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『言葉の力』カテゴリの記事

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30年ほど前のこと。
勤めていた会社を辞めてNYに移り住んだ私は、週に何度か旅行会社でエアラインの予約をするアルバイトをしていました。

当時、その会社は受付スタッフも募集していて
毎日のように数人が面接に来ていました。

アメリカだからなのか、その会社の特徴だったのか、その場で即採用され、翌日にはだれかが 受付に座っていました。

だれかが、と言ったのは、
受付ブースに座る人がころころ変わっていたからです。

「あれ? 昨日は女の子じゃなかった?
今日は男性が座ってるね」

「あれ? 先週いた子は?」

という感じで、どんどん人が入れ替わる。

ある日、その理由を採用担当のマネージャーに聞いてみると、応募してきた本人は面接で「できる」「経験がある」と言うが、やらせてみるとできないことが多いから、だそう。

例えば「パソコンの知識はエクセレントだ」と言ってくるが、実際にはまったくタイプできない人もいるらしく、そうなると、「はい、あなた、もう帰って」となる、と。

でもそんなことは日常茶飯事なようで、彼女は「困るわよねー」と笑顔で去っていきました。

びっくりしました。
だって、すぐにバレることじゃないですか。
実際できないんだから。
しかも、バレたときに「ウソつきましたね」となって、かなり恥ずかしいですよね。

しかし、それをアメリカ人の友達に言ったところ、それはウソではなく、セルフ・プロデュースだと言われました。
「私だって、エクセレント・オーガナイズ・スキルと書く」と。

彼女は、片付けがまったくできなかったので、
「ウソでしょ!」って思いましたが、
なるほど、そういうものなのかと思いました。

自分のスキルを正直に伝えるどころか、
「それほどでもないです」と
低めに言ってしまうことの多い日本人と、
少しでもできれば(ほとんどできなくても)
エクセレントだと表現し、自分を最大限に売り込むアメリカ人。文化の違い、考え方の違いを目の当たりにしました。

考えてみると、私たち日本人は、セルフ・プロデュースにあまり縁がないですよね。

でも、これは「ハッタリ」ってことだろうなと思いました。

私の古くからの友人に、学生の頃、ほとんど泳げなかったのに水泳コーチのバイトに申し込み、泳力テストで溺れかけたものの、採用されたという女性がいます。

彼女は、
「水泳コーチのバイトをする、背中が美しい女子大生」
になると決めていたらしいのです。

泳げないのになぜ採用されたかというと、
コーチたちが、溺れかけても泳ぎ続ける彼女の必死さに胸を打たれ、
「私たちがあなたに泳ぎを教えます」となったのだとか(彼女談)

そんなバカな、と聞いた時は思いましたが、
実際に泳ぎを覚え、美しい背中になった彼女を見て、こういう人もいるのかと感心しました。

彼女はその後も、ほとんどできないのに
何かに応募しては、面接で
「実はこれは今はあまりできないのですが、
こういうことならできます!」
などと自分を売り込み、いろいろなことを実現させてきました。

彼女のアクションはいつも
「なりたい自分をイメージ」、
次に「ハッタリ」、そして「実現」でした。
今思うと、実現に向かうために、
ハッタリで自分にプレッシャーをかけていたのだろうなと思います

そういえば、以前、テレビで林修先生がカリスさんというAI研究者をインタビューする番組を観たのですが、カリスさんもこう言っていました。

ぼくは人生を生き抜く上でハッタリが一番大事だと思っています。
ハッタリをかまし続けると実績も後からついてきます」

カリスさんは韓国出身で、16歳で東大に合格したことで話題になった人。 現在は医療AIを扱う企業のCEO補佐として医療AIの研究開発をしています。

「思い込みが大事なんです。自分は特別と思っていない人は、特別にはなれないので」
とカリスさん。
なるほどなあ、と思うと同時に、今の日本、こういう人が必要なんだろうなと思いました。

「いやいや、そんな私なんてそれほどでもないです」

みたいな人ばかりだと勢いがなくなるばかり。
「ハッタリ」をかける人も必要だし、それを受ける側も「ハッタリ」ウェルカム! くらいの心構えが必要なのかもしれません。

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「やばい」という言葉で表現するのは
どんな感情?

2018年に小学館集英社プロダクションが
小学生を持つ保護者を対象に行った
「言葉の使い方についての意識調査」に
そんな問いがありました。

調査の結果によると、
「やばい」で表現される感情や状況は、

1位 あやしい
2位 びっくりしている状態
3位 おもしろい
4位 楽しい
   おいしい
6位 感動している状態

でした。

まあ、そんなところですよね。
うちの息子たちも

「あの曲はマジでやばい」(かっこいい)
「あいつはやばい」(あやしい)
「今日はやばかった」(びっくりした)
「あのラーメンはやばい」(とんでなく量が多い・・・とか)

みたいな感じで使っているように思います。

「やばい」は用途が広いですね・・・
言い方次第でいくつもの感情を表せてしまいます。

一方、同じ調査に
「語彙力に自信があるか?」という問いもありました。

これについては、

「ある」が8.5%
「ややある」が18.3%
「どちらとも言えない」31.2%
「あまりない」30.4%
「まったくない」11.6%

という結果。

「ある」「ややある」の合計は26.8%。
「どちらともいえない」「あまりない」
「まったくない」の合計が73.2%です。

そうですよね、という感想を持ちました。
私も「語彙力に自信があるか?」聞かれたら
「あまりない」と答えるだろうなと思います。
「ある」とは言えないし、
「ややある」って言うほどでもないか、と思うからです。
実際、1日どのくらいの言葉を使って過ごしているか、きちんとカウントしたら、多くないだろうなあ、と思います。

さて、『感情の正体』という本で、
著者である法政大学の渡辺弥生教授は、
人は感情を言葉にすることで、
自分の気持ちをうまく理解できるようになり、
周囲の人もまたその人に共感しやすくなると言っています。

たとえば、
「なんだか気分がすっきりしない。こう、なんというか・・・」
と言われても、言われた方も、言っている本人もどんな感情なのか理解するのが難しいですが、
「八方ふさがり」
という言葉にしたとたん、
感情や状態を理解できるようになる、と。

日本語には、
難しい表現を使わなくても、
感覚や感情を表すことができるオノマトペが多くあって

「どきどき」
「おどおど」
「ひやひや」
「いらいら」
「うきうき」
「くよくよ」

などで、抱えている感情を相手に伝えることもできますよね。

さらに、日本語には、四肢や内臓など
身体的変化に基づいた感情表現も豊富にあるので、

「腸が煮えくり返る」

というだけで、どれだけ怒っているかを示すこともできます。

ちなみに私の手元に
「感情ことば選び辞典」というハンディサイズの辞典がありますが、
ここには、感情に関するキーワードが
200ほどピックアップされていて、
それぞれのキーワードに関連する熟語が書かれています。

たとえば、
「愛する」というキーワードでは
「愛玩」から始まって「純愛」「鍾愛(しょうあい)」「盲愛(もうあい)」など
33の熟語が書かれています。

使ったことない言葉、まだまだどっさりありますね。

ある調査では、
男性が1日に発する言葉数は7,000語
女性が20,000語なのだそうです。
仮に1万語話すとして80歳まで生きると、
約3億語という計算になります。

その中に「やばい」は何回入っているのかな・・・

自分が発したり、書いたりする言葉をもっと意識しないと、自分の感情はもちろん、相手の感情も細かく汲むことができなくなりそう。
それこそ「やばい」と思った次第です。

GWも終わりました。
体調に気をつけてまいりましょう。

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最近、YouTubeで透明水彩の描き方の
動画を視聴しています。
柴崎さんという70代の日本人男性が
講師を務めているチャンネルで、
とても見応えがあります。

何といってもプログラムが良くできています。

たとえば、
超初心者用にわかりやすく解説するコーナー、
視聴者から募った作品に先生がコメントし、
お直しするとしたらココを示すコーナー、
新しい画材を試してみるコーナーなど、
いくつかのコーナーが用意されていて、
視聴者を飽きさせません。

中でも私のお気に入りは、
視聴者から募った作品を
先生がお直しするコーナーです。

ちなみに私は、絵は描いておりません。
なので、自分の作品づくりに生かすとか、
そういう目的はないのですが、
それでもこのコーナーを見てしまうのは、
絵を描くためだけでなく、
ものづくりに共通する学びがあるからです。

先生のもとに届く作品のレベルは
さまざまですが、
比較的上級者レベルのものが多く、
もう直すところないんじゃない?
と思うほどの出来栄えのものもあります。

でも、よく見ると、全面にわたって
同じ調子で描き込まれている作品が
多いことに気づきます。
とても上手なのですが、写真でいうと、
全面にピントが合っている状態です。

先生は、
「これはタイトルがこうだから、
たぶんこの方はこの建物を描きたかったのでしょうね」
というふうに、まず伝えたいものを決め、
構図や明暗、強弱を工夫して、
強めるべきところを強く、
逆に弱くするところを弱めていきます。

建物と同じくらいの面積で描き込まれた空や
地面を大胆にカットした構図にしたり、
明るいところと暗いところ、
細かく描き込むところと省略するところの
差をつけたりといった具合です。

そうして出来上がった絵は、絵全体ではなく、
強くしたところにまず目が行くので、
作品の印象ががらりと変わります。
絵のタイトルの印象も強くなるので、
感情にうったえるものも大きくなります。
なるほどなあと毎回感心してしまいます。

これ、原稿作成も同じなのだと思います。

たとえば、「何を伝えたいか」が
あやふやな状態だと、
いくら小慣れた表現を多用して仕上げても、
「つまり何?」と読んだ人が疑問に思う
原稿になってしまう。

あるいは、インタビューをしたとして、
聞いたことをどんどん入れ込んで仕上げるのも、
一見盛りだくさんではありますが、
メッセージの強い原稿にはなりません。

「何を伝えたいか」をしっかり決めて、
強めるところを強め、
弱めるところは弱める。

絵でも写真でも音楽でも、そして原稿でも、
だれかに伝えることを目的としたものづくりに
重要なことは共通しているんだなと
改めて感じました。

さて、4月も半分終わりました。
気温差が激しい季節ですが、
体調に気をつけてまいりましょう!

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子どもの頃、私にピアノを
教えてくださっていた先生が
ある日、母にこんなことを言ったそうです。

「ちゃんと弾けてるんだけど、
いつもすごく難しい顔をしているの。
弾けてるよと言っても、
しかめっつらで楽譜を見ているの」

小学校の中学年くらいのことだと思いますが、
何やらさっぱり覚えていません。
さぞかし難しい曲を弾いていたんだろうなと
思われるかもしれませんが、
ごくごく普通の練習曲しか弾いていません。
イメージ通りに弾けないとか、
そんなレベルでもありませんでした。
もしかしたら、「この曲、好きじゃない」とか
そういうことだったのかもしれませんが、
たぶん、何かがすっきりしていなかったんでしょう(笑)。

今、私は自分が「モヤモヤ嫌い」だと自覚しており、
「モヤモヤ」を感じると、全力で解消に向かうわけですが、 その頃から、すっきりしない状態に敏感だったのかもしれません。
でも、何にすっきりしないのか、
を見つけるところまで当時は行けなかったようです。

そう考えると「すっきりする」「わかる」ということは
大変なことだなあと思います。

まず、すっきりしていないことを自覚する。
次に、なぜ、すっきりしていないのか
原因を探り、問題を見つける。
調べたり、人に聞いたりして、問題解決する。
自分の中で感覚的にわかるようになるまで試行錯誤。
ようやく「わかる」
みたいなことなのかなと思います。

もっと知りたくなったので、
『「わかる」とはどういうことか
−認識の脳科学』という本を読んでみました。

著者の山鳥重氏は、神経内科の医師で
高次機能障害学を主として研究しています。

山鳥氏によると、「わかる」には種類があって、
以下のどれか、もしくは組み合わせで
「わかる」にたどり着いているといいます。

<全体像がわかる>
ものごとを遠い距離から眺め、
ほかの問題とのかかわりがどうなっているかを知ることで、 それまで見えていなかったことが見え、「わかる」

<整理するとわかる>
ある基準に沿ってものごとを分類することで、
今まで整理がつかなかったものが、ある見方で整理され
「わかる」

<筋が通るとわかる>
それだけではわからない現象が因果関係によって
説明されたときや、仮説によってものごとの説明がついたとき 「わかる」

<空間関係がわかる>
さまざまなものの位置関係が「わかる」、
頭の中で三次元のもののイメージが「わかる」、
一枚の紙に描かれた立方体が立方体だと「わかる」
(視空間的能力)

<仕組みがわかる>
見かけの理解だけでなく、見かけをつくり出している
からくりを理解することで、ものごとの本質が「わかる」

<規則に合えば、わかる>
すでにある決まりごと(ルールや公式)の
手順に当てはめて、ものごとを整理していくことで、
複雑なことが「わかる」

どうでしょうか。
例を説明されないと、なるほどー、とはなりませんが、
わかるということが簡単ではないということは
わかります(本当?)。

山鳥氏は、
「わかるの第一歩は言語」と言っています。

ある音韻パターンと一定の記憶心像が結びついていれば、 その音韻パターンを受け取ったとき、
心にその記憶心像が喚起されるのだそうです。

たとえば、だれかと話していて、
言葉が耳から入ってくると、
その言葉と自分の記憶心像(内容イメージ)が結びつく、
そうして「わかる」に至る、ということです。

なので、毎回、言葉に触れたときに、
「記憶心像(イメージ)」を形作っておかないと
いけないと山鳥氏は言います。
「記憶心像(イメージ)」を形作るには、
意味がわからないといけない。
意味がわからないままにしておくと、
言葉は単なる記号音のまま。
記号音のままスルーすることが続くと、
頭がそれに慣れてきて、聞き慣れない言葉を聞いても
「それ、何?」と問いかけなくなるそうなのです。

つまり、一つひとつの言葉を丁寧に扱い、
意味を正確に理解し、自分の中にイメージを
形成することを怠ると、
「もやもやする」「すっきりしない」「よくわからない」 ということにも気づかなくなるということ。
「わからない」ことがわからないわけですから、
「わかる」に向かっていけないということになります。

これは耳からだけでなく、目から言葉が入ったときも
同じだと解釈しました。
意味を正確に理解して、心像を形成しておかないと、
文字はただの形のままスルーされるということですよね。

いやあ、大変です、これは。

カタカナ言葉を中心に、日々新しい言葉に触れている私たち。 言葉の扱いを疎かにしてはいけない。改めてそう感じます。

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先日、ミッツ・マングローブさんのコラムを読んで、
あることにすごく納得しました。

それは、安易に「共感」するのは怖いことだ
ということです。

ミッツさんは、
「共感って人を麻痺させることがあると思う。
たとえば、海や山に行って癒されるとみんなが言うが、
私にとって自然は怖い。本当に癒されているのか。
ただ言っているだけじゃないのかな。
とりあえず言っているのだとしたら、
それは怖いことだと思う」と言っていました。

実はこれ、私もたまに思っていることです。
共感ってなんだ? それ、同意じゃない? とか、
それはむしろ、同調かもと感じることがあるのです。

周囲がそう言っているので、
私も共感する(ことにしておく)、ということを
みんながやっていたら、それはよろしくないなあ、と。

「共感」を辞書で調べると、
「他人と同じような感情(考え)になること」
とあります。感情の動きが前提のワードだけに、
使うシーンによっては「共感する」が
胡散臭くうつるのだと思います。

ちなみに、「同意」を調べると、
「相手と同じ意見(だということを言動や態度に現すこと)」。

そして「同調」は、「(自分の意見を出さず)他の意見・
態度に賛成すること」とあります。


見渡してみると、今の世の中
「共感」というワードがいっぱい。
映画や本、ドラマの宣伝文句でも「共感の嵐」なんて、
よく使われています。
いや、いいんです、本当に共感しているなら。
でも、同意くらいなのに、もしかしたら
同調かもしれないのに、
共感の嵐には巻き込まれたくないなあと思うのです。

あ、これを書きながら気づきました。
なぜ、「共感」に人が強く反応するのか。
これ、私たちの「つながりたい欲」かもしれないですね。
コロナで人とのつながりが希薄になったことが
背景にあるかもしれません。
だれかとつながって、安心したいという思いがあり、
「共感」することで、より強くつながっていると
思える。そういうことのような気がしてきました。


そんなことをあれこれ考えていて感じたことは、
やはり、自分が発する言葉について、よく考え、
責任を持たなくてはいけないなということです。
会話の中で「わかる、わかる」と安易に言ったり
していないか、考えないといけないと思いました。

さらに、「共感」を強要しないという意識を持つこと。

意識的に強要している人は少ないかもしれませんが、
「~にほんと共感するよね」というと、
相手は「うん」しか言えなくなる。
そういう、相手に同調を求めるような言い方を
しないよう気をつけなくてはと思います。

同じ物を見ても、視点が違えば、感じることは違う。
たとえ共感していなくても、
安心してつながることのできる世の中がいいなあと感じます。

気付いたら、まもなく11月も終わります。
今年もあと1カ月ちょい。
体に気をつけてまいりましょう!

コロナ禍で中止になっていた各種スポーツの試合が、
安全に配慮した形で、開催されつつあります。
Jリーグは7月からJ1リーグを開催予定、
プロ野球は来週からセ・パ両リーグで
公式戦の開幕を予定しており、
いずれも、当面はスタジアムに観客を入れない状態で
開催するとしています。


さて、観客がいない試合は「無観客試合」と呼ばれます。
日本トップリーグ連携機構代表理事の川淵三郎氏は、
この「無観客試合」というネーミングを変えるべく、
Twitterで「みんなでネーミングを考えよう」と呼びかけました。


なぜ川淵氏がこのように訴えているかというと、
「無観客試合」は、プロスポーツの選手にとっては
懲罰を意味するからです。


たとえば、欧州サッカーでは、
ファン同士が激しくぶつかり合ってトラブルを起こすことが少なくなく、
しばしば罰として無観客試合が行われてきました。
また、Jリーグでも、
ファンが差別的な横断幕を掲げたことから、
無観客試合という処分が下された例があります。


川淵氏はこう言っています。


「あらゆるスポーツ再開の前に思い至ったのは、
この名前を少しでも前向きなものに変えられないか、ということです」


なるほど、そうだなあと思いました。
ネーミングは大事だからです。
ネーミングによって、捉え方が変わり、心持ちが変わり、
それによって行動が変わると思うのです。


罰が思い出されるようなネーミングだと、
当然、選手はネガティブな気持ちになります。
モチベーションが上がりません。
それはプレーにも必ず影響してきます。
コロナの影響で、しばらくは観客を入れずに行うのですから、
この期間、この試合形式の呼び方が変わり、
前向きに捉えることができたら、ポジティブにプレーできるはずです。


こんなことを思い出しました。


かなり前、たぶん20年ほど前、
テレビでプロデューサーのおちまさと氏が言っていたことです。
おち氏は、
「ドメスティックバイオレンスのことを
DVなんてネーミングにしてはいけない。
こんなネーミングだと、気軽に使う人も増える。
そうすると、会話の中でふざけて使ったりする。
絶対にダメなことだと捉えられなくなる」
というようなことを言っていました。
とても納得したので、覚えています。


みうらじゅん氏も、どこかで似たようなことを言っていました。
「暴走族なんて、
かっこいいネーミングにしちゃいけない。
だって、オレ暴走族っていう響きが、
かっこ悪くないから。だから、なくならない。
本当になくしたいなら、口にするのも恥ずかしいような
ネーミングにしちゃえばいい」と。


これ、本当にそうだなと思います。


先ほども言いましたが、ネーミングによって、
捉え方が変わるし、心持ちが変わると思うのです。
なので、ネーミングは、本当によく考えて
しなくてはいけないと思います。


今日、久々に次男が属していたチームに顔を出しましたが、
少年スポーツでよく使われている
「反省会」というミーティングも、
別の言い方がいいですね。と、今、ふと思いました。
反省会するぞ、と言われると、
ミスを咎められるかな、叱られるのかな、と
思ってしまう選手もいると思います。
でも、「今後の試合のために対策しよう」という
ニュアンスなら、前向きに取り組めそうです。
「みらい会議」とか? 

みなさんは、変えたいネーミング、ありますか?

ニュース番組で、全米オープン優勝で大注目の大坂なおみ選手と
サーシャ・バインコーチのやりとりが取り上げられていました。


自分のプレーに納得がいかずに
膨れっ面でベンチに腰掛けている大坂選手に向かって
「大丈夫、君はできるよ」と声をかけるバインコーチ。
「全然、ダメ。できない」と落ち込む大坂選手。
しっかり目を見つめながら
「みんなわかっているよ。君はできるよ」と、またコーチ。
うつむいたまま首を横に振る大坂選手。
というようなやりとりだったと思います。


昭和の熱血スポーツ指導者なら、
「そんなにやる気がないなら、帰れ!」
などと言ってしまう場面なのかもしれません。
しかし、バインコーチは彼女がどんなにネガティブに反応しようと
落ち着いたトーンで声かけを続けていました。
これを見たとき、コーチの力は本当に大きいなあと感じました。


バインコーチはインタビューでこんなことも言っていました。
「彼女は完璧主義で、自分自身に厳しすぎるところがあるから、
僕は真逆でいなければならない。だから、
『大丈夫。地球は丸くて、草は青いさ、すべてうまくいく』
って言うんだ」


こうして徹底的にリラックスさせ、
ムードメーカーとして励まし続けた結果が全米オープン優勝です。
相手をしっかり理解した上で支えることの大切さ、
言葉の力を改めて感じます。


ペップトークと言われる、米国生まれの「励ます技術」があります。
もともとは、スポーツの試合前などのシチュエーションで、
コーチが選手に向かってかける激励のコーチング話術ですが、
現在は教育現場や子育て、企業の育成の場面でも使われているようです。


ペップトークには4つのステップがあるといいます。
 (1) 受容(事実の受け入れ)
 (2) 承認(捉え方変換)
 (3) 行動(してほしい変換)
 (4) 激励(背中の一押し)

受容は「相手の感情や状況を受け入れて、共感すること」。
たとえば、心配そうな顔をしている人に向かって
「心配してるの?もっと元気を出そう」と言うのではなく、
「心配なんだよね。誰でもそうなると思うよ」と言うこと。


承認は「状況をポジティブに捉え直すこと」。
たとえば、先ほどの心配している人には続けて
「心配なのは、本気で取り組んでいる証拠だよ」と言うこと。


行動は、受容と承認でポジティブにリーディングした後、
まさに「今してほしいアクションを伝える」ステップ。
そのときに大切なことはやはりポジティブな言葉です。
たとえば、「焦らないでね。ミスをしないようにね」ではなく、
「思いきってやってきて。楽しんできて」と言うこと。


激励は、「心に火をつけ、奮い立たせること」。
「大丈夫。君はできる」「思いきって暴れてこい」などの激励系のほか、
「みんなで応援しているよ」「ゴールで待っているよ」という、
見守り系の声かけもあります。


いかがでしょうか。
大坂選手のバインコーチは、
普段からこうしたトークで寄り添っているのでしょうね。
そして、最後の背中の押し方が抜群にうまいのかもしれません。
言葉によって最高の結果を引き出す、すごいことですよね。


最後に、アメリカンフットボールで社会人日本一と学生日本一が戦う
「ライスボウル」でのペップトークをご紹介。
2009年、社会人日本一の松下電工との試合を前に、
緊張と不安でガチガチになっていた立命館大学の選手たちを
励ました古橋監督の言葉です。
このトークの後、選手たちはビッグプレーを連発し、
見事勝利を納めています。


「男にはな、人生をかけて戦わなあかんときがある。
相手がどんなに強くても、相手のほうが絶対に有利だと言われててもな、
立ち向かっていかないかんときがある。


松下電工が強い、有利だと言うのはマスコミが言ってるだけやろ。
フットボールの内容、チームワーク、どれを取っても我々のほうが上や!
それくらいの力をおまえら一人ひとりが持っとる!
おまえらならできる!
おまえらならできるんや!


やろう!
このチームで最後の最後までがんばって、
力を出し尽くして今日は勝つ!


さあ、勝つぞ! 1、2、3、GO!」

新しい爪切りを買いました。


「爪切りが切れないから」という理由で、
爪切りをサボる家族がいるからです。


Amazonでいくつか候補をしぼって、
商品の説明を詳しく見ていきました。


重視したのは、もちろん「切れ味」です。


『熟年のスペシャリストが丹念に仕上げた逸品、匠の技。
刃は厳選したステンレス刃物鋼を使用し、
高硬度焼入れと二度刃付け技術により
鋭利性と耐久性に優れています』


ほぉ、よさそうです。


『刃匠関孫六の伝統から生まれたツメキリ。
使いやすい2WayのU字溝ヤスリ付きです』


なるほど、こちらもよさそう。


『爪切りの末端につけられた
菱形のユニークな部品は安定性を提供し、
持ちやすく、強い力を入れず爪をサクサクッと切ります』


これです。これにします。
切れる様子が浮かびます。
切れすぎて、大変なことになるんじゃないだろうか
という心配までしてしまうほどです。


なぜ、こんなに映像が浮かぶのか。


それは、やはり「サクサクッ」という音があるからですね。


「サクッ」と切れる。
「シュパッ」と切れる。


ああ、もう怖くなってきます。
オノマトペの効果ってすごいですね。


通販生活のサイトをのぞいてみました。


「ひと晩中つけても布団はサラッとしているのがイイネ!
10年ぶりにマスクなしで眠れたよ」


これは、クレイジーケンバンドの横山剣さんが
加湿器をおすすめしているコメント。
布団が「サラッ」としている、
というところから、
快適な寝心地を想像することができます。
思わずほしくなってしまいます。


ちなみに、剣さんがこれを購入した理由も、
そのときの商品コメントに、
布団は「サラッ」としたまま、
と書いてあったからなんですって。


「4万円でここまでのパワーは見当たらないはず。
ナッツもレモンの皮も1分でトロトロ」


こちらは、フィトケミカルブレンダーの商品説明。
「トロトロ」という音から、
濃厚なスムージーを想像することができます。
おいしそう。飲みたい。


音があると、映像が浮かぶ。
臨場感がアップする。
思わず、次の行動に移りたくなる。
ネット通販ならポチッと購入ですし、
旅行サイトなら申し込んでしまいそうです。


これ、普段の文章にも使えますね。
臨場感たっぷりに伝えたいとき、
リアリティーを出したいとき、
読み手に行動してもらいたいとき、
オノマトペの効果を使ってみてはいかがでしょうか。
「ビシッ」と伝わって、読み手の感情が「グラッ」と動き、
「どんどん」行動に移してくれるかもしれません。

今年もあと5日ですね。


今さらですが「今年のうちにやってしまいたい」と思っていたことが
全然終わっていないことに気づき、あたふたしております。


先日、テレビをつけたら、青山学院大学の陸上部、
長距離ブロックの監督、原晋さんが出ていました。


原監督といえば、2004年の監督就任からわずか5年で
同学を33年ぶりの箱根駅伝出場に導き、
15年には総合優勝を勝ち取った名監督。
「ゆとり世代をどう伸ばすか」というテーマだったのですが、
「一人ひとりに役割を与える」とか
「基本的なルールはあるが、あとは自由」など、
話の内容が興味深かったので、
最近出版されたばかりの『ゆとり世代の伸ばし方』を読んでみました。


興味深かったのは、監督が「言葉」と
「コミュニケーション力」を重視していること。
たとえば、新しい生徒を部に入れるとき、
面接では「自分の言葉で語ることができるかどうか」を見ていると言っています。


「青学では、私が全部を仕切って指図するというスタイルをとっていません。
コンセプトをポンと選手たちに投げかけ、あとは生徒たちで考えさせるようにしています。
考えて議論できる生徒じゃないと青学では伸びません」と監督。


どんなに陸上で有名な高校出身の生徒でも、基準は同じ。
「うちはこういうやり方なので、そこを理解してくれないと伸びないよ」
と伝えて、それでも入りたいという子に入ってもらうのだそうです。


読み進めて、それもそのはず!と思いました。
原監督の指導、言葉のやりとりがスゴい!
「言葉」と「コミュニケーション力」がないと、
やっていけないだろうと思います。


たとえば、監督の指導法の大きな特徴として挙げられるものに
「目標管理シート」と「目標管理ミーティング」があります。
「目標管理シート」は、部員一人ひとりが毎月書いて提出するもの。
チームのテーマ、それに応じた個人のテーマ、個々の目標と
それを達成するための具体策を書かせているそうです。


「目標管理ミーティング」は、
ランダムに選んだ6人のグループで「目標管理シート」に書いたことを発表し合うミーティング。
レギュラーも補欠も故障者もバラバラのメンバーで議論するといいます。
激しい議論になることもあるそうですが、
立場が違う部員同士の理解が深まって、一体感が増すのだそうです。
これを月に一度行っているのですから、
自分の言葉で自分のことを語る力は必須ですよね。


それと「朝の一言スピーチ」。
毎朝一人ずつ1~2分、何でもいいので皆の前で話すのだそうです。
56人の部員なので、1カ月半に一度回ってくるそう。
先日は、理工学部の生徒が、
「実験前には前もって容器を温める、または十分に冷やすということをしないと、計測に誤りが出る。
陸上も同じで、ウォーミングアップを怠るとパフォーマンスに影響する」 という話をしたのだそうです。


こうして、言葉やコミュニケーション力を高めているのは、
考える力と発想力を持ってもらいたいからだと監督は言います。


「練習内容だって、自分で考えて新しい発想を入れていかないとマンネリ化します。
箱根駅伝も『優勝』と言っているだけでは発想が新しくならない。
ミーティングでは、箱根駅伝、もっと言うと陸上界を盛り上げていくにはどうすればいいか、
君たちのアイデアを教えてくれよと言っています」。


一人ひとりが自分で考えたことを言葉にして、
それを口に出し、話し合っているから、
練習一つにしても、大会に臨む姿勢にしても、
納得度が高いのでしょうね。
納得してのぞむと、やる気が出るし、多少のことではへこたれなそうですよね。
なるほどなあと思いました。


と同時に、
そうか、目標管理シートを作っていれば、
年末に山のようにやり残したことに気づくなんてことはなかったかも、なんてことも思いました。


来年の箱根駅伝、ますます楽しみになってきましたね!

「生真面目な男は、あまり仕事ができない。
不真面目な男には、仕事を任せられない。
最も頼りになるのは、真面目な野人である」
という帯に惹かれ、『野人力』という本を読みました。


『リング』、『らせん』の著者であり、
自らを野人と呼んでいる鈴木光司さんが、
娘に「生きる力」を伝えるというスタイルで書いたものです。


真面目な野人は、考えがぶれることがありません。
そして、一度設定した目的を叶えるために懸命に努力します。
野人は「体験」を重視するので、
目標達成のための手法が多少荒っぽいのですが、
真剣にゴールに向かって行きます。


鈴木さんは、10代の時に3つの目的を設定しました。


(1) 初恋の一目惚れの女の子を自分の妻とすること
(2) 自力で太平洋を横断すること
(3) 小説家として身を立てること


(1)は、小学5年生のときに転校してきた女の子を一目見て
「将来の妻がここにいる!」と思った瞬間に設定した目標だそうです。
中、高、大と片思いし、25歳くらいから直球で自分を売り込み、
断られるもめげずにプレゼンテーションしまくって見事目標達成。
途中、様々な女性とのつきあいの中で
コントロール力を磨いた結果ということです。


(2)は、小学校の卒業文集に書いた目標。
小説が売れずに苦労した時代に免許だけ取り、
ベストセラーが出るやいなやヨットを購入。
何の経験もないのに、家族を連れてまず横浜・初島間の航海へ出発。
その後も数々の航海での失敗から多くを学び、
着々と太平洋横断に向けて準備しているところとのこと。


(3)を叶えるのは一番大変だったようですが、
まず大学を文学部に絞り、
劇団でシナリオを書くという修行をし、
シナリオセンターに通ってどんどん書いて、
よしと思った内容を友人に話してリアクションを見るなど、
とにかく小説家になるための努力を続けます。
『リング』ができあがったのは32歳のときだったそうです。


鈴木さんが、真面目な野人として目標を叶えるために用いていた手法があります。
それは「書くこと」。


「目標を決めたら、そこに至るまでの道筋を文章で表現する。
書かれた文章に、他力本願と、論理的な矛盾がなければ、目的は実現する」
と、言っています。


論理的整合性のある文章が書けたなら、行動する。
その積み重ねから幸福はやってくる、と。


鈴木さんは、野人でありながら作家ですもんね。
いや、確かにそうだなあと思いました。
道筋をきちんと書けたなら、あとは実行すればいいだけ。
逆に言うと、書いているときに、「そんなわけないだろう!」と思ったことは、
いくら野人でも実行に移せないということですね。


正確に言葉にする。文章にする。筋を通して。
この大切さを改めて感じました。
正しい言葉で書かれた筋の通った文章は、強いのです。


これは、普段仕事をしていても感じます。
物語であっても、インタビュー原稿であっても、
単なるお知らせの文章であっても。


もっと勉強して、もっと書かなきゃ、と思うと同時に、
30歳を超えた頃にしまいこんだ野人力をそろそろまた
引き出したい気持ちになりました。

『野人力』、なかなかおもしろい本でした。

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