セレンディピティに溢れた31年間に感謝
本日11月29日、当社は創立31周年を迎えました。
お客さま、パートナー、株主、社員、友人など多くの皆さまの支えがあって、今日があると痛感します。
本当にありがとうございます。
当社が31年間も続いたことと無関係ではないのが、《つながりの輪》の中に当社がある、ということです。AさんがBさんを紹介してくださり、BさんがCさんを紹介してくださる...というようなことが起き続けました。やってみたことはありませんが、もし書いたなら壮大な相関図が出来上がるはずです。
ここでは、それを「セレンディピティ」と呼んでみたいと思います。
「セレンディピティ(serendipity)」というのは、もともとは『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだ18世紀のイギリスの作家Thomas Walpoleが作った造語です。WIKIによると、「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである」。さらに、そうした幸運を呼び起こす能力や偶然性の中に何かを発見する能力そのものを指す場合もあるようです。
企業の商品開発事例で「セレンディピティ」として有名なのが、3Mの『ポスト・イット』です。求められていたのは、強力な接着剤の開発だったのに、くっついても簡単にはがれる接着剤が偶然できてしまいます。それを失敗と思わなかったから、幸運な展開を呼び起こしました。
当社の《つながりの輪》の場合、「素敵な偶然」「予想外」であったという意味では、まさに「セレンディピティ」なのですが、では、そうした幸運を呼び起こす能力が私にあったのかと考えると、心もとない限りです。でも、《つながり》が《輪》であることに加えて《長い》ことからも、多分、私自身が自覚できていない何らかの能力があるのかもしれません(照笑) どうなのでしょうか?
なぜ《つながり》が生まれ「セレンディピティ」が起き続け、31年間、会社を存続させることができたのか?
私を支えてくださったその理由、どういうヤツだと思っておつきあいしてくださったのか、お世辞はいりませんので(笑)、フランクに聞かせていただけたら幸いです。それが、当社の根っこにあるものとして社内で継承されるべきものだと思いますし、それを糧にまた1年がんばります!
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今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
「解決する人(A Fixer)」
三連休仕事をしていました(涙) なので、今日は、とりとめもなく、
ここ最近、すごく気になったことをただ羅列します。
・アニメ「ピアノの森」に感動しました。おすすめです。
・「親の雑誌」、、、というサービス、興味あります。やってみようかな、なんて。
・友達が明日から1週間「断食」するそうです。なんか、これまた興味あります。
・そうそう、ドラム?を叩くこのネコちゃんの動画にもびくりしました。
・それと、最後は下の詩。誰の詩なのか、わかりません。「解決する人」という詩です。時々読み直します。
《解決する人》
解決する人はすべて自分がきっかけを作っていると思い込んでいる。
一方、奉仕する人は何かまだ見ぬ大いなるもののために自分が使われていることを知っている。
私たちが解決するのは何か特定のものだが、
私たちが奉仕するのはつねに
生命の神秘とその完全性に関する何かである。
解決および援助はエゴのなせる業であり、
奉仕は魂のなせる業である。
援助するとき、あなたは生命を弱いものと見ている。
解決するとき、あなたは生命を壊れていると見ている。
しかし、奉仕するとき、あなたは生命を完全なものと見ている。
解決と援助は治すかもしれないが、
奉仕は癒す。
私が援助するときは、満足を覚えるが、
私が奉仕するときは、感謝を抱く。
解決とは評価が形となったものであるが、
奉仕とはつながりが形となったものである。
ーーーーー
11月も終わりですね。よい1週間でありますように!
アイデアを出しやすい環境、どうつくる?
ヘアサロンで、雑誌「ELLE」(2015年12月号)を読んでいたら、
「現代人が"テンプレ脳"化する理由」という記事を見つけました。
結婚式で聞かれる「育ててくれてありがとう」という新婦の言葉や、
映画の宣伝文句「全米が泣いた」等に代表されるテンプレート化された言い回し、
さらには、そこに疑問にも思わなくなった思考パターンを指すようです。
「テンプレ脳」という言葉がキャッチーで、興味を引きました。
確かに、常套句や紋切り型表現が多用されていたり、
感動を誘うための決まり言葉がお約束のように使われていると、
辟易することはありますよね。
聞かされる側、読まされる側はそう感じますが、
言う側、書く側がそれを使ってしまうのは、
「想定通りの反応」、つまり「安心」を手に入れたいからなのでしょう。
脳の研究で知られる池谷裕二さんが、その記事でインタビューされています。
紋切り型の表現は、コミュニケーションをスムーズに行うために不可欠なもので、
社会に属している以上、それを手放すことはできないというのが池谷さんの見解。
むしろ歴史の中で残ったすべてのアイデアは紋切り型だとも言えるし、
その膨大なピースの中から、どれかとどれかを組み合わせることで
新しいアイデアが生まれる...、というような内容です。
まあ、これはアイデア論での通説ですし、反論はありませんが、
誰もがそれを器用にできるのか、というとできないのが現実です。
いったい、どうしたらアイデアは出やすくなるのでしょうか?
ちょうど最近、どうしたらイノベーションが生まれるのかが
社内で話題になり、個人の意識、集団の意識、
その両方が影響し合っているという話になりました。
たとえば、誰かの発言に対し、「それは前にやったけど、ダメだった」など、
すぐにネガティブな反応を示すことが許されている職場では、
絶対にイノベーションは生まれないでしょう。
ネガティブ反応を是としている集団意識が、
それなら発言するのはやめようという個人の意識を生んでしまうからです。
つまり、個人頼みでは、解決できそうにありません。
WISDOM「ビジネス教養塾」(09/01/13)に、
《「仕事ができる」を脳科学から考察》と題された池谷さん(前出)の
アイデアに関するインタビューが掲載されていたので、要点を抜き出してみました。
・いいアイデアは、集中している時よりも、意識が分散している時の方が出やすい。
・そのような時、脳は「ゆらぎ」の状態にある。
・お風呂やトイレ、散歩の途中にアイデアが浮かぶのは、このため。
・脳の「ゆらぎ」は、環境によって大きくなったり小さくなったりする。
・私たちのやる気とかモチベーションは、内側から出てくるものではなく、
脳を刺激する環境によってつくられる。
おもしろいと思うのは、アイデアにもやる気にも、
環境による脳への刺激が絡んでいるということ。
思い返せば、たくさん思い当たることがありますよね。
たとえば、、、
一人で考えても、何も出てこないのに、人と会話するとアイデアが出てきたり。
「いいね〜」という誰かの反応がきっかけとなって、会話が盛り上がったり。
ミーティングで座る場所を変えたら、煮詰まっていた状況から脱却できたり。
とあるファッションブランドで社長を務める、
私の友人がこんなことを話してくれました。
「私は、毎朝《ブレンド&リード》と念じてから出社している」と。
《ブレンド&リード》というのはリーダーシップのあり方を示すと同時に、
会議の参加者の発言を上手に拾って、ミックスしながら
一つの方向性へとまとめていくスキルでもあります。
たとえば、「このアイデアのいい点は〜だね」と拾ってもらえるので、
参加者にとっては「安心」できる環境が生まれます。
彼女は、それがいかに重要かがわかっているから、毎朝念じている。さすがです。
まとめます。
アイデアを出しやすくするには、
「安心」、「ゆるさ」、程よい「刺激」を作ること。
加えて、アイデアを出しやすい環境はみんなで作るもの、
予めそう全員で合意しておくことも必要かもしれません。
アイデアが出やすくするためのアイデア、
それを考えるのはリーダーの仕事かもしれませんね。
11月も後半戦。どうぞ良い1週間を!
心の中に森を持つ
1週間ほど前、「森のリトリート(Biz編)」という2泊3日のプログラムに参加してきました。プログラムの概要を一言で言うと、ナビゲーターを含め、グループで原生林に入り、森の中では各自が一人になって過ごし、夜は焚き火を囲んで、その日の自分の体験を語り合う、簡単にいうとそれを3日連続で行うというものです。森の中で自分と対話し、森とも対話し、戻っては人と対話する、この3つの対話がこのプログラムの要になっています。
私が参加しようと思ったのは、一人で森で過ごすということに好奇心を掻き立てられ、滅多にできない体験であることに魅力を感じたからです。それ以上のものは何もなかったのですが、想像していた以上に良い体験となりました。
さて、「森」と聞くと、どんな場所を連想しますか? 白神山地とか屋久島のイメージでしょうか? 巨木が生えていて、木々が鬱蒼と生い茂っている、そんなイメージがありますね。実際に入ってみると、そういう場所ももちろんあるのですが、もっといろんな表情を感じさせます。到底倒れそうにない巨木が倒れて、朽ちていたり。そう、巨木もそうでない木も、案外たくさん倒れていました。台風の影響などもあるのでしょう。ですが、なぜあの木ではなく、この木が倒れたのか。それは神のみぞ知る世界です。「寄らば大樹」という言葉がありますが、「大樹」だから安心とは言えないな...なんて思ったり。
ナビゲーターの山田博さんは「本当にまるで誰かが意図したかのように、うまいこと倒れる」と言い、偏りがないように倒れ、倒れると、また新しい木が育っていく、森全体の循環システムが素晴らしいと話してくれました。
《ゆっくり、静かに、感じる》
森での時間は、自分で決めた「自分の場所」で過ごします。土地の傾斜、光の入り加減、木の密集度、木の種類などからしても、森にはいろいろな場所があるので、座ってみては落ち着けるかどうかを判断しながら、場所選びをしました。私が最終的に選んだのは、木はそれほど密集しておらず、開けた印象の場所でした。幹の直径が1メートルほどある木の根元に座り、時には寝っ転がったり、周囲を散策したりしながら、過ごしました。
「このリトリートをより有意義なものにするためのコツは、『ゆっくり、静かに、感じる』です」。
そう初日に言われましたが、この3つは、都会に住む私たちの暮らしとは正反対の事柄です。森に入ると、自然に五感が活性化されますが、『ゆっくり、静かに、感じる』を意識することで、より一層五感が開きやすくなるのでしょう。しかも、たとえば、ゆっくり歩く時、ただゆっくり歩くのではなく、大地をしっかり踏みしめて、ゆっくり歩きます。そうすると、なぜか身体感覚が活性化する。自分が地球の構成員のひとつだとも感じるから不思議です。
視覚の使い方でも、ワイドアングル・ビジョンを使え、というアドバイスがありました。
「都会で使っている目の使い方は対象を凝視するやり方。ここではソフトフォーカスにして見える範囲を最大化して見るようにする、そうすると感覚が広がって、いろいろなものが見え、感じられるようになる」と。
で、実際に、たとえば両手を正面から徐々に左右に広げていくと、限りなく180度近く見えるんですね。驚きました。
《五感が開くとどうなるか?》
森の中で『ゆっくり、静かに、感じる』を実践すれば、五感が開く。で、どうなるのか? のんびりリラックスして過ごすので、癒されたり、ストレス解消になるのは、言うまでもありませんが、それ以上の価値がありました。
つまり、どんなことが起きたかというと、、、
まず、五感が開く。すると、自ずと考えるのではなく、感じられるようになり、本能的な直感が働き出します。心にスペースが生まれている状態になり、感覚が研ぎ澄まされているので、いろいろなものが向こうからやってくるように感じます。いろんなものというのは、たとえば想念のようなものだったり、自然が贈ってくれるメッセージであったり、インスピレーションだったり...。
想念というのは、自分が着想して、自分の思考と感情から始まる想像です。自問なども含まれるのかもしれません。普段の私たちもやっていますが、森の中にいるといつも以上に想像力が働く気がします。
自然からのメッセージは、目の前で見たこと/起きたこと(たとえばトンビが頭上で旋回したとか、キツツキが木を叩く音を聞いたなど)が、まるで何かの意図を持って起きたかのように感じ取ること。実際には自分が意味づけしているのですが、そう意味づけした自分を外から眺めてみると、自分の願望を客観視できたりします。
インスピレーションは、なんの脈略も前触れもなく、天から降りてきたようなイメージや概念。。。と、まあ、そんなことが次から次へと心に宿っては去り、宿っては去って行きました。
焚き火をしながら、人の話を聞いてみると、体験自体はそれぞれに違うものの、みんな同じような感覚を得ていることがわかりました。
私の体験を少しだけ、お話しますね。2日目に、とても大きな問いが心に生じて、これに答えを見出せないと、ビジネスを進めることができないと感じました。その問いは、ちょっと哲学的でさえあって、簡単に答えが出せそうには思えませんでした。ところが、インスピレーションを得られ、新しいチャレンジができそうなコンセプトと出会うことができました。最終日、私は森にある約束をしました。その内容は秘密です(笑)
さて、タイトルの「心の中に森を持つ」は、山田博さんが言った言葉です。そういう人を増やすことが、彼の願いだそうです。とかくロジック中心のビジネス現場になりがちですが、『ゆっくり、静かに、感じる』姿勢を持つこと、5分でもいいから、そのような時間を持つことは大切ですよね。落ち葉でいっぱいの森の写真とともに、シェアします。
みんな本能で見抜いている〜「ユマニチュード」「バリデーション」
今日は、コミュニケーションの本質、
「信じること」について、
認知症治療の最前線の話題から、驚くべき事実を紹介します。
私の両親は80代です。
おかげさまで何とか自立しています。
が、もちろん認知症の入り口にいるなど、
押し寄せてくる課題はいろいろです。
そうこうする中で、
ここに書く情報をキャッチしました。
認知症患者は2025年に700万人を突破。
65歳以上の5人に1人です。
アメリカの研究者の中には、認知症は治るし、
ガン以上に多くの人が影響を受けるのだから、
もっと研究に経済的支援をしてほしい
と主張する人たちもいます。
私はそれに賛成です。
けれど、
今日はそうした政策の話をしたいわけではなく、
コミュニケーションの本質に目を向けたいと思います。
なぜなら、コミュニケーション能力が衰えていく最中でも、
人間にはすごい力があることを、認知症患者は教えてくれます。
そこには
「伝えること」「理解すること」「信じること」
の本質があります。
特に、様々な認知症ケアの検証結果には、
たくさんのヒントがあるので、
今日は「ユマニチュード」と「バリデーション」
という2つのケアの手法から、
「信頼」の本質を考えてみます。
まずは、フランスから始まった認知症ケアの手法
「ユマニチュード」。
うつ病や暴言に即効性があるとして、注目を集めています。
「見つめる」「話しかける」「触れる」「立つ」の、
4つのコミュニケーションを柱にしています。
このケアで、一番大切にされているのが「見つめる」こと。
認知症になると人よりも視野が狭くなるため、
まずは本人の視界に入って、
こちらの存在を認識してもらうことが大切だそうです。
だから、、、
同じ目線の高さで、20cmほどの近距離で、
親しみをこめた視線を送る、
たかだかそんなことなのに、言葉で説明するよりも早く、
確実に「私はあなたの味方です」ということを伝えられ、
相手は暴言しなくなるそうです。
これ、スゴくないですか?
目線で、こいつは信頼できるヤツかどうかを、
人間はわかるってことです。
確かに、、、「目は口ほどに物を言う」は本当かもしれません。
認知症になっていてさえ、嗅ぎ分ける。
いや、スゴいですよね。
ところで、「味方」って何でしょう?
この文脈で想像すると、まずは
「自分に危害を加えない人」
「自分が安心していて良い人」
ってことでしょうね。
一般人も、そういうことを無意識に
推し測っているような気もしますね(笑
認知症患者へのケアから学ぶことは他にもあります。
アメリカ発の認知症ケア技術「バリデーション」。
「バリデーション」では、認知症の人が大声を出したり、
徘徊をしたりすることにもすべて
「意味がある行動」として捉えるそうです。
そして、なぜそのような行動をとるのかに立ち返ります。
そのときにケアする側が大切にすべきことが、
「嘘をつかない」「ごまかさない」こと。
「バリデーション」では、認知症の人が大声を出したり、
徘徊をしたりすることにもすべて
「意味がある行動」として捉えるそうです。
そして、なぜそのような行動をとるのかに立ち返ります。
そのときにケアする側が大切にすべきことが、
「嘘をつかない」「ごまかさない」こと。
認知症の患者が「部屋に誰かいる」と言ったなら、
「そんなわけない」と否定したり、
「本当だね、誰だろうね」
とその場を取り繕ってはいけなくて、、、、
「どこにいる?」「どんな人?」と聴き、
彼らが見ている世界を教えてもらい、
彼らの感情や思いに近づこうとすることが大切だそうです。
で、私がびっくりするのは、
認知症だからといって、嘘をついたり、ごまかすと、
それが認知症患者にわかってしまうということです。
やっぱり嘘を言っているって、
コミュニケーション能力が低下している認知症患者でさえ
結局はわかっちゃうんですね。。。
こいつが自分の味方かどうかも、
こいつが嘘を言っているかどうかも、
人は信頼できる人なのか、信頼できない人なのかも、
コミュニケーション能力が衰えている認知症患者でさえ
本能的にわかるわけです。
つまり、障害がない状態なら、
なおさらわかっちゃうわけですよね。
そのぐらい、人間の基本本能にその能力があるのですね。
人間ってすごいな〜
きっとそれは、私たちが暮らしている生活も同じこと。
自分が相手を心から思いやっている味方であること、
あくまで本音で接し、ごまかしていないこと、
それが、他の人が信じてくれる本質なのだなと思いました。
信じてもらえる人でありたいですね。
今週もいい1週間をお過ごしください!