ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

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『育成・成長』カテゴリの記事

 

やる気.jpg

LIFEというコント番組があります。
NHKで2012年から放送されている長寿コント番組です。

この番組を率いているのがウッチャンこと内村光良氏。
今年61歳だそうです。

先日、LIFEにレギュラー出演しているタレントが
番組を語るインタビューを視聴しました。
出演していたのはココリコの田中氏とドランクドラゴンの塚地氏。
LIFE初回からずっと登場している2人はお笑い界ではベテラン
現在は、俳優としても活躍していますね。

インタビューで、2人はこう言っていました。

「13年もやっているのに、LIFEは毎回とても緊張する。
いいものをつくろうと毎回気合いが入る」

LIFEの現場は、スタッフとタレントが一つになり、
チーム全体でていねいにコントをつくっているそうで、
そのこだわりは他の番組とは比べものにならない。
そう語っていました。

LIFEには毎回、ゲスト出演者もいて、
ほとんどのゲストが、コント慣れしていないという理由で、
彼ら同様、とても緊張しているそうなのですが、
実は、出演者の中で、毎回一番緊張しているのは
ウッチャンだと言っていました。

「内村さんは、毎回、誰よりも緊張しているし、
誰よりも練習する。収録前に僕たちが立ち話をしている時も、
内村さんは、1人で壁に向かってセリフの練習をしている。
そんな内村さんの姿をみんながずっと見てきているので、
僕らは背筋が伸びるし、いいものをつくろうと真剣になる」

この話、とてもいい話だと思いました。

彼らが全力で取り組んでいるのはコント。
かつらをかぶったり、顔にシワをかいたり、青く塗ったり、
大きな髭をつけたりして芝居をしています。

たった数分のお笑いですが、彼らは真剣勝負。
50歳を超えたベテランコントマンたちが、
毎回、全力投球しているんだと思うと
胸が熱くなります。

このインタビューを視聴したあとに見た、
LIFEの新作コントで、ウッチャンは
卵黄を模した、丸くて大きな黄色い被り物をし、
ピコピコ音がなる靴で登場しましたが、
その姿を見てウルっときたほどです。

インタビュー番組では、
ウッチャンのコメントも流れていました。

「田中と塚地はLIFEの風神、雷神。
彼らがいなければなり立たないし、
こんなに長く続けてくることはできなかった」

スタジオにいた2人がグッと涙をこらえたのは
言うまでもありません。


背中を見て学ぶ。

最近はまったく聞かなくなったワードですし、
こんなこと言おうものなら「今は令和だぞ」とか
言われちゃうのでしょうが、
LIFEの現場では、きっと、上の人の背中を見て学ぶ
ということが繰り返されているのだろうなと思いました。

芸の世界だから特にそうなのかもしれません。
でも、学ぶ必要性を強く感じて、成長したいと思えば、
現場がどこであれ、自ずといろいろなところから
盗もうとするのかなと思います。

ところが、世の中、ていねいに教えないと学んでもらえない
ということになっていますよね。
特に会社なんかはそうです。

それは、会社にいる人たち全員が
「この仕事で成長したいんです」と、
強く思っているわけじゃないから。

会社のような場は、
いろいろな温度感の人がいるのが当然。
均一に学べるフォーマットやマニュアル化された
教育プランや教材がないと教えることも
学ぶことも難しいのだろうなと思いました。

でもですよ、こうも思いました。

そういうフォーマット的なものがあったところで、
やっぱり、学びたい欲が強くない時は刺さらない。
自分が学ぶ側に立った時を想像してみても、
興味や、学ぶモチベーションがなければ
意欲的に吸収する姿勢には
なかなかなれないと思います。

そんなわけで、いろいろ書いてきましたが、
結論として思ったことは、
学ぶには「モチベーション」が必要、ということ。

純粋な学習欲じゃなくても、
クリーンな成長欲じゃなくてもいいと思います。
お金を稼ぎたい、モテたい、でもいいと思う。

モチベーションがあれば、
マニュアルなんて逆になくても、
背中を見て、いろいろ盗んでいくのだと思いました。

モチベは大事。
あらためてそう思います。

さて、4月もすぐそこですね。
当社は引っ越しを終えたばかり。
私は花粉で毎日瀕死ですが、
あらたな気持ちでまいります!

撮影.jpg

私の中で、第3次カメラブームがきています。

第1次は30年くらい前。
安いフィルムカメラを買って、モノクロフィルムで、
それっぽい写真をほぼ感覚で撮影して、
現像した写真のそれっぽさに満足していました。

次は20年前あたり。
子どもが生まれ、子どもの写真を
毎日大量にデジカメで撮影していました。
被写体は100%子ども。
今思うと、あの頃は、
写真を撮っているというよりも、記録していた、
というほうが近いかもしれません。

そして、数年前くらいから第3次に突入しています。

きっかけは、昔のカメラの取説をじっくり読んでみたこと。
読んだ理由は仕事で必要だったからですが、
あ、撮影ってそういうことだったの?ということを
初めて(遅い)、構造的に理解したのです。

そうなると、いろんなカメラをいじりたくなるもの。

家に眠っていたコンデジを引っ張り出してきて、
このカメラ、こんなにステキに撮れたんだ、と感動した話は
以前、このメルマガでも少し触れました。

で、先日、眠っていたカメラがもっとあったことを思い出し、
探してみると、ありました。昔のNikon。
昔といっても、20年前くらいのデジカメです。
しかも、一緒に保管されていたのは300mmの望遠レンズ。

どうやら、義父から譲り受け、子どもたちのサッカー撮影のために
しばらく使っていたようですが、記録メディアが古いし、
本体も重いので、引き出しに入れたままになっていたようでした。

カメラの数値をいろいろといじれるようになった(遅い)私。
せっかくなので、望遠レンズとともに持ち出して
外で撮影してみることに。

私が住んでいる地域は、計画的に緑が残されていて、
池や小川もあるので、鳥がたくさんいます。
望遠で撮りたいものは特になかったのですが、
まあ、鳥でしょうね、という感じで、
鳥にターゲットを絞りましたが、
普段動くものを撮り慣れていないので、
全然撮れない(笑)。

いや、シャッターは押すんですよ。
でも、そもそも、鳥を撮りたい!という
強い思いがないことと(生き物好きなので鳥は好きですが)、
こういう写真にしたいという
仕上がりイメージがないので、
構図が全然決まらないわけです。
これじゃない、もっとこうか?と試しているうちに
鳥は飛び立ってしまいます。

2時間近く緑道を歩いて、かなりの枚数を撮りましたが、
まったく撮れた感触がないまま帰宅。

メディアからデータを取り込んで撮影した写真を見て、
ひどすぎて笑いました。

だいたいは、まあ撮影できてはいるんですが、
とにかく、
「これ、何がしたかったの?」
という写真なんです。

写真には撮影者の意図がかなり出ることに
改めて気づきました(遅い)。
つまり、私の写真には意図がない。
まあ、望遠っぽく撮れてるけど...「で?」
と突っ込まれそうな仕上がり。

原稿もそうですし、デザインもそうですけど、
意図がないと、ぼんやりしたものになって、
何が言いたかったの?何を伝えたかったの?
というものになってしまいます。

最初に言いたいこと、伝えたいことを決め、
それができるように、全体をしっかり設計しないと、
なんとなくいい感じにしてみました、にしかならない。

写真の場合、偶然を切り取ってみました、
ということもあると思いますが、
偶然の切り取りがいい感じに成立するのは、
それなりの蓄積があるからですね。

というわけで、一人反省会を終えたので、
また、カメラジャーニーに出ようと思います。
望遠は...撮りたいものができてからにしようかな...
第3次カメラブーム、まだしばらく続きます。

ファン.jpg

今日は、なんだかんだ熱意と愛は強いなあ、
という話です。

小学生の時にお笑いトリオのロバートにはまり、
ライブに通い詰め、
会場ではコント内容を必死にメモし、
ロバート目的で東京の大学に進学し、
学園祭の実行委員になって
ロバートに出演依頼をしてライブを成功させ、
さらに卒業後テレビ局に就職して
ディレクターとしてロバート秋山の特別番組を
企画制作したという人がいます。

「うそ、そんなことあるの?」。

これが、この話を何かで知った時の私の感想。
「ロバートが大好き」という熱い思いを
こんなにも長く持ち続けられることも
びっくりなのですが、
途中から「ロバートと一緒に仕事がしたい」
なんて野望を持ち、それに向かって
実際に行動を起こし、本当にロバートの番組を
企画するまでになるなんて。
怖くなるくらいの実行力です。

そしてなんと彼、
ここまでの話を本にまとめました。

この本、自分がどんな人間で
いかにロバートのファンであり続けたか、
どうやって番組をつくるまでになったのか、
というエピソードが細かく書いてあるのですが、
行間から滲み出ているのは
いかに「ロバートがすばらしいか」でした。

推しへの愛ってこういうことなんだなと理解。

意外だったのは、
彼が優秀なビジネスパーソンであること。
しかも小・中学生の頃から。

ただ熱意で進んできたわけではなく、
その都度、自分の状況を俯瞰し、
どうすれば目的が達成できるのか、
冷静に考えているのです。

ロバートの布教は完全に熱意で、
一方で自分が人生をどう歩んでいくのかは客観視。
熱さと愛だけではテレビ局でロバートの番組を
企画制作することなんてできなかったでしょうが、
それでも原動力は間違いなくとんでもない熱さと愛。
その上に冷静さが乗っかっているから
こうなれたんだろうなあ。

ちなみに、ロバート側は
ライブ会場で必死にメモをとるメガネの少年を
「メモ少年」と呼び、成長を見守ってきたよう。
いよいよ自分たちの業界に近づいてきた
メモ少年(青年)の行動力は恐怖だったようですが、
進路について本気でアドバイスをしたみたいです。
全力で応援してくれるファンの成長を見守る。
こういう世界があるんですねえ。


「好きなことを仕事にするほうがいいか、
しないほうがいいか」
という議論があります。

社会人1,000人を対象にした調査
(ミライトーチ調べ)では
「好きなことを仕事にした方がいい」
と答えた人は全体の47%、
「しない方がいい」と答えた人は12%、
「どちらとも言えない」が41%でした。

また、「子どもの頃や学生の頃になりたかった
職業につけているか」の問いに、
「つけている」と答えたのは14%、
「目指している途中」が5%、
「過去についていたが今はついていない」が5%、
「つけていない」「特別なりたかった職業はない」
と回答した人はいずれも38%でした。

子どもの頃か・・・。
中学生のとき、英国のロックバンド
「デュランデュラン」の
ジョン・テイラーというベーシストに
ロッキン・オンでインタビューするには
どうすればいいか、と英語の先生に聞いて
困惑させたことを思い出しました(笑)。
その後、ほとんど思い出さなかったくらいなので、
あの時、一瞬だけ好きだったのだと思います。
飽きっぽいと熱が保てませんね・・・。

「好きなことを仕事にするほうがいいか、
しないほうがいいか」。

いろいろな考え方がありますが、
「好き」の力はやはり強いと私は思います。
集中力も努力も、やっぱり「好き」な人には
叶わない。
「好き」が生み出すパワーはとてつもなく大きい。
あらためてそう感じます。

そろそろ花粉の季節がやってきます。体調に気をつけてまいりましょう。

マルバツ.jpg

食卓に並ぶさまざまな料理を、
リアルなイラストで表現し、
SNSで発信している山田めしがさんという方がいます。

ただ完成形を描くのではなく、
一口、また一口と料理が少なくなっていき、
最後は皿だけになるプロセスを
描いているのがユニークで、
見ている私も
全部食べたような満足感が得られるという、
なんとも不思議なイラストです。

最近では、McDonaldの月見バーガーや月見パイと
コラボした動画が話題になりました。
この方、調理師でもあるそうで、
料理と描くこと、
どちらも好きでたまらないのだろうなと
想像します。

さて、そんな山田さんには、よく
「どうやったら絵がうまくなりますか?」とか
「料理がうまくなるコツはなんですか?」
という質問が来るようで、それに対し、
山田さんはXでこうコメントしていました。

「ハッキリ言って答えようがない。
それより、私はこんな画材を使って
こんな感じの絵を描きたくて、こう描いてみたけど
うまくいかないのでアドバイスください、
とかのほうが答えやすい。
とにかく描いてから聞いてほしい。
作ってから聞いてほしい」

こうも言っていました。

「例えば一つコツをいったところで、
なるほど参考になりますって、行動に移さんでしょ。
簡単に描ける方法探すよりも、
苦戦しながらジタバタもがいて描き上げた作品の方が
上手い下手関係なく美しいし、
間違いなく画力は上がると思う」

ごもっともです。

サッカーをほとんどしたことない子が
「サッカーがうまくなるコツを教えてください」
と言ってきたら、
「まず、たくさんボール蹴ってみてください」
と言いますし、
水泳したことない子が
「水泳がうまくなるにはどうすればいいですか?」
と聞いてきたら、「まず水に入ってみましょう」
となりますもんね。
大人だったら「AIをうまく使いこなすコツは何ですか?」
とかでしょうか。
やはり「まず使ってみましょう」ですよね。

私も含めてですけど、きっと、頭のどこかで
「正解があるはずだ」「最短ルートがあるはずだ」
と思っているから、
こういう思考になるんだろうなあと思います。
自分でやってみて、「ああ、こういう感じね」
をつかんでもいないのに、
万人に共通する正解があるはずだ、と思ってしまう。

実際、「~~のコツ」「~~の正解」系の
タイトルがついた本、多いですしね。
試しにAmazonで「正解」というワードが
タイトルに含まれている本を検索してみましたが、
想像以上に出てきました。

「投資の正解」
「間取りの正解」
「人生の正解」
「話し方の正解」

正解を求める人が多いから、
これが正解ですという情報が多いのか、
これが正解です情報が多いから、
正解を求める人が多くなったのかはわかりませんが、
とにかく「正解」がいっぱい。


先日、ブロガーのちきりんさんの
『自分の意見で生きていこう
「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ』
https://amzn.asia/d/2icBKSIという本を読み、
なるほど、これはいい整理だと思ったので、共有します。

ちきりんさんは、こう言っています。

世の中のあらゆる問題は、
「正解のある問題」と「正解のない問題」に分けられ、
「正解のある問題」には
「正解」と「誤答」のみがある。
対して「正解のない問題」には
「正解」や「誤答」はなく、あるのは
「自分の意見」「Aさんの意見」「Bさんの意見」など、
さまざまな人のさまざまな「意見」。
「間違った意見」も「正しい意見」もない。

「正解のある問題」とは、たとえば、
国連加盟国の数は?とか、
前回の選挙の投票率は?など。
これらには正解があるので、
もしわからなかったら調べればいい。
調べれば正解がわかる。

「正解のない問題」とは、たとえば、
自分は結婚すべきなのか?
引っ越しをすべきなのか?
などの個人の問題や、
消費税をもっと上げるべきなのか?
移民をより積極的に受け入れるべきなのか?
などの社会問題など。ほかにもたくさんある。
これらには「正解」はなく、「意見」があるだけ。
だからネットで調べても正解に行き着くことはない。

この本は、世の中、正解のないことばかりなんだから、
意見を持っていないと生きていけませんよ、
自分の意見を持って、
自分で選択していきましょうと言っているわけです。

あたり前のことなのですが、
あらためて、そうだよなあと思いました。

正解風な意見があちこちにあるから、
正解のない問題でも正解を探してしまい、
正解風な意見を見つけて、安心する。
そういうことが起こっているのだろうなと思います。
安心したい欲ですよね、きっと。
それだけ不安が多い世の中ということなのでしょう。


さて、そんなことを呟いているうちに、
今日が仕事納めです。
仕事納まるのか。家の掃除はどうするのか。
正解のない問題を抱えています。


皆さま、今年も1年、メルマガをお読みいただき、
ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えください。

やってみよう.jpg

「遠くを見ています」


テレビのインタビュー番組に出演していた
草彅剛さんが、なぜそんなに目がいいのか、
何か特別にしていることがあるのか、と聞かれ、
そう答えていました。

インタビュアーが、
いやいや、そんな簡単なことであるわけがない、
もっと他に何かやっているでしょう、
というような反応をしたら、
草彅さんは、こんなことを言いました。

「だいたい、そういう反応されるんですよ。
そんなわけないって。でも、皆さん、
子どもの時から、遠くを見るのは目にいい、って
言われてきているのに、実際やっていないでしょう?
やってます? 僕はちゃんとやっているんですよ」


「ああ、そうだ。本当にそうだ」と私は思いました。

いいと言われていることを素直にやっているのか?
やったと言えるほど、続けたのか?と。

「よく噛んで食べなさい。30回噛みなさい」

なんて、言われたりします。

よく噛むと体にいいと
私も親や祖父母に言われました。

でも、私はやってこなかった。

どう体にいいのかわからんと思っていたのか、
面倒臭いと思っていたのか、
子どもの私がどう感じていたのかは覚えていませんが、
とにかくやってきませんでした。


昔から言われていたことに限らず、

「エスカレーターではなく階段を使うといい」
とか
「水をたくさん飲むといい」
など

健康にいいというジャンルに絞っても、
「こうするといい」という情報は山ほどあります。

これまた、私の場合、
素直に採用していることはほとんどありません。

無意識に、
「そのやり方は私に合っていない」とか
「いや、もっと効果がある方法があるはずだ」と、
やらない理由を考えているのかもしれない。

書きながら、そう自分自身の癖を分析したのですが、
いやこれは、まず自分でよく理解してから取り入れたい、
ということだと気づきました。

よく理解していないものに手をつけたくないというやつ。

でも、これ、理解するまでに時間がかかるわけなので、
なかなか手をつけないということになります。
「ちょっと待って、まだ理解していないから」
なんて言っていると、時間がどんどん過ぎる。

そして、なんだかんだ、
オリジナリティを加えようとする 笑。
そのままやりたくない。
厄介です。

仕事や勉強でもそうかもしれません。

「こうするといいよ」という情報やアドバイスを
もらっても、そのまま実行しない。

これもまた、
「待って、これから理解するところだから」
とか
「私なりのやり方があるはず」
みたいな理由ですね・・・
そうなると、いつまでたってもやらない。


まずは、言われたまま、素直にやってみる。
いろいろ工夫を加える前に、やってみる。

これ、とても大切だと気づきました。

なんでもかんでも片っ端からやったほうがいい
ということではもちろんありません。
でも、難しいことをいろいろ考えず、
まずは言われたまま、いくつか試してみる、
とにかく早く取り掛かることが大事だなと。

やりながら理解することもできるし、
やらないと理解できないこともある。
やらないと、自分に合っているかどうかもわからない。

守・破・離ですね、これは。
守を全然やっていないのに、破に行っちゃいかんよ、
まず、教えのままやってみて、
そこから自分のオリジナリティを加えなさい、
ってことですね。

まずはレシピ通りやってみよう、
つべこべ言わずにまずやってみなさい、私! 笑

というわけで、
書きながら、自分自身にツッコミを入れる、
リフレクション感満載のメルマガになりました。

さて、あっという間に8月も終わり。
暑すぎて、早く秋が来ればいいと思っていたのに、
ツクツクボウシの鳴き声が聞こえると
夏の終わりを感じて寂しくなってしまいます。

とはいえ、9月もまだまだ暑いでしょう。
台風も心配です。
体調に気をつけてまいりましょう。

27911204_s.jpg

昔から血液型や星座によるタイプ診断的なものに
興味がありません。

興味がないのは、一度も「当たってる」と
思ったことがないからだと思います。

私はA型で山羊座なのですが、
この組み合わせで目にする説明は
だいたい以下のような感じです。

「とても真面目。几帳面。慎重。コツコツ努力型」

ううむ。当たってない。

そんなわけで、血液型論は信じてこなかったのですが、
世の中、結構頻繁に人間関係と血液型が
一緒に語られますよね。
プライベートトーク、とくにママ同士のトークなどでは
よく出てきました。

「B型なんだ。やっぱりね」
「そうだよね、あの人AB型だもんね」

のような会話です。
私の場合は「A型っぽくない」と
言われ続けてきました。

A型は真面目で几帳面とか、AB型は変わっているなどの
なぜそう言えるのか?というような情報を
無意識に信じてしまって、バイアスになっていることを
確証バイアスと言いますよね。

血液型以外にも、
「女性はていねいだから、細かい仕事に向いている」
とか
「アウトドア派の人は明るく、コミュ力が高い」
とか(笑)、まだまだあると思います。


人事コンサルタントの曽和利光氏によると、
そもそも、人が確証バイアスにとらわれてしまうのは、
脳を「省力化」したいからだそうです。

日々接するさまざまな対象を
イチから認識・解釈していくと、
知的パワーを大幅に消費することになり、頭が疲れる。
すでに何度も直面した対象(物事)に、
毎回初めて出会ったかのように
イチから認識を始めていては、
知的パワーがいくらあっても足りないので、
思い込むことで省力化しているのだと言います。

なるほど。確かにそうかもしれません。
時間もパワーも有限です。
いちいち、「いや、本当にそうなんだろうか。
そうとは言い切れないんじゃないだろうか」
とならないやり方を脳が選んでいるのかもしれません。

しかし、確証バイアスにとらわれてしまうと、
フラットな判断ができなくなります。

曽和氏は、ジョブズやザッカーバーグが
毎日着る服に悩まないよう、
ユニフォーム化しているのは、
脳のパワーを使わない対象をつくることで、
それ以外の判断をクリアにできるようにしていると
説明しています。

そうか。やはりインプットでも「緩急」なんだ。
と、私は思いました。

なんのこっちゃってことですが、
私は、以前から度々このメルマガで
「緩急」「強弱」はとても大事
ということをお話ししています。

それは、主にアウトプットでの意味でした。
たとえばダンスや音楽だとわかりやすいですが、
全部を同じスピードで、強い力で表現しても
あまり良さが伝わらないけれど、
速くなるところ、遅くなるところ、
強いところ、弱いところが表現されていると、
ぐんとストーリー性が出て、見ている人、
聞いている人の感情に
アクセスしやすくなる。
これは、記事の執筆などでも同じです。

しかし、今回の話はインプットの話。

脳は、何かを理解する時、
いつも全力でパワーを使わないように、
確証バイアスで省力化している。
しかし、それだとフラットな判断ができなくなる。
そうならないように、
脳がパワーを使わない対象を決めて、
脳がきちんと休める状態もつくり、
逆にパワーを使わなくてはならないところに
使えるようにしよう。
ってことですもんね。

ああ、私がたまにボケボケなのはこのためなのか。
最近はしなくなりましたが、
缶切りを買いにいったのに、
栓抜きを買ってきてしまったのは
脳の省力化だったのね、
あれによって、
ほかの時間は冴えていたのかもしれない、
と妙に納得。

いやいや、結果として緩急がついちゃった、よりも、
ちゃんと意図して緩急をつけたほうがいいですね。

ここで脳を使わないようにしよう、
逆にこっちで使おう。
そんなふうに少しでも意識してコントロールできれば、
確証バイアスが働かないように
できるのかもしれません。

皆さんは脳のパワーをどこで使って、
どこで休めますか?

さて、本格的に暑くなってきましたね。
体調に気をつけてまいりましょう。

2442414.png

家の片付けをしていたら、20年ほど前に買った
コンパクトデジタルカメラが出てきました。
最後に使ったのはたぶん12~3年前くらい。
そこからずっと引き出しの奥で
眠っていました。

まだ使えるかどうかわかりませんでしたが、
充電してみたら動いたので、
早速何枚か撮ってみることにしました。
初期のコンデジなので
使い方はとてもシンプルですが、
いろいろと忘れてしまっていたので、
ネットで取扱説明書を探し、
あらためて機能を調べました。

少しずつ設定を変えながら撮っていて
気づきました。
とても優秀なカメラだったのだと。

当時は子育てでバタバタだったこともあり、
AUTOで撮るばかりで、
どこをどのくらい調整できるのかを
あまり見ておらず、
いたって普通の写真を撮っていました。
でも、あらためて触ってみると、
かなりいい感じで撮れるのです。

20年近く、気づいていなかった。

うう、購入時にちゃんと調べておけばよかった。
なんて後悔したものの、
「ま、普通に撮れればいいか」
くらいに思っていたのも事実。

でもやはり、もっと前にやる気になって
使いこなせるようになっていれば、
高いクオリティの子ども写真が
残せたはず・・・と反省しました。

考えてみると、こういうことはよくありますね。

「機能を知らなかったから、使ってこなかった」
ということもあると思いますが、

「なんとなく知ってはいたけど、
情報を得るのが面倒で使わなかった」
とか
「なんとなく知ってはいたけど、
難しそうだったので、使ってこなかった」

こっちのほうが多いのではないでしょうか。

たとえば、スマホ。
便利機能があるのは知っているけど、
調べるのも覚えるのも面倒で、
一瞬で終わるかもしれない作業に
何分もかけている。

とか

エクセルで何かの資料をつくるとき、
関数やマクロを使えば長い目で見ると
効率化につながるのに、
覚えるのも理解するのも大変そうだから、
非効率だと知っているけれど
今までのやり方でやっている。

など。

なぜ新しい情報を得たり、覚えたり、
試してみたりするのを避けるのか。

最初に出てくる理由はおそらく、「忙しいから」。

でもきっと、その奥には
こんな思いがあるのではと思います。

「今、特に困っていないから、今までと一緒でいい」

「下手に何か変えると、時間がかかってややこしい」

「何か新しいことをして、失敗するのがいやだ」

自分で書きながら、いろいろ思い出されて
反省モードに入ってきました(笑)。

はい、そうです。
「忙しいし、いろいろ調べたり、試す時間がない」
これですよね...

しかし、じゃあ忙しくないタイミングが
いつかやってくるのか?
というと、そんなことはない。
常に「忙しい」。
なので、これを続けていると、
「THE前例踏襲の人」になってしまいます。


世の中、リスキリングが叫ばれています。
ベネッセが2023年に
社会人4万人を対象に実施した
「リスキリングに関する生活者理解のためのインサイト調査」によると、
社会人の約40%が、
直近1年間の学習経験も今後の学習意欲もない
「なんで学ぶの」層なのだそう。

調査では、人生に対して主体性が持てない、
自己肯定感が低い人が多く存在すること、
そして、リスキリング=押し付けられるだけの終わらないタスク
と捉える人が多いことも明らかになりました。

ううむ。
やはり学びは自発的でないといけないですよね。
自分では学ぶ意味がないと思っているのに、
外から「学べ!」と言われても、
本当の学びにつながるとは思えません。

では、どうしたら学ぶ意欲が高まるのか。

これは私の考えですが、
一つは学びのハードルを下げることかなと思います。

お金を払って何かの学校に行ったり
オンライン講座を受けるなどの学びもいいですが、
学びのイメージが学校や講座ありきだと
金銭的、時間的理由からなかなか始められない。
なので、今日、新しい機能を一つ使ってみる、
くらいでもいいのではないでしょうか。
昨日と違うことをしてみるくらいの気軽さで
トライしていると、1年経てば、
かなりの学び量になっていますよね。

あとは、未来を見るしかないんじゃないかな
と思います。

過去にうまくいかなかったから、やる意味がない。
など、過去の失敗経験に囚われると、前に進めません。
だから、未来を見る。
そして大袈裟なくらいポジティブなイメージを描く!

これを覚えたら、仕事がだいぶ効率化されて、
帰りにジムに寄る時間が増えて、
スーパーボディになるかも!

くらいのやつです。
自分自身が楽しむのが一番ですから。

なんて言ってますが、
実は私もいろいろとできていない...。
今回は自分自身に言い聞かせる感じになりました。

さて、もう6月も中旬です。
今年が半分終わりますね。
ジメジメしていますが、
体調に気をつけてまいりましょう!

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以前どこかのインタビューで
YOASOBIのボーカル、幾多りらが
「歌うときは、なるべく細かい音符で
理解する」というようなことを
言っていました。

2019年に大ヒットした
『夜に駆ける』のレコーディングのことを
言っていたと記憶しています。

テンポが速い。言葉も多い。転調も多くて、
息継ぎのタイミングも難しい。
とにかく歌うのが難しい曲だったそう。
少しもずれられないので、
音符を細かく刻んで、
音を捉えたというようなことでした。

一拍の中の細かな音符を捉える。

たとえば、いーち、にーい、さーん、しーい
の中に、それぞれ4拍捉える。
いちにさんし、にいにさんし、
さんにさんし、しいにさんし 
みたいなことだと思います
(文字で書くと難しいですね。
理解していたただけたでしょうか)。

これを読んだとき、すごく納得しました。

実は私、大昔にダンスをしていたのですが、
キレキレなダンサーは
すごく細かく音を捉えて、
その細かい音にも動きを合わせている。
大雑把に音を捉えると、
動きも大雑把になってしまい、
間延びしてしまうんですよね。

私はできませんでしたが、
キレッキレで緩急あるダンスをする人は
音を細かく捉えるのがうまいなあと
思っていました。

音楽では音ですが、この「細かく捉える」と
上達するというのは、いろいろなジャンルで
言えることだと思います。

たとえば、スポーツ。

テニスでラケットを構えるとき、
いちで体の正面でラケットを構え、
にで足とラケット引いて、
さんで打つという動きがありますよね。

あれを、いーち、にーい、さーん
とやるのか、
いちにっさん、にいにっさん、
さんにっさん で捉えるのかで、
やることが変わると思うのです。

細かく捉えると、
そのタイミングで体がどこにあるのか、
腕がどこにあるのか、
重心がどこにあるのかまで
意識することができる。
そうすると、修正していける
ということだと思います。

そしてこれ、仕事でも言えますね。

たとえば制作の仕事で言うと、

学生向けに
企業の採用パンフレットをつくる

と捉えるのか、

その企業をほとんど知らない
理系の学生向けに、
ストーリー仕立ての
採用パンフレットを
ウェブ閲覧用につくる

というところまで捉えるかでは、
やることが全然違ってきます。

細かく捉えようとすると、
疑問がわき、確認事項が発生する。

それを一つひとつ確認していくことで、
精度が高くなっていくのだと思います。

さて、あっという間にGW前半が終わりました。

お休みされている皆さんも
お仕事をしている皆さんも
どうぞ体調に気をつけてお過ごしください。

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少し前のことですが、
新潟のある公立小学校の全校集会で、
校長がその場でChatGPTに質問し、その回答を
スクリーン上の自身のアバターに読み上げさせる
という演出をした、
という記事を読みました。

校長がChatGPTにした質問は
「AIが活躍していく世の中で、人間は何をすればいいでしょうか」
ChatGPTが出した答えは
「人間は人と協働していくことが大切です」
でした。

この斬新な演出、スクリーンを見ていた生徒からは
「すごい!」「気持ち悪い」など、
さまざまな声が出たようですが、

こんなことができる世の中で君たちは生きていきます、
そのために大切なことは何かをちゃんと考えましょう

と伝えることが校長の意図だったと想像するので、
生徒が驚くくらいの演出が
ちょうどよかったと思いますし、
私は、うちの子どもたちが
もう一度小学生になるなら(笑)、
こんな校長の学校に通わせたいと羨ましく思いました。

さて、この校長は、
ChatGPTを教育に積極的に取り入れていきたいと
考えているようですが、
教育現場でのChatGPT利用には
否定的な意見が多いようです。

とくに保護者からは不安視する声が大きく、
小学校3年生から高3までの子どもを持つ
保護者を対象にしたある調査では、
約6割が「子どものChatGPTの利用に不安がある」 と回答。 特に
「思考力の低下」や「誤った情報を信じてしまうこと」 を懸念する声が大きいようです。

我が家の子どもたちはデジタルネイティブと言われる世代。 ネットとともに生きてきました。
何でもググり、ずっとYouTubeをみています
(同じ世代だからといって、世の中の子がそんな子ばかりではありませんが)。

「思考力の低下」や「誤った情報を信じてしまうこと」は 確かに保護者として心配なことですが、

私的には、もうとっくにそうなってるのでは という感覚。

真実もそうでないことも
おもしろいこともそうでないことも
雑多な情報が流れているネットと
ともに生きているということは、 それに対して何もしなければ、思考力が低下し、 誤った情報を信じてしまうということ。

今後も、どんどん便利なツールが出てくることを考えると、 これはもう、ツールを制限するという対処ではなくて、
人の思考力をがっつり鍛えていくしかないのではないかと思います

何度かメルマガでも書いているのですが、
私は「自分ツッコミ」が必要だと思っています。

自分で、ある情報や考えに行き着いたとして、
「はい、オッケー」ではなく、
「いやいや、そんなわけないでしょ!」
「いいんですか?それで?」
とツッコミを入れる。
一度疑問視するということです。
すると、「あ、そんなわけないか・・」と気づき、
また調べたり、考えたりすることにつながります。

ツッコミ担当の人がそばにいればいいですが、
今の時代、周囲の人はいろいろ言ってくれません。
だから自分で自分を疑う力をつけていくしかない。

先日、これはいわゆるクリティカル・シンキング
というやつだと気づきました。

クリティカル・シンキングの和訳は
「批判的思考」
どうやら、この和訳が、
なかなかクリティカル・シンキングが
浸透しない原因なのではと言われているようです。

その理由は、日本人にとって
「批判」や「否定」はネガティブなことだから。
相手を攻撃するようなニュアンスが
前面に出ているので、
積極的に取り入れる動きにならない。

『世界のエリートが学んできた 「自分で考える力」の授業』
の著者、狩野みきさんによると、
「critical」という原語には、
「事の是非を判断するために、注意深く考え、分析する」
という意味があるそう。
なので、批判的という和訳では、
その部分が十分に伝わりづらいと指摘しています。

スマートニュース メディア研究所長の山脇岳志さんは、
編者として携わった書籍で
クリティカル・シンキングを
「吟味思考」と訳していたりします。

言葉による影響は大きいですね。
その言葉に出会ったときも、本当は、
「いや、批判的思考ってなんやねん!」
くらいで受け取れれば、
もう少し意味を考えたりすることにつなげられるのか・・・

そんなことをつらつら考えると、
やっぱり、時間的・精神的な余裕が必要なのかなあ、
と思えてきます。
たまに一歩下がって、ひいて見ること、
目の前のことでいっぱいいっぱいにならないことが
大切なのかもしれません。

1月ももう半ば。
体調に気をつけてまいりましょう。

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メルマガを書いていることもあり、
日常的に情報を拾いにいく習慣があります。

先日、あるWebメディアの記事を読んでいたら、
お笑い芸人の千原ジュニア氏が、
「ブレイクする人の特徴」について、
「実ってもいないのに頭を垂れないやつ」
とコメントしていました。

今の若いお笑い芸人たちは、優秀だし、礼儀正しい。
そしてみんな仲がいい。
でも、自分は「実ってもないのに頭(こうべ)垂れるな」
とどこかで思ってしまう、と。
あの「実るほど~」の言葉には、
「頭垂れるなんて後でなんぼでもできるから、
実るまでは何を言われようがムチャクチャやったれ」
という教えがあるのではないか。
実る前から頭を垂れていたら、伸びるものも伸びない、と。

これは私も感じます。破茶滅茶な人が少ない。
いるところにはいると思いますが、日常生活の中にいない。
でも、そういう人が生まれにくい時代だというのもわかります。
飛び出ることが難しい。
飛び出るとすぐにSNSなどで非難される。
悪目立ちしたくない、そう思ってしまうのも無理はない。

私が新卒で入った会社は、時代もあって、
破茶滅茶な人がたくさんいました。
単にみんな破茶滅茶なのではなく、
一生懸命、楽しんで仕事をしていました。
毎日いろいろな事件が起こりましたが、
まったくストレスにはならず、むしろ、おもしろかった。

私も20代の頃は、全然社会がわかっていなかったので、
わりと破茶滅茶でした。

意見はストレートに直球で言う。オブラートには包まない。
ザッツマイウェイのような、若気の至り満載な思想があり、
ハンドルを切らず、ブレーキ踏まず、
時速70キロくらいで相手めがけて突っ込んでいくこと度々。
周囲にそういう感じの人が少なくなかったので、
クールウェイだと思ってたんですねえ。

そんな時、
「おいブレーキを踏め」と言ってくれたり、
「そのまま来るな、包め」などと
ユーモラスに注意してくれる人もいましたが、
真面目に怒る人もいました(笑)。そりゃそうだ。
「何様なんじゃ!」と、あの頃の私に
大声で突っ込みたいところです。

自分がそうだったからということでもないのですが、
私も、やはり、若いときは破茶滅茶な時期があるほうが
いいと思うんですよね、少しは。
なぜなら、そうすることで気づきがたくさんあるし、
時には盛大に怒られたりして、学びがあるからです。キリリ。

と書いておいて、ここで思い出したのが、イチロー氏の言葉。
ある野球チームに指導に行ったイチロー氏が、
君たちは大変だ。怒ってくれる人が周囲にいない時代だ。
周囲に言われないということは、
自分で気づいていかなくちゃいけない。
自分で気づいて、成長していかなくちゃいけない
大変な時代に生きている。
というようなことを言っているのをどこかで読みました。

確かに。大人は大人で大変。教育の考え方が変わっているし、
さまざまなハラスメントも存在し、
注意したくても、なんとなく口をつぐんでしまう
ということも多いでしょう。
ということは、70キロでぶつかっていっても、
相手は困った笑みを浮かべて黙るか、無視するか。
または、その人ではない上司から
後日柔らかく注意されるかもしれません。
注意されるならまだいいですが、
何も反応がないとこちらの学びになりませんね。

なのでこれからの時代は、盛大な自分ツッコミが必要。
自分で「そんなわけないだろ!」って
突っ込まなくちゃいけません。
イチロー氏の言う通り、大変な時代ですが、
だからと言って、周囲の反応を伺って
20代を過ごすのはもったいない。
70キロとは言わず、50キロくらいで、
ちょっとだけブレーキ踏んで突っ込んで、
「ちゃんとブレーキ踏めよ、ですよね?」
と相手に言うくらいでちょうどいいかもしれません。

今年も終わりますね。
風邪が流行っていますので、体調に気をつけて
どうぞ良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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