ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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以前、どこかで、こんな話を読みました。

確か野球だったと思うのですが、
海外でトレーニングを受けている日本人が
自分のフォームについて正解がわからなくなり、
チームのデータ分析担当に相談すると、
自分に関するデータを大量に出してきたそうです。

「こんなにデータをたくさん持っているなら、
なぜもっと早い段階で提供してくれなかったのか」

と彼が聞くと、

「本人が必要としていないのに、
情報を与えても意味がない。ノイズになるだけだ」

と言われたと。

私は、この話を読んで大いに納得してしまいました。
子育てでも、スポーツでも、
指導の現場全般で言えること。
本人が、困っていない時は
なかなか吸収されませんよね。

野村克也監督も同じようなことを言っていました。

人を育てるプロセスには、
「無視」「賞賛」「非難」という3つの段階があって、
新人や能力不足の選手は、まだ「無視」の段階にある。

この場合の「無視」は、指導者側が冷たくしたり、
無関心でいるという意味ではなく、
「適性を見極めるべく、
観察して見守っている段階」のことだそう。
指導対象者が、無視されて悔しい気持ちになり、
いろいろなことを欲するかどうかを
見るためでもあったそうです。
そうならないのなら、プロスポーツは難しいと。
確かに...。


しかし、日本の指導は、待つのではなく、
全般的にどんどん先に与えることのほうが多いですね。
「もっと、こうしたほうがいいんじゃない?」
というお母さん的なやつです。
これは、親切心やおもてなし精神からくる
日本特有のことなのかなあと思い、
Geminiと一緒に、ちょっと調べてみました。


まず、日本人特有の「甘え」が影響している説。

心理学者の土居健郎氏が
1971年に著書『「甘え」の構造』で
「甘え」を次のように定義しています。

「自分に近い存在に受け入れられ、甘やかされ、
守られたいという受動的な愛への渇望」

日本人は基本的にこの甘えを持っているために、
日本社会では、
「相手が自分のニーズを察して動いてくれること」
を期待し、相手もまた
「相手のニーズを察して満たしてあげよう」
と感じる現象が起きているのではないか。

さらに、日本人は、
内ウチと外ソトを区別しているため、
「外(他人)」に対してはしっかりと
礼儀正しく振る舞うが、
一度「内(親しい間柄)」に入ると、
相手が自分の面倒を見てくれることを
無意識に期待している、と。

なるほど。納得ですねえ。

日本のスポーツ界も、
指導が変わってきたとはいえ、
まだ与える指導が主流なのかもしれず、
前述したフォームについて悩んでいた
スポーツ選手の立場に立つと、
同じチームのメンバーであるデータ分析担当が
自分が困っていることを知っていながら、
手を差し伸べてくれなかったと感じるのは
当然なのかもしれません。

でも、これ、俯瞰すると
子どもとお母さんのような関係とも言える。

プロの世界で自立して生きるには
まったく異なったマインドセットが
必要になるのでしょうね。


この「甘え」の構造以外に、
なるほど!と思ったことがもう一つありました。
それは、「不確実性の回避」の高さです。

ホフステードの「文化の6次元モデル」という
国際比較データによれば、日本は世界の中でも
「不確実性の回避」というスコアが
大変高い国なのだそうです。

不確実性の回避が高いとは、
失敗や予測不能な事態を極端に嫌う傾向のこと。

予期せぬことが起きるのはいやだ、
自分もいやだが、相手に起こるのもいや。
相手が失敗するのを見ていられない。
だから、先に正解を与えて、
リスクを最小限に抑えようとするのではないか、
とのこと。

つまり、世話を焼くのは、
「相手が求めているだろうから応えよう」
という親切心もありますが、
「相手に失敗されると自分が不安だから」
という防衛本能でもあるのではというのです。

これは、確かにそうだなあと思いました。

これまで、私は、日本の教育において
「失敗させよう!」があまり行われないのは、

「失敗するかもしれないと思っているのに、
本当に失敗させるのは人としてひどいし、
失敗してしまったら相手がかわいそうだ」

と感じてしまうからなのだろうと思っていましたが、
確かに、自分自身が相手の失敗に耐えられない、
と感じる人は多そうです。
ほとんどの人がそうなのではないですかね。

共感度が強すぎて、精神的に同化しているのか。
なかなか厄介だなあ、私たち日本人。


察してもらいたい、助けてくれるはず、
助けてあげたい、失敗させたくない。

日本独特の助け合いの文化とも言えるし、
甘えられる場があるのはいい面もありますが、
プロフェッショナルということを考えると、
これでは、どんな世界でもプロになれない。

そんなことを考えていたら、
「助け合い」ってなんだ?
という疑問が浮かんできました。
きっと、受動的な助け合いではない、
もっと自立的な助け合いの形が
あるのだろうなあ、とも。

今度は、そんなことを考えてみたいと思います。

まだまだ寒い日が続きます。
みなさま、ご自愛くださいませ!

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