ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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当社では、企業の社内広報担当者向けに各種セミナーを提供しています。
特徴の1つは、社内広報を人のマインドの解決課題だと捉えて、
認知心理学的な要素を取り入れている点です。

たとえば、人はなぜコンテンツを見たくなるのでしょうか。
興味を惹きつける要素にはさまざまなタイプのものがありますが、
今日ご紹介したいのは、「感情報酬」という概念です。

新しい情報を見つけた瞬間、脳の中では小さな化学反応が起きています。
その中心にいるのが、ドーパミン。
これは「快感」や「期待感」を司る神経伝達物質です。

たとえば、SNSのタイムラインをスクロールしているとき。
「お、これは知らない」「なんだろう?」と思うことがありますよね?
好奇心が働いた瞬間に脳が喜び、ドーパミンが分泌されて、
脳は「報酬」を受け取ったように感じます。

あなたがもし、広報部門でコンテンツ制作に携わっているのであれば、
脳と神経伝達物質の働きを知ることで、
読者のどんな「期待のスイッチ」を押すのか、ヒントになるかもしれません。


ところで、SNSで自分の好奇心に従って、あちこちクリックするうちに、
タイムラインに似たようなネタばかり流れてくるようになった...
というご経験もあるのではないでしょうか?

私の例でいえば、最近は選挙が近いこともあって、
さまざまな候補者からの発信を見るうちに、
私のタイムラインはあっというまに政治のつぶやきが多くなってしまいました。

与党・野党、候補者・有権者に関わらず、さまざまな声が流れてきます。
すると自分の信条に合っている声を目にした時は、
そうだ、そうだと思い、心地いい。
一応、私の場合はどんな対立構造になっているか興味があるので、
自分の信条と違う声も読んでいるため、比較的内容に幅がありますが、
もし「心地良い」を基準に読む読まないを判断していたなら、
一気に「エコーチェンバー」の中に置かれることになります。

「エコーチェンバー」というのは、
自分と似た意見の人ばかりが集まって、違う考えが見えにくくなる現象のことです。

これもまた、脳にとっては心地よい状態なのです。
同じ考えに触れると、セロトニンやオキシトシンといった安定をもたらす物質が働き、
安心感や一体感を感じるそうです。
つまり、意見の一致は脳に安心をもたらします。

でも、その「安心」が続くと、
私たちはいつの間にか「違う意見」に触れるのが少し怖くなってしまう。
心地よさと引き換えに、視野が狭まっていく...。
そんなことが起きそうです。

しかも、脳は基本的に「自分が信じたい情報」を好む傾向があるといいます。
ドーパミンがくれる「ワクワク」やセロトニンがくれる「安心」を欲するあまり、
私たちはつい「自分の考えを裏付ける情報」ばかり選んでしまうようです。


コンテンツの作り手としても、個人としても、
この「心地よさ」とどう付き合うかはとても大切なテーマかもしれません。
ときには、あえて意外性のある視点を選ぶ。
ほんの少しだけ脳のクセを意識して、自分の脳の期待を裏切ってみる。
そうすることで、情報との付き合い方が広くなる気がします。
「心地よい刺激」と「少しの違和感」の双方にアンテナを立てていたいものですね。

今週末は、選挙です。
有権者の1票が私たちの未来につながっていると信じ、私は選挙に行きます!

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衆議院が解散され、選挙戦が活発になっています。
選挙で重要とされているのは、マニフェストです。
日本の大きな方向転換が示された上での今回の選挙ですから、
有権者としてマニフェストをよく理解して選挙に臨みたいものです
そうだ! 選挙に行こう! ← JR東海風の美しいビジュアルで笑


さて、マニフェストは平たく言えば「約束」です。
ビジネスでも約束が大事なのは言うまでもありません。
社内での約束、社外との約束がいろいろある中で、
皆さんはどんな約束がもっとも基本的かつ重要度が高いと思いますか?

やると言ったらやる...というような有言実行を求める意見はもちろんあると思います。
しかし、大昔からそれ以上に大切にされてきたのは、
・決まった期日に、決まった金額を支払う
・約束した日までに、約束通りのものを納める
の2点ではないでしょうか。
この約束を守らない相手とは、2度と取引しない、
それが当然のこととして、日本の社会では暗黙の了解になっています。


「信用とは、約束を守る習慣である。」と言ったのは、ドラッカーですが、
「信用」の捉え方は国や地域によって異なります。

日本では、どちらかというと、最初は性善説で信用し、
一度壊れた信用は簡単に修復できないという暗黙の了解があります
しかも、相手を信用するのは必ずしも「契約書があるから」が前提ではありません。
そこが、良くも悪くも日本社会の特徴です。
「あの人は裏切らない(誠実)」と「あの人ならやってくれる(能力)」
の掛け合わせで信用をとらえていて、
信用できる人が大勢いる会社が、
信用できる企業になっているとも考えられます。
私たちは、あまり自覚していませんが、世界でも類のない高信頼社会に暮らしているわけです。


「約束」や「信用」に対し、なぜ、このような文化的価値観が生まれてきたのでしょうか。
一説には、時間に対する価値観は、稲作文化に由来するという見方があるようです。
田植えや水の管理は、村全体でタイミングを合わせる必要があった、という見方です。
周囲に歩調を合わせなければ、当然、後ろ指を刺されますよね。
空気を読むことにも通じる恥の文化と関係があるのかもしれません
でも、同じ稲作文化である中国も日本と同じような価値観であるかというと、
そこは異なっているのではないでしょうか。


私は、日本人の「信用」に対する価値観は
「お天道様が見ている」という文化的価値観と繋がっているように思います。
このワードは、年初のメルマガ「おみくじ、引きましたか?」でも書きましたが、
日本人のアイデンティティの根っこにあるものの一つではないかと考えています。
これは、誰に見られていなくても、自分の良心に従って正しく振る舞うという
「自律的な道徳観」です。
なんと素晴らしいじゃありませんか!


「お天道様が見ている」の起源がどこにあるかというと、
『古事記』や『日本書紀』に登場する天照大神(あまてらすおおみかみ)にある、
というのが有力な説です。
日本では、古くから太陽を神と捉え、太陽=天照大神だと言われています。
「すべてを照らす存在」イコール「人の行いを見通す神」とされてきました。

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の中で、
疫病が起きると祈祷で解決しようとするシーンがありましたが、
平安時代の祈祷での中心神格は天照大神だったそうです。
だとすると、当時の人々にとって、日食はさぞや怖かったに違いありません。


しかし、私たちの日常生活に目を向けると...?
現代では、日常の中で天照大神を意識したり、崇めたりすることもなければ、
「お天道様」という言葉を口にする機会は滅多にありません。
若い人たちの間では、この言葉は最早死語かもしれない。
それでも、その精神は社会的な良心として、形を変えて生き残っています。
ゴミのポイ捨ては少なく、財布やケータイを無くしても戻る確率が高いのは、
日本社会の特徴です。


あ、今、思い出しました。
「Don't Be Evil(邪悪になるな)」はGoogleの有名な価値観です。
この思想は、まさに「デジタル時代のお天道様」かもしれませんね。
AIの時代になり、多様性との共生が叫ばれる中で、
個人にとっても、企業にとっても、
「信用」はますます重要になっていくような気がするのですが、
皆さんはどう思いますか?

1月最終週です。寒さに負けずに元気に参りましょう!

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今年、会社としては2通目、私の回としては初のメルマガになります。
改めまして今年もよろしくお願いします。

さて、新年といえば、初詣。
おみくじを引かれた方も多いのではないでしょうか。
私は、30代のある年に3回連続「凶」を引き当てて以来、
おみくじは引かないことにしています。
おみくじには一定の割合で凶が入っているのですから、
新年早々お金を払って嫌な気分になることもないなと思ったからです。
(でも、凶×3というのはすごい確率だろうから、これはこれで吉だと思ったものです笑)

みなさんは、運や運気を信じますか?
私は、おみくじは信じませんが、運については、ある程度信じます。
でも、私が思う運とは、変えられない運命のようなこととは違います。


そういえば、高市首相が松下政経塾に入るにあたり、
1000名前後の受験者の中から最後の10名に残り、
晴れて合格したエピソードにも運が絡んでいたらしいですね。

最終選考に残ったことを知った高市さんのお父様は、
松下幸之助さんの大ファンで、
とにかく運の良さそうな顔をしとれと高市さんに声をかけたのだとか。
ですが、自分は緊張はしないだろうと思って臨んだ松下幸之助さんとの最終面接で、
高市さんが体験したのは、これまで味わったことのない極度の緊張だったと言います。
あまりの緊張に言葉が出なかったのだとか。
そして、これはもう落ちたと思いながら、部屋を出た時に待っていたのは
ポラロイドカメラでの写真撮影でした。
高市さんは子どもの頃から、お母様に「早苗ちゃん、写真を撮るときは笑顔でね」
と言われて育ったこともあり、反射的にニコっと笑ったのだそうです。
後日、「あの写真で、運が良さそうな顔だし、愛嬌もありそうだ、
との判断になり合格にした」と松下さんから聞いたと言います。
ご両親からの運と笑顔に関する教えが、
高市さんを前に進めたと言えるのかもしれません。


松下幸之助さんが運と愛嬌を重んじたのには、こんな理由がありました。
まず、「自分は運が良い」と信じている人は、
困難に直面しても他人のせいにせず、前向きに好機を待つことができること。
また、リーダーが完璧すぎると周囲は助けてくれないが、
愛嬌があれば「この人を支えてあげよう」と周囲の協力が集まる。

つまり、その人の発言内容も重要ですが、
醸し出しているオーラというのが、結構大事ということなのかもしれません。


運とはそもそも何なのでしょう。

一般的には、人知を超えて幸不幸を左右する力、
というような受け止めが多いのではないでしょうか。
ですが、幸不幸を左右する力は本当にコントロールできないのでしょうか?

運を偶然の出来事と捉えるとコントロールできないと思ってしまいますが、
良い出来事は、良いマインドセットや良い行いが引き起こすものであり、
引き起こされた結果を運と捉えるなら、運を引き寄せることはできるような気がします。

「気がする」と「科学」は違いますが、
まずは「気がする」の話をさせてください。

私は、なんとなくですが、後ろめたいことや心が闇に落ちている人に、
幸運は訪れないような気がします。
日本には「お天道様が見ている」という言葉があります。
誰も見ていなくても、正しく生きようとしている人を天は必ず見守ってくれている、
そんな古めかしい考え方を無意識のうちにしているのかもしれません。


運は「科学」的に研究されています。
リチャード・ワイズマン博士は、著書『運のいい人の法則(The Luck Factor)』の中で
運を「超常現象」ではなく「心理学的なスキル」として定義しています。

読んだ訳ではないのですが、
博士提唱の運の良い人が共通して行なっている行動の4つの法則を簡単に紹介します。

【第1の法則】チャンスを最大限に広げる
リラックスして広い視野でものを見たり、新しい経験を好み、多くの人とオープンに関わる

【第2の法則】直感を信じる
判断するときに自分の直感を信じているし、直感を高めることを無意識に行なっている

【第3の法則】幸運を期待する
「自分は運が良いからきっと良いことが起きる」と信じて、挑戦を恐れないため、
試行の多さで成功を引き寄せている

【第4の法則】不運を幸運に変える
悪いことが起きたときに、「なんてついてない」と思わず、
「こうならないだけ良かった」と良い方に解釈し、執着しない


ふむふむ、これ、当てはまるぞ、なんて思って読んでいただけたら幸いです。
良いことをイメージすれば、良いことが起き、
悪いことをイメージしたら、悪いことが起きる。
そう思って暮らしてきましたが、
ワイズマン博士の説を読むと、まんざら間違いでもなさそうですね。

2026年、良いことをイメージして暮らしていきましょう!

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今年最後のメルマガをお送りします。
みなさんは、この1年、どんな年でしたか?
どんな人にとっても、良いこともあれば、良いとは言えないこともあったことでしょう。

私も同じです。やりたかったことがいろいろできて良い年だった反面、
ことメルマガに関しては、決めた頻度で配信できず、
ちょっと情けない年になってしまいました。
毎週1回(年50回弱)のはずが、全部で15回しか配信できませんでした。
このメルマガは2013年7月4日から始めて、満12年超。
2022年頃から定期配信がぐらついてきました。


いったいなぜそうなったのか、正直に書いてみようと思います。
事情や心情には主に次のようなことがありました。
(1)どうにもならないほど忙しく、メルマガどころではない時期があった
(2)(1)番ほどの状況ではないけれど、少し忙しい時に、
  「ま、いいか」と優先順位を下げてしまい、それが段々と常態化した

(1)番はそんなに頻繁にあるわけではないので、問題は(2)番です。
いっしょにメルマガを書いている阿部も、同じようなことを言っています。
優先順位を下げてしまう局面があったり、ネタ切れ感があったり、と。
こんな話は読んでもつまらないだろうという気持ちになり、
ブレーキがかかったこともあったようです。

実際、原稿作成というのは、書くことが決まってしまえば、
そこからは意外にスムーズに進みます。
メルマガで一番悩むのは何を書くかを決めるまで、です。
ですが、それがなかなか決まらないことがあります。
共通するのは、忙しくて、観察・思考アンテナの感度が弱くなっているときです。
そうすると、なかなか書きたいことが決まりません。


ずっと「継続は力なり」と思ってやってきたのですが、
継続が崩れてきた今、「再起も力なり」なのだろうと思います。


私は、人が物事を継続するためには、
優先順位を下げないだけの「目的意識」が不可欠なのではないかと思います。
これは、あらゆる人の行動に影響するファクターではないでしょうか。
で、大抵の場合、もちろん最初はそこを明確にして始めます。
なのですが、時間とともに目的意識は遠のきます。
当社のメルマガの配信頻度が下がった理由も、多々ある業務の一部でやっているために、
そのようなことが起きたのだと思います。

というわけで、来年はリセットして臨みます。
「ご期待ください」と宣言するのも憚られますが、
有言実行に追い込む方が対策としては有効な気がしますので、言います!
来年はご期待ください! あ~あ 言っちゃった~


反省文のようなメルマガで終わっては立つ瀬がありません。
年末年始は、多くの人が目標を立てる時期でもあるので、今回は決めたことを継続するためのコツを紹介します。
といっても、この内容は当社の社内勉強会の内容からのシェアです。
当社では、毎週1回、社員が持ち回りで好きなテーマで講師役としてプレゼンしています
シェアといえば聞こえがいいのですが、これは I さんが発表した内容のパクリです(笑)

ーーーー【継続のコツ】ーーーー
【その1】毎日やる
頻度は毎日がベスト。やってもいい/やらなくてもいい日をつくると、行動を迷うので、それがストレスになるそう。

【その2】1分でもいいからやる
「やった」という成功体験は1分で可能。本なら5行くらい読めるし、スクワットなら10回できます。

【その3】いつやるかを決める
暇な時間は一生できないから、時間ができたらやるはNG。「○○の行動の前(後)にやる」と決めるのがおすすめ。

【その4】小さな行動を2つセットでやる
普段やってることと新しくはじめることをセットにする(例:歯磨き +ふくらはぎストレッチ)

【その5】どうしてもやりたくないときは、やるふりをする
たとえば、ジムに行くために着替えて玄関までは、行ってみる。でも意外とそのままやれたりもするそうです。

【さらにオマケ】思うようにいかないときも自己否定はしない
自己否定しさなすぎて、私のようにサボリだすこともあるから微妙ですが、自己否定のし過ぎは良くないのは確か!
ーーーーーーーーーーーーーーー

なんでもかんでも継続すれば良いわけではありませんが、
たとえ小さなことであっても、決めたことを継続すると、
自分の自信になりますし、
周囲がそれを認知して、一目置いてくれるようになります。
つまり、その結果、自分のブランディングに役立ちます。
自分のことは棚に上げて言います。ぜひ試してみてください!笑

私個人は、メルマガ以外でも継続を糧にしたいことがプライベートでもたくさんあるので、
生かしていきたいと思います。

さて、2025年、今年も大変お世話になりました。
来年も、どうぞよろしくお願いします。
2026年が幸福に溢れた1年になりますように! 良いお年を!

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先日、ブルージェイズとのワールドシリーズ(7回戦制)第3戦を前に、
1勝1敗で本拠地に戻った大谷選手が、こんな言葉を発しているのを聞きました。
「終わったことは切り替えて、3戦先取のホーム開幕だと思って臨めばいい」と。
これを聞いた時、「さすが!大谷はマインドチェンジを自分に課しているんだな」と思いました。
この言葉に触発されて、今日は心のモードチェンジについて考えてみたいと思います。

さて、、、
ネガティブな出来事が生じた時に、簡単にできるかどうかは別として、
その出来事に気持ちを引きずられないことが大切だと多くの人は知っていますよね。
だから、大谷選手のように、「気持ちを切り替えよう」と考えるわけです。
ほかにも気持ちの切り替えの例えとしてよく聞く言葉としては、
「やる気スイッチを入れる」というのもありますね。

この気持ちの切り替えやマインドのコントロール、
これは特にスポーツをやっているときに、いかに大切かを如実に感じます。
私にとって、ゴルフなどは最たる物です。
それが、なかなかできないのですが。

で、ネガティブマインドに引っ張られないように自分の気持ちをコントロールする、
これはこれで大事だと思うのですが、
今回はもう少し広い意味で、自分の意識のコントロールについて、
考えてみようと思います。
私はそれを意識の「モードチェンジ」と呼んでいます。


皆さんは、今はこういうアンテナを立てた方がいいな、と思うことはありませんか。
ここで私が言うアンテナとは、自分の意識のアンテナです。
何かを感じ取るアンテナと言ってもいいかもしれません。

人には野生的・本能的なアンテナがあるのに、
自分を含め、現代人はそのアンテナが立っていないのかもしれないと最初に思ったのは、
今から10年ぐらい前のことです。
いわゆる「リトリート」的な体験学習のプログラムに参加したことがきっかけでした。
たとえば誰にでもワクワクすることがありますよね。
でも、アンテナが錆びついていると、そのワクワクに気づけない。
本当は、ワクワクに向かって生きていく方がハッピーなはずなのに、です。
そこに鈍感でいるのは嫌だなと思ったことを覚えています。


そうこうするうちに、アンテナにはいろいろな種類があるのかもしれない、
だとしたら、それらは自分でコントロールできる方がいいな、と思うようになりました。
いえ、前からある意味で無意識にやっていた面はあったと思うのですが、
意識するとイメージが明確になります。

たとえば、、、
ゆっくり、サクサクというスピードに関するアンテナ、
ズームイン、ズームアウトという視界の広さに関するアンテナ、
ココロの状態、カラダの状態に敏感になるアンテナ、
しっとり、ノリノリなど、今、どう過ごしたいのかという気分に関するアンテナ、
そして、もちろん昨日は昨日、今日は今日という気分切り替えのアンテナです。
ほかにもたくさんあることでしょう。


私のイメージとしては、アンテナはアンテナ単体で存在しているのではなく、
コントロールパネルもあって、オン・オフできる、そんな感覚のものです。
まさに、「やる気スイッチ」をオンするのとイメージ的には同じかもしれません。
つまり、自分は意識のアンテナとそのコントロールパネルを持っている、
そんなイメージです。

そうすると、どう思うようになるかというと、
今は、焦る気持ちを抑えて、敢えてゆっくりモードでやろう、とか、
この状況は、広角レンズで俯瞰して見た方がいいな、とか、
今日は弾けモードでいっちゃえ、というように選択的になります。
しかも、意識と無意識の中間で、そのモードを選んでいるような気がするのです。


私は、この「アンテナとコントロールパネル」のセット販売担当者になりたいぐらいですが笑、
押し売りはしないまでも、1つだけおすすめしたいモードがあります。
特に若い方に対して、です。
それは、ゆっくり、サクサクというスピードに関するアンテナです。
とかく仕事は速い方が良いし、自分自身としても早く終わらせたいと思うのが人の常。
でも、敢えてゆっくりモードでやってみる。
これは、ホントおすすめです。理由? 秘密です笑
強いていえば、同じ動画でも、スローモーション再生だと見えるものが違いますよね。
まあ、騙されたと思って、やってみてください。

まもなく11月です。
秋の終わりを満喫したいものですね。

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Xを見ていたら、タイムラインに中野信子さんの著書「エレガントな毒の吐き方」の
広告らしきものが流れて来て、版元の日経BPの記事をふむふむと読みました。
私は、別に「毒の吐き方」には興味はありませんでしたが、
「脳科学と京都人に学ぶ『言いにくいことを賢く伝える』技術」というサブタイトルを含め、
「エレガントに伝える」「京都人」に興味を持ち、ついつい読んでしまいました。

いえ、読んだのは本書ではなく、記事の方です。
発売は、2023年5月なので、新刊というわけではありませんが、10万部を突破しているらしいです。
読者はどこに惹かれて読むのだろう? 
もし「毒の吐き方」だとしたら、いやな世の中ですね。
でも、「言いにくいことを伝える」は、もしかしたら多くの人の関心事かもしれません。


私にも、月に何度かは言いにくいことを伝えるシーンがあります。
プライベートと仕事の両方を合わせてです。
そこで、今回は、人はなぜ「言いにくいことを伝える」ときに悩むのか、
どうしたら少しでも悩まなくて済むのか、
我が身を振り返りながら考えてみたいと思います。


人が「言いにくいことを伝える」には、いろいろな葛藤がありますが、
大別すると、次の2つではないでしょうか。
第一は、そもそも思っていることを伝えるべきなのかどうか。
第二は、伝えた方が良いと思っても、いったいどう伝えたら良いのか。

でも、自分が当事者で悩んでいるときは、こんなふうには整理されません。
ちなみに私自身は、伝えるべきかどうかについては、
大抵は野生的本能で「伝えるべき」「伝える必要はない」と判断することが多いです。
でも、伝えるべき理由については、結構考えます。


さて、まず葛藤の第一。
思っていることを伝えるべきかどうかで、なぜ人は悩むのでしょうか。
原因はいろいろ考えられます。
【結果が不安】それを言って、相手が分かってくれるかどうか、分からない。
 →理解されないと、相手の気分を害するだけで、人間関係が悪くなるかもしれない。
【目的が不安】こんなことを思う自分は、人間が小さいだけなのではないか。
 →伝える目的はエゴなのか、関係維持のためなのか、何なのか、自分でもよく分からない。
【感情と理性の線引き(目的の揺れ)】
 →自分の感情的なエゴから伝えたいわけではないと思ったとしても、
  感情が混じってしまい、考えが整理できない。

ほかにもあるかもしれません。
ここでは私の経験から自分の心理を分析して整理してみましたが、
実際に何かに直面したときに、即座に自分の気持ちを客観視できるかというと、
どうでしょう? 案外難しいような気がします。


第二に、伝えた方が良いと思ってもどう伝えたらいいかで、なぜ悩むのか。
これについて、私は、ほぼ上の第一の原因が影響していると思います。
が、それを含め、次の2つに注目したいと思います。

1つは、【目的の不明瞭さ】からくるものです。
そりゃそうですよね、何のために伝えるのかによって、
伝えるときのスタンスが変わり、伝える中身も伝え方も変わりますから。
そもそもなぜ自分は伝えたいのかで揺れているにも関わらず、
どう伝えようと考え出すから、分からなくなるのは当然です。

もう1つの原因は、仮に目的が明瞭だったとしても、
【伝えるスタンス】が定まらないと、中身や伝え方が決まらないからです。
仮にですよ、相手に自分の非を認めてもらいたいというのが目的だったとして、
コテンパンにやり込めたいというスタンスでいくのか、
分かってくれれば良いというスタンスでいくのかによって、
伝え方は大きく変わります。

一刀両断には言えませんが、多くの場合、目的が不明瞭だからこそ、スタンスも決まらず、
どう伝えたら良いか、悩むのだと思います。


さて、私自身は「言いにくいことを伝える」について次のように考えています。
伝えるというのは、とても面倒で、エネルギーのいる行為です。
ということは、関係を維持したり、向上させたり、
何らかの共通目的を達成したりするというような、ポジティブな目的でない限り、
そこにエネルギーを使うことは人生の無駄遣いに思えます。
どうでもいいことのために、自分の時間やエネルギーを使う必要はないな、と。
もっといえば、どうでもいいことであるなら、悩まずに喧嘩腰で臨んでも良いなと思ったりします(笑


反対に、目的を関係の維持・向上だと思ったら、
相手をやり込める必要はないと分かります。
思いを伝え合うときに私が大切にしたいのは、
まず自分の発言に責任を持つことです。
そのためには、自分の感じたことを感じたこととしていうこと。
感じたことは私の主観であって、客観的事実ではないのですから、
「あなたはこうだ」とあたかも事実であるような評価・断定をしない姿勢を大切にしたい。
自分の発言が主観であることを表現するには、自分主語で伝えることが大切だと思っています。

あなたのここが良くないではなく、自分はこう感じたよ、と。
そのスタンスを持つことで、相手を責めるスタンスではなくなります。
すると、自分の気持ちもラクになります。
そして、相手も人間ですから、自覚していることもあれば、無自覚なこともある。
たまたまその日の気分で起きてしまったこともある。
感じた私の心だって、日々揺れているはずです。
そして、お互いを尊重する気持ちが根底にあれば、
言いにくいことを言ったあとも、お互いに「そういうことだったんだね」
「そういうこともあるよね」と受け入れられる気がします。

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当社では、現在採用活動を行っています。
そのことで、先日、友人にどんな人材を求めているのか聞かれたので、
自己客観視ができて素直であることは、
重視していることのひとつだと答えたところ、面白い反応が返ってきました。

「自己客観視か...。私は自己肯定感が高すぎて、全然ダメ」。

要するに自分のことを否定的に見ることができない、
ということのようです。
本来、自己肯定感と自己客観視は両立するものだと思いますが、
この友人は、自己客観視するということは悪いことに眼を向けること
と捉えているようでした。


ところで、最近は自己啓発系のコンテンツの影響からか、
「自己肯定感が高い/低い」とか
「承認欲求が強い/弱い」など、
自己認識して言語化するような風潮が強まっているように感じます
自己肯定感で言えば、当然高い方が良いという言説が広まっていますよね。
まあ、もちろん、そうなのでしょうが、
あまり、それに振り回されるのはよくないとも思います。

というのは、自己開発のための知識を増やした結果が、
必ずしも良いものになるとは限らないからです。
言葉にはプラスのパワーもあれば、
マイナスのパワーもあるため、
たとえば、「自己肯定感が低い」と自認してしまうと場合、
その言葉に縛られて自己像が作られがちです。
そんな必要はないのに、自分に対し負の決めつけをしているわけですよね。


ですので、ポジティブな自己認識の方が良いと思いすぎる最近の傾向に、
少々の違和感があります。
ネガティブな自己認識はそんなに悪いことでしょうか。

たとえば、「自分はダメな人間だな」と思ったとして、
そんな自分をどう捉えるかは考えようです。
ある一面から見たら、謙虚さの現れだし、
また別の一面から見たら、美意識を持っていることの現れでもあります。
こうありたいと願うのは、まさに美意識そのものですから。


どんなものにも表と裏の二面性があります。
そのどちらに目を向けるのかは、自分で決定できます。
物は考えよう。
なんと便利なことわざではありませんか!


いつにも増して暑い夏です。
熱中症に気をつけて、健やかにお過ごしください。

出会い.png

何をするかよりも、誰とするかだ...という表現、
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
けれど組織では、仕事は上からのアサインありきだから、
誰とするかなど、自分の意思で決まるものではない。
そう思っている方も多いのではないでしょうか。

一方で、やりたいことを見つけてそれに打ち込む人生が良い...と捉える風潮も、
多少弱まってきた気がしますが、まだまだ根強いようにも思います。
そして、そのような考え方は、「やりたいことが見つからない」と
思っている人たちに、負い目を感じさせるという負の一面があります。

私自身がどうかというと、「人生は波乗り」のようなものだと思っています。
「やりたいことをやる」は、それはまあ幸せかもしれないけれど、
一度コレと決めたら変えられないような呪縛になりそうだ、と。
なぜなら、人間のやりたいことなんて、どんどん変わるからです。
だから、やりたいことが何かを見定めて、そこに人生を賭けるというのは、
実は強そうでいて、案外脆いのではないかと思ったりします。

人生は波乗りで良いと思う私が何を得たいと思ってきたかというと...
1.やりたくないことをしない。
2.出会いたい人と出会えるようにする。
3.物事をより良くすることを楽しみたい。

ざっとこんな感じです。
やりたいことありきで人生を考えるというよりも、
この3つが満たされたら、十分幸せだという考え方です。
(もちろん、やりたいこともやっていますが、それが全てではない)

仕事では、「インターナル・コミュニケーション」という領域で
専門サービスの提供に努めていますが、
私の中では、これは物事をより良くしたい1ジャンルという感じでいます。
そして、出会いたい人はどんな人かというと、
物事をより良くしたいと思っている面白い人たちです。
やりたくないことが何かというと、
物事をより良くしようと思っていない人と仕事をすることです。


さて、上の3項目の中で、一番難しいのが、
2番の「出会いたい人と出会えるようにする」かもしれません。
仕事に置き換えると、「何をするかではなく、誰と働くか」。

では、どうしたら出会いたい人と出会えるのでしょうか。
「出会えるようにする」などということが、本当にできるのでしょうか。
私は、ブランディングという考え方に立ち、実践すれば、
個人であっても実現可能なことだと思っています。
たとえば私自身を例に挙げると、20年前にブランディングを意識し始めて以降、
出会いたい方たちからご連絡をいただく機会が増えたと思います。


では、パーソナルブランディングという観点から考えたときに、
どうすると出会いたい人、一緒に仕事をしてみたい人と出会えるのでしょうか。
私は、そのコツは、第一に「意思表示」にあるのではないかと思っています。
たとえば...

・私は、こういうことを大切にしている人間です。
・私は、こういうことに関心のある人間です。
・私は、こういう人と仕事をしたい人間です。

ただの自己紹介ではなく、自分の意思を示すこと。
それを、十人に話すと、一人ぐらいが覚えてくれて、
求めることに近い話をもたらしてくれる可能性が高まります。
別に、そのように計算して生きてきたわけではありませんが、
意思表示には力があるなと感じています。
パーソナルブランディングなどと難しいことを言わずとも、
自分という人間について、相手にどう覚えてもらうか。
それによって、出会いが広がり、人生が広がるのだろうな...。
信じる者は救われますよ笑

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皆さんは、「コンサルタント」という仕事やコンサルを行っている人に対して、
どのようなイメージがありますか?
調べてみると、外資系コンサルティングファームのイメージも手伝ってなのか、
今どきは、結構人気のある職業だそうです。

また、ひと昔前はコンサルタントといえば、経営コンサルというジャンルしか、
イメージされませんでしたが、今の時代は違います。

キャリアコンサルタントもあればお掃除コンサルタントもあると、
多くの人が認識するようになりました。


さて、仕事のイメージは時代とともに変わるのが常ですが、
「コンサルタント」という仕事に対しては、
ネガティブなイメージを抱く人が多かった時期があったように思います。

具体的にはこんなイメージです。
・内部のことを知りもしないのに、外から勝手なあるべき論を言う存在
・しかし、責任は取らない存在
・上から目線でモノを言う存在、かつ先生として扱わなくてはならない存在

もし、こんなイメージを抱いたなら、そりゃ、ネガティブになりますよね。


当社は、今でこそコンサルティングというサービスを当然のように掲げていますが、
初めてメニューに入れたのは、2000年代の半ばぐらいだったと思います。
サービス自体は1995年頃から行なっていましたが、
社員に「コンサルをサイトで謳う」「もっと力を入れる」と伝えたのは、
その頃でした。

しかし...
当時社員の反応はどうだったかというと、
若手からキャリア層まで賛同する空気がない。

では、その時の反応の本質は何だったのでしょうか?
おそらくクリエイティブ業務とコンサルティング業務は
全く別のことに見えたのだと思います。


今でも、多くの人にとって、
少なからずそのような感覚はあることでしょう。
しかし、たとえば、佐藤可士和さん。

彼は、アートディレクターでありながら、コンサル業務を引き受けています。
クリエイティブ業務とコンサルティング業務は別の業務ではないのです。
ゴチャゴチャした状況をすっきりと整理し、
道筋をつけること。
これは、クリエイティブのディレクション業務そのものであり、
コンサル業務でもあるわけです。
だからこそ、彼は、「佐藤可士和の超整理術」を書き、
その本はベストセラーになっています。


片付けコンサルタントである近藤麻理恵さんもしかり。
価値観の整理から片付けに取り組むことを勧めるコンサルタントです。

何を整理するのかはそれぞれが得意とする領域になりますが、
一方的な「べき論」を押し付けたりしていないはずです。

何をどう整理したいのか、その答えは本来相手が持っています。
ただ、いろいろな考えが邪魔をして、それが表に出てこないだけなのです。

私たちは、主として組織内のコミュニケーションの問題を扱いますが、
それについても、基本は同じです。
その答えは相手が持っている。
答えを与えてしまうと、大抵の人はやらされ感になります。

あ、これはコンサル業務に限らず、上司と部下の間も同じかもしれませんね。
人は自分で考えたい生き物だってことなのかな?

さ、ゴールデンウィークが近づいてきました。
素敵な1週間をお過ごしください!

幹.jpg

今日は、最近起きた3つの出来事を通じて思ったこと、
つまり表題にあるように、意が伝わるために大切なのは幹なのだな、
ということについて私の脳内ぐるぐるをシェアさせてください。
自分のぐるぐるをそのまま吐き出すなーとも思いますが、お許しを。


1つめの出来事です。
先週、私どものあるお客様企業の新社長になる方に
インタビューをさせていただく機会がありました。
その中で外部に自社の価値を伝えることがいかに大切かという話題が出ました。
しかも、ただ説明すればいいわけではなく、
相手にとって「面白いか」「分かりやすいか」が重要で、
それが満たせると物事は自然と広まっていく。
インタビューの主題ではありませんでしたが、とても興味深く拝聴しました。


また、2つめ、先週社内ではこのようなことがありました。
私が講師役となり「伝える技術」を学ぶ、若手社員向けの勉強会でのことです。
「テーマとは何か」を学ぶ課程では、
主題を端的に語ることの大切さを学んでもらうのですが、
「~について取り上げる」の「~」にどのような単語を入れるのかは、
簡単そうで簡単ではありません。

たとえば、「ABCプロジェクトについて」ではテーマとしては広すぎるので、
「ABCプロジェクトの~について」ぐらいに絞る必要があるときに、
何に焦点を当てるかを言葉で表すとどうなるか。
やってみると、誰もが言葉を絞れずに悩むわけです。

「メッセージ」を言語化する場合にも同様なことが起きるので、
伝える人は、ついつい多くのことを伝えたくなってしまうのだと思います。
この勉強会からの私の気づきは、
自分の考えの根幹を明確にしてから、相手に伝えるには、
自分の言葉を絞る必要があるわけですが、
それには理屈だけでは解決できず、
スポーツのようなトレーニングが必要なんだろうな、ということでした。


さて、3つめ、最後のエピソードになります。
「伝わる」について考えさせられる出来事があった今週、
今度はなぜか不意に心が動いて、
なんと何十年かぶりに英語の学習教材を買いました。
基本はたった81文だというコンセプトで書かれた
「Simple English Magic 81」(著:酒井一郎)という本です。
きっかけは、この本を読むよりも前から、
若い時よりも英語が聞こえるようになっている気がする、と思い始めたことでした。
なぜだろうと考えてみると、一言一句聞こうとしなくなったからだと思ったのです。
大体の大筋は何かと思って聞くと、想像力も手伝って、
こんなことを言っていると分かる。
昔は、聞き取れなかった単語が気になって、それより後がついていけなくなる。

私の自己分析を裏づけるかのように、この本にはこんなことが書かれていました。
"I play baseball in the park next to the hospital."という一文を聞いた人の多くは、
"next to"に意識が向いてしまい、それよりも重要な"I play baseball"が
二の次になってしまう。
文意としては、そのようなことが紹介されていたのです。
つまり、人間が何かを理解したり、誰かに何かを伝えたりするには、
幹が先であり、枝葉は後であるべきだということでしょう。
そしてまた、学習にも幹と枝葉があり、
滅多に使いもしないイディオムは枝葉、
幹は中学レベルで十分だということから、81文と謳われているようでした。


つまり、相手に「意が伝わる」ようにするために大切なのは幹、大筋なのです。
私が、テーマやメッセージを端的に絞れと教えているのも、
幹が先であり、枝葉は後だと思うからです。
3つの出来事を通じて、「伝える」「伝わる」の本質を改めて学んだ気がしました。


お付き合いいただき、ありがとうございました。
さて、当社、2週間後には通い慣れた表参道を離れ、大門/浜松町に移ります。
引越し準備、大変でーす!
皆さんも期末でお忙しい方も多いと思いますが、来週も元気に参りましょう!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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