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『マッチング&アウトソーシング』カテゴリの記事

 

意見.jpg

昨日、社内で、コンテンツの企画をテーマとした
広報部門向け研修会のデモ兼テストを行ったのですが、
読み手の心理を探求するセクションで、こんなワークをしてもらいました。

Q あなたが仕事をしていて気持ちが上がるのは、どんなときか?
  反対に下がるのは、どんなときか?
人の欲求とモチベーションについて紐解くための一コマです。

テストに付き合ってくれた若手社員のKさんは、
自分が一生懸命考えたことに対してダメ出しされた理由に納得がいかないときに
気持ちが下がると話してくれました。

実は、この問いかけはさまざまなセミナーの場でしているのですが、
Kさんのように答える方は少なくありません。
私はその回答に興味があったので、本来なら突っ込んで聞きたかったのですが、
場の目的からズレてしまうので、そのままスルーしました。
彼に尋ねたかったのは、納得できないときに、どうするか、です。


実は、昨年からの採用面接で、自分が周りの人と違う意見であるときや、
これはおかしいと思ったときなどに、
発言するかを尋ねるのですが、
場が気まずくなりそうだったり、話が面倒なことになりそうなら言わない
と答える人が圧倒的に多い印象です。
人間関係やコミュニケーションでの振る舞いの基準が「波風」であるようです。
優秀そうに見えた20代の男性に、
「では、仮に侮辱されたとしたら、どうします? 飲み込みますか?」
と聞いたら、やはり飲み込むという回答でした。


当社では、意見を述べることを波風が立つことだとは考えていないので、
むしろ意見を言う人を採りたいし、
今までは発言してこなかったけれど、しても良いならしたい人を採りたいです。


意見を述べることや議論することを、なぜ多くの人が「波風」だと思うのでしょうか。
面倒な人、空気を読まない人と思われたくない。
そんな心理が人を貝にしてしまうのかもしれませんね。
でも、せっかくの意見を場に出さないなんて、もったいないなぁ。


納得ができない場合も、多くの人はそれを飲み込むのでしょう。
この場合、単に波風だけが飲み込む理由ではなく、
それを言えない/言わないのは、相手にアタマに来ているからでもあるのでしょう。
感情的になりそうなときに、人はそれを出さないようにコントロールしますよね。
それ自体は、むしろ大人な対応と言っても良いと思いますが、
本当は納得できない対象は相手ではなく、却下された理由のはず。
その理由をきちんと聞く。どういう説明がほしいのかを言う。
普通のコミュニケーションとして、相手を責めずに話すことは可能なはずだと信じたいです。


だから、どうした?という話であるのを承知で、私の考えを書きますと...
思っていることがあるのに、飲み込む方が、腹に一物あるようで、
健康的ではない気がしますし、その状態に陥ったら生理的に気持ちが悪いです。
あ、これは生理的なものだから「考え」ではありませんね笑
そして、その気持ちの悪さは価値観からくるものだと思うので、
何が正しいというのもない。
ただ、私がそういう人間だというだけのことです。
私にとっては、価値観であり、美意識であり、オーバーに言えば生き方なのですが。
あれ、そう考えると、これはやっぱり「考え」だと言ってもいいのかしら?
いえ、もちろん私だって、意見を言うタイミングを察ることもありますし、
思っていることは常に言うというわけではありません。
でも、前提として、波風だとは思っていないわけです。


日本人が大切にしてきた「和」というのが、調和の和なのだとしたら、
波風を立てないことは、必ずしも調和をもたらしているとは言えません。
というのは、調和というのは、意見の違いがあっても、
お互いを尊重しながら、より良い方向を一緒に探すことだと思うからです。
違和感があるときに、違和感があると述べる。
納得ができないときに、納得できないと述べる。
その先に調和があるような気がします。

なーんて書きながら、なんだかもっともらしそうに書いているだけじゃん、
という気持ちになってきました。
期末のせいか慌ただしい今日この頃であることを言い訳に、
乱筆乱文で失礼いたします。

ロボット.jpg

最近、我ながら科学や技術に興味があるな、と思います。

また、スピリチュアルや超常現象など反科学的な事柄にも惹かれたりします。
SF映画が好きなのも、そういうことと関係しているのかもしれません。
なぜ科学や技術の話が好きなのかというと、
1つには誰もが思うように夢があるからですが、
もう1つは歴史の一コマを垣間見ているような感覚を持つからだと思います。
なので、輪廻というものがあるのなら、
次に生まれてくるときは、エンジニアになりたいかも笑

高市政権に変わり、技術分野への積極投資が進むことで、経済も活発化しそうです。
探査船「ちきゅう」が海底からレアアース泥の回収に成功した、とか
トヨタがモナコで水素エンジン車のデモドライブをした、とか
三菱重工が二酸化炭素と水と電気から液体燃料の合成に成功した...などという話題は、
聞けば聞くほどわくわくします。


ひと昔前は夢物語だった人型ロボットも日に日に進化をしていますね。
先日から中華圏では春節を迎えていますが、もうご覧になりましたか?
中国の人気テレビ番組で人型ロボットの演舞が披露されていたのですが、
剣や棒、ヌンチャクを自在に操り、バク転ができるほどの運動能力です。
テスラの人型ロボット「Optimus」も来年には販売が開始されると言われているので、
ますますこの分野での米中の競争が激化しそうです。
いったい未来はどうなっていくのでしょうか?


中国のロボット軍団の演舞を見ながら、思い出したのは
映画「スターウォーズ」のロボット軍団「バトルドロイド」です。
と、同時にロボットではないのですが、
なぜか人工的に作られた兵士たち「クローン・トルーパー」のことも
思い出してしまいました。


「スターウォーズ」にはいくつかのテーマがありますが、
そのひとつは闇と光です。
光から闇に堕ちた代表がダースベーダーでした。
「バトルドロイド」も「クローン・トルーパー」も
科学技術の進展により生まれてきた兵士たちです。


ウクライナ戦争では新たな兵器にドローンが加わり、
戦争のイメージも様相が変わってきました。
(それでも多くの兵士が亡くなっていることもまた事実ですが)

人と人が殺し合うよりも、
ロボット同士を戦わせる方がマシという考え方もあるのかもしれませんが、
邪悪な心で使えば、他国の主権や人権を侵害することに繋がっていきます。


AIも同様ですね。
自己チューな企業や国がAIを活用すれば、人間社会に対する最大の脅威になり得ます。
そういうこともあってか、現在、安全性や規制について、
世の中では二つの考え方がぶつかり合っているようです。

一つは、AIは全人類ためのものとして非営利であるべきだし、
開発もオープンであるべきだ、
しかも脅威になりうるのだから、政府の規制が必要だという考え方。
もう一つは、莫大な開発コストがかかるのだから、
営利を追求するのも、ソースを公開しないのも当然だという考え方です。

前者の代表はイーロン・マスク。
後者の代表はOpenAI社のCEOサム・アルトマンです。
イーロン・マスクはもともとOpenAI社の創業に携わっていましたが、
上記のようなポリシーの違いから同社の経営を離れ、
独自にGrokを開発したと言われています。
ここでは、どちらを支持すると語るつもりはありませんが、
私たちが今、便利に使っているAIが双刃の剣であることは忘れない方が良さそうです。


私たちの心には、光もあれば闇もあります。
夢を与えてくれるはずの科学に、支配欲などの人間の心の闇が結びつくと、
未来は悲惨なものになってしまいます。
特に科学や技術、政治に携わる人には闇落ちしてほしくありませんが、
一方で、社会は集団の意識がつくっているとも言われています。
私たちは日常の中でダースベーダーにならないように心がけたいものですね。


インフルエンザが流行っています。
花粉の気配もありますね。
体調に気をつけてお過ごしください。

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何をするかよりも、誰とするかだ...という表現、
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
けれど組織では、仕事は上からのアサインありきだから、
誰とするかなど、自分の意思で決まるものではない。
そう思っている方も多いのではないでしょうか。

一方で、やりたいことを見つけてそれに打ち込む人生が良い...と捉える風潮も、
多少弱まってきた気がしますが、まだまだ根強いようにも思います。
そして、そのような考え方は、「やりたいことが見つからない」と
思っている人たちに、負い目を感じさせるという負の一面があります。

私自身がどうかというと、「人生は波乗り」のようなものだと思っています。
「やりたいことをやる」は、それはまあ幸せかもしれないけれど、
一度コレと決めたら変えられないような呪縛になりそうだ、と。
なぜなら、人間のやりたいことなんて、どんどん変わるからです。
だから、やりたいことが何かを見定めて、そこに人生を賭けるというのは、
実は強そうでいて、案外脆いのではないかと思ったりします。

人生は波乗りで良いと思う私が何を得たいと思ってきたかというと...
1.やりたくないことをしない。
2.出会いたい人と出会えるようにする。
3.物事をより良くすることを楽しみたい。

ざっとこんな感じです。
やりたいことありきで人生を考えるというよりも、
この3つが満たされたら、十分幸せだという考え方です。
(もちろん、やりたいこともやっていますが、それが全てではない)

仕事では、「インターナル・コミュニケーション」という領域で
専門サービスの提供に努めていますが、
私の中では、これは物事をより良くしたい1ジャンルという感じでいます。
そして、出会いたい人はどんな人かというと、
物事をより良くしたいと思っている面白い人たちです。
やりたくないことが何かというと、
物事をより良くしようと思っていない人と仕事をすることです。


さて、上の3項目の中で、一番難しいのが、
2番の「出会いたい人と出会えるようにする」かもしれません。
仕事に置き換えると、「何をするかではなく、誰と働くか」。

では、どうしたら出会いたい人と出会えるのでしょうか。
「出会えるようにする」などということが、本当にできるのでしょうか。
私は、ブランディングという考え方に立ち、実践すれば、
個人であっても実現可能なことだと思っています。
たとえば私自身を例に挙げると、20年前にブランディングを意識し始めて以降、
出会いたい方たちからご連絡をいただく機会が増えたと思います。


では、パーソナルブランディングという観点から考えたときに、
どうすると出会いたい人、一緒に仕事をしてみたい人と出会えるのでしょうか。
私は、そのコツは、第一に「意思表示」にあるのではないかと思っています。
たとえば...

・私は、こういうことを大切にしている人間です。
・私は、こういうことに関心のある人間です。
・私は、こういう人と仕事をしたい人間です。

ただの自己紹介ではなく、自分の意思を示すこと。
それを、十人に話すと、一人ぐらいが覚えてくれて、
求めることに近い話をもたらしてくれる可能性が高まります。
別に、そのように計算して生きてきたわけではありませんが、
意思表示には力があるなと感じています。
パーソナルブランディングなどと難しいことを言わずとも、
自分という人間について、相手にどう覚えてもらうか。
それによって、出会いが広がり、人生が広がるのだろうな...。
信じる者は救われますよ笑

ネガポジ.jpg

車のラジオを聴いていたら、ゲストにアンミカさんが出てきて、
彼女監修の「ポジティブ手帳2025」についてトークを展開していました。
ああ、もう手帳が話題の季節なんだな...と思いながら聴いていると、
その手帳には、週次でポジティブワードが紹介されていたり、
心と体を元気にするハウツーが書いてあったりするらしいです。

手帳の内容自体は真っ当で良いものに思えました。
でも、一抹の違和感があって、何だろう?と考えてみたので、
シェアさせてください。


まず、ネーミング。「ポジティブ手帳」...。
Positiveは、積極的、前向き、肯定的という意味ですから、
ポジティブな姿勢、ポジティブな考え方、ポジティブな生き方というのは、
どう転んだって、良いことに違いありません。

しかし、私には、若干「煽り」が入ったワードのように思えてしまいました。
多分「ポジティブ」という語句と世相のようなものが関係しているからでしょう。
社会では鬱などに悩まされている人が増え、
経済環境も良いとはいえないので生きにくい時代です。
夏目漱石ではありませんが、とかくこの世は住みにくいと諦め気分になりがちです。
だからこそ、この「ポジティブ」というワードで先導しようとしているのでしょう。
そう、先導であって、扇動ではないのかもしれませんね。


でも、本当に心が豊かで健康的な状態というのは、
ポジティブであろうと努力することではないと思います。
たとえば、ネガティブ・ケイパビリティという言葉があります。
どうにも答えの出ない、どっちつかずの状況にあっても、
その不安定な状態、懐疑的な気持ちや違和感を抱えた状態に
留まって耐える力を意味します。
決してポジティブであろうと努力するのとは違います。
それは、生きる上での大切な力だという文脈でこの言葉が存在しています。

なので、ネガティブ感情から抜け出したいがために、
ポジティブであろうとすることは、
自分にとっては偽りの状態なので、健康的ではないと思うのです。
ネガティブな自分に気づいたら、それも素直に受け入れて留まる。
一番良くないのは、ネガティブ感情に支配されてしまうことですよね。


というわでけ、ポジティブであろうなどと意識せずに、
普通に暮らしていて満ち足りているのが一番なのではないか、
その状態に呼び名はないのだろうか?...と思って調べてみたら、ありました!
「中庸」(ちゅうよう)と呼ぶらしいです。

この概念はギリシャ哲学や
中国の自然哲学「陰陽道」(おんみょうどう)から生まれ、
日本文化は後者から影響を受けています。
NHK大河ドラマ「光る君へ」に、ユースケ・サンタマリアさん演じる
陰陽師・安倍晴明公が登場していました。
彼が礎にしていた思想が陰陽道です。

いったい「陰陽道」とは何でしょうか?
天地の間には、互いに対立し依存し合いながら、
万物を形成している陰・陽の2種類の気があるとされています。
積極的なものを陽、消極的なものを陰と呼びますが、
陰と陽には、善悪も優劣もありません。
「中庸」というのは、陰にも陽にも偏りすぎず、
何事においても過不足がなく、バランスや調和をとることを意味するそうです。

勝手な解釈ですが、そうであるなら、
ちょっとしたポジティブは中庸にとって普通のこと。
そんな中庸の状態が私は健康的だと思います。
努力しなくても、デフォルトがプチポジティブであるようなイメージです。

あ、でもポジティブ手帳を買うことで、
良い1年を送れそうな気がするならそれもアリですよね。
自分をコントロールできるのは自分だけですから。

いよいよ11月に入ってしまいました。
中庸な1カ月にしたいものですね(笑

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当社は、現在、採用活動を行っています。
私は、採用/求職活動の本質は「その人を/自分を生かせるか」について、
企業と求職者の双方が見極めることだと思っています。
では、仕事で「自分を生かせる」とはどのようなことを意味するのでしょうか。

まず、「自分を生かせるか?」という問いと同じくらい重要な問いに、
「自分に合っているか?」というものがあります。
合っていれば、生かせる確率は高いですよね?

では、いったい何が「合っている」必要があるのでしょうか?
やりたいことか? 適性か? 価値観か?
他にもいろいろあると思いますし、どれも重要なのですが、
上の3つで言えば、価値観、適性、やりたいことの順ではないかと思います。


なぜ、「価値観」が第一なのかといえば、
価値観というのは「自分らしくいられるか」の尺度だからです。
つまり、人の幸福と密接に繋がっています。

価値観には正しいも正しくないもありません。
自分はずーっとこれこれを大切だと思ってきた、
それと違うことをするのは抵抗がある、という類のことです。

たとえば、自分の意見は素直に言うのが自然だと思っている人にとっては、
「入社したての君が意見を言うのは十年早い」
という価値観の会社に入ってしまったら、これは不幸ですよね。
反対もまた然りで、
明快な意見などないし、主張するより協調的でいたいという人からすると、
「年齢社歴に関係なく、当社社員なら意見を持っていてください」
という価値観の会社にいたら、これも苦痛に違いありません。
価値観が合わない会社に勤めるということは、
自分らしくないことを求められるということです。

でも、いざ自分の価値観を言語化しようと思っても、
実際にやってみると結構難しいです。
自分の価値観を知る上で、手っ取り早い方法は、
不快なこと、嫌いなこと、カッコ悪いと思うことを洗い出すこと。
自分と、人や仕事とのマッチングを考えるときに有効ですよ。


「合っている」において、その次に重要なのが「適性」です。
価値観が合っていたとしても、適性がないと、
とてつもない努力をしないといけなくなる。
苦手なことをがんばるよりも、得意なことをがんばる方が人は努力できますし、
得意なことなら努力とも思わずにやり抜くことができます。


「自分に合っている」ためには「やりたいことかどうか」も、
もちろん重要ですが、これは案外「思い込み」の影響を受けていたりします。
どういうことかといえば、やったことがないことを「やりたい」と思う場合、
やってみたら、実はやりたいことではなかったと気づくことがあります。
反対に、やりたいと思っていなかったことでも、周囲が評価してくれると、
やりたいことに変化する場合もあります。
だから、やりたいことかどうかというのは、あまりアテになりません。


さて、自分に「合っている」の話をしてきましたが、本題は「生かせる」です。
端的に言うのは難しいですねぇ。
ここでは、「合っている」が満たせた上で、任される仕事の難易度が
自分の実力より少し上で、工夫の余地のある環境で働くこと、
と定義してみました。
どんなに周囲から喜ばれたとしても、自分にとって簡単な仕事をしているとき、
自分を生かしているとは感じにくい気がするからです。
「少し難しい」けれど、でも「できる」という仕事において、
自分なりの工夫の余地がある。
そんな環境で働くと、人は意味を感じるのではないでしょうか。
あなたは、どう思いますか?


自分を生かせているか?
より良い人生を送るために、時々考えたい問いです。

今年もあと3カ月。2024年の第3コーナーですね。
最後まで元気に走り切りましょう!

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最初に当社の募集告知をさせてください。
当社では、現在、お客様企業の社内報の制作ディレクターを募集しています。
詳細はこちらでご覧になれますので、
ご興味がありそうな方にぜひご案内ください。
https://www.grassroots.co.jp/company/job/job2022.html


さて、「ディレクター」という肩書きで仕事をしている人は
いろいろな世界に存在します。
所属する業界や企業によって、その役割や求められるスキルは多少違いますが、
「ディレクション(direction)」という言葉の本来の意味から考えると、
何をする仕事なのかは自ずと見えてきます。

「direction」の意味を辞書で調べると、、、
方向、目的意識、目標、指示すること、監督すること、
と出てきます。

ここから考えると、何らかの目的のために方向性や目標を示し、
物事がうまく進むように人を動かし、ゴールに導く仕事。
そんなイメージを持つことができます。

しかし、こうも思いませんか?
だとしたら、すべての仕事にはディレクションが必要で、
すべての人はディレクターなのではないか、と。

一般に「ディレクター」というのは、ひとつの職制であり、
一種の肩書きだと思われていますし、それはそれでその通りです。
でも、すべての人はリーダーであるという考え方があるのと同じように、
すべての人はディレクターであるという考え方があっても
おかしくはありませんよね。
たとえルーティン業務であったとしてもです。

なのですが、そのために何が大切なんだろうか、
ディレクションの本質とは何なのだろうかと自問すると、
結構奥が深くて、端的に言うのは簡単ではありません。
ディレクターを募集しているこの機会に、自分なりに考えてみました。
重要なことはたくさんありますが、本質としてこれは外せない!と思うのは、
次の4つです。

・本質を捉える
・必要なことを生み出す
・是非を判断する
・聞く耳を持つ、率直に言う

もう少し具体的に言うと、どういうことでしょうか。

【本質を捉える】
目的を果たすのがディレクションであるとすると、
目的を意識することはとても重要です。
人は物事に慣れれば慣れるほど目的を忘れてしまう生き物です。
なので【本質を捉える】の1つの意味は、目的に立ち返って
何が大切なのかを考えることではないでしょうか。
と、同時に、目の前で起きている問題(事象)の根っこにある原因を
深いレベルで考えることも2つめの意味として含まれるように思います。

【必要なことを生み出す】
これについては、2つに分解することができます。
「必要なことが何かを考える」「それがない状況であれば生み出す」。
必要なことというのは、予算かもしれない、誰かの協力かもしれない、
アイデアかもしれないし、社内の合意かもしれない。
何が必要かを自分で見極めて、自ら動き生み出すことが
ディレクションには不可欠だと思います。

【是非を判断する】
正しい方向(ディレクション)に進めることが1つの役割だとすると、
是非、すなわち良いか悪いか、OKかNGかを判断することも、
ディレクションの重要な本質ではないでしょうか。
言い換えると「目利き」である必要があります。
そして判断基準は常に目的を果たすために是か非かです。

【聞く耳を持つ、率直に言う】
これも、ディレクションでは外せません。
仲間を束ねるには、一方的に指示するだけでなく、
フラットに意見を聞くことが必要ですし、
ゴールに向かうには意思表示が欠かせません。
そして、案外難しいのがこの「言う」です。
「これこれだから、これは絶対必要です」
「困っているので、助けてください」
「これは目的に合っていないから、採用できません」
相手からどう思われるか考えるとなかなか言えない...。
となってしまうと、ディレクションは機能不全になります。


こう考えてみると、信念と柔軟性を持って仕事をする、に尽きますね。
未来の仲間も、そういう人だといいな~
あなたご自身は、どんなディレクションが素敵だと思いますか?
最後にもう一度、ディレクター募集中です!
https://www.grassroots.co.jp/company/job/job2022.html

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今日の話題は、めずらしく「お金」の話です。
タブー視する人が多いけれど、お金は生きていく上でとても重要で、
自分なりの考えを持つべき一領域ではないかと思います。

ところが、自分の給与と会社の売上の関係を考えたこともない、
という給与所得者は、案外多いのではないでしょうか。
どれだけの売上があるおかげで、自分のお給料が賄われているのか、
自分のお給料は売上のどこを支えるために支払われているのかを知ることは
モチベーションにも影響しますよね。


さて、話が横道に逸れるようですが、先月、ユニクロのコットンシャツが、
米国税関から輸入差し止めを受けていたという話題がありました。
ウイグル族への「人権侵害」に関与している団体が製造に関わった疑いがある、
というのが、米国側の理由でしたが、その事実はないとする同社の主張とは平行線。
ユニクロの主張が通らなかったのは、食品の原材料などと違って、
アパレル業界ではトレーサビリティが確立されていないことも一因にあるようです。

ユニクロは、低価格・高品質という価値を提供してきた企業です。
思うことはいろいろありますが、人権問題の話をすることが目的ではありません。

あの話題から、あれこれと考えを巡らせた結果、改めて思ったことは、、、
第1に、すべての価格には理由がある、ということ、
第2に、価格以外の価値を見極める目がないと、
価格でしか、価値を判断できない人生になる、という2点です。

私もユニクロを着ることはありますし、
低価格・高品質は紛れもない価値だと思います。
でも、人生において、必ずしも「安い」だけが価値ではありません。
これは、ビジネスでも同じではないでしょうか。
私たちは、取引先から物品や役務をなるべく安く提供してもらいたいと、
潜在的に思っています。
けれども、その時に、安いには安いなりに理由があることを忘れてしまいがちです。


もう少し掘り下げて考えてみました。
実際のところ、商品やサービスには、様々な値段がついていて、
その価格がそうなった理由もいろいろです。
でも、間違いなく言えることは、それを提供している企業の
事業構造や経営思想と関係しているということ。

たとえば、同じスペックの健康器具を製造しているメーカーが2社あったとします。
材料の調達コストや生産設備の維持費、製造に関わる人件費が同じで、
販売するための経費も得たい利益も同じで、販売規模も同じ。
つまり、いろいろな条件がほぼ同じであるなら、
値段も必然的に同じになるはずです。

しかし、A社は社員への教育費を惜しまず、
待遇も業界の中では上の方にしようという経営をしていて、
デザインや研究開発費にもお金をかけていたとする。
一方、B社は、コストは下げれば下げるほど価格も下がり、
それがお客様の価値になると信じて、
人にもデザインにもお金はかけない、という経営をしていたとしたとします。
当然、2社の販売価格は変わってきますよね。

どちらが、良い悪いではなく、経営思想が事業構造を変え、
それが価格に結びついているわけです。

ところが、ここにやっかいな問題があります。
取引先の経営思想や事業構造がわかった上で
ビジネスをするということは、あまり多くありません。
もっというと、そこに目を向けて、
価格と関係していると考えることなど、ほとんどないのではないでしょうか。


さらに困ったことに、私たちの業界は製造業などと違って、
より一層わかりにくさがあるように思います。

たとえば、当社が提供している制作サービスもコンサルティングサービスも、
いただいている費用の本質は「サービス料金」です。
つまり、大半は役務の提供のための費用、
言い換えればノウハウ、サービスプロセス、時間への対価です。
印刷物などを収める案件では、
納品物(製造物)の「製造料金」だという見方をされるケースもありますが、
印刷物というのは、ファッションでいえば、既製服ではなく、
オートクチュールのようなもので、大量生産品とはまったく考え方が違います。

相見積もりを取ったら、100万円と200万円、料金が倍違う2社があったとします。
「これこれで困っている、どうしたらいいだろう」と尋ねた時に、
100万円の会社は、当たり障りのない回答をし「決まったら連絡ください」と言う。
200万円の会社は、困っている理由を聞き出して、「方法は2通りあるので、
サンプルを作ってみるから、検討してください」と言う。
わかりやすく言うと、そんな違いが価格になっているわけです。


あ、もうおわかりだと思いますが、当社は価格志向ではなく、付加価値志向です。
少なくても価格で競争しようとは思っていません。
制作案件なら1時間7500円、コンサル案件なら1万円から2万円で、
プロセスと工数を想定して見積もるのが通例です。
そこにも理由がありますが、長くなるのでやめておきます。

今どきはコンプライアンスという名のもとに、
相見積もりを取らないわけにはいかないと思いますが、
サービスの見積もりなら相場を調べるために見積もりだけ先に取り
予算を決めてから、サービススペックの提案をもらうのが賢いやり方だと思います。


おや? いかん、いかん。なんだかビジネス慣習への不満を言い始めた(笑

結論! 何が正しいというのはありません。
要は、ニーズとのマッチングだからです。
相談しても素っ気ない対応だったとしても、価格が安い方がいい場合だってあるし、
安いと思って選んだものの、不満足になる場合もある。
私は、ご相談があっても、役務での付加価値が求められていないと感じた場合、
パートナーを紹介した方が良いと判断することもあります。
当社が不要に入ることで、求めていないサービスがついてきて、
価格が高くなってしまうからです。

すべての価格には理由があります。
すべての人が、売る側にも、買う側にもいます。
自分のニーズを明確にして、公私ともに賢い買い物をしたいものですね。

2013年もあとわずかになってきましたね。
当社の2013年を振り返ってみると、キーワードは「マッチング」だったような気がします。元々「マッチング」が重要という価値観はあったので、これは何も2013年に限ったことではありませんが、特に今年は私たちはどんな企業のどんなご担当者と出会いたいのか、それを徹底的に考えてきた1年だったと思います。

なぜ、それほどまでにマッチングにこだわるのでしょうか? それは、マッチングしていないとお互いがハッピーでないからです。たとえば、当社の場合、「何でもいいから早くやってほしい」「何でもいいから安くやってほしい」という価値観のお客様とは相性が良くありません。もし、そういう仕事を受注してしまうと、私たちは「何でもいいと言われても、何を解決したいのかがわからないと、できないのに…」と思い、相手は「細かいことを言っていないで、早くやってよ…」と思います。当然、相手の満足度は下がり、私たちもストレスが高まります。双方にとって、いいことナシです。

婚活も、職業選択も、会社選択も同じです。

リクルート「ゼクシィ」から生まれた価値観マッチングサービス「ツィンキュ」によれば、価値観が一致している夫婦ほど、幸せな暮らしを送っているそうです。
http://twincue.com/service/
確かに「旅行に行く時は細かな計画を立てる人」と「事前に細かな計画を立てず、現地の様子を見てから行動を決めたい人」とがパートナーになると、旅行のたびにストレスになりそうです。そして、この「計画を立てる」というのは旅行に限らず、さまざまな事柄に影響することなので、そこが違っていれば軋轢が生まれるのは必然です。

職業選択も同様。マッチングしていない仕事をすると、行き着く先は「ふつう」と、私の営業の師匠である渡瀬謙さんが、メルマガで書いていました。人は生かされてなんぼ。同感です。引用して紹介します。

欠点を無くすことに時間を使うべきかどうか?
私の考えは「NO」だ。
欠点というのは他人と比べて劣っている(と思っている)部分である。
それが消えるとどうなるか?
他人と同じになるだけである。
つまり「ふつう」だ。

補足すると、渡瀬さんの趣旨は、苦手なことをやるべきではないということではありません。苦手な方法に真っ正面から取り組むよりも、自分の特質を生かした方法を選ぼうということだと思います。自分の特質が生きないような方法でがんばるな!と。私はそれに加えて、自分が生きないフィールドを選ぶな、ということを追加します。人に命が与えられたのには、きっとワケがあるのです。「生きて、これをやれ!」という宇宙から与えられたミッションのようなものが。だから、そのミッションをつかまないといけない。

会社選びも同様ですね。有名で成長している企業に入社しても、個人プレーが嫌いな人が個人プレーが基本の会社に入社してしまうと幸せではないし、体育会系文化が嫌いな人が体育会系文化の会社に入社してしまうと、これまた居心地が悪くて当然です。

マッチングの精度を上げるには、自社や自分の価値観を知ることが大切です。ですから、私たちがこの1年間マッチングについて考えてきた、どんな企業のどんなご担当者と出会いたいのかを考えてきたというのは、自分たちの特性がわかっているからできたことでもあります。マッチングは理屈ではなく、心に無理があるかどうかという極めてシンプルなこと。当社では、そのマッチング精度をさらに上げるために、サイトリニューアルに向けて動いています。年内公開が目標でしたが、さすがに難しくなってきました。でも、出会いたい人と出会うために、自分たちのことをしっかり発信していきたいと考えています。

年内は残すところあと2週間。今週も良い1週間でありますように!

 

こんにちは。

先週ふとビジネスブログランキング100選」を見に行ったら、なんとこのサイトが10位圏内に入っていました。日頃ご覧いただき、下のリンクをクリックしてくださっている皆様、ありがとうございます。これからも一喜一憂せずに、書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。

さて、今日は「編集とは?」について書きます。書こうと思ったきっかけは、次のようなご相談が多いからです。

「企画は当社でして、記事は支給します。御社の力で、今以上に読まれるようにできますか?」

「記事は支給します」という部分が、場合によっては「記事『素材』は支給します」というように変わることはありますが、趣旨としては同じです。私たちはこのように言われると、相手がいう「御社の力で」はすなわち「御社の『編集』の力で」という意味であろうと解釈するのですが、さて、この場合の「編集の力」とは何でしょうか。相手にとっての意味から考えてみました。大きく分けると、次の2つではないかと思っています。

(1)元の素材を膨らませる力
(2)わかりやすく伝える力

専門的に言っても、編集の力の一部として、上記の2点があるのは事実です。しかし、ここで私たちプロの意識と噛み合わない問題が1点あります。それは、本来、編集と企画は一体のものであるのに、そうは思っていただけていないという点です。

記事素材を支給されたなら、わかりやすく伝える工夫はできます。でも、それは、例えていうなら、家のレイアウトが決まっている中で部屋のカーテンの柄についてどうこう言うのと同じなのです。
でも、本来は、「住みやすい家とは?」について一緒に考えるからこそレイアウトがどうあるべきか、インテリアがどうあるべきかを言えるのです。

つまり、編集とは、家で言えば「設計」です。言い換えれば「企画」と表裏一体のものなのです。その点について、まだまだご理解いただけていません。が、それはただ単に「そんなことも頼んでいいのだ」というご理解が得られていないからだと思います。

てなわけで、ご理解いただく努力、しないといけません。


「企画は当社でして、記事は支給します。御社の力で、今以上に読まれるようにできますか?」というご相談、歓迎します。まずはスタート地点に立ち、そのうえで「え? そんなことも頼んでいいの?」と思っていただく、それが正しい順序だと思うからです。

「編集ってなんだろう?」
奥深い哲学的な問いだと思います。

今日も読んでくださって、ありがとうございます! どうぞ良い1週間を!

 

こんにちは、小野です。
 
今日は,単刀直入、「プレゼンテーション」について書きます。最近、「プレゼン」を巡って、いろいろ思うことがあったのですが、バラバラだった考えが段々まとまってきたので、自分の脳内定着のためにも書いておきたいと思います。
 
 
本当に提案は求められているのか?
 
皆さんも、プレゼンの機会は多々あるのではないでしょうか。プレゼンという名前で呼ぶかどうかは別として、何らかの考えをまとめて、相手に説明するというのは、日々あることです。
ワタシたちの仕事でも同様ですが、一番の舞台は何と言ってもコンペでのプレゼンです。お題は様々ですが、営業を仕掛けてのプレゼンではないことの方が多いので、提案を依頼されてプレゼンの準備が始まります。
 
提案を依頼されている。
 
しかし、その前提について、ワタシは一度白紙で考えてみることにしました。果たして、本当に提案が求められているのか、と。もちろん、求められているから頼まれるわけで、求めていないとは言いません。でも、良い提案であるかどうかが、相手にとって一番重要なことなのか、とそんなふうに自問してみたのです。あるいは、良い提案の選択基準はあるのだろうか、と。
 
 
「情」がクリアされなければ「理」は通用しない
 
話は飛びますが、1年ほど前に、自社でコンサルを探した際に提案をもらったことがあります。普段とは反対側の立場に立ってみて、気づいたことがあります。何人かの方とお会いして、提案をいただきましたが、正直なところ、もらった提案のどれが優れているのか、判断がつかなかったのです。またコンサルティングの依頼であるだけに、提案された方法というものが完璧にイメージできませんでした。
結局、自分たちの求めるゴールまで、誰が一番自分たちに合った形で導いてくれそうか、という、なんとも感覚的な判断で結論を出したのです。
 
「合っている」という意味にはいろいろなことが含まれています。人柄的に合っている。雰囲気的に合っている。期待に対して合っている。予算的に合っている。予算を除けば、すべて「理」ではなく「情」による判断をしたわけです。そして、仮に、理屈上は素晴らしい提案だと思えるものがあったとしても、感覚的に合わないと感じたら、恐らく選択しないのが人間なのではないでしょうか。
 
 
「この人は自分と同じ気持ちであるか」という目線
 
またまた話は飛びますが、先日、インナーウェアのECのナンバーワン企業である白鳩の池上社長とお会いしたときに、こんな話を聞かせてくださいました。
「営業というのは信用を売り、人格を売ることだ。信用というのは、この人は自分のことを理解して、自分と同じ気持ちになってくれる人だと思われたときに築ける。同じ意見でも、信用しているときには聞く気持ちになるが、信用していなければ反発したくなるのが人間だ」
この話を聞いて、今までわかっていたつもりでいたけれど、本当にはわかっていなかったのではないかと、そんな気持ちになりました。
同じようなことを神田昌典さんも本の中で書いています。多くのプレゼンは「よく勉強してますね」とは思ってもらえるだろう。しかし、相手の気持ちにあるのはそれだけではない、と。
 
ワタシたちのプレゼンは、はまったときには「愛がある」と思ってもらえます。本当に相手の企業のことを考えて,考え抜いていることが伝わったときです。その場合、では実際何が良かったのかと振り返ってみると、中身の論理性ではなく、多分「期待に応えてくれそうだ」「期待に対して合っている」と相手がイメージできたことが良かったのだと思います。でも、はまるツボというのは、ケースバイケース。「よく勉強していますね」としか思われなければ、まったく意味を成しません。
 
あるべき論も大切ですが、心の方からプレゼンにアプローチすることの方が最近は大切だと考えています。
皆さんはどうお考えですか。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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