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『最近の出来事から』カテゴリの記事

 

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昨日、届いたコンサル向けメルマガで「謙虚という罠」という
タイトルを目にしました。
謙虚さというのは、心の中の問題ではなく、
態度の問題だというのがその内容でしたが、
内容よりもタイトルにインスパイアされて、今日のこのメルマガを書いています。

私も含め、多くの人は「謙虚」は美徳だと思っています。
今の自分に奢ることなく、控えめでいる、素直に学ぼうとする、
偉そうに振る舞わない...。
美徳であり、善であることに間違いありません。

でも、「謙虚という罠」という文字を読んで、
どんな罠があるのか考えてみました。

謙虚は善だという価値観を持っていると、
聞かれてもいないのに、自分の考えを述べるのはでしゃばりに思える、
誉められても、「いえいえ、滅相もない」と応えたくなる、
自分が悪いわけではなくても、謝ってしまう...。
こんなことが起きたなら、それは確かに「謙虚という罠だな」と思いました。

そして、そう考えてみると、一般に美徳であったり、善とされる概念は、
捉われすぎて歪んでくると、善ではなくなりますね。たとえば...

「協調性」が度を越すと → 主体性がなくなる
「真面目」が度を越すと → 融通がきかなくなる
「責任感」が度を越すと → ルール偏重になる 等

ちなみに、今年9月に映画化される辻村深月による恋愛小説『傲慢と善良』。
私自身は読んでいませんが、代官山蔦屋書店コンシェルジュである
間室道子さんはブログで「傲慢と善良は表裏一体」だとして、
主人公の真美について次のように書いています。

ーーー
なぜなら、どちらも根底にあるのは「未熟」と「無知」だからだ。
たとえば厳格な母親にひたすら「いい子」に育てられた真実は
新卒採用の面接で「この会社は第一志望ではありません」と答えた。
嘘がつけない彼女は善良。
しかしこんなことを言われた相手はどう思うかまったく想像しないのは傲慢。
就職試験でこうなのだから、真実のさまざまはうまくいかない。
ーーー



善 VS 悪
もちろん善であるべきなのはその通りなのですが、
人は自分が絶対視していることに対し、疑問を抱かなくなるところが罠です。


「協調性」が「善」という考え方も、日本人のかなり多くが持っていますよね。
その結果、会議では(たとえ疑問があっても)大勢のムードに同調しようとします。
これが、災害時などに作用して、判断を間違えると、
大変なことになったりする場合もありますから、気をつけたいものです。


人が善だと思っていることは、その人にとっては「その人らしさ」でもあります。
自分らしいことを選んでいる方が、誰にとっても心地よい。
けれど、自分が絶対視していることに縛られすぎないようにするためには、
もしかしたら「自分らしくない」と思い込んでいることの方へ、
気持ちをストレッチしてみるのもいいかもしれません。

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今日は「お久しぶり!」という関係についての話です。
というのも、ここ最近、そのような出来事が多かったからです。

ですが、人との関係や間合いの作り方について、
私の考え方は少数派すぎてあまり参考にならないかも...と思いつつ書きます。
たとえば、ある人と初めて会ってからもう何年も経っていて、
しかもご無沙汰している場合、多くの人はそれだけでコンタクトしませんよね。
私はあまり気にせずにコンタクトする方なのですが、
ある時ようやく、それは多くの人はしない行為なのだと気づきました。

そう気づいたのは、ある人からこんなことを言われたからです。
具体的には30年ぐらい前、相手は某大新聞の文化部にいた記者のFさん。
意気投合したので1度飲みに行き。。。で、その後しばらくはそれっきり。
何年かしたある時、ふとFさんはどうしているかなと思ってご連絡し、また飲みに行きました。
楽しく飲んだその日、Fさんがこう言いました。
「あなたは変わってるね。普通はこれだけ時間があいたら連絡してこないよ」と。
そう言われて初めて、自分が「時間経過」に対して無頓着であると気づきました。


この経験から私は「人を久しぶりに誘うと相手は困惑する」という当たり前のことを
遅ればせながら学んだ次第です。
ここでいう「困惑」とは「意外なことに出会った驚き」のこと。
本来の「困って、どうしてよいかわからないこと」ではありません。
「困惑」の「困」の反応は、ある程度関係が築けているせいか、ほぼ起きません。
ましてSNSの時代ではなおさらだと思います。


さて、最近の私の「お久しぶり!」の例を挙げると...

3月1日付の本メルマガ「出張シェフの一言に脱帽!」という記事で、
「私以外の3人は全員お互いが『はじめまして』の関係だった」と書きましたが、
あの時のメンバーの1人Yさんも実は10年以上前に当社にいた元社員の方で、ご無沙汰歴も8~9年? 

一方、今月は別の元社員の方からも「お久しぶりです」とコンタクトがありました。
自分から連絡した場合も、された場合も、「お久しぶり」はうれしいものです。
会いたいから会う、どうしているだろうと思うからコンタクトする。
考えてみれば、自然なことですよね。


昔よりも「お久しぶり!」がしやすくなったのは、SNSのお陰もあります。
だけど、、、
いくらSNSがあったとしても、やっぱり抵抗感を抱く人は多い気がします。
久々だとコンタクトしにくい理由。心の中には何があるのでしょうか?

「相手は自分を覚えているか?」
「誰?と反応されるのではないか?」
そう思うと怖いですよね。
「会いに行くもっともらしい理由が見つからない」
と思ったら、自己制限がかかりますよね。

話がズレますが、このメルマガに感想をお寄せいただく時もそうかもしれません。
「書いたらどう思われるかな?」と心配になる方は少なからずいると思いますが、
時々いただく感想やご意見、ほんの数行のメッセージ...
これらはうれしい以外の何物でもありません!
(いえ、まるで催促しているようですが笑)、本当にうれしくて「やる気スイッチ」が入ります!


話を戻します。
「お久しぶり! お元気ですか?」と意思表示するだけなのに、
なぜか必要だったりする小さな勇気。
そんな時、役立つのは「覚えていないかもしれませんが...」というダメ元精神です。
実際にそのように言葉にして接すれば、相手が自分を思い出せない時も、
お互いに気まずさがなくなります。

「覚えていないかもしれませんが...」と言って
「ごめんなさい、思い出せないのですが...」と言われたら
「ですよね~」と言えば済みますもの笑

人と人の関係にはいろいろな局面があります。
最近は「人間関係の断捨離」という言葉もあるそうですし、
今の人間関係を手放さないと、新しい出会いは生まれないという主張も耳にします。
そういう考え方もあってもいいし、
今はそう考える時期と判断するのもあっていいと思います。

だけど、しばらくコンタクトしていなかった相手に、
ちょっとだけ勇気を出してコンタクトしてみると、
新しい関係が始まるかもしれませんよ。
最近私が思い出した人は、うふふ... ヒミツ。

春ですし、思い出したあの人にちょっと勇気を出してコンタクトしてみる。
いかがでしょうか? 笑

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先日の3連休の最後の日、我が家で友人を呼んで食事会をしたのですが、
その際に出張シェフを利用しました。
実は、この会、私以外の3人は全員お互いが「はじめまして」の関係。
私が出張シェフを利用するのも初めてで、いろいろな意味でドキドキワクワクの機会となりました。


Sharedineというサービスを利用したのですが、このしくみでは、
調理器具や調味料は依頼主が用意し、材料はどちらが用意してもOK。
今回、私は買い物も含めてお願いしました。
結論からいうと、味、量、価格とも大満足です。

さて、そのようなしくみなので、あると思っていたものが行ってみたらない、ということも考えられます。
今回のシェフRyuさんにそんな時はどうするのかを尋ねたところ
「自分は、自分の方を状況に合わせます」と迷いのない回答が。

以前は、たとえば包丁を10本ぐらい持ち歩いたこともあったそうですが、
所詮、レストランの厨房に家庭の厨房はかなわないので、
その環境でのベストを尽くせば良いと考えるようになったそうです
包丁の切れ味が悪いなと思ったら、たとえ砥石がなくても、
その場でできる工夫をしてしのぐのだとか。

この割り切りは簡単そうで簡単ではありませんよね。
「なんだ、○○○も揃っていないのか」
「思った料理ができないのは相手のせいだ」と
心の中で相手を責めることもできます。
こう思ってしまうのは、条件が整わないとベストの結果は得られないと思っているからなわけで、
人生言い訳が多くなりそうですね。

それに対して、Ryuさんのこの潔い考え方は素敵です。
だけど、、、一歩間違えると自分に甘くなってしまいそうでもある。
たとえば、私の場合、筋トレでバーベルを持ってスクワットをしているとき、
限界の一歩手前で手を抜き、
「ベストを尽くした風」にやってしまうことがありますから。


心理学用語に「アカウンタビリティ」という言葉があります。
ビジネスでは説明責任の意ですが、心理学では「責任の概念」と捉えるそうです。
自分に起きたことは自分自身の責任の結果である、という考え方で、
ちょっと聞くと厳しそうに感じますが、実は自由に解放される道なのだとか。

なぜでしょう?
ほかの人のせいや何かのせいにしていると、心の中に罪悪感が生まれるからだろうというのが、私の解釈です。
先ほどの私の筋トレの例でも、手を抜いたことは自分が一番よく分かります。
だから、そんなときは潔くベストを尽くせなかったと思えばいいのだと思います。

昨年のウィンターシーズン、スキーを卒業するために滑り納めをしました。
しかも、ゲレンデに立つのは何十年かぶりのこと。
最後の最後の私のチャレンジは、しっかり前傾し、大きな弧を描いて滑ること。
スピードが出てしまうと怖いのですが、ベストを尽くしたと胸を張れます。
そのときに得たのは、爽快感、満足感、達成感、充足感。。。。


Ryuさんの言葉をきっかけに考えてみたら、今できる最善を目指すことは、
結果の良し悪し以上に重要な気がしてきました。
私たちは、思いもかけない不運や想定外の出来事に見舞われると、
ついそのことを悔やんで、前を向けなくなります。
自分はベストを尽くしたか?
それを基準にすると、清々しい日常に繋がっていくのかもしれません。

今日から弥生です。桜も早そうですね! そして花粉も...
元気に参りましょう!

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ジャニーズ事務所の問題、私、ミーハーなのでしょうか、
興味を持って眺めています。
部分的にしか見てはいませんが、10月2日の会見は、
社名を変更することや補償業務に専念するとしたことから、
評判の悪かった9月7日の会見に比べ、少しは挽回したようですね。
それでも、ネットの声にはまだまだ厳しいものを感じます。

私は、会見の内容もさることながら、会見で使われた2つの言葉に対し、
ちょっとした違和感を感じたので、今日はそこを足がかりに考えたいと思います。


違和感を感じた2つの言葉とは、
1つは「ビジョン」
もう1つは「寄り添う」です。

新社長である東山氏は、今後の事務所の方針を説明した後、
「これが私たちのビジョンです」と語りました。
ここでの「ビジョン」は展望、見通し、未来像という意味だと思うので、
辞書的におかしいわけではありませんが、
果たしてその語感はこの場にふさわしかったかというと疑問です。
「ビジョン」は明るい理想に向かっていくような語感の単語だからです。
同じ意味で、新社名「スマイルアップ」も、
勘違いしてない?とひんしゅくを買いそうな語感です。
改めて、言葉はその場に似つかわしいかが重要なんだと痛感しました。


そして、もう1つは今日の本題「寄り添う」というワードです。
「被害者に寄り添う形をきちっとつくっていきたいと思います」という発言の中で、
東山氏はこのワードを使いました。

言葉尻を捉えるようで申し訳ないのですが、
この「寄り添う」という言葉が使われた時点で、ごめんなさい、
私は「あ、これは作文を読んでいるのであって、ここに"思い"などはないな」
と思ってしまいました。

なぜかというと、この「寄り添う」という言葉は
最近では一種のテンプレートワードになっているからです。

被害者に寄り添う
被災者に寄り添う
患者に寄り添う
障がい者の方たちに寄り添う
お客様に寄り添う

特に最近は地震や台風被害も多いので、
そのたびに政治家や行政の方たちがこぞって「寄り添う」を使っている印象です。

ここに常套句の怖さがあります。
「こう言っておけば大丈夫だろう...」
という姿勢が見透かされてしまう。
そう思うのは私だけでしょうか。


そもそも「寄り添う」という言葉にはどんな意味があるのでしょうか?
辞書的な意味を調べてみました。

ー出典:デジタル大辞泉(小学館)ー
もたれかかるように、そばへ寄る。
ーー ーーー ーーー ーーー ーー

でも、被害者に寄り添うという時、その意味は、物理的に体を寄せるのではなく、
「心を寄せる」「気持ちで応える」
「親身になって相手の気持ちを理解しようとする」。さらには
「自分にできることをしたい」
そんな意味まで含んでいるように思います。

そうであれば、本来「寄り添う」は
人として素敵な姿勢を示す言葉であるはず!なのですよ。

なのですが、今、さまざまな報道を通じて「寄り添いたい」という言葉を聞く時、
あなたはどう感じますか? 紋切型の姿勢に感じませんか? 
私には、その言葉を使っている人は
具体的に何をすることなのかをあまり深く考えずに使っているように見えます。
ただ体裁の良い言葉として使っている。
そう感じてしまう私は、職業病なのでしょうか?


さて、実際には「寄り添う」という言葉を使った人たちを
十把一絡げに語ってはいけないと思います。
本当に思いを持って、その言葉を発した人たちもいることでしょう。

でも、テンプレートワード、すなわち常套句になっていないか、
そこへのアンテナを張っていない人は、
紋切型で心からの言葉ではないと思われてしまう可能性がある。
「全社一丸となって」などもその類でしょうか。
広報に携わる私たちは、その恐ろしい現実に自覚的であるべきだと思います。
あなたは、どう思いますか?

暑い季節が去り、少し凌ぎやすくなりました。
2023年も3カ月。元気に過ごしましょう。

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今日は今、世界的に話題になっている「chatGPT」を使ってみて、
私なりに気づいたこと、感じたことをご紹介します。
この動き、人間とAIがどういう関係なるのかという意味で、
絶対押さえておいた方が良いと思います。


「chatGPT」は、OpenAI社が開発した自然言語生成モデルで、
対話形式で質疑応答が出来るチャットボットです。
https://openai.com/blog/chatgpt/
と聞くと小難しく感じますが、ブラウザからログインし(現時点では無料)、
質問すると答えを返してくれるしくみです。
大学入試レベルの問題を解いてしまい話題となり、
すでに大学の宿題で利用禁止されるというぐらい「スゴすぎ」という評判です。

OpenAI社の技術は、Googleの検索に変わるしくみとなるのではないかと言われ、
同社は、イーロン・マスクやマイクロソフトなどによって、
数十億ドル単位か、それ以上かの投資が行われているとされる注目企業です。
脚光を浴びる彼らが昨年2022年11月に公開したのが、この「chatGPT」です。


チャットボット自体はすでに使ったことのある方も多いと思いますが、
私の経験では、なんとなくいつもイマイチでした。
このサービスはチャットボットの延長線にあるので、
正直「ほんとうにそんなにスゴいの?」と半信半疑だったのですが、
確かにそれは、既存のチャットボットをはるかに凌ぐ体験で、
驚きを感じざるを得ませんでした。

使い方の詳細は検索すれば出てくるのでお調べいただくとして、
ざっくり言えば、
①ユーザがテキストで質問する ②チャットボットがテキストで回答する
この繰り返しです。


実験結果を紹介しますね。

まず「社内報の文章を上手に書くコツは?」と尋ねたところ、返ってきたのは、
こんな答えです。

ーーー最初の回答① ここからーーー
社内報の文章を上手に書くコツは以下の通りです。

1. 読み手を意識する:社内報は社員に向けたコミュニケーションツールなので、読み手である社員の興味・関心・ニーズを把握し、その視点に立って文章を書くことが大切です。

2. 簡潔かつ分かりやすく:社内報は情報量が多くなりがちなため、できるだけ簡潔かつ分かりやすくまとめることが必要です。冗長な表現や専門用語を避け、具体的な例や図表を活用することも有効です。

3. 読みやすい体裁:見出しや段落の構成、フォントや文字サイズ、行間など、文章を読みやすい体裁に整えることも大切です。また、適切な画像やイラストを挿入することで、視覚的に情報を伝えることもできます。

4. 報道価値を意識する:社内報は社員に向けた情報伝達だけでなく、企業イメージの向上や社員のモチベーションアップにもつながるため、報道価値のある情報や面白い記事を盛り込むことも大切です。

5. フィードバックを受け入れる:社内報は社員とのコミュニケーションの場でもあるため、社員からのフィードバックや意見を積極的に受け入れ、今後の改善点につなげることが必要です。
ーーーここまでーーー


なんか、スゴくありませんか?
でも、このアドバイスを受けて、メキメキ文章が上達する人は、まあ、いませんよね。なぜかというと、それぞれの回答に対して、疑問がたくさん湧いてくるからです。

ここでは、試しに、「2番についてさらに質問です。簡潔にするためのコツは何でしょうか?」と質問してみました。

すると、「文章を簡潔にするためのコツは以下の通りです」として5つの点が返ってきました。


ーーー次の回答② ここからーーー
1. 要点を絞る:書きたい内容の中から、読み手が知りたいと思う重要なポイントを絞り出すことが大切です。そのポイントを明確にし、それに集中することで、余計な情報を削減し、簡潔にまとめることができます。
2. 簡明な表現を心がける:読み手が理解しやすい、わかりやすい表現を使うことが大切です。専門用語や難しい言葉は避け、簡単な言葉で伝えるようにすることで、スムーズな読み取りが可能になります。
3. 文字数を制限する:読み手が長文に飽きてしまうことがないように、文字数をできるだけ制限することが大切です。一つの文章で伝えたい内容が多い場合は、分割するなどして、分かりやすい単位でまとめることが望ましいです。
4. 実例を使う:抽象的な概念やアイデアを説明する場合は、具体的な例を挙げることが有効です。例えば、数字や図表、事例などを交えることで、読み手にイメージを持ってもらい、理解しやすくなります。
5. リライトを繰り返す:一度書いた文章を、何度も読み直して、不要な部分を削除し、簡潔で分かりやすい文章に修正することが大切です。また、文章を少し離れてから読み返すことで、改善点が見えてくることがあります。
ーーーここまでーーー


うーむ。まあ、スゴいですよ!
こんなにスラスラと回答できるんですからねー


さて、ここからは私の気づきです。
いろいろありますが、一番は、AIを使いこなそうと思ったら、
自分の疑問を持てるかどうかだなぁということ。
言い換えると、1つ目の質問への回答を読んで、
分かったような気分になってはダメだということ。
なのですが、おそらくこのしくみの問題は、
実は8割ぐらいの人は分かったような気になってしまうのではないか、
という点です。
分かったような気にならず、2つ目の疑問、3つ目の疑問と、
自分の疑問を出せるかによって、
AIを使いこなせるかどうかの分かれ道になるな、と思いました。


ところが、現実社会では、我々は自分の「理解」というものに対して
ふわっとしたままでも過ぎていきます。
そのような現実に自分を合わせていると、
永久にAIを使いこなせるようにならないのではないかと
懸念を抱きます。
いえ、AIの方は、第一の問いに対して確実に答えを返してくるわけですが。。。。

私は、AI時代には、正しいとか正しくないとかではなく、
「自分」というものを持っているかどうかが、
AIに負けない価値を持つと思っています。
それには、多分ふわっとした自分でいてはダメなのでしょうね。
このことから、さらに「自分を持つって何なんだ?」という自問が湧いてきますが、
自問を持つことこそ人間の好奇心の表れです。
なので、今後の社会で重要視されるのは、
「自問力」「好奇心」かなと思いますが、あなたはどう思いますか?
まずは、chatGPTを使ってみてください。

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私は、香川照之という役者が好きでした。
でも、今回明るみに出た彼の行動は残念だったと言わざるを得ません。
また、スポンサーやテレビ局各社の対応が適切であることを願います。
しかし、今のところ「検討する」等の反応が多く、
この先どうなっていくのか。。。

香川照之が女性に対して働いた猥褻行為は許されない行為である...
ということに異論がある人はいないことでしょう。
でも、「許されない」とは何を意味するのか、解釈はまちまちな気がします。
そこで今日は「許されない」について考えます。


事件についてご存じない方もいるかもしれませんが、簡単にまとめると、
8月24日付「デイリー新潮」、9月1日付「週刊新潮」で、
彼が2019年に銀座の高級クラブで性加害を働いたこと、
被害者の女性はいまだにPTSDに苦しんでいること等を報道。
8月26日、本人が自分が司会を務めるTBSの情報番組の冒頭で謝罪。
事務所も事実が何かには言及しないまま、報道内容を認める形で謝罪文を発表。
それらを受けて、彼をCM等に起用している企業のコメントが発表され、
テレビやネットで注目されているという状況にあります。


この件に対するマスコミやコメンテーター、
CMで起用している企業の一部の反応に私は違和感を感じました。

「許されない行為」と言いながらも、
多くの反応の中に、このようなものがあったからです。

 3年前のことだし、本人は反省し謝罪している、
 当事者との間では示談も成立しているのだから、
 周囲が今さらどうこう言うことではないのではないか、と。


この根っこには「罪を憎んで人を憎まず」があるのかもしれませんし、
私自身も、たとえどんな罪を犯した人でも、
罪を償った後には復活できる寛大さは必要だと思っています。
でも、それは罪が明るみに出て、謝罪すればOKということではありません。


多くの記事で彼の行動は「性加害」という言葉で紹介されているようですが、
本来は「強制わいせつ罪」になっても不思議ではない出来事です。
今回のケースで「強制わいせつ罪」に該当する行為が何かといえば、
「衣服の中に手を差し込んで身体に触れる」
「むりやりキスをする」
「衣服を脱がせる」です。

しかも、「強制わいせつ罪」というのは、
現在は被害者の親告なしに成立することになっているので、
本来は示談もへったくれもなく、逮捕されてもおかしくない事態です。
犯罪行為として規定されていることをやってしまったのだから、
それに社会は「No」と言うべきです(反社に対する時と同じように)。


なのに、「すでに示談になり、謝罪したんだし...」という反応も見られ、
CMで彼を起用している各社も「検討する」「注視する」としています。
もちろん「検討する」「注視する」というのは
「使う」とも「使わない」とも言及しているわけではありませんから、
結論は今後次第という含みを残した表現かもしれません。

さて、今回の件は芸能界特有のこととか、水商売だし...
と見る向きもあるかもしれませんが、
行為の中身ではなく、合意がないことを強制したから許されないわけで、
許されない行為と言う以上、本来は「許さない」と行動で示すことが必要です。
テレビ局にしろ、企業にしろ、彼の起用を継続し行動を注視するというのは、
実質的に「許した」ことを意味すると思えてなりません。
もちろん彼を降板させることの影響は計り知れないでしょう。
でも、毅然とした態度を示さないことによって失うものも多いはず。

香川照之さんには才能があり、役者として一目置きます。
でも、今後を応援する上でも、曖昧に許されてしまうよりも、
双六でいえば「1回休み」が必要なのではと思うのは私だけでしょうか?


明日からはもう9月。。。
時の速さにため息が出ますが、元気に行きましょう!

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ご存知の方も多いかと思いますが、
先週、品川駅港南口へのコンコースに表示された
「今日の仕事は楽しみですか」という広告がネットで物議を醸し、
結論から言うと、広告主により取り下げられました。
「上から目線で言われたくない」
「仕事は楽しみじゃなきゃいけないのか」
「品川駅、社畜回廊」
「つらくても頑張っている人を傷つける言葉だ」

眞子様のご結婚への反対もそうですが、
ネット社会の現代は、誰もが意見を言える時代です。
それは良いことである反面、
バッシングされるかもしれないと思うと、
メルマガを書くのにもちょっとおじけづきます。
でも、勇気を出して、書くぞ~


何かを発信するということは、メッセージありきです。
「押し付けがましくならないように」という気持ちで書いてはいても、
万人ウケする内容などありませんからね。
だからこそ、自分とは違う考え方や感じ方の人がいることを想像すること。
その重要性を改めて認識しました。

「今日の仕事は楽しみですか?」というコピーを見ても、私は反発を感じません。
もちろん、365日ポジティブに楽しんでいると言ったらウソですけど(笑)
自分はマイノリティかも、と思った次第です。


バッシングや炎上で、自死する人まで出ている昨今、
何は良くて、何は悪いのか、とても気になります。

意見や批判、非難をすることは、表現の自由で認められています。
表現の自由には「感情」を表現することも含まれていますので、
「これ、キライ」と大きな声で言っても法律的には許される(多分)。

でも、誹謗中傷となると、そうは行きません。違法行為として罰せられます。
この機会に、誹謗中傷の意味をデジタル大辞泉で確認してみました。
「根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること」。
バッシングは、ウィキペディアによると、
「個人・団体の行為に対する過剰または根拠のない非難を指す外来語」です。
ということは、誹謗中傷の概念を含むのかもしれません。

法律的には表現の自由の範囲であったとしても、道義的問題もあります。
たとえば、子どもたちが大勢で、クラスの誰か一人を
論理的に批判し続けたらどうなるか?
表現の自由で片付けていいのかという話になります。


さて、先ほどの品川駅の広告への反応に話を戻すと、
何かモヤモヤとした複雑な気持ちになります。

多くの人は、怒りに近い正義感で発言しているのだと思いますが、
そこに高揚感が混ざっているように見える人たちもいます。
どことなく、大勢で、「この企業はけしからん」と意思表示し、
言葉の力でやり込めることは、気持ちのいいことなのかもしれません。
言葉の力で傷つけられたから、
言葉の力で反発するというのはわからないではありませんが、
それだけに止まらない心理的な何かが働いているのかな?と。


ところで、「キャンセルカルチャー」という言葉をご存知ですか?
私は、今回、初めて知りました。
特定の個人や企業の発言や表現などを理由に、社会的に糾弾し、
制裁的な意味合いで、排除・追放したり、ボイコットしようとする運動のことです。

品川駅の広告で起きた動きも、広告主は謝罪したわけですし、
一種のキャンセルカルチャーだと言えそうです。
調べてみると、ナイキのCMやマルちゃん製麺のプロモーション漫画でも、
抗議(攻撃?)が起きたようですね。

「これにより自分は傷付けられている!」
「これは見過ごしてはいけない!」
だから声を上げる。声を上げることは、悪いことだとは思いません。
むしろ積極的に言えば、良いことの場合も多いです。

だけど、どのくらいの人が不快に感じたのかは実のところわかりません。
声の大きさは、声の数と同じではない。
声の真意もわからない。
本当に抗議として出された声もあれば、
高揚感を満たしたくて出された声もあるかもしれない。

国際政治学者の三浦瑠麗さんは、
「プレジデント・オンライン」の中で、キャンセルカルチャーについて、
「人権運動だから、環境保護だから、100%正しい目的のためにやっているのだから、
という理屈を唱える人はいるだろう。実はこの考え方が一番危険だ」と指摘しています。
「自分の側が正義だと思えば、自分の醜さや悪意に気づかずに、
あるいはそれに向き合うことなく、相手に人差し指を突きつけることができるから」と。


ネットの声、あなたはどう眺めていますか?
10月ももう後半。元気に参りましょう!

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タイトルの話題の前に、まずは当社からのお知らせです。

来週9月29日(水)10時から社内報のご担当者向けに
オンラインセミナー(無料!)を開催します。
ーーーーーーーー
社内報のレベルアップ~3つのポイント(無料/ZOOM)
すぐに役立つヒントもお教えします
https://www.grassroots.co.jp/seminar/2021/09/shanaiho_beginner.html
ーーーーーーーー
社内報をより良いものにしたいご担当者はもとより、
9月に着任したばかりの方にもぜひ聴いていただきたい内容です。
なぜなら、ハウツーを学べるセミナーは他にもありますが、
大切な考え方を学べるセミナーは多くないからです。

このセミナーは、当社の広報活動+ブランディング活動として行うため、
有料セミナーのエッセンスをギュッと凝縮した内容でお届けします
営業セミナーではないので、かなりお得な内容だと思います。
ナビゲーターは、先日、社内報アワードで担当クライアントの作品が
ゴールド賞を受賞したディレクターの久保田真実。
少人数が前提です。ぜひお気軽にご参加ください。

...と、ちょっとプロモーションさせていただきました。

というのは、恥ずかしながら、第1回なのに、ご案内が遅れてしまった!
1週間前にメルマガで「初」告知って、ひどいですよね。
ごめんなさーい! これ、全部私の責任。だから、こうして書いております。
でも、今後、定期的に無料セミナーもやりたいねと社内では話しているので、
今回参加できなくても、もしご興味があれば、個別にメールくださいね~


宣伝は以上です。
さて、本題。最近考えたことをシェアさせてください。


コロナ時代に突入してから、しばしば思うことは、
今日のタイトルにあるデータは重要だということ。
と、同時に、データに強くないと、「やられっぱなし」になる、
「自らがどうあるべきかを決められない」ということです。

というのは、マスコミの報道や各知事の会見を見ていると、
いったいどのデータから何を思ってこれを言っているのか、とか
なぜ、このデータなんだろうかなど、しばしば違和感を覚えたからです。
(まず単純に、なぜ今も重症者数ではなく、感染者数が基本なのかな、とか)

で、そんな違和感を覚えたのは、多分私だけではなく、
このメルマガを読んでいる皆さんの中にも
同じような思いを持った方は、きっとおられると思います。

マスコミには煽りたい思惑があるかと思いますが、各知事はどうでしょう?
どの知事にも、ご自分で主体的にデータを理解して、
メッセージを出してほしいですが、「専門家」頼みにも見えてしまいます。
そんな中、ご自分の意思を感じたのは奈良県知事。
奈良県の荒井知事は、9月7日の会見で「(宣言は)効果がない」として、
飲食店への営業時間短縮の要請も実施しない意向を示しました。

そうなんです。結局、因果関係について、
まったく何の根拠も説明もされていない中での緊急事態宣言。
飲食業界はもとより、国民が腹落ちしないのも、仕方ないですよね。


入り口の話が長くなりましたが、これは仕事でも同じだな、と。
今月15日、当社では「読まれるWEB社内報」をテーマに
「solanowa」を提供するスカイアーク様とコラボし、
セミナーを開催したのですが、
「WEB社内報は(印刷社内報より)読まれない」は
各社の共通の悩みに見えました。

ですが、「WEB社内報は読まれない」は本当でしょうか?
「読まれている」と思えるには、どんなデータが得られれば良いのでしょうか?
印刷社内報が、WEB社内報に代ると、
印刷社内報ではわからなかった社員(読者)の本音がすぐに数字に現れます。
「読まれない」という現実は、もしかしたら「WEBだから」ではなく、
「おもしろくないから」かもしれません。
なのに、読まれないのは、「WEBだから」と考えてしまうとしたら、
それは、なんだかおかしい気がします。

セミナーでは、こんな2つのグラフを見せました。
月に5回更新している例として、A社は、
5回訪問者15%、4回25%、3回15%、2回15%、1回20%、0回10%。
B社は、5回訪問者5%、4回10%、3回15%、2回40%、1回20%、0回10%。
一見すると、A社の方が良いように思うし、実際活性度としては、
そうなのですが、しかし、AもBも、両方とも9割が月1回以上の訪問を得、
7割が月2回以上の訪問を得ている...という意味では同じです。
もし、これでPVも近ければ、成果としてはほぼ同じだということになります。

中学生の頃、数学の意味をどれだけ理解していたかと言われると、
理解できていなかったかもしれませんが、
今考えてみると、数字の意味を自分で見出せるというのは、
とても重要だと思います。

今日は連休の谷間ですね。
読んでいただき、ありがとうございました!
あ、最初にご案内したセミナーも、よろしくお願いします。
https://www.grassroots.co.jp/seminar/2021/09/shanaiho_beginner.html

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何だかんだといろんな声がある中で始まったオリンピック。
終わりましたね。
選手たちのがんばりに感動をもらったり、
なぜ、ここでそんなことが起きるのか?と思うようなドラマもありました。
私がショックを受けたのは、体操内村選手の落下と、
男子400mリレーのバトンミスです。

特にリレー。
1走の多田選手のバトンが、2走の 山縣選手に渡らなかったのを観て、
テレビの視聴者も茫然としたと思いますが、
何よりも終わった直後のメンバーの心中は察するに余りあります。

平たく言えば、二人の間で起きてしまった悲劇的なミスです。
下世話な話になりますが、内心お互いをどう思ったのか、
桐生選手は「誰も悪くない」と言いましたが、
お互いに「自分は悪くない、相手が悪い」と思ったりしないものなのか、
気になりました。

けれど、チームスポーツで、他責の人とチームを組むのはツラいですね~
できるものなら組みたくないかも。


自責他責という言葉がありますが、
責任が自分にあるのか、他にあるかという意味だから
「責」という文字が入っているのでしょう。

自分自身で、このミスの原因は自分にあると責任を感じるのはいいですが、
自責の念を抱いている時に、誰かから追い討ちを掛けられるように、
「あなたの責任だ」と言われるのはあまりいい気持ちがしません。


ミスが起きた時、原因を追求し、再発防止に努めるのは組織として当然です。
トヨタの「なぜなぜ5回」などは、原因追求の典型的なアプローチとして、
多くの人がご存知なのではないでしょうか。

しかし、なぜなぜ5回は一歩間違えると「原因探し」ではなく、
「犯人探し」のようになる、とはよく言われること。
うー 気をつけないと... (あ、三点リーダーだ!笑)

誰のミスかが明らかな時に、
人は「なぜ?」と聞かれたら、責められているような気分になって、
反発を感じると言われていますね。
じゃあ、どうするかと言うと、「なぜ?」に代わって登場するのが、
「どうすれば?」。
「どうすれば?」を考えようとすると、
自ずと「なぜ」も考えるからでしょう。

うー これも、知識としてわかっていても、
やってしまいそうです。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」


「なぜ?」を「どうすれば?」に変えると同時に、
主語を変えるといい、という話もあります。
「あなた」「私」「ミス(事柄)」を主語に、
「なぜ?」「どうすれば?」の疑問文、読み比べてみましょう。

まず、「なぜ」から。
・なぜ、あなたはこのミスをしてしまったんだろう?
 →確かに、原因探究というより、咎められている気持ちになります。

・なぜ、私は彼がミスしないようにできなかったのか?
 →「そこまで自責にならなくても、いいよ、ドンマイ」と言いたくなりますね

・なぜ、このミスは起きてしまったんだろう?
 →上の2つより、原因探求のニュアンスが強くなります。

今度は、「どうすれば」。
・どうすれば、あなたはこのミスをしなかったと思う?
 →「なぜ」よりはマシですが、「当事者はあなた」と突き放された感じも。

・どうすれば、私は彼のミスを防げたのか?
 →ポジティブな「自責感」が感じられます。

・どうすれば、このミスは防げるだろう?
 →コトを叱って、ヒトを叱らず。こう言われたら前向きに考えられますね。

たかが疑問詞、たかが主語ですが、
伝わるニュアンスはだいぶ違いますね。


さて、、、8月も中盤です。
夏バテの方も多いのではないでしょうか。
暑さも空調も辛いですが、気持ちだけは元気にいきましょう!

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すでに先週23日から始まっている東京オリンピック。
たくさんの感動に直面し、私はもう何度も泣いています。

そして、改めて感じたのは、
アスリートたちは、私たちが思っている以上に
さまざまな「苦しみ」と向き合って、ここに至っているということです。

コロナによる1年延期はもちろんですが、自分自身の好調不調により、
うまく行かない、結果が出せるだろうかなど、苦しさや不安と戦ってきた。
さらに、オリンピック開催への反対ムードは、葛藤に拍車をかけたことでしょう。

私たちは、オリンピックに出るぐらいの選手なら「常に前向き」だろう
というイメージを抱きがちですが、みんな人の子なんですよね。

さらに競技の当日のメンタルが、結果に対していかに大きな影響を与えるか、
改めて痛感します。

たとえば、金メダルを取った柔道男子73キロ級の大野将平選手。
「自分の中でも感じたことのない恐怖の中で戦っていた」と語りましたし、

テニスで残念ながら3回戦敗退した大阪なおみ選手は
「プレッシャーにはもう慣れてもいいはずだけど、休んだ後ではより強く感じた。
少なくとも1回戦負けでなくて良かった」と語りました。


スポーツをやった経験のある人なら、
メンタルがいかに結果に影響を与えるか、体験的に知っていると思います。
メンタルにもいろいろな側面がありますが、その1つが「集中」。

私の自分の体験をシェアすると、
ハンドボールでシュートを打ちながら、
一瞬でも「入るかな?」と思ったら、ほぼ間違いなく入りません。
ゴルフも同じです。

しかも、これはスポーツだけではありません。
先日、私が通っている音楽のレッスンスタジオで、発表会がありました。
私が習っているのはドラムなのですが、
叩きながら「あ、ここ間違えたらイヤだな」と思ったら、その瞬間必ず間違えます(イタ!)
幸い、発表会当日は、全集中で臨み、なんとかミスなく叩けましたが(笑)

つまり、「できるかな」「できないとイヤだな」などの気持ちがある時点で、
集中できていないということなんですよね。
没我の境地でいると、できる。不思議。

そして、「自分はできる」というイメージを持つことも、成功には必須のようです。
きっと、どんなこともイメージできないことはできないからでしょうね。


ところで、卓球の男女ダブルスで、水谷・伊藤ペアが悲願の金メダルを取りました。
何度も絶体絶命のピンチに陥りながらも、まさに粘り勝ちの真骨頂。
その姿に、人の持つ素晴らしい力を感じたのは、私だけではないと思います。


さて、スポーツ選手のこういった粘り勝ちを目の当たりにすると、
「レジリエンス」という言葉を思い出します。

その言葉、直訳は「回復力」「復元力」「弾力性」などですが、
要は、ストレスがかかっても元に戻ることのできる「しなやかな強さ」のことです。

せっかくなので、選手たちの強さにあやかって、
レジリエンス研究、しちゃいますか!?


レジリエンスを成り立たせる要素は、厳密に言えば、
研究者によって見解が違っています。
でも、大筋で集約すると、この5つかな...と思われる要素を紹介しますね。
それぞれの要素に関連するアスリートたちの発言(TOKYO2020以外も含めた)も
併せて取り上げておきます。まるで、読んだよ大特集ですな(笑)


その1:感情・情動コントロール力
自分の感情や行動をコントロールできること。

  • こんなところで泣いてしまっている時点でまだまだ(萱和磨・体操)
  • 卓球以外でも強くなった(伊藤美誠・卓球)
  • 悔しい思いをしたぶん、もっと強い気持ちで練習に取り組める(桃田賢斗・バドミントン)


その2:「自己効力感」
端的に言えば、自信。達成経験やポジティブな自己認識から
「自分なら出来る、きっとうまくいく」と自分の可能性を信じる力

  • 持っている力を100%出し切ることができれば、夢だった決勝進出も現実的になってくる(山懸亮太・陸上)
  • やっていて感じるのは、まだまだ自分は成長できるなということ(羽生結弦・フィギュアスケート)


その3:「自尊感情」
他人と比較することなく、自分自身を価値ある者だ、
自分自身を好きだと感じられること。

  • どんなに打ちのめされても、心底、体操が好き(内村航平・体操)
  • 何回もミスして、何回も成長して。それが自分らしい(小出未来・水球)


その4:「良い人間関係」
人と信頼関係を築ける力

  • 康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない(松田丈志・水泳)
  • 内村さんから電話をもらった。ケガをして3日後くらいにいきなり電話が来て『大丈夫?気持ちを切らさなかったら絶対に戻って来られる』という言葉をもらって頑張ろうと思った(北園丈琉・体操)


その5:「楽観性」
未来に対して絶望せず、どうにかなると思える力。

  • 神様が何か気づかせてくれるタイミングかな、と考えるタイプ。けがとかについては基本ネガティブじゃない(上野由岐子・ソフトボール)
  • 神様は乗り越えられない試練は与えない(池江璃花子・水泳)


最後の「楽観性」で、「神様」という存在を使って、
今直面している苦難を受け入れようとしている人は少なくないようで、これは面白いですね。

私は、仕事がうまく行く/行かない、仕事で成長する/しないも、
結局、「メンタルが9割」なんじゃないかなと思います。
あなたは、どう思いますか?

さ、この夏も、このオリンピックも、もう2度と来ない。
選手たちを応援しながら、残る7月を元気に過ごしましょう!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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