ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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『ちょっと気になる』カテゴリの記事

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以前、アルピニストの野口健さんのインタビューを読んでいたら、
こんなことが書いてありました。


「今やヒマラヤでもネットが見られる時代なので、
今までシェルパの経験と勘に頼っていた天気予報も、ネットでわかるようになった。
すごく便利になったが、いつもネットの情報が正しいとは限らない。
シェルパの勘のほうが正しいことがある。
天気がどう変わるかを知るには、やっぱり空を見上げたり、
風を感じたりしなくてはならない」


天気が知りたいのに、空を見上げずにパソコンを見る。
これ、やってしまいますね。とにかく、ネットを見ようとしてしまう。
たとえば、木の葉の色が知りたいのに、外に出ずにネットで調べたり、
会社ですぐそばに座っている人とのコミュニケーションで悩んでいるのに、
その人のところへ行かずにネットで解決法を見たり...。


画面を見れば、膨大な情報に瞬時にアクセスできる。
その情報を取り入れるためのメソッドやスキルもたくさん用意されています。
ものすごく便利です。でも、一方で失っていくものもありますね。


たとえば、観察力。よく見たり、聞いたり、触れたりしているでしょうか。
思考力。じっくり考えて自分の考えをまとめること、しているでしょうか。
経験。実際に体を動かして、試してみているでしょうか。
直感。将棋棋士の羽生義治氏は、直感は何もないところから湧き出るものではない、
と言っています。思考と経験の積み重ねから生まれるものだ、と。
思考と経験の蓄積がないと、直感は鈍る一方です。


なんてことを考えていたら、ある歌を思い出しました。
TOKIOの『雨傘』という曲です。


「待って、鼻を利かせなよ
今宵は雨だろう
傘くらい携えて行け
怖いことは流されること
五官があるだろう
何より頼ればいいのに」


うーん。
観察したり、じっくり考えたり、判断したりすることは、
今の時代は意識的にやる必要があるのかもしれません。


直感が必要な場面で、もたもたせずにシャキーンと決められるよう、
普段から鍛えておかなくちゃいけないなと改めて思いました。

「水族館利用者の大人対子どもの比率は、8:2です。格段に大人が多いのです」


インタビューでそう答えているのは、
今年、リニューアルオープン10周年を迎えている
新江ノ島水族館のプロデュースをされた中村元さん。
中村さんは、「サンシャイン水族館」、「おんねゆ温泉・山の水族館」などの
リニューアルを手がけた水族館プロデューサーです。


さて、大人8割。びっくりしました。
今まで何となく、ファミリーのお出かけ場所と思っていましたが、
そう捉えるべきじゃないですね。
「水族館は動物好きな子どもたちが大人を連れてくる場所ではない」
と中村さんも言っています。


考えてみると、私も水族館ファンです。
でも、水族館であればどこでもいいというわけではありません。
行くとどっと疲れる場所もあります。
とくに遊園地を併設しているような巨大水族館は苦手。
もともと人混みが得意ではないので、人を見ているだけでクラクラします。


「人混みを感じない水族館なんてないでしょ」と思いますよね。
よく行く新江ノ島水族館は違うんです。
まず、規模がコンパクトでちょうどよい。幻想的。落ち着く。
子どもの遊び場に来たという感じがあまりないのです。


記事を読んで「なるほど」と思いました。
新江ノ島水族館は、大人をターゲットにした「日本の水族館」を
コンセプトにしているらしいのです。


「日本人が海という大自然に抱いている畏れの気持ち、
海の幸に感謝する気持ちは独特なものです。
日本独特のアニミズムを新江ノ島水族館では表現しています」
と中村さんは言っています。
具体的には、岩や照明によって陰影をつけて、海の怖さや凄みを際立たせる。
造波装置で潮の動きを作り、海藻を動かして、豊かな日本の海を表現する。
名物のクラゲゾーンも、生命のしたたかさと儚さを感じさせる
幻想的な空間づくりを目指したのだそうです。


新江ノ島水族館は、体験学習企画も充実しているのですが、
ここにも独特のメニューがあります。
たとえば、「相模湾のクラゲ採集&調査」。これは大人限定企画です。
大人限定体験学習って、あまり聞かないのではないでしょうか。
ほかにも「地引き網体験」なんてメニューもあって、
大人がワクワクしそうな企画が用意されています。


さて、中村さんの記事を読んでいて思ったことは、
「○○って、○○のためのものだよね」という認識が、
今や正しくないこともあるなあ、ということです。
「水族館って、子どもが行くところだよね」という認識のままだったら、
今のような新江ノ島水族館は生まれていない。
「お菓子って、子どもが食べるものだよね」という認識のままだったら、
大人向けのお菓子も生まれていなかったでしょう。


まだまだありそうな「○○って、○○のためのものだよね」。
本当にそうなのかな。
検証したくなってきました。

少し前の話で恐縮ですが、母の日のことです。
毎年、母の日にはネットでお花を注文し、届けています。
毎年していることなのに、いつも気づくと
「あ、そろそろ注文しないとまずい!」という時期になっているので、
私がネットを見る頃には、だいたいどのお花屋さんも
「まだ、間に合います!」、「今ならまだ当日にお届けできます」
というコピーを掲げています。


毎年お願いするお店を決めているわけでないので、
アレンジ画像を見て、ピンときたところに注文するのですが、
値段で絞ると、実はアレンジは大きくは変わりません。
その中から、「この色合いはちょっと...」、「この花器はなあ...」と、
消去法で省いていって、残ったいくつかから決めることになります。
あと、ポイントとなるのは「当日届くかどうか」でしょうか。


そんな感じで、同じようなアレンジ画像と「間に合います」という
お店のコピーを順番に眺めていたら、
あるコピーに目が止まりました。


「母の日当日は、朝からお花があると、母の日モードが高まります。
前日の夜にお届けすることをお勧めしています」


「そうだ!そうだ!」。このアドバイスに大いに納得し、
一瞬でこのお店にすることに決めました。
と、同時に反省しました。
私は「当日にきちんと届けたからね」、「私は失敗なくちゃんとやりましたよ」
とでも言いたかったのでしょうか。
受け手の立場に全く立っていなかったと気づいたのです。


前日にお花を届けるというのは、お店としては、
母の日当日に配送が集中することを避けるためでもあるでしょう。
でも、受け手のことを想像すると、朝起きた時にきれいにお花が飾られているのと、
母の日当日ではあっても、夕方にお花が届くのでは、一日がまったく違うでしょう。
「前日に届けましょう」は、すばらしいアドバイスだと思いました。


考えてみると、贈り物って、贈る側の自己満足になってしまっている
ケースがあるような気がしますね。
お祝いのお返しなんて、まさにそう。
贈られる側のことを考えると、バスタオルなんてこれ以上もらっても困る、
という家庭が多いと思うのですが、
バスタオルが一般的らしいから、とりあえず贈る。
贈ったほうは、「はい、お返し終了」で、それ以降のことは気にしない。
もらった家庭は、使わないから箱のまま押し入れにしまう。
あーあ、という感じです。


気がついたら、自分のことしか考えていなかった。
これは、贈り物に限らず、よくあることです。
相手はどう考えるだろう、と、立ち止まって考えることを
いつも意識して行わなくてはいけないなあと改めて思いました。
あれ? これ、W杯でも言えたのかも。ブツブツ...。

先日、何気なくテレビを見ていたら、
女子柔道の試合が放送されていました。
皇后盃全日本女子柔道選手権大会という大会でした。
よく見てみると、審判は全員女性。
全員が女性審判である大会は、今回が初めてだと解説されていました。


「へえー」と思い、興味を持って試合を見ていると、
あることがとても気になってきました。
審判の声です。
女性でも、太く、低く、大きな声でビシッと判定を言う審判もいれば、
大きいとは言えない声で、しかも少し聞き取りにくいトーンで、
語尾も長めな判定をしている人もいるのです。
そんな感じで判定が言い渡されると、
心なしか、選手の表情にも不安が浮かんでいるようにも見えてきます。
女性審判が増えていくのはすばらしいことだと思いますし、
女性の声が男性の声に比べて、弱く、高いのはしょうがないのですが、
判定はやはりビシッ、ズバッと言ってくれないと、
場が締まらないなあ、と思いました。


これに似たことを思い出しました。
サッカーの試合での審判の態度です。
ファールの笛の吹き方、イエローカードの出し方などがビシッとしていると、
選手は「しょうがないな」と諦めがついて、
そのまま試合は続きます。
でも、笛の吹き方、カードの出し方が遠慮がちだと、
審判はとたんに選手に囲まれて、あーでもないこーでもないと言われてしまう。
やはり、強く、短く、笛を吹き、ビシッとカードを上げる。
これが必要なんですね。


考えてみると、これ、人に何か注意する時にも言えます。
「~に注意して、~してください。以上!」と言えば、
言った方も、言われた方も、切り替えることができて、
「さあ、前に進もう!」という気持ちになりますが、
「~のさ、~なんだけどさ、~だと思うんだよね...」
なんていう注意の仕方だと、
言った方は歯切れが悪く、だんだんいろいろ言いたくなってきます。
そして、「...で、そもそもさ、このあいだの件も...」と
過去のことをどんどん掘り返してしまう。
こうなると、言われた方もどんどん不満が募っていき、
お互い全然すっきり終われなくなります。


昔、次男の幼稚園の先生が、
「子どもを叱るときは、低い声で、短く簡潔に言ってください。
そうすると、子どもは、普段と様子が違うことを察知して、
注意して聞きます」
と言っていました。


実を言うと私、子どもが相手だと、結構過去のことを掘り返しがちです。
注意する時は、ビシッと短く。気を付けないと。

少し前になりますが、米アカデミー賞が発表されましたね。
私は昔からアカデミー賞の放送を観るのが大好きです。
どの作品が受賞するか、だれが受賞するかももちろん気になるのですが、
レッドカーペットのファッション観察もかなり楽しみにしています。


「すごい!さすが似合ってる!」
「あれ? ドレスはすごく似合っているのに、
どうしてそのヘアスタイルにしちゃったかなあ」
家族から冷たい目で見られながら、
自分のことは棚に上げまくってブツブツ言っています。


レッドカーペットのファッション観察がおもしろいのは、
その裏に見え隠れするビジネスシーンに
想像をめぐらせることができるからでもあります。


数年前、レッドカーペットの舞台裏を描いた
ドキュメンタリーがテレビで放送されていました。


女優さんたちが身につけているドレスやジュエリーは
各ブランドが無償で貸し出しているそうです。
それは、レッドカーペットがファッションショーとは
比べものにならないくらい宣伝効果の高い場所だから。
ブランド側は、少しでも多くのアイテムを身につけてもらえるよう、
豪華なおもてなしやプレゼント攻勢を行うのだそうです。
そこに投じられる額は、年間数十億円規模とか。
熾烈な戦いが繰り広げられる様子が想像できます。


女優さんがレッドカーペットでポーズをきめるまでには、
ファッションデザイナー、スタイリスト、ヘアデザイナー、
メーキャップアーティストなど、
思いつくだけで、結構な役割の人が仕事をしなくてはなりません。
映画『プラダを着た悪魔』で描かれたような、
激しいぶつかり合いがありそうです。


今年、最優秀女優賞に輝いたケイト・ブランシェットが
レッドカーペットで完ぺきなポーズをきめているのを見て、
私は、勝手にあることを想像しました。


それは、彼女の周りにいるスタッフが
全員プロフェッショナル度の高い、
完ぺきな仕事をしたのではないか、ということです。


ファッションデザイナーもスタイリストも、ヘアデザイナーも
メーキャップアーティストも、
それぞれが「これが最高だ」と思えることをやり、
決して妥協せず、最後まで自分の意見を通す。
そして、他の役割に当たるスタッフの仕事を信じる。
そんなことが行われた結果が、
あの日のケイト・ブランシェットの姿なのではないでしょうか。


それぞれが「これが最高」ということをやっても、
バラバラな方向にならないのは、
たぶん、全員が「レッドカーペットというチャンスをものにする!」
という同じゴールを持っていたからなのではないかと想像します。


もしかしたら、私が
「あー、ドレスは似合ってるのに、
なんでそのヘアスタイルにしちゃったかなあ」と
思ってしまった女優さんの場合、
スタッフのだれかが意見のぶつけ合いに疲れて、
もういいや、と思ってしまったのかもしれません。
どこか一つがイマイチだと、結局ドレスもイマイチに見えて、
女優さんのオーラも何だか薄れて見える。
彼らは、レッドカーペットのチャンスを思ったようには
生かせなかったかもしれません。


ファッション業界。
みんなが意地を張り合っているようなイメージです(勝手な想像)。
そんな世界で、自分が「これが最高」と思ったことを最後までやり通すには
高い能力と確固たる自信が必要だろうと思います。
ぶつかり合いながらも、それぞれが自信を持って最後まで戦い、
全員で成功するって、ものすごく気持ちが良さそうです。
そんな経験、してみたいものだなあと思います。


さ、夢見心地で想像の世界に浸るのはこのくらいにして、
今週もスタートです!

1週間で21分。1年で1008分。
何だと思いますか?
これ、私が探し物をしているであろう時間の合計です。
「あれ?ここにあるはずなんだけど。えーと...」
そんな調子で、たぶん1日に3分は探し物をしている私。
ある日、ふと計算してみたのです。
なんて無駄な時間。愕然としました。
映画を観たいのに全然時間がない、なんて思っていましたが、
この無駄な時間を使えば、年間10本は観られそうです。


ほしい物がすぐに見つからないということは、
整理状態が悪いということです。
片付け方法を見直す必要がありそうなのですが、
たっぷり時間がかけられない。
どうやったら限られた時間ですっきり終わらせられるのか。
きっと効果的なメソッドがあるに違いない。
そう思って求めたのが片付け本です。
片付け本に頼るあたり、片付けられない人の典型のような気がしますが、
そんなことは気にしていられません。


私が「これだ!」と思ったのは、
ライフスタイルオーガナイザーの鈴木尚子さんという方が書かれた
『もっと心地いい暮らし』という本です。
ライフスタイルオーガナイザーとは、
思考と空間の片付けと整理を手伝うプロのこと。
米国では一般的に認知されている職業だそうです。


この本によると、片付けの基本は7ステップ。
1.全部出す
2.選ぶ
3.仲間に分ける
4.仮置き
5.住所(場所)を決める
6.収め方を決める
7.維持する


ポイントは、1~3までの「選ぶ」作業と
5~6の「収める」作業を混在させないことだそう。
そのために、一度「仮置き」し、落ち着くことが必要なのだそうです。
片付けというと、すぐに収納グッズを買いに走ってしまいがちですが、
適した収納グッズを考えるのはステップ6に入ってから。
なるほどー、と思いました。


ところで、何だかこれ、
原稿書きやアイデア出しにも似ているような気がしてきました。
最初は思いつくことを全部出してみる、
そして使う素材を選び、適した収め方を考える。
「選ぶ」作業と「収める」作業を混在させないことは、
物のオーガナイズも思考のオーガナイズも一緒なのかもしれません。


さて、私のように片付けに時間を要してしまう人は、
引き出し一つから始めるといいそうです。
1日30分どこかを片付けられれば、
1週間でほぼ家全体の仮置きまでは終えられるというのですから、
やる気がわいてきました。
この本、利き脳によるタイプ別の片付け法も掲載されていて、
とてもためになります。興味のある方はぜひご覧ください。
よし!「選ぶ」と「片付ける」をしっかり分けて、
4月になる前にスッキリするぞ!

バレンタインデーが近づいています。


一昔前は、この時期そわそわするのは男の子でした。
今、男の子たちは、自分には全然関係ない、という顔をしています。
少なくとも、うちの近所の小学校と中学校では。


一方で、この時期、ため息をついているのが女の子の子どもを持つお母さん。
「友チョコ」作り&配りの手伝いが待っているからです。
今やバレンタインデーは女の子のプチお菓子交換会。
「いつも仲良くしてくれてありがとう。これからもよろしく」を
お菓子交換を通して伝え合うイベントです。
私が話を聞いたお家の子は、毎年20個以上交換すると言っていました。
これはもう年賀状のやりとりと一緒ですね。


話を聞いていて、おもしろいなあと思ったのは、
子どもたちにすでに、友だちと足並みを揃える、という意識があることです。
自分だけ飛び出ないように、だいたい同じようなものを、
同じようなスタイルで送り合う。
そのための事前調査には、お母さんたちも参加しています。


でも、まったく同じではつまらないから、
ちょっとだけリボンをかわいくしてみたり、
スタンプやシールで工夫してみたり。
あくまで、ちょっとだけ、です。
この「ちょっとした工夫」のためのグッズが
この時期、100円ショップにはびっしりと並んでいます。


「足並みを揃えたい」かあ、と考えながら、
自分の子ども時代を思い起こしました。
友だちとケンカするのは嫌だから、という思いは、
どんな時代の子どもにもありますよね。


でも、足並みを揃えたい意識があったかと言われると、なかった気がします。
個性的な子はたくさんいたし、小さなケンカもよくあったけれど、
それが原因でとても友だち関係が悪くなったかというと、
そうでもなかったように思います。


今のように、携帯もメールもありませんから、
ケンカしても修復できる対面コミュニケーションがあったのでしょうね。
今はちょっと難しい世の中だなあと思いました。


あと10年ほどで、この子たちは社会に出て行きます。
その頃の会社の若手は、ほぼゆとり世代になりますね。
「いかん!勝負できないぞ!」という思いも少しはあるのですが、
一方で、私はちょっと楽しみだったりもします。
横のつながりを大切にする世代だからこその発想があるのでは、と。
たとえば、ライバル企業とどこかの部分で手を組んでみるとか、
直接勝負ではない別の方法を用いて、
あっと驚くことをしてくれるのではないでしょうか。


彼らには彼らのやり方があるはず。
たぶん、おもしろいこと、やってくれますよ。

突然ですが、皆さんの夢は何ですか?


「えー?! 中学生くらいまでは夢があったんだけど、今はうーん...」
という方が多いのではないでしょうか。
私もかなり答えに困ります。あまり現実的なことだと、夢とは言えないしなあ。


こんなことを考えだしたのは、うちの長男にあることを聞かれたからです。


「本当はさ、クリスマスプレゼントを運んでいるのはサンタじゃないよね?」


息子は4年生。そろそろ聞かれると思っていました。
とはいえ、答えを用意していなかった私は、
「えーと、サンタさんだよ」と、茶碗を洗いながら適当な対応をしてしまいました。
次に聞かれたら、ちゃんと答えなくちゃいけないと思うけれど、
どう答えるのがいいか悩むなあ、と思ってたら、自宅の本棚に
『サンタクロースっているんでしょうか?』という本があるのを思い出しました。


1897年の秋、ニューヨーク・サン新聞に、8歳の女の子から手紙が届きました。
内容は「サンタクロースって本当にいるんでしょうか?」というもの。
ニューヨーク・サン新聞は、この手紙の返事を社説に掲載することにしました。
その内容が、味わい深くてすばらしいと話題になり、
この社説は後に出版されて、世界中の人々に愛読されています。
日本では1977年に初版が出ているので、ご覧になった方も多いかもしれません。


さて、ニューヨーク・サン新聞の記者が書いた返事は、こんな内容でした。


「サンタの姿を見た人は確かにいないかもしれません。
でも、もしもサンタクロースが本当にいなかったら、
この世の中はどんなに暗く、さびしいことでしょう。
この世界でいちばん確かなこと、
それは子どもの目にも、大人の目にも見えないのです。
だから、この世の中に、愛や人へのおもいやりや、まごころがあるのと同じように
サンタクロースもたしかにいるのです。
そして、信頼と創造力と、詩と愛とロマンスだけが、
たとえようもなく美しいものを見せてくれるのです」


私は、サンタの説明として、これをこのまま息子に話す自信はないのですが
(納得させられないような気がして)、
「夢を見続けることのすばらしさ」や
「見えない力を信じる」ことの大切さは伝えなくちゃなあ、と思いました。
大人になると「あれ?私の夢って何だっけ?」となってしまいがちですが、
やっぱり、夢を見るって大事だなあと思います。それが職場でも、家庭でも。
だって、楽しいし、ワクワクしますもんね。


そんなわけで皆さん、すてきなクリスマスを!

私は、今、グラスルーツの一員として
このメルマガを書かせていただいておりますが、
以前にも少しお話しした通り、今年の5月まで10年間、
子育てのためにグラスルーツを離れておりました。


今も、小学生と幼稚園児の子育てをしながらの勤務なので、
仕事よりも育児と家事に費やしている時間のほうが圧倒的に長く、
そのため、少し離れたところから会社を見ているような感覚があります。
なので、今回はちょっと他人目線で書いてみます。


小野が、先週のメルマガで、これまでは変化に対応することで、
負けない経営をしてきた、というようなことを書いていました。
私がグラスルーツに入社したのは15年前ですが、
15年前のグラスルーツと今のグラスルーツは、かなり違う。
明らかに変化しています。


もしかしたら、コアな部分は一緒なのかもしれませんが、外側が全然違う。
お菓子で言うと、中は同じチョコなんだけど、
外側がマシュマロからビスケットに変わったような感じでしょうか。
私がいた当時は、女性らしいやわらかい印象が強かったのですが、
今はシャープでハードな印象が強いです。


小野は、これからは「勝つ経営」を目指す、と言っています。
私には、この15年間の印象の変化が、
すでに勝ちを取りに行っているようにうつっています。
戦う準備が整ってきているというか。
やわらかいマシュマロだと戦えないからなのかなー、と。


私がどこからそうした印象の違いを感じるかというと、
それは、完成した仕事のテイストであったり、
小野が発する言葉であったり、会社の空気であったり。
経営者である小野の意識が、あらゆるところに少しずつ
変化をもたらしてきたんだなと思います。


そうして会社全体の質感がいつの間にか変わっている。
そう考えると、会社って生き物みたいですよね。


最後に、小野は勝負強いです。
勝負するメンタリティーをコントロールできる、というのでしょうか、
いざ出陣、みたいなところに自分を持っていける、というのでしょうか。
私は、小野のギャンブル好きな一面からそれを感じます(笑)。


以上、創立30年目にあたり、かなり他人目線で書いてみましたー。

サッカー、コンフェデレーションズ杯が終わりました。
大会3連覇したブラジルの強さは圧倒的でした。
開幕戦で対戦した日本はもちろん、
欧州王者スペインでさえ手も足も出ない。
サッカーにそれほど詳しくない私にも、
ブラジルだけが全く違うステージにいるように見えました。


どうしてブラジルはこんなに強いのか? 
体格や運動能力の違い、これは間違いなくあるでしょう。
もしかしたら、サッカーのやり方そのものが違うのかもしれない。
そんなことを思っていたら、
『サッカーで子どもがみるみる変わる7つの目標』
という本に出会い、興味深い情報を得ました。
http://amzn.to/167Ox1i


その本には、ブラジルの小・中学生がよく行う
サッカートレーニングについて書かれていました。
2人が手をつないで試合する「手つなぎサッカー」です。


ブラジルの子どもたちは、
二人でコミュニケーションを取りながらどんどんドリブルし、
何かの拍子にボールが自分たちの真後ろに転がったら、
それぞれがくるっと180度回転して手をつなぎ替え、
プレーを続けるそうです。


これに対し、日本の子どもたちは、
同じような場面で手を離す子はほとんどいないそうです。
「絶対に手を離してはいけない」とは言われていないのに、
ルールだと思い込んでいる。
手をつなぎ替えることを思いつかないのではなく、
方法を考えようとしていない、と本にはありました。


思い込み。なるほど、これか。


茶道や華道など、型を重視する文化があるからかもしれません。
こうしてください、と言われたことを型通りするのが日本人。
これは世界に誇ることのできる日本人の美徳でもあります。
一方で、ブラジルの子どもたちは、型を重視するのではなく、
どうすれば早く結果が得られるかを考えるということなのでしょう。


同じようなことが、サッカーに限らず、
起きていると気づかされました。


前からこのやり方でやっているから、
という理由だけで採用している方法が、
実はうまく機能していないことがあるのではないでしょうか。
そもそも何のためにこのやり方を採用しているのか。
サッカーであれば、ゴールするため。
ビジネスであれば、売り上げを上げるため、
成果を上げるためといった
最終地点を再度確認することが必要なのかもしれません。


さて、サッカー。1年後のワールドカップでは、
型を崩したクリエイティブなプレーが見られるか
(サッカーに詳しい方々、勝手なことを言ってすみません)。
ガンバレ、日本!

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