「スキル」の前に「原理原則」〜抽象的なものを学ぶコツとは?
先週から当社主催のセミナー活動が始まりました。
毎月1回開催を目指して、企画力と文章力の養成をテーマにお届けしていきます。
5月の開催は、企画力:17日(火)、文章力:19日(木)です。
さて、抽象的なことほど、人に教えるのはとても難しいです。
皆さんも、部下や後輩に伝票の書き方を教えることはいとも容易くできても、
ヒアリングや取材の仕方を教えることは難しいと感じますよね。
企画力や文章力の養成も同じです。
どうしたらより良い企画が立てられるのか、
どうしたらより良い文章が書けるのか、
そもそも企画、文章に「正解」があるわけではないからこそ、
教えるのが難しいのだと思います。
そして、その結果、往々にして起きがちなことは、
たくさんの「技術」を教えるということです。
多くの書籍がそういう内容になっています。
そうなりがちな理由を推測してみると、
おそらく企画も文章も「スキル」であるという見方があるからかもしれません。
ビジネス用語としての「スキル」という言葉には、
訓練や経験を通じて得られる技能や技術といったイメージがあります。
そうした視点で考えたら、技術を教えるというアプローチも
あながちおかしいとは言えません。
しかし、、、
私が教えられる側なら、技術よりも先に原理原則を知りたいです。
というのは、技術やワザというレベルで言い出すと、
ものすごくたくさん身につけるべき事柄が出てきます。
たとえば、洗い出してみると100のワザがあったとして、
それを身につけようとしたら、どのくらい時間がかかるでしょうか。
またワザだけ覚えていても、なかなか応用は効きません。
原理原則がわからないからです。
当社のセミナーの内容は、当社の社員教育の中から生まれてきたもので、
いかに早く自律的に仕事をしてもらえるようにするか...との視点から
ノウハウを確立してきました。
そのためには、応用力の強化が重要であり、
応用力の養成には原理原則を知ることが不可欠だと考えてきました。
原理原則、すなわち認識や判断、行動の基本法則です。
それがわかっていれば、自分のアウトプットを自分でチェックできますが、
それがなければ独りよがりな仕事になっていても、気づくことができません。
少し乱暴な表現になりますが、具体的かつ端的に言うと、
文章力でいえば:
「〜(について)は、〜が大切です」という独自の視点を持つことであり、
企画力であれば:
企画は何かをより良くするためのものなので、
BeforeとAfterを規定するということ、
さらに、ターゲット、メッセージ、読後行動、ベネフィットという
4つの肝を押さえること...これが、重要な原則です。
企画でも文章でも、構成を考えるのは、その後の話です。
(ちなみに、文章に関しては、こちらの記事も参考になるかと思います)
私がここでお伝えしたいのは、原理原則の中身が何であるかではなく、
スキル(技術)の前に原理原則を知ることが大切ですよね、という話です。
ご興味がありましたら、下記のリンク先でぜひ詳細をご覧ください。
企画力
https://www.grassroots.co.jp/seminar/2016/03/post-17.html
文章力
https://www.grassroots.co.jp/seminar/2016/03/post-16.html
今週もどうぞ素敵な1週間でありますように!
決めたことを守らない勇気
先週は休暇をいただき、米国アリゾナ州のセドナという町に行って来ました。
赤い岩山に囲まれたセドナは、まるで別の星のような印象の土地。
クルマを借りて、大自然を満喫してきました。
なんと20年ぶりの一人での海外旅行。ドキドキでした。
一人で旅をすると、たくさんの気づきがありますね〜
今日はそのシェアをさせてください。
一人旅ということは、その日の自分の行動は全部自分一人で決めていいわけです。
また一度決めたからといって、途中で方針変更したっていいんですよね。
誰に相談する必要もない。
ところが一度決めると、結構それに縛られる自分がいることに気づきました。
例えば、、、
セドナにはボルテックスといって、
エネルギーが渦巻いているパワースポットがいくつもあります。
観光客が目指すのは、そこにあるハイキングトレイルです。
ある日私が目指したのは、ボイントンキャニオンにある有名なトレイル。
ところがホテルから車で20-30分で着くはずなのに、道に迷ってたどり着けません。
でも、その辺りにはたくさんのトレイルがあるのですから、
当初のプランにこだわりさえしなければ、いくらでも自然は満喫できます。
結局は運良くたどり着けましたが、1時間半もかかってしまいました。
でも、状況から言って、見つけられる保証はありませんでした。
人に道を聞いても、お互い観光客なので、誰も正しい答えを知らないからです。
つまり、あのまま彷徨って、骨折り損のくたびれ儲けになったかもしれません。
そして、迷っている最中に、
自然を楽しむという本来の目的を優先すればいいじゃないか、
という内なる声が聞こえてきたのですが、
なんかこうギブアップするようで踏ん切りがつかないんですね〜
これ、仕事ではとても危険なことだと思います。
旅行中のもう一つの出来事で、こんなこともありました。
ベルロックという釣鐘の形をした岩山があって、
ここも有名なボルテックスで、観光客に人気の場所です(写真)。
高いところまで行かなくても、途中まで行こうと思って登って行きました。
でも、ドキドキするぐらい怖いんです。
しかも、中途半端に登ってしまうと、すぐには引き返せません。
で、、、
ご想像の通り、登るよりも降りる方がもっと怖いのです。
幸い素敵な男性が手を貸してくれて、無事降りることができましたが、
この時もせっかく登ろうと思って来たのだから...という心理が働いていました。
決めたからといって、方針は変えていいし、
むしろ勇気を持って変えた方がいい場合がありますよね。
撤退などは、その最たる例だと言えます。
で、その時にリーダーにとって大事なのが、
きちんと説明するということだと思います。
というのは、自分でさえ方針を変えることに抵抗感があるのですから、
メンバーだって同じだと思います。
リーダーにとって方針を決めるのも決断。
変えるのも決断。
時には、変える勇気を持たないといけないな...と
そんなことを考えさせられました。
山から降りられなくならないように。
では、今週が良い一週間でありますように!
「お金」は生き方、信頼の築き方
今日は「お金」の話です。
というのも先日ある人と話していたときに、
結局誰かを信用できるかどうかは、お金がバロメーターになる...
金銭的責任をまぬがれようとして逃げる人は信頼できない...と
という話になったからです。
確かに。親子、夫婦、友人、恋人、上司部下...、
あらゆる人間関係でお金を軸に、人は相手の価値観を推し量っていますよね。
ですので、今日はお金を巡っての信頼関係について考えたいと思います。
私は、お金に関する個人の行動は「価値観」の表れであり、
「生き方」と言っても過言ではないと思います。
たとえば、、、、
ある人は、収入を得ても、お金をまったく蓄えずに生きていきます。
ある人は、貯金が第一で、使う時は慎重に慎重を重ねて使います。
ある人は、昼食代を人に借りたのに、返すのを忘れてしまいます。
ある人は、貸した昼食代を返してほしいと言えずに悶々とします。
ある人は、クラス会の後の二次会で、必要ないのに友だちにご馳走したりします。
ある人は、ご馳走になることを嫌い、決して「甘えるね」と言いません。
ある人は、お金を借りようが、得た後はそれを忘れて奔放に振る舞います。
ある人は、お金を人から借りるなんて、ありえないと思っています。
ある人は、年上なんだから自分が多めに払わないと...と思っています。
ある人は、住宅ローンを組むことは、縛られて生きることだと思っています。
ある人は、どうやったら大富豪になれるかを考えて生きています。
ある人は、自分はこのくらいの収入が身の丈だと思って生きています。
これを読んでくださっているあなたご自身も、お金に関する人の思考や立ち振る舞いを見て、
あれ、自分とは違うなと思ったことはあるのではないでしょうか。
なんか、うちの上司、セコいなあ...と思って、幻滅したこともあるかもしれません。
反対に、部下の金銭感覚的なモラルが低くて、
どう指導しようか悩む...という方もいるかもしれません。
悪い例ばかりでなく、感化されるような金銭的な価値観に出会うこともある。
私自身は、、、、
お金で信頼できない人とはビジネスをしません。
たとえば、納品完了後に値切ってくるとか、
発注責任をうやむやにして、キャンセルしようとするとか、
◯◯が入金されたら支払う、と無関係なことを持ち出すとか。
でも、私の常識は意外にも社会の常識ではないらしく、
そういう輩も社会には案外たくさんいます。
そんないい加減な人との関係は保たないとしても、
だからと言って正論を振りかざし、交渉を受け付けないわけではありません。
仕事ですので、最初と今とでは状況が大幅に変わってしまい、
当初の想定通りには行かなくなってしまうことはお互いにあります。
そんなとき、自分のことばかりでなく、お互いの立場を鑑みて、
フェアな態度で落としどころを探れるかどうかが、
信頼関係を築くためにとても大切だと思います。
そう、ビジネスにおける信頼関係は、むしろ状況が変化した場合にこそ
築けもするし、損なわれもすると言えるのではないでしょうか。
今日の視点のその1は、《状況変化の時こそ、金銭的な関係が
信頼関係を分けます。その時何を大切にしますか?》です。
さて、お金問題の中でも、人の価値観を左右する基準の一つが、
お金を「借りる」ことに対してだと思います。
多くの人は、「お金は借りたくない」と思っています。
ある意味、健全なことだといえますよね。
でも、この「借りたくない志向」の奥には何があるのでしょうか。
実は、人に頭を下げたくない、とか、
借り入れることによって、負い目を感じたくない等々があるのではないでしょうか。
つまりは、金銭的「借り」以上に、精神的に「借り」をつくるのがイヤだ、
ということがあるのかもしれません。
でも、、、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
私たちは、一人では生きていけません。
仕事をして、それにお金を払ってくれる人がいて、
それが報酬という糧となって暮らしていける。
誰かのおかげで暮らしています。
その時点で、「借り」を作って、「借り」を返しながら生きています。
「借り」を作らずに暮らすことなどありえないのではないでしょうか?
だとすれば「借りを作りたくない」という考え自体が不遜なのかも。
私はお金を借りることを悪だとは思いませんし、
そこに負い目を感じる社会に発展はないと感じます。
ありがたく借りて、それを有効に使って発展させることが
貸してくださった相手への信頼に応えることだと思います。
そのために、絶対に約束は守らなければなりません。
お金はむやみに借りていいものではありませんが、
「借り入れ = 悪」というふうに考えるのは、
人生を狭め、ビジネスを狭めるだけのような気がします。
というわけで、今日の視点のその2は、
《精神的に借りを作りたくないと思う人生と、そもそも人に借りて生きるのが人生であり、
それを返すのが人生と、どっちを生きますか?》ということです。
お金を巡る関係は信頼関係の基本要素であり、そこに人それぞれの価値観が現れます。
お金を侮ると、信頼は築けません。
この機会にご自身の価値観を振り返ってみてはいかがでしょうか。
さささ、、、、
今週は休暇をいただきセドナに行き、心を洗ってきます。
どうぞ良い1週間をお過ごしください!
PS:よろしければビデオもご覧ください!
「〜だから〜」という思い込みを手放すと...?
相変わらず下手な話っぷりですが、案外いいことを言っていますよ、私 ←自画自賛
毎回というお約束はしませんが、今回で2回目です。
動画をアップするというのは、私にとって、めっちゃチャレンジでした。
ですが、完璧にやろうとするとできなくなるので、
気負わずにやろう、噛もうが何しようが原則一発撮りにしよう、
これをマイルールにしました。
当社メルマガを読んでくださっている方の中には、
お会いしたことのない方、大勢いらっしゃいますが、
それでも読んでくださっているというのは、何かのご縁です。
そして、気に入るかどうかは結局フィーリングですよね。
動画を見て、フィーリングが合うなと思っていただければ幸い。
フィーリングが合わないなと思われて、配信解除されても、
それは仕方のないこと。素直に受け止めます。
さて、前置きが長くなりましたが、今日のテーマは「思い込み」です。
実は最近いろいろな方に積極的に会うようにしています。
それも面識はあるけれど、それほど近くない人にお誘いのコンタクトをして、
お食事というか、飲みというか、アポを申し込むのがコンセプト。
そうすると、こんな反応があります。
「誘われるなんて、意外だった。
だって、小野さん、社長だし...。
仕事でもない相手と、飲みに行きそうなイメージがなかった」。
つまり、社長だから忙しそうだと思われているということです。
そう言われても、正直驚きません。
だって、友だちにさえそう思われているからです。
まゆみちゃんは...
まゆみさんは...
まみは...
まゆは...
まいは...
と、私の呼び名は関係によって変わりますが、
その後に続くのは、たいていこういうセリフ。
「忙しそうだから、時間ができたら、誘って!」
おいおい、友だちでしょ!?
遠慮しないで、そっちからも誘ってよ!
ですが、振り返ってみると、
私も同じような気持ちになることがあるから、人のことはいえません。
たとえば、家庭がある友だちは、日曜日には誘わない方がいいだろうな、とか。
でも、おそらくこれも思い込みなんですよね。
尋ねたことがあるわけではないのですから。
思い込みって、人間にとっては避けて通れませんが、
その中でも人をグルーピングして決めつける「〜だから〜」という思い込み、
結構私たちを縛っていますよね。
彼は「社長だから」、忙しい。
彼は「ゆとり世代だから」、飲みに誘われるとイヤに違いない。
彼女は「時短だから」、新しいことにチャレンジしたくないだろう。
彼女は「3年もこの部にいるだから」、そろそろ異動したいはずだ。
で、面白いことに、大抵こういう心理って、
実は自分へのエクスキューズなんですよね。
アクションして断られて、自分が傷つきたくない。。。
相手を原因に、自分を正当化する理由を見つけたい。。。
思い込みによって、どれだけ自分に制限をかけているのでしょうか。
それがなかったら、簡単に誰かに会いに行けるかもしれない。
簡単に誰かと飲めるかもしれない。
簡単に誰かと一緒に新しいチャレンジができるかもしれない。
でも、人が思い込むのは人間だからです。
だから、避けることは多分ムリ!
せめてリカバリーをかけることを心がけたいものですね。
思い込みを手放すと、自分が自由になるのですから。
永遠のテーマですね。
桜のピークが去って、花吹雪になりそうな今週。
どうぞ良い1週間を!
PS:このブログはメルマガでも配信させていただいています。