言葉の壁(4)〜「感情」を感じられない私たち
こんにちは。
早いもので、4月も今週でおしまい。ゴールデンウィークまで秒読みになってきました。皆さんはどこかにお出かけでしょうか? 私は、友だち3名が我が家に来て、女子会?する以外は、特別な予定がなく、強いていえば、断捨離モードで過ごそうかなと思っています。
さて、今日も、メルマガで連載している「言葉の壁」シリーズをお届けします。今日は第4回。「感情」を感じることの難しさについて、です。「自分の感情を感じることが、なんで難しいんだ! 難しくなんてない、感情は感じている」ともし思われていたとしても、もう一度振り返ってみてください。今、感じていると思っていることが、本当に素直な感情なのか、と。
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今日は、気持ちのいいコミュニケーション「NVC」について考える
「言葉の壁」シリーズの第4回です。(過去の内容はこちら)
まずは、おさらい。感情とその背景にある願いを素直に伝えることによって、
相手はむしろ攻撃されたと感じない、
反対に感情を飲み込んで、婉曲的に言おうと細工をする方が、
返って批判的気持ちが伝わってしまう。
そんな考え方に立つのが、NVCです。
だからこそ、感情を素直に伝えるということが
気持ちの良いコミュニケーションにおいて大切なのですね。
でも、私もあなたも、隣の席のその人も、
多くの人が、自分の感情に気づきにくくなっている、
そんな時代なのではないでしょうか。
対人関係で感情を出すのは悪いことだと子どもの頃から習っていますから、
感情に気づけなくなっているような気がします。
私にもそのような体験があるので、その一例を紹介します。
ある時、社内のイベントを取りやめると主張したことがあります。
「当社の理念に反する」という理由を持ち出して、です。
でも、社員に言われたことは、こうでした。
「そんな理由を持ち出して、取りやめるのは納得できない」。
そして「小野さんは、悲しいんですよね。そう言われれば、わかります」
私は、自分の判断の正当性を理屈で説明しようとしていましたが、
でも、心の奥にまずあったのは、理屈ではなかったのです。
悲しみ、怒り、失望などの感情でした。
あるいは、こんな体験はありませんか?
相手から質問を受けて、その言葉や表情の様子から、
何か気分を害しているんだろうなと思って、率直に尋ねてみたら、
「いえ、よくわからないと感じたから、質問しただけで、
気分を害したりはしていません」と返ってきた。
これを言葉通り受け止めるべきかどうかは、考えどころですよね。
さて、ここでクセ者なのが、「〜と感じる」という言い回しです。
たとえば、、、
「あなたはもっと自信を持つべきだと私は感じる」
「仲間から無視されているように感じる」
「それをやることは無駄に感じる」
これらの表現は、「感じる」という言葉を使っていますが、
感情を伝えているのではありません。
でも、私たちはこれが感情だと勘違いします。
本当の感情は、「感じる」という言葉を使わなくても、
伝えられる類いのものです。
感情には、いろいろありますが、
私は大項目としては、ポール・エクマンが最初に発表した6つの感情が
とてもわかりやすいと思っています。
・怒り
・嫌悪
・恐れ
・幸福感
・悲しみ
・驚き
失望は、悲しみの一種、軽蔑は、嫌悪の一種、、、というふうに考えると、
大多数の感情はこの6つに入るからです。
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では、ここでエクササイズです。ある人がこんなことを言いました。
「自分にはクリエイティブな仕事をする才能がないと感じる」。
これを「感情」を伝える表現にするには? その例を挙げてください。
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正解はありませんが、上の6つの感情につながるような表現なら、
感情を伝えたことになります。
「クリエイティブな仕事をうまくこなせない自分にがっかりしている」(悲しみ)
「クリエイティブなアイデアを出せない自分が腹立たしい」(怒り)
「この仕事を続けていっていいか、不安だ」(恐れ)
自分の感情に自覚的になって、人と対話するということが大切ですね。
ところが、それが実は難しいのですよね。
でも、それが大切だとわかっていると、「自問」することができます。
自分は、今、自分の感情にフタをしているか/していないか、
まずはそんな自問から始めるのが良さそうですね。
今週はゴールデンウィークに入ります。
どうぞ、よい連休を!
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『ST 警視庁科学特捜班』で文書鑑定に携わる青山翔は、人の心理について...
「つながり」の本質って何だろう?
最近、「つながる」って何だろうと、そんなことに思いを馳せています。
というのは、いくつかの出来事があって、そこからそんな問いが湧いてきたのです。
先週、水木金と3日連続でグラスルーツ卒業生が訪ねてきてくれました。5年前、あるいは7年前に退職したメンバーです。その間、facebook等を通じて、様々な音信はありましたが、やっぱりネットと実際に会うのとは大違いですね。
それぞれが立派に成長していて、まぶしいぐらいに見えました。
うち一組は社内恋愛から結婚し、1歳になるお子さんを連れての再会です。「グラスルーツに入社していなかったら、この子はいなかったと思うと不思議です」とパパの方が言っていましたが、確かに。。。
きっと、誰かの【決断と行動】、別の誰かの【決断と行動】がクロスすると、人の【出会い】が生まれるんですね。私が当時、採用活動を行おうと決め、そこに応じる行動を取った人たちと出会い、さらに社内でまたさらなる熱い出会い(笑)があったからこそ、結婚した人がいるわけで。
【決断と行動】×【決断と行動】=【出会い】
でも...、出会っただけでは、つながりは続きませんね。実際に、当社は、私と卒業生も、卒業生同士も、割と多くの人が「卒業生」というワードでつながっているという特徴がありますが、中にはつながりが切れている人もいます。とはいえ、6−7年前に退職した人はもちろんですが、20年以上前に退職した人からも連絡があったり、やっぱり「つながり」に特徴があるのは間違いありません。今年のお正月には、私が30代だった頃に在籍していた元スタッフから電話がありました。facebookでもつながっておらず、年賀状だけのつながりでしたが、「声が聞きたいから、電話をください」と年賀状に私が書いたところ、本当にくれました!(笑) うれしいですよね。
この「つながり」の傾向。実は、卒業生との間だけではないのが、当社の特徴です。
最近、かつてお客様だった方たちから複数の新たなお客様をご紹介いただきました。その「元お客様だった方」たちというのは、実は10年ぐらい前にお仕事をいただいていた関係で、その後は年賀状やfacebookだけのコンタクトでした。それぞれ会社も変わっていたり。なのに、当社を思い出し、ご紹介くださった。
私は、この話を自慢話としてしたいわけではありません。どうすると、そういう関係が生まれるのか、ちょっと考えてみたくて、この話を書いています。というのは、先ほども書いたように、すべての人とそうなるわけではないからです。ある条件が整うと、つながりが続くのだとしたら、その条件は何なのか、と思ったのです。
つながっている「関係」が成り立つには、片方が片方に何らかの思いを抱くだけでは、そうならないのではないでしょうか。お互いが相手を大切に思う、リスペクトする、信頼する。そんな思いがお互いに釣り合っているときに、つながる関係ができるのではないでしょうか。私はここで例に挙げた方たちに(元お客様も元スタッフも)そういう気持ちを抱いていますし、もしかしたらその方たちも私に対して、そういうふうに思ってくださっていたのかもしれない。双方向に思いあう気持ちでつながっていたので、たとえ久しぶりであっても、こういうことが起きたのではないかな、と感じます。
【出会い】×【大切に思う気持ち・リスペクト・信頼】=【つながり】
また、体感からですが、こんなことも言えるかもしれません。世の中には、ハブ的な存在感を示す人がいます。上で例に挙げた2人の元お客様は、おそらくハブ的な役割を自らよく果たされている方たちのような気がします。たとえば、そのうちの1人の方。その方からの紹介がきっかけで、私は当社の親会社であるアイティフォーと出会いました。ハブ的な役割を果たそうとする気質、実は私にもあります。で、私の場合のモチベーションが何かといえば、誰かと誰かを引き合わせたことによる化学反応を見たいという好奇心と、両方の役に立てて、両方が喜ぶといいなという願いです。しかも、誰かと誰かを引き合わせているうちに、これがまた不思議なことに、新たなハブ的な人と出会ったりします(笑)
しかし、「出会い」だけで終わる人もたくさんいて、それが「つながり」になるか、ならないかは、やっぱり相手を大切に思ったり、リスペクトできたりしているかに因りますね。まずは、自分から。これが一番大切なことのような気がします。
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追記(2021年6月25日):当社は、2021年6月22日付で(株)アイティフォー との資本関係を解消しました。
言葉の壁(3)~「感情」を伝えないことは不幸の始まり
こんにちは。
春だからですかね〜 ワークショップを開きたいという気持ちが沸き起こってきます。何のワークショップでしょう? やってみたいテーマもいろいろありますが、とにかく楽しいのがいいですね。。。妄想を脱出して、構想しなければ(笑)
さて、今日も、メルマガで連載している「言葉の壁」シリーズをお届けします。NVC(ノンバイオレントコミュニケーション)を題材に、今日は「感情」を伝えることの大切さについて、です。
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マーシャル・B・ローゼンバーグが提唱している「NVC」
(ノンバイオレント・コミュニケーション)について考える、
この「言葉の壁」シリーズ。今日はその3回目です。
前回までの内容をご覧になりたい方は、下記でもご覧いただけます。
第1回:「評価」ではなく「観察」に基づく表現が大切
第2回:言葉を変えると「責任」への自覚が変わる
さて、今日は、NVCを構成する4つの要素を紹介しながら、
2つめの要素である「感情」というものを考えて行きましょう。
4つの要素とは、「観察」「感情」「必要としていること」「要求」です。
共感されるコミュニケーション(ここでは伝え方)とは、
まず自分の人生に影響しているように感じる他人の言動について、
評価や判断を交えずに観察に基づいてシンプルに語り、
自分がどう感じているか感情を述べ、
その感情が生み出されているのは自分が何を必要としているからだ、と語り、
最後に具体的な要求をする、、、、
NVCが示す理想のコミュニケーションは、そのような流れのものです。
お母さんと息子の会話の例を引用して紹介しましょう。
「フェリックス、まるめた靴下がコーヒーテーブルの下にふたつ、
テレビの脇に3つもあると、お母さんはいらいらしてしまうの。
みんなで使う部屋はもっと片付いた状態にしておきたいわ。
脱いだ靴下は、あなたの部屋か洗濯機に入れておいてくれないかしら?」
これを参考にビジネスシーンでの例を考えてみましょう。
まず、上はNVCに則った伝え方。下は則らない、批判的な伝え方です。
「田中君、例の書類、明日が提出日なのに未だに状況説明がないと、
どうなっているか心配で、イライラするんだ。
というのも、ブラッシュアップしてベストなものを出したいからだ。
ブラッシュアップする時間も必要だから、今現在の状況を説明してくれないか?」
「田中君、例の書類、明日が提出日なのに、未だに状況説明がないけど、
君は、自分の責任をどう考えているんだ?
当日、その場で初めて見るなんてことになって、恥をかかせないでくれよ。
いったい、いつ見せてもらえるの?」
比べてみると、下の例が田中君という人物を批判し、攻撃しているのに対し、
上の例は人物を批判せず、イライラの原因を田中君のせいにしていません。
なぜ、上のように伝えることが良いとされるのでしょうか。
NVCでは、誰かの言動は、自分の感情を刺激することはあっても、
その感情が生じた原因は、相手のその言動にあるのではなく、
自分の願い(何を必要としているか)にある、と考えます。
感情の責任を自分で負い、根本原因はその願いにあると語るので、
相手は批判されている気持ちにならず、
その願いに添いたいと思えるのだと思います。
一方で、下の例。田中君は批判されて当然だと思いますか?
上司の立場だと、そうも言いたくなりますよね〜(笑)
でも、その後の2人の間に信頼関係は生まれるのか、
果たして田中君はモチベーションを持ち、成長するだろうか...と考えると、
田中君を個人攻撃しても、何も解決しないことがわかります。
さて、これを読んで、「『感情』を伝えるなんて、していいの?」と
思った方は多いのではないでしょうか。
私たちは、子どもの頃から、理にかなった「考え」を述べることが良いこと、
「感情」を出すことは悪いこと、と教わってきているからです。
でも、よくよく考えてみると、
感情を出すと、感情を伝えるは別のことなのですよね。
「伝える」のだったとしても、その必要があるのか、と思われるかもしれません。
けれど、こういうことは思い当たりませんか?
小さなイライラを飲み込んでしまった。
その小さなイライラは、実は日々生じるものなのに、
小さなイライラだと思って放置しておいた。
ある日、気づいたら、とてつもなく大きなイライラになっていた。
そして、相手に対し、恨みや嫌悪、不信を抱くようになっている。
でも、先ほどの話に戻ると、自分の負の感情の原因は、
本当は誰かのその言動にあるわけではなく、
自分の願いが満たされていないことにあるのですから、
相手のせいにするのはおかしな話なのです。
でも、そこを誰しもが混同して、心の中で相手を責めてしまいます。
さらに、そんな自分をまた責めたり。。。
そう考えると、感情を伝えないことは不幸の始まりとさえ思えてきませんか?
長くなりました。次回もまた「感情」問題続けます。
どうぞ良い1週間を!
※読んでいただき、ありがとうございました。
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人を批判し、自分は正しいと思うコミュニケーションの弊害について、
ベストセラー「嫌われる勇気」の哲人はこう語ります。
「できる」という気持ちが、人生を分ける
4月。受験に成功したり、失敗したり。人事異動で願っていた部署に行けたり、行けなかったり。そんなドラマがたくさん起きる4月です。あなたの4月は、どんな感じですか? 私の4月は、「アララ、ヨッシャ、ドリーム、カモーン」な感じです。意味不明ですが、悪しからず(笑)
で、今日は自己啓発本などで言われ尽くされている「『できる』と思う気持ちなくして『できない』」というテーマでお届けします。
『できるかな?』と思う気持ちが原因で、悪い結果になった体験、ありますか? 私は、結構あります。特に、スポーツなど、カラダとココロがつながった世界で、それをしばしば感じました。
たとえば、私は高校時代にハンドボールをやっていたのですが、同点で試合時間が切れて、PK戦ならぬPS戦になることがあります。その時に、「シュートが入るだろうか?」と思ったら、その迷いがシュートに出て絶対に入らないのです。
また、バイク(自動二輪)免許を取得するための試験でも、同じような経験をしました。一本橋といって、幅30cm長さ15mの細い板の上をバランスよく走行できなければ、免許が取れないのですが、私は2回失敗し、3回目の挑戦でようやく通過することができました。これがまた、かなりココロの問題が結果を左右します。「できるかな?」とか「落ちちゃうかも」と思ったら、その迷いが必ず結果になって出てしまうのです。
でも、考えてみれば当然ですよね。「できるかな?」と思っている人と、「絶対にできる」と思っている人。どっちが「できる」確率が高いかと言えば、当然後者だと思います。自分を信じていない人が、自分のミッションをやりとげられる可能性、高いはずがありません。できたとしても、それは「まぐれ」です。もちろん、その「まぐれ」が人を成長させることもあるので、その「まぐれ」も大切なのですが、でも、「自分はできる」と思えていることは、成功確率を高めるためにとても大切だと思います。
自分は「できる」と思うことは、その結果である「できた」「できなかった」にも影響を与えますが、自分に「何が」できるのか、そのイマジネーションにも影響します。先日、田園調布に暮らす友人の家に、仲間とともに招かれました。彼女は、某外資系企業の社長という立場にあるので、それに相応しい経済力を持っています。隅から隅まで彼女の世界を表現した、うっとりするほど素晴らしい家でした。もちろん、自由設計の家です。で、そこから私が思ったのは、彼女は若い時からこういう暮らしを求め、それはいつか「できる」と迷いなく思っていたのだろう、ということです。言い換えると、因果関係の順番は、社長としてスカウトされたから「できる」と思ったのではなく、「できる」と自分を信じ続けてきた、その結果、社会的な地位も、家を含めた経済力もついてきたのだろうと思います。実は、そこに招かれた後、私のモチベーションは滅茶滅茶上がりました(笑) というのは、私も家にはそれなりにお金を掛けてきた方だと思うのですが、自由設計で一戸建てを持つという発想が、皆無であったことに気づいたのです。なぜか、一戸建てなど滅相もない、という思い込みがあって、良い条件のマンションに住むということが住居選びの枠組みになっていました。でも、同じ予算で、実は戸建てという選択肢もあったのです。もっと自由に「ありたい」「やりたい」から発想し、「できる」と思っていいんですよね。
彼女の家を訪ねた後、こういう人が日本にもっと増えたら、日本は変わる!と思いました。自分を「できる」と信じること。「ほしいものは、ほしい」と思うこと。自分を制限しない生き方として、大切だなと思います。あなたは、自分に「できるわけがない」と決めつけたり、思い込んだりしていませんか? できるための最初の一歩は、自分自らが「できる」と信じることです。そういう生き方、素敵だとは思いませんか? 私は、結果がどうあれ、そういう生き方をいいなと思います。そういう視点から、自分をメンテナンスしたいと思います。