ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

感謝の仕組み化、どう思う?

210215s_AdobeStock_266061092.jpg

先週、社内でWEB社内報にあってほしい機能について議論をしていました。
その中で、巷によくある「Thanksボタン」「Thanksポイント」は必要か、
という話になったのですが、
あなたなら、その機能、ほしいと思いますか?
これらは、Thanksカードのデジタル版です。
私たちの結論としては「ほしくない」ということに。


その理由は、、、気難しいことを言うようですが、
こういった施策にちょっとしたあざとさを感じるからです。
どういうことかというと、この機能を導入する目的は、
 感謝されたらモチベーション上がるよね、
 お互いの感謝を見える化して、モチベーションを上げていこうよ!
...ということですよね。
その発想の奥には、なんというか、マウンティング感覚があるというか、
誰もが持っている承認欲求で人をコントロールしようとしているというか、、、
あざといという表現は適切でないかもしれませんが、自然体とは言えません。
しかも、感謝という、本来ならとても素敵な行為をチープなものにしてしまう。
そんなもんはほしくないよね、ということになりました。


というわけで、今日のテーマは感謝とご褒美、褒めるについてです。


ThanksボタンもThanksポイントも、根底にあるのは、
感謝を大切にしようという思想。そこには、まったく異論はありません。
でも、仕組み化した時点で暗黙の義務が発生するところに違和感を感じます。
義務的なリアクションは、望ましいコミュニケーションとはいえません。
まあ、仕組み化すると、ラクそうに思える気持ちはわかりますが。。。。
しかも、暗黙的義務的Thanksであっても、
それをもらうことは、承認欲求が高い人にはウケるかもしれないし。
でも、内発的な動機を原動力に行動する人にとっては、むしろやる気が削がれます。


「嫌われる勇気」で一躍有名になったアドラー心理学では、
褒めることを否定し、その代わりに感謝を示すことを勧めていますが、
褒めることを否定している理由は、
承認欲求を満たして行動させようとすることを否定しているからです。
人が、褒められるという「言葉のご褒美」ほしさに行動することは、
幸福の追求に反するという考えです。
感謝を見える化した時点で、それはもう「ご褒美」と同じに思えます。


コロナで印刷していた社内報をWEB化するという流れは、現在加速しています。
安易にThanksという「ご褒美」を導入してほしくないものです。


さて、Thanksのシステム的な見える化という話以前に、
子どもや部下を「褒めて育てよう!」という育成観も、どうなんだろうと思います。
私自身はアドラーが言うほど褒めることをストイックに否定はしませんが、
褒め方の指南書を頼りに、
上司が一生懸命がんばって部下を褒めるというのは、いかがなものかと思います。
例えば、否定的な指摘をする前には、3つほど褒めろなんていうのもその1つです。


いったいいつ頃から、「褒めて育てよう!」が主流になってきたのでしょうか。
東洋経済オンラインのインタビュー記事の中に答えが見つかりました。
「ほめると子どもはダメになる」の著者・榎本博明さんによれば、
「褒めて育てよう!」という教育観は1990年代頃からのもので、
学校教育がテスト結果より授業中の態度や関心で成績を評価する方向に
変わった頃と時期を同じくしているようです。
もともと褒めて育てる理由は、「自己肯定感が高まるから」だったようなのですが、
榎本さんは「頑張ってもいないのにただ褒められていい気持ちになっていたのでは、
本当の自己肯定感は育たない」
「日本は欧米流の『褒めて育てる』を歪んだ形で導入した」
と語っています。


ちなみに「アメリカは褒める社会」とはよく耳にすることですが、
日経ビジネスの中でかつてアブダビ政府の投資庁で働いていた林則行さんが
こんな面白いことを書いていました。
面談で英米人の上司は「がんばってるね。
私だけでなく周りのみんなが評価しているよ」など良いことしか言わず、
営業成績が低迷している人に対してさえ、
「今年の営業成績だけど、もう少し行けたはずだよね」と軽くお尻を叩き、
「これがあなたの本来の力でないことは知っている。
景気が悪かったのが最大の要因だよ」とフォローしたりするそうですが、
こう言われたアメリカ人の部下は「相当厳しいことを言われた」と思うのだそう。


もし日本であったなら、自分はまずまずの評価を受けたと勘違いしそうですよね。
ベースにある文化や意識が違うものをそのまま日本に持って来ると、
おかしなことになる例と言えるかもしれません。


マニュアル的に褒めるというアプローチには疑問を感じるものの、
「褒める」の影響は知っておきたいもの。
まず、スタンフォード大学キャロル・S・ドゥエック教授の実験結果を紹介します。
実験は400人の小学5年生を対象に行われました。
子どもたちをふたつのグループに分け、
簡単な問題を解かせます。
終わった時、片方のグループの子には「よくできたね」というひと言で褒めてやり、
もう一方のグループの子は褒めない。
その後、子どもたちに次に挑戦する問題を選ばせました。
簡単なものか、難しいものかの二択です。
すると、褒められたグループの子どもたちは、大半が簡単な方を選び、
褒められなかったグループの子どもたちは、9割以上が難しいほうを選んだそうです。
つまり、もう一度褒められるためには「解答できる」必要があり、
そのために、困難に挑戦する意欲が削がれたのだと見られています。
なんだか恐ろしい。
このほかにも、いろいろなところでいろんな人が実験を行っていて、
「頭がいいね」と地頭的な能力を褒められるとその後伸びなくなり、
「頑張ったね」と努力を褒められると伸びるなどがわかっています。


いずれにしても、褒めることの功罪を知るのは良いとして、
あまり詳しくハウツーを知りたくはありませんね。
なぜなら、人を成長させるためと考えれば、それも必要だとは思いますけど、
本来は計算づくで褒めるのではなく、心底褒めるのがいいですから!
感謝も同じで、やらなきゃ感覚の仕組みの中では言われたくないなー
と思っていても、案外うれしかったりするのでしょうか?
人間って、めんどくさい。でも、それが真実だという気がします。


長くなっちゃいました。今週も素敵な1週間を!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

社長メッセージを見る >>

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ