そのスピーチ、だれのため?
3月。卒業の季節です。
卒業式と言えば、スピーチ。
故スティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学で披露したスピーチや、
ドロップ・ボックス社のドリュー・ヒューストン氏がMITで行ったスピーチ、
国内では堀江貴文さんの近畿大学でのスピーチなど、
卒業式のスピーチには、心に残るスピーチが多くありますね。
我が家の息子もこの春卒業したので、
いろいろな場所でスピーチを聞きました。
どれもすてきなスピーチだったのですが、
やはり、ぐっとくるスピーチには共通点があるように思います。
構成がわかりやすいこと?
聞き取りやすい声で話していること?
ジェスチャーを交えて、話していること?
適度な間が入っていること?
それらも大事なのかもしれませんが、
私が感じる、ぐっとくるスピーチに共通していることは、
「自分の言葉で話していること」です。
だれかが用意したような言葉ではなく、自分の言葉で話す人には、
聞いている相手への想いがしっかりあるように思います。
それが、聞いている人に伝わるから、ぐっとくるのだと思うのです。
いくら流暢で、かっこいいスピーチでも、
相手への想いがないとやっぱり届かない。
「上手いスピーチ」と「いいスピーチ」は違うと思うのです。
原稿でも同じことが言えます。
上手な文章を書こう、感動的な文章を書こう、などと、
スタイルばかり考えていると、どんどん読者の姿が薄れていってしまい、
相手に届かない独りよがりな文章になってしまいます。
「あ、このライター、無理矢理感動させようとしてるな」
なんてことも悟られてしまいます。
「相手のことを想っているか」
どんな仕事でも、これ、大事なチェックポイントですよね。