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『ココロのミステリー』カテゴリの記事

 

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先週の私は、ある出来事をきっかけに怒りの感情と向き合うことになりました。
怒りというのは、二次感情と言われ、悲しみ、悔しさ、虚しさ、辛さ等の
一次感情の次に起きると言われます。
また、状況が自分の「べき」論と一致せず、それが許容できない時に起きる
とも言われています。


実際に今回の体験を振り返っても、それが当てはまりました。
自分が被害を被ったことに対し、悔しさや虚しさを感じ、
相手は倫理的に対応すべきである、という気持ちから怒りが湧いてきた
と思うからです。


日本アンガーマネジメント協会によると、
人の怒りには6つのタイプがあるのだとか。


「公明正大」タイプ
「博学多才」タイプ
「威風堂々」タイプ
「外柔内剛」タイプ
「用心堅固」タイプ
「天真爛漫」タイプ


多分私の場合は「公明正大」と「天真爛漫」のミックスではないかと思います。
道徳観を大切にするので、それに反することに出くわすと
正義感を振りかざしたくなる、、、
という傾向と、
気持ちを正直に伝えるのは良いこと、という思い込みがあり、
「腹に一物」はストレスになる、
という傾向があるからです。


ご自分の怒りの特性にご興味があったら検索してみてください。


ただし、日本アンガーマネジメント協会によると、
怒りを抑え込むのではなく、上手に付き合うことが大切のようです。


人はコントロールできないことに囚われると、ストレスを感じます。
自分がコントロールできるのは自分の思考と行動だけですから、
コントロール不能なことだらけの日常生活はストレスでいっぱいです。
だとしたら、それに怒りを抱くのは、バカらしいことでもあります。
そう思うと、怒りは冷めていきますね。


人の感情をキャラクター化して描いた
ピクサーの映画「インサイド・ヘッド」が物語るように、
人間が抱く感情にいけない感情はありません。
でも、ネガティブ感情と健康的に付き合うのは簡単ではありませんよね。
自分は今、怒っていると自覚する。
それだけで、少しは客観視できるような気がします。


今週は10月に突入。
素敵な1週間でありますように!

今日のテーマは先日(7/22)に続き「ネガティブ・ケイパビリティ」です。


この言葉を知ったのは最近ですが、私の意識の中にずっとモヤモヤあり、
初めてこの言葉に触れた時、「なるほど、そういうことか!」とスッキリしました。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という能力は、
もしかしたら問題解決力より重要かもしれないと思う今日この頃です。


私の中に、どんなモヤモヤがあったかというと、、、、
たとえば、何か結論を出す必要があることに直面した場合、
当然、答えを出そうと思いますよね。
特に仕事では、早く結論を出せる人/早く解決できる人が優秀、と見なされがちです。
それは、ある面では正しいし、異論はありません。
私自身、どちらかというと決断は早い方だと自負しています。
それでも、こんな視点から違和感がありました。
それを端的に言うと、みんな「答えを得ることを急ぎすぎではないか?」です。


あるいは、こういう言い方もできるかもしれません。
みんな、答えを出すまでの時間に対して、忍耐がなさすぎるのではないか?
早く答えがほしいから、みんな、急いで答えを出そうとする。
そして、忍耐できないでいる自分に気づかず、
早く答えを出すことが良いことだという理由の元に、
急いで答えを出しているのではないか?
そんなふうに思うことがあり、モヤモヤや違和感を感じていました。


なぜそう思うのかと聞かれても、ただの直感としか言えません。
いろいろなシーンで、「この答えを出すのは、そんなに簡単なことではないな...」
と私は直感的に感じるのですが、
簡単に答えを出そうとするアプローチによく出くわします。


おやおや、、、すみません!
今日のテーマに対する問題意識、事前説明が長すぎました。
話を今日のキーワード「ネガティブ・ケイパビリティ」に戻しますね。


「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何か?
私は、この言葉とどこで出会ったのか?
まずはそんな話をさせてください。


出会ったのは、こちらの書籍です。最近読みました。
「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」
(著:帚木蓬生、刊:朝日選書)
著者は小説家であり、精神科医です。
(ペンネームの読み方が難しいですが、ははきぎ ほうせいと読むようです)
https://www.amazon.co.jp/dp/4022630582/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_AIewDb01XAGYQ


「ネガティブ・ケイパビリティとは?」については、
たくさんの説明が成り立ちますが、著者による端的な表現が、
本書の本文1行目に出てきます。
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」あるいは
「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、
懐疑の中にいることができる能力」です。
「ネガティブ・ケイパビリティ」で検索すると、
「ネガティブ思考」を肯定するような説明に出会いますが、
私の理解では、そういうことではないと思います。


私がこの言葉の概念に「ほぉー」と思うのは、
一般常識とはちょっと違ったことを言っているからです。
一般的に問題を解決する能力は高い方がいい...という常識があります。
でも、この「ネガティブ・ケイパビリティ」はそうではありません。
即座に解決するよりも、その訳のわからない状況に身を置いて、
佇むことの必要性を言っています。


なぜこの力が必要だと著者は言うのでしょうか。
著者によると、ヒトの脳には「分かろう」とする特性が備わっているので、
分からないものや不可思議なものが放置されていると、
脳は落ち着かなくなり、なんとか分かろうとするのだそうです。
ところが、そこに落とし穴があり、
〈「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、
より高次元まで発展しないのです〉と著者は言います。
なるほど! これだと私は思いました。


今日、これを取り上げたかったのは、
この力は、「考えを深める」という行為において、
必要不可欠だと思ったからです。


なので、私なりに、
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
というものを、別の言葉で、言い換えてみました。


その1:たとえ不安にかられたとしても、決して焦らずに時間をかけて問題を見極め、
最後の最後にじっくりと答えを出す、そんな能力。
その2:考えるべきことに向き合いながら、頭がパンパンになったとしても、
「もうムリ!」と諦めず、他の答えの可能性がないか、追求し続ける能力。


そんな力と言い換えられます。
簡単にわかったつもりにならずに、考え続ける。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という視点で自分を育てていく。
この本はそんな視座を与えてくれました。


お盆明けで今日が初日という方もいらっしゃるかと思います。
今週も素敵な1週間でありますように!

190813_drum.JPG今日のタイトルを読んで、多くの人は疑問を感じたのではないでしょうか?
「考える」を「運動」の一つと言われたら、誰だって疑問に思いますよね。
でも、こう思ったのには理由があります。
多少無謀な説明にはなりますが、聞いてやってください。
「考える」ことに役立ちそうな原理原則、まとめてみましたので!


さて、発端。最近、私はドラムを始めました。(写真はレッスンスタジオ)
きっかけは、6月の誕生日に社員のみんなからもらった体験ギフトです。
マッサージ、ヨガ、エステ、いろいろな体験メニューがあります。
でも、私は、どうせなら今までやったことがないことで、
やりたかったことを選ぼうと決めて、それが楽器の「ドラム」だったのです。
初めは、「一生に一度やってみたかっただけ」だったのに、
体験したら、楽しくて楽しくて、ハマってしまい、
この週末に3度目のレッスンを受けてきました。


ドラムというのは、右手右足、左手左足と、異なることをやります。
考えながらでは追いつかないですし、
スポーツに似ていて、アクロバティックでもあります。
そして、生まれた初めて体験した初日、何かひらめきました!
私は、この体験から何かしら人生に役立つ原理のようなものを得られそうだ、と。
体が。あるいは脳が。


オーバーに言えば、ここに生きる知恵、生きるコツがありそうな気がする!と。


最初の体験の日の私は、こんな感じでした。。。
取り組むべきリズムフレーズがわかる。
頭ではわかっても、簡単に体がついていかないことがわかる。
わかると、できるの違いがわかる。
叩きたいリズムフレーズを分解して、体ができそうなことをやってみる。
すぐにはできないが、まもなく「これならできる」の手がかりをつかむ。
一つ上の複雑さをやってみて、前の体験とつなぎ合わせていく。
これも、徐々にできるようになる。


最初の体験を言葉にすると、そんな感じです。
しかも、心がワクワクしているときは、難しいことに取り組んでいても、
難しいって思わないんですね。ただただ、やりたい、できたいと思います。
人のやる気スイッチの本質は、ここにあるんですね〜


そうやって私は体験初日に、何かグッとくることを体験できました。
それは「感覚の扉を開けることができた」ということです。
では「感覚の扉」とは何か? 
それは「コツを体得する入り口に立つ」ということ。
「コツとは、脳の使い方、体の使い方の要点が感覚的にわかる」ということです。
こういうときには、こういうふうに脳みそを使う、
こういうふうに体を使う...ということが、感覚的にわかる。


しかし、問題は「コツ」はどうやったら体得できるか、です。


ドラムを例に言うと、「叩きたいリズムフレーズを分解して、
体ができそうなことをやってみる」もその一つですが、
先生から勧められたことがあります。
それは、「クチドラム」と呼ばれるもので、
叩きたいドラムのフレーズを声にして歌います。
私がこの週末に学んだのは、8ビートの「ドチタチ、ドドタチ」というリズムで、
「ド」はバスドラム ...というように、太鼓別にカタカナを当ててあります。
それをイメージして声に出すわけです。


え、そんなことが有効なの?と思いますよね。
私も最初はそう思ったのですが、、、
おそらくたくさんの太鼓を叩くのにも順番があり、しかもリズムがあります。
それがイメージできないと叩けません。
クチドラムはそのイメージを脳に覚えさせるのに有効。私はそう理解しました。
そして、脳に染み込むと、無意識にスムーズにその運動ができるようになります。
これは、スポーツを行なった体験がある人なら、
感覚としてわかるのではないでしょうか。
自転車を乗る感覚です。


さて、今日の本題。「考える」ことは「運動」のひとつなのか。
どう思いますか?
私は、今回の運動を習得するコツ、イメージを脳に定着させる方法は、
「考える」コツの習得に生かせるかもしれないと思い、
その仮説を今から披露します! ちょい、恥かし!


考える際に、「ドチタチ、ドドタチ」のように機能することは何だろう?
考えを進める方法をイメージ的につかむには何が重要なのだろう?
そう考えてみたのです。


最初に思ったことは、「8ビート」の動作をクチで表現したように、
「考える」の動作を言葉にし直したらどうなるか? そう考えました。


考える = 「トコトコ、トコトコ」です。
問い→答え→問い→答え→問い→答え→問い→答え


もちろん、答えは1つではないかもしれませんし、
直列的につながらない場合もありますが、


「考える」の動作を分解すると、「問いを持つ」+「答えを出す」です。
私が感じるのは、考えることに慣れていない人の場合、
漠然と考えることに向かって行って、
「問い→答え」をしていないように見えます。
どうなっているかというと、
「トコトコ、トコトコ」ではなく、「ココココ、ココココ」です。
問いがないのに、答えがある(不思議)。
きっと本当は心の中に問いがあったのだと思いますが、
その部分を言葉にしていないので、答えがなんの答えなのか、
ふんわりしてしまいます。


次に、クチドラムの「歌う」に代わることは何でしょうか?
それは、きっと「書く」です。
振り返ってみたら、私自身、考えるときにこれをやっていました。
「問い」を書き、「答え」を書くということをです。
そう、書くことは「見える化」する意味でとても重要なのに、
書かずに、頭の中だけで考える人、多いように感じます。
また心によぎったことは、何でも書けばいいのに、
考えがまとまるまで書かない人もいます。
でも! もし考えたいなら、むしろ何でも書いた方がいいと思います。


さて、、、、考えることに慣れていないと、「問い」が出せません。
でも、ここにもコツがあります。
クチドラム的に言うと、「トナドホ」です(笑  ←笑ってますが、マジです。


細かいことを言うと、もっといろいろな「問い」がありますが、
基本パターンは4つです。
 (1)〜はナニ?
 (2)ぜ〜?
 (3)うすると〜?
 (4)ント?


1番2番は目前の状況を理解したり、目的を明確にする上で有効です。
3番は対策を考える上で有効です。
4番は、自分の考えの浅さを暴くための、自分ツッコミ質問です。


「トナドホ」よりも、英単語の方が覚えやすいなら、What? Why? How? Really? 。


世の中にはたくさんのフレームワークが存在していますが、
考えてみると、それらはクチドラムと同じです。


「考える」という行為も、結局は動作の一つだと見ると、
トレーニング方法も浮かんできます。
あ〜 もっと話したいこと、あるんですけど〜 すでに長すぎ!


8月も半ばに入って、私は冷房にやられて、コンディションがイマイチです。
みなさんも、体調管理を万全に夏を乗り切ってください!

週末は、父や妹と3人で箱根に行ってきました。
1泊とはいえ、荷造りをしたり、着ていくものを考えていたら、
私は、自分が黒のTシャツを10枚以上持っていること、
同じ黒のTシャツでも、無印良品のものが肌触りが良くて好きだと
感じていることに気づきました。
「これも『メタ認知』の一種?」と思ったりしながら、
このメルマガを書いています(笑)


実は、先週、まったく違う場面なのに、2人の方との会話で
『メタ認知』という言葉が出てきました。
1週間に2回も。ちょっとびっくりです!
もしかして『メタ認知』という言葉、今、世間で流行ってるのでしょうか?
いや、私が誘導しちゃったのかもしれないので(つもりはないですが)、
流行っている?は取り消します。
社会的にこの『メタ認知』という言葉がどう捉えられているか、
正直わかりません。
でも、人の成長に関わる重要なキーワードだと私は理解しています。


そうです。
今日は、人の成長とこのワード『メタ認知』について考えていこうと思います。


この『メタ認知』という言葉、しばしば耳にするけど、
「メタ認知とは?」と問われると、答えにくい言葉の一つですよね。
往々にして、メタ認知=メタ認知能力という意味で使われているようです。
ネットで調べても、端的にわかりやすい紹介がなかなか見つかりませんでした。
なので、勇気を出して、私なりの理解に基づき、説明したいと思います。
(間違っていたらごめんなさい)、
『メタ認知』を「メタ」×「認知」という形に分解して考えてみましょう。
メタ=高次元、超
認知=自己認識について客観的に分析する能力
です。


ですが、そんなことを言われても、わかりませんよね。
懲りずに、敢えて端的な言葉でメタ認知能力を表現してみます。
それは「自分が自分をどう見ているか、客観視する能力」です。
「超」なんていう言葉をつける必要もなく、
ただ単に、「自分や自分が絡んだ出来事を、一生懸命に観察した上で、
振り返ってより良くしていく能力」だとも言えるかと思います。
それが、私の翻訳です。


だからこそ、自分が黒のTシャツを10枚以上持っていると気づき、なおかつ、
同じ黒のTシャツでも、無印良品のものが肌触りが良くて好きだ、
と思っていることに気づく、
そこからさらに、自分というものを考えていく、
そんな自己観察も『メタ認知』の一種だと思った次第です。


『メタ認知』で自分の何を観察するかというと、
知覚、記憶、学習、言語、思考、行動などです。
自己観察というのは、イメージ的には、もう一人の自分がいて、
自分のことを自分の外から俯瞰的に観察するという感じでしょうか。
その時に、特に「クセ」を把握するのは結構重要です。
私は、『メタ認知』ではこの「自己観察」が一番大切なキーワードだと思っています。
難しい言葉で言う必要もなく、ただ自分を見つめるというだけですが。


私はこれまで、『メタ認知』能力について、独自の表現をしていて、
「自分伸びる力」(ジブンノビルリョク)という言葉で社員に伝えてきました。
自分で自分を伸ばせる人が強い、そういうメッセージです。
でも、自分を知らないと自分を伸ばせません。
自分を知ることが、自分で自分を伸ばす力を持つ第一歩です。
だからこそ、自分を客観視したり、振り返ってみたり、
自分のいいところ、悪いところ、思考のクセや行動のクセ、
大切にしたいこと、自分の心踊ること、他にもたくさん、、、
まずは自分が自分を知る必要があるのではないかな、と思います。


『メタ認知』において、自己観察はすべてではありませんが、
入り口にそれがあることは間違いありません。
では、そのためにどんなことが有効なのでしょうか。
観察結果を文章や図などにして言語化する、
気づきを人に話すことによって整理する、
人からたくさんフィードバックをもらう、、、
ほかにもあるかもしれませんが、そんなことが浮かんできます。


『メタ認知』という能力開発に自ら取り組むかどうかは別としても、
まずは押さえておきたいですよね。
7月も最終週です。素敵な1週間をお過ごしください!

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おすすめの本の話題です。


あなたは、物事に直面して、答えを出そうとする時、どんな気持ちが湧きますか?
あるいは、どんな気持ちが起きて、どんな葛藤をしますか?
私は、早く答えを出したいという気持ちと葛藤しながら、
焦らずにまずはきっちりインプットしようと自分に言い聞かせているような気がします。
「答えを出す」は言ってみればアウトプットなのですが、
いきなりアウトプットに向かってはいけないという感覚的な信念がありました。
でも、その時に湧いてくる気持ちは「早く答えを出したい」という気持ちです。
しかし、それではいかんと思ってきました。
でも、この感覚について人に説明するのは、結構難しかったです。
おそらくそれをやっても、大したレベルの答えが出ないと思っていたからだと思います。


そこを、うまく言語化してくれている本と出会いました。
「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」(著:帚木蓬生、刊:朝日選書)です。
著者は小説家であり、精神科医です。
実は、まだ読み終わっていません。
でも、出だしの15%を読んで、これは自分が考えていたことを整理してくれる本だと、すぐにわかりました。


「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指します。
私が、この考えに惹かれるのは、一般常識とはちょっと違ったことを言っているからです。
一般的に「能力」といえば、困った物事に対面した際に対処する能力...というイメージがあります。
そのこと自体には異論はないのですが、そう言ってしまうと、早い方が優れている、
そんなイメージになります。
でも、対処に至った考えの深さはどう考えるべきなのでしょう?
早く対処できた方が能力が高いのか、いや違うだろう?とそんな気持ちがありました。


精神科医が書いているだけあって、脳の話や医療の話なども出てきますが、
反対に小説家でもあるので、キーツやシェークスピア、紫式部の話なども書かれています。
今から読み進めるのがとても楽しみです。
ご興味があったら、ぜひ読んでみてください。
どこかで、もう少し深く、これについて一緒に考えて行きましょう。


少し暑くなってきましたね。
梅雨はいったいいつ明けるのでしょうか?


素敵な1週間をお過ごしください。

オリンピックのチケット、あなたは申し込みましたか?
私は、当初、申し込むのを忘れていて、
最初の締め切りだった5月28日23時59分を過ぎてしまい、
締め切りが29日午前11時59分まで延長されたからこそ、
申し込みができ、なおかつ当選することができました!!


当選したのは、「女子サッカー」ばかり、なんと3日間!
・7/28 1次ラウンド
・7/31 準々決勝
・8/03 準決勝
周りからは「3つも当たったの?」と驚かれ、
妹からは「もう一生分の運を使い切っちゃったね」と言われました。


確かに当たらないだろうなと思って、開会式、パラリンピック、テニス、、、
ざと20万円分ぐらい申し込みました。
でも、同じように20万円ぐらい購入しても、全ハズレの人はいたようなので、
やっぱり「一生分の運」で当ててしまったのかもしれません。
結果としては、3種6枚のチケットで36,000円。
「女子サッカー祭り」になりました!


さて、、、
私は、当選したら誰と行くかを決めずに申し込んだわけですが、
今回のオリンピック、ダフ屋排除という目的からでしょうか、
購入手続きをする際に、行く相手の名前を入力させられます。(途中変更は可能)
ですので購入手続きで、私も誰と行くのかを検討し調整しました。


誰を誘うかを考えるにあたって、
私は「熱量の高い人」と行きたいと思い、それを基準にお誘いした感じです。
なぜかというと、熱の低い人と行くより、高い人と行く方が、
思う存分楽しめそうな気がするからです。
で、熱量の高い人を探し求めていくと、
結局は発信とリンクしているのだと感じました。
「発信=熱量」。今日はそれをお伝えしたくて書いています。


「当たったんだけど、行かない?」。
女子サッカー準決勝について、最初に誘った相手は、
当社で一緒にメルマガを書いている阿部貢己です。
彼女は、大のサッカー好き。
なので、熱量の高さから迷わずに誘いました。
しかし、もし彼女が職場でそんな個人的な話は言わない方がいい、
と思っていて、サッカーファンと表明していなければ、
誘いようがありません。
でも、自分の興味を他者に発していると、
やっぱり、その文脈での存在感は高まりますよね。


次に、お誘いしたのは、
facebookでの私の「当たった!」という書き込みを見て、
「羨ましすぎるー 私は全滅でした。」というコメントをくれた
小学校の同級生と、
「私、お供しまーす!」と書いてくれた20年来の友人。
私から見ると、それらの反応から、熱の高さを感じ取りました。
自らチケットを申し込んで、はずれて残念がっているほど行きたかった人、
ダメ元を承知で一緒に行きたいという意思表示をしてきた人、、、
二人とも普段、そんなに発信していない人です。
なのに、コメントがあっただけに、熱を感じました。


今回、チケット当選から人の「熱量」について考えさせられたのですが、
意外と熱を出さない人(出さないのか、ないのかはわかりませんが)が、
多いような気がします。
別に出したくないなら、出す必要もないのですが、、、


ですが、先日、あるセミナーでこういう話をしました。
それは社内広報を担う方たちが集まったセミナーだったのですが、
多くの人に共通する悩みが「なかなか取材を受けてもらえない」とか
「なかなか情報提供で協力してもらえない」というものでした。


そのとき私が尋ねたことは、
「もしかして、遠慮しいしい、お願いしていませんか?」でした。
お願いする際に、
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんが」とか言ってませんか、と。
というのは、協力を得られない人は、そんなアプローチをしている気がしたのです。
いえ、忙しい相手を立てること自体は正しいのですが、
「遠慮している人」というのは、相手から見ると熱量が低く見えます。
相手は、遠慮しているなと思った時点で、
あまり面白いことに巻き込まれているとは思わず、
むしろ規定演技を義務的にすることが求められていると感じます。
その時点で断りたくなる。。。相手の気持ちを想像するとわかりますよね。


でも!
仮にその話が「おもしろそうな話」に思えたとしたらどうでしょう?
あるいは、「とても有意義なこと」と思えたとしたらどうでしょう?
誇りを持って参加したくなりますよね。


頼みにくく、遠慮が働く気持ちはわかります。
でも、相手はむしろ「いかに重要なことか」を
聞かせてほしいと思っているかもしれませんよ。
だから、まずは自分がその意義を語れる熱量を持っているか、ですかね。
アツけりゃいいというわけではありませんが、
自分が持っている本当の「熱量」と依頼などの振る舞い方での「熱量」、
比較してみると客観視できるかもしれませんね。


素敵な1週間を!

あなたは、もし上司から「何でもやっていいよ、
今までやっていないようなことにチャレンジしてほしい」と言われたら困りますか?
先週、ある企業のトップから、社内に対しては「何でもやって良い」という
メッセージを出していると伺いました。
でも、「何でもやって良い」と言われると戸惑う人もいる...
そんなことに話が及んだので、今日はそこを糸口に考えていきたいと思います。
確かに、戸惑わない人より、戸惑う人の方が多いような気がしますよね。


その方も上場企業の社長でしたが、
おそらく社長やリーダーになっていく人たちは、
「何でもやってよい」と言われて困ることはないと思います。
私も、規模は小さくても一企業の社長をしているわけですが、
若い時から、言われなくても何でもやってきたように思います。
「何でもやってよい」と言われると困る人と困らない人の違いは何なのでしょうか?


あ、誤解があるといけませんね。
ここでは、困らない人の方がエライと言いたいわけではなく、
いろいろな価値観や行動パターンがあることに目を向けたうえで、
私自身にとってもヒントになることを探したくて書いています。


「何でもやってよい」と言われて困るということの本質は何でしょうか?
きっと「そう言われても、何をしていいかわからない」ということですよね。
この状態は、何かをしたいという欲求がない状態とも言えますし、
見方によっては、あまり考えずにいる状態とも言えます。
というのは、欲求というのは好奇心を抱いて初めて湧いてくるものですが、
物事をぼーっと眺めていただけでは好奇心は湧いてこないからです。


こんな状態でチコちゃんに出会ったら、
「ボォーと生きてんじゃねーよ」と叱られてしまうかもしれません(笑)


でも、、、
果たして、好奇心も欲求もないという人は存在するでしょうか?
私は人間である以上、誰もが持っているものだと思います。
ところが、自分の好奇心や欲求に意識を向けて暮らしている人は
意外に少ないのかもしれません。
というのは、考えないことには好奇心が生まれない、
好奇心が生まれないと欲求も生まれないという図式から見ると、
考えるからこそ気持ちが動き出すわけです。
ところが、戦後の学校教育では考えることを疎かにしてきたからか、
多くの人は自分の好奇心や欲求に気づけない、それが私の仮説です。


幸いなことに、私自身は小学校の3〜4年生の時に、
考える楽しさを教えてくれる素晴らしい先生と出会いました。
教え方も含めて、とても大きな影響を受けたと思います。


でも、考えることに慣れていない原因が学校教育にある、
と他責で考えてしまうのは簡単過ぎますよね。
特に、今の時代はAI社会です。
想像や創造など、人間だから持っている本来の能力を眠らせておいたなら、
ロクなことになりません。


では、自分の考えを深めるためのコツはあるのでしょうか?


私は、考えることに慣れていない人は、
考える際の入り口で性急に答えを求めすぎなのではないかと思うことがあります。
たとえば「何でもやってよい。何をするか考えて」と言われたとします。
このときに、考えることに慣れている人は、
「何をすべきか」といきなり考え出しません。
でも慣れていないと、そこから考えようとしてしまうのではないでしょうか。
入り口で、結論的な答えを見つけようとしてしまうと、
考えることなどできないということを知らないために、
うまく考えることができないのではないか、
これが私の仮説です。


では、考える行為の入り口にあるべきものは何でしょうか?
それは、心に湧いてきた「疑問」を
言葉にして自覚できるようにすることです。
「何をすべきか」というのも、一応「問い」の形式にはなっていますが、
この問いは「答えは何か?」と言っているのと同じなので、
考えを深めるように作用する問いではありません。
だから、最初にすべきことは素朴な疑問を言葉にすることだと思います。


しかし、こんな反論もあるかもしれません。
考えることに慣れていない人間にとっては、
その疑問さえ浮かんでこないのだ、と。


確かに、疑問さえ浮かばないという時点で、
考えるのをやめたくなってしまうことはありそうです。
というのは、学校で習うことの大半には正解がありましたが、
疑問に正解はありません。
正解がないのに、正解探しをしたくなるから、
それが私たちにとって大きなストレスになります。
でも、本当は正解がないからこそ、そこを楽しんだらいいのでしょうね。


また直感に対して否定的に感じてしまっていると、
それも考えない方向へと向かわせる気がします。
直感的にはこう思う、けれど理由はよくわからない...というときに、
プライベートはともかく、仕事の場では
なかなかそうは言いにくいのが実情ではないでしょうか。
でも、直感的に思ったことには大抵理由があります。
だからこそ、直感的に思ったことを大切にして理由を探していけば、
立派な考えにたどり着くはずなのですが、
直感的に思ったことはダメなことと決めつけていたり、
直感的に思ったことに理由なんてないと思い込んでいると、
自分の考えを育てられなくなってしまいます。
そうだとしたら、もったいないですね。


さて、、、
私のカンペ的な問いはこちらです。
「そもそも、これは何のため?」
オーソドックスだけど、強力な問いかけの代表選手です。


そして、自分は考えているつもり...という私のようなリーダーが注意すべきなのは、
自分の考えこそ正しいと固執せず、他の人の考えに目を向けることかもしれません。
さらに、若い人に対して考える楽しさを伝えること、ですかね〜?
私に影響を与えてくれた恩師のように。
これも、ここまで書いてきたから気づいたこと。書くって大切ですね。


なんやかんやたくさん書いちゃいましたが、
今日、私が一番伝えたかったことは、
自分の心の動きに対し、自分自身が興味を持つことの大切さです。
心をよぎった疑問や興味、ときめきやザワザワをスルーしないことは、
自分を大切にする基本中の基本ではないでしょうか。


ゴールデンウィーク直前の1週間。
平成最後の1週間です。
お互いに存分に味わいましょう!

お正月に家で、スター・ウォーズ・ストーリーの「ハン・ソロ」を見ました。
その中の1シーンから、ハン・ソロが、
いつ、どうやってチューバッカと出会ったのかがわかるのですが、
それを観ながら、「そうだ、やっぱり、柔軟性だ!」
と思ったので、私の気づきをシェアしますね。


最小限にとどめますが、ネタバレ要素ありなので、ご注意ください。


帝国軍に捕まったハンは猛獣の餌として地下に放り込まれるのですが、
その猛獣というのがチューバッカでした。
襲いかかってくるチューバッカにお互いここから出るために、
「戦っているふりをして、脱出しよう」とハンが提案。
協働して脱出に成功します。


そのエピソードが面白いのはもちろんなのですが、
【猛獣=敵】と思い込まず、
【猛獣=お互いに脱出したい】とフレキシブルに考える、
そんな柔軟な発想をすることが、強く生きるコツなのかも...と感じました。


ところで、そもそも発想が柔軟というのは、
どういうことを意味するのでしょうか?
一つの考え方として、こういうことが言えるかもしれません。
物事を多面的な観点から見ることができること。
言い換えると、豊富な視点から観察したり、
意味を見つけ出したりできること、です。


こんな逸話?(寓話?)を聞いたことはありませんか?
「裸足の国で靴は売れるか?」です。
ある靴メーカーにAさん、Bさんという二人のセールスマンがいて、
二人は市場開拓のために、ある国に派遣されます。
その国の人たちは全員裸足...。
Aさんは「誰も靴を履いていないのだからニーズがない」と考え、
Bさんは「ここには膨大なマーケットが広がっている」と考えた。
この例はセールスやマーケティングでよく語られる話ですが、
どちらか一方が正しいという趣旨で、この例を挙げたわけではありません。


ここではAさんとBさんという別々の人物が登場していますが、
同じものを見たときに、同じ人が二つ以上のことを考えられること、
それが物事を多面的に捉えられているということだと思います。


では、柔らかいアタマはどうやったらつくれるのでしょうか?


何かに取り組む必要性が生まれたときに、
よく「ゼロベースで考えよう」と言われますが、
固定観念に縛られていることに気づいていないのですから、
そうアドバイスされても簡単にできませんよね。
私は、いつも何も考えずに暮らしている人が、
急に柔らかい発想をするなんて無理だと思います。
私の周りの友人知人で、この人は発想が柔らかいな...と感じる人は、
暮らし方や日常の仕事の仕方自体が柔らかい場合が多いです。
ストップをかけていないし、伸びやかな印象というのでしょうか。


忙しくても、いえ、忙しいからこそ、ちゃんと調べるとか、
いつもとは違うテーマや進め方を考えてみるとか、
常に疑問を抱いているとか、
自分がやってみたいことに人を誘っているとか、
行ったことのない店でランチを食べるとか、
人や本、映画やイベントからインプットを得ているとか、、、、
そういう人に発想の柔らかい人が多い。


あ、そうか、こうやって並べてみると、
「主体性」はやわらかアタマをつくるための柔軟剤になりうるのかもしれません。
「主体性」の対義語は、「受動性」「従属性」です。
そっちに行っちゃうと、アタマは固くなっていくのでしょうか?
あ、これらを見ていて、もう一つ気づきました。
同じことを繰り返さない、趣向を変えるというのもポイントかもしれませんね。


私自身は柔軟かどうかはともかく、
「視点発見の旅」というコンセプトでこのメルマガを出すぐらいですから、
視点フェチですね〜笑
でも、私も例外ではなく、人間である以上「思い込み」は避けられません。
一刀両断に言えば、ここに書いたこと自体が、一種の思い込みですから。
思い込みが悪いというより、
思い込みの奴隷にならないことが大切ってことでしょうか。
...ともっともらしいことを書いてこの辺で終わります。照笑


今週も素敵な1週間でありますように!

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最近、脳に関する本を2冊読みました。
1冊目は遅ればせながら脳科学者・池谷裕二さんと糸井重里さんの対談本
「海馬―脳は疲れない 」(新潮文庫)です。
よく物忘れは老化現象だと言われますが、
記憶や空間学習能力に関わる脳の器官である海馬は
何歳になっても成長を続けることができると知り、心強く思いました。
ただし、もちろん海馬の神経細胞は減ってもいくので、
細胞の減るスピードより増やすスピードが勝ればの話です。


もしかしたら、人の成長とは海馬の神経細胞を増やし、海馬を育てることだと
言い換えることができるかもしれません。
たとえば、新しい仕事や未経験の状況に直面した時、
それをストレスと感じるかどうかも、海馬が発達しているかどうかによるそうです。
海馬には「新しい環境はストレスではないんだよ」と自分に伝える役割があり、
海馬が発達しているとその機能が働くそうです。
海馬を意識的に育てることができれば、
新しいことへの挑戦もしやすくなるのではないかと思いました。


続いての2冊目は、山鳥重さんの著書
「『わかる』とはどういうことかー認識脳脳科学」(ちくま新書)です。
こちらの本を読んで、1冊目の本の感想を膨らませる形で想像したことがあります。
それは、海馬の神経細胞は
「わかろうとするエネルギー量」に比例して増えていくのではないか、
深くわかろうとすることで、海馬を育てることができるのではないか、
ということでした。


ところが、この「わかろうとするエネルギー量」は
人によって大きく異なっているというのが私の印象です。
いったい何によって違いが起きるのか、疑問に思い、考えてみました。
あくまで素人の私の推論というか、想像です。


さきほど書いたように、新しい仕事や未経験の状況に直面した時、
その際に何をどこまでわかる必要があるのか、その判断は人それぞれ異なります。
人によっては、何をわかる必要があるのか、そもそもわからない場合もあります。


山鳥さんも言っていますが、
わかるためにには、わからないことがあることに気づくことが先なんですよね。
わからないことに気づける状態というのは、
疑問が湧いて来る状態と言い換えられます。
でも、本当にわからない時、つまり頭が真っ白なとき、
もしくは頭が真っ白だとも自覚できない時には、
疑問さえ湧きませんね。


さて、そもそもわからないことがわからないという状態は脇に置いておくとして、
ある程度は見当がついた時に、何をどこまでわかる必要があるのかについて、
人は何を考えて判断しているのでしょうか。


私の仮説は、次のようなものです。
・人は生存本能に基づき、生存にとって重要なことを「わかるべき範囲」と考える。
・生存本能に基づく判断基準も、これもまた人それぞれですが、
 大別すると2つのタイプに分かれるのではないか?
.多いのは、「対処しなくては自分の生存意義が示せない」という判断基準。
 次は「創造してこそ自分の生存意義を周囲に示せる」という判断基準です。


つまり、目の前の事柄に「対処する」ためにわかろうとする、
多くの人がやっていることはそういうことではないか、これが私の仮説です。
この発想の場合、対処できればいいのであって、
彼らのわかった/わからないの基準は、
その範囲の内容で目前の課題に対処できるか、です。


一方で、「創造する」ためにわかろうとする人たちは、
湧いてきた疑問に対し、一過性の答えでは満足せず、
むしろ今後の応用に役立つような、本質を理解するための答えを知ろうとします。
彼らのわかった/わからないの基準は、今後に応用できるか、です。


さて、この仮説が正しいかどうかはわかりません。
ただ、新しいことに直面した際に、
たくさんのことを調べる人もいれば、
最低限のことで済ませようとする人もいる、
それは一般的傾向として事実なのではないでしょうか。


さて、、、
対処自体が悪いわけではありません。
対処することは必要なことです。
でも、自分の能力や可能性を考えた時、
もっといえば、自分の海馬を成長させようと思った時、
対処という発想で止まっていては、限界がありそうです。
海馬は何歳になっても成長させることができるそうです。
自分の脳をどうやって育てるか、
最低限、どうやって退化させないか、
できることはありそうな気がします。


いい人生を送るために、今日がどうあるべきか、
脳科学的な視点からも知恵を出したいものですね。
今週も素敵な1週間でありますように!

人と良い関係を築いたり、
自分や人を生かすために、知らないより、
知っていた方が良いことがありますよね。
なぜ、こんなことを書こうと思ったかというと、
最近、子どもの頃の夏休みの出来事を思い出したからです。


私は、川崎市多摩区で生まれ育ったのですが、
先週、久しぶりに多摩川沿いの道を車で走りました。
その時に思い出したのが、小学校6年生の夏休みに、
友達と多摩川に写生に来たことでした。


自転車で多摩川の河口に向かって写生していき、
たくさんの川の風景を絵にしようという話になったのです。
子ども心に、それはとても素敵な計画に思えました。
多摩川の河口がどんなふうに海に続いていくのか、見たい。
冒険心と達成意欲がかきたてられました。
ところが、友だちのほうは1カ所で絵を書き終えると飽きてしまったのか、
明日はどうするかと尋ねても上の空。
私は1人でやり続ける勇気がなく、その計画を断念しましたが、
こんなに楽しいことなのに、なぜ友達が興味をなくしてしまったのか、
ちっとも理解できなかった記憶があります。


自分が楽しい事は人も楽しいはずだ、と思っていたからです。
人の興味は私の興味とは違う、そうしっかり認識ができるようになったのは
大人になってから、それも大分遅かったと思います。


しかし、、、
実は、そういうことって私だけではなく、よくある話ではないでしょうか。


上司が部下に、こんな面白い仕事をなんでやりたくないのかと質問してみたり、
こんなやりがいのある仕事なのになぜ意欲的に取り組めないのかと迫ってみたり。
でも、人によって、興味を感じること、楽しいと思うこと、
やりがいがあると感じることは違いますから、
疑問視するのは、そもそもおかしいですよね。でも、やりがち。。。


さて、当社のセミナーでは、人の6つの欲求について紹介しています。
人が満たされたり、不満を感じる場合に関係するのが欲求です。


1)安心安全ニーズ...リスクを避けて、つつがなく暮らしたいという欲求
2)変化・多様ニーズ...マンネリではなく、変化に富んだ毎日を過ごしたいという欲求
3)自己重要感ニーズ...人から認められることへの欲求
4)愛とつながりニーズ...愛情や好意を求め、人とつながっていたいという欲求
5)成長ニーズ...成長、達成、自己実現、知識、挑戦、成功などへの欲求
6)貢献ニーズ...人の役に立ちたいという欲求


セミナー参加者に、仕事をしていて
自分がどういう時に気持ちが上がるか、
反対にどういう時に気持ちが下がるかを聞いてみると、
多いのは3番、5番、6番です。
上がる時も下がる時も、同じ欲求に関係すると言う人もいれば、
異なると言う人もいます。
また人はどの欲求も持っていますから、
環境や年齢によっても、満たしたい欲求の強弱が変わるのは当然です。


もちろん、私にもどの欲求もありますが、
多摩川の絵を描き続けることを断念した時、私があれほど残念に思ったのは
おそらく5番目の達成したいと言う欲求が満たされなかったからだと思います。
友だちが続ける気力をなくしたのは、夏休みに写生ばかりしていたくなかったから、
つまり変化・多様ニーズが強かったからなのかもしれません。


人間関係やコミュニケーションがうまく行かない時、
自分の欲求と相手の欲求に目を向けると、別のことが見えてくるかもしれませんね。


さて、不満の解決というよりも、自分や人を生かすために
知っていると便利なこともあります。
先程の達成欲つながりで、思い出したネタです。


「ストレングスファインダー」のことは以前にも紹介したかもしれません。
人の才能を34種類の「資質」に分けて、
どの項目がより強いのか、教えてくれるサービスです。
山登りに例えると、山の登り方はいろいろありますが、
「自分に合った山の登り方」を知るためのツールだと言えます。
上位5つの強みが何かを知るだけなら、2000円程度の費用でテストを受けられます。


ちなみに私の上位の強みは次の5項目でした。

1-Achiever-達成欲
2-Ideation-着想
3-Futuristic-未来志向
4-Learner-学習欲
5-Responsibility-責任感


先程の夏休みの逸話もそうですが、
どうやら私が達成志向の人間であることは、間違いなさそうです(笑)


あなたが仕事をしていて気持ちが上がる時、
下がる時はどんな欲求と関係していますか。
あなたにはどんな強みがありますか。
あなたの部下や後輩、同僚はどうですか。


人と自分が同じではないと言う当たり前のことを、
時々思い出すことは、いろんな意味で必要かもしれませんね。


今週も素敵な1週間でありますように!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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