『コミュニケーション』カテゴリの記事
イメージ、完璧?

先日、久々に「記憶スケッチ」という遊びをしました。
消しゴム版画家だったナンシー関さんが
20年以上前に流行らせたもので、
与えられたお題の絵を、
頭の中の記憶イメージだけを頼りに
紙に描いてみるというシンプルな遊びです。
お題はそんなに複雑なものではないのです。
頭の中にぱっとイメージできるもの。
たとえば、パンダとかパイナップル、
ちょっと難しいところで、スフィンクスとか。
どれも、頭の中ではわりと鮮明にイメージできます。
パンダのイメージもちゃんとあるし、
スフィンクスだって、あの独特の目を
ちゃんと想像できます。
でもですね、描いてみると、かなり描けないのです。
パンダは、あれ?どこが黒くてどこが白いの?レベル。
スフィンクスにいたっては、これ何?というくらいのヒドさ...。
頭の中ではわりと鮮明に描けているのに、絵にできない。
調べてみると、脳は、私たちの想像よりも
遥かにラフにイメージを捉えていることがわかりました。
どのくらいざっくりかというと、
「パンダは白黒で、耳があって、丸っこくて、足が4本」くらい。
よっぽどじっくり見て、細部をインプットしない限り、
耳が丸いとか、どこで白黒が分かれているかなどの細部は
そもそも記憶されないのだそうです。
それなのに、「全体を捉えられている! 」
と勘違いしてしまうんですねえ。
ちなみに、脳が、細部を気にせずに
ざっくり把握を行っている理由は、
「省エネ運転」をしたいからだそうです。
脳内のイメージをうまく描き出せない理由は
ほかにもあるようで、それは、
脳の中で「視覚イメージ」を司る部位と、
手を動かす「運動指令」を司る部位が異なっているから。
さらに、それらの部位をつなぐ「翻訳」も必要だからだそう。
視覚イメージを司る場所は、視覚野と呼ばれる後頭葉で
ここは目から入った情報を処理するだけでなく、
目をつぶって何かを思い浮かべるときにも活動。
運動指令を出す場所は一次運動野である前頭葉で
これら視覚野と一次運動野をつなぐのが 空間認知の司令塔、頭頂葉。
ここが、視覚野にある「イメージ」と、
運動野の「動き」を橋渡ししているようです。
つまり、この3つがうまく連携し合っていないと絵が描けない。
イメージで絵を描くってこんなにも複雑なことだったのですね。
では、イメージだけで
スラスラと描ける人は何が違うのか、というと、
見る、描くを何度も繰り返しているということ。
描いてみて、うまくいかなければもう一度観察して、また描く。
この繰り返しの中で、視覚イメージと手の動きが
「手続き記憶」として定着し、
意識しなくても指が自然に動くようになるのだそうです。
自転車に乗るときに「ええと、まず右足をペダルに乗せて...」
なんて考えないのと同じですね。
さらに興味深いことは、最初の観察のコツ。
絵が描ける人は、全体がどんな形の組み合わせになっているのかを
見ているらしいのです。
目とか耳とか、いきなり細部を観察しようとしていない。
たとえばパンダは、おもちのような3つの楕円の組み合わせ、
牛は横に長い大きな長方形の体と、
小さな逆三角形の頭といった具合です。
そうかあ、デッサンってこういうことなんだなあ。
とここまできて思ったことは、
これは仕事でも一緒だということ。
最初からいきなり細部を意識してアウトプットしようとしても
うまくいきませんよね。
まず、全体の構造を捉えてイメージし、アウトプットしてみる。
そして、足りなかったところを再度観察し、またアウトプット。
これを繰り返すことで、上達していくのだと思いました。
記憶スケッチ、結構、奥深い遊びでした。
皆さんも、この機会にパンダ、ぜひ描いてみてください。
意外な発見があるかもしれません。
さて、3月。
花粉に負けず、まいりましょう!
助けてくれるはず?

以前、どこかで、こんな話を読みました。
確か野球だったと思うのですが、
海外でトレーニングを受けている日本人が
自分のフォームについて正解がわからなくなり、
チームのデータ分析担当に相談すると、
自分に関するデータを大量に出してきたそうです。
「こんなにデータをたくさん持っているなら、
なぜもっと早い段階で提供してくれなかったのか」
と彼が聞くと、
「本人が必要としていないのに、
情報を与えても意味がない。ノイズになるだけだ」
と言われたと。
私は、この話を読んで大いに納得してしまいました。
子育てでも、スポーツでも、
指導の現場全般で言えること。
本人が、困っていない時は
なかなか吸収されませんよね。
野村克也監督も同じようなことを言っていました。
人を育てるプロセスには、
「無視」「賞賛」「非難」という3つの段階があって、
新人や能力不足の選手は、まだ「無視」の段階にある。
この場合の「無視」は、指導者側が冷たくしたり、
無関心でいるという意味ではなく、
「適性を見極めるべく、
観察して見守っている段階」のことだそう。
指導対象者が、無視されて悔しい気持ちになり、
いろいろなことを欲するかどうかを
見るためでもあったそうです。
そうならないのなら、プロスポーツは難しいと。
確かに...。
しかし、日本の指導は、待つのではなく、
全般的にどんどん先に与えることのほうが多いですね。
「もっと、こうしたほうがいいんじゃない?」
というお母さん的なやつです。
これは、親切心やおもてなし精神からくる
日本特有のことなのかなあと思い、
Geminiと一緒に、ちょっと調べてみました。
まず、日本人特有の「甘え」が影響している説。
心理学者の土居健郎氏が
1971年に著書『「甘え」の構造』で
「甘え」を次のように定義しています。
「自分に近い存在に受け入れられ、甘やかされ、
守られたいという受動的な愛への渇望」
日本人は基本的にこの甘えを持っているために、
日本社会では、
「相手が自分のニーズを察して動いてくれること」
を期待し、相手もまた
「相手のニーズを察して満たしてあげよう」
と感じる現象が起きているのではないか。
さらに、日本人は、
内ウチと外ソトを区別しているため、
「外(他人)」に対してはしっかりと
礼儀正しく振る舞うが、
一度「内(親しい間柄)」に入ると、
相手が自分の面倒を見てくれることを
無意識に期待している、と。
なるほど。納得ですねえ。
日本のスポーツ界も、
指導が変わってきたとはいえ、
まだ与える指導が主流なのかもしれず、
前述したフォームについて悩んでいた
スポーツ選手の立場に立つと、
同じチームのメンバーであるデータ分析担当が
自分が困っていることを知っていながら、
手を差し伸べてくれなかったと感じるのは
当然なのかもしれません。
でも、これ、俯瞰すると
子どもとお母さんのような関係とも言える。
プロの世界で自立して生きるには
まったく異なったマインドセットが
必要になるのでしょうね。
この「甘え」の構造以外に、
なるほど!と思ったことがもう一つありました。
それは、「不確実性の回避」の高さです。
ホフステードの「文化の6次元モデル」という
国際比較データによれば、日本は世界の中でも
「不確実性の回避」というスコアが
大変高い国なのだそうです。
不確実性の回避が高いとは、
失敗や予測不能な事態を極端に嫌う傾向のこと。
予期せぬことが起きるのはいやだ、
自分もいやだが、相手に起こるのもいや。
相手が失敗するのを見ていられない。
だから、先に正解を与えて、
リスクを最小限に抑えようとするのではないか、
とのこと。
つまり、世話を焼くのは、
「相手が求めているだろうから応えよう」
という親切心もありますが、
「相手に失敗されると自分が不安だから」
という防衛本能でもあるのではというのです。
これは、確かにそうだなあと思いました。
これまで、私は、日本の教育において
「失敗させよう!」があまり行われないのは、
「失敗するかもしれないと思っているのに、
本当に失敗させるのは人としてひどいし、
失敗してしまったら相手がかわいそうだ」
と感じてしまうからなのだろうと思っていましたが、
確かに、自分自身が相手の失敗に耐えられない、
と感じる人は多そうです。
ほとんどの人がそうなのではないですかね。
共感度が強すぎて、精神的に同化しているのか。
なかなか厄介だなあ、私たち日本人。
察してもらいたい、助けてくれるはず、
助けてあげたい、失敗させたくない。
日本独特の助け合いの文化とも言えるし、
甘えられる場があるのはいい面もありますが、
プロフェッショナルということを考えると、
これでは、どんな世界でもプロになれない。
そんなことを考えていたら、
「助け合い」ってなんだ?
という疑問が浮かんできました。
きっと、受動的な助け合いではない、
もっと自立的な助け合いの形が
あるのだろうなあ、とも。
今度は、そんなことを考えてみたいと思います。
まだまだ寒い日が続きます。
みなさま、ご自愛くださいませ!
ダメ出しはヘルシー

昨年の大河ドラマ「べらぼう」では、
蔦屋重三郎が、絵師・喜多川歌麿に
ダメ出しをするシーンが頻繁に描かれていました。
ダメ出しとは言っても、こうすると、
もっと良くなると思うという類のものですが、
それがだいたい無茶なオーダー。
歌麿は「しょうがないなあ、蔦重は」
という感じで引き受けるのですが、
無理をしてでも応えてみると、
明らかに作品が良くなり、
自分も納得する出来になる。
編集者と作家は、いつの時代も、
こうしてお互いを高めあって、
いい作品をつくっていくんだなあと
思いながら観ていました。
ところが、ドラマの中で歌麿は、
蔦重とのタッグを解消し、
他の本屋とのつきあいを始めます。
すでに有名な絵師であった歌麿に
他の本屋はまったくダメ出しをしません。
「すばらしい」
しか言われないことに歌麿は苛立ち、
「なんか、こうしてくれとかないのか」
と言うのですが、返ってくるのは
このままで十分といったコメントばかり。
そして、だんだん作品づくりに
迷いを感じるようになります。
電通若者研究部の調査によると、
高校生、大学生、1~3年目の社会人
計1,200人のうち、
「『本音』を誰かに話すことは、
相手が誰であってもリスクを伴うと感じる」
と回答した人が76.8%いました。
さらに、「仕事での成果よりも、
自分の心の安定を重視して働きたい」
と答えた社会人1~3年目は75.0%。
「職場で何かを成し遂げるよりも、
面倒ごとなく"うまくやる"ことが大事」
と答えた人も77.3%にのぼりました。
べらぼうで、本屋が
歌麿に何も言わなかったのは、
どうすれば良くなるのかという
アイデアが浮かばなかったからかも
しれませんが、
遠慮や忖度もあったのではないでしょうか。
この調査からは、
自分も少しも感情を乱したくないし、
相手の感情を乱すようなこともしたくない。
感情をぶつけ合うのは絶対に避けたい。
そんな若者の姿が見えました。
しかーし、仕事であれ、趣味であれ、
「成長」という視点で考えると、
ダメ出しは必須だと、私は思っています。
いいね!ばかりだと改善されない。
もうちょっとここをこうしたほうが...
という意見は、
成長していくためには必要です。
ダメ出しはたいてい目の前の仕事など、
コトに対して行われるもの。
本来は、人間性を否定するようなものではありません。
でも、人間性そのものを否定されたと思ってしまうので、
「ネガティブなお叱り」になってしまう。
そう捉えず、「ヘルシーなアドバイス」と捉えてみると
いいのではないでしょうか。
そうそう、「ヘルシー」。これです。
イチローが高校野球の練習に立ち会って、
こう言っていました。
今の時代、大人は厳しく指導できない。
子どもたちは、自分で自分に厳しくすることで
成長していくしかない。
それができる子はそういない。大変な時代だ、と。
ダメ出しは心を乱すもの、ではなく、ヘルシーなこと。
そう捉えて、するほうも、されるほうも、
もっと楽な気持ちでポジティブに
成長できる社会であればいいのになあと思います。
おまえの物はおれのもの

今回は「おまえの物はおれの物」は、
見方を変えると「共有」なのか?
という話です。
先日、外出から帰宅すると、
玄関に見慣れぬスニーカーがありました。
次男の友だちが遊びに来ているのだろうと
思っていましたが、夜になっても、
友だちが部屋から出てきません。
そのうちに、次男が「腹減った」と、
一人で出てきました。
聞くと、スニーカーは友だちの物だが、
友だちは来ていないとのこと。
しばらくスニーカーを借りているだけだと
言います。むむ? 靴って貸し借りするのか?
と思いました。
別の日。洗濯をしていたら、
これまた見慣れぬスウェットパンツが
出てきました。
次男に聞くと、
「ああ、それ○○の。借りてる」と。
もしかして、この子は、
「はい、借りるよー。これも借りるねー」
と友だちものをホイホイ持ってきてしまう
ジャイアン的なやつなのかもしれない。
これはマズイと思い、
人の物を簡単に借りるものではないと言い、
なぜ借りているのかを聞きました。
すると次男は
「自分は貸してと言ったことはない。
一緒に履こうと言われるのだ」
と言います。
え?
スウェットパンツに関しては
「なんか、普通のスウェットを
持っていなそうだから、貸してあげたい」
と別の友だちに持たされたのだとか。
ますます意味不明。
しかし、なんとなくわかってきました。
次男と次男の友人たちは古着が好きです。
友だちから借りているスニーカーも、
スウェットパンツも古着とのこと。
もしかしたら、彼らは
物を「所有」している感覚ではなく、
最初から「共有」している感覚なのではないか。
どこかの誰かが着たり、履いたりしたものを
最初から共有している感覚なので、
友だちとも気軽に共有するのではないか
と思いました。
我が家は、長男も次男も
Z世代と呼ばれる世代です。
この世代の特徴を表す消費行動の一つに
「リキッド消費」と呼ばれるものがあります。
リキッド消費とは、
その時々で欲しいものが変わる、
買わずともレンタルやシェアリングでOK、
モノよりも経験を大切にする、
この3要素を満たす消費生活のこと。
スマホから情報が大量に流れてきて、
いいなと思うものがコロコロ変わり、
それを所有することよりも、体験したい。
体験が終わったら、次。
といったところでしょうか。
うちの次男の古着も
そんな感じなのかもしれません。
使えるお金が多くない
ということが大きいとは思います。
私がイメージする、
お金をかけて狙ったアイテムを手に入れ、
大切に所有するような、
王道の古着好きな人々とは異なり、
高校生は、使えるお金が多くないから、
気軽にコーディネートし、
自己表現(体験)するアイテムとして
古着を利用している。
我が子を観察し、こうして消費行動を
整理するのはおもしろいですね・・・
さて、ここで、よく知られている
「おまえの物はおれの物」
というジャイアンのセリフについて。
このセリフ、この後に、
「おれの物もおれの物」と続きます。
つまり、
「おれの物はもちろんおれの物だし、
おまえの物もおれの物だ。
全部おれさまの物だ!」
という強い独占欲を表していますね。
しかし、実は、過去のアニメで
この言葉が「共有」を示すものとして
使われているエピソードがあります。
小学校の入学式で、
のび太にさまざまなハプニングが起き、
のび太自身も迷子になり、
さらにランドセルを無くしてしまい、
のび太とランドセルを
ジャイアンが必死に探して
上のセリフを言う場面があるのです。
ジャイアンは、
おまえが無くしたランドセルは
おれの物でもあるんだから、
取り返すのは当然。
おまえに起きた問題はおれの問題でもある、
って言ってるわけですね。
このエピソードを知ると、
最近のうちの次男の共有志向なんかもあり、
「おまえの物はおれの物」
が独占欲を表すセリフに見えなくなるから
不思議です。
「おまえの物はおれの物」と言われたら、
「なんてひどいやつだ」ではなく、
むしろ「シェア力が強い人」にうつる。
その後に、
「おれの物もおれの物」と続いたとしても、
「そりゃ基本、そうだよね。
でも、どんどんシェアしていきたいよね」
という意味にも捉えられる。
時代の流れと価値観が違うと、
同じ言葉や同じビジュアル、
同じ音楽を聞いても、真逆の印象を持つ、
なんてこともあるかもしれません。
コミュニケーションなどでは、
気をつけていないと
ちょっと怖いことが起こるかもなあ
とも思いますが、
現象としては、
とてもおもしろいなあと感じます。
そして次男は今日も友達の服を着ています。
シェアして楽しんでいるだけだといいのですが、、、
(注:次男の行動はZ世代を代表している
わけではないと思います。
お気をつけください。笑)
ゲームか無か

今日のメルマガでは、
「単純作業はゲーム化して楽しくするか、
無で心を落ち着けるか」ということを
お伝えしようと思います。
少し前のことです。
絹さやをどっさりいただきました。
農家さんからいただいたので、
「これ絹さや?」と思うほど、存在感がある
立派なものばかり。
これだけ大きいと筋取りが必要。
しかも大量です。
私は、仕事もプライベートも
「楽しい」という感覚を優先させているので
(というと聞こえはいいですが、楽しくないと、
なかなかやる気が起きないということです)
絹さやで山盛りになった大きなボウルを前に、
この作業を何と捉えて取り組むか考えました。
「いやいや、とっととやりなさいよ」
と思いますよね。私も思わなくはないですが、
せっかくなら何か工夫してゲーム化し、
楽しく取り組もう、と思ってしまうわけです。
そこで、勝手に、より効率的な
絹さや筋取り方法を編み出そうと決めました。
まずボウルの位置です。
筋取り前のボウルをどこに置き、
取った筋をどこに入れ、
筋取り後の絹さやをどこに入れるか。
手の動きに無駄がでないよう慎重に決めます。
少しシミュレーションしてから
作業スタートです。
作業を進めると、
最初の筋取りで少し手間取ることが
わかりました。スナップエンドウみたいに、
なかなかポキっといかない。
「これは、最初に少しハサミを
入れておいた方がいいのでは?」
そう思い、キッチンバサミを持ってきて、
まずどんどんハサミ入れを行いました。
ふと前を見ると、
同じテーブルで一緒に作業を始めた家族は、
筋取りが結構進んでいます。
工夫や改善は、最初は時間がかかるのです。
気にしないで進めます。
ハサミ入れの効果があり、
筋取りはリズムよく進んだのですが、ここで
次の課題が見つかります。
一つ筋取りが終わった後、
次の絹さやを手に取る時にもたつきます。
どれを手に取るのか、少し迷う時間がある。
ここで気づいたのは「視線」です。
どこを見て作業するかが重要である、と。
(すみません、もう少しおつきあいください)
絹さやの2本目の筋をとると同時に、
次のターゲットを見る。
すると、迷いなくそのターゲットをつかめる
というわけです。
たかが視線なのですが、これ、
かなり重要だと気づきました。
「おおお、すばらしい」と言いながら、
また、ちらっと前を見ると、
家族の筋取りはかなり進んでいます。
はい。そんなわけでして、お察しの通り、
ただ、普通に筋取りをした家族のほうが
早く終わりました。
おそらく、
「いいから早くやりなさいよ」と
思っていたでしょう。
でも、いいのです。
試行錯誤したことにより、発見がありますから。
と、ここで思い出しました。
以前、洗濯物をベランダに干してほしいと
家族に頼んだとき、
ハンガーの位置を変えたり、
洗濯物の向きを変えたりして、
なかなか干さない姿にイライラし、
「早く干せばいいのになあ」と思ったことを。
後からその理由を聞いたら、
「畳んで、どこにしまうかを考えた時に、
しまう場所が同じものが
まとまって干してあるほうがいい。
だから、場所を考えていたと」
ほお、なるほど。と思いましたが、
それを知らずに見ていると、
「おい」と思いますね、これは。
自分の絹さやチャレンジを振り返っても、
こういうことは、
自分一人で勝手に工夫するのではなく、
メンバーに共有して、巻き込んで行うことが
大事だと気づきました。
「絹さや筋取りチャレンジ、スタート!」
という感じでしょうか。
ノリの統一、目的の共有は重要です。
この人、こんなふうで、
本当に家事ができているのか、と
思われたかもしれません。
大丈夫です。
すべての単純作業を
ゲーム化しているわけではありません。
ゲーム化しない場合は、だいだい
「無」で取り組んでおります。
これは、やる気を出さないということではなく、
どちらかというと「瞑想」です。
たとえば包丁研ぎや、食材を切る作業は
私にとっては「瞑想」のようなもので、
終わるととても落ち着きます。
さて、今回は、私の、
単純作業への向き合い方をお伝えしました。
もちろん正解はないです。
なにかヒントになることがあれば、幸いです。
絹さやの筋取りの良い方法があれば、
そちらも教えてください
(まだ工夫しようとしている)。
もうすぐ7月。
梅雨は?という暑さですが、
体調に気をつけてまいりましょう。
「聞く」のは簡単ですか?

先日、高3の次男にお説教されました。
あるきっかけから、
次男が「今日は言わせてもらう」モードに入り、
過去のことも掘り出してきて、まあ、言う言う。
思春期の男子ですから、
普段はそれほど話さないですが、
よっぽど溜めていたんでしょう。
日頃、全然聞いていないのかと思っていたら、
結構覚えているんだなあと
変に感心してしまうくらいのしつこさ。
そう思ってたんだ、それは申し訳なかった、
と思うことも多かったのですが、
それとこれとは違うし、一緒にしないでほしい、
ということもあり...
「いや、ちょっと待って」
と言いそうになりましたが、
そもそも次男が言わせてもらうモードに入ったのは、
私が、「ただ、聞く」ということを
ちゃんとしてこなかったからだと、
説教されながら気づいたので、
ぐっと抑え、頑張って受け止めました。
でも、ですよ。
いつまで?
と思うくらい過去のことを掘る(笑)。
私は、頭の中で、
あとどのくらい続くのかなあと思うわけです。
仕事終わってないし、洗濯途中だし、
とかいろいろ思うわけです。
すると、すかさず、
「今、全然聞いてなかったよね。
そして今、時計見たよね。
俺には、時計見たよね?とか言うくせに、
自分でもやってるよね。反省してないよね」
と次男。
ああ、子どもってこういう気持ちなんだなあ、
そりゃ、くどくど言われると、
他のこと考えたくなるわ。
やっぱり、一つのことだけを短く言って
終わりにしないと意味ないんだなあ。
などと妙に納得したり、
いい学びだなあなんて思っていると、
「なんで、すっきりした顔してんの?」
とか言われ、神妙な顔をしてみたり。
言われた方としては、体感1時間。
実際は30分くらいだったかもしれないです。
いや、ちゃんと聞いていましたよ。
途中、他のことを考えそうにはなったけど...
大人って、人に怒られたりしないので、
私は息子にいろいろ言われて
すごくよかったと思っています。
ごもっとも、と思うこともたくさんありました。
息子の訴えを翻訳し、解釈すると
こういうことです。
・私は、人の話をただ「聞く」ことをしていない。
これは、自覚があります。
即、解決したいタイプなので、
すぐに、全体を見渡してしまって、
この人はこう思ってるかもよ、
そしてこの人はこう思ってるはず。
だったらこうしたらいいんじゃない?
とか言ってしまう。
でも、相手は、解決策を知りたいわけじゃない。
「そうなんだ」「大変だったね」だけでいい。
一度、受け止めなくちゃいけない。
・都合がいい
子どもには正論を言うくせに、
自分のことになると、できていないことに対して、
都合よく言い訳したりする。
こっちは仕事もして、家事もして、
忙しいんじゃい! と思いますが、
息子は自分の枠組みの中でしか考えないので、
そう受け止めますよね。
俺は学校も行って、予備校も行って、
忙しいんじゃい、って思っているでしょう。
こうして「大人はずるい」みたいな
印象を持つんだろうなあと思いました。
勉強になります。
さて、「聞く」について。
よく「人の話はただ聞くのではなくて、
しっかり聴こう」と言われますよね。
意識を集中して、耳を傾けて「聴こう」と。
当然、「聞く」よりも「聴く」の方が、
難しいと一般的には思われています。
でも、ただ「聞く」のほうが難しいのだと
心理士であり、心理学者の東畑開人さんは著書
「聞く技術、聞いてもらう技術」の中で、
言っています。
東畑さんによると、
「心理士としての僕なりに定義するならば、
「聞く」は語られていることを
言葉通りに受け止めること、
「聴く」は語られていることの
裏にある気持ちに触れること。」
だそうで、
この、「言葉通りに受け止める」
ということがきちんとされないと、
対話が成り立たない。
たとえば、何かに対して
「それは嫌だ」という声があがった時に、
背景にある問題にいきなりフォーカスが移ると、
「嫌だ」は聞かれなくなってしまう。
そういうことが
社会でたくさん起きているのではないか、と
東畑さんは言っています。
これ、読んだ時も納得したんですが、
次男大説教事件(?)の後、
ものすごく腹落ちしました。
確かにそうです。反省です。
「聞く」ことを、まずしっかりしないと、
根本の問題が解決されたとしても、
相手は「聞いてもらえなかった」
という感想になります。
不安、不満は消えない。
それは本当の解決ではないということですね。
思い起こすと、あちゃーと思うこともたくさん。
気をつけなくちゃいけないと思いました。
さて、GWも終わり、あっという間に5月も中旬。
気温が安定しませんが、
皆さん、体調に気をつけてお過ごしください!
「好き」のパワー

今日は、なんだかんだ熱意と愛は強いなあ、
という話です。
小学生の時にお笑いトリオのロバートにはまり、
ライブに通い詰め、
会場ではコント内容を必死にメモし、
ロバート目的で東京の大学に進学し、
学園祭の実行委員になって
ロバートに出演依頼をしてライブを成功させ、
さらに卒業後テレビ局に就職して
ディレクターとしてロバート秋山の特別番組を
企画制作したという人がいます。
「うそ、そんなことあるの?」。
これが、この話を何かで知った時の私の感想。
「ロバートが大好き」という熱い思いを
こんなにも長く持ち続けられることも
びっくりなのですが、
途中から「ロバートと一緒に仕事がしたい」
なんて野望を持ち、それに向かって
実際に行動を起こし、本当にロバートの番組を
企画するまでになるなんて。
怖くなるくらいの実行力です。
そしてなんと彼、
ここまでの話を本にまとめました。
この本、自分がどんな人間で
いかにロバートのファンであり続けたか、
どうやって番組をつくるまでになったのか、
というエピソードが細かく書いてあるのですが、
行間から滲み出ているのは
いかに「ロバートがすばらしいか」でした。
推しへの愛ってこういうことなんだなと理解。
意外だったのは、
彼が優秀なビジネスパーソンであること。
しかも小・中学生の頃から。
ただ熱意で進んできたわけではなく、
その都度、自分の状況を俯瞰し、
どうすれば目的が達成できるのか、
冷静に考えているのです。
ロバートの布教は完全に熱意で、
一方で自分が人生をどう歩んでいくのかは客観視。
熱さと愛だけではテレビ局でロバートの番組を
企画制作することなんてできなかったでしょうが、
それでも原動力は間違いなくとんでもない熱さと愛。
その上に冷静さが乗っかっているから
こうなれたんだろうなあ。
ちなみに、ロバート側は
ライブ会場で必死にメモをとるメガネの少年を
「メモ少年」と呼び、成長を見守ってきたよう。
いよいよ自分たちの業界に近づいてきた
メモ少年(青年)の行動力は恐怖だったようですが、
進路について本気でアドバイスをしたみたいです。
全力で応援してくれるファンの成長を見守る。
こういう世界があるんですねえ。
「好きなことを仕事にするほうがいいか、
しないほうがいいか」
という議論があります。
社会人1,000人を対象にした調査
(ミライトーチ調べ)では
「好きなことを仕事にした方がいい」
と答えた人は全体の47%、
「しない方がいい」と答えた人は12%、
「どちらとも言えない」が41%でした。
また、「子どもの頃や学生の頃になりたかった
職業につけているか」の問いに、
「つけている」と答えたのは14%、
「目指している途中」が5%、
「過去についていたが今はついていない」が5%、
「つけていない」「特別なりたかった職業はない」
と回答した人はいずれも38%でした。
子どもの頃か・・・。
中学生のとき、英国のロックバンド
「デュランデュラン」の
ジョン・テイラーというベーシストに
ロッキン・オンでインタビューするには
どうすればいいか、と英語の先生に聞いて
困惑させたことを思い出しました(笑)。
その後、ほとんど思い出さなかったくらいなので、
あの時、一瞬だけ好きだったのだと思います。
飽きっぽいと熱が保てませんね・・・。
「好きなことを仕事にするほうがいいか、
しないほうがいいか」。
いろいろな考え方がありますが、
「好き」の力はやはり強いと私は思います。
集中力も努力も、やっぱり「好き」な人には
叶わない。
「好き」が生み出すパワーはとてつもなく大きい。
あらためてそう感じます。
そろそろ花粉の季節がやってきます。体調に気をつけてまいりましょう。
その価値観、どんな経験から生まれている?

同じ話を聞いたのに、
人と捉え方が異なっていて、驚いた。
そんな経験はないでしょうか。
かなり前の話ですが、当時、
当社でアルバイトをしていた大学生が
こんな話をしてくれました。
「先週、内定者の飲み会があったんです。
ひどかったんですよ、みんな結構飲むから、
つぶれる人が出ちゃって。
僕も結構飲んだんですけど、
なんか介抱する役になっちゃって、大変で」
何日か経って、
その話を一緒に聞いていたスタッフと
雑談をしていたら、
彼女がこんなことを言いました。
「そういえば、先日のアルバイトくんの話、
ひどい話でしたね。かわいそうですよね。
せっかくの集まりなのに。
ひどい飲み会ってあるんですね。
信じられません」
私は、ちょっと驚きました。
というのは、私はアルバイトくんの話を
「なんだかんだ、楽しかった
若者の飲み会エピソード」
として聞いていたからです。
今は、おそらくそんなことはないのでしょうが、
私の学生時代や会社の新人時代の
大人数での飲み会を思い起こすと、
大抵だれかが飲みすぎてつぶれていました。
そういうものだったので、
アルバイトくんの話を聞いた私は
「若いと飲みすぎちゃうよね。
そういうものだよね。楽しそう。
ああ若いっていいね」
くらいの感想でした。
なので、あの話を「ひどい話」として聞いて
いた人がいたんだとびっくりしたのです。
「え、あれ、なんだかんだ楽しかった、
っていう話じゃないの?」と言うと、
彼女は目を丸くして
「えええ?」と驚いていました。
彼女は私より少し下くらいの年齢で、
世代が違うというほどでもありません。
ですが、よく聞いてみると、彼女は、
飲みすぎてつぶれるような飲み会に
参加したことがないということでした。
そんなに大勢で飲んだこともない、と。
「経験したことはないけど、
誰かが飲みすぎてつぶれるなんて、
楽しいわけないじゃないですか」と。
なるほど。そりゃ、そうだ。
この時、私は思ったのです。
同じ話を聞いても「楽しい話」にも
「信じられないくらいひどい話」にも
なるんだなあ。それは聞く側が
どんな経験をしてきたかによるのだなあと。
そういえば、こんなこともありました。
我が家の次男が小学1年生だった頃のこと。
次男のクラスは、たまたまやんちゃくんが多く、
担任の先生が若くて経験が浅かったことも
あったのか、ちょっとしたトラブルも
大ごとになってしまうようなクラスでした。
そのため、多くの保護者が
「あのクラスは荒れている」と噂していました。
ある時、保護者の懇談会がありました。
クラスでの出来事が話題になり、先生は
「自分は経験が浅いので、いろいろ不慣れで
申し訳ない。保護者の皆さんは
ご兄弟のクラスも見ているので、
いろいろと教えてもらいたい」
とおっしゃいました。
そこで、私は「みんなで先生を助けよう!」
という気持ちになり、
長男のクラスで行われていた
給食の牛乳乾杯イベントがとてもよかった
という話などをしました。
周りのお母さんたちも、
こういうのはどうだ? というアイデアを
出していました。
先生も「参考になります!」と
メモを取っておられ、
私は近くにいたお母さんたちと
「いい懇談会だったね」と話しました。
ところがです。
数日後に、ほかのクラスのママ友から
「1年1組の懇談会、荒れたらしいね」
と言われたのです。
「先生に文句言うお母さんいたらしいね」と。
私は「あ、それ私だわ、きっと」と言って笑い、
「文句じゃないよ、アイデア出したんだよ」
とさらっと言ったのですが、ちょっと気まずい雰囲気に。
その時も私は思いました。
「いろいろと意見を出し合う場」は
私にとっては「楽しい場」ですが、
同じ場を「ケンカしている場」
と取る人もいる。
私が「楽しい」と感じるのは、
これまで私が経験してきた
「意見を出し合う場」が「楽しかった」からで、
「ケンカ」と取る人は
意見を出し合うことが嫌な経験として
インプットされているんだなと。
なぜこうした過去のエピソードを
お話ししているかというと、
先日、組織開発のコンサルティングを行う
熊平美香さんという方が書いた
『リフレクション 自分とチームの成長を
加速させる内省の技術』という本を読んだから。
本の中で紹介されていた
「メタ認知の4点セット」が
大変興味深かったからです。
熊平さんによると、
メタ認知の4点セットとは
「意見」「経験」「感情」「価値観」の4つ。
事実や経験に対する判断や意見を
上記の4つに分類して捉えると、
俯瞰しやすくなるというものです。
もう少し詳しく言うと、
意見:あなたの意見は何か
経験:その意見の背景には、どのような経験や、
感情:その経験には、どのような感情が紐づいているか
価値観:意見、経験、感情を俯瞰して、
という整理の仕方をするようです。
例えば、犬に対する「好き」「嫌い」
という認知について考えると、
Aさんは
意見:犬が好き
経験:昔から犬を飼っている
感情:喜び・安心
価値観:犬はかわいくて、癒しをくれる
かもしれませんが、
Bさんは、
意見:犬が嫌い
経験:犬に噛まれて怪我をしたことがある
感情:恐怖
価値観:犬は近づくと危ない動物
かもしれない。
つまり、同じものを見たり聞いたりしても、
経験と、その経験から得た感情が違えば、
まったく違う受け取り方になる。
どちらが正しいとか
間違っているということではありません。
そんな状態で、
「犬はかわいいにきまってるでしょ」
「いやいや犬は怖い」などと、
意見だけにフォーカスした会話をしても、
意味がないのです。
私たちは、仕事でもプライベートでも、
意見や価値観が違う人たちと一緒に
物事を進めることがよくあります。
時に、自分の考えにはない、
理解できない意見や考えに触れ、
混乱することもありますよね。
でも
「全然理解できない。
どうしてそんな考えなのかわからん」
と考えてしまったらそれで終了。
そんな時、ご紹介した認知の4点セットで
整理して考えられれば、
自分の思考が整理できるし、
相手の状況も落ち着いて見られる。
そうすれば、意見がぶつかる中でも、
対話の糸口が見つかるかもしれないと
感じました。
さて、あっという間に5月が終わります。
早い。とても早い・・・
ジメジメした日が多くなりますが、
体調に気をつけてまいりましょう。
やはり「話し合い」は必要

クドカンこと宮藤官九郎氏が脚本を担当しているドラマ『
昭和の中学の体育教師がふとしたことで令和時代にタイムスリップ
社会課題をおもしろおかしく、
我が家の次男が何かと「これだから昭和は」と言ってくることは、
家の電話しかない、パソコンがない、
そんな感覚なので、
彼らにとって昭和は昭和。昭和は大昔。まったく違う世界。
冒頭でふれたクドカンのドラマにこんなシーンがありました。
令和時代にタイムスリップした体育教師が居酒屋に入り、
男性「頑張れと言いました」
上司「それがハラスメントなんです」
男性「頑張れ、も言っちゃいけないんですか?」
話に加わってきた体育教師「じゃ、なんて言えばいいの?」
上司「何も言わない。見守るんです」
正確なセリフではありませんが、そんな展開。
その後、それはおかしいだろうと会話が続くわけですが、
「話し合いをしよう。たとえわかり合えなくても、
昭和と令和の価値観が違い過ぎる。昭和から見ると令和は「
そんなに違うんだから、わかり合えるはずがないと思っていたら、
そんなふうに思って世の中を見渡すと、
2月もどんどん過ぎていきます。花粉の季節・・・。
「魅せる」って大変だ

先週末、近所の高校の文化祭に行ってきました。
軽音部に所属する次男の演奏を
こっそり聴くため
(来なくていいと言われましたが)、
そして、近所の子どもたちの
成長ぶりを見るためです(親戚目線)。
さて、文化祭で半日くらい過ごして、
改めて気づいたことがあります。
それは、「魅せるって簡単にできることじゃない」
ということです。
たとえば、軽音部のライブ。
次男のバンドもそうでしたが、1年生のライブは、
とりあえず一生懸命やってみます、という感じ。
一人ひとりは頑張って演奏しているのですが、
バンドとしてはイマイチまとまっていない印象。
観客が入れ替わっていないのに、
突然演奏を始めてみたり、
変なタイミングで突然曲名を叫んでしまい、
観客が「あ・・イ、イエーイ」となったり。
とにかく自分の演奏のことで頭がいっぱいの様子で、
それが何とも微笑ましく、見守っていました。
ところが、これが2、3年生になると、
出てくるんですねえ、魅せるボーカルがいる、
カリスマバンドが。
ライブのとりを務めていたので、
3年生の、それも一番うまいバンドなんでしょう。
そのバンドの演奏を聴くために
教室に集まったのはほぼ男子生徒。
ボーカルの男子がマイクの前に立ち、
「こんにちは。きょうは・・・曲、変更します」
ザワザワ。
「リクエスト多かった・・・あれ、やります」
おおおー(ザワザワがエスカレート)。
「○○○○(曲名)!」
ヴォォォォォォォォォーー!
(会場熱狂。とともに演奏始まる)
パンク調の曲だったので、
観客の男子生徒、総ジャンプ。
カリスマ発見!と思いました。
後から振り返ってみると、
もちろんボーカルの声も良かったし、
バンドもうまかったのですが、何より、
彼は魅せ方を知っていたなあと思いました。
立ち方、歌い方、そして絶妙にタメをつくるMC。
あれは、自分視点だけではなく、観客視点が
ないとできないことだと気づきました。
どう見せると、観客が盛り上がるか、
観客目線で自分を見ることができている。
私たちは、普段の仕事の中で、
お客様、エンドユーザー、社内のメンバー、
協力会社など、さまざまな他者の視点に
立つ必要があります。
相手によって求めていることが異なりますから、
相手視点に立って、どうすれば伝わるか、
コミュニケーションの方法を
変えていかなくてはなりません。
そうした他者を意識する土台みたいなものが、
高校生の終わりくらいから
築かれていくのかもしれないと思いました。
エリクソンという心理学者が提唱した
「ライフサイクル論」という理論があります。
発達段階を8つに分け、それぞれの段階での
発達課題とそれに相対する葛藤「心理社会的危機」
(参照:https://39mag.benesse.ne.
これによると、13~22歳頃は青年期にあたり、
発達課題は「アイデンティティの確立」、
心理社会的危機は「役割の混乱」です。
「自分は何者?」「存在意義は?」
といった疑問を持ち、さまざまな体験から
「これが私なんだ」というアイデンティティを
確立する時期。これがうまくいかないと、
「自分の役割」がわからなくなり、
混乱してしまうのだそうです。
ちなみに、同理論によると、青年期の次は
22~40歳頃の成人期。
ここでの課題は「親密性」、危機は「孤独」。
友だちや同僚、人生のパートナーなど、
他者と関係を構築するステージです。
つまり、他者を意識して関係を構築するのは、
発達理論的には成人期に入ってから。
高校生が自分視点でいっぱいなのは
考えてみれば当然か。
むしろ、あのカリスマボーカルは高3にしては
珍しいのだなあ(ますますカリスマだ)と
改めて感じました。
と同時に、こんなことも思いました。
アイデンティティの確立ができていないと、
他者視点を得ることも、他者との関係構築も
難しいのだ、と。
アイデンティティの確立ってどういう状態?
と思いますが、「自分はこういう人。これでいい」
と思えることというのが私の解釈。
自分で自分を認めるということでしょうか。
そのためには、これまた個人的解釈ですが、
とにかくやりたいと思ったことをどんどん
やってみることが必要なのではないでしょうか。
ベクトルを100%自分に向ける時期を過ごす。
どっぷり浸かることが重要だと感じます。
自分のことがわからないまま、
他者の視点に立ったり、関係を構築するのは、
かなり難しいことですから。
朝晩、少し涼しくなりましたね。
今週も残り、体調に気をつけてまいりましょう。
