社内報コンクール上位の企業の共通点〜「役割」「プロセス」「柔軟な手法」
先日、ナナ総合コミュニケーション研究所から「第12回全国社内誌企画コンペティション」の案内が届きました。昨年10月には、第11回のコンペティションにおいて、当社が手がけるアサヒビール様の社内報「HOP!」がゴールド賞とシルバー賞を受賞していたのですが、振り返ってみたら、ワタシはこのブログで紹介していませんでした。そして、そうこうするうちに、もう次のコンクールのエントリーが始まるそうです。「自社のスタッフの仕事が受賞しているのに、紹介しないって、社長としてどうよ」と自分突っ込みを入れながら、遅ればせながら、改めてここにご報告させていただきます。
と、紹介だけするのでは、あまりお役に立ちませんので、担当の大吉に工夫のポイントなどをまとめてもらいました。ご参考にしていただければ幸いです。
https://www.grassroots.co.jp/news/archives/2013/01/130121.html
さて、コンクールの常連となっている企業で、アサヒビール様のように編集業務を外部に委託している企業は大抵の場合、その二人三脚が上手に機能しているように思います。
具体的な特徴をいえば、次の3点です。「役割」「プロセス」「柔軟な手法」です。逆に言えば、外部を使っても、その3点を見直そうとしなければ、あまり大きな改善は期待できません。そこで、外部委託を考えている方向けに、いったいどのように見直せばいいのか、そのポイントを上記3点から考えてみました。
1.役割
ネタ探し、原稿集め、誰を登場させようか…。社内広報担当であるあなたには、確かにそんな仕事があることでしょう。それはそれで重要な役割ですが、あなたにしかできないもっと大切な役割が2つあります。
ひとつは社内にアンテナを張ること。社内のベクトルを合わせ、社内を活性化させるためには、何が必要なのか、それに向かってアンテナを張ることです。
もう一つは企画意図を明確にすること。読む前の読者の気持ちを想定し、読んだ後にどう変えるのか、それを明確にするのが大きな役割だと思います。
私たちには、社内にアンテナを張ることはできませんが、意図を明確にするためのお手伝いをすることはできます。意図を持つことはご担当者の役割。ヒアリングとディスカッションを通じて、ご担当者の意図を明確に引き出すことが私たちの役割です。
2.プロセス(質と効率)
社内報の質を高め、同時に効率も高めていくために、どんなプロセスが必要なのでしょうか。こんな内容を取り上げようと決めた後に、すぐに原稿依頼をしたり、取材しようとしていませんか。社内は今、どのような状況にあるのか、どんな気持ちの社員に向けた企画なのか、何を解決すべきなのか、読み終わった時にどのような気持ちになってくれたら成功と言えるのか、彼らは何を最初に知りたいのか、どのような疑問を抱くのか、等々。原稿依頼の前に、明確に定義づけるべきことはたくさんあるのですが、それを明らかにするプロセスがないままに原稿が作られているケースはとても多いように思います。
また原稿依頼を行う場合に、「何文字でいつまでに書いてください」という依頼の仕方では、質はなかなか高まりません。しかも、質も高めながら、効率も追求してこそ、より良い仕事になります。どんなに面白い企画でも、効率が悪く、生産性が低いと、長続きしないからです。質と効率の両方を追求したプロセスとは?について、真剣に考えてみてください。
3.柔軟な手法
今までのやり方を否定する必要はありませんが、でも、今までと違うやり方としてどんな方法があるのかという視点で、いろいろなことに目を向けると、誌面の作り方にも選択肢は広がります。社内広報の担当者がいろいろな誌面づくりにチャレンジしているのをほかの社員の方が見る。それは、社員の皆さんに対し勇気を与えるメッセージにもなります。「広報がやっている=経営がOKしている」というサインになるからです。
既存の手法に捉われない姿勢は、外部委託に切り替えた直後は特に必要ですが、その後も社内報を進化させるために必要な姿勢だと思います。
コンクールに入賞するレベルで社内報を出している企業の共通点として、「役割」「プロセス」「柔軟な手法」について書かせていただきました。外部委託する際も参考にしていただけたら幸いです。
今週も良い1週間でありますように。元気に行きましょう!
「工夫」は本当に良いことか?
こんにちは。
さて、今日は「工夫」ということについて書こうと思います。
みなさんは、「工夫する」と聞いて、それは良いことと受け止めませんか。
普通に考えれば、そう考えるのが自然だと思います。
けれど、本当にそうなのかと自問することは、あまりありませんよね。
でも、工夫することよりも、別のことが求められることが現実には多々あります。
たとえば…。
より早くやることが求められるとか、
相手の思いに添うことが工夫以上に求められる、等々。
ところが、一生懸命に取り組もうとする人に限って、良かれと思って工夫を試みようとします。人によっては、最優先で。なぜなのでしょうか。その理由には、恐らく2通りあるように思います。
一つは、自分自身が創意工夫していることを実感したい場合です。良く言えば、一手間かけても、より良くやろうとする、ということなのですが、悪く言えば、そのひと工夫は自分のエゴのためであって、相手のためではありません。「工夫より、今はスピードを優先して」と言われると、ストレスになったりしますが、仕事は相手があってこそ成り立つもの。そこを勘違いしていると、自分が辛くなります。
もう一つは、工夫することは良いことであって、工夫すれば相手が喜ぶと思い込んでいる場合です。けれど、一刻一秒を争って早く進めたいと相手が思っているときに、工夫をしようとして1.2倍の時間がかかったなら、相手は恐らく喜ばないはずなのですが、喜ぶと思い込んでいるとそれに気づきません。
創意工夫。これは社会の進化、人の成長、その両方にとって、とても重要なことです。クリエイティブの世界では、創意工夫がない人は生き残れないと言っても過言ではないでしょう。けれど、一方で、工夫すれば評価されるという思い込みや自己満足のための工夫は仕事においては悪しきことでしかありません。
工夫をするということ以上に、状況を判断するバランス感覚をどう養うか、それこそがむしろプロに求められている技量ではないかと思う今日この頃です。
「編集」とはなに?
こんにちは。
先週ふと「ビジネスブログランキング100選」を見に行ったら、なんとこのサイトが10位圏内に入っていました。日頃ご覧いただき、下のリンクをクリックしてくださっている皆様、ありがとうございます。これからも一喜一憂せずに、書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
さて、今日は「編集とは?」について書きます。書こうと思ったきっかけは、次のようなご相談が多いからです。
「企画は当社でして、記事は支給します。御社の力で、今以上に読まれるようにできますか?」
「記事は支給します」という部分が、場合によっては「記事『素材』は支給します」というように変わることはありますが、趣旨としては同じです。私たちはこのように言われると、相手がいう「御社の力で」はすなわち「御社の『編集』の力で」という意味であろうと解釈するのですが、さて、この場合の「編集の力」とは何でしょうか。相手にとっての意味から考えてみました。大きく分けると、次の2つではないかと思っています。
(1)元の素材を膨らませる力
(2)わかりやすく伝える力
専門的に言っても、編集の力の一部として、上記の2点があるのは事実です。しかし、ここで私たちプロの意識と噛み合わない問題が1点あります。それは、本来、編集と企画は一体のものであるのに、そうは思っていただけていないという点です。
記事素材を支給されたなら、わかりやすく伝える工夫はできます。でも、それは、例えていうなら、家のレイアウトが決まっている中で部屋のカーテンの柄についてどうこう言うのと同じなのです。
でも、本来は、「住みやすい家とは?」について一緒に考えるからこそレイアウトがどうあるべきか、インテリアがどうあるべきかを言えるのです。
つまり、編集とは、家で言えば「設計」です。言い換えれば「企画」と表裏一体のものなのです。その点について、まだまだご理解いただけていません。が、それはただ単に「そんなことも頼んでいいのだ」というご理解が得られていないからだと思います。
てなわけで、ご理解いただく努力、しないといけません。
「企画は当社でして、記事は支給します。御社の力で、今以上に読まれるようにできますか?」というご相談、歓迎します。まずはスタート地点に立ち、そのうえで「え? そんなことも頼んでいいの?」と思っていただく、それが正しい順序だと思うからです。
「編集ってなんだろう?」
奥深い哲学的な問いだと思います。
今日も読んでくださって、ありがとうございます! どうぞ良い1週間を!
プロの仕事
先週、2つの出来事から「プロの仕事」について考えさせられました。いずれも個人的な体験であって、仕事を通じての体験ではありません。でも、学びがありました。
壁紙職人さん
一つは、壁紙張り替え工事の職人さんの仕事ぶりから感じたことです。
わが家では現在、リビングを中心に壁紙の張り替え工事を行っています。職人さんが来て古い壁紙を剥がし、下地を整え、今日からは本格的に新しい壁紙を張る作業に入ります。天井が吹き抜けになっていて、高さが5メートル以上あるだけに、大掛かりな足場を組まないまま作業を進める技術は、それだけでも素人の目には驚きの連続です。しかも、脚立がなければ拭き掃除ができない窓ガラスを拭いてくれたり、コンセントのプラグや壁に備え付けられた照明やダウンライトの器具を全部外してくれて、せっかくなので一緒に手入れすることを勧めてくれました。
実は半年ほど前に、トイレの入れ替え工事を別の会社に頼んだ際にも、壁紙の張り替えを行ったのですが、その時は、コンセントのプラグも換気扇も取り外されずに終了し、換気扇の汚れがやけに目立つと思ったものです。
プロの仕事として付加価値の高いサービスを提供してくれていることに大変満足し、感心もしているのですが、でも、それ以上に一番感心しているのは、素人にはわかりにくいことをきちんと『説明』してくれることでした。「新築時の内装工事会社がこういう工事を行っているが、そのためにこういう弊害がある、それをカバーするために、こういう処理を行います」とか、「この部分は異なる素材が接合されているために、今後、こういうことが起きると予想されるので、こういう処理をしておきます」等々。
契約上は無事に仕上がればいいのでしょう。でも、「結果」、すなわちこの場合のきれいな仕上がりというのは顧客にとって当然のものでしかなく、本当の満足にはつながらないものなのです。一方で、説明を含めた「プロセス」で満足すると「大満足」につながるのだなと痛感しました。
看護師さん
もう一つは、母が入院している病院での看護師さんの対応から感じたことになります。医療従事者が不足していて、過酷な労働環境にあるということは承知していますが、この際なので、それはそれとして書こうと思います。
率直に言って、看護師さんは2種類に分かれています。患者の心を思って、コミュニケーションする人と、事務的に対応する人の2通りです。母は、今日、80歳の誕生日を迎えますが、老人といえども、「人として、何が大切か」ということについてはうるさい方で、その分、相手の本音を見抜く能力も衰えるどころか、磨きがかかっています。母いわく「同じことを言うにしても、ただ事務的に『できません』の一点張りではなく、『申し訳ないけれど、こういう理由でご希望に添えない』と言ってくれれば、こちらもわがままは言わない。言い方ひとつで相手の気持ちは随分と変わるものだ」。母のこの言葉には「プロとは何か」を考える上で十分なものがありました。
もちろん、事務的な看護師さんばかりではありません。母の一番のお気に入りの看護師さんは、ミカさんという若い女性で、談話室で私と話している母の姿を見かけただけでも、向こうから来て、気さくに声をかけてくれます。それが、たとえ1分でも30秒でも母はうれしいのです。ほかにも優しい看護師さんもたくさんいます。看護師さんが向ける小さな言葉で、母は希望を抱いたり、傷ついたりしてしまうのですが、残念ながら、事務的な看護師さんは相当数います。看護師さんの数が増えたところで、事務的な看護師さんが減るかといえば、それは恐らく別の問題のような気がします。
共通するものは?
この二つの出来事に共通することは何でしょうか。本当のプロの人たちは、壁紙を張り替えればいい、病気が治って退院すればいい、とは思っていない、ということなのです。相手の気持ちに寄り添って仕事をし、それを含めて良い仕事だと思っている、ふとそんなふうに感じました。
私たちグラスルーツも、良い成果物を納めるのは当たり前であって、それだけでは並の仕事だという自覚でやっていきたいと思います。