「あり得ない!」と思わずに
よく転んでいる次男が、また膝と肘を擦りむきました。
深い傷ではなく、表面だけ削れています。
水で洗って消毒し、ガーゼを当てました。
このガーゼ、傷を守ってくれているのですが、くっつきます。
交換の時は、傷にくっついたガーゼを無理矢理剥がすことになるので、
息子は「ぎゃー」と叫びます。
でも、しょうがない。傷の手当とはこういうものです。
とは思いつつも、毎回絆創膏やガーゼを交換する時に、
乾き始めた傷の表面をまた剥がしてしまうのはいかがなものか、
と疑問に思っていました。
本当は、傷を覆わずに乾かしたほうがいいと思うのですが、
まだ体液が流れてくるので、そうもいきません。
「そういえば、市販の薬に傷を乾かすスプレーみたいなものがあったはず」。
そう思って何となくネットを見ていたら、驚きの記事を発見しました。
「傷は乾かさない。むしろ濡らしておく。ガーゼは当てない」ですって!
その記事によると、こうです。
体液には傷を治す成分が含まれているので、
それをガーゼで吸収してしまうと、なかなか傷が治らない。
最近は、ガーゼがついていないフィルム上の絆創膏が市販されており、
それを使うのが効果的だが、ない場合はラップで代用できる。
この治療、モイストヒーリングというらしいです。
それにしても、「ラップ?」
傷にラップを貼るなんて、逆にジクジクして、悪い菌が繁殖しそうな感じがします。
治るどころか悪化しそうです。
でも、傷にくっついたガーゼや絆創膏をはがすことに疑問を感じていた私は、
やってみました、ラップ。
次男は、ラップを見てちょっと怖がっていましたが、
いざ貼ってみると、傷を押さえつけている感じがないので、動きやすいと上機嫌。
交換の時も、するっと剥がれて痛くないので、大喜びでした。
しかも、ラップの下の傷は少し良くなっているようにも見えます。
私は、新しい知識を得て、嬉しくなってしまいました。
今まで定番としてきたやり方よりも、よいと思われる方法が見つかったのです。
これは誰かに教えねば、という気持ちになりました。
そこで、たまたま通りで会った同じ小学校のお母さんに話してみました。
すると、「えー、あり得ない。やらないでしょ」と一言。
体液が傷を治すという説明までしたかったのですが、
そこまで話す雰囲気でもなく、、、。
ですよね。私も「うそだー」と思いましたから、拒否する気持ちはわかります。
そんなはずはないと思うと、それ以上聞けなくなっちゃうものですよね。
私も、人の説明を途中で遮って「ない、ない」
なんて言っていること、あるなあと反省。
どんな話でも、とりあえず聞いてみること、
見てみることは必要だなあと改めて感じました。
受け入れるかどうかは、それから決めればいいのですから。
ところで、次男のラップした傷、治ってきました。
いいかもしれません、この治療。
もしお試しになる方がいらっしゃったら、
深い傷や出血している傷には使わないでくださいね。
あと、汗でかぶれないようご注意を。
叱っていますか?
20代から30代にかけて、私はいろいろな方からお叱りを受けました。
私の言動や行動が、よく相手を怒らせていたからです。
ほとんどの場合、意識的に怒らせていたわけではありません。無意識です。
つまり、いろいろわかっていない生意気な若者だったわけです。
例えば、こんなことがありました。
当時、私は情報誌の編集をしていたのですが、
入稿が近いのに、ライターさんから原稿が上がってこない。
数日後、明日入稿というタイミングくらいで、
原稿が上がってきました。
その方に依頼していたページが多かったので、
私たち編集スタッフはバタバタ。
でも、そのライターさんは入稿当日オフィスにいらっしゃり、
上司とお菓子を食べながら、談笑したりしています。
上司の古くからのお友達で、ベテランのライターさんだったのです。
当時の私は、自分の仕事をこなすことで精一杯で、
周囲の方への敬意がことごとく欠けていたので、
その方から原稿を受け取った時に、
相手がカチンとくることを言ったのだと思います
(覚えていないってダメですよね、これ)。
上司の古くからのお友達であること、
その方も一生懸命原稿を上げてくださったことなど、
完全に頭から抜けていたのです。
「ちょっと廊下に出なさい」と言われて、
「物の言い方に気をつけなさい」とお叱りを受けました。
怒らせていることに気づいていない私は、
相手に叱られて初めて、
そうか、そんなこと考えてなかった、と気づく始末で、
「なるほど。申し訳ありませんでした。ありがとうございます」
という感じでした。
当時は、結構そういうことがあったので、
今思うと、相当面倒くさい若者だったと思います。
それにしても、そんな面倒くさい私を
皆さんよく叱ってくれたなあと思います。
本当に感謝しています。
そのまま放っておかれたら、
とんでもない勘違いをした大人になっていたかもしれません
(って、今も大丈夫じゃないかもしれませんが)。
そんな私も、どちらかというと叱る側に立つことが
多い歳になってしまいました。
つくづく感じるのは、人を叱ったりダメな点をフィードバックするのは、
かなりエネルギーのいる仕事だということ。
やらなくてもいいのなら、やりたくない。
しかも、私が新入社員だった20数年前に比べると、
今はかなり叱りづらい環境です。
日本生産性本部が行った『職場のコミュニケーションに関する意識調査』によると、
「叱る」ことに関して、上司の89.0%が「育成につながる」
と考えているのに対して、
部下の56.8%が「やる気を失う」と回答。
「褒める」項目では、80.3%の上司が「部下を褒めている」
と答えているのに対し、
「上司は褒めるほうだ」と回答した部下は51.4%にとどまっています。
つまり、「上司は、育成につながると思って
頑張って褒めてフィードバックしているのに、
部下は褒められていると思っておらず、しかもやる気を失っている」
ということになります。
うーん。頭が痛いですね。
アルピニストの野口健さんが、ある対談の中で、
過去に叱られた経験のことを話していました。
山に登り始めて間もない頃の野口さんは、
スポンサーになってくれる企業を探すために、
山にかける思いを情熱的に書いた企画書を手に
いろいろな会社を回っていました。
しかし、なかなか上手くいかない。
そんなある日、ある会社で、目の前で企画書をびりびりに破かれ、
思い切り叱られたそうです。
「私たちは利益を得るために一生懸命働いている。
なぜ、うちの会社が君のお遊びにつき合わなくちゃならないんだ」と。
野口さんは、思い切り叱られたことで初めて
「自分のことしか考えていなかった」ということに気づいたそうです。
そして、自分の思いを伝えるためには、
「自分のストーリーだけでなく、相手のストーリーもしっかり描くこと」、
「お互いが共通して見られる"夢"を盛り込むこと」
が大切だと感じたと言っています。
なるほど。これは職場のフィードバックでも必要だなと思いました。
お互いのストーリーをしっかり確認すること、
そして共通した夢を描いて、将来につなげる。
君にはこうしてもらいたい、そうすればお互いにこんな夢が見られる、
なんて伝わり方が実現すれば、意識のギャップが少しは埋まるような気がします。
なんて、言うのは簡単なんですけどね...。
捨てる
「何を作るか」。
これを決めないうちに、急いで料理に取りかかると大抵失敗します。
例えば、こんな感じです。
すごく急いでいる。冷蔵庫から今ある材料を取り出して、
何を作るか考える。でも、時間がない。材料を切る。とりあえず炒める。
この時点で、「あ、炒めるならこの形に切らなきゃよかった」などと思う。
とりあえず、お酒やしょうゆ、みりんを入れてそれなりの味にしようとする。
ここでもまた、「この材料なら中華味にすればよかった」などと思う。
ちょっとオイスターソースを入れてみる。味見。うーん。
ちょっと塩こしょうをしてみる。味見。うーん。
本当は全部捨てて、始めから作り直したほうがいいと思うのだけれど、
もったいないので、絶対そんなことはしません。で、修正を続ける。
できあがった料理は、食べられなくはないけれど、これ何なの?という料理。
和風でも中華風でもない。中途半端な感じ。当然子どもたちからも不評。
先日、原稿を書いている時、私はこれと同じ失敗をしてしまいました。
ここ数週間、私は原稿を通してこれが言いたい、
というものがなかなかありませんでした。
W杯ばかり観ていたせいです(たぶん)。
ただ、取り上げたい題材、キーワードはある。
例えば、「勝利」、「存在感」、「運」、「士気」、「期待」など。
W杯ばかり観ていたせいです(きっと)。
ところが、当然のことながら、題材があったところで、
何を伝えたいかが決まっていないと原稿はまとまりません。
何となく字で埋めて、それらしくはなっても、
「で? 何が言いたいわけ?」となってしまう。
でも、急いでいるし、書いた原稿がもったいないから、
何とかそれを修正して仕上げようとする。
同じ題材から、結論だけ変えてみたり。それを何通りも作ってみたり。
でも、どれも結論が私の意見ではないので、
自分で読み返しても、「...で?」と首を傾げてしまう始末。
なんと私はこれを3日続けました。はあー。
で、どうしたか。
捨てましたよ! 原稿のデータ! きれいさっぱり。
何を伝えたいのかが決まっていないのに、
書き始めたものは、やっぱり形になりにくいです。
これは違う、と思った時点で、
ゼロから始めればよかったとつくづく反省。
もう10年以上前になりますが、
神田うのさんが、パンストなどのレッグウェアやアンダーウェア開発に携わった時の
ドキュメンタリー番組をテレビで観ました。
企業の商品開発の担当者と打ち合わせを繰り返すうのさんが、毎回怒っています。
理由は、サンプルが全くデザイン通りに上がらないから。
「型紙を一から作り直してください! 既存の型紙は捨ててください!」
と、うのさん。
担当者は「わかりました」と言うのですが、
次回の打ち合わせでもまた同じことが繰り返されます。
これは私の想像ですが、
たぶん、現場では「最終的にこれを作るんだ」というところに、
まだ意識が集中しておらず、何とか、あるものをムダなく使おう
というところから抜け出せなかったのではないでしょうか。
それで、「ゼロから作り直さなくても、この型紙はちょっとここだけ直して、
こっちの型紙はここを直せば使えるんじゃないか?」
ということを繰り返してしまった。
人は何とかあるものを使って済ませたい、と思ってしまうものですからね(はい)。
でも「最終的な形が違う」と感じたならば、
やはり新しい物を作り出す決定をしっかりして、
それまでのプロセスを勇気を持って捨てるに限ります。
そうすれば、こうやって新しい原稿が仕上がるわけですから(あー、よかった)!
世界で一番クリエイティブな国は?
もう20年も前のことになりますが、
アメリカで数年くらしたことがあります。
バイトをするために、英語でレジュメを作っている時、
アメリカ人の友人が、オーガナイジングスキルがエクセレントだと書けと言うので、
「私、オーガナイジングスキルは全然エクセレントじゃないんだけど」
と言い返すと、
「事実はどうだっていいの。だれでもそう書くんだよ」と言われました。
「でもさ、後でバレるじゃない」と言う私に、
「後で、あいつはオーガナイジングスキルがエクセレントじゃなかったな、
なんて誰も思わないし、そんなことどうでもいいじゃない。
レジュメは自信を持ってクリエイティブに創り出すものなのよ」と彼女。
クリエイティブねえ...。得意じゃないことを得意と書くのは気が引けたのですが、
彼女のアドバイス通りにしました。
ハッタリのレジュメが効いたのか、
私は現地の旅行会社でバイトをすることになりました。
エクセレントではないオーガナイジングスキルで何とか仕事にも慣れた頃、
会社の受付スタッフが数日単位でコロコロ変わることに気づいて、
不思議に思いました。
ある日、採用担当の女性マネージャーに聞いてみました。
すると「パソコンスキルも事務処理能力もエクセレントだと思って雇うけど、
全然そうじゃないことが多いのよ。レジュメじゃわからないの。
何でもエクセレントだと書いてくるから」と言うのです。
たぶん、応募してきた彼女たちもレジュメを
クリエイティブに作り出したのでしょう。
自分が一番魅力的に映るように。そうか、これはアピール競争だなと思いました。
一方、明日から来なくていいと言われた本人たちは、いたって平気です。
トイレで入念にメイクを直し、世間話をした後、
「じゃあねえ」なんて言って帰って行きます。
嘘をついてまで自分をアピールするのはどうかと思いつつも、
彼女たちの怖いもの知らずな自信とポジティブな姿勢に
圧倒されたのを覚えています。
アドビシステムズ社が行った、クリエイティビティに関する調査があります。
日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの5カ国で、
それぞれ1000人に、「どこの国が一番クリエイティブだと思うか?」
と聞いたところ、全体の36%の人が「日本」と答え、1位に。
しかし、日本人で「日本」を選んだのは26%でした。
しかも、「自分自身はクリエイティブだと思うか?」という問いに
「Yes」と答えた人は、日本が最下位。わずか19%でした
(1位のアメリカでは52%が自分自身がクリエイティブだと思っています)。
ちなみに、この調査では、
76%の日本人が経済成長にはクリエイティビティが極めて重要である
と答えています。
「クリエイティブ」であることが重要だと思っており、
世界で一番「クリエイティブ」だと認められているのにも関わらず、
「クリエイティブ」ではないと思っている人が多い、日本。
ハッタリのレジュメはやり過ぎですが、規定のテンプレートにあてはめることなく、
自分自身をアピールすることは、私の友人が言ったように、
十分クリエイティブなことと言えるのかもしれません。
そう考えると、わざわざ何か作品を創ったり、
独創的なアイデアを出したりすることではなくても、
普段私たちが行っていることの中にクリエイティブな行為はあるのかも、
と思えてきました。
世界と勝負することを考えると、
日本人はもっともっと自分たちの力を信じるべきだなと思いました。
