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本当に被害を受けた?

以下のような状況、皆さんならどう感じますか?


数年ぶりに友人と食事をした。
いろいろ話したいと思っていたら、友人の携帯に電話。
友人は席を外したまま、しばらく戻らない。
食事が運ばれてきて、どんどん冷めていく。


「戻ってこないなあ」と思う程度でしょうか。
それとも、
「電話よりこっちを優先すべきでしょ? 私、粗末な扱いを受けてる!」
と感じ、怒るでしょうか。


先週のメルマガでご紹介した『「怒り」がスーッと消える本』によると、
怒りというのは、自分が何らかの形で「被害」に遭っていることを
知らせてくれる感情なのだそうです。
つまり「被害者でない人は怒りを感じない」と言っていいそうです。


友人との食事のシチュエーション。
同じ状況に居合わせても、「戻ってこないなあ」と思う程度なら、
それほど被害はないので、怒りを感じるというほどでもない。
でも、「粗末にされた」のは被害なので、怒りが込み上げてきます。


なぜここで受け止め方に違いがでるのか。
それは、「友人が長電話をして長時間席を外した」という事実以外の、
勝手なストーリーを自分で作り出しているかどうかによるらしいのです。


つまり、怒りを感じる人は、
「友人が長電話をして長時間席を外している」

「戻ってこないなあ」

「そもそも、電話の用件、それほど重要なの?」

「私と食事をすることが本当は嫌だから、電話してるのかも」

「本当は別の約束があったんじゃないの?」

「私って、粗末な扱いを受けてる!」
などと、どんどん頭の中で勝手なストーリーを作ってしまい、
それに対して怒っているらしいのです。


反射的な怒りは動物が本来持っている防御本能なので、
完全に抑えることはできない、と本にはありました。
でも、「怒り続けること」は本能的なものではないので、
「怒り続けるかどうか」は自分で決められるのだそうです。


「怒り続けるのは嫌だ」と思った時の対処法がありました。
「自分が被害に遭った、と断言できるだけの証拠がそろっているかを考える」。


前述の食事のシーンで考えると、
電話の用件が重要じゃない証拠はないし、別の約束があった証拠もない。
そう考えているうちに、怒りは静まっていくものなのだそうです。
「そう簡単に言うけど、そんなこと冷静にできるの?」と思いますが、
怒りを感じる度に、この思考を繰り返す習慣が身につけば、
だんだんとムダな怒りは感じなくなると言います。


先週のメルマガで、私は
「子どもが期待通りの行動をとらないことに怒りを感じる」と言いました。
早速、考えてみました。
で、思いました。
「被害? ないよね」と。


でも、実際に怒りを感じるということはどういうことなのか? 
自分が無意識に作っているかもしれないストーリーを考えてみました。
「子どもが期待通りの行動をとらない」
「子どものことで、私が先生に何か言われるかもしれない」
「そもそも私が言ったようにやらないなんて、
私のことをバカにしてるんじゃない?」


ぎゃー!! うんざりしますね。自分が嫌になってきますね。
「そもそも自分は被害者なのか」を考えるだけでも、怒りはおさまりそうです。
今度は自分自身に怒ったりして? あーあ。

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