それによると、全体の31.2%が
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」と回答したそうです。
逆に言うと、7割近い人は、はっきり言わないということですね。
意見は意思表示のひとつだと考えると、
グローバル化が進んでいく中で、意見を言わない人が多い状況は少々心配です。


世代別男女別で見た場合、まず男性は?
「はっきりと言う」割合が高いのは10代で、42.0%。
反対に低いのは、20代で、26.9%です。
10代と20代の間の、このギャップの意味を知りたいものです。
女性で「はっきりと言う」割合が高いのは60代で、40.3%。
低いのは30代で、19.9%です。
30代の女性たちはアッチにもコッチにも気を使っているのでしょうか?


職場で「意見」「発言」を世代や立場に関係なく、
言って良い/悪いは、まさに暗黙知。
企業の価値観と、それによって生まれているカルチャーによりますね。
協調性について、あるいは、
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」ことについて、
あなたはどう思いますか?

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井上ひさしさんの有名な言葉に、こんな言葉があります。

ーーーーー
「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
ーーーーー


90歳で亡くなった作家の半藤一利さんの遺稿に引用されていたことから、
私はこの言葉の存在を知りました。
難しいことをやさしく書く。
やさしいことを深く書く。
調べてみても、井上さんの言葉には動詞がないようですが、
半藤さんは「書く」と解釈したようです。


どの1行も重みがあって、考えさせられますが、
特に書き出しの1行目に惹きつけられます。


やさしく書くとはどういうことなのでしょう?


「易しい」「優しい」の辞書的な意味から考えると...
「易しい」=理解や習得がしやすい。単純でわかりやすい。平易である。
「優しい」=他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
文章の話だと思うと、「易しい」の意味の方だと思ってしまいますが、
読み手に対して思いやりのある文章という意味も含んでいるのかもしれません。


ここからは、私の主観になりますが、
第一に、やさしく書くということは、単に難しい言葉を使わないとか、
噛み砕いて書くということ以外に、
「核心を言い切って書く」ということがあるように思います。
私自身もよく陥るのですが、わかりやすく書こうとして、
たくさんのことを書いてしまい、
「これじゃ、何が言いたいんだかわからないな...」と思うこともしばしば。
ダラダラと書いているということは、
結局考えがまとまっていないことの表れなんですよねー


第二に大切なことは、やっぱり「優しい」の字の方ですね。
書くということは、自分の頭の中のことを赤の他人に知ってもらうということです。
そんなものは、相手にとっては「異物」でしかないわけだから、
「異物」に接している相手の気持ちや出てくる疑問をどれだけ想像できたかで、
文章の優しさのレベルが変わるんだろうと思います。


さて、「難しいことはやさしく」「井上ひさし」で検索していたら、
立教大学 経営学部の教授・中原淳先生のブログにたどり着きました。
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/12409
「NHK 100分 de 名著〜ブルデュー『ディスタンクシオン』 」を紹介する内容で、
以下、その本からの引用のようです。

ーーーーー
フランスの学術界で認められるためには、わざと「わからないように書くこと」が重要だ。

(フランスの哲学者の)ミシェル・フーコーは、
自分の文章の「10%」は「わからないように書いている」と述懐している。

一方、(フランスの社会学者の)ピエール・ブルデューは、
「10%」では不足であり、「20%」はわからないように書く
ーーーーー

ほー。わざと人にわからないように難解に書くことに価値があるとは、
理解に苦しみますね(笑)


でも、ふとこんなことを思い出しました。
たまに専門用語を躊躇なく使いながら話す人を見かけますが、
それと同じなのかもしれません。
でも、それこそ「優しさ」を感じませんね。
私自身も無意識にカタカナを使っていることがあるので、
偉そうなことは言えませんが、
ん? 知識をひけらかしたいのかな?と思ってしまうと、
ちょっと辟易するし、そういう人に限って、
この人、自分の話していることを自分で理解しているのかな?
と思うこともあります。
知識ベースでマウンティングしているだけというか、
ただのポジショントークだったりして。。。


本当に素敵な人は、重要なことをシンプルに、
わかりやすく話したり、書いたりしてくれる人ですよね。


そして、本当に重要なことは意外にシンプルなのだと思います。
でも、そのシンプルな本質をつかむのには深く考えて悩まなくてはたどり着けない。
だからこそ、シンプルな言葉には価値があるのかもしれませんね。
あら、またダラダラと書いちゃった...失礼!


花粉が気になる季節ですが、、、素敵な1週間でありますように!

あなたの会社では、社長や経営層からのメッセージは
どのように発信されていますか?
そのメッセージは、あなたの心にちゃんと届いていますか?


メッセージの話をする前に、まずはこんな話から。
11月6日にトヨタの中間決算が発表されました。
前年を下回るものの、コロナ禍でも5199億円の営業利益を確保したことは
周知の通りです。
豊田章男さんは私が尊敬する経営者の一人なので、
しばしばトヨタイムズをチェックしてしまいます。


この成果が出された裏で、豊田さんが最初に示したのは
「自動車が日本経済のけん引役になろう」ということだけだったそうです。
半年前、5月の決算説明会でも、多くの日系自動車メーカーが
コロナ禍で今期の見通しを発表しなかったのに対し、
トヨタだけが期末見通しを公表し、
「全世界販売800万台、今期の営業利益5000億円」としました。
結果的には半期で達成してしまったわけですが、
豊田さんは、5月の時点で敢えて数字を公表したことについて、
「トヨタの見通しが自動車産業に関わる方々にとって、
1つの道しるべになるのではないかと考えた」と理由を述べました。
業界のリーダーとしての自覚が伝わってきて、感動すらしました。


さて、社長就任以来、リーマン・ショックでの赤字転落、
大規模リコール問題、東日本大震災、タイでの洪水など、
数々の危機に見舞われながらも、窮地を乗り越えてきた豊田さん。
着実にトヨタを強くして来られたわけですが、
私はそのことと、豊田さんの言葉に強さがあることとは、
無関係ではないと思っています。


豊田さんのスピーチや話には特徴があります。


第1の特徴は、自分の言葉で本音で話していること、です。
たとえば、富士山麓に建設が計画されている「Woven City」の着工日ついて、
「広報からは特定の日は言うなと言われています」と言いながら、自分の思いは
「2月23日である。223は富士山と読めるから」と語ったのもその一例。
また、ロバと老夫婦の寓話を使い、何でも批判するマスコミの姿勢に異を唱えました。
損得で物を考えたら、多くの経営者はしないであろう発言です。
信念に基づいて、率直に話す。それが豊田さんの魅力かもしれません。


第2の特徴は、「意味」を伝えながら「意思」を伝えている、ということです。
比喩や例えが多いのもそのためではないでしょうか。
2014年5月には投資を控え、組織固めをする...という内容を伝えるために、
「意志ある踊り場」という言葉を使っています。
そう言われると、登れますが、登りません、と言っているように感じられ、
単なる守りではなく、むしろ攻めている姿勢に見えてきます。


翌年5月には「トヨタらしさを取り戻すというのは、過去に時間を使うこと」として、
「過去に時間を使うのは自分で終わりにしたい」と語りました。
ここでも意味を伝えています。


今月の中間決算でも、トヨタのひとり勝ちと言われることについて聞かれ、
「一人も勝たなかったら、この国はどうなるのか?」と意味を語り、
「トヨタは確実に強くなった。その強さを自分以外の誰かのために使いたい」
「私は暗い世の中はイヤなんです」として、
世の中の元気の源になるよう存在でありたいと、ご自分の意思を伝えています。


このような豊田さんのスピーチの特徴はどこから来るのでしょか。
もちろん、生まれ持ったセンスというのもあるかもしれません。
でも、それ以上に、信念と経営哲学からメッセージを出すことが
いかに重要か、身を以てご存知だからなのではないかと想像します。
アメリカで学ばれた影響もあるかもしれませんね。


アメリカで学ばれた...といえば、2019年5月、豊田さんは、
母校のバブソン・カレッジの卒業式でもスピーチをし、絶賛されました。
「ドーナツ」というものを巧みに例え話に使っているほか、
ユーモラスな内容で大ウケしていますので、もしお時間があったらオススメです。
https://youtu.be/xDtK6wr-d_Q


さて、メッセージを出す時のあなたの理想はどのようなものですか?
あなたは、経営者かもしれませんし、チームのリーダーかもしれません。
あるいは、社長のスピーチライティングを担当する広報担当者かもしれません。
本音で信念を持って意思を伝えることが1番だとして、2番、3番は何でしょう?
自分の意思を伝えようとしているけれど、自分の言葉ではない、が2番。
前例踏襲でこなしていて、自分の意思を伝えていない、が3番、でしょうか?
思わず我が身を振り返り、2番3番にならないようにしたいと思いました。


「わかり合う」ために不可欠な言葉。強い言葉を持つ人になりたいものですね。
11月も残すところわずかです。素敵な1週間をお過ごしください。

あなたは「自分にとって、〜とは?」と考えることはありますか?
私は、何かについて立ち止まって考えるとき、よくこう自問します。
今日この話を書こうと思ったのは、最近2つの出来事があったからです。


一つは、私が参加している俳句の会での出来事です。
昨年開催された高校の同期会をきっかけとして、
いくつかの大人の部活動が始まりました。
その一つが「一句会」なる俳句の会です。
師といえば、夏井いつき先生の本やYouTube、プレバト。
歳時記や植物検索アプリ片手に、ゆるいルールで作句しています。
毎月1回、投句、選句、句会があり、すべてネットで完結しています。


一昨日の土曜、一周年記念のzoom句会(兼飲み会)がありました。
司会当番だった私は、いつものコメント交換に加えて、
「自分にとって、俳句とは?」
を考えてきてもらうよう参加者にお願いしました。


するといろんな声が集まりました。俳句とは...
「記録して、記憶するためのもの」
「心地よいエクササイズ」
「心の写真」
「気持ちとシーンを重ねて切り取ったもの」
「感性に刺激を与えるもの(喜び)」
「遊び」
「日記」
「自分が感じたことを人と共有できるように表現したもの」etc.


同じ俳句に対して、人によってこんなに違うっておもしろいですよね。
それは、俳句へのその人の意味づけであり、
見方や価値観のようなものにもつながっています。


私自身は、割と気軽な気持ちで取り組んでいるので、
俳句とは「記録して、記憶するためのもの」と捉えていました。
「日記」と言った人に近い感覚です。
でも、人の俳句観を聞くうちに、
自分の俳句に対する見方「俳句とは?」を変えると、
作り方も変わり、出来上がる俳句も変わるだろうと思いました。


「自分にとって、〜とは?」という質問は、
結構パワフルだと思いませんか?
ものの見方をリセットでき、アウトプットを変えてしまうのですから。


もう一つの出来事は、先週木曜日のこと。
ある企業からの依頼で、インナーコミュニケーションをテーマとする
オンライン勉強会でレクチャーしました。


冒頭、私は自己紹介でこんなことを話しました。
考えを言葉で整理する役割
「コンセプトオーガナイザー」を自認していて、
「もやもやを放置しないこと」を大切にしています、と。
すると、勉強会の終盤の質疑応答の時間に、こんな質問がありました。


「もやもやをクリアにするために、どんな心がけが大切でしょう?」


私が答えたのは「〜とは?と考えて、言葉の定義を明確にすること」
「自分一人でするのではなく、周りの人と定義を考えること」でした。


どうでしょう?
実は、こういうことって、あまり行われていないと思いませんか?


たとえば、ある調査によれば、社内コミュニケーション活動の三大目的は、
•コミュニケーションの活性化
•経営理念やビジョンの浸透
•社内(グループ内)の一体感の醸成
...だそうです。


でも、、、、
「活性化とは?」
「浸透とは?」
「一体感とは?


言葉の定義次第で、何を達成しなくてはいけないのか、
ゴールも変わってきます。
なのに、「定義」が話し合われない。
これは日本語だからなんでしょうね。
みんな辞書的な意味はわかっているので、
わかっている「つもり」になってしまいます。
言葉の粒度が細かいと、コミュニケーション密度も高まるんですが。。。


8月になりました。
「自分にとって、〜とは?」という自問をし、あれこれとリセットしようかな?
どうぞ素敵な1週間をお送りください。

先週7日に政府が緊急事態宣言をしてから、今日が最初のブログになります。
今日は、社会に向けて出されている「新型コロナウイルス」に絡んだメッセージから、
「わかりやすさ」の共通点について考えたいと思います。


今、政治や業界のリーダー、スポーツ選手など、
いろいろな方がメッセージを出され、人々を励まし、道しるべを示しています。
特に、政界や業界のリーダーたちのメッセージは重要性を増し、
それがわかりやすいかどうかもポイントになってきていますよね。


私が共感した例を3つほど紹介します。


わかりやすさでダントツに光っているのは、小池百合子東京都知事です。
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/governor/governor/kishakaiken/2020/04/10.html
わかりやすさの直接的な理由は「言葉」にありますが、
それ以上に大きいのが、都民が求めていることを話してくれることではないでしょうか。


また、言葉の源にある「考え方」もわかりやすいです。
たとえば、国は、状況に応じて段階的に制限を拡大する方針だったようですが、
小池さんは「最初に早く大きく制限をかけて、徐々に緩和していくのが、
危機管理の要諦(キッパリ!)」と言って、
自分の意思とその理由を示していました。


「大義」を明確にするのも、小池さんの特長です。
考え方がわかりやすく、伝える言葉がわかりやすい。
まあ、政治家ですから当然と思うかもしれませんが、
話がわかりにく政治家も大勢いますよね。


小池さんは、若者に人気のユーチューバーHIKAKINとも対談するなど、
できることは何でもするという意気込みが行動に現れていて、
それ自体もメッセージとして機能させている印象です。


イギリスではジョンソン首相が感染し、入院中ですが、
今、小池さんが入院することになったら、本当にたいへん!
ご自身の身を守りながら、指揮を取っていただきたいと思います。


2つ目は、東京都医師会の尾崎治夫会長と、そのメッセージです。
4月5日には「もしも6週間みんなで頑張れたら」というメッセージを、
4月8日には「専門家を大事にしよう。」というメッセージを
facebookに出されています。
前者は東京都医師会のHPにも掲載されています。
https://www.tokyo.med.or.jp/17934
こちら↓はFBにログインしていないと見られません。
https://www.facebook.com/haruo.ozaki


抜粋になりますが、たとえば5日のメッセージでは、
こんなふうに語りかけています。
「皆さん想像してみて下さい。
新型コロナウイルス感染症に、もしも今この瞬間から、
東京で誰一人も新しく感染しなかったら、
2週間後には、ほとんど新しい患者さんは増えなくなり、
その2週間後には、ほとんどの患者さんが治っていて、
その2週間後には、街にウイルスを持った患者さんがいなくなります。」


これを読んで私が思ったのは、緊急事態宣言で示された1カ月ではなく、
6週間なのだということ。
ただ感染拡大防止のために1カ月自宅で、と言われるよりも、
ゴールへの道筋がイメージできました。


実は、私、恥ずかしながら、医師会の会長というのは、もっと保守的で
長いものに巻かれるような人物ではないかという先入観を持っていました。
ところが尾崎さん、まったく違います。
リーダーとして明確な意思を示しています。
ちなみに、写真は会長室で飼っているアイボが撮ったものだそうです。


また「専門家を大事にしよう。」では、
西村経済再生相と思しき人物を名指しせずに批判しています。
その主張がもっともだと思うのは私だけではないでしょう。
でも、批判することが目的なのではなく、
専門家の意見にもっと耳を傾けてほしいというメッセージを
伝えたいのだということがよくわかります。
そして、そのメッセージを届けたい相手はおそらく安倍さんです(笑


3つ目は、自動車工業4団体によるメッセージ。
話されたのは自工会の豊田章男会長でした。
https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/32286491.html


冒頭で、こんな語りがあります。
「世の中にはコントロールできる話とコントロールできない話がある。
コントロールできないことに深刻になればネガティブになる。
自分がコントロールできることをしっかりやっていこう。
コントロールできないことを誰かがやってくれていたら感謝しよう」。
ニュースなどから不安な情報にどっぷり浸かっている私たちにとって、
自分がすべきことが何なのか、わかりやすくイメージできますよね。
安心感を与えてくれる始まりの言葉でした。


会見では、決定事項のみを発表するのが慣例だそうですが、
中盤では、これから考えていくことも紹介したり、
国内でのモノづくりにこだわってきて本当に良かったという思いを述べたり、
「我々の産業には、生き残るための粘り強いDNAがあるはずです。
なんとしても踏ん張って、生き残っていきましょう!」と
業界関係者を勇気付ける言葉もありました。
18分におよぶスピーチは内容が盛りだくさんでしたが、
4団体の意思と熱い思いの伝わる、素晴らしいメッセージだと思います。


3者に共通するのは、次の2点。意外にシンプルです。
1)聞く人・読む人の今の思いや疑問に添っていること。
2)「大義」を伝え、「意思」を伝え、「思い」も織り込んでいるということ。
それによって、相手の頭と心の両方にメッセージを届けることができ、
結果として共感を生み出しているのではないでしょうか。


さて、「わかりやすさ重視」という観点で、官邸広報にも変化があることを
ジャーナリスト江川紹子さんの執筆記事を読んで知りました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20200408-00172156/


7日に発表された緊急経済対策の会見で、質問に立った江川さんに対し、
翌日の8日に菅官房長官から電話があり、追加説明があったそうです。
「昨日の記者会見で、よくご理解いただけてなかったようなので」と。
発表の晩のラジオ番組で「よくわからなかった」と発言したことが
漏れ伝わったのではないかと江川さんは推測していますが、
これは相当に珍しいことのようです。
そのほかの変化についても紹介されているので、
ご興味があったら読んでみてください。


ニュースや会見、SNSでのコメントを
「わかりやすさ」という視点からチェックしてみると、
いろいろ学びがありますし、気も紛れます。
ありゃ、とても長文になってしまった!!! 
今回のブログ、長いだけでわかりにくかったら、ごめんなさ〜い。

不自由な毎日ですが、くじけずに一緒にがんばりましょう!

200210_fukan.jpg今日のテーマは鳥の目「俯瞰力」です。


年が明け、あっという間に1カ月半が過ぎようとしています。
実は、正月休みは「AI」をテーマにインプットしていました。
その結果、感じたのは、当社の仕事にもAIが関わってくるであろう、
ということでした。
たとえば、私たちの仕事では「文章を書く」ことが多々あります。
文章生成ツールはもう存在していますし、
ある法則で文章をまとめるなどはAIの得意とするところです。


AIの影響を良くも悪くも受けるのは、10年後ぐらいかなと思っていましたが、
5年後ぐらいに迫っている、そういう感覚を抱きました。
人がAIと違う存在感を発揮するには、
どんな力があるといいのか、考える良い機会になりました。
あなたは、ご自分の仕事とAIの関係、どう見ていますか?


ここから先は素人の私の考えです。真に受けないでくださいね。

ネットで検索するとわかりますが、現時点でAIがあまり得意でないことのひとつに、
「意味の解釈」というのがあります。
「言葉の解釈」「事実の解釈」「態度の解釈」などなど。。。


AIと違って、人は、同じ出来事に対して様々な解釈をします。
たとえば、お客様とのミーティングに当社から2名で参加していたとして、
終わった時の解釈が異なっているということが時々起こります。
だからこそ、2名で参加することに意味があるわけです。


銘々のメンバーがそこで話された内容について、
辞書的意味はわかっていますが、
そこでの言葉に託された言外の意味について、
各自各様の解釈をしていることは少なくありません。


たとえば「チームワーク」という言葉があります。
「チームワークを大切に」と言われたら、
何を意味していると思いますか?
チームの「和」? 「結束力」?
「協力」?「責任遂行」でしょうか?


私たちはこんなふうに曖昧な解釈に基づいて、
コミュニケーションを取っています。
曖昧な解釈でも問題が起きない場合もあれば、
とても重要な点で解釈を間違えていたために、
大きな問題になる場合もあります。


では、そもそも解釈とは何をすることでしょう?
私なりの言葉で表現してみました。


まず、誰かの言葉や態度を解釈するのであれば、
発した人の意図や背景、真意を汲み取ること。
事実や出来事を解釈するのであれば、
その周辺の情報や状況、関係者の思いなど様々なことを踏まえて、
その事実に対し意味づけをすること。
...なのかな?


さて、、、
誰かの言葉や態度を解釈する場合、
そこには正解/不正解があります。
正解を知っているのは、言葉を発したその相手ですよね。


一方、事実や出来事を解釈する場合は、
正解/不正解はなく、
利の多い解釈か、利の少ない解釈かがあります。
たとえば、有意義な気づきや学びのある解釈、
その出来事を巡る関係者の気持ちに近づけた解釈、
自分や関係者の気持ちがポジティブになれる解釈などは、
利のある解釈だと言えるかもしれません。


このように、正解はあったり、なかったりしますが、
どう解釈するかによって、その解釈の効力には違いがあるのではないでしょうか。
幅広い解釈の中から、効力の高い解釈を選択するために不可欠なのが、
1行目に書いた「俯瞰力」ではないかと思います。


「俯瞰して見る力」


要するに、物を見る視点をたくさん持っていて、
いろいろなアングルから全体を見渡して考える力です。
「〜という視点からこれを見ると、〜と解釈できる」を
なるべくたくさん考えられる人が、俯瞰力がある人なのだと思います。


だとしたら、ある事に対して、自分が1つの見方をしたときに、
他の見方はないかなと疑ってみることが大切なのかもしれませんね。
あなたは、ご自分の仕事とAIの関係、どう見ていますか?


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

NHKでは、今、複数の番組で
「発達障害」を取り上げるプロジェクトが行われています。
「発達障害」への理解を広め、
偏見をなくそうという取り組みのようです。
社会に対し、問題提起しようとするNHKの試みは拍手に値しますね。


一方で、私は、ちょっとした違和感のようなものも感じます。
それは、NHKに対してというよりも、社会の動きに対してでしょうか。
そのザラつき感、どんなことなのか、胸に手を当てて考えてみました。


思ったのは、こういうことです。
「発達障害」という概念で人を一括りにすることに対して、
私は微妙に抵抗感を抱きます。


それに加えて、「障害」という言葉のイメージからか、
「病気」だと受け止めがちですが、
厚生省のホームページには、こう書かれています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー
生まれつきの特性で、「病気」とは異なります。
発達障害はいくつかのタイプに分類されており、
自閉症、アスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)、
学習障害、チック障害、吃音(症)などが含まれます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー


とはいえ、ネットで検索すると、
「病気」だとする専門家もいれば、
「特性」だとする専門家もいます。


どっちだったとしても、
言葉の選び方がイマイチな気がするんですけど...。


ところで、NHKの番組の中で、
「発達障害だとわかってむしろ安心した」という親御さんの声や、
「自分が人に馴染めない理由がそこにあると知って、
もっと早く知っていたなら、気持ちが楽だった」との声を聞きました。


彼らは、人と違うがために、
「努力が足りない」「なぜできないのか」と
人からも責められ、結果自分のことも責めてしまうようです。
そんな状況を知ると、
「発達障害」と名付けることも必要かもしれない
と思えてくるのですが...。


でも、、、
誰でも多かれ少なかれ「人と違う変わったところ」がある。
それが人間だと思います。


私自身は発達障害だと言われたことはありませんが、
他の人から見ると、結構「変わったところ」があると自覚しています。


具体的には、、、
集中するがあまり、他の人は気づけることに、
私だけ気づかないとか、
目から入る情報に弱いのか、
なかなか人の顔が覚えられないとか。
「小野さんほどデコボコの激しい人はいない」
と部下からも言われて来ました(笑)
それでも、生きるのに困るほどではない。


一方で、世の中には、自分の特徴によって
生きるのが苦しいと感じている人たちがいるんですよね。
人との「違い」を社会が
ポジティブに認められるようにするには、
「発達障害」という呼称を変えてはどうかと思います。


たとえば、「ユニーク(unique)」という言葉を生かして、
「UC(unique capability)」「UB(unique brain)」
「US(unique sense)」なんてどうでしょう?
イマイチかしら?
あなたは言葉の問題、どう思いますか?


今週も素敵な1週間でありますように!


PS:
こんな情報をお寄せいただきました。
「脳の個性を才能にかえる 子供の発達障害との向き合い方」(NHK出版、トーマス・アームストロング著、中尾ゆかり訳)は私が発した内容と合致するように感じたので、参考までに紹介したい、と。ありがとうございます! 参考情報として、紹介します(まだ読んでいませんが)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4140816082/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_ZZcZDbV7W8E1M

ラグビーワールドカップ 、
日本は敗れてしまいましたが、
日本を破った南アフリカが決勝に
進出しましたね。
決勝戦も目が離せません。


さて、ラグビーW杯で日本が
快進撃をしたのはとても
うれしかったのですが、
選手たちが発した言葉の中に、
ちょっとだけしっくりこない
言葉がありました。


「すべてを犠牲にしてきた」
という言葉です。


私は、言葉に過敏すぎるきらいがあるので、
今日の内容は賛同できない!と
叱られるかもしれません。


もちろん選手の皆さんが、そこまで
言葉を吟味していないのは承知の上。
決して批判するつもりがないことを
ご理解いただいた上で
今日は「犠牲」という言葉について
考えたいと思います。


実は「犠牲にした」という表現は
スポーツ選手が成果を出した際の
インタビューでよく出てきます。


その意味は、家族との時間がない、
自分の時間もない、
勝利のため、
ファンの期待に応えるためだけに、
時間を過ごしてきた...
という意味だと思います。


その努力は疑いようもないこと。
でも、、、犠牲という言葉の意味は:


「ある目的のために損失となることを
いとわず、大切なものをささげること」
「自分を顧みず他者を優先させること」


私が、スポーツ選手の発言で
この言葉に違和感を覚えるのは、
自分を殺しての結果だと言っている
感じがするからです。


忍耐し乗り越えたのは本当だとして、
損失だと思いながら努力するって?
自分のためにならないのに
忍耐するって?
...と。


自分のために、
自分が意志を持って選択したなら、
犠牲にしたという言葉を使う必要は
あるでしょうか。


あ、いえ、 選手たちはそこまで言葉を吟味して
話していないですよね。
でも、その言葉をもし変えたら
どうなるだろう?と思ったりします。
同じ忍耐でも、少しは
辛さが減るのではないかな、と。


大阪なおみ選手が、今年の初めに
コーチとの契約を解消した際に、
こういう発言をしています。


「サーシャには感謝しているが、
幸せを犠牲にしてまで
成功を収めたくないんです」


私はその通りだと思います。
人は自分の幸せのために、
何かを犠牲にする必要はない、と。


忍耐を選ぶのであれば、
それは自ら選択しただけ。
選択したと思ったら、
犠牲にしたとは思いません。


為末大さんがtwitterで
こんな発言をしています。


「会社から給与をもらっているのは
犠牲を払っているからだ
と思っている人は案外と多い。
(中略)
犠牲で対価をもらうという
考えの根底には、辛さや苦しさと
成果は比例するという思い込みがある。
でも、価値を生む事は
実は辛さとは関係がない」


私たちの人生観は
使う言葉に現れます。
またどんな言葉を使うかで、
私たちの人生も変わります。
あなたは「犠牲」という言葉を
どう受け止めますか?


今回のラグビーW杯で決勝に進んだ
南アフリカ。
ネルソン・マンデラ大統領と
ラグビーW杯での南アの優勝を描いた
映画「インビクタス」では、
決して自分は「犠牲者」にはならない、
自分の人生は自分が握っている...
そんなマンデラ氏の生き様が描かれ、
とても感動したのを覚えています。


まもなく11月突入です。
今週も素敵な1週間を!

なんと3ヶ月ぶりぐらいに休みらしい週末でした。
友だちが遊びにきたり、ドラマや映画を観てダラダラと家で過ごしました笑


観た映画は2018年公開の
『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』です。
簡単にあらすじを紹介しますと(つまり、ネタバレ気味で書きますよ)、
ヒットラー率いるドイツがヨーロッパ各国に侵攻していた時代、
政権交代したばかりのチャーチルに刻一刻とたくさんの重い決断が迫られます。


ヒットラーとの和平交渉に臨むべきだという意見と、
取引はしない、断固戦うべきだという意見が対立する中、
チャーチルは断じてイギリスは屈してはならないと主張しますが、
意見は平行線のまま対立状況が続きます。
不利な形勢の中で戦いを続けても無駄な命が失われるだけだという主張は
一見すると理にかなっている感じがしますが、
和平交渉は事実上の屈服である、
自分たちの尊厳を守らなければならないという意見もあるわけで。


私も映画を観ながら、いや、やっぱり生きてこそなんぼでしょ、という心の声と、
やっぱり屈してはダメでしょ、という心の声が戦いながら観てしまいました。
どっちもイヤだけど、人権って大事ですからね、
血を流しあうことはイヤだけど、なにしろ相手はヒットラー。
うーん、究極の問いですなー


さて、でも1番の感想はそこではありませんでした。


歴史に名を残したチャーチル、「言葉の力で世界を救った」「言葉の魔術師」
「信念&伝える力のある人物」と表されているんですね。
言葉の会社を経営している私としては、興味を持たずにはいられません。


チャーチルは、連立内閣には反対派が大勢いるにも関わらず、
「イギリスはナチスに屈しない」という演説によって
イギリス議会、イギリス国民の気持ちを一つにします。
ヒットラーに首を垂れ、懇願する...それはありえないだろ!ということを
わかりやすく、心を動かす言葉で主張し、
結果的に他国のようにヒトラーによる侵攻されることなく、イギリスを守りました。


失われたたくさんの命もありますし、
実際にどう判断することが正しかったのかは誰にもわかりませんが、
チャーチルは今でもイギリスで歴史的な英雄であるようです。
国内での形勢が悪かったにも関わらず、言葉の力で大逆転したすごい例ですね。


私が、言葉のスゴさを痛感した日本の政治家といえば、
やっぱり小泉さんでしょうか。郵政解散演説。
あれも形勢逆転劇。スゴかったですね。


ほかにも、人心をつかんだスピーチ例って多々あります。
キング牧師、オバマ大統領、
ゴールデングローブ賞でスピーチしたオプラ・ウィンフリー、
小室淑恵さんの長時間労働をやめるためのTEDでのスピーチなどなど。
例を挙げればきりがないほど、国内外に素晴らしいスピーチがありますね。


さて、、、、
私はもちろん言葉の力を信じている人間です。


でも、、、、
「何を」発言したかも重要ではありますが、
「誰が」発言したかも重要な時代だと、とそんな気がします。
あ、いや、チャーチルがある意味では嫌われ者だったことも承知しています。
でも、人物としてはきっと何かを持っていたのでしょうね。


どんなにいいことを言っても、信頼の基盤がないと共感されませんよね。
信頼の基盤というのは、その発言者のブレない生き方だったり、
その発言者のブレたならブレたなりのそこから逃げない姿勢だったり、
チャーチルは多分逃げない人だったんではないかな。
そんなふうに思います。


そもそも自分を出さない人は、信頼したくてもできませんから。
(信頼しないわけではなくても、信頼できようがない)
だから、「会社では自分を出さない方がいい」なんて思っていると、
とんでもないしっぺ返しが返ってきたりします。
私は、自分を出すのはリスクだという考え方、違うんじゃないかなーと思います。
だって、自分を出さないと、本当のところでは信頼されませんからね。


もうすぐ桜が咲きますね!
今週も素敵な1週間を〜

今日は、冒頭からちょっと脇道にそれて、お知らせを。
私事ですが、10月11日(木)から17日(水)の7日間、
表参道のギャラリーConcept21で「Denim Age~自由であるということ」
という個展を開きます。
「デニムエイジ 自由であること」で検索してみてください。
ほぼ在廊していますので、お時間が許せば、お気軽にお立ち寄りください。
私は、仕事でやりたいことと個人的にやりたいことが心の中で繋がっていて、
幸せだな、と思います。
どこかで、もう少し詳しく話させてくださいね。


さて、、、今日もそんなことと無関係ではありません。
最近の当社社内の重要な話題、それは、理念やありたい姿についてです。
18日の今日もそんなミーティングを行う予定です。

そんな中、行動面での「謙遜」についても話題になっているので、
今日は、「謙遜」について、真正面から考えてみたいと思います。
というのも、当社の価値観には、不必要にへりくだったり、
不必要に自分で自分を下げることを「非」とする考え方があります。
社内も社外も上も下もなく、対等な関係であることを「是」としているからです。


謙虚、謙遜、卑下。
これらは、本来違うのに、意外にごっちゃになって捉えられている気がします。
特に日本社会では、謙虚謙遜は美徳とされています。
でも、この二つは本質的に違うことです。
いったい、どう違うのでしょうか?

ゆっくり考えてみましょう。
今、謙虚を辞書で調べると、
「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること」です。
つまり、基本的には学ぶ姿勢や他者との関わり方に関する姿勢を表しています。

一方の謙遜の辞書的な意味は
「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと」です。
「へりくだる」というのは
「他人を敬って自分については控えめな態度をとること」です。
これだけを聞いたら、一概に悪いこととは言えません。
でも、言葉の意味からわかることは、
この言葉は「振る舞い」を示しているということです。

つまり、謙虚=姿勢、謙遜=振る舞い、なので、
謙虚な気持ちがない人が謙遜して振る舞うと、
あるいは単なるお約束として、その振る舞いをすると、
それは単なるポーズにしか映りません。
人の嗅覚は鋭く、それはいとも簡単に見抜かれます。

謙遜表現の中でも、私があまり好感を持たない例を挙げると、
まず身内を悪くいう「愚妻」「愚息」。
褒められた時に返す「いえいえ、私なんて...」。
自分を下げて相手を持ち上げる「私には到底思いつきませんが、さすがですね」。
露悪的にエクスキューズして「自分はおばちゃんだから/太っているから~」。

これらは決して「謙虚」さの表れではありません。
これらは「卑下」、一歩譲ったとして「謙遜」です。
「卑下」とは、「自分を人より劣った者として扱うこと。
へりくだること。謙遜すること」です。

「卑下」は字面も美しくありませんが、
字面から浮かぶ行為も美しくない、と思いませんか。
だって、自分を卑しめ、自ら自分の評価を下げようとするのですから。


謙遜と卑下は、本来的には違うことですが、「振る舞い」であることは同じです。
そして、この振る舞いをされた時に、私たちが感じるのは、、、、

実は「負担」。

「ご謙遜、ご謙遜」というセリフがあります。
あれは、謙遜されたら言い返すお約束のセリフでもあります。
これ、はっきり言って、面倒な慣習ではないでしょうか。
だって、「何をおっしゃいます、そんなことはありません」と
否定しなくてはならない。
内心はポーズとして言っているのだと分かっているのに、
わざわざケアする(これまたポーズで)。
よーく考えてみたときに、これ、本当にお互いやりたいことなのでしょうか。


あー 私、エラそうに書いていますね。でも、私もかつて痛い経験があります。
40歳頃だったでしょうか。
同級生と飲んでいました。で、私がこんな発言をしたのです。
「ごめん、もうおばちゃんだから...」とか
「おばちゃん、もうついていけない...」とか
文脈も言い回しも忘れてしまいましたが、
キーワードが「おばちゃん」だったことだけは今でも覚えています。
それほど深い意味もなく、
多分、ちょっと自虐的に軽く言っただけのつもりでした。
そしたら、その同級生は素晴らしいことを私に教えてくれました。

「実際に、もうおばちゃんなんだから、
こっちが気を遣ってカバーしなくてはならないようなことを
言わないでくれる?」と。

おばちゃんとおじちゃんが飲んでいるのに、
おばちゃんじゃないよと言わせるな、と。
これは、私にとって人生で重要な教えの一つでした。


サッカー、野球、テニスなど、
一流のスポーツ選手は決して謙遜しませんよね。
でも、謙虚です。
謙虚ではあるけれど、謙遜はしない。
その方が単純に美しい。そういう生き方をしたいものですね。

今週も素敵な1週間でありますように。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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