『言葉の力』カテゴリの記事
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強めて、弱める
最近、YouTubeで透明水彩の描き方の
動画を視聴しています。
柴崎さんという70代の日本人男性が
講師を務めているチャンネルで、
とても見応えがあります。
何といってもプログラムが良くできています。
たとえば、
超初心者用にわかりやすく解説するコーナー、
視聴者から募った作品に先生がコメントし、
お直しするとしたらココを示すコーナー、
新しい画材を試してみるコーナーなど、
いくつかのコーナーが用意されていて、
視聴者を飽きさせません。
中でも私のお気に入りは、
視聴者から募った作品を
先生がお直しするコーナーです。
ちなみに私は、絵は描いておりません。
なので、自分の作品づくりに生かすとか、
そういう目的はないのですが、
それでもこのコーナーを見てしまうのは、
絵を描くためだけでなく、
ものづくりに共通する学びがあるからです。
先生のもとに届く作品のレベルは
さまざまですが、
比較的上級者レベルのものが多く、
もう直すところないんじゃない?
と思うほどの出来栄えのものもあります。
でも、よく見ると、全面にわたって
同じ調子で描き込まれている作品が
多いことに気づきます。
とても上手なのですが、写真でいうと、
全面にピントが合っている状態です。
先生は、
「これはタイトルがこうだから、
たぶんこの方はこの建物を描きたかったのでしょうね」
というふうに、まず伝えたいものを決め、
構図や明暗、強弱を工夫して、
強めるべきところを強く、
逆に弱くするところを弱めていきます。
建物と同じくらいの面積で描き込まれた空や
地面を大胆にカットした構図にしたり、
明るいところと暗いところ、
細かく描き込むところと省略するところの
差をつけたりといった具合です。
そうして出来上がった絵は、絵全体ではなく、
強くしたところにまず目が行くので、
作品の印象ががらりと変わります。
絵のタイトルの印象も強くなるので、
感情にうったえるものも大きくなります。
なるほどなあと毎回感心してしまいます。
これ、原稿作成も同じなのだと思います。
たとえば、「何を伝えたいか」が
あやふやな状態だと、
いくら小慣れた表現を多用して仕上げても、
「つまり何?」と読んだ人が疑問に思う
原稿になってしまう。
あるいは、インタビューをしたとして、
聞いたことをどんどん入れ込んで仕上げるのも、
一見盛りだくさんではありますが、
メッセージの強い原稿にはなりません。
「何を伝えたいか」をしっかり決めて、
強めるところを強め、
弱めるところは弱める。
絵でも写真でも音楽でも、そして原稿でも、
だれかに伝えることを目的としたものづくりに
重要なことは共通しているんだなと
改めて感じました。
さて、4月も半分終わりました。
気温差が激しい季節ですが、
体調に気をつけてまいりましょう!
「わかる」って大変だ
子どもの頃、私にピアノを
教えてくださっていた先生が
ある日、母にこんなことを言ったそうです。
「ちゃんと弾けてるんだけど、
いつもすごく難しい顔をしているの。
弾けてるよと言っても、
しかめっつらで楽譜を見ているの」
小学校の中学年くらいのことだと思いますが、
何やらさっぱり覚えていません。
さぞかし難しい曲を弾いていたんだろうなと
思われるかもしれませんが、
ごくごく普通の練習曲しか弾いていません。
イメージ通りに弾けないとか、
そんなレベルでもありませんでした。
もしかしたら、「この曲、好きじゃない」とか
そういうことだったのかもしれませんが、
たぶん、何かがすっきりしていなかったんでしょう(笑)。
今、私は自分が「モヤモヤ嫌い」だと自覚しており、
「モヤモヤ」を感じると、全力で解消に向かうわけですが、 その頃から、すっきりしない状態に敏感だったのかもしれません。
でも、何にすっきりしないのか、
を見つけるところまで当時は行けなかったようです。
そう考えると「すっきりする」「わかる」ということは
大変なことだなあと思います。
まず、すっきりしていないことを自覚する。
次に、なぜ、すっきりしていないのか
原因を探り、問題を見つける。
調べたり、人に聞いたりして、問題解決する。
自分の中で感覚的にわかるようになるまで試行錯誤。
ようやく「わかる」
みたいなことなのかなと思います。
もっと知りたくなったので、
『「わかる」とはどういうことか
−認識の脳科学』という本を読んでみました。
著者の山鳥重氏は、神経内科の医師で
高次機能障害学を主として研究しています。
山鳥氏によると、「わかる」には種類があって、
以下のどれか、もしくは組み合わせで
「わかる」にたどり着いているといいます。
<全体像がわかる>
ものごとを遠い距離から眺め、
ほかの問題とのかかわりがどうなっているかを知ることで、 それまで見えていなかったことが見え、「わかる」
<整理するとわかる>
ある基準に沿ってものごとを分類することで、
今まで整理がつかなかったものが、ある見方で整理され
「わかる」
<筋が通るとわかる>
それだけではわからない現象が因果関係によって
説明されたときや、仮説によってものごとの説明がついたとき 「わかる」
<空間関係がわかる>
さまざまなものの位置関係が「わかる」、
頭の中で三次元のもののイメージが「わかる」、
一枚の紙に描かれた立方体が立方体だと「わかる」
(視空間的能力)
<仕組みがわかる>
見かけの理解だけでなく、見かけをつくり出している
からくりを理解することで、ものごとの本質が「わかる」
<規則に合えば、わかる>
すでにある決まりごと(ルールや公式)の
手順に当てはめて、ものごとを整理していくことで、
複雑なことが「わかる」
どうでしょうか。
例を説明されないと、なるほどー、とはなりませんが、
わかるということが簡単ではないということは
わかります(本当?)。
山鳥氏は、
「わかるの第一歩は言語」と言っています。
ある音韻パターンと一定の記憶心像が結びついていれば、 その音韻パターンを受け取ったとき、
心にその記憶心像が喚起されるのだそうです。
たとえば、だれかと話していて、
言葉が耳から入ってくると、
その言葉と自分の記憶心像(内容イメージ)が結びつく、
そうして「わかる」に至る、ということです。
なので、毎回、言葉に触れたときに、
「記憶心像(イメージ)」を形作っておかないと
いけないと山鳥氏は言います。
「記憶心像(イメージ)」を形作るには、
意味がわからないといけない。
意味がわからないままにしておくと、
言葉は単なる記号音のまま。
記号音のままスルーすることが続くと、
頭がそれに慣れてきて、聞き慣れない言葉を聞いても
「それ、何?」と問いかけなくなるそうなのです。
つまり、一つひとつの言葉を丁寧に扱い、
意味を正確に理解し、自分の中にイメージを
形成することを怠ると、
「もやもやする」「すっきりしない」「よくわからない」 ということにも気づかなくなるということ。
「わからない」ことがわからないわけですから、
「わかる」に向かっていけないということになります。
これは耳からだけでなく、目から言葉が入ったときも
同じだと解釈しました。
意味を正確に理解して、心像を形成しておかないと、
文字はただの形のままスルーされるということですよね。
いやあ、大変です、これは。
カタカナ言葉を中心に、日々新しい言葉に触れている私たち。 言葉の扱いを疎かにしてはいけない。改めてそう感じます。
本当に「共感」してる?
先日、ミッツ・マングローブさんのコラムを読んで、
あることにすごく納得しました。
それは、安易に「共感」するのは怖いことだ
ということです。
ミッツさんは、
「共感って人を麻痺させることがあると思う。
たとえば、海や山に行って癒されるとみんなが言うが、
私にとって自然は怖い。本当に癒されているのか。
ただ言っているだけじゃないのかな。
とりあえず言っているのだとしたら、
それは怖いことだと思う」と言っていました。
実はこれ、私もたまに思っていることです。
共感ってなんだ? それ、同意じゃない? とか、
それはむしろ、同調かもと感じることがあるのです。
周囲がそう言っているので、
私も共感する(ことにしておく)、ということを
みんながやっていたら、それはよろしくないなあ、と。
「共感」を辞書で調べると、
「他人と同じような感情(考え)になること」
とあります。感情の動きが前提のワードだけに、
使うシーンによっては「共感する」が
胡散臭くうつるのだと思います。
ちなみに、「同意」を調べると、
「相手と同じ意見(だということを言動や態度に現すこと)」。
そして「同調」は、「(自分の意見を出さず)他の意見・
態度に賛成すること」とあります。
見渡してみると、今の世の中
「共感」というワードがいっぱい。
映画や本、ドラマの宣伝文句でも「共感の嵐」なんて、
よく使われています。
いや、いいんです、本当に共感しているなら。
でも、同意くらいなのに、もしかしたら
同調かもしれないのに、
共感の嵐には巻き込まれたくないなあと思うのです。
あ、これを書きながら気づきました。
なぜ、「共感」に人が強く反応するのか。
これ、私たちの「つながりたい欲」かもしれないですね。
コロナで人とのつながりが希薄になったことが
背景にあるかもしれません。
だれかとつながって、安心したいという思いがあり、
「共感」することで、より強くつながっていると
思える。そういうことのような気がしてきました。
そんなことをあれこれ考えていて感じたことは、
やはり、自分が発する言葉について、よく考え、
責任を持たなくてはいけないなということです。
会話の中で「わかる、わかる」と安易に言ったり
していないか、考えないといけないと思いました。
さらに、「共感」を強要しないという意識を持つこと。
意識的に強要している人は少ないかもしれませんが、
「~にほんと共感するよね」というと、
相手は「うん」しか言えなくなる。
そういう、相手に同調を求めるような言い方を
しないよう気をつけなくてはと思います。
同じ物を見ても、視点が違えば、感じることは違う。
たとえ共感していなくても、
安心してつながることのできる世の中がいいなあと感じます。
気付いたら、まもなく11月も終わります。
今年もあと1カ月ちょい。
体に気をつけてまいりましょう!
ネーミングは大事
コロナ禍で中止になっていた各種スポーツの試合が、
安全に配慮した形で、開催されつつあります。
Jリーグは7月からJ1リーグを開催予定、
プロ野球は来週からセ・パ両リーグで
公式戦の開幕を予定しており、
いずれも、当面はスタジアムに観客を入れない状態で
開催するとしています。
さて、観客がいない試合は「無観客試合」と呼ばれます。
日本トップリーグ連携機構代表理事の川淵三郎氏は、
この「無観客試合」というネーミングを変えるべく、
Twitterで「みんなでネーミングを考えよう」と呼びかけました。
なぜ川淵氏がこのように訴えているかというと、
「無観客試合」は、プロスポーツの選手にとっては
懲罰を意味するからです。
たとえば、欧州サッカーでは、
ファン同士が激しくぶつかり合ってトラブルを起こすことが少なくなく、
しばしば罰として無観客試合が行われてきました。
また、Jリーグでも、
ファンが差別的な横断幕を掲げたことから、
無観客試合という処分が下された例があります。
川淵氏はこう言っています。
「あらゆるスポーツ再開の前に思い至ったのは、
この名前を少しでも前向きなものに変えられないか、ということです」
なるほど、そうだなあと思いました。
ネーミングは大事だからです。
ネーミングによって、捉え方が変わり、心持ちが変わり、
それによって行動が変わると思うのです。
罰が思い出されるようなネーミングだと、
当然、選手はネガティブな気持ちになります。
モチベーションが上がりません。
それはプレーにも必ず影響してきます。
コロナの影響で、しばらくは観客を入れずに行うのですから、
この期間、この試合形式の呼び方が変わり、
前向きに捉えることができたら、ポジティブにプレーできるはずです。
こんなことを思い出しました。
かなり前、たぶん20年ほど前、
テレビでプロデューサーのおちまさと氏が言っていたことです。
おち氏は、
「ドメスティックバイオレンスのことを
DVなんてネーミングにしてはいけない。
こんなネーミングだと、気軽に使う人も増える。
そうすると、会話の中でふざけて使ったりする。
絶対にダメなことだと捉えられなくなる」
というようなことを言っていました。
とても納得したので、覚えています。
みうらじゅん氏も、どこかで似たようなことを言っていました。
「暴走族なんて、
かっこいいネーミングにしちゃいけない。
だって、オレ暴走族っていう響きが、
かっこ悪くないから。だから、なくならない。
本当になくしたいなら、口にするのも恥ずかしいような
ネーミングにしちゃえばいい」と。
これ、本当にそうだなと思います。
先ほども言いましたが、ネーミングによって、
捉え方が変わるし、心持ちが変わると思うのです。
なので、ネーミングは、本当によく考えて
しなくてはいけないと思います。
今日、久々に次男が属していたチームに顔を出しましたが、
少年スポーツでよく使われている
「反省会」というミーティングも、
別の言い方がいいですね。と、今、ふと思いました。
反省会するぞ、と言われると、
ミスを咎められるかな、叱られるのかな、と
思ってしまう選手もいると思います。
でも、「今後の試合のために対策しよう」という
ニュアンスなら、前向きに取り組めそうです。
「みらい会議」とか?
みなさんは、変えたいネーミング、ありますか?
地球は丸いし、草は青い
ニュース番組で、全米オープン優勝で大注目の大坂なおみ選手と
サーシャ・バインコーチのやりとりが取り上げられていました。
自分のプレーに納得がいかずに
膨れっ面でベンチに腰掛けている大坂選手に向かって
「大丈夫、君はできるよ」と声をかけるバインコーチ。
「全然、ダメ。できない」と落ち込む大坂選手。
しっかり目を見つめながら
「みんなわかっているよ。君はできるよ」と、またコーチ。
うつむいたまま首を横に振る大坂選手。
というようなやりとりだったと思います。
昭和の熱血スポーツ指導者なら、
「そんなにやる気がないなら、帰れ!」
などと言ってしまう場面なのかもしれません。
しかし、バインコーチは彼女がどんなにネガティブに反応しようと
落ち着いたトーンで声かけを続けていました。
これを見たとき、コーチの力は本当に大きいなあと感じました。
バインコーチはインタビューでこんなことも言っていました。
「彼女は完璧主義で、自分自身に厳しすぎるところがあるから、
僕は真逆でいなければならない。だから、
『大丈夫。地球は丸くて、草は青いさ、すべてうまくいく』
って言うんだ」
こうして徹底的にリラックスさせ、
ムードメーカーとして励まし続けた結果が全米オープン優勝です。
相手をしっかり理解した上で支えることの大切さ、
言葉の力を改めて感じます。
ペップトークと言われる、米国生まれの「励ます技術」があります。
もともとは、スポーツの試合前などのシチュエーションで、
コーチが選手に向かってかける激励のコーチング話術ですが、
現在は教育現場や子育て、企業の育成の場面でも使われているようです。
ペップトークには4つのステップがあるといいます。
(1) 受容(事実の受け入れ)
(2) 承認(捉え方変換)
(3) 行動(してほしい変換)
(4) 激励(背中の一押し)
受容は「相手の感情や状況を受け入れて、共感すること」。
たとえば、心配そうな顔をしている人に向かって
「心配してるの?もっと元気を出そう」と言うのではなく、
「心配なんだよね。誰でもそうなると思うよ」と言うこと。
承認は「状況をポジティブに捉え直すこと」。
たとえば、先ほどの心配している人には続けて
「心配なのは、本気で取り組んでいる証拠だよ」と言うこと。
行動は、受容と承認でポジティブにリーディングした後、
まさに「今してほしいアクションを伝える」ステップ。
そのときに大切なことはやはりポジティブな言葉です。
たとえば、「焦らないでね。ミスをしないようにね」ではなく、
「思いきってやってきて。楽しんできて」と言うこと。
激励は、「心に火をつけ、奮い立たせること」。
「大丈夫。君はできる」「思いきって暴れてこい」などの激励系のほか、
「みんなで応援しているよ」「ゴールで待っているよ」という、
見守り系の声かけもあります。
いかがでしょうか。
大坂選手のバインコーチは、
普段からこうしたトークで寄り添っているのでしょうね。
そして、最後の背中の押し方が抜群にうまいのかもしれません。
言葉によって最高の結果を引き出す、すごいことですよね。
最後に、アメリカンフットボールで社会人日本一と学生日本一が戦う
「ライスボウル」でのペップトークをご紹介。
2009年、社会人日本一の松下電工との試合を前に、
緊張と不安でガチガチになっていた立命館大学の選手たちを
励ました古橋監督の言葉です。
このトークの後、選手たちはビッグプレーを連発し、
見事勝利を納めています。
「男にはな、人生をかけて戦わなあかんときがある。
相手がどんなに強くても、相手のほうが絶対に有利だと言われててもな、
立ち向かっていかないかんときがある。
松下電工が強い、有利だと言うのはマスコミが言ってるだけやろ。
フットボールの内容、チームワーク、どれを取っても我々のほうが上や!
それくらいの力をおまえら一人ひとりが持っとる!
おまえらならできる!
おまえらならできるんや!
やろう!
このチームで最後の最後までがんばって、
力を出し尽くして今日は勝つ!
さあ、勝つぞ! 1、2、3、GO!」
「サクサクッ」と切れる
新しい爪切りを買いました。
「爪切りが切れないから」という理由で、
爪切りをサボる家族がいるからです。
Amazonでいくつか候補をしぼって、
商品の説明を詳しく見ていきました。
重視したのは、もちろん「切れ味」です。
『熟年のスペシャリストが丹念に仕上げた逸品、匠の技。
刃は厳選したステンレス刃物鋼を使用し、
高硬度焼入れと二度刃付け技術により
鋭利性と耐久性に優れています』
ほぉ、よさそうです。
『刃匠関孫六の伝統から生まれたツメキリ。
使いやすい2WayのU字溝ヤスリ付きです』
なるほど、こちらもよさそう。
『爪切りの末端につけられた
菱形のユニークな部品は安定性を提供し、
持ちやすく、強い力を入れず爪をサクサクッと切ります』
これです。これにします。
切れる様子が浮かびます。
切れすぎて、大変なことになるんじゃないだろうか
という心配までしてしまうほどです。
なぜ、こんなに映像が浮かぶのか。
それは、やはり「サクサクッ」という音があるからですね。
「サクッ」と切れる。
「シュパッ」と切れる。
ああ、もう怖くなってきます。
オノマトペの効果ってすごいですね。
通販生活のサイトをのぞいてみました。
「ひと晩中つけても布団はサラッとしているのがイイネ!
10年ぶりにマスクなしで眠れたよ」
これは、クレイジーケンバンドの横山剣さんが
加湿器をおすすめしているコメント。
布団が「サラッ」としている、
というところから、
快適な寝心地を想像することができます。
思わずほしくなってしまいます。
ちなみに、剣さんがこれを購入した理由も、
そのときの商品コメントに、
布団は「サラッ」としたまま、
と書いてあったからなんですって。
「4万円でここまでのパワーは見当たらないはず。
ナッツもレモンの皮も1分でトロトロ」
こちらは、フィトケミカルブレンダーの商品説明。
「トロトロ」という音から、
濃厚なスムージーを想像することができます。
おいしそう。飲みたい。
音があると、映像が浮かぶ。
臨場感がアップする。
思わず、次の行動に移りたくなる。
ネット通販ならポチッと購入ですし、
旅行サイトなら申し込んでしまいそうです。
これ、普段の文章にも使えますね。
臨場感たっぷりに伝えたいとき、
リアリティーを出したいとき、
読み手に行動してもらいたいとき、
オノマトペの効果を使ってみてはいかがでしょうか。
「ビシッ」と伝わって、読み手の感情が「グラッ」と動き、
「どんどん」行動に移してくれるかもしれません。
駅伝も「言葉の力」?
今年もあと5日ですね。
今さらですが「今年のうちにやってしまいたい」と思っていたことが
全然終わっていないことに気づき、あたふたしております。
先日、テレビをつけたら、青山学院大学の陸上部、
長距離ブロックの監督、原晋さんが出ていました。
原監督といえば、2004年の監督就任からわずか5年で
同学を33年ぶりの箱根駅伝出場に導き、
15年には総合優勝を勝ち取った名監督。
「ゆとり世代をどう伸ばすか」というテーマだったのですが、
「一人ひとりに役割を与える」とか
「基本的なルールはあるが、あとは自由」など、
話の内容が興味深かったので、
最近出版されたばかりの『ゆとり世代の伸ばし方』を読んでみました。
興味深かったのは、監督が「言葉」と
「コミュニケーション力」を重視していること。
たとえば、新しい生徒を部に入れるとき、
面接では「自分の言葉で語ることができるかどうか」を見ていると言っています。
「青学では、私が全部を仕切って指図するというスタイルをとっていません。
コンセプトをポンと選手たちに投げかけ、あとは生徒たちで考えさせるようにしています。
考えて議論できる生徒じゃないと青学では伸びません」と監督。
どんなに陸上で有名な高校出身の生徒でも、基準は同じ。
「うちはこういうやり方なので、そこを理解してくれないと伸びないよ」
と伝えて、それでも入りたいという子に入ってもらうのだそうです。
読み進めて、それもそのはず!と思いました。
原監督の指導、言葉のやりとりがスゴい!
「言葉」と「コミュニケーション力」がないと、
やっていけないだろうと思います。
たとえば、監督の指導法の大きな特徴として挙げられるものに
「目標管理シート」と「目標管理ミーティング」があります。
「目標管理シート」は、部員一人ひとりが毎月書いて提出するもの。
チームのテーマ、それに応じた個人のテーマ、個々の目標と
それを達成するための具体策を書かせているそうです。
「目標管理ミーティング」は、
ランダムに選んだ6人のグループで「目標管理シート」に書いたことを発表し合うミーティング。
レギュラーも補欠も故障者もバラバラのメンバーで議論するといいます。
激しい議論になることもあるそうですが、
立場が違う部員同士の理解が深まって、一体感が増すのだそうです。
これを月に一度行っているのですから、
自分の言葉で自分のことを語る力は必須ですよね。
それと「朝の一言スピーチ」。
毎朝一人ずつ1~2分、何でもいいので皆の前で話すのだそうです。
56人の部員なので、1カ月半に一度回ってくるそう。
先日は、理工学部の生徒が、
「実験前には前もって容器を温める、または十分に冷やすということをしないと、計測に誤りが出る。
陸上も同じで、ウォーミングアップを怠るとパフォーマンスに影響する」 という話をしたのだそうです。
こうして、言葉やコミュニケーション力を高めているのは、
考える力と発想力を持ってもらいたいからだと監督は言います。
「練習内容だって、自分で考えて新しい発想を入れていかないとマンネリ化します。
箱根駅伝も『優勝』と言っているだけでは発想が新しくならない。
ミーティングでは、箱根駅伝、もっと言うと陸上界を盛り上げていくにはどうすればいいか、
君たちのアイデアを教えてくれよと言っています」。
一人ひとりが自分で考えたことを言葉にして、
それを口に出し、話し合っているから、
練習一つにしても、大会に臨む姿勢にしても、
納得度が高いのでしょうね。
納得してのぞむと、やる気が出るし、多少のことではへこたれなそうですよね。
なるほどなあと思いました。
と同時に、
そうか、目標管理シートを作っていれば、
年末に山のようにやり残したことに気づくなんてことはなかったかも、なんてことも思いました。
来年の箱根駅伝、ますます楽しみになってきましたね!
野人は「書いて」目標を叶える
「生真面目な男は、あまり仕事ができない。
不真面目な男には、仕事を任せられない。
最も頼りになるのは、真面目な野人である」
という帯に惹かれ、『野人力』という本を読みました。
『リング』、『らせん』の著者であり、
自らを野人と呼んでいる鈴木光司さんが、
娘に「生きる力」を伝えるというスタイルで書いたものです。
真面目な野人は、考えがぶれることがありません。
そして、一度設定した目的を叶えるために懸命に努力します。
野人は「体験」を重視するので、
目標達成のための手法が多少荒っぽいのですが、
真剣にゴールに向かって行きます。
鈴木さんは、10代の時に3つの目的を設定しました。
(1) 初恋の一目惚れの女の子を自分の妻とすること
(2) 自力で太平洋を横断すること
(3) 小説家として身を立てること
(1)は、小学5年生のときに転校してきた女の子を一目見て
「将来の妻がここにいる!」と思った瞬間に設定した目標だそうです。
中、高、大と片思いし、25歳くらいから直球で自分を売り込み、
断られるもめげずにプレゼンテーションしまくって見事目標達成。
途中、様々な女性とのつきあいの中で
コントロール力を磨いた結果ということです。
(2)は、小学校の卒業文集に書いた目標。
小説が売れずに苦労した時代に免許だけ取り、
ベストセラーが出るやいなやヨットを購入。
何の経験もないのに、家族を連れてまず横浜・初島間の航海へ出発。
その後も数々の航海での失敗から多くを学び、
着々と太平洋横断に向けて準備しているところとのこと。
(3)を叶えるのは一番大変だったようですが、
まず大学を文学部に絞り、
劇団でシナリオを書くという修行をし、
シナリオセンターに通ってどんどん書いて、
よしと思った内容を友人に話してリアクションを見るなど、
とにかく小説家になるための努力を続けます。
『リング』ができあがったのは32歳のときだったそうです。
鈴木さんが、真面目な野人として目標を叶えるために用いていた手法があります。
それは「書くこと」。
「目標を決めたら、そこに至るまでの道筋を文章で表現する。
書かれた文章に、他力本願と、論理的な矛盾がなければ、目的は実現する」
と、言っています。
論理的整合性のある文章が書けたなら、行動する。
その積み重ねから幸福はやってくる、と。
鈴木さんは、野人でありながら作家ですもんね。
いや、確かにそうだなあと思いました。
道筋をきちんと書けたなら、あとは実行すればいいだけ。
逆に言うと、書いているときに、「そんなわけないだろう!」と思ったことは、
いくら野人でも実行に移せないということですね。
正確に言葉にする。文章にする。筋を通して。
この大切さを改めて感じました。
正しい言葉で書かれた筋の通った文章は、強いのです。
これは、普段仕事をしていても感じます。
物語であっても、インタビュー原稿であっても、
単なるお知らせの文章であっても。
もっと勉強して、もっと書かなきゃ、と思うと同時に、
30歳を超えた頃にしまいこんだ野人力をそろそろまた
引き出したい気持ちになりました。
『野人力』、なかなかおもしろい本でした。
思いを運ぶ
子どもの頃、吹き替え音声の外国映画を見る度に、
外国の人ってなんて横柄なんだろうと思っていました。
初対面だと思われるインタビュアーに話しているのに全然敬語を使わない。
「僕は◯◯だよ。だって、そうだろ。△△なんだから」というような、
日本人はあまり使わないような表現で、とてもフランクに話しています。
インタビュー中、足を組んで座っていたりするので、
なおさら、なんだか失礼だなあ、という印象でした。
大人になるにつれ、英語には敬語や丁寧語などの細かい言い換えがないこと、
そして、あの吹き替えの日本語台詞を作っているのは、
翻訳家だということがわかってきました。
翻訳家は、たぶんその人の喋り方や雰囲気で、
どういう口調の日本語を喋らせるのか決めているのだと思います。
でも、どうして大半があの口調?
まじめな内容のインタビューをのぞくと、
だいたい「私、◯◯なのよ。最高でしょ?」という感じの日本語。
外国人は日本人よりフランクだから、というような考えがあるからでしょうか。
ハリウッドスターが来日すると、字幕翻訳家の戸田奈津子さんが
トークイベントなどの通訳をよくされています。
戸田さんは通訳する日本語が丁寧語、敬語です。
その場で通訳する人が「◯◯だろ、△△だからさ」なんて訳さないだろと思っても、
戸田さんが訳す日本語はかなり丁寧。
ブラッド・ピットもトム・クルーズもジョージ・クルーニーも、
「わたくしは◯◯しましたけれども、△△」という感じで訳されます。
なので、戸田さんの訳を聞くと、みんなジェントルマンに見えます。
通訳された日本語でその人の印象が決まるのですから、
かなり重要な仕事ですよね。
サッカー日本代表のザッケローニ前監督の通訳を務めた矢野大輔さんが、
通訳をする上で最も大事にしたことは「温度」も伝えることだと言っていました。
「単純に言葉を運ぶだけではなく、気持ちや話している人との距離感など、
監督と同じ『温度』でやるように努力した」と言います。
そんな矢野さんが、4年間で一番うまくいった通訳として選んだのが、
ブラジルワールドカップで1次リーグ敗退が決まった日に、
監督が選手達に退任を告げた時のミーティングだそうです。
4年間で初めて監督が涙しているのを見て、
矢野さんも言葉につまった場面があったようですが、
監督の思いをしっかり日本語で伝えられたと思っていると語っていました。
単に言葉を運ぶだけでなく、その人と同じ温度で、思いを運ぶ。
これは、通訳や翻訳家に限らず、言葉を使って何かを伝えている私たちも
大切にしなくちゃいけない考えだなと思いました。
例えば、取材記事。
取材した相手が発した言葉を単純に並べるのではなく、
その人が何を伝えたかったのか、どんな思いで話したのかを汲み取って書く。
それができている原稿は仕上がりが全然違ってきます。
ところで、新しいサッカー日本代表監督ハビエル・アギーレさんの通訳者が
4名に絞られたそうです。
勝手な印象ですが、厳しそうな監督です。通訳、大変だろうなあ。
どなたに決まっても、アギーレさんの思いをしっかり選手に届けて、
新日本代表に頑張ってもらいたいです!
荒れた学級を救ったものとは?
「受験のシーズンで皆ストレスがたまっているから
校内でケンカが多い、って息子が言っていて。
でも、そういう時期だから、学校は放っておいているんだって」。
ご近所さんに聞いた話です。
中3のお子さんが通っている学校は、決して荒れた学校ではありません。
なのに頻繁にケンカがある? 理由はストレス? 学校は気に留めない?
正直、驚きました。
菊池省三さんという小学校の先生がいます。
ここ20数年で、学級崩壊したクラスを次々と立て直してきた方で、
その活動はNHKの『プロフェッショナル』でも取り上げられました。
菊池先生が大切にしているのが「言葉の力」です。
「人間は言葉をもとに思考していくのだから、
言葉が育てば心が育つ、人が育つ」
「荒れているのは、自分に自信がないから。
自信がないから、友達を傷つけたり、教師に反抗的な態度をとったりする。
自信をつけさせるために必要なのは、新しい制度などではなく、言葉だ」
先生は、こうした考えから「言葉のシャワー」と
「成長ノート」という取り組みを行っています。
「言葉のシャワー」とは、生徒一人ひとりが日替わりで
クラス全員から褒め言葉のシャワーを浴びるというもの。
クラス全員から一言ずつ褒められるのですから、
30個以上の褒め言葉をもらうわけです。
「成長ノート」は、生徒一人ひとりが書く日記のようなものです。
生徒は、その日学校で感じたことや日々の生活で感じたことを
毎日ノートに書いて先生に提出。
先生は、放課後や休日を使って、一人ひとりに丁寧に返事を書きます。
こうしてたくさんの言葉をやりとりしていると、
生徒たちが、「変わりたい」、「成長したい」と感じている
タイミングがわかる、と菊池先生は言います。
それを察知した時に背中を押すと、
子どもたちは一気に伸びて行くのだそうです。
「言葉が育てば心が育つ、人が育つ」。
言葉の力で、荒れたクラスを次々とやる気集団に変えてきた
菊池先生の取り組みは本当に素晴らしいと思います。
職場でも、家庭でも、どんな集団でも、
言葉の力をもっと信じる必要があるなあ、と感じました。
スゴいぞ! 言葉の力。
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