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『ココロのミステリー』カテゴリの記事

 

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の
森喜朗前会長の女性蔑視発言に端を発した
後任会長問題は、橋本聖子前五輪相が就任し決着しました。
橋本さんの人柄や実績についてはよく知りませんが、
当初は過去のスキャンダルなどを理由に固辞していたそうです。
にもかかわらず、火中の栗を拾うようなこの状況で、
よく逃げずに引き受けられたと思います。がんばってほしいですね。


さて、今日の本題は「偏見」についてです。


森さんの発言は「失言」と報じられていました。
あの失言の本質は、言葉の表現の問題ではなく、
心の「本音」が出てしまったということだと思います。
だから、本来はあの発言がなければ良しということではなく、
そういう価値観の人物が組織委員会の長にいること自体が、
世界から問題視されたわけですよね。


今回の森さんの、女性は話が長いという発言内容には、
根っこに「偏見」がありました。
女性に対するネガティブで偏った先入観です。
でも、考えてみると、女性への偏見は未だに社会全体にありますよね。


別に森さんの肩を持つつもりはありませんし、
女性は被害者、男性が加害者と言うつもりもありません。
でも、現に日本のジェンダー・ギャップ指数は153カ国中、121位です。
これは、世界経済フォーラムが毎年発表している
経済・教育・保健・政治分野の男女平等度を表す指数のこと。
あまりの低さにびっくりしてしまいますよね。


話を元に戻すと、ある対象に対して、
ネガティブで偏った思い込みを持つというのは、
人間の特性だとも言えます。
思い込みが怖いのは、思い込んでいるがゆえに、
信じて疑わず、気づけなくなることです。


今回、新会長に就任した橋本聖子さんは、
「参院議員に初当選したとき、
『経済がわからないオリンピック選手がなぜ政治家になるのか』と揶揄された」
とご自身のサイトで書いています。
当選は1995年のことですから、最早26年前ですね。


では、今回の会長就任に対する社会の目はどうなのでしょう?
正直に告白しますよ。
私自身、橋本さんのことをあまり良く知らないのに、
橋本さんで務まるんだろうかと一瞬ですが思ってしまいました。
理由は、やっぱり元オリンピック選手の橋本聖子さんの印象の方が強烈で、
政治手腕やリーダーシップに長けているという印象が薄かったからです。
しかし、だからと言って、26年も政治家として活動して来た橋本さんに対し、
「橋本さんで務まるんだろうか?」と考えるのは失礼だし、やっぱり偏見です。


なぜ、こういうネガティブな先入観が出てくるのでしょうか。
理由を思いつくままに出してみました。
・知らないものに対して、人はそれだけで不安を感じてしまうから。
・アスリートと政治家、それぞれに求められる資質に共通点が見つからず、
 そう簡単に天は二物を与えないと思うから。
・客観的な判断材料がない時は、イメージの影響を受けやすいから。
・これまでに知っている限られた情報だけで、イメージを作り上げているから。
まあ、そんなところでしょうか。


こうして見ると、ほぼ全てにおいて誤解を招き寄せていますよね。
小さなことのようですが、
結局はその思い込みが差別意識とどこかでつながって行くのだと思います。
けれど、実際にはアメリカでは、俳優が大統領にも州知事にもなっています。
日本でも俳優だった森田健作さんは千葉県知事ですし、
東国原英夫さんも政治家でした。
アスリートだったから務まらないと思ってしまうのは、
まさに思い込み以外の何物でもありません。
芸能人によるSNSでの政治的社会的発言をバッシングする風潮にも、
同じような偏見を感じます。


私たちはどうしたら、思い込みを減らせるのでしょうか?
名案は浮かびませんが、
「思い込んでいない?」と自問する習慣をつけるしかありませんね。


コロナによって厳しい状況が続いているオリンピック/パラリンピック。
差別や偏見を乗り越えて来た歴史でもあるし、
ここまで大勢の人たちが努力してきたわけだから、
まさかの奇跡や素晴らしいアイデアによって、開催できるといいなぁと思います。
加えて、私は自分が女性なので、これを機にジェンダーギャップの大幅改善が進み、
国際社会での日本のイメージが変わるといいとも思います。
もしかしたら「オリンピックは無理」というのも、思い込みなのかな?


来週はもう3月です。春の足音が聞こえてきますね。
素敵な1週間をお過ごしください。

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あっというまに2月になってしまいましたね。
時の速さにため息が出ます。
さて、今日のテーマを単刀直入に言うと、
私たちは今、「集中力散漫社会」のネガティブスパイラルの中にいるのでは?
という話です。


実はこれ、先週の私の体験に基づいて考え、
調べた結果、わかったことです。


自分で言うのもなんですが、私の取り柄の一つに、
集中力が高く、しかも持続できる...というものがあります。
なのに、先週の私は、集中したいことにまったく集中できませんでした。
当然、パフォーマンスは下がります。


集中力という観点で自分を振り返ってみると、
もしかしたら、これは先週始まったわけではなく、
ここ最近の傾向であり、むしろ徐々に下がっているのではないかと思えてきました。
さらに考えていくと、このような私の感覚は、
ひょっとしたら私にだけ起きているのではなく、
日本中で起きているのではないか、、、と思ったんですね。


どういうことでしょうか?
生産性と人の集中力というのは正比例の関係にありますよね。
逆に言えば、気が散る時間が多いと生産性は下がる。
だから、気が散る要素を放置しておくと、当然、生産性は下がるわけです。


私の日常で言えば、Slackやメールを読んだり、
それに伴って指示や助言をすることが「気が散る要素」に当たりますが、
このような状況にあるのは、私だけではないと思います。
「通知」という親切な機能が、皮肉にも集中力を邪魔します。
PCだけではなく、スマホにはSNSなどからも通知が届きます。
(設定を変えろという話もありますが。。。)
通知が入るたびに、マルチタスクモードがオンになり、
内容を把握しようとし、必要に応じて応えようとする。
そうすると、本当は集中したかったことから、どんどん意識が離れていきます。


ニューヨーク大学のアダム・オルター教授の研究では、
興味深いことがわかっています。
人がメールをチェックするのに、使っている時間はたった6秒だそうですが、
メールチェックを終えて、元の集中状態に戻すのに、25分かかるというのです。


また、「マルチタスクは脳を疲れさせる」と語るのは、
精神科医であり禅僧でもある川野泰周さん。
Study Hackerのインタビューで次のようなことを述べています。
複数のことを同時に処理するマルチタスクのために、
脳の中のデフォルト・モード・ネットワークという部分が働くそうなのですが、
この部分、エネルギーの消費効率が悪く、
多くのエネルギーが使われる結果、脳を疲れさせてしまうというのです。
脳が消費するエネルギーの6割もがこの部分で使われているという報告も。


デフォルト・モード・ネットワーク? 初耳です。
どうやら、特定の対象に意識を向けず、いろんなことに意識を向けたり、
とりとめもない意識状態の時に活性化する脳の回路のことのようです。
クリエイティブな着想などを得る際にも活躍する部分なのだとか。


一方で、ある事柄について積極的に思考を駆使したり、
意識的に注意を払ったりする状態を司るのは、
セントラル・エグゼクティブ・ネットワークという部分。
集中しているときは、脳のこの部分が使われているようです。


メールも、Slackも、Teamsも、
コミュニケーションという面では大切ですが、
マルチタスクと上手に付き合わないことには、
脳は疲労し、集中力は下がるということです。
その結果、当然生産性も下がってしまいますよね。
ついでに言うと、脳が疲れていると、考えることをやめてしまったり、
感情や悩みにさえ鈍感になっていく気がします。
エネルギーが足りずに悲鳴を上げている脳にとっては、
なるべく省エネでいたいはずだからです。
この状態が社会に蔓延しているとしたら、いいことナシ!
まさにネガティブスパイラルです。


では、私たちはどうしたらいいのでしょうか?
目下の私はこのように考えることにしました。


8対2の「パレートの法則」というのがありますよね。
・売上の8割は全顧客の2割が生み出している
・売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している
・売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している 等々
全体の数値の大部分は、全体を構成する要素の2割程度が生み出している
とする説です。


これは、仕事で費やした時間と成果の関係にも当てはまると言われていて、
成果の8割は、費やした時間全体の2割の時間で生み出されているというのです。
言われてみれば、そうかもしれません。
毎日毎日、8時間、集中を続けるなんてできませんからね。
8時間の2割ということは、1.6時間です。
まあ、少し欲張って1日のうちに2時間だけ集中しようと決めたら、
何となくできそうな気がしますよね。


あなたの脳は元気ですか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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あけましておめでとうございます。


箱根駅伝、ご覧になりましたか?
駒澤大学のアンカー石川拓真選手の力走と、奇跡の逆転劇、すごかったですね。
私は残念ながら、ニュースで知ったのですが、
それでも感動したぐらいなので、ライブで見ていたら鳥肌が立ったことでしょう。


「自分を信じて、諦めなければ、何かが起きる」
そう思って走ったそうですが、
たすきをもらったとき、1位の創価大学とは3分19秒もの大差。
それを逆転したのですから、、、、
大いなる力が味方したとしか思えないような快挙です。


さて、年始なので、今日は「大いなる力(のようなもの)」のご利益に預かるには
どうしたらいいのかということについて、真顔で考えてみましょう(笑
もちろん冗談。いえ本気。いや、冗談。でも、結構本気で(笑笑


大いなる力のようなものが存在する/しないは、当然人それぞれです。
存在するという物の見方は、ちょっと宗教的に聞こえるかもしれませんが、
ポジティブな思考にはポジティブな結果がついてくるというような、
一種の人生観のようなものなのだと思います。


で、実は割と多くの人がこのような考えを思っているのではないでしょうか。
「病は気から」なんていうのも、同じようなことです。
自分の気持ちのありようが、目に見えない力を動かし、良い結果につながる。
真剣に信じているわけではないけれど、心のどこかでそんなイメージを抱いている。
日本では「おてんとさま(お天道様)」などと呼ぶこともありますね。
狭義では太陽のことですが、広義では太陽を含む大自然のことです。
良い行いも悪い行いも、人が見ていなくても、「おてんとさまが見ている」と。
では、そのおてんとさま、いったい私たちの何を見ているのでしょう?
あ、真剣に受け止め過ぎないでくださいね。ただの想像の話ですから。。。


話は飛びますが、大晦日に夜更かしをして、
ディズニーの実写版「アラジン」を観ました。
主人公アラジンは生きるための盗みはするものの、
純粋な心の持ち主として描かれています。
洞窟に隠された魔法のランプを手に入れるよう命じられますが、
その洞窟には善良な心と優れた素質を持つ人しか入ることができません。
アラジンは見事洞窟に入り、すったもんだありながら、
ランプの魔法を借りて、人生を切り拓いて行きます。
魔法だなって、奇跡に近い、大いなる力の象徴です。
なぜ彼はランプを手にすることができたのか?
おてんとさま(ここでは洞窟)は彼の中に何を見たのか?
まあ、お話だから起きたと言ってしまえば、それまでですが。。。笑


石川選手の力走とその結果を見た時は、
おてんとさまが見ているのは、諦めない不屈の精神力?...とも思いました。
でも、それではおてんとさまの了見としては狭すぎる感じがします。

そうこう考えるうちに、
ふと、先月、Youtubeで見た田坂広志さんの講演を思い出しました。
それは、32歳のときに癌で余命宣告されたものの、
奇跡的に生き延びた、そんな体験に関するものでした。
現在、70歳でいらっしゃるので、本当にすごい話です。


余命宣告された田坂さんは、絶望的な気持ちのまま、
救いを求めてある禅寺に行ったそうです。
その寺に行くと治癒する人が多いと、両親に勧められたのがきっかけでした。
そこで禅師に言われたのは、励ましでも癒しでもなく、期待とは違った言葉でした。
「そうか、もう命は長くないか...。だがな、一つだけ言っておく。
人間、死ぬまで、命はあるんだよ!」


そう言われた田坂さんは、死ぬまで命があるにもかかわらず、
自分はすでに死んでいた、と気づいたそうです。
どうしてこんな病にかかってしまったのかと「過去」を悔い、
これからどうなるのだろうと「未来」を憂う。
そんなことばかりに時間を使い、「現在(いま)」を生きていない自分に愕然とし、
その日から生きる覚悟を決めたそうです。
人生にあるのは、永遠に続く現在(いま)だけなのだから、
いまを生き切れ。
そんなメッセージの動画でした。
こんな話を聞くと、田坂さんの著作はより一層深いものに思えてきます。


この動画を思い出した時、
3つの点が重なって、1つになりました。
石川選手にも、アラジンにも、田坂さんにも共通するもの、
それは「いまを生き切っている」ということです。
大いなる力が私たちに味方をしてくれることがあるとすれば、
それはきっと私たちが「過去」でも「未来」でもなく、
「いまを生きている時」なのではないでしょうか。
未来を妄想しやすい私ですが、いまを生きなければと思った年初でした。


さて、今日はこの辺で。今年もよろしくお願いします。
首都圏では緊急事態宣言が発出されるようですが、
他力本願にも他責にもならず、自分のいまを生きましょう!
素敵な1週間をお過ごしください。

先週6日、ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」を兄と共に率い、
ギタープレーで人々を魅了した、
エドワード・ヴァン・ヘイレン氏が亡くなりました。
彼のことを知らなくても、マイケル・ジャクソンの「Beat It」の
ギターソロを思い出せる人は多いのではないでしょうか。


私自身も、バンド「ヴァン・ヘイレン」については、
ヒット曲「Jump」とか、「You Really Got Me」ぐらいしか知りませんが、
彼らに限らず、ロックをこよなく愛します。
ロックのどこが好きなのかを考えてみたのですが、、、、
多分私は、ロックスピリットのコアにあるものを「意思の強さ」と捉えていて、
音楽的なこともさることながら、そういった精神性が好きなんですね。
だから、「なあなあ」なロックバンドとか、
ぶつかることを恐れてしまうロックバンドってありえない(笑)


さて、今、「意思の強さ」と書きました。
どんな強さかはともかく、あなたは自分に「強さ」を求めますか?
求めるとしたら、どんな「強さ」ですか?
自分が憧れる「強さ」を何かに例えると、どんなものになりますか?


私は、多くの人は、その人なりの価値観から、
何かしらの強さを自分に求めていると思いますし、
実際に何かしらの強さが人にはあるのだと思います。
でも、「強さ」にもいろいろなタイプがあります。
たとえば、、、


何があっても動じないハガネのような強さ
柳のようにしなやかで折れないという強さ
苦しくても9回裏で逆転するような粘れる強さ
謙虚に物を見られる強さ
毎日の小さな努力を積み重ねられる強さ
切れ味の良いナイフのような強さ
懐深い愛情で物事を受け入れる強さ
ネガティブなことをユーモアに変えてしまう強さ などなど....


自分が欲する強さがどんな強さなのか...のその答えの先には、
往々にして自分の強みがあったりするのかもしれません。


実は、私も去年、当社のDNAを探り出そうとして、
同じようなことを考えました。
企業DNAというのは、なぜ今日まで存続できたのか、
存続を可能にしてきた強み的な要素のことです。
企業の判断基準の元にある美意識や価値観だとも言えます。


その時に当社のDNAの一つとして整理されたのが、
「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。


もちろんいきなりこうした言葉が出て来たわけではありません。
当社が大切にしたい雑多な事柄が先にありました。たとえば...
 自然体、しなやかな、謙虚、自己変革、前例にとらわれない、品、
 やってみる、面白がる、気づける、発見する、最上志向、遊び、
 損得以外の価値、プロとしての自負、利益主義、雑談、ムダが大事...など。
他にも様々な概念が出された中で、
これらの概念はある種の強さを志向していると考え、
それをまとめたのが「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。


反対に強さに関してありたくないワードを出してみると...。
 根性、攻撃的、暴力的、高圧的、乱暴、横柄、批判、不安
 びくびく、おずおず、ネガティブ、依存体質、他人軸、他責
 プライドが高いだけ、プライドがない、評論家...など。


価値観や美意識に、正しいとか、間違っているということはありませんよね。
ただただ自分の価値観や美意識に背くと感じながら、
無理にほかの価値観に合わせようとすると、誰しも心が穏やかではなくなります。


だからこそ、採用活動/求職活動では、事業内容や職種だけでなく、
価値観が合っているかどうかを見極めることが大切ですよね。
なぜなら、心が穏やかではないということは、アンハッピーということだからです。
ってことは、自社の価値観を知るのも大切ですが、
自分の価値観を知るのが先決ということになるのでしょうか。
組織人である以上、1日8時間は働くわけですから、
価値観という切り口で自分の幸福を求めたり、
人と対話したり、社内メディアで話題にしたり、、、
時には必要かもしれませんね。


10月も中旬になってしまいました。
今週も素敵な1週間でありますように。

あなたは人の、あるいは自分の、「OS」について考えたことがありますか?
本来、OSとえば、Windowsの「Windows 10」、Macの「Catalina」のような
コンピュータのオペレーティングシステムですが、
それになぞらえて、今日は、人のOSとそのバージョンアップについて、
ヒントを探ってみたいと思います。


当社では、スタッフに対して成長には「スキル」より「OS」の方が大切だと
伝えています。
スキルというのは、OSの上で動くアプリケーションのようなものだからです。
といっても、では「人のOSとは何か?」と聞かれると、説明は簡単ではありません。


OSはパフォーマンスを左右するものだと考えると、
パフォーマンスを生み出すのは第一に思考と行動です。
思考が行動を作り、行動が思考を作ると言われるように、
パフォーマンスを高めるには、行動はもちろん重要ですが、
思考の質を高めることが必要です。


思考という言葉には「理」のイメージがありますが、
一方で、仕事でパフォーマンスの高い人は、
人間力のようなものを持っていることが多いのではないでしょうか。
これは、どちらかというと「感」のイメージですよね。
相手の気持ちを汲み取ったり、
場に起きていることを感じ取ったり、
人の気持ちに対してだけでなく、自分の気持ちにも素直であったり。。。
これらは、理屈というよりも、五感や感受性に寄るところが大きいですよね。


で、今、「理」と「感」を分けられるかのような書き方をしました。
一般に、しばしばこの二つはあたかも別のことのように扱われることが多いです。
でも、ふとこんな考えが浮かんできました。
本当にそうだろうか?と。
理的なこと、感的なことは確かに別々に存在しているような感じがしますが、
実は、その間はむしろ密接に連携し合っているもので、
明確には分かれていないのなのではないか、
むしろ人間の「理」の力と「感」の力は一体のもので、
1つのシステムとして、インプットとアウトプットを行なっているに違いない、と。


まあ、これ、専門家の誰それによれば...というような根拠もなく書いていますので、
真に受けないでくださいね。


ただ、こう考えると、まんざらウソでもないと思えるような...。
たとえば、目の前の誰かが、大笑いしながら、何かを話していたとします。
笑っているという表情の情報は目から入り、話す内容は耳から入ります。
この人が本当に楽しくて笑っているのか、
お愛想のためにウソっぽく笑っているのか、
あるいは、威圧するために笑っているのかは、
大抵の場合、人間の動物的感覚で何秒もかからずにわかります。
しかも、そこに至る過程の情報を理解していれば、
動物的感覚から得た情報に加え、分析的な思考が働き、笑いの真意がわかります。
「理」の力と「感」の力は一体的なもの...と思ったのは、そういうことからです。


そういう意味で、人のOSのバージョンアップを図るには、
思考の習慣を変える、思考の質を変える、
広い意味で感覚感度を高めるなどが役立ちそうですが、
抽象的にそんなことを言われても、何のヒントにもなりませんよね。


そこで、私の個人的な意見がお役に立つとも思いませんが、
OSを高めるためのアイデアをもう少し具体的に書いてみることにします。
私は「自分が『わかったか』どうかへの感度」を高めることは、
OSの質を高める上で効果があるのではないかと考えています。
自分自身の理解の状況さえ自覚できない時に、
他人のことなどわかるわけがない、というのがその理由です。


あなたは、自分の「わかった」と「わからない」の
その感覚をどのくらい意識していますか?
同じ「わからない」であっても、
経験を積むと、自分の抱く疑問点は明瞭になりますが、
若くて経験の浅い段階では、その感覚がぼんやりしがちです。
自分が、わかっているのか、わかっていないのか、わからないという感覚。
わからないことはわかっても、何がわからないのかわからないという感覚。
そんな状況に陥るのではないでしょうか。


「わかった」が成立する1つの基本パターンに、
こうだから、こうで、だからこう、なので、こう...というように、
前と後ろの関連がわかって、全体がわかるというものがあります。
ここで「わかった」感覚を支えるポイントは2つです。
・前後のつながりがわかる
・そのつながりに基づく全体像がわかる
そのパターンで「わかった」経験を重ねていくと、
段々自分がわかっている/いないに自覚的になれます。


さて、「自分が『わかったか』どうか」にアンテナを張ることも重要ですが、
「『わかったつもり』になっていないか」というアンテナを張ることは、
もっと重要だと思います。


「わかった」と思えた時、人はすっきりしています。
「わからない」と思う時、人はもやもやし、疑問が湧きます。
でも、その中間に「わかったつもり」というやっかいな状態が存在しています。
教育の専門家である西林克彦氏は、
その著書「わかったつもり〜読解力がつかない本当の原因」の中で、
「わかったつもり」というのは、
・わからない点はなかった
・自分のわかり方に、さして不満はない
・それほどはっきりした「よりわかりたいという欲求」はない
...と思っている時に起きると言います。


「わかったつもり」でいる時、その人はその状態に満足しているので、
それ以上に知りたいという欲求が起きません。
そのような状態の人に、さらにわかってもらうように上司として指導する場合、
上手な問いかけが必要ですが、そもそも本人が知りたいと思っていないので、
風穴を開けるのは簡単ではありません。
もちろん、これは上司の立場も同じです。
書いている私だって、「わかったつもり」に陥ることがあります。
でも、「わかった」「わからない」「わかったつもり」があることを、
みんなが知ってさえいれば、もう少しオープンに話せそうです。


2020年もあと3カ月。。。。
今週が素晴らしい1週間でありますように!

先日、あるメーカーの営業職Aさんから、素敵な話を伺いました。
BtoBtoBのビジネス構造で、
自分の思い込みを超えて、行動した...そんなエピソードです。
その要点をお伝えするために、
B1→B2→B3として、話をしたいと思います。


B1にいるAさんが、B3に働きかけても、話は聞いてもらえないからムダだ、と
前任者から引き継がれたそうです。
でも、AさんはB3に働きかけてみることにしました。
商流は今まで通りB1→B2→B3を前提として、です。
その結果、どうなったかというと...
B3と良い関係が築けて、B2との受注率が上がり、
価格的にも優位になった。
そんなエピソードでした。


ビジネスにおいて、B1はB3と接触してはならない。
もしかしたら、これは思い込みかもしれませんね。


私の人生において、人の話を鵜呑みにするのはやめよう、
人の判断より自分の判断だ...と最初に思ったのは23歳の頃でした。


当時、私は某大手石油会社の秘書室にいて、専務秘書になったばかり。
前任の先輩が社長秘書になったので、私がその後釜に入ったというわけです。
その専務は怒りの感情を素直に出す方でしたが、
前任の先輩はとても気に入られていました。


私は勝手がわからないので、専務から何かを指示されるたびに、
前任の先輩に判断を仰ぎました。
ところが、その先輩の指示通りやっても、専務はこういうのです。
「Xさんなら、そんなことはしなかった」。
そういうことが何度か続き、それなら自分で判断しようと思うようになりました。
あ、別に先輩を咎める意図は毛頭ありません。


その専務を担当させていただいたことは、
私の人生の中でとても良かったと思っています。
なぜなら世のお父さんたちはこういうボスを相手に
こんなにがんばっているんだ...とわかったので笑


さて話を元に戻します。
思い込んだり、他人の判断に単に踊らされるのは避けたいですよね。


今回の新型コロナウイルス騒動も同様です。
マスクがなくなるのはいざ知らず、
なぜ、トイレットペーパーまでもがこんなにもなくなってしまったのか。


未知なるものに不安を抱くのは仕方ありません。
でも、ガンにかかるリスクの方がはるかに高いです。
あー、いえ、別に新型コロナウイルスのことを強調したいのではありません。


私たちの思い込みにもっと目を向けるなら
「思い込み」「バイアス」のキーワードで検索すると、たくさんん出てきます。
ここでいう「バイアス」とは心理学でいう先入観や偏見、思い込みを指します。


そんな中でも「あるある」系は...
これまでの自分のやり方に固執して、それ以外を正当に評価をしない
「保守性バイアス」とか、
とりあえず周囲の人に合わせようとする「多数派同調バイアス」など。


自分だけの傾向ではなく、人はみんなそういう傾向があると知っていると、
自分を客観視しやすくなりますよね。
私が陥りがちなバイアスには、どんなものがあるかな?
...なんて、振り返った先週でした。


と書いてから気づいたのですが、これは先週の阿部のメルマガとも通じるものがあります。
「同調バイアス」などは前回のメルマガでも紹介されていましたね。
グラスルーツ、バイアスの話ばかりしやがって、、と思わないでくださいね(ペコ)


まだまだ落ち着かない日々が続きそうですが、
素敵な1週間でありますように!

あなたにとって恐怖であるのはどんなことですか?
私にとって、第一の恐怖は「自由を奪われること」、
第二の恐怖は「成長が止まってしまうこと」です。


具体的な統計などを調べたわけではありませんが、
第一の恐怖になるのは、生存やアイデンティティなど
本能に関わることではないでしょうか。
それに対し、第二の恐怖にはその人特有の価値観や体験が現れる気がします。


そう、今日考えたいのは「成長が止まってしまう恐怖」についてです。


私がここで思い描く「成長が止まってしまった状態」とは、たとえば
・学ぶ意欲がなくなる
・美しいものを見ても何も感じなくなる
・観察したり発見することに関心がなくなる
・新しいことをやってみようと思わなくなる


せっかく人間に生まれてきたのに、
感じたり、考えたり、トライしない人になってしまうことです。
待っているのは、食べて寝て、食べて寝てを繰り返すだけの日々。
きゃー 考えただけでも恐怖。。。


私のこの話を聞いて
「確かにそういうのはイヤだ」と思ってくださった方、
少なくないかもしれません。


それなのに、それなのに!
私たち人間は結構な怠け者でもあります(笑
言葉には出さなくても、心の中ではたくさん自分に言い訳しています。
でも、それは決して怠けたいからではないんですよね。


成長が止まることも間違いなく恐怖なのに、
立ち止まって自分の本心を見つめたり、
新たな一歩を踏み出してみることに対して、
小さな恐怖感を抱いているのではないでしょうか。


話は横道にそれますが、
今月14日で最終回を迎えたテレビドラマ「俺の話は長い」、
ご覧になっていましたか?
ニートとして描かれている主人公の岸辺満(生田斗真)は、
コーヒーに情熱を持ち、若くしてカフェ経営に乗り出したものの、経営破綻。
それ以降、「働きたくないわけじゃないが、
やりたいことが見つからない」を理由に、ニート歴6年に。
どう見ても、プライドが邪魔をして、現実逃避しているようにしか見えません。


このドラマが話題になっていたのは、
自分を巧みな屁理屈で正当化する主人公の表の顔と
変わりたいけど、変われない自分であることを知っている裏の顔
そのギャップに魅力があったからだと思います。
そして、多くの人が、自分の中にもそんなところがあると思ったから
共感されたのではないでしょうか。


だけど、不安や恐怖というのは、
自分の頭の中で作られるイメージから生まれるものなので、
そこから逃れるには、動いてみて、
その不安は自分の頭が作り出したただのイメージだったと知るしかありません。
ドラマの最終回、ついに満はスーツを着て面接に行きました。。。。


大人になると、自分を育てることができる唯一無二の存在は自分ですよね。
反対に、自分を邪魔するのも自分です。
満が最後に見せた勇気に、目をうるうるさせながら、
そんなことを考えました。いいドラマでした。


今回が年内最後のブログです。
今週が終わると正月休みという方も、
年末ギリギリまで仕事という方も、
どうぞ良いお年をお迎えください。

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あなたは、どんな時に「書く」という行動を取っていますか?
パッと頭に浮かぶのは、メールや報告書、パワポ資料などでしょうか。
手書きに限った場合は「打ち合わせでメモを取る」かもしれません。
では、それ以外ではどんな時にどんな目的で書いていますか?
今日は、仕事でメモを取る以外のシーンでの「書く」について考えます。


人はどんな目的で書いているか、リストアップしてみました。
・しなくてはならないことを忘れないため
・したことを記録するため
・思いついたアイデアなどを忘れないため
・アイデアを出すため
・なるほどと思った知識を読み返せるようにするため
・感情を鎮めるため
・自分を振り返るため
・計画するため
・自分の考えを整理するため etc.


まだまだあるかもしれません。
また最近は紙に書くというより、
スマホに打つという人が多いような気がします。


人が、どんな時に書くのかをリスト化すると、
上の例のようにいろいろあることがわかりますが、
実は書いている人はそれほど多くない気がします。
さらに、「アイデアを出す」「考えを整理する」という目的で書いている人は、
なおさら少ないのではないでしょうか。
いや、すみません、根拠はありません。
実際、あなたやあなたの周りの方はどうですか?


さて、アイデアを出すことと、考えを整理すること。
前者は思考を発散し、後者は思考を収束させていくので、
ある意味、180度反対の行為です。
それなのに、いずれも「書く」ことでスムーズに出来たりします。


まず、「アイデア」を出すことと「書く」ことはどう関わっているのか、
考えてみましょう。
アイデアを出すための代表的なアプローチとして、
ソクラテスの時代から使われているのが「連想」です。
一つの事柄から、切り口を変えてたくさん連想した言葉を出します。
似たもの、対照的なもの、共通性のあるもの、因果関係にあるもの...
よくマインドマップが使われたりしますよね。
また1つの質問から複数の答えを出す
マンダラートというツールも使われたりします。
最近はアプリを使う人もいますね。


いずれも、思考を「発散」させるために、
たくさん書くのがポイントです。
アイデアというのは異なる要素の組み合わせから生まれるので、
要素が多い方が出てくるアイデアに幅が出ます。
それなのに、もし書かなかったらどうなるでしょう?
たくさんの要素が出てきたとしても、次から次へと忘れてしまいますよね。
脳はそんなにたくさんのことを一度に覚えられないからです。
第一、頭の中だけでやろうとすると、
「たくさん出すぞ!」というスイッチが入りません。
また要素を組み合わせるという段階で、
視覚的に見えている方が組み合わせもしやすいですよね。
だから、アイデアを出す時に、たくさん書くことが有効なのだと思います。


では、「考えを整理する」ことと、「書く」ことは
どう関係しているのでしょうか。
まず、考えを整理するためには、何を書くと良いのでしょうか?
これは、人にもよるかもしれませんね。
私の場合は、考え出す前に、まず「問い」を書きます。
考えるべきことは何かを先に考えるということです。
そして、考えられる答えは1つでない場合もありますが、
それらもまた書きます。
テーマによって、「問い」は違ってきますが、
よく出てくる「問い」もあります。
「ここで言う○○とは何か?」と
「どうなったらうれしいか?」です。


「考えを整理する」ために「書く」ことが有効なのは、
「問い」が見えるようになるからかもしれません。
人間は気まぐれなので、考えはあっちに行ったり、
こっちに行ったりしがちです。
「問い」を書いておくと、戻り地点があるので、
自分が何を考えていたのかが迷子になりません。


スマホ、ノート、白い紙...
ボールペン、シャーペン、フリクション...
ツールはいろいろありますが、
私が一番好きなのはホワイトボードです。
ディスカッションの時はもちろんですが、
一人で考える時も、なぜかホワイトボードを使うのが好きです。


あなたは、どんな時にどんなことを書きますか?
書くようにしていることはありますか?


11月最終週です。
素敵な1週間をお過ごしください。

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先週の私は、ある出来事をきっかけに怒りの感情と向き合うことになりました。
怒りというのは、二次感情と言われ、悲しみ、悔しさ、虚しさ、辛さ等の
一次感情の次に起きると言われます。
また、状況が自分の「べき」論と一致せず、それが許容できない時に起きる
とも言われています。


実際に今回の体験を振り返っても、それが当てはまりました。
自分が被害を被ったことに対し、悔しさや虚しさを感じ、
相手は倫理的に対応すべきである、という気持ちから怒りが湧いてきた
と思うからです。


日本アンガーマネジメント協会によると、
人の怒りには6つのタイプがあるのだとか。


「公明正大」タイプ
「博学多才」タイプ
「威風堂々」タイプ
「外柔内剛」タイプ
「用心堅固」タイプ
「天真爛漫」タイプ


多分私の場合は「公明正大」と「天真爛漫」のミックスではないかと思います。
道徳観を大切にするので、それに反することに出くわすと
正義感を振りかざしたくなる、、、
という傾向と、
気持ちを正直に伝えるのは良いこと、という思い込みがあり、
「腹に一物」はストレスになる、
という傾向があるからです。


ご自分の怒りの特性にご興味があったら検索してみてください。


ただし、日本アンガーマネジメント協会によると、
怒りを抑え込むのではなく、上手に付き合うことが大切のようです。


人はコントロールできないことに囚われると、ストレスを感じます。
自分がコントロールできるのは自分の思考と行動だけですから、
コントロール不能なことだらけの日常生活はストレスでいっぱいです。
だとしたら、それに怒りを抱くのは、バカらしいことでもあります。
そう思うと、怒りは冷めていきますね。


人の感情をキャラクター化して描いた
ピクサーの映画「インサイド・ヘッド」が物語るように、
人間が抱く感情にいけない感情はありません。
でも、ネガティブ感情と健康的に付き合うのは簡単ではありませんよね。
自分は今、怒っていると自覚する。
それだけで、少しは客観視できるような気がします。


今週は10月に突入。
素敵な1週間でありますように!

今日のテーマは先日(7/22)に続き「ネガティブ・ケイパビリティ」です。


この言葉を知ったのは最近ですが、私の意識の中にずっとモヤモヤあり、
初めてこの言葉に触れた時、「なるほど、そういうことか!」とスッキリしました。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という能力は、
もしかしたら問題解決力より重要かもしれないと思う今日この頃です。


私の中に、どんなモヤモヤがあったかというと、、、、
たとえば、何か結論を出す必要があることに直面した場合、
当然、答えを出そうと思いますよね。
特に仕事では、早く結論を出せる人/早く解決できる人が優秀、と見なされがちです。
それは、ある面では正しいし、異論はありません。
私自身、どちらかというと決断は早い方だと自負しています。
それでも、こんな視点から違和感がありました。
それを端的に言うと、みんな「答えを得ることを急ぎすぎではないか?」です。


あるいは、こういう言い方もできるかもしれません。
みんな、答えを出すまでの時間に対して、忍耐がなさすぎるのではないか?
早く答えがほしいから、みんな、急いで答えを出そうとする。
そして、忍耐できないでいる自分に気づかず、
早く答えを出すことが良いことだという理由の元に、
急いで答えを出しているのではないか?
そんなふうに思うことがあり、モヤモヤや違和感を感じていました。


なぜそう思うのかと聞かれても、ただの直感としか言えません。
いろいろなシーンで、「この答えを出すのは、そんなに簡単なことではないな...」
と私は直感的に感じるのですが、
簡単に答えを出そうとするアプローチによく出くわします。


おやおや、、、すみません!
今日のテーマに対する問題意識、事前説明が長すぎました。
話を今日のキーワード「ネガティブ・ケイパビリティ」に戻しますね。


「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何か?
私は、この言葉とどこで出会ったのか?
まずはそんな話をさせてください。


出会ったのは、こちらの書籍です。最近読みました。
「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」
(著:帚木蓬生、刊:朝日選書)
著者は小説家であり、精神科医です。
(ペンネームの読み方が難しいですが、ははきぎ ほうせいと読むようです)
https://www.amazon.co.jp/dp/4022630582/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_AIewDb01XAGYQ


「ネガティブ・ケイパビリティとは?」については、
たくさんの説明が成り立ちますが、著者による端的な表現が、
本書の本文1行目に出てきます。
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」あるいは
「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、
懐疑の中にいることができる能力」です。
「ネガティブ・ケイパビリティ」で検索すると、
「ネガティブ思考」を肯定するような説明に出会いますが、
私の理解では、そういうことではないと思います。


私がこの言葉の概念に「ほぉー」と思うのは、
一般常識とはちょっと違ったことを言っているからです。
一般的に問題を解決する能力は高い方がいい...という常識があります。
でも、この「ネガティブ・ケイパビリティ」はそうではありません。
即座に解決するよりも、その訳のわからない状況に身を置いて、
佇むことの必要性を言っています。


なぜこの力が必要だと著者は言うのでしょうか。
著者によると、ヒトの脳には「分かろう」とする特性が備わっているので、
分からないものや不可思議なものが放置されていると、
脳は落ち着かなくなり、なんとか分かろうとするのだそうです。
ところが、そこに落とし穴があり、
〈「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、
より高次元まで発展しないのです〉と著者は言います。
なるほど! これだと私は思いました。


今日、これを取り上げたかったのは、
この力は、「考えを深める」という行為において、
必要不可欠だと思ったからです。


なので、私なりに、
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
というものを、別の言葉で、言い換えてみました。


その1:たとえ不安にかられたとしても、決して焦らずに時間をかけて問題を見極め、
最後の最後にじっくりと答えを出す、そんな能力。
その2:考えるべきことに向き合いながら、頭がパンパンになったとしても、
「もうムリ!」と諦めず、他の答えの可能性がないか、追求し続ける能力。


そんな力と言い換えられます。
簡単にわかったつもりにならずに、考え続ける。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という視点で自分を育てていく。
この本はそんな視座を与えてくれました。


お盆明けで今日が初日という方もいらっしゃるかと思います。
今週も素敵な1週間でありますように!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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