ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

『社内広報&インターナルコミュニケーション』カテゴリの記事

 

会話.png

Xを見ていたら、タイムラインに中野信子さんの著書「エレガントな毒の吐き方」の
広告らしきものが流れて来て、版元の日経BPの記事をふむふむと読みました。
私は、別に「毒の吐き方」には興味はありませんでしたが、
「脳科学と京都人に学ぶ『言いにくいことを賢く伝える』技術」というサブタイトルを含め、
「エレガントに伝える」「京都人」に興味を持ち、ついつい読んでしまいました。

いえ、読んだのは本書ではなく、記事の方です。
発売は、2023年5月なので、新刊というわけではありませんが、10万部を突破しているらしいです。
読者はどこに惹かれて読むのだろう? 
もし「毒の吐き方」だとしたら、いやな世の中ですね。
でも、「言いにくいことを伝える」は、もしかしたら多くの人の関心事かもしれません。


私にも、月に何度かは言いにくいことを伝えるシーンがあります。
プライベートと仕事の両方を合わせてです。
そこで、今回は、人はなぜ「言いにくいことを伝える」ときに悩むのか、
どうしたら少しでも悩まなくて済むのか、
我が身を振り返りながら考えてみたいと思います。


人が「言いにくいことを伝える」には、いろいろな葛藤がありますが、
大別すると、次の2つではないでしょうか。
第一は、そもそも思っていることを伝えるべきなのかどうか。
第二は、伝えた方が良いと思っても、いったいどう伝えたら良いのか。

でも、自分が当事者で悩んでいるときは、こんなふうには整理されません。
ちなみに私自身は、伝えるべきかどうかについては、
大抵は野生的本能で「伝えるべき」「伝える必要はない」と判断することが多いです。
でも、伝えるべき理由については、結構考えます。


さて、まず葛藤の第一。
思っていることを伝えるべきかどうかで、なぜ人は悩むのでしょうか。
原因はいろいろ考えられます。
【結果が不安】それを言って、相手が分かってくれるかどうか、分からない。
 →理解されないと、相手の気分を害するだけで、人間関係が悪くなるかもしれない。
【目的が不安】こんなことを思う自分は、人間が小さいだけなのではないか。
 →伝える目的はエゴなのか、関係維持のためなのか、何なのか、自分でもよく分からない。
【感情と理性の線引き(目的の揺れ)】
 →自分の感情的なエゴから伝えたいわけではないと思ったとしても、
  感情が混じってしまい、考えが整理できない。

ほかにもあるかもしれません。
ここでは私の経験から自分の心理を分析して整理してみましたが、
実際に何かに直面したときに、即座に自分の気持ちを客観視できるかというと、
どうでしょう? 案外難しいような気がします。


第二に、伝えた方が良いと思ってもどう伝えたらいいかで、なぜ悩むのか。
これについて、私は、ほぼ上の第一の原因が影響していると思います。
が、それを含め、次の2つに注目したいと思います。

1つは、【目的の不明瞭さ】からくるものです。
そりゃそうですよね、何のために伝えるのかによって、
伝えるときのスタンスが変わり、伝える中身も伝え方も変わりますから。
そもそもなぜ自分は伝えたいのかで揺れているにも関わらず、
どう伝えようと考え出すから、分からなくなるのは当然です。

もう1つの原因は、仮に目的が明瞭だったとしても、
【伝えるスタンス】が定まらないと、中身や伝え方が決まらないからです。
仮にですよ、相手に自分の非を認めてもらいたいというのが目的だったとして、
コテンパンにやり込めたいというスタンスでいくのか、
分かってくれれば良いというスタンスでいくのかによって、
伝え方は大きく変わります。

一刀両断には言えませんが、多くの場合、目的が不明瞭だからこそ、スタンスも決まらず、
どう伝えたら良いか、悩むのだと思います。


さて、私自身は「言いにくいことを伝える」について次のように考えています。
伝えるというのは、とても面倒で、エネルギーのいる行為です。
ということは、関係を維持したり、向上させたり、
何らかの共通目的を達成したりするというような、ポジティブな目的でない限り、
そこにエネルギーを使うことは人生の無駄遣いに思えます。
どうでもいいことのために、自分の時間やエネルギーを使う必要はないな、と。
もっといえば、どうでもいいことであるなら、悩まずに喧嘩腰で臨んでも良いなと思ったりします(笑


反対に、目的を関係の維持・向上だと思ったら、
相手をやり込める必要はないと分かります。
思いを伝え合うときに私が大切にしたいのは、
まず自分の発言に責任を持つことです。
そのためには、自分の感じたことを感じたこととしていうこと。
感じたことは私の主観であって、客観的事実ではないのですから、
「あなたはこうだ」とあたかも事実であるような評価・断定をしない姿勢を大切にしたい。
自分の発言が主観であることを表現するには、自分主語で伝えることが大切だと思っています。

あなたのここが良くないではなく、自分はこう感じたよ、と。
そのスタンスを持つことで、相手を責めるスタンスではなくなります。
すると、自分の気持ちもラクになります。
そして、相手も人間ですから、自覚していることもあれば、無自覚なこともある。
たまたまその日の気分で起きてしまったこともある。
感じた私の心だって、日々揺れているはずです。
そして、お互いを尊重する気持ちが根底にあれば、
言いにくいことを言ったあとも、お互いに「そういうことだったんだね」
「そういうこともあるよね」と受け入れられる気がします。

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皆さんは、「コンサルタント」という仕事やコンサルを行っている人に対して、
どのようなイメージがありますか?
調べてみると、外資系コンサルティングファームのイメージも手伝ってなのか、
今どきは、結構人気のある職業だそうです。

また、ひと昔前はコンサルタントといえば、経営コンサルというジャンルしか、
イメージされませんでしたが、今の時代は違います。

キャリアコンサルタントもあればお掃除コンサルタントもあると、
多くの人が認識するようになりました。


さて、仕事のイメージは時代とともに変わるのが常ですが、
「コンサルタント」という仕事に対しては、
ネガティブなイメージを抱く人が多かった時期があったように思います。

具体的にはこんなイメージです。
・内部のことを知りもしないのに、外から勝手なあるべき論を言う存在
・しかし、責任は取らない存在
・上から目線でモノを言う存在、かつ先生として扱わなくてはならない存在

もし、こんなイメージを抱いたなら、そりゃ、ネガティブになりますよね。


当社は、今でこそコンサルティングというサービスを当然のように掲げていますが、
初めてメニューに入れたのは、2000年代の半ばぐらいだったと思います。
サービス自体は1995年頃から行なっていましたが、
社員に「コンサルをサイトで謳う」「もっと力を入れる」と伝えたのは、
その頃でした。

しかし...
当時社員の反応はどうだったかというと、
若手からキャリア層まで賛同する空気がない。

では、その時の反応の本質は何だったのでしょうか?
おそらくクリエイティブ業務とコンサルティング業務は
全く別のことに見えたのだと思います。


今でも、多くの人にとって、
少なからずそのような感覚はあることでしょう。
しかし、たとえば、佐藤可士和さん。

彼は、アートディレクターでありながら、コンサル業務を引き受けています。
クリエイティブ業務とコンサルティング業務は別の業務ではないのです。
ゴチャゴチャした状況をすっきりと整理し、
道筋をつけること。
これは、クリエイティブのディレクション業務そのものであり、
コンサル業務でもあるわけです。
だからこそ、彼は、「佐藤可士和の超整理術」を書き、
その本はベストセラーになっています。


片付けコンサルタントである近藤麻理恵さんもしかり。
価値観の整理から片付けに取り組むことを勧めるコンサルタントです。

何を整理するのかはそれぞれが得意とする領域になりますが、
一方的な「べき論」を押し付けたりしていないはずです。

何をどう整理したいのか、その答えは本来相手が持っています。
ただ、いろいろな考えが邪魔をして、それが表に出てこないだけなのです。

私たちは、主として組織内のコミュニケーションの問題を扱いますが、
それについても、基本は同じです。
その答えは相手が持っている。
答えを与えてしまうと、大抵の人はやらされ感になります。

あ、これはコンサル業務に限らず、上司と部下の間も同じかもしれませんね。
人は自分で考えたい生き物だってことなのかな?

さ、ゴールデンウィークが近づいてきました。
素敵な1週間をお過ごしください!

おせっかい

先週金曜日、11月29日に当社は創立40周年を迎えました。
メルマガを読んでくださっているみなさまには、
日頃のご愛顧に対し、心から感謝申し上げます。

営業職がいないのに、よく40年間も存続できたものだと思います。
唯一無二の理由があるわけではありませんが、
敢えて大きかった要因があるとするなら、
それは当社が少なからず「お節介体質」だったことかもしれません。

お節介という言葉自体、最近、あまり耳にしなくなっていますね。
Z世代に通じるかしら? 
頼まれてもいないのに、世話を焼くことです。

・でしゃばり
・余計なお世話
・口出し

こう聞くと、なんだか悪いイメージですよね。

・進言する
・参謀的な役割を果たす
・忠信である

こう聞くと、少しイメージが良くなったかもしれません。
でも、頼まれてもいないのにする、という意味は変わりません。
悪目立ちという言葉があるように、
頼まれていないことをするのは、でしゃばりであって、
あまり良くないと考える人は少なくない気がします。


十何年か前、若手の社員からこんなことを言われました。
ーーウチの会社ではお客様にとっての参謀という存在を目指せ。
  そのためには意見を言えるようになれと言われるが、一方では、
  お客様に寄り添えとも言われる。
  同時に別のことを求められている気がする。


進言するのか、寄り添うのか、
もっと簡単にいうなら、進言するか、しないか、
この2択でご自分がどうありたいか、考えてみたことはありますか?
進言や意見を述べることは、お客様との関係だけではなく、
上司部下間でも同僚間でも「する人」「しない人」に
分かれるのではないでしょうか。


私は、頼まれてもいないのに意見を言うことを大切にしてきました。
「参謀のような価値」を提供できる会社にしたかったからです。
「参謀」という言葉と出会ったときには、「これだ!」と思ったものです。
ただ役に立つ存在ではなく、頼れる参謀という存在になるには、
イエスマンもNGだし、我を通すために主張するのもNGで、
相手の立場を自分ごととして考え、
信念に従って率直かつフェアでいること。
これが、参謀として信頼を得るための第一条件だと思ってきました。


40代の頃にこんな出来事がありました。
ある高級美容室チェーンを経営する会社の社長が、私に
「某雑誌からとても良い条件でタイアップのオファーがあった。
どう思う? いい話でしょ?」とおっしゃいました。
背中を押されたくて、出た話であることは十分に分かりましたが、
私は無料だったとしても止めた方がいいと反対意見を唱えました。
というのは、顧客の世代交代が経営課題に上がっていたのに対して、
その雑誌の読者層が高年齢層だったからです。
予想通りでしたが、当然その社長の気分を害すこととなりました。
論破するためにボコボコにされたと言っても過言ではありません。
(少々ワンマンな方だったこともあったかと思います)
しかし、それから数日後、社長直々にお電話をくださり、
「あの話は止めることにした」とおっしゃいました。

進言したことが正しかったのかは誰にもわかりません。
でも、信頼してくださったことは間違いありませんでした。


「お節介体質」だから40年間存続できたかどうかはわかりませんが、
お節介にも三分の理。
そういえば、このメルマガ自体も少々お節介の傾向がありますね笑
お節介体質を受け入れて、読んでくださり、本当にありがとうございます。


いよいよ師走です。
2024年をいい形でフィニッシュできますように!

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当社は、現在、採用活動を行っています。
私は、採用/求職活動の本質は「その人を/自分を生かせるか」について、
企業と求職者の双方が見極めることだと思っています。
では、仕事で「自分を生かせる」とはどのようなことを意味するのでしょうか。

まず、「自分を生かせるか?」という問いと同じくらい重要な問いに、
「自分に合っているか?」というものがあります。
合っていれば、生かせる確率は高いですよね?

では、いったい何が「合っている」必要があるのでしょうか?
やりたいことか? 適性か? 価値観か?
他にもいろいろあると思いますし、どれも重要なのですが、
上の3つで言えば、価値観、適性、やりたいことの順ではないかと思います。


なぜ、「価値観」が第一なのかといえば、
価値観というのは「自分らしくいられるか」の尺度だからです。
つまり、人の幸福と密接に繋がっています。

価値観には正しいも正しくないもありません。
自分はずーっとこれこれを大切だと思ってきた、
それと違うことをするのは抵抗がある、という類のことです。

たとえば、自分の意見は素直に言うのが自然だと思っている人にとっては、
「入社したての君が意見を言うのは十年早い」
という価値観の会社に入ってしまったら、これは不幸ですよね。
反対もまた然りで、
明快な意見などないし、主張するより協調的でいたいという人からすると、
「年齢社歴に関係なく、当社社員なら意見を持っていてください」
という価値観の会社にいたら、これも苦痛に違いありません。
価値観が合わない会社に勤めるということは、
自分らしくないことを求められるということです。

でも、いざ自分の価値観を言語化しようと思っても、
実際にやってみると結構難しいです。
自分の価値観を知る上で、手っ取り早い方法は、
不快なこと、嫌いなこと、カッコ悪いと思うことを洗い出すこと。
自分と、人や仕事とのマッチングを考えるときに有効ですよ。


「合っている」において、その次に重要なのが「適性」です。
価値観が合っていたとしても、適性がないと、
とてつもない努力をしないといけなくなる。
苦手なことをがんばるよりも、得意なことをがんばる方が人は努力できますし、
得意なことなら努力とも思わずにやり抜くことができます。


「自分に合っている」ためには「やりたいことかどうか」も、
もちろん重要ですが、これは案外「思い込み」の影響を受けていたりします。
どういうことかといえば、やったことがないことを「やりたい」と思う場合、
やってみたら、実はやりたいことではなかったと気づくことがあります。
反対に、やりたいと思っていなかったことでも、周囲が評価してくれると、
やりたいことに変化する場合もあります。
だから、やりたいことかどうかというのは、あまりアテになりません。


さて、自分に「合っている」の話をしてきましたが、本題は「生かせる」です。
端的に言うのは難しいですねぇ。
ここでは、「合っている」が満たせた上で、任される仕事の難易度が
自分の実力より少し上で、工夫の余地のある環境で働くこと、
と定義してみました。
どんなに周囲から喜ばれたとしても、自分にとって簡単な仕事をしているとき、
自分を生かしているとは感じにくい気がするからです。
「少し難しい」けれど、でも「できる」という仕事において、
自分なりの工夫の余地がある。
そんな環境で働くと、人は意味を感じるのではないでしょうか。
あなたは、どう思いますか?


自分を生かせているか?
より良い人生を送るために、時々考えたい問いです。

今年もあと3カ月。2024年の第3コーナーですね。
最後まで元気に走り切りましょう!

医者.png

地震や台風などの天災、パンデミック、急にやってきた米不足...。
経済や国際情勢を含め、私たちは予測しにくい不確実な時代に生きています。
予測しようもないからこそ、今日は「予測」について考えたいと思います。

というのは、先週の木曜日、朝起きたら右手の手首が痺れて動かない、
左手を添えないと歯磨きさえできません。
そこから1週間、自分の行動を観察したり、他の人の行動と比べたりしながら、
結局ここには「予測」に対する人の価値観が現れるのだなと思ったからです。

ご心配をお掛けしても申し訳ないので結論からお伝えすると、
当初はどうなるかと思った手首の症状も日に日に良くなり、
あと二、三日もすれば、元通りになっていると「予測」します!(

この間に私が取った行動は、木金土日は様子を見て、
月曜日に地元の脳神経外科へ行きました。
脳には異常はないが頚椎の可能性があるからと言われ、
大きな病院への紹介状をもらって翌日火曜日に整形外科に行きました。
結局、寝ている間に神経が圧迫されて起きたもので、
心配はないだろうという診断を得たので、普通に生活しようと思います。
ゴルフも、筋トレも、ドラムもやるぞ~!


今回に限らず、発熱など緊急な場合を除き、
体調が悪くなったら、概ね1週間ぐらいで医療機関を訪ねます。

その理由は、宙ぶらりんだと予定が立たずに困ること、
最悪の状況ではないということの確証を得たいこと、でしょうか。
今回も楽観していましたが、楽観に基づいて行動すると
人に迷惑がかかる場合がある、というのもありました。
多分こういうことが、私の「予測に対する価値観」なんですね。

自分の体調に関しては1週間ですが、
仕事への対処はどんなに遅くても24時間の意識でいます。
何事も「最悪の状況」を想定して行動したくなるのは、
経営者特有のサガかもしれません。
あれは30代の半ば、大先輩の経営者の方からこんな言葉を教わりました。

「最悪の事態を想定しろ。
 希望的観測を捨て、しかし希望を忘れるな」

確かに...と思ったことを今でも覚えています。
最悪の事態を想定することの良さは、
「別に死ぬわけじゃないな」と気持ちを切り替えることができることです。


しかし、人の予測行動は十人十色。さまざまな性分の人がいます。
体調を例にすると、、、
健康管理に気をつけて、日々対策している人もいます。
そういう人の持ち物を聞くととても面白いです。
また、具合が悪くなっても、なかなか判断や行動をしない人もいます。
がんの手術などの大事に至っても、
セカンドオピニオンをもらう人もいれば、もらわない人もいます。
理由も、もちろんさまざま。
ある人は楽観的だからで、ある人は面倒だからであったり。
仕事でも同じように行動は分かれますよね。
人のことはともかく、私は「最悪の事態想定派」です。
悪い方から可能性を潰して、現実的な対応を考えたいタイプです。


ところで、OODA Loop(ウーダ・ループ)というフレームワークをご存知ですか?
私自身はこの原稿を書こうと思って、「予測」について調べている中で、
今回初めて知りました。これが何かというと...

OODAループとは、アメリカの軍事戦略家であるジョン・ボイド氏が提唱した、
先の読めない状況で成果を出すための意思決定方法です。
現在では、ビジネスでもしばしば使われているフレームワークだそうです。

ボイドは、空中戦での決定的な勝因は、操縦士の意思決定速度にあると結論し、
意思決定プロセスを分かりやすく理論化しました。次のようなものです。

Observe:観察する
 ↓
Orient: 状況を判断する
 ↓
Decide:意思決定する
 ↓
Act:行動する

PDCAが計画に対する業務改善モデルであるのに対し、
OODAは、迅速な意思決定を行うためのモデルで、
両者はしばしば比較されます。


なるほど。。。。
「なるほど」とは思いますが、私は2つのOの間で行う、
「Imagine」(想像する)が実は最も重要なのではないか、
予測の本質とはImagineなのではないか、と考えています。

想像する。
相手のことを。
相手の周りにいる人のことを。
自分の行動の後に生まれる状況のことを。
今、何もしなかった場合のことを。
3日後のことを。
1カ月後、1年後、10年後のことを。
その後に状況判断ですよね!
OIODA(オイオダ)です笑 戦闘では使えないけど。


今週、当社のニュースをお知らせをします。
楽しみにお待ちください! ではまた

会議画像.png

例えば、「~について取り上げよう」から始まるコンテンツの企画会議。
あるいは、会議のアジェンダに書かれた「~について」の項目。
日常業務のいろいろなところで、
「~について」という言葉を使って会話がされています。
会議もコンテンツの一種であると考えた場合、
コンテンツの質はコンテンツを作る人のイニシアチブにかかってきます。

多くの物事で「~について」という発想が起点になっている気がしますが、
本当にそれでいいのかな?とも思います。
というのは、1つの仮説として、この「ついて型」アプローチが、
アウトプットの質や生産性、効率性に関わっているのではないかと思うからです。

そこで、今日は、私が「ついて型」と呼んでいるアプローチについて紹介しつつ、
その「ついて型」にはどんな問題があるのか、
問題があるなら、どうしたらいいのか、考えてみたいと思います。

実際、「~について取り上げよう」という発想でコンテンツを企画しても、
コンテンツは作れますし、会議のアジェンダに「~について」と書かれていても、
それなりに会議は成立してしまうものです。
それらのコンテンツでは何かしら言葉的なものが成果物になるので
「はい、これが本日のアウトプットです」とまとめることはできます。
でも、そうやってなんとなく生まれてきたものを人が読みたいと思うでしょうか?
会議の成果に対し、参加者の納得感はあるでしょうか?


もう一度、たとえば「企画会議」。
当社が提供している企画力養成講座では、
ついて型でもコンテンツは作れるが、ついて型の企画だとこういう流れになる、
とお伝えしています。
ーーーーーーーーー
~について取り上げよう

だとしたら、誰に出てもらおうかな?

どんなことを聞こうかな?

聞いた話をうまく原稿にまとめなきゃ...
ーーーーーーーーー

確かに、この流れでもコンテンツらしきものは完成しますよね。
ですが、このアプローチはただ「聞いた話をまとめる」というものにすぎません。
「~について取り上げよう」から始まる企画プロセスでは、
大抵の場合、何をメッセージとするのか、とか、
読み終わった時に、どう感じてもらったら成功なのかなどを設計せずに進みます。


なので「~について取り上げよう」から始まるアプローチがダメとは思いませんが、
「伝えたいこと→伝わること」に執着するなら、
気をつけないといけないなと思います。


会議のあり方もそうです。
日常的に行われる会議こそ、質や生産性、効率性という意味で重要なはずです。
でも、もしその会議のリーダーがアジェンダを考えるときに、
「1.○○について 2.○○について」というような感じで出していたとします。

そうしたら、その場では何をどういう観点から話すことが求められているのか、
誰にもわかりませんよね。
もちろん、アジェンダと会議設計は別物ですから、
場のリーダーの頭の中に会議設計があるなら、
アジェンダ自体は「1.○○について 2.○○について」で済む場合もあります。


でも、私が一番おすすめしたいことは何かというと、
疑問文でアジェンダを組み立てることです。
(これは企画を立てる時もほぼ同じです)


ところが、多くの会議では問いを立てずに行われているのではないでしょうか
つまり、何を議論する必要があるのか、
場の作り手が「問い」を明確に示さないケースがあるように思います。


ですが、慣れていないと、この疑問文を出すのは簡単ではありません。
え? ほんと?と思うかもしれませんが、
考える必要のあることを漏れなく「問い」の形で出せる人は
実はそれほど多くないと思います。
私自身も「問いを立てる」を意識していますが、「漏れなく」出せているかは
はなはだ心許ないです。
なので、「疑問文として書いてみる」は自分トレーニング的におすすめです。


さて、今年もあっというまに6月。
終われば2024年も半分過ぎてしまいます。トホホ...
と、一瞬背中が丸まってしまいましたが、背筋を伸ばして頑張りましょう。
その前に、今週を乗り切らないとですね!

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NHK大河ドラマ「どうする家康」も次回で最終回を迎えます。
松本潤さんの演技がどんどん進化していき、1年間本当に楽しませていただきました。
乱世を終わらせるために、たくさんの先人たちの苦労があったわけですが、
今の時代も激動という意味では当時に近いものを感じます。

2023年が幕を閉じ、24年へと向かうこの正月休み、
のんびりとリフレッシュすると同時に、
新たな年をどんな1年にするのか、考える良い時間にもなりますね。

当社では、来年のキャリアアップを考えるきっかけになればと、
こんな場を設けました。
テーマは「異職種への転職」。当社採用活動の一環です。

たとえば、、、、
学生時代に、自分は文系だから営業系になるのかな...という気持ちで
就職活動し、社会人になった方はいらっしゃらないでしょうか。
もちろん営業職は素晴らしい仕事ですし、今、不足感がなければ良いのです。

でも、稀に「本当は○○a○○の仕事がやってみたかった」というケース、
ありますよね。

あるいは、「学生時代は気づかなかったけれど、○○b○○については、
自分はほかの人より能力がある気がする、本当はその能力を生かしたい」
という方もいると思います。

この○○a○○の中に、企画とか、ディレクションという言葉が入る方や、
○○b○○の中に、言語感覚とか、創造性とか、主体性という語句が入る方がもしいらしたら、
ぜひご参加ください。

タイトルに「営業職から制作ディレクター職を目指すには?」とありますが、
営業職からでなくても、当てはまる方は歓迎します。
また、周りにこのような方がいらしたら、ぜひご案内ください。

========================================
セミナー&ワークショップ
営業職から制作ディレクター職を目指すには?
========================================
1. 日時 12月21日(木)19時~21時
2. 会場 当社(東京都港区北青山3丁目12−7 カプリース青山909)
3. 費用 無料
4. 人数 3~6名
詳細はこちら
https://www.grassroots.co.jp/seminar/2023/12/231210.html


さて、なぜ未経験者に目を向けるか、疑問に思う方もいるかもしれません。
でも、私のこれまでの経験から言って、
たとえ未経験であっても、意欲や適正、応用力があれば、クリアできます。
そういう方を大勢見てきました。
反対に、たとえ経験があっても、従来のやり方に縛られていると伸びません。

では、未経験者の中でも、今回営業職の方に注目しているのはなぜでしょう?
その理由は、営業職の方は、お仕事の性格上、
お客様の立場に立つことを知っているであろうし、
中にはお客様との間に信頼関係を築いてこられた方もいると思うからです。
当社の場合、制作の経験以上に、その感覚や能力を重んじています。


セミナーでは、営業の仕事とディレクターの仕事の共通点を紹介したり、
また営業の仕事でも役立つプレゼン、企画書、文章作成のコツを
「ストーリーづくり」というワークを通じて紹介します。
夜&リアルですので、カジュアルな雰囲気で行います。ご期待ください!


お申し込みは、「お名前、メール、お電話番号」を明記の上、
このメールにご返信いただくか、

当社お問い合わせフォームから参加希望とお書きいただき、お申し込みください。
https://www.grassroots.co.jp/contact/template.html

年末のお忙しい時期だとは思いますが、
来年、何をするかを考える材料になれば幸いです。
よろしくお願いいたします。

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台風5号、6号の影響を受けている皆様には
心からお見舞いを申し上げます。
私は、台風5号が去り、6号が来る直前に、
休暇で訪れていた石垣島から帰ってきました。
4日間の滞在のうち前半2日は雨、後半2日は晴れで、
最初はアンラッキーだと思っていましたが、今にして思えば幸運でした。
7号も日本に接近しています。
被害が出ないことを祈るばかりです。

さて、石垣島を訪れた理由は、一緒に行った友人のお嬢さんが現地で暮らし、
この春、独立してショットバーを開いたことにありました。
年齢29歳で一国一城の主です。
会計のことや法律的なことを独学で勉強しながら開業したのは、
とても立派だと思います。
こういう若者がいるなら、日本もまだ大丈夫...という気持ちになりました。

この件を通じて、1つだけ考えさせられたことがあります。
彼女は30歳になるまでに、自分の店を持ちたいと思ったそうなのですが、
その理由は雇用される立場だと、
自分の考えた通りにできないからだと話してくれました。

彼女の場合は、行動的ですから、
実際に動いてみて感じたことなのだろうと思いますが、
今回はこの話を糸口に、一般的に言われる「組織にいると
自分の考えた通りにできない」について考えてみました。
私が思ったのは、確かにそのようなケースは多いのだろうな...ということ。
と同時に、人がそう思ってしまうのは先入観の場合もあるのではないか、
ということでした。


実際組織にいるとよくあることなのだろうと思います。
わかりやすいところで言えば、上下関係の影響。
年齢や社歴、経験などによって、若い人の意見が尊重されにくい風潮は、
日本社会ではいまだに根強いのかもしれません。
また「和をもって貴しとなす」が歪んで伝わったのか、
意見を言うことは和を乱すことだと思っている人もいるような気がしますから、
そういう人が上司にいれば、自分の考えを通しにくいと感じる部下がいても、
不思議ではありません。

一方で、先入観で動きにくくなっている人は案外多い気もします。
仮に新しいことに関わるのが嫌いな上司がいたとして、
自分が考えたことが本当に必要なことなら簡単に諦めるのは早計です。
もちろん自分が考えたことが100%実現できるとは限りませんが、
それは上下関係でなくても同じではないでしょうか。
何かを実現させる場合、他の人の賛同なくして実現できないわけですから、
上司という一人の人間の賛同を得ることは特別なことではないと思います。

思ったこと、考えたことができないと感じる人が多い状況は、
言い換えると、人のエネルギーが活かせていない状況でもあります。
そう思うともったいないですよね。


話は飛ぶようですが、
読みたいと思っている本の1つに伊賀泰代さん著「採用基準」があります。
伊賀さんは、マッキンゼーで採用マネジャーをされていた方。
採用で、最も重視すべきことはリーダーシップを発揮できるかどうかであり
あらゆる人にリーダーシップが必要だという自論をお持ちのようです。
かつてリーダーというと、統率する人、牽引する人というイメージがありましたが、
最近のリーダー論は全般的にそうではなくなっているようですね。
伊賀さんの対談をハーバードビジネスレビューで読みました。
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/1410


これを読んでも、リーダーシップとはこれこれです!と言い切るのは難しいですが、
私なりの意訳をするなら、
その本質は「意思表明」と「責任感」ではないか、と思います。
意思がなければ主導的役割は果たせないですし、
リスクを取る責任感がないと意思も示せないと思うからです。
だからこそ伊賀さんは、一部の限られた人だけでなく、
あらゆる人にリーダーシップは必要だと説いているのだと思います


さて、自分の考えで進めたい時の意思表明、意思表示について、
魔法の言葉を紹介します。それは...

「私にやらせてください」です。

~の役割を私にやらせてくださいとか、
~した方が良いと思うので、それを私にやらせてくださいとか。
何をするかを決めても、誰がするかが決まらないと物事は前に進みません。
このセリフをうちのスタッフから言われたら、私なら原則やらせます。
でも、承認を得るって面倒くさいものかしら?

来週はお盆休みの方も多いことでしょう。
暑い日が続いていますが、熱中症に気をつけて
健やかにお過ごしください。

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4月のブログでも「教える」を取り上げました。
(記事はこちら)
最近の私のチャレンジテーマは、十人十色の教え方ができるようになることなので、
「教えること」や「人の成長」について考える機会が多いです。
今回も「教える」側の視点から、あれこれと考えてみたいと思います。
というのは、スキルや知識を教えることだけが教えることではないと
考えているからです。

さて、まずは最近の注目ワード「リスキリング」の話題から。
2020年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で
「2030年までに地球人口のうち10億人をリスキリングする」と発表され、
経団連の「新成長戦略」の中でもリスキリングの必要性に触れられています。

「リスキリング」は「Re-skilling」。
一般的には、AIやDXが普及した社会に対応できる人材を生み出すために、
企業や自治体が従業員に新しい知識やスキル(どちらかといえばデジタル系)を
身につけさせ、労働移動につなげるための取り組み...ということだと思います。

先日、国会議員の片山さつきさんが、「Webサイトからの申請方法などについて
尋ねても答えられない自治体職員がいる」と話していましたが、
急速に社会のデジタル化を進める必要がある一方、
働く層が高齢化する日本では、リスキリングが話題になるのは必然かもしれません。
(本来、リスキリングの対象は年齢に無関係だそうですが)

もちろん、それが重要であることに異論はありませんが、
社会の潮流からデジタルスキルについて従業員教育を行うだけでは
大した成果は上げられないのではないかという気がして、
リスキリングという言葉にはひっかかりを感じます。
スキルだけでいいのか?と。


たとえば当社では、採用活動を行う場合、
年齢や経験に応じて知識やスキルはあるに越したことはないと考えますが、
意識や思考の方をより重く考えています。
なぜなら、意識が高いと自己開発力が高くなり、知識やスキルは自然と付いてくると思っているからです。
(あ、採用活動、やっています! 自薦他薦とも歓迎します!)
でも、ここでの「意識が高い」というのは、いわゆる「意識高い系」とは違います。


以下、ちょっとした知識のお裾分け...。
人の成長には、知識やスキルが広がっていく「水平的成長」と
意識のレベルが高まっていく「垂直的成長」があります。
成人発達理論を牽引するハーバード大学のローバート・キーガン教授の理論です。

大人が成長するには、意識の成長が不可欠で、それは言い換えると、
解像度の高いレンズで物事を見られるようになることだと言います
モノゴトの認識の仕方や捉え方、解釈の仕方を柔軟に変化させ、
多様な視点を受け入れられるようになっていくことだと言います。
そのためには自分の信念を含めて固定観念に捉われていないかを問い直す
謙虚な自己客観視が必要だとされていますが、それを一人でやるのは簡単ではありません。
だから上司にはコーチング的な方法で部下を支援することが求められるわけです。


同じような話は、濱田秀彦さんの著書
「仕事を教えることになったら読む本」でも紹介されていました。
この本によれば、「教える」というのは、
「設定したゴールに相手を運ぶために、知識、技術を付与し、意識を高めること」と定義されています。

言われてみれば、いえ、言われなくてもかな? その通りですよね。
私なりに噛み砕いてみました。
(A)知識を教える:それまで知らなかったことを理解している状態にすること。必要な教え方はティーチング。
(B)技術を教える:うまく運ぶためのノウハウや振る舞い方を教え、相手が実践できるようにすること。必要な教え方はトレーニング。
(C)意識を教える:何に対し意識を向けるか、どのような心構えでいるとうまくいくか、意識を働かせられるようにすること。必要な教え方はコーチング。
...てな感じでしょうか。

このように知識やスキルを伸ばすだけでは真の成長はできないと考えている専門家たちがいて、私はそれに共感しています。


ところが、この「意識の成長」を支援するのが上司にとってはとても難しい。
しかも、意識の有りようは知識や技術の習得にも関わってきます。
例えば「苦手だ」という意識があったら、知識や技術はなかなか入ってきません。
「身につけねば」とか「失敗したくない」という意識がある場合も同様です。
私も、支援する側にいながら、自分が学んでいるような感じです。

また成人発達理論の「意識の成長レベル」の1つに、
他者の立場に立てるかどうかという尺度があるのですが、
部下に対し、他者の立場に立てるように指導しているつもりが、時として
「指導しているお前こそ、教わる相手の立場に立つ意識が持てているのか?」
という内なる声が聞こえてきたりして。。。涙

実際、教える側の器以上のことを人に教えることはできませんからね、
私が十人十色の教え方ができるようになることを目指すなら、
自分の器を広げることが先決なのだろうなと思う今日この頃です。

このメルマガの読者で部下を持っているみなさん、
いっしょにがんばりましょう!

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5月も後半。4月に新卒で入社したばかりの方も、もう社会人2カ月です。
でも、このメルマガの読者には、新卒入社したばかりの社会人は少ないのではないかと思います。むしろ部下や後輩を育てる立場にある方が多いのではないでしょうか。

新卒社会人に学んでもらうための知識・情報・コンテンツは各社いろいろとあると思いますし、学ぶ時期に関する見解も各社各様だと思いますが、
社会人何年生で何を学ぶのかはともかく、「物事を構造的に理解する」ということに対し、多くの企業では遅かれ早かれ学ぶことを促しますよね。
会社によっては、採用段階で構造的思考力をチェックするということをやっている場合もあります。

当社でも、構造化思考は重要視していて、
勉強会でもしばしば取り上げているテーマです。

たとえば次のような問題。腕試しに考えてみてください。簡単すぎでしょうか?

問:最初に示された二語の関係を考えて、同じ関係のものをア)からコ)の中から選んでください(複数選択)。

① 薬品:調合
ア)道路:整備 イ)道路:交通 ウ)衣服:洗濯 エ)事業:承継 オ)事業:低迷 カ)売上:原価 キ)売上:計上 ク)石油:備蓄 ケ)火力:原発 コ)国会:空転

②防寒:手袋
ア)ダイエット:運動 イ)ワイン:フランス ウ)連絡:メール エ)会議:決定 オ)関係強化:外交 カ)財産形成:投資 キ)人材育成:研修 ク)議論:結論 ケ)婚約:結婚 コ)予約:スマートEX




いかがでしたか? 簡単でしたか?
①は目的語:述語という関係なので、正解は(ア、ウ、エ、キ、ク)。
②は目的:手段という関係なので、正解は(ア、ウ、オ、カ、キ、コ)です。


さて、、、、
わかったような、わからないような構造的思考。
そもそも「構造的思考」って何なのさ?という話になりますよね。
今回のメルマガでは、新人にわかりやすく説明するとするならどう説明するのか...をやってみたいと思います。できるかな?

まず「構造的に考える」という言葉の定義から考えてみましょう。
ここでは:
 物事を全体的に眺めた上で、「全体」と「構成要素」について定義し、  「構成要素間の関係」を整理する思考プロセス。
そんな表現がしっくりきますので、まずはそう定義することにします。


でも、こんなことを言われても特殊で抽象的すぎて、
みんなで共有するにはイマイチだとも思います。
ですが、「構造的思考」はそれほど「特殊」なものではなく、
時には誰もが無意識にやっていることなのでは?と思います。

たとえば、「関係」という言葉に注目してみましょう。
すると、身の回りにいろいろな「人間関係」があることを思い出しませんか?
・上司と部下の関係
・先輩と後輩の関係
・親子の関係
・夫婦の関係
・友だち同士の関係

その関係に関し、良い/悪い以外にも、
気兼ねの有/無、静/動、上下/対等など、
さまざまに表現することができます。

そんな人間関係の中で、私たちは無意識に構造的思考を働かせています。
・AさんとBさんは仲が悪いから席は離れている方が良い
新メンバーのCさんには慣れてもらうために真ん中の席の方が良い
関係がこうだから、こうした方がいいというものの見方は、
構造的思考に近いのではないかと思うのです。
関係が把握できると工夫ができるわけです。


さて、人間関係は世の中の関係の極一部。
世の中にはもっといろいろな関係が存在します。
たとえば、論理的な視点で見たら;
・並列の関係(同じ重要度、同じ階層の情報同士の関係)
・順列の関係(順番に関する関係)
・分岐の関係(選択肢を表す関係)
・因果の関係(原因と結果の関係)
・階層の関係(親要素、子要素の関係)
などがあります。

少しアタマが痛くなってきますね。

次はもっとアタマが痛くなりそうですが、
昔学んだ、ベン図でお馴染みの「集合」の視点でも見ることができます;
・グループ(集合)とグループ員(要素)の関係
・グループAにはグループBに含まれる要素があるという関係(部分集合)
・グループAとグループBの両方に属すグループCという関係(共通集合)
グループAとグループBのいずれかに属すグループCという関係(和集合)
ほかにも空集合や補集合の関係などがあります。


ですが、世の中にはもっとたくさんの「関係」があります。
たとえばウクライナとロシアのように敵対的関係もあれば、
日本とアメリカのように同盟関係もあります。


さて、、、
物事の関係をすんなりと理解できると、どんな点が良いのでしょうか?
一般的には、「問題解決」や「情報伝達」に不可欠だと言われていますが、
なぜでしょう?
先ほど「人間関係」に対し、人は無意識に構造的に把握している、
関係がわかると工夫ができる...という意味のことを書きましたが、
構造的理解が重要な理由もそこにあるのだと思います。

あー 1回では書ききれない。だいぶ行数を使ってしまいました。
参考になるんだか、ならないんだかって自分ツッコミしたくなってきました。
ChatGPTに聞いた方が早そうですね(涙

あと2週間で5月も終了。
ひぇ~ と思いますが、焦っても始まらないので、
色鮮やかな緑を楽しみながら、淡々とがんばりましょう!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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