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『組織・経営・リーダー論』カテゴリの記事

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あなたがもし、インターナルブランディングなどを担う部門にいて、
理念やビジョンの浸透を図る立場にあるとすると、
社員の「自分ゴト化」という課題に直面するのではないでしょうか。
ここを訪れた読者には、そういう立場にある方が少なくないと想像します。


そこで今日は「自分ゴト化」という課題に対するヒントを探していきましょう。


組織の中で「自分ゴト化が必要だ!」と課題意識を持つことはいいことですが、
そもそも自分ゴト化できている状態とはどのような状態なのでしょう?
それを明確に定義しないまま、どうすれば自分ゴト化できるのか、
対策の検討に入ってしまうのは早計かもしれません。


まず、ここでは仮に「自分ゴト化」というものを
ある事柄に対して、社員が主体的に考えている状態、と捉えてみます。


すると今度は、主体的に考えているのがどんな状態か、という疑問が湧いてきます。
主体性とは何かについて調べてみると、、、、
何をやるかが決まっていない状況で、
自分は何をしたいのかを自分で決めて、自ら考え行動すること。あるいは、
自分はこう思うという意思と、こうしたいと行動する態度を持っていること。
ざっくりいうと、そんなふうに定義づけられているようです。


主体性と自主性の違いについても、
何をやるかが決まっている中で人に言われる前に行動を起こすことが自主性、
決まっていない状況で考え行動するのが主体性、とそんな解説が散見されました。


つまり、社員の「自分ゴト化」が必要と叫ばれるのは、
「自分ゴト化」すると行動につながると考えられているからだと思いますが、
「自分ゴト化」の本質、言い換えると、主体性の本質は「やりたい」であって、
義務感にもとづく「やらねばならない」ではないことがわかります。


こう考えてくると、気づくことがあります。


理念やビジョンの浸透の先に期待されるのは、社員の「行動」なわけですが、
社員にとってみると、理念やビジョンは自分で決めたことではないので、
与えられた大枠の中で、自分は「こうありたい」「こうしたい」という意思を持つ
...というのがお約束になります。


このルールは、組織に属する以上、ある意味、当然のものだとも言えますが、
注目したいのは、
このルールに合わせなければならないという意識が強ければ強いほど、
自分に求められる意識や行動を自ら限定的に捉えてしまうかもしれない、ということ。
言い換えると、受け身行動になってしまうのかもしれない、という点です。


どのようなことかというと、、、、
人に力が湧いてくるのは、心のうずきやワクワク感から出発している時です。
ですから、本当に理想なのは、
与えられた大枠の中で、社員が自分のワクワクを見つけ出して、
「こうありたい」「こうしたい」という気持ちが自然と湧いてくる状態になること。


しかし、組織にいるのだから、自分の心のうずきから行動することよりも、
自分の行動を組織のガイドラインに合わせていくことが求められているのだという
意識が強くなると、その人のエネルギーレベルは低くなりますよね。


自分の行動を組織に合わせようとすること自体は間違っているとも、
おかしいとも言えませんが、ちょっとした思い込みが、
自分で自分を元気が出ない方向へと向かわせているとも言えます。
おかしいとも言えないからこそ、難しい問題だとも思います。


責任感や「やらねばならない」という意識が強いと、
その人の毎日の心持ちは、自分より組織というのが常態化されます。
言い換えると、自分の心にあるワクワクに鈍くなります。
与えられた大枠と自分のワクワクを掛け算することができなくなるとも言えます。


社員がこういう心理に陥ってしまうと
計画は形骸化し、誰も自分ごとで捉えない状況に陥ります。
組織としてのエネルギーレベルは相当に低くなりますよね。
それ以上に、気になるのは、社員一人ひとりが、楽しく仕事に取り組めず、
何の成長もやりがいも感じられず、幸福感が低くなってしまうことです。


では、「やらねばならない」発想から転換するには、どうしたらいいのでしょうか。
これだ!という決め手はありませんが、
まずは、一人一人が自分のワクワクに関心を持つことが第一歩かもしれません。
というのは、その人が自分のワクワクに鈍感な状態であったなら、
「こうありたい」「こうしたい」と思えるはずがないからです。
仕事ですから、わかりやすくワクワクするとは限りませんが、
心の中を観察して毎日の中に小さなワクワクを見つけ出し、
ワクワクする時の共通する点を探すと、
組織の中で自分が何をしたいのか、どうすると幸せなのか、
足がかりぐらいはつかめるのではないでしょうか。


そんな提案をあなたから社内に向かって発信してはどうか、というのが
今日の私からあなたへの提案です。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

日大アメフト部で起きた事件が新聞、テレビを賑わせていますね。
私の周りでもいろいろな反応が起きています。
つい最近は、私の知り合いのF氏がfacebookで
「ITmediaビジネス」に掲載された関係者の発言について、問題提起していました。
その関係者の発言とは、、、
「一流企業の人事担当者たちも内田さんのところでアメフトをやっていたのならば、
主従関係の大切さも身をもって叩き込まれているから安心
という意識を持っている。(略)」というものです。
F氏の指摘は、このご時世に会社と社員が主従関係であると思っているような、
そんな価値観の人事担当者がいる会社で働きたい人はいるだろうか、
そんな企業が一流といえるだろうか、というもの。
私も、同感です。


さて、日大アメフト部の事件について、
多くの人が感じた反発をざっくり言うと、こんなことではないでしょうか?
・監督として、いったいどんな指導をしているんだ?
・勝つためなら何をしてもいいのか?
・日大および内田監督は真実を語り、誠意ある対応をすべきだ!


どれも、もっともですよね。
しかも、遅ればせての会見をした内田監督、
こんな重大な時に、関西学院大学の読み方を間違えるという
失態をしてしまいました。
会見の内容といい、真摯な謝罪と思った人は皆無ではないでしょうか。


また、そういった批判とは別に、アイデンティティ別の批判も起きています。
例えば、、、
・「日大OB」として、情けない
・「アメフトファン」として、悲しい
・「体育会出身者」として、信じられない
・「チームプレーヤー」として、許せない 等


私も、学生時代に運動部(ハンドボール部)に所属していた経験から
「随分と体育会へのイメージを悪くしてくれたものですね...」と
内田さんに言いたいです。


体育会へのイメージというのは、それでなくても歪んでいるのに、
今回の事件はその歪んだイメージを増幅させてしまい、
さらに、それに対して嫌悪感を抱く人を増やしたのではないか、
ということに私は憤りを感じます。
ですので、今日私がこのメルマガを書く動機は、
「体育会」というキーワードを糸口に、
まだまだある「組織」にはびこっているネガティブな常識について、
覆したいですね...という問題意識を共有したいからです。


が、それについて語る前に、
まず「体育会」の定義をはっきりさせておく必要がありますね。
ここでは、「オフィシャルな学生リーグで、勝つことを目的に、
スポーツ部に参加している学生と、
トレーニングという体験を通じて価値観を共有している人たち」としてみました。
つまり、「体育会」の定義を「組織」と考えず、
そこに属する「人」たちとしました。


さて、「体育会」という言葉や、体育会的な人々に対して、
世間にはこんなイメージがあるのではないでしょうか。


・上下関係の折り目が正しく、下は上に従うべきという観念が共有されている。
・フットワークが軽く、思考するよりも行動するタイプである。
・明るくて、声を掛け合い、元気のいいのが基本である。
私はこのような体育会像を「汗臭く、イエスマン型の体育会」と呼んでいます。


この体育会像、私から見るとかなり偏った見方だと感じています。
そのような世界も現にあるようですが、
では、どのくらいそのような組織があるのかといえば、
実際には、1割とか2割りとか、どんなに多くても3割程度なのではないでしょうか。
では、それ以外の体育会はどんな感じなのでしょうか?
実際には多種多様だと思います。
ヒエラルキーの強さだけで見ても、色々あるのが実態ではないでしょうか。


かつて私が属していたハンドボール部は、
とても自由で伸び伸びとした体育会でした。
具体的には、、、
・学年や年齢が違っても、関係はフラットである。
・体も動かすが、頭で勝ちに行く。
・声を出すのは元気の表現ではなく、情報共有のためである。
・個々のプレーについて是と非の評価を、はっきりさせる。
そんな感じです。


私は、これを「知的でクリエイティブな体育会」と呼んでいます。


2月19日のメルマガでも紹介した女子団体パシュートなどもその好例です。
全くもって「汗臭く、イエスマン型の体育会」ではなく、
知的で、クリエイティブな環境の中で試合をしているように見えました。


でも、やっぱり多くの人は、「体育会」と聞くと、
「知的でクリエイティブな体育会」を思い描かず、
「汗臭く、イエスマン型の体育会」を連想するようですね。
もちろん、組織のタイプは二者択一ではなく多種多様ですが。


しかし、ですよ、
監督の言うことに右へ倣えをしているだけで、
オリンピックで勝てると思いますか?
私は、絶対に勝てないと思います。
自分の信念の上に各自の行動がないと、やっぱり勝てませんよね。
これは、体育会だけでなく、企業組織も同じだと思います。
信念を、個々に持つと同時に、組織で持つ。
強い組織であるための絶対条件だと思います。


しかし、実は今、日本列島全体を覆っているのは、
「汗臭く、イエスマン型の体育会」的な組織風土なのかもしれません。
レスリング女子で五輪4連覇した伊調馨選手のパワハラ問題や、
企業の世界で言えば、電通の過労死問題や
神戸製鋼所や三菱自動車などのデータ改ざん問題も、
根っこは「汗臭く、イエスマン型の体育会」的な風土にあると思います。
「上意に対し従順に行動すること」を是とするのが特徴です。


しかも、その価値観、他人事ではなく、私たちの周りに溢れています。
つまり、日大アメフト部問題は、対岸の火事ではない。
そんな思考パターンでみんなが働くと、この先、日本はどうなるでしょうか?
きっと不幸に向かってまっしぐら〜


なんとかして、そんな事態にならないように、食い止めましょう!
そのためにも、お互いにまず、小さなことから変えていきたいですね。


今週も素敵な1週間でありますように!

最近私が気になっている言葉(概念)に「ルーツ(ROOTS)」というのがあります。
なぜ注目するかというと、個人にとっても、
企業にとっても、最近その大切さを実感する機会が多いからです。


「ROOTS」というのは直訳的には「起源」とか「祖先」という意味です。
そう言えば、昔、『ルーツ』というアメリカのドラマがありました。
黒人奴隷になってしまったクンタ・キンテを始祖とする、
親子三代の大河ドラマでした。名作です。
2016年にはリメイクもされているようですね。


私が最近急に「ルーツ」という言葉を意識するようになったのは、
両親の自分史がきっかけでした。
経緯の詳細は敢えてここに書きませんが、
父は父で1冊、母は母で1冊の自分史を作ることになり、
両親の生い立ち、歴史、価値観などを改めて知ることになったんですね。
すると、私自身のアイデンティティが補強されたというか、
彼らの価値観とつながっていることを自覚しました。


例えば研究職だった父は、
人がやっていないことを自分で考えてやること、
それで人の役に立つことをするのが好きだったといい、
母は母で、青春とは心の持ちようなのだから、
生涯青春していたいと言いました。
そうすると私の中に流れているものの源流を感じるわけです。
さらに、もっと私をワクワクさせるのは、ひいお爺さんの話です。
この人は風来坊で、親からも勘当されたそうですが、
国内のみならずシベリアを旅するなど、ヒッピーな人でした。
この話を聞くと、なぜか私はワクワクするんですねー!


つまり、、、、
自分の親や、祖先の話を通じて、自分のルーツを探ることで、
自分のアイデンティティがくっきりはっきりしてきて、
自分の中に受け継がれているものを、改めて実感しました。


私の友人に、コーチングのプロであり、
家系図を書いて、自分や家族と向き合うワークショップをやっている
高橋紀子さんという人がいます。
なんと、戸籍を取り寄せて、家系図を作成するサポートもやっていて、
江戸時代末期のご先祖様と出会うケースもあるのだとか。
彼女によれば、家系分析をしていると、
自分ひとりで創造したと思っているものでも、実は先祖もやっていたり、
反対にネガティブなことも先祖の誰かが同じことで悩んでいたり...
いろいろなことが受け継がれていると感じるそうです。
だからこそ先祖を知ることは自分を知ることになり、
自己理解が深まる...というのが彼女の持論です。
アイデンティティをしっかりとさせる方法として、
こういうやり方はシンプルでいいですね。
https://www.facebook.com/kakeizu.coaching.noriko.takahashi/


さて、組織にとってもルーツを知ることは重要ですよね。


先日、NHK大河ドラマ「西郷どん」を観ていたら、
島津斉彬が西郷吉之助に「今からお前はわしになれ」と言うシーンがありました。
志が受け継がれた瞬間だったと思います。
斉彬の志が、吉之助のルーツになっていますし、
それが歴史を変えようとした薩摩藩士たちのルーツになっています。


今、私の周りでも周年事業で社史を作っているお客様がありますし、
周年事業とは無関係に歴史を紐解くことで
経営の価値観を言語化しようとされているお客様もあります。
志や理念、行動基準というものを共有するには、
会社の歴史、すなわち組織内部にある「物語」がとても重要だということですよね。
周年事業に社史を作るのも一案ですが、
歴史を元に映画や小説を作るのもチャレンジングですね。
いつかやってみたい♪


さ、ゴールデンウィークが終わった1週目です。
今週も素敵な1週間でありますように。

組織の中で協働しようとする時、
特に難しいのはコンセプトメイキングなどの創造的なプロセスでの協働です。
会議一つとってみても、どのようなミーティングだとうまく行き、
どのようなミーティングだとうまく行かないのか。
今日は、協働がなぜうまく行かないのかを考えながら、
どうしたらうまく行くのかのヒントを探してみたいと思います。


創造的なプロセスへのアプローチには、大きく分けて2つの方法があります。
1つは、ディレクション型、
もう1つは、コラボレーション型です。


ディレクション型の方は、
映画に例えるなら、監督とスタッフという関係です。
大枠の方向性や肝になるアイデアを決めるのは監督です。
スタッフはそれを理解し、根幹をブラさずにより良い形にする役割です。
もちろん、アイデアを出すこと自体はスタッフが出してもいいのですが、
みんなの総意で決めるわけではありません。
こちらのタイプのミーティングは結論への合意形成が目的というよりも、
・結論を生み出す材料になるアイデアを出し合ったり
・結論に対して、事後の合意を形成すること(理解を促すこと)が
目的になるでしょう。


一方のコラボレーション型を例えるなら、
ビートルズ時代のレノン&マッカートニーのようなアプローチ。
彼らは、曲や歌詞を作るに際して、二人の発想や意見をミックスして、
二人でベストの答えを出し、ひとつの作品を作りました。
だからこそ、常に二人の名前「レノン&マッカートニー」で
作品を発表しました。
コラボレーション型は、
・アイデアを出し合うのみならず、
 それらのアイデアのどれを採用するのか、
 どう具体案に落とし込むのか、
 その結論をも一緒に出すアプローチ方法だと言えます。


どちらが優れているということはなく、
どちらの方法で協働してもいいのですが、
協働がうまく行かない原因の多くが、
アプローチ方法の不明確さにあると私は思います。
言い換えれば、どちらのアプローチ方法で行くのかを決めずに進めている、
ということです。
つまり【ヒントその1】
最初にアプローチ方法を明確にする」ということです。


では、、、、
例えばコラボレーション型で行くということを
先に合意して進めたとしましょう。
それでも、しばしばうまく行かないという事態に陥ります。
そんな時、ミーティングで起きるのは、どんなことでしょうか?


私の分析(推測?)ではこんなことが起きがちです。
・まず、それぞれのメンバーが「こうしたらいいんじゃないか?」と
 自分なりにイメージを持っている。
・と同時に「こういうのはイヤだな」というイメージも持っている。
・自分が望ましいと感じる方向に同意してくれる人が多ければうれしいし、
 スムーズに結論が出てラク...と思っている。
 →一般に、多くの人は結論を早く出したい。
・銘々が自分の案を口にする最初の段階では、
 各自、相手が自分の案に同意してくれないかな?と思っているが、
 個々のメンバーも自分とは違うイメージがあるようなので、
 主張もしきれないという状況が生まれる。


つまり、この段階で生まれているのは、
他の人の案に賛同もしかねており、
かといって自分の案を主張もできないという「行き詰まり状況」です。


さて、、、
この行き詰まり状況が生まれる原因はどこにあるのでしょうか?
私は、結局、ディレクション型とコラボレーション型の違いや
それぞれの場合の立ち振る舞いがわかっていないということにある、
と考えています。


コラボレーション型では、
「私のアイデアに賛同してほしい」と思うことはそもそも間違いです。
では、どう思うべきなのかというと、
「私のアイデアを誰かいじって、もっとより良く変えちゃってほしい」です。


一緒に作ろう、コラボレーション型でやろうと言いながら、
でも「私のアイデアに賛同してほしい」と思うなら、
それはむしろディレクション型でやった方がいいということ。


ところが、その整理をしないままにプロジェクトが始まってしまうので、
まやかしのコラボレーション型が生まれてしまうのではないでしょうか。
私自身も、何度も自分がまやかしのコラボレーションにいることに気づけず、
その罠に陥りました。


では、コラボレーション型を目指すなら、何を変えていくべきなのでしょうか?
ヒントは2つあります。


【ヒントその2】最初のイメージとの向き合い方を変える。
自分が抱いた最初のイメージ「こうしたらいいんじゃない?」を、
あくまで「にんじん、じゃがいも」と捉え、「カレー」だとは捉えない。
平たく言えば、完成形に固執しないということです。


【ヒントその3】自分のスタンスをチェックする。
自分のスタンスが「賛同してほしい」なのか、
「もっとより良く変えちゃって」なのか、セルフチェックをかける。
前者になっていたなら、心の持ちようを変えるということです。


ディレクション型もコラボレーション型も、
うまく機能する組織は、相当に成熟した組織ですよね。
新入社員の皆さんが社会に入ってくるこのシーズン。
私たちもリセットして、当たり前を疑って
組織内のコミュニケーションをもっとより良くしたいものですね。


どうぞ良い1週間をお過ごしください!

平昌オリンピックも残すところ1週間。
週末の、羽生結弦選手、宇野昌磨選手の金銀の活躍、素晴らしかったですね!
さて、目下私が一番興味があるのが、スピードスケート女子団体パシュートです。
本日19日が予選、21日に決勝が行われます。
最初はパシュートと聞いても、ピンときませんでしたが、
NHKスペシャルで日本代表が取り上げられているのを見て、
あまりの知的な戦略に魅了されてしまいました。


ソチ五輪で敗退した日本代表チームは、
その後の強化によって今やワールドレコードを更新中。
スケート王国オランダに数秒の差をつけて優勝を続け、
金メダルへの期待が高まっています。
代表メンバーは、高木美帆、菊池彩花、佐藤綾乃、高木菜那の4選手。
監督はオランダから招かれているヨハン・デビットさんです。


私が興味を持った最大の理由は、
オランダの代表メンバーが個人種目トップ10の選手ばかりなのに対して、
日本代表は高木美帆選手以外トップ10に入っていないという点。
それなのに、なぜ勝てるのか、興味津々でした。


この記事はパシュートを説明することが目的ではないのですが、
どんな競技か、少しでもイメージしていただけるように、
競技の特徴について簡単に紹介しますね。


1チームは3人1組。
2チームで、それぞれがリンクを6周し(女子の場合です)、
そのタイムを競うトーナメント式の競技です。
面白いのは三人が縦1列になり、先頭走者を順番に交代しながら、
レースを進める点です。
最低でもチーム全員が1周は先頭を滑らなくてはなりません。
逆に言えば、均等に分担しなくてもいいというところがミソです。
百聞は一見にしかずなので、「パシュート」で動画検索してみてください。


自転車競技などもそうですが、トップを走る選手が感じる風圧は
2番手以降とは比べものにならないくらい強烈らしく、
だからこそ先頭走者の後ろで滑る間に体力を温存し、
先頭走者になったら、それを使い切ってレースを引っぱります。


では、なぜ日本がそこまで強くなったのか。
その理由はもちろん1つや2つではないはずですが、
NHKスペシャルで大きな理由として挙げられていたのは、
「一糸乱れぬ隊列」と「高速の先頭交代」でした。

具体的には、徹底した風圧の研究に始まり、
時速50kmで走行中でも接触しない絶妙な距離を追求した結果、
選手間の間隔を1mより短く保ち、前の選手を盾にして滑るスタイルを確立したこと。
さらに、スピードを均一化しオランダの半分のスピードで
先頭交代することにもこだわりました。
いずれも、体力の消耗を最小限にすることを狙ったもので、
それが勝利への戦略の要と考えたようです


しかも、、、
日本代表は、ワールドレコードを最初に更新した後も、
さらに戦略的に戦い方に変更を加えています。
先頭役は、3人で均等に滑るのが一般的であるのに対し、
エースである高木美帆選手がなるべく長く先頭を滑る
という戦略に出たのです。
W杯第3戦で高木美帆選手は、
1回目の先頭役で1.75周、4回目の先頭役で1.75周と、
合計で3.5週を先頭で滑りました。


あーん、こんなふうに説明しても、
彼らの戦略のスゴさ、ちっとも伝わる気がしません。。。(息)


私がこの番組を見て学んだことは、
チーム力というものは必ずしも個人の力の総和ではない、という点です。
個人と個人をつなぐ「間」を見直すことで、
個人の力の総和という発想で戦っている競合相手に勝つことができる、
これがとても新鮮でした。

つまり、日本代表チームが行なったのは、
チームとしてどう戦ったら個人の力の総和以上の力が出るのか、
こう戦うべき、こう戦うしかないという思い込みを捨てて、
個人と個人をつなぐ「間」の工程を徹底的に見直し、
全体最適のために「戦い方」自体のPDCAを回した、ということだと思います。
「間」に目を向けるというこの発想、企業という組織にも有効ですね。


今日からいよいよ本番です。
女子団体パシュート日本代表の皆さんを
ぜひ一緒に応援しましょうね!

171120_working_cat.jpg部下が伸びて行けるようにするには、自分はどう関わったらいいのか、
これは私でなくても、上の立場にある人なら、きっと誰もが考えていることです。


もちろん、私も考えます。
そこで、今回は「自立」という単語を入り口に、
育成や成長のあり方について考えたいと思います。


人の欲求の一つに「自立して仕事をしたい」というものがあります。
特に経験が浅ければ浅いほど、その欲求はとても強いのではないでしょうか。


自立して仕事をしたい。
 ↓
上司からの支援がなくても一人で仕事ができる自分でありたい。
 ↓
報告はするので、仕事を任せてほしい。


まず部下の立場に立つと、
こう思うのは、とっても自然なことですよね。
このとき、部下は、「自立」というのは、一人でできるようになること、
と思っている場合が多いような気がします。


そして、上司も、早く独り立ちしてほしいと思っているので、
自立心を持っていること自体を悪く評価する人はいないのではないでしょうか。
ところが、私の体験から言って、「一人でできる」という場合の
「できる」の目盛り合わせを十分していないと、
上司部下の双方にとって、あまりいい結果になりません。


似たような意味合いの言葉に「自立」と「自律」があります。
この2つの単語はどう違うのだろうと考えていたら、
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表の村山 昇さんという方が、
「INSIGHT NOW」でとてもわかりやすい比喩を使っていました。
数式を投げかけて、答えを出させる3つの方法とその違いについてです。
https://www.insightnow.jp/article/20


村山さんはこんなふうに違いを説明しています。


・3+5=●は、自立レベル
・●+●=8は、半自律レベル
・●+●=○は、自律レベル


右辺は、ミッション・ゴール、たどり着く先。
左辺は、それを実現させるためのプロセスや実現方法です。


自立というのは、
英語で言えば、self-standing(自力で立つことのできる)。
「3+5」という与えられたやり方を一人で実行し、
一人で「8」以上のゴールにたどり着ける。(←私の解釈です)
他に依存しないで、自分でやっていける段階ということのようです。


自律レベルは、右辺(○)も、それを実現するための左辺(●+●)も
自分で考えて、実行できる段階です。
英語で言えば、self-directing(自分で方向付けできる)。
自力で立った後は、自分が決める方向に進んでいけるということだとしています。


さて、、、、
恐らく最初の段階で部下の気持ちにあるのは、
「自立(self-standing)」の方ではないかと思います。
要は、他者の力を借りずに、自分の力だけでやり遂げたいという気持ちです。
一人前だと自認でき、他者からも認められたい、そんな気持ちでもあります。


ところが、営業のようにゴールを定量的に定められる場合は、
「8」以上のゴールにたどり着けたのかどうか、
明瞭にわかりますが、サービス的なもの、ソフト的なものは、
一目瞭然にはわかりません。
そして、「8」の状態を体験したことがなければ、
自分が「8」の状態を生み出せているのか、
自ら見極めることができないし、できなくて当然です。


ですから、「8」の状態がどんなものであるのかを、
いかにして共有するかがとても重要だということになります。
上で述べた「一人でできる」という場合の
「できる」の目盛り合わせをしておくということです。
そして、あくまで「8」は合格ラインであり、
「8以上」を目指すのだと共有された状態をつくること、
それが大切なのではないでしょうか。


ところが、これが簡単ではない。
なぜなら、そもそも「8」の状態を体験したことがない部下は、
体験していない部分を想像で補うしかないわけですから。
しかも、往々にして部下はゴールのレベルを追求することよりも、
まずは「一人で進めたい」という欲求の方が強い場合が多いです。
スポーツに例えると、「勝ちたい」よりも「試合に出たい」という感じでしょうか。


これに対する最善の答えは私にもわかりません。
でも、こんな仮説を持っています。
仮に「自立的に仕事をしようとすること」よりも
「より良い仕事をしようとすること」の方に価値があるという
共通認識が持てていたなら、
与えられている仕事の現状認識を一致させることが
大切だと思えるのではないでしょうか。
あるいは、もっとより良くするためにはどうしたらいいかという観点で
「8」のあり方について、
自然に質の高いコミュニケーションを図るようになるのではないでしょうか。
それが、目下の私の仮説です。


村山さんの話に出てきた「自立」ではなく、「自律した状態」、
つまり、自分が決める方向に進んでいける状態というのも、
結局、より良い方向に向かって進んでいける状態ということだと思います。
自律的になると、「試合に出たい」を卒業し、「勝ちたい」となる。
私は、そんな気がしています。あなたは、どう思いますか?


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

ランチを食べながら、隣の席にいた見知らぬ二人が、こんな会話をしていました。
「仕事を頼んでも、彼女はまったく自分で考えようとしない」
「細いことまで指示しないと、やってくれない」
男性と女性の二人の会話、聞き耳を立てていたわけではないのですが、
すみません、耳に入ってきてしまいました。


主体的に考えない人が組織内にいて、
それに対して悩みや不満を言う先輩/上司。
どんな組織にもありがちなことですよね。
そして大抵の場合、不満を述べている先輩/上司は、
自分たちは主体的に考えていると自認しているだけに、
考えないなんてありえない、理解できないと思っています。


さて、あるあるのこのシーン、
私たちは何をどう考えるべきなのでしょうか。
私はこの会話を聞きながら、何か違和感がありました。
なんとなく上から目線な批判に思えたからです。
気になったことをシェアさせてくださいね。


1つ目は、主体的に自分の考えを述べない人がいたからといって、
必ずしも考えを持っていないとは言えないと言うことです。
ただ単に、考えを言いにくい雰囲気だと感じているから、
考えを発しないだけかもしれません。


聞かれてもいないのに、自分の考えを発言できる人と言うのは、
むしろ少数ではないでしょうか。
多くの人は、水を向けられてもなお、
こんなことを言っておかしくないだろうか...と気にしてしまいます。
あるいは、考えをまとめてからでないと、発言すべきではないと
行動をセーブしてしまったりします。


大抵の場合、過去に嫌な体験があるからです。
笑われたとか、
否定されたとか、
無視されたとか。。。


勇気を出して発言したのに、傷つくような体験があると、
おそらく二度と同じ思いをしたくないと思うのが、
普通の感覚なのではないでしょうか。


どんな意見でも歓迎されると言う前提があるのと、ないのとでは、
当然言いやすさも違いますよね。
言いやすい雰囲気や安心安全の場を作ることは、
リーダーやファシリテーターの重要な役割だと思います。
これが、簡単ではないのですが。


もう1つ気になったことというのは、、、、
筋道立てて考えたり、物事の本質を理解しながら考えるというのは、
実はとても高度で難しいことです。
ですから、これをスラスラできる人というのも、実はとても少数だと思います。
できている風に振る舞う人は大勢いますが、
そういう人に限って、物事の奥深さを甘く見ていたり、
謙虚に考えることをしていないように見えます。
私も、考えることが仕事ですが、
この「考える」行為は、何年やっていても侮れないと感じます。


ということは、逆にいうと、
ただ単に「考えろ」という上司では部下は困ると思うのです。
ただ考えろというだけなら、これほど簡単なことはありませんからね。


で、実際、上司にとって、考えることを部下に教えるのはとても難しい。
教えるスキルを学ぶ機会もあまりありません。
さらにいうと、自分自身が常日頃どのようなプロセスで考えて、
どのように物事を進めているかさえ、上司は整理できていないと思います。
暗黙知だからです。
だから「彼女はまったく自分で考えようとしない」と
批判するだけの上司にはなりたくないなと思いました。


ロジカルシンキングなどのようなコンサル系アプローチとは違う方法で、
考えるコツや考えることを教える方法があるといいですよね。
私のライフワークにしようかな〜笑 ←ちょっと本気。

先日、会社のビルの1階にあるコンビニでコーヒーを買って、
フタをしようとしていたら、フタがなかなか閉まらず、
ちょっとあたふたとしていたんです。
そうしたら、同じくコーヒーを待っていた40前後の女性が、
親切にも「閉まりません? ちょっとやってみましょうか?」と言って、
私のカップのフタを閉めてくれました。
閉まらなかった理由は、おそらくキャップが不良品で、
サイズが微妙に小さかったから。
彼女は「あれ、おかしいな」と言って、そのフタを諦め、
別のフタに取り替えて、そうしたらうまくフタが閉まりました。
その間のやりとり、約1分半でしょうか。


私は、最初はあらら、こんなことで手を煩わせてしまって
申し訳ないなと思いましたが、
フタが閉まった瞬間、とっても幸せな気持ちになりました。
と同時に、なぜ彼女は手を差し伸べてくれたのだろうと不思議に思いました。


実は、そのちょっと前に、社内のある人との間でこんな話が出ました。
おせっかいはしない方がいいと思いがちだけれど、
それはもしかしたら間違いかもしれない、
おせっかいかもしれないと思っても、オノさんは、
手助けをしたくなる雰囲気を持っていますよね、というような話だったか、
あるいは、おせっかいという気持ちを抱かせない、というようなことだったかな?
詳細は忘れてしまいました。。。何しろ褒められたみたい〜♪


もし、このコーヒーの例のように、
見ず知らずの人が私を助けたく思ってくれるなら、
これは私のスゴい才能なのかもしれません(笑)
見ず知らずの人は別として、いろいろな人に助けられているという自覚はあります。
でも、なぜ助けてくれるのかはわかりません。
助けてもらうコツは?と聞かれても答えられません。


それでも、もしかしたら関係あるかもしれないと思うことが1つだけあります。
それは、言いにくいことも言いやすい人でいたい、
オープンな心でいたい、そうずっと願ってきたことです。
これは多分、10代か20代か、そのくらい昔から願っていました。


本能的に、直感的に、人が躊躇しないで発言できることが、
自分にとっても、他の人にとって大切だと感じていたのだと思います。
ありのまま、思ったままを発言できること、
自分自身がそうでいられない状況は窮屈だと感じるので、
だからこそ、まず自分は「言いやすい人」でいたいと思ったのでしょうね。
で、私自身が今、どこまでそれを体現できているかどうかとか、
言いやすいことと人が助けてくれることに因果関係があるかどうかはともかく、
言いやすい人/言いやすい関係が増えることは社会にとって良いこと、
これはまんざら間違っていないと思います。


では、いったい「言いやすい人」とはどんな人でしょうか?
「言いやすい人」は「波風立てない、いい人」でしょうか?
「言われたことにそのまま応える人」でしょうか?
そうではないことは、なんとなくわかりますよね。


で、「言いやすい人とは?」のその答えは、
相手の発言自体(言われたこと)をどう位置づけるかで、変わってきますよね。


言われたことを、指摘である、文句である、リクエストである、
期待に応えるべきことである、相談である、受け流せば良いことである、
コミュニケーションの入り口の情報である...。
このように言われたことをどう位置づけるかで、
受け止める時の自分の感情自体が随分変わりますよね。
相手の言葉を文句と位置づけたら、単純に反発したくなりますし(笑


私自身は、言われたことを
・コミュニケーションを深めるための入り口にある情報
・相手が寄り添ってほしいと思っている感情
こんなふうに受け止めるようになり、それによって、
ニュートラルに受け止めることができるようになりました。
(もちろん人間ですから未だに不完全ですが、、、苦笑)


防衛的でなく聞く。
攻撃的でなく言う。
これだけで、社会はもっと快適になると思うんですよね。


そのような考えから、当社では先週から勉強の場として
「育自プロジェクト」を展開中です。
これは、まさに「防衛的でなく聞く」「攻撃的でなく言う」の実践。
社会がそうなってほしいので、まずは自分たちからそうありたいと思います。


そして、私たちは仙人ではないので、実はそんなに簡単にはできません。
それでも、やってみて、軌道修正し...それを組織として繰り返していくことが
とても大切だと思います。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
素敵な1週間をお過ごしください!

170911_bawakataru.jpg

私事で恐縮ですが、ここ最近、病院に入院していた母が退院後に入居する
介護付き老人ホームを探していました。
おかげさまで短期間で良いホームを見つけることができ、
既に本人は無事入居しています。
同時期に複数の施設を見学したり、いくつかの役所を訪ねたり、
病院の方たちと相談するという体験を通じて感じたことがあります。
それは、「場」というのは、無言でいろいろなことを物語るものだ、
ということです。


人と接する中で、何かを感じることはもちろんありますよね。
でも、面談などの形で人と接するよりも前に、
その場に醸し出されている空気を感じることはありませんか?
「カラー」と言ってもいいかもしれません。


なんとなくザワザワしていて落ち着かない感じの場。
静かできれいで、落ち着いているけれど、魂が感じられない場。
訪問している間に、自分の気持ちが滅入ってくるような場。
働く人たちが良いオーラを出している場。
反対に働く人たちの気が良くないと感じられる場。


どんなことからそう感じるのかを一言で言うことはできませんが、
多くの場合、そこに足を踏み入れてから、数分のうちに、
何かを感じ取っていたような気がします。


この行動、家のポストに入っていたDMやチラシを見て、
瞬時に読むか読まないかを判断するのと似ているかもしれません。
人間の感覚は本当に鋭いと思います。


私たちは、いったい何をどう判断しているんでしょう?
その場のインテリアや照明の影響もありますが、それだけではない。
私は、人の心の状態や人が刻んだ軌跡と関係があるような気がします。
最初は直感的に感じるだけですが、
その直感に基づいて、質問などを投げかけていくと、
やっぱり!と思うことも多々ありました。


たとえば、昨年完成したというある施設は、とても新しく、
建物もとてもきれいで、ハードウェア的には快適に過ごせそうな印象がありました。
でも、人影がまばら。よく言えば落ち着いている印象なのですが、
いまひとつ人の温もりや気配が感じられません。


もしかして、人で不足...?


「まあ、この業界はどこも人で不足ですから、その辺はご容赦ください」と
営業担当者。


では、どこもこんな感じなの...?


そこで、仲介会社の人に尋ねてみたら、
案の定、入居者3人に対し介護・看護職員が1人の割合の施設であるとのこと。
この数字自体は法律的には問題ありませんが、
入居者2.5人に対し1人の割合の施設に比べると違いがあるそうです。
やっぱり...。


結局、私が母の入居先に決めたのは、
見学している時にスタッフの方が挨拶や声がけをしてくれた施設です。
廊下にはスタッフ全員の顔写真が飾ってありました。
私がこの施設に決めたのは単に「挨拶をしてくれたから」ではなく、
働いている人たちから感じられるオーラが良かったからです。


その印象通り、施設の営業担当者から「正社員比率が高い」
「資格取得を奨励していて、半数が資格取得者である」
「定着率がよく、5年以上勤めている人が多い」という説明を聞き、
私が最初に感じたことは、こうした話と無関係ではないと思いました。
しかも、介護・看護職員の割合は、入居者2人に対し1人の施設でした。
あくまで解釈ですが、人を大切にする経営思想が根底にあり、
それがスタッフのエンゲージメントにつながり、
場に良い空気を生み出しているのだろうなと、そんな想像までしてしまいました。


実はこの体験、今回母が入院していた病院でも感じたことです。
こちらは、「場」というよりも、「人」の方かもしれませんが、


全体的にとても人当たりが良く、ハートが感じられる病院でした。
たくさんの具体的なエピソードがありますが、長くなるので省きますね。
84歳の母は、ここ10年ぐらいの間にいくつかの病院に入院しているのですが、
病院にもカラーがあるものだと痛感します。
中にはあまりに事務的で、ケンカしそうになった病院もあります(笑
今回の入院先の病院は、きっとしっかりした経営理念や経営思想があり、
それが末端まで浸透していたに違いありません。


「場」にもれ出る何か。
それは何なのでしょうか?
しかも、そこにいる当事者たちは無自覚なのに、相手は感じ取っている。
反対の立場に立ってみると、、、、きゃ〜 コワイ!
うちの会社に漏れ出ているのは、どんなことだろう?
そんなふうに外からの目線に立って、自社を振り返ってみるのも、
時には必要かもしれませんね。


あっという間に9月中旬です。
まずは今日を大切に過ごすことからですね! どうぞ素敵な1週間を〜

先週、家のテレビが突然壊れてしまい、
週末、新しいテレビを買いに行きました。
15年以上使っていた気がするので、ありがとう!という気持ちです。
突然の出費は痛いけど、夏なので、壊れたのがテレビでよかった。
これがエアコンや冷蔵庫だったら...


さて、今日は「会議」の話。


会議に対する不満、世の中、多いのではないでしょうか。例えば、、、
・招集されたから出席したけれど、出席する意味を感じない。
・会議のゴールが見えないことに、ストレスを感じる。
・自分に何が期待されているかわからず、発言がしにくい。etc...

他にも時間通り終わらないなど、たくさんの不満がありますよね。
今回、なぜ私がこの話題を取り上げたいと思ったかというと、
最近、私は、暗黙知はどうすると形式知になっていくのか、について
興味を持っていて、
この機会にそういう視点で会議というものを振り返ってみたいと思ったからです。


例えば、私たちは、会議のファシリテーションを業務委託されます。
委託された会議の前には、時間をかけてしっかり準備をします。
会議の目的はもとより、参加者の心情心理や理解のレベルを踏まえ、
どういう流れで何を問いかけるかを考えます。


そういう仕事をしている私たちですが、
では自社内のミーティングが「常に」うまく機能しているかといえば、
ありゃ〜 残念ながら答えは「NO」です。
そして、会議が停滞したり、堂々巡りをしている時に
参加メンバーが感じていることは、人それぞれ違っているような気がします。

自社の会議と委託されたファシリテーション業務との最大の違いは、
準備の量です。社内会議の場合、極々最小限しか準備はされません。
準備はした方が良いに決まっていますが、
身内の会議でそれをルールにしてしまうと非効率な面もあります。
(という思い込みを疑ってかかる必要もあるかもしれませんけどね)
ですので、ここでは多くの準備はしない前提で、
会議をより良い場にするためにはどうしたらいいのか、
そんな視点で皆さんと一緒に考えていきたいと思います。


と、言ったものの、、、会議といってもいろんなタイプがありますね。
まずは合意形成しながら、方針や行動を決めていくような
会議を前提として考えてみましょうか。
それでもいろいろなシーンがありますね。
いろいろな会議のシーンを思い起こし、
何となく停滞している時の共通点、
変えるべき事柄について、探してみたのですが、
結局それは何でしょう?


私は、主に3つ原因があり、まずはそれを変えたら、いいのかなぁと思います。
1つ目は、「目的」の曖昧さを早めに深掘りして、「課題」として明確にすること。
2つ目は、「方法のタイプ/場のコンセプト」を招集前に明確にして共有すること。
3つ目は、「各参加者の役割」を招集前に明確にして共有すること。
式で表すと、「課題」×「場のコンセプト」×「役割」です。
順番に見ていきましょう。


まず1つ目。どんな会議でも、一応目的はありますよね。
でも、その「一応ある目的」ぐらいだと、何から話したらいいのか、
とてもとっつきにくいはずです。

例えば、次の2つは、先週実際に私が参加したミーティングの目的です。
・今後の当社のマーケティングの方法論を確立する。
・顧客ヒアリングに基づき、どんな方向でプレゼンテーションするか決める。
ですが、この目的表現のままだと、何を議論していいかわかりません。
目的に応える形で「課題抽出」できてこそ、具体的なディスカッションに入れます。
そう、この「課題抽出」は実はそれだけで1回以上のミーティングが必要なくらい、
重要なディスカッションテーマです。
つまり会議プロセスを形式知化しようとするなら、
「目的」から「課題抽出」という工程をしっかり立てることが必要ですね。
具体論はその後である、そんな形式知への共有が必要なのかと思います。


続いて2つ目。会議の場には「方法のタイプ」(場のコンセプト)があり、
まずはそれを明確にし、招集段階で告知できたらいいですね。
例えば、、、
・ブレーンストーミングなどの「アイデア発散タイプ」
・ボトムアップ提案などの「プレゼンタイプ」
・定例的、あるいはプロジェクトの要所での「報告タイプ」
・振り返って行うミーティングや反省会などの「分析タイプ」
・その場で集まってワークする「実務実行タイプ」
・インタビューや資料に基づくレクチャーなどの「取材タイプ」
・方向性に対する結論を出す「合意形成ディスカッションタイプ」
・意思決定を行う「意思決定ディスカッションタイプ」
・トップダウンの意思伝達を行う「意思伝達タイプ」etc.
場のコンセプトがわかると、参加者は自分の行動がイメージできます。
場のコンセプトを伝えるというのは、形式知にできる要素だと思います。


最後に3つ目。「各参加者の役割」について。
実は、今回振り返ってみて、私が一番頻繁に混乱しやすいのが
これだとわかりました(笑
この場が何の場で、部下は自分に何を期待しているのかがわからないままに、
上司だからという思い込みから、見えない役割を果たそうとしてしまう。
その結果、アドバイスなのか、指示なのか、わかりにくいことを発信してしまう。
そういうことが起きがちです。(反省)
私に限らず、上司というポジションの方には、
この感覚、多少わかっていただけるのではないでしょうか。


でも、この「各参加者の役割」。立場に関係なく重要ですよね。
自分の役割がわからないと、人はどう振る舞っていいのかわからない、
これはすべての人にとって共通する感覚だと思います。
アイデアや助言が欲しいのか、協力を引き出したいのか、
ただ単に「いいね」と言って欲しいのか、
誰しもその役割を知った上で、会議に参加したいはずです。


さて、、、、
今回は3つの仮説に則って、
会議に関する暗黙知をどうしたら形式知化できるか、見てきました。
これを考え抜くことに、一つの価値がありそうですね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
まだ夏は続きます。思い出深い夏になりますように!

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ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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