ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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『言葉・意味・表現』カテゴリの記事

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私たちは、1日に何度となく「わかりました」とか、
「承知しました」という言葉を使って、
会話をしたり、メールを書いたりしています。
気軽に使っているこの「わかる」という言葉。
でも、よくよく考えてみると
とても高度な脳の働きが求められますよね。

仕事で私たちが「わかる」と言う時、大抵の場合、
「あなたの希望はわかりました」とか、
「私に期待されていることはわかりました」というような
意味で使っているのではないでしょうか。
でも、実際には人が他人の思いを100%理解することは
不可能です。


ですから、「わかる」と言っている時の本心は、
相手の希望はだいたいこんなことだろうな、と思っているにすぎません。
そして、ポイントさえ外さなければ、それで事足りたりします。


希望を伝えた本人も、詳細にはわかっていない場合があり、
それはつまりAということですか、Bということですかと聞いて初めて、
Aだとわかるということもありますよね。

本当はとても高度なコミュニケーションなのに、
大胆にもアバウトにやりとりしているのが
この「わかる」の表現です。


どうしてでしょうか? これについて私は、
そもそも100%理解し合えることがない、ということは、
「わかる」には終わりがないからだろうな、と思います。

こんなシーンもよく見かけませんか?
目的だけ伝えて、あとは「よろしく」とだけ言う上司に対して、
部下は説明された目的に対して「わかりました」と言う。
でも、なぜそれが今必要なのか、
どのように進めればいいのかまではわかっていない。。。
そうすると、「よろしく」と言われても部下は立ち往生するしかありません。
こういう失敗は私も時々してしまいます。

グラスルーツには「わからない時には、わからないと言って良い」のではなく、
「言わないといけない」という価値観がありますが、
かといって、人には自分が今何がわからないかがわからない...
ということもあります。
「わからない」状況のまま進めた結果、
より良いアウトプットができなかったとしたなら、
それは頼んだ上司の側に責任があるんですよね〜

「わかる」を理解することは、1対1の関係にかかわらず、
伝える仕事に携わっている人たちにとっても
重要なスキルですよね。


当社の企画力養成講座では、「わかる」の5ステップとして、
「ラクダ(RUCDA)の法則」というものを紹介しています。
非認知から行動への5段階です。


R(Recognize)認知する段階
U(Understand)理解する段階
C(Chew)咀嚼する段階
D(Desire)志望する段階
A(Act)行動する段階


そして、相手が知りたいこと、知りたい順番の原則は
What(それは何か)
Why(それはなぜ重要か)
How(どうやってやるのか、それをするとどうなるのか)
...であるとお伝えしています。


「WHYから始めよ!」(サイモン・シネック著)という説もあります。
一理あるとは思うものの、
一歩間違えると、相手は混乱するんじゃないかな。
何の説明をされているかわからない時に、
それがなぜ重要かを説明されてもね。。。

人と人はわかりあえないからこそ、
わかりあう努力をすることが大切ですよね。
自分が今何をどうわかっているのか、わかっていないのか、
相手が何をわかっていて、何をわかっていないのか、
気にかけながらコミュニケーションすることが大切ですね。


今週も素敵な1週間をお過ごしください。

明日、明後日(8/23-24)の2日間、宣伝会議主催の
「インナーブランディングのための戦略ロードマップ策定講座」に登壇します。
約15時間のセミナーコンテンツは、今回書き下ろしました。


さて、戦略といえば論理。
私たちは、論理というと発想や想像、直感とは別のものと考えがちです。
しかし、そうでしょうか?
私は、論理的思考には想像力が欠かせないと考えています。
今日はそんな話を少々。。。


ですが、その前に「戦略」という言葉について。
今回の講座、タイトル名や講座コンセプトは、
宣伝会議様の方で企画されたものです。
それを受けて、「どのように戦略的にインナーブランディング活動を
計画したらいいのか」を学ぶ。それがこの講座の内容です。
「戦略」というのは、元々は軍事用語でした。
ビジネスでもよく使われますが、
どういう意味と捉えたらいいのでしょう。


私は、何をすべきか、進むべき道筋の根幹を決めること...、
と、こんなふうに捉えています。
それに対し、進むべき道筋の中で、
どのようにしたらうまく行くのかを考えるのが戦術。
「戦略=何を」「戦術=どう」。
そんな仕分けをしています。


でも、いろいろなシーンで、この違いが不明瞭なまま、
あるいは「どうやるか=戦略」という使われ方をされている場合も多く、
「戦略」というワードはクセ者だなと思います。

戦略にしても、戦術にしても、
論理的思考が不可欠だと言われています。
論理的思考ができないとビジネスパーソン失格と言わんばかりの勢いで、
ロジカルシンキングが必要スキルとされています。
なんというか、鉄の鎧を来た魔王のように立っているイメージ。
そんなに万能なもんかいな?


「論理的思考」という言葉も、わかっているようで、
実は説明しろと言われても、説明しにくい言葉の一つです。
今や、そんなことを言ったら笑われそうで、
怖くて言えない人も多いのではないでしょうか。


辞書や学術的な意味はともかく、
「論理的思考」というのは、、、
あ、こんなことを書くと叱られちゃうかな〜?


私は「矛盾がなく、概ね間違っていないと思える《脈絡》での思考」で、
「あわよくば最適解に近づけるかもしれない思考」という程度にしか
受け止めていません。
つまり、論理的に考えれば、
必ず正しい答えを導きだせるのかと言えば、
必ずしもそうとは言えない。


にもかかわらず、どうも世の中には論理万能志向がある気がします。


そもそもビジネスで「正しい答」などないのにね〜
ロジカル信仰があるのは、
やっぱり人は間違った選択をしたくないし、
考え抜いた挙げ句の結論であると思いたいからなのでしょうね。


論理的思考をイメージ的に表現すると、
「AだからB。BだからC」というような垂直的な道筋で考えること、
そんなふうに表現することもできます。
だから、論理的思考を垂直思考と呼ぶこともありますね。


しかし、イメージと現実は別で、実際にはもっと複雑です。
たとえば、ある問題の原因を考え、課題を見つける場合、
Aという問題に対して、原因にはa、b、cが考えられ、
aが起きるその原因はa1、a2、a3、
a1のそのまた原因は...となったります。
垂直どころか、タコ足思考です。


ここで行っているのは推論ですが、
このプロセスでは実は「想像力」がものを言います。


推論で想像力が働かないとどうなるか。
たとえば、アンケートに記入する時にこんな経験はありませんか。
自分が選びたい選択肢がない。
あれは調査票の設計者に想像力が足りなかったから起きています。

アンケート調査だけではなく、
あらゆる問題解決で、もし想像力が発揮されないと、
目を向けるべきことに目を向けないまま、
つまりタコ足思考にならないまま、
狭い思考で進めることになってしまいます。


「論理」と「想像」は実は遠い関係どころか、
支え合っているパートナー関係!
推理小説を読むのには想像力が必要だというのと似ていますね。


今週も素敵な1週間でありますように!

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先日の都知事選で、日本初の女性都知事が誕生しました。
先進国の中でも、女性の政治参加率が低いと言われる日本で、
これは一つのエポックメイキングだったと言えるのではないでしょうか。
今度こそスキャンダルは勘弁してほしいですね。。。


さて、当選確実が報道された直後、
選挙事務所で支援者に向かって挨拶した小池百合子さん。
そのシーンをどうご覧になりましたか?
私は、内容とは別の視点で、おや?と感じたことを覚えています。


「〜を申し上げると同時に、〜」
「〜思っていますし、〜」
「〜、そしてまた〜」


口語だから文と呼ぶのも変ですが...。
わかりやすい言葉できっぱり語るいつもの小池さんよりも、
一文が長いなと思ったのです。


小池さんは、かつての「クールビズ」に始まり、
今回の「崖から飛び降りて」や「徴兵制VS志願制」など
言葉の感覚は鋭い人だという印象があります。


けれど、この当確直後の挨拶は、一文が長くてわかりにくかったですね。
恐らく当選し興奮さめやらぬ中での挨拶だったので、
感情が次から次へと湧いてきたためなのでしょう。
ま、小池さんにすれば、話し下手な私から、
そんな指摘を受けたくないでしょうけど(笑


このシーンを通じて思ったのは、
話し言葉も書き言葉も同じだということ。
単語がたくさん続いていくと、
聞いている人、読んでいる人にとっては、
複雑で頭に入りにくくなります。
言葉を短くシンプルにすると、
言葉の威力は反比例して増します。


長くて分かりにくい例を探してみました。
今年6月2日に閣議決定された
「経済財政運営と改革の基本方針 2016について」がその例。

以下、引用です。
ーーーーー
年初来の不安定さは外的要因から来ているとはいえ、
国内経済も個人消費や設備投資といった民需に力強さを欠いた状況となっており、
こうした背景には、人口減少・高齢化社会の下での期待成長率の低下、
IT化などの技術革新を活かしきれていない生産性の低い働き方の継続、
未だ実感に乏しい子育て環境の改善や現役世代の先行き不安等が
根強く存在している。
ーーーーー


いかがでしたか?
私は最初の2行を読むだけでも、意味を噛み砕きながら読まないと、
頭に入ってきませんでした。


まず単純に一文が短いと、言葉が頭に入りやすくなります。
言葉のシンプル化の名人といえば、故スティーブ・ジョブズ。
「今日、アップルが電話を再発明します」や
「1000曲をポケットに」というシンプルなメッセージは
人の心を捉えました。


さて、スティーブ・ジョブズがそうやって言葉を削ぎ落としたのは、
単に才能豊かな人だったからでしょうか。
もちろん、センス溢れる人であったことは間違いないでしょうけれど、
私はそれだけではなく、信念があったのだろうと思っています。
ここからは推測でしかありませんが。。。


それがどのような信念かというと、
「言葉が人を魅する。だから、言葉を大切にすべきだ」、
そんな信念です。
つまり、どんなことをキーメッセージにするか、
どんなワードで表現するか、
どれだけシンプルに表現するか、
単なる思いつきではなく、しっかりそれを考えていた。
彼にとって「設計する」という感覚があったのではないか。
いえ、まあ、あくまで推測ですけど。


最初に話題に挙げた、小池さんにも「クールビズ」の時に、
そういう匂いを感じました。
つまり、ジョブズも小池さんもシンプルな言葉の威力を知っている。


「伝える」ではなく「伝わる」を大切にしている私たちグラスルーツも、
言葉には人の心を動かす力があるという信念を持っています。
人の心を動かす言葉を見いだすのは容易なことではありませんが、
そのためにベストを尽くす、ジョブズのような心意気でありたいと思います。


読んでいただき、ありがとうございました。
どうぞ良い1週間をお過ごしください!

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こんにちは。
さて、突然ですが、当社のサイトの中で、もっとも流入を得ているのは、
どのページだと思いますか?


ページ単位でいうと、
第1位 社長就任時、社員の心をつかむスピーチ・原稿の作成のポイント
https://www.grassroots.co.jp/blog/monolog/2014/03/140331.html


第3位 社長就任時や新年度、社長メッセージでやってはいけない5つのこと
https://www.grassroots.co.jp/blog/monolog/2012/04/120423.html


いずれも大分以前のブログ記事なのに、いまだに多くの閲覧者が訪れています。
それだけトップのメッセージ発信の重要性を感じているからこそ、
わざわざ検索して当社サイトに来てくださるのだと思いますが、
その割に社会では「メッセージ」というものをうまく扱えていないと感じます。
というのは、メッセージとしての言葉を大切に扱っている企業が、
少なく見えるからです。


そこで、今日は、「ありきたりで、もっともらしい言葉を使うのではなく、
独自のこだわりの言葉を使うことの大切さ」についてお伝えしたいと思います。


たとえば、以下はIRレポートや中期経営計画、サイトにおけるトップメッセージ等で
よく見かけるフレーズの例です。
・リーディングカンパニー
・最高のお客様満足の提供
・アジアナンバーワン
・新価値創造
・健康で心豊かな社会に貢献


「あるある...」と思われたのではないでしょうか?


世の中で頻出している単語やフレーズというのは、
言ってみれば手垢にまみれた言葉であって、
その言葉で人を魅了することはまず無理です。


しかし、実際には、そうした単語を使わなくてはいけないこともあります。
その場合、その言葉に魂を吹き込む作業、
すなわち、個人の思いを乗せる作業が必要です。
しかし、それを実践している企業はとても少ない。


なぜなのでしょうか。


これは、まったくの私見ですが、
7割は下記の3点のいずれかに該当するのではないか、というのが私の肌感覚です。
1)そもそも、企業にとって、トップメッセージが重要であるという認識がなく、
  メッセージには魂を吹き込む必要があるという認識もない。
  そのために、メッセージ作成に手間暇かける必要性も感じていない。
2)魅力ある独自のメッセージが重要という認識があっても、
  スタッフが社長に代わって書いている場合は、
  その思いを吸い上げきれていない。
  または、社長が発した言葉を上手に構成して作文すべきと思い込んでいる。
3)重要性は認識していても、書く人に技量や知識がなく、
  自社のメッセージを作成するときに、他社の文言を参考にしてしまう。


メッセージはただの作文ではありません。


まあ、普通は社内にメッセージの専門家などいませんから、
無理もないかと思いますが、
言葉は、刺さってなんぼ、振り向かれてなんぼ、です。


メッセージが上手に発信できたら、投資家を引きつけ株価が上がり、
優秀な人材を引き寄せることもできます。
もっとメッセージへ関心を持つ企業が増えてほしいですね。


5月ももう半分が過ぎましたね。
今週も良い1週間でありますように!


Picture : Designed by Freepik

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こんにちは。
あっと言う間に終わってしまったゴールデンウィーク。
いかがお過ごしでしたか?
私のテーマは少しストイックでした。
早起きして瞑想したり、パーソナルトレーナー選びの面談したり。
生活習慣を見直したいと思っています。有言実行!


さて、本題。
今日は「言葉の深掘り」の大切さについてです。


当社では、定期的に「うきうきランチ」という食事会を催しています。
このランチは持ち回りで誰かがネタプロバイダーになります。
ネタプロバイダーが出したお題について、
みんなで語り合うというのが唯一のルールです。
ネタはどんなネタでもOK!
前回は「苦労とは何か? これまでに最も苦労したことは?」。
前々回は「(GR外で)最も尊敬する人は誰?」
小さい会社だからこそ持てる機会だと思います。


普段の生活で「苦労とは何か?」なんて考えませんから、
結構、脳みそを活性化させてもらっています。
しかも、そこにネタプロバイダーのその人らしさが出ます。
そこがとってもおもしろいです。


「苦労」の回では、ネタプロバイダーはこう話しました。
ーーーー
自分にとって苦労とは、何が起きたのか理解不能で
どう対処していいかわからないことが起きることだと思っている。
仕事をがんばって、でも思うようにできなくても、
できないからこそまた努力したとしても、それは苦労とは呼べないのではないか?
他の人は苦労についてどう思っているのか、聞きたい...。
ーーーー
こんなような話だったと思います。


で、その回のネタプロバイダーは、自分にとっての苦労の象徴として、
スポーツをやっていたとき、重要な大会の前に突然スランプに陥って、
今までできていたことが突然できなくなり、とても苦しかったという
体験を紹介してくれました。


「苦労」というお題を受けて、ある人は「『苦労は買ってでもしろ』は嘘だと思う。
やりたくないことでの苦労はしないに越したことはない」と主張。
そして「買ってでもした方がいい苦労は、自分がやりたいことのときだけ。
でも、自分がやりたいことなら大変でも苦労とは感じないはずだ」とも。


さらに、別の人は「(ネタプロバイダーと同様に)
自分も今、対処法がわからなくて苦労していることがあるのだけれど、
その過程で自分が成長していると思えるので、苦労と呼ぶのは違うかな」と。


その後、私にも発言の番が回ってきました。
悩む、、、苦労って何だろう?
大変だったことはたくさんあるけど、それって苦労だったのかな?
たとえばリーマンショックの時、大変だったけれど、あれを苦労と呼ぶのかな?
なんか苦労って言葉はしっくり来ないな、、、
心の中でそんなことを思ったので、それをそのまま口にしました。
そしたらある人が「小野さんは物事を苦労って思わない方なんじゃないですか」と。
そうかもね、と妙に納得。
苦労という言葉を身に纏って生きていきたくはないなと
思っているような気がします。


たかだか二文字の「苦労」という言葉を深掘りしてみたら、
人それぞれの思いが浮かび上がってきました。


この回は「苦労」がキーワードでしたが、
その前の回は先ほど書いたように「尊敬」がキーワードでした。


その回で面白かったのは、「尊敬」という言葉に対して
人それぞれ重みが違うということがわかったことです。
ある人は「尊敬する=神のような存在」でした。
別のある人は「尊敬する=ちょっとした気づきを与えてくれる存在」でした。
「尊敬」という言葉の解釈が、それぞれに違っていて、
言葉の重みも違っているんだね、、、ということが共有できました。


さあ、ここから何を学ぶべきなのでしょうね。
私が思うことは、
辞書的な共通認識は相当にアバウトだと思うべきだということでした。
たった一つの単語に対して、
人は体験から自分の辞書を自分の中に作っているので、
辞書の中身は実は同じではないと理解しておく必要があるということです。


つまり「苦労」も「尊敬」も他の単語もその人なりの意味付けがあるので、
辞書的な意味をもって「当然こういう認識のはず」と思い込むのは
相当に危険だと知っておく必要があります。


ちょっとした言葉でも共通認識はない...。
まずはその前提でコミュニケーションする、
そんな姿勢が大切だと痛感しています。


今週も良い1週間をお過ごしくださ〜い!

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あなたは、文章を書くのは好きですか? 嫌いですか? 
得意ですか? 苦手ですか? 
今日のブログのテーマは、「文章を書くこと」についてです。


たとえばアマゾンで「文章力」で検索すると、相当たくさんの本が出てきます


この検索結果の1ページ目を見たとき、私が読んだことのあるのは、池上彰さんの「伝える力」と山田ズーニーさんの「伝わる・揺さぶる!文章を書く」。いずれも評判のいい本ですね。この2冊を比較したとき、どちらがよりお勧めかと言うと、私は後者をお勧めします。


というのは、、、、文章力をテーマにした本は、テクニカルなティップスや必要な心がけが紹介されていることがとても多く、池上さんの本もそうした印象でした。しかし、人が知りたいのは、文章を書く時にいったい何が重要なのかという原理原則ではないでしょうか。そうした本がとても少ない中、山田ズーニーさんの本では原理原則に触れられており、お勧めできます。が、強いて難を言うと、ライターなどのプロにとってはピンとくる有益な内容だったとしても、文章を書く機会の少ない人にとっては、簡単に実行できるとは思えないという点です。


これだけ多くの本が出ているということは、もっと文章力を高めたいというニーズがあるからだと思いますが、学校教育では、作文を書かせることはあっても、文章の書き方の原理原則を教えてはくれません(思い込みだったら、すみません)。なぜそうなるのか。それは、そのぐらい文章を書くという行為の原理原則を紐解いて、体系的に教えることが難しいからです。多くの本が、文章の修辞技術の紹介に終始しているのもそのことと無関係ではないと思います。


原理原則がわからないという面では、私自身も例外ではありませんでした。たとえば、部下の書いた原稿に対し、何をもってOKを出し、どんなときはNGなのか。その基準は単に日本語としてわかりやすいかどうかだけではないはずです。基本となる考え方を持たないと、私の出したNGは個人の主観と言われても反論できません。そういう立場で文章教育を考える中で、見えてきたことがたくさんあります。


このページで全部は書けませんので、今日一番お伝えしたいことをここで明らかにしておきます。それは、文章を書く上で一番大切なのは、修辞ではなく、視点である...ということ。「文章はなるべく短く書きましょう」とか「言葉の重複は避けましょう」は修辞の話です。それよりも前に、自分はどんな視点から何を言いたいのかを決めることが、文章の命です。文章とは、そもそも何かを伝えるために書かれたものと定義づけた場合、それがない、あるいはよくわからない文章は、致命的な欠陥を持っていることになります。


こう聞いて、あなたはどう感じましたか?
「自分が書いているのは単なる報告書だし、別に大それたことを言いたいわけではない」とか、「自分の視点と言われても...」などと思われたでしょうか。
たとえば、「3月度支店別業績レポート」と「3月度支店別業績レポート〜目標クリアの支店の共通点とは?」というタイトルを比較して、どちらがより有益なレポートだと感じますか? 当然後者ですよね。何の視点もない情報発信ならあなたの仕事は誰がやっても同じだということになります。


ここで、「視点」というものをもう少し深堀りしてみましょう。先ほど文章の命は「自分はどんな視点から何を言いたいのかを決めること」だと書きました。これはどういうことかというと、「〜(について)は、〜が大切です」というフレームワークで自分の言いたいことを定めるのとほぼ等しいと思ってください。平たく言えば、意見や見解を持つということです。ですから、視点というのは「〜が大切」の部分です。たとえば、「チームワーク」をテーマに文章を書くとします。「チームワークでは、〜が大切です」とあなたの視点を入れて自分の考えをまとめるわけです。ブランクに入るのは何でしょうか?

・コミュニケーション
・各自の責任行動
・和
・団結
・全体最適

いろいろな視点からチームワークを語ることができます。でも、いろいろ語ってしまうと、読んだ人/聞いた人は「で、結局何が言いたいわけ?」と感じることになります。だからこそ、自分は何を語りたいのか、決める必要があるわけです。


もちろん、「チームワークでは、〜が大切です」を明確にしても、それで良い文章が書けるわけではありませんし、文章全体が完成するわけでもありません。しかし、それがあってこそ、あなたは文章で言いたいことを伝えたことになります。反対に、それが明らかでない文章は機能不全に陥っています。実は、世の中には機能不全に陥っている文章が何とたくさん存在していることか。
こういった傾向を考慮すると、文章力を養う場合に大切なのは、まずは70点の文章の姿と組み立てのプロセスを理解することです。つまり、70点の文章を書くプロセスには「自分はどんな視点から何を言いたいのかを決めること」が必要というわけです。


こういう内容をお伝えするのは、やっぱりブログではなく、体験型セミナーですよね。
はい! 当社の社内報担当者向けセミナーはしばらくお休みしていましたが、お問い合わせもいただいており、来月からほぼ毎月定期的に開催します。まだ告知のページができていませんが、4月20日(水)に企画セミナーを、22日(金)に文章構成セミナーを開催する予定です。さらに、今年度前半では社内広報から少し離れて、リーダー向けのコミュニケーションセミナーを開催する予定です。ご期待ください。(もしご関心がおありでしたら、問い合わせフォームからご一報ください。開催概要が決まりましたら、ご連絡いたします)


読んでいただき、ありがとうございました。どうぞ良い1週間を!

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週末は春のように暖かな陽気でしたね。あまりのポカポカにベランダで読書にいそしみました。読んだのは、ドン・ミゲル・ルイス著の「四つの約束」(コスモス・ライブラリー)です。これは、以前参加した研修会での課題図書だったのですが、当時は今ひとつ興味が持てず、途中で挫折して読み終えませんでした。


この本で著者ドン・ミゲル・ルイスは、古代メキシコでスピリチュアルな知識を伝承する「トルテック」と呼ばれる人々(科学者や芸術家)の智慧に基づき、人が幸福に生きるためには4つの約束を守る必要があると説いています。そのため、序文が少々神話的であり、本文も宗教や心理学の本であるかのような印象であることは否めません。しかし、やっぱり本を読むにはタイミングというのがあるのですね。今回は、とてもぐいぐいとひきつけられる感覚で、読み進むことができました。


4つの約束が何であるかの前に、この本の主張は、私たちは子どもの頃から大人から刷り込まれた自己像を背負って、褒美をもらいたいがために生きているが、他者の価値観に添うのではなく、ありのままの自分を受け入れて生きなければ、真の幸福は得られないということが前提となっています。その意味で、アドラー心理学などにも通じるものがあり、4つの約束の内容自体もどこかで聞いたことがあることが再整理され、こうして提示されているという印象でもありました。


では、4つの約束とは何でしょうか...? 以下、4項目は引用です。


(1)正しい言葉を使うこと
(2)なにごとも個人的に受け取らないこと
(3)思い込みをしないこと
(4)つねにベストを尽くすこと


掻い摘んで要点をお伝えすると...


(1)「正しい言葉を使うこと」というのは、罪のない言葉=自分に背かない言葉を使うこと。愛する相手を束の間の感情で罵ったりすることは正しい言葉を使っていない。
(2)「なにごとも個人的に受け取らないこと」というのは、自分に関する良い話も悪い話も個人的に受け取らず、それに影響を受けないで生きるということ。
(3)「思い込みをしないこと」。思い込みとは、物事をはっきりさせるためにすべき質問をせずに、こうであるに違いない、相手はわかってくれているはず...という考えが真実であるかのように思い、その考えに縛られていることに気づかないこと。
(4)「つねにベストを尽くすこと」というのは、今を生き、その状況で最善を尽くした自分でいるということ。そうすれば、自分を責めることなく生きられる。


いずれの約束も破ると、感情的な毒を撒き散らして人を傷つけたり、自分が傷ついたりする羽目に陥ります。


さて、私にとって、この中で一番印象に残ったのは、やはり「正しい言葉を使うこと」でした。そりゃそうですよね、『「言葉」で未来をつくる』が企業理念ですから。


その章の中で、こんな話が書かれていました。
ある母親が仕事で疲れ頭痛を抱えたまま帰宅した時、小さな娘が大はしゃぎで歌を歌っていた。母親は我慢できずに、「静かにしなさい。変な声で歌わないで!」と怒った。そこを境に、その娘は二度と人前で歌わなくなり、愛されるためには感情を抑圧しなければならないと学んでしまった。母親にとって、その娘は目に入れても痛くない存在であったのに...。
作者はこのような罪のある言葉を「まじない」「黒魔術」と表現しています。黒魔術というのは、罪のある言葉=自分に背いた言葉を使うことです。「誰それは◯◯が上手だ/下手だ」「誰それは可愛い/ブサイクだ」など悪意のない評価も罪ですよね。
愛する相手を束の間の感情で罵ったりすることは、なおさら正しい言葉とは言えません。ああん、耳が痛い。。。


言葉は白魔術に使わなくてはいけない、それが作者の主張です。白魔術というのは、たとえば愛を分かち合うことに使うこと。そのためにも、まずは自分に向けて使うことから始めることを勧めています。「(自分が)どれだけ素晴らしい人間であるか、自分に言いなさい。どのくらい自分を愛しているか、自分に言いなさい。」と。
それが幸せな生き方に直結する...ということのようです。


この本を読んで思ったのは、まったく自覚できない意識のレベルで、私たちは意外に自己否定しているのかもしれないな、ということ。よく「あの人は自己肯定感が低い」などという表現で、他人を評価する声を耳にしますが、そんなことを語っている当人を含めて、もしかしたら誰もがどこかで理想の自分になれていない自分を自己否定していて、それを直視したら辛すぎるから意識の彼方へと葬り去って、自己肯定している自分を演じているのかもしれません。


うーん、人の心理は奥深いですね〜
とにかく「白魔術師になりたい」とそんなことを考えた週末でした。
どうぞ良い1週間をお過ごしください。

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あっというまに今年も師走。
来年のことを考え始めている方も多いのではないでしょうか。
私は、来年、こんなイメージのことをやりたいと考えています。

★「伝える技術」の体感習得ワークショップ
 〜大切なことはすべて部下から教わった〜

そこで、今回は「伝わらない」原因について考えたいと思います。

実は今、あるコミュニティでアンケートをしています。
「伝える」ときの悩みで、どれが一番大きいかについて意見を聞いています。

(1)「何を」伝えるべきか(自分の考え)が整理できない
(2)「どう」伝えたらいいかわからない
(3)相手の反応への不安が先立って、伝えることを躊躇してしまう

あなた自身は、どうですか?
あなたの周りの人は、どうでしょうか?
伝わらないときの原因として、何を自覚している人が多いでしょうか。
本当の原因はどこにあるのでしょうか。

今のところ、「すべてあるし、時と場合による」という声が多く、
それでも一つ選べと言われるなら、
「『どう』伝えていいかわからない、が一番大きいのでは?」
というコメントが多い印象です。
書き言葉と話し言葉で多少違いがあるものの、
こう感じる人が多いのはうなづけます。

伝える行為の出口にあるのが、伝え方(話し方、書き方)なので、
その行為で戸惑うと、そこに壁があると感じるのが普通だからです。

でも、その前に、こんなふうに思っている人もいるかもしれません。
伝わらないのは、相手に原因がある、と。
昔、私が部下と話して伝わらないシーンに出くわすと、
本当は自分の方に原因があるのに、
なんでわかってくれないんだろう、と思ったものです。
相手が悪いとまでは言わないものの、
自分に原因があるとまでは思っていない状態です。

コミュニケーションがうまく行かない場合、
どちらか片方にだけ原因があるということはなく、
両方に原因があるでしょうけれど、
まずは発信者側が謙虚であることが大前提だと今は思います。


で、先ほどの(1)(2)(3)はどれも原因になりうるのですが、
「何を」伝えるべきかがクリアになっていないと、
「どう」伝えるべきかは考えようがない、という関係にあります。
また(3)の「不安」は(1)思考と(2)行動に影響を与えますし、
「何を」と「どう」に自信がないとき、「不安」に陥るという関係です。

私の経験では、自分が発信したことが伝わらない時、
大抵は自分の考えがイマイチ明瞭でない場合が多いです。
特に話し言葉の場合、意思を示している体裁をとって話しているものの、
実は曖昧なことをしゃべっているな、と思うこともあります。
そんな場合、モワっと終わって、結局何も伝わっていないことがわかります。


そもそも伝えるという行為は、伝わることを期待してするもの。
伝わるというのは、伝えたことが相手に影響を及ぼし、行動や反応があること。
ということは、単に自分の意思を示すだけでなく、
相手に何を期待するのか、要望することが伝える行為には不可欠です。

ところが、意外にそこが認識されていないのではないでしょうか。
特に、謙虚で遠慮がちな人は、要望しない場合が多いように感じます。
汲み取ってほしいというオーラを出す人もいます。
要望が伝えられないと、
相手は今言われたことを承知しておくだけでいいのか、
なんらかの行動を求められているのか、
何のために言われたのかがわからなくなり、
「つまり、なに?」という気持ちになってしまいます。

これは、どういう問題かというと、
要望したいことが伝える側の頭の中で明らかになっていないわけで、
「どう伝えたらいいかわからない」のではなく、
「何を伝えるべきかがわかっていない」状態です。

しかも、このときに不安心理も影響している場合があって、
要望すると相手を困らせ、嫌われるのではないか、という思い込みから
最初から考えない傾向にある人もいます。

要望というのは、「何を伝えるべきか」の要素の1つです。
では、他にはどんな要素があるのかと気になりますよね。
長くなりそうなので、次回に回します。

グローバルコミュニケーションなんてことが叫ばれる今日この頃、
相手への要望をしっかり伝えられる人になりたいですね。
その方が相手もストレスを感じないような気がするな。

では、良い1週間を!

リーダーであったり、リーダーの参謀として社内広報に携わっている皆さんは、組織メンバーに「何か」を伝えることに関わっているのではないでしょうか。その「何か」には、継続的な方針や理念的なメッセージもあれば、変更や転換、新規導入に関することもあるでしょう。より刺さる伝え方を常に研究しているのではないでしょうか。


そこで、今日は、ストーリーには人の心を動かす力があり、その構造には、パターンがあるという内容でお届けしたいと思います。


きっかけは、昨日、テレビのレコーダーから番組の録画データを消去していたら、5月頃にNHKで放映された「ハリウッド白熱教室」が録画されていて、何の気なしに観てみたところ、インナー広報はもとよりプレゼンなどでも有効であることがレクチャーされていたので、シェアしたいと思ったからです。
内容は、南カリフォルニア大学/映画芸術学部/ドリュー・キャスパー教授の講座です。全体としてとてもおもしろいものでしたが、ストーリーに関する部分は、言ってみれば定番的な話でもあります。しかし、だからこそ、知っておくべき価値があるのではないでしょうか。


ですが、その前に、、、
そもそも「ストーリー」とは何なのでしょうか? 日本語で言うと、「物語」ですよね。「ストーリー」「物語」の定義って、意外に定説がないんですよ。というか、辞書などで調べれば、それなりの意味が出てきますが、「ストーリー」や「物語」について述べられている時に、意外にその定義が示されていないことが多いのです。


キャスパー教授は、明瞭に「ストーリーの定義とは...」とは語っていません。ちょっと意訳ですが、こんなことを語っています。

私たちの日常は、偶然の出来事で出来ている。
人は、その出来事に、後になって向き合わなくてはらない。それを可能にするのがストーリーである。立ち止まって自分の人生をストーリーの形で回想してみることで、日常や偶然に潜んでいるものを理解することができる。
映画とは、脚本とは、そういうストーリーを与えてくれる。
ストーリーとして語ることで、日常の出来事、習慣に深淵な意味を示すことができる。ストーリーを通じて、悲しみを乗り越えるためのメッセージを伝えることもできる。まず、人生があり、書き手/話し手がそれをストーリーにする。

ストーリーには感情が込められ、ありふれたことの中にある意味や奥深さを伝える。


うーん、残念ながら、決してわかりやすい説明とは言えません。

が、前後の流れから、キャスパー教授が伝えたかったことを推測しながら、私は「ストーリー」というものをこんなふうに定義してみました。



困難に遭遇した主人公の「状況」と「感情」が、訳があって「変化」していく顛末をまとめたお話。

ふう、ようやく本論に入れます。
この定義に基づき、人はどういうストーリーに共感し、感動するのか、キャスパー教授のレクチャーを要約します。

キャスパー教授によれば、満たすべき条件は:
・主人公がいる
・かたき役がいる(一人の人間とは限らず、自然環境や制度なども含まれる)
・対立構造がある
・対立がピークを経て、収束する
私の理解では、かたき役は人の葛藤の根源です。「自分」であってもいいのです。
現に、ヒーロー物でもバットマン、スパイダーマン、表向きの敵以外に、みーんな自分と葛藤しています。それが面白くもあるんですよね。


そして、ストーリーの一番古典的な構造は、3つの段階を経て進みます。
《冒頭》場面設定と主人公の紹介
《中間》主人公とかたき役の対立
《エンディング》物語の結末(達成 OR 挫折)

この直線的な構造は、ギリシャ時代の戯曲にすでに見られ、アリストテレスが解明し、現代の映画(ヒーロー物やアクション物に限らず)にも生きています。


さて、この原理がなぜ仕事などのコミュニケーションでも有効なのかという質問が聞こえてきます。


たとえば、インナー広報で:
「新商品「○○○」を○月○日から販売」
「○○工場が竣工しました」
「新たな人事制度が始まります」といった情報発信をしたとします。
このタイプの発信で伝えるであろうことは、「出来事」や「説明的情報」です。
オープンした/発売した → 出来事
特長は〜/目指すのは〜 → 説明的情報
報道に近い形式の発信です。この形は、90%ストーリーにならないのです。


それに対し、同じ発売の情報でも、
「新『○○○』の誕生秘話〜チーム○○が乗り越えた3つのハードル」。
これは、ストーリーに成り得ます。


営業での提案にも、ストーリーの考え方は応用して使えます。
主人公は見込み客企業。
かたき役は、競合でも良いですし、非効率であったり、高コストであったり、
品質やスピードを危ぶむものであったりして良いのです。
放っておくと、どうなるのか、を見せてもいいですし、
解決すると、どうなるのかと、2つの結末を対比して見せることもできますよね。


社内報などの記事も、プレゼン用のパワポも、
この構造を決める段階で、善し悪しがほぼ8割が決まります。
だから、いきなりパソコンに向かわずに、大きなストーリーを組み立てる、
これが重要です。


なーんて書いていたら、文章講座を開催したくなりました。
はい、近々、どこかでと考えています。

7月も最終週です。どうぞ良い1週間を!

共感されたい欲求は
男女同じ

今日配信のメルマガの内容をシェアさせていただきます。共感を生む「聞き方」についてです。

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男性脳と女性脳は違うという話、時々、耳にしますよね。
そのために、妻はただ話を聞いてほしいだけで解決を求めていないのに、
夫は解決策を助言しようするから、話が噛み合ない...とはよく言われることです。

今回は、「話を聞く」という側面からNVCを考えてみましょう。
本連載「言葉の壁」のバックナンバーはこちらをご覧ください。
https://www.grassroots.co.jp/blog/monolog/cat11/nvc-1/


男性と女性に限らず、同性同士、親子、上司と部下、友だち同士など、
さまざまな関係の間で、話をする人と話を聞く人のシーンが生まれます。

例えば部下の立場から上司に話をした時に、
実はただ聞いてほしかっただけなのに、
過剰な助言や励ましをもらってしまい、
違和感を感じたという経験はないでしょうか?

あるいは上司の立場で部下に話をした時に、
ただ本音の話をしただけのつもりだったのに、
部下が自分の立場や気持ちを話を始めて、
意外な反応が返って来たと慌てた経験はありませんか?

NVCでは、共感を持って聞くことの重要性が説かれていますが、
共感するとは、いったいどのようなことなのでしょう?
「共感」という言葉、よく使う割には、説明できなかったりしますよね。


ここでは、このように定義しておきます。
共感する:自分以外の人の気持ちやそれが生じる源になった経験に対し、
敬意を持って理解すること。

これを、さらにNVCに即した原理原則に言い換えると...
相手が何を観て、
何を感じ、
その背景にある願いは何で、
何を要求したいのか、を引き出す聞き方をすることで、
相手が自分の気持ちを表現しやすいようにし、
自分は、その表現された心情に寄り添っていくこと、
と、こんなふうに表現することができそうです。


ところが、私たちが話の聞き手になっている時、
実際にはこんな反応をしていないでしょうか?

「...したらどう?」「...した方がいいと思う」(アドバイスする)
「あなたの例など大したことはない。私なんて...」(上手に出る)
「ここから...を学ぶなら、これは意味のある経験になるだろう」(教え諭す)
「あなたのせいではないよ。あなたは出来る限りのことをした」(慰める)
「それを聞いて思い出したことがある。私はかつて...」(自分語り)
「くよくよしても始まらない。話を変えよう」(話を切る)
「なんて可哀想なんでしょう...」(同情する)
「それはいつから始まったんだ?」(尋問する)
「電話しようと思っていたんだけど...」(説明する)
「それは事実とは違うよ」(まちがいを正す)

私の経験でも、相手を慰めようとしてしまったり、
励まそうとしてしまったり、助言をしてしまったりすることがあります。
でも、これは、実はNGなんですね〜 ちょっとびっくりしませんか?


たとえば、次の会話の中で、共感を持って接していると言えるのは、
どれでしょう?

- - -(1)- - - - - - - - - - - - - -
A なぜあんな失敗をしてしまったのか、悔やまれる。
B あなたはベストを尽くしたんだよ。そんなに気にするな。
- - -(2)- - - - - - - - - - - - - -
A あなたは常に自分が正しいと主張する。何様のつもりだ?
B 他の解釈の仕方があることに、私に気づいてほしいのね。
- - -(3)- - - - - - - - - - - - - -
A あなたは、私がそれをするのが当然だと思っているんでしょ?
B それは、違う。私は当然だなんて思っていない。
- - -(4)- - - - - - - - - - - - - -
A こんなに体重が増えて、イヤになっちゃう。
B ジョギングでもすれば?


(1)は励まし、(2)は共感、(3)は否定と弁明、(4)はアドバイスです。
つまりNVC的な共感を持って聞く聞き方は、この例では(2)だけです。

いずれのBの受け答えも、悪気はありませんし、
相手の気持ちに寄り添いたいという意識は感じられます。

けれど、結局、最初の夫と妻の会話の例に戻るとわかるのですが、
相手は、励まされたいわけでもなければ、否定も弁明もされたくなく、
アドバイスだって求めていないことがある、ということなのです。
相手の感じ方をコントロールすることは、誰にもできないってことですね。


さて、相手に共感してほしい欲求。
女性だけにあるわけではないと、私は思いますが、皆さんはどう感じましたか?

伝えることも難しいですが、聞くのも難しいですね〜
でも、原理原則がわかれば、トレーニングして慣れるだけだとも言えます。
今週も、素敵なコミュニケーションでいっぱいに! 良い1週間でありますように!

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ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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