ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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『ココロのミステリー』カテゴリの記事

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同じ出来事に遭遇しても、人の感じ方は様々です。
お客様からの一言をどう受け止めるのか、とか、
進行中のプロジェクトは果たしてうまく進んでいるのか、とか、
今日の会議の参加者は同じ認識に立てているだろうか、など、
自分が感じていることと、人が感じていることが一致しているとは限りません。
むしろ一致していないケースの方が多いのではないでしょうか。


この不一致の状況に対して、一致させた方がいいこともありますが、
まず一致していないということを共有するだけでいい場合もあります。



ところが、私も含めて上に立つ人は、
ときどき力で強引に一致させようとしてしまうことがありますね。
自分の見方が正しくて、相手の見方は正しくない(浅い、不十分である等)と
主張してしまうのが、その典型です。
この時に上に立つ人の心の中には、
 自分が気づいたことを相手は気づいていないのだから、
 ならば教えておこう...
というような気持ちがあるのではないでしょうか。



でも、よくよく考えてみると、
これはおかしな話です。
自分の感じたことと相手の感じたことが違うということは、
自分が気づいたことを相手は気づいていないと同時に、
相手が気づいたことを自分は気づいていないということだからです。



たとえば、私たちはいろいろなお客様の会議に参加して、
ファシリテーションを提供しています。
大抵の場合、2名で行います。
そして、それが終わって二人で振り返りをする時、
やはり別々のことを感じていることがあります。
ファシリテーションの質やその場に起きたことについて、
私の方がポジティブでもう一人はネガティブの場合もあれば、
その反対のときもあります。


そんな時、状況認識を一致させようというような意識が働くと、
この振り返りは意味を成しません。
状況をいろいろな視点から見るために二人で参加しているからです。


つまり二人以上の人間が状況を捉えようとするときのマインドセットとして、
お互いに「そういう見方もあるのか...」というスタンスを持つことが
とても重要ですよね。



ですが、つい忘れてしまうことがあります。
部下を教育し、育てなければという思いがあればあるほど、
そうなりがちです。
悪気はありません。悪気がないからこそ、曲者だと思います。


部下に教わることはたくさんある。
「そういう見方もあるのか...」。
それは、おおらかで柔軟な自分を育てるために役立つ
思考のフレームワークだと思います。



あなたは、ほかの人の見方をどの程度受け入れようとしていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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ここ1カ月ほど、新しい出会いが多く、
また新しいプロジェクトがスタートするなど、外的な刺激の多い時期でした。
しかも、接する方たちに偶然にも共通していたのは、
「もっと○○したい」という強い願いを持っていたことです。


「社員がもっと会社を好きになるようなきっかけを作りたい」
「もっと自社の強みを伝えたい」
「社内をオープンな会話ができるムードにしたい」などなど。


「もっと○○したい」。
とても身近な言葉ですが、
これほど人をパワフルにする言葉はあるでしょうか?


この言葉の力強さに気づいていなかった方は
「え?」と思うかもしれません。
「そんなに力強さがある言葉なの?」と。
でも、この言葉は、未来を変えようとする言葉だと思いませんか?


そもそも人が抱く願いとか、欲求というものには、
高密度なエネルギーがあります。
願いがあると、心の温度が高くなりますよね。

私は、ご相談を受け、仕事を選ぶときに、
その方の「もっと○○したい」が強いかどうかを一つの判断材料にしています。
なぜなら願いが弱い人と仕事をしても、
何の問題解決にもならず、ただの作業になるからです。


書きながら、ふと、レンガを積む男の話を思い出しました。
有名な例えなので紹介するまでもありませんが、
レンガを積む仕事をしている人に「何をしているか」と聞くと、
「人が集まり祈るための教会を建てている」と言える人と、
「見ればわかるだろ、レンガを積んでいるんだ」と言う人がいる。。。
教会を建てていると答える人の心の中には、
社会や人の気持ちなど、何かをより良くしたいという願いが感じられます。

しかし、、、


このパワフルな気持ち「もっと○○したい」対して、
多くの場合、妨害者が現れます。
その妨害者は、上司や同僚、家族や友人の場合もあるでしょうけれど、
もっとも手強い相手は「ああ、もう無理!」と叫ぶ人物、
つまり、自分自身です。


「もう無理!」にもいろいろあります。


*上司を説得するのが無理!
 (なぜなら、説得に失敗して惨めな気持ちになりたくないから)


*いろんな意見がありすぎて、みんなを満足させるのは無理!
 (なぜなら、みんなから嫌われたくないから)


*そんな難しいことを実行するのは無理!
 (なぜなら、今の自分のスキルではできる自信がないから)


*普段より忙しくなりそうだから無理!
 (なぜなら、家族と険悪になるのはイヤだから)


さて、、、
多くの場合、人はその無理な原因を状況のせいにしたがります。
( )の理由は自分の中にあるものなのに、
そこに気づかないことも少なくありません。


では、無理と感じ始めたとき、どうしたらいいのでしょう?
お勧めしたいのは、3つのこと。
第1は、そもそもの目的、「なぜやりたかったのか」に立ち返ること。
第2は、熱量のあった最初の身体感覚を思い出すことです。
「え? そんな原始的なこと?」と思われるかもしれませんね(笑)
騙されたと思ってやってみてください。
「グランディング」と言いますが、
姿勢を正し、自分の足が大地を踏みしめて立っている感覚を
意図的に感じることに努めます。
ブレそうになった自分の気持ちが定まって、「無理」が「できる」に変わりますよ。
最後の第3。これは、その妨害者に名前をつけることです。
たとえば私の中にいる妨害者には「ジンジャー」「QT」などの
名前をつけています。他にもいます(笑
そうすると、思考の癖を客体化して見られるんですね。


複雑な社会で人間稼業をやっているわけですから、
そりゃ、誰でもグラグラしますよね〜
大切なことは、今自分がグラついているかどうか、感じ取る力と、
パワフルな自分に立ち戻る力ではないでしょうか。


では今週も良い1週間をお過ごしください!
※今週の動画ブログはお休みです。

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週末、録画していた「オリンピックコンサート2016」(NHK)を観ました。
感動のシーンの数々が、クラシック音楽とともに流れていくシンプルな構成。
選手たちの表情にあった緊張と安堵の対比が興味深く、
彼らが感じていたプレッシャーに思いを馳せながら観ました。


スポーツ選手の試合前後のコメントは、
プレッシャーに絡んだものであることが少なくありません。
よく聞くのは「プレッシャーを楽しみます...」というようなものです。
それだけ心理面が結果に大きく影響するということなのでしょう。


さて、私たちも普段の仕事の中で、
プレッシャーにさらされることがありますよね。
あなたご自身はどのように対処していますか?


いつもの仕事、いつものルーティーンをこなすだけなら、
人はそれほどプレッシャーを感じませんが、
経験のないことをする時や、
やったことがあることでも、スケジュールがタイトな時、あるいは
普段以上の成果を出すことが求められる時などに、
自信が揺らぎ、不安に苛まれ、
緊張感が高まって、プレッシャーを感じます。


私たちのような企画職がプレッシャーを感じると、どうなるか。
締め切り、すなわち持てる時間に対して、こんな心理になりがちです。


(1)「できるだろうか...」という気持ちが押し寄せてきて、
「できませんでした、とは言えないぞ」と思い、
とりあえず形を整えて落ち着きたい...という心理が働く。


(2)形を整えるには、資料に何を盛り込むべきかと考え始め、
それを埋めることで、安心を得ようとする。


つまり、アウトプットできないことを恐れるあまりに、
「本質を考える」という最も重要なプロセスをおざなりにし、
「形を整える」ことに時間を使い始めます。
何かしらのアウトプットがあれば、自分の体面を保てる...
そんな意識に支配され始めるからです。


しかし、形を整えただけのものは、
やっぱり形を整えただけにしか見えないんですね〜
しかも、自分の可能性を100%出し切っていないので、
せっかくのチャレンジ、せっかくの成長機会は台無しになります。


しかも、自分の心理状態を自分で把握することは、意外に難しい。
自分に不安があることを自覚しないと、
自分の心が自分の成長を妨げることになりかねません。
若い時には特にそうですから、
上司も、そんな部下の心持ちを掴むことが大切なんでしょうね。


パフォーマンスを上げ、才能を発揮するために、
プレッシャーをコントロールすることは、とても重要です。
しかも、プレッシャーはキャリアや経験、年齢とは無関係にやってきます。
もちろん、私もプレッシャーを感じることがあります。


では、私たちはどのようにプレッシャーと付き合ったらいいのでしょうか。
私自身が心がけているのは...


(1)焦る時ほど、「しっかり考える」。急がば回れを意識する。
(2)その状況と自分に合った思考法や発想法は何かを先に考える。
(3)体をリラックスさせると同時に、しっかり立つ足の感覚を味わう。
(4)多忙で混乱しているなら、状況やToDoを整理する。
(5)プレッシャーに支配されていないか、セルフチェックする。


...と、こんなことを意識的にやっています。
ですから、部下がプレッシャーを感じている時も、
上のようなアドバイスをしている気がします。


ですが、、、昔、、、たとえば学生時代は、
めちゃめちゃプレッシャーに弱かった〜(笑)
ここで点を入れねばという時に限って、シュートをはずすとか。。(溜息)
「入らなかったらどうしよう」という気持ちでシュートを打って、
得点できることはまずありません。


仕事も同じだと思います。
今でも「できるだろうか?」という気持ちが頭をよぎることはあるのですが、
昔と違って、コントロールできるようになりました。
だからこそ大切だと思うのは、プレッシャーへの意識的なトレーニングです。


プレッシャーというのは、自分の中にあるものであって、外にあるものではない。
だからこそ、自分次第なのですよね。
ま、言うのは簡単、実行は難しいという類のことかもしれませんが。
あなたは、自分が感じるプレッシャーをどのようにコントロールしていますか?
また、プレッシャーを感じている部下をどうやって伸ばしますか?
よろしければ、ぜひ聞かせてください。


さ、今週もいい1週間にしましょうね〜!

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週末の土日は、石川県に旅してきました。
恩師を含め、学生時代のハンドボール部の仲間との気のおけない旅。めっちゃ楽しかった!
なので、冒頭の画像は今回のブログ内容とはまったく関係ありませんが、
砂浜を車で走る「千里浜なぎさドライブウェイ」ではしゃいでいる写真をシェアさせていただき、
動画はお休みします。


さて、本題。
今日は、「意見に対し真摯でいることの大切さ」をテーマに
私の気づきをシェアさせてください。


こんなシーン、あなたの日常生活でもありませんか?


ーーーー
提案者 Aさん「○○をやってみてたらいいんじゃない?」
受け手 Bさん「うーん、でも○○の問題があって、○○だから、
それはむずかしいんだよね...」
ーーーー


もちろん、AさんとBさんの関係性によって、
ここまでタメグチではないかもしれません。
ま、そこは状況ごとに違うとして、、、
あなたがAさんのように提案したのに、
Bさんのような反応が返ってきたときに感じること、
私も含め、多くの人が十分想像できます。


自分の提案は受け止めてもらえずに、
それをできない理由を挙げられた。
多分そう感じますよね。


私たちは、Aさんの気持ちはわかる。
なのに、自分がBさんのような行動をしていることがあることに、
実は気づいていない。それが私の今回の気づきです。


かくいう私も、Aさんのような行動を取ったら、
Bさんのような反応に合ったことがあり、
残念な気持ちになった記憶があります。
ですが、今回このブログを書こうと思ったきっかけは、
私自身もBさんのような反応をすることがあるにもかかわらず、
自分がそれに無自覚であったり、鈍感であることに最近気づいたからです。


つまり、人から提案されたのに、
自分が何かしらの理由を設けて、その提案を退けているときに、
退けているという自覚や、その提案をしてくれた人の思いを汲み取る配慮に欠けている時がある、
自分が退ける反応をしたとさえ自覚していないことがある、

と、最近気づく出来事がありました。


きっかけは、、、
私にはとても濃い関係の仲間たちがいるのですが、
最近、その仲間の何人かがfacebookで私の仕事を発展させるためには、
「システムコーチングを取り入れたらどうか」と助言してくれたんですね。
で、私は、ちょっとウダウダと言い訳を言って、Yesと言わなかったわけです。
すぐには取り組みたくない理由、
少し様子をみたい理由を言った。
「ありがとう」「そうだね」と受け止める前に、
できない理由を言ったわけです。


で、仲間というのはありがたいもので、
その直後に会食した仲間から、こんなフィードバックがありました。
あのように返されると、人は自分の助言が否定されたように感じるものだ、と。
このケースのことだけでなく、リーダーはもっと意見を受け入れる姿勢を持たないと
いけないのではないか、と。

いや、恥ずかしながら、私のちょっとした反応が、
そのようなインパクトを与えていたということに、
私自身は気づいていなかったし、
自分の提案が退けられた場合には「ああ、受け入れられなかった」と感じるのに、
自分が提案を退けた場合には、
退けたことに自分が無自覚であることがわかったんですね。
仲間がアラートを鳴らしてくれなかったら、
多分、私は気づけませんでした。
そういう意味では、とても怖いなと感じました。


自分はわかっているから、できている、
これって大間違い!
そういう気づきを得たので、ここでシェアさせていただきました。
あなたは、誰かの提案を大切に扱っていますか?
受け止める前に、できない理由を語っていませんか?
提案してくれた相手を寂しい気持ちにさせていませんか?


私自身、このことがわかったからといって、できるようになるわけではありませんが、
そういうことに自覚的になることはとても大切だと思います。


私にその気づきを与えてくれた友人たちに感謝を込めて、
このブログを書きました。
参考になれば、幸いです。


では、素敵な1週間をお過ごしください!

「優位感覚」という言葉をご存知ですか? 
認知や理解、学習やコミュニケーションをするときに、
五感のどこを使うか、人によって傾向が異なっていて、
無意識のうちによく使う感覚を優位感覚というのだそうです。


実はこれ、毎週恒例の「うきうきランチ」という食事会で出た話題です。
ネタプロバイダーA氏が出したネタが「自分の五感のどれが強いと思うか?」でした。
それを知る手がかりとして、「《風鈴》を思い浮かべてくださいと言われて、
何が思い浮かぶか?」をやってみました。


さて、あなたも実際にこれ↓、やってみてください。
ーーーーーーーーーーーーー
《風鈴》を思い浮かべてください。
ーーーーーーーーーーーーー


何が浮かびましたか?


浮かんだものが、あなたの優位感覚を知る手がかりです。
ネットで優位感覚を調べると、分類の仕方は何パターンかあるようです。
VAKタイプと言って、視覚(Visual)、聴覚(Auditory)、身体感覚(Kinesthetic)の
3つに分類することもあるようですが、

ランチのときに出た分類は次の4つでした。
・視覚優位
・聴覚優位
・体感覚優位(嗅覚、触覚、身体感覚など)
・言語感覚優位


たとえば、、、
風鈴のある「情景」が浮かんできた人は、視覚優位。
チリーンという風鈴の「音色」を感じた人は、聴覚優位。
風がほほに触れる「感触」を思い出した人は、体感覚優位。
風鈴という「文字」が見えた人は、言語感覚優位。


これだけ聞いただけでは、ふーんという話かもしれません。


でも、風鈴と聞いても、風景や情景をまったく思い描けない人がいる、
聞こえていない音はイメージできない人がいる、と聞いたらどうですか?


私たちは、自分にとって当たり前のことは、
ほかの人にとっても当たり前なのだろうと思いがちですが、
実は違うんですよね。



私の場合、このとき出てきたのは、風鈴の「音」でした。
「聴覚」と「体感覚」が1位2位を争って強いという自覚があります。
たとえば楽器はほとんど弾けないのに、
音楽の細かい部分を頭の中で再現できたり、
物事を3次元や4次元でとらえる空間感覚があります。
なのに、人の顔を覚えるのは大の苦手です。
風鈴と言われて、意識せずに出て来る絵は、どアップの風鈴。
情景や映像は意識しないと出てきません。



優位感覚が「視覚」だったネタプロバイダーのAさんは、
まったく話がかみ合わない会話の経験を話してくれました。
Aさんは、話をするときに、よく図を書きながら話すそうですが、
相手の反応はイマイチで、通じていないと感じたそうです。
「今思えば、きっとその人は言語感覚が強い人だったのだと思う」。
Aさんは、そう分析します。



つまり、、、
自分の優位感覚を知っていると、効率のいい学習方法がわかりますし、
頭が混乱して、立て直したい時に駆使すべき能力がわかります。
また、相手の優位感覚をつかんでおくと、
相手が理解しやすい話し方ができます。


たとえば、、、
視覚優位の人とコミュニケーションするには、図を使うと効果的ですし、
体感覚優位の人には試してもらったり、書くなど体を動かしてもらうのが有効です。
聴覚優位の人には復唱したり、声に出して読んでもらうのが良く、
言語感覚優位の人には議論を通じて意味を咀嚼できるようにすることが重要です。


Aさんの体験のように、話しがかみ合わない時には、ちゃんと理由があるのですね。


そういえば、、、先週金曜日の私の出来事も。。。
当社のfacebook投稿のあり方で悩むZ氏に、
私は一生懸命助言しようとしたのですが、結局うまく行きませんでした。
視覚派のZ氏に合わない説明の仕方をしてしまったからかもしれません。
...とメルマガを書きながら反省する週の始まりです!


今週も元気に行きましょう!

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先々週の金曜日から月曜日にかけて、
急に思い立って北海道に旅行に行ってきました。
小樽に2泊、札幌に1泊のショートトリップです。
小樽で運河沿いの道を散歩していると、1軒のライブハウスがありました。
時間が早かったので、夕食を食べたら来てみようと思い、
夜になって行ったのですが、残念ながら、貸し切りで入れません。


翌日、懲りずにもう一度その店を訪ね、
オーダーをする時に聞きました。
「ライブは何時からですか?」
すると、
「さっきリハーサルをしていたので、
多分やると思うんですが、私は聞かされていないので、
確かなことはわかりません」


え〜!! 考えられますか? 
店長と彼は同じ空間で働いているのに、この回答!
結果的に大分待たされた後で演奏が始まりました。
でも、演奏の印象よりも、その時の店員さんの反応の方が
強く心に残っています。
彼はなぜあのように行動したのでしょう?


(1)彼には、自分の対処によって相手がどう感じるかの想像力がない。
(2)自分の応対に対し相手が不審に思おうが、どうでもいいと思っている。
(3)彼は、これまで何度もライブの予定を把握しようとしたのに、
   店長が無視するうちに、把握する気がなくなった。


他にもあるかもしれませんし、実際のところはわかりません。
ですが、人の良さそうな印象から、私には原因が(1)であるように見えました。
彼は、自分が人に影響を与えていることに気づいていないのではないか、と。

しかし、、、、


偉そうなことを書いていますが、
じゃあ自分はどうなの?と自問してみると、、、


やっぱり想像できていないし、
あんなところでも、こんなところでも、
人に影響を与えているとは思えていません。
正確に言うと、こんなところで影響を与えているのはわかっていても、
あんなところでも影響を与えているとは気づいていない。そんな感じです。
それは、私や彼だけでなく、きっとあなたもそうなのではないでしょうか。


彼の例は対面ですし、ちょっと極端な例かもしれませんが、
直接接触しなくても、私たちは人に快/不快を感じさせる、
そんな影響力を持っています。
ここでいう影響力というのは、「大きなもの」ではありません。
むしろ「小さなもの」で頻繁に感じるものです。

具体例を挙げると、、、、
誰かが使った会議室のホワイトボードが使いっぱなしだったら、
次に使う人は気分が悪い。
しかし、これは誰もがたやすく理解できるわかりやすい事例です。
ところが、実際には人それぞれ気になることが違います。
それは大抵の場合、価値観の違いや慣習から来るものです。


たとえば、私は、
使い切ったトイレットペーパーがそのまま残っていると気になります。
反対に、カッターの刃を出したまま放置して、社員に叱られます。
また、朝出社して、ゴミ箱のゴミを社員の誰かが捨ててくれていて、
とても気持ちがよくなります。
(毎度、ありがとうと言っていなくて、ごめんなさい to スタッフ)


接触しないつながりの中で、誰かが私のすること、あなたのすることを見て、
気分が良くなったり、悪くなったりしている。
良くなってくれたらうれしいけれど、
知らないうちに不快にさせていたら、イヤですよね。
なので、今日はいつも想像しないことをちょっと想像してみる、
お互いに週の初めだから、そんなことをやってみましょう!


では、素敵な1週間をお過ごしください!

picture (c) Pixabay

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こんにちは。


今日のテーマである「自己満足」という言葉、
どちらかというと肯定的には使われず、
否定的なニュアンスを含んで使われることが多いと思いませんか。
「自己満足に終わる」
「自己満足でしかない」
こんな使われ方をよくします。


自分自身や自分の成したことに対して、
独りよがりで悦に浸っているけれど、
満足しているのは自分だけで、他人を満足させられるものではない...
というような意味合いでしょうか。


人に向けて使うときは、
他人への目線が欠けていることに対して揶揄する言葉になり、
自分に向けて使うときは、
謙ることで批判をかわす意図も見え隠れします。

でもね、先日、ふと思ったんですよ。
他人より先に自分が満足しないものが、他人を満足させることはありえないな...と。
他人から褒められたり、他人を満足させることができても、
自分が満足しなければ、全然ハッピーじゃないし、
反対に、自分が満足して幸せだと思えれば、それで十分幸せだよね、と。

実は、セドナから帰って以降、
私の中で変化したことがいくつもあるのですが、その一つがこれです。
向こうで過ごしている間に、
ネイティブインディアンの血を引く占い師のような女性に出会いました。
その彼女に、こんなことを言われたのです。


「あなたはもっと自分のことを第一に考えるべきだし、
もっと好きなことをやって人生を楽しめ」。


人生が楽しくないと思ったことなど一度もなかったので、
最初はぴんと来ませんでした。
でも、「子どもの頃から、自分のことを後回しにする傾向があったでしょ」
と言われて、むむ、、、んー、たしかに。
思い当たったんですよね。


子ども時代のことよりも、むしろ今の自分について。
たとえば社長をやっているので、
「社長なんだから、仕事を優先するのは当然...と
いつも最初から譲歩していたんじゃない? 私?」
そんな疑問が湧いてきたのです。


誤解されても困るので、補足しますが、
実際には仕事は楽しいし、大好きです。
特に未来のことを考えたり、戦略的なことを考えたりしているときは、
本当にワクワクします。
だけど、それはもしかして「アタマが楽しんでいる」状態であって、
「ココロが楽しんでいる」のとは違うのかも、と
そんなふうに思いました。

振り返ってみると、長い間、
学生時代のように「好きだからやる」をしていませんでした。
表現したり、創作したり、人に見せたり、
100円で買ってもらったり。。。
学生時代はそんなことをして、まったくの自己満足でしたが、
間違いなく満足していました。


もう一度自己満足のために、「好きだからやる」をしようかなと、
そんな気になりました。

ですが、ここであなたとシェアしたいことは、
何かをするとか、しないとかの話ではなく、
自分の満足を最初に考えるということ、そして
それに対して簡単に譲歩しないということが、
幸せのために不可欠だという発見についてです。


仕事だってそうだと思います。
上司を満足させることよりも、
自分が満足することを先に考えてちょうど良いのでしょうね。
そうしたとしても、揺り戻しはあるのが社会ですから(笑


自己満足について、あなたはどう思いますか?


さ、5月もあと2日で終了ですね。
どうぞ良い1週間をお過ごしください。

(picture by:Justine Furmanczyk)

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こんにちは。
今日は「人の成長をどう応援するか」という話です。
我が身を振り返り、ちょっと反省したりしながら、
最近考えたことをシェアさせてください。


私自身の成長に関する願望は、
何歳になっても成長していたい、ということ。
私にとって、成長とは「良い方向に変化していく」とほぼ同義です。
で、私も含めて、誰しも変われるし、生涯成長できると信じています。


けれど、人にとって成長と変化は意味が違います。
成長 = 良いこと、望むこと
変化 = 面倒で不安であり、必ずしも望まないこと


部下や後輩の成長支援の役割を担う上司や先輩は
相手を思うあまりに、こんなことを考える。


「どうやったら、もっと伸ばせるだろう?」
「どうやったら、次のステージに行かせることができるだろう?」
「そのためには、こんなことが必要だ。今、足りないのは何々だ」
「そう変われるように、手助けしよう!」


そして、変化を促すようにアプローチします。


しかし、これでうまく行くことは、まずありません。
いや、間違いなくうまく行くことはないでしょう。
人は自ら変わることはできるけれど、
人が人を変えることはできないという前提に立てていないからです。


もちろん、私の発言やあなたの発言を
相手が主体的に受け入れて、影響を受けることはありますよね。
でも、その発言の意図が、相手を変えさせようというものだったら、
それは相手にとって強要になるので、返ってくる反応は、、、
服従か反発です。


私自身、これはもう失敗の連続で...。
あなたは変われるし、成長できると信じることは良いことだったとしても、
こう変わる「べき」だと言ったり、
私がそうなれるように手助けしたいと思い始めると、
おかしな方向に向かっていきます。


これは、上司と部下の関係に限らず、
親子関係でもパートナー関係でもきっと同じです。
相手を変えさせるという発想は、
不遜で傲慢ってことですよね。
それがわかるまでに私は時間がかかりましたが、今はわかります。
自分がされたら、イヤですからね。
でも、その時は善意のつもりだから気付けない。
善意という名の暴力を意図せず振るっているから怖いですね。


成長を「願う」と「強要する」の間にある違いは、何でしょうか?
それは、成長を促し、手助けをしようとした自分の行動を
相手が受け入れてくれない時に、どう感じて、どう行動したかで判断できます。
批判したり責めたくなっていたら、それはもはや強要ですよね。


「なんでアイツは反発するんだ!?」と感じたら、
それは多分思いやりという名の強要になっている可能性があります。


厄介なのは、相手が一見受け入れているように見えて、
実は服従している時。
特に上司部下などヒエラルキーのある関係では、起きがちですよね。
服従は負のエネルギーを内側に蓄えてしまい、
最後には巨大地震を引き起こすので、早めに気づき向き合いたいものです。


人を応援するのは良いこと。
「変えさせよう」とはしないこと。
それを知っているからといって、即実践できるわけではありませんが、
知っていれば、できなかった時に反省できます!
それを肝に銘じて、今週を良い1週間にしたいと思います。
ビデオも観てくださいね〜!

Have a nice week!

相変わらず下手な話っぷりですが、案外いいことを言っていますよ、私 ←自画自賛
毎回というお約束はしませんが、今回で2回目です。


動画をアップするというのは、私にとって、めっちゃチャレンジでした。
ですが、完璧にやろうとするとできなくなるので、
気負わずにやろう、噛もうが何しようが原則一発撮りにしよう、
これをマイルールにしました。
当社メルマガを読んでくださっている方の中には、
お会いしたことのない方、大勢いらっしゃいますが、
それでも読んでくださっているというのは、何かのご縁です。
そして、気に入るかどうかは結局フィーリングですよね。
動画を見て、フィーリングが合うなと思っていただければ幸い。
フィーリングが合わないなと思われて、配信解除されても、
それは仕方のないこと。素直に受け止めます。

さて、前置きが長くなりましたが、今日のテーマは「思い込み」です。


実は最近いろいろな方に積極的に会うようにしています。
それも面識はあるけれど、それほど近くない人にお誘いのコンタクトをして、
お食事というか、飲みというか、アポを申し込むのがコンセプト。
そうすると、こんな反応があります。
「誘われるなんて、意外だった。
だって、小野さん、社長だし...。
仕事でもない相手と、飲みに行きそうなイメージがなかった」。
つまり、社長だから忙しそうだと思われているということです。


そう言われても、正直驚きません。
だって、友だちにさえそう思われているからです。
まゆみちゃんは...
まゆみさんは...
まみは...
まゆは...
まいは...
と、私の呼び名は関係によって変わりますが、
その後に続くのは、たいていこういうセリフ。
「忙しそうだから、時間ができたら、誘って!」


おいおい、友だちでしょ!?
遠慮しないで、そっちからも誘ってよ!


ですが、振り返ってみると、
私も同じような気持ちになることがあるから、人のことはいえません。
たとえば、家庭がある友だちは、日曜日には誘わない方がいいだろうな、とか。
でも、おそらくこれも思い込みなんですよね。
尋ねたことがあるわけではないのですから。


思い込みって、人間にとっては避けて通れませんが、
その中でも人をグルーピングして決めつける「〜だから〜」という思い込み、
結構私たちを縛っていますよね。
彼は「社長だから」、忙しい。
彼は「ゆとり世代だから」、飲みに誘われるとイヤに違いない。
彼女は「時短だから」、新しいことにチャレンジしたくないだろう。
彼女は「3年もこの部にいるだから」、そろそろ異動したいはずだ。


で、面白いことに、大抵こういう心理って、
実は自分へのエクスキューズなんですよね。
アクションして断られて、自分が傷つきたくない。。。
相手を原因に、自分を正当化する理由を見つけたい。。。


思い込みによって、どれだけ自分に制限をかけているのでしょうか。
それがなかったら、簡単に誰かに会いに行けるかもしれない。
簡単に誰かと飲めるかもしれない。
簡単に誰かと一緒に新しいチャレンジができるかもしれない。


でも、人が思い込むのは人間だからです。
だから、避けることは多分ムリ!
せめてリカバリーをかけることを心がけたいものですね。
思い込みを手放すと、自分が自由になるのですから。
永遠のテーマですね。


桜のピークが去って、花吹雪になりそうな今週。
どうぞ良い1週間を!


PS:このブログはメルマガでも配信させていただいています。

160322_hope.jpg今日のテーマは「希望」です。
これを書こうと思った直接的なきっかけは、先日、ある人と話していたとき、
「『希望』は自分の中にある」ということが話題に上ったからです。
で、私のところにくる様々なご相談も「希望」という切り口で見ると、
いろいろあるなあと思いました。
と、同時に、これを読んでいる皆さんも、
ご自分の希望と絶望、部下や後輩の希望と絶望に
年に1度ぐらいは直面しているのではないかとも思ったからです。


私のところに来るご相談を「希望」という切り口で表現してみると、、、
・ある人からは、希望を失いそうになりながらも、
 何とか壁を乗り越えたいという思いを感じます。
・別のある人からは、今はうまく行っていないけれど、
 絶対にもっと良くできるという確信的希望を持っていると感じます。
・あるいは、なんだか話の最初は混沌としていて、
 相談内容もよくわからなかったのに、
 お帰りになるときには、希望を持った強い表情で帰る方もいます。
・さらに、人によっては現状を諦め、新天地に希望を持って、
 退職の挨拶に来られる方もいます。


で、そういう方と接していて感じるのは、
結局希望がどこにあるかといえば、自分の中なのだなということです。
人にとって、「希望」は生きる糧。ですが、人は希望を失うこともあります。
「希望」の反対は「絶望」です。
あなたは、「絶望」したことはありますか?


私は、大中小取り混ぜていうと、これまでに何度か(も?)あります。
だって、30年以上やってると、そりゃ、ありますよ〜!
1週間ぐらいで回復できたものから、回復に数年を要したものまでいろいろね。


もっとも「懐かしい絶望」は、30代の前半から中盤の頃のものです。
バブルの影響もあって、毎週1本企画書を書くというような多忙な状況で、
時間が足りないから毎週週末にこぼれるわけです。
お金は結構稼いでいたのですが、毎週末仕事では幸せなわけがありません!
仕事三昧という八方塞がり。どうしていいかわかりませんでした。
忌野清志郎が「自分はうつ病で病院に行った。早めに病院に行くに限る」
という記事を読んで、「あれ? 私もうつ?」そう思いました。


それで実際、心療内科でカウンセリングを受けたことがあります。
ですが、、、これがなんというか、、、気が短い私には合わないんですぅ。
これを続けていても、ラチがあかん、と(笑
で、通院はやめて、ひたすらやりたかったこと、我慢していたことをやりました。
バイクの免許を取りに行くとか、小説を書くとか。


で、結局やってみたら、実はそれほどやりたいわけではないことがわかった。
それでようやく自分が他責で自分の人生を見ていたことに気づきました。
希望を持つか、絶望するかは、結局自分次第なんだな、と。


さて、、、、
希望の持ち方によって絶望的な状況でも人は生きられるという話が、
「ビジョナリーカンパニー(2)飛躍の法則」に出てきます。
それは、「ストックデールの逆説」です。
ストックデールは、ベトナム戦争で7年半の間、戦争捕虜を経験し、
生還したアメリカ軍パイロットです。


「ビジョナリーカンパニー(2)」でストックデールは次のように語っています。
20回以上の拷問を受けたにもかかわらず、希望を失わずに生き延びたのは;
「わたしは結末について確信を失うことはなかった。ここから出られるだけでなく、
最後にはかならず勝利を収めて、この経験を人生の決定的な出来事にし、
あれほど貴重な体験はなかったと言えるようにすると」


それに対し、希望を失っていった人々というのがどんな人たちだったかというと;
「楽観主義者だ。そう、クリスマスまでには出られると孝える人たちだ。
クリスマスが近づき、終わる。そうすると、復活祭までには出られると考える。
そして復活祭が近づき、終わる。つぎは感謝祭、そしてつぎはまたクリスマス。
失望が重なって死んでいく」


そう、失意が重なると、人は希望を失い、エネルギーを失い、
生きる気力がなくなりますよね。
だからこそ、そうなることを避けなければいけません。


で、「ストックデールの逆説」を端的に理解するのに良い言葉を紹介します。
私は、30代の頃、シュガーレディの創業社長/故・佐藤啓次郎氏の
社内報や社史に掲載するメッセージづくりを頼まれていたのですが、
インタビューをしたある日、ご自分の好きな言葉として、
こんな言葉を挙げられました。
「希望的観測は捨てよ。されど希望を忘れるな」
むむむ、これはまさにストックデールの逆説を端的に表した表現ですよね。


さて、、、
希望を失いそうになっている部下や後輩に寄り添う時は、
絶望を乗り越えた今の自分からというよりも、
希望を失いそうになった過去の自分の目線で言葉をかけたいものですね。


またある日、自分自身が希望を見失いそうになったなら、
「希望は自分の中にある」、
それを思い出したいものですね。


自分自身が「希望」とどう付き合っているか、
自分の周りの人が今希望を持てているか、
お互いに、一緒に、今日は「希望」という切り口で
セルフチェックをかけてみませんか?
そうすると、新しいエナジーが湧いてくる気がします!


もうすぐ桜の季節です。今週も、どうぞ良い1週間を!

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ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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