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『最近の出来事から』カテゴリの記事

 

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ご存知の方も多いかと思いますが、
先週、品川駅港南口へのコンコースに表示された
「今日の仕事は楽しみですか」という広告がネットで物議を醸し、
結論から言うと、広告主により取り下げられました。
「上から目線で言われたくない」
「仕事は楽しみじゃなきゃいけないのか」
「品川駅、社畜回廊」
「つらくても頑張っている人を傷つける言葉だ」

眞子様のご結婚への反対もそうですが、
ネット社会の現代は、誰もが意見を言える時代です。
それは良いことである反面、
バッシングされるかもしれないと思うと、
メルマガを書くのにもちょっとおじけづきます。
でも、勇気を出して、書くぞ~


何かを発信するということは、メッセージありきです。
「押し付けがましくならないように」という気持ちで書いてはいても、
万人ウケする内容などありませんからね。
だからこそ、自分とは違う考え方や感じ方の人がいることを想像すること。
その重要性を改めて認識しました。

「今日の仕事は楽しみですか?」というコピーを見ても、私は反発を感じません。
もちろん、365日ポジティブに楽しんでいると言ったらウソですけど(笑)
自分はマイノリティかも、と思った次第です。


バッシングや炎上で、自死する人まで出ている昨今、
何は良くて、何は悪いのか、とても気になります。

意見や批判、非難をすることは、表現の自由で認められています。
表現の自由には「感情」を表現することも含まれていますので、
「これ、キライ」と大きな声で言っても法律的には許される(多分)。

でも、誹謗中傷となると、そうは行きません。違法行為として罰せられます。
この機会に、誹謗中傷の意味をデジタル大辞泉で確認してみました。
「根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること」。
バッシングは、ウィキペディアによると、
「個人・団体の行為に対する過剰または根拠のない非難を指す外来語」です。
ということは、誹謗中傷の概念を含むのかもしれません。

法律的には表現の自由の範囲であったとしても、道義的問題もあります。
たとえば、子どもたちが大勢で、クラスの誰か一人を
論理的に批判し続けたらどうなるか?
表現の自由で片付けていいのかという話になります。


さて、先ほどの品川駅の広告への反応に話を戻すと、
何かモヤモヤとした複雑な気持ちになります。

多くの人は、怒りに近い正義感で発言しているのだと思いますが、
そこに高揚感が混ざっているように見える人たちもいます。
どことなく、大勢で、「この企業はけしからん」と意思表示し、
言葉の力でやり込めることは、気持ちのいいことなのかもしれません。
言葉の力で傷つけられたから、
言葉の力で反発するというのはわからないではありませんが、
それだけに止まらない心理的な何かが働いているのかな?と。


ところで、「キャンセルカルチャー」という言葉をご存知ですか?
私は、今回、初めて知りました。
特定の個人や企業の発言や表現などを理由に、社会的に糾弾し、
制裁的な意味合いで、排除・追放したり、ボイコットしようとする運動のことです。

品川駅の広告で起きた動きも、広告主は謝罪したわけですし、
一種のキャンセルカルチャーだと言えそうです。
調べてみると、ナイキのCMやマルちゃん製麺のプロモーション漫画でも、
抗議(攻撃?)が起きたようですね。

「これにより自分は傷付けられている!」
「これは見過ごしてはいけない!」
だから声を上げる。声を上げることは、悪いことだとは思いません。
むしろ積極的に言えば、良いことの場合も多いです。

だけど、どのくらいの人が不快に感じたのかは実のところわかりません。
声の大きさは、声の数と同じではない。
声の真意もわからない。
本当に抗議として出された声もあれば、
高揚感を満たしたくて出された声もあるかもしれない。

国際政治学者の三浦瑠麗さんは、
「プレジデント・オンライン」の中で、キャンセルカルチャーについて、
「人権運動だから、環境保護だから、100%正しい目的のためにやっているのだから、
という理屈を唱える人はいるだろう。実はこの考え方が一番危険だ」と指摘しています。
「自分の側が正義だと思えば、自分の醜さや悪意に気づかずに、
あるいはそれに向き合うことなく、相手に人差し指を突きつけることができるから」と。


ネットの声、あなたはどう眺めていますか?
10月ももう後半。元気に参りましょう!

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タイトルの話題の前に、まずは当社からのお知らせです。

来週9月29日(水)10時から社内報のご担当者向けに
オンラインセミナー(無料!)を開催します。
ーーーーーーーー
社内報のレベルアップ~3つのポイント(無料/ZOOM)
すぐに役立つヒントもお教えします
https://www.grassroots.co.jp/seminar/2021/09/shanaiho_beginner.html
ーーーーーーーー
社内報をより良いものにしたいご担当者はもとより、
9月に着任したばかりの方にもぜひ聴いていただきたい内容です。
なぜなら、ハウツーを学べるセミナーは他にもありますが、
大切な考え方を学べるセミナーは多くないからです。

このセミナーは、当社の広報活動+ブランディング活動として行うため、
有料セミナーのエッセンスをギュッと凝縮した内容でお届けします
営業セミナーではないので、かなりお得な内容だと思います。
ナビゲーターは、先日、社内報アワードで担当クライアントの作品が
ゴールド賞を受賞したディレクターの久保田真実。
少人数が前提です。ぜひお気軽にご参加ください。

...と、ちょっとプロモーションさせていただきました。

というのは、恥ずかしながら、第1回なのに、ご案内が遅れてしまった!
1週間前にメルマガで「初」告知って、ひどいですよね。
ごめんなさーい! これ、全部私の責任。だから、こうして書いております。
でも、今後、定期的に無料セミナーもやりたいねと社内では話しているので、
今回参加できなくても、もしご興味があれば、個別にメールくださいね~


宣伝は以上です。
さて、本題。最近考えたことをシェアさせてください。


コロナ時代に突入してから、しばしば思うことは、
今日のタイトルにあるデータは重要だということ。
と、同時に、データに強くないと、「やられっぱなし」になる、
「自らがどうあるべきかを決められない」ということです。

というのは、マスコミの報道や各知事の会見を見ていると、
いったいどのデータから何を思ってこれを言っているのか、とか
なぜ、このデータなんだろうかなど、しばしば違和感を覚えたからです。
(まず単純に、なぜ今も重症者数ではなく、感染者数が基本なのかな、とか)

で、そんな違和感を覚えたのは、多分私だけではなく、
このメルマガを読んでいる皆さんの中にも
同じような思いを持った方は、きっとおられると思います。

マスコミには煽りたい思惑があるかと思いますが、各知事はどうでしょう?
どの知事にも、ご自分で主体的にデータを理解して、
メッセージを出してほしいですが、「専門家」頼みにも見えてしまいます。
そんな中、ご自分の意思を感じたのは奈良県知事。
奈良県の荒井知事は、9月7日の会見で「(宣言は)効果がない」として、
飲食店への営業時間短縮の要請も実施しない意向を示しました。

そうなんです。結局、因果関係について、
まったく何の根拠も説明もされていない中での緊急事態宣言。
飲食業界はもとより、国民が腹落ちしないのも、仕方ないですよね。


入り口の話が長くなりましたが、これは仕事でも同じだな、と。
今月15日、当社では「読まれるWEB社内報」をテーマに
「solanowa」を提供するスカイアーク様とコラボし、
セミナーを開催したのですが、
「WEB社内報は(印刷社内報より)読まれない」は
各社の共通の悩みに見えました。

ですが、「WEB社内報は読まれない」は本当でしょうか?
「読まれている」と思えるには、どんなデータが得られれば良いのでしょうか?
印刷社内報が、WEB社内報に代ると、
印刷社内報ではわからなかった社員(読者)の本音がすぐに数字に現れます。
「読まれない」という現実は、もしかしたら「WEBだから」ではなく、
「おもしろくないから」かもしれません。
なのに、読まれないのは、「WEBだから」と考えてしまうとしたら、
それは、なんだかおかしい気がします。

セミナーでは、こんな2つのグラフを見せました。
月に5回更新している例として、A社は、
5回訪問者15%、4回25%、3回15%、2回15%、1回20%、0回10%。
B社は、5回訪問者5%、4回10%、3回15%、2回40%、1回20%、0回10%。
一見すると、A社の方が良いように思うし、実際活性度としては、
そうなのですが、しかし、AもBも、両方とも9割が月1回以上の訪問を得、
7割が月2回以上の訪問を得ている...という意味では同じです。
もし、これでPVも近ければ、成果としてはほぼ同じだということになります。

中学生の頃、数学の意味をどれだけ理解していたかと言われると、
理解できていなかったかもしれませんが、
今考えてみると、数字の意味を自分で見出せるというのは、
とても重要だと思います。

今日は連休の谷間ですね。
読んでいただき、ありがとうございました!
あ、最初にご案内したセミナーも、よろしくお願いします。
https://www.grassroots.co.jp/seminar/2021/09/shanaiho_beginner.html

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何だかんだといろんな声がある中で始まったオリンピック。
終わりましたね。
選手たちのがんばりに感動をもらったり、
なぜ、ここでそんなことが起きるのか?と思うようなドラマもありました。
私がショックを受けたのは、体操内村選手の落下と、
男子400mリレーのバトンミスです。

特にリレー。
1走の多田選手のバトンが、2走の 山縣選手に渡らなかったのを観て、
テレビの視聴者も茫然としたと思いますが、
何よりも終わった直後のメンバーの心中は察するに余りあります。

平たく言えば、二人の間で起きてしまった悲劇的なミスです。
下世話な話になりますが、内心お互いをどう思ったのか、
桐生選手は「誰も悪くない」と言いましたが、
お互いに「自分は悪くない、相手が悪い」と思ったりしないものなのか、
気になりました。

けれど、チームスポーツで、他責の人とチームを組むのはツラいですね~
できるものなら組みたくないかも。


自責他責という言葉がありますが、
責任が自分にあるのか、他にあるかという意味だから
「責」という文字が入っているのでしょう。

自分自身で、このミスの原因は自分にあると責任を感じるのはいいですが、
自責の念を抱いている時に、誰かから追い討ちを掛けられるように、
「あなたの責任だ」と言われるのはあまりいい気持ちがしません。


ミスが起きた時、原因を追求し、再発防止に努めるのは組織として当然です。
トヨタの「なぜなぜ5回」などは、原因追求の典型的なアプローチとして、
多くの人がご存知なのではないでしょうか。

しかし、なぜなぜ5回は一歩間違えると「原因探し」ではなく、
「犯人探し」のようになる、とはよく言われること。
うー 気をつけないと... (あ、三点リーダーだ!笑)

誰のミスかが明らかな時に、
人は「なぜ?」と聞かれたら、責められているような気分になって、
反発を感じると言われていますね。
じゃあ、どうするかと言うと、「なぜ?」に代わって登場するのが、
「どうすれば?」。
「どうすれば?」を考えようとすると、
自ずと「なぜ」も考えるからでしょう。

うー これも、知識としてわかっていても、
やってしまいそうです。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」


「なぜ?」を「どうすれば?」に変えると同時に、
主語を変えるといい、という話もあります。
「あなた」「私」「ミス(事柄)」を主語に、
「なぜ?」「どうすれば?」の疑問文、読み比べてみましょう。

まず、「なぜ」から。
・なぜ、あなたはこのミスをしてしまったんだろう?
 →確かに、原因探究というより、咎められている気持ちになります。

・なぜ、私は彼がミスしないようにできなかったのか?
 →「そこまで自責にならなくても、いいよ、ドンマイ」と言いたくなりますね

・なぜ、このミスは起きてしまったんだろう?
 →上の2つより、原因探求のニュアンスが強くなります。

今度は、「どうすれば」。
・どうすれば、あなたはこのミスをしなかったと思う?
 →「なぜ」よりはマシですが、「当事者はあなた」と突き放された感じも。

・どうすれば、私は彼のミスを防げたのか?
 →ポジティブな「自責感」が感じられます。

・どうすれば、このミスは防げるだろう?
 →コトを叱って、ヒトを叱らず。こう言われたら前向きに考えられますね。

たかが疑問詞、たかが主語ですが、
伝わるニュアンスはだいぶ違いますね。


さて、、、8月も中盤です。
夏バテの方も多いのではないでしょうか。
暑さも空調も辛いですが、気持ちだけは元気にいきましょう!

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すでに先週23日から始まっている東京オリンピック。
たくさんの感動に直面し、私はもう何度も泣いています。

そして、改めて感じたのは、
アスリートたちは、私たちが思っている以上に
さまざまな「苦しみ」と向き合って、ここに至っているということです。

コロナによる1年延期はもちろんですが、自分自身の好調不調により、
うまく行かない、結果が出せるだろうかなど、苦しさや不安と戦ってきた。
さらに、オリンピック開催への反対ムードは、葛藤に拍車をかけたことでしょう。

私たちは、オリンピックに出るぐらいの選手なら「常に前向き」だろう
というイメージを抱きがちですが、みんな人の子なんですよね。

さらに競技の当日のメンタルが、結果に対していかに大きな影響を与えるか、
改めて痛感します。

たとえば、金メダルを取った柔道男子73キロ級の大野将平選手。
「自分の中でも感じたことのない恐怖の中で戦っていた」と語りましたし、

テニスで残念ながら3回戦敗退した大阪なおみ選手は
「プレッシャーにはもう慣れてもいいはずだけど、休んだ後ではより強く感じた。
少なくとも1回戦負けでなくて良かった」と語りました。


スポーツをやった経験のある人なら、
メンタルがいかに結果に影響を与えるか、体験的に知っていると思います。
メンタルにもいろいろな側面がありますが、その1つが「集中」。

私の自分の体験をシェアすると、
ハンドボールでシュートを打ちながら、
一瞬でも「入るかな?」と思ったら、ほぼ間違いなく入りません。
ゴルフも同じです。

しかも、これはスポーツだけではありません。
先日、私が通っている音楽のレッスンスタジオで、発表会がありました。
私が習っているのはドラムなのですが、
叩きながら「あ、ここ間違えたらイヤだな」と思ったら、その瞬間必ず間違えます(イタ!)
幸い、発表会当日は、全集中で臨み、なんとかミスなく叩けましたが(笑)

つまり、「できるかな」「できないとイヤだな」などの気持ちがある時点で、
集中できていないということなんですよね。
没我の境地でいると、できる。不思議。

そして、「自分はできる」というイメージを持つことも、成功には必須のようです。
きっと、どんなこともイメージできないことはできないからでしょうね。


ところで、卓球の男女ダブルスで、水谷・伊藤ペアが悲願の金メダルを取りました。
何度も絶体絶命のピンチに陥りながらも、まさに粘り勝ちの真骨頂。
その姿に、人の持つ素晴らしい力を感じたのは、私だけではないと思います。


さて、スポーツ選手のこういった粘り勝ちを目の当たりにすると、
「レジリエンス」という言葉を思い出します。

その言葉、直訳は「回復力」「復元力」「弾力性」などですが、
要は、ストレスがかかっても元に戻ることのできる「しなやかな強さ」のことです。

せっかくなので、選手たちの強さにあやかって、
レジリエンス研究、しちゃいますか!?


レジリエンスを成り立たせる要素は、厳密に言えば、
研究者によって見解が違っています。
でも、大筋で集約すると、この5つかな...と思われる要素を紹介しますね。
それぞれの要素に関連するアスリートたちの発言(TOKYO2020以外も含めた)も
併せて取り上げておきます。まるで、読んだよ大特集ですな(笑)


その1:感情・情動コントロール力
自分の感情や行動をコントロールできること。

  • こんなところで泣いてしまっている時点でまだまだ(萱和磨・体操)
  • 卓球以外でも強くなった(伊藤美誠・卓球)
  • 悔しい思いをしたぶん、もっと強い気持ちで練習に取り組める(桃田賢斗・バドミントン)


その2:「自己効力感」
端的に言えば、自信。達成経験やポジティブな自己認識から
「自分なら出来る、きっとうまくいく」と自分の可能性を信じる力

  • 持っている力を100%出し切ることができれば、夢だった決勝進出も現実的になってくる(山懸亮太・陸上)
  • やっていて感じるのは、まだまだ自分は成長できるなということ(羽生結弦・フィギュアスケート)


その3:「自尊感情」
他人と比較することなく、自分自身を価値ある者だ、
自分自身を好きだと感じられること。

  • どんなに打ちのめされても、心底、体操が好き(内村航平・体操)
  • 何回もミスして、何回も成長して。それが自分らしい(小出未来・水球)


その4:「良い人間関係」
人と信頼関係を築ける力

  • 康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない(松田丈志・水泳)
  • 内村さんから電話をもらった。ケガをして3日後くらいにいきなり電話が来て『大丈夫?気持ちを切らさなかったら絶対に戻って来られる』という言葉をもらって頑張ろうと思った(北園丈琉・体操)


その5:「楽観性」
未来に対して絶望せず、どうにかなると思える力。

  • 神様が何か気づかせてくれるタイミングかな、と考えるタイプ。けがとかについては基本ネガティブじゃない(上野由岐子・ソフトボール)
  • 神様は乗り越えられない試練は与えない(池江璃花子・水泳)


最後の「楽観性」で、「神様」という存在を使って、
今直面している苦難を受け入れようとしている人は少なくないようで、これは面白いですね。

私は、仕事がうまく行く/行かない、仕事で成長する/しないも、
結局、「メンタルが9割」なんじゃないかなと思います。
あなたは、どう思いますか?

さ、この夏も、このオリンピックも、もう2度と来ない。
選手たちを応援しながら、残る7月を元気に過ごしましょう!

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偶然に「【無理しない生き方】を強要するな」というタイトルの
Youtubeを見ました。
高学歴お笑いコンビとして知られる「ロザン」のお二人の動画です。
https://youtu.be/TMS19z1rJxo
とてもおもしろく、ちょっと触発されたので、
今日は「無理」とのつき合い方について考えたいと思います。


無理をしない生き方、流行っているんですかね?
流行っているかどうかはともかく、
無理をしながら生きている人が一定割合いるのか、
アマゾンで検索したら
「そんなに無理しなくてもいいんじゃないの?」というメッセージの本が
複数ヒットしました。


無理しないことと、自然体でいることは、
本質的には別のことだと思います。
無理しない生き方という文脈で「無理」という言葉が使われる時、
自分の気持ちに逆らうことを無理することと捉えているようですね。


ちなみに、「無理」という言葉には、最近は別の意味もあって、
「ありえない、ムリ!」「マジでムリ!」など、
「No、受け入れられない」の意味でもしばしば「ムリ」という言葉が使われます。
この場合、本来の「無理」という意味とは、ちょっと違うニュアンスです。
「受け入れるのは難しいです、ごめんなさい」
そんな意味でしょうか。
この「ムリ」は、拒絶の意思を伝えたい時に便利な言葉となっているようですね。

で、元々の「無理」は、「道理・理屈・理由」などが「無い」から来ています。
辞書的な表現を咀嚼して言うと、元々は3つの意味があるようです。
(1)道理に合わないこと(無理なことを言われた)
(2)実現するのがむずかしいこと(合格は無理かもしれない)
(3)限界を超えてしようとすること(無理するな)


私自身は(2)(3)の意味での「無理」と言う言葉に対し、
ちょっとした思いがあります。


(2)無理しないと、成長しない
(3)無理すると、 長続きしない


こう聞くと、「え? 無理した方がいいの? しない方がいいの?」と
思いますよね?
まさに、「無理」を巡っては、トレードオフの関係にもなりかねないので、
つき合い方が難しいなあと感じます。
だからこそ、今回、このテーマをとりあげようと思った次第です。


私の個人的意見としては、
長続きが大切なことで、無理はしない方がいいと思います。
でも、ステージを上げるには自分のエッジを超える必要がありますよね。
成長と「無理」にはどんな関係があるのでしょうか。


ロザンさんの動画では、こんな話が展開されていました。
資本主義は社会の成長を前提としている。
社会が2%成長しているなら、個人の2%成長は現状維持にしかならない。
個人が「2%以上」成長して初めて、社会の成長に貢献できることになる。
無理しない生き方はいいけれど、みんながそれをやり出したらどうなるのか。
だから、自分は無理したくない、自分は成長しなくていいと言うなら、
他の人にお礼を言わなくてはあかん。


私は、社会のために自分が成長すべきというより、
成長する方が楽しいから成長した方がいいと思います。
私自身もそうだし、うちの社員に対しても思うことです。


さて、人の成長を考えるとき、負荷や障害は必要とはよく言われることです。
それは本当なのでしょうか? 
昭和的すぎるでしょうか?
どう思いますか?


私は自分の体験からも、成長に負荷は必要だと感じていますが、
根拠を聞かれると、筋トレと同じだと思っている...ぐらいしか、理由が言えません。


筋力トレーニングで言われる原理の一つに「過負荷の原理」というものがあります。
日常生活以上の負荷を身体に与えなければ、筋力は上がりませんが、
一定レベルの負荷のトレーニングを継続するうちに、
身体がその負荷に慣れてしまうと、今度は効果が出なくなります。
効果を高めるには、負荷を増やしていく必要があるわけですよね。


けれど、筋トレでどの程度の負荷をかけるべきかは、目的にもよるようです。
目的が、筋力向上なのか、筋肥大なのか、筋持久力向上なのかによって
与えるべき負荷の大きさや回数の設定は変えるのが一般的です。


しかし、筋トレとキャリア形成や人間的成長が決定的に違うのは、
何キログラムの負荷というような形で設定できないことと、
その負荷に耐えられるかどうかが即座にわからないこと、です。
その負荷をどう感じるかは、本人の意識によっても変わります。
目的が明確なら、その負荷を受け止められるかもしれませんが、
目的意識がなければ、なぜ自分はこんな無理をしなくてはならないのか、
疑問に思ってしまうかもしれませんし、
その結果、心が病んでしまうかもしれません。
また、最初からこれは自分には無理だと決めてかかってしまっては、
自分を伸ばすことはできないでしょう。
「無理」をネガティブなものと決めつけず、
客観視しながらつき合って行きたいものです。


あなた自身は「無理」とどうつき合っていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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「諦める」という言葉、深いですよね。
「諦める」にも「諦めない」にも美学が感じられます。
人によっては、「諦める」という言葉には否定的な印象を抱くかもしれませんが、
受け入れて、執着せずに手放すと考えたら、「諦める」には潔い美しさがあります。


だけど、今日、考えたいテーマは「諦めない」の方です。
きっかけは池江璃花子さんの今回の日本選手権での活躍でした。
白血病という病と闘い、打ちひしがれる自分の心と闘い、
そして、どちらにも勝って、池江さんは東京オリンピックの代表の座を勝ち取りました。


病気になる前の池江さんは「才能」の人に見えましたが、
今は「努力」の人に見えます。
土曜日に放映されたNHKスペシャルによると、
実際、池江さんは、かつては結果がすべてだと思っていたそうです。
でも、復帰後は人生観が変わり、努力するプロセスが大切だと思うようになったそう。
池江さんは、「諦めない力」を身につけて帰ってきました。


そして、最初の勝利でこう言いました。
「努力は必ず報われるんだと思った」
これを聞いて、「必ず」なんて「そんなわけないだろ」と思うのはやめましょう。
彼女のすごさは、自分は「必ず」この困難を乗り越えられると信じたことにあるからです。


実際のところ、努力が「必ず」報われるということはありません。
自分の力ではどうにもならない社会情勢や、家庭環境や、
能力的適性や、運...のようなことがあって、
努力してもどうにもならないことが人生では多々あります。
でも、「どうにもならなかった」という言葉を使っていいのは、
努力した人だけですよね。


さて、本題。「諦めない力」について。。。。


「諦めない力」については、米国ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターの
アンジェラ・ ダックワース教授の研究が有名です。
彼女の書籍「GRIT~やり抜く力」(ダイヤモンド社)はすでに30万部を突破しています。
ダックワース教授は、粘り強く努力して物事を最後までやり抜く力の本質を
次の4要素だとし、その頭文字を取って「GRIT(グリット)」と名付けました。


Guts(ガッツ):【勇気】困難なことに立ち向かう力
Resilience(レジリエンス):【回復力】失敗しても立ち直る力
Initiative(イニシアチブ ):【主体性】自ら目標を見つける力
Tenacity(テナシティ):【粘り強さ】粘り強くやり遂げる力


やり抜く力「GRIT」は、生まれ持った才能や知能とは、まったく関係ないそうです。
たとえば、米国陸軍士官学校やグリーンベレーでは、
当初は有望とされていた多くの人が途中で脱落していきます。
最終的に過酷な選抜試験をやり遂げて優秀な成績を残すのは、
上の4要素を持つ人たちであることを、ダックワース教授は明らかにしています。
才能や知能があっても、努力が足りなければ、十分な結果は得られない、
しかも、GRITはトレーニングで開発可能。
それがダックワース教授の結論であり、この理論の魅力です。


やり抜く力は、次の1から4の要素を1から4の順番で伸ばすことで、
身についていくそうです。


1. 興味:興味があることに打ち込む(情熱を持って没頭するには興味が必須)
2. 練習:弱点を認識し克服するために、目標を設定して練習に励む
3. 目的:自分の仕事は社会にとって重要だと確信する
4. 希望:困難が生じても悲観に打ちひしがれず、希望を持ち続ける


なるほど。どれも重要であること、同意です。
インナーブランディング的な視点で見たなら、
3番が最も重要ですが、いきなりそこには行かれないということを
ダックワース教授の理論は物語っています。


さて、、、、
それはそれとして、「諦めない力」を巡って、私はこうも考えます。
まず、自分の人生の大部分は自分でコントロールできると考えるのか、
ほとんどのことはコントロールできないと考えるのか、です。
どう思います?


人生には、自分にとって、ウェルカムなことと、
その反対にイヤだと思うことが常に起きますが、
誰しもイヤなことがコントロールできないとなったら最悪です。
でも、もし自分でコントロール可能なことは多々あると思えていて、
だからこそ、そこに意識を向けようと思うことができたなら、
幸せな人生を送れますよね。
私はコントロール可能なことはたくさんあると思っていますが、
人生はコントロールできないと思っている人、実は少なくないような気がします。


そして、もう一つ、「諦めない力」に関連して、こうも思います。
幸せの基準をどこに置くか、です。


目標を達成することが幸福なのか、
目標を達成しようと前向きに生きることが幸福なのか。
あなたは、どう思いますか?
私は後者です。
なぜかと言えば、前者は「結果」の中に幸福を求めているので、
結果が出るまで幸福にはなりません。
後者は「希望」の中に生きていて、
その「希望」に触れているだけで、幸福感を味わえます。
池江選手の「泳げただけで、ここにいられるだけで幸せ」という発言にはそれが表れていました。
でも、現実社会では、結果で幸福を判別しようとしている人が多いような気がします。


こういうことは価値観だから、正しい/間違っているはありません。
ただ、その価値観を意思を持って選択しているかどうかが重要ですよね。
池江選手の生きる姿は、こんなふうに私たちにいい刺激を与えてくれました。
ぜひ、ぜひ、ぜひ、池江選手を応援しようじゃありませんか!!

今週も素敵な1週間でありますように!

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あけましておめでとうございます。


箱根駅伝、ご覧になりましたか?
駒澤大学のアンカー石川拓真選手の力走と、奇跡の逆転劇、すごかったですね。
私は残念ながら、ニュースで知ったのですが、
それでも感動したぐらいなので、ライブで見ていたら鳥肌が立ったことでしょう。


「自分を信じて、諦めなければ、何かが起きる」
そう思って走ったそうですが、
たすきをもらったとき、1位の創価大学とは3分19秒もの大差。
それを逆転したのですから、、、、
大いなる力が味方したとしか思えないような快挙です。


さて、年始なので、今日は「大いなる力(のようなもの)」のご利益に預かるには
どうしたらいいのかということについて、真顔で考えてみましょう(笑
もちろん冗談。いえ本気。いや、冗談。でも、結構本気で(笑笑


大いなる力のようなものが存在する/しないは、当然人それぞれです。
存在するという物の見方は、ちょっと宗教的に聞こえるかもしれませんが、
ポジティブな思考にはポジティブな結果がついてくるというような、
一種の人生観のようなものなのだと思います。


で、実は割と多くの人がこのような考えを思っているのではないでしょうか。
「病は気から」なんていうのも、同じようなことです。
自分の気持ちのありようが、目に見えない力を動かし、良い結果につながる。
真剣に信じているわけではないけれど、心のどこかでそんなイメージを抱いている。
日本では「おてんとさま(お天道様)」などと呼ぶこともありますね。
狭義では太陽のことですが、広義では太陽を含む大自然のことです。
良い行いも悪い行いも、人が見ていなくても、「おてんとさまが見ている」と。
では、そのおてんとさま、いったい私たちの何を見ているのでしょう?
あ、真剣に受け止め過ぎないでくださいね。ただの想像の話ですから。。。


話は飛びますが、大晦日に夜更かしをして、
ディズニーの実写版「アラジン」を観ました。
主人公アラジンは生きるための盗みはするものの、
純粋な心の持ち主として描かれています。
洞窟に隠された魔法のランプを手に入れるよう命じられますが、
その洞窟には善良な心と優れた素質を持つ人しか入ることができません。
アラジンは見事洞窟に入り、すったもんだありながら、
ランプの魔法を借りて、人生を切り拓いて行きます。
魔法だなって、奇跡に近い、大いなる力の象徴です。
なぜ彼はランプを手にすることができたのか?
おてんとさま(ここでは洞窟)は彼の中に何を見たのか?
まあ、お話だから起きたと言ってしまえば、それまでですが。。。笑


石川選手の力走とその結果を見た時は、
おてんとさまが見ているのは、諦めない不屈の精神力?...とも思いました。
でも、それではおてんとさまの了見としては狭すぎる感じがします。

そうこう考えるうちに、
ふと、先月、Youtubeで見た田坂広志さんの講演を思い出しました。
それは、32歳のときに癌で余命宣告されたものの、
奇跡的に生き延びた、そんな体験に関するものでした。
現在、70歳でいらっしゃるので、本当にすごい話です。


余命宣告された田坂さんは、絶望的な気持ちのまま、
救いを求めてある禅寺に行ったそうです。
その寺に行くと治癒する人が多いと、両親に勧められたのがきっかけでした。
そこで禅師に言われたのは、励ましでも癒しでもなく、期待とは違った言葉でした。
「そうか、もう命は長くないか...。だがな、一つだけ言っておく。
人間、死ぬまで、命はあるんだよ!」


そう言われた田坂さんは、死ぬまで命があるにもかかわらず、
自分はすでに死んでいた、と気づいたそうです。
どうしてこんな病にかかってしまったのかと「過去」を悔い、
これからどうなるのだろうと「未来」を憂う。
そんなことばかりに時間を使い、「現在(いま)」を生きていない自分に愕然とし、
その日から生きる覚悟を決めたそうです。
人生にあるのは、永遠に続く現在(いま)だけなのだから、
いまを生き切れ。
そんなメッセージの動画でした。
こんな話を聞くと、田坂さんの著作はより一層深いものに思えてきます。


この動画を思い出した時、
3つの点が重なって、1つになりました。
石川選手にも、アラジンにも、田坂さんにも共通するもの、
それは「いまを生き切っている」ということです。
大いなる力が私たちに味方をしてくれることがあるとすれば、
それはきっと私たちが「過去」でも「未来」でもなく、
「いまを生きている時」なのではないでしょうか。
未来を妄想しやすい私ですが、いまを生きなければと思った年初でした。


さて、今日はこの辺で。今年もよろしくお願いします。
首都圏では緊急事態宣言が発出されるようですが、
他力本願にも他責にもならず、自分のいまを生きましょう!
素敵な1週間をお過ごしください。

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コロナで自宅就業の最中、当社では5月にXさんという若手社員を迎え入れ、
ずっと歓迎会ができていなかったのですが、
先週、ようやく歓迎会ランチを開くことができました。
オープンエアのテラスのあるレストランで、です。


幹事のYさんは、同じく若手ですが、段取りも進行も軽やかに〜♪
会の中盤でXさんに話題を振りました。
「グラスルーツに入って、おもしろいとか、へぇーと思ったことは?」と。
Xさんは、あれこれと話しましたが、その中に、こんな話しもありました。
私が書くと、ちょっと自慢みたいに聞こえるかもしれませんが、
(あ、ちょっとは自慢なんですが笑)
書く目的は自慢ではありません。


その発言、正確には覚えていませんが、
「グラスルーツは社長のオノさんと距離が近くて、
話を聞いてもらえるのが新鮮です」みたいなこと。
で、私が言ったのは「小さな会社だから、当然だよ」みたいなこと。
そしたら、それを聞いていたZさんが、
「小さい会社でも、そうでない会社はたくさんありますよ」と。


まあ、そんなことがあって、確かに当たり前ではないのかもしれないなーと思って、
自分がどこから、なぜそうなったのかをちょっと振り返ってみました。
その原点、子どもの頃の少し恥ずかしい話を自分語りする...という形で、
恥ずかしい三昧ですが、メルマガのネタがない時の苦し紛れにやってみます(笑
お時間許せば読んでください。


私が人の話を聞くようになったその原点は、
多分「小学校3年生の学芸会」にあります。
びっくりですよね。
三つ子の魂百までもとはいいますが、小三魂百までもなのですから。


その年の学芸会で、私はアンデルセンの有名な童話「裸の王様」の劇に出ました。
出たといっても、その役は侍女8番、、、だったかどうかはわかりませんが、
要は大勢の侍女の一人でした。
台詞もなければ、ちょっとしたダンスを大勢でして、すぐに終わる、そんな役です。
ぶっちゃけ、子ども心に「ふん、なんで私がこんな役? おもしろくない!」
と思いました。


その当時の私は、男子以上に野球やスポーツができて、
それなりに勉強もできる活発な女子。
そのせいか、学級委員の投票では大勢が入れてくれるなど、
ちょっとした人気者だったのです。
その私が「侍女」の役です。
プライドがへし折られたような気持ちでした。


ところが、その役を巡って、先生が私にこう言いました。
「小野さんは活発だし目立つが、クラスには目立たない人もいる。
そういう人たちの気持ちをわかる人になってほしいと思って、
この役を与えた」


その時の私の気持ち、わかりますか?
もう恥ずかしくて、恥ずかしくて。
自分はまさに劇の通り「裸の王様」への道をまっしぐらに歩いている
と気づいたからです。
他の人のことなんてまったく考えない裸の王様。
その時、「超かっこ悪い、私」と初めて自覚しました。
なので、「裸の王様」は私にとって「かっこ悪い」の象徴であり、
ほかの人の話を聞くようになった原点です。


さて、「かっこ悪い」という感覚は、自己否定感に繋がったりして、
一般的にはあまり良い感覚ではないと思います。
でも、私は、この感覚は意識すべき大切な感覚だと思います。
「かっこいい」ことをしたいと思うよりも、
「かっこ悪い」ことをしたくないと思う方が、健全な気がします。



数年前に「"かっこわるい"が"美しい!"に変わるティーパーティー」という名の
ワークショップに出たことがあります。
人は、誰しも自分の取った態度に対して「なんで、こんな行動をしちゃったのか、
かっこ悪いな、自分」と自己嫌悪に陥ることがありますが、
そこで自己否定する必要はない、なぜなら、
かっこ悪いと感じている裏には、「こうありたい」という願いがあるからで、
その願いは実はとても美しいものだ、自分の美意識に気づこう...
そんな内容のとても素敵なワークショップでした。


つまり、「かっこ悪い」に自覚的になること、
それは自分の美意識を知ることなんですよね。

あなたは、どんなことを「かっこ悪い」と思いますか?


8月の足音が聞こえてくる7月最終週。
素敵な1週間を!

私の友人に畑中景子さんという人がいます。
昨年まで政府系金融機関で世界を股に掛けて仕事をしていた人で、
今はコーチであり、コーチを育てるコーチでもある。
名門INSEADでMBAも取っちゃうほど、グローバル感覚に溢れた人物です。
私より一回り以上若いですが、話すと楽しいのが魅力。
「スターウォーズ」や「ボヘミアンラプソディ」を一緒に見に行って盛り上がる間柄です。
そんな彼女が、「TOEICではなく、TOEFLを強くススメる理由」と題して、
自分のブログに記事を書いていました。

https://note.cocomichi.club/entry/2020/05/29


彼女の調べによれば「TOEICの受験者数は、世界150ヵ国で年間約700万人、
うち日本が年間266万人(2018年度)。4割弱が日本」だそうです。
ところが、畑中さんのTOEICに対する評価は厳しいものです。以下3行引用。

けれども、関係者の方々には大変失礼ながら、
私の勝手な超個人的経験で言えば、TOEIC対策をしていても、
本当の意味でグローバルに通用する英語は身につかないだろうと思っています。


そして、記事を読みながら、私が特に共感した1行は、
「本当のビジネスは、業務を遂行することではない」です。


つまり、TOEICは、業務時間中に業務を遂行するためのコミュニケーションには
役立つかもしれないが、
それだけではビジネスのパートナーとして一目置かれたり、
ビジネスを創り出すことはできない...というのが彼女の見方です。


彼女の主張の詳細はブログを読んでいただく方がいいと思いますが、
ビジネスでは説明能力も大切だけれど、
それ以上に「あなたはどんな人なのか」が感じられる「雑談」が大事、
なぜなら、誰だって面白い人と仕事をしたいからだ...
という意見に、私は大きく共感しました。


畑中さんの記事の本旨は、それにはTOEFLの方が有効というものですが、
私の本旨はそこにはないので、語学学習に興味のある方は、そちらをご覧ください。


雑談が大事とありましたが、畑中さんの言わんとすることは、
「楽しい会話」とそれに基づく「仲良し関係」が大切...
ということではありません。
一人の人間として、自分の考えを持ち、お互いに伝え合える関係こそが
本当の創造的な仕事を生み出す、ということだと思います。
考えてみれば、これは日本人同士でも同じですね。


私が、人材育成や採用の際に大切だと考えていることと、
畑中さんのグローバルコミュニケーションに関する意見には、共通点がありました。
それは、真に創造的な仕事をするには、
人としてのあり方や関係のあり方が大切だということ。


ところが、若い時にはこんなことを考えがちかもしれません。
早く一人前になりたい。そのためには、スキルを身につけなくては、と。
いえ、もちろんそれが間違っているわけではありません。
でも、本当に強い人、伸びる人は、自分で伸びていく力のある人です。
畑中さんの言葉を借りるなら、ビジネスを創造できる人です。


スキルというのは、経験や知識を通じて獲得した技能です。
が、いくらスキルがあっても、それでカバーできるのは、業務の遂行や対処まで。
それで何がいけないのか?と思われるかもしれませんが、
業務を遂行するのは給料をもらっていれば当たり前であって、
残念ながら大きな価値を生み出しているとは言えません。


スキルがDoingであるとしたら、
仕事の創造/創造的な仕事のために、それ以上に重要なのはBeingです。
というのは、「創造」に向かって自分で伸びていける人は、
自分自身との付き合い方や、他者との関係の築き方がどこか違います。
つまり、人としての「あり方」、「あろうとする考え方」がどこか違う。


波風立てない無難な関係であろうという志向や
防衛的な志向でないためか、会話も表面的で終わりません。
また、自分の未熟さをオープンに受け入れたり、自分の考えをオープンに出すので、
結果的に、入ってくる情報や知識、フィードバックの量が増えますよね。
そうすると、自分を成長させるいい循環が生まれてきます。


しかも、Beingは青天井ですから、どこまでも伸ばせます。
私だってまだまだ発展途上ですからね!! いえ、ホント!


グローバル社会だからこそ、Doing(スキル)よりBeing。
そんなことを考えた週末でした。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

200127_golf.png

7、13、6、7、11、12、9、7、8 (73)
7、9、7、7、7、10、6、6、10 (69)


さて、この数字は何だと思いますか?


これは、週末土曜日の私のゴルフスコア(前半、後半)です。


9月から練習を始め、11月にコースデビュー。
12月に2回目、この週末土曜日は3回目のラウンドでした。


各ホール2桁以上叩き、ズルし放題で、何回叩いたのか、
カウントさえできなかった1回目から比べると、
我ながら大躍進です!
2回目はときどき1桁の打数で回れるなど、そこでも変化がありましたが、
それから比べても進歩しました。


今日は、その間の変化や気づき、意外にも仕事で役立ちそうなので、
シェアさせていただきます。


3回のラウンドで起きている小さな変化は何か?
それは大きく分けると4つあります。


第1に、1回目より2回目、2回目より3回目、「心の余裕」が全然違います。
1回目は、第1ショットで立てたティーを持ち帰るのを毎回忘れました。
打つ前に素振りをする余裕もなく、何打打ったのかもすぐにわからなくなりました。
心の余裕がまったくなく、一番疲れたのは体ではなく、脳みそでした。
頭がパツンパツン。。。


第2に、心の余裕ができたせいでしょうか。「恐れずに試す」ができました。
たとえば、前回までのラウンドでは2打目以降で使ったクラブは、アイアンのみ。
ウッドを使おうという気持ちはこれっぽっちも起きませんでした。
理由はまともに打てる自信がないからです。
でも、今回は最初から使っていこうと思っていました。試すためです。
バンカーや池に向かう気持ちにも変化があり、今回は入ったら入ったまで。
恐れずに「やりたいようにやってみよう」と思えました。


第3は、そうした心の余裕が生み出したプレーへの意識の変化です。
「基本に集中」できるようになりました。
私にとっての、基本はアドレス、グリップが7割、スイング3割。
あ、これはコーチからの受け売りです笑
それぞれのポイントは省きますが、言われたことをやる。
「これは違うよ」と言われたことはやらない。
とにもかくにも、自分の体を思ったように動かしたい。


第4は、これも心の余裕が生み出したものですが、
「疑問を抱き、考えながらプレーする」ようになりました。
たとえば、第1打ドライバーを打つ時、
ティーの高さはどのくらいがいいのだろうか?とか、
クラブは短めに持てというけれど、どのくらいがいいのだろうか?とか、
上手な人は何を計算し、何を考えて、プレーしているのだろうか、など。。。
疑問が生まれてくると、自分の課題やそのホールで試したいことが生じ、
小さなPDCAが回せるようになりました。


こう考えてみると、第2、第3、第4の変化は、心の余裕がもたらしたものです。
で、この気持ちに余裕を生み出したものは、何かと考えてみると、
結局「反復練習」「場数」「居直り」ではないでしょうか。
私のように「場数」と言えるものがなくても、「練習」は自負を与えます。
さらに「居直り」が一番重要かもしれません。
居直りの本質は「恐れ」の反対?
スターウォーズ的に言うと、May the Force be with you.


さて、、、、
このメルマガを書くために、「スポーツ」「上達のコツ」で検索してみました。
すると、こんな答えが。


①目標を持つこと
②課題意識を持つこと
③良いフィードバックを得ること
④内発的動機を大切にすること


なんだ、仕事と一緒じゃん...。でも、まあ、そりゃそうだろうと思います。
で、この4つをさらに上手に回すコツもあるような気がします。


まず「目標」。
今回、私の目標はすべてのホールを1桁で回ることでした。
達成できたのは、18ホールのうち13ホールです。
この目標、具体性があるほど、効果的ですね。
後半、友人がホールごとに目標をブレークしてくれました。
たとえば「パー4」のホールで、
「このホールは、4オン2パッドで行こう」とか。
そうすると、イメージが具体的になって、モチベーションの粒度が細かくなります。


「課題意識」もホールごとに細かくするほど、手応えも具体的になりますね。


「フィードバック」との付き合い方も大切ですよね。
「斜面ではボールの位置を右足寄りにした方が安定するよ」
「クラブを気持ち短く持つ方がいいよ」
「左足は、こういう感じで使うといいよ」
今回も様々な助言やフィードバックをもらいました。
それらとどう付き合うか。
私が思うのには、知識としてのインプットは「素直に」。
取り入れ方は「ゆっくりと」。
つまり遮断せずに聞き、試しながら、取り入れない選択も含めて、
自分に合う取り入れ方をするということでしょうか。
仕事もそうかもしれません。


最後に「内発的動機」について。
先日、私はアチーブメント社のセミナーに参加したのですが、
そこでも「外発的動機」より「内発的動機」の重要性が語られていました。
要するに「褒められたい」「認められたい」というような外発的動機よりも、
「ワクワクする気持ち」「喜び」などの内発的動機を大切にするという考え方です。
そこが起点になっていると、多少悪い結果が起きても、気持ちが萎えません。
ということは、自分は「何がうれしくて、ゴルフをするのか?」
という答えを持った上で、どう練習し、どうプレーするかですね。


何がうれしくて、何を得たくて、仕事をするのか?
とても大切な問いですね。
1月最終週。気持ちよく次に向かえますように!
素敵な1週間をお過ごしください。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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