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『気持ちの持ち方・考え方』カテゴリの記事

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次男が同じ映画を繰り返し観ています。
私が知っているだけでも10回以上。
何がそんなに好きなのか気になり、
「なぜ、この映画が好きなの? 」と聞いてみました。


すると、しばらくして、「音楽」という答えが返ってきました。


私は、「へえ」と思ったものの、
じゃあ、映像作品じゃなくてもよくない?
という疑問が湧いて、もう少し知りたい、と思い、
「あとは? あとは?」と続けたところ、


「・・・・うるさい」


はい。まあ、そうなりますな。
思春期真っ盛りですし。私もそうでしたから。


若い頃は、「なぜ好きなのか」なんて
あまり考えないですよね。
自分自身のことを思い返すと、
私には、むしろ「なぜ好きなのか」を突き詰めて考えたり、
説明することはかっこよくない、
と感じていた時期がありました。
音楽などに関してはとくに。
「考えるな、感じろ!」
と思っていたのかもしれません。


今思うと、何かを誰かと「共有したい」
「同じ思いの人と話したい」という
気持ちも強くなかったように思います。
「私はこれが好き」
「あ、あなたはそれが好きなのね」
「オッケー」
というように。
あ、一言でいうと、自分勝手だった、ということですね(笑)。


さらに考えてみると、日常生活で「なぜ?」を
あまり聞かれることがなかったから、
ということもあるかもしれません。


子どもは、だいたい幼稚園くらいまでは、
なぜなぜマシーンなので、
「なぜ?」「どうして?」を連発するのですが、
そのうち、学校の先生や周りの大人の反応から、
「なぜ?」をあまり聞いてはいけない、と学び、
聞かなくなっていってしまうように思います。


現在の日本の教育は、
暗記7・思考3だそうですから、
「なぜ?ばかり考えていないで、これを覚えよう」
ということになってしまっても、
仕方ないのかもしれません。


「思考力とはどんな力か?」という問いに、
『批判的思考 ワードマップ』の著者で、
認知心理学が専門の京都大学の楠見教授は、


論理的に考え、自らを振り返る「批判的思考力」や、
「創造的思考力」などがある、と説明しており、
創造的問題解決のためには、
これらが一体となって働くことが必要だと語っています。


批判的思考力とは、誰かを批判する力ではなく、
自分自身が正しく考えられているかを振り返って考える力。
証拠に基づいて論理的に考えることと、
目的に対して正しく考えることができたかを
振り返ることだそうです。
それには、問いを立てる力が必要。
その基礎になるのが「なぜ?」なのではないかと思いました。


最近、教育現場における「批判的思考」についての
OECDの調査を目にしました。
調査によると、日本の中学校の教員が、
教育現場で、生徒に批判的思考が必要な課題を出したり、
批判的思考を促している割合は、わずか24.4%。
日本の授業を思い浮かべると、
このくらいの数字だろうな、とも思えますが、
なんとこの数字、46カ国中、最下位です。
ちなみに一つ上のノルウェーが65.6%。


日本の子どもたち、日本の未来、なんとも心配になりますが、
まず大人として、職場で、家庭で、
できることをやらなくてはならないですね。


私は、引き続き、思春期中学生相手に、
「なぜ?」をしつこくない程度に(?)
聞き続けたいと思いました。

笑い方も、話し方も、ジェスチャーも、
どれをとっても「悪い人」のそれ。
悪い人がとことん悪くて、正義がとことん強い。
そんな時代劇のような痛快さが人気のドラマ
『半沢直樹』の続編が7月よりスタートしています。


テレビ離れが進む中、平均視聴率は22%を超えるそう。
人気の秘密は、やはり、自己保身に走る人々や
同調圧力に飲まれる人々対
批判を恐れずに正しい道を選択する
半沢の戦いでしょう。


ドラマなので大げさな仕立てになっていますが
こういうこと、実際あるだろうなあと思います。


他者や集団からの圧力を受けて、
思考や行動を合わせようとすることを
社会心理学では「同調」(同調性バイアス)というそうです。


この現象は、日常のいたるところで起こっています。
たとえば複数で訪れた居酒屋での注文。
自分以外の全員が生ビールを注文すると、
最後に聞かれた自分も「じゃ、私も」と答えてしまう。
本当はレモンサワーを飲みたかったのに、
なんとなく面倒に感じて、みんなに合わせたのです。


会社の会議でも同じようなことが起こります。
「私はこう思います」と誰かが言い、
「私もそう思います」と次の人が言い、
「私も」
「私も」
と来られると、「私はそう思いません」と言いづらい。
つい「あ、じゃ、私も」と言ってしまう。


同調を示す、社会心理学者S・アッシュの有名な実験があります。


大学生8人を一組にして、ある長さの棒を見せます。
次に、明らかに長さの違う3本の棒を見せて、
先ほどと同じ長さの棒がどれかを言い当ててもらいます。
間違えようのないほど、長さは違います。


この実験、実は8人のうち7人は実験への協力者。
本当の回答者(実験参加者)は7番目に答えるように
順番が決められています。
前の6人の答えが、回答者の答えに
どれくらい影響があるかを調べる実験なのです。


結果はこうでした。
回答者が1人で考えたり、前の6人が正しい回答をしたときは、
間違えることはほとんどありませんでしたが、
前の6人全員がわざと間違った答えを選ぶと、
それに同調して誤答率が35%にも上がりました。
さらに調べてみると、協力者が1人のときは、
顕著な同調は起きませんでしたが、
2人から起き始め、3人になると誤答率が30%になりました。


また、回答者を2人にしたり、
嘘をつく協力者の中に1人だけ正しい答えを
言う人を入れると、誤答率が大きく下がりました。
1人でも味方がいると同調圧力が
大きく減るということがわかったのです。


なぜ多数派に同調してしまうのか。
日本ファシリテーション協会フェローの
堀公俊氏は、こう説明しています。


一つは、自分の判断に対する「情報的」な影響です。
私たちは、自分の意見や判断が正しくないときに、
他者や集団の判断を頼りにしようとするのだといいます。
たとえば、地震や台風などの天災が起こったとき、
何をしてよいかわからず、
近所の人の行動をまねたり、友人がやっていることを参考にします。
これは、人は不安になると
他者を手本にしようとするからだそうです。


もう一つが、「規範的」な影響。
「みんなと違うことをすると、変なやつだと思われる」
「嫌われて仲間はずれにされるのではないか」いう恐れです。
同じく災害の話でいえば、隣近所が同じ行動を取っているのに、
自分だけまったく違うことをすると、
どんな陰口をたたかれるかわからない。
これからの近所づき合いに悪影響があるかもしれない
と思ってしまうのです。
集団の一員として「受け入れられたい」「大切にされたい」
という人間の根源的な欲求があるからだといいます。


本当はそう思っていなかったのに、
本当は違うことがしたかったのに、
みんなに合わせてしまった。
そんなときは、心の中に棘のようなものが残って、
ザワザワしたりします。


でも、これも、同調することに慣れると、
感じなくなってしまうのかもしれません。


ザワザワを感じたら、その感情を無視しない。
あ、同調したのかも、と思って、振り返ってみる。
そして本当はどうしたかったのかをもう一度よく考えてみる。
そんなことが必要だな、と思いました。

作家の辻仁成氏のブログが好きで、よく読んでいます。


息子さんが我が家の長男と同学年であり、
パリでの子育ての話、教育の話、料理の話がすごく興味深いのです。


辻氏は小説家やミュージシャン、映画監督など、
いくつもの顔を持っていますが、
ここ数年注目されているのは、やはり料理人としての顔。
今では高校生になった息子さんのために
辻氏が作り続けてきた料理の数々は、
『パリのムスコめし』という料理本にもなりました。


しかし、辻氏、
昔から料理が得意だったわけではありませんでした。
7年前、突然息子さんと2人家族に
なってしまったときは、
毎日ハンバーガーを食べていたとか。
パリでどうやって2人で生きていくのか、
途方に暮れていましたが、
ある日、なんとか家の中を明るくしなくてはいけない、
という思いで、食卓から元気にすることを決意。
キッチンに立つようになったのだそうです。


辻氏のブログには、その日作った料理が
紹介されていることが多いのですが、これがすごいレベル。
簡単なフランス料理、和食はもちろん、
デザートまで軽々作っています。
フルーツタルトやショートケーキ、
バケットまで焼いてしまう。
オリジナルのレシピも多く、
料理歴7~8年でこんなに自由自在に
料理ができるなんて、びっくりです。


これは私の勝手な推測ですが、
辻氏のように料理がどんどん上手くなる人、
しかもオリジナルレシピを考案できる人は、
料理中、見えていないところで
自分が何をしているのかをつかむ力があるのだと思うのです。


どういうことかというと、
たとえば、レシピをただ追っているだけだと、
酒大さじ2、みりん大さじ2、しょうゆ大さじ1.5を
単純に計って入れているだけなのですが、
何をしているのかをつかむのが早い人は、
ここですでに割合の法則を理解している。
さらに、それぞれの調味料がどんな役目を
果たしているのかも、おそらく理解している。
そこがわかると、たぶん別の料理にも
応用できるようになると思うのです。


辻氏は、たぶん、そんな要領で、
フランス料理も、デザートも、
調味料のだいたいの割合や役目、
それらを使うとどんなできあがりになるのかを
感覚的に把握されたのではないでしょうか。


これは料理に限ったことではありません。
たとえば、スポーツでも同じことが言えます。
スポーツの上達が速い人も、
直接、見えていないところで
自分が何をしているか、気づいているのだと思います。
見えているところではラケットに
ボールを当てているだけなのですが、
実は重心の移動がポイントだと気づいている、とか。


何年か前、雑誌のインタビューで
当時のレノボの社長、留目氏が、
「物事の本質をつかむには、因果関係を見極めて、
何をどうすればどんな結果が出るのかを
理解することが必要だ」と言っていました。
料理もスポーツも、ほかのことも、
たぶん、上達が速いということは
本質をつかんでいるということなんだろうなと思います。


なんて書きながら、いろいろ考えてみると、
毎日取り組んでいる様々な物事の中にも、
見えていないことがたくさんあるような気がしてきます。
そこを見ようとしたら、
今まで「作業」と思って淡々とこなしていたことが、
突然そうじゃなくなり、飛躍的に上達したりして・・・
ちょっと楽しくなってきたので、
身の回りの「見えていないこと」、見つけてみたいと思います。

外出できない日々、
皆さんの「楽しみ」はスバリ何ですか?


私の場合は、「音楽」です。
古い電子ピアノを持っているので、演奏するのも楽しいのですが、
最近は、世界中のアーティストが
自宅から配信しているワークショップやパフォーマンスを見つけて、
聴くことにハマっています。


最近は、レディ・ガガが
バーチャルコンサート『One World : Together At Home』で
披露したピアノ弾き語りを聴いたり、
クイーンのブライアン・メイ氏が
インスタで配信した『Bohemian Rhapsody』の
ギターの弾き方教室をチェックしてニヤニヤしたり、
ジャズピアニストの上原ひろみ氏がインスタにアップした
『上を向いてあるこう』のソロ演奏と
『Amazing Grace』のリレー演奏動画を見て、
感動したりしていました。
音楽よ、ありがとう。


今、音楽業界に限らず、様々な業界で多くの人が、
社会のためにできることを自宅から発信しています。
見て、楽しんでいるばかりの私は
本当にありがたいことだと感謝しているのですが、
だんだん、私も自分ができることを
何かしなくては、という気持ちになってきました。


「自分にできることを」
私の場合は、楽しんでばかりで申し訳ない気持ちから生まれたものですが、
メンタルトレーナーの、くぼた茜氏によると、
この考えは、なかなか外出できない日々で
不安な気持ちを乗り越えるために、とても有効なのだそうです。


自粛がいつまで続くのか、など、自分では解決できないことは考えず、
自分でできること、目の前のことにフォーカスする。
たとえば、自宅でも規則正しく過ごしたり、
きちんとした服装に着替えたり、
適度に運動をしたり、しっかり食べたりすることが大切だといいます。


4月も後半に入りました。
今週も体調に気をつけてまいりましょう。

人間の判断や決定は、
「感情」と「理性」という
脳内の2つのシステムで担われている。


行動経済学の視点から書かれた、そんな興味深い記事を読みました。


行動経済学者である友野典男氏によると、
人間は物事を判断し、何かを決定するときには、
直感的にすることもあれば、よく考えてからすることもあり、
前者の直感的な判断や決断を
脳内の「反射システム(システム1)」が担い、
よく考えてからの判断や決断を
「思考システム(システム2)」が
担っているのだといいます。


システム1は、無意識のうちに自動的に発動するのが特徴。
素早く、労力をかけずに判断を下し、
同時並行で複数の作業をこなすことが可能です。


これに対してシステム2は、
思考・熟慮を伴うため、意識的に起動しなければならず、
時間がかかり、労力やエネルギーを要します。
それゆえシステム2は、なかなか起動しないし、
起動しても長続きしないという特徴を持っているといいます。
「感じる」ことはいつでもできるが、
「考える」ことは、少々手間がかかることだからだ、
と説明されていました。


さらに、記事には、
生活上のたいていの意思決定は、
システム1で十分こなせる、とありました。
日常の買い物や世間話なら、
いちいちシステム2による熟慮を経なくても、
システム1の直感的な素早い判断で
十分に用が足りるから、だそうです。


ここまで読んで、私は、
もやもやが晴れて、すっきりしました。


「考える」のが得意とか得意じゃない、とか、
好きとか、好きじゃないとか、
そういう話をよく耳にしますが、
それがどういうことなのか、よくわからなかったからです。
でも、そういうことだったのか。
脳内のシステム2を起動するか、しないか、
という話だったんですね。


でも、じゃあ、システム1だけでまあまあやっていけるの?
ということになりますが、記事を読み進めると、
システム1、2の連携がいかに重要かが書いてありました。


というのも、システム1は、直感で起動することから、
バイアスがかかった判断をしやすいという弱点があるため、
システム1の判断・決定をモニターして、
ゴーサインを出したり、 逆にシステム1の判断や決定を
覆すために、システム2の起動が必須になるというのです。


でも、システム2は前述したように、起動に労力を必要とします。
うまく起動させる方法は、あるのでしょうか。


一つは、システム2を起動させやすいよう、
システム1によるバイアスを減らすことだそうです。
そのために必要なことは、
「バイアスは誰にでもある普通のことだ、と考えること」。
バイアスは誰にでもあり、
自分だけ特別なわけではないと思うこと、だそうです。


二つ目は、こちらもバイアスを減らすために、
「どんなバイアスがあるのかを知っておくこと」だそうです。
世の中には、様々なバイアスがあります。


たとえば、利益と損失が同額であれば、
利益から得る快感より損失による苦痛のほうを大きく感じる
「損失回避バイアス」、
物事がうまく回っていたら、
新しい方法を試そうとは思わない「現状維持バイアス」、
多数派の意見にとりあえず合わせようとする「同調バイアス」など。
こうしたバイアスの存在を知っておくだけでも、
気づきにつながるといいます。


三つ目は、
外部者や第三者の意見を参考にすること。
意思決定においては自らの感情が大きく影響しますが、
当事者ではない第三者や外部者の意見を聞くことは、
感情部分をおさえることにつながります。


そして最後は、判断から実行までの間に
意識的に時間を置くことだそうです。
そうすることで感情的な部分が薄くなり、
判断や決定を見直すことができるといいます。


現在、新型肺炎の影響で、社会が混乱しています。
こんなときこそ、脳内のシステム1と2を意識して、
落ち着いて判断、行動することが重要だと思いました。

今年のアカデミー賞は、
韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が
作品賞を含む4部門を受賞し、話題になりました。
授賞式では、ステージに立ったポン・ジュノ監督が
昔、本で読んだ巨匠の言葉にとても影響された、として、
客席のマーティン・スコセッシにメッセージを送ったのが印象的でしたね。


また、2度目のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を
受賞したカズ・ヒロ氏にも注目が集まりました。


カズ・ヒロ氏は、
『スキャンダル』で、主演のシャーリーズ・セロンの顔を
FOXニュースの女性キャスターそっくりにメイク。
前回の受賞では、ゲイリー・オールドマンを
ウィンストン・チャーチルに大変身させていましたが、
なんとなく、大変身させるよりも、
今回のように、顔つきの微妙な変化を表現するほうが難しそうな気がします。
とんでもないアイデアと技術、集中力が
必要とされたのだろうと想像します。


さて、そのカズ・ヒロ氏が
クリエイティブと向き合うためには
「気づくことが大切」だと、インタビューで語っています。


「何かを感じるときに、自分ではどう感じているのか。
反応するときは、自分の中にあるものと
返ってきたものがかみ合う時。
そのかみ合い方で単に習慣として反応しているのか、
あるいは別のことに気付いたのか。
それをしっかり見極めることが大事です」


何かに出会ったとき、
自分がどう感じているのか、を意識しなくてはいけない、
ということですよね。


どうでしょうか。
毎回自分の気持ちを敏感に受け止めている
という人、多くないような気がします。
何かに出会って、いちいちイライラしたり、
この感情は何なんだ、と考えることが面倒くさいから、
敢えて考えず、すーっと流しておこう、
という人も少なくないのではないかなと思います。


でも、感情や気づきこそが
クリエイティブの源なんですね、きっと。
アウトプットがメイクであれ、絵であれ、文章であれ、
自分がどう感じたのか、どう思ったのかを考えずにいると、
何も生み出せないということなんだろうな、と改めて思いました。


カズ・ヒロ氏は、こんなことも言っています。


「今まで得た知識の範囲内でしか考えらないと広がらないですよね。
結局、社会で植え付けられた知識を
基準として生活しているので、
それを取り外さないと先に進めません」


これは、固定観念を取り外す、とうことですね。
思い込みを捨てる、とか、常識の枠にとらわれない、とか。
よく聞く言葉ですし、
そうしなくちゃいけないのはわかるんだけど、
実際何をすればいいの? と思ってしまいますね。


人材育成コンサルタントの竹内義晴氏は、
固定観念を取り払うには、
「何がそう思わせているのかを考える」ことが大切だ、
と言っています。


たとえば、「自分を変えるのは難しい」という思いがあり、
行動にブレーキがかかっているとします。
そんなときは「難しい」と思わせているものは何か、を考え、分析してみる。
そして、必要がないものを一つひとつ手放してみる。
すると、今まで「難しい」と思っていたのは、
思い込みであったことに気づくことができるのだそうです。


こうしてみると、
やはり、きちんと「感じる」ことで「気づく」こと、
そして「考える」ことは、
何かを生み出すためには欠かせないということがわかります。
自分自身と向き合うこと、もっと大切にしたいですね。

世界価値観調査によると、
日本の20代の「クリエイティブ・冒険志向」は
59カ国中、最下位なのだそうです。


しかし一方で、アドビが行った別の調査では、
世界5カ国計5000人が選んだ「最もクリエイティブな国」は日本でした。


クリエイティブだと認められているのに、
「いや、そんなことありません」
という状況。どういうことなんでしょう。


私の勝手な推測ですが、
もしかしたら、一つ目の調査は、日本人の特徴である「謙遜」が
強く回答に出ていて、
「当てはまる、と言い切るほどでもないし、
多少当てはまる、でもないから、
当てはまらないにしておくか」と
控えめに答えているのかもしれませんし、
2つ目の調査は、
漫画やアニメなど、一部の日本発の作品が
世界的に見るととても独創的で、
ものすごくクリエイティブだと評価されているので、
日本=クリエイティブに
つながっているのかもしれません。
ただ、その一部の作品も
日本から生まれているわけなので、
やはり日本にクリエイティブを生む素はあるのでしょうね。


それにしても、
この2つの調査を見て私が感じるのは、
「もったいない」という気持ち。


本当はすごい力を持っているのに、
謙遜して使わないままでいるのか、
それともすごい力を持っていることに気づいていないのか、
今はまだ力はないけど、
これからつけられる可能性があると思っていないのか。
いずれにしても、もったいない。


これはもしかしたら、
日本の社会が失敗に厳しいということとも
関係しているのかもしれません。


最近、「失敗したら終わり」感が
社会に広がっているなあと感じます。


うちの長男も中学時代、
どうでもいい小さなことでも(そう表現するのもなんですが)、
あまりにトライしなかったので、
「とりあえずやってみればいいじゃん」と話したら、
「失敗したらどうする?」と言うので、
「いいんじゃない?それでも。たいしたことないから」と伝えると、
「だめだよ。先生から、失敗したら終わり、って、いつも言われている」
と返してきました。

確かに、失敗したら終わりのことはあります。
特に中・高生が陥りがちなSNSトラブル。
軽い気持ちで書いた文章を読み返すこともせずに投稿して、
取り返しがつかない事態を招く、ということは少なくありません。
でも、なんでもかんでも、
失敗したら終わりじゃない。
失敗は絶対にできない!と思っている若者が多いとしたら、恐ろしい!


そう思って、ちょっと調べてみたら、
「新入社員の8割が失敗することに不安を感じている」
という調査結果を発見。
個々の回答を見ると、
「失敗は恥ずかしいから」
「失敗すると気分が落ち込むから」
「失敗を背負いきれないから」
などの声があります。


むむむ。
クリエイティブは、挑戦しないと生まれないし、
まったく失敗のない挑戦なんてないので、
これでは新しいものは生まれないと思ってしまいます。
社会が大きく変わらないといけないのかもしれません。


一方で、挑戦に向かって、自分でもできることがあります。
それは、劇作家の鴻上尚史氏が言っている方法で、
「自分は、たまたまタイムマシンに乗って
10年後から戻ってきた」という設定を作ること。


たとえば本当は50歳なんだけど、
たまたま40歳に戻ってこられた、と思い込む。
そんなふうに思えば、
挑戦したいことがあってなかなかできない人も、
何をしたいかわからないけど何か変えたい、と
思っている人も、今すぐに動くことができるはず、と、
鴻上氏は言っています。


確かに。
10年後、「あのとき始めておけばよかった」
と感じるかもしれないことを始められる。
「ラッキー!」とさえ思えてきますね。


皆さんはいかがでしょう。
10年後から戻ってきました。
さあ何を始めますか?

「自分で考えて動いてごらん」


小学生スポーツの現場でよく聞かれる声かけです。
我が家の次男が所属するサッカーチームでも、
コーチがよくこの言葉を口にしています。


言われたことだけをやることに慣れると、
言われないと何もできなくなる。
だから、「自分で考える」。
大事なことです。


ところが、次男のチームを見ていると、
「自分で考えろ」と言われても、動けない子が多いように思います。
それは、指示に慣れてしまったから、
という理由もあるかもしれませんが、
考えろと言われても何を考えるのかわからないからなんだろうな、
と私は思います。


考えるためには、少なくとも考えるベースになる、
基本情報がないといけないのだと思います。
サッカーで言えば、
サッカーの基本的なプレーの仕方です。
それがないのではないかなと思うのです。


そんな基本的なこと、教えるものじゃない。
テレビでサッカー観ていればわかるでしょ!
と、コーチたちは思っているかもしれません。
確かに、強豪チームに所属する選手たちや、
サッカーが大好きで向上心がある子たちは
言われなくても試合を分析したりしているかもしれませんが、
残念ながら、サッカーチームに所属していても、
普段から自主的にサッカーを観ていない子も
多いのではないかと思います。


つまり観察不足なのではないかと思うのです。
観察しないから、情報が不足する。
そこから知識を身につけられない。
そんな状態なのに、
自分で考えて動けと言われるから、ただ焦る。
そんなところなのかな、と思います。


そう考えてみると、子どもたちだけでなく、
大人も同じような問題を抱えているのかもしれません。


ミュージシャンの細野晴臣氏は、
一人で答えを出す前に、周りに目を向けることを促しています。


「今の時代は、あなたはどう考えるか、
あなたは何を選ぶか、といった自分の意思を
絶え間なく問われている。
でも、それはなかなか息苦しい。
個人だけで答えを出すことは、
地域や家族といった社会的な価値観から
切り離され、個人が点としてしか存在できなくなるから」


「すでにある伝統は、
みんなが長い年月を掛けて作り上げてきたもの。
だから、あらゆる英知が蓄えられている。
それを学び把握してから、自分のありようを
決めてもいいんじゃないですか」


うーん、確かにそうですねえ。
職場でも家庭でも、
個人の考え、個人の発想を急いで求めない。
求められる方も、焦って答えを出さず、
まず周りを観察することから始める。
そんな余裕を持つことも必要だなと思いました。

「女性は男性よりも数学が苦手」
などと言われると、
「そう、そう!」と思い込み、
自分の考え方や行動を言われた方向に寄せていく現象を
社会心理学では「ステレオタイプ脅威」
と呼ぶそうです。


カリフォルニア大学のスティール教授らが行った実験では、
数学のテストの前に「女性」であることを
意識させたグループと
そうでないグループとでは、
性別を意識させたグループのほうが点数が低いという結果に。


実際、苦手を意識することで、
脳のワーキングメモリーが制限されることが
わかっているのだそうです。


「苦手」と思い込むだけで、
脳でそんなことが起こるとは恐ろしい。
無理矢理「得意」と思わないと!
と思いましたが、
そんな簡単なことではないですよね。
何しろ、今までずっと「苦手」と聞かされ、信じてきたのです。
そう考えると、親や学校、職場など、
周りの人の言動が個人のパフォーマンスに
いかに大きな影響を及ぼしているか
ということに改めて気付かされます。


「苦手」という字面を見ていたら、こんなことを思い出しました。


子どもの頃、私はピアノ教室に通っていました。
ある日(たぶん小6くらい)、
なぜか、「しっくりこない」と感じました。
楽譜通りに弾いても、何か違う気がする。
正しいのかどうなのか、わからない。


なんて書くと、とても芸術的な悩みのようですが、
今考えると、単に練習不足で、
楽譜通りに弾けていなかっただと思います(笑)。


先生はとても厳しい女性だったので、
その日、難しい顔をしたまま弾けない私を叱りました。
いきなり私の楽譜に「音が苦」と
大きな赤い字で書き込み、言ったのです。
「あなたのピアノは音楽ではなく、音が苦です!」と。


今でも、「音が苦」という赤い字を鮮明に覚えているので、
当時の私にとっては、なかなかインパクトのある
出来事だったのだと思います。
案の定、それ以来、私はやる気がなくなり、
いや、もともとあまりやる気はなかったのかもしれないので、
さらにやる気がなくなり、
引越しを機にピアノをやめてしまいました。


今、考えると、もしかしたら先生は、
少し大袈裟に、少し厳しくダメ出しすることで、
励ましただけなのかもしれません。
スポーツなんかではよく聞きますね。
「全然、できてないぞ!」と言われ、
悔しくて、猛練習したというエピソード。
でも、そう反応する人は、実は多くないのかも、という気がします。
少なくとも私は違いました(笑)。
励ましたつもりだったとしたら、
やる気を失う私を見て、先生はどう思ったかな、、、


皆さんはどうでしょうか。
期待している、という意味で、
「○○さんは、○○がちょっと苦手だよね。だからもっと注意しようね」
などの声かけ、しますか?
あるいはご家族に
「○○が苦手だよね」
なんて言うでしょうか。
私は、、、実は、言っちゃったりしてました。
子どもに、、、。
ああ、反省。


思想家の内田樹氏が著書でこんなことを言っています。


「批判を受けたから魅力が増す、ということはないんです。
というのは、
才能のある人の魅力というのは、
ある種の無防備さと不可分だから」


一度、深く傷つけられると、
無防備さは回復することはなく、
クリエイターなら、作品の中にあった
「素直さ」
「無垢」
「開放性」
「明るさ」
は一度失われるとに度と戻らない、と語っています。


内田氏はこれまでの経験から、
人に才能を発揮してほしいと思ったら、
その人の「これまでの業績」についての
正確な評価を下すよりも、
その人がもしかすると「これから創り出すかもしれない傑作」
に対して期待を抱くほうがいい、
とも話しています。


「才能というのは、あなたには才能がある、
という熱い期待のまなざしに触れたことが
きっかけで開花する。
才能はそこにあるというより、そこで生まれる」と。


ああ、これはそうですねえ。
小学生の私が、ピアノの先生の熱い期待のまなざしに触れても、
才能が開花したとは思えませんが、
いやいや、こればかりはわかりません。
もしかしたら、調子に乗って、猛練習したかもしれません。


そう考えると、
調子に乗るくらいでいいのかも、と思えてきます。
一人ひとりがそのくらいの勢いで
何かに取り組んだら、クリエイティブな世界になるでしょうね。


「苦手」の取り扱い、注意しなくちゃいけませんね。

テレビをつけたら、元サッカー日本代表の
本田圭佑選手が出演している炭酸飲料のCMが
流れていました。
本田選手と一緒にリトル本田も出演していて、
久しぶりで、懐かしくなりました。


リトル本田が有名になったのは、本田選手が
イタリアのACミランに入団した2014年。
入団会見で、記者から
「なぜ、ミランを選びましたか?」と聞かれ、
本田選手は
「自分の心の中のリトル本田に聞いてみた。
彼は『ミランでプレーしたい』と言いました」
と答えました。


マスコミは、彼のユニークな回答を
一斉に取り上げ、一時、日本では、
「リトル本田」を笑いのネタにするような風潮もありました。
しかし、この「リトル本田に聞いてみた」
という言動は、実は本田選手が
「メタ認知」ができているということを示していたのです。


メタという言葉には
「高次な」という意味があります。
「メタ認知」は、あるものを一つ上の視点から客観的に見ること。
自分自身を客観視する能力としても使われ、
ビジネスやスポーツ、教育の分野などで注目されています。
本田選手は「リトル本田」を通して、
自分の行動を冷静に見つめ、分析していたのです。


一流のスポーツ選手は
総じてメタ認知能力が高いと言われますが、
中でもよく知られていたのがイチロー選手です。


イチロー選手は、
「自分が何をどう感じて、どのように打てているかを説明できた時、
超一流の仲間入りができた」
という名言を残しています。
これはメタ認知ができていなければ、生まれていなかった言葉でもあります。


では、反対にメタ認知をしないと、どんなことが起こるのでしょう。


「ダニング=クルーガー効果」
という現象があります。
2人の心理学者がアメリカのコーネル大学で
行った研究で知られるようになりました。


心理学者の茂木健一郎氏は、
「ダニング=クルーガー効果」を
次のように説明しています。


能力の低い人は自分のレベルを
正しく評価できない。
能力の低い人は他人のスキルも
正しく評価できない。
よって、能力の低い人は自分を過大評価する。


研究では、ある試験のあとに、
自分がどの程度の成績かを評価させる実験が行われました。
すると、下位4分の1にいる人は
「かなりできたので上位を狙える」と答え、
上位にいる人ほど「もっと成績を上げる努力が必要」
と謙虚な答えが返ってきたのだそうです。


茂木氏は、これがまさに、
ダニング=クルーガー効果の好例であり、
脳が持つ特定の思考癖を表していると言っています。


なんだか、ちょっと耳が痛いような気もしますが、
でも確かにそうですね、、、
勉強でも、仕事でも、スポーツでも、
自分のどこに問題があって、
どうすれば良くなるのか、
わかっている人は、伸びていきます。
でも、自分の問題に気づくことすらできないと、
成長することもできません。


でも、ご安心を。
メタ認知の能力は高められるそうです。


トレーニングとしてよく取り上げられているのは、
自分が考えていることを紙に書くことです。
え、それだけ? と拍子抜けしてしまいそうですが、
書くだけで終わらせるのではなく、
後から客観的な視点で読み返すことで
「自分はこんなふうに考えたんだ」
と、気づくことが重要なのだそうです。


何か悩みがあるのであれば、
相談する自分とアドバイスする自分の2役を
紙上で会話させる方法も有効だそう。
悩む自分「~で悩んでいる」
アドバイスする自分「なぜ、そう思ってるの?」
というふうに。
もうこれ、リトル本田ですよね。


こうしたトレーニングで
客観視する癖がついてくると、
自然にメタ認知能力は高まっていくそう。
そして、メタ認知ができると、
成長スピードはぐんと上がります。


皆さんは自分の中の「リトル・ミー(ME)」と、
どんな会話をしますか?

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