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『コミュニケーション』カテゴリの記事

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5年ほど前、次男の小学校のクラス懇談会に参加したときのことです。


次男のクラスは、
学年の中でも特に落ち着きがないクラスだと言われていました。
途中で担任が体調を崩して休みがちになり、
そのまま長期で休みに入ってしまったことが大きかったのだと思いますが、
子どもたちがソワソワしていて、
保護者も何かにつけて過剰に反応するような状況でした。


さて、懇談会。
ベテラン先生の後を継ぐことになった新任の男性の先生から、
最近のクラスの様子について説明が一通りありました。
クラスに落ち着きがなく、
いじめっぽいことも起きているというようなことでした。
最後に保護者の方から何かありますか?と聞かれました。


小学校に入ったばかりの子どもたちが、
ピリピリした雰囲気の中で過ごすのはかわいそうだし、
それではなかなか仲良くならないと感じていた私は、
「1年生らしい、もっと楽しくてクラスが仲良しになるような
イベントも盛り込んではどうでしょうか」と提案しました。
長男のときは、
誕生日を迎える子にクラス全員がメッセージを書いて贈ったり、
給食のときに牛乳で乾杯する、
というようなことをしていて、とても楽しそうだったからです。


周りの保護者からも、
それはいいですねと言っていただき、
そこからは新たな提案も出てきました。
なかなか充実した懇談会になり、
終了後、保護者数人と「いい懇談会だったね」なんて話もしました。


ところが後日、ほかのクラスのお母さんからこんなことを言われました。


「1組の懇談会すごく荒れたんだって?
なんか、クレームする人がいて長引いたって聞いたけど」


おっと、びっくり!
私は、
「あ、それ私だ。クレームしてないし、懇談会は荒れてなかったよ」
と笑いながら言うと、彼女は
「あ、そうなんだ」と困った様子で言っていました。


ああ、これなんだなあと思いました。


会は何事もなく終わるのがいい、
と思われている場が多いので、
発言や提案はクレームと捉えられてしまいがちなのです。


まあ、学校の懇談会というものは、
「何かありますか?」
「ないようですので、これで終わります」
というのが、いつもの形なので、
「はい、あります!」とだれかが言うことで、
帰ろうと思っていた保護者が帰れなくなるということが起こります。
迷惑に思う人が出てくるのもわかります。


そしてこれ、ビジネスの会議でもそうですね。
「何かありますか?」
「ないようですのでこれで進めます」
で終わるはずのところ、
だれかが発言することで長引きますし、
その場が「このタイミングで、それ言うか?」となることもありますね。


こうしたことが起こるのは、
参加する人々の「場の捉え方」が違うからだと思うのです。
「意見を言う場」と思っている人と、
「意見は言わずに、何事もなく終わらせる場」と思っている人が
同じ会議に参加しても、うまく進むはずがないと思います。


世の中、「発言しよう」「言いたいことは言おう」という流れがありますが、
言える場が整っていなければ、
やはり言えるようにはならないと思うのです。


同じように、
「コミュニケーションの基本は聞くことから」とも言われますが、
そもそも聞く場だと思っていなければ、
聞こうともしないのだと思います。


なので私は、まず、
しっかり「場を設定し、場を進行する」ことが
大事なのではないかなあと感じます。
つまり、ファシリテーションです。


といっても特別なスキルのことを言っているのではありません。
会の始めに、
「この場の目的は~です。
~な意見をどんどん出しましょう」
と進行する人が言うだけでも、
「え?意見するなよ」と思う人が少なくなると思いますし、
「このタイミングでその意見?」となる会議の場合は、
「何かありますか?」ではなく、
「~について、何かありますか?」と、
絞るだけでも違うのだと思います。
ファシリテーションと言うと大げさですが、
本当にちょっとした場のしきり方の工夫で変わってくるのだと思います。


と、ここまで書いて、
自分自身のことを考えてみると、
目的がわからない会議や何についての意見が求められている会議かわからない場、
あるなあと思いました。


もっと言おうよ、もっと聞こうよ、の前に「場」について、
意識を向けることを忘れないようにしたいと思います。

大人ってどうして、
「納得」したり「理解」したりしたいんでしょう。


先日、ふとそう思いました。


例えば、子どもが好きなマンガがあるとします。


「へえ、それ、おもしろい?」
「うん」
「どういう話?」
「えっとね、、、怖い学校に行く話」
「だれが? どういうこと?」
「、、、、(めんどくさい)」


なんてこと、ないでしょうか。
私は知りたがりなので、どんどん聞いてしまうのですが、
これ、子どもはうんざりしますよね。


思い起こせば子どもの頃、興味を持つ理由は、
「おもしろい」「かわいい」「かっこいい」で十分で、
子ども同士のコミュニケーションは、
それだけで満足できていたように思います。


でも、大人になるにつれて、
どうしてこの人はこれをおもしろいと思っているのか、
なぜこれをかわいいと思うのか、
背景にある理由が知りたくなってきます。


一つ目は仕事をするようになると、
背景を知ることが必要になっていくからだと思います。
商品を開発するには、
今こういうものが流行っている、こういう理由のようだ、
というような分析が必要になりますし、
私のような編集や制作の企画をするときも、
そこをしっかり把握することでブレないようにするわけです。


二つ目は、人に興味を持つようになるから。
学校や社会でいろいろな人と出会う中で、
この人のことをもっと知りたい、
という気持ちになるのではないでしょうか。


そして三つ目。
これは二つ目とつながるかもしれないのですが、
大人になると「納得」したい、「理解」したい、
という欲が強くなるからではないかなと思います。
「なるほどね」と思いたくなってしまう。
私はそうです。「そうなんだ! なるほどね!」は気持ちがいいですから。


でも、これ、気をつけないとコントロール欲につながる場合もあるようです。


根本裕幸さんというカウンセラーの方がこんな例を挙げています。
好きな人から別れを告げられたが、理由がよくわからない、というケースです。
「納得できない」「理解できない」から、
「納得したい」「理解したい」ために、
会って話を聞きたい。
でも、この場合の本当の目的は、
「納得」するためでも「理解」するためでもなく、
よりを戻すため。
これは「納得できないという執着」なのだそうです。
だから、相手からどんな説明を受けても、納得も理解もできないのです。


我が家でも、似たようなことがありました。
思春期ど真ん中の長男との関係です。


反抗期に入りたての頃は、よく聞いていました。
「どうしてそんなことしたの?」「どうしてそんな言い方するの?」。


しかーし、相手はティーンエイジャーです。
まさに「理由なき反抗」なわけです。
質問をしながら、私もそのことをうすうすはわかっていました。
でも、なぜか聞き続けてしまう。
それは、今思い返すと、
「そういうことはしてはいけない」「そんな言い方をしてはいけない」と教え、
行動や言動を修正させたかったのです、たぶん。
無意識に、
小学生のときみたいないい子(ではなかったですが、、、笑)に戻ってほしいなあ、
と思っていたのかもしれません。
だから、質問して彼なりの理由が出てきたところで、
「ふーん、それならしょうがないか」なんて、ならなかったでしょう。


カウンセラーの大門昌代さんは、
自分は「納得」したいと思っているだけなのに、
相手にとっては「説得」になっていることがあると言っています。
自分の中のモヤモヤを消そうと思ってどんどん質問してしまっているときは、
一瞬、相手の立場に立ってみる。
相手にとって、
「説得されている」「コントロールされている」状況になっていないか、考える。
そう感じたら、やめる。
これが大切なのだそうです。


わー、いろいろ思い当たる、、、
これから気をつけます!

毎年、この時期になると、
ぎゃー!家の年賀状に手をつけていない!と焦ります。
バタバタと作って、バタバタと出す度に、
来年の年賀状はもう1月中にさっさとベースをつくってしまって、
あとは写真を入れ込むだけにしよう!
なんて思うのですが、まったく実行せず、、、。
はぁ、そろそろ余裕のある年末を過ごしたいものです、、、。


年賀状、みなさんはどうされていますか? 


パイロットコーポレーションが、
首都圏で働く20~60代のビジネシパーソン418人を対象に行った
「年賀状に関する調査」を見ると、
年賀状を「出す」と答えた人は77%、
「出す理由」は、
1位が「新年の挨拶として 77%」、
2位「日頃のご無沙汰 44.1%」、
3位が「世話になった人への儀礼 36%」でした。


一方、年賀状を「出さない」と答えた23%の
「出さない理由」は、
1位「準備が面倒 52.1%」、
2位「メールで代用 41.7%」、
3位「SNSで代用」でした。
年賀状を出すのは面倒でも、
何らかの形で新年の挨拶は行っている人が多いようですね。


ところで、「年賀状をもらって嬉しいか?」という問いについては、
9割以上が「うれしい」と回答しています。
手書きのイラストが添えられていたり、
自分宛にメッセージが入っているとうれしく感じるという結果でした。


なるほど。
受け取る側は、
「このメッセージやイラストは自分に宛てられたものだ」と感じると、
送り主からの気持ちを感じるのですね。


なので、SNSでも「自分宛てのメッセージ」と感じるとうれしいし、
逆に、年賀状であっても、
メッセージの書かれていないものは「自分宛て」な感じがしないので、
あまりうれしいと感じないのかもしれません。


そう考えると、送る側は、
やはり相手のことをしっかり考えてメッセージを書かなくてはいけませんね。
親戚宛ての年賀状メッセージがすべて「お元気ですか?」ではいけません、、、。
反省しております。


年賀状にかかわらず、仕事でもメッセージを送るときは、
受け取る相手がどんな感情になるかを
しっかり考えて送らなくてはなりませんね。
メッセージとはそういうもの。
当たり前のことですが、改めてそう感じました。

『「かまってちゃん」社員の上手なかまい方』という本を読みました。
産業カウンセラーとして、
長年企業のメンタルヘルスに携わっている
大野萌子さんという方が書いています。


とくに、かまってちゃん社員絡みで困っているわけではありません。
ただ、普段から、私も含めて人はみんな「かまってちゃん」の一面を
ある程度持っているのではないかなあと思っていたので、
タイトルの「上手にかまう」ってどんな風だろうと興味を持ったのです。


本では、まず、かまってちゃんのタイプを細かく分類しています。
具体例が多く、読んでいて、「あ、友だちにいる」と思ってみたり、
「あれ? これ、私?」と焦ってみたり、、、。
すべては掲載できないので、一部をご紹介します。


とくに用もないのに近寄ってきて、
人の悪口や噂話、不平不満を並べ立てる「仲良しこよしタイプ」


具合が悪いことをアピールし、心配してもらいたがる「か弱さ美徳タイプ」


自分からグループの中に入っていくことができず、
いつも一人だが、一人ぼっちだと思われることは耐え難い「自意識過剰タイプ」


「仕事早いね!」の一言を否定的に受け止めて、傷つく「こわれもの注意タイプ」


仕事が思うように運ばないことを上司や周囲のせいにする「悲劇のヒロインタイプ」


仕事で注意を受けると
「ぼく、そういうの苦手なんで」と平然と言ってしまう「自己完結タイプ」


うつと診断されたがる「病気になりたがるタイプ」


思わず笑ってしまうようなタイプもありますが、以下は笑えません、、、。


上司の指示を勝手に解釈し、
注意されるとコンプライアンスルームに飛び込む「訴訟タイプ」


ちょっとした行き違いで生じたトラブルを
大げさに騒ぎ立ててSNSにアップする「サイバーテロタイプ」


こうした歪んだ行動に出てしまうと、
会社として大きな被害を被ることになってしまいます。


そもそも、どうして人は「かまってちゃん」になるのか。
大野さんは、マズローの欲求5段階説を挙げて説明しています。


第1段階は「生理的欲求」、
第2段階は「安全欲求」、
第3段階は「帰属欲求」、
第4段階が「承認欲求」、
そして第5段階が「自己実現の欲求」を表しています。


今の日本のように豊かで安全な国では、
第2段階までは当たり前のように満たされていますが、
企業でリストラが行われる、
プライベートではLINEで仲間外れになるなど、
帰属先を簡単に失ってしまう傾向にあり、
第3段階以降は不安定だと大野さんは言います。


そのため、承認欲求が満たされない人が多く存在し、
不安感の強まりから、さらに承認欲求が強くなる。
それが、かまってちゃんが急増している背景だと説明しています。


承認されたい、でもされないという状態が長く続くと、
その欲求が歪んだ形で行動に出るということなんですね。
なるほど、と思いました。


じゃ、とにかく褒めよう!と、いきたいところですが、
そう簡単なことでもないですよね。
褒めても、その通りに受け取ってくれず、
かまって行動をさらに強くしてしまうこともあります。


そこで、どのタイプにも共通する「上手なかまい方」です。


それは、
「笑顔で、目を見てあいさつをする」
「名前を呼ぶ」
なのだそうです。


え? それだけ? と思いますが、


「◯◯さん、おはよう」


これは、いつでもどこでもできる「承認」のサインなのだそうです。


あれ? これ、相手がかまってちゃんでなくても、実行するべきですね。
コミュニケーションの基本ですもんね。
パソコンの画面を見ながら「おはよう」はNG。気をつけたいものです。


本では、たとえば、
いつでも愚痴や不平不満を言ってくる「仲良しこよしタイプ」には、
「10分だけね」と言って話を聞く時間の構造化が有効など、
それぞれのタイプ別に上手なかまい方を紹介しています。
なるほどなあ、と思うことが詳しく書かれていて、勉強になりました。


それにしても、、、「みんな認められたいんですよね」と改めて思いました。
忙しいとなかなかケアなんてできない、と思ってしまいますが、
「承認する」ってそんなに力を入れてするものじゃないですよね。
職場でも家庭でも、
普段から自然にできるようにしなくちゃいけないなあと思いました。

「人のこと考えられないの?」


反抗期ど真ん中の息子に言われ、
「それはこっちの台詞じゃ!」
と内心カッとなりながらも、
ここで戦うと面倒くさいことになることがわかっているので、スルー。


その日の夜、
「今日もあの子は訳がわからんことを言ってたなあ」などと、
一日を振り返りながら、
「ん?」と思いました。


「人のことを考えているか?」と聞かれたら、
もちろんイエスと答えるのですが、
「長男のことを考えているか?」と言われると、
ノーだと思ったのです。


小学校高学年から徐々に始まった反抗期。
中学に入って、どーんとレベルアップし、
朝も夜も怒りをこらえる日々なのですが、
こちらも慣れてきて、「スルー力」が格段にアップしています。


気づきました!
私、長男の発言をほとんどスルーしているのです。


意図的なこともありますが、ほとんどは無意識です。
たぶん、ここ数年で、私の思考が
「あの子は毎日文句ばかり
 →頭に来る!
 →まともに取り合ってもまったく解決しない。
  さらにわがままが激しくなり、暴言を吐かれる
 →スルーしよう」
となっていることが原因だと思います。


思い返すと、何か相談したいときもあったでしょう。
でも、長男に声をかけられた瞬間、
「わ、また文句言われる。面倒くさい」と思ってしまうので、
自動的にスルーモードに入ってしまうのです。


これはイカンですよね。


こうなってしまったのは、私の中で
「この子は反抗期でわがままばかり言う」
と決めつけてしまったからだと思います。
だからそういうふうにしか見なくなっている。
たぶん彼から見ると、ほとんど話を聞いてくれない母、
になっていると思います。反省です。


こうした、
「決めつけてしまったことで、
ニュートラルに話が聞いたり、対応したりできなくなる」こと、
いろんな場で起こるのだと思います。


たとえば、上司と部下の関係だったら、
「何度言っても、なかなか改善されない。だいたい考えていない」
と思っていて、いつもダメな部下扱いをしている上司と、
「こちらの事情も知らないで、
いつもダメ出しばかりしてくる。スルーしよう」
と思っている部下。


親子だったら、
「この子は、話をちゃんと聞かないんだから!」と思っていて、
「聞いてんの?」が口癖の母親と、
「あー、また怒ってる。終わるまで聞いてるフリしよう」
と思っている子ども。


どちらも、このままだといいことないですよね。。。


これを改善するには、
やはり「決めつけ」を取り払うことだな、と思いました。
ただ、決めつける原因があるわけだから、
そう簡単には取り払えないですね。


そんなときに役立つ、いい方法見つけました。


『人の気持ちがわかる人、わからない人 ~アドラー流8つの感情整理術』
の著者、和気香子さんが言っている
3つの視点で人の気持ちを理解するというやり方。


3つの視点とは、
「自分視点」
「相手視点」
「俯瞰視点」
です。


たとえば、私と長男のやりとりで考えると、
自分視点 「ああ、反抗期の文句が始まった。事態を悪化させないようにスルーしよう」
相手視点 「文句を言っているわけじゃないのに、全然こっちのことわかってくれない」
俯瞰視点 「なんだかかみ合っていない親子だなあ」
という感じでしょうか。


自分と相手、そこに俯瞰が加わることで、
かなり落ち着いて考えられるのではないかと思いました。
これ、いろいろな場で使ってみます!


それにしても、コミュニケーションって難しいですよね。
でも、気づきがあると、すごく楽になるし、前向きに捉えられる。
やはり人と関わることは楽しいです。

先日、テレビをつけたら、
学園ものの映画かドラマが放送されていました。


ほかにいくつかのことをやりながら、
たまに画面に目をやる程度だったのですが、
ふと校長先生のお話のシーンに目が止まりました。
校庭に全校生徒が整列して、
校長先生が前に立ってお話しする、あれです。


ああ、全校朝会みたいなもの、ありましたよね。
ほとんどの場合、
校長先生の話はあまりおもしろくなく、長くて、
そのうち誰かが具合が悪くなって
保健室に連れて行かれていたような記憶があります。


でも、おもしろくなかろうが、長かろうが、
先生の話は聞くもの。
ましてや校長先生のお話はもっと真剣に聞くもの。
子どもの頃は、そう思っていました。


ところが、最近読んだ雑誌の記事で、
千代田区立麹町中学校の校長先生が
「それは違う」と言っていて驚きました。
「話を聞きなさい、なんて指導は、本当は間違っている」
と言うのです。


校長先生の名前は工藤勇一さん。
工藤校長によると、
「校長先生の話は生徒へのプレゼン」なのだそうです。


「中学校では、先生の話を聞いていないと、
聞いていなかっただろうと叱られる。
でも、社会に出て、話を聞いてくれなかった人を叱るなんてことはない。
相手が話を聞いてくれないのは、話している人に問題があるからだ」


さらに、


「中学校は社会で活躍する人材を育てる場だから、
校長先生の話を聞きなさい、という指導は違う。
相手が聞きたいと思うような話、話し方をしなくてはならない。
ビジネスの場では当たり前ですよね」


と語っています。


実際、工藤校長の「校長先生のお話」は、
パワーポイントを用いたビジュアル重視のプレゼンです。


たとえば、2学期の始業式、
壇上の画面に映し出されたのは砂時計の絵。


「夏休みが終わって、やることがたくさんあって嫌だな、
と思っているかもしれない。砂時計にたとえるなら、
上の部分にたくさん砂が残っている状態だね...」と、
砂時計にたとえて、これからやるべきことの話をしていく。


ああー、いいですねえ。
こんな校長先生のお話だったら、
ちゃんと聞いていただろうなあ...。羨ましいなあ。
なんて、思いましたが、いろいろ考えさせられますね。


「とにかく話を聞きなさい」では、
人はなかなか話を聞かない。
これは納得ですね。
相手が聞いてくれる伝え方をしなくてはならない。
これは本当にそう思います。
ただ、「ビジネスの現場では、
相手が聞きたいと思うような話し方をするのが当たり前」
というところは、
そうなっていないぞ、と思ってしまいます。


プレゼンのときは、相手を意識しますよね。
聞いてくれている人に届くように話すことを意識していると思います。
でも、普段の仕事ではどうでしょう。
「上司の話は聞くもの」
「社長の話は聞くもの」
話す側も聞く側も、あまり疑問を持たずに、
そう思っているのではないでしょうか。

だから、上司側は
「部下が話を聞いているように思えない」という感想を持ち、
部下側は、
「まあ、とりあえず聞いておこう」と、
理解できたかどうかをあまり考えずに聞くことになってしまう。
社長は「全社にメッセージが伝わらない」という感想を持ち、
社員は「この前、社長って何を言ってたっけ?」
くらいにしか聞いていない、なんてことが起こってしまいます。


では、伝える方が相手に届くように努力すれば解決するのかというと、
そうでもないような気がします。
やはり、聞く力も大事。
伝え方と聞き方のバランスが整うと、
お互いすごく通じ合ったように感じるのではないかなあという気がします。


そう考えると、中学校では、
伝え方と聞き方、どちらも学べるとすごくいいですよね。
いや、小学校から取り入れてもらえたら、もっといい。
そして、私たち社会人は、もっと努力しなくちゃいけないな。
そんなことを思いました。


千代田区立麹町中学校は、
公立の中学校であるにもかかわらず、
工藤校長を中心として、
変革に向けて新たな施策を次々と取り入れているようです。
中学校はこういうもの、という常識を捨てて、
社会に出る人材を育てる視点でさまざまな取り組みをする、
こんなすてきな学校が増えてくれたらいいなあと思いました。

飼い猫が皮膚炎になってしまい、病院通いをしています。
2週間に一度、
薬浴といって薬品が入ったお風呂にいれてもらうのですが、
これが結構な料金。
スーパー銭湯の5倍くらいします。


そこで、何とか自宅でできないかなあと思い、
先生に薬浴の内容を聞いたところ、
「薬品の入った石鹸でていねいに洗った後、
石鹸をつけたままの状態で15分放置します」とのお答え。
即、断念しました。
猫はただでさえ水が嫌いと聞きます。
15分濡れたままで待たせるなんて、無理。
大暴れする様子が目に浮かびます。


ところが、先日読んだ動物行動学の本に、
こんなことが書いてありました。
「猫がシャンプーを嫌がるのは、
飼い主がかもしだす雰囲気のせい」。


ええーっ?


よく読んでみると、こういうことらしいのです。


陸上で暮らす動物は、皆、
基本的に水に濡れるのを嫌がる。
キリンもチンパンジーも、
雨が降れば木の下などで雨宿りする。
同様に、犬も猫も水が嫌い。
だが、猫がほかの動物に比べて特別に水嫌いというわけではない。
「猫が水嫌い」と言われるのは、
水に濡れたときのリアクションが大げさだから。
そして、大げさになる理由は、飼い主の
「猫は水が嫌いだから、素早く済ませなくては」
という不安を殺気として感じるためだ。


殺気?
飼い主の不安を殺気として感じるから暴れるの?
びっくりしましたが、なるほどなあ、とも思いました。


こういうこと、仕事をしていてもありますよね。


たとえば、プレゼンのとき。
プレゼンを担当する人が、不安な様子でいたとしたらどうでしょう。
聞いている人は、その人の雰囲気に引っ張られて、
落ち着いて聞けなくなりますよね。


会議のときもそうですね。
場をしきる人が、そわそわしていたり、
ちょっと機嫌が悪かったりすると、
ほかのメンバーもその空気を感じ取ってしまいます。
決まるものも決まらなくなりますね。


そういうときに共通することは、
話し手に笑顔がなく、さらに相手の目を見ていないことではないでしょうか。


人材育成コンサルタントの清水久三子さんによると、
アイコンタクトは長さに意味があるそうです。


まず、聞き手に「公平に見られている」という意識を持ってもらうためには、
1秒以上のアイコンタクトが必要。
これ以下だと、「スルーされた」と思われるそうです。
さらに、「信頼性」を感じてもらうには3秒以上、
「自信」を感じてもらうには5秒以上目を合わせると良いそうです。


笑顔でしっかりアイコンタクトをとれば、
堂々とした印象を与えることができ、聞き手に
「信頼できそう」、「話をもっと聞いてみたい」
と思ってもらうことができますよね。
そして、これができるということは、
何より自分自身が落ち着いた状態であるということ。
不安や緊張をコントロールできているということでもありますね。


いやぁ、猫からいろいろと考えさせられました。
アイコンタクト、猫に5秒はひっかかれそうなのでやめておきますが、
笑顔で堂々とふるまえば、猫も安心するかもしれません。
薬浴、トライしてみようかな。。。

土曜日の朝にテレビをつけたら、
BBCアースでおもしろい番組が放送されていました。
動物そっくりのカメラを仕掛け、
普段の動物の姿を捉えようという内容で、
私が観たのは赤ちゃん猿そっくりのカメラを取り囲む
ラングールの群の場面でした。


木の幹にちょこんと腰掛けた
ラングール赤ちゃんのカメラは本物そっくり。
でも、何か違うと感じたのか、
赤ちゃんカメラを覗き込みにラングールが集まってきます。


そこにお母さんラングールが、
赤ちゃんカメラの世話をしようとやってきます。
カメラを抱きかかえ、高い枝に移動しようとしたそのとき、
手を滑らせて赤ちゃんカメラを落としてしまいます。


群に緊張が走ります。
お母さんラングールはすぐに駆けつけて
赤ちゃんカメラをつついたりしてみますが、
まったく動きません。
しばらくして、死んでしまった、
と理解したような表情を浮かべます。


すると、赤ちゃんカメラとお母さんラングールを取り囲むように、
仲間のラングールが次々とやってきます。
興味深いのはその様子です。
少し離れた場所から、
静かに赤ちゃんを見ているのですが、
明らかに悲しんでいるのです。
うつむいたり、うつむいたまま隣の仲間と抱き合ったりしています。
「悲しい気持ちを共有しているようだ」という、
ナレーションが入ります。
共感し、お互いを思いやるラングール、
すごく興味深いと思いました。


さて、「共感」。
これからの時代は「共感」がキーワードだ、と言われます。
ビジネスの現場では、
リーダーに求められる資質のトップが「共感力」だったりします。


アマゾンで「共感力」と検索すると、
『共感力の鍛え方』
『「共感」で人を動かす話し方』
などがヒットしました。
「聞く力」などのキーワードがタイトルに入った本もヒットします。
どうやら、 「共感力」そのものをどう高めるか、という本と、
コミュニケーションにおいて「共感力」のある話し方(聞き方)とはどういうものか、
という、大きく分けて2種類の内容があるようでした。


専門的なことはわかりませんが、
私個人は、共感力そのものは、
そう簡単に高められるものではないような気がしています。
共感力は想像力と限りなく近いように思うからです。
あるネットの記事には、
共感力を伸ばすためには
「人に興味を持つ」とか「相手の立場に立って考える」
などと書かれていましたが、
まさに訓練が必要なことばかりで、時間がかかりそうな印象です。


一方で、共感を生むコミュニケーションのほうの記事を読むと、
たとえば、相づちを大きくうったり、
相手の感情に自分のテンションを合わせたりする技術が紹介されていたりします。
こうした聞き方をすると、
相手が「この人は私の気持ちが分かってくれている」と感じるので、
共感が深まっていきます。
医療の現場などでは大事なテクニックですよね。


うーん、一口に「共感」といっても、複雑ですね。
「共感力が高い人」というとき、
「本当に深い思いやりの人」を指す場合もあれば、
「傾聴力が高い人」を指す場合もあるし、
その両方を持っている人を指す場合もありますもんね。


そんなことを考えていると、
「これはいやだな」という状況が浮かんできました。
それは、あまり共感していないのに、
ものすごく共感しているふうに話を聞くこと。
これ、相手は必ず分かりますね。
ポーズやスタイルばかりでいかないよう、
気をつけたいものです。


急に涼しくなりました。
体調を崩さないようにしてくださいませ。

先日、息子たちとサッカーシューズを買いに出かけたときのこと。


向かった店は、わりと専門性の高い店で、
今までもそこでシューズやらボールやら、いろいろと購入してきました。


店に入ると、ディスプレイしてあったシューズが
偶然次男のサイズと同じだったので、試着。
そこへ店員の男性がやってきました。
見たことがない人だったので、新しい店員さんだと思いました。


紐を結び終えたシューズの足を外から無言でタッチし、
彼はこう言いました。


「大きすぎますね。これは転びますよ。
足も遅くなるし、シュートもミートしません。
外反母趾にもなります」


次男のシューズは前回も同じ店で購入し、
同サイズを半年以上履いています。
私は「!?」と思い、こう言いました。


「ええと、前回もこちらで購入して、
これでちょうどいいと本人も言うので、
もう半年以上このサイズなんですが」


すると彼、


「お子さまの感覚ですからね、正確ではないです。明らかに大きいです。
大きいサイズに慣れちゃったので、
そう言っているのではないですか?」


そして続けて、次男にこう言いました。


「サイズ、どう?」


大きすぎる、という会話をずっと聞いていた次男は答えました。


「まあまあ、ぴったり」


すると彼、


「まあまあ、ぴったりって答えはないよね。
小さいか、ぴったりか、大きいかだよね。
ぼくがさっきから大きいって言ってるから、
そういう答えなの?」


こりゃ、だめだ、ここじゃ買えないわ、と思った私。
立ち上がろうとした瞬間、その様子をそばで見ていた、
反抗期中の長男がこう言いました。


「おれ、この店で買わねえ」


店員さんは、そこではじめて雰囲気の悪さに気づいたようで、
小さいサイズをすすめることもなく、
急いで店の奥に消えていきました。


この日、私たちはほかの店で無事シューズを購入できましたが、
私はこの店でのやりとりがかなりひっかかりました。
どうひっかかったかというと、
あの店員さんは、何がしたかったのだろう、と思ったのです。
だって、店員である限り、売りたいのは当然。
はじめから客を怒らせようとするわけはありません。


で、気づきました。
彼はコンサルティングがしたかったんだなあ、と。


「みんな少し大きいサイズを履いている。
でも、それは正しくない。
もっとパフォーマンスをあげるために、
長くサッカーを続けるために、
正しいサイズを履かなくちゃいけない。
専門知識がある僕がきちんと教えてあげなくては!」


そんな感じだったのかもしれません。
その思いが強いばかりに、上からの口調になってしまい、
結果、相手を否定することになってしまった。
そんなところではないでしょうか。


もし、私が「正しいシューズ選びセミナー」という
講演会を聞きに行っていて、
そこであのやりとりがあったなら、
たぶん「いい情報もらっちゃった」と思ったでしょう。
でも、私はその店にシューズを買いに行ったのです。
買いたかったのに、その思いが消えてしまった。
彼が言っていた情報自体はいい情報だったのに、伝え方が間違っている。
もったいないですよね。


と、ここまで考えて、またまた気づきました。
こういうことは、仕事をしている中で起こりがちだ、と。


たとえば、クライアントと接していて、
もっとこうするとよくなりますよ、と伝えたいとき。
たとえば、スタッフに、
こうするといいんじゃない、を言いたいとき。
その思いが強すぎると、
相手から見ると押しつけのようになっていることがあります。


こちらは、相手のことを思っているつもりなのですが、
相手は否定されたようにしか感じない。
よくあるのではないでしょうか。
そしてこれ、家族感や友人間でも起こりますよね。


よかれと思ってしているのに、
そう伝わらないとしたらもったいない。
「こうしたらいいかも」を思いついたときは、
口に出す前にまず相手の立場に立って考える。
相手を否定するような言い方にならないように注意する。
このワンクッションをもっと意識しなくてはいけないと思いました。


相手に「いい情報もらっちゃった」と思ってもらいたいですもんね。


さて、今日で7月も終わり。
本格的な夏が始まりますね。どうぞすてきな1週間を!

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、
「おもてなし」への関心が高まっています。


「おもてなし」と聞いて、思い浮かべるキーワードはどんなものでしょうか。


私は、「感謝」、「思いやり」、「くつろぎ」、「心地よさ」など、
場の演出みたいなものをイメージしました。
「ごゆっくり」という声かけがありますが、
「リラックスして、ゆっくりしていってほしい」
という気持ちがベースにあるような気がしました。


雑誌WIREDが行った興味深い調査があります。
「おもてなし」を「ホスピタリティ」に置き換えて、
そこから思い浮かべるキーワードを調査したものなのですが、
国が違うと、出てくるキーワードが全然違うのです。


たとえば、アメリカ人の場合、キーワードは、
1:迅速さ
2:徹底的
3:信頼
4:有益さ
5:使いやすさ
「サービスの基本と考えられる
『迅速さや正確性』をとにかく望み、
対価も払う心づもりのようだ」
と解説されています。


イギリス人の場合は、
1:効率性
2:安さ
3:思いやり
4:親しみやすさ
5:友好的
「たとえるなら、主人と執事といった
『サーヴァント型』ととらえられる」
と書かれています。


アジアの人々は、
1:おいしい食べもの
2:サプライズ
3:差別しない
4:素早い対応
5:リラックス
「クオリティを求め好奇心旺盛に活動する彼らに
応えることがおもてなしにつながる」
と解説されていました。


おもしろいですよね。
「おもてなし」の中身は、
相手が違うとまったく違ってくるということなのです。


よく考えると、
「そりゃ、そうだ」と思えるのですが、
相手のことはそれほど考えず、
いわゆる「手厚いもてなし」をすると、
おもてなしをした気になってしまっていること、
あるような気がします。


おもてなしと言えば、
真っ先にその名が挙がる「帝国ホテル」の社長であり
東京総支配人の定保さんは、
雑誌のインタビューでこんなことを言っています。


「五輪決定から、『おもてなし』というキーワードが
一人歩きしているような感じも受けます。
しかし、毎日実践し、追求しようとしている我々からすれば、
そんなに簡単なものではない、と思います。
何よりサービスを提供している側の自己満足であってはいけない。
お客様が望むことができて初めておもてなし、
といえると思います。
押し付けのサービスでは、『おもてなし』ではありません」


なるほど。
確かにそうですよね、、、。
あれこれ思い出して、反省しますね、、、。
相手の声を聞く前に、自分が盛り上がってしまっているのは、
本当の「おもてなし」じゃありませんね、、、、。


さて、いきなり猛暑の7月です!
暑さに負けず、すてきな1週間をすごしましょう。

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