ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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『リコメンド』カテゴリの記事

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先週、家のテレビが突然壊れてしまい、
週末、新しいテレビを買いに行きました。
15年以上使っていた気がするので、ありがとう!という気持ちです。
突然の出費は痛いけど、夏なので、壊れたのがテレビでよかった。
これがエアコンや冷蔵庫だったら...


さて、今日は「会議」の話。


会議に対する不満、世の中、多いのではないでしょうか。例えば、、、
・招集されたから出席したけれど、出席する意味を感じない。
・会議のゴールが見えないことに、ストレスを感じる。
・自分に何が期待されているかわからず、発言がしにくい。etc...

他にも時間通り終わらないなど、たくさんの不満がありますよね。
今回、なぜ私がこの話題を取り上げたいと思ったかというと、
最近、私は、暗黙知はどうすると形式知になっていくのか、について
興味を持っていて、
この機会にそういう視点で会議というものを振り返ってみたいと思ったからです。


例えば、私たちは、会議のファシリテーションを業務委託されます。
委託された会議の前には、時間をかけてしっかり準備をします。
会議の目的はもとより、参加者の心情心理や理解のレベルを踏まえ、
どういう流れで何を問いかけるかを考えます。


そういう仕事をしている私たちですが、
では自社内のミーティングが「常に」うまく機能しているかといえば、
ありゃ〜 残念ながら答えは「NO」です。
そして、会議が停滞したり、堂々巡りをしている時に
参加メンバーが感じていることは、人それぞれ違っているような気がします。

自社の会議と委託されたファシリテーション業務との最大の違いは、
準備の量です。社内会議の場合、極々最小限しか準備はされません。
準備はした方が良いに決まっていますが、
身内の会議でそれをルールにしてしまうと非効率な面もあります。
(という思い込みを疑ってかかる必要もあるかもしれませんけどね)
ですので、ここでは多くの準備はしない前提で、
会議をより良い場にするためにはどうしたらいいのか、
そんな視点で皆さんと一緒に考えていきたいと思います。


と、言ったものの、、、会議といってもいろんなタイプがありますね。
まずは合意形成しながら、方針や行動を決めていくような
会議を前提として考えてみましょうか。
それでもいろいろなシーンがありますね。
いろいろな会議のシーンを思い起こし、
何となく停滞している時の共通点、
変えるべき事柄について、探してみたのですが、
結局それは何でしょう?


私は、主に3つ原因があり、まずはそれを変えたら、いいのかなぁと思います。
1つ目は、「目的」の曖昧さを早めに深掘りして、「課題」として明確にすること。
2つ目は、「方法のタイプ/場のコンセプト」を招集前に明確にして共有すること。
3つ目は、「各参加者の役割」を招集前に明確にして共有すること。
式で表すと、「課題」×「場のコンセプト」×「役割」です。
順番に見ていきましょう。


まず1つ目。どんな会議でも、一応目的はありますよね。
でも、その「一応ある目的」ぐらいだと、何から話したらいいのか、
とてもとっつきにくいはずです。

例えば、次の2つは、先週実際に私が参加したミーティングの目的です。
・今後の当社のマーケティングの方法論を確立する。
・顧客ヒアリングに基づき、どんな方向でプレゼンテーションするか決める。
ですが、この目的表現のままだと、何を議論していいかわかりません。
目的に応える形で「課題抽出」できてこそ、具体的なディスカッションに入れます。
そう、この「課題抽出」は実はそれだけで1回以上のミーティングが必要なくらい、
重要なディスカッションテーマです。
つまり会議プロセスを形式知化しようとするなら、
「目的」から「課題抽出」という工程をしっかり立てることが必要ですね。
具体論はその後である、そんな形式知への共有が必要なのかと思います。


続いて2つ目。会議の場には「方法のタイプ」(場のコンセプト)があり、
まずはそれを明確にし、招集段階で告知できたらいいですね。
例えば、、、
・ブレーンストーミングなどの「アイデア発散タイプ」
・ボトムアップ提案などの「プレゼンタイプ」
・定例的、あるいはプロジェクトの要所での「報告タイプ」
・振り返って行うミーティングや反省会などの「分析タイプ」
・その場で集まってワークする「実務実行タイプ」
・インタビューや資料に基づくレクチャーなどの「取材タイプ」
・方向性に対する結論を出す「合意形成ディスカッションタイプ」
・意思決定を行う「意思決定ディスカッションタイプ」
・トップダウンの意思伝達を行う「意思伝達タイプ」etc.
場のコンセプトがわかると、参加者は自分の行動がイメージできます。
場のコンセプトを伝えるというのは、形式知にできる要素だと思います。


最後に3つ目。「各参加者の役割」について。
実は、今回振り返ってみて、私が一番頻繁に混乱しやすいのが
これだとわかりました(笑
この場が何の場で、部下は自分に何を期待しているのかがわからないままに、
上司だからという思い込みから、見えない役割を果たそうとしてしまう。
その結果、アドバイスなのか、指示なのか、わかりにくいことを発信してしまう。
そういうことが起きがちです。(反省)
私に限らず、上司というポジションの方には、
この感覚、多少わかっていただけるのではないでしょうか。


でも、この「各参加者の役割」。立場に関係なく重要ですよね。
自分の役割がわからないと、人はどう振る舞っていいのかわからない、
これはすべての人にとって共通する感覚だと思います。
アイデアや助言が欲しいのか、協力を引き出したいのか、
ただ単に「いいね」と言って欲しいのか、
誰しもその役割を知った上で、会議に参加したいはずです。


さて、、、、
今回は3つの仮説に則って、
会議に関する暗黙知をどうしたら形式知化できるか、見てきました。
これを考え抜くことに、一つの価値がありそうですね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
まだ夏は続きます。思い出深い夏になりますように!

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こんにちは! 
先週、偶然にも似たような別々のプロジェクトが今月3つ始まると書きました。
いずれも私たちがファシリテーション&コンサルテーションするような案件です。
そこで、今日は、私たちがミーティングをファシリテーションするときに、
何に配慮しているかを紹介させていただきます。
配慮している点はいろいろありますが、、、、(笑


一番は参加者の方たちの気持ちが、会議に対して他人事にならず、
主体的に参加しようと思ってもらうようにすることです。
そのためにも、「話す人」と「聞く人」に分かれないような工夫をたくさんします。


今日は、その中でもシンプルですぐに使える方法をお伝えしますね。
それは、各自の意見を書き出してもらう時間と、
書いたものをシェアしてもらう時間を分けるという方法です。
なぜ、このようにするかというと、複数のメリットがあるからです。


具体的には、こんなふうにその場にいるメンバーに伝えます。
「今から⚪︎⚪︎についての意見を出し合います。
⚪︎分間、考えながら付箋に書き出してください」
シェアの時間帯では、各自が書いた内容をシェアしてもらいます。
そして、そのコアなるポイントをホワイトボードに書き出して、
グルーピングしていきます。


この方法、いろんな意味で楽です。理由は、、、


第一に、こうすることで、全員が「考える」ことをせざるを得なくなります。
自ずと、「聞いているだけの人」でいるわけにいかないということですね。
第二に、声の大きい人に場を占領されることを防げます。声の大小に関わらず、
全員が自分の考えを発言できるようになります。
第三に、人の意見の影響を受けにくいというメリットもあります。
書かない場合は、前の人の発言(特に上司の発言)の影響を受けますが、
書いてそれをシェアするという方法によって、影響を受けにくくなります。
第四に、考えながら話すと時間が伸びがちですが、
この方法だとシンプルに共有でき、タイムテーブルをしっかり組むことができます。


この方法は、特にアイデアや意見を発散する場面で有効ですね。
大抵、1セット10分、目的に応じて、1セットしか行わない場合もあれば、
何セットか行う場合もあります。
アイデアが求められているときは、10分3セットやると、
かなり出尽くすと言われています。


アイデア会議やブレストのまとめ役でいらっしゃる方は、
ぜひ参考にしてみてください。


では、今週も素敵な1週間でありますように!

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前回はビデオを撮らなかったので、ビデオブログ的には2週間のご無沙汰です! 
今日は、アートについて話したいな。おつきあいください。


今回は、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」
(著:ジュリア・キャメロン、原題:The Artist's way」)
という本を紹介しながら、自分の心を解放してクリエイティビティを発揮するということについて、一緒に考えたいと思います。


この本は、誰もがみんなアーティストなんだよ、ということを教えてくれる本です。と、同時に、人が創造的になるための方法(12週間のプログラム)が紹介されています。共感します! この本は、一時期当社がお世話になっていた飯島波奈さんという方から最近教えていただきました。飯島さんはそのワークショップなども開いています。ご興味があればぜひ。


この本を紹介したいと思った理由は、たまたま私自身が、今、絵を描いているから。
そして、人の心を自由にする方法を私も人に広めたいと思うからです。


私自身は、何の専門教育も受けていないのに、
あるときは、絵を描こうと思い、
あるときは、音楽を作り、
あるときは、小説を書きます。
ただただそれをやることが楽しいからです。


今は、絵を描くために、
Youtubeを見て、絵の具の使い方を学んでいます。
絵の具の溶き方も、下地の作り方も、何も知らず、
誰のためでもなく、自分が満足するために絵を描くことをやっています。
しかも、いきなり展覧会を開くことを目標に掲げて(笑


でも、、、、
昔はそうではありませんでした。


幼稚園のとき、私は絵を描く行為で、
子供らしくない態度をしていたらしく、母を悩ませていました。
つづく小学校1年生。
初めての通信簿で、図画工作の評価は「3」。
私の自尊心が求めるのは「5」。
認められない初体験。子どもながらに辛かったです。


でね、その「私は苦手」という意識が、その後の私を縛ります。
自分で自分に「苦手」を刷り込んだんですね。かなしい。


ところが、高校生ぐらいになって、
そんな私が、途中で自分を解放し出して、
クリエイティブなことって誰でもやってもいいのかも、と思い始める。
その高校の文化祭や体育祭が、とってもクリエイティブで、
私にしてみると「え? そんなこと、やっちゃってもいいんだ!?」と
思うほど、お祭りでクリエイティブパワーが全開になる、
そんな高校だったからです。
正確に言うと、私は運動部だったから、
そこで何かを発揮することはなかったけど、
自分にOK出しをしていいと思えたのは、その頃だと思います。

というわけで、今では、私も自分をアーティストだと思えるし、
すべての人がアーティストだと思えます。


具体的には、私は10年に1度ぐらいの感覚で、
アート三昧して、自分を表現したくなり、
実際にそれをやってきました。
私は会社経営もアートだと思っていますが、
絵画、小説、音楽、詩などによって自分を表現することは、
自分らしくあるために必要なことなんですね。


私は、美術を学んだこともないし、音符も読めないんですが、
本質からすると、そんなことはどうでもいいことです。
というか、そんなことを知らなくても、自分を表現することはできるんですよね。
でも、そこって、人にとっては「???」なのじゃないかな。
本当はみんながやりたいことなのに。

じゃあ、そのためにどんなことが必要なのでしょうか。
私は最低次の2つが必要だと思っています。


第一は、自分への思い込みを手放すこと。
人は、たくさんの思い込みを自分に対してしています。
多くの場合はそれが制限になっています。
自分が自分にしている制限を解くこと。
表現したい欲求にしたがうことを自分に許すこと、
それが最初の一歩だと思います。


第二は、他人に褒められたいという気持ちを捨てること。
誰しも、他の人から認められたい気持ちを持っています。
が、自分が表現したいなら、まずはそれを忘れること。
むしろ、自己満足を大切にすることです。


すべての人はアーティストである、
...という私の意見、あなたはどう思いますか。


そういう社会になったら、毎日がイノベーションです。
そんなニュースで溢れている社会になると思います。
そのために私にできることはなんだろう? 
きっと何かあるはず! そんなふうに思います。


今日も聞いてくださって、ありがとうございました。
素敵な1週間をお過ごしください!

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こんにちは。


今日のテーマである「自己満足」という言葉、
どちらかというと肯定的には使われず、
否定的なニュアンスを含んで使われることが多いと思いませんか。
「自己満足に終わる」
「自己満足でしかない」
こんな使われ方をよくします。


自分自身や自分の成したことに対して、
独りよがりで悦に浸っているけれど、
満足しているのは自分だけで、他人を満足させられるものではない...
というような意味合いでしょうか。


人に向けて使うときは、
他人への目線が欠けていることに対して揶揄する言葉になり、
自分に向けて使うときは、
謙ることで批判をかわす意図も見え隠れします。

でもね、先日、ふと思ったんですよ。
他人より先に自分が満足しないものが、他人を満足させることはありえないな...と。
他人から褒められたり、他人を満足させることができても、
自分が満足しなければ、全然ハッピーじゃないし、
反対に、自分が満足して幸せだと思えれば、それで十分幸せだよね、と。

実は、セドナから帰って以降、
私の中で変化したことがいくつもあるのですが、その一つがこれです。
向こうで過ごしている間に、
ネイティブインディアンの血を引く占い師のような女性に出会いました。
その彼女に、こんなことを言われたのです。


「あなたはもっと自分のことを第一に考えるべきだし、
もっと好きなことをやって人生を楽しめ」。


人生が楽しくないと思ったことなど一度もなかったので、
最初はぴんと来ませんでした。
でも、「子どもの頃から、自分のことを後回しにする傾向があったでしょ」
と言われて、むむ、、、んー、たしかに。
思い当たったんですよね。


子ども時代のことよりも、むしろ今の自分について。
たとえば社長をやっているので、
「社長なんだから、仕事を優先するのは当然...と
いつも最初から譲歩していたんじゃない? 私?」
そんな疑問が湧いてきたのです。


誤解されても困るので、補足しますが、
実際には仕事は楽しいし、大好きです。
特に未来のことを考えたり、戦略的なことを考えたりしているときは、
本当にワクワクします。
だけど、それはもしかして「アタマが楽しんでいる」状態であって、
「ココロが楽しんでいる」のとは違うのかも、と
そんなふうに思いました。

振り返ってみると、長い間、
学生時代のように「好きだからやる」をしていませんでした。
表現したり、創作したり、人に見せたり、
100円で買ってもらったり。。。
学生時代はそんなことをして、まったくの自己満足でしたが、
間違いなく満足していました。


もう一度自己満足のために、「好きだからやる」をしようかなと、
そんな気になりました。

ですが、ここであなたとシェアしたいことは、
何かをするとか、しないとかの話ではなく、
自分の満足を最初に考えるということ、そして
それに対して簡単に譲歩しないということが、
幸せのために不可欠だという発見についてです。


仕事だってそうだと思います。
上司を満足させることよりも、
自分が満足することを先に考えてちょうど良いのでしょうね。
そうしたとしても、揺り戻しはあるのが社会ですから(笑


自己満足について、あなたはどう思いますか?


さ、5月もあと2日で終了ですね。
どうぞ良い1週間をお過ごしください。

(picture by:Justine Furmanczyk)

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1週間ほど前、「森のリトリート(Biz編)」という2泊3日のプログラムに参加してきました。プログラムの概要を一言で言うと、ナビゲーターを含め、グループで原生林に入り、森の中では各自が一人になって過ごし、夜は焚き火を囲んで、その日の自分の体験を語り合う、簡単にいうとそれを3日連続で行うというものです。森の中で自分と対話し、森とも対話し、戻っては人と対話する、この3つの対話がこのプログラムの要になっています。
私が参加しようと思ったのは、一人で森で過ごすということに好奇心を掻き立てられ、滅多にできない体験であることに魅力を感じたからです。それ以上のものは何もなかったのですが、想像していた以上に良い体験となりました。


さて、「森」と聞くと、どんな場所を連想しますか? 白神山地とか屋久島のイメージでしょうか? 巨木が生えていて、木々が鬱蒼と生い茂っている、そんなイメージがありますね。実際に入ってみると、そういう場所ももちろんあるのですが、もっといろんな表情を感じさせます。到底倒れそうにない巨木が倒れて、朽ちていたり。そう、巨木もそうでない木も、案外たくさん倒れていました。台風の影響などもあるのでしょう。ですが、なぜあの木ではなく、この木が倒れたのか。それは神のみぞ知る世界です。「寄らば大樹」という言葉がありますが、「大樹」だから安心とは言えないな...なんて思ったり。
ナビゲーターの山田博さんは「本当にまるで誰かが意図したかのように、うまいこと倒れる」と言い、偏りがないように倒れ、倒れると、また新しい木が育っていく、森全体の循環システムが素晴らしいと話してくれました。


《ゆっくり、静かに、感じる


森での時間は、自分で決めた「自分の場所」で過ごします。土地の傾斜、光の入り加減、木の密集度、木の種類などからしても、森にはいろいろな場所があるので、座ってみては落ち着けるかどうかを判断しながら、場所選びをしました。私が最終的に選んだのは、木はそれほど密集しておらず、開けた印象の場所でした。幹の直径が1メートルほどある木の根元に座り、時には寝っ転がったり、周囲を散策したりしながら、過ごしました。


「このリトリートをより有意義なものにするためのコツは、『ゆっくり、静かに、感じる』です」。
 そう初日に言われましたが、この3つは、都会に住む私たちの暮らしとは正反対の事柄です。森に入ると、自然に五感が活性化されますが、『ゆっくり、静かに、感じる』を意識することで、より一層五感が開きやすくなるのでしょう。しかも、たとえば、ゆっくり歩く時、ただゆっくり歩くのではなく、大地をしっかり踏みしめて、ゆっくり歩きます。そうすると、なぜか身体感覚が活性化する。自分が地球の構成員のひとつだとも感じるから不思議です。


視覚の使い方でも、ワイドアングル・ビジョンを使え、というアドバイスがありました。
「都会で使っている目の使い方は対象を凝視するやり方。ここではソフトフォーカスにして見える範囲を最大化して見るようにする、そうすると感覚が広がって、いろいろなものが見え、感じられるようになる」と。
で、実際に、たとえば両手を正面から徐々に左右に広げていくと、限りなく180度近く見えるんですね。驚きました。


五感が開くとどうなるか?


森の中で『ゆっくり、静かに、感じる』を実践すれば、五感が開く。で、どうなるのか? のんびりリラックスして過ごすので、癒されたり、ストレス解消になるのは、言うまでもありませんが、それ以上の価値がありました。

つまり、どんなことが起きたかというと、、、
まず、五感が開く。すると、自ずと考えるのではなく、感じられるようになり、本能的な直感が働き出します。心にスペースが生まれている状態になり、感覚が研ぎ澄まされているので、いろいろなものが向こうからやってくるように感じます。いろんなものというのは、たとえば想念のようなものだったり、自然が贈ってくれるメッセージであったり、インスピレーションだったり...。


想念というのは、自分が着想して、自分の思考と感情から始まる想像です。自問なども含まれるのかもしれません。普段の私たちもやっていますが、森の中にいるといつも以上に想像力が働く気がします。
自然からのメッセージは、目の前で見たこと/起きたこと(たとえばトンビが頭上で旋回したとか、キツツキが木を叩く音を聞いたなど)が、まるで何かの意図を持って起きたかのように感じ取ること。実際には自分が意味づけしているのですが、そう意味づけした自分を外から眺めてみると、自分の願望を客観視できたりします。
インスピレーションは、なんの脈略も前触れもなく、天から降りてきたようなイメージや概念。。。と、まあ、そんなことが次から次へと心に宿っては去り、宿っては去って行きました。


焚き火をしながら、人の話を聞いてみると、体験自体はそれぞれに違うものの、みんな同じような感覚を得ていることがわかりました。


私の体験を少しだけ、お話しますね。2日目に、とても大きな問いが心に生じて、これに答えを見出せないと、ビジネスを進めることができないと感じました。その問いは、ちょっと哲学的でさえあって、簡単に答えが出せそうには思えませんでした。ところが、インスピレーションを得られ、新しいチャレンジができそうなコンセプトと出会うことができました。最終日、私は森にある約束をしました。その内容は秘密です(笑)


さて、タイトルの「心の中に森を持つ」は、山田博さんが言った言葉です。そういう人を増やすことが、彼の願いだそうです。とかくロジック中心のビジネス現場になりがちですが、『ゆっくり、静かに、感じる』姿勢を持つこと、5分でもいいから、そのような時間を持つことは大切ですよね。落ち葉でいっぱいの森の写真とともに、シェアします。

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人の脳の成長は、12歳までに100%完了する...とよく聞きます。
だから、大人になったら、スキルや経験を重ねることによって成長するものだ、
と多くの人は思っているのではないでしょうか。

ところが、最近、成長に関する新たな知見に出会いました。
人の脳はまだまだ活性化できるし、それによって成長できるという脳科学の話です。

「ポジティブ・インテリジェンス」という脳の働きをご存知でしたか?
心の状態がポジティブなのか、ネガティブなのかで、
成果も成長も幸福度も変わりますが、
それは脳の働きと密接に関わっているそうです。
しかも、その脳の働きは大人になった今でも、簡単に活性化できるのだそう。
なんと、21日間で!

私がこう書いても、まったく説得力がないどころか、
なんだか怪しく、うさんくさい話に聞こえますよね。
大丈夫です、高価な教材を売りつけたりしませんから(笑)
情報源は次の本です。

「スタンフォード大学の超人気講座
〜実力を100%発揮する方法」
(シャザド・チャミン著/ダイヤモンド社)

同様の話は、7月頃にNHKで放映されていた「心と脳の白熱教室」で
オックスフォード大学の教授も解説していたので、
脳心理学の世界での定説になりつつあるようです。


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◆ 心のポジ度を司るPQ脳
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では、心の状態がポジティブなのか、ネガティブなのかは、
何によって決まるのでしょうか。

まず、私たちをネガティブにさせる脳の働きについて。
これは、「生存脳」が司っている領域で、リスクを察知して、
逃げる/戦うなどを瞬時に判断し、実行命令を出します。
それが、私たちの思考をネガティブに向かわせます。

たとえば「○○さんに会いたいとコンタクトしてみよう」と思った瞬間に、
「いや、○○さんはきっと忙しいはずだ、また別の時期にしよう」と思っている。
これは、断られる/迷惑がられることによって受ける
心のダメージを回避したいという脳の働きから来ています。
本書では、自分の中に妨害者がいるとして、10のタイプを紹介しています。

一方、ポジティブな思考を司っている脳もあります。
それが、ここで言う「ポジティブ・インテリジェンス」で、
具体的に言うと、脳の3つの部位を指しています。
(1)前頭前皮質内部(MPFC)、(2)共感回路、(3)右脳です。
IQやEQなどのように、
PQ(ポジティブ・インテリジェンス指数)を測ることも可能なことから、
本書では「PQ脳」とも呼ばれています。
自分の中に妨害者がいるのと同様、
内なる賢者がいるとして、賢者の5つの力が紹介されていました。

なるほど! 私たちが葛藤している時というのは、
「生存脳」と「PQ脳」が戦っているわけですね。


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◆ 成長も、幸福もPQスコアのアップが鍵
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無料のPQテストもあるので、やってみました。
(下にリンクを張っておきますね)
PQスコアというのは、1日の中でポジティブでいた時間の割合です。
75が劇的変化の境目で、それが維持されるようになると、
常時コントロールできるようになるようですね。
すると、半分よりは高いものの、75には及びません(涙)

このスコアはその日の気分を測定するようなものなので、日々変化します。
逆に言えば、この気分を高めに維持する力は身につけられるというのが、
この本のテーマでもあるのです。
起きていること、起きてしまったことはコントロールできないが、
どう影響を受けるかという思考習慣は、コントロールできる、と。

著者は、パフォーマンスは次のような式で表せるとし、
    ーーーーーーーーーーーーーー
    パフォーマンス=潜在能力×PQ
    ーーーーーーーーーーーーーー
スキル、知識、経験、人脈などの潜在能力を引き上げるよりも、
思考習慣のPQを変える方が手っ取り早いと主張しています。
なぜなら、習慣は定着までに21日かかると言われており、
逆に言えば、21日で成果は上がるからだ、と。


思考の習慣を変える具体的な方法は紹介し切れませんが、要点は
・妨害者力を弱め、
・賢者の力を強め、
・五感の感度を高めるPQ運動でPQ脳を鍛える、の3点。
チームのPQを高める方法も紹介されています。
わかりやすい本なので、お時間があったら、ぜひ読んでみてください。

私も、21日間ぐらいなら、試してみようかなと思いました。
ダイエットも、簡単には続かない私ですけど(笑)
では、よい1週間をお送りください!

==========================
◆ ポジティブ・インテリジェンス無料テスト ◆

PQスコア無料テストを受けるには、下記のページの下の方にある
「TAKE IT NOW」のリンクボタンをクリックします。

http://positiveintelligence.com/assessments/
テストは日本語、結果は英語です。

150525_oriza.jpg平田オリザ氏の「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か」 (講談社現代新書)が、とてもおもしろかったので、改めて紹介します。


この本の内容は、体系的に書かれたコミュニケーション論というよりも、コミュニケーション談義とか、コミュニケーション四方山話というイメージに近いです。コミュニケーションというものに携わる人が、まるでお茶でも飲みながら自分の意見や考えを述べている...と形容したくなるような、そんな本でした。学問的ではないからこそ、むしろおもしろく読めます。


いつも思いますが、「コミュニケーション」という言葉は、よく使われる割には、わかったような、わからないような、私も含めて多くの人が意外と曖昧な捉え方をしているのではないでしょうか。残念なことに、平田氏も「コミュニケーションとは?」という定義を本の中で明らかにはしていないのですが、社会の中にある「コミュニケーション」という概念への違和感を率直に語っているところに、共感しました。


たとえば、日本人は本音と建前を使い分ける傾向がありますが、これがコミュニケーションを巡っても起きていると、平田氏は指摘します。企業は、人を採用する段階で、説明能力やディスカッション能力があり、多様な価値観をまとめていく能力を持つ人物を求めますが、実際に入社すると空気を読んだり、上司の考えをくみ取ったり、出る杭にはならず、あうんの呼吸で協調していく能力が同時に求められます。人は、矛盾するメッセージが交錯している状況(ダブルバインドの状況)に置かれ続けると、統合失調症に陥る等、健康には暮らせないと平田氏は言います。


多くの企業が、社員にコミュニケーション能力を求めていることは、誰もが承知しています。プレゼンスキル、交渉スキル、相手の話を正しく聞いて理解する力、リーダーシップ、グローバルコミュニケーションスキルなど、コミュニケーションに関連する本が、次から次へと出てくるのも、それだけ需要があるからです。しかも、企業にとっては、「売上」も、「ブランド」や「顧客満足」も、社員一人ひとりのコミュニケーションの積み上げによって、初めて築けるものなので、コミュニケーションの良い状態を作り出すことは、個々人の問題であると同時に、企業全体でも考えるべき問題となっています。

それだけに、コミュニケーション能力を養うこと、コミュニケーションの良い状態を作り出すことの必要性/重要性は高いのですが、社内および社員のコミュニケーションの問題をどう解決し、どうやって状況をより良くするか、そもそもどのような状況を目指すのがいいのかという事柄に対し、本気で取り組む社会にはなっていないように見えます。


平田氏は、表現方法こそ異なれど、恐らくは同じような問題意識に立っているものと思われ、コミュニケーション教育のあり方から見直すことを説いています。


この本の中で印象に残った点をピックアップしました。

●若者のコミュニケーション能力が低下しているとよく言われるが、実は能力の問題ではなく、意欲が低下しているのではないか。人は、分かり合えない体験がないと、分かり合いたいとは思わない。

●社会に出るまで、親と先生以外の大人に会ったことがないという若者は一定数いる。それによって、慣れている/いないが生じるが、慣れの問題なら、早く慣れてしまおう。

●コミュニケーション下手であることを人格と捉えがちだが、混同してはいけない。

●どんなコミュニケーションが快適かは、国や文化によって違う。列車やエレベータで気軽に挨拶する方が快適と感じる文化圏もあれば、無言でいる方が快適でいられる文化圏もある。

●明治の近代化以降、人と人の間で、異なる価値観や情報について交換し合ったり、擦り合わせを行う「対話」という概念が未成熟なまま、日本は歩んで来た。会話はあるが、「対話」が弱い。「対話的な精神」とは、異なる価値観の人と出会い、それを通して、自分の意見が変わっていくことを受け入れる態度のことである。

●その人がどんなつもりでその言葉をつかっているかという、背景にある意味:コンテクストが分からないと、分かったことにならない。言外のコンテクストを理解しようとすることが、コミュニケーションを左右する。


もしご興味があったら、ぜひ読んでみてください。

では、今週も楽しい1週間でありますように!

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今日のブログは、今日配信のメルマガの内容を紹介します。
でも、その前に、メルマガの内容にあるNVC(Nonviolent Communication)に関する書籍を紹介しますね。アマゾンでの星の数は、4.5と好評です。


私たちは、とかく自分のネガティブな感情を隠そうとしたり、飲み込んでしまったりします。また、相手への願いや要求を素直に言えないことも多いのではないでしょうか。
この本をお勧めしたいのは、ここに書かれていることが、単なる小手先のテクニックではなく、人と人が良い関係をつくるための原理原則だからです。




タイトル:「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法」
著者:マーシャル・B・ローゼンバーグ
http://www.amazon.co.jp/dp/4532318106





メルマガにも書きましたが、1対1の対面コミュニケーション(話し言葉)においても、1対Nのコミュニケーション(書き言葉)においても、有効な考え方だと思いますので、ご興味がありましたら、ぜひ読んでみてください。



ーーーーーーーーー↓メルマガここから↓ーーーーーーーーー



「言葉の暴力」と聞くと、まずパワハラやセクハラなどを思い出しますよね。

でも、マーシャル・B・ローゼンバーグは、
人の心を傷つけるコミュニケーションを暴力的ととらえ、
人を思いやるコミュニケーションを指して、
非暴力的コミュニケーションと呼んでいます。



つまり、パワハラやセクハラはもちろんですが、
他者への尊敬や愛を持たずに、
利己的で、偏見や疑いを抱いて接する
「イヤな感じ」のコミュニケーションは、
すべて暴力的だということになります。



NVC(Nonviolent Communication)と呼ばれるこの考え方、
私は、書き言葉でも話し言葉でも有効だと思っています。


そこで、今日から何回かにわたって、NVCという視点から
「言葉」と「コミュニケーション」というものについて考えていきましょう。


さて、次の5つの例で、AとBの2つの言葉を比べてください。
それぞれ、言われたら、どう感じると思いますか?
A同士、B同士は、ある共通点があります。何でしょう?



例1
A「あなたは、プロとしての知識欲に乏しい」
B「あなたは、専門書を読んだことがないと言った」


例2
A「あなたは、彼のお気に入りだ」
B「彼が『あなたに期待している』と言うのを聞いた」


例3
A「あなたは、働き過ぎだ」
B「あなたは、今週9時より前に帰ったことがない」


例4
A「彼は、会議の間、私を無視した」
B「彼は、会議の場で、私に意見を求めなかった」


例5
A「あなたの会議での発言は、いつも敵対的だ」
B「今日、あなたの発言の多くは『しかし』で始まっていた」



Aがしている行為は、すべて「評価」であるのに対し、
Bがしている行為は、「観察」です。



人は、「評価」を含んだ言葉を向けられると、
身構えてしまったり、防衛反応を示したり、反撃したくなったり...。
誰しも、心当たりがあるように、
関係が悪い方へ進む反応を生み出してしまうのですね。


共感されるコミュニケーションの大原則のその1は
評価判断を交えずに、観察に基づいて伝えることにあります。


確かに、人が、何かを評価判断するときって、
攻撃、嫉妬、非難、嫌悪、不満などの
ねじ曲がった感情が織り交ぜられていることが多いですよね。
しかも、そのことに無自覚なケースも少なくありません。



...と、自分のことを棚に上げて書いていますが、
いや〜、言うは容易く、行うは難し。
解説するのと、実践するのは大違いですが、
自分の言葉を聞きながら、チェックしてみる、
そんなトレーニングをして鍛えたいものです。


では、良い1週間をお過ごしください!


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※読んでいただき、ありがとうございました。
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言葉は「窓」にもなれば、「壁」にもなるんですね。

「仕事は楽しいかね?」(著:デイル・ドーテン)今日の記事タイトルは、デイル・ドーテンの著書「THE MAX STRATEGY」の和書のタイトルです。2001年12月が初版ですが、アマゾンでは今なお【ビジネス実用 > ビジネスライフ】で第2位、【ノンフィクション > ビジネス・経済】で第3位です。ビジネス書でありながら、自己啓発書という色彩を併せ持つ本でした。

物語は、こんな形で進んで行きます。大雪で飛行機が飛ばず、空港で足止めを喰った主人公が、老人マックスと出会います。実は、マックスは多くの一流企業のトップが会いたがるような高名なコンサルタントでした。主人公は人生に期待を持てず、行き詰まりを感じている35歳のビジネスマン。そんな彼にマックスは一晩かけて講義をしていきます。

この本のユニークな点は、多くの成功哲学では常識とされている事柄、すなわち目標を立てたら逆算して計画を立てることに対して、その限界を解き、むしろ成功者たちの多くはそういったアプローチをしていないと言い切っている点です。『今日の目標は明日のマンネリ』である、と。
確かに「七つの習慣」に代表されるこれまでの自己管理の考え方は、10年後の目標を描き、それに時間軸を付けて管理するというものです。では、この本では、どうすることが推奨されているのでしょうか。それは、唯一の目標は『明日は今日とは違う自分になる』です。そして『遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守る』ことを推奨しています。著者は『試してみることに失敗はない』のに、多くの人は試さないから失敗しているし、安全なことしか真似しないなら成功するはずがないと言いたいのでしょう。こんな件があります。

(問題提起として)

『みんな、成功した人の右に倣えをしようとするけれど、成功するというのはね、右に倣えをしないということなんだ。』
『彼らはね、他人を凌駕する人材になろうとしているけど、それを他人と同じような人間になることで達成しようとしているんだ。』


(マックスが提示した事例について)

『だれ一人、立派なビジョンを持って、それに向かって突き進んでいたわけじゃない。彼らはみんな、目標設定者でも計画立案者でもなかった。彼らは冒険者だったんだ』


実はこの本の内容は、ちょっと前の私の人生観そのものであると言っても過言ではありません。だから、内容を読んで、むしろ自分が持っていた価値観についてすっきり整理されたという感覚で読みました。

ただし...
実は、著者は思いつきを勧めているわけでも、目標や計画を100%否定しているわけでもないことが、視点を変えてみるとわかります。著書は3つのリストを作ることを勧めています。リストとは
(1)仕事上でやったミスを書き出したリスト
(2)イライラや不満から問題点を洗い出したリスト
(3)仕事に関して行っているすべてのことを書き出したリスト

また、古いアイデアから新しいアイデアが生まれるとして、アイデアの作り方も解説しています。

つまり、何かを試し続けることが成功への近道であり、何を試すべきかを常に考るために、このようなリストが必要だということでしょう。反対に、そういった目線で見ていない限り、失敗を失敗としてしか見られないし、チャンスがどこにあるのかも気づけないということを語っているのだと思います。試して、失敗した瞬間に、そこから新たな着想を得られるような人物であるように自分を鍛え上げておけということでしょうか。

私の人生観が、この本のようなものから出発していることは間違いありません。インプットから着想を得て、試して、本格的に取り入れたいと思っていると、なぜか偶然にも!そのチャンスが訪れる。それを繰り返して来た実感があります。強いていえば、それをシステマティックに、体系だって行ってきたわけではないので、もっと体系だって行おうとすれば、やるべきことはまだまだたくさんあるでしょう。

一方で、果たしてそれだけでいいのかという問いもあります。つまり、企業というのは、船のようなもの。私一人なら、冒険心だけで生きて行くのも楽しいですが、どこに向かうのかわかない船に乗ってくれる乗組員はいないでしょうね。

また、実験の重要性は、実はなかなかわかってもらえません(笑)
やってみて、やめる。やってみて、やめる。やってみて、やめる。おっ、やってみて、進もう! こんな感じの流れになるので、やめるが3回も続くと、普通の人は徒労感に苛まれるようです。実験だという発想を共有することは、そのぐらい簡単ではないのです。それを承知した上で、実験の大切さを説いていくことが求められるのかもしれませんね。

この本を読んでみて、実験発想とビジョン発想を掛け合わせたようなあり方が当社に合っているなと思いました。
アマゾンのレビューを見ていると、星5つが圧倒的に多いですが、星3つ以下のレビューの中には、「当たり前すぎる」というコメントも見られました。そういう人に限って、何も試してなどしていないのではないかなーと思います。
とても読みやすい本です。やりたいことが見つからないときに、ぜひどうぞ! 


今週は25日に宣伝会議さんの「インナー広報実践講座」で講師を務めます。
段々と参加者が増えていて、今回は50名少々のようです。がんばりまーす!
2月最終週です。みなさん、良い1週間を!

Intouchables.jpg

誰かと深い絆をつくるとき、大切なことは何でしょう? 週末に観た映画が考える材料を与えてくれました。それは、「対等であること」です。

私が観たのは、実話に基づき制作されたフランス映画『最強のふたり』(原題:Intouchables、監督:エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ)です。2011年に公開され、フランスほかヨーロッパ各国で大ヒットした作品で、東京国際映画祭ではグランプリを受賞しています。話題作であるにもかかわらず、ワタシ自身は事前情報がないまま、自宅で観ることになりました。
『最強のふたり』公式サイト: http://saikyo-2.gaga.ne.jp

若干ネタばれになりますが、簡単にあらすじを紹介します(この映画は、多少ストーリーを知ったとしても、感動は変わらない類いの映画ですが、こだわりのある方はご注意ください)。


大富豪フィリップは、趣味のパラグライダーで事故を起こし、首から下が麻痺して動かない身体障害者です。奥さんも亡くし、雇い人に世話をしてもらいながら、養女と共に暮らしています。そんなフィリップの世話人として雇われたのが、スラム街育ちの青年ドリスです。教養はなく、粗暴で、母親との関係も最悪ですが、常に今を楽しんで生きているような人物です。多くの前任者が1週間と続かない中、フィリップは彼には心を開き、笑い合い、二人はやがて無二の親友のような関係になっていきます。


途中、フィリップの友人が、助言をするシーンがあります。ドリスには宝石強盗で服役した前科がある、あの男と関わるのはやめた方がいい、と。すると、フィリップはこう応えます。
「彼だけは、私を『対等』に扱う。大切なのは今だ、彼は今は何の問題もなく頑張って働いてくれている、私はそれで満足だ、話はそれだけか」
フィリップが「対等」と感じるのは、どんなことに対してなのでしょう? 映画の中では、手足が動かないフィリップに対して、ドリスがわざとイタズラをしたり、障害をおちょくるような冗談を言ったりするのですが、言ってる本人はもちろん、言われたフィリップも笑っている。そんなシーンがたくさんありました。確かに、対等だと思っているからこそ、おちょくれるのであって、もし同情していたら、そうはできません。セックスの話でさえも、臆することなく質問するドリスだからこそ、フィリップは心を開いて、率直かつユーモアたっぷりに応えることができたのだと思います。


ドリスに対してはオープンでいられるフィリップでしたが、オープンになりたくても、なれない相手がいました。それは、文通相手のエレオノールという女性です。ドリスの強行によって、電話をし、写真を交換し、やがて面会の日が訪れるのですが、フィリップは身障者である自分に自信が持てず、それを相手に隠していたことから、土壇場で待ち合わせ場所から立ち去ります。ドリスは、そんなフィリップの気持ちに寄り添いつつ、「対等」に扱うことで、「ありのまま」のフィリップでいいのだというメッセージを送り続けるんですね。そして、フィリップは、最後にはありのままの自分をエレオノールに見せられるようになり、やがて二人は結ばれます。


さて、「ありのままでいること」って、案外難しいですよね。
「ありのままでいる」というのは、消極的に言うと、ありのままでいないの反対。つまり、卑屈になって媚び諂ったりしない、思ってもいないことを言ったりしない、横柄になったり自己顕示したりしない、ということ。本当の自分とは違う自分で振る舞わない状態とも言い換えられます。

人の心の中には、自分が期待する自分がいます。この映画を観て、実際の自分と、自分が期待する自分をどれだけ「対等」に扱えるかが、ありのままでいるためには、重要なんじゃないかな、と思いました。自分自身を見下しもせず、自分に驕りもしない、等身大の自分をそのまま見て、そのままで良いと自分が自分を「対等」に扱っている状態。それが、ありのままってことなのだろうな、と。実際の自分を尊重できず、「対等」に扱えない人は、ありのままの自分でいることもできず、ほかの人をも「対等」に扱えないので、絆はつくれない...ということになりと思います。自分自身をそのままで良いと「対等」に扱うことで、自分が一番パワフルな状態になるんだろうな、これが積極的な意味での「ありのままでいる」ってことなんだろうな、、、と、そんなふうに思いました。

当社の行動指針に「フェアであること」が掲げられています。そして、その中には「対等であること」を重んじた姿勢が表現されています。「『対等』でなくして絆なし」ということを、この機会に共有したいなと思いました。
当社行動指針: https://www.grassroots.co.jp/company/philosophy/

読んでいただき、ありがとうございました。今週も良い1週間になりますように!

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ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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