「フェア」であること
エコカーの実験を国土交通省が行ったというニュースをテレビで観ました。エコカーは、従来の自動車に比べて、音がしないので、視覚障害や聴覚障害の方たちにとって、恐怖になっていることから、実際、どのくらい知覚しにくいのかを調べたり、どうすればより良いエコカーになるのかの検討材料を出すために実験は行われたようです。
「騒音公害」という言葉があるように、エコカーが騒音を出さないことは、大多数の人たちにとっては良いことであるはずですが、それをもって少数の人たちの気持ちを無視して良いということにはなりません。ましてや、これからは高齢社会です。ワタシの父もそうですが、大分耳が遠くなってきました。恐らくエコカーではないクルマが後ろから近づいてきても、気がつかないのでは?と心配しています。
ですから、少数派が安心して暮らせること(何らかの音を発するクルマにすること)を満たした上で、多数派にとっても騒音と感じない心地よい音をクルマに搭載してほしいと思います。信号機に使われている「カッコー」や「ピヨ」や「通りゃんせ」である必要はないはずです。
そうしたことに上手に配慮した上で、多くの人が納得できる(あるいは、反発を感じない)社会になるといいですね。
今日、うちのスタッフとの雑談の中で、ダイバーシティ(多様性)が話題に上りました。クライアントの社内的動きでもあったからです。ダイバーシティというと広過ぎますが、今日話したのは、特に企業における女性登用の取り組みにについてでした。
チカラのある女性の活用に関しても、エコカーと同じようなアプローチが必要だと感じます。企業サイドにおける80年代的な企業イメージ向上目的(単なるカッコつけ)のための女性の登用であったり、女性サイドにおける60年代的フェミニズムを叫ぶのではないやり方、すなわち多くの人がフェアと感じるやり方で、企業のダイバーシティが進むことを望みます。
キーワードは「フェアであること」。これは、これからの社会、これからの企業のあり方を考える上で、とても大切なキーなのではないでしょうか。