ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2026年3月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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今日のメルマガは、私にとっては社長の立場でお送りする最後の号になります。
と言っても、取締役としてもう1年間は常勤で在籍していますので、
メルマガ自体が最終回という訳ではありません。
とはいえ、ケジメはケジメです。
今日まで当社をお引き立ていただき、代表者として心から御礼申し上げます。
本当にありがとうございました!

さて、昨晩、私は、「今、自分はアーク(Arc)を閉じようとしているのだな」と実感しました。
アークって?と思われると思いますので、
まずは、少しだけ私が学んだアークの話を紹介させてください。
アーク(Arc)というのは、「孤」のことですが、物語の区切りというような意味でもあります。


12年ほど前にリーダーシップを学ぶため、あるワークグループに参加していました。
1年がかりの体験学習で、延べ22日間にわたり御殿場の合宿所で過ごしました。
そのときに学んだことの一つに、
「リーダーはアーク(Arc)を閉じなくてはならない」というものがありました。


物事や対話、あるいは体験などについて、未完了のまま放置したりせず、
意識的に完了させることが大切だという考え方だったと記憶しています。

誤解がないように補足すると、「アークを閉じる」というのは、
ただ単にタスクを終えるということではありません。
コミュニケーションや関係性、あるいはプロセスそのものについて、
リーダーがちゃんとピリオドを打つことの大切さを説くものです。


私たちは日々、身近な他愛もない会話や、少し大きめのプロジェクトを開始します。
でも、ともすると、それらを明確に終えないまま次の対象へ向かってしまう経験、
誰にでもあるのではないでしょうか。
この中途半端な「未完了」の状態は人や組織、人間関係のエネルギーを奪い、停滞をもたらすので、
だからこそリーダーはそうならないように、閉じるべきときがきたら、アークを閉じよ、
それがこの「アークを閉じる」のコアなコンセプトだと思います。
かくいう私も、三、四十代の頃、自分の興味から始めたプロジェクトなのに、
そのうちに熱が冷め、社員から「アレはどうなったのか?」と問われ、
しばしばお詫びしたものです。

また、プロジェクトのような大きなことではなくても、
たとえば会議。
さっきの話題はどこで立ち消えたのかな?というようなことは、
多くの人が体験しているはずです。

開いたアークを、意図的に完了させることで、消化不良や不完全燃焼が解消でき、
周りのみんなが次のステップに向かって、気持ちを切り替えることができます。
そして、この「アークを閉じる」は単なるしゃんしゃん的な儀式ではなく、
ちゃんと完了させるための対話をするなど、締めらしい締めがあるからこそ、
関わった人たちのアークも閉じていくのだと思います。
そんな学びを思い出しながら、「今、私はアークを閉じようとしているのだな」と実感した次第です。
だとしたら、社員に対しても、けじめのメッセージを送るべきですよね。
やっておこーっと。


さて、自分が始めたアークを自分で閉じようとする中で、いろいろな自問が湧いてきました。

私は、社長であろうとなかろうと、自分の素直な好奇心に従って、生きてきただろうか? とか、
反対に、自己中心的な基準ではなく、責任者として責任逃れをせずに行動してきただろうか、とか、
自分が信じることに対し、偽りなく行動してきただろうか、とか、
ずっとチャレンジできていただろうか、とか、
自己欺瞞や二枚舌に陥ることはなかっただろうか、とか、
臭いものに蓋をして、やり過ごしてきたことはなかっただろうか、とかとか。。。


そう問いかけてみると、ほぼほぼイエスと胸を張れます(笑)
逆に言うと、胸を張れそうなことに限って自問しているのかもしれませんが(大笑)
私は自分に100点はあげない主義(それだと自分の伸び代がなくなる気がするから)ですが、
でも、まあ70点ぐらいは与えても良いかな。


人生のアークも、日々のアークも、閉じたり、開いたりするものです。
社長のアークを閉じたからといって、好奇心まで閉じる必要はありませんし。
そんな心持ちで、来年の3月末まで自分にできることを精一杯考えながら過ごして参ります。
明日から、経営のバトンを岡崎に引き継ぎます。
新体制のグラスルーツも引き続きよろしくお願いいたします。

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昨日、社内で、コンテンツの企画をテーマとした
広報部門向け研修会のデモ兼テストを行ったのですが、
読み手の心理を探求するセクションで、こんなワークをしてもらいました。

Q あなたが仕事をしていて気持ちが上がるのは、どんなときか?
  反対に下がるのは、どんなときか?
人の欲求とモチベーションについて紐解くための一コマです。

テストに付き合ってくれた若手社員のKさんは、
自分が一生懸命考えたことに対してダメ出しされた理由に納得がいかないときに
気持ちが下がると話してくれました。

実は、この問いかけはさまざまなセミナーの場でしているのですが、
Kさんのように答える方は少なくありません。
私はその回答に興味があったので、本来なら突っ込んで聞きたかったのですが、
場の目的からズレてしまうので、そのままスルーしました。
彼に尋ねたかったのは、納得できないときに、どうするか、です。


実は、昨年からの採用面接で、自分が周りの人と違う意見であるときや、
これはおかしいと思ったときなどに、
発言するかを尋ねるのですが、
場が気まずくなりそうだったり、話が面倒なことになりそうなら言わない
と答える人が圧倒的に多い印象です。
人間関係やコミュニケーションでの振る舞いの基準が「波風」であるようです。
優秀そうに見えた20代の男性に、
「では、仮に侮辱されたとしたら、どうします? 飲み込みますか?」
と聞いたら、やはり飲み込むという回答でした。


当社では、意見を述べることを波風が立つことだとは考えていないので、
むしろ意見を言う人を採りたいし、
今までは発言してこなかったけれど、しても良いならしたい人を採りたいです。


意見を述べることや議論することを、なぜ多くの人が「波風」だと思うのでしょうか。
面倒な人、空気を読まない人と思われたくない。
そんな心理が人を貝にしてしまうのかもしれませんね。
でも、せっかくの意見を場に出さないなんて、もったいないなぁ。


納得ができない場合も、多くの人はそれを飲み込むのでしょう。
この場合、単に波風だけが飲み込む理由ではなく、
それを言えない/言わないのは、相手にアタマに来ているからでもあるのでしょう。
感情的になりそうなときに、人はそれを出さないようにコントロールしますよね。
それ自体は、むしろ大人な対応と言っても良いと思いますが、
本当は納得できない対象は相手ではなく、却下された理由のはず。
その理由をきちんと聞く。どういう説明がほしいのかを言う。
普通のコミュニケーションとして、相手を責めずに話すことは可能なはずだと信じたいです。


だから、どうした?という話であるのを承知で、私の考えを書きますと...
思っていることがあるのに、飲み込む方が、腹に一物あるようで、
健康的ではない気がしますし、その状態に陥ったら生理的に気持ちが悪いです。
あ、これは生理的なものだから「考え」ではありませんね笑
そして、その気持ちの悪さは価値観からくるものだと思うので、
何が正しいというのもない。
ただ、私がそういう人間だというだけのことです。
私にとっては、価値観であり、美意識であり、オーバーに言えば生き方なのですが。
あれ、そう考えると、これはやっぱり「考え」だと言ってもいいのかしら?
いえ、もちろん私だって、意見を言うタイミングを察ることもありますし、
思っていることは常に言うというわけではありません。
でも、前提として、波風だとは思っていないわけです。


日本人が大切にしてきた「和」というのが、調和の和なのだとしたら、
波風を立てないことは、必ずしも調和をもたらしているとは言えません。
というのは、調和というのは、意見の違いがあっても、
お互いを尊重しながら、より良い方向を一緒に探すことだと思うからです。
違和感があるときに、違和感があると述べる。
納得ができないときに、納得できないと述べる。
その先に調和があるような気がします。

なーんて書きながら、なんだかもっともらしそうに書いているだけじゃん、
という気持ちになってきました。
期末のせいか慌ただしい今日この頃であることを言い訳に、
乱筆乱文で失礼いたします。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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