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マナーと器は一致しない

作家の中谷彰宏さんが
「ビジネスにおける器の大きさ」について書いた記事を読みました。


中谷さんは、
「メールラリーを相手のメールで終わらせる度量のある人が、器の大きい人だ」
と言っています。


メールのやりとりは、自分のメールで終わらせるのが作法。
メールをもらいっぱなし状態にしているのは、無作法。
私たちはなんとなくそう思っていて、
なるべく無作法にならないように気をつけています。


でも、これは相手も思っていること。
例えば、会食をした後のお礼メール。
「本日はありがとうございました」という内容のメールを送り、
相手から「こちらこそ、ありがとうございました」というメールが来たので、
「とても楽しい時間でした」と送ったら、
「こちらも時間を忘れてしまいました」と返信が来る。
「では、おやすみなさい」と送ると、
「またお会いしましょう」と来る。


これは極端な例ですが、自分が無作法側に回らないようにすると、
こんなふうに、やりとりが終わらない、という事態も起こりえるのです。


中谷さんは、「マナーと器は一致しない」、
さらに「まじめすぎると器は大きくならない」と言っています。
まじめな人は、自分が正しい側(無作法ではない側)にいたいので、
ひたすら返信するが、器の大きい人は、たとえば上記のメールのやりとりの場合、
あえて無作法側に回ることで相手にそれ以上気を遣わせない、と。


こんなこともあります。例えば、明らかに間違いメールが届いてしまった場合。
いつも正しくありたい、まじめな人は、
間違ったことに気づかせてあげようと思うので、
「間違ってますよ」と発信者に戻す。
でも、器の大きい人は、相手に気まずい思いをあえてさせないために、
知らんぷりする。
なるほどなあと思いました。


人は誰しも非難されたくないので、
「自分はちゃんと仕事してますからね!」というポジションにいたいですよね。
でも、それは自分のことしか考えていないということなんだなあと気づきました。
本当に相手のことを思うことのできる器の大きな人は、
「ちゃんとしてよね」と非難されるポジションに
あえて立つこともできるということなんですね。
いろいろと考えさせられます。

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