ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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『言葉・意味・表現』カテゴリの記事

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最近のウクライナや新型コロナウィルスに関する問題を巡って、
テレビのニュースやSNSのタイムラインを見ていると、
「事実とはなんだろう?」という気持ちになります。
国を挙げてのフェイクニュース、
個人の私見を事実のように発しているツイート、
偏った情報だけを流すテレビ番組など、
気をつけないと、なんでもかんでも事実だと信じ込んでしまいます。

前にも少し触れた漫画(最近フジテレビでドラマ放映中)
『ミステリと言う勿れ』(田村由美作)の中で、
主人公の久能整くんは、「真実は一つじゃない、2つや3つでもない、
真実は人の数だけあるんですよ。でも事実は一つです」
という名台詞を残しています。
一方、名探偵コナンくんは「真実はいつも一つ!」と言っているようですね(笑

改めて「事実」と「真実」について辞書を引いてみました。
デジタル大辞泉(小学館)によると、
「事実」:実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
「真実」:うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。

パッと見ただけだと、なんだか違いがよく分かりません。
でも、「事実」には観念的なことは含まれず、現実的な事象を指していること、
「真実」には観念的なことも現実的なことも含まれていること、そう理解すると、
久能整くんの言葉とコナンくんの言葉は矛盾していないと説明できます。
久能整くんの言う真実とは、事実に対する嘘偽りのない解釈のことなのですね。

「コップに水が200ml入っている」は事実ですが、
「コップに水が半分しかない」「コップに水がまだ半分ある」は解釈です。

同じ事実に基づいて2人の人が別々の解釈をした場合、
その人にとっての真実、すなわち解釈に正解・不正解はありません。
水が「半分しかない」も「まだ半分ある」もその人にとっての真実なわけですね。

でも、片方の人の持つ事実情報がもう片方の人より不足していたり、
間違っていたりすると、解釈自体がおかしいということにもなりえます。
また、事実情報が同じである限り、正解・不正解はないとはいえ、
ある解釈は共感され、別の解釈は共感されないということもあれば、
ある解釈は洞察が深いと評価され、別の解釈は浅いと評されることもあります。


マーケティングの権威者であるフィリップ・コトラーの本にこんな例えがあります。
ある企業で、人々が裸足で暮らしている南の島で靴を売れないかということになり、
ABCの3人の担当が現地に赴き、可能性を評価しました。
Aは「ここの人は靴をはいていない。ここには市場はない」とし、
Bは「ここの人々は靴をはいていない。ものすごい市場がある」とし、
CはBより詳細に数字的事実を理由に「この市場に参入すべきだ」と言いました。
Aの解釈もBの解釈も、必ずしも間違っているとは言えません。
でも、Cの解釈が洞察が深いと評されるであろうことは言うまでもありません。

だから、洞察を深めるには、一般的には情報が多い方が良いということになります。
その方が、高い解像度で事実を理解できるので、解釈にも深みが出るのでしょうね。


一方で、情報過多には弊害もあります。
情報が多いからといって、皆んなが皆んな、
高解像度で物事を理解し、深い解釈ができるとは限りません。

たとえば、物事の選択。
情報が多すぎると、人は適切な選択ができなくなるという実験結果があります。
細かいことが気になって、どれが重要なのか、混乱するためだそうだ。
まあ、そうでしょうね。
また、自分は情報不足なのではないかという脅迫観念に縛られて、
情報を追いかけるうちに「情報過多シンドローム」に陥る人もいるそうです。
知っている情報が思い出せない、話が理解できないといった症状が特徴らしいので、
なんとも皮肉な話です。

事実情報とどうつきあうか、つくづく難しさを感じます。
でも、いずれにしても、
情報に振り回されたくないですし、
人生は知識の暗記を求められる受験勉強ではないのですから、
インプットした事実情報に対し、
自分なりの解釈を持たないと意味がないとも思います。
そのためにも、受け取った情報が事実なのか解釈なのか、
見極めることが大切ですし、
部下やお客様とのコミュニケーションでもその意識を持つことが必要ですね。
人は、自分の解釈を事実であるかのように思い込んでしまいやすいので、
事実なのか解釈なのかという自問も欠かせません。

いやー 情報社会に生きるって大変ですね~
今週も1週間、おつかれさまでした!!
来週も元気に行きましょう!

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今日は、仕事の進め方や人との接触の仕方によって、
ふんわり派」と「パッキリ派」がいる...と仮定して、

人の価値観や、その行動が与える印象について考えてみたいと思います。

書いておきながら、定義づけるのは難しいのですが...。やってみます。
ふんわり派」というのは、関係者との間で、仕事の取り決めなどについて、
少し遊び(曖昧さ)を持たせることで、変化に対応しようとするやり方。
「パッキリ派」というのは、取り決めを含め、意見や要望を明確にし合って、
差が生じてきたら、その差を協議することで、対応しようとするやり方。

こう捉えた時、あなたはどちらのタイプになるでしょう?
私自身は、多分パッキリ派です。
今、これを話題にしているのは、
どちらが良いとか、悪いとかではなく、
どちらも他方から学べると思うからです。

たとえば進行表(案件スケジュール)の作り方。
期間を示すことを大切にする人と、期日を示すことを大切にする人がいます。
期間を示すというのは、ここからここの期間で、これをやるという書き方。
期日を示すというのは、この日がそのワークの締め切りという書き方です。
実際には、その掛け合わせもありますが、
どちらの思考がより強いか、そこにその人らしさが出ます。

以前、期間でスケジュール表を作るある人とこの話をしていたら、
なぜ期間を示す方が好きなのか、理由を話してくれました。
それは、この期間のどこで終わらせるか、その時の状況で判断したいから、
なのだそうです。
相手がいて、頼み事をする場合も、日付を明瞭にするよりも、
「この辺りまでにお願いしたい」と頼む方が言いやすいそうです。
事実上、その期間の最終日が締め切り日なわけですが、
そこにフォーカスしないのは、
お互いのために、フレキシビリティを残しておきたいということなのでしょう。

私自身は期間ではなく、日付のみならず時間まで決めたい方です(笑)
たとえば、時間的余裕が少ない案件で、資料や素材をいただく場合、
10時にいただくのと、17時にいただくのとでは、状況が変わってきます。
フレキシビリティは必要ですが、調整をし直すためにも、
なるべく時間の情報は明確にしたいです。
まあ、そうは言っても、いただく時は明瞭にし、お出しする時は曖昧気味に...
などということも、時にはありますが(汗)

つまり、話を戻すと、この例では進行表に期間を示す人はふんわり派。
期日を示す人はパッキリ派ということになります。

では、「ふんわり派」と「パッキリ派」の境目に何があるのかというと、
私の推測では、「強引さ」や「思いやり」に対する感覚の差ではないか、と。
言い換えると、「こうするのは強引だ」「こうしないのは思いやりがない」という
目盛りが両者の間では異なっているのではないか、ということです。

だから、誰かに急ぎのお願いをする時に、
ふんわり派は時間を提示することは一方的で強引だと思い、
「なるべく急いでお願いしたいのですが、どのくらいかかりますか」と言い、
パッキリ派は時間がはっきりする方がお互いに気を揉まなくて良いと思い、
「急いでいるので、可能なら◯時ぐらいまでにお願いできませんか」
と言う。

つまり、ふんわり派は下手に出て事を運ぶ方が、円満に進められると考えており、
パッキリ派は明快かつ対等な関係で事を運ぶ方が、円満に進められると思っている。
あくまで推測ですが、そんなような思考・行動の違いが両者の間にある気がします。

パッキリ派の私は、パッキリしている方が好きですが、
でも、ふんわりにはパッキリにはない効能があります。
なので、ふんわりスキルも身につけられたらいいなと思います。

ふんわり派のスキルといえば、下手に出ること。
実は、こちらから下手に出るという行動は、相手の行動に影響を与えるようです。

たとえば、お願いごとを巡って、ハーバード大学のエレン・ランガー教授が、
こんな面白い実験結果を得ています。
コピー機に並ぶ列に割り込むために、3通りの言い回しで相手の反応を比べました。

第1は、理由を述べず「すみません、5枚なんですけど、先に取らせてください」
とだけ言うもの。
割り込める確率は60%でした。
第2は、「すみません、5枚なんですけど、とても急いでいるので、
先に取らせてください」と、事情があることを理由として伝えた場合、
成功率は、94%でした。 興味深いのは、第3の反応です。「すみません、5枚なんですけど、
コピーをしないといけないので、先に取らせてください」と、
理由とも言えない理由らしきものを言ったら、どうなったか。
なんと93%が割り込ませてもらえたそうです。

英語だから、第2、第3は「Because...」というフレーズがあったのでしょう。
人は、その理由が何であれ、理由を言おうとしている相手の態度を、
下手に出たものと受け止め、
「それなら聞いてやろう」と本能的に反応するもののようです。
反対に、理由を述べられないと、上から目線だと反発を感じるようです。
言われてみると、私も理由は述べるようにしている気がしますので、
もしかしたら、パッキリ派とふんわり派のミックスなのかもしれません(笑
ただ、社内報などの原稿依頼では、下手に出て頼むという作戦は、
やりすぎない方がいいというのが私の考えです。
「お忙しいのに、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」とお願いしがちですが、
これでは、相手は悪いことに巻き込まれているような気持ちになるからです。
「重要な事だから協力してほしい、ぜひ貢献してください」
と言われた方が気分がいいですよね。

ついに11月に突入し、コロナ、落ち着いてきましたね。
まだ気を抜かず、でも元気に大らかに過ごしましょう!

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前回のNHK大河ドラマ「青天を衝け」を見ていたら、
「銀行」という言葉の語源を教えてくれる一幕がありました。

今でこそ、誰もが知っている「銀行」という言葉ですが、
明治時代に作られた言葉なんですね。
発端は、「National Bank」をどう呼ぶかでした。

物の名前の付け方は、その対象物をどう捉えるかで変わります。
両替をする所だから「両替商」、
為替を取り扱う所だから「為替会社」、
金子(きんす)のことを行う所だから「金行」などの案を経て、
最終的には「銀行」と名付けられたようです。
少なくても、最初の2案より、
「銀行」の方が新しさと広がりが感じられます。
それどころか、もし「両替商」という名前だったら、
お金を貸したり、預けたりする機関だというイメージは持てなかったでしょう。


物事の概念にどのような名前をつけるかも重要ですが、
物事をどのようなものと捉え、どんな言葉で説明するかも同じように重要です。
こんなエピソードを目にしました。

ハーバードビジネススクールのジェフリー・ジョーンズ教授によると、
「カップヌードル」がアメリカで最初にデビューした当時、
アメリカ人は麺を食べる習慣がないことから、
麺の長さも短くし、「具の多いスープ」という概念で売り出したそうです。
もし、「麺」と打ち出していたら、受け入れられたかわかりません。

また、コピーライターの阿部広太郎氏によると、
「明太子」が「タラの卵」としてアメリカに紹介された頃、
最初は気持ち悪がられ、さっぱり売れなかったそうですが、
「博多スパイシーキャビア」として売り出したらヒットしたそうです。

恐るべし、言葉のチカラ!
人は、言葉のイメージに左右されてしまう生き物なのですね。
あ、タイトルの答え、「 _ _ _ _ 」に入るのは「イメージ」です。


さて、ここからが本題です。
私たちの仕事自体を表す言葉にも目を向けてみました。
いろいろな表現があります。

広報部門に属していらっしゃる方ならご存知の通り、
「広報」という概念は、戦後、GHQから入ってきたもので、
英語の「Public Relations(PR)」に充てられた日本語です。
読んで字の如く、社会との関係を良くするための活動を意味しています。
日本で「広報」という文字を充てたのは、関係を良くするには、
知ってもらい理解してもらうことが先決、つまり周知活動だと捉えたためでしょう。

周知だけでなく、双方向の活動と捉えている自治体などでは、
「広報・広聴」という言葉を使っているところもありますね。
「広報」という言葉を生み出した日本と異なり、
中国では英語の意味に近い「公衆関係」「公共関係」という文字を充てました。
直訳すぎるといえば、直訳すぎな感じもしますが、
「広報部」と言うのと、「公衆関係部」と言うのとでは、
その部で働く人の仕事の捉え方が変わる気がします。


では、私たちが専門とする組織内部のコミュニケーションを良くする活動は、
どう呼ばれているかというと...?
「社内広報」と呼ばれたり、
「エンプロイー・リレーションズ」と呼ばれたり、
「インターナル・コミュニケーションズ」と呼ばれたりしています。
でも、カタカナ英語はどちらにしても、長い!ですよね。
それに、「コミュニケーション」も辞書的には、
伝達、連絡、通信、意思疎通という意味ですが、
「コミュニケーション」をどう捉えるかによって、仕事のイメージは変わってきます。
だからこそ、言葉のイメージに縛られて、自分の仕事を捉えてはいけないな、と、
そんなことを考える今日この頃です。


言葉によって伝わる内容やそのイメージが変わるのは、
業務の名称だけではありません。
だからこそ、使う言葉には注意を払わないと、誤解が広がってしまいます。
しかし、誤解よりも悲しいのは、誰も興味を示してくれないこと。

一生懸命苦労して、社内報やWEB社内報を作っているのに、
タイトルが原因で「読んでもらえない」としたら...?

さて、来週10月27日(水)の午前中、
「読まれるWEB社内報」をテーマにオンラインで無料セミナーを開きます。
まだ、若干お席が残っています。
詳細をご覧いただき、ご都合がつきましたら、ぜひ覗いてみてください。
https://www.grassroots.co.jp/LP/web/211027/

さて、政治家の皆さんは「分配、分配」と言っています。
同じ言葉なのに、きっと意味は違うことでしょう(笑
言葉のイメージというのは、本当にクセものですね。

今日も素敵な1日でありますように!

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何だかんだといろんな声がある中で始まったオリンピック。
終わりましたね。
選手たちのがんばりに感動をもらったり、
なぜ、ここでそんなことが起きるのか?と思うようなドラマもありました。
私がショックを受けたのは、体操内村選手の落下と、
男子400mリレーのバトンミスです。

特にリレー。
1走の多田選手のバトンが、2走の 山縣選手に渡らなかったのを観て、
テレビの視聴者も茫然としたと思いますが、
何よりも終わった直後のメンバーの心中は察するに余りあります。

平たく言えば、二人の間で起きてしまった悲劇的なミスです。
下世話な話になりますが、内心お互いをどう思ったのか、
桐生選手は「誰も悪くない」と言いましたが、
お互いに「自分は悪くない、相手が悪い」と思ったりしないものなのか、
気になりました。

けれど、チームスポーツで、他責の人とチームを組むのはツラいですね~
できるものなら組みたくないかも。


自責他責という言葉がありますが、
責任が自分にあるのか、他にあるかという意味だから
「責」という文字が入っているのでしょう。

自分自身で、このミスの原因は自分にあると責任を感じるのはいいですが、
自責の念を抱いている時に、誰かから追い討ちを掛けられるように、
「あなたの責任だ」と言われるのはあまりいい気持ちがしません。


ミスが起きた時、原因を追求し、再発防止に努めるのは組織として当然です。
トヨタの「なぜなぜ5回」などは、原因追求の典型的なアプローチとして、
多くの人がご存知なのではないでしょうか。

しかし、なぜなぜ5回は一歩間違えると「原因探し」ではなく、
「犯人探し」のようになる、とはよく言われること。
うー 気をつけないと... (あ、三点リーダーだ!笑)

誰のミスかが明らかな時に、
人は「なぜ?」と聞かれたら、責められているような気分になって、
反発を感じると言われていますね。
じゃあ、どうするかと言うと、「なぜ?」に代わって登場するのが、
「どうすれば?」。
「どうすれば?」を考えようとすると、
自ずと「なぜ」も考えるからでしょう。

うー これも、知識としてわかっていても、
やってしまいそうです。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」


「なぜ?」を「どうすれば?」に変えると同時に、
主語を変えるといい、という話もあります。
「あなた」「私」「ミス(事柄)」を主語に、
「なぜ?」「どうすれば?」の疑問文、読み比べてみましょう。

まず、「なぜ」から。
・なぜ、あなたはこのミスをしてしまったんだろう?
 →確かに、原因探究というより、咎められている気持ちになります。

・なぜ、私は彼がミスしないようにできなかったのか?
 →「そこまで自責にならなくても、いいよ、ドンマイ」と言いたくなりますね

・なぜ、このミスは起きてしまったんだろう?
 →上の2つより、原因探求のニュアンスが強くなります。

今度は、「どうすれば」。
・どうすれば、あなたはこのミスをしなかったと思う?
 →「なぜ」よりはマシですが、「当事者はあなた」と突き放された感じも。

・どうすれば、私は彼のミスを防げたのか?
 →ポジティブな「自責感」が感じられます。

・どうすれば、このミスは防げるだろう?
 →コトを叱って、ヒトを叱らず。こう言われたら前向きに考えられますね。

たかが疑問詞、たかが主語ですが、
伝わるニュアンスはだいぶ違いますね。


さて、、、8月も中盤です。
夏バテの方も多いのではないでしょうか。
暑さも空調も辛いですが、気持ちだけは元気にいきましょう!

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いろいろな場面で若い人と話をしているときに、
「自分はまだ引き出しが少ない」と悩みの一端を聞くことがあります。
そこで今日は、「引き出しが少ない」というのは、どういうことなのか、
無垢な気持ちになって、一緒に考えて行きましょう。

まず、人が「自分は引き出しが少ない」と語る時、
いったい、その人は何をもってそう語っているのでしょうか。
すべてとは言いませんが、一つには「自分は経験が少ない」という意味で、
「引き出し」という言葉を使っている人が多い印象を受けます。

しかし、率直に言って、「引き出し」と「経験」は別物だと思います。
では、「引き出し」とは何なのか。
定義するのは難しいですが、敢えて言語化するなら、
こういうことではないでしょうか?

人生における「引き出し」とは、
これまでの体験から学習したパターンの集積地。
「引き出しが多い人」とは、
現在得た体験を過去の体験と結びつけ、
「こういう時にはこうすればいい」とパターン認識できる人。
正しいかどうかは別にして、私にはそう思えます。

実は、これ、実体験から来るものです。
人に何かを教えようとすると、学習能力が高い人と、
そうでもない人がいることがわかります。
学習能力が高い人の共通点は、自分が過去に体験したA1という出来事と、
今、目の前にあるA2という出来事の共通点を見つけ出し、
「こういう時には、こうする」
「こういうことは、こういう時に有効」
という法則を見つけて行動するのが上手な人なんですよね。
反対に、自称「引き出しが少ない人」は、それが苦手な人、
もしくはそうやって引き出しに整理していくのだと知らない人だと思います。

これをパターン認識と言いますよね。
AI(人工知能)なども、人間のパターン認識の研究のその先にあるようです。
すでにハリウッドでは、映画の脚本のパターン研究によって、
シナリオをAIに描かせようという実験も進んでいるようです。

たとえば、「イベントを告知する文章を書く」という業務を例に考えてみましょう。
前回、上司のチェックを受けたら、「開催日時は必須」であるのに、
「肝心の日時が抜けている」と指摘されたとします。
そうしたら、「イベント告知→開催日時は必須」というパターン認識をし、
次にイベント告知文を作る機会があったなら、忘れずにそれを書こうとします。
ところが、学習しようという意識が低いと、前回の教訓を生かすことができません。

この例などは、多くの人がパターンを認識しやすく、学習しやすい例ですが、
現実的には物事はもっと複雑です。
中期経営計画の説明をするときも、新商品の発売を説明するときも、
イベントの説明をするときも、情報を受け取る側が知りたいことには共通点がある...
というパターン認識に基づいて、情報発信することは簡単だとは言えません。

実際、そう聞いて、共通点を言えますか?

答え合わせをしておきましょう。ジャジャジャーン♪
それは、2W1H。
What:それは何か?
Why: なぜ行うのか、なぜそれが重要なのか?
How: どのように行うのか、その結果どうなることを目指すのか?
...の3点です。

「5W1Hではないの?」と思われたなら、
上の2W1Hはほぼ同じことです。

When(いつ)Where(どこで)Who(だれが)What(なにを)Why(なぜ)
Whom(誰に)までが、Whatに入るからです。

では、第2問(笑)!
あらゆる企画の目的を定めるときに、明らかにすべき点がある...と聞いて、
その共通点を言えますか?

それは、Before(現状)とAfter(改善後/実施後)の状況を言語化することです。
ところが、多くの場合、そのように目的を定めていません。
つまり、どうなったら成功したと言えるのかを明らかにしていないことが多いです。
でも、目的を明らかにするときは、
BeforeとAfterを明確にするとパターン認識すれば、出てきますよね。

こういったパターン認識、言い換えれば法則の発見を
省力化するためにあるのが、フレームワークなわけです。
でも、そもそも学習する際にパターン認識が重要だと理解できていないと
フレームワークがなぜ存在するのかも理解できません。
というわけで、本日の私の仮説は、引き出し≠経験ではなく、
引き出し=パターン認識ではないか...ということなんですが、
あなたはどう思いますか?

7月ももう半分。気温の変化に気をつけてお過ごしください。

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自分の仕事をどう定義づけるか。。。
私は、この質問をしばしば自分に対して投げかけます。
同じことをやっていても、どう意味付けるかで、
見えてくる風景が変わりますよね。
よく例に出てくる3人のレンガ職人の話もしかり。
(初めて耳にするという方は「3人のレンガ職人」で検索してみてください)

最近、定義づけをするときに、こう考えると視野が広がるな、
と思ったことがあるので、シェアさせていただきます。
それは、英語の使役動詞「make」を使って考えてみるという方法です。

使役動詞。。。なんだっけ?という感じがするかもしれませんが、
思い出してください、中学生の頃に習ったはずです。
私は、先生が洋楽「You Are My Sunshine」の歌詞を例文に
使役動詞「make」の働きを教えてくれたこと、今でもよく覚えています。

You make me happy when skies are gray.
あなたは、空が灰色の(私が落ち込んでいる)時も、私を幸せにしてくれる。

make A B = AをBにさせる

ですよね。

こんな例もあります。トランプ元大統領。
"We will make America great again."
アメリカをもう一度偉大にさせる。
このフレーズがトランプさんのキーフレーズです。

キーフレーズといえば、オバマさんは"Yes We Can" でしたね。
そんなオバマさんが2008年の大統領選で勝利した時、
メジャーアーティストが参加して作られたサウンド・トラック
「YES WE CAN:VOICES of a GRASSROOTS MOVEMENT」では、
ロス・ロンリー・ボーイズが、「Make It Better」という曲を歌っています。
♪You gonna make it better
もっと良くしよう。もっと良くできる...みたいなニュアンスでしょうか。


で、ここからが本題なのですが、
私は、すべての仕事は「Make It Better」のためにあるのではないか、
と思ったりします。
仕事って何かをより良くすること...なんじゃないの?と。

で、このときに、この「It」に何を入れるか。
そんな問いが、仕事観を膨らませるのに役立ちます。
あなたなら、何を入れますか?

私は、社内広報やインナーブランディングの仕事の一つの定義として、
「人の感情、気持ち、意識、認識、理解を、より良くさせること」
要は人の心の状態をより良くするというような捉え方ができるなと思っています。
「Make Your Feeling Better」みたいなことです。

「わからない」という不愉快で不安で不満足な状況を無くしたり、
「なるほど!自分もそうありたい」と共感してモチベーションが上がったり、
誰かのがんばりに勇気をもらったり、誇りを感じたり。
そういうことって、感情や思考に作用しているわけで、
ということは、社内広報やインナーブランディングの仕事は、
誰かの気持ち、誰かの心の状態を良くすることだとも捉えることができます。


で、ここまで考えてみて、今度はこうも思いました。
もしかしたら、社内広報やインナーブランディングの仕事だけではなく、
あらゆる仕事は「Make It Better」であると同時に、
「Make Somebody's Feeling Better」。
つまり、誰かの気持ちを「Better」にしているのかも、と。

あなたの仕事、「Make It Better」の「It」に入るのは何ですか?
誰の気持ちを「Better」にしていますか?
そういう目で仕事を振り返ると、
ちょっとモチベーションが上がったりします、私は(笑)
試しにやってみてください!

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桜がきれいですね~ 今週は4月に突入。
新入社員を迎える組織も多いのではないでしょうか。
直近のデータではありませんが、
経団連調査(2018年11月発表)によると、
企業が新卒社員の選考で重視する要素のランキングは
「コミュニケーション能力」が8割で第1位。
2位が「主体性」、3位が「チャレンジ精神」、4位が「協調性」と続きます。
この傾向自体には特に違和感を覚えませんが、
大切なことは、それぞれの言葉をどう定義づけているかですよね。
各社間でも、企業と求職者の間でも幅がありそうな感じがするのが、
「コミュニケーション能力」と「協調性」という言葉です。
そこで、今日はそのうちの「協調性」というものについて考えてみたいと思います。


私が、生まれて初めて「協調性」なる言葉と出会ったのは、
小学校1年生の時でした。
通信簿の通信欄に「協調性があって大変良い」というようなコメントが書かれてあり、
文字は読めないし、これはどういう意味なのか、母に尋ねました。
その時、母がどう答えたのか、うる覚えではありますが、
「お友だちと仲良くやって行けている、ということよ」というように
説明されて納得したような記憶があります。


この機会に改めて「協調性」を辞書で調べてみました。
デジタル大辞泉(小学館)によると、
「協調」とは、「(スル)互いに協力し合うこと。
特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。」だそう。
そのような性質を持っている人が、協調性のある人と理解して良さそうです。


ふむふむ。母の説明とはちょっと違いますね。
私自身、調べてみて、そういうニュアンスなんだと知ったのですが、
もしかしたら、割と多くの人が「協調性」の意味を、
私の母の説明のように「人と和する」「人に同調する」「人と足並みを揃える」
と捉えているかもしれません。


では、企業が求める「協調性」のある人材というのは、どんな人材なのでしょう?
特に、これといった確証は見つかりませんでしたが、
デジタル大辞泉の意味に近いのではないでしょうか?
利害や立場が違っても、議論して、収束点を見つけ出し、
最終的には協力し合っていける人材。
つまり、馴れ合いの和ではなく、
切磋琢磨による和をもたらす人材と言えるかもしれません。


仮定に仮定を重ねるのもなんですが(笑
だとしたら、採用面接時や入社後などに、
人と調和して和を乱さないことをアピールをしても、
ダメだということですよね。


さて、「協調性」が重んじられながら、その意味に誤解もあるとしたら、
心配なのは、社会の中で次のような連鎖が起きてしまっているのではないか、
ということです。


「協調性があるのはいいこと」
 ↓
「和を大切にして、波風立てないことがいいこと」
 ↓
「空気を読んで、意見を言う/言わないを判断することがいいこと」
 ↓
「軽々に意見を言うと空気を読まない人と評価されるかもしれないので、
 意見を言って損しないようにすることがいいこと」


これはあくまで仮説ですが、あなたはどう思いますか?


実際、発言することに抵抗がある人はどのくらいいるのでしょうか?
2019年、ニュースサイト「しらべぇ」が
相手を選ばず意見をはっきり言える人の割合を調査しています。
それによると、全体の31.2%が
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」と回答したそうです。
逆に言うと、7割近い人は、はっきり言わないということですね。
意見は意思表示のひとつだと考えると、
グローバル化が進んでいく中で、意見を言わない人が多い状況は少々心配です。


世代別男女別で見た場合、まず男性は?
「はっきりと言う」割合が高いのは10代で、42.0%。
反対に低いのは、20代で、26.9%です。
10代と20代の間の、このギャップの意味を知りたいものです。
女性で「はっきりと言う」割合が高いのは60代で、40.3%。
低いのは30代で、19.9%です。
30代の女性たちはアッチにもコッチにも気を使っているのでしょうか?


職場で「意見」「発言」を世代や立場に関係なく、
言って良い/悪いは、まさに暗黙知。
企業の価値観と、それによって生まれているカルチャーによりますね。
協調性について、あるいは、
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」ことについて、
あなたはどう思いますか?

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井上ひさしさんの有名な言葉に、こんな言葉があります。

ーーーーー
「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
ーーーーー


90歳で亡くなった作家の半藤一利さんの遺稿に引用されていたことから、
私はこの言葉の存在を知りました。
難しいことをやさしく書く。
やさしいことを深く書く。
調べてみても、井上さんの言葉には動詞がないようですが、
半藤さんは「書く」と解釈したようです。


どの1行も重みがあって、考えさせられますが、
特に書き出しの1行目に惹きつけられます。


やさしく書くとはどういうことなのでしょう?


「易しい」「優しい」の辞書的な意味から考えると...
「易しい」=理解や習得がしやすい。単純でわかりやすい。平易である。
「優しい」=他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
文章の話だと思うと、「易しい」の意味の方だと思ってしまいますが、
読み手に対して思いやりのある文章という意味も含んでいるのかもしれません。


ここからは、私の主観になりますが、
第一に、やさしく書くということは、単に難しい言葉を使わないとか、
噛み砕いて書くということ以外に、
「核心を言い切って書く」ということがあるように思います。
私自身もよく陥るのですが、わかりやすく書こうとして、
たくさんのことを書いてしまい、
「これじゃ、何が言いたいんだかわからないな...」と思うこともしばしば。
ダラダラと書いているということは、
結局考えがまとまっていないことの表れなんですよねー


第二に大切なことは、やっぱり「優しい」の字の方ですね。
書くということは、自分の頭の中のことを赤の他人に知ってもらうということです。
そんなものは、相手にとっては「異物」でしかないわけだから、
「異物」に接している相手の気持ちや出てくる疑問をどれだけ想像できたかで、
文章の優しさのレベルが変わるんだろうと思います。


さて、「難しいことはやさしく」「井上ひさし」で検索していたら、
立教大学 経営学部の教授・中原淳先生のブログにたどり着きました。
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/12409
「NHK 100分 de 名著〜ブルデュー『ディスタンクシオン』 」を紹介する内容で、
以下、その本からの引用のようです。

ーーーーー
フランスの学術界で認められるためには、わざと「わからないように書くこと」が重要だ。

(フランスの哲学者の)ミシェル・フーコーは、
自分の文章の「10%」は「わからないように書いている」と述懐している。

一方、(フランスの社会学者の)ピエール・ブルデューは、
「10%」では不足であり、「20%」はわからないように書く
ーーーーー

ほー。わざと人にわからないように難解に書くことに価値があるとは、
理解に苦しみますね(笑)


でも、ふとこんなことを思い出しました。
たまに専門用語を躊躇なく使いながら話す人を見かけますが、
それと同じなのかもしれません。
でも、それこそ「優しさ」を感じませんね。
私自身も無意識にカタカナを使っていることがあるので、
偉そうなことは言えませんが、
ん? 知識をひけらかしたいのかな?と思ってしまうと、
ちょっと辟易するし、そういう人に限って、
この人、自分の話していることを自分で理解しているのかな?
と思うこともあります。
知識ベースでマウンティングしているだけというか、
ただのポジショントークだったりして。。。


本当に素敵な人は、重要なことをシンプルに、
わかりやすく話したり、書いたりしてくれる人ですよね。


そして、本当に重要なことは意外にシンプルなのだと思います。
でも、そのシンプルな本質をつかむのには深く考えて悩まなくてはたどり着けない。
だからこそ、シンプルな言葉には価値があるのかもしれませんね。
あら、またダラダラと書いちゃった...失礼!


花粉が気になる季節ですが、、、素敵な1週間でありますように!

あなたの会社では、社長や経営層からのメッセージは
どのように発信されていますか?
そのメッセージは、あなたの心にちゃんと届いていますか?


メッセージの話をする前に、まずはこんな話から。
11月6日にトヨタの中間決算が発表されました。
前年を下回るものの、コロナ禍でも5199億円の営業利益を確保したことは
周知の通りです。
豊田章男さんは私が尊敬する経営者の一人なので、
しばしばトヨタイムズをチェックしてしまいます。


この成果が出された裏で、豊田さんが最初に示したのは
「自動車が日本経済のけん引役になろう」ということだけだったそうです。
半年前、5月の決算説明会でも、多くの日系自動車メーカーが
コロナ禍で今期の見通しを発表しなかったのに対し、
トヨタだけが期末見通しを公表し、
「全世界販売800万台、今期の営業利益5000億円」としました。
結果的には半期で達成してしまったわけですが、
豊田さんは、5月の時点で敢えて数字を公表したことについて、
「トヨタの見通しが自動車産業に関わる方々にとって、
1つの道しるべになるのではないかと考えた」と理由を述べました。
業界のリーダーとしての自覚が伝わってきて、感動すらしました。


さて、社長就任以来、リーマン・ショックでの赤字転落、
大規模リコール問題、東日本大震災、タイでの洪水など、
数々の危機に見舞われながらも、窮地を乗り越えてきた豊田さん。
着実にトヨタを強くして来られたわけですが、
私はそのことと、豊田さんの言葉に強さがあることとは、
無関係ではないと思っています。


豊田さんのスピーチや話には特徴があります。


第1の特徴は、自分の言葉で本音で話していること、です。
たとえば、富士山麓に建設が計画されている「Woven City」の着工日ついて、
「広報からは特定の日は言うなと言われています」と言いながら、自分の思いは
「2月23日である。223は富士山と読めるから」と語ったのもその一例。
また、ロバと老夫婦の寓話を使い、何でも批判するマスコミの姿勢に異を唱えました。
損得で物を考えたら、多くの経営者はしないであろう発言です。
信念に基づいて、率直に話す。それが豊田さんの魅力かもしれません。


第2の特徴は、「意味」を伝えながら「意思」を伝えている、ということです。
比喩や例えが多いのもそのためではないでしょうか。
2014年5月には投資を控え、組織固めをする...という内容を伝えるために、
「意志ある踊り場」という言葉を使っています。
そう言われると、登れますが、登りません、と言っているように感じられ、
単なる守りではなく、むしろ攻めている姿勢に見えてきます。


翌年5月には「トヨタらしさを取り戻すというのは、過去に時間を使うこと」として、
「過去に時間を使うのは自分で終わりにしたい」と語りました。
ここでも意味を伝えています。


今月の中間決算でも、トヨタのひとり勝ちと言われることについて聞かれ、
「一人も勝たなかったら、この国はどうなるのか?」と意味を語り、
「トヨタは確実に強くなった。その強さを自分以外の誰かのために使いたい」
「私は暗い世の中はイヤなんです」として、
世の中の元気の源になるよう存在でありたいと、ご自分の意思を伝えています。


このような豊田さんのスピーチの特徴はどこから来るのでしょか。
もちろん、生まれ持ったセンスというのもあるかもしれません。
でも、それ以上に、信念と経営哲学からメッセージを出すことが
いかに重要か、身を以てご存知だからなのではないかと想像します。
アメリカで学ばれた影響もあるかもしれませんね。


アメリカで学ばれた...といえば、2019年5月、豊田さんは、
母校のバブソン・カレッジの卒業式でもスピーチをし、絶賛されました。
「ドーナツ」というものを巧みに例え話に使っているほか、
ユーモラスな内容で大ウケしていますので、もしお時間があったらオススメです。
https://youtu.be/xDtK6wr-d_Q


さて、メッセージを出す時のあなたの理想はどのようなものですか?
あなたは、経営者かもしれませんし、チームのリーダーかもしれません。
あるいは、社長のスピーチライティングを担当する広報担当者かもしれません。
本音で信念を持って意思を伝えることが1番だとして、2番、3番は何でしょう?
自分の意思を伝えようとしているけれど、自分の言葉ではない、が2番。
前例踏襲でこなしていて、自分の意思を伝えていない、が3番、でしょうか?
思わず我が身を振り返り、2番3番にならないようにしたいと思いました。


「わかり合う」ために不可欠な言葉。強い言葉を持つ人になりたいものですね。
11月も残すところわずかです。素敵な1週間をお過ごしください。

あなたは「自分にとって、〜とは?」と考えることはありますか?
私は、何かについて立ち止まって考えるとき、よくこう自問します。
今日この話を書こうと思ったのは、最近2つの出来事があったからです。


一つは、私が参加している俳句の会での出来事です。
昨年開催された高校の同期会をきっかけとして、
いくつかの大人の部活動が始まりました。
その一つが「一句会」なる俳句の会です。
師といえば、夏井いつき先生の本やYouTube、プレバト。
歳時記や植物検索アプリ片手に、ゆるいルールで作句しています。
毎月1回、投句、選句、句会があり、すべてネットで完結しています。


一昨日の土曜、一周年記念のzoom句会(兼飲み会)がありました。
司会当番だった私は、いつものコメント交換に加えて、
「自分にとって、俳句とは?」
を考えてきてもらうよう参加者にお願いしました。


するといろんな声が集まりました。俳句とは...
「記録して、記憶するためのもの」
「心地よいエクササイズ」
「心の写真」
「気持ちとシーンを重ねて切り取ったもの」
「感性に刺激を与えるもの(喜び)」
「遊び」
「日記」
「自分が感じたことを人と共有できるように表現したもの」etc.


同じ俳句に対して、人によってこんなに違うっておもしろいですよね。
それは、俳句へのその人の意味づけであり、
見方や価値観のようなものにもつながっています。


私自身は、割と気軽な気持ちで取り組んでいるので、
俳句とは「記録して、記憶するためのもの」と捉えていました。
「日記」と言った人に近い感覚です。
でも、人の俳句観を聞くうちに、
自分の俳句に対する見方「俳句とは?」を変えると、
作り方も変わり、出来上がる俳句も変わるだろうと思いました。


「自分にとって、〜とは?」という質問は、
結構パワフルだと思いませんか?
ものの見方をリセットでき、アウトプットを変えてしまうのですから。


もう一つの出来事は、先週木曜日のこと。
ある企業からの依頼で、インナーコミュニケーションをテーマとする
オンライン勉強会でレクチャーしました。


冒頭、私は自己紹介でこんなことを話しました。
考えを言葉で整理する役割
「コンセプトオーガナイザー」を自認していて、
「もやもやを放置しないこと」を大切にしています、と。
すると、勉強会の終盤の質疑応答の時間に、こんな質問がありました。


「もやもやをクリアにするために、どんな心がけが大切でしょう?」


私が答えたのは「〜とは?と考えて、言葉の定義を明確にすること」
「自分一人でするのではなく、周りの人と定義を考えること」でした。


どうでしょう?
実は、こういうことって、あまり行われていないと思いませんか?


たとえば、ある調査によれば、社内コミュニケーション活動の三大目的は、
•コミュニケーションの活性化
•経営理念やビジョンの浸透
•社内(グループ内)の一体感の醸成
...だそうです。


でも、、、、
「活性化とは?」
「浸透とは?」
「一体感とは?


言葉の定義次第で、何を達成しなくてはいけないのか、
ゴールも変わってきます。
なのに、「定義」が話し合われない。
これは日本語だからなんでしょうね。
みんな辞書的な意味はわかっているので、
わかっている「つもり」になってしまいます。
言葉の粒度が細かいと、コミュニケーション密度も高まるんですが。。。


8月になりました。
「自分にとって、〜とは?」という自問をし、あれこれとリセットしようかな?
どうぞ素敵な1週間をお送りください。

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ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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