
暇つぶしという言い訳をしつつ、しばしば見てしまうのがSNSです。
はい、私の話です。
SNSには、架空のショートストーリーなども含まれているので、
実話と真に受けないように気をつけています。
ですが、それでも教訓めいた内容に触れると、
ふむふむと納得してしまうこともしばしば。
昨日、Xでこんな話を読みました。
それは、新幹線の車掌さんの神対応を紹介したエピソードでした。
前の駅で降りそこね、乗り越してしまった外国人観光客が、
車掌さんを捕まえて、慌てふためいて事情を説明します。
若手の車掌さんが路線図を見せながら、
どうすれば良いかを一生懸命英語で説明しようとした矢先、
ベテランの車掌さんがとったのは、別の行動でした。
彼は、「I understand.」とゆっくり話しかけたそうです。
話のポイントは、それ以上でもそれ以下でもなく、
その言葉を聞いた外国人は落ち着きを取り戻した、
一度受け止めることがいかに大事か、とそんな話でした。
まさに真理を突いていますよね。
解決策を話す前に、
まず相手の状況、相手の立場、相手の気持ちを
「分かった」と伝えること。
人は、これを聞くと安心するのでしょう。
それだけで救い主が現れたと感じるものなのかもしれません。
だけど、これ、できているかしら?
あまり自信を持って「私はやっている」とは言えません。
「分かったけど、でも...」
こんなことを言ったりしていないかしら? ←自問のつぶやきです。
もう一度、だけど...。
誰もが「分かった」と言いさえすれば、
相手は寄り添ってもらえていると感じるわけではないように思います。
これは、傾聴スキルに関するよくある誤解としても言われていますが、
傾聴では相手の言葉をそのままオウム返しすることが大切、と覚えた人が、
それを実行したからといって、
相手が傾聴してもらっているとは感じないように、
Doingを磨いても、Beingが伴わないと、
寄り添いは成立しないのだと思います。
以前、読んだある記事によれば、
覚えたスキル通りに実行し、
自分は傾聴できていると思っている上司の方が、
傾聴がうまくいかないと悩んでいる上司よりも、
傾聴できていないことが多いそうですから、
「型」でこなすことほど怖いものはありません。
前述の車掌さんのエピソードも、
発した言葉として「I understand.」は有効でしたが、
その本質は車掌さんの思いやりだったに違いありません。
さて、「I understand.」は素敵な思いやりにつながりますが、
「I know.」はどうでしょう?
語尾に「!」がついて、
「I know !」になると、さらにわかりやすいかもしれません。
「(言われなくても)分かっている!」という感じになります。
たとえば、「~した方がいいんじゃない?」と助言したとして、
本当は「そうだね」「そうですね」と返してくれればいいだけなのに、
「分かってる、分かってる」とか、
「分かってますよ」と返す人がいます。
うるさいなと思うのでしょうか。
寄り添って助言したつもりが、
おせっかいだと思われたのでしょうか。
でも、振り返って、自分がやっていないかというと、
無意識にやっているのかもしれません。
ここで気づくのは、「I understand.」と
相手に対して理解を示すシーンでも、
「I know.」と自分の理解を示すシーンでも、
言う側と言われる側の双方が相手の立場に立たないと、
良い関係が成立しないということです。
今回取り上げた2つの「分かっている」。
同じ「分かっている」の表現でも、
随分とニュアンスが変わるものです。
少し意識するだけで、相手との距離感が変わるなら、
使い方に気をつけたいものですね。
不安定な天候が続いています。
体調を整えて、お過ごしください。
ブログを書いている人
小野真由美
グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。
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