『最近の出来事から』カテゴリの記事
戦略家がやっているらしい「予測」の話
地震や台風などの天災、パンデミック、急にやってきた米不足...。
経済や国際情勢を含め、
予測しようもないからこそ、今日は「予測」
というのは、先週の木曜日、
左手を添えないと歯磨きさえできません。
そこから1週間、自分の行動を観察したり、
結局ここには「予測」
ご心配をお掛けしても申し訳ないので結論からお伝えすると、
当初はどうなるかと思った手首の症状も日に日に良くなり、
あと二、三日もすれば、元通りになっていると「予測」します!(
この間に私が取った行動は、木金土日は様子を見て、
月曜日に地元の脳神経外科へ行きました。
脳には異常はないが頚椎の可能性があるからと言われ、
大きな病院への紹介状をもらって翌日火曜日に整形外科に行きまし
結局、寝ている間に神経が圧迫されて起きたもので、
心配はないだろうという診断を得たので、
ゴルフも、筋トレも、ドラムもやるぞ~!
今回に限らず、発熱など緊急な場合を除き、
体調が悪くなったら、概ね1週間ぐらいで医療機関を訪ねます。
その理由は、宙ぶらりんだと予定が立たずに困ること、
最悪の状況ではないということの確証を得たいこと、でしょうか。
今回も楽観していましたが、楽観に基づいて行動すると
人に迷惑がかかる場合がある、というのもありました。
多分こういうことが、私の「予測に対する価値観」なんですね。
自分の体調に関しては1週間ですが、
仕事への対処はどんなに遅くても24時間の意識でいます。
何事も「最悪の状況」を想定して行動したくなるのは、
経営者特有のサガかもしれません。
あれは30代の半ば、
「最悪の事態を想定しろ。
希望的観測を捨て、しかし希望を忘れるな」
確かに...と思ったことを今でも覚えています。
最悪の事態を想定することの良さは、
「別に死ぬわけじゃないな」
しかし、人の予測行動は十人十色。さまざまな性分の人がいます。
体調を例にすると、、、
健康管理に気をつけて、日々対策している人もいます。
そういう人の持ち物を聞くととても面白いです。
また、具合が悪くなっても、
がんの手術などの大事に至っても、
セカンドオピニオンをもらう人もいれば、もらわない人もいます。
理由も、もちろんさまざま。
ある人は楽観的だからで、ある人は面倒だからであったり。
仕事でも同じように行動は分かれますよね。
人のことはともかく、私は「最悪の事態想定派」です。
悪い方から可能性を潰して、現実的な対応を考えたいタイプです。
ところで、OODA Loop(ウーダ・ループ)
私自身はこの原稿を書こうと思って、「予測」
今回初めて知りました。これが何かというと...
OODAループとは、アメリカの軍事戦略家であるジョン・
先の読めない状況で成果を出すための意思決定方法です。
現在では、
ボイドは、空中戦での決定的な勝因は、
意思決定プロセスを分かりやすく理論化しました。
Observe:観察する
↓
Orient: 状況を判断する
↓
Decide:意思決定する
↓
Act:行動する
PDCAが計画に対する業務改善モデルであるのに対し、
OODAは、迅速な意思決定を行うためのモデルで、
両者はしばしば比較されます。
なるほど。。。。
「なるほど」とは思いますが、私は2つのOの間で行う、
「Imagine」(想像する)が実は最も重要なのではないか、
予測の本質とはImagineなのではないか、と考えています。
想像する。
相手のことを。
相手の周りにいる人のことを。
自分の行動の後に生まれる状況のことを。
今、何もしなかった場合のことを。
3日後のことを。
1カ月後、1年後、10年後のことを。
その後に状況判断ですよね!
OIODA(オイオダ)です笑 戦闘では使えないけど。
今週、当社のニュースをお知らせをします。
楽しみにお待ちください! ではまた
前頭葉、若々しく保っていますか?
一昨日、私が兄と慕っている(でもだいぶ年下の)
なんと「一見さんはお断り」、かつ「1年待ち」で知られる
村上開新堂のクッキーを届けてくださるためにです!
村上開新堂は、
明治7年創業の洋菓子専門店です。
箱を開けるのに、動画を撮ったくらい、味もさることながら、
そのレアさを堪能しました。
このXさん、とってもエネルギッシュな方です。
上場企業の役員でありながら、グループ企業の社長も務める。
詳しいことは知りませんが、ベンチャーにも関わっているし、
いったいいつ休んでいるのだろうと思うぐらい
ある一面から見ると仕事大好き人間です。
しかし、仕事一辺倒でないから、なおさらスゴイ。
今週は京都に遊びに行くと言っていたし、
ベイスターズの応援にわざわざ北海道まで行ったりも。
AIの話や株式投資の話など、
話は尽きませんでした。
60代にはまだ手が届いていないとはいえ、
年齢的には決してヤングなわけではないのに、
なぜこの人はこんなにも若々しいのだろう?
(実際、オシャレな方でもある)
と、考えてみました。
その理由はいくつかあるのでしょうが、
まずは、まったく守りに入っていないこと、
加えて好奇心が旺盛で、
こう考えて見ると、「若さ」というのは
一概に年齢と比例するわけではないと痛感します。
年齢的には若くても、守りに入っていて、
行動する熱量が低い人は大勢います。
Xさんが来社された前日、当社のある人と、
実は「若さは前頭葉による」という話をしていました。
というのは、彼女は脳科学者・中野信子さんの本を読んでいて、
前頭葉が大切だと再認識したそうです。
タイトルは聞いたのですが、忘れてしまいました。
多分この本だと思われる本を本の要約サービス「flier」
確かに最終章辺りに前頭葉が若さにどう関わっているか、
どうしたら脳が老けないのかが書かれていました。
前頭前野は思考、やる気や感情、性格、
分析的思考や客観的思考を行っている場所とも言え、
前頭前野がうまく働いていれば、固定観念を持たず、
自分を客観視できるのだそうです。
しかし、一般的には加齢によって前頭前野の働きは衰えます。
「老けない脳」をつくるには、
・慣れていることをやめて新しい体験をする
・あえて不安定・過酷な環境に身を置く
・安易なカテゴライズ、レッテル貼りに逃げない
・余裕を大切にする
...といったことが大切ならしいです。
でもね、この話は
筋肉が衰えてきたから、階段を登らない
階段を登らないから、筋肉が衰える
というのと、ロジック的には同じで、
鶏と卵の関係にありますね。
それでも、慣れていることばかりに安住していると、
前頭葉が衰える(=若さを失う)とわかっていれば、
自分の行動パターンに意識も向くから予防にはなるのかもしれませ
おや、待ってください。
自分の行動パターンを意識できるというのは、
メタ認知が働くということですから、
前頭葉が衰えると、それもできなくなるんですよね。
私自身は野生的直感から笑、
運動によるメタ認知の向上や言葉への感度の開発が、
若さに関係しているような気がしています。
さて、明日はお休みをいただいて軽井沢に行ってきます。
涼しいといいなー
皆さんもどうぞ良い週末を!
パリ五輪開幕~運?勘?自分に負けないって?
パリ・パラオリンピックが始まりました。
日本選手の皆さんにはがんばってほしいですね! 応援しています!
ところで、
「真剣に」と言われると少しひるみますが、私は一応あります。
体格は小柄ですが、若い頃はスポーツウーマンでした。
中学生の時は、陸上部に所属。しかし、全くの「才能なし」。
(まあ、
その後、チームスポーツがやりたくてハンドボールをやりました。
進学校でしたが、
スポーツをやって良かった理由の1つは、
「勝ち」と「負け」。
勝負の相手は、対戦する誰かである前に、大抵は自分です。
私がスポーツを通じて学んだことは、たくさんあるのですが、
その中でも絞り込んで3つ言えと言われたら、
1・全員が自分の持ち場に「責任」
2・自分を信じる「メンタル」があってこそ勝てること
3・「頭脳的ながんばり方」をしても、闇雲にやっても負けること
まず「責任」について。
陸上競技は個人競技なので、
でも、チームスポーツであるハンドボールでは、
入部して初めて三角パスという練習をしたときの記憶です。
キャッチを何度もしくじって、先輩たちから「キャッチ!」
「ちゃんとキャッチせよ」という意味です。
チームワークというと、仲良くやっているイメージもありますが、
実はそうではなく、
次に「メンタル」について。
いやー これ、説明は要りますまい。
できるかな? 勝てるかな?
入らなかったらどうしようと思って打ったシュートは絶対に入らな
シュートは「入れてやる!」と思って打たなければならない。
そのメンタルを養わないと、どんなに練習しても、
最後に「頭脳的ながんばり方」について。
とかく多くのスポーツは肉体的要素や練習量が勝ち負けに影響しそ
でも、それだけが勝負の要因なのかというと、
相撲でも、昭和で言えば舞の海、
肉体的にも練習量でもハンデがあるとき、
「頭を使って勝て」
私が学んだ3つ以外にも、勝負で重要なことはあります。
たとえば、「運」と「勘」。
どちらも、とても非科学的な印象がありますが、
私は、ビジネスでもこの2要素はとても重要だと考えています。
そして、「運」も「勘」も、心の「鍛練」
「鍛練」というのは、しっかり練習し、自らを鍛えること。
「鍛練」なくして、「運」も「勘」も手に入らないであろう...
という人生観です。
こういうと昭和っぽいですが、「スターウォーズ」
少しは自然思想な感じや、禅的なものが伝わるでしょうか?
実際、「スターウォーズ」は仏教的な教訓で溢れています。
仏教では徳を積むことが、
私は、「徳」と「運」「勘」は無関係ではないと思っています。
利己的ではなく、他人のことを思う人には勘が開かれるし、
運も与えられるのではないかなー、と。
さて、話を勝負事に戻すと、先日、
こんなことを言われました。
「勝負事や賭け事は好きなぐらいでちょうどいい。所詮、
話の発端は、
どんなゲームがいいか、聞いていたときでした。
というのは、父は本来、囲碁が好きなのですが、
私自身の時間的負担を減らした上で、
「対戦ゲームはどう?」と聞いたら、
「勝ち負けは、もうどうでも良いから、そんなに興味はない」と。
でも、その後に言ったのが、上に紹介した台詞だったのです。
父いわく、「人生は『勝負事』
自分の思うような結果を得るということ。
勝負事が好きな人は、思い通りに行かない時には悔しいと思い、
自分のどこに問題があったのか、
勝負事が好きなら、それは苦にならない。
でも、勝負事が嫌いな人は負けは苦だし、
他人のせいにしている人は、負け癖がつく」。
ちょっと意訳ですが、そういう意味でした。
100%同意ではないけど、
...というところ、私もその血を受け継いでいるなと思いました。
「運」も「勘」も「勝負事」も
結局はどれだけ心を鍛え、
パリ五輪に出場する選手の皆さんも、
そして、もちろん選手を応援しながら日常に励む私たちも、
自分に負けないように心を整えたいものですね。
はぁ~ でも暑さには負けそうになる...。
今週はもう8月です。
お互いに暑さにめげず、がんばりましょう!
「させていただく」の根っこにあるのは?
東京都知事選が終わりました。
感想はいろいろありますが、
今回は、過去最多の立候補者数だったこともあり、
出馬会見や政見放送、街頭演説動画など、
知事を目指す人たちの声を聞く機会がたくさんありました。
それらを通じて、
「立候補させていただく」に代表されるように、
「させていただく」という謙譲表現です。
もちろん尊敬語、謙譲語は難しいし、
私自身も含めて誰でも多少おかしな言葉を使っているので、
完璧であらねばならぬ...などと思ってはいません。
なのですが、「させていただく」という謙譲表現、
政治家の皆さんがやたらに多用するという印象、ありませんか?
そして、
では、なぜ「立候補させていただく」
早速、Google先生に「させていただく 謙譲語」で尋ねてみたところ、
マイナビさんのコンテンツから次のような説明がトップに上がって
ーー以下引用ーー
「させていただく」は「させてもらう」の謙譲語であり、
「相手からの許可」「恩恵を受ける」という意味が含まれます。
相手の許可を得ていない、得る必要がない、
使用しません。
ーーーーーーーー
なるほどと合点がいきました。
立候補は自分の意思で決めることであり、
「立候補させていただく」に違和感を感じたのだと思います。
では、「させていただく」の正しい使い方例には
どのようなものがあるのでしょうか?
以下の5例は、許可と恩恵という観点から正しいと言えそうです。
「〇日の〇時に訪問させていただきます」
「日程の変更をさせていただきます」
「この忘れ物は1カ月後に処分させていただきます」
「(イベント会場で)荷物の中身を点検させていただきます」
「ご提供いただいた写真を使わせていただきます」
しかし、実際に世の中では許可と恩恵とは無関係に
「させていただきます」が使われています。たとえば...
「資料は当日、配布させていただきます」
「(パートナー企業に)明日はお休みさせていただきます」
「報告書は予定通り明日提出させていただきます」
「写真を添付させていただきます」
「私が担当させていただきます」
いやー 使っていますよね。
これは多分、許可・恩恵以外に、意思表示を丁寧に伝える場合に、
「します」→「させてもらいます」→「させていただきます」
になっているのでしょうね。
だとしたら、言葉は生き物だし、
それはそれで別にいいんじゃないのという気にもなってきます(笑
話を戻して、政治家のスピーチの違和感の本質。
許可・恩恵でないことで使われているという以外に、
実はもう一つあって、それは「多用されすぎ」
多用されるがあまり、大臣が「指示させていただいた」
「お示しさせていただきます」と言ったりするのも、
「させていただきます」を多用している人にとっては、
「丁寧に、謙虚に...」という気持ちからなのかもしれませんが、
少し皮肉な見方をすると(すみません、天邪鬼で)、
「丁寧な言葉を使っておく方が、突っ込まれないだろう」とか、
「へりくだっておけば、人は信用してくれるだろう」などと
思っているようにも見えます。
何となく受ける印象として、言葉は上辺だけのもので、
実際には尊大であったり不誠実なのではないか?とか
防衛的な面が現れているだけなのではないか?
「検討させていただく」がその典型ですよね。
そう言ったなら、
「させていただく」という表現を、
「させていただく症候群」というのだそうです。
夏休みシーズンを迎えます。
「お休みさせていただく」ではなく、
「休みます」と言うのが普通なことになってほしいですね。
常識という「刷り込み」のコワさ
ヤフー知恵袋にこんな書き込みがあるのを見つけました。
ーーー
皆さんが常識を疑うことって、どんなことですか?
夏休みの宿題で「常識を疑う」
このお題が私には難しすぎて全然わかりません。
だから普段、
ぜひ、協力お願いします!!
ーーー
「夏休み」と書かれているので、
これを読んで、最初は、「常識を疑う」
愕然としたものの、よくよく考えてみると、
むしろその感覚の方が健全なのかもしれないなと思い直しました。
というのは、「常識を疑う」
たとえば今週、私の中で1つの常識が覆されました。
何だと思いますか?
実は、私、日本という国は「極東アジアの小さな国」
国土面積が小さい国という意味です。ところが...
日本は意外にも大きかったのです。
知ったきっかけは、「The True Size.com」というサイトを訪れたことでした。
これは、
実際の面積を体感できるサイトです。
たとえば、「Japan」で検索してみてください。
日本がアクティブになり、
日本の国土サイズが感覚的にわかります。
私が最初に驚いたのは、
日本がイギリスやイタリアよりだいぶ大きいのはもちろん、
ドイツよりも大きそうだったこと。
えー!びっくり!という感じでした。
で、さらに調べてみると...
日本の国土面積は377,945,210平方kmです。
東南アジアの中では、
中国 9,600,000
インドネシア 1,910,931
タイ 513,140
に次いで第4位。(単位はいずれも平方kmです)
それどころか、ヨーロッパのこれらの国々よりも大きい。
イギリス 242,495
イタリア 302,068
ノルウェー 323,772
ドイツ 357,581
フィンランド 336,884
ヨーロッパの国は国土面積が狭い国が多いんですね。
では、なぜ私は(もしかしたら、皆さんも)
日本はちっぽけな国だと思い込んでいたのでしょうか?
ここからは推測です。理由は2つあります。
その1。
この地図の特徴は高緯度に向かうにつれ距離や面積が拡大されるこ
日本は、赤道直下ではないにしろ、中緯度にあるので、
地図上の形は実際よりも小さく表示されます。
それが「ちっぽけ日本」
その2。考えられるもう一つの原因は、「日本は小さい島国」
幕末に国内で定着したこと。
どこからどうして定着したのかはわかりませんが、
黒船到来で軍事力のギャップをまざまざと認識させられ、
以来、自国を卑下する意味もあり、
つまり黒船あたりから、「日本は小さい島国」
そのような言語的表現は定着し、
そして、もっともアタマにくることは、(←これ、自分にです)
「日本は小さい島国」という気持ちで生きていなければ、
もっと気持ちも大きくなったような気がすること!
今回、改めて常識は疑わないと、見えてくるものも、
来週は6月も最終週。今年も半分が終わってしまいますね。
暑さに負けずに元気に過ごしましょう!
「善」という縛り
昨日、届いたコンサル向けメルマガで「謙虚という罠」という
タイトルを目にしました。
謙虚さというのは、心の中の問題ではなく、
態度の問題だというのがその内容でしたが、
内容よりもタイトルにインスパイアされて、
私も含め、多くの人は「謙虚」は美徳だと思っています。
今の自分に奢ることなく、控えめでいる、素直に学ぼうとする、
偉そうに振る舞わない...。
美徳であり、善であることに間違いありません。
でも、「謙虚という罠」という文字を読んで、
どんな罠があるのか考えてみました。
謙虚は善だという価値観を持っていると、
聞かれてもいないのに、
誉められても、「いえいえ、滅相もない」と応えたくなる、
自分が悪いわけではなくても、謝ってしまう...。
こんなことが起きたなら、それは確かに「謙虚という罠だな」
そして、そう考えてみると、一般に美徳であったり、
捉われすぎて歪んでくると、善ではなくなりますね。たとえば...
「協調性」が度を越すと → 主体性がなくなる
「真面目」が度を越すと → 融通がきかなくなる
「責任感」が度を越すと → ルール偏重になる 等
ちなみに、今年9月に映画化される辻村深月による恋愛小説『
私自身は読んでいませんが、代官山蔦屋書店コンシェルジュである
間室道子さんはブログで「傲慢と善良は表裏一体」だとして、
主人公の真美について次のように書いています。
ーーー
なぜなら、どちらも根底にあるのは「未熟」と「無知」だからだ。
たとえば厳格な母親にひたすら「いい子」に育てられた真実は
新卒採用の面接で「この会社は第一志望ではありません」と答えた。
嘘がつけない彼女は善良。
しかしこんなことを言われた相手はどう思うかまったく想像しないのは傲慢。
就職試験でこうなのだから、真実のさまざまはうまくいかない。
ーーー
善 VS 悪
もちろん善であるべきなのはその通りなのですが、
人は自分が絶対視していることに対し、
「協調性」が「善」という考え方も、
その結果、会議では(たとえ疑問があっても)
これが、災害時などに作用して、判断を間違えると、
大変なことになったりする場合もありますから、
人が善だと思っていることは、その人にとっては「その人らしさ」
自分らしいことを選んでいる方が、誰にとっても心地よい。
けれど、
もしかしたら「自分らしくない」と思い込んでいることの方へ、
気持ちをストレッチしてみるのもいいかもしれません。
「お久しぶり!」はステキ!
今日は「お久しぶり!」という関係についての話です。
というのも、ここ最近、そのような出来事が多かったからです。
ですが、人との関係や間合いの作り方について、
私の考え方は少数派すぎてあまり参考にならないかも...
たとえば、ある人と初めて会ってからもう何年も経っていて、
しかもご無沙汰している場合、
私はあまり気にせずにコンタクトする方なのですが、
ある時ようやく、
そう気づいたのは、ある人からこんなことを言われたからです。
具体的には30年ぐらい前、
意気投合したので1度飲みに行き。。。で、
何年かしたある時、
楽しく飲んだその日、Fさんがこう言いました。
「あなたは変わってるね。
そう言われて初めて、自分が「時間経過」
この経験から私は「人を久しぶりに誘うと相手は困惑する」
遅ればせながら学んだ次第です。
ここでいう「困惑」とは「意外なことに出会った驚き」のこと。
本来の「困って、どうしてよいかわからないこと」
「困惑」の「困」の反応は、ある程度関係が築けているせいか、
ましてSNSの時代ではなおさらだと思います。
さて、最近の私の「お久しぶり!」の例を挙げると...
3月1日付の本メルマガ「出張シェフの一言に脱帽!」
「私以外の3人は全員お互いが『はじめまして』の関係だった」
あの時のメンバーの1人Yさんも実は10年以上前に当社にいた元
一方、今月は別の元社員の方からも「お久しぶりです」
自分から連絡した場合も、された場合も、「お久しぶり」
会いたいから会う、
考えてみれば、自然なことですよね。
昔よりも「お久しぶり!」がしやすくなったのは、
だけど、、、
いくらSNSがあったとしても、
久々だとコンタクトしにくい理由。
「相手は自分を覚えているか?」
「誰?と反応されるのではないか?」
そう思うと怖いですよね。
「会いに行くもっともらしい理由が見つからない」
と思ったら、自己制限がかかりますよね。
話がズレますが、
「書いたらどう思われるかな?」
時々いただく感想やご意見、ほんの数行のメッセージ...
これらはうれしい以外の何物でもありません!
(いえ、まるで催促しているようですが笑)、本当にうれしくて「
話を戻します。
「お久しぶり! お元気ですか?」と意思表示するだけなのに、
なぜか必要だったりする小さな勇気。
そんな時、役立つのは「覚えていないかもしれませんが...」
実際にそのように言葉にして接すれば、
お互いに気まずさがなくなります。
「覚えていないかもしれませんが...」と言って
「ごめんなさい、思い出せないのですが...」と言われたら
「ですよね~」と言えば済みますもの笑
人と人の関係にはいろいろな局面があります。
最近は「人間関係の断捨離」という言葉もあるそうですし、
今の人間関係を手放さないと、
そういう考え方もあってもいいし、
今はそう考える時期と判断するのもあっていいと思います。
だけど、しばらくコンタクトしていなかった相手に、
ちょっとだけ勇気を出してコンタクトしてみると、
新しい関係が始まるかもしれませんよ。
最近私が思い出した人は、うふふ... ヒミツ。
春ですし、
いかがでしょうか? 笑
出張シェフの一言に脱帽!
先日の3連休の最後の日、
その際に出張シェフを利用しました。
実は、この会、私以外の3人は全員お互いが「はじめまして」
私が出張シェフを利用するのも初めてで、
Sharedineというサービスを利用したのですが、
調理器具や調味料は依頼主が用意し、
今回、私は買い物も含めてお願いしました。
結論からいうと、味、量、価格とも大満足です。
さて、そのようなしくみなので、
今回のシェフRyuさんにそんな時はどうするのかを尋ねたところ
「自分は、自分の方を状況に合わせます」と迷いのない回答が。
以前は、
所詮、レストランの厨房に家庭の厨房はかなわないので、
その環境でのベストを尽くせば良いと考えるようになったそうです
包丁の切れ味が悪いなと思ったら、たとえ砥石がなくても、
その場でできる工夫をしてしのぐのだとか。
この割り切りは簡単そうで簡単ではありませんよね。
「なんだ、○○○も揃っていないのか」
「思った料理ができないのは相手のせいだ」と
心の中で相手を責めることもできます。
こう思ってしまうのは、
人生言い訳が多くなりそうですね。
それに対して、Ryuさんのこの潔い考え方は素敵です。
だけど、、、
たとえば、私の場合、
限界の一歩手前で手を抜き、
「ベストを尽くした風」にやってしまうことがありますから。
心理学用語に「アカウンタビリティ」という言葉があります。
ビジネスでは説明責任の意ですが、心理学では「責任の概念」
自分に起きたことは自分自身の責任の結果である、
ちょっと聞くと厳しそうに感じますが、
なぜでしょう?
ほかの人のせいや何かのせいにしていると、
先ほどの私の筋トレの例でも、
だから、
昨年のウィンターシーズン、
しかも、ゲレンデに立つのは何十年かぶりのこと。
最後の最後の私のチャレンジは、しっかり前傾し、
スピードが出てしまうと怖いのですが、
そのときに得たのは、爽快感、満足感、達成感、充足感。。。。
Ryuさんの言葉をきっかけに考えてみたら、
結果の良し悪し以上に重要な気がしてきました。
私たちは、思いもかけない不運や想定外の出来事に見舞われると、
ついそのことを悔やんで、前を向けなくなります。
自分はベストを尽くしたか?
それを基準にすると、
今日から弥生です。桜も早そうですね! そして花粉も...
元気に参りましょう!
テンプレ化した言葉「寄り添う」に違和感
ジャニーズ事務所の問題、私、ミーハーなのでしょうか、
興味を持って眺めています。
部分的にしか見てはいませんが、10月2日の会見は、
社名を変更することや補償業務に専念するとしたことから、
評判の悪かった9月7日の会見に比べ、
それでも、ネットの声にはまだまだ厳しいものを感じます。
私は、会見の内容もさることながら、
ちょっとした違和感を感じたので、
違和感を感じた2つの言葉とは、
1つは「ビジョン」
もう1つは「寄り添う」です。
新社長である東山氏は、今後の事務所の方針を説明した後、
「これが私たちのビジョンです」と語りました。
ここでの「ビジョン」は展望、見通し、
辞書的におかしいわけではありませんが、
果たしてその語感はこの場にふさわしかったかというと疑問です。
「ビジョン」
同じ意味で、新社名「スマイルアップ」も、
勘違いしてない?とひんしゅくを買いそうな語感です。
改めて、
そして、もう1つは今日の本題「寄り添う」というワードです。
「被害者に寄り添う形をきちっとつくっていきたいと思います」
東山氏はこのワードを使いました。
言葉尻を捉えるようで申し訳ないのですが、
この「寄り添う」という言葉が使われた時点で、ごめんなさい、
私は「あ、これは作文を読んでいるのであって、ここに"思い"
と思ってしまいました。
なぜかというと、この「寄り添う」という言葉は
最近では一種のテンプレートワードになっているからです。
被害者に寄り添う
被災者に寄り添う
患者に寄り添う
障がい者の方たちに寄り添う
お客様に寄り添う
特に最近は地震や台風被害も多いので、
そのたびに政治家や行政の方たちがこぞって「寄り添う」
ここに常套句の怖さがあります。
「こう言っておけば大丈夫だろう...」
という姿勢が見透かされてしまう。
そう思うのは私だけでしょうか。
そもそも「寄り添う」
辞書的な意味を調べてみました。
ー出典:デジタル大辞泉(小学館)ー
もたれかかるように、そばへ寄る。
ーー ーーー ーーー ーーー ーー
でも、被害者に寄り添うという時、その意味は、
「心を寄せる」「気持ちで応える」
「親身になって相手の気持ちを理解しようとする」。さらには
「自分にできることをしたい」
そんな意味まで含んでいるように思います。
そうであれば、本来「寄り添う」は
人として素敵な姿勢を示す言葉であるはず!なのですよ。
なのですが、今、さまざまな報道を通じて「寄り添いたい」
あなたはどう感じますか? 紋切型の姿勢に感じませんか?
私には、その言葉を使っている人は
具体的に何をすることなのかをあまり深く考えずに使っているよう
ただ体裁の良い言葉として使っている。
そう感じてしまう私は、職業病なのでしょうか?
さて、実際には「寄り添う」という言葉を使った人たちを
十把一絡げに語ってはいけないと思います。
本当に思いを持って、
でも、テンプレートワード、すなわち常套句になっていないか、
そこへのアンテナを張っていない人は、
紋切型で心からの言葉ではないと思われてしまう可能性がある。
「全社一丸となって」などもその類でしょうか。
広報に携わる私たちは、
あなたは、どう思いますか?
暑い季節が去り、少し凌ぎやすくなりました。
2023年も3カ月。元気に過ごしましょう。
AI時代に欠かせない「自問力」~chatGPTを使ってみた!
今日は今、世界的に話題になっている「chatGPT」
私なりに気づいたこと、感じたことをご紹介します。
この動き、人間とAIがどういう関係なるのかという意味で、
絶対押さえておいた方が良いと思います。
「chatGPT」は、
対話形式で質疑応答が出来るチャットボットです。
https://openai.com/blog/
と聞くと小難しく感じますが、ブラウザからログインし(
質問すると答えを返してくれるしくみです。
大学入試レベルの問題を解いてしまい話題となり、
すでに大学の宿題で利用禁止されるというぐらい「スゴすぎ」
OpenAI社の技術は、
同社は、イーロン・マスクやマイクロソフトなどによって、
数十億ドル単位か、
脚光を浴びる彼らが昨年2022年11月に公開したのが、この「
チャットボット自体はすでに使ったことのある方も多いと思います
私の経験では、なんとなくいつもイマイチでした。
このサービスはチャットボットの延長線にあるので、
正直「ほんとうにそんなにスゴいの?」
確かにそれは、既存のチャットボットをはるかに凌ぐ体験で、
驚きを感じざるを得ませんでした。
使い方の詳細は検索すれば出てくるのでお調べいただくとして、
ざっくり言えば、
①ユーザがテキストで質問する ②チャットボットがテキストで回答する
この繰り返しです。
実験結果を紹介しますね。
まず「社内報の文章を上手に書くコツは?」と尋ねたところ、
こんな答えです。
ーーー最初の回答① ここからーーー
社内報の文章を上手に書くコツは以下の通りです。
1. 読み手を意識する:
2. 簡潔かつ分かりやすく:社内報は情報量が多くなりがちなため、
3. 読みやすい体裁:見出しや段落の構成、フォントや文字サイズ、
4. 報道価値を意識する:社内報は社員に向けた情報伝達だけでなく、
5. フィードバックを受け入れる:
ーーーここまでーーー
なんか、スゴくありませんか?
でも、このアドバイスを受けて、メキメキ文章が上達する人は、
ここでは、試しに、「2番についてさらに質問です。
すると、「文章を簡潔にするためのコツは以下の通りです」
ーーー次の回答② ここからーーー
1. 要点を絞る:書きたい内容の中から、
2. 簡明な表現を心がける:読み手が理解しやすい、
3. 文字数を制限する:
4. 実例を使う:抽象的な概念やアイデアを説明する場合は、
5. リライトを繰り返す:一度書いた文章を、何度も読み直して、
ーーーここまでーーー
うーむ。まあ、スゴいですよ!
こんなにスラスラと回答できるんですからねー
さて、ここからは私の気づきです。
いろいろありますが、一番は、AIを使いこなそうと思ったら、
自分の疑問を持てるかどうかだなぁということ。
言い換えると、1つ目の質問への回答を読んで、
分かったような気分になってはダメだということ。
なのですが、おそらくこのしくみの問題は、
実は8割ぐらいの人は分かったような気になってしまうのではない
という点です。
分かったような気にならず、2つ目の疑問、3つ目の疑問と、
自分の疑問を出せるかによって、
AIを使いこなせるかどうかの分かれ道になるな、と思いました。
ところが、現実社会では、我々は自分の「理解」
ふわっとしたままでも過ぎていきます。
そのような現実に自分を合わせていると、
永久にAIを使いこなせるようにならないのではないかと
懸念を抱きます。
いえ、AIの方は、
私は、AI時代には、正しいとか正しくないとかではなく、
「自分」というものを持っているかどうかが、
AIに負けない価値を持つと思っています。
それには、多分ふわっとした自分でいてはダメなのでしょうね。
このことから、さらに「自分を持つって何なんだ?」
自問を持つことこそ人間の好奇心の表れです。
なので、今後の社会で重要視されるのは、
「自問力」「好奇心」かなと思いますが、
まずは、chatGPTを使ってみてください。