ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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『コミュニケーション』カテゴリの記事

 

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うちの会社では、毎週木曜日に持ち回りで勉強会を行っています。
発表者が好きなテーマで30分程度説明し、意見交換するというような流れです。
毎回、終了まで40~50分程度でしょうか。
たとえば、私が扱ってきたテーマの例を挙げてみますね。

・論点コンシャスになろう
・「Fast Worker」になるための秘訣
・今日は心理学、です!
・自分主導の説明と意思表示
・カテゴライズのすすめ
・自分ブランディング

そのほかこれまで、NISA、防災、リーダーシップ、図解、知的財産、デザイン、
オープン社内報など、飽きることのないテーマで開催されてきました。


さて、昨日は、たまたま私の番で、今回は題して「意味付けの話」をしました。
ここでの「意味付け」とはアドラーがいうような心理学的な概念を含むもので、
いろいろな事柄に対して、意義や価値、理由や教訓などの形で、
人が自分なりにしている「解釈」のことです。

たとえば、人が最も頻繁に行なっている意味付けは、
他人を評価判断することではないでしょうか。

あの人は、~だ。
あの人には、~なところがある。
あの人は、いつも~する。

自分の解釈で人を決めつけると、その人物像が頭の中で膨れ上がっていきます。
人と人は、お互いに相手の人柄や性格、能力や行動様式などについて解釈し、
その解釈があたかも本当の姿であるかのように決めつけをし合っています。
しかも、その評価判断はポジティブなことばかりではなく、
むしろネガティブなことの方が記憶に刷り込まれやすいと言えるかもしれません。


ネガティブな評価判断をしてしまう顕著な例は、苦手な人についてのものです。
誰にでも苦手な人の一人や二人はいるもの。
私はどちらかといえば、人の好き嫌いは激しくない方だと思いますが、それでもやはり苦手な人はいます。
たとえば、自分の話ばかり機関銃のような速さでする人、
しかも、声が大きく、感情の起伏が激しい相手は、ちょっと苦手です。
そのような人と話していると、30分を超えたあたりから、
気が遠のくような感じになって、まったく集中できなくなります。

実際に、一回り近く年上の方で、そのような人がいました。
前記の「自分の話ばかり機関銃のような速さでする」は意味付けというより
事実と言っても良いと思いますが、
私はその人を「幼稚な人」「子どもっぽく、わがままな人」と捉えていたので、
こちらは明らかに私の解釈です。


前置きが長くなりましたが、実はここからが今日の本題です。
この人との間で、あるとき不思議なことが起きました。
人が人に抱く気持ちに「好意、好感」というポジティブな感情、
「反感、悪意、敵意」などのネガティブな感情、
さらに「普通、どちらとも言えない」という感情があるとすると、
この人の私に対する気持ちに「好意」を感じる出来事があったのです。


そうしたら、何とあれだけ苦手意識があったその人に対し、
この人の良いところを見つけようという気持ちが湧いてきました。
おそらく、「子どもっぽく、わがままな人」という意味付けをしていた頃は、
心の中で被害に遭いたくないという深層心理が働いていたのですが
「好意」を感じ取ったことで、(敵対する相手ではないのだから)
寛大に捉えても大丈夫だと無意識ながらに思ったのだと思います。

ロバート・チャルディーニの著書「影響力の武器」の中で、
「好意の返報性」について書かれていますが、まさにそれだったのでしょう。


職場での悩みとして、各種調査でしばしば「人間関係」が上がっています。
「あの人は~だ」は必ずしも事実ではなく、解釈であるかもしれないと思えば、
見え方が変わるような気もします。
さらに必ず関係が変わるとは言えないまでも、「好意」を表現することで
関係が変わる場合もあることは、試してみる価値があるかもしれません。


桜の便りが楽しみになってきました。
どうぞ良い週末をお過ごしください。

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当社では、去年頃から、「リーダーシップ」「イニシアチブ」「主体性」等の言葉が
キーワードになっていて、
年初も、私は「一人一人が自分をリードする自分のリーダーであろう」
という話をしました。

リーダーシップというと集団をまとめて先導するとか、
統率するというイメージが強いですが、
その基本は、明確に「意思表示」することだと思います。
・自分はどうしたいのか
・自分は相手にどうしてほしいのか
・自分はどっちに向かって、どう進めようとしているのか

人を率いてまとめていくとなるとハードルは高いですが、
まず自分の意思を示すということであれば、自己完結できますよね。
でも、この意思表示ができなければ、
集団をまとめて先導することなど絶対ムリです。
だから、リーダーシップの最初の一歩は「意思表示」だと思うのです。


でも、どちらかというと率直に意思表示する日本人は多くないように見えます。
(もちろん、十把一絡げで断定することはしませんが)。
仮に日本人のコミュニケーションの特徴として、
意思表示を明確にしない傾向があるなら、その理由は何かと考えてみたのですが、
おそらく「相手の気持ちを察する」気遣いを「是」とする価値観があるからではないでしょうか。

でも、「察する」は、ある状況では美徳ですが、
仕事で推進担当者が周りに対して「察してほしい」というオーラを出すのは、
私はナシだと思います。


「意思表示」という行動を支えるのは、「主体性」です。
主体性とは、自分で考えて、自分の責任で決め、発言・行動すること。
その対極にあるのは、指示待ち、受け身、思考停止など。
さらに、空気を読む、依存する、同調する、流される...なども入りそうですね。


さて、「主体性が大事」などということは、
最早ビジネスパーソンなら耳タコではないでしょうか?
でも、なぜ主体性が大事なのか?と部下や後輩から聞かれたら、
何と答えますか?


私はこう答えます。
「私がラクできるから」です(笑)
指示しないとできない人より、指示しなくても進めてくれる人の方が、
上司の私としては断然ラクです。
でも、上司をラクにさせるために、主体的であれ...と聞いたら、
「なんで、そんなことのために...?」と思いますよね。


だけど、「周りの人、みんなをラクにさせる」と聞いたら、どうですか?
そんな人は、すごーく価値の高い人だと思いますよね?
図式的にはこうなります。

ーーー

主体的に動く人は、周りの人、みんなをラクにさせる
 ↓
周りが喜ぶだけでなく、知的労働比率が上がって、結果生産性も上がる?
 ↓
そこで生じた心理的余裕が、広い視野での思考を生む
 ↓
それが全社に広がると、会社の生産性も創造性も上がる
 ↓
生産性も創造性も上がれば、革新的なことも起きやすい
 ↓
実際に、イノベーションが起きる

ーーー

ちなみに「はたらくの語源は"傍を楽にする"」説、
うーん、あれはもっともらしいけど、疑わしいですね。
今回の話はそれとは関係ありません。

さて、今回は主体性と人に喜ばれる存在であることの関係について書きましたが、
第三者の存在がなかったとしても、自分の意思で行動する方が、
やらされて行動するより、楽しいに決まっています。
と、考えると、なぜ主体性が大事なのか?という問いへのもう1つの重要な答えは、
「自分の幸福のため」になるのかもしれません。


自分はどうしたいのか。
自分は相手にどうしてほしいのか。
まずは、そんな意思表示から取り組みたいものです。
(社長といえども、これは案外難しいです)

今月もわずか1週間ほど。
急に寒さが増しましたが、皆様、体調を崩されませんように!

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台風5号、6号の影響を受けている皆様には
心からお見舞いを申し上げます。
私は、台風5号が去り、6号が来る直前に、
休暇で訪れていた石垣島から帰ってきました。
4日間の滞在のうち前半2日は雨、後半2日は晴れで、
最初はアンラッキーだと思っていましたが、今にして思えば幸運でした。
7号も日本に接近しています。
被害が出ないことを祈るばかりです。

さて、石垣島を訪れた理由は、一緒に行った友人のお嬢さんが現地で暮らし、
この春、独立してショットバーを開いたことにありました。
年齢29歳で一国一城の主です。
会計のことや法律的なことを独学で勉強しながら開業したのは、
とても立派だと思います。
こういう若者がいるなら、日本もまだ大丈夫...という気持ちになりました。

この件を通じて、1つだけ考えさせられたことがあります。
彼女は30歳になるまでに、自分の店を持ちたいと思ったそうなのですが、
その理由は雇用される立場だと、
自分の考えた通りにできないからだと話してくれました。

彼女の場合は、行動的ですから、
実際に動いてみて感じたことなのだろうと思いますが、
今回はこの話を糸口に、一般的に言われる「組織にいると
自分の考えた通りにできない」について考えてみました。
私が思ったのは、確かにそのようなケースは多いのだろうな...ということ。
と同時に、人がそう思ってしまうのは先入観の場合もあるのではないか、
ということでした。


実際組織にいるとよくあることなのだろうと思います。
わかりやすいところで言えば、上下関係の影響。
年齢や社歴、経験などによって、若い人の意見が尊重されにくい風潮は、
日本社会ではいまだに根強いのかもしれません。
また「和をもって貴しとなす」が歪んで伝わったのか、
意見を言うことは和を乱すことだと思っている人もいるような気がしますから、
そういう人が上司にいれば、自分の考えを通しにくいと感じる部下がいても、
不思議ではありません。

一方で、先入観で動きにくくなっている人は案外多い気もします。
仮に新しいことに関わるのが嫌いな上司がいたとして、
自分が考えたことが本当に必要なことなら簡単に諦めるのは早計です。
もちろん自分が考えたことが100%実現できるとは限りませんが、
それは上下関係でなくても同じではないでしょうか。
何かを実現させる場合、他の人の賛同なくして実現できないわけですから、
上司という一人の人間の賛同を得ることは特別なことではないと思います。

思ったこと、考えたことができないと感じる人が多い状況は、
言い換えると、人のエネルギーが活かせていない状況でもあります。
そう思うともったいないですよね。


話は飛ぶようですが、
読みたいと思っている本の1つに伊賀泰代さん著「採用基準」があります。
伊賀さんは、マッキンゼーで採用マネジャーをされていた方。
採用で、最も重視すべきことはリーダーシップを発揮できるかどうかであり
あらゆる人にリーダーシップが必要だという自論をお持ちのようです。
かつてリーダーというと、統率する人、牽引する人というイメージがありましたが、
最近のリーダー論は全般的にそうではなくなっているようですね。
伊賀さんの対談をハーバードビジネスレビューで読みました。
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/1410


これを読んでも、リーダーシップとはこれこれです!と言い切るのは難しいですが、
私なりの意訳をするなら、
その本質は「意思表明」と「責任感」ではないか、と思います。
意思がなければ主導的役割は果たせないですし、
リスクを取る責任感がないと意思も示せないと思うからです。
だからこそ伊賀さんは、一部の限られた人だけでなく、
あらゆる人にリーダーシップは必要だと説いているのだと思います


さて、自分の考えで進めたい時の意思表明、意思表示について、
魔法の言葉を紹介します。それは...

「私にやらせてください」です。

~の役割を私にやらせてくださいとか、
~した方が良いと思うので、それを私にやらせてくださいとか。
何をするかを決めても、誰がするかが決まらないと物事は前に進みません。
このセリフをうちのスタッフから言われたら、私なら原則やらせます。
でも、承認を得るって面倒くさいものかしら?

来週はお盆休みの方も多いことでしょう。
暑い日が続いていますが、熱中症に気をつけて
健やかにお過ごしください。

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4月のブログでも「教える」を取り上げました。
(記事はこちら)
最近の私のチャレンジテーマは、十人十色の教え方ができるようになることなので、
「教えること」や「人の成長」について考える機会が多いです。
今回も「教える」側の視点から、あれこれと考えてみたいと思います。
というのは、スキルや知識を教えることだけが教えることではないと
考えているからです。

さて、まずは最近の注目ワード「リスキリング」の話題から。
2020年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で
「2030年までに地球人口のうち10億人をリスキリングする」と発表され、
経団連の「新成長戦略」の中でもリスキリングの必要性に触れられています。

「リスキリング」は「Re-skilling」。
一般的には、AIやDXが普及した社会に対応できる人材を生み出すために、
企業や自治体が従業員に新しい知識やスキル(どちらかといえばデジタル系)を
身につけさせ、労働移動につなげるための取り組み...ということだと思います。

先日、国会議員の片山さつきさんが、「Webサイトからの申請方法などについて
尋ねても答えられない自治体職員がいる」と話していましたが、
急速に社会のデジタル化を進める必要がある一方、
働く層が高齢化する日本では、リスキリングが話題になるのは必然かもしれません。
(本来、リスキリングの対象は年齢に無関係だそうですが)

もちろん、それが重要であることに異論はありませんが、
社会の潮流からデジタルスキルについて従業員教育を行うだけでは
大した成果は上げられないのではないかという気がして、
リスキリングという言葉にはひっかかりを感じます。
スキルだけでいいのか?と。


たとえば当社では、採用活動を行う場合、
年齢や経験に応じて知識やスキルはあるに越したことはないと考えますが、
意識や思考の方をより重く考えています。
なぜなら、意識が高いと自己開発力が高くなり、知識やスキルは自然と付いてくると思っているからです。
(あ、採用活動、やっています! 自薦他薦とも歓迎します!)
でも、ここでの「意識が高い」というのは、いわゆる「意識高い系」とは違います。


以下、ちょっとした知識のお裾分け...。
人の成長には、知識やスキルが広がっていく「水平的成長」と
意識のレベルが高まっていく「垂直的成長」があります。
成人発達理論を牽引するハーバード大学のローバート・キーガン教授の理論です。

大人が成長するには、意識の成長が不可欠で、それは言い換えると、
解像度の高いレンズで物事を見られるようになることだと言います
モノゴトの認識の仕方や捉え方、解釈の仕方を柔軟に変化させ、
多様な視点を受け入れられるようになっていくことだと言います。
そのためには自分の信念を含めて固定観念に捉われていないかを問い直す
謙虚な自己客観視が必要だとされていますが、それを一人でやるのは簡単ではありません。
だから上司にはコーチング的な方法で部下を支援することが求められるわけです。


同じような話は、濱田秀彦さんの著書
「仕事を教えることになったら読む本」でも紹介されていました。
この本によれば、「教える」というのは、
「設定したゴールに相手を運ぶために、知識、技術を付与し、意識を高めること」と定義されています。

言われてみれば、いえ、言われなくてもかな? その通りですよね。
私なりに噛み砕いてみました。
(A)知識を教える:それまで知らなかったことを理解している状態にすること。必要な教え方はティーチング。
(B)技術を教える:うまく運ぶためのノウハウや振る舞い方を教え、相手が実践できるようにすること。必要な教え方はトレーニング。
(C)意識を教える:何に対し意識を向けるか、どのような心構えでいるとうまくいくか、意識を働かせられるようにすること。必要な教え方はコーチング。
...てな感じでしょうか。

このように知識やスキルを伸ばすだけでは真の成長はできないと考えている専門家たちがいて、私はそれに共感しています。


ところが、この「意識の成長」を支援するのが上司にとってはとても難しい。
しかも、意識の有りようは知識や技術の習得にも関わってきます。
例えば「苦手だ」という意識があったら、知識や技術はなかなか入ってきません。
「身につけねば」とか「失敗したくない」という意識がある場合も同様です。
私も、支援する側にいながら、自分が学んでいるような感じです。

また成人発達理論の「意識の成長レベル」の1つに、
他者の立場に立てるかどうかという尺度があるのですが、
部下に対し、他者の立場に立てるように指導しているつもりが、時として
「指導しているお前こそ、教わる相手の立場に立つ意識が持てているのか?」
という内なる声が聞こえてきたりして。。。涙

実際、教える側の器以上のことを人に教えることはできませんからね、
私が十人十色の教え方ができるようになることを目指すなら、
自分の器を広げることが先決なのだろうなと思う今日この頃です。

このメルマガの読者で部下を持っているみなさん、
いっしょにがんばりましょう!

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ゴルフや筋トレ、ドラムなどをやっているとき、
ふとこんな感覚に陥ることがあります。
自分のボディを操っているのは操縦席にいる自分なのに、
自分をうまく操縦できていない、と。

「操縦」とは「自分の思いのままに操ること」です。
元々は乗り物を意のままに動かすことを指したのでしょうけれど、
そこから転じて、人を操るという意味でも使われます。

他人を操りたくはありませんが、
自分も誰かから操られたり、何かに支配されたくありません。
自分のことは自分で操縦したい、そう思いませんか?

でも、日常生活では自分で自分を操縦しているなどと
感じることは滅多にありません。
ボディの操縦はもちろん、マインドの操縦に関しても、
操縦しているという意識など持たないのことの方が多いと思います
まるで自動運転の車に乗っているような感覚で、
私たちは日常生活を過ごしているのかもしれません。

というわけで今回は、操縦の中でもマインドの自己操縦について
考えたいと思います。


では、伺います。次の文章の○○に入る言葉、
ご自身の場合、3分でいくつぐらい出てきますか?
「あ、また○○を食べちゃった/飲んじゃった」
「やろうと思っている○○が、またできなかった」
「ついつい○○しちゃうクセ、直らないな」

私の場合、多分3分で10件ぐらい楽勝で出てくる気がします(泣)
そして、「なんて意思が弱いんだろう...」と自責の念にかられる。
アルアルですよね。
でも、これらは「自己操縦」の例と言えなくもありませんが、
どちらかと言えば「自己制御」、すなわち自己操縦機能の中でも
アクセルとブレーキが使えるかという話に近い気がします。
操縦席にいると、もっと困ること、怖いことがあって、
実はそれが日々起きていると思うのです。


たとえば、あなたがもし、飛行機や新幹線、いえ自分の車でもいいのですが、
その操縦席にいて、もっとも起きてほしくないことは何ですか?

いろいろあるかもしれませんが、
そのうちの1つに「操縦席をテロリストに乗っ取られること」が
入るのではないでしょうか。
自分の意に反して、テロリストに操られてしまうことは、
最も恐ろしいことの1つだと思います。

多分もう私がお伝えしたいことが何なのか、
ぴんと来られたはずです。
自分の心が「誰か」や「何か」に「支配」された状態、
つまり自分の操縦席を奪われた状態に陥ると、
私たちは自由を失います。
支配とは、誰かや何かが人を意のままに操り、服従させることです。


ところが、ややっこしいのはここから先です。
相手に干渉して束縛するタイプの支配はわかりやすいですが、
一見支配されていながら、実は裏支配しているということも
深層心理的には起きるようなのです。

たとえば、支配される側に立つことで
自分を正当化して責任を相手に押し付けて支配するとか、
支配される体を取ることで相手に支配させる満足感を与えて支配をするとか、
支配させてやっている自分には価値があると認めさせて支配するなどが、それ。

こう聞いても、「そんな人いるの?」と思われるかもしれませんが、
威張っている人の目の前では媚び諂いつつ、
裏で悪口を吹聴している人はある意味「裏支配」しているのかもしれません。

あるいは、この会社では、これこれをやりたくてもできない...と嘆いて、
行動はしないというパターンや、
うちは創業期からずっとこれでやってきたのだから変えるわけにいかない...
という考え方も、何かに支配されているようでもあり、
裏支配しているようでもあります。


さて、ここでもう1つの疑問が湧いてきます。
他人を支配しようとしている人や、支配されてもスルーしてしまう人は、
自分を支配できていると言えるのでしょうか。

故ネルソン・マンデラ元大統領を主人公にした映画「インビクタス」の中で
ウィリアム·アーネスト·ヘンリーの詩の一節が出てきます。
「私が我が運命の支配者  私が我が魂の指揮官」

本当にそうありたいもの。
というわけで、6月も終盤です。
時速200キロ、いえ、安全運転でばっちり自己操縦したいものですね!

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多くの企業で期が変わり、人事異動などもあって、
この時期はいつにも増して誰かが誰かを教えるというシーン、
多いのではないでしょうか。

私も社長ではありますが、人材育成は常に重要視しているので、
私自身が社員の育成に絡むことは少なくありません。
でも...
果たして教えることが上手か?と自問すると、
必ずしも自信を持って「はい」とは言えません。

私に限らず、これはよく言われることですが、
自分がプレーすることと、人に教えることはまったく別のことです。
自分ができる、イコール教えられるではありません。


そんな私ですが、「教える」について小さな成功体験もあります。
たとえば学生時代の家庭教師のアルバイト。
当時、ご近所の中学1年生の家庭教師を頼まれました。
お母様から「小学校での成績はイチニ、イチニだったから、
大変だと思いますが、よろしくお願いします」と言われて始まりました。
最初の頃は意思表示も曖昧な恥ずかしがり屋さん。
でも、中学を卒業した頃の成績は、イチニ、イチニではなく、
サンシ、サンシになっていました。
私の教え方が良かったとは必ずしも思いません。
あえて良かったことがあるとすれば、その子のペースを大切にしたことです。
ゆっくり丁寧に基礎をしっかりやり直しました。
で、成績が上がると、子どもって明るくなるんですね。
当時、その子がどんどん明るく活発になっていったことをとてもよく覚えています。


しかし、この逸話、小さな小さな成功体験に過ぎません。
会社を経営していると、どちらかといえば、
人を育てるのは難しいなと感じることの方が多いです。
多分家庭教師と違って、自分ごと度が高いからですね。
悪くいえば、自分の欲得と無縁ではないからだと思います。
あ、いえ、そんなにエゴイストではないつもりですけど(笑


誰かに、仕事で自分の持っているノウハウを教えること自体は、
あまり難しいとは思いません。
でも、私が、人に何かを教える時に悩ましいと感じるのは、
相手の思考特性に合わせた伝え方をすることと、
あなたは今、これができていて、これができていない、
ということを自覚してもらうことです。
できているは、ストレートに伝えればいいわけですが、
ここはまだできていないを本人が納得できる形で伝えるのは、
結構高いスキルが求められると思います。


ソクラテスの「無知の知」をご存知ですか?
「自分には知らない世界があると自覚すること」が重要であるという考え方です。
自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い、
だから、自分がいかにわかっていないかを自覚せよ、ということです。
でも、そもそも知らない世界というのは、その世界の存在さえ知らないわけです。
だから、存在さえ知らない世界があることを知れと言われても、
見えないものは見えないわけですから、それに気づくのは難しいに決まっています。


教える仕事の人やコーチの人はどうやっているんでしょうね。
あ、そういえば、いくつかについて、私も教わっています...。
彼らから学ぶことは何だろう?と考えてみました。
ありますね、共通点。

たとえば、私の筋トレのコーチは私にこう言います。
「オノさんの場合は下半身の強化が課題です。
週1のトレーニングでは現状維持が精一杯だから、
生活の中で歯磨きのようにトレーニングするのが理想ですね」

私のゴルフのコーチはこう言います。
「課題はグリーンが近づいてからのアプローチです。
そこが思ったようにいかないと、他をどんなにがんばっても難しい」。
「課題はアプローチなんだから、そこをがんばるだけですよ」

また、私のドラムのコーチはこう言います。
「今日の中で、これが一番良かったし、方向性は間違っていない」
と、そんなふうに肯定してくれながら、
「今の課題はここを滑らかにつなぐこと。これができたら完成ですよ」と。
励ましつつ、課題を指摘してくれます。


こうしてみると、課題を自覚させるというのは、必須なのかもしれませんね~
スポーツやドラムに比べて、仕事の場合はわかりにくいですが、
それをわかりやすく伝えることが、
仕事上のコーチの役割なのかもしれません。
あー 奥が深い。

ゴールデンウィークが近づいてきました!
仕事を手放してお休みください。
5月も爽やかにいきたいものですね!

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4月は新入社員が入ってくる時期だからか、
上司部下間の面談が多いシーズンなのではないでしょうか。
最近は1on1と呼ばれる日常的な面談を導入する企業も増えており、
面談はコミュニケーションの一環として日々行われるようになりました。
その面談でよく出る話題が「課題は何か?」です。

この課題という言葉、言うまでもなく上司・部下間の面談用語ではありません。
企業の経営課題、今年度の取り組み課題、社内風土的な解決課題等、
いろいろなシーン、いろいろな文脈で使われる言葉です。

さて、ここで質問です。
「課題」と聞いて、この言葉の語感やイメージは
あなたにとって良いもの、言い換えるとポジティブなものですか?
それともどちらかといえばネガティブなものを含んでいますか?

なぜ、この質問を立てたかというと、
少なくても仕事における「課題」という言葉に対しては、
イメージがポジティブ派とネガティブ派に分かれているのではないか、
と思ったからです。


では、「課題」という言葉への受け止めは
ポジティブ派とネガティブ派でどのように違うのでしょうか?
独断と偏見に基づいて言うことをお許しいただくのであれば、、、

ポジティブ派:
課題とは理想に向かうための道筋であり、伸び代だと思っている。
なので、課題が見つかると自分が何をすればいいかがわかり、うれしくなる。

ネガティブ派:
課題とは現在不足しているものを見える化したものであり、
「足りないポイント」を並べたものだと思っている。
なので、課題と向き合うことは苦痛以外の何者でもない。


日本語の同一単語「課題」に対して、
人によって、もしこれだけ言葉の受け止め方が違っていたなら、
当然、面談はうまくいきません。

上司と部下がともにポジティブ派なら、
課題という言葉で会話をして共通のスタート地点に立てますが、
仮に部下はネガティブ派で上司がポジティブ派という組み合わせだったなら、
共通言語がないだけに、部下はただ「できないよね」と言われているだけ、と、
そんな気持ちになることでしょう。


実は、お客様との会議でも同じようなことがしばしば起こります。
私たちは課題解決型でコンテンツの企画に携わるのが基本スタンスなので、
「貴社の課題はここではないか」とか、
「その課題の原因はここではないか」など、お客様と率直に議論します。
しかし、それに対して消極的あるいは否定的な反応しか
返ってこない場合があります。なぜでしょうか?

大抵の場合、理由には次の2つのどちらかが当てはまります。
1つ目は、当社にはそんなに大きな問題はないと認識しているから。
2つ目は、課題への自覚や認識はあるが、課題というと
自社を否定しているような気持ちになり、使いたくないから。
2つ目は、個人ベースの「課題」と同様に、
「課題」という語句への認識がネガティブだからこそ生じる反応です。

しかし、「課題とは?」の定義合わせをして、
ポジティブ派の解釈のように理想へ向かう道筋だと捉えたなら、
前向きな対話ができるのではないでしょうか?


もう1点、こんな視点も大切かもしれません。
たとえば、「課題」という語句は理想に向かうための道筋を示したもの、
と理解していたとしても、その内容に納得できていなかったら?
誰かから指摘はされたが、自分としてはそれが課題だと思えなかったとしたら?
あるいは、課題だとわかっていても真剣に取り組む気持ちが湧かないとしたら

つまり、そもそも「課題」とは理想に向かうための道筋であるとして、
それがわかっていても、そう簡単に理想に向かってまっしぐら...とはならない。
多分その本質は、その「課題」の根っこにある問題を
今すぐにでも解決したいと思っているかどうかなのだと思います。
ということは、解決せずに放っておいたらどうなるか、
課題を解決できた後にどれほど良いことが待っているのか、
これがイメージできないと、
掲げた「課題」はただのお題目で終わってしまう、ということになります。

結局自分の理想をくっきりはっきり描くこと、
そこに向かうためにどうするかと考えること、
それが課題意識の本質なのでしょうか。

3月最終週です。桜も見納めですね。
どうぞ素敵な1週間を!

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昨日の当社の定例ミーティングで、
ズバリ一言ですが、うちのメンバーにこんな話をしました。

仕事での様々な関係の中で、いろいろな会話がされているけれど、
そのとき社会では「目的」が忘れられがち。
もし「目的」から考えたら7割のことは正しく判断できるはずだが、
話が複雑になってしまうのは、「目的」を忘れがちだからだと思う、
グラスルーツは「目的」思考の会社でありたいので、よろしく!と。

まあ、これ、正論ではありますが、
正論で解決できないことがあるから、目的が二の次になったりするわけですよね。

では、正論で解決できないこととは何でしょうか?
いろいろあるとは思いますが、
その1つに、組織の中で「抗えない」という心理状況があると思います。

こんなことを言ったら、周りから何か言われる...
これをやめると言ったら、角が立つ...
これを変えたいが、あちこちから反発を喰らいそう...
一度は婉曲的に伝えたけど、それ以上は言いにくい...

だから「抗えない」。

ある意味、想像に難くないですよね。
実際、三人寄れば公界(くがい)というくらいですから、
人が3人いると社会ができてしまうし、
3人いると銘々が別のことを考えています。
そして、誰もが生存本能から「人から嫌われたくない」と思っているので、
ちょっとしたことを発言する=モノ申した人=波風を立てた人=人から嫌われる
そんな図式が生まれてしまうのだと思います。
アドラー心理学などでも、これ自体はよく言われることでもあります。

ましてや組織になり、自分の発言が「所属部門」の発言になるとなれば、
そりゃ軽率にモノが言えない気分になるのもわかります。


ですが、こういう体験はありませんか?
「抗えない」と思ったから取った自分の行動で、
実は結果的に自分の評価が下がった、みたいな。

私はありますよ、若い時に。
まあ、正確に言えば「抗えない」というほど
突き詰めて考えて取った行動ではありませんでしたが、
「この人の言葉に従うべきだろう」
「この人の判断通りに行動していたら問題ないだろう」と考えていたら、
自分が非難されたり、スベったりした経験。


2つ例を挙げますね。
1つ目は、ある上場企業の秘書室で業務を引き継いだ時、
前任の先輩から言われた通りにやったのに、
「○○さんなら、そんなやり方はしなかった」と
担当していた役員からお叱りを受けました。しかも、2度も!
自分で判断して行動したならまだしもでしたが、
納得できない気持ちが残りました。

2つ目は、PR会社に転職し、プレスコンタクトをしたことのない時期に、
上司は「連れて行くから、待っていてね」と、私はSTAYを言い渡されました。
よく言えば直々に教育指導してくださるつもりだったのでしょうけれど、
上司が動いてくれないと動けない状況に、私はストレスを感じました。
でも、同じ頃、隣の部に入社した新人が、
「プレスコンタクトに行ってきます」と行って出かけて行くのを見た私の上司は、
「この新人はスゴイ!」と発言。
その時は「おいおい、あなたが私をステイさせたんだよね」と思ったものです。


この体験には、いろいろな示唆が含まれています。
上の人から言われたことは、忠実に守らなくてはいけない...。
私は、そう思っていましたが、実はこれはウソだということです。

もう少し正確に言うと、忠実に守ろうとするのも、それはその人の自由ですが、
その結果には誰も責任を持ってくれないし、
「自分は言うことを聞いただけです」という言い訳など成り立たないということ。

そう気づいてから以降、私は仕事であれ、恋愛であれ、
「自分が選択した」という意識を持つことにアンテナが立つようになりました。
「抗えない」「言われたことはやるしかない」と思うのは、
自分の思い込みであると。

その結果何が起きるかというと、「自己責任」の世界に浸かるということ。
でも、それって潔くて快適です。
というわけで、今日のテーマは本当に抗えないのか、でした。
あなたはどう思いますか?

今週末は30年ぶりにスキーに行きます。
ケガなどせずに帰ってこられるよう、祈ってくださいまし。ではまた!

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仕事において、できることなら「コンフリクト」は避けたい。
大勢の人がそう思っているのではないでしょうか。
やっぱり直訳すると、論争、衝突、争いですから、
悪いイメージを持つ人が多いような気がします。でも、
コンフリクト(conflict ) =活性剤(activator)
と、解釈することもできますよね。

実際、「コンフリクト・マネジメント」といって、
「コンフリクト」を抑え込むのではなく、組織の活性化や成長の機会と捉え、
積極的に受け入れて問題解決を図ろうとする考え方もあります。


会議のファシリテーションを委託される私たちも、
「コンフリクト」を恐れない姿勢、
つまり対立を回避しようとしたり、強権的に結論を出そうとしたりしない姿勢が求められます。
本音で話し合えてこそ、納得度の高い結論が出せると思うからです。


面白い調査結果があります。日本能率協会マネジメントセンターによる
「コンフリクト・マネジメント調査/コンフリクトと多様性」(2016年5月)というレポートの内容です。

まず事前の予備知識として、「コンフリクト」には二種類あることをお伝えしておきます。
一つは仕事内容に関する意見やアイデアの衝突を意味する「タスク・コンフリクト」。
もう一つは人間関係がこじれて生じる衝突「リレーションシップ・コンフリクト」です。

調査によると、タスク・コンフリクトを多く経験している人ほど会社や上司・同僚への職務満足度が高く、
仕事への活力や熱意、没頭の状態を示すエンゲージメントも高いのだそうです。意外ですよね!
反対に、衝突を嫌がって意見を表明しない人、できない人は、会社にも上司・同僚へも不満を感じるようになるといいます。

では、リレーションシップ・コンフリクトについてはどうなのでしょうか?
タスク・コンフリクトの経験とは反対に、多く経験している人ほど満足度が低いそうです。


また皆さんも心当たりがあるかもしれませんが、
コンフリクトが生じている時に、どのように解消するかは企業のカルチャーによって違います。
対立している者同士が、意見の違いを乗り越えて協調できれば良いですが、喧嘩両成敗的に妥協や回避をしたり、
どちらかが強権的でどちらかが服従的になると、状況は収まったかに見えますが、組織の活力は消えてしまいます。

調査では、「協調的文化」「強制的文化」「回避的文化」の3つのカルチャーがコンフリクトや職務満足度、
エンゲージメントにどのような影響を与えているか調べています。
ここでいう文化とは、暗黙知となっている価値観や規範のようなことですね。
それぞれの文化の特徴を整理すると;

(1)協調的文化:コンフリクトに関わる全員の意見や利害を考慮しながらコンフリクトを解消すべきとする文化
(2)強制的文化:個々の社員が自分の意見や利害を押し通すことで、コンフリクトを解消すべきとする文化
(3)回避的文化:できる限りコンフリクトが表面化することを避け、波風を立てずに解消すべきとする文化

(2)番はマウンティングし合うのでしょうか。弱肉強食的なイメージがありますね。
(3)番は「まぁまぁまぁ~」と誰かが間を取り持ったり、もしかしたらそのような事態になる前に、
お互いに意見を飲み込み合うというシーンが浮かんできます。

で、結果はというと、協調的文化の企業で働く社員ほど、職務満足度(会社や上司・同僚への満足度)が高く、
エンゲージメントも高いことがわかりました。
強制的文化は、上司・同僚に対する満足度を下げる一方で、会社に対する満足度はやや改善する傾向にあるそうです。
そりゃあ、社内は常にギスギスしているでしょうから、そうなることは容易に想像できます。

また、回避的文化は上司・同僚への満足度を悪化させる傾向があるそうで、
一見すると対立の少ない働きやすい職場のように見えますが、実態は何も解決されていないわけですから、不満が残るのは当然です。

では、協調的に解決できるようにするにはどうしたらいいのでしょうか?
絶対的な解決策ではありませんが、いくつかヒントはあります。
自分の備忘録のためにも書いておきますね。

1. コンフリクトは有益だというポジティブな共通認識をつくる
2. 一致点と相違点を整理する
3. 共通の目的を見出し、一致点を探す
4. 感情を語っても良いが、感情的にはならない
5. オープンかつフラットに意見を言える場をつくる

まあ、言うは易く、行うは難しですが。。。
1番をお互いに認識して出発するのが、何より大切な気がします。

来週月曜日は体育の日でお休みです。
水木金を元気に過ごしましょう!

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1カ月ほど前に「仏教」と「日本酒」をテーマに京都に行きました。
観光に行けば、単なる寺巡りをするものの、
仏教や仏像への知識は乏しく、ただ「へ~」「ほ~」と見てくるのが常でした。
でも、今回の旅では、ずっと疑問に思っていたことを書き出して、
入念に予習をして行きました。
たとえば、釈迦が仏像になるのはわかるけど、
なぜあんなにもたくさんの種類があるのか? 
○○如来と○○菩薩はどう違うのか?
不動明王とか、帝釈天も仏なのか?など。
予習ノートは一緒に行った仲間にも大好評でした。
人というのは興味があることには「Why」が出てくるし、
そうするとInputにも身が入る。
「Why」は最高の思考エンジンだと痛感しました。


しかし、疑問を発することはポジティブなイメージばかりではありません。
多くの人は質問することを恐れているのではないか、と
4月7日のメルマガで書きましたが、
「こんなことを聞いたらアホと思われる」
「みんなの時間を奪っていると思われる」というブレーキが働いて、
疑問を発することを難しくしているように思います。

上司と部下の関係も然り。
「なぜ、これをするのか」と問う部下よりも、
「承知しました」と答える部下の方がラクだと思っている上司も
少なくない気がします。


私自身、若いときにこんな体験をしました。
当時パブリシティ業務を担う部署に異動になったばかり。
外出時の電車の中で、私は上司にたくさん質問しました。
会社に戻った時に言われたのは、「小野さんといると疲れる」でした。
20代前半。正直、傷つきました!
まあ、「なぜ、なぜ、なぜ」としつこ過ぎだったのかもしれませんし、
頭でっかちにならずにやってみなさいと言いたかったのかもしれません。


今、歳も取り、自分が上司という立場になって思うのは、
やっぱり「なぜ」と考える人の方が圧倒的に成長が早いということです。
成長が早いだけでなく、彼らはより本質的な仕事に向かって行きます。
どういうことでしょう?

「なぜ」と考えることは、原因や理由、目的を把握しようとすること。
一方、「なぜ」と考えないということは、
言われたことや今ある情報をそのまま受け入れて対処することです
すると、今回はこうやるという記憶だけが残る。
こういう目的の場合はこうするというのが頭に残らない。
その結果、応用が効かなくなります。
自立して仕事ができるようになるというのは、
応用で対応できることが増えるということでもあるので、
「なぜ」と考えることで応用力がつき、成長が早くなるのだと思います。


ところで、ネットの書き込みを見ていると、
疑問が湧いてこない、質問は?と聞かれると困る...
と悩んでいる人も多いようです。
若いときは、自分で何がわからないかわからないということも起きるので、
そんな悩みも不思議ではありません。

また、質問をしたときに、親や先生、上司などから
否定的な反応をされた経験があると、
疑問を表明するのは良くないこと、
嫌な思いをしないためには表明しない方が良い、
と刷り込まれてしまうのかもしれません。
疑問を聞くとき(質問を受けるとき)は、
自分の態度が相手に悪い影響を与えないように気をつけたいものです。


そして、興味がないと疑問も湧かないのは本当でしょうけれど、
仕事では興味の有無に関わらず、考えて行動することが求められます。
私自身は、「なぜ~?」「~とは?」「どうしたら~?」の
3つの疑問文だけで思考の7割ぐらいをカバーしているような気がします(笑)
本質的云々なんて難しい話ではなく、
子どものように素直に疑問を口にすることが大切のではないでしょうか。

ゴールデンウィークがすぐそこまでやってきました。
素敵な連休をお過ごしください。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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