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『ココロのミステリー』カテゴリの記事

 

あなたは、もし上司から「何でもやっていいよ、
今までやっていないようなことにチャレンジしてほしい」と言われたら困りますか?
先週、ある企業のトップから、社内に対しては「何でもやって良い」という
メッセージを出していると伺いました。
でも、「何でもやって良い」と言われると戸惑う人もいる...
そんなことに話が及んだので、今日はそこを糸口に考えていきたいと思います。
確かに、戸惑わない人より、戸惑う人の方が多いような気がしますよね。


その方も上場企業の社長でしたが、
おそらく社長やリーダーになっていく人たちは、
「何でもやってよい」と言われて困ることはないと思います。
私も、規模は小さくても一企業の社長をしているわけですが、
若い時から、言われなくても何でもやってきたように思います。
「何でもやってよい」と言われると困る人と困らない人の違いは何なのでしょうか?


あ、誤解があるといけませんね。
ここでは、困らない人の方がエライと言いたいわけではなく、
いろいろな価値観や行動パターンがあることに目を向けたうえで、
私自身にとってもヒントになることを探したくて書いています。


「何でもやってよい」と言われて困るということの本質は何でしょうか?
きっと「そう言われても、何をしていいかわからない」ということですよね。
この状態は、何かをしたいという欲求がない状態とも言えますし、
見方によっては、あまり考えずにいる状態とも言えます。
というのは、欲求というのは好奇心を抱いて初めて湧いてくるものですが、
物事をぼーっと眺めていただけでは好奇心は湧いてこないからです。


こんな状態でチコちゃんに出会ったら、
「ボォーと生きてんじゃねーよ」と叱られてしまうかもしれません(笑)


でも、、、
果たして、好奇心も欲求もないという人は存在するでしょうか?
私は人間である以上、誰もが持っているものだと思います。
ところが、自分の好奇心や欲求に意識を向けて暮らしている人は
意外に少ないのかもしれません。
というのは、考えないことには好奇心が生まれない、
好奇心が生まれないと欲求も生まれないという図式から見ると、
考えるからこそ気持ちが動き出すわけです。
ところが、戦後の学校教育では考えることを疎かにしてきたからか、
多くの人は自分の好奇心や欲求に気づけない、それが私の仮説です。


幸いなことに、私自身は小学校の3〜4年生の時に、
考える楽しさを教えてくれる素晴らしい先生と出会いました。
教え方も含めて、とても大きな影響を受けたと思います。


でも、考えることに慣れていない原因が学校教育にある、
と他責で考えてしまうのは簡単過ぎますよね。
特に、今の時代はAI社会です。
想像や創造など、人間だから持っている本来の能力を眠らせておいたなら、
ロクなことになりません。


では、自分の考えを深めるためのコツはあるのでしょうか?


私は、考えることに慣れていない人は、
考える際の入り口で性急に答えを求めすぎなのではないかと思うことがあります。
たとえば「何でもやってよい。何をするか考えて」と言われたとします。
このときに、考えることに慣れている人は、
「何をすべきか」といきなり考え出しません。
でも慣れていないと、そこから考えようとしてしまうのではないでしょうか。
入り口で、結論的な答えを見つけようとしてしまうと、
考えることなどできないということを知らないために、
うまく考えることができないのではないか、
これが私の仮説です。


では、考える行為の入り口にあるべきものは何でしょうか?
それは、心に湧いてきた「疑問」を
言葉にして自覚できるようにすることです。
「何をすべきか」というのも、一応「問い」の形式にはなっていますが、
この問いは「答えは何か?」と言っているのと同じなので、
考えを深めるように作用する問いではありません。
だから、最初にすべきことは素朴な疑問を言葉にすることだと思います。


しかし、こんな反論もあるかもしれません。
考えることに慣れていない人間にとっては、
その疑問さえ浮かんでこないのだ、と。


確かに、疑問さえ浮かばないという時点で、
考えるのをやめたくなってしまうことはありそうです。
というのは、学校で習うことの大半には正解がありましたが、
疑問に正解はありません。
正解がないのに、正解探しをしたくなるから、
それが私たちにとって大きなストレスになります。
でも、本当は正解がないからこそ、そこを楽しんだらいいのでしょうね。


また直感に対して否定的に感じてしまっていると、
それも考えない方向へと向かわせる気がします。
直感的にはこう思う、けれど理由はよくわからない...というときに、
プライベートはともかく、仕事の場では
なかなかそうは言いにくいのが実情ではないでしょうか。
でも、直感的に思ったことには大抵理由があります。
だからこそ、直感的に思ったことを大切にして理由を探していけば、
立派な考えにたどり着くはずなのですが、
直感的に思ったことはダメなことと決めつけていたり、
直感的に思ったことに理由なんてないと思い込んでいると、
自分の考えを育てられなくなってしまいます。
そうだとしたら、もったいないですね。


さて、、、
私のカンペ的な問いはこちらです。
「そもそも、これは何のため?」
オーソドックスだけど、強力な問いかけの代表選手です。


そして、自分は考えているつもり...という私のようなリーダーが注意すべきなのは、
自分の考えこそ正しいと固執せず、他の人の考えに目を向けることかもしれません。
さらに、若い人に対して考える楽しさを伝えること、ですかね〜?
私に影響を与えてくれた恩師のように。
これも、ここまで書いてきたから気づいたこと。書くって大切ですね。


なんやかんやたくさん書いちゃいましたが、
今日、私が一番伝えたかったことは、
自分の心の動きに対し、自分自身が興味を持つことの大切さです。
心をよぎった疑問や興味、ときめきやザワザワをスルーしないことは、
自分を大切にする基本中の基本ではないでしょうか。


ゴールデンウィーク直前の1週間。
平成最後の1週間です。
お互いに存分に味わいましょう!

お正月に家で、スター・ウォーズ・ストーリーの「ハン・ソロ」を見ました。
その中の1シーンから、ハン・ソロが、
いつ、どうやってチューバッカと出会ったのかがわかるのですが、
それを観ながら、「そうだ、やっぱり、柔軟性だ!」
と思ったので、私の気づきをシェアしますね。


最小限にとどめますが、ネタバレ要素ありなので、ご注意ください。


帝国軍に捕まったハンは猛獣の餌として地下に放り込まれるのですが、
その猛獣というのがチューバッカでした。
襲いかかってくるチューバッカにお互いここから出るために、
「戦っているふりをして、脱出しよう」とハンが提案。
協働して脱出に成功します。


そのエピソードが面白いのはもちろんなのですが、
【猛獣=敵】と思い込まず、
【猛獣=お互いに脱出したい】とフレキシブルに考える、
そんな柔軟な発想をすることが、強く生きるコツなのかも...と感じました。


ところで、そもそも発想が柔軟というのは、
どういうことを意味するのでしょうか?
一つの考え方として、こういうことが言えるかもしれません。
物事を多面的な観点から見ることができること。
言い換えると、豊富な視点から観察したり、
意味を見つけ出したりできること、です。


こんな逸話?(寓話?)を聞いたことはありませんか?
「裸足の国で靴は売れるか?」です。
ある靴メーカーにAさん、Bさんという二人のセールスマンがいて、
二人は市場開拓のために、ある国に派遣されます。
その国の人たちは全員裸足...。
Aさんは「誰も靴を履いていないのだからニーズがない」と考え、
Bさんは「ここには膨大なマーケットが広がっている」と考えた。
この例はセールスやマーケティングでよく語られる話ですが、
どちらか一方が正しいという趣旨で、この例を挙げたわけではありません。


ここではAさんとBさんという別々の人物が登場していますが、
同じものを見たときに、同じ人が二つ以上のことを考えられること、
それが物事を多面的に捉えられているということだと思います。


では、柔らかいアタマはどうやったらつくれるのでしょうか?


何かに取り組む必要性が生まれたときに、
よく「ゼロベースで考えよう」と言われますが、
固定観念に縛られていることに気づいていないのですから、
そうアドバイスされても簡単にできませんよね。
私は、いつも何も考えずに暮らしている人が、
急に柔らかい発想をするなんて無理だと思います。
私の周りの友人知人で、この人は発想が柔らかいな...と感じる人は、
暮らし方や日常の仕事の仕方自体が柔らかい場合が多いです。
ストップをかけていないし、伸びやかな印象というのでしょうか。


忙しくても、いえ、忙しいからこそ、ちゃんと調べるとか、
いつもとは違うテーマや進め方を考えてみるとか、
常に疑問を抱いているとか、
自分がやってみたいことに人を誘っているとか、
行ったことのない店でランチを食べるとか、
人や本、映画やイベントからインプットを得ているとか、、、、
そういう人に発想の柔らかい人が多い。


あ、そうか、こうやって並べてみると、
「主体性」はやわらかアタマをつくるための柔軟剤になりうるのかもしれません。
「主体性」の対義語は、「受動性」「従属性」です。
そっちに行っちゃうと、アタマは固くなっていくのでしょうか?
あ、これらを見ていて、もう一つ気づきました。
同じことを繰り返さない、趣向を変えるというのもポイントかもしれませんね。


私自身は柔軟かどうかはともかく、
「視点発見の旅」というコンセプトでこのメルマガを出すぐらいですから、
視点フェチですね〜笑
でも、私も例外ではなく、人間である以上「思い込み」は避けられません。
一刀両断に言えば、ここに書いたこと自体が、一種の思い込みですから。
思い込みが悪いというより、
思い込みの奴隷にならないことが大切ってことでしょうか。
...ともっともらしいことを書いてこの辺で終わります。照笑


今週も素敵な1週間でありますように!

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最近、脳に関する本を2冊読みました。
1冊目は遅ればせながら脳科学者・池谷裕二さんと糸井重里さんの対談本
「海馬―脳は疲れない 」(新潮文庫)です。
よく物忘れは老化現象だと言われますが、
記憶や空間学習能力に関わる脳の器官である海馬は
何歳になっても成長を続けることができると知り、心強く思いました。
ただし、もちろん海馬の神経細胞は減ってもいくので、
細胞の減るスピードより増やすスピードが勝ればの話です。


もしかしたら、人の成長とは海馬の神経細胞を増やし、海馬を育てることだと
言い換えることができるかもしれません。
たとえば、新しい仕事や未経験の状況に直面した時、
それをストレスと感じるかどうかも、海馬が発達しているかどうかによるそうです。
海馬には「新しい環境はストレスではないんだよ」と自分に伝える役割があり、
海馬が発達しているとその機能が働くそうです。
海馬を意識的に育てることができれば、
新しいことへの挑戦もしやすくなるのではないかと思いました。


続いての2冊目は、山鳥重さんの著書
「『わかる』とはどういうことかー認識脳脳科学」(ちくま新書)です。
こちらの本を読んで、1冊目の本の感想を膨らませる形で想像したことがあります。
それは、海馬の神経細胞は
「わかろうとするエネルギー量」に比例して増えていくのではないか、
深くわかろうとすることで、海馬を育てることができるのではないか、
ということでした。


ところが、この「わかろうとするエネルギー量」は
人によって大きく異なっているというのが私の印象です。
いったい何によって違いが起きるのか、疑問に思い、考えてみました。
あくまで素人の私の推論というか、想像です。


さきほど書いたように、新しい仕事や未経験の状況に直面した時、
その際に何をどこまでわかる必要があるのか、その判断は人それぞれ異なります。
人によっては、何をわかる必要があるのか、そもそもわからない場合もあります。


山鳥さんも言っていますが、
わかるためにには、わからないことがあることに気づくことが先なんですよね。
わからないことに気づける状態というのは、
疑問が湧いて来る状態と言い換えられます。
でも、本当にわからない時、つまり頭が真っ白なとき、
もしくは頭が真っ白だとも自覚できない時には、
疑問さえ湧きませんね。


さて、そもそもわからないことがわからないという状態は脇に置いておくとして、
ある程度は見当がついた時に、何をどこまでわかる必要があるのかについて、
人は何を考えて判断しているのでしょうか。


私の仮説は、次のようなものです。
・人は生存本能に基づき、生存にとって重要なことを「わかるべき範囲」と考える。
・生存本能に基づく判断基準も、これもまた人それぞれですが、
 大別すると2つのタイプに分かれるのではないか?
.多いのは、「対処しなくては自分の生存意義が示せない」という判断基準。
 次は「創造してこそ自分の生存意義を周囲に示せる」という判断基準です。


つまり、目の前の事柄に「対処する」ためにわかろうとする、
多くの人がやっていることはそういうことではないか、これが私の仮説です。
この発想の場合、対処できればいいのであって、
彼らのわかった/わからないの基準は、
その範囲の内容で目前の課題に対処できるか、です。


一方で、「創造する」ためにわかろうとする人たちは、
湧いてきた疑問に対し、一過性の答えでは満足せず、
むしろ今後の応用に役立つような、本質を理解するための答えを知ろうとします。
彼らのわかった/わからないの基準は、今後に応用できるか、です。


さて、この仮説が正しいかどうかはわかりません。
ただ、新しいことに直面した際に、
たくさんのことを調べる人もいれば、
最低限のことで済ませようとする人もいる、
それは一般的傾向として事実なのではないでしょうか。


さて、、、
対処自体が悪いわけではありません。
対処することは必要なことです。
でも、自分の能力や可能性を考えた時、
もっといえば、自分の海馬を成長させようと思った時、
対処という発想で止まっていては、限界がありそうです。
海馬は何歳になっても成長させることができるそうです。
自分の脳をどうやって育てるか、
最低限、どうやって退化させないか、
できることはありそうな気がします。


いい人生を送るために、今日がどうあるべきか、
脳科学的な視点からも知恵を出したいものですね。
今週も素敵な1週間でありますように!

人と良い関係を築いたり、
自分や人を生かすために、知らないより、
知っていた方が良いことがありますよね。
なぜ、こんなことを書こうと思ったかというと、
最近、子どもの頃の夏休みの出来事を思い出したからです。


私は、川崎市多摩区で生まれ育ったのですが、
先週、久しぶりに多摩川沿いの道を車で走りました。
その時に思い出したのが、小学校6年生の夏休みに、
友達と多摩川に写生に来たことでした。


自転車で多摩川の河口に向かって写生していき、
たくさんの川の風景を絵にしようという話になったのです。
子ども心に、それはとても素敵な計画に思えました。
多摩川の河口がどんなふうに海に続いていくのか、見たい。
冒険心と達成意欲がかきたてられました。
ところが、友だちのほうは1カ所で絵を書き終えると飽きてしまったのか、
明日はどうするかと尋ねても上の空。
私は1人でやり続ける勇気がなく、その計画を断念しましたが、
こんなに楽しいことなのに、なぜ友達が興味をなくしてしまったのか、
ちっとも理解できなかった記憶があります。


自分が楽しい事は人も楽しいはずだ、と思っていたからです。
人の興味は私の興味とは違う、そうしっかり認識ができるようになったのは
大人になってから、それも大分遅かったと思います。


しかし、、、
実は、そういうことって私だけではなく、よくある話ではないでしょうか。


上司が部下に、こんな面白い仕事をなんでやりたくないのかと質問してみたり、
こんなやりがいのある仕事なのになぜ意欲的に取り組めないのかと迫ってみたり。
でも、人によって、興味を感じること、楽しいと思うこと、
やりがいがあると感じることは違いますから、
疑問視するのは、そもそもおかしいですよね。でも、やりがち。。。


さて、当社のセミナーでは、人の6つの欲求について紹介しています。
人が満たされたり、不満を感じる場合に関係するのが欲求です。


1)安心安全ニーズ...リスクを避けて、つつがなく暮らしたいという欲求
2)変化・多様ニーズ...マンネリではなく、変化に富んだ毎日を過ごしたいという欲求
3)自己重要感ニーズ...人から認められることへの欲求
4)愛とつながりニーズ...愛情や好意を求め、人とつながっていたいという欲求
5)成長ニーズ...成長、達成、自己実現、知識、挑戦、成功などへの欲求
6)貢献ニーズ...人の役に立ちたいという欲求


セミナー参加者に、仕事をしていて
自分がどういう時に気持ちが上がるか、
反対にどういう時に気持ちが下がるかを聞いてみると、
多いのは3番、5番、6番です。
上がる時も下がる時も、同じ欲求に関係すると言う人もいれば、
異なると言う人もいます。
また人はどの欲求も持っていますから、
環境や年齢によっても、満たしたい欲求の強弱が変わるのは当然です。


もちろん、私にもどの欲求もありますが、
多摩川の絵を描き続けることを断念した時、私があれほど残念に思ったのは
おそらく5番目の達成したいと言う欲求が満たされなかったからだと思います。
友だちが続ける気力をなくしたのは、夏休みに写生ばかりしていたくなかったから、
つまり変化・多様ニーズが強かったからなのかもしれません。


人間関係やコミュニケーションがうまく行かない時、
自分の欲求と相手の欲求に目を向けると、別のことが見えてくるかもしれませんね。


さて、不満の解決というよりも、自分や人を生かすために
知っていると便利なこともあります。
先程の達成欲つながりで、思い出したネタです。


「ストレングスファインダー」のことは以前にも紹介したかもしれません。
人の才能を34種類の「資質」に分けて、
どの項目がより強いのか、教えてくれるサービスです。
山登りに例えると、山の登り方はいろいろありますが、
「自分に合った山の登り方」を知るためのツールだと言えます。
上位5つの強みが何かを知るだけなら、2000円程度の費用でテストを受けられます。


ちなみに私の上位の強みは次の5項目でした。

1-Achiever-達成欲
2-Ideation-着想
3-Futuristic-未来志向
4-Learner-学習欲
5-Responsibility-責任感


先程の夏休みの逸話もそうですが、
どうやら私が達成志向の人間であることは、間違いなさそうです(笑)


あなたが仕事をしていて気持ちが上がる時、
下がる時はどんな欲求と関係していますか。
あなたにはどんな強みがありますか。
あなたの部下や後輩、同僚はどうですか。


人と自分が同じではないと言う当たり前のことを、
時々思い出すことは、いろんな意味で必要かもしれませんね。


今週も素敵な1週間でありますように!

暑い日が続いていますね。
暑い上に、学校が夏休みになって大変という方もいるかと思います。
暑さも夏休みも避けては通れませんから、
どうせなら「はーあ」ではない気持ちで、乗り越えたいものですね。
心をどう保つか...。はーあ。 ←おいおい


今日は10代の頃に感じた夏という季節のイメージを思い出しながら、
思う存分!青くさい話をしたい気分です。


かなり余談ですが、、、私が広報業界に入るきっかけとなったのは、
「夏」という作文を書いたことにありました。懐かしいですね〜
20代前半にコピーライター養成講座というものに通い、
一人の先生から出された宿題が「夏」をテーマにした作文でした。
逃げた蛙に思いを馳せている小学生の男の子を主人公とした
800字のショートストーリー。
それがきっかけでその会社に引っ張っていただき、独立し、今があります。


さて、あなたは「夏」という言葉から何を連想しますか。
いろんなイメージがありますが、私の中では夏といえばやっぱり「青春」です。
(春と書くのに、夏の方が青春っぽいと感じるのは、私だけでしょうか?)
自分を知り、自分に傷つく時代。
自分らしく生きたいとか、
カッコよく生きたいとか、
本当は自分の素直な欲求に従って生きたいのに、
それが簡単ではないから葛藤が生まれる、
それが青春。
今どきの人はどうなのかしら?とは思うけど、
人間の人間らしさって、時代が変わったぐらいで変わらないような気がします。
「自分らしく生きているだろうか?」という問い、
そんな青くさい問いを、私は死に絶えるその日まで持てたらいいなと思います。


どう生きるかについて、親を見ていても思うものがあります。
例えば父は昨日90歳になりました。
90歳でも、「欲求」があれば、そこには自分らしく生きるエネルギーが生まれます。
これが欲しい、これが食べたい、これを着たいと。
「欲求」が高い時の父はいいなと思います。


私自身は、父が30歳の時に生まれた子どもなので、
ランランラ〜ン♪ 今年はなんとKRです!(笑
そうすると、残る人生をどう生きたいのか、自問はますます湧いてくる。


自己分析をしてみると、その答えには2パターンありました。
一つは、やりたいこと(Doing)を思い描くパターン。
もう一つは、心のあり方(Being)を思い描くパターン、です。
しかも、ここ最近の私は、どうやら前者の意識度合いの方が高い。
言い方を変えると、「あれもやりたい、これもやりたい」
「やり残したくない」と思っていると気づきます。


どちらも大切ですし、どっちをより大切にすべきだということはありませんが、
ただ、どちらかに偏っているなと気づくと、バランスを取り直したくなりますよね。


最近の私は、Doingに心を奪われがちだと気づき、
そう気づいたおかげで、コトを「する」ことも大切だけど、
トキを「味わう」ことを忘れちゃいけないな、と思ったりします。
もちろん、一生は一度だからこそ、
やらない後悔はないに越したことはありません。
でも、今、ここに流れていることを「味わう」ことを意識したら、
時間が何十倍も素晴らしいものに変わるような気がします。
私の中で、DoingからBeingへの揺れ戻しが起きました。


さて、Beingを考えるのに良さそうなオススメ本は、これ!
「あなたの物語〜人生でするべきたった一つのこと」(著:水野 敬也、刊:文響社)
http://amzn.asia/5SAPRry
話題になったあの「夢を叶えるゾウ」の作者が書いた本で、
多分10分から15分で読み終わります。
読むとエネルギーが湧いてきます。暑さも吹っ飛ばせるかも(笑


今週も素敵な1週間でありますように!

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右脳左脳に始まって、多くの人は「脳」の神秘に対し関心を寄せています。
かくいう私も「脳」ネタは大好き!
今日の話題は、直接的に「脳」の話題ではありませんが、
ビジネス現場での思考のジャンプには、右脳的アプローチが必要で、
それにはどうしたらいいのだろう?という話題です。


問題解決や企画立案をする際に、一般的に重んじられているのは、
分析思考や論理的思考です。
でも、アウトプットするには、想像力やクリエイティビティが不可欠ですよね。
ところが、ビジネスの世界には左脳偏重の空気が流れているのではないでしょうか。
何といっても、左脳的な発言はアタマが良さそうに見えますから(笑
というわけで、右脳的思考の地位が、イマイチ低いのではないか、
もう少しその地位を上げよう、というのが今回の最初の問題提起です。


さて、ビジネスで求められる良いアウトプットとは何でしょうか。
私はこう考えます。
手に入れたインプットを、新しい視点から眺め、創造的にジャンプした具体策にすること。
インプットの一般的な捉え方は、例えば現状、事象、問題、データなど。
アウトプットというのは、何らかの「策」です。


で、一般論として、仕事で起きる問題は、
アウトプットはしていても、いまひとつジャンプ度が足りないということです。
原因は一概には言えませんが、私が注目するのは、次の2点です。


【1】情緒的・感情的なインプットが足りない/ない(必要ないと思われている?)
【2】抽象的なレベルでの思考の拡散が足りない


【1】が起きるのは、問題を事象レベルでしか見ないことが
当然化してしまっているからだと思います。
その対策として、私たちグラスルーツは「感情マッピング」という方法を
セミナーを通じてお伝えしています。


今日考えたいのは、【2】点目についてです。
これは、どういうことかというと、、、
良いアウトプットが、「手に入れたインプットを、新しい視点から眺め、
創造的にジャンプした具体策にすること」であるとすると、
新しい視点とは新しい意味を見出すことでもあります。
ところが、「意味」というのは大抵の場合、とても抽象的で、
同じものを見ても、感じる意味は人それぞれです。


私たち人同士は抽象的なものを取り扱うことを得意としません。
なぜなら見えないものだからです。
希望、夢、絆、共感、満足、高品質、価値、、、、
いずれも目に見えないもの、形のないものです。
だから、会話することがとても難しいわけですね。
それぞれの抽象概念に名付けられた名前(単語)を、
会話する相手がどういう意味で捉えているかさえ、実は分かっているようで分かっていません。
例えば、「希望」という言葉に対して、人が抱くイメージは、
人それぞれですし、その言葉との距離感も人それぞれです。


抽象概念を取り扱うのが苦手な私たちですが、
最近、それを克服するのに良さそうなツールに出会いました。
イスラエルの「Points of you®」のファウンダー、
ヤーロン(Yaron Golan)と エフラット(Efrat Shani)が開発した
写真と言葉を使ったカード型のツールです。
創造力や発想力に刺激を与え、
新しい視点を見出すことを促進させることのできるツールだと言えます。
カードの使い方は自由で、教育シーンなどでも使われていますし
ビジネスでは、Google、IKEA、Intelなどでも導入されているのだとか。


写真や絵を使ってイマジネーションを開発するという方法自体は
教育現場などでも取り入れられていて、それ自体は珍しいわけではありませんが、
このツール、豊富な写真は見ているだけでも楽しいですし、
思考の拡散と収束がしやすく、本音を言う場を設計しやすいのが特長です。


では、なぜこのツールが、抽象的なレベルでの思考の拡散に有効なのでしょうか。


普段私たちは、自分が感じていることを話す場合は、考えをまとめながら、言葉ありきで話します。
そうすると漠然としたことや直感的なことではなく、
どうしても意見らしいことやもっともらしい考えを話す必要があるような気分に陥ります。
つまり、この時点で拡散とは逆方向に向かっています。


ところが、自分が感じていることを言葉にする前に、
例えば写真カードを選ぶことから始めたとします。
そして、なぜこのカードを選んだのかを後から説明する。
すると、情緒的・感情的なことがとても言いやすくなります。
また、写っているものを観察することで、
何かのサインを感じ取ったり、インスパイアされたりもします。


こうしたことが起きるのは、
きっとこのツールが抽象概念を「モノ化」しているからだと思います。


形あるもの、目に見えるものがあると、
・お互いが感じていることを伝えやすくなる
・イメージを共有しやすくなる
・画面の外やこの瞬間の前後にまで、想像をしやすくなる
という作用が生まれます。
きっと、目に見えるものが拠り所となるのでしょうね。


ビジネスシーンでどう活用できるのか、
研究してみたいと思います。


暑い日が続いていますが、どうぞ素敵な1週間を!

先週金曜日、経営協会様のセミナーで講師を務めて参りました。
「社内広報担当者のための企画力養成コース」で、全5時間半の講座です。
当社セミナーに出たことのある方はご存知かもしれませんが、
私たちはインターナルコミュニケーションの問題に対し、
「感情」に目を向けて課題解決することを大切にしています。
ですので、このセミナーでも社員の皆さんの感情にフォーカスする内容で、
ワークショップ形式でお届けしました。
さて、ここでは大雑把に「感情」と書きましたが、
その中には、喜怒哀楽的な感情も含まれますし、欲求というものも含まれます。
さらには、非認知、認知、理解、共感というものを経て
行動へと繋げる道筋も含んでいます。本当に奥が深い。。。


さて、、、金曜日のセミナーでは、最後のまとめの段階で、
全員に1分弱で印象に残ったことや感想を話してもらいました。
すると、かなり多くの人が
「社員の感情に目を向けるということを考えてこなかった。
もっと目を向けたい」と語ってくれました。


きっとそうなのだと思います。
もっと言えば、組織の集団感情に目を向ける以前に、そもそもビジネスシーンでは、
「日常の感情」に目を向け、表立って感情を語り合う習慣がない。

どのようなことかというと、たとえば、、、
あることを巡って、自分は「ちょっとがっかりした」と思っていても、
それを口にしてはいけないと多くの人は思っている。
がっかりして、ツンケンした態度を取ることがNGなのはもちろんだけど、
がっかりしたという気持ちをニュートラルに語ること自体もNG、
そう思っている人が多いように感じます。
感情を感情的に出すことと、言葉を通じて伝えることは別のことで、
私は後者はむしろ健康であるために必要だと思うのですが、
そう考える私は決してマジョリティではない気がします。

しかも、これは職場だけの話ではなく、
友だち関係やコミュニティなどでも同様なのではないでしょうか。
本当はちょっと気分を悪くしているようなときに、
「ごめん、そこまで言わないで」となかなかいうことができませんし、
とある集まりに誘われて、本音では「参加したい気分ではない」時に、
そうとは言わず「先約があって...」と断ったり。
本当の気持ちを言いにくい。これは誰にでもありますね。


私たちは、いったいどうしてそう感じるのか、考えてみました。
確信はありませんが、多少なりとも関係がありそうなことは出てきました。
私たちは子どもの頃から、
感情を出すことは悪いことだと教え込まれてきたからではないか、と。

感情を出すというのは;
・自分中心であり、協調性がないこと
・見苦しいこと
・弱さを出すこと
・子どもっぽいこと
・周囲に波風を立てること

こんなふうに刷り込まれてきた気がします。
だから、最早その刷り込みを疑うことさえしない。
特に一番最後に挙げた「周囲に波風を立てること」という捉え方は、
感情を示すかどうかのみならず、かなりいろいろなところで、
私たちの心を支配している基準になっているような気がします。
だから、感情の話は常に置いていかれる。


でも、感情は本当にワル者なのでしょうか?
感情的に振る舞うことと、
感情を伝えることは別のことです。
感情を伝えることの本質は、「自分」が主語であり、
相手を責めることとは違います。
つまり、本来的には感情自体は否定される必要のないものですし、
それを伝えること自体も否定される必要はないはずです。

感情はワル者でもイイ者でもなく、
自分自身の人間らしさ。
人は、感情によって、思いもよらない力が出たり、
反対に萎えたりします。


組織が社員の感情に目を向けるようになることと、
組織に属する一人一人が自分の感情に蓋をすることなく、
まっすぐに見つめ、自分の感情を大切にすること。
どちらも同時に取り組むべきではないでしょうか。
自分の感情を大切にできない人が他の人の感情を大切にはできませんからね。

今週も素敵な1週間でありますように!

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前回のブログでは組織の中で課題となる「自分ゴト化」と
ワクワクの関係について考えましたが、
今日は純粋に自分のためのワクワクについて考えてみたいと思います。


今日の結論を先に書いてしまいますと、
ワクワクしたいのは自分なのに、
ワクワクに向かうことを邪魔するのも自分だという話です。


まずは私の体験から。
私の場合は「やりたい!」と思うことを発見すると、
その瞬間胸が熱くなって、カラダに力が湧いてくることを感じます。
ココロがうきうきして、らんらんらん♪という気分になります。
だから、これはアタマが計算して望んでいるのではなく、
ココロがやりたいと心底望んでいるのだということがすぐにわかります。


今現在もアート系でワクワクしていることが二つ三つありますし、
ビジネス系でも二つ三つあります。
それだけやりたいことがたくさんあると、
さらにやりたいことが心に舞い降りてきてきたときに、
「ちょっと待って、そんなにたくさんできないんじゃない?」という
内なる声が聞こえてきます。


最近もありました。
実はひと月ほど前に母が他界したのですが、
母の生きっぷりが我が母ながらに素晴らしく、
また入居していた老人ホームのスタッフの対応が
母の人生の最後7カ月を母らしく輝かせてくれました。
ちなみに母はすい臓がんで、余命宣告を受けており、
本人は延命治療はせず、緩和ケアだけを望んでいました。


その施設での7カ月間の母へのケアに対し、
本当にありがとうという感謝の気持ちを示したくて、
私はスタッフにインタビューし、
仕事への思いを綴った本を作って贈ることを思いついたのですが、
その意思表示をするのに、さっきの内なる声が出てきたのです。
「そんなにたくさんできないんじゃない?」
「10月の個展の準備だって、ほとんどできていないよね」
「そんなことをやる時間があったら、遅れている仕事をすべきじゃないの?」
「感謝といったって、そんなことをしても喜んでもらえないんじゃないの?」
「みなさん忙しいのに、そんなことで時間を取られるのは嫌なんじゃないの?」


正直なところ、その声の言うことは正しいです。
いえ、こう言い換えておきましょうか。
その声の言うことは「もっともらしい」と。


確かに私の企画は、母と関わった10数名にインタビューをし、
1名ごとに1000文字弱の記事にするというものなので、
かなりの時間を必要とします。


けれど、果たして1年後にやりたいと思うでしょうか。
答えはNOです。
今、やりたいことなのです。
そして、理由もなくやりたいことなのです。
感謝の気持ちをなぜそこまでして示したいのか、私には理由を言えません。
だからこそ、私は自分が心からやりたがっているとわかりました。
私は自分が聞いた心の声はサボタージュ(言い訳心理)であることを知っていました。


それで私は意を決して施設長に申し出をしました。
結果的には快諾されて、実現することになりました。
するとどうでしょう?
「そんなにたくさんできないんじゃない?」という不安は吹っ飛び、
この人たちと一緒にコトづくりができるというワクワク感の方が
やっぱり強く出てきました。
映画「きっと、うまくいく」ではありませんが、
私は、自分がこれもやり、他のこともやれるということを信じられています。


さて、「サボタージュ」という言葉を聞いて、
さらに調べたくなった方もいるかもしれません。
正確に言うと、「セルフ・サボタージュ」というのかな。
自分を邪魔する存在として「サボター」(心の中の妨害者)とも言うようです。
自分のやりたいことやありたいことに対して、上手な抗弁を言い、
向かいたい方向と反対方向に仕向ける悪魔の囁きをする相手です。
無意識のうちに習慣化した自分の心の動きのパターンだとも言えます。
自分が傷つかないように、リスクから逃げる「生存脳」の働きでもあるようで、
誰の心にも棲んでいます。


コーチの世界的育成組織「CTI」の前CEOシャザド・チャミン著
「スタンフォード大学の超人気講座〜実力を100%発揮する方法」によると、
サボターには次のような10のタイプがあるそうです。
・裁判官
・潔癖性
・八方美人
・優等生
・犠牲者
・理屈屋
・こわがり
・移り気
・仕切り屋
・優柔不断


今回の私のケースは、どうでしょう?
おそらく潔癖性、こわがり、優柔不断が掛け合わさっていたような感じですね。


自分を妨害する最大の相手、それはおそらく自分です。
その存在が自分の中にいることを知っていることは、
自分の行動を選択する上でとても大切ですね。


よろしければ、以前書いたこちらのブログもご参照ください。
「私たちはまだまだ成長できる...という脳科学の話」
https://www.grassroots.co.jp/blog/monolog/2015/09/150914.html


どうぞ素敵な1週間を!

3月3日(土)放映のNHKスペシャル、
「AIに聞いてみた、どうすんのよ!?ニッポン」、
ご覧になりましたか?
MCは、マツコ・デラックスと有働由美子アナ。
今、注目される「働き方」について、
AIを使ってアプローチした興味深い番組でした。


NHKは「AIひろし」こと、社会問題解決型AIを独自に開発しているのですね。
AIひろしが導き出した結論は、
(1)仕事で忙しい人は道の駅に行け、とか、
(2)お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めなければ、
   仕事に満足できる、とか、
(3)ストレスだらけの人は結婚・出産祝を贈れ、など、
奇想天外なものばかり。
専門家を交えて、その因果関係を解き明かす、そんな内容でした。


AIひろしは、
社会の構造パターンを見つけ出し、
課題とその解決の糸口を探ることを目的に開発されたそうです。
膨大な情報を取り込み、日々、学習し続けているのだとか。


上に挙げた(1)から(3)は、仕事の満足率と関係があると見られた行動例です。
が、ぱっと見ただけでは因果関係があるとは、到底思えません。


AIひろしは「仕事満足率」を左右する「8大要素」として、
ストレスの状況、仕事が生きがい、時間のゆとり、人間関係、
希望、規則正しい生活、お金のゆとり、栄養のバランスを抽出しました。


ところが、これらが満たされていなくても、満足率が高い人が存在しており、
その人たちの行動を分析した結果が、上の(1)(2)(3)でした。
お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めない人が、
仕事に満足している割合は、81.0%にも上ったというわけです。
実際には、「お金にゆとりがない」「蛇口をこまめに閉めない」を含め、
「家庭が生きがいではない」「職場に友人がいる」など、
全部で10項目にイエスと答えた人たちなのですが、
興味深いのは「蛇口をこまめに閉めない」にイエスと答えた時点で、
満足率が急激に上がっていること。
http://www.nhk.or.jp/special/askai/diagram.html


いったいどんな因果関係があるというのでしょう?
ここからは番組で語られていたこと/いないことも含めて、
私が感じたことを書きますね。


蛇口を閉めないという行いから想像される人物とは、
どんな人でしょうか。
環境への配慮が求められるこの時代の行動としては、相当なマイペース。
かつ他人からどう思われようが気にしない人...というイメージが湧いてきます。
きっと細かなことなど気にしないような人物ではないでしょうか。
そういう人が仕事に満足しやすい(不満を感じにくい)と言われると、
確かにそうかもしれないという気持ちになります。


道の駅に行く行為と仕事への満足も一見無関係のように思えましたが、
行くのも行かないのも自由なのに立ち寄っていると思うと、
好奇心が旺盛で主体的に動いていそうなイメージがあります。
そういう人の満足度は高いと言われたら、違和感がありません。


結婚祝、出産祝を贈るというのも、
人の幸福を喜ぶということですから、
喜びを味わうことが多ければ、満足や幸福に繋がりそうですね。


番組では、こういう人の満足率は高い...と言っているだけで、
逆は真なりとは言っていません。
(1)から(3)の表現はあくまでキャッチーにするためのものであって、
満足するために、こういう行いをせよとは言っていないわけです。


なのですが、ここでハタと気づきました。
実は逆は真なりなのかも、と。


私たちは、思考や意志の方が行動より先だと思いがちですが、
実は、そうでないことが多いですよね。


たとえば、「細かいことを気にするのをやめよう」とか、
「いろいろなことに好奇心を持って暮らそう」などと考えたとしても、
潜在意識が邪魔をして、そんなに簡単に行動は変わりません。
ところが、行動してみたら、思考が変わっていくということはありますよね。


「蛇口をこまめに閉めない」という行動はおすすめしませんが、
それに代わる「細かいことを気にしない」「他人の目を気にしない」を
象徴するような行動を先にしてみたとします。
あるいは「道の駅」に代わるような場所に毎日行き続けたとします。
そうすることで、人は経験から何かを学び、
それによって思考が変わり、仕事の満足度が上がる...
意外にありうるのかもしれませんね。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

グラスルーツの仕事は、人の心の動きというものへの関心なくして、成り立ちません。
媒体を通じて何かを伝えたいのなら、 相手の心の動きに添っていくことが不可欠だからです。
そんな仕事だからか、日常生活でもそういう方面へのアンテナは自ずと立ってしまいます。
先日も、両親との会話を通じて、
人の記憶の不思議、理解の不思議を痛感しました。


私の両親は父が今年90歳、母が85歳で、
昨年秋から、二人一緒に同じ介護付きの老人ホームに入居しています。
歳相応に短期記憶というものが衰えていますが、
普通にコミュニケーションは取れていますし、
自分のことは概ね自分でできています。


で、先日、その短期記憶について考えさせられるこんなエピソードがありました。
母は2月4日が誕生日なのですが、
先月末から少し体調を崩して10日ほど入院をしていた関係で、
遅ればせながら先週お祝いの外食をしました。
母はお刺身が好きなので、施設からほど近いたまプラーザの、
あるお鮨屋さんにランチどきに行きました。
昼間でしたが、父は日本酒、母はビールを飲み、
大いに満足してお店を出ました。
そして、父が本を買いに行っている間に、私と母はお茶を飲み。。。
かれこれ3時間ほどの外出でしたが、
いざ施設に戻って1−2時間した頃に、
「今日は表参道に行って久々に華やかな気分を味わえて良かった」と言った母に、
父が「渋谷に行ってから新宿に行っただろ?」と。
私は、「今日行ったのは、たまプラの駅前だよ」とは言いはしましたが、
目くじらを立てる程の事でもありませんからね。
そんなわけで、二人は「表参道に行った」「渋谷・新宿に行った」と
銘々に思い込んで、記憶したようです。


いったい二人の中で何が起きたのでしょうか?
私はこう解釈しています。
母は「今日は華やかな場所に行った」と感じ、
父は「人通りの多い場所に行った」と感じた。
で、自分の記憶にある華やかな場所、人通りの多い場所というのは、
表参道であり、渋谷・新宿だったのだろうな、と。
つまり、今いる場所、今日行った場所がどこという観点で記憶するのではなく、
印象を記憶して、そのような印象の場所はどこであると推測して記憶をつなげているんですね。
なので、高々たまプラーザでの外食が、
思った以上にビッグイベントとして記憶されてしまったようなのです(笑

この話を聞いて、これは老人だからでしょ?と思った方も多いかと思います。
でも、、、私は実はそうではないと思ってこれを書いています。


私も含めて、多分皆さんも心当たりがあると思いますが、
私たちは何かを記憶するとき、事実ベースの情報よりも、
その時のムードだとか印象だとか、
どちらかといえば感じたことをより強く記憶するのではないでしょうか。
例えば旅行をして、それがいつだったのか、どこだったのかは覚えていないけれど、
土地や風景の質感は覚えていたりしませんか?


けれども、感じることそれ自体は人それぞれです。
先ほどの私の両親の例では、
どちらかといえば二人が似たようなことを感じていましたが、
たとえ同じ時間、同じ場所に居たとして、
感じたことが違ったとしても、なんら不思議ではありません。


同じ場所にいながら、違うことを感じる...
これは、旅行などだけでなく、仕事でも起こります。
例えば、私たちがお客様の会議のファシリテーションをする時、
大抵は2名で行いますが、
終わった後の振り返りで、感じたことがまったく違うというケースもあります。
参加メンバーは満足していたのではないか、していなかったのではないか、
ポジティブな気持ちでいたのではないか、ネガティブな気持ちでいたのではないか、
判断が大きく分かれたりします。
私自身は楽観的だからか、どちらかというと良く受け止めがちなのですが、
部下から「イマイチな空気があったのではないか」と言われて、
「そうだったのかしら?」と認識を広げることもしばしば。


では、実際どうだったのでしょうか?
実は、正解は誰にもわからないんですね。
なぜでしょうか?
仮にその会議に10人が参加していたとしたら、
その10人の感じたこともそれぞれ違ったりしますし、
ミーティングの前半と後半で場の空気が変わったりもするからです。
さらに、印象を判断する人の個人的フィルターによって、
その場をどう判断するかが変わるからです。
そのフィルターというのは、その人の人生経験であり、
そこからくる価値観です。


では、この印象のズレについて、いったい私たちはどうしたらいいのか。
どう記憶されたのか、どう理解されたのか、
人それぞれ違うことにどう対処したらいいのでしょうか。


私見でしかありませんが、私はこう思います。
どれが正しいのか、ではなく、
すべて正しいと思って、多面的に理解しようとすることが大切なんだろうな、と。
要するに「Aと感じる人もいたし、Bと感じる人もいた、
自分はBとは感じなかったけれど、そう感じた人もいたらしい...」
そんな理解の仕方をすべきなのかな。


人が抱く印象。
同じものを見て違うことを人が感じるというその事実。
それを前提にすることの大切さ。
今日はそんなことをシェアさせていただきました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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