ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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『挑戦・やってみる』カテゴリの記事

 

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先日、久々に「記憶スケッチ」という遊びをしました。
消しゴム版画家だったナンシー関さんが
20年以上前に流行らせたもので、
与えられたお題の絵を、
頭の中の記憶イメージだけを頼りに
紙に描いてみるというシンプルな遊びです。

お題はそんなに複雑なものではないのです。
頭の中にぱっとイメージできるもの。
たとえば、パンダとかパイナップル、
ちょっと難しいところで、スフィンクスとか。

どれも、頭の中ではわりと鮮明にイメージできます。
パンダのイメージもちゃんとあるし、
スフィンクスだって、あの独特の目を
ちゃんと想像できます。

でもですね、描いてみると、かなり描けないのです。
パンダは、あれ?どこが黒くてどこが白いの?レベル。
スフィンクスにいたっては、これ何?というくらいのヒドさ...。

頭の中ではわりと鮮明に描けているのに、絵にできない。
調べてみると、脳は、私たちの想像よりも
遥かにラフにイメージを捉えていることがわかりました。

どのくらいざっくりかというと、
「パンダは白黒で、耳があって、丸っこくて、足が4本」くらい。
よっぽどじっくり見て、細部をインプットしない限り、
耳が丸いとか、どこで白黒が分かれているかなどの細部は
そもそも記憶されないのだそうです。

それなのに、「全体を捉えられている! 」
と勘違いしてしまうんですねえ。

ちなみに、脳が、細部を気にせずに
ざっくり把握を行っている理由は、
「省エネ運転」をしたいからだそうです。

脳内のイメージをうまく描き出せない理由は
ほかにもあるようで、それは、
脳の中で「視覚イメージ」を司る部位と、
手を動かす「運動指令」を司る部位が異なっているから。
さらに、それらの部位をつなぐ「翻訳」も必要だからだそう。

視覚イメージを司る場所は、視覚野と呼ばれる後頭葉で
ここは目から入った情報を処理するだけでなく、
目をつぶって何かを思い浮かべるときにも活動。

運動指令を出す場所は一次運動野である前頭葉で
これら視覚野と一次運動野をつなぐのが 空間認知の司令塔、頭頂葉。
ここが、視覚野にある「イメージ」と、
運動野の「動き」を橋渡ししているようです。

つまり、この3つがうまく連携し合っていないと絵が描けない。
イメージで絵を描くってこんなにも複雑なことだったのですね。

では、イメージだけで
スラスラと描ける人は何が違うのか、というと、
見る、描くを何度も繰り返しているということ。

描いてみて、うまくいかなければもう一度観察して、また描く。
この繰り返しの中で、視覚イメージと手の動きが
「手続き記憶」として定着し、
意識しなくても指が自然に動くようになるのだそうです。

自転車に乗るときに「ええと、まず右足をペダルに乗せて...」
なんて考えないのと同じですね。

さらに興味深いことは、最初の観察のコツ。
絵が描ける人は、全体がどんな形の組み合わせになっているのかを
見ているらしいのです。
目とか耳とか、いきなり細部を観察しようとしていない。
たとえばパンダは、おもちのような3つの楕円の組み合わせ、
牛は横に長い大きな長方形の体と、
小さな逆三角形の頭といった具合です。

そうかあ、デッサンってこういうことなんだなあ。

とここまできて思ったことは、
これは仕事でも一緒だということ。

最初からいきなり細部を意識してアウトプットしようとしても
うまくいきませんよね。
まず、全体の構造を捉えてイメージし、アウトプットしてみる。
そして、足りなかったところを再度観察し、またアウトプット。
これを繰り返すことで、上達していくのだと思いました。

記憶スケッチ、結構、奥深い遊びでした。
皆さんも、この機会にパンダ、ぜひ描いてみてください。
意外な発見があるかもしれません。

さて、3月。
花粉に負けず、まいりましょう!

助ける.png

以前、どこかで、こんな話を読みました。

確か野球だったと思うのですが、
海外でトレーニングを受けている日本人が
自分のフォームについて正解がわからなくなり、
チームのデータ分析担当に相談すると、
自分に関するデータを大量に出してきたそうです。

「こんなにデータをたくさん持っているなら、
なぜもっと早い段階で提供してくれなかったのか」

と彼が聞くと、

「本人が必要としていないのに、
情報を与えても意味がない。ノイズになるだけだ」

と言われたと。

私は、この話を読んで大いに納得してしまいました。
子育てでも、スポーツでも、
指導の現場全般で言えること。
本人が、困っていない時は
なかなか吸収されませんよね。

野村克也監督も同じようなことを言っていました。

人を育てるプロセスには、
「無視」「賞賛」「非難」という3つの段階があって、
新人や能力不足の選手は、まだ「無視」の段階にある。

この場合の「無視」は、指導者側が冷たくしたり、
無関心でいるという意味ではなく、
「適性を見極めるべく、
観察して見守っている段階」のことだそう。
指導対象者が、無視されて悔しい気持ちになり、
いろいろなことを欲するかどうかを
見るためでもあったそうです。
そうならないのなら、プロスポーツは難しいと。
確かに...。


しかし、日本の指導は、待つのではなく、
全般的にどんどん先に与えることのほうが多いですね。
「もっと、こうしたほうがいいんじゃない?」
というお母さん的なやつです。
これは、親切心やおもてなし精神からくる
日本特有のことなのかなあと思い、
Geminiと一緒に、ちょっと調べてみました。


まず、日本人特有の「甘え」が影響している説。

心理学者の土居健郎氏が
1971年に著書『「甘え」の構造』で
「甘え」を次のように定義しています。

「自分に近い存在に受け入れられ、甘やかされ、
守られたいという受動的な愛への渇望」

日本人は基本的にこの甘えを持っているために、
日本社会では、
「相手が自分のニーズを察して動いてくれること」
を期待し、相手もまた
「相手のニーズを察して満たしてあげよう」
と感じる現象が起きているのではないか。

さらに、日本人は、
内ウチと外ソトを区別しているため、
「外(他人)」に対してはしっかりと
礼儀正しく振る舞うが、
一度「内(親しい間柄)」に入ると、
相手が自分の面倒を見てくれることを
無意識に期待している、と。

なるほど。納得ですねえ。

日本のスポーツ界も、
指導が変わってきたとはいえ、
まだ与える指導が主流なのかもしれず、
前述したフォームについて悩んでいた
スポーツ選手の立場に立つと、
同じチームのメンバーであるデータ分析担当が
自分が困っていることを知っていながら、
手を差し伸べてくれなかったと感じるのは
当然なのかもしれません。

でも、これ、俯瞰すると
子どもとお母さんのような関係とも言える。

プロの世界で自立して生きるには
まったく異なったマインドセットが
必要になるのでしょうね。


この「甘え」の構造以外に、
なるほど!と思ったことがもう一つありました。
それは、「不確実性の回避」の高さです。

ホフステードの「文化の6次元モデル」という
国際比較データによれば、日本は世界の中でも
「不確実性の回避」というスコアが
大変高い国なのだそうです。

不確実性の回避が高いとは、
失敗や予測不能な事態を極端に嫌う傾向のこと。

予期せぬことが起きるのはいやだ、
自分もいやだが、相手に起こるのもいや。
相手が失敗するのを見ていられない。
だから、先に正解を与えて、
リスクを最小限に抑えようとするのではないか、
とのこと。

つまり、世話を焼くのは、
「相手が求めているだろうから応えよう」
という親切心もありますが、
「相手に失敗されると自分が不安だから」
という防衛本能でもあるのではというのです。

これは、確かにそうだなあと思いました。

これまで、私は、日本の教育において
「失敗させよう!」があまり行われないのは、

「失敗するかもしれないと思っているのに、
本当に失敗させるのは人としてひどいし、
失敗してしまったら相手がかわいそうだ」

と感じてしまうからなのだろうと思っていましたが、
確かに、自分自身が相手の失敗に耐えられない、
と感じる人は多そうです。
ほとんどの人がそうなのではないですかね。

共感度が強すぎて、精神的に同化しているのか。
なかなか厄介だなあ、私たち日本人。


察してもらいたい、助けてくれるはず、
助けてあげたい、失敗させたくない。

日本独特の助け合いの文化とも言えるし、
甘えられる場があるのはいい面もありますが、
プロフェッショナルということを考えると、
これでは、どんな世界でもプロになれない。

そんなことを考えていたら、
「助け合い」ってなんだ?
という疑問が浮かんできました。
きっと、受動的な助け合いではない、
もっと自立的な助け合いの形が
あるのだろうなあ、とも。

今度は、そんなことを考えてみたいと思います。

まだまだ寒い日が続きます。
みなさま、ご自愛くださいませ!

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昨年の大河ドラマ「べらぼう」では、
蔦屋重三郎が、絵師・喜多川歌麿に
ダメ出しをするシーンが頻繁に描かれていました。

ダメ出しとは言っても、こうすると、
もっと良くなると思うという類のものですが、
それがだいたい無茶なオーダー。

歌麿は「しょうがないなあ、蔦重は」
という感じで引き受けるのですが、
無理をしてでも応えてみると、
明らかに作品が良くなり、
自分も納得する出来になる。

編集者と作家は、いつの時代も、
こうしてお互いを高めあって、
いい作品をつくっていくんだなあと
思いながら観ていました。

ところが、ドラマの中で歌麿は、
蔦重とのタッグを解消し、
他の本屋とのつきあいを始めます。
すでに有名な絵師であった歌麿に
他の本屋はまったくダメ出しをしません。

「すばらしい」
しか言われないことに歌麿は苛立ち、
「なんか、こうしてくれとかないのか」
と言うのですが、返ってくるのは
このままで十分といったコメントばかり。
そして、だんだん作品づくりに
迷いを感じるようになります。


電通若者研究部の調査によると、
高校生、大学生、1~3年目の社会人
計1,200人のうち、
「『本音』を誰かに話すことは、
相手が誰であってもリスクを伴うと感じる」
と回答した人が76.8%いました。

さらに、「仕事での成果よりも、
自分の心の安定を重視して働きたい」
と答えた社会人1~3年目は75.0%。

「職場で何かを成し遂げるよりも、
面倒ごとなく"うまくやる"ことが大事」
と答えた人も77.3%にのぼりました。

べらぼうで、本屋が
歌麿に何も言わなかったのは、
どうすれば良くなるのかという
アイデアが浮かばなかったからかも
しれませんが、
遠慮や忖度もあったのではないでしょうか。

この調査からは、
自分も少しも感情を乱したくないし、
相手の感情を乱すようなこともしたくない。
感情をぶつけ合うのは絶対に避けたい。
そんな若者の姿が見えました。


しかーし、仕事であれ、趣味であれ、
「成長」という視点で考えると、
ダメ出しは必須だと、私は思っています。

いいね!ばかりだと改善されない。
もうちょっとここをこうしたほうが...
という意見は、
成長していくためには必要です。

ダメ出しはたいてい目の前の仕事など、
コトに対して行われるもの。
本来は、人間性を否定するようなものではありません。

でも、人間性そのものを否定されたと思ってしまうので、
「ネガティブなお叱り」になってしまう。
そう捉えず、「ヘルシーなアドバイス」と捉えてみると
いいのではないでしょうか。
そうそう、「ヘルシー」。これです。


イチローが高校野球の練習に立ち会って、
こう言っていました。

今の時代、大人は厳しく指導できない。
子どもたちは、自分で自分に厳しくすることで
成長していくしかない。
それができる子はそういない。大変な時代だ、と。

ダメ出しは心を乱すもの、ではなく、ヘルシーなこと。
そう捉えて、するほうも、されるほうも、
もっと楽な気持ちでポジティブに
成長できる社会であればいいのになあと思います。

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今回は「批判がなければ、
新しいことに挑戦しているとは言えない」という話です。

夏にプリントパンツを制作してからというもの、
私は、すっかりパンツづくりにハマっています。
洋服づくりと言いたいのですが、
パンツしか制作したことがなく、
しかもゴムパンツしか縫ったことがないので、
残念ながら、パンツづくりというレベルでも
ありません。

なぜ、こんなにハマっているかというと、
それはズバリ、満足度が高いからです。
まず、気に入った型紙があれば、
布を変えるだけでどんどん制作できる。
これ、想像以上に満たされます。

次に、布選び。これがまた楽しすぎるのです。
最近は、近所の手芸屋さんでは物足りなくなり、
布問屋が集まる日暮里まで足を運んで、
すてきな生地に目を輝かせています。

先日は、色合わせがとてもクールな
ツイード生地を見つけ、
「ああ、この生地でシャネルジャケットを
つくったら、すてきだろうなあ」と、
イメージを膨らませました。

襟がない、クルーネックの
カーディガンのようなジャケットですが、
ボタンやあしらいがゴージャスな、
あのツイードジャケットです。
ええ、縫ったことがあるのは
ゴムパンツのみです。
イメージは大事です。

さて、ツイード生地。
今では普通に女性のファッションに
使用されていますが、
ココ・シャネルが、女性の外出着としての
ジャケットに採用するまでは、
ツイードは、猟師や農民などが着用する
作業着の布だったようです。

後に、乗馬やポロなどの、
貴族のスポーツ着としても使用されるように
なったようですが、いずれにしても、
アウトドア着で、主に男性用でした。

シャネルは、コルセットでウエストを細く絞り、
ボリュームたっぷりのスカートを履くという
当時の女性のファッションを嫌い、

「もっと機能的で、自由に動ける、それでいて
エレガントな女性服をつくりたい」と、
動きやすさからツイードを用い、
ジャケットを制作しました。

デザインのモチーフは軍服だそうで、
ポケットを多くつけ、
ハンドバックを開かなくても、
ポケットから口紅やペンを取り出せるように
したのだとか。

当然、ファッション界からは批判が相次ぎました。

「パリのファッション界に田舎の野暮ったさを
持ち込んだ」
「洗練さのかけらもない」と。

しかし、シャネルは、

「みんなが批判するなら、それは私が
今までにない新しい価値を作っている証拠だ」

と、今度は裏糸にシルクの糸を使用したり、
何色もの色を入れるなどの改良を加え、
美しい布を完成させました。

着やすく、動きやすく、美しいジャケットは、
瞬く間に女性を虜にし、
ツイードは女性のファッションとして
定着していったのだそうです。


新しいことに挑戦し、新しい価値を生み出すとき、
「何それ」「それはおかしい」
という批判や困惑の声が上がるのは当然。
それに怯むことなく、
むしろそんな声をエネルギーにする。
挑戦には、そんな覚悟とパワー、
そしてなによりも
「実現させたい!」という
強い想いが必要ですね。

2026年、皆さんはどんなことに挑戦しますか?

本年もグラスルーツのメルマガ・ブログを
どうぞよろしくお願いいたします。

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今日は、ちょっと難しいことをやらないと
やっぱり成長しないよなあと思った、
という話です。

先日、近くの動物園にホッキョクグマの
子どもをようやく見に行きました。

昨年の秋に動物園内で生まれ、
5月から一般公開していたのですが、
混まない曜日や時間帯をねらって
平日に行きたいと思っていたら
なかなか行けるタイミングがなく
こんなに遅くなってしまったのです。

やっと生の姿を見られた
ホッキョクグマくんは、さすがに
赤ちゃんではありませんでしたが、
まだまだ子ども。

見た目はもちろんかわいいですが、
なんといっても、やっていることが
かわいい。そして賢い。

子グマが何をやっていたかというと、

飼育エリアの水辺に浮かんでいる
おもちゃ(色とりどりのポリタンクや、
ボールと思われるもの)を咥えては
水から上がる。
→ 次に岩の隙間や木の上などに
おもちゃを隠す。
→その後、せっかく一生懸命隠した
おもちゃをまた取り出して、水に放る。
→そのおもちゃを追って、水に飛び込み、
おもちゃをとらえる。

これを繰り返していました。

かわいいので、ボーッと見ていましたが、
ふと、これは本能的に狩りの練習を
しているのかもしれない、と思いました。

ホッキョクグマは、狩りをする生き物です。
野生のホッキョクグマは氷上にいる
アザラシにそっと近づいて捕えたり、
呼吸のために水上に顔を出すアザラシを
捕獲して暮らしています。

調べてみると、動物園での
ホッキョクグマのおもちゃ遊びは、
「探す・隠す・つかまえる」といった
連続動作や集中力、運動能力など、
野生での狩猟に必要となる要素を
自然と体験できるものと考えられる、
とのこと。

狩りで必要となる
「タイミング・忍耐力・すばやさ」なども
遊びの中で強化されるということです。


遊び方を見ていてさらに感心したのは、
自ら難易度を上げているところ。

好奇心や本能でやっていることだとは
思いますが、手を伸ばして
ギリギリ届く木の枝の上に
おもちゃを乗せたりするのです。

案の定、すぐには取れないので、
どうするのかと思ったら、
別ルートから木の後ろに回り込んで、
取っていました。
頭がいいなあと思いながら見ていました。


そんな子グマの様子を見ながら、
思ったことは、

ちょっとレベルが上のことに
チャレンジしないと、
ずっとレベルアップしないよなあ、
ということ。

問題なくこなせるレベルのことは、
安心感を与えてはくれますが、
そこにとどまっていると成長が止まる。

少しレベルが上のことにトライすると、
最初はうまくいかないことも多いですが、
そのうちできるようになる。
その、ちょっと上のレベルのことを
するかしないかは、本人次第だなあ、と。

ただ、ホッキョクグマの愛らしさを
堪能しに行ったのに、
なんだか大きな気づきを得て
帰ってきたこの日。

最近、ミシンで縫いかけている
超簡単ゴムパンツに
ポケットをつけよう!(レベルアップ)
と思ったのでした。

毎日とんでもなく暑いですが、
水分をとって、体調に気をつけて
まいりましょう。

作業.png

今日のメルマガでは、
「単純作業はゲーム化して楽しくするか、
無で心を落ち着けるか」ということを
お伝えしようと思います。

少し前のことです。
絹さやをどっさりいただきました。

農家さんからいただいたので、
「これ絹さや?」と思うほど、存在感がある
立派なものばかり。
これだけ大きいと筋取りが必要。
しかも大量です。

私は、仕事もプライベートも
「楽しい」という感覚を優先させているので
(というと聞こえはいいですが、楽しくないと、
なかなかやる気が起きないということです)
絹さやで山盛りになった大きなボウルを前に、
この作業を何と捉えて取り組むか考えました。

「いやいや、とっととやりなさいよ」
と思いますよね。私も思わなくはないですが、
せっかくなら何か工夫してゲーム化し、
楽しく取り組もう、と思ってしまうわけです。
そこで、勝手に、より効率的な
絹さや筋取り方法を編み出そうと決めました。

まずボウルの位置です。
筋取り前のボウルをどこに置き、
取った筋をどこに入れ、
筋取り後の絹さやをどこに入れるか。
手の動きに無駄がでないよう慎重に決めます。

少しシミュレーションしてから
作業スタートです。
作業を進めると、
最初の筋取りで少し手間取ることが
わかりました。スナップエンドウみたいに、
なかなかポキっといかない。

「これは、最初に少しハサミを
入れておいた方がいいのでは?」

そう思い、キッチンバサミを持ってきて、
まずどんどんハサミ入れを行いました。

ふと前を見ると、
同じテーブルで一緒に作業を始めた家族は、
筋取りが結構進んでいます。

工夫や改善は、最初は時間がかかるのです。
気にしないで進めます。

ハサミ入れの効果があり、
筋取りはリズムよく進んだのですが、ここで
次の課題が見つかります。

一つ筋取りが終わった後、
次の絹さやを手に取る時にもたつきます。
どれを手に取るのか、少し迷う時間がある。
ここで気づいたのは「視線」です。
どこを見て作業するかが重要である、と。

(すみません、もう少しおつきあいください)

絹さやの2本目の筋をとると同時に、
次のターゲットを見る。
すると、迷いなくそのターゲットをつかめる
というわけです。
たかが視線なのですが、これ、
かなり重要だと気づきました。
「おおお、すばらしい」と言いながら、
また、ちらっと前を見ると、
家族の筋取りはかなり進んでいます。

はい。そんなわけでして、お察しの通り、
ただ、普通に筋取りをした家族のほうが
早く終わりました。

おそらく、
「いいから早くやりなさいよ」と
思っていたでしょう。
でも、いいのです。
試行錯誤したことにより、発見がありますから。

と、ここで思い出しました。

以前、洗濯物をベランダに干してほしいと
家族に頼んだとき、
ハンガーの位置を変えたり、
洗濯物の向きを変えたりして、
なかなか干さない姿にイライラし、
「早く干せばいいのになあ」と思ったことを。

後からその理由を聞いたら、
「畳んで、どこにしまうかを考えた時に、
しまう場所が同じものが
まとまって干してあるほうがいい。
だから、場所を考えていたと」

ほお、なるほど。と思いましたが、
それを知らずに見ていると、
「おい」と思いますね、これは。

自分の絹さやチャレンジを振り返っても、
こういうことは、
自分一人で勝手に工夫するのではなく、
メンバーに共有して、巻き込んで行うことが
大事だと気づきました。

「絹さや筋取りチャレンジ、スタート!」
という感じでしょうか。
ノリの統一、目的の共有は重要です。

この人、こんなふうで、
本当に家事ができているのか、と
思われたかもしれません。

大丈夫です。
すべての単純作業を
ゲーム化しているわけではありません。
ゲーム化しない場合は、だいだい
「無」で取り組んでおります。
これは、やる気を出さないということではなく、
どちらかというと「瞑想」です。

たとえば包丁研ぎや、食材を切る作業は
私にとっては「瞑想」のようなもので、
終わるととても落ち着きます。

さて、今回は、私の、
単純作業への向き合い方をお伝えしました。
もちろん正解はないです。
なにかヒントになることがあれば、幸いです。
絹さやの筋取りの良い方法があれば、
そちらも教えてください
(まだ工夫しようとしている)。

もうすぐ7月。
梅雨は?という暑さですが、
体調に気をつけてまいりましょう。

お説教.png

先日、高3の次男にお説教されました。

あるきっかけから、
次男が「今日は言わせてもらう」モードに入り、
過去のことも掘り出してきて、まあ、言う言う。

思春期の男子ですから、
普段はそれほど話さないですが、
よっぽど溜めていたんでしょう。
日頃、全然聞いていないのかと思っていたら、
結構覚えているんだなあと
変に感心してしまうくらいのしつこさ。

そう思ってたんだ、それは申し訳なかった、
と思うことも多かったのですが、
それとこれとは違うし、一緒にしないでほしい、
ということもあり...

「いや、ちょっと待って」
と言いそうになりましたが、
そもそも次男が言わせてもらうモードに入ったのは、
私が、「ただ、聞く」ということを
ちゃんとしてこなかったからだと、
説教されながら気づいたので、
ぐっと抑え、頑張って受け止めました。

でも、ですよ。
いつまで?
と思うくらい過去のことを掘る(笑)。

私は、頭の中で、
あとどのくらい続くのかなあと思うわけです。
仕事終わってないし、洗濯途中だし、
とかいろいろ思うわけです。

すると、すかさず、
「今、全然聞いてなかったよね。
そして今、時計見たよね。
俺には、時計見たよね?とか言うくせに、
自分でもやってるよね。反省してないよね」
と次男。

ああ、子どもってこういう気持ちなんだなあ、
そりゃ、くどくど言われると、
他のこと考えたくなるわ。
やっぱり、一つのことだけを短く言って
終わりにしないと意味ないんだなあ。
などと妙に納得したり、
いい学びだなあなんて思っていると、

「なんで、すっきりした顔してんの?」
とか言われ、神妙な顔をしてみたり。

言われた方としては、体感1時間。
実際は30分くらいだったかもしれないです。
いや、ちゃんと聞いていましたよ。
途中、他のことを考えそうにはなったけど...

大人って、人に怒られたりしないので、
私は息子にいろいろ言われて
すごくよかったと思っています。
ごもっとも、と思うこともたくさんありました。

息子の訴えを翻訳し、解釈すると
こういうことです。

・私は、人の話をただ「聞く」ことをしていない。

これは、自覚があります。
即、解決したいタイプなので、
すぐに、全体を見渡してしまって、
この人はこう思ってるかもよ、
そしてこの人はこう思ってるはず。
だったらこうしたらいいんじゃない?
とか言ってしまう。
でも、相手は、解決策を知りたいわけじゃない。
「そうなんだ」「大変だったね」だけでいい。
一度、受け止めなくちゃいけない。


・都合がいい

子どもには正論を言うくせに、
自分のことになると、できていないことに対して、
都合よく言い訳したりする。
こっちは仕事もして、家事もして、
忙しいんじゃい! と思いますが、
息子は自分の枠組みの中でしか考えないので、
そう受け止めますよね。
俺は学校も行って、予備校も行って、
忙しいんじゃい、って思っているでしょう。
こうして「大人はずるい」みたいな
印象を持つんだろうなあと思いました。


勉強になります。


さて、「聞く」について。

よく「人の話はただ聞くのではなくて、
しっかり聴こう」と言われますよね。
意識を集中して、耳を傾けて「聴こう」と。

当然、「聞く」よりも「聴く」の方が、
難しいと一般的には思われています。

でも、ただ「聞く」のほうが難しいのだと
心理士であり、心理学者の東畑開人さんは著書
「聞く技術、聞いてもらう技術」の中で、
言っています。

東畑さんによると、

「心理士としての僕なりに定義するならば、
「聞く」は語られていることを
言葉通りに受け止めること、
「聴く」は語られていることの
裏にある気持ちに触れること。」

だそうで、

この、「言葉通りに受け止める」
ということがきちんとされないと、
対話が成り立たない。

たとえば、何かに対して
「それは嫌だ」という声があがった時に、
背景にある問題にいきなりフォーカスが移ると、
「嫌だ」は聞かれなくなってしまう。
そういうことが
社会でたくさん起きているのではないか、と
東畑さんは言っています。

これ、読んだ時も納得したんですが、
次男大説教事件(?)の後、
ものすごく腹落ちしました。

確かにそうです。反省です。

「聞く」ことを、まずしっかりしないと、
根本の問題が解決されたとしても、
相手は「聞いてもらえなかった」
という感想になります。
不安、不満は消えない。
それは本当の解決ではないということですね。

思い起こすと、あちゃーと思うこともたくさん。
気をつけなくちゃいけないと思いました。


さて、GWも終わり、あっという間に5月も中旬。
気温が安定しませんが、
皆さん、体調に気をつけてお過ごしください!

やる気.jpg

LIFEというコント番組があります。
NHKで2012年から放送されている長寿コント番組です。

この番組を率いているのがウッチャンこと内村光良氏。
今年61歳だそうです。

先日、LIFEにレギュラー出演しているタレントが
番組を語るインタビューを視聴しました。
出演していたのはココリコの田中氏とドランクドラゴンの塚地氏。
LIFE初回からずっと登場している2人はお笑い界ではベテラン
現在は、俳優としても活躍していますね。

インタビューで、2人はこう言っていました。

「13年もやっているのに、LIFEは毎回とても緊張する。
いいものをつくろうと毎回気合いが入る」

LIFEの現場は、スタッフとタレントが一つになり、
チーム全体でていねいにコントをつくっているそうで、
そのこだわりは他の番組とは比べものにならない。
そう語っていました。

LIFEには毎回、ゲスト出演者もいて、
ほとんどのゲストが、コント慣れしていないという理由で、
彼ら同様、とても緊張しているそうなのですが、
実は、出演者の中で、毎回一番緊張しているのは
ウッチャンだと言っていました。

「内村さんは、毎回、誰よりも緊張しているし、
誰よりも練習する。収録前に僕たちが立ち話をしている時も、
内村さんは、1人で壁に向かってセリフの練習をしている。
そんな内村さんの姿をみんながずっと見てきているので、
僕らは背筋が伸びるし、いいものをつくろうと真剣になる」

この話、とてもいい話だと思いました。

彼らが全力で取り組んでいるのはコント。
かつらをかぶったり、顔にシワをかいたり、青く塗ったり、
大きな髭をつけたりして芝居をしています。

たった数分のお笑いですが、彼らは真剣勝負。
50歳を超えたベテランコントマンたちが、
毎回、全力投球しているんだと思うと
胸が熱くなります。

このインタビューを視聴したあとに見た、
LIFEの新作コントで、ウッチャンは
卵黄を模した、丸くて大きな黄色い被り物をし、
ピコピコ音がなる靴で登場しましたが、
その姿を見てウルっときたほどです。

インタビュー番組では、
ウッチャンのコメントも流れていました。

「田中と塚地はLIFEの風神、雷神。
彼らがいなければなり立たないし、
こんなに長く続けてくることはできなかった」

スタジオにいた2人がグッと涙をこらえたのは
言うまでもありません。


背中を見て学ぶ。

最近はまったく聞かなくなったワードですし、
こんなこと言おうものなら「今は令和だぞ」とか
言われちゃうのでしょうが、
LIFEの現場では、きっと、上の人の背中を見て学ぶ
ということが繰り返されているのだろうなと思いました。

芸の世界だから特にそうなのかもしれません。
でも、学ぶ必要性を強く感じて、成長したいと思えば、
現場がどこであれ、自ずといろいろなところから
盗もうとするのかなと思います。

ところが、世の中、ていねいに教えないと学んでもらえない
ということになっていますよね。
特に会社なんかはそうです。

それは、会社にいる人たち全員が
「この仕事で成長したいんです」と、
強く思っているわけじゃないから。

会社のような場は、
いろいろな温度感の人がいるのが当然。
均一に学べるフォーマットやマニュアル化された
教育プランや教材がないと教えることも
学ぶことも難しいのだろうなと思いました。

でもですよ、こうも思いました。

そういうフォーマット的なものがあったところで、
やっぱり、学びたい欲が強くない時は刺さらない。
自分が学ぶ側に立った時を想像してみても、
興味や、学ぶモチベーションがなければ
意欲的に吸収する姿勢には
なかなかなれないと思います。

そんなわけで、いろいろ書いてきましたが、
結論として思ったことは、
学ぶには「モチベーション」が必要、ということ。

純粋な学習欲じゃなくても、
クリーンな成長欲じゃなくてもいいと思います。
お金を稼ぎたい、モテたい、でもいいと思う。

モチベーションがあれば、
マニュアルなんて逆になくても、
背中を見て、いろいろ盗んでいくのだと思いました。

モチベは大事。
あらためてそう思います。

さて、4月もすぐそこですね。
当社は引っ越しを終えたばかり。
私は花粉で毎日瀕死ですが、
あらたな気持ちでまいります!

撮影.jpg

私の中で、第3次カメラブームがきています。

第1次は30年くらい前。
安いフィルムカメラを買って、モノクロフィルムで、
それっぽい写真をほぼ感覚で撮影して、
現像した写真のそれっぽさに満足していました。

次は20年前あたり。
子どもが生まれ、子どもの写真を
毎日大量にデジカメで撮影していました。
被写体は100%子ども。
今思うと、あの頃は、
写真を撮っているというよりも、記録していた、
というほうが近いかもしれません。

そして、数年前くらいから第3次に突入しています。

きっかけは、昔のカメラの取説をじっくり読んでみたこと。
読んだ理由は仕事で必要だったからですが、
あ、撮影ってそういうことだったの?ということを
初めて(遅い)、構造的に理解したのです。

そうなると、いろんなカメラをいじりたくなるもの。

家に眠っていたコンデジを引っ張り出してきて、
このカメラ、こんなにステキに撮れたんだ、と感動した話は
以前、このメルマガでも少し触れました。

で、先日、眠っていたカメラがもっとあったことを思い出し、
探してみると、ありました。昔のNikon。
昔といっても、20年前くらいのデジカメです。
しかも、一緒に保管されていたのは300mmの望遠レンズ。

どうやら、義父から譲り受け、子どもたちのサッカー撮影のために
しばらく使っていたようですが、記録メディアが古いし、
本体も重いので、引き出しに入れたままになっていたようでした。

カメラの数値をいろいろといじれるようになった(遅い)私。
せっかくなので、望遠レンズとともに持ち出して
外で撮影してみることに。

私が住んでいる地域は、計画的に緑が残されていて、
池や小川もあるので、鳥がたくさんいます。
望遠で撮りたいものは特になかったのですが、
まあ、鳥でしょうね、という感じで、
鳥にターゲットを絞りましたが、
普段動くものを撮り慣れていないので、
全然撮れない(笑)。

いや、シャッターは押すんですよ。
でも、そもそも、鳥を撮りたい!という
強い思いがないことと(生き物好きなので鳥は好きですが)、
こういう写真にしたいという
仕上がりイメージがないので、
構図が全然決まらないわけです。
これじゃない、もっとこうか?と試しているうちに
鳥は飛び立ってしまいます。

2時間近く緑道を歩いて、かなりの枚数を撮りましたが、
まったく撮れた感触がないまま帰宅。

メディアからデータを取り込んで撮影した写真を見て、
ひどすぎて笑いました。

だいたいは、まあ撮影できてはいるんですが、
とにかく、
「これ、何がしたかったの?」
という写真なんです。

写真には撮影者の意図がかなり出ることに
改めて気づきました(遅い)。
つまり、私の写真には意図がない。
まあ、望遠っぽく撮れてるけど...「で?」
と突っ込まれそうな仕上がり。

原稿もそうですし、デザインもそうですけど、
意図がないと、ぼんやりしたものになって、
何が言いたかったの?何を伝えたかったの?
というものになってしまいます。

最初に言いたいこと、伝えたいことを決め、
それができるように、全体をしっかり設計しないと、
なんとなくいい感じにしてみました、にしかならない。

写真の場合、偶然を切り取ってみました、
ということもあると思いますが、
偶然の切り取りがいい感じに成立するのは、
それなりの蓄積があるからですね。

というわけで、一人反省会を終えたので、
また、カメラジャーニーに出ようと思います。
望遠は...撮りたいものができてからにしようかな...
第3次カメラブーム、まだしばらく続きます。

ファン.jpg

今日は、なんだかんだ熱意と愛は強いなあ、
という話です。

小学生の時にお笑いトリオのロバートにはまり、
ライブに通い詰め、
会場ではコント内容を必死にメモし、
ロバート目的で東京の大学に進学し、
学園祭の実行委員になって
ロバートに出演依頼をしてライブを成功させ、
さらに卒業後テレビ局に就職して
ディレクターとしてロバート秋山の特別番組を
企画制作したという人がいます。

「うそ、そんなことあるの?」。

これが、この話を何かで知った時の私の感想。
「ロバートが大好き」という熱い思いを
こんなにも長く持ち続けられることも
びっくりなのですが、
途中から「ロバートと一緒に仕事がしたい」
なんて野望を持ち、それに向かって
実際に行動を起こし、本当にロバートの番組を
企画するまでになるなんて。
怖くなるくらいの実行力です。

そしてなんと彼、
ここまでの話を本にまとめました。

この本、自分がどんな人間で
いかにロバートのファンであり続けたか、
どうやって番組をつくるまでになったのか、
というエピソードが細かく書いてあるのですが、
行間から滲み出ているのは
いかに「ロバートがすばらしいか」でした。

推しへの愛ってこういうことなんだなと理解。

意外だったのは、
彼が優秀なビジネスパーソンであること。
しかも小・中学生の頃から。

ただ熱意で進んできたわけではなく、
その都度、自分の状況を俯瞰し、
どうすれば目的が達成できるのか、
冷静に考えているのです。

ロバートの布教は完全に熱意で、
一方で自分が人生をどう歩んでいくのかは客観視。
熱さと愛だけではテレビ局でロバートの番組を
企画制作することなんてできなかったでしょうが、
それでも原動力は間違いなくとんでもない熱さと愛。
その上に冷静さが乗っかっているから
こうなれたんだろうなあ。

ちなみに、ロバート側は
ライブ会場で必死にメモをとるメガネの少年を
「メモ少年」と呼び、成長を見守ってきたよう。
いよいよ自分たちの業界に近づいてきた
メモ少年(青年)の行動力は恐怖だったようですが、
進路について本気でアドバイスをしたみたいです。
全力で応援してくれるファンの成長を見守る。
こういう世界があるんですねえ。


「好きなことを仕事にするほうがいいか、
しないほうがいいか」
という議論があります。

社会人1,000人を対象にした調査
(ミライトーチ調べ)では
「好きなことを仕事にした方がいい」
と答えた人は全体の47%、
「しない方がいい」と答えた人は12%、
「どちらとも言えない」が41%でした。

また、「子どもの頃や学生の頃になりたかった
職業につけているか」の問いに、
「つけている」と答えたのは14%、
「目指している途中」が5%、
「過去についていたが今はついていない」が5%、
「つけていない」「特別なりたかった職業はない」
と回答した人はいずれも38%でした。

子どもの頃か・・・。
中学生のとき、英国のロックバンド
「デュランデュラン」の
ジョン・テイラーというベーシストに
ロッキン・オンでインタビューするには
どうすればいいか、と英語の先生に聞いて
困惑させたことを思い出しました(笑)。
その後、ほとんど思い出さなかったくらいなので、
あの時、一瞬だけ好きだったのだと思います。
飽きっぽいと熱が保てませんね・・・。

「好きなことを仕事にするほうがいいか、
しないほうがいいか」。

いろいろな考え方がありますが、
「好き」の力はやはり強いと私は思います。
集中力も努力も、やっぱり「好き」な人には
叶わない。
「好き」が生み出すパワーはとてつもなく大きい。
あらためてそう感じます。

そろそろ花粉の季節がやってきます。体調に気をつけてまいりましょう。

 

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